1 :
考える名無しさん:
あの思い出を。
松本は深〜い神経症系
吉田戦車はあっさりとした分裂病系
3 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 02:10:02
おもしれーなw
まあ知能指数が低いんでしょう
松本って神経症か?
6 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 14:36:16
松本は「深〜い神経症系の笑い芸」
吉田戦車は「あっさりとした分裂病系の笑い芸」
7 :
俺もそう:2005/07/27(水) 00:11:00
二人とも1963年生まれ。
1963年生まれの人間は世界が見えすぎるので
とんでもなくわざとらしくなるか、極端に走るかのどっちかしかない。
例えば河合奈保子は何を歌っても意味がないし、
福沢朗は何をやってもわざとらしい。
唐沢寿明、板尾創路。勝村政信なんかもそう。
1963年生まれというのは生物個体としての生長速度と
社会の変化速度がシンクロしてしまった世代なのだ。
だから個体意識と社会意識の区別がない。
社会を個体の尺度でしか捉えることができないから
歴史意識や教養もなければ常識もない。あるのはテレビ体験だけ。
だから思い切りわざとらしいかシュールな発想しか出てこない。
1962年生まれが人間の変わり目だった。
宮崎勤、上祐史浩、佐藤宣行(新潟監禁事件)、松田聖子などがそうだ。
そして63年生まれで新しい精神形態は確定した。
これと逆の現象が71年生まれと72年生まれで起きている。
71年生まれあたりから社会の時間と個体の時間が再び分離したのだ。
71年生まれの名前を見ると精神的不安定のオンパレードに驚かされるが、
そういう環境変化が教養のある物書きを何人も生み出している。
もっとわかりやすく詳細に続きを頼む
人間の意識は個体意識と社会意識からできている。
ほとんどの人は個体意識を基盤に生きているが歴史上1962〜71年生まれだけは
社会意識が主となって生きている人がかなりの割合でいる。
さて個体は死ぬが社会は死なない。だから社会意識に死の恐怖はないし
生きていたいという欲望もない。また食事や勉強、仕事の必要もない。
また社会の進歩は人間個体の成長に比べてゆっくりなので通常意識される
ことはないが、20世紀に入って進歩のスピードが加速し特に1962年生まれ
からは生まれた時から自宅にテレビがあった関係でテレビが体現する
社会意識の変化を個体意識の成長とダブらせて生きるようになった。
1960年代後半は未来への期待が頂点に達した時代でもあり、62年から数年の
間に生まれた世代は未来の夢を生物個体としての自分の成長が
これまでの世代以上に持続して実現する人類の進化として理解した。
そして確かに意識はある意味進化した。1977〜80年ごろ成立したメタ意識のことだ。
まあ確かにこれまでとは違った視点から世界を眺めることはできるようになったのだが、
重大な副作用もあった。生物個体としての楽しみがなくなるのだ。さらにかつての
活字世代のような教養もない。社会に適応できない。生命力がない。
これは社会意識への同化が人間の進化だと誤解したゆえの悲劇であった。
まあそうは言っても新たに発見したことも多々あるわけで、
純粋テレビ世代の一部はこれからそれらをちびりちびり社会に切り売りして
いくという形で歴史にささやかな貢献をしていくことになるだろう。
1972年生まれからは再び個体意識だけで生きるようになった。
いやまあ68年生まれにも断層があるのだが(その証拠に68年生まれには
作家が異常に多く意識が活字へと回帰している)72年生まれは決定的だ。
まず伝統的社会の雰囲気がまだ色濃く残っていた60年代の記憶がない。
さらにものごころついた1978年にはすでに意識のメタ化は進行していたので
メタ化以前の状態が想像できない。ダメ押しとして思想的ものごころがつく
14歳の時(1986年)には進歩が完全に終わっていたから自覚的進歩意識も
進歩のための道徳や理性も形成される環境がなかった。
というわけでスマップ中居のような超ドキュンが生まれたのであった。
(つきあってた女が面倒になったらプールに突き落として帰る男中居)
昔松本がやったライブで「写真で一言」というのがあるんだが
(本にもなってる)
世界中から集めたいろんな写真に、ひとこと言ってるんだが
中に難民の子供の写真とか、病人とかがあったりもする
本の方では、写真をカットせざる負えなくなってる
それをある似顔絵作家が、「わざわざそういうものまで取り上げなくても
笑いはできるだろう。どうしてそこまでするのか?」と質問したら
松本は「ボクにもわからないです。強いていえば、僕の生理なんでしょうね」
と答えてたんだが
その後も松本は同じことを続けてたし、不幸な人を笑いものにしてるわけじゃないと
本気で言ってた。俺もそれはそう思う
ただ、その部分をきっちり説明できない。誰か、松本の答えを哲学してみてくれないか
何年も前からずっとひっかかってる
>>14 単純に見れば、仕事として使えるものを拒まないことこそが、不幸とかの同情を
差別しないってことなんじゃないの、っていう。
元々見てる側はその写真がどういう状況で撮られたものか
実は写真そのものから受ける情報以外の情報
たとえばアフリカ難民とかだと、「ああ、テレビでよく見るあれだな」
と言う風にバッググラウンドも含めて受け取っている
逆にいえば、そういうものを知らない子供に顔に蠅がたかってる子の写真を見せて
滑稽なセリフを一緒に添えれば、屈託無く笑うだろう
同じように松本も、写真の情報以外の情報はまったく無にして
発想をひねり出してるから、もちろん「テレビでよく見るあれ」ではないから
写真に顕れる、もっといえば自分がボケたことで顕れる写真からの情報以外の情報はないと
つまり、写真の子が幸せな言葉をしゃべってると仮定して
それが写真の中で成立していれば、それがその写真の子の全てであると
つまり松本の生理というのは、松本の世界と言うことに置き換えられると思う
17 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/07/29(金) 19:26:40
松本人志の「写真で一言」の面白さはアスペクトが変わるところにある。
斎藤環は、ボケと突っ込みによる笑いは、文脈の衝突と転換によって生じるという
例えば何か既存のヒエラルキーに組み入れられない浮遊した現象に遭遇したときに、
北野武は「○○みたいじゃねえか」(○○には〜のババアとかそういう言葉が入る)と
反転図形を確定してみせることによって、解釈を強要する力が解放されて笑うのだ。
「写真で一言」はこれと同じ構造である。
他の芸人の(いつもここからや鉄拳など)ビジュアルの使い方は
言葉で面白い場面を作って、絵はその挿絵にすぎないのだが、
松本の場合は、凡庸なあるあるネタとかではなくて、
場面自体が新しい意味を帯びる解釈のダイナミズムを持っている。
われわれは写真を完全に見ているにも関わらず、意味が見えていなかった。
これを野矢のアスペクトとか、東の過視的なものとか、
ジジェクのポストモダニズムと関連させて述べることもできよう。
あるいはこれは伝統的な「見立て」の手法を継承しているともいえる。
しかしそもそもイメージとシンボルの衝突という問題意識は
バウハウスのデザインからゴダールの字幕まで普遍的なものなのだ。
18 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 19:41:20
結局、写真そのもの自体は伝えるものとしての力は不十分なのではないのかと。
19 :
哲板住人:2005/07/29(金) 19:50:52
松本は「深〜い神経症系の笑い芸」
吉田戦車は「あっさりとした分裂病系の笑い芸」
深いが分裂せずに神経症系のラインに踏みとどまる映画監督→ゴダール
とうとう分裂病系まで逝ってしまった映画監督→デヴィット・リンチ
20 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/07/29(金) 19:54:11
松本の煙草の禁煙運動への軽い苦言は、
このアスペクトの不自由さと結びついている。
彼は言う。例えば赤ん坊の泣き声や布団をはたいた埃など、
迷惑なものは世の中に数え切れない程あるのに
なぜ煙草だけを厳重に隔離するのか、と。
このような細部への固執はジジェクの「愚者」の図式なのだが、
細かい条例や環境管理が進んだ現在では陥りやすい構図である。
ところで、別に文脈の転換など重要ではないという感想を持つかもしれない。
そこで養老孟司を参照してみよう。彼は日本では
会社を重要視し、そうすることが世の中を良くするというアスペクトが、
表面的に揶揄されることがあっても不動のものになっていることを批判する。
例えば交通事故の死者はいわゆる「凶悪犯罪」の被害者より多いのだが、
過労や睡眠不足の状態で運転するのは酒気帯び運転と同じ危険があるという。
だが会社主義が凶悪だと誰も思わない(ということにされている)…
ここで、単に反会社主義を主張しているのではなくて、
重要なのは視点の多元性を維持することである。
21 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/29(金) 20:17:34
「写真で一言」自体は、ベタな大喜利ですね。
>斎藤環は、ボケと突っ込みによる笑いは、文脈の衝突と転換によって生じるという
というのは、芸人的には「緊張と緩和」です。
コンテクスト(文脈)の破れ(緊張)によるコンテクストの確認(緩和)です。
笑いはコンテクストを切り替える、その場の空気をコントロールする力が求められます。
そして大喜利は、突然お題を出されて、そこでアドリブで面白いことをいう、
笑いの「力」の瞬発性が求められるわけです。
松本が持つ笑いの価値観にこの瞬発性の追求があります。
より困難な状況から、瞬間の発想で笑いを生む、場をコントロールする、
という挑戦に充実感を見いだしています。
22 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/29(金) 20:18:38
たとえば、典型的なものが、ガキのはがきのコーナーです。視聴者からの突然の
無理難題の内容を、引き受けて徹底的に肯定し、笑いにつなげる。
ごっつなど、いままでの番組でもたいだい大喜利型の瞬発力がもとめられるコーナーがあります。
また最近の深夜番組でも、標語を考える、4コママンガを考えるというものがあります。
これが、松本の一つのお気に入りなわけです。
その中でも、もっともストイックで挑戦的なものがこの「写真で一言」ではないでしょうか。
次々に写される写真に一言で笑いを生む、その瞬発力と発想の展開が試されるのです。
すなわち「写真で一言」が松本の笑いの指向の一つの典型であるといえ、
その写真そのものの選定にもまたこだわりがあるのではないでしょうか。
「難民の子供の写真とか、病人とか」については良く知りませんが、
そこには、いわば、「不幸な人を笑いものにするのか」に対する挑戦があったのでは
ないでしょうか。どのような状況、より困難な状況でも笑わせてみせる、という挑戦が。
23 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/29(金) 20:31:21
松本は大喜利だいすきっ子ですね。
HEY3などバラエティでも、いわばコメントのすべてが、大喜利ですね。
ゲストの普通の発言をうけて、大喜利する。
その発想と、瞬発力で、コンテクストを転倒する。
24 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 20:32:37
はいはいわろすわろす
瞬発力って?
あらかじめ引き出しにネタをためておいて、引き出しから出してるのは
瞬発力とは言わないでしょ。
26 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/29(金) 20:40:41
>>25 なぜ?お題から解答までの時間の問題でしょ。
事前にネタをためておこうが、筋トレしていようが、関係ない。
1963年生まれの俺が認める天才・甲本ヒロト
29 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/29(金) 21:55:10
インプロビゼイション(即興)というと、
さんま、鶴瓶など、結構いまは普通なんだよね。
松本は、さらに速度にこだわっているところがあるね。
そのストイックさからも侍の一刀両断的、というか、
わかるかな?
その意味で瞬発力。
わかるかなじゃねーよ馬鹿。瞬発力とかそんなの誰でも分かる
>>25 現場の空気を読んで、最適解をチョイスする瞬発力は必要
引き出しをごそごそやってたら、最も最適な時間は過ぎて行く罠
ぴかが語りだすとスレのレベルが一気に落ちる
ふーん同い年なのか。
40過ぎの人多いの?ここ
若輩が下手なこと書くと叩かれそうだな
昭和はよかったなあ
>>34 怖いぞここの40過ぎは
不惑が途惑ってるんだからな
37 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 22:39:25
agerunosa
一人ごっつはずっと見てたよ〜。
千原兄とかもこういうの好きだよな。
39 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 10:02:11
あんなもんにそこまで熱くかたるなよ。議論好きのアスペルガーども。
誰か「お題」でも出そう。
その方が生産的に展開できる。
お題
アホ2ちゃんねるの特徴は?
>>40 一応、出してみたぞ。もう少し哲学に絡めた方が良かったかな?
ボケをタームで解説するのか?
42 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 11:54:56
次10000、最新5000など、アメリカ市場を意識
>38
千原弟だよ。
つぎ吉田戦車いってみようよ。
「お題」
マグロ女の見分け方を是非教えてください。
ストレートに聞く
信号待ちでも足踏みしている
バリア歴がある
顔を洗おうとするがヒレが顔に届かない
オリジナルに連載してる風呂の4コマはどうよ
誰も知らない
54 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 05:12:16
フゥーーーーーーーーーーーーーーーーーー
戦車の風呂のやつは知ってるが、議論しようもない
最近は無理やり風呂にこじつけてる感
ここには、戦車を読んでる人がほとんどいないことが判明
58 :
考える名無しさん:2005/08/28(日) 23:39:30
確かに戦車世代及び戦車を読んでない人が多いのかも知れんね。
2ちゃんねる開設してまだ浅いころ、へんな犬みたいなAAに
「ぞぬ」と名付けた奴がいて、戦車フリークなら誰もが
オス象とメス犬のあいのこのことだとすぐにわかるはずと思ったが
オリジナルの命名みたいな解説があったのでむしろ戦車読んでないのだなと。
俺も最近のは読んでないけどね。
いちばんすきなのは、
「玉山田砂糖撒く!」
という4コマだな、解説すると
新聞一面に横綱玉山田が土俵に砂糖を撒いたという記事が乗って
当の本人はいつも塩ばかり撒いて砂糖好きな自分としては
砂糖を撒いてみたかったとかそんな感じの内容でそれ以上でも
以下でもないネタだが妙に気に入っている。
59 :
考える名無しさん:2005/08/29(月) 00:00:03
かわいい
へえ、ぞぬってそうだったんだ
そのAA覚えてる
61 :
58:2005/09/05(月) 23:45:45
>>60 ちなみに「中の人」は伝染るんですからの引用てのは共通認識でいいんですよね?
中の人ってタケシが言い出したのかと思ってたよ
今は「中の人」が単独で使われるようになってるけど、はじめは、
「中の人も大変だな」と誰かがポツリと書き、
それに対して「中の人などいない」と他の誰かがレスをつけるという
マンガでの展開を踏襲して楽しんでいる感じだった。
64 :
考える名無しさん:2005/09/23(金) 05:25:34
シュールものは底が浅いというバカな評価を固定させたのは
BS漫画夜話の連中なのか?
どっちも枯れちまったな
67 :
考える名無しさん:2005/09/23(金) 11:13:02
殴るぞを立ち読みしてるのは俺だけか?
68 :
考える名無しさん:2005/09/23(金) 11:43:25
「天才は天才を感じさせない、才能が中途半端な場合にだけ
才能が目立つのだ(ワーグナーのように)」
ヴィトゲンシュタインのこの言葉がよく当てはまるのが
このふたりだね。彼らは常軌を逸した感性を持ちながら
見事に"自然"である
吉田戦車を読んでてふと思ったが、
人間の顔をむらさき色に塗ったのを見たのは
ピカソ「泣く女」以来だったな
葡萄色ですね
>>66 シュール派もシュール批判派も同じ所に立っていたってことだ。
もはやシュールという言葉は古臭い何かでしかなくなってしまった。
議論されることもないだろう。
それにしても何年か前を境にしてあからさまに大衆文化の中核が変化したよな。
ここの人はある程度二人の分析解析が出来てるって思っていい?そうならその上で面白いこと言って。ギャグやって。一発ギャグやって。一発ギャグ100連発シリーズやって。
それじゃあ、スタート↓
72 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 12:40:58
うんちぶりぶり
松本に足りないものは学力だ。
足りてたらどうなってた?どの程度のどんな学力が必要だった?
横レスだけど。
常識程度の学力が必要かな。学力というか知識だな。
もしそれがあったらもっと笑えてた。
誤った知識を前提に笑いをとろうとしても、どうしても最初からしらけちゃうんだよね。
たとえば、「ほら○○って××やんかぁ。そやから、云々」といってそやから以降でとても面白くひねってあっても、
「○○が××」じゃなければ「あれー、違うよー」ってなっちゃう。
まあ、松本人志はそれでもある程度はしっかりしてると思う。
もうガレッジセールとか見てると笑えない。笑いより先に同情が出てきちゃう。
77 :
考える名無しさん:2005/09/24(土) 18:31:47
>>76 それういうことは確かにある。
広末涼子がある雑誌のインタビューで
「哲学書が好きでよく読んでいます。カントが大好きですね。”我思うゆえに我あり”なんてすごい言葉ですよね」
と冒頭で言っているのを読んで、その後のインタビュー内容がどうでもよくなってしまった。
「カントって”我思うゆえに我あり”やんか、そやから・・・・」とカントやコギトエルゴスムについて後半でどんなに面白いことを言っても、もう取り返せない。
くく。インタビューの不思議。編集の妙!
尼崎の工業高校出身だからな。やはりヤバイ。