1 :
考える名無しさん :
2005/07/22(金) 04:28:51
kusosure
たしかにスラスラは読めたが、雑な訳だな ニーチェに対してもキリスト教に対しても浅薄な考えを 抱きそうだ。 これだけ読んで知ったかするバカが増えそうだ
4 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 08:47:06
1イエスとキリスト教は関係ない 2西洋の哲学者はほとんどがインチキ 3キリスト教が戦争を生み出す どれも事実
庶民は本なんてストレス解消のために読むんですよ
現代語訳つーより超訳だった
7 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 12:14:53
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。 アーメン
そんなことイエスは言っとらんがな
9 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 12:23:28
聖書で博愛を唱えつつ、異端の弾圧には凄まじい物が ありましたね。すでに過去の事ですが。その1つが 魔女裁判。公開処刑で火あぶりにしてみたり、手足を 縛って重りをつけて水に沈めたり・・・ 唯一絶対神宗教はコワイです。
異端の弾圧があったことと、キリスト教の真理性は まったく別の問題なんだけどね。
11 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 12:47:46
>10 じゃあ、どういうふうに真理なんだ?
12 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 14:14:25
>>10 弾圧がある時点で、誰もが認める真理じゃないんだよ
今年の夏厨にはキリスト教原理主義者もどきが紛れ込んでいます。 かまわないようにお願いします。
15 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 14:43:57
16 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 14:49:20
17 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 14:57:09
「ソース」となる古代文献は、ヘブライ語やアラム語で書かれた。 それら古代文献には、さまざまなものがあり、それを採択、編集 したものが、聖書にすぎない。 なにか事実があったから聖書にも書かれたとはいっても、 旧約・新約聖書だけでなく、聖書外典もあり、ソースにあたる 古代文献もいくつもある。 選ばれた真実のほかに、消えた真実もある。各権力者の思惑 がからむ歴史の中で、編集されたものにすぎないということだ。 まったくそのままの形で残っているわけではない。 ソースは、ある程度は推測できても、完全に再構築することは できない。そこが曖昧にならざるをえない以上、「現行聖書」は、 信仰の対象としてははなはだ疑問だということになる。 そういうものである以上、それを信仰することなど困難。
真理と真理性の違いもわからんのかw
19 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 16:21:26
↑ どう違うのかは教えてくれなくて結構ですよ
20 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 16:42:04
>>1 とりあえず1と3は正しい。
というか、そのくらいはニーチェに言われるまでもなく常識レベルでしょ。
21 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 17:22:31
>>6 >現代語訳つーより超訳だった
西洋哲学の訳本は、訳者の語学力が不充分で、原書の意味が完全に理解できて
いないから、日本語になっていない。
この本の訳者は、ニーチェの研究者だから、意味・内容を本当に理解している。
今後は、哲学書はすべてこのような超訳にすべき。そうすれば、「こんなことは
一般人の常識じゃないか」ということがわかるだろう。哲学とは、一般人の生活
経験・感情に過ぎないのだから。また、そうでなくては意味がない。
22 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 17:36:59
どんなに素晴らしいものであろうと大衆のうちに入った思想は 穢されてしまう。キリスト教もまたそのうちの一つではなかろうか? そういう意味では宗教はすべて邪教だな。 イスラム教なんてキリスト教より寛大なものなのに…。
23 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 17:37:22
『両性具有―ヨーロッパ文化のなかの「あいまいな存在」の歴史』 パトリック・グライユ キリスト教社会において両性具有がどのように理解され迫害 されたかというのが良く判る。 本書の特色はこの第3部「審問」の存在でしょう。両性具有者 たちが現れる17-18世紀フランスの裁判記録からはじまる。 我々非西欧人には理解しにくいのですが、両性具有者の性と 結婚は、キリスト教にとっては重大な問題となっていたようです。 そのため、彼らの「結婚」がしばしば法廷で裁かれる対象とな りました。あいまいな存在は、驚異であるのか罪であるのか、 どちらにしても、排除しようという動き(時には死刑であり、 時には結婚の禁止)が支配的です。 大概の場合、医学者たちが比較的寛容であるのと対称的に。
24 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 17:40:52
>>21 難解な哲学書をぜんぶ超訳して文系版「知の欺瞞」をやってほしいね。
いかさま屋は虚飾がはがれて実力がわかるだろう
25 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 18:21:35
> この本の訳者は、ニーチェの研究者だから、意味・内容を本当に理解している。 「研究者だから・・・本当に理解してる」ってスゴイ見解だなあ。さすが2ちゃんねる!
> 西洋哲学の訳本は、訳者の語学力が不充分で、原書の意味が完全に理解できて > いないから、日本語になっていない。 って、あんた、そんなことわかりもしないくせに。
トーシロー向きの読み捨て本だよ
「アンチキリスト」を「キリスト教は邪教です!」と訳すあたりでかなりマイナスだな。 「キリスト教が真理なんじゃねえんだよ」ってニュアンスだと思うんだが。 「邪教」という言葉で攻撃性を持ってしまうと、テロリストのようなものになってしまう。
29 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 20:02:35
邪教か・・・・・・ひょっとして、○○学会版?
日本のキリスト教人口なんて微々たるものでさ、 ワイセツ事件でつかまるような害のある聖職者もたまにいるけどw 総じてクリスチャンは大人しいほうだよ 邪教です!と指差して断罪したいのがもっと身近にいっぱいおるがな
31 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 20:21:26
俺もこの本は買ったんだけど アンチキリストは読んでないが、ニーチェが仏教を礼賛?してるなんて ことは知らんかったね。 ゾロアスター(拝火教)などはなんとなくわかるけど。
32 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 20:35:27
>>31 ニーチェとゾロアスターはなんにも関係ないよ。
ツアラトゥストラは名前を借りただけだから。
この超訳、結構うまくできていると思うんだけど。
宮崎哲弥も、原典とつきわせて、うまく訳しているって言ってるよね。
『諸君!』のベター選書に選ばれたと記憶しているけど。
33 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 20:52:19
どうしても筒井康康隆の『火星のツァラトゥストラ』を連想してしまうのだが。
オレ、今原典とつきあわせてるけど、どこがどう対応してるのか全然わからん。 VorwortのDie Bedingungen, unter denen man mich versteht und dann mit Notwendigkeit versteht, ich kenne sie nur zu genau. とかどこに行ったんだ? 原典だとVorwortの署名もFriedrich Nietzscheと書いてあるだけだけど、訳ではヴィルヘルムが入ってるし。
35 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 21:28:23
>>34 細かいところはドーデもよい。中心的な内容を、日常用語で表現できる
態度にまで理解すればよい。
哲学者には、それができない。
てか、アンチクリストは「アンチキリスト教」ではなく「アンチキリスト教徒」で、 しかも「キリスト教徒のアンチ」ではなく、「アンチキリスト教・徒=ニーチェ」ということが理解されてるのかな? だからderがついてDer Antichristなわけだ。ドイツ語のChristはそもそもキリスト教ではなくキリスト教徒だからね。 そんでもってサブタイトルがVersuch einer Kritik des Christentumsで、これが「キリスト教批判の試み」だね。 「キリスト教は邪教です」ってタイトルは原題からいっても内容からいってもミスリーディングな気がする。 ニーチェの言いたいこと、与えたいインパクトを考えて訳すなら、タイトルは「反キリスト教徒参上!」 「この人を見よ」と同じくらい、ニーチェは「自分」に注目を集めたかったはず。
37 :
28 :2005/07/22(金) 21:36:17
>>36 かなり納得!!
そう考えると、アマゾンにあった「思想乗っ取り説」を謳ったレビュー、あながち間違いではないな。
38 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 21:44:16
じゃあ「この人を見よ」は「俺がニーチェだ!」でお願いします。 訳者は「これがニーチェだ!」の永井均
39 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 21:54:18
ここは一つ超訳して、「おれは<私>だ」にしてほしい。w
大体、ニーチェをブッシュ批判に使おうってのがおかしいんだよ。 今のブッシュなんて「力への意志」に満ち溢れてるじゃないか。 ニーチェのいうキリスト教とブッシュのキリスト教は全然違うだろ。 ブッシュが「右の頬をぶたれたら左の頬をさしだせ」と言うか? ブッシュが弱者の傷を癒そうとしてるか?? ニーチェならブッシュを支持すると思うよ。善も悪もなくとにかく強いんだから。そしてその強さをどんどん発揮してる。 この訳者はニーチェを理解してんのか?
41 :
36 :2005/07/22(金) 22:20:55
安かったから、Der AntichristのInsel taschenbuch版を衝動買いした。ドイツアマゾンで2.95オイロ。400円くらいか。 このくらいの装丁で充分だなぁ、と。ついでに、今年でたツァラトゥストラのANACONDA版も入手。 この『キリスト教は邪教です』と読み比べしてるけど、やはり内容の省略・改変が多い。 「誤訳?」と感じるところもあるけど、超訳なのでもはや判別不能。 「理解しやすい言葉で訳すべき」という意見はそのとおり。でも、原著者の意見をきちんと伝えないとダメ。 あと、原著者が慎重に選んだ言葉は、それぞれなるべく適切な言葉を当てるべき。 読みやすさを重視した結果、元の意見が曲がって伝わっては意味がない。 翻訳は正確さを第一に、読みやすさを第二に考えなければならないと思う。 「神は死んだスレ」の43にツァラトゥストラの文章をギャグで翻訳してレスしたけど、 それでも『キリスト教は邪教です』の訳よりは原文としっかり対応してる自信がある。 暇になったらDer Antichristの翻訳でもしてみようかな。正確さと読みやすさに気をつけて。
>>21 ,
>>35 じゃあ、あんたは新聞の三面記事でも読んでいればよい。
「日常用語」や「一般人の生活経験・感情」が溢れているから。
日常用語では語り得ないものを捉えようとしたり、でもそれを
何とか言語化しようとしたりする、哲学というものの努力を、
あんたは全く解っていない。
それに、畜群や奴隷道徳を批判するニーチェのどこが、
「こんなことは一般人の常識じゃないか」なんだ?
43 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 00:47:50
>>42 人間の生活から遊離した哲学に、人間の営みとしてどんな価値がある?
哲学者は、まず、哲学が拠って立つ基盤は何かについて思考すべし。
基盤次第で、思考は百人百様。思考の基盤を思考することが、先決。
44 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 00:58:37
邪教というよりも クソ教でしょう。
45 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 01:16:33
36<Dar Antichrist よろしこ。取りあえず読みやすさ先行で。
46 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 03:20:10
思うんだがニーチェが言ってることって別に特別じゃなくね? 同じような境遇の人間なら、ニーチェを全く知らなくて ニーチェの影響を受けてなくとも、思想が似通ると思うのは俺だけだろうか?
西尾訳でいいじゃん、何が不満なんだ
48 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 03:39:06
>>40 ニーチェならブッシュを支持すると思うよ
↑
ユダヤ利権にまみれたブッシュを支持するなんてニーチェもかわったもんだなw
49 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 03:44:59
民主主義が嫌いなニーチェが民主主義を拡大しようとする ブッシュを支持するわけがなかろう。ニーチェが支持するのは戦争だろう
ニーチェがブッシュを指示するかどうかは知らんが、 ブッシュがただの人間ではなく「キリスト教徒としての正義の名の下に」 行動を起こすとしたら、ニーチェはブッシュのことを笑うだろうよ。
51 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 03:54:31
そういうこと 訳者が批判しているのはキリスト教左派としてのブッシュだろう そのキリスト教の発想下にある戦争を批判しただけで、戦争一般を否定しているわけではない。
52 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 06:03:48
どんな発想下だろうが戦争は戦争だよw
ブッシュがもし他の宗教か無宗教だったら、今回のイラク攻撃は全面的に肯定される。
55 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 09:48:48
神は死んだ。主体も死んだ。その後に何が残るのか。 貧民に同情し、悪い天候をなくしてしまおうとする。 (「この人をみよ」) 神は弱者のためのもの。キリスト教は強い。本末転倒。 という感じですね。
56 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 11:19:09
信じる者が救われる
57 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 12:08:30
仏教しかないだろうな。キリスト教は偽物。
お前ら直ぐ影響されるんだなw
>>59 あなたは誰かに「影響されるんじゃない」と言われたのに影響されたクチですか?
61 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 15:25:12
信じる者は呪われる。これキリストの裏真実。
他人の神を裁く汝は何者か
63 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 16:11:05
64 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 16:31:21
>>52 バカばっかだな。民族自衛の戦争とキリスト教を拡大するための侵略戦争は違うだろう
ブッシュが、俺自身の為に人類に力を発揮するって言って権力を 発揮したらニーチェは認めたかもしれんが、キリスト教(形而上学) の為に権力を発揮するってブッシュは言ってるんだから、完全に ニーチェが嫌うだろ。畜群と呼んでニーチェが忌み嫌うタイプだよ。
66 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 23:30:32
俺の先生(早稲田)が、この訳(適菜訳)は誤訳はなくきちんとしているが、ニーチェをわかりやすくしてしまったのは、問題があると言っていた。 俺は別にいいじゃんと思ったけど、どういうことなのかな。
67 :
考える名無しさん :2005/07/23(土) 23:36:30
わかりやすくすることで、些細なニュアンスが失われる。 それによって結局この作品の解像度が下がる。 写真をモザイク画にしてしまったような感じ、ということなんじゃないの?
68 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 00:02:46
ニーチェはギリシャあるいはゲルマン教でユダヤ教系じゃないてことでしょうか。
69 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 00:03:01
>>67 逆にモザイク画を写真にしたって言ったほうがよくないかな?
何を描いているのかがハッキリした代わりに
表現しようとした美が消えてしまったと。
美ねぇ・・・ この訳のニーチェは感情的にものを言ってるだけの 頭が悪そうな人って感じ
71 :
69 :2005/07/24(日) 00:48:44
>>70 原文のニュアンス(美)をこの訳が壊したってことで
>この訳のニーチェは感情的にものを言ってるだけの
頭が悪そうな人って感じ
と俺の考えは一致するんだが。
例えの部分を逆に取ってないか?
69で言ったのは
モザイク画(原文、もしくはそれに忠実な訳)
で表現しようとしてたものを写真(適菜訳)にすることで、
何を描いているかが分かりやすくなったが
そのためにモザイク画が持つ美しさを失った、
ということ。
くどくど説明するのも正当性の主張みたいで
ガキっぽいかなとも思ったけど、誤解なら解消しておきたい。
72 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 01:12:37
66だけど、その先生のニュアンスは、ニーチェがわかりやすくなることで、ニーチェを都合よく利用するバカが増えるということを言いたかったなんじゃないかな。 ちなみに適菜訳に関しては、西尾訳よりいいと褒めていた。 うがった見方をすると、哲学がわかりやすくなったら、哲学科の先生は困っちゃうのかなとも。
73 :
71 :2005/07/24(日) 02:15:32
>>72 バカは難しい本でも分かったつもりになれるから関係ない。
と皮肉ってやりたいけど、現実問題として確かにそんなのが増えるだろうなぁ
ま、俺の考えの補足しとこう。
適菜氏はニーチェのテキストを言葉としては理解してるけど、
体感としてはあまり理解できてない感じ。
原文を読んだことないのに言わせてもらうが、
ニーチェの文章は内容と並んでニュアンス的な部分が最も重要な要素を占めてると思う。
だけど、この本は分かりやすさを目的として書かれているから
その点は認めないといけないだろう。
・・・と思いもしたけど、それは自分の甘さではないかと考えるようになった。
分かりやすさの代償として失ったものが釣り合わないほど大きい。
それなのに分かりやすさを以って適菜氏を擁護するのはむしろ良心に反する。
と"私は"考えたわけだ。
自分自身の価値評価と彼の訳したテキストに従って
「くだらないものはくだらないと、はっきりと軽蔑」させてもらう。
この本は駄本だと。
74 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 03:54:59
神を信じなさい
75 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 10:41:50
系統の全くことなる言語から和訳する場合に、日本語の辞書を引き引の直訳乃至は 直訳に類する和訳は、もはや翻訳とも言えないことを自覚すべし。 意味が「本当に」理解できていれば、平易な言葉で表現できるはず。哲学書の訳書 は、日本語ではない。 もっとも、哲学書は原書でも判りにくい。原著者も、自分の言っていることが 理解できていない証拠である。
76 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 10:56:06
>分かりやすさの代償として失ったものが釣り合わないほど大きい。 具体的には何?(まあ、俺が他の人の翻訳を参照すれば早いのかも しれんが)。
77 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 12:33:45
新約聖書を、あらかじめあり難がらずに、批判的に読んでみろ。これほど 偽善、矛盾、誤り、脅迫、甘言、冷酷さ、人間洞察の欠如に満ちた、突込 みどころ満載の説教本はない。 ほんの一例を挙げれば、例えば「右の頬を」や「あなたの敵を愛しなさい」 の教え。人間存在の基本としての生存本能を否定しているし、そもそも殺さ れかかっている人の前で、こんな言葉が吐けるか。 キリスト教徒を初めとして、実行できる人間は一人もいない。それがむしろ 正常。誰も実行不可能な教えなど、無意味・無価値である。 旧約聖書は、残虐な記述が多いが、偽善がなく、人間を見てる点で、まだマシ。
78 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 12:47:55
>>75 辞書との突合せは翻訳作業の最低線であり中核部分。
それを差し置いて「もはや翻訳とも言えない」と言うのはニヒリズム。
「本当に」理解できていれば、一つのたとえ話だが、
「ノイマン級数について本当に理解できていれば、
一切専門用語を使わずに小学生でも分かるように説明できる」か?
話が極端すぎると言うなら、「微分積分について・・・(以下同じ)」でもいい。
俺は「分かった気にさせる」ことはできても「分からせる」ことはできない、
が、現実認識として妥当なところだろうと考える。
(何を以って「分かる」かという問題は残るがここでは放置させてくれ。)
「本当に(真に)〜なら〜であるはずだ。」とはまさにキリスト教的理想主義の陥る考え方。
今俺が言ってることが本当に理解できるなら、納得せざるを得ないはずだ。
判りにくさを理由に「自分の言ってることが理解できてない証拠」とは
これまた暴論だな。"そういう場合がある"というのは当然あるだろうが、
「自分自身が判りにくいと感じる」のを
「原著者も、自分の言ってることが理解できていない」
としてしまうのはルサンチマンによる価値転倒ではないか。
(判りやすく書いて欲しいという気持ちまでもを否定するわけではない。)
79 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 13:08:17
>>78 >辞書との突合せは翻訳作業の最低線であり中核部分。
例えば、英和事典、独和辞典からは、ほとんどの単語の、意味の広がり
も含めた「本当の意味」は判らない。すべからく、本国人の手になる
英英辞典、独独辞典を、常に参照すべし。
ノイマン級数や微積分の原理も、日常語で説明できると思おうよ。もともとは、
現実上の必要性から生まれたのだろうから。そうでなければ、人間にとっては
無意味・無価値。
80 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 13:59:59
逐語訳では足りないのは当然。 機械的なトランスレーションでは意味やニュアンスまで移行しない。 だから翻訳物にはそれなりの訳注が必要だったりするわけで。
81 :
78 :2005/07/24(日) 14:03:37
>>79 「本当の意味」ってのがちょっと引っ掛かるが、まぁ同意。
75での直訳批判が
「意味の広がりを捉えず翻訳機にかけただけのような直訳はダメだ」
という意味だったのなら78での第一の批判は撤回する。
>ノイマン級数や微積分の原理も、日常語で説明できると思おうよ。
原理的には可能だろうけど、現実問題としてほぼ不可能ということ。
基礎となる諸概念を(日常語で)積み重ねて目的となる点の
理解に至らせる、と理屈の上では言える。
だけど、理解させたい相手が一人だけでも、
諸概念の理解を積み重ねる作業で相当な時間がかかる。
(この点だけでも「本当に」達成できていれば世の中にもっと
頭脳優秀な人間が多い「はずだ」)
それを理解力も違う不特定多数の人間を相手にするわけだ。
「本当に理解していれば平易な言葉で説明できる」が
説明者側にどれだけの負担を強いるものかであるのは分かるだろう。
もちろん説明者側が平易に説明する努力を怠っていいってことではないが。
原理的に可能(理想)を持ち込んで現実問題を考えず
安易に批判するのはどうかということ。
>>77 イエスの教えがわかってない人間のたわ言だなw
イエスは人間は現状のままでは救われないってはっきり言ってるよ。
自分がいかに無力でダメであるかを悟ったとき、初めて人は神の助力なしに
救われないか悟る。
使徒や殉教者がどんな拷問や迫害にも耐えて死んでいったことを
調べてごらん。実行できる人間はいないというのが間違っている
ことがわかるから。
初めから実行不能と言ってる人は、たんにやる気がないだけです。
83 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 14:59:04
>>82 殉教は何も意味しない。ただインパクトがあるだけ。
拷問や迫害も耐える"しかなかった"。
仮に神を信じ、殉教を自ら選んだ人がいたとしても、
そのほとんどは死をもってまでして
自らを正しい善い者としようとした倒錯したデカダンス。
さて、亡くなってしまった人のことをこのように言ってしまうのは
心無い扱いだろうか?
他人の死に勝手に意味づけを与えて
自らの武器として振り回すよりはマシとは思うがな・・・
>>83 殉教者が救われたのかどうかは神のみぞ知る問題で
生者が関知する問題ではない。
それよりも
>>77 のいいかげんな発言を撤回したまえ
85 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 15:10:43
ニーチェの猿
86 :
83 :2005/07/24(日) 15:18:40
>>84 俺≠77
まぁ俺が77でも撤回はせんがな。
>殉教者が救われたのかどうかは神のみぞ知る問題で
>生者が関知する問題ではない。
・・・確かにそうだが、その点に関しては83では全然触れてないぞ。
「神のみぞ知る」は慣用表現として受け取っておく。
87 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 15:20:13
>>82 神が居たとすれば、神は自分が与えた一度きりの生命を捨てて、身近な者たち
を悲嘆のどん底に落とし入れようとする殉教者に対し、「私を捨てて、身近な
者達と共に、幸せな一生を全うせよ」と言った筈だよ。さもなければ、「神の
愛」などではない。
その意味で、自分だけの救いのために(死には救いさえないが)命を捨てた
殉教者は、最も神に反していることになる。
おまいら、新約聖書だの旧約聖書だの、意味わからんことをよく議論できるな。 何学部だよ。
89 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 15:25:23
>>88 ヨーロッパやアメリカの文明に興味がない人にとってはそうかもね。
90 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 16:05:12
少なくともここで
>>77 に食ってかかってる奴は言葉だけだろw
強盗がきたら拒まずもっと差し出せって、実行するやつは単なるアホだろ。
実行しないでキリスト教信者を自称してる奴はもっとアホ。
「言葉よりも行い」が読めないのかな?
91 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 18:27:02
香山リカがこの翻訳の文体を2ちゃんねる的と言ってる。 で、ニーチェと「障害者自立支援法」などの弱者切捨ての制度をからめて批判しているが、ほんとアタマ悪いな。 弱者が最大の権力を握っていることを批判した本なのに。
「新約聖書学」の「100年間の成果」はこうなる。 わかりやすく説明しておこう。 イエスもパウロも、現在でいう「キリスト教」を開こうとしたわけ ではなく、ユダヤ教の内部改革運動の1つだった。このため、 イエスもパウロも、シナゴーグと呼ばれるユダヤ教の教会で、 「自分の体験」による「神ヤハウェ理解」を宣教していた。その 意味で、イエス自身は「ユダヤ教徒」である。 また、自分のことを、メシヤ=キリストではなく、「預言者」と 理解していた。新約聖書の中でも、後から教会側が、イエスに 「キリストである」ことを「言わせている」「追記」が多く、注意 する必要がある。 パウロの「回心」も、「ユダヤ教の時に信仰していた神」と 「回心後の神」は、同一の神で、キリスト教の神が別にある わけではない。「神の理解が変わっただけ」である。
このため、イエスとその最初の使徒たちがガリラヤ周辺に布教 を始めてから、最初に書かれた福音書であるといわれるマルコ 福音書が成立するまえまでの、西暦70年頃以前を、「ユダヤ教 イエス派」の運動と呼ぶ、聖書学者の佐藤研もいる。 新約聖書の主要な文書が「成立」したのは、イエスが死んでから もっとあとの西暦150年頃だ。 ここは「原始キリスト教」といって、ほんとイエス以外にもユダヤ教 ではもっと急進派がいてユダヤ教批判などのごたごたがあったし、 直弟子グループも、最初期から複数にわかれていた。 「回心」と呼ばれるようは「強烈な宗教体験」をしたパウロだが、 その後、エルサレム原始教会とアンティオキア教会との間で、 「使徒会議」が催されるが、前者の代表は、イエスの弟ヤコブ、 ペテロとヨハネであり、後者の代表は、バルナバとパウロだった。 パウロはここで、エルサレム側に「妥協」した。 異邦人キリスト教徒がユダヤ人キリスト教徒と会食で同席する ときは一定の基本的な祭儀的事項を遵守することを要求する 「使徒教令」を認めたため、アンティオキア教会からも「孤立」し、 事実上ひとりで伝道に出かけることになった。そしてエルサレム において逮捕され、エルサレム教会の救いの手を受けることもなく、 処刑される。
その後、西暦60〜70年のユダヤ人の対ローマ戦争のときの 瑣末なごたごたが原因で、ユダヤ教とキリスト教が分裂したに すぎない。 このあとになって、「異端」扱いを受けていたパウロの教えが、 「急に注目」を浴び始める、マルコが、イエスの新しい伝記、 すなわち「福音書」を、紀元70年頃になって「編集」した。 この「マルコ福音書」の後に、「Q文書」といわれる、エルサレム 教会とは別の直弟子グループの文書を加えたり、さらには、 固有の伝承を独自に編集したりして、成立したものにすぎない、 ということだ。
95 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 19:07:17
「私の考えでは、日本人の生活を一層客観的に見ているその 他の多くのオブザーバーもそうであろうが、日本はキリスト教 に改宗しても、道徳やその他の面に関して何の得もない。 むしろ損をするところが多い。」 と、ラフカディオ・ハーンも洞察していたことだし、日本人は、 キリスト教を信じるなんて土台無理なことはよしたほうがいいな。 それを育ちの中で刷り込まれてきたそういう家系ならともかく。 全人類がキリスト教に同意して、全人類がキリスト教化されて、 それで「めでたしめでたし」なんて未来の可能性もないだろうし、 そういう野望はさっさと諦めて、キリスト教みたいに、あくまでも 自分のドグマを押しつけていく、というものは、個人の信仰に とどまっててもらうわないと、有害でしかたない。
96 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 19:12:42
キリスト教の悪いところは、 そのドグマに即してそれを受け入れない人に、 罪悪感を植えつけようとするところだろう。 「神を信じなさい」 「信じるものは救われる」 「キリスト教を信じてないから不幸になる」 どれもそれがキリスト教である道理は担保されないし、 マーケティング戦略としても、 他人に罪悪感を与えるだけの最悪のものだ。 そんなものが受け入れられるわけが無い。
97 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 19:13:34
>91 詳しく。
98 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 20:12:27
アダムが、木の実1個食べたから、人類全体が永遠に罪を負ったなどアホな ことを、旧約聖書が言う訳がない。人間が知恵付いて、身のほどを忘れ、神 など思考し、語ることに対する戒めが「原罪」なのである。この戒めを破った ユダヤ・キリスト・イスラム一神教は、神の怒りに触れ、果てしない争いと 殺し合いを続けている。
99 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 20:23:04
あなたたちは一つになりなさい。他人を受け入れなさい。このままではどうせ未来なんてないんだから。
100 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 20:29:56
>>99 命令形になれるほどこの人は偉くて高徳を積んでいるのかね?
教えをコピーするものいいが、
こういうものがすぐに傲慢へと転倒する。
聖書=真理という思い込みが、
真理は自分にあるという思い上がりに結びつきやすいのだ。
それはまた他人への嫉妬や軽蔑へと結びつく。
すべてキリスト教の視点に立たないと向こうでしかない、
錯覚でしかない。
101 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 20:34:09
>>99 あなたたち
=聖書の真似
一つになりなさい
他人を受け入れなさい。
=どうとでもとれる抽象的な言い回しの命令形で罪悪感を与える
このままではどうせ未来なんてないんだから。
=他人を呪う、呪いをかける、不信仰に対する冷徹
そしてまた、その様子を見て、
自分は正しいという思い込み=信仰心を増していく。
こういうメカニズムになっている。
修道院で瞑想などを実践しているなら別だよ?
ただ教会行っているだけのような他力本願で
責任転嫁しかやれていない人はただの人よ?
おまいら全員地獄逝きwww
103 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 20:40:57
いや、
>>99 は未来がなければ生きていかれない可哀想な人。
人間は神に救ってもらわなければ、誰一人として幸せにはなれない。
神から与えられる幸せなど、不自由すぎて話にならん。 俺はアタラクシアやアパテイアの方をむしろ望む。
>>105 あなたは幸せになることに絶望して、幸せに対して不感症に
なろうと望んでいるだけです
107 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 21:20:09
>>106 宗教の人々は、口癖のように言う「罪」「贖罪」「救い」「幸せ」
「永遠の命」って、それぞれ具体的にはどういう意味か考えてみた
ことがある?数百ページの論文になる筈だが。
自分でも具体的な意味のわからない言葉を、軽軽しく使ってはならない。
俺は「意味」って言葉だけで数千ページの論文になると思うが・・・。
109 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 21:26:44
「意味の意味」って本を大学時代に習った覚えがあるが、さっぱり意味が 分からなかった。
110 :
105 :2005/07/24(日) 21:28:07
>>106 あなたの思うような幸せに対しては不感症でいいよ。
全ての現実を見ない幸せなど、たわごとにすぎない。
自分の世界にいない人も含めて、最広義の世界は成り立っている。
111 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 22:32:00
哲学板に来ておいて、説伏しようというのが間違ってる そこで自分の宗教を認めない信じない人を批判してもねえ だからキリスト教は印象悪いんだよ 自分と違う人を許容できない、無視できないから 一神教はどこまでいっても一神教だ 馬鹿は死ななきゃ治らない ここは哲学板なんだから、哲学的に疑って当然だろう 改宗したら幸せか? 場所をわきまえなくちゃ
説伏なんかしてないよ。考え方の間違いを指摘してるだけですよ
113 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 22:50:21
>>112 抽象的過ぎてコミュニケーションになってない
もっと具体的に書け
できないならそれこそが嘘つきになる
115 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 23:01:06
キリスト教は邪教よ!
なんかキリスト教を批判してる香具師のほうが ルサンチマンを持ってそうだなww
117 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 23:19:52
>>97 週刊ポストの書評
「掲示板の文体で訳されたニーチェが若者に支持されるのを素直に喜べない」香山リカ
掲示板の文体って……
駄本だよ。他の翻訳と読み比べてみればわかるさ
119 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 23:40:25
>>116 ニーチェ思想の持つ自己矛盾としてその指摘は正しい。
『善悪の彼岸』の箴言に
「怪物と戦うものは自らも怪物とならぬように心せよ。
深淵を覗き込む時、深淵もまた君を覗き込む。」
とあるのはその点に自らも気付き指摘してたのではなかろうか?
基本的にニーチェは転倒した価値の中でキリスト者に
"勝つために"ではなく"負けないように"闘ったんだろうと思う。
120 :
考える名無しさん :2005/07/24(日) 23:59:06
>>119 キリスト教こそ、まさにその「怪物」ではないか。
ニーチェが、キリスト教に呪縛された社会において、これだけの思想を
展開し得たことは、驚嘆に値する。
「愛」と唱えるキリスト教が、史上、もっとも多くの人間を、もっとも
残虐な方法で殺してきた理由を、解明する必要がある。
本当に「愛」のある人間は、人知れず黙って実行し、その言葉を決して
口にしない。口にした途端に観念化し、実質が失われる。
121 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:02:37
科学的真理は、ひとりの科学者が発見すれば、 万人がその恩恵に預かれる。 テレビを発明する人がいれば、 誰もがテレビを利用することができるように。 しかし、宗教性は、他人が見い出したところで、 それは自分の真理にはならない。 ひとりひとりが、見い出さなければならない。
すべての人間はマザーテレサのように行動することが可能だ。 それができないのはただやる気がないだけ。
123 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:03:58
そして、太平洋戦争中、靖国神社参拝が強要されたとき、 反対をした学生への弾圧を受けて、日本のカトリック教会は 「靖国参拝は宗教活動に当たらない」との見解を出し、以後、 戦争に「協力」した。 なお、終戦直後に靖国神社の扱いが問題になった際には、 カトリックの当時教皇庁駐日代表だったブルーノ・ビッター神父 が「靖国存続」意見を提出した。 現在は、大戦時の「反動」からか、カトリック正義と平和協議会 が指導部の中では力を持ち、靖国神社参拝反対、天皇誕生日 祝日化・皇太子ご成婚・国家行事に反対など、反社会的・反皇室 的態度を取るようになっているが、この「運動」は、「左傾化」の 行き過ぎとの評価も強く、外国人司祭や小教区の司祭、一般 信徒達の間では必ずしも支持は強くはないようだ。 とはいっても日本では、神道、仏教の信者を自覚するものが 多く、両者を合計すると、2億人を超える。これは両方の信者を 自覚するものが多いことを表している。キリスト教信者もいるが、 総人口の1%に満たないほどで、教会組織も欧米や韓国と 比べても弱く、影響力は微々たるものである。
124 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:04:44
『ローマ教皇とナチス』という本がある。上智大学文学部史学科 卒業、同大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ヴュル ツブルク大学に留学し、同大学より神学博士号を受ける。専攻 は古代教会史、ドイツ・ユダヤ人史というものだ。 地上におけるキリストの代理者、使徒の頭ペトロの後継者として、 全世界のカトリック教徒から崇敬を集めたローマ教皇だが。 第二次世界大戦中、モラルの体現者ともいうべき教皇は、 人類史上未曾有の犯罪であるナチスのユダヤ人虐殺を知り ながら止めようとはしなかった。当時の教皇ピウス十二世は、 なぜ“沈黙”してしまったのか。その理由を、彼の人生だけで なく、ヨーロッパ文化の基層にまで遡って探る。ローマ教皇の 「戦争責任」を「追及」した点では、貴重な書物といえよう。 皮肉なのは、どちらかといえばドイツ同盟国の方が、よほど 一生懸命「ユダヤ人を守ろうとした」ことだろう。それは、 イタリアやハンガリー、そして「日本」だ。
125 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:06:01
『第三帝国と宗教―ヒトラーを支持した神学者たち』によると、 ナチスに共鳴したアルトハウスやヒルシュ、キッテル、3人の 傑出した「ルター派」の神学者が、ナチス時代に示した思想と 行動を克明に描いている。これまで十分に認識されていなか った、「ナチスとキリスト教の癒着」を、厳密に考証している。 これまで、つねに「告白教会」など、ナチスに抵抗した「少数」 のキリスト教徒や教会が持ち上げられる傾向があった。だが、 「多くの」キリスト教徒と教会は、「何をしたか」ではなく「何を しなかったか」という点で、直接ナチスの基盤を「支持した」面 があった。キッテル、アルトハウス、ヒルシュといった神学者 たちは、そうした当時の状況の「象徴的存在」になっていた ことが理解できる。 これら神学者は、当時、尊敬を得ていたまともな人々で、 「それだけに」、ナチスがそれら多くの人々を魅了するだけの 政治的擬似宗教的エロスになりえた「事実」を、膨大な資料 や情報を元に、明らかにしている。 歴史的に、ルター派神学が、ドイツのナショナリズムへの特有 の甘さと弱さをもっていたことは否定できない。そこに「民族」 が擬似宗教的実体として絶対化される危険性があった。
126 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:06:36
ユダヤ人迫害だが、のちの神学で形成されたにすぎないの だが、馬鹿らしいことに、キリスト教国のクリスチャンと呼ばれる 人々によって、1700年にもおよんで行われてきたということだ。 11世紀から13世紀に8回の大規模な十字軍遠征があり、 ユダヤ人虐殺が行われた。そうしたものの一つとしてナチスの ユダヤ人虐殺もあったわけだが、ドイツのプロテスタントの宗教 改革者ルターがユダヤ人に対して用いた反ユダヤ神学がその 背景にあったということだ。ナチスの兵士たちは、日曜日に教会 に行っては、午後は制服に着替えて、そそくさとユダヤ人を 虐殺していたということだ。 岸田秀『一神教vs多神教』によると、一神教の病理を次のよう に捉えている。多神教を信じていたヨーロッパ人は、ローマ帝国 の圧力でキリスト教を押し付けられて、心の奥底で「不幸」を 感じた。だから一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、 自分たちが味わっている不幸と同じ不幸に世界の諸民族を巻き 込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動パターン だったのではないか。その行動パターンは、新大陸での先住民 へのすさまじい攻撃と迫害などに典型的に現われている。
127 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:07:25
定方晟の『憎悪の宗教―ユダヤ・キリスト・イスラム教と「聖なる 憎悪」』という本でもそれがわかる。 宗教に破壊や虐殺はつきものだが、ともあれ歴史的にはキリスト 教がいちばん破壊的だった。つまり、ヨーロッパ人は押し付けら れた宗教の被害者だったから、いちばん攻撃的になったのでは ないか。 十字軍の攻撃の残虐性、魔女狩りの歴史、カトリックとプロテス タントの殺し合い、カトリックのスペイン人が新大陸を侵略して 原住民がキリスト教徒ではないからと大量虐殺した歴史、これ ほど血なまぐさい歴史があるだろうか。 キリスト教徒が、ユダヤ教徒を憎む理由の考察は、たいへん 興味深い。ローマ時代から近世にかけてのキリスト教とヨーロッパ の歴史を知ると、岸田秀の分析は正しいのかも知れないと思える。 人間で言えば、相当な人格的な歪みであろう。 とくに中南米での先住民虐殺の徹底性を考えると、その感を 強くする。
128 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:08:04
岸田秀、小滝透の『アメリカの正義病・イスラムの原理病』に よると、キリスト教国には、昔から反ユダヤ主義があり、繰り 返しユダヤ人虐殺が起こっている。ペストの時代、魔女狩りの 時代、スペイン、ロシア等。 第二次世界大戦中にのドイツで起こったのは、危機のなかで 生じた一種の「退行」によって、もともとあったユダヤ人差別が 異常に強められたからだとする。 西欧人がユダヤ人を差別するのは、西欧人がローマ帝国に よってキリスト教を押し付けられ、元来の民族宗教を捨てさせ られ、元来の神々を悪魔とされたところに起源がある。 そこで本来ならローマ帝国とキリスト教に向くはずの恨みが、 転移のメカニズムによって、強者とつながりのある弱者に向かう。 強者に攻撃を向けることは危険だからである。
129 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:08:46
ユダヤ人問題は、まさにヨーロッパの歴史を通じての「影」で あり、人間の「業」の深さを、歴史上にこれでもかというほどに 刻み付けた問題である。 第二次世界大戦後、ローマ教皇は、こうした反ユダヤ主義の 責任の一端がキリスト教会による煽動にあると認めて謝罪し、 イスラエルの主席ラビと和解している。 「これは私たちの責任です。なぜなら私たちが、ユダヤ人への 憎しみを教えたからです。私たちだけが真理を持っていると 言って、ユダヤ人を排除しようとしたことが間違いだったのです」 と、言った。 先日亡くなったヨハネ・パウロ二世も、イスラエルを訪問し、 ホロコースト記念館に行った。そこで、教皇は初めて、ユダヤ 教会堂の中のユダヤ人を前にして、「皆さんは私の兄上です。 昔も今もそうです。そして私たちは同じ家族の一員です。」 と言い、その上で、正式に過去のカトリック教会のユダヤ人に 対する態度を謝罪した。「あなたがユダヤ教を信じるのもカトリ ックを信じるのも自由です」。 このように、キリスト教でもカトリックのほうは、最近では割と 柔軟で、積極的に宗教間の対話を繰り広げていて、間違った 過去を反省し、優れた宗教に育ってきている。 問題は、キリスト教でもプロテスタントのほうで、ユダヤ人に 謝罪を表明したことがなく、ユダヤ教排斥の動きがいまだに ある。
130 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:08:51
どうでもいいが「超訳」は面白かったよ。
131 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:09:21
たしかに、ナチスの一件を考えても、歴史的に、ドイツ・ルター派 神学、ドイツ生まれのプロテスタント、絶対化される危険性は 相当なものがある。 なにしろ、その歴史的証拠に、デハウの強制収用所に収監され た2806名の聖職者、その95パーセントがカトリックで、プロテ スタントはほとんどいなかった。 戦後反ナチス抵抗者として英雄視されたプロテスタントのニーメ ラー牧師も、その後のナチス研究で振り返ってみれば、当時 積極的にナチスを支持していたことがわかっている。獄中では 特別優遇され、国防軍に志願するほど。 「告白教会」といわれた部分があっても、これも反ナチスを標榜 していたわけではないし、ナチスが政権を掌握するとそれに積極 的に協力した、「ドイツ・キリスト者」の存在も見逃せない。 政治分布地図を見ても、ナチス支持の多かったのはプロテス タント多数の北と東で、カトリック多数の西と南では、ナチスは 少ないものだったという。
132 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:10:06
神は死んだ。 その後に何が残るのか。キリスト教みたいに、あくまでも自分 のドグマを押しつけていくという方法ではないんですね。違う んです。仏教は。 ゴータマ・シッダルタは、インド的な帝国の原理でもないし、 自分を育て上げた民族的な宗教でもない、「第三の道」を 開いちゃったんですね。じゃあ、ブッダの開いた、その第三の 道とはなんだったのか、というのが非常に重要です。 土地を離れていくということ、ドゥルーズとガタリなら、これを 脱テリトリー、脱領土化というでしょうが、つまり大地とか領土 とかに所属していたものを、そこから離脱させて、持ち運び 可能なものにしていくというやり方。まあ、今に至るまで、 文明というのは、だいたいこういう原理を使うものですが、 仏教はまず、その土地を出なければ意味を持たないという 普遍文明的な思想によって、バラモン文明を越えて、一種の コスモポリタン文化としての普遍性を獲得したわけです。
133 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:10:50
持ち運び可能な宗教、普遍的な世界宗教の中で、そういう やり方を可能にしたのは、仏教だけ。 あるいは、それとユダヤ教だけが付け加えられるくらいなん です。ユダヤ教というのは、これもだからそれで、キリスト教も イスラム教も生まれたわけです。ただ、キリスト教とイスラム教 は、残念ながら、ユダヤ教が持っていた性格を、失ってしまった と思うんです。それは歴史を見ての、ごらんのとおりです。 そうはいっても、それだけでまだ仏教思想の一面しかとらえた ことにならない。仏教は長いその成長の過程をへて、約千年の 間に、密教みたいなものにたどり着くのです。そして密教に たどりついていくとき、そこには重大な弁証法がおこって、初期 仏教的な普遍性・脱大地性はふたたび否定されていく。つまり 自分が否定したはずの大地性に根ざす宗教としてのバラモン教 のもっとも原始的なもの、人間の自然な感覚に根ざした宗教の 原理を自分の中に組み込もうとしたわけです。仏教はいったん 大地性を否定し、さらに脱大地性をふたたび否定することに よって、宗教として一つの完成形に近づいた、密教にいたって はじめて仏教は完全なものとなった。
134 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:13:59
アンチクリトリス ●私は中派なの♪
136 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:18:57
>>122 >すべての人間はマザーテレサのように行動することが可能だ。
キリスト教徒が決まって持ち出すのは、マザーテレサだけ。20億人の
キリスト教徒の中には、他に人材はいないのかw。
テレサは、現地の宗教も大切にしたから、キリスト教から見れば異端の
筈である。バチカンは、彼女が有名になったから慌てて列福したようだ。
137 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:20:09
133 それで?
138 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:21:12
136 まあ、そのとおりだねw
139 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:40:00
ニーチェは、この本で、聖書の中で唯一の価値ある言葉は、饒舌に「真理」 を語るイエスに対して、ピラトが尋ねた「真理とは何か」という言葉だと言 っている。これは、現代の哲学者・思想家達に対する質問でもあろう。 イエスの処刑を激しく迫るユダヤ教徒たちに対して、世俗人であるピラトが、 却って最後までイエスを助けようとしたのは、聖書の中でも印象的な場面で あり、宗教の持つ「病理」を示すものである。
懐疑は魂を救えない。 真理こそ魂を救う。
141 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:48:40
>>140 「魂」「救う」「真理」とは、それぞれ何か?宗教者は、自分でも具体的な
意味のわからない言葉を、軽軽しく口走ってはならない。
142 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 00:54:02
キリスト教も いいものですよ。 私もまったく信じてませんでしたが。。 今は信じてます。 びっくりです。 出会う教会にもよりますが。。 なにも知らない人が かわいそうに思えるくらいです。
143 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:02:38
>>120 傷つくことを極度に恐れる病弱な精神が愛の宗教を必要とした。
「みなが愛するものになれば誰も傷つかなくて済む」 と
「誰も」の部分は主に「自分が」。自覚はないだろうが。
傷つくことを恐れたといっても肉体的なものよりむしろちっぽけな自尊心。
その自尊心を守る為には戦争さえも辞さなかった。
あらゆる手段を厭わなかった。自己矛盾もなんのその。
とにかく守りたかったのは病的なまでの「自分は正しい」
(現在多いのは少々妥協したところで「自分は間違っていない」くらいか?)だ。
>>122 そんなわけで
みながマザーテレサのようになって欲しいわけだ。
まぁ、マザーテレサはキリスト教の自己超克者だろう。
そのような超越した人をキリスト教の枠内に収めようとするのがまた
キリスト教のケチなところ。
子供の親越えを認めない嫉妬深い親のように、
神を超えることを認めない嫉妬深い宗教というところ。
144 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:09:33
人類に最大の害悪を齎したのは、言うまでもなく一神教だが、キリスト教 が人間に過ぎないイエスを創造主の位置まで持ち上げたことに対する反感が、 他の2教の底流にあるのではないか。また、キリスト教が、口にすべきでない 「愛」など唱えたため、その実質が失われ、偽善となった。その意味で、キリ スト教が、人類の不幸の元凶である。
>とにかく守りたかったのは病的なまでの「自分は正しい」 どうやらおまいもそのクチだなww
146 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:35:22
聖書を読んでて驚かされるのは、法律的な意味での犯罪者よりも 神様を信仰しない不信仰者のほうが遙かに悪人だとされる事だ。 犯罪者には抵抗するな、物を差し出せ、許しを乞うなら許せと寛容だが、 不信仰者は「ソドムとゴモラの方が軽い」ほどの厳しい裁きがある。 遠藤周作の「沈黙」でも、なぜすべてを愛する神が、 不信仰者のユダだけは救わなかったのかという懐疑が出てくるが、 「全てはキリスト教という道徳空間に引き込み復讐を果たすためではないか」 という、心理学的な要素を考えざるを得ないのである。
キリスト教の真偽はキリスト者の心理学的考察からは導きだされない。 ある人の主張が正しいかどうかは、なぜそいつが そう主張するのかを考えていても決してわからない。 どんな深層心理を持っていたとしても、主張自体は正しいということがあるからだ。
148 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:47:33
↑経験的に事実判断が不可能もしくは困難な主張には それを主張した人物の心理学的な分析は非常に有効である。
まぁキリスト教が真実であることを恐れている人間が 自分を説得するために有効ではある。
つまり、キモデブで性欲旺盛な朝原が「わたしは神の生まれ変わりだ」 と言った場合、その主張自体の真偽は不可能だが、教祖の心理学的な分析により 主張の真偽の妥当性を判断する事はできるし誰でもやっている。
151 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:51:08
ニーチェをわかりやすくした翻訳のスレなんだから、お前らももっと簡単にかきこめ
152 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 01:51:56
キリスト教徒は一度とことん絶望したほうがいいよ? 他人に鈍感、全部そぶり、言葉だけ、自己欺瞞と自己陶酔 ほんとにそんなんで救われる? あなたは天国、信じてないものは地獄で哀れってか? 信仰に預けちゃって幸せならそれでいいはず なんで哲学板で自分を認めさせなければ成り立たないのか? その時点で信じ切れていなくてうそ臭いわけだが うそだと思っている人がいても確信があるなら平気なはずだ 確信がもてないから、魔女狩り裁判とか断罪になる
153 :
143 :2005/07/25(月) 01:54:11
>>145 普段なら放置決定なんだが、スレの性質上相手するわ。
まさにその手の理論がここでの敵「怪物」だからな。
俺のは手段としての確信による正しさの主張。
仮説が間違ってるか正しいか究極的にはわからないが、
正しいとしておかないと話が進まないので正しいとしておいただけだ。
143で批判したのは理想主義の目的とする正しさ
究極的にはわからないという点を無視して
「本当は自分が正しい」とか「真理は我にあり」とかいうやつだ。
違い分かるか?
「そんなこと言って結局は自分が正しいと言いたいってことは変わらんじゃないか」
とは言わないように。別に言ってもいいが。
さて、少し「怪物」に近づいてしまったかな。
「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国にはいるのではない。 天の国におられるわたしの父のみ旨を行うものだけが入るのである。」 「悪人に逆らってはならない。…あなたを訴えて下着を取ろうとするものには、 上着も取らせなさい。…求める者には与えなさい。」 この通りキリスト教信者で、家にカギをかけているものは邪教徒です。 あなたがたは救われません。口だけで神の教えを語る者は神に裁かれるでしょう。
155 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 02:14:26
悪人に逆らってはだめですよ
要は努力を怠らないことです
キリスト教を攻撃することで恨みを解消しようとする最悪の弱者が集まるスレッド
↑口だけ異端者乙w
159 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 02:34:36
160 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 06:44:29
キリスト教徒(クリスチャン)ってイイですよ〜。なんせ真理と正義はこっちの側にあるし、神(イエス)を信じてりゃ、絶対安心の保証付き。精神衛生も保たれる。教義は単純、バカでもわかる。なーに、疑問さえ持たなけりゃいいんだから。 他宗教の人を「この人は救われてないだ!」と哀れみ、伝道にも力が入る。 俺、キリスト教徒で良かったわぁ。
プ
>>161 氏 おめーなー、朝っぱらから『プ』は失礼だろうw
こっちは、入信→疑問→煩悶→開き直り、のプロセスを赤裸々に語ったんだからよぉ。キリスト教徒による生の声ってやつよ。
外れてスマソ
ププ
ああ、俺が悪かったよ。プププ
プギョルギョルギョョ
160はただのアホです
167 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 08:48:08
必死だなw
169 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 10:23:50
160ですけど、確にキリスト教は日本で不自由します。 初詣は異教の行事で、七夕は中国の神話で、お祭りも異教の行事なので、参加する人はいません。 前に、葬式があるってんで数珠を渡された人が「これ、気持ち悪いので預かってくださいぃぃ」と牧師に預けてました。百均の数珠を。 日本のプロテスタント信徒には、自分とこは宗教じゃない、と思ってる人が多いです。あくまで『真理』なんだと。
170 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 10:24:23
教会で「右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい」と言う奴はいたが、「マンコを犯されたら、アナルも向けるわ」という女はいなかったな。
171 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 11:15:19
カエラはメールし放題 キリスト教徒の女は犯し放題
173 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 12:40:55
適菜収氏に『善悪』の訳もやってほしいな
174 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 13:19:49
167だけど、俺は実を言うとカトリック。 ただ、カトリックが真理であるとは思っていないし、キリスト教も真理であるかどうかは疑わしい。 しかし、ある程度のレベルで考えるに価することはある。 聖書を理解した上でどうこう言うことができるはずだ。 ところが、この板でどれだけの人が理解しているだろうか。 それに、信者がどれだけ理解を放棄して突っ走っているだろうか。
175 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 14:02:02
>>174 「聖書を理解できる」とは「聖書に嵌っている」ということ。
通常人が、現実と照合しながら聖書を一読すれば、それが「理解不能」と
いうことを理解できる。
176 :
@ :2005/07/25(月) 14:12:19
初期のキリスト教修道僧達、砂漠の教父達の教えには、 沈黙の瞑想的祈りの伝統がありました。その伝統を現代に 蘇らせた修道士は、修道院を瞑想センターとして改革しま した。この祈りは、ただ単に修道僧たちばかりではなく、 すべての人々に大きな意義をもつものであることは明らか だったからでした。 瞑想というのは、単純で実践的なものです。理屈をこね まわすのではなく、実際に経験すべきもの、単なる思索の 様式ではなく、存在の様式なのです。実際、瞑想が人の 生き方にもたらす深い変化を思えば、それは祈りの方法 という以上のものです。それは生き方なのです。自分の 存在の深い中心から生きる道なのです。 瞑想の焦点はキリストです。たえず一人ひとりの人の奥底 にいます聖霊の中から流れ出てくるキリストの祈りを中心 とするということです。神に関するあらゆる考えよりもさらに 深いのが神ご自身です。想像よりも深いのが神の現実です。 したがって、こういう純粋の祈りにおいては神の御国一つに 心を委ね、あらゆる考え、言葉、想いを捨てるのです。そう することで自己本位な自分は死ぬにまかせ、キリストにあっ ての本当の自分へとのぼっていくのです。 瞑想は、今日の多くのキリスト者の生き方に必要な沈思 黙想の祈りです。
177 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 14:26:49
キリスト教は邪教だと言ってる人たちは、 自分達が苦難に遭った時に、いったい何を避けどころとするつもりなのかね? ま、痛い目に遭わなきゃわからないだろうな。
痛い目に遭わなきゃわからない=目には目を=痛み分け=クルセイド魔女狩りユダヤ人虐殺
179 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 14:35:18
すべての宗教は邪教の可能性があるように思う。
180 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 15:46:56
181 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 15:51:19
>>179 ニーチェのこの本は、すべての宗教の「病理」について適用できると
思われる。
182 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 16:47:55
>>175 >「聖書を理解できる」とは「聖書に嵌っている」ということ。
そうではない。ある視点から光を当てると理解できることがある。
それは別にうさんくさい神秘的な話ではなく、だ。
通常人の「現実」って、ものすごく歪められてるんだよね。
現実にどっぷり嵌っている通常人は、現実を理解した気になる。
通常人の理解不能は、自分の生活と違う世界だからというだけにすぎない。
183 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 16:53:57
哲学板は心を排除した病理である。
184 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 17:12:53
>>183 おお、それそれ、いいこと言う。
一般に「心とはこのようなものだ」と思われているものは、欺瞞に満ちている。
その「心とはこのようなものだ」は、支配者に都合のいいようにできているね。
哲学は、支配者に都合がいいとかいうことを考えない。
185 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 18:02:51
〃∩ ∧_∧ ⊂⌒( ・ω・) はいはいワロスワロス `ヽ_っ⌒/⌒c ⌒ ⌒
186 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 18:09:55
>>184 歴史的に支配者に都合がいいのはキリスト教。
近代まで教皇庁が大きな権力を持っていて何度も戦争が起こったし
ナチスもキリスト教をかかげてユダヤ人を弾圧した。
187 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 18:31:00
>>186 歴史を通じての、キリスト教による陰湿かつ執拗なユダヤ人迫害は、
「イエス殺し」というつまらん理由が原因。ユダヤ人から見れば、イエス
は、ユダヤの神を冒涜し、ユダヤ社会の秩序を乱して処刑された犯罪人なの
である。
ヒットラーは熱心なキリスト教徒。彼の反ユダヤ主義は、当然のことながら
キリスト教から発生したもので、教会の影響と支持があった。
マルクスも、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒で、彼のユダヤ人嫌いは
有名。
>>187 > マルクスも、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒で、彼のユダヤ人嫌いは
> 有名。
マルクスはユダヤ人の名門家系出身のはずでしょ? 近親憎悪?
189 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 19:39:12
>>188 近親憎悪もあったかも知れないが、キリスト教の「精神性」の影響で、
ユダヤ人の「世俗性」を嫌ったものと考える。ユダヤ人の「富」を罪悪視
したのだろう。彼にとって、「利潤」は、搾取、人間疎外なのだから。
彼は、労働者が100円分の仕事をしたのに、資本家がそれから30円取る
ことを、搾取だ、人間疎外だと叫んでいる訳だが、労働者の労働が、自分を
含む共同体の維持に寄与していることや、資本家の労働や過去の労働の成果の
拠出とその危険負担の大きさを忘却していると思う。
190 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 23:55:39
たしかにイエスはユダヤ教の諸制度に反対しましたが、キリスト教は、ユダヤ民族の持っている本能に反発したわけではなく、むしろその性質を徹底させているのです。 『キリスト教は邪教です!』58ページ
>>189 そのカール・マルクス自身がユダヤの名門家系に産まれたユダヤ人だろ
自分または自分の家系を労働者の寄生虫だとして自己嫌悪したということか?
192 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 03:00:16
出自を否定したから病んでるんだろね、マルクスは
193 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 03:23:11
ユダヤもキリスト教もマルクスも、楽園を追われた「持たざる者」の話だろ。 新約の放蕩息子は家を出て金を運用して増やして誉められる。 プロテスタンティズムが資本主義の基礎を作ったのも当然だ。 マルクスは「持たざるもの達」が勝利するという筋書きなわけだ。
194 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 03:46:12
ニーチェは野蛮(で高貴)なゲルマンの思想なので、このような ルサンチマン的思想は好まない。 信長のような振る舞いこそニーチェの理想としたものなのだ。
195 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 04:07:34
邪教だよ。キリストはハッキリ金持ちを否定したのに、 勝手に言葉を変えたり解釈を変えたりやりたい放題 貧しき者は幸いなり→「心の」貧しき者は幸いなり 金儲けイクナイ!→異教徒相手ならいんじゃね?
196 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 04:14:53
一般に原始思想(原始キリスト教とか)は正しさを帯びているが、 思想が高度になると過ちに陥る。
197 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 05:30:47
おとぎ話、乙 ↓
いろいろ偉そうに批判してるが、お前ら そんなに素晴らしい存在なのかよw
199 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 08:23:37
なんか、ニーチェの著作から離れて各自の妄想に突き進んでいるな
>>194 > ニーチェは野蛮(で高貴)なゲルマンの思想なので、このような
> ルサンチマン的思想は好まない。
でもニーチェの哲学は一種のパラドックスというか、
ニーチェ自身がキリスト教権力の歴史的特権化へのルサンチマン精神
に染まってしまっている、まさしくルサンチマン思想そのものだよ。
201 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 12:32:43
202 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 13:26:18
200 って誰が言ってたの?
ニーチェのルサンチマン論は、キリスト教が権力と一体化して貴族階級化してしまった 以降の西欧社会を逆に擁護してしまっているというか、逆にそういうふうに利用されちゃう。
たとえば、マルクス主義哲学を掲げる党派が政治の実権を握って、特権階級として 生産諸関係を独占した貴族政治を行う国家体制が成立したとすれば、その体制に対して 反対する思想(反体制運動)はすべて、体制の実権を握る特権階級(強者)への怨恨と 解釈される罠に陥り、その想像上の転覆を狙っている奴隷道徳に基づくルサンチマンである と結論付けられてしまうことになる。
けっきょく、ニーチェから導き出されるものは、歴史は貴族特権を争う 意思同士のルサンチマン合戦ということになってしまうわけで。
206 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 14:18:30
ニーチェの批判はキリスト教のみならず、 プラトン以降の「一者」(神)を基調とした西洋哲学全般に対する批判なのである。 ゆえにニーチェは「神は死せり」というのである。 イデア的価値体系を最上位に位置づけてきたキリスト教社会において、 その価値の逆転を謀ったものである。
>>206 ということは、ニーチェはルサンチマンそのものには肯定的だったの?
208 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 14:40:26
>前 肯定的ではなかった。むしろルサンチマンを乗り越えて「超人」を目指せと言っていた。
209 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 16:20:18
ニーチェのキリスト教批判はすべて当たっている。しかし、信者は、批判を 全く受け入れることができない。これが宗教の「盲信性」「病理」である。 「利己的な遺伝子」で有名な生物学者のドーキンズは、9.11を引き起こした のは、まさに架空の神概念であるのに、その神に一生懸命祈っているアメリカ の宗教者たちの姿にあきれ果てている。
210 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 16:24:28
「ない」ものを「ある」と信じ込む妄想患者は、目の前にいくら証拠を 付きつけられても納得しない。宗教信者も、これと全く同じである。
超人=(ニーチェの)神
213 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 16:37:35
>>212 神国日本もそうだったが、その呪縛は一晩にして解けた。これに対し、キリスト
教は、2000年間もマインドコントロールから離脱できない。人為的な一神教
と自然宗教である神道との違いであろう。戦時中の天皇一神崇拝は、キリスト教
を真似たものである。
214 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 17:48:36
アホかいな。にほんは昔、戦国時代以前から戦争してたに。 キリスト教が存在する以前から世界各地で人は戦争やっとった。
215 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:03:49
>>214 宗教戦争とは、動機と、規模と、残虐さが大違い。日本の戦争は、生存や
自己防衛という正当性があったし、投稿してきた敵将の首を刎ねないという
「武士の情け」もあった。
>>213 > 人為的な一神教
> と自然宗教である神道との違いであろう。
なに? その人為的と自然的との区別って。
一神教が人為的で、多神教が自然的という根拠は?
217 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:07:56
>>210 >「ない」ものを「ある」と信じ込む妄想患者は、目の前にいくら証拠を
>付きつけられても納得しない。宗教信者も、これと全く同じである。
「ない」もの、なんじゃないんだよ。
「あるかないかわからないもの」なんだよ。
それを「ある」と信じ込むのも危険だし、「ない」と断定してしまうのも危険。
>>213 > 戦時中の天皇一神崇拝は、キリスト教を真似たものである。
天皇崇拝は戦前から伝統的に<一神=一王>崇拝。多神教とは関係ない。
西欧の王権神授と同じようなもんでしょ。
219 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:12:11
人間にとって唯一の「普遍」の事実は、生の欲求という基本的本能を有する 生物に過ぎない、ということである。 この唯一の普遍に基盤を置かない宗教や思想は、いくら論じても、妄想以外の 何物でもない。ニーチェの超人は、この生の欲求の象徴である。 何を思考するかの前に、何を基盤として思考するかを思考することが先決。 普遍に基盤を置かないキリスト教や西洋観念論哲学は、無意味・無価値・有害。
220 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:20:44
>>216 >一神教が人為的で、多神教が自然的という根拠は?
多神教(自然宗教)は、古代人の生存の努力(自然との闘い)の中から
発生し、いわば人間の生そのもの。一神教(創唱宗教、啓示宗教、世界宗教)
は、特定開祖の神懸りや憑依という精神異常の結果、自然宗教の神を抽象化、
観念化、精神化し、人間の生存本能から切断した。従って、自然の人間性から
隔絶し、人類に大いなる害悪を齎したのである。
221 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:22:13
キリスト教は邪教です。偉い人にはそれが分からんのです
222 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 18:59:21
>>209 >>210 ないことを証明する必要はない。(大量破壊兵器)の存在を「ある」としたアメリカ・イギリスに立証責任がある。
いまだにそれがなされていない限り、邪教徒の暴走といわざるをえない。
223 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 19:13:32
>222 教会の神父にそのことを言ってきたら塩を撒かれた
224 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 19:30:34
225 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 19:36:45
神は「おとといきやがれ」とのたまえり。
226 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 19:41:08
キリスト教は邪教です! 適菜先生のおっしゃるとおりですな
227 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 19:43:06
>>220 >多神教(自然宗教)は、古代人の生存の努力(自然との闘い)
>の中から発生し、いわば人間の生そのもの。
多神教の場合は、小さいことではいろいろあっても、
大きなことではそれほどの災厄ってのは起こらない。
>一神教(創唱宗教、啓示宗教、世界宗教)は、特定開祖の
>神懸りや憑依という精神異常の結果、自然宗教の神を抽象化、
>観念化、精神化し、人間の生存本能から切断した。従って、
>自然の人間性から隔絶し、人類に大いなる害悪を齎したのである。
それを守りたいあまりなのか、自我構造になってて、
鋳型だけが一人歩きしちゃってるのが困り者だよな。
ミーム(文化的遺伝子)っていう言葉あるけど、
そういうウィルスに近いものになっちゃってると思う。
228 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 20:12:05
天皇は多神教の象徴ではないのですか?
229 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 20:18:17
いつの時代の天皇かによりますが。
230 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 20:20:22
外国人のニセ牧師が急増している。キリスト教式の結婚式が主流となり、 牧師が確保しにくくなっているためで、福岡入国管理局は出入国管理法違反 (資格外活動)の疑いもあるとみて実態調査に乗り出した。 福岡県では今シーズン、チャペルが約20新設されたが、牧師は日本人 約400人、外国人24人。結婚式の多い日曜日は礼拝と重なり、ニセ牧師が 急増するという。 30分で1万5000円の条件で式場に派遣された米国人は「俳優のような 仕事だと誘われた。もうかるバイトだった」。 (朝日新聞)
231 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 20:26:51
週刊文春(5月26日号)「ホテル・結婚式場の 牧師の9割はニセ者だ!まさに神をも畏れぬ仕業」 キリスト教の牧師は歴史的に見ても侵略者だったわけですから。 国内で平然と工作を繰り返すCIAなんかも牧師に偽装してますね。
232 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 20:42:36
>>227 「多神教によって流された血は、一神教によるそれよりも遥かに少ない。」
(ヒューム「宗教の自然史」より)
おーおー負け犬の無神論者どもが威勢のいいこってww
234 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 21:17:04
>>233 汎神論ってのもあるしね。
どっちかってったら、哲学ってそっちよりだと思う。
それでも、ジャンル分けされたら無神論になるんだけど・・・
ニーチェは長旅の疲れを癒すために横になった もう、もう疲れたよ 程なく彼は眠りに落ちた そして長い時間眠り続けた しばらくして、ニーチェは目を覚ました 隣のシカが声をかける 「やぁ」 ニーチェはまた眠った 時を待たずして バタリと
236 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 21:25:16
>>234 スピノザの汎神論は、「神が自然に宿る」のではなくて、「あるがままの
自然そのものが神」。自然=神なら、神は不要。その不要な神概念を取り
払ったのがニーチェ。
無神論が、実は、最も神に近い。
>無神論が、実は、最も神に近い 神の定義にもよるだろ
238 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 22:01:37
まさに神をも畏れぬ仕業.... ほんものだって神をも畏れぬ仕業
>>236 自然=神なら、「神」でもいいと思います。
実際には、自然⊂神ですから、「神」は不要ではありません。
240 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 22:22:02
広島の原爆資料館には「この蛮行はキリストの名に於いて為された」と掲げるべきであろう。 投下機は出撃にあたり従軍牧師が「神よ悪魔を屠り給え」と祈りを捧げて送り出したのである。 ほかの無差別爆撃にても同様だ。我々の祖父母は「悪魔」扱いだったのである。 教会で結婚式を挙げたりクリスマスの馬鹿騒ぎに耽る者等は、この事実を知るべきだ。 そして戦後のキリスト教徒らは(誰も大戦中は軍部には刃向かわなかったのだが) 被害者面をして、恥知らずにも無神論者であるはずの左翼と手を組み 「反戦平和」「反皇室」「反靖国」を唱えている。なんという汚らわしさか。 大航海以降、全世界でどれだけの非キリスト教有色人種が十字架のもとに虐待され、 殺されたのか知らぬとは言わせない。 そして米国は下(庶民)からの洗脳は一神教を受け入れぬ民族性に阻まれて失敗したとみるや、 宮内庁の職員にキリスト教徒を送り込むという手段に出た。 この危険性は左翼や創価学会の比ではない。保守派の牙城である産経も、つくる会も靖国も、 邪教徒らに浸透されかけているのだ。 賢明なる神道人、および法華行者、真言師に呼びかける。 神州の地魂神を「霊的侵略」より守護せん事を。 追伸・「キリスト教は邪教です!」は俺も読んだが、 全国民必読の書といっても過言ではないと思った。
>>240 末端の信者が暴走したり、教義に反する事をする場合も多々あるので、
一部の行為で邪教かどうかを断定することはできないと思います。
私はキリスト教は根本から間違っており、邪教だと思いますけどね。
242 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 22:54:44
240の思潮の傾きに絶望した!
243 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:18:32
産経は一体何を「保守」してきたのかな アメリカ利権だけだったりして、、、w
244 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:28:52
>>242 人類の不幸のほとんどすべては、架空の神に、人命にも優先する価値を認める
一神教に基因する。ニーチェのこの本は、自然の人間性からかくも隔絶した一
神教及びその要素を取り入れたすべての宗教の批判に連なる。
勿論、元凶は、人間であるイエスを創造主と同格とし、人間に理由のない罪悪感
を植えつけ、「愛」を唱えることにより、それを観念化して実質を失わせ、[
自分の欲することを他に施す」ために、本来個人の問題である筈の宗教を、
強制改宗や原住民の虐殺を含め、狂気の如く布教したキリスト教である。
日本人だけでなく、全人類が正気に戻るための必読の書だと思う。
245 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:29:44
>>233-239 ニーチェは無神論者ではないって、『邪教です!』の前書きに書いてあるよ。
246 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:39:54
>全国民必読の書といっても過言ではないと思った。 >全人類が正気に戻るための必読の書だと思う。 あんたら……。 暴力には暴力をという読み間違いをして、人類を狂気に陥れる危険性を鑑みないのね。
247 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:42:57
怪物と戦うものは・・・ry 気をつけろッ
248 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:47:36
>>246 じゃあ、暴力に対しては平和ですか?
キリスト教にとっては、平和が一番都合がいいんでしょうな
249 :
考える名無しさん :2005/07/26(火) 23:56:47
>>245 当時のキリスト教社会における自己防衛のためだろう。イエスにも、一定の
評価を与えている。
それにしても、彼はよく殺されなかったものだ。精神錯乱に陥ったのも当然。
キリスト教の重圧下にこれだけの思想を展開できたことは、賞賛に値する。
まさに、人類の至宝の書である。
>>246 暴力には暴力を、というのは、一神教のことでしょう。無神論者は、架空の
神ではなく、現実のすべての人間に最大の価値を認めるから、宗教のように
「神のために」暴力を振るうことはない。
250 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 00:09:09
当時のドイツには言論の自由あったの?
251 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 00:22:28
>>249 「当時のキリスト教社会における自己防衛のためだろう」
↑
ばかばかしくて反論する気にもなれない。ニーチェが自己防衛するわけないだろう。
自己防衛するなら最初から書くわけないだろう
>>250 当時はあった。今はない。
252 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 00:29:17
で、フリードリヒ2世が本文と解説・肖像画では時代が全く違うことを気づいた人は いるのかね?
253 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 00:35:51
ニーチェは「神は死んだ」と言いました。 しかし、実は彼は神の存在を否定したわけではありません。 本来の神の姿をゆがめたキリスト教の「神」を批判したのです。 『キリスト教は邪教です!』「訳者から」
254 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 00:37:45
255 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 01:14:50
>>245 ,253
ソースの提示という意味で引用も必要だろうけど、
引用文に対しての自分の考えや、
そのような結論に至るまでの過程などを述べて欲しい。
"自分の言葉"で語らないとニーチェの言葉を自分に都合よく使う者として、
神の言葉を自分に都合よく使うキリスト者と変わらなくなってしまうと思うから。
256 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 01:28:02
ニーチェによると本来の神は、民族の神であると。
民族ねえ。やっぱニーチェはキチガイだねえ。
258 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 02:52:37
>>253 それどういう意味でおっしゃってます?
ニーチェが「神は死んだ」というときの「神」は、
ディオニュソス的な人間を抑圧しない神であって、
つまりこれはアポロン的な、人間を疎外するような反動的否定的価値を
掲げる神が横行することによって、人間を肯定する神が
失われてしまったということを意味するものと僕は理解していたのですが。
僕もこういうニーチェ論をどこで読んだのかうろ覚えなで自信がないので、
できれば批判をしていただきたいと思います。
259 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 02:53:39
それからニーチェ的な立場からキリスト教を批判するものがあるとき、 その批判自体を批判する人は、ニーチェ思想における 「こども」の位相を理解していないんじゃないですか? 確かに批判なり否定というのは反動的な行為であって、 ニーチェの賛美するところではありませんが、 ニーチェにおいてキリスト教的価値の破壊が行われるのは 「駱駝→ライオン→こども」の変遷の中でも 「ライオン」の過渡的な段階においてのことであって、 つまりこの段階がニーチェ思想において完全に肯定されるものではないです。 このあと、「こども」がある。「こども」がなすのは永遠の肯定です。 ニーチェを批判するならにはこの点を踏まえてするべきではないでしょうか? ただし、「ライオン」と「こども」という、ある意味での思想の分裂が、 既にしてニーチェの弱点だとは思います。
>>253 > ニーチェは「神は死んだ」と言いました。
> しかし、実は彼は神の存在を否定したわけではありません。
> 本来の神の姿をゆがめたキリスト教の「神」を批判したのです。
要するに、ニーチェが言いたいのは、
「キリスト教徒が<神>を殺した!」「イエスは神を殺した罪人だ!」
ということでしょう?
キリスト教社会が勝利した近代社会は「神を殺した社会」だと。
261 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 03:35:37
『キリスト教は邪教です!』から引用しただけなんだけど……
>>258 本来神は人間を抑圧するものではなかったという話でしょう。
>>259 おっしゃっている意味がわかりません。
>>260 キリスト教が、本来の民族のための神を殺したということでしょう。
262 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 04:56:23
>ニーチェが「神は死んだ」というときの「神」は、 >ディオニュソス的な人間を抑圧しない神であって 前から疑問に思うんだが、ディオニュソス的って具体的にはどういう生き方なのよ。 毎日酒くらって女とハメまくりの毎日ですか? 人間の生活を長いスパンで考えたら、アポロン的なものと ディオニュソス的なものは両方不可欠でなければやっていけないはずだが。 つーかさ女にモテないブサイクな哲学ヲタがディオニュソス的とか言ってる のって滑稽だろ
263 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 05:37:38
ディオニュソス的オナニーです。 イケメンでモテまくっている主人公が、裸の美少女を12人ベッドに はべらして相互アナルプレイやトリプル駅弁13Pを毎晩楽しむ、 そういうイメージでオナニーするのがディオニュソスオナニーです。 つまり盛んにディオニュソスと言ってるのは オタのルサンチマンなんですね。
264 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 05:44:57
具体的に言えば、アポロン界というのは予備校の授業を真面目な顔で 受けることです。 ディオニュソスを具体的に言うと、予備校から帰って自室に寝そべり、 本棚の裏からエロゲー雑誌を取り出し、エロアニメ絵の中の美少女が 縛られ激しく犯され精液をぶちまけられているイメージでオナニーを する事です。射精するときに意識的に鬼のような顔になってティッシュに 射精する、その姿がディオニュソスなのです。
265 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 05:55:04
ディオニュソス・オナニー実践者です。 クラスのイケメン男がカワイイ女友達を50人食っている、ちくしょーーー というルサンチマンが強ければ強いほど、精液の飛びもいいです。 ディオニュソス的なるものに憧れてるオタ仲間では、ルサンチマンがオナニーの 快感を加速させてくれるという、もっぱらの噂です。
>射精するときに意識的に鬼のような顔になって ワロス
>>262 > つーかさ女にモテないブサイクな哲学ヲタがディオニュソス的とか言ってる
> のって滑稽だろ
女にモテないからって、ディオニュソス的なものの解放に否定的なのは
モテるものに対するモテない哲学者のルサンチマン以外のなにものでもない。
269 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 15:01:54
まあ、そうだな。ディオニュソス的とか言い出す前に、超訳でもいいから読めばいいのにな
ディオニュソス的なものを肯定してこそ超人哲学者
271 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 15:51:47
とゆうかキリストはもの凄いカリスマ だったってことじゃない??
272 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 16:10:22
ウィトの語り得ないものってディオニュソス的ですか?
273 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 17:21:44
哲ヲタが女とディオニュソスを語るスレッドです
274 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 17:24:51
超人→死後伝説が広がる→宗教成立 ∴超人=神
275 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 17:29:03
超訳では飽き足らずに全訳(「反キリスト者」原佑訳、ちくま学芸文庫)を 読んでいるが、やはり、日本語とは思えない訳文。 ニーチェの文章は「文学的」で饒舌であり、真意を把握するのは簡単ではない が、要するに「生の欲求の本能は、人間についての唯一の普遍であるが、 この普遍に最も反するのがキリスト教」ということであろう。 40億年前に、単細胞のバクテリアとして生命が発生して以来、人間を含む すべての生物は、自然環境と闘い、それに適応しつつ、ひたすら身体的生存 に努力してきたという事実から考えれば、当然の真理である。 ニーチェにあるのは、人間に対する大いなる「愛」である。
276 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 17:32:46
ディオニュソスはセックスのような具体的な行為に還元されないと思います。
ディオニュソスにおいて重要なのは陶酔ではないでしょうか。
全部ネタだとは思いますが、念のため。
ところで「民族の神」という表現を使っている方、
ニーチェにとって「民族」という範疇(?)はそこまで重要だと思います?
というか、「民族の神」がどういうものなのかイメージしにくいんですが、
少し解説してもらうことってできますか?
>>262 なぜやっていけないのか説明して欲しいです。
>>276 >民族の神
世界宗教、普遍宗教に対する対義語として使っているだけなのでは。
278 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 18:23:11
>>253 全文を読むと、ニーチェは神の実在など認めてはいない。
「空想的な諸原因(神、霊魂、自我、精神、自由意思)、全くの空想的な
諸結果(罪、救い、恩寵、罰、罪の赦し)、空想的な諸存在間の交わり(神、
聖霊、霊魂)」としている。
また、ユダヤ人の宗教は、彼らの存在の代価としての「すべての自然の、
すべての自然性の、すべての実在性の、外なる世界と同じく内なる世界の
徹底的『偽造』であった」と言っている。
なお、ニーチェは、生の宗教としての仏教に深い理解と共感を示し、「ヨー
ロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでには成熟していない」と言いきって
いる。
279 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 19:27:28
磔の聖人と涅槃の聖人では大きな開きがあるよな。 そこらへんが成熟の違いなのかな。
280 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 19:33:06
>>276 >なぜやっていけないのか説明して欲しいです
あのさ普通の生活人ってのはヒキの哲オタが毎日オナニー三昧で陶酔して
いるようなわけにはいかないの。電車を時刻表通りに動かしたり、
〆切までに仕事を仕上げたりしなくちゃいけないの。アポロン原理に
よって営々と築かれた文明の恩恵に首までどっぷりと漬かっていながら
アポロン的抑圧のないディオニュソスとか言っちゃってる哲オタは
生活感覚がまったくないアフォとしか言いようがない。
281 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 19:50:48
そんな現代の時間やら法規やらに支配されている中でセクハラをやってみたり 不倫してみたり痴漢してみたりというディオニュソス的な動きも見過ごせない。 生活がアポロン的なものだけで成り立っているなら消費活動などあるはずない。
せこいディオニュソスだなw
283 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:00:12
なるほど。チューハイ飲みながらのカラオケならキリスト教徒でも ディオニュソスが実践できそうですね。厳格な信者は酒は駄目で しょうけど。
284 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:08:53
デュオニュソス的って、つまり本能的という意味合いではないか。 デュオニュソス的要素の満足が実感できるというのなら、現代文明 の中にあっても、デュオニュソスは死んでいないことになる。 ただ、そういうものを「飼いならす」「脱力させる」方向で現代文 明が成り立っているわけだよね。順調に育てばライオンになるところ を、なんとか「子猫」程度に抑圧しようというような。
285 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:19:14
矛盾した変な話だ。 日本のキリスト教徒は5%以下なのに、日本人は金持ちに嫉妬したり、 税金を金持ちからもっと取れと言ったり、奴隷根性で上司にペコペコしながら働いたりして。 富に執着しない人が立派な人格者みたいに思ったり、権力志向は疎まれる。 奴隷道徳を奉じる日本人。 アメリカ人は金持ちに憧れ、弱い者が負けるのは当たり前、強く成らなきゃ 生きていけない、貧富の差も激しい。上層の人間は想像を絶する高額所得者で 富を独占。弱い者を軽蔑し強者を尊敬する。権力への意志も高い。人生を楽しむ ことこそ最大の目的。自己の欲望をむきだし。 図式が全然違うじゃん。 図式を現実世界に単純に当てはめるのは変じゃないの。
286 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:25:02
そういう意味でいえばよっぽど キリスト教はデュオニュソス的だといえる。 なおかつ変なかたちで抑圧されているから、 それがあるとき一気に噴出するんだな 彼らの顔見てても不幸そうだもん
287 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:35:29
>順調に育てばライオン ないない。本能の開放なんてせいぜい脳の蕩けたオラウータンを 作るのが関の山。今の餓鬼ども見てりゃわかるだろうが。 ガス抜きという意味でディオニュソス原理も必要なのは否定しない。 つーか誰もそれは否定していないだろ。ただ生活の現実に即して みれば、本能の開放なんてせいぜい281が言うようなしょぼい開放で、 そんなもんをことさら強調しても滑稽なだけ
デュオニュソス的って「蕩尽的消費」文明のことだろ。
289 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:47:10
ローマ的って事だろ。 ギリシャ文化継承、剣闘士、奴隷制、実用的、好戦的、 能力ある奴(民衆の支持ではなく、血なまぐさい能力)は誰でも皇帝になれる、
まあめんどくさいことは避けて遊んでばかりいたら 人生の敗残者になるだけさ。それこそが人生の「真実」だ
291 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 20:51:55
うーん。デュオニュソス的な要素を開放するような形では現代文明は 成り立っていないから、ニーチェは単なる夢想家であったと思っている わけなんだが。「デュオニュソス」対「アポロン」というのは、どう考 えても「庶民」だの「人間みな平等」といったものからは隔絶している 気がするしね。どう考えてもこれは「知的エリート」についての話だろ。
樽のように蓄えるということでしょうか
293 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 22:55:40
>>285 矛盾も当然。キリスト教自体が嘘で成り立つ倒錯した世界。
そしてその図式も矛盾しながら成り立つ。
ニーチェが否定したのは蓄群となったキリスト教徒ではあるが、
それよりも、禁欲主義的道徳を掲げて、支配権を手に入れた僧侶(的な人間)。
『これがニーチェだ』の中であった話を使わせてもらう。
すっぱいブドウとキツネの話。手短に説明すると、
「キツネが美味しそうなブドウを見つけました、だけど高いところにあるから
手に入れることができません。そこでキツネは『あれはすっぱいブドウなんだ』
と考えました」というやつ。
そこで僧侶の登場。
僧侶はキツネが食べれないブドウに善悪の意味づけを与えて、キツネの気持ちを救う。
「そう、あなたは正しい。ブドウを食べないのは正しいことなのです。
ブドウを食べるものは災いなるかな。」
キツネの気持ちは救われました。「やっぱり俺は正しいんだ」と。
僧侶はほくそえんで思う
「あなたはそれで救われておきなさい。私は実利である甘いブドウをいただきますよ。
文句はないでしょう、救われたのだから。」と。
キツネはすっかり奴隷道徳を奉じるようになりました。
僧侶はちゃっかり奴隷道徳を奉じさせ実利を得るようになりました。
294 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:02:23
ブッシュは民主主義もキリスト教も信じている。
295 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:12:06
>>294 少なくとも、ブッシュは聖書の「右の頬を」の教えなど守ってはいない。
「あなたの敵を愛しなさい」の教えもそうだ。
だからこそ、逆に、評価できる。
プロ倫と、浅田彰の言うクラインの壺を合わせれば分かりやすいんじゃないの。 プロテスタントっていうのは、二重化された主体だから。 ニーチェが批判したのもプロテスタント。
297 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:20:44
先ほどのニュース23見たか。 原爆投下にかかわった科学者で、広島に落とした原爆の様子を趣味で撮影したとのたまわった。 さらには、原爆投下は間違いではなかった。「こういう言葉がある。パールハーバーを思い出せ」 だと。もし心のある人が近くにいたなら、リンチして殺していただろうね。 本当にキリスト教は邪教だよ。 地獄に落ちろ!!!!!
298 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:24:22
敵を愛するクリスチャンなどほとんどいないだろう。
299 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:31:02
>297 白人は黄色人種なんて人間じゃないって思ってんじゃないの? そういう意味では逆にキリスト教が徹底されてないとも 言えるんじゃないかね それにイエスは異教徒は撲滅させよって言ってるのか?
むしろ(世俗化した)宗教自体の本質でしょ。 ニーチェのキリスト教批判も、イエスの言葉自体に向くものと、 教会に向かう物があるわけで。
その意味じゃ、イスラムだって仏教だって安全圏には立ってないわけで。
302 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:35:40
キリスト教は邪教です! 白人は劣等人種です。 世界史を学べばそれは明らかです。
303 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:36:59
>>299 キリスト教は現実的に異教徒を撲滅してきた
304 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:37:42
勿論、イスラム撲滅の後は仏教や儒教に矛先が向かうだろう。
305 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:39:45
危ういなぁ。 世界史って、西欧中心主義じゃん。 もし他の世界を中心に据えた世界史があったとしたら、それも劣等になる可能性は高いよ。
306 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:40:41
薄汚い毛唐をテレビにだすな。 史ね!!!
307 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:44:21
第二次大戦で最大の虐殺をやった国はどこか ソ連のスターリン? ドイツのヒトラー? どうかんがえてもアメリカだろう。原爆の投下、市街地への空爆は 当時の国際法でも許されない蛮行である。 世界最悪の悪魔の国がアメリカであるという事実を直視できる日はいつの日になるのだろう
308 :
考える名無しさん :2005/07/27(水) 23:48:43
筑紫ほど卑怯な人間はいないだろうね。 自分の口では問題になるようなことを言わず、都合のよい誰かに言わせる。 電波を都合よく利用して、なにが反権力だ。 本当に地獄に落ちて欲しいね。
>>291 > うーん。デュオニュソス的な要素を開放するような形では現代文明は
> 成り立っていないから、
そういう文明論って、精神分析論にかぶれすぎじゃない?
>>293 禁欲思想(僧侶的)vs蕩尽思想(貴族的
ってことか。)
>>297 彼らの理屈では、自己防衛のため合理化・正当化されている。
「パールハーバーを思い出せ」 という合言葉を使うのはその理屈のため。
>>295 > 少なくとも、ブッシュは聖書の「右の頬を」の教えなど守ってはいない。
> 「あなたの敵を愛しなさい」の教えもそうだ。
> だからこそ、逆に、評価できる。
イエスのその言葉は、右の人たちから左翼呼ばわりされるだろうからね。
滑稽に見える。 ニーチェの提出した宗教チャートを真理の教えととらえ、無理して ニーチェ式に世界を解釈しようとするのは、ニーチェ教原理主義者と言える。 ニーチェはニーチェ信者のそういう思考をバカにしてると思う。
313 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 05:38:40
イエスって凄い奴だったんだな。 悪いのはパウロ以降の奴らか
314 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 08:27:31
キリストの本名は イエス・ノウです。
ノウと言えないイエス・キリスト
>>297 >>311 イラク戦争は間違いではなかった。「こういう言葉がある。911を思い出せ」と。
317 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 12:34:33
イエスの時代に左翼がいるわけないだろう。
318 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 12:40:46
>>311 ブッシュはイラク国民に対して、「右の頬を突き出せ」「あなたの敵を愛しなさい」
と言っているんだよ。
そのくらいわかれ。
320 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 12:45:37
ブッシュは本質的には左翼だよ
>>318 レス先間違えてんじゃないのか
>>295 へのレスだろ?
> ブッシュはイラク国民に対して、「右の頬を突き出せ」「あなたの敵を愛しなさい」
> と言っているんだよ。
敵に対してそれを言うんだったら、イエスの意図とはまったく逆のはずだろ?
それとも、イエスは敵に向ってその言葉を吐いたんだっけ?
だったなら、まったく意味が反転しちゃう罠。ちっとも偉いお言葉じゃないな。
322 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 15:45:58
>>317 >イエスの時代に左翼がいるわけないだろう。
イエスは、当時のユダヤ社会に不満たらたらの跳ね上りの革命家。ユダヤ社会
の「良さ」や、その生活者たちの間で人知れず実行されている「愛」にも気付
かなかった。現代の左翼の元祖である。
だから、現代のキリスト教と左翼とは、親和性が極めて高い。
323 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 16:22:07
イエスの言葉を利用したのが、キリスト教会ってことだろ
>>321 ブッシュ氏は、戦争の敵国に対しても味方に対しても
その言葉を公平な意味で使わなきゃ欺瞞だね。
現在、キリスト教右派といわれているものは、どちらかというと、ユダヤ教の伝統を 引き継いでいて、聖書戒律主義というか、そういう方向に行っているんじゃないの?
326 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 17:10:42
福音主義である。 それこそ一番弱くて一番強い者が望むもの。 一番端っこにいるとわからなくなるんですよ、どうしたらいいか。 そういう意味でアメリカは最強であり、最低。 総理大臣は最高であり最低。 哲学者は最高に辿り着けないの。 自分達が最高を造っちゃっているから。 造っちゃってて気づかないのも笑えるけどね。 利用されちゃうの。最高を求める人たちに。 最高を示してそれに従うように人々に訴えかけたいのに、 人々が乗っ取っちゃうの。
>>322 > だから、現代のキリスト教と左翼とは、親和性が極めて高い。
現代のキリスト教が反体制・革命の象徴かどうかは大いに疑問。
バチカンは保守主義の代表でしょ?
328 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 17:16:15
最高、最強、超○、チョー○○と言ってる奴にろくなのがいない
329 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 17:24:55
>>328 どうして、ろくなのがいないのかな?
わかってないんだね。どんな判断があるにしても、最高が定められちゃうんだって。
陸上だって水泳だって最高、つまり一位があるでしょ。
最高、最強ってのは現実としてあるんだよ。それを認められないの?
でも最高を認めずに最低も認められないね。みんな中間ってことはないよ。
比べられちゃうよ。評価をおそれることはないんだよ。最高はいいもんだよ。
あなたも自分が最高と思ってるでしょ。
「最高、最強、超○、チョー○○と言ってる奴にろくなのがいない 」というのも
自分の意見が最高と思いたいんでしょ。「ろくなのがいない」ってのは法則性がないよ。
最高と思いなさい。あなたは自分が最高の存在なのだと。実感できる経験をしてみなさい。
そうすれば、戯言など吐くことも忘れてしまう。
>>324 グローバルスタンダードな倫理を装ったダブルスタンダードってやつだな
331 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 17:57:39
>>323 >イエスの言葉を利用したのが、キリスト教会ってことだろ
イエスの言葉を信じた教会に簡単に利用されたのは、言葉自体に体系的な
問題があったということ。教会がそのようになったのは、イエスを信じた
からである。教会が悪いのではなく、イエスの教えが悪いのである。
すべて人間が悪いとするのが、キリスト教の最大の病理。責任転嫁と人間
軽視の表れ。
イエスの精神と言動に欠陥があったからである。イエスを「直接に」よく
知る彼の家族や郷里の人々は、それを見抜いていた。イエスの、ユダヤ人
や彼自身の家族に対する行動を見れば明かである。身近な者達を不幸にして、
何が人類の救済だと言いたい。
ニーチェは、イエスについて、そのあたりの突っ込みが不足している。
イエスが聖人であったとするのもバカげているが、まったくその逆のように言うのも ルサンチマン的すぎるんじゃないか?
333 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 19:09:11
ていうか、どこまでがイエスの本当の言葉で、どこからが脚色 ないし捏造された言葉なのか、はっきりしているのかな。
334 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 19:16:33
宗教創始者はヤクザみたいな世捨て人で甲斐性無しが多かったと聞きます。 仏陀も無責任に家を捨て乞食となった極道者だと聞いたことがあります。 ニーチェも基地外の性病持ちで、ウンコ垂れ流しで妹に下の世話を させたと聞きます。どっちもどっちじゃないでしょうか。
335 :
293 :2005/07/28(木) 19:50:44
>>310 キリスト教的僧侶思想V.S.ニーチェ思想を表すと、
ツァラトゥストラの言葉を借りるなら、
「汝なすべし」V.S.「我欲す」かな。
説明すると長くなりそうなので、「精神の三段の変化」で検索してみ。
その節を丸々引用してる人とかいるから、読んでみるとヨロシ。
>>330 自分で言うのもなんだが、293で書き込んだ僧侶的なあり方だな。
>>331 いまだ善悪の彼岸は遠いな
336 :
考える名無しさん :2005/07/28(木) 23:21:02
2ちゃんねるの該当スレッド 賛否両論です。少なくともニーチェの意図を曲解しているような悪訳ではないです。ニーチェに対してまったく知識のない人で、他の宗教に比べてなんとなくキリスト教に好感を持っている大多数の日本人に読んでほしい一冊です。
駄本の宣伝乙
338 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 00:33:04
全文訳「反キリスト者」(原佑訳、ちくま学芸文庫)読了。全文のほうが もっとスゴイよ。しかし、訳文が日本語とは言えない代物だから、読むのに 疲れた。やはり、哲学書は「超訳」に限る。
宣伝に必死だなwww
340 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 00:46:00
>>312 批判としてはすごく当たってると思う。
それにそもそもキリスト教批判でも、もっと一般的な権力批判にでも、
今あえてニーチェの枠組みを持ち出す必要ってないんだよね。
俺もニーチェ好きだけど、でも俺が好きなニーチェって結局ドゥルーズのニーチェで、
ニーチェ本人の思想っていうものに自分がどれだけ迫れるのか不安がある。
「思想」というか、それは実践によって実現されるものかもしれないけど。
ともかく他の、ポストモダン以降の枠組みの方がよっぽど「使い易い」気がする。
それでもあえて今ニーチェを読む理由って何だろう?
341 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 04:40:50
あえて今ポストモダンを読む理由って何だろう?
342 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 05:57:57
もはや我々は西洋思想、キリスト教には戻れないということだ。 東洋思想をなんらかのかたちで逆向きに辿ることはあっても。
仏教にもキリスト教的要素がいっぱいあるよね。特に大乗的な考え方とかにも。
日蓮宗とかな
345 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 13:22:02
神は死んだが、神々が復活す。ニーチェ
346 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 13:55:53
>>343 キリスト教的要素を有する、または真似た他の宗教が、浄土真宗、日蓮宗、
大本。だから、これらの宗教は、史上、社会に大きな弊害を与えてきた。
特に、浄土真宗はまるでキリスト教。大本は、その霊概念の故に、特に嵌
り込みが深く、多くのカルトの発生源となった。
カルト宗教による被害が多発しているが、キリスト教こそカルトの元祖で、
それ自体、一大超カルトである。2000年間もマインドコントロールから
離脱できないのだから。
キリスト教やその要素を有するこれらの宗教は、ニーチェの批判にどう答え
るのか?
異端、異教徒を「カルト」呼ばわりして魔女狩りするのもキリスト教的要素。
ニーチェ主義というのも一つの主義だし、当のニーチェもおかしくなったとか
349 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 15:46:22
発狂もせずに長生きしてどんどん著作を書くニーチェが想像できないが、 もしそうだったら面白かったかも。
そもそも cult とは崇拝とか祭式という意味なんだけどな。 だいたい、ドイツの田舎者が書き散らした1〜2世紀遅れのキリスト教批判を 有難がって阿保か、お前ら。
ニーチェがこれほど人気があるなんてな キリスト教のさもしい心理よりも ニーチェファンのさもしい心理を考えたほうがアクチュアルな問題だね
352 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 17:14:18
350
どっかの暇人のオッサンさんたちが書き散らした20世紀遅れの聖書をあり難た
がっているのが、キリスト教徒。
>>351 イエスには、狂信者が無数に生じたが、ニーチェにはそうではない。ニーチェの
精神のほうがよほど健全であった証拠である。
聖書は神の言葉が写された書ではなく、歴史的に人間が作成した書であること。 聖書は真理を教える書ではなく、信仰と道徳を教える書であること。 こうした事を指摘した人物がニーチェの2世紀前にいましたが、 彼はキリスト教の教えに闇雲に反発して超人思想をでっち上げるような 軽薄さはありませんでしたね。
354 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 17:48:12
>>353 その2世紀前の人とは誰なのか、教えて下さい。
ニーチェはキリスト教の教えを「闇雲に反発した」のではありませんよ。
彼の「キリスト教に関する初期遺稿断片」を読むと、彼は最初はキリスト教
に対してむしろ肯定的立場から、十分な思索を重ねたことが覗われます。
なお、信仰と道徳とは本質的に異なるものであることを忘れてはなりません。
前者は超越的な存在との関係。後者は現実の人間間の共生の技術。
ニーチェ厨というのは「神学・政治論」も読んでないのか?
19世紀末というのは、キリスト教への信仰熱というのは既に大分冷えてきて 形骸化している時代だろ。 「周囲が全て狂信的なキリスト教徒という状況でキリスト教批判をした 孤高の人」というイメージでニーチェを捉えている奴がこのスレにいるような 気がするんだが。
キリスト教的社会(必ずしもキリスト教とは同一でない)である西欧社会が勝利して できたのが近代社会だ、というふうな認識がニーチェにはあったんじゃないの?
近代社会というのは、貴族的なものが没落し、その代わりにキリスト教的なものが 勝利した時代だという・・・
>>358 しかし一概にそうとは言えないと思うね。
むしろ、その二つがいずれも世俗化=大衆化したことによって、それまでの
貴族階級も、教会の絶対的権威も、共に崩壊し始めた時代だともいえるし。
広い意味での文化批判者・アジテイターであって、学者・理論家ではないでしょ。 それ故、素人にもとっつきやすいが、でたらめな引用されて悪用もされやすい。
361 :
考える名無しさん :2005/07/29(金) 19:51:08
人間が、生の欲求という基本的本能を有する生物である限り、哲学者たちがいくら 理屈でニーチェを批判しようとも、彼を乗り越えることは出来ないだろう。彼は 人間についての「唯一の普遍」を基盤としているのだから。
ニーチェ読んで感心してるような椰子が ニーチェ的原理が遂行されたら最初に撲滅されるという逆説
>>361 生の欲求=コナトゥスを重視する哲学者なら17世紀の代表的哲学者に何人かいたな。
「生の欲求」をニーチェの専売特許みたいに考えてる奴は馬鹿丸出し
「生の哲学の求道者」というニーチェ像の権威にすがりつきたいんだろうな。
364 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 01:17:31
>>359 どうしてその二つを一緒にできるのか?
キリスト教は大衆化によって威力をもったわけだし、
貴族主義の大衆化ってそもそも何?
わからんなあ
>キリスト教は大衆化によって威力をもったわけだし、
いつの時代の話してる?帝政ローマ期の話か? ゲルマン布教のころか?
それとも宗教改革以後のパンフレット合戦の頃か?ん?
>貴族主義の大衆化ってそもそも何?
>>359 は「貴族主義」とは書いてないな。
貴族的なものの大衆化という点では、文化・教養・生活の質が大衆にまでいきわたり始めた
時期ということではないかな。 それはちょうどニーチェが生涯敵対した19世紀末のドイツに
顕著な俗物教養主義に染まった高慢ちきで陳腐なブルジョワ文化全盛の時期だ。
366 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 02:01:50
貴族 働かず洗練された感性で豊かに暮らす支配階層、 文化と消費、社交が生活の主たる要素
367 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 02:24:08
貴族は征服者一族につながり、しかるべき家柄に生まれることが 必須である。 貴族には労働は無いが、高度な自律、克己心、崇高な義務、勇気、憐れみ 施し、広い視野、見識、繊細な美的感性、道徳心などが尊ばれる。
368 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 02:32:40
なるほどね
369 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 02:39:42
貴族にとって、金や労働にこだわることは賤しむべきものである。 「恒産なき者恒心なし」は、その平俗化された格言である。
>>367 >貴族には労働は無いが、高度な自律、克己心、崇高な義務、勇気、憐れみ
>施し、広い視野、見識、繊細な美的感性、道徳心などが尊ばれる。
貴族だからといって何の仕事もしないわけではないが。
他の要素も、貴族以外だって尊ばれるね。
371 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 02:52:52
貴族的美徳もその堕落的形態、あるいは模倣などがあって、 美食に耽る、傲慢と偏見・差別など様々ですね。
372 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 03:08:12
僧侶、学者の本分はこれら貴族の支配の正当化、神話化と支配メカニズムの 強化を使命としたものであります。
373 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 03:51:58
日本語で書き込め
374 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 12:06:57
ニーチェの場合分析というより直観だな
375 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 12:15:10
キリスト教は耶蘇教です!
376 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 16:43:28
>>374 ニーチェは他の哲学者に対して直感だと批判しているの。
ニーチェは文献学者。歴史を分析して、キリスト教を批判しているんだよ
377 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 17:33:24
ニーチェの分析は霊を見たと証言する人間が、なぜ霊を 見たなんて嘘をいうのかっていう心理分析なんだよ。 初めから霊を見るなんて嘘だってことを前提に話をしてる。 霊の存在の可能性についてはまったく考えていない。 キリスト教徒の内面はどうであれ、キリスト教の教義は 真実であるという可能性はニーチェ的方法では決して論駁されないだろう。
>ニーチェは文献学者 処女作で好き放題やったせいで「学者としては落第」の評価されてますが。 ブルクハルトからも学者扱いされてないし。 >歴史を分析して、キリスト教を批判しているんだよ 歴史学性・科学性ともにまともな「聖書学」という分野があるのをご存知? ニーチェの「分析」なんて素人の当て推量の閾を出てませんよ。
379 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 18:05:19
諸賢に伺います。このスレではキリスト教が邪教であるということで相当一致をしています。 では、そんなキリスト教(徒)に勝つには一体どうしたらいいのでしょうか?何とぞお教えください。
380 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 18:39:24
>>377 宗教は論駁されえない。
当たり前だと思うんだけど...
381 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 18:41:49
クリスマスしない
382 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 20:18:03
>>379 勝つほどに、日本では少ないし強くない。
日本では、神道、仏教の信者を自覚するものが多く、両者を
合計すると、2億人を超える。これは両方の信者を自覚する
ものが多いことを表している。
キリスト教信者もいるが、総人口の1%に満たないほどで、
教会組織も欧米や韓国と比べても弱く、影響力は微々たる
ものである。
383 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 20:22:53
日本人の文化構造や自我構造には、 根本的にキリスト教は会わないものと考えている。 日本ほど、一神教のない国もないのではないか。 この程度で済んでいることに感謝し幸せに感じなければならない。 まさに「知らぬが仏」というのが実際だ。 知らないがゆえに、余計な苦悩や葛藤や執着がなく、 先進国として有利なポジションにもあるくらいだといえる。 日本は習合的なので、キリスト教が頑張れば頑張るほど、 より大きな枠組みでとことん無化されてしまう。 それほどに、根づいていないことでも、 日本はキリスト教国になりえないことがわかる。
384 :
考える名無しさん :2005/07/30(土) 23:11:59
平等主義はキリスト教の発想でしょ。 グローバリズムもね。
385 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 05:52:56
世界の3分の2の人は一神教の世界に住んでいるが、 一神教でない国で成功したのは日本くらいだと思う。 ヨーロッパでは教会離れが進んでいて大変よいと思う。 アメリカに於いてはキリスト教右派が権力を独占している。 中南米でキリスト教が蔓延しているのはかなり問題がある。 メキシコではとあるカトリックの神父の情事を題材にした映画によって 冒涜であるとして暴動が起きたこともあった。 韓国に於いてもキリスト教が増加する要因があったと思われる。 その他イスラーム教はかなり信徒を相当増やしつつある。
>>385 日本が一神教でない国というのには首を傾げる。
近代国民国家化の過程で、日本では、シンボリックな天皇崇拝が一神教的な(少なくとも
擬似一神教的な)役割を担ったという事実は否定できないんじゃないかな?
「神」というのは社会統合の絶対的シンボルという意味では、象徴権力であるわけだからね。
>>386 こじつけだね。
現人神と創造主じゃ神も種類が違うでしょ。
388 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 14:41:13
↑ そのとおり
389 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 14:49:28
「神」って言うから誤解を招くんだ。「天主」と言え。
390 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 20:40:32
天皇は八百万の神の一部。つまり多神教。 日本は天皇を中心とした神の国である。
>>383 民族の元々の自我構造によって国が宗教を選んできたとは思わないな。
その国の宗教なんて権力争いで勝つか負けるかで決まる問題だろう。
日本が歴史的に厳格な一神教でなかったのは、歴史的流れでたまたま。
日本人の精神構造から決定されたわけではない。
過去の歴史を見れば、自分の精神構造に合う合わないで個々人が
宗教を選択したのではなく、侵略してきた権力側の宗教を押しつけられ適応してきただけと分かる。
日本では織田信長の頃にキリスト教が少し流行った。しかしキリシタン大名は豊臣秀吉、
さらに徳川家に弾圧される。豊臣家、徳川家より高い位置に教会が
来ると政治的に民衆をコントロールできなくなるので弾圧した。
もし当時の日本の権力支配層が倒され徹底的に植民地化されてればキリスト教国になって
たはず。しかし日本を完全な植民地にするほど西欧に力がなく日本の支配層の力が強かった。
それだけ。キリスト教の国を見れば分かるが侵略され吸収され植民地化された
土地ばかりである。その土地は元々多神教だった。
392 :
@ :2005/07/31(日) 21:49:08
先日のローマ教皇死去に関しては、なぜ世界中でこれほど 大ニュースとなるのか理解できないところも多かった。アメリカ 東海岸では、午前4時からバチカンでのヨハネ・パウロ2世の 葬儀の様子がライブで放映され、NBCとWashington Postに よると、「4人の女王、5人の国王、14人の他宗教の最高指導者 が集まり、西側世界で史上最大の葬儀となった」と報じている。 ところが日本からは補佐官レベルのみ参列で、西側各国の 派遣団、韓国と比べても、見劣りするものだった。西海岸に 住んでいるのだが、ここ数日、高校のときの知人に会うたびに 単なる興味本位でだが聞かれる。日本では教皇のニュースは 十分に流れているのか、と。その度に、入ってきた情報から、 他の国際ニュース並みの扱いで、欧米での報道の状況の意味 がわからないまま、集められた情報を報道しているにすぎない と思うよ、と答えている。カトリック系の中高に通っていたため 宗教系の授業は幸いに多く、人よりもキリスト教、仏教、イス ラム教など、宗教に関する知識は多いと思うのだが、そういった 環境で育った自分でさえも、無宗教に至っている。その知人が このような質問を私にしてきたのは、やはりカトリックというより、 大学にいる日本研究者の興味からだったわけだが。そして彼ら の反応もまた一様に、「やっぱりね」という反応だそうなのだ。
393 :
@ :2005/07/31(日) 22:12:53
また、こんな疑問もある。「欧米の科学者達も宗教を信じている のだろうか?」物理や科学を学べば学ぶほど宗教で説かれて いる事項、たとえば、聖書における「葦の海」の奇跡はありえない、 と思うようになるだろう、と私は愚見ながら思う。 日本書紀の「イザナギ・イザナミ」の神話について、どれだけの 日本人が正確にそのストーリーと、そのストーリーが果たした 役割を答えられるだろうか。日本にいる時は、こんなことは考え たこともなかった。日本で近代日本史をきちんと勉強する機会に 恵まれなかったこともあるのかも知れないが、日本で教えられて いる日本史は、おそらく世界のどこの国で教えられている日本史 よりも、わかりにくい仕組みになっているのだろうと、アメリカで 日本史を勉強したかぎりで思った。あらゆることについて、年代と 事象の名称だけは語られているのに、それらの事実が、横には ほとんど繋げられず、論理的に結びつけられていない。私もアメ リカで日本史の授業を受けるまでは、恥ずかしながらわかって いたのは半分もなかった。その知人に頼み、歴史学以外を専攻 する日本人留学生に尋ねてみたら、ストーリーを知っている人は 少数で、しかもかなり曖昧だった。これが日本で教えられている 国文学と日本史教育の現状を如実に物語っている気がする。
394 :
@ :2005/07/31(日) 22:25:59
一方、アメリカで日本史を習うと、低学年でも一番にきっちり 教えられるところではあった。 神話の世界で初めて夫婦となるイザナギ神とイザナミ女神の 物語は、体に欠損と余剰をもつ二人の神が一体となることで 一つの完成を見て、国生みを可能とする発想。 最初の結婚の試みは、女であるイザナミが先に声をかけた ことにより、奇形児の出産により失敗する話。そして2回目には イザナギから声をかけたことにより完成した結婚が、淡路島 から始まる8つの島と35の自然神を生み出す話。 二人が湖にその聖剣を浸し、まずは自分たちを神聖なものとし、 そして生まれた土地にその剣で水を放ち、「神聖な土地」とした 話。その後に、イザナミが自ら産み落とした神によって黄泉の 国へ渡り、迎えに行ったイザナギとのオルフェウス神話のような ストーリーの後に設定される、人間の死の概念。 多くの細かいストーリーが含まれる夫婦神の神話だが、日本 ではなぜか二人が聖剣を使って、神話神である自分たちと、 日本の土地を「神聖なものとした」という部分が、かなり抜け 落ちて紹介されているらしいことに、アメリカにわたってから 気がついた。アメリカで日本史を勉強するならば、日本書紀で 最も重視されるのは、この部分である。
395 :
@ :2005/07/31(日) 22:30:06
現代社会を生きる私たちには色々な豊かな想像を与えてくれる 素晴らしい文学であるにもかかわらず、これは不幸なことだと 言わざるをえない。つまり、この章こそが、当時の日本を狂わせた 国家宗教がその発想の正当化のための基盤に置いたものという ことになり、日本の帝国主義化の原因として最大の悪者扱いに されてしまっているのだ。 2年ほど前、日本の神話のルーツに興味をもって、日本書紀、 古事記に関する研究本を読んだことがあった。そこで河合隼雄 の本を紹介したい。 イザナミ・イザナキの子供はアマテラス・スサノオが有名であり、 数々の神話も残されている。しかし、実はアマテラス・ツクヨミ・ スサノオの3兄弟でありツクヨミについてほとんど語られていない ことに着目している。この日本神話体系の中心に無為の神を 持つという中空性について着目した本。筆者は日本神話の中心 は空であり、無であるとし、これが日本人の思想、宗教、社会 構造のプロトタイプとなっていると考えられるとしている。 かなり勉強になった。河合氏の本は、日本人的宗教観(あるい は無宗教感)から読み始めると、しっくりしやすい部分が多いと 思う。そのようなところから興味が広がることもあるはず。
396 :
@ :2005/07/31(日) 23:00:24
日本人が無宗教的であるのは、人間って実は宗教無し、もっと 正確にいえば、極めて宗教的な問題である生や死に対して、 特定の宗教の教義に収束することなく、いわば「なんちゃって 宗教」のような状態で生きて行くことが、実際は十分に、自然な ことであるがゆえというのが、真実であるように思える。 生や死の問題を考えるものは宗教に関心をもたずにはいられ ない、とか、その答えをある特定の宗教の教義に求めてそれを 受け入れずにはいられない、というのは、単なる仮定であり、 思い込みにすぎないと思っている。もちろん、この「教義」と言っ たとき、そこにはいわゆる宗教のみならず、無神論や、唯物論 も含まれる。ようするに、人間は生や死という問題に対して、 ある程度まとまった体系的な回答を持たずには生きて行けない という、根拠なき思い込みのことだ。 こういう思い込みが不問の前提としてあると、確かに、日本の 現状である、日本人の大多数が非宗教的であるのは極めて 不自然な状態であり、どうにかしなければならない、ということ になる。しかし、人間が生や死の問題について考えるとき、 それがある宗教や哲学の体系に収束することなく、曖昧なまま で生き続けるというのは、それはそれで自然なことだと思う。 「曖昧な世界を曖昧なままに受け入れる」ということ。どうせ、 悟りでもしなければ、わかりはしない、わかりえないことだと 思っている。だったら悟るのでもなければこれが自然体では ないか。日本人なら同意できることだと思っている。
397 :
@ :2005/08/01(月) 00:01:23
世の中の実利主義に問題があるとしたら、それはアメリカの 影響をうけたためと言える。実利主義もそうだが、ドイツのプロ テスタントのカルヴィニズムに根ざす個人主義の影響も考える べき要因。また実利主義に関して言えば、基盤の一つに、 やはりカルヴィニズムの「予定論」があげられる。このような 欧米に見られるモダニズム的側面だが、実はキリスト教的 精神史の流れの上に構築されて来たもので、そこに基盤が あるように思う。それを日本では表層だけ持って来てしまった。 それを肯定的な方向に使っていくためには、やはり日本なりの 形での、基盤となる思想や哲学が必要だったのだと思う。 外国の要素を日本流にアレンジして取り入れるというのは、 多くの長所があるものの、こと思想哲学を含む問題になると、 その実施にはかなりの危うさというか脆さが内包されるような 気がしている。第二次世界大戦後の日本政府だけの責任には 思えない。というのは、その下地は、既に明治時代にあったから。 廃仏毀釈により、江戸時代以前には神仏混淆となっていた 信仰を、日本古来のものという理由で、神道のみとりあげたこと。 そこにバランスを崩した問題があったと見ている。
398 :
@ :2005/08/01(月) 00:34:35
河合隼雄と中沢新一の対談集『仏教が好き』(2003年)の冒頭 に、仏教とは何か、という河合氏の質問に対する、中沢氏の答え のようなものがある。 エラノス会議に集まった人たちに共通していたのは、「宗教 なき宗教」というか、「宗教の先にある宗教」というか、「諸宗教 にとってのメタ宗教」というか、そういうことに強い関心を持っ ていた。 日本人では井筒俊彦先生だけがそういう道を追及されました。 井筒先生の場合、イスラム教から入って、仏教にもユダヤ教 にもキリスト教にも何でも深い理解を持って、さまざまな宗教を 超えたメタ宗教の可能性というものを構想していらした。僕が 学生のころには、井筒先生の仕事は円熟してきて、しだいに イスラム教と仏教を同等に語られていた。そのうちあれよあれよ という間に『大乗起信論』という本にいたる。そこではもう仏教も イスラム教ユダヤ教もありとあらゆる宗教が井筒先生の思考の るつぼの中で合流して、そこでどの宗教でも単独では歴史の 中で実現できなかった、宗教の夢みたいなものが出現するよう になっています。 そういうときの井筒先生の導きの糸になっていたのが仏教 でした。仏教がいわゆる諸宗教のなかの一つの宗教ではなくて、 諸宗教が自分が宗教であるということの限界付けを超えて、 メタ宗教みたいなものをめざしていくところには、かならず仏教 のような思想の形態があらわれてくるんじゃないか、というのが 井筒先生の考えだったと思います。
399 :
@ :2005/08/01(月) 00:50:34
イスラム神秘主義の大家として知られる井筒に対する世界的 評価を、最も端的に物語ってくれるのは、スイス・エラノス学会 の存在であり、その主要メンバーだったと思う。 これは1933年に深層心理学者ユングと宗教学者ルドルフ・ オットーから始まった、学際的な知的フィールドであり、近年 では、これに類するものとして、複雑系研究を生んだサンタフェ 研究所を挙げられるだろうが、そこに集ったメンバーは、 いずれもその分野の第一人者ばかりといえる。 例えば、アンドレアス・シュパイザー(数学)、アンリ・コルバン (イスラム神秘主義)、ゲルシュム・ショーレム(ユダヤ神秘主義)、 ルイ・マシニョン(オリエント学)、フーゴー・ラーナー(教会史)、 ハインリヒ・ツィンマー(インド学)、ミルチャ・エリアーデ(宗教学)、 エーリヒ・ノイマン(精神医学・神話学)、エルンスト・ベンツ(東方 教会史・神秘主義)、カール・ケレーニィ(神話学・古典学)、 ジル・クィスペル(グノーシス学)、アドルフ・ポルトマン(生物学)、 パウル・ティリッヒ(組織神学)、ファン・デル・レーウ(宗教現象学)、 マルティン・ブーバー(宗教哲学)、カール・レーヴィト(哲学)。
400 :
@ :2005/08/01(月) 00:53:47
日本からの参加者は、鈴木大拙(西田幾多郎の友人で禅の 大家、禅を世界化したことで知られる)が始まりで、それを継いだ のが井筒で、井筒が十五年間にわたって毎年のようにレクチャ ーを続けた後は、上田閑照(ドイツ神秘主義の大家、マイスター ・エックハルト研究の第一人者)、河合隼雄(ユング心理学の 大家)の二人が交代で日本の立場を代表したという。 エラノス会議自体は1988年に終わりを告げるのであるが、 その知的インパクトは実に巨大で多くの知識人達の心をひき つけて止まなかった。そして、井筒はその中で主要な一角を 占め続けた。 哲学的には、その辺を見直すことが、今後、重要となってくる だろうと思っているところだ。
401 :
考える名無しさん :2005/08/01(月) 00:54:44
長いよ……。
河合みたいな思想素人で代表つとまるんかいな
>>387 > 現人神と創造主じゃ神も種類が違うでしょ。
それこそ宗教者の詭弁ではないか。
404 :
考える名無しさん :2005/08/01(月) 04:23:41
ユングw
405 :
考える名無しさん :2005/08/01(月) 12:39:42
>>403 同じ神を違う名で呼ぶことも、違う神を同じ名でよぶこともできる。
それは詭弁だと結論だけ言う前に、その考えにたどり着く過程を示して欲しい。
歴史にはあまり詳しくないが、
「God」という概念と「神」という概念は元々別の風土の中で育ってきた。
「God」という言葉が日本に入ってきた時にもっとも近い概念である「神」を
訳語としてあてはめただけと考える方が自然だろう。
なんとなく似てはいてもやはり根本的に別物と思うぞ。
まったく別物でしょ。
神は死んだとかいっても、日本の神なんかイザナミノミコトを筆頭にそもそも死にまくりだし。
アマテラスオオミカミも機織労働してるし、スサノオノミコトはウンコ投げつけるし。
乃木神社とか東郷神社とか靖国神社なんてのは、「神は死んだ」じゃなくて「死んだから神だ」くらいの勢い。
GODと神を一緒にしちゃいけませんわな。
だからGODが入ってきたときは神じゃなくて天主と訳してたよね。中国ではキリスト教は天主教だし。
でも面倒くさいから神になっちゃった。日本の神とGODの神は同音異義語くらいの感じ。
んでもって、
>>386 だけど
>近代国民国家化の過程で、日本では、シンボリックな天皇崇拝が一神教的な(少なくとも
>擬似一神教的な)役割を担ったという事実は否定できないんじゃないかな?
これがそうでもないんだな。
国の中心としての天皇というのはあったけど、宗教的な意味での「神」ではなかった。当時の文部省も公式に否定している。
「八紘一宇」という言葉をつくった(もともとは八紘為宇だった)田中智学は日蓮主義の仏教徒(国柱会)だったし、
満州関連も石原莞爾や板垣征四郎のような仏教徒(これも国柱会)が指揮をとっていた。
(ちなみに指揮者小沢征爾の名前は板垣征四郎と石原莞爾からとったもの。父の小沢開作が満州にいた)
浄土真宗のように、当時、神を否定しながらも体制とうまくやっていた仏教組織も多くある(現在の真宗は180度逆だが)。
天皇を一神教的な神とする国家神道体制があったというのは、戦後の幻想。最近の研究でもこの幻想が否定されてきている。
>神は死んだとかいっても、日本の神なんかイザナミノミコトを筆頭にそもそも死にまくりだし。 >アマテラスオオミカミも機織労働してるし、スサノオノミコトはウンコ投げつけるし。 >乃木神社とか東郷神社とか靖国神社なんてのは、「神は死んだ」じゃなくて「死んだから神だ」くらいの勢い。 >GODと神を一緒にしちゃいけませんわな。 さすがにわかって言ってる修辞だと思いたいが、神は死んだってそういう意味じゃないし、 >だからGODが入ってきたときは神じゃなくて天主と訳してたよね。中国ではキリスト教は天主教だし。 >でも面倒くさいから神になっちゃった。日本の神とGODの神は同音異義語くらいの感じ。 というかGodはgodという語を前提に固有名詞的に使われているものであって、別にGODという概念=キリスト教の神じゃない。 一神教的な意味での神とやらのみがGODなら十戒の第一はほとんど意味不明になる。 そもそも中国語の神と日本語の神は同じ漢字を使ってるが基本的には違う概念。
「タモリ以外をタモリとするな」でタモリ概念が笑っていいともの司会者をつとめるコメディアンだと意味不明になる?
>>408 十戒で禁止されているのはヤハウェ以外の神を
ここで言われている「一神教的な神」とする場合に限られないのでその例は不適当。
知識をひけらかすような書き方よりも405みたいにわかりやすく書いて欲しい。
でも勉強になります
単に具体例を述べているだけで知識のひけらかしに感じる厨が出る様になったか…
413 :
考える名無しさん :2005/08/01(月) 21:45:09
要するに、便所の神もイエスキリストも同じということ
_, ._ (;゚ Д゚)<お客様の中に宗教社会学をやられた方はいらっしゃいませんかー
415 :
考える名無しさん :2005/08/01(月) 23:57:39
なんですか? それは
416 :
考える名無しさん :2005/08/02(火) 00:21:21
何で今更この本書いたの?キリスト教がバックのブッシュを批判するため?
417 :
考える名無しさん :2005/08/02(火) 04:43:41
タモリを批判するため
たしかに最近のタモリ批判は目に余るな
>>407 > そもそも中国語の神と日本語の神は同じ漢字を使ってるが基本的には違う概念。
古事記でいえば、天之御中主神が天の中心の主(北極星?)を意味し、
中国の「天帝」に由来しているとよく言われるが。
日本に仏教が浸透できたのは、仏教が「神」を持たないとされるからではないかな?
欧米社会にも天使信仰があるので、一概に一神教社会とは言えないとは思うが。
>>406 日蓮宗は仏教よりもキリスト教に近いところがありはしないか?
素材は仏教に依拠しているが、構造的にはキリスト教的な匂いがする宗派だ。
>>406 > >近代国民国家化の過程で、日本では、シンボリックな天皇崇拝が一神教的な(少なくとも
> >擬似一神教的な)役割を担ったという事実は否定できないんじゃないかな?
> これがそうでもないんだな。
> 国の中心としての天皇というのはあったけど、宗教的な意味での「神」ではなかった。
国と宗教とがはっきり分離していたようには思えないのだが、少なくとも当時の国民心性として。
客観的にもこの二つは区別しがたいところがあるし。
> 天皇を一神教的な神とする国家神道体制があったというのは、戦後の幻想。
日本の仏教は天皇制仏教ではないかなぁ? 聖徳太子以来。
一神教と多神教の区別にも疑問があるし。
>>419 日本に仏教が入ったとき仏は蕃神と呼ばれて国神と区別され、国神の支持者と宗教対立が起きた。
カミとホトケが区別されるようになったのは浸透したあと。
だから、ある意味当時のカミ概念は現在のカミ(神道固有的)概念より現在の神(比較宗教的)概念に近いのかも。
>>422 国神派にとっては蕃神は神として受け入れられないって神格観があったのかな?
異国の神などを受け入れればわが国の神々の祟りを得ましょうぞ
ノ「超国家主義の論理と心理」
426 :
考える名無しさん :2005/08/02(火) 21:54:47
イエス・クソ・キリスト えっ!ミドルネームがクソだったなんて知らなかったよ〜♪
仏教徒の核ミサイルは綺麗な核ミサイル。キリスト教徒の核ミサイルは醜い核ミサイル。
428 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 00:03:48
「ヨーロッパは、仏教を受け入れるほどには、まだまだ成熟していない。」(ニーチェ)
429 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 03:10:18
日本の仏教は中国を経た葬式仏教。儒教や道教が混合したものだから、神道とも容易に融和できる。 ニーチェが言う、仏教とは、仏陀の思想のこと。 一緒にしちゃったら議論はできない。 この超訳はそこらへんがきちんとしていたからオススメする。
日本人は、出世間どころか、世界一世間体ばかり気にして生きている民族
431 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 09:50:34
本当にそうかな
それにしても、、、、どうかな。
>>429 「きちんと」してたかな?
ちょっと見た感じでは、そもそも、その二つの区別があるということすら
理解せずに「訳」してる本に思えましたけど。
434 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 11:33:18
>>430 田舎ではまだ結構、檀家制度が活きていたりする。
出世間ではなく全員ソーギャ(求法者のあつまり)の
つもりでしょうね。
佛と法はなく僧のみ繁栄する、葬式仏教。
キリスト教の内実が形骸であることを考えれば、 葬式仏教もいくらか、いやずいぶんましだろう。 念仏に効果はあるが、教会に神はいない。
怨恨感情と奴隷道徳への批判がニーチェの言いたかった事の 中心にあるならば、日本も韓国も中国もインドも怨恨感情が渦巻いてる と思うよ。
437 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 17:51:16
>>433 宮崎哲弥が「正論」でこの訳を褒めていたから、仏教の部分だけ読み返してみたが、仏教の本質についてはかなりいい線いっていると思う。
まあ、宮崎の言う根本仏教の解釈に、ニーチェの思想が近かったからかもしらんが。
ああ、釈迦は輪廻を否定してたはずだって奴ね。
439 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 18:54:33
井筒敏彦は、イスラームを賞賛していたわけだが、現在の9.11、自爆テロ、その他 イスラームによる世界各地における殺戮行為に対して、一体どう言い訳するのかね。 彼の学問は根本的に間違っていたことになる。思索のみで、物事の本質を見逃す学 者の典型である。そもそも、学者が研究対象の宗教に嵌るのでは、客観的な研究が できるはずがない。 エラノス会議も、少数の「逝ってる人々」の集まりに過ぎない。
440 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 21:49:31
キリスト教による世界各地における殺戮行為への反動だろ。 もっともそれによって西洋文明のすべてが否定されるわけではない。 イスラムについても同じこと。 言い訳? ばかじゃないの?
441 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 22:05:31
>>437 確認ですけど、その「仏教の本質」というのは「=ブッダの教えの本質」
という意味ですよね?
ニーチェは、確かに
>>429 の分類でいう後者(ブッダの教え)については
いい線いく理解をしていると思うし、
適菜氏の訳でも、そのニュアンスは捉えられているでしょう。
しかし現実の宗教行為(葬式仏教)についてニーチェは何も言わないし、
「現実の仏教とブッダの教えは別物」
だという重要な区別についての認識が、この本には示されていません。
その区別を示さないまま「仏教の素晴らしさを発見」などと帯で謳ったら
誤解を招くのでは?
443 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 23:19:50
>>442 仏教は、原始仏教以来、大乗仏教の極めて長期間に渉る膨大な蓄積・発展が
あるが、その本質は、ニーチェが捉えたものから変わっているわけではない。
ニーチェが評価しているのは、仏教が外在の神概念を有せず、あくまで苦悩の
除去という人間の心理作用に徹したことである。
葬式仏教は、仏教者の生活のためのいわばアルバイトであり、仏教の本質を
変化させるものではあるまい。
444 :
考える名無しさん :2005/08/03(水) 23:24:13
>>442 そのとおりだと思います。
まあ、この本は翻訳なので本文の中で葬式仏教と根本仏教の違いを説明はできないはずですが(ニーチェが葬式仏教を知っているはずがないですから)、帯はどうかなって感じですよね。
講談社が色っけをだしたのかなw
この本には仏陀の思想がまとまっているので、くだらない葬式仏教なんてすぐにやめて、それこそ「仏教の素晴らしさを発見」してほしいものです。
445 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 00:02:55
446 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 00:09:27
「葬式仏教」って言うが、「結婚式キリスト教」とか「初詣神道」とか 言わないのはなぜなんだろう?
日本人はキリスト教と神道には期待してないからでしょう。 仏教界に期待してるからこそ皮肉として言っているのでは。
448 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 00:56:11
ニーチェの「アンチクリスト」の全文から見れば、はっきり言って彼は 「仏教徒」です。
>>444 もちろん「本文」に入れろと言うつもりはないです(笑)
しかし、この本は「訳注」のために大きくスペースを割いていますよね。
せっかく目立つ位置にそういう欄を設けたのだから、
そこで最低でも一言、断っておくべきだったのではないでしょうか。
「葬式仏教」と「ブッダの教え」のあいだにズレがあると意識してない人も
大勢いるわけで、この本はそういう読者に対して
「ニーチェは葬式仏教を賛美した」という誤解を与える作りになっている、
と思います。
(帯は出版サイドの勇み足だったとしても、それ以外にも全体として。)
450 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 00:58:21
というか、仏教を宗教と捉えていない。一種の哲学と捉えているのでは。
451 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 01:05:36
一神教とかカルトとか要らん。 日本には仏教の哲学と神道の習慣だけでいい。
>>443 「葬式仏教」というと現代日本に限定されるような気がしてしまいますが、
これまで何千年ものあいだ、民衆のあいだで宗教的実践(信仰)として
営まれてきた「仏教」は、
どちらかというとニーチェの言うような道徳重視の「ルサンチマン宗教」
に近いものではないでしょうか?
「葬式仏教」とは違うレベルで「仏教の本質」が保持されているとしたら、
それはどこで・誰によって実践されているのでしょう?
某カルトの人たちも日本の仏教界に失望して本物の仏教を 求めて彷徨ってたんだよね。
454 :
@ :2005/08/04(木) 01:59:53
Paul Carus 『Gospel of Buddha』 聖書の福音書を意識して、イエス・キリストの生涯のように、 ブッダの生涯を記述し、教えのエッセンスを伝える書物。 膨大な経典類から抽出・編集されたものです。1894年初版。 「仏教が何であるか」を西洋に紹介した初期の書物として、 重要とされる。現代の日本人には、これでかえって分かる。 Karen Armstrong 『Buddha』 キリスト・イスラム・ユダヤ教の比較宗教論を専門とする、 イギリス人女性宗教学者の目を通して書かれたブッダの 生涯とその教え。これも、膨大な資料を駆使している。 『Gospel of Buddha』とコンセプトが似ているが、福音書的 文体を意識しない時代が新しいものなので、分厚いが ものすごく読みやすい。彼女の目を通して記述された、 「ニュートラルな仏教」の理解は、日本人にはとても新鮮だ。
455 :
@ :2005/08/04(木) 02:00:32
神道学者の鎌田東二は、『神道のスピリチュアリティ』で述べる。 日本列島は、太平洋プレート、ユーラシアプレート、北米プレート、 フィリピンプレート、四つのプレートがぶつかりあって、生まれた 大地であると。 その自然地理学的な条件から、やがてそれが人文地理学的 には神仏習合や神儒仏習合の習合へと結実する。それは東西 南北から列島内に流入してくる文化の混合状態であり、神仏 習合はそのブランチに位置する。それが日本文化である。 昭和初期、アメリカのジャーナリスト、ジョセフ・ヴォレン・ティーツ ・メーソンは、『神ながらの道』をアメリカで著した。彼は哲学者 ベルグソンなどと交流し、日本の末松謙松と出会い、日本の 神道について理解を深めた。 その本で彼は、「spirituality」をキーワードとして用いた。彼は、 「神道や神社にはスピリットを感じる」と言った。神社はそこで、 普遍的霊性に挨拶をする場所である、と。 彼の著書はハーバード大学に留学して神学を学んだクリスチャン の今岡信一良によって翻訳され、日本政府より勲四等旭日小 綬章を授与された。死後、「日本での埋葬を懇願する」の遺言 により、訳者とともに多磨霊園に埋葬された。
456 :
@ :2005/08/04(木) 02:04:47
明治23年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、アメリカから 憧れの日本に新聞記者として派遣された。英訳の『古事記』 などを読んでいたため、神々の国、「出雲」へ、行けることを 非常に喜んだ。 彼は、ギリシャのレフカス島で生まれた。2歳から17歳まで、 ヨーロッパの辺境にある島、アイルランドで育つ。そこには キリスト教浸透以前の、ケルトの文化が残存していた。その 土地での影響か、幼い時から精霊の存在を身近に感じていた。 そのため彼は、自然の神秘を排除していく西洋近代文明や 一神教にはあまりなじめなかった。 西洋では失われた自然への畏敬、八百万の神々への信仰が、 日本では生きていることに驚き、心から共感する。昔ながらの 日本の家に住み、着物を着て、日本食を食べ、日本の習慣に 親しんだ。日本女性と結婚するように勧められると、拒むこと なく、士族の娘と結婚し、45歳の時には日本へ帰化する。
457 :
@ :2005/08/04(木) 02:06:36
初めて日本に訪れた宣教師、フランシスコ・ザビエルは、 「この国民は自分たちがこれまで接触してきた諸国民の中で 最高に傑出した人々である。まだキリスト教化されていない 国民で日本人ほどに優秀な者はない。」 ラフカディオ・ハーンも、 「私の考えでは、日本人の生活を一層客観的に見ているその 他の多くのオブザーバーもそうであろうが、日本はキリスト教 に改宗しても、道徳やその他の面に関して何の得もない。 むしろ損をするところが多い。」 彼は日本文化を世界に知らしめた外国人として、しばしば第一 に挙げられる。彼が世界に伝えようとしたもの、それは日本の 「魂」だった。
458 :
@ :2005/08/04(木) 02:13:10
鈴木大拙 「英語で仏教を知る」という意味では、もちろん、参考になる。 彼によってアメリカで紹介された禅仏教は、1960年代の アメリカのカウンターカルチャーで頂点に達し、ヒッピーや ニューエイジなど、悪い面も含め、大きなインパクトを与えた。 また、彼から多大な影響を受けた、元はキリスト教学をやって いたアラン・ワッツの著作も、一つのエポックメーキングだった。 いままでアカデミックな宗教学でしか語られてこなかった仏教 が、彼によって大衆文化のレベルで受け入れられた。 Thomas Cleary 『Rational Zen』 道元の『正法眼蔵』。英訳で読むと、キリスト教神秘主義の エックハルトと似ていることがわかる。 Huston Smith、Philip Novak 『Buddhism』 鈴木大拙による禅仏教に限らず、チベット仏教も、タイ・ミャ ンマー・スリランカからの上座部仏教も、似たようなルートを 経てアメリカに流入してきている。この詳細は、ヒューストン・ スミスらが、「アメリカ仏教の歴史」を紹介している。これを 読むと、仏教は、ここ数十年の間に、アメリカを重要な目的地 として、加速度的に広がっているのがわかる。
459 :
@ :2005/08/04(木) 02:16:24
ハーバード大学神学部教授で、比較宗教学とインド・サンスク リット研究をやっているダイアナ・エックの、『宗教に分裂する アメリカ ―キリスト教国家から多宗教共生国家へ』では、プロ テスタント原理主義国家と思われがちな、実際には世界でもっ とも多宗教に分裂しつつある現代アメリカの、真の宗教事情を 描いている。これは、1991年にハーバード大学に立ち上げら れた「社会的多元性研究プロジェクト」によって行われた、 10年間にもおよぶ、調査・研究の成果として、もっとも正確に 現代アメリカを反映するものである。 それによると、民族だけの宗教から、60年代のカウンターカル チャー以降、東洋のさまざまな宗教がアメリカ社会に浸透し、 文化多元主義、宗教共生国家とでもいうべき、状況になって いるということだ。こうした傾向を、ダイアナ・エックは良いと思っ ているようだが。 『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントンも、近年の『分断され るアメリカ』において、アメリカの文化を築いてきたプロテスタント の影が弱まり、ナショナルアイデンティティを喪失して、サブナシ ョナルアイデンティティが高まっていくと予測している。
460 :
@ :2005/08/04(木) 02:18:14
ユングと、宗教人類学者エリアーデらが設立した、スイスの エラノス学会というのがある。それつながりで見ると、 第一世代は、フロムと「禅と精神分析」を著した、鈴木大拙 第二世代は、東洋の共時的構造化の、井筒俊彦 第三世代は、ユングを日本に持ち込んだ、河合隼雄 という日本の流れもある。 井筒俊彦は、父親が禅の師家だった天才で、古今東西30 以上の言語を喋れる。古典語を含め、1ヶ国語を3ヶ月でマス ターし、フランス語は簡単すぎて外国語とは思えなかったと 本人は言う。ユングらのエラノス学会にも参加していた。 デリダの「日本の友への手紙」の初めのところで、「この間 お会いした時」と井筒俊彦のことが触れられている、デリダに して巨匠と呼ばせた日本人はほかにいない。
461 :
@ :2005/08/04(木) 02:18:54
森本和夫『デリダから道元へ』で、デリダと道元の近似性は 指摘されているし、デリダの言葉には、中論的なものを西洋的 な流れのなかで語っているような印象もある。そういう意味で、 デリダの言葉は、日本人あたりのほうが、感覚的にわかる 可能性もある。『言葉にのって―哲学的スナップショット』、 デリダ自身によるデリダ哲学への最良の入門書である。ここで 森本が訳者として道元へと振っている。 現代思想の臨時増刊、「日本の思想」でも井筒が取り上げられ、 文明間対話の哲学について、日本から発信しうる希有な例と して、今後ますます重要になるだろう。西洋哲学はこれから 東洋のそれを、時間的に逆向きに辿っていく可能性もある。 井筒俊彦は、科学や合理を好む理系タイプが評価しやすい。 和辻哲郎がそういうイメージを作った。『意識と本質』を読めば、 宗教に対する偏見がなくなるだろう。数学科出身の河合隼雄 も、井筒を下敷きにした本を出している。
462 :
@ :2005/08/04(木) 02:20:24
日本は、神仏習合の、そうした文化的歴史的蓄積が膨大な、 地理的風土を十分もっていて、永平寺を始めとして、十分に 修行三昧の生活がおくれる環境もあり、よく見れば、これだけ 仏教や神道が身近であるというのも利点だが、それゆえに、 そのイメージが邪魔になるということもまたある。なにしろ、 「仏教とは何か」を理解しようとすると、逆に情報量が多すぎて、 まず何を読んだらいいかわからない、となり、焦点がぼやけて しまうのだ。日本の仏教は、いわゆる「開祖至上主義」とでも 呼べる傾向があり、最澄、空海、法然、親鸞、日蓮、道元など、 いわゆる偉大なお坊さんたちの、独自の宗派を興した開祖を 信仰する傾向があり、当のブッダは抽象化されたりする。 英語だと、聖書と同様に、平明な英語で書かれている。外国の ホテルには、聖書とともに置かれていたりする。しかも、ダイレ クトにブッダその人に遡っている。つまり英語ならば、空海や 親鸞や日蓮や道元を飛び越えて、一気に「ブッダ」その人に 辿りつくことも、容易に可能だということだ。
463 :
@ :2005/08/04(木) 02:21:26
世界における世界宗教としての仏教という広い視野から見渡せ ば、日本の各種宗派は、大乗仏教の一部でしかないことも事実 で、そんなとき、例えば「英語で仏教を読む」という「逆輸入」的 な発想も有効となる。 日本のありがたいお坊さんたちの教えも、英語で読めば抹香 臭さがとれ、また違った雰囲気で、現代人の日本人にフィット したかたちで、インテリジェントな認識を深めることができる。 身近な何々宗派の葬式仏教という制度だけでなく、英語という、 日本人にとっては人工的な言語のフィルターを通し、もっと「無垢 なまなざし」で、世界における仏教、いやもっと広い視野から、 「Buddhism」という一つの「宗教哲学」が何であるかを、グロー バルな視野から見渡すことができたならば、迷うことなくブッダの 心にいきつくことになり、新興宗教の脆弱性もわかり、カルト にはまったりすることも、おそらくはないだろう。
キリスト教は邪教即ちカルトである。 カルトないし邪教と、正当な宗教との区別って本当に可能なの? 偽の宗教と本物の宗教とか
465 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 03:36:32
とりあえず、世界各地で長年にわたって大量虐殺を繰り返してきた宗教は、キリスト教だけじゃないの。 キリスト教は明らかに邪教でしょう。
466 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 03:46:58
教えで邪教か 行いで邪教か この二つの論点 まあ後者なら間違いなく邪教なんだが
シナ民族の行う蛮行は儒教のせい 日本民族の行う蛮行は神道と葬式仏教のせい イスラエル民族の行う蛮行はユダヤ教のせい フセインのクルド人迫害はイスラム教のせい 古代アッシリアの蛮行はバール信仰のせい 古代ローマの蛮行はローマ多神教のせい おめでてーな
469 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 10:00:45
>>466 教えが邪教だから、行いが邪教になる。教えを信じたからこそ、大量虐殺
をやった。聖書を眼光紙背に徹して読めば、イエスの教えがすべて原因
であることがわかる。統合失調症患者特有の、冷淡さや矛盾がある。
470 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 10:31:38
いまだに大量虐殺を悪とか考えてる人がいるんだね まあ、善と考えるよりはマシかもしれないけど
471 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 10:44:02
キリスト教は世界を平和にする。 しかし、平和になるまでは邪教と罵られる。 いつかこの地球を神の愛に満ちたものにしてくれるであろう。
>>465 > とりあえず、世界各地で長年にわたって大量虐殺を繰り返してきた宗教は、キリスト教だけじゃないの。
国家という宗教があるよ。キリスト教が国家権力と結びついたからだろ。
473 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 12:43:28
>>470 >>471 盲信信者だな。架空の神への愛であり、人間に対する愛ではないから、キリスト教徒
は良心の仮借なく大虐殺がやれる。ユダや・キリスト・イスラム一神教は、まさに
人類の癌細胞。一刻も早く地上から抹殺されるべきもの。
キリスト教が「愛」など唱えたことが諸悪の根源。本当に愛のある人間は、人知れず
黙って実行し、その言葉を決して口にしない。口にした途端に観念化し、実質が失われ
偽善となる。キリスト教が、そのことを証明している。
474 :
470 :2005/08/04(木) 13:21:41
>>473 少なくとも、盲信ではない。あなたより。
なぜなら、オレは善悪で物事を測らないから。
虐殺は悪だということの根拠を示してみるがいいさ。
本当に愛のある人間? そんなことを言い出すこと自体が偽善だよ。
あなた自身が、そのことを証明している。
ついでに言うと、オレは愛も信じちゃいない。
少なくとも、盲信ではない。あなたより。
475 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 14:08:23
>>474 「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひき
くらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(法句経)
476 :
470 :2005/08/04(木) 14:19:47
法句経には法句経の考え方があるんだろうね。 でも、この文を作った人が「暴力におびえ、死をおそれる」人だったんだろう。 それを勝手に「すべての者」にしちゃいかんのさ。 例えばエピクロスは死をおそれる必要などないと説いた。 世の中には暴力や死をおそれぬ者もいるさ。 世界の半分だけにしか通用しない道徳は、欠陥品だ。
477 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 15:20:11
>>476 他人や聖書がどう言ったかではなく、あなた自身のことですよ。
すべての動物は、たとえ自殺志望の人間であっても、殺されそうになると、
その苦痛と死から逃れるため死に物狂いで抵抗するという事実を、どう思い
ますか。
宗教者や哲学家であれば、根拠の皆無な観念の遊戯ではなく、「人間は、生の
欲求という基本的本能を有する生物に過ぎない」という、唯一の普遍に基盤を
置かない限り、無意味・有害な営みに過ぎない。
人間は、独りでは一刻も生存できず、先人を含む無数の他者によって生かされ
ているという自明の事実をまず認識し、感謝することを学ぶべきでしょう。
こんなことって、小学校で教わることではないですか。
478 :
470 :2005/08/04(木) 15:37:10
小学校っていうのは、偏見を植え付けるに最も都合のいい場所ですからね。 また「すべての」ですか。 自分の知っているものだけが常識だと思わないように。 「すべて」には、例外が付き物です。 生の欲求が基本かなぁ。 生の欲求って、いのちを食いつぶす欲求とも取れるでしょ。 それは、死にたいって思ってるのと大した差はないよ。 「自明の事実」なら感謝しようがしまいが変わらないんでは? そもそも、後人を含む無数の他者に感謝されていると感じたりできる?
479 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 15:37:38
>>477 あなたには哲学がない。
>人間であっても苦痛と死から逃れるため死に物狂いで抵抗する
これは人間の動物的側面だ。人間を動物におとしめるあなたは、
間違っている。人間には貴賤があると思う。あなたは、動物並みに
卑しい人間だと思う。
>「人間は、生の欲求という基本的本能を有する生物に過ぎない」
あなたは哲学がない低級な動物と同じだ。ただ生きているだけの
生を欲さず、隣人のために死ぬことをも欲するのが、
真の高級な人間なのだ。
あなたのような低級な人間の思想に真実は宿らない。
詭弁狂信者登場あげ 哲学板で倫理があるなら これを論駁しないとまずい気がする
欠点としては、 なぜそれがキリスト教でなければならないか という必然性を哲学的に言えるかということじゃないか どの宗教にも哲学はあると思うし、 哲学のなかにもそういう思想もあれば、 違う思想もあると思う
482 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 16:07:52
>>479 「哲学がない」「動物におとしめる」「卑しい」「低級な」「高級な」
「真実」。
それぞれの言葉は、「具体的には」どういう意味で、何を基準として判断
するの?
そのような具体的な意味と基準を考えることこそが、哲学ではないのかな。
483 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 16:16:11
>ただ生きているだけの生を欲さず、隣人のために死ぬことをも欲するのが、 >真の高級な人間なのだ。 こう偉そうに言ってる人間が自分の給料の9割をアフリカに送っている とかいう話を聞いたことないのは何でどうして? ウソツキは最も低級な人間ですよね
ニーチェの哲学こそ邪教
485 :
470 :2005/08/04(木) 17:21:52
オレに倫理を説いた方もどうかと思ったけど、
>>479 の倫理観もなんだかおかしいと思ったのでちょっと。
>人間には貴賤があると思う。
自分が思うことだから、正しいとしてるよね。
まあそれはいいや。
貴賎がある時に、「隣人のために死ぬことをも欲する」はどうかね。
貴賎などないからこそ隣人という関係が成り立つんじゃないかな。
>>484 確かに、ニーチェの哲学はキリスト教にとって危機だからね。
ニーチェの思想はキリスト教的人間が分裂症的に生み出したものだと思うよ。
>>483 >こう偉そうに言ってる人間が自分の給料の9割をアフリカに送っている
>とかいう話を聞いたことないのは何でどうして?
ワロス。
なぜ9割? なぜアフリカ? 「貧しい隣人=アフリカ」、「愛=給料の9割」ってどういう思考?
アフリカに送金して独裁政権や軍事政権を助けてもしょうがないのに。
ニーチェにしがみつきたい軟弱者のことですから ほっといてあげましょう
489 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 02:25:23
さっき気付いたけど、隣のキリスト教徒は邪教だった
490 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 02:33:29
>>483 脳みそが腐った奴のギャグかよ。隣人=アフリカ人だってw
ァ ,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、
491 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 02:42:30
ニーチェ教信者が実は、富む者に対するルサンチマンのカタマリだという のが笑えるな。
ニーチェ自身が「学者」に対するルサンチマンの塊だったからな
493 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 02:55:22
ニーチェを叩いても、ごまかせない
>>473 >キリスト教が「愛」など唱えたことが諸悪の根源。本当に愛のある人間は、人知れず
>黙って実行し、その言葉を決して口にしない。口にした途端に観念化し、実質が失われ
>偽善となる。キリスト教が、そのことを証明している。
観念だけの愛を批判するのがキリストだったはずだが。
ルカ10:30-37の「よきサマリア人」の所くらい知ってるだろ?
それから、日本人にはピンと来ないかもしれないが、宗教とは思想であるまえに
何よりも「律法」であることは意識しといたほうがいいぞ。
495 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 03:28:45
>>494 >観念だけの愛を批判するのがキリストだったはずだが。
その問いは、教会とキリスト教徒に向けるべきだな。
聖書で批判していれば、それで済むわけではない。
聖書で愛が唱えられていれば、実行しないで済むわけでもない。
書かれているから信じていれば行わなくていいや、と、
履き違えとしての「自分を放棄」してしまったのが、信者だ。
日本人には、というが、あんたもそうだろうが。
自分が日本人ではないというなら、外国にでも行ったら
どうだ。律法といったからといって、それはキリスト教の
内部でしか通用しないローカルルールにすぎない。
いってみれば、現実では通用しない「法律家ごっこ」のような
ものだ。表現がどうだろうと、それ自体は勝手に信者が
そう呼んでいるだけで、その外部でまでことさらの意味はない。
キリスト教は、聖書の言葉だけにこりかたまって、
自分を省みることをほんとにはやらなくなった、
自己欺瞞の人がほとんどだ。
496 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 03:36:12
>>494 あんたが世の中で大したことがやれていないのに、
意識したほうがいいぞ、などと高みから見下ろせるのは、
いったいどういう勘違いに基づいているのだろうか。
信じているだけで、偉くなれるなんて通用しない。
キリスト教徒が偉い、という認識は世間ではされていない。
「キリシタン」といってむしろ下層のものとして差別されていた。
いまでも統一教会などのうさんくさいカルト宗教と区別はない。
偉そうに上から物申すようなことをやってきてないし、
そうである以上、いくら教義を語ろうが、
意識が変わらないのはしかたない。
権利というのは、それなりの行いから出てくるものだ。
497 :
愚禿深海 ◆2WR8XSMJLQ :2005/08/05(金) 04:13:26
>>21 感情や願望であっては成らないと私は考えます。
このように私が考えること自体を排除しなければならないと私は考え…。
客体からの価値を明かすのが哲学ではないのだろうかと私は考え…。
498 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 05:20:56
本当のことを我々に遺してくれた偉人は、 ひとりきりで生涯を終えたり 発狂してしまったり 自殺してしまったりと皆、例外無く、孤独な人ばかりである。 本当のことを言えば実質殺されるのが、この世界なのかもしれない。 それを踏まえた上で、彼らを否定して 哲学だの文学だのを職業にしてる輩は、相当な腹黒、悪徳人だと しか思えませんね。呪われていると思いますよ。
499 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 05:28:13
それを誤摩化すためにあれこれ屁理屈をこねても 自分自身がそのことを一番よく自覚してると思いますよ? とくに文学なんてものはそもそも青臭いのが本質であるのに 偉そうに文人気取りの作家が某を読むのは、まぁある種のハシカのような ものですなぁなんて言ったりする。 キリストの言葉もその卑しい俗な弟子たちによって うまく利用されてしまった。我々は自分で考えること判断することを 他人(神)に明け渡してはならない。他人に自分を委ねることが 人間として最も恥ずべき、いや最も罪深い行為だと思う。
500 :
↑ :2005/08/05(金) 05:28:21
ニーチェ厨の典型的な書き込みだな 引きこもり気味で知的コンプレックスの持ち主の臭いがプンプン
501 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 05:34:09
>>501 大した議論になってないように思うが。
参考になるレスはどれだ?
503 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 06:31:19
議論は前スレですね。新しいスレはまとめスレと化してますな。 前々スレが神スレでした。謎の埋め立てで葬りさられて話題にw
504 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 06:49:36
これで結論に達したので判決します。 被告、キリスト教は無罪です。キリスト教会の人道主義的な祝福は現代の宝です。 キリスト教会は人の弱みを汲み取ってやりました。それは幸福になるためです。 罪悪感はすばらしいものです。神の前の魂の平等こそ近代的理念の発生条件なのです。 キリスト教は救いです。 キリスト教は進歩です。 無害で、明快で、地上的で、巨大な愛の本能です。 キリスト教は消え去ることのない人類最大の宝です。
505 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 07:04:34
>>504 このレスの嘘を告発します。
被告、キリスト教は有罪です。キリスト教会は歴史上人道主義にもとる行いに無数にかかわって来ました。
キリスト教会は人の弱みにつけこんで来ました。それは一部の人達が不当な利益を得るためです。
なんの罪なき人にも罪悪感を植え付け。ありもしない神による救済の空手形を発行し、
弱者の生き血をすすって来ました。
キリスト教では誰も救われません。。
キリスト教は進歩を妨害して来ました。
有害で、暗愚で、暴力的で、一つの巨大な強欲のシステムです。
キリスト教は消え去るべき人類最大の癌の一つです。
改めてキリスト教を告発します。
506 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 07:12:02
キリスト教=サタン
>罪悪感はすばらしいものです。 すばらしいかどうかしらんが、罪悪感を抱かない人間なんかとは付き合いたくないな。 平気で人を裏切るだろうし、自分の利益のためならなんだってやるんだろうし。
508 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 08:03:01
裁判長! 証人を呼んでいます。
509 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 10:22:27
人々の罪悪感を利用したのがキリスト教だっつことやね キリスト教は邪教です!!!!!!!!!!!
510 :
藻 :2005/08/05(金) 11:41:15
>>498 例外ありまくりだアホ。
手前勝手な妄想で人を悪人呼ばわりするな。
そもそも、別に独身で生涯を終えるなんてよくあることで
それだけで世間から殺された孤独の人、なんてレッテル貼りできない。
(ちなみにラッセルなんかは4回結婚してるし)
自殺や発狂にしたって、ニーチェが発狂したのは梅毒のためだ。だから
発狂というより、単なる神経系の疾患だ。(単なる、と言うのも変だが)
自殺した哲学者なんて、ちゃんと具体的に個々のケースを見れば
ドゥルーズは病苦から、ベンヤミンは政治的に追い詰められて、と
普通の人が自殺する理由と全然違わないんだよ。
哲学者ゆえに自殺したんじゃなくて、自殺したのがたまたま哲学者だっただけ。
(ニーチェ厨だったら『偶像の黄昏』読んで原因と結果を混同する錯誤を
忌み嫌ってていいはずだが)
511 :
藻 :2005/08/05(金) 11:48:15
>>499 は典型的な無知の論理。
<芸術を語る阿呆は、芸術を語る芸術家を身の程知らずと考える。>
512 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 19:18:18
>>510-511 あれこれ屁理屈をこねても
自分自身がそのことを一番よく自覚してると思いますよ?
非常にマズイことに気が付いてしまった気がします。 神を完全な存在として肯定して調べていくと、 キリスト教が表でやっていること自体が既に間違いということになりそうです。 非常に単純で平易な論理で、誰にでも検証できると思いますが、 それをするとキリスト教と同じ間違いをすることになり、 これは指摘した人間がサタン的位置づけになってしまうようです。
それどころか、人とお喋りができなくなるだろ
515 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 19:32:16
キリスト教(;^ω^)テラヤバス
516 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 19:46:54
@排他的で(一神教)、A殉教を賛美し、B貧乏人に訴える(弱者救済)、 最強の宗教と言えるでしょう。 国家神道は@が弱い。イスラム教はBが弱い。
517 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 19:48:34
ニーチェが批判したのはBですが、しかし左翼やリベラリズムも この点では政治学の進化を先取りしているのであって、 ニーチェ自信は自己中のウヨ厨電波であったと断言できるでしょう。
518 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 19:53:54
キリスト教より国家神道の方がヤバいと思うんだけど(;^ω^)
宗教は思想だと考えれば、人類にとって普遍性の高いことが 必要だと思うんだけど、国家神道を信じられるのはせいぜい 5000万人程度じゃないかな。それ以上の人数の信者は獲得できない と思う。何十億人もいる人類の中で、それだけの人間にしか 訴えかけられない思想は、やはり思想として何か欠陥があるん じゃないのかな。
520 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 20:05:09
信者(;^ω^)テラワロス
521 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 20:15:53
民族共通の祖先が神格化したのが民族神。ユダヤの神も キリスト教の神もイスラム教の神も国家神道の神(天皇)も その点では同じ。そして民族国家の為に国民に犠牲(殉教)を 強いるのが強い宗教の条件。 国家神道は弱者に訴える度合いが低い。イスラム教も同様。 しかしキリスト教はルサンチマンに訴える。そこが最強の理由!
522 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 21:37:53
>>521 犠牲、弱者、、、pugera
三国人乙
523 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 21:39:01
金保(;^ω^)テラキモス
524 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 21:48:55
哲学もしくは、思想というのは、日々の生活で処理しきれない ルサンチマンの行き所に困った者がハマるものである。
525 :
ハル :2005/08/05(金) 21:51:01
哲学にグッド・バイ それでよし
526 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 21:55:40
弱者救済をうたうリベラルである米国民主党は、実際には 多くの戦争を生み出しています。それはなぜか??? 世界規模で弱者を救済するということは、弱者を弾圧するような 悪い政権を善い政権である自分たちが倒す、という発想に なるからです。恐るべきは弱者のルサンチマン。
527 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 22:01:55
528 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 22:05:45
そろそろキリスト教信者気づけよ〜 いつまで騙されてるの?はずかちぃよ…
529 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 22:07:44
殉教すれば聖人になれる!!! これほど弱者の名誉欲に訴えルサンチマンを晴らすメカニズムがあるだろうか(いやない)。
530 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 23:43:37
>>527 尋常なクリスチャンじゃないと思うけどな。
どっちかというと、不良系。
キリスト教を叩いてルサンチマンを晴らすメカニズムが このスレほどあるだろうか。
532 :
考える名無しさん :2005/08/05(金) 23:52:48
国家神道も弱者救済をうたえないものか。
もともと日本は平穏で豊かで改めて弱者救済などと謳わずとも 皆満たされていたんじゃないの? そもそも大航海時代から豊かなアジア、アフリカ、太平洋諸国を 神の名のもとに、打ち滅ぼし、簒奪し、奴隷として来たのが 邪教キリスト教者たち。 しかも御丁寧にも彼らの神を捨てさせ原罪をおしつけ、 キリストを崇めるように強要した。
近代以降の西洋諸国の活動とキリスト教を短絡するって幼稚なんじゃないかなあ そもそもニーチェのキリスト教批判とは、その心理的発端をねちねち告発するものであって、 キリスト教諸国が実際どんな政治活動してるかなんて眼中にないだろ。
>>533 それはキリスト教が貴族的な権力を握った結果。
むしろニーチェが賛美する貴族的なものの所産。
ニーチェの分析は霊を見たと証言する人間が、なぜ霊を 見たなんて嘘をいうのかっていう心理分析なんだよ。 初めから霊を見るなんて嘘だってことを前提に話をしてる。 霊の存在の可能性についてはまったく考えていない。 キリスト教徒の内面はどうであれ、キリスト教の教義は 真実であるという可能性はニーチェ的方法では決して論駁されないだろう
まあ、アウフヘーベンしかあるまい。
>>533 ニーチェにいわせれば、その歴史はむしろキリスト教の善い面になるのではないだろうか。
539 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 15:07:17
>>533 東方正教会と東方諸教会はカトリックなどの大手と違ってまとも。
540 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 15:16:51
>>539 それでもイエス(ハリトリス)にマインドコントロールされている点では、
違いはない。
セルビアの正教徒によるクロアチア人(イスラム教徒)の「民族浄化」は
どうか。NATOによるセルビアの大爆撃の後でも、未だに陰湿な争いが
続いている。
541 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 15:38:50
>>539 全然まともじゃねえよ。帝政ロシアが侵略した地域を考えて見ろよ。
542 :
凡人 :2005/08/06(土) 16:03:44
宗教の全ては人々の不安や恐怖を種にして集団的自己愛に取り込み人の 人生と言う大切な命を利用する為に造られています。 聖戦などは人の尤も悪行で有り真の正義は軍事的暴力、経済的暴力で為 し得る事では有りません。 それに騙され容認するのは大衆の知恵不足が原因です。 宗教は大衆が知恵を備えれば騙すことが出来なくなり近い未来に自然消滅します。 貴方も宗教に敵対心を持たず貴方の知恵を育てて新しい未来を創ることにトライして下さい。
>>540 ナチによるユダヤ人問題の「最終解決」なんかもキリスト教に基づいて実践されたのかい?
中国人によるチベットの「民族浄化」は、なんていう宗教に基づいてるんだい?
>クロアチア人(イスラム教徒) クロアチア人”と”モスレム人といいたいのか? クロアチア人はカトリックだろ。
545 :
44 :2005/08/06(土) 17:09:59
>>543 ヒットラーはキリスト教徒。彼の反ユダヤ主義は、当然のことながら、キリ
スト教が起原。キリスト教会の支持も大いにあったし、当時のローマ教皇も、
ナチスの行為を黙認した。ナチズムは、「世俗的カルト宗教」とも呼ばれて
いる。
ヒトラーは、ユダヤ一神教の神概念が、人類を破滅に導く恐れがあることを、
直感的に知っていたのではないか。ユダヤ教及びそれから発生したキリスト
教、イスラーム一神教間の果てしなく続く紛争を見ると、彼の直感は正しかった
のではないだろうか。
マルクスは、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒。彼のユダヤ人嫌いは有名。
マルクス主義も、実在し得ない「共産主義ユートピア(神の国)」観念の信仰
という点で、宗教の一種。「擬似宗教」とも呼ばれる。信じる「神」が違うだ
け。バートランドラッセルは、マルクス主義がキリスト教起原であることを明
快に解明し、比較宗教学者のニニアン・スマートは、マルクス主義と宗教との
多くの類似点を指摘している。
いずれにしても、架空の超越的存在に人命にも優先する価値を認める宗教で
ない限り、あのような大規模かつ残虐な虐殺は、絶対に不可能なのである。
>>545 だからよ、新約の中に「ユダヤ人を根絶やしにしなさい」という文句があるのかい?
ヒトラーがキリスト教徒だからヒトラーの行いの責任はキリスト教にあるといわれて
誰が納得する?
ある社会が抱える欠陥や問題を、全てその社会で支配的な宗教の教えのせいにするのは、
とてつもなく観念論的なんだよ。
547 :
44 :2005/08/06(土) 17:28:21
>>546 新約の基本は、当時のユダや社会の否定。歴史を通じての、キリスト教に
よる陰湿なユダヤ人迫害は、「イエス殺し」が究極の原因ではないのですか。
観念論ではなく、あまりにも明白な「事実」です。宗教者は観念の塊である
ので、事実を事実として認めることが不可能なのです。架空の神を現実の人
間より上位におく以上、「原理的」にも当然のことです。
>>547 ディアスポラの状態のユダヤ人が頑なに自分らの慣習を守り、周囲の社会に
同調しようとしなかったこと、また、社会の側もそうしたユダヤ人を受け入れる
体制を作れなかったことがユダヤ人問題の原因だよ。
遠い昔の「イエス殺し」というお話にこだわって、いつまでもユダヤ人迫害が続くわけないだろ。
それから、ユダヤ教−キリスト教に共通しているのは、人間の「思い上がり」への批判。
人間の「ご利益」を求めるための手段として「万能の神」を捉える見方への批判なわけ。
「自分の都合や要求どおりに世界が回ると思うなよ」という教えが「観念の塊」というのは
納得いかないな。 自分の好き勝手に「価値」を滅ぼしたり創造したりできるという「超人思想」
のほうが、よほど「観念の塊」だろう。
549 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 18:05:02
>>548 >それから、ユダヤ教−キリスト教に共通しているのは、
>人間の「思い上がり」への批判。
問題は、ユダヤ教−キリスト教が人間が作ったものだという
ことだ。「人間の思い上がりへの人間の批判」ほどに傲慢で
思い上がっているものもない。人間の思い上がりで人間の
思い上がりを批判するのは、ユダヤ教−キリスト教とあんた
が思い上がるだけだという事実だ。
>「自分の都合や要求どおりに世界が回ると思うなよ」という
>教えが「観念の塊」というのは納得いかないな。
自分(=あんた)の都合や要求どおりに世界が回らないから、
キリスト教も非観念的に批判されるのだろう。日本ではキリスト
教は少ないのが事実だ。
>自分の好き勝手に「価値」を滅ぼしたり創造したりできるという
>「超人思想」のほうが、よほど「観念の塊」だろう。
自分(=あんた)の都合や要求どおりに世界が回ると思うなよ、
という「思い上がり」への批判なのだろう。
>「人間の思い上がりへの人間の批判」ほどに傲慢で >思い上がっているものもない。 >自分(=あんた)の都合や要求どおりに世界が回らないから、 >キリスト教も非観念的に批判されるのだろう。日本ではキリスト >教は少ないのが事実だ。 もはや支離滅裂だな。 入門本片手にニーチェの言葉を追っかけてキリスト教批判するまえに 哲学でもキリスト教でもちゃんと研究したらどうだ? どうせ、聖書も持ってないんだろ。
>架空の神を現実の人間より上位におく以上、「原理的」にも当然のことです。 ニーチェもそうだが、神の存在を初めから「架空」として決めてしまう 単細胞が多くて困る。
552 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 19:12:44
>>550 >>548 にも突っ込んでいない時点で
>>548 =
>>550 確定。
>>551 問題は、宗教で”考えられた神”の存在は”架空”にしか
なりえないということだ。また、神が存在したからといって、
特定の宗教の神である保証はない。神は存在しても
人間や宗教には不可知としておいたほうが健全である。
553 :
考える名無しさん :2005/08/06(土) 19:17:25
祈るというの習慣が普遍的なんだから、祈る対象としての「神」というのが 不可知だというのはちょっと無理では?というのも祈ることを通して現に 「神」と結びついているんだから。
60年代の半ばから、キリスト教神学の世界に、 『神の死の神学』という思想が現れたことがご存知だろうか。 コックスは、中世以来、支配の道具として機能してきてしまった キリスト教を省み、不正に満ちた現状を維持するために 神が用いられていることを嘆く。神の名によって社会正義が 実現され、人が互いに尊重しあって平和に生きるようになる のではなく、反対に戦争が正当化され、差別や抑圧が固定化 される。もしそのような神が「神」と呼ばれているならば、 そのような神はむしろ死ぬべきである。そして現代人は神に ついて語るのをやめるべきだと彼は語る。 ハミルトン、オールタイザーは、共著で「神の死の神学」という 本を著した。そこで彼らはまず、現代の世界に起こっている 多くの事柄は、神の存在を否定するかのように、悲惨を極めて いると指摘する。アウシュビッツや広島・長崎という悲劇は、 神などいないと思わせるに足る出来事ではないか。そして彼らは、 このような現実の中では、教会に行っても、聖書を読んでも、 神学書を開いても、神とか信仰とか教会といったものから 疎外感を感じさせられ、空々しさを募らせるばかりだと、 正直に言う。
2ちゃん常駐である事が 実社会で自慢になると思ったら大間違いよ
557 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 05:03:30
558 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 05:10:13
ハミルトン、オールタイザーとかいうド素人は神義論の伝統も知らんのか? 欧米にもよくいるんだよ、神学や宗教論の伝統なんてまるで知らずに 神を論じて得意満面な奴。 「神の死の神学」?バカジャネーノ? 神が人間と同じ有限な肉体を持ってて死ぬのかよw
559 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 06:04:29
ニューエイジのリーダーなんかに顕著に見られるね、その手は。 普遍で全てを包括する生命こそが神という所までたどり着いて いないんだよ。 ヴァガヴァッドギーダーのクリシュナの話こそが真理なんだよ。 自分の血族と戦いを前にして葛藤する男に対して、 「私をとるか、私の軍隊をとるか?」と問うクリシュナ。 すべては一なる物の現れであり多面な性質をもつということだね。 そしてすべてはマーヤーであるということ。
麻原が仏教徒だからサリン事件は仏教の犯罪?
561 :
44 :2005/08/07(日) 09:45:12
>>560 麻原の宗教遍歴は、気学、四柱推命、仙道、GLA(大本系)、阿含宗、
ヨーガ、ヒンドゥー、原始仏教、ヨハネ黙示録、ノストラダムス、キリスト
教などの混交宗教で、主神はシヴァ神であり、とても仏教徒などとは言えない。
オウムはむしろ、キリスト教の宗教構造だったと考えられる。 理由は、オウム真理教で最高の神とされるシヴァ神は、本来 ヒンズー教の神ですが、オウム真理教においてはそれと同一 ではなく、世界における唯一最高なる神であり、キリスト教で いう「ゴッド」も、このシヴァ神と同じであると説明されていた。 オウム真理教の「救済」は、当初「個人の魂の救済」だったが、 キリスト教の聖書から「ハルマゲドン」という終末思想を取り 込んだことにより「人類の救済」へと変わっていった。しかしその 救済も、全人類の救済から「選ばれた者」の生き残りへと変化 していった。 ハルマゲドンとは、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」第16章 第16節に表れる地名で、仏教とは全く関係はない。この「ヨハネ 黙示録」とは、神からキリストを経て、ヨハネに伝えた天啓・ 予言の書で、なかで7人の使者が次々と、ラッパを吹くたびに 天災地変が起こり、最後にこの世が主とキリストの国になる という排他的で独善的で攻撃的なものである。 470あたりも、そういう履き違えが起こっているとわかる。 キリスト教の信者は内心では信者以外は地獄に落ちると思っ ているし、信者以外はどうなってもちっともかまわないと思っ ている。キリスト教が中心でなければ気がすまない、そういう 人たちなわけね。キリスト教の影にはつねに衝突あり。
ニーチェの分析は霊を見たと証言する人間が、なぜ霊を 見たなんて嘘をいうのかっていう心理分析なんだよ。 初めから霊を見るなんて嘘だってことを前提に話をしてる。 霊の存在の可能性についてはまったく考えていない。 キリスト教徒の内面はどうであれ、キリスト教の教義は 真実であるという可能性はニーチェ的方法では決して論駁されないだろう
564 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:07:04
はい、ここで問題です。 ハルマゲドンとは「メギドの山」という意味ですが、実際ここではげしい戦闘を行い 戦死したユダ王国の王の名を答えなさい
565 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:09:19
ソロモン王とシバの女王 ダヴィデとゴリアテ
566 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:15:45
いま流行り系の新興宗教団体の教義なんて 糞も味噌もいっしょだよ。 ありとあらゆる過去の預言や教義とかの 上澄みだけを掠め取って 自分達の都合に合わせてゴタクをならべているだけ。 例えばさ、弥勒菩薩はみ・ろ・く・だから 6が三つで666だ!ってなんだよ、そりゃ? 基地外よりも逝っちゃってるよね。
567 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:26:01
>>565 ダヴィデやソロモンがいつユダ王国の王だったことがありますか?
0点
568 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:42:47
569 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:43:48
570 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 11:56:44
大司祭ヒルキヤと共に申命記改革に邁進した名君の名を諳んじてる者がいないとは・・・ いやはや、レベルの低いアンチクリストさんたちですね
571 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 12:01:35
分った。片目のダヤンだろ?
「ヒルキヤ 申命記改革」でググれや ヴォケ
アナグラムやこじつけが好きな、妄想妄信信者 でしなかいのに、なんだか偉そうだな。 こうした人間の思い上がりを戒め、 傲慢な信者の思うとおりに世界は回らないぞとことん 知らしめ絶望させることこそ必要なのかもしれない。 キリスト教なんて100%邪教だと思うし、 この確信はゆるぎないものだと思う。
>>570 その論を逆に言えば、レベルの低い人にも否定できる
下らない宗教ということになるな。
575 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 12:48:12
大司祭ヒルキヤと共に申命記改革に邁進した名君の名がどうしたって? キリスト教が邪教なのか否か判断するのに、あまり関係ないと思うが。
>>561 それなら、それらすべての宗教があの犯罪を生んだということか。
古事記の侵略史にくらべれば、オウムなんて可愛いもんじゃないか?
579 :
44 :2005/08/07(日) 12:58:40
>>576 そのとおり。岡崎死刑囚も、その家族も、そして麻原でさえも、宗教の犠牲者である。
教祖や信者は、宗教に嵌ったばかりに、100%の善意を以って行動したの
だから。超自然的な存在の信仰は、現実からの遊離や社会常識からの逸脱を生じさせる
ことは、「原理的に」あまりにも当然である。
処刑されるべきは、「信教の自由」の5文字に呪縛されて、宗教に対しては
手も足も出せない司法・行政、そして彼らの理論的支柱としたの宗教学者た
ちである。
580 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 13:01:27
どうして「超自然的な存在の信仰は、現実からの遊離や社会常識からの 逸脱を生じさせる」のか、説明してくれ。
581 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 13:04:39
>>580 因果関係が逆では?
社会からの逸脱があってこそ、宗教たりえるんでしょ
人間にはいろんなレベルでの規範意識というもんがある。
問題は、キリスト教的規範が まったく共有不可能なものだということだ。
584 :
44 :2005/08/07(日) 13:08:52
>>580 超自然的な存在に「最高の」価値を置けば、現実の人間や社会の軽視・否定
が生じるのは、当然。この世は、現実界なのである。
未開時代の遺物の惰性的残存としての架空の神から、現実のすべての人間へ
パラダイムの大転換を行わない限り、人類は宗教で滅亡する。その兆しは
すでに明白ではないか。
>問題は、キリスト教的規範が >まったく共有不可能なものだということだ。 ????
586 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 13:11:39
あのな、「・・・・・・は当然」だけじゃ、説明にも何にもなってないんだよ。 「大司祭ヒルキヤと共に申命記改革に邁進した名君の名」も知らない香具師だな。
>>584 現実を重視しない者が真面目な宗教運動やりますかね?
キリスト教についてよく知らない椰子がニーチェの尻馬に乗って 吼えてるだけだな
589 :
44 :2005/08/07(日) 13:27:27
>>582 人間界では、人間を軽視・否定する規範は、無意味・無益・有害。そもそも
「規範」たり得ない。
>>587 それは、現実を重視しているのではなく、超越性(非現実性)を重視している
に過ぎない。超越性と現実とは、「原理的に」相反する。神のために社会奉仕
をやったとしても、それはあくまで信者の救い、自己満足のためであり、真に
他者のためを思うからではない。神が殺せと命じれば、人間としての良心の
呵責なく殺せることになる。
日本の信仰比率 神道 約1億0600万人 仏教 約 9600万人 キリスト教 約 200万人 カトリック 約50万人 プロテスタント 約30万人(日本キリスト教団が最大で約10万人) 東方正教会 約3万人(日本ハリストス正教会のこと) キリスト教、少なっ!分裂しまくってるし。 日本は神仏習合がやっぱり多いな。桁が違う。
>>589 新約読んだことあるのか?
イエスがどこで殺せと命じてるんだ?
592 :
44 :2005/08/07(日) 13:41:47
>>591 キリスト教徒は、イエスの教えを信じたからこそ、史上、もっとも多くの人間
を、もっとも残虐な方法で殺してきた。それは、イエスの教え全体にどこか問
題があるということ。信者が悪いのではない。
聖書を、初めから有り難がらずに、眼光紙背に徹して批判的に読めば、自ずから
わかること。ニーチェもそれを指摘しているのだ。
593 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 14:29:08
44みたいなのが簡単に新興宗教に行くんだろうな どんな実証的な批判も受け付けずに一人の人間を軽々しく妄信する。
594 :
44 :2005/08/07(日) 14:44:19
>>593 >一人の人間を軽々しく妄信する。
冗談じゃない。ニーチェスレでは、彼の思想の本質的批判をやってますよ。
ニーチェのこの本は、キリスト教だけでなく、観念の遊戯に過ぎないすべての
宗教に対する批判となっています。
595 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 15:17:38
>>594 その前に、44自身が何を信じているのか自分をみつめる方が先だろう。
44のやっていることは、自分を理解することから逃げて
他人を攻撃して自分を省みる恐怖を避けているだけだ。
596 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 15:19:50
弱者が徒党を組んで強者を引きずり落とそうとするのが 戦争と貧困の原因だという考えはわからんでもない。 ポルポト政権なんかは実際そうだった。
597 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 19:16:39
「世界の中心で愛を叫ぶ」おごり ワロタw
598 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 19:30:26
この超訳でニーチェはカントを「タチの悪い犯罪者」と断定して論破していますけど、すごく納得して読んでしまった。 カントの研究者から見たら、この部分はどうなのかな。
599 :
44 :2005/08/07(日) 19:31:31
>>595 自分で自分を理解することなど不可能。どこまで行っても主観に過ぎない。
宗教は、根拠の皆無な人為的観念により、生の本能をもっとも抑圧・変容・
破壊するものとして、強く批判・否定せざるを得ない。
600 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 19:34:08
「人為的な観念」とか馬鹿なこというくらいなら、さっさと生の本能への信仰を捨てるほうを選ぶな、俺は。
601 :
44 :2005/08/07(日) 19:47:23
>>600 「生の本能」は、動物的なもので、観念ではない。
602 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 19:52:43
弱いものが群れを為して強いものに対抗する… ってのは本能の部分にまで埋め込まれた行動原理。 これを否定してしまったニーチェは一見わかりやすいけど 間違っていると思われるね。
603 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 19:58:45
生理的な欲求だけに基づいて宗教を批判しても歯が立たないだろうね、 だって的外れだもの
604 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 20:11:35
>>602 そうじゃなくて、ニーチェは「善悪」という基準によって、本能を否定してしまったことを批判しているの。
一度読んでからにしたら
605 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 20:16:41
>>604 本能が個体保存の本能だけだという考えは事実誤認と思われるよ。
606 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 20:29:24
607 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 20:57:58
608 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 21:11:25
ニーチェの都合次第で本能と人為を切り分けてる ように感じるんですけど
>>592 イエスの教えそのものよりも、イエスの弟子たちが中途半端に新しい
宗教を作っちゃったことに原因があるのではなかろうか。
どうせ異邦人に宣教するなら、旧約聖書を完全に否定して、まったく
新しい宗教を作っていたらもうちょっとマシな宗教になったかも?
610 :
44 :2005/08/07(日) 22:02:11
>>609 旧約聖書を否定したら、イエスを神格化できないので、旧約を利用しただけ
ですよ。キリスト教にとっては、旧約は本当は邪魔なのです。
611 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 22:04:56
弱者を救済して自立するのを助けるほうがおのおのの自主性に任せるよりベター… というのは革命的大発見なので、なかなか広まらないんですよ。
612 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 22:35:04
613 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 23:53:42
本能の開放なんてさ、オナニーし続けるサルをいっぱ作り出すような もんだよ。 人間という動物がうまくやっていくには道徳が必要なんだよ。
オナニーし続けるサルは本能なのかね?
615 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 23:55:34
ニーチェ自身の人物像が「オナニーし続けるサル」に近いし。 しかしそのオナニー文献を読んでしまった自分にもちょっと自己嫌悪。
616 :
考える名無しさん :2005/08/07(日) 23:58:26
キリスト教は欺瞞だがニーチェはオナニー覚えたサル。
ニーチェの人物像を少し調べたことがあるんだけど、予想通り 気が弱い男だったね。恐がりで、他人のちょっとした身体的ダメージ を見ただけで気絶しちゃうんだから、脆弱なニーチェの精神は笑えるよ。 腹の据わった看護婦さんに笑われてた気弱なニーチェ。 ニーチェタソは強い男に憧れてた。それには共感するけど、気違いになって しまったら元も子もないと思うんだ。
マッチョへの憧憬があるよね、ニーチェには。
この訳しか読んでないヤツが書いている悪寒
いいんだよそれで。真剣に読むようなもんでもない
621 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 01:34:20
キリスト教が邪教だとしても、一番強いと思う。
日本じゃ全然強くないよ
623 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 01:52:56
ニーチェが狂ったのは、別に哲学のせいじゃないだろ。 若いときに女買って梅毒うつされたからだろ。
624 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 01:54:32
当時は発狂した人は皆梅毒のせいにされたから。 シューマンが発狂して死んだのが梅毒のせいにされるのに、 奥さんが平気ってのはどういうことよ。
625 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 01:57:37
それはセックスをしなかったからじゃないかな?
邪教じゃない宗教なんてあんのか?
627 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 02:18:17
邪教じゃない宗教はないだろうね。何かしら嘘が含まれているから人を騙すってことになる。 キリスト教も仏教もイスラム教もユダヤ教も他もみんなそう。 でも、日本人が宗教語ってもなぁ〜。なんかピンとこない。 日本人の中に信仰を持ってる人がいて、やっぱ「〜〜〜教徒です」って言われると、 自分は引いてしまう。もともとアイデンティティの一部として宗教が入るってのが日本人にはないんじゃないか。 この前、中東系の夫婦を見たが、奥さんのほうは真っ黒の服で全身を覆ってて目だけしか出してないのよ。 見ただけでイスラーム教徒です、って感じだったんだけど、その時は「まあ外国の人だからなあ」とか思ってた。 日本人がやってて、「イスラーム教徒です」って言われたら、いくら信教の自由が憲法で保証されててもかなり違和感ある。 十字架のネックレスしてたら外人に"Are you christian?"って聞かれた奴がいたな。やっぱり宗教は主義主張を証明する「型」でもあるんだよね。 日本人はそういうところで外国人とは感覚が全く違う。 「哲学が好きなんですよ」って言ったら、大学の教授に「日本人では珍しい」っていわれた。 まったくグローバルにはなり得ない国だよ。
628 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 02:58:36
十字架のネックレスするやつはバカ 地獄に落ちよ!! 地獄なんてないか
そろそろ人類、脱宗教したほうがいいと思うがね 宗教がもたらしたものは、戦争、迫害、進歩の停滞、いいことあんましない。 宗教は集団規律(支配)をつくる最も安易な手段で 旧支配層が人間の家畜化するためにつくった精神の檻。
そうさ ルネッサンスさ!
631 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 04:57:46
おまいらみんな地獄逝きwww
632 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 05:02:22
死後の世界ってどこ?ねぇ、どこ?www
633 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 05:09:29
死ねばわかるよwww
634 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 05:10:32
でも、死んでから慌てたって遅いwww
キリスト教のセクト信徒がこのスレに押し寄せてきました
636 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 07:14:59
日教組に多いらしいね キリスト教
637 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 09:41:15
キリスト教はキリシタン時代以来、日本に来ていた。 そして艱難辛苦の中、実に多大な宣教活動をして来たにも拘わらず、 キリスト教徒に改心したのは日本ではまだ1%であり、殆ど根付かなかった。 其の点で仏教先進国だった朝鮮(韓国)では反日イデオロギーの 歪んだ形で人口の40%がキリスト教徒に改修した優等生です。 > キリスト教に法則発動?
638 :
44 :2005/08/08(月) 14:05:59
人間界において、そもそも架空の神に人命にも優先する価値を認めるのは、 人間存在の自己否定。架空の神から、現実のすべての人間へパラダイムの 大転換を行わない限り、人類は宗教で滅亡する。その兆しは、史上果てし なく続く一神教間及びその宗派間の争い、特に現在の中東情勢を見ればあ まりにも明かである。 宗教とは、科学について無知蒙昧であった未開時代の惰性的残存に過ぎない。 いつまで未開人のままでいたいのか。
>>638 未開人でいたい人、かなり多いみたいよ
所属の一体感、思考停滞の安心感は捨てがたいものらしい
麻薬と同種ものなのにな。
未知のものに対してそれが生存にかかわりなくても
知りたいという欲求を持たない人が過半数を超えたとき
人の脳は退化していくんだろうな
640 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 19:42:49
改心せよ 非キリスト教徒にね
おまいらと一緒に地獄逝きはイヤだよwww
642 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 20:21:54
俺は一個人としてジーザスの生き方に感銘を受け 心の師として仰いでいる。 後のフォロワー達の作った下らない 宗派など屑みたいなもんだよ。 これは仏教についてもいえることだね。
643 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 20:28:47
644 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 20:33:34
イエスを通らずして究極の愛は理解できぬ。 また一人として悟る者なし。
645 :
44 :2005/08/08(月) 21:09:43
>>644 イエスの「唱える」愛は、「偽善・冷酷」の別名。本当に愛のある者は、
その言葉を絶対に口にしない。口にした途端に、観念化し、実質が失われ、
偽善となる。
歴史を通じてのキリスト教徒による大虐殺の事実を見れば、あまりにも明らか。
信者達が悪いのではなく、教えそのものが間違っているからである。
本物の愛だの偽善だの、偉そうに自分はナンボのつもりよ? 何様のつもり?
647 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 21:19:31
その通り、その通り。 死してなお真実を示したジーザスを否定する お前は地獄の使者か?(哲学者)
648 :
44 :2005/08/08(月) 21:35:41
>>647 「真実とは何か?」(ピラトがイエスに尋ね、イエスが答えられなかった
言葉)。
ニーチェは、この言葉が、聖書の中で「唯一の」価値ある言葉だと言って
いる。
649 :
考える名無しさん :2005/08/08(月) 21:38:58
ピラトの質問に対して、イエスは一輪の花を手にとって微笑んだのだが、 誰もその意味を理解できなかったので、聖書には書かれていない、なん ちゃって。
俺はキリスト個人は好きだが キリスト教徒じゃねーよ
651 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 05:01:01
弟子が悪いということは、師匠もだめなんだろうなあ
それはニーチェの一説を引用して変態殺人をした だめ人間のこと言ってんの?
653 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 07:51:22
キリスト教徒の国会議員は落選させよ! そういえば学歴詐称の古賀潤一郎もクリスチャンだったな
ニーチェを読んで基地外になった奴は元々基地外だったんだ ニーチェには罪はない
655 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 11:01:48
>>652 .654
ごめん 意味伝わんなかったみたい。
弟子=キリスト教会 師匠=イエス
こととん鈍いひとなんだね
657 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 13:12:28
小泉は今度の選挙を郵政問題のみで乗り切ろうとしているが、 小泉のアメリカ追従の政策判断に対して、どこからも突っ込んだ議論がでないのはなぜ? 邪教徒に追従したんだから、地獄に落ちてほしいもんだね
658 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 13:44:21
子分国家の日本がアメリカ様に追従するのは当然だろ。
659 :
44 :2005/08/09(火) 13:54:21
>>654 ニーチェを読むキチガイより、ニーチェを読んでキチガイになる者のほうが
はるかに多い。元々のキチガイは、数が限られている。やはり、ニーチェ
に罪がある。宗教も同様。
しかし、ニーチェ読んで「真性の」キチガイになった者はいないはずだよ。
正気に戻った者は多数いるが。宗教は、この反対。
660 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 14:10:41
◎『キリスト教は邪教です!』が好調 『キリスト教は邪教です!』(講談社+アルファ新書)が好調だという。 東京・八重洲ブックセンターでは新書部門でベストテン入りもしたとか。 聖神中央教会牧師の静的虐待事件の発生を待っていたかのようなタイミングの良さもある。 驚くのが本書は1895年に出版されたF・W・ニーチェの『アンチクリスト=キリスト教批判の試み』の「超訳」であること。 思想家に大きな影響を与えたものだけに、誰も一般向けの「超訳」など考えもしなかったのだから、訳者・適菜収氏の勝ちというか、講談社の編集者に敬服する。 と言ってこれでキリスト教が「邪教」と思う人が増えないことを祈るばかり。 (キリスト教記者クラブ《ロビー》から)
宣伝乙
662 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 14:27:57
小泉はキチガイ 地位協定なんとかしろ アメリカジンを基地外に放すな
663 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 16:01:53
ショーペンハウエルが言うように 新書は糞だと思う。ニーチェを潰そうと企んでる 評論家なんて沢山いるからねぇ…超訳ねぇ…曲解とか酷そうだけど 読んだ人どうでしたか?(鵜呑みにはしないけどね)
664 :
44 :2005/08/09(火) 16:17:20
>>663 彼のキリスト教批判は、全文の方がはるかに過激で、かつ広範囲だよ。
665 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 16:59:57
過激ねぇ…彼の言ってることは常識だと思うけど…
666 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 17:06:03
自分の理念通りに世界や国家を構築したい・・・ というのは欲だからその欲を放棄しろというニーチェは あんまり人気がでないかもね。
大衆は精神的に弱いですから。 世の中の主人公である大衆に、強さを求めてはいけないわけで。
668 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 21:04:31
あらゆる世俗における快楽のインポテンツでもない限り ニーチェの説くような思想を説き続けることはできない 同情、酒、タバコ、セックス、ドラッグ、金、名誉、そして女 社会の中でそれなりにこれらの快楽を 欲し、適度に得られる大衆にとって、真理など毒物に他ならない。 大衆は、快楽の餌食になりやすい。 ニーチェの本を読んで一時は共感できても、次第に離れていくのは 快楽に溺れていくに他ならない。 しかし、この過程を”大人になる”と誤ったレッテルを貼る人間がいるのは いただけない。そう自らに言い聞かせることで自らを肯定したい 気持ちはわからないでもないが。
669 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 21:08:08
ニーチェも最終的には、性欲をうまく処理できずに(オナニー狂だった) 女に捕まって(梅毒うつされた)あぼん。 ここのニーチェ読者もニーチェの思想を完遂できなさそう… ていうか下山しなさそう…2ch止まりでしょ?どうせ
別にニーチェだけがキリスト教批判したワケでもあるまい。 いつどこでも、誰にとってもキリスト教は邪教です!
61 名前:考える名無しさん メェル:sage 投稿日:2005/08/09(火) 05:40:23 神は昔の人の発明品だと思います。 存在しているかどうかを言えば。否でしょう。 哲学はその始めから神と言う仮定を極力排する事により発展して来ました。 その結果どうも存在しないらしいという予測が成立しています。 神が存在するとお考えの方はどうぞ宗教板へお帰り下さい。
672 :
ハル :2005/08/09(火) 21:31:28
嘘をつき恥を上塗れ。 そしてそれが創造だ。
673 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 22:31:45
哲学はその始めから神と言う仮定を極力排する事により発展して来ました。 ↑ ウソ八百。神を証明しようとしてきた歴史が西洋哲学じゃないか。 おまえこそオカルト板に移れ 超訳は個人的には面白かった。というか、ちくま文庫の訳が好きでない。
674 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 22:33:21
で、もまいらはどうしたいの?どうするの? 革命の人にでもなるの?w
675 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 22:34:00
ギリシャ神話の神々より、プラトンのいう善のイデアの方が、 より一神教のメンタリティに近いとはいえるでしょう。
676 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 22:45:17
ソクラテスの権威をうまく利用したなって印象。<プラトン ニーチェの妹みたいなもんでしょ
677 :
44 :2005/08/09(火) 23:22:20
ソクラテスもプラトンも、精神異常の宗教者だったことを知ってる?(「現代 思想としてのギリシャ哲学」(古東哲明著、ちくま学芸文庫) それをひたすらあり難がってるのが、西洋哲学者。邪教キリスト教の信者と 同じ精神状態。
678 :
考える名無しさん :2005/08/09(火) 23:24:39
そりゃ本当に偉いのはペリクレスとかさ。
>>673 > ウソ八百。神を証明しようとしてきた歴史が西洋哲学じゃないか。
どこがウソ八百なのでしょうか。
キリスト教が学芸を弾圧していた時にそのような調停哲学いわゆるスコラ哲学も一時行われましたが、
ギリシア哲学とその再発見以来哲学はキリスト教を排除する方向で発展して来ました。
オカルト板に移れという理由もさっぱり分かりません。
やはり無理や捏造した歴史を騙ってごり押しするのがキリスト教の伝統なのでしょうか。
キリスト教は単なる宗教だという自覚が必要だぞ 特にこのポストモダンな現代の流れに合っては、 キリスト教というのはそのままではもうなにも通用 しなくなってる
681 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 00:30:09
402 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2005/08/10(水) 00:10:21
ここで>44の主張をまとめます
「おれが一番ニーチェの本質を理解している。テクストのどの部分にも
俺が考えるとおりのことが書いてあるはずだ。俺の考える本質が理解できない
奴は西洋哲学かぶれの馬鹿ども。おれのニーチェに失礼なこと言うな」
以後スルーということで
406 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2005/08/10(水) 00:21:57
>>402 それに加えて
44「俺は『アンチクライスト』だけは邦訳で精読した。他には入門書数冊を読んだ。
な、だから、俺は自分がニーチェのすべてを理解していると言えるんだ。
えっ、原典なんて・・・ありゃあおかずですよ。問題は中核思想ですよ
原典は中核思想を見る妨げになるんですよ(以下ループ)」
ニーチェスレだけじゃなくて、ここにもいるようなので貼っておきますね
682 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 04:14:06
>>679 へ? パスカルは? カントは? ショーペンハウアーは? ヘーゲルは?
スピノザもデカルトも、現代ではゲーデルまで!
684 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 11:26:01
685 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 11:40:17
西洋哲学には、キリスト教的神を擁護しようとした人もいれば、そうではない人もいた。 「神を証明しようとしてきた歴史が西洋哲学」というのは極論。 「ギリシア哲学とその再発見以来哲学はキリスト教を排除する方向で発展」も全てを見ていない。
686 :
44 :2005/08/10(水) 12:09:08
>>682 >>683 それらの哲学者は、みな、幼時から植えつけられたキリスト教の洗脳を
離脱する力のなかった者たちに過ぎない。知性と批判力が不充分だった
ことの証拠である。キリスト教の洗脳はそれほど根深い。
なお、スピノザは、少なくともキリスト教的概念から完全に離脱した、
数少ない哲学者の一人である。
たしかニーチェって晩年は精神病になって自殺したんでしょ。 キリスト教者の方が幸せなんじゃない?
幸せかどうかはここでは関係ないだろ
そうか。 ここは哲学板ですね。 宗教なんて本人が幸せならいいと思うんだよ。 すみません消えます。
690 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:17:12
>>686 >なお、スピノザは、少なくともキリスト教的概念から完全に離脱した、
>数少ない哲学者の一人である。
スピノザはもともとユダヤ人共同体の中で育ったユダヤ教徒。
キリスト教徒だったことは一度もない!
お前はもうしゃべるなw
691 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:22:19
>>690 おいおい、あんまり熱くなるなよ
44は真性のガイキチで哲板界隈じゃ有名
呼んでもないのに現れて、読んでもないのにレスをする
それが44
692 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:25:31
>呼んでもないのに現れて、読んでもないのにレスをする それを言ったら この板のコテハンのほとんどが当てはまるし
693 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:28:53
正直、雑談以外はせめて議論されている著作の邦訳と思想・哲学辞典を 最低限用意して、書き込みROMって欲しい いや、マジでさ
>>682 へ? パスカルは? カントは? ショーペンハウアーは? ヘーゲルは?
それは哲学者がキリスト教の神の領域をせばめていった歴史だろ。無理に誤読するなよ。
695 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:33:16
キリスト教をより普遍妥当的に解釈する試みともいえるわけで・・・
696 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:41:03
ショーペンハウエルさんはキリスト教とは関係ないですよ
普遍、妥当に解釈するという皮肉な戦略をとって神を潰していったワケだな。
698 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 13:45:30
ユダヤ人の「生ける神」「人格神」は確かに潰れていったな。
キリストだって「生ける神」「人格神」だろ
700 :
44 :2005/08/10(水) 14:03:47
>>690 うっかり間違えた。スピノザはユダヤ人だった。しかし、ユダや教もキリスト
教も同じ神であり、彼の著作は「キリスト教諸派のるつぼ」であったオランダ
で書かれ、キリスト教徒との親交も深く、彼の神概念はキリスト教の神概念か
ら更に離脱したものである。
かれがユダや人共同体から追放された理由も、必ずしも明らかではないと
言われている。彼の思想は、キリスト教に対する批判も大きな源泉となって
いるのではなかろうか。
701 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 14:07:51
702 :
44 :2005/08/10(水) 15:13:52
さあ今日もテキスト読まずに書きまくるぞ!
703 :
:2005/08/10(水) 15:34:30
どうでもいいが、成立〜ローマ期より前とローマ以後にわけて考えない人間がいるんだなぁと感心している俺ガイル。
スピノザとはなにか。 『エチカ』だが、すらすらよめる。神を考えるのはこういう ふうでいいんだ、という“実感”さえ細かく掴めるような気分 になる。デカルトより読みやすく、もし中世の神学やスコラ 哲学になじんでいたら、こういうふうに神を論証するのでは ないかと現代人が感じるかもしれない。 ヘーゲルにして、「スピノザは近代哲学の原点である。 スピノザ主義か、いかなる哲学でもないか、そのどちらかだ」 と言っていたわけだし、ベルグソンは「すべての哲学者には 二つの哲学がある。自分の哲学とスピノザの哲学である」 とまで書いていた。スピノザとほぼ同時代の神学者ピエール・ ベールですら、早くから「宗教心がほとんどなくて、それを あまり隠さないのであれば、誰だってスピノザ主義者なのである」 と言っていた。 ようするに、スピノザについて発言することは、たちまち 全ヨーロッパの知との関係を問われるか、さもなくば自分の 哲学を問われるということなのだ。まさに踏絵なのである。 それも全ヨーロッパの知を賭けた踏絵として、スピノザは 位置づけられてきたわけ。
だからこそ、そこがプラトンを批判して全ヨーロッパの知を 問題にしたニーチェともつながる畏怖となるのだ。畏怖する 思想家や作家やアーティストはいくらもいるけれど、それを 避けるなどということはめったにない。だが、スピノザと ニーチェに対しては、あえて心酔を避けるくらいの畏怖がある。 この両者を徹底的に研究していたジル・ドゥルーズのような 思想家には、頭が上がらない。 17世紀のユダヤ人が神を論じることの凄まじさ、イルミヤフ・ ヨベルの大著『スピノザ・異端の系譜』を読んで、ユダヤ 共同体から追放されてしまったあたりの事情もようやく概略が 見えてきた。こういうことはいくらスピノザを読んでも、 ドゥルーズを読んでも見えてこないことなのだ。 スピノザの神はあまりにも抽象性をもちすぎ、あまりにも 自己の本性との関係を追いすぎ、語りえないものを語り すぎた。その全貌は「概念の構成のための手順の提示」 であって、また「知性によっていかに神に酔えるのか」と いう「方法の提示」になっている。ホワイトヘッドというのも、 それはほとんどスピノザの「延長」概念から手を伸ばして 果実を食べるようなものなのだ。
問題は、「人格的に優れた人物」が倫理的に優れた哲学を 作るとは限らず、「人間としてどうしようもない悪党」が高度に 道徳的な哲学を作ることもあるということです。 結論を先に言えば、「ライプニッツは悪党な上に頭が良く、 道徳的な哲学を作った」のに対し、「スピノザは頭が悪い上 に人柄が好く、どうしようもない倫理学を考えた」ということ になります。ライプニッツは、逆説的に聞こえますが、実は 矛盾はありません。なぜなら、悪党でしかも頭が良いので すから、「自分では思ってもいないこと」をどんどん書けるわけ です。逆にスピノザの場合、「人が好いが頭が悪い」わけ ですから、当然その心は「正直者」ということになります。 つまり、スピノザは「思ったことを書いた」のです。そして、 だいたいこういう人間は世間から信頼はされますが疎まれ もします。つまり、人が好いが「頭が悪い」というのはこういう ことです。
で、スピノザの哲学のどこが嫌がられたのかというと、 それは「世界は必然的である」という主張です。 ライプニッツは「頭が良い」ので、こんなほんとのことは 言いません。ライプニッツはスピノザが死んでから、スピノザ をぼこぼこに叩きました。世間もそれを求めたのです。 ライプニッツの主張を簡単に言うと「世界には秩序がある」 ということです。しかし、スピノザにも秩序の考え方は あります。けれども、スピノザの場合、「秩序」というのは 「弱った頭から出た鰯の頭」だと言っていますし、「秩序」 にあたる「法則」という考え方も、スピノザの場合は 「必然性」と同じ意味です。つまり、スピノザは「世界は もともとそういうものだ」という考え方なのです。こういう人は だいたい「力にならないが良い人」です。 一方ライプニッツは、秩序は我々の力では変えられない というのですから、その「秩序」は、神が作ったものだという ことになっています。ライプニッツは、「人は悪いけれども 頭が好い」人(つまり「ずる賢い」人)なので、こうした考えを 「自分では信じていなかった」という説もあります。
つまりスピノザは完全な唯物論であり無神論です。
スピノザは「神が人間になったというのは三角形が円で あるように不可能である」と言っている。300年以上も前に これほどハッキリと、イエスはキリストではない、と宣告 した人はいません。最初の唯物論であり無神論でした。 スピノザの世界観を単純化すると、およそ次のようになり ます。世界(=神)に目的はない。完全なる神が更に完全 なものを求める必要はない。奇跡、偶然は存在しない。 人間に自由意志はない。結果にはすべて原因があるが、 人間には複雑すぎて理解できない場合があるので、人は それを自由意志のように思い込むだけである。神は人間 の救済に関わらない。私たちがあることに笑ったり泣い たりしたところで、神の完全性はほんの少しも増えも減り もしない。善悪その他の価値は、人間の側で勝手にでっち 上げたものに過ぎない。 スピノザを評価するというのはこういうことで、これほど 虚無の極限ともいうべきニヒリスティックな世界観で人は どうやって生きていくことが可能なのか? それが「エチカ」 の後半の課題だったわけです。それに驚くためだけでも 「エチカ」には読む価値がありますが。
710 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 16:22:14
はいはい、44乙 せめてまともな日本語が、論理展開ができるようになってから書き込んでね それまではせいぜいシコシコROMってろよ、低脳のクズが
711 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 16:25:21
愚図め!
スピノザは汎神論といわれます。この世の一切の存在は、 神のあらわれまたはうつしであって、そのうちに神が宿って いる、とする考え方です。つまり、一切の存在は神、神すな わち自然、ということです。これは機械論です。 一方、ライプニッツは汎心論で、自然のあらゆるもののうち には、人間の心と同じような心、または魂が宿っている、 とする考え方です。現代の哲学者ではチャーマーズの主張 がそれにあたります。サーモスタットにも、サーモスタットなり の意識が備わっている、とする主張です。 スピノザとライプニッツの自然認識は徹底しているところも あり、実は似てますが、ここが違います。 どちらが正しいかは自分で考えてみてください。
そんなもん、どちらも正しくないだろ まだキリスト教のほうが正解に近いな
714 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 16:39:39
イエスとキリスト教が関係ないっていうのは、西の白人社会で広がった西方キリスト教の ことだよ。アタナシウス派、アリウス派、東方正教会、東方キリスト教会は仏教よりも 東方に伝わりまくってる。それはカトリック、プロテスタントとは違って原始キリスト教だから あんまり毒を含んでないだけ。
715 :
44 :2005/08/10(水) 16:40:58
>>712 質問。スピノザは、一切の存在に「神が宿っている」ではなく、「一切の存在
自体が神である」と考えたのではないでしょうか。
>>714 西方のキリスト教はたんなるカルト世間教という感じだな。
717 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 18:04:20
718 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 18:09:14
>>717 マジだwwコピペ
つうか、通りで意味不明な文章なんだよな
前後関係が論理で繋がってないから、すげー不自然
44さんよ、こうやって自分のアホさ加減を衆目に晒すのはみっともないぜ
719 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 18:13:50
批判されたマイ哲学厨が大暴れしてるスレだな。 自分の見つけた情報は自分だけが知っていると思ってしまうんだろう。 つーか、ニーチェのキリスト教批判くらい、きょうび誰でも知っている。 知っている上で、気になる人はそれぞれもっと深く研究してるわけだ。 それを、自分だけが本当のことを知っていると思い込みたいあまりに 狂ったようにスレを荒らしまくる。 大人のやることじゃありませんぜ。
信者さん、姑息な人格批判でなく、 言いたいことがあるなら具体論で頼む なにも見えてこない
722 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 18:25:03
カトリックは勢力を広げるため民間信仰を取り込んでいったということだね。
723 :
44 :2005/08/10(水) 18:31:37
>>721 宗教やってる人は、皆こうなってしまうのですよ。宗教そのもの持つ「病理」
です。
>All
スピノザに関する名無しさんの上記一連のカキコは、44ではありません。
残念ながら、私には、これほどの知識はありません。
724 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 18:37:35
「むしろデカルトより読みやすく、不遜な言い方になるけれど、 もし自分が中世の神学やスコラ哲学になじんでいたら、 そう、そう、こういうふうに神を論証するんではないかとさえ感じた。」 (松岡正剛の千一夜より バルーフ・スピノザ『エチカ』(上下)1951 岩波文庫) 「デカルトより読みやすく、もし中世の神学やスコラ 哲学になじんでいたら、こういうふうに神を論証するのでは ないかと現代人が感じるかもしれない。」 (by704) そりゃあ、704に知識はないだろ つうか、これは著作権上まずいっしょ
>>723 >宗教やってる人は、皆こうなってしまうのですよ。
>宗教そのもの持つ「病理」です。
すぐに都合がわるくなると、そこらへんの自作自演とも
わからないコピペを持ち出して、姑息に人格批判して、
責任転嫁し、はぐらかそうとするだけなんでしょうね。
妄信しちゃってる人と話してても、対話にならない、
単なる知識がどうのの次元に終始してしまって、
人格批判しかでてきませんよ、きっと。
俺も44のテキストから「真意」を読みとった。 これはどう見ても44の自作自演だ。以上
建前や人格批判はもうやめろな 本音の具体論でいこう
セイゴウ相変わらずくだらねえなあ
730 :
717 :2005/08/10(水) 19:04:23
なになに?おれがキリスト教信者の自演野郎だということにされてるわけ?
>>704-709 に関して言えば、これがコピペであることを見抜くのは容易いわけよ。
文字列のそろい方がいかにも、どっかのサイトのコメントをコピペした感じだろ?
適当なキーワードを検索にかけて、すぐに見つかったね。
>>712 に関しても同様。「スピノザ ライプニッツ 汎神論 汎心論」で検索すりゃあいい。
この動きを「信者による自演」扱いして罪を擦り付けるとは44も堕ちたもんだ。
こういう罪の擦り付け方は「ローカルルール議論スレ」でさんざん目にしたけどな。
731 :
44 :2005/08/10(水) 19:09:25
>>725 宗教やると、架空の神の実在を「信じこまされて」しまい、それが自分本来
の心の中で大きな部分を占拠してしまうから、それを奪われることの不安に
常に怯え、被害感情に苛まれるからでしょう。
732 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 19:17:59
コピペを見破られると急に仲間が現れる展開にワロタ
>>730 そんな偉そうに言うことでもなかろうに。目立ちがりやか?
他人のことああだこうだいうやつだから、あんた自作自演とか
言われんだよ。
周囲が求めているのはあんたの演説ではなくて、対話で
あり議論なんだ。
>>732 おまえみたいな金魚の糞でしかない夏厨が
自分で哲学を語れもしないで、
都合よく現れることこそが笑えるんだろ
735 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 20:51:19
>>733-744 44さん自演乙でーす
みんなに44さんの真実の姿を伝えたいから、ニーチェスレにここのアド貼っておくね
44は死ね。カス 恥ずかしくないのか ゴミが
735=736=陰湿な人格批判の邪教
738 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 22:46:50
「対話が大事」だの「人格批判をするな」だの言い出すということは コテの寿命としては末期症状なんだけどな>44 悔しくてたまらないだろうが、もう少し勉強してから出直したほうがいいぞ
739 :
考える名無しさん :2005/08/10(水) 23:00:21
私たちは、民主党の ∩∩ 『国家主権の移譲』 政策を支持します! ∩ (7ヌ) (/ / / / ∧_∧ || / / ∧_∧ ∧_∧ _<ヽ`∀´> ∧_∧ || \ \( `ハ´)―- < `∀´ > ̄ ⌒ヽ(@∀@ ) // \ /⌒ ⌒ ̄ヽ北朝鮮 /~⌒ ⌒ / | |ー、 / ̄| //`i 朝日 / | 中国 | | 韓国 / (ミ ミ) | | | | | | / \ | | | | ) / /\ \| ヽ / ノ | / ヽ ヽ、_/) (\ ) ゝ | | | | /
とりあえず 廃宗教が人類の課題になってくるのは確かだ
741 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 05:31:23
大学生の妹がキリスト教に入会してしまいました。 取り戻すためには、どこに相談にいけばいいのでしょうか? ご教示いただけないでしょうか。
キリスト教に入会していることは誰が見ていたのですか?
743 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 06:05:53
本人が言っております。
744 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 07:35:53
これで妹さんの魂は救われる。その邪魔をするおまいは悪魔の手先
745 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 08:31:44
キリスト教は、入会じゃないよな。
>「○○は邪教だ!」 これこそまさにキリスト教(特に右派)の論理そのものだろ。
怪物と戦う者は・・・
744は何様なんだ・・・ 信じるだけで救われるから、あとはなんでもいいって 一度思い込むと危ないな なんでも正当化できてしまう キリスト教信者に一般人より乱暴なやつが多いのは、 そういう開き直りができるからなんだろうな
>>744 =
>>749 「。」が付いてないし、「おまい」って同じになってるし・・・
都合が悪くなると他人のせいか?
こういう低人格の発言しかでてこないなら
どっちみちイメージ悪くなるだけだろ・・・
751 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 10:22:25
これニーチェの超訳のスレだろ? それがなんでこんなことになってんの もういい加減、本の内容について語ろうぜ
752 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 12:36:00
買いました。このスレの「宣伝効果」でしゅ。買ったひと多いのでは?
753 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 20:27:33
で、面白かったの?
754 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 20:28:36
駄本だったよ
755 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 20:35:48
どんなふうに?
756 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 21:23:51
ニーチェが生きてたらこう言ったと思うよ このけがらわしいものを踏みくだけ!
757 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 21:35:45
ニーチェは自らの本を聖書のように大衆に読ませたかったのだろうか
759 :
考える名無しさん :2005/08/11(木) 22:06:31
>>758 そういったことに興味があるなら、最晩年の書簡とか読んでみるといいと思うよ
760 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 00:09:44
761 :
44 :2005/08/12(金) 01:06:13
「アンチクリスト(反キリスト者)」「ヴァーグナーの場合」「偶像の黄昏」 は、ニーチェが狂気にいたる前の最晩年である1888年に書かれたが、彼は 9月14日付のドイッセン宛の書簡で、この3著作の関係について次のように 言っている。「アンチクリスト」が、彼の思想の集大成・到達点であることが 覗われる。 「『ヴァーグナーの場合』と『偶像の黄昏』は、或る測り知れないほど困難で 決定的な課題のただなかでの真の気晴らしにすぎず、この課題は、それが理解 されたときには、人類の歴史を真っ二つにする。この課題の意味を簡潔な言葉 であらわせば、すべての『価値の価値転換』である。」
762 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 01:10:05
>>761 その書簡文面からは
>「アンチクリスト」が、彼の思想の集大成・到達点であることが覗われる。
などということはさっぱり分かりませんがね。
どんな風に覗われるんですかね?
763 :
44 :2005/08/12(金) 01:31:46
>>762 あなたは邪教の信者だな。少なくとも中学程度の国語の読解力を身に
つけなさい。
764 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 01:35:48
痛いところを突かれると「邪教信者」呼ばわりですか。 大した批判精神の持ち主ですこと。
だからさぁ、ニーチェの超訳のスレでなんでこうなるんだよ ここだけじゃなくてニーチェスレも荒らす、44はさっさと宗教板に帰れよ
766 :
44 :2005/08/12(金) 01:51:41
>>764 ニーチェの批判に対して必死で自己正当化に努める邪教信者でなければ、
そのような白痴的な質問はしないよ。
なりふり構わぬ自己正当化と絶え間ない被害妄想が、架空の神など「信じこ
まされた」邪教信者の特徴。
ニーチェはキリスト教を強烈に批判しているのだよ。キリスト教の痛いとこ
ろを完膚無きまでに突いているではないか。彼の批判に対してあなたは哲学
的反論は一切出来ないのか。俺が、この点でニーチェを批判する理由は何も
ない。彼の言うとおりじゃないの。
>>766 お前が「哲学的」だとか語んなよ
つうかさ、学問板で自演やったり他人の書いたもの盗作して、タダで済むと思ってんの
それから、自説を弁護するために、ニーチェやスピノザを持ち出すのは
もうやめてくんないかな、ホントうざいから
自分で考えるのが偉いんでしょ、だったら自分で考えなよ
誰の引用ですか?
769 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 08:30:50
さて、気を取り直して……
770 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 08:39:42
あさの体操でもするか・・
771 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 10:10:41
日韓キリスト教議員連盟 日本代表の土肥隆一衆議院議員、民主党 近藤昭一衆議院議員、民主党 他にキリスト教徒の議員を教えてください。
>>761 アンチクリストは、あくまでキリスト教的価値観を否定するための
本だから、ニーチェの思想の重要な部分を占めてはいるだろうけれど
「彼の思想の集大成・到達点」とまで言ってしまうのはちょいと言い過ぎかと。
>>767 単なるコテハン叩きは見苦しい。彼の言う通り、哲学的に反論してみたら。
773 :
考える名無しさん :2005/08/12(金) 18:54:02
つーか、そもそも哲学の話じゃないじゃん
邪教です!なんてタイトルにした時点で政治的な本として売る姿勢だよ。 こういう流れになるのも必然か。
775 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 00:10:02
キリスト教は邪教だと思いますが。 タイトルすばらしい
ま、売れりゃなんでもいいんだろ。哲学とは無縁の感性だな
キリスト教圏で「Anticrist」というのと、日本語で 「反キリスト」とかいうのではインパクトが全然違う。 このくらいのタイトルでちょうどいいんじゃないか。 どうせ中身も超訳だし。
778 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 00:36:21
>>776 言葉は、哲学とは密接な関係がある。「反キリスト者」などという、日本語
として熟さない、意味が不鮮明な、はっきり言って日本語でもさえない訳語
よりも、遥かに鮮明に意味を伝えている。言葉とは、意味をよりよく伝える
ための手段。邪教とは、中国語で「カルト」の意味だから、中国でも通じる。
全文訳では、キリスト教はまさに「邪教」扱いだよ。
キリスト教圏では、アンチクリストって「悪魔」に近い意味。
『悪魔から物申す』 F.W.ニーチェ
780 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 02:47:57
うち実家がキリストの墓がある村のとなりの村だよ
ニーチェの分析は霊を見たと証言する人間が、なぜ霊を 見たなんて嘘をいうのかっていう心理分析なんだよ。 初めから霊を見るなんて嘘だってことを前提に話をしてる。 霊の存在の可能性についてはまったく考えていない。 キリスト教徒の内面はどうであれ、キリスト教の教義が 真実であるという可能性はニーチェ的方法では決して論駁されないだろう
なんか、キリスト教の常識について全く無知なひとがニーチェに肩入れして暴れている
ようなので、ちょっと書きます。
>>778 キリスト教の信者のことを、ごくごく普通に「キリスト者」と言います。
あなたは聞きなれてないかもしれませんが、もう定着している日本語です。
(たいていの人は、歴史の時間でルターの著作名『キリスト者の自由』を覚えさせられる
際に初めて接するのではないでしょうか。聞いたことがないとしたら少々恥ずかしいことですよ。)
なお、キリスト及びキリスト者の敵(イエスがメシアであることを否認する人、
異端者、背教者)を「反キリスト」「反キリスト者」と言います。ギリシア語だと
antichristosで、この言葉は直接的には『ヨハネの手紙1-18,22』『ヨハネの手紙2-7』
でこの言葉が用いられています。「反キリスト」と訳されてることが多いですが、
「反キリスト者」も珍しい言い方ではありません。
こうした「キリスト者」「反キリスト者」という言葉について‘意味が不鮮明’‘日本語じゃない’
などという文句を言うのは、端的にキリスト教についての全くの無知を告白しているようなものです。
ニーチェの主張だけからしかキリスト教を知ろうとしないというのは反則なんじゃないでしょうか。
批判しようとする対象を直に研究することこそ誠実な態度なのではないでしょうか。
霊いないというのは論理的な裏付けがあるけど、いる派は「だって私が見たんだもん」 しか根拠がないのでいない前提で話すのは当然です。 基本的に霊否定派が、肯定の不可能の結果、否定しているのに対し、 肯定派は、否定を心理的な理由から拒否しているだけ 宗教信者は事実認識能力が劣っている(あるいは拒絶してる)のは明らかだが、そのことすら やはり認識をしない。 ○○教に感心したなら、心意気だけ「自分のもの」としてしまっとけ
>>783 ニーチェは「神なんて存在しないからキリスト教は邪教なんですよ」という批判をしている
わけではないでしょう? また、「存在しないものを存在するというのは宗教にはまってる
証拠ですよ」という批判をしているわけでもないでしょう?
そんなことだけを述べたのだとしたら、現代人からしても19世紀末の人間にしても当たり前すぎて、
話題にも何もなりはしませんよ。
キリスト教の「教え」「道徳」に批判が向けられていることから脱線してしまったら
在り来たりの「宗教信者−反対者の反目」だけで議論が終わりますよ。
ニーチェは理論的な哲学者としてよりも「道徳批判者」として読むべきなんですよ。
785 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 07:22:22
>>782 政教分離ですから、宗教として無理して受け入れる
ことはないかと。そういうのは、日本の文化にもなじみ
ませんしね。
愛とか、日本のキリスト教の言葉というのは、
仏教用語の代用じゃないですか。インカルチュレーション
といって、キリスト教は普通の法事すら、一定の条件
付きで許可されるくらいの調子ですから、あまり日本の
文化からするとメリットは少ないでしょうね。やっぱり、
日本からするとキリスト教というのはずいぶん特殊で、
理解しえないところはありますよ。浸透してませんし。
相対的に、日本ではカルトに近いと思います。
>>785 日本社会でキリスト教がマイナーであることと、あるキリスト教用語が日本語として
普通に用いられているものであることは何の問題もなく両立しますよ。
日本の文化に馴染んでいるかいないかを判断基準にしてしまったら、多くの専門用語・
業界用語が‘意味が不鮮明’‘日本語じゃない’という批判を受けることになります。
「ただ単に、その専門分野の大常識に無知なだけ!」 この事実から自らの目をそらして
ある社会の中でのマジョリティーであることに居直るのは、批判者としても失格でしょう。
>>783 は個人としての意見
ニーチュ関係ない
ていうか他人の頭の中の話ばっかだな。ここでいう邪教ってなに?
真実と違うこと?
倫理感?
教えの矛盾?
キリスト教を信じるということは、それ以外の者は死後に 地獄に落ちると思い込む、ということを意味します。そういう 視線を世間の人たちに見るということです。 あと、サタンとか、反キリストとか、ドグマとしての、いろいろ たくさんの排除のための説明原理や口実をもっています。 しかもそれは教義なので、逐語的に解釈されるのみだという ことです。文字通り信者の都合のいいように思い通りに 解釈されててしまいかねないものだということなのです。 それが魔女狩りにも正当化されて発展しかねないものです。 聖書の神の言葉ありきで成り立っているものなので、もう そこから解釈するしかなくなってしまうわけです。それが 絶対ということなので、他とは相容れないし、それより正しい ということで、利用されたらとても危険だし、信者というもの はあくまでそういう断定で信じているわけです。とくに日本人 はあまり免疫がないし、文化としてなじんでいるものでは ないために、かえって適当に信じるというバランス感覚が もてずに、やたら原理主義的な人が多いと思います。 そのなかでも特に領土拡大的な野心をもったひとが、 心と宗教板にとどまらずに哲学板に布教なり教化の手を 広げようとしているのだと思います。やはりその意味では 普通の人とは分けるべきかと。差別ではなく、区別という ことです。やはり哲学板ですし。 日本でキリシタンを弾圧したのはある意味ではそれだけ 文化が違うということで当然だったのかもしれません。 もし教化されていたら、今よりもずっと暗雲のように悲惨に なっていたかもしれません。それは、海外をみれば日本より 必ずしもそれほど良いわけではないことからわかります。
博愛ってのがそもそおかしい 限定された仲間意織は同時に敵意織を生むわけで、、 それを全人類に広げると結局無感心と変らない
>>788 日本にだって、「悪いことをしたら地獄に落ちて云々」という迷信があるでしょう?
道徳を教える場合に、「悪いことをすれば罰せられ、良いことをすれば幸せになれる」という
言い方で教えるなんてことは万国共通なんじゃないですかね?
いちおう「法」というものがありますが、「その法は何に基礎付けられるのか」といえば、
まず第一に社会通念としての道徳に求められるのでしょうし、「法に触れなきゃ何を
やってもいい」という風潮を歓迎する人は少ないでしょう。
宗教とはまず何よりも「道徳の基盤」であることを理解せずに、宗教的世界観だけを
槍玉に挙げて批判するのは不毛です。
皆が認識しなければならないのは、宗教とは「真」に関わるものではなく、民衆の「道徳・倫理」
に関わるものであるということです。
もしある宗教を「真」だとして押し付けてくる人間がいたら、われわれは理性を用いてこれを
退けるべきでしょう。しかし、道徳上の教えを述べるものならば、それは科学や哲学と矛盾する
ものではないのですから、科学や哲学を用いて反論を述べてもスレ違いに終わるだけ。
いや、かえって、お互いを頑なにし、真と道徳の区別を忘れさせ、両者が越境しあい、殺し合いに
至るのみです。
キリスト教に何らかの面で惹かれ、その教えを守ることで道徳的かつ幸せに暮らせる者が
いるのなら、この者に向かって敢えてキリスト教批判議論をけしかけるべきではありません。
天皇を国家元首として認めないものは日本国民にあらず
>>789 > 限定された仲間意織は同時に敵意織を生むわけで、、
だからこそ、そういうドクサに陥られないように
限定された仲間意識でない博愛を主張するんだろ
勿論キリスト教徒自身が皆、その博愛を実際に実践しているか
どうかは別問題だが
793 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 08:58:01
>>790 ---宗教とはまず何よりも「道徳の基盤」であることを理解せずに---
道徳の基盤になっているからニーチェは批判しているんだろ。
ニーチェ読んだことないだろ。みんな超訳って言っているけど意外に逐語訳だから、一回ぐらい読めよ。
>>悪いことをすれば罰せられ、良いことをすれば幸せになれる ここに「なぜ?」という必要な理屈が技けて神だの天国だの 教えるからダメなんだよ、社会ルールはルールとしてそのまま教えるべき
>>791 天皇が国家元首かどうかは複雑に議論の分かれるところです。
日本国籍を有し、現憲法を尊重するなら立派な日本国民ですよ。
(ちなみに日本国憲法には天皇を元首とする規定はありません)
天皇を神だと思って崇拝しろ、と強制されたらキリスト教徒でない私でも反対しますけどね。
>>793 >道徳の基盤になっているからニーチェは批判しているんだろ。
道徳に対する苛烈な批判者であるニーチェが当時の道徳の基盤である
キリスト教を批判するようになったのは当然でしょうが、このスレでは
キリスト教の世界観を真偽という観点から批判する者がいるので
あのように書いたのみ。
ニーチェを擁護するなら道徳そのものに対する敵対者となることも覚悟しなければ
ならないのだけど、本当にそんな覚悟のある人間がいますかね?
>>792 博愛ですべてを包んだら包まれたことを認識できる者もいなくなり
2世代後には精神上何もかわらないってこと
結局博愛が博愛であると認識されるには自身がが限定をのぞまなければならない
>>794 >社会ルールはルールとしてそのまま教えるべき
ニーチェさんは、強者の支配だの、弱者のルサンチマンだのといろいろ
ルールの起源を説明してますけどね。神が命じたんだよ、という起源の
説明と比べたってどっちもどっちという気がするけど。
ルールなんて糞くらえだ、という気にさせる点でニーチェの説明は煽動的かな。
799 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 09:20:48
>>796 当時の道徳、と、道徳そのもの
は違うのでしょうか。定義されてないので返答しようがありません。
ニーチェの道徳批判読んで喜んでるのはガキの証拠。
ルールってのは人が集まって生活する上での自分の自由と他人の自由の妥協協定 それを破らないための保険が一般道徳でその元になったのが宗教的価値観。 だから本来協定を破らなければ個人の道徳観なんて自由でいい 利潤追求の現代社会において、一般道徳観を植えることは全体としてみたときは 弊害が大きいが、一部の者にはナイスシステムになる。 道徳の刷り込みがあればいいかどうかは結局のところ自身の立ち位置による やはり上で書いてあったけど、精神の檻は人の家畜化を引き起こす
功利主義とニーチェ主義が混ざると最悪で支離滅裂な考え方しか生まれなくなる という見本だな
レイプや監禁はいけませんよ オナニーの妄想だけにしとけ
804 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 14:55:51
じゃあ、なに読んでんの?
805 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 15:05:49
日本は実は十字架国家なんですよ。
完全な自然状態で反道徳的な者が生まれる確立と 刷り込みの反発として反道徳者がでる確立って結局変わらない希ガス そのへん人間に自然に芽生える倫理観を信用してやってもいいんじゃないかな。
807 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 15:24:25
808 :
44 :2005/08/13(土) 15:46:41
>>808 過去及び現在の宗教紛争の頻度と規模を見れば、「宗教から反道徳者が生まれる
確率」のほうが圧倒的に大きいのは明か。
宗教の本質とは、基本的に反社会性(反世俗性)である。
>>808 同意。
キリスト教なんかに調子乗らせたら、807みたいな勘違い
馬鹿が湧き出てくるだけに決まっている。キリスト教ほど
信じている以外に何も特徴のない人の自尊心をくすぐるもの
もない。そういう宗教で自己を正当化しきった人がこれまで、
どんなおかしなことをやってきたか。個人の内面の心の慰め
を否定するつもりはないが、それはキリスト教の宗教に限っ
たものではないし、それが他人の排除の元に成り立つ弊害
があるなら、十分、敬遠してもいいはずだ。
あと、日本が世界でも1,2を争う仏教国であることは、
現状認識として知ってもらいたいし、それをどう受け取るかか。
仏教徒の人口は、中国1億人、日本9千万人、タイ6千万人、
ベトナム4千万人、ミャンマー3800万人、スリランカ1400万人、
カンボジア1200万人、韓国1100万人、アジアとして4億人で、
アジアが世界の大半を占める。
これらのどの国も、人口を考えると、仏教が半分をこえる
割合になっているということだ。国際関係まで考慮したら、
日本が世界で一番豊かな仏教国といえるかもしれない。
自然な神道のフィルターを通っているかもしれないが。
それも「反キリスト」であるならば、結局は日本人の心なり 文化というものは大切にされない人たちなんだろうな、 というのはあたりまえで、宗教というのは恐ろしいもので、 自分の宗教を受け入れないものは、サタンだと思えば 本当にサタンに見えてきてしまう。日本ではマイノリティの ふりして同情を買おうとしても、そういう認識はどこまでも 変わらないわけで、キリスト教のフィルターを通して世界を 見ないと気がすまない、ということなんだから。 つまりキリスト教を特別扱いして受け入れてしまうと、 その文化的・国際的な損害は甚大なものになるだろうな。 いまある文化遺産もそうだし、アジア国際関係もそう。 現実の国際関係には、まったくの平等というのはなくて、 ある一定の割合で勢力均衡というのが現実なのだから。 こういう文化というものは個人でどうこうなるものではないし、 そこまでキリスト教が唯一に普遍的で特別ともいえない。
なんだ、結局
>>808 は宗教は反道徳的で社会秩序に害があるから批判してるのか。
ニーチェの議論とは何の関係もないね。
812 :
44 :2005/08/13(土) 18:35:35
>>811 関係大有り。ニーチェは、反道徳的、反社会的な宗教の代表としての
キリスト教を、徹底的に批判しているではないか。それがニーチェの
全思想の中心テーマ。
彼が批判する道徳は、反道徳的な道徳、即ち人間にとって有害な道徳
である。
813 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 18:42:15
ヒューマニスト・ニーチェの誕生
814 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 19:22:38
キリスト教徒以外は地獄に堕ちるってキリスト教徒は思っているんだよね。 マザーテレサも「こいつらもうすぐ地獄w」とか思いながらヒンドゥー教のインド人の 死を看取っていたのか?
815 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 20:11:30
ぶっきょうって一番つおいんだよね かみさまにげちゃった でもかみさまはぜんぶしってたんだよ
816 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 21:07:40
だから道徳を定義しろっての。 ニーチェは奴隷の道徳を批判したんだろ? じゃあ、貴族には道徳はないのかって話だよね。
817 :
44 :2005/08/13(土) 21:26:14
>>816 道徳の定義
「人間の共同体における、成員間の共生の技術」
818 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 22:03:35
>>817 だとしたら、ニーチェは道徳は否定していない。
キリスト教がつくりだした、歪んだ道徳を否定しているということ。
邪教徒は、その道徳を意図的にか混同するから意味がわからないくなる。
819 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 22:19:45
“自分の言う道徳が「本当の」道徳で、キリスト教の道徳は「偽物の」道徳です”と いう主張がニーチェの主張だと?
キリスト教徒=畜群
821 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 22:37:24
>>817 ニーチェスレの方で人肉を食うだなんだと話がされてるし、便乗するが
例えば、複数人の人間が遭難したりして、そのままだと全員共倒れ、
一人の人間が犠牲になりそいつをみんなで食えば残りみんなは助かる。
って場合は817の理屈では道徳的となる。
>>817 のカキコが"本来"道徳は
>「人間の共同体における、成員間の共生の技術」
であるはずだった という主張なら(同意できるかどうかは別として)
言いたい事はわからんでもないが、ここの問題として取り扱っている
道徳の定義にはやはり不適切だろう。
余談だが、法律的にはこんな極限状態において、
わが身を守る為に他人を犠牲にするのは許されてたはず。多分。
822 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 22:46:59
『キリスト教は邪教です!』107ページに、 彼らは(キリスト教徒)〜〜自分たちが権力を握るために 必要な「徳」のために闘っているのに、 まるで「徳そのもの」のために闘っているような演技をします。 とあります。ニーチェは「徳」は個別なものなのに、 普遍的な徳があるとする発想を批判したのではないでしょうか。
ニーチェ自身普遍的な真理を立てようとしていないか?
なんだこっちで盛り上がってたのか。
>>821 無駄だろ。44は向こうで「本能に基づく道徳」「本能に基づかない道徳」とか言ってるわけだから。
それは本能に基づかない道徳だから破綻するとか詭弁たれるだけだ。
道徳の根源である死の恐怖は生存本能から発生するとか言ってたのにさ。
広辞苑の「道徳」の定義 ↓ どうとく【道徳】 「人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の 善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を 伴うものでなく、個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する 人間の在るべき態度もこれに含まれる。」 ユダヤ−キリスト教の教えは極力「神中心主義」なわけだけど、これは「自分を中心に 世界が回っているわけではない」という大事な道徳を守らせる上で大切な要素なんじゃ ないだろうか。 これは権力者に都合が良くなる面もあるが、権力をも拘束する強力な 規範にもなる。 旧約におけるユダヤの歴史でも、王はあくまで神の教えに従わなければ ならないという点で、ある種の「立憲君主制」が実現されていた。その見張り役が歴代の 預言者。 「自分自身になるための、自分自身の道徳」なんて考え方はそもそもの道徳という言葉と 矛盾するよ。
826 :
考える名無しさん :2005/08/13(土) 23:38:21
広辞苑みたいなデタラメ辞典を使って講釈たれるなよ。 はずかしくないのか?
827 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 09:45:45
ニーチェは道徳を知りません アーメン
828 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 11:45:37
まーニーチェの望む世界ってのは2ちゃんの中みたいなんだろうな。 道徳ないし。罵倒しまくる力への意志だね。
829 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 12:24:06
不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを表されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、 彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は 被造物に現れており、これらを通じて神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地はありません。 なぜなら、神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や獣や這うものなどに似せた象と取り替えたのです。 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、 造り主の代わりに造られたものを拝みこれにつかえたのです。造り主こそ永遠に褒め讃えられるべき方です。
830 :
44 :2005/08/14(日) 14:02:43
>>829 パウロのその言葉によれば、「目に見えない神の性質は、(人間を含む)
すべての被造物」に現れている。そして、創世記によれば「神に似せてすべて
の人間(イエスだけじゃないよ)を造った」。
そうであれば、すべての人間が心身ともに神のソックリさん。それ以外の神
が何故必要なのか。イエス「だけ」が何故神のソックリさんなのか。キリス
ト教は全く矛盾している。
831 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 14:35:54
「Aさんは美少女に『似せて』フィギアを作った」 「美少女の諸性質(美)はフィギアに現れている」 ↓ ここから44は推論する。 「フィギアは現実の少女そのものである」
833 :
44 :2005/08/14(日) 18:44:00
>>832 どこが違う?「現実の少女」とは何?フィギアとどうやって区別する?
現実の少女 フィギア 現実の少女はお腹がすくんだ、そうすると、ソフトクリームを食べたがる でしょう、ソフトクリームがあるところはどこかと考えると、遊園地には ソフトクリームがあるでしょう、遊園地に来たのだから、観覧車やコーヒ ーカップで遊ぶ事になるでしょう、これらが現実の少女だとごく一部の人 は考えているのだろうと話しているのを耳にしたことがある。 フィギアはおなかがすかないんだ、なぜなら、お人形だからね。でも、お 洋服やドライブが大好きなんだ、でも、お昼は嫌い、だから、夜にドライ ブをしてあげなければいけないの。 このように考えている人もいるだろうと聞くところには、区別すると考え 得るのか否か。
835 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 19:52:08
キリスト教の議員って誰?
既に、現実の少女とフィギアを区別している。 どこにあるものが少女、フィギアと考えたのかということになるのか。
これは何だろう、複数であるようだが、複数のものはどのような性質であって、 これらのものはどうして並んであるというのか、そんなところがあり得るところ ってどこ?とでも考えるとわかんねえんだろうな。
838 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 20:19:06
なぜ韓国人にはキリスト教徒が多いのですか?
そうですね、どうしてでしょうね
840 :
44 :2005/08/14(日) 20:55:32
>>838 それこそ、「弱者のルサンチマン」が強いからだろう。
現実の少女とフィギアが区別できない真性ヲタが出没するスレはここですか?
842 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 21:17:10
>>840 そういう問題かいな?
在日もキリスト教徒が多いよね。
韓国のキリスト教はほとんどが統一教会系と考えていいのかな?
44は嫌韓厨であることも判明。 他者の生活心理や存在様態を、自分勝手に高みから断罪して気持ちよくなってるのは 実は44なんだよね。
844 :
考える名無しさん :2005/08/14(日) 23:28:21
日本人のキリスト教徒は在日が多い。
845 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 00:54:14
イエス様の好物はキムチだった...
キムチは日本が発祥だが
847 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 01:54:34
>>829 =44
神の被造物が人に似せられて造られた。イエスが神のそっくりさんなのは旧約聖書にある予言者の
言葉とおりである。もちろん今でもユダヤ教徒はメシアを信じてはいないが。
「それ以外の神」というのはキリスト教以外の神のことを示すと思うが、
まったくそれ以外の神を必要としていない。むしろ、必要という前提が誤っている。
聖書の通り、異教の神を信じることは許されていない。
唯一性をキリスト教は説いている。しかしながら、矛盾点は「イエスだけが神のソックリさん」
ということだが、イエスだけではなくその他の人間も神のソックリさんである。
さらに三位一体の教理を出せば神とイエスと精霊は一体なのである。
イエスオンリーが神のソックリさんである訳はすべて聖書に示されている。
それがオカルトであるとしても、前出の西方キリスト教においては正統とされている。
848 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 01:56:12
いつまでお伽話やってんのん?
しかしキリスト教の行くところどこでも血が流れるね。 まあイエスも「私は剣を投げ込みに来た」と言ってるくらいだから仕方ないのかね。 右の頬と左の頬を打たせて余裕かましたあとに 剣でやっつけて、死体を隣人として愛するのがキリスト教だね。
850 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 11:57:27
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」は侵略者が侵略された側に対して言うセリフ キリスト教の歴史は侵略と虐殺の歴史
851 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 12:01:19
イスラームもな。
852 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 12:08:05
キリスト教もイスラムも、両方ユダヤがルーツだからね。 結局問題はユダヤなんだよね。
853 :
44 :2005/08/15(月) 12:17:33
自然の人間性からかくも隔絶した、ユダヤ・キリスト・イスラム一神教の 異常さ。まさに、人類に巣食うガンである。このような化け物のような宗 教が、一体何故発生したのだろうか。ニーチェの「キリスト教は邪教です!」 は、その原因についても示唆を与えてくれる。
854 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 15:58:22
ドゥルーズのニーチェ解釈はほとんどインチキ。 ニーチェを悪用したのは、ヒトラーよりポストモダンだね。
855 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 16:01:55
ユダヤのルーツはエジプトだから、結局エジプト文明が全部悪いということになるのかね。
856 :
44 :2005/08/15(月) 16:53:02
>>855 エジプトは多神教社会だった。それを変質したのが、ユダや教。
エジプトの1ファラオが創設し、結局はエジプトを追われた一神教の熱心
な信者であったのがモーセ。
モーセはエジプト人を殺し、ミデイアンの町に逃げこんだ「お尋ね者」だった。
(出エジプト記2章)
モーセが率いてエジプトから脱出したのは、エジプトから追放された賎民や
レプラ患者の集団だった。
フロイトは、「一神教は心的外傷の後遺症であり、精神障害の症状以外の
何物でもない」という趣旨のことを述べている(「モーセと一神教」、フロ
イト著、ちくま学芸文庫)。
857 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 17:04:14
>>856 しかしアトン一神教革命をしたのは時のファラオですよ。
エジプトの宗教は悪くないでしょ。 とりあえず現地球上で最大の悪の宗教の一つがキリスト教。
859 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 17:20:02
仏教にもヒンズー教にも原理主義があるしジャイナ教はキリスト教に 負けないぐらいの弱者救済。結局、大宗教の権威が個人の自由を拘束している という程度の発想で、大宗教を叩いているだけなのではないか。
44はニーチェスレで赤っ恥をかいたので このスレを主戦場にしました
861 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 18:22:03
>>860 ニーチェスレ、ROMってたよ。
こういう人2ちゃんには時々いるよね。
1.極論を最初に放ってカウンターパンチ(のつもり。客寄せにはなる)
2.反対レスがついてくるのを楽しみつつ、自説を荒っぽくドライブ
3.専門知識のある人か、注意深い人、あるいは議論慣れしている人から
鋭い切り返しを受ける
4.ひとつひとつに答えているうちに2.でやってたお遊びのツケが回って来て
矛盾だらけになり、自爆。
ここでも同じことやるのぉ?(・∀・)つ/口チン☆
862 :
考える名無しさん :2005/08/15(月) 21:54:53
ROMってるだけよりよっぽどいいや。w
863 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 17:05:31
>>857 ときのファラオはたしかラムセス2世だったんでは?
アクナテン一神教革命は一代で敗れたが、地下に潜っていた残党と接触した可能性はある。
864 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 19:17:15
出エジプト記って史実なの?
865 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 20:54:51
キリストっていたの?
866 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 22:54:40
「全知全能の神」から擬人色を消したのが「唯一絶対の真理」 だから一神教の世界からしか科学は生まれえなかっただろう と誰かが言ってたな
867 :
考える名無しさん :2005/08/16(火) 23:11:48
科学には反証可能性がある 一神教にはそれがない。 以上。
科学は唯一絶対の真理を探求するもんではない
869 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:23:15
科学はキリスト教の最大の敵 って超訳に書いてあったよ。
870 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:33:06
結果論だねええ
871 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:34:48
ケプラーは自然現象を数学的に裏付けた人としては先駆的だけど、 駆動霊という霊魂が惑星を動かしていると信じていたそうだよ。
872 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:39:18
ニーチェを熟読している諸兄に聞きたい。 今度の衆院選、どう判断してどう投票したらいいのか。 ニーチェ的に答えて欲しい。
873 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:45:12
小泉首相は公務員へのルサンチマンを煽っているので 亀井新党へ投票するといいと思われるよ。 民主党その他はブルジョアへのルサンチマンに凝り固まっているので 論外とおもわれ
874 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:51:59
小泉は邪教徒ブッシュに追従しているので 亀井新党へ投票するといいと思われるよ。
875 :
44 :2005/08/17(水) 01:53:31
>>872 答えは簡単。生を強化する政治家に投票すればよい。観念に走り生を弱化
させる政治家では、国民の生が危機に瀕する。
876 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 01:55:37
民主主義そのものを嫌悪してるニーチェを引き合いに出して 選挙がどうのこうのと、お前ら馬鹿か? 「ニーチェの主張に共感します。選挙にも行きます」 こんなものはニーチェを 手前の都合だけで解釈し振りかざしながら、今の権利は捨てたくない根性なし。
877 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 02:20:13
じゃあ、投票棄権ということでいいですかね
878 :
44 :2005/08/17(水) 02:25:10
>>876 生の欲求から派生する、共同体形成維持の欲求に思い至らなかったのが、
ニーチェの限界。
879 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 03:01:10
ニーチェは共同体を否定していませんが?
ワーグナー→ニーチェ→ハイデガー→ヒットラー
ワーグナーのすさまじい芸術的才能はニーチェなど比較になりませんが
882 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 10:14:53
???
883 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 12:54:33
ニーチェとヒットラーはほとんど関係ないと思うが
そんな屁理屈、ドイツ人には通じんよ
どうしてゲットーを敷かなければならないのかを考察したものはありますか?
886 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 14:46:07
>>884 (多くの)ドイツ人って未だにヒトラーとニーチェを一括りにして
ダブー視してるのな。
ニーチェにこれ以上ないくらいボロクソに言われてたドイツ人(笑)
887 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 17:57:13
だからドイツ人はレベルが低い。 ヒトラーのせいにして、戦前の歴史を否定したのがドイツ人。 それをしなかったのは、ハイデガーなどの一部の知識人のみ。
888 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 18:04:15
このスレは「キリスト教は邪教です」。 レス者は全員ニーチェのつもりなのか?
889 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 21:45:17
なんやって?
890 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 22:27:07
お前ら本のこと書けよ
891 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 22:36:20
>>881 ニーチェの「ツァラツストラはかく語りき」の人気に便乗して作曲したのが、ワーグナーだろう
892 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 22:57:22
リヒャルト・シュトラウスだよ
893 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 23:28:44
そうだったw 失敬
おいおい ドイツ、オーストリアでの当時の知名度 ワーグナー>>>>>>>>>>>>>>>ニーチェ だぞ。 R・シュトラウスの曲と間違えたとかそんなレベルの間違えじゃないだろ。
895 :
考える名無しさん :2005/08/17(水) 23:51:55
イスラエルではヴァーグナーの作品を自由に演奏することはできない。
バレンボエムが演奏してんじゃん。 近頃は演奏できるよ。 イデオロギーでワーグナーを聴く時代はとうの昔に過ぎ去ったんだよ。 もともと音楽のプロはそんなワーグナー像は抱いていなかったけどな。
>>886 >(多くの)ドイツ人って未だにヒトラーとニーチェを一括りにして
>ダブー視してるのな。
単純に一括りにしてるわけではなく、ニーチェにはどうしても議会制民主主義を否定して
エリート主義、民族主義、保守革命派に都合の良い文章を抜き出せる面があるということだ。
そういうニーチェを全面的に擁護することはドイツの良識派の知識人には難しい。
オルテガほどに洗練されているならまだしも、政治音痴だったニーチェは政治的にどうとでも
利用されやすいんだよ。
898 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 01:18:13
保守革命派って何?
「保守革命」でググれや ヴォケ 386,000 件もヒットするぞ
900 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 04:02:54
あはは
901 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 12:56:09
ニーチェの「アンチクリスト」は頭の悪いサヨクこそ読むべき。 アメリカ追従の保守派=反民族派もね。
このすれ見て思った 宗教って歴史を尊重するくせに歴史から学ぼうとしないアホなんだな
903 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 15:04:58
歴史も尊重してないかもよ。 超訳によると、キリスト教会は自分たちに都合のよいように、過去の歴史を書き換えたそうだし。
SF作品の設定にのめり込んだ電波さんと同じだな
905 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 21:50:47
イエスとキリスト教は関係ないかもしれないが、 イエスにもその責任の一端はあると思う。
906 :
44 :2005/08/18(木) 22:19:10
>>905 責任の一端どころか、聖書に書かれたイエスの言動が真実だとすれば、
イエスの責任は大きい。ニーチェが批判するキリスト教の問題点は、
そのようなイエスの言動にすべて萌芽がある。ニーチェのイエス個人
に対する批判が不充分なのは、キリスト教社会における彼のぎりぎり
の自己防衛のためか。「反キリスト者」の訳者原佑氏は、その巻末解説
で、「ニーチェがイエスその人の教えを否認しなかったということは、
ただちにそのまま、ニーチェがそれを是認したと解され得るであろうか」
と疑問を呈している。
907 :
凡人 :2005/08/18(木) 23:14:26
人の心を集団的自己愛に取り込んで人生〈命〉を利用するのが宗教商売です。 キリスト教は戦争を起こす為に大きな力に利用されているだけです。 蒙昧意識の支配する人の社会に於いては愛智の意を会得した人間は東洋にも見あたりません。 愛智の真意を会得すれば知能が育ち素晴らしい知恵が産まれる様に人の心の仕組みはできて要るんですけどね。 愛智の意の会得は人が人間として生きる為に必要不可欠な事で有り誰でも分かる簡単な事です。 人と人間の違いが分かりますか? 間と言う文字の意味は思惟の及ぶ限りの全てを自己の持つ最高の精神を持って愛する事です。 この愛が智を育てる事を愛智と言います 人は集団的自己愛の基で争いを産み出し母なる地球を食い荒らす尤も下等な生物です。
908 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 23:34:50
>>906 原爆投下の責任はアインシュタインにあるのですかな?
アインシュタインは自分がやるべき研究をやっただけ。
そして、その研究結果を原爆に用いられた。
イエスは?
自らが生きるべき生き方で生きただけ。
そしてその生き方、お望みとあらば「教え」、が
キリスト教教義に仕立て上げられた。
キリスト教の成立はイエスの死後であるからな。
両者に責任があるのか?
あると言う奴が言えばある。
ある不都合に対して「誰々に、何其に、責任がある」とさえ言えばいい。
やっぱり原爆の責任はアインシュタインにあるよな。
彼がいなければ原爆は作られなかったのだから。
なぁ、好んで他人を十字架にはりつける腐れキリスト者よ。
>>906 確かに、ニーチェのイエスに対する態度は煮え切らないものがありますな。
自己防衛のためなのか、イエス個人を攻撃するのはニーチェをもってしても
何らかの心理的抵抗があったのか・・・
910 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 23:40:23
というかイエスは単なるキチガイでしょ。 それを利用して権力を握ったのがパウロ以降のキリスト教会
う〜ん・・・ レベルの低い議論が続いてるね
912 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 23:51:57
44のせいだろう。 誰か寝た触れよ。
この手の粘着はそう簡単には引っ込まないよ。 44は哲学板初心者ではないし。
914 :
凡人 :2005/08/19(金) 00:15:51
ニーチエもキリスト個人も蒙昧意識の支配する社会に於いて啓蒙を説いていたのでは無いですか? 当時、少しでも体勢に逆らえば命を失う時代に頑張っていた人達を無下に非難はできません。 世界経済のダローバル化に伴い昔より遙かに弱肉強食の悲惨な今の社会を少しでも良くする為に 皆さんは何をしていますか?
ニーチェの時代、反体制でもそうそう殺されやしませんよ。 ナチ時代ならともかくね。
916 :
凡人 :2005/08/19(金) 00:50:37
ニーチェの時代は現代と同じに社会的に抹殺されると表現するべきでしたね。
19世紀末のドイツで無神論唱える程度じゃ社会的にも抹殺されんよ。 ニーチェを16世紀の人間と間違えてないか?
918 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 03:08:23
だからニーチェは無神論ではないとうのが、 「アンチクリスト」というか、この「キリスト教は邪教です」の骨子だろうが。
919 :
凡人 :2005/08/19(金) 04:01:10
今の時代でも真の正義を唱える者は抹殺されます。 アラブ諸国で正義を唱える者は長生きできない、と言われています。 歴史は善意では動いていません。
イスラム諸国では正義とはコーランに書かれている法・掟のことだよ。 神から切り離された正義はない。 イスラム諸国でこういう正義を唱えることは至極まっとうなことです。 歴史と正義は乖離しがちだというのはまっとうな意見。 ただし、そこをなんとか結び付けようとして宗教運動が現れる。
921 :
凡人 :2005/08/19(金) 04:41:20
神は人が作った、人が作った神を心から切り離さないと正義は産まれない。 本当の神は六十五億全ての人々の心の中に宿る良心と自然の営みのみ。
そういえば鈴木光司の小説「ループ」で、 コンピュータネットワークで行われた仮想世界創造プロジェクトを中断した理由が、 莫大な予算だったとかいう、やたら現実的なオチだったな。
923 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 10:01:11
本当にキリスト教は邪教だよ!! ぷんぷん
で、もうスレの残り100ないけど、 結局この本どーなのよ。
925 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 15:13:51
一般人の意見→面白かった ルサンチマンにかたまっている哲学科院生の意見→駄本
926 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 15:24:02
高度情報化社会じゃ何でも陳腐化するのが早いからな。 専門家は専門性が保てるようにますます頑張らんと名。
927 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 22:34:24
928 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 00:39:03
僕はこの本を読んで人生観が変わりました。
929 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 11:28:22
ドゥルーズはニーチェ、フロイト、マルクスを現代思想の源流に据える考えを否定し、 フロイトとマルクスは現代の文化の源流だがニーチェは反文化の源流であると述べている。 家族によって生じた病を今までとは別の家族によって治そうとするフロイトと 国家によって生じた病を今までとは別の国家によって治そうとするマルクスを、 「地平線の上で脱コード化されつづけている物を再コード化する」と批判し、 ニーチェはコード化されえないものを流通させようとしていると賞揚している。
930 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 11:44:48
ニーチェはルソーのような反文明主義を哲学(または哲学評論)に 持ち込んだヤシと判明しました。
931 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 12:17:26
反文明じゃなくて反近代だろ 近代以前に文化はあるわけだし。
932 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 12:20:33
ルソーの出世作、「学問芸術論」は、学問、芸術、技術の進歩は人間を堕落させ不幸にする という内容のものだったそうですよ。そうではなくてニーチェの話?
>>928 そんなに?!
早くうちにも届かないかなぁ
934 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 16:30:01
香山リカが『キリスト教は邪教です』を2ちゃんねるの文体と非難していた。 自分の範囲外のものは、すべて2ちゃんに結びつけるのが、ここ最近の香山の論調。 香山は終わった人間なんでどうでもいいけど。
たしかに駄本だった。ブクオフで買えばじゅうぶんだったよ
936 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 17:33:16
↑ 香山か?
937 :
天之御名無主 :2005/08/20(土) 17:35:31
金成日マンセー
938 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 17:50:58
>>934 思考停止確信犯って大抵何かをひた隠しにしてるようなキガス
何かを…
939 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 18:17:07
>>920 「歴史」と「宗教」の齟齬ってことか?
なるほど宗教運動の突発的な発生要因の一つかもねえ。
>>921 >本当の神は六十五億全ての人々の心の中に宿る良心と自然の営みのみ。
というためにも、
六十五億全ての人々の心の中に宿る良心と自然の営み
とは別のところに神がいなければならない。
人が神を作ったのなら、作る前から神がいなければならない。
それを作ることが出来ない。
941 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 20:25:36
↑ 香山か?
942 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 21:52:58
一時威勢よかった44マダー
943 :
凡人 :2005/08/20(土) 22:11:25
邪教では無い宗教を教えて下さい。 心の取り込み詐欺で利益を挙げないと全ての宗教団体は倒産します。
944 :
凡人 :2005/08/20(土) 23:08:25
940さん 神は全ての人々の心の中に良心として存在しています。 存在の有る神がいるのにわざわざ神を作る必要は有りません。 団体を組まない本物の神は争いを起こすことは有りません。 三行目の頭の「本当の神は」が抜けていますがそこに神の存在を示して有るのにわざわざ争い好きな神を作る必要は有りません。 人が作らずとも神は全ての人々の個々の中に良心として存在していますので最初から作る必要が有りません。 世界に八十万の宗教団が有りそれぞれの神を掲げていますがどの神が本物で残りは全て全て偽物ですか? それとも全ての神が本物ですか?全ての神が偽物ですか?おしえて下さい。
そんなことよりも私は
>>943 がメール欄にメアドを晒してるのが気になる。
946 :
凡人 :2005/08/20(土) 23:50:42
943より 945さんメール欄にメアド、、、、、気になるの意味を教えて下さい。
947 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 01:39:06
なんですかね 良心って。
948 :
凡人 :2005/08/21(日) 02:26:26
良心、物事の善悪を判断して悪を退ける心と認識しています。 良心の稀薄な方もいますが心の中から完全に消し去る事はできません。
949 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 03:08:23
>>948 ここニーチェのアンチクリストのスレってわかってます?
950 :
凡人 :2005/08/21(日) 03:28:00
949さん 哲学を書物で覚える事をしていませんので分かりやすく教えて下さい。 貴方自身の人生に対する思いもお聞かせ下さい。
951 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 04:53:36
>>950 とりあえず哲学を書物で覚えてください。
「善悪の彼岸」でも超訳でもいいけどさ。
>哲学を書物で覚える事をしていませんので すげぇなw
ネットで覚えてるのか。
954 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 19:10:08
955 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 20:50:15
>>906 ニーチェはキリストの弟子たちの大罪を糾弾してるんでそ?
956 :
凡人 :2005/08/21(日) 21:29:00
ネットと哲学書の何処に哲学に関して有意義な知識が有りますか? 哲学は全ての事象を自己の良心と対話を繰り返し全ての悪意を持たぬ人々が納得のできる答えを見いだす学問では無いのですか? 皆さんが哲学書をお読みに成って知識を増やす事は心の手抜き工事と思います。 他人の考えをひけらかす事が皆さんの哲学ですか? 読み覚えた知識が全て正しいと思い込んでいませいか? これからは自分の考えだけで論議をしましょう。 その方が愛智の真意を会得できるとおもいますよ。
>>956 まだ発言したければ早めに名無しになることをオススメする
俺はもはや聞く耳持たないが
958 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 22:33:02
以後、956は無視ということで4649
959 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 00:10:12
で、超訳の話はどうなったの?
駄本で決まり
劣化コピーというか、翻訳という名目で出された訳者の自説本 ここでのニーチェは訳者の脳内ニーチェに過ぎない ちゃんとした訳を嫁
劣化コピーw ちげえねぇww
963 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 01:53:50
宮崎哲弥は大胆で正確な訳って褒めてたけど、どうなのかな。 読んだ人の意見が聞きたい。
964 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 02:03:33
大胆ではあるが、正確とは言い切れない。 罵倒気味、ルサンチマン丸出し、仏教褒めすぎ、哲学者叩きすぎ。
超訳というのは正確さを犠牲にして、極力「分かり易さ」や「訳者自身による演出」を 追求したものだろ。 読むなとは言わんが、これを読んでニーチェの原典を読んだとは思わないほうがいい。 「アンチクリスト」を底本にした入門本程度のつもりで。
966 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 04:28:11
仏教褒めすぎ、哲学者叩きすぎはむしろニーチェに問題があるような・・・
967 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 05:14:44
968 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 06:13:50
ドイツ語読める人間がここにはいないという事実。
969 :
適 ◆tPLXpo1ExM :2005/08/22(月) 10:27:05
>>956 他人の考えを自分の言葉で語れるようになれば、それは自分のものになっていて、
他人の考えをひけらかす事ではないと思います。
もこうなったら、凡人さんが新しいスレを立てるしかない。
ニーチェもオレ哲学の肥やしか。
971 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 14:49:51
カントを全否定したところが面白い。
972 :
凡人 :2005/08/22(月) 17:41:10
愛智の真意は全ての人々の心の中に有ります。 何故、わざわざ他人の意識を自分の意識とする必要が有りますか? 自分で探求を怠り楽な道を選んだ結果では無いですか。 多くの哲学書のどれが正しいと言えますか? 多くの人の考えを覚える事で依り多くの迷いが生じる。 結果、記憶力の無価値な論争を産み出す。 それが哲学の現状では無いでしょうか? 真実に腹を立てても進歩は有りません。
973 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 17:43:38
アナーキー
凡人さんは本を読まないのですか。 読むのならどんな本ですか。 人の考えを覚えるために哲学書を読むのではありません。 プラトンなどは面白いですよ。プラトンの考え方などもそうですが。 物語としても、昔の人も世界があることに驚いて、存在や正義について考えています。 凡人さんが言うように、そんなものなくても考えることは出来ます。 考えるというのは一人きりの作業です。 しかし、凡人さんも読んでみたら、自分とは違うより良い考え方に触れられるかもしれません。 昔の人も不思議に思うことは変わらないんだなと、心動かされるものがあります。 哲学の現状というのもおかしな言い方です。 凡人さんが言っているのは、哲学会のようなものでしょうか。 真実(我々がある)ということに誰が腹を立てることが出来るでしょうか。
975 :
凡人 :2005/08/22(月) 21:51:27
974さんえ 誰の心の中にも有る愛智の真意は学び取る事はできません。 愛智の真意は自己の良心と問答を繰り返せば簡単に会得する事ができます。 そして愛智に依って育った知能が蒙昧意識の作り挙げた全ての仕組みを明らかにします。 結果、人為的に作られた全ての現象に不思議と言う事は無くなります。 哲学を求める真意は地球の自然を守り、奪い合い、憎しみ合う人類史を自由と平等を重んじる 平和な社会に幸転に導く手段の最初に愛智の真意を探求する必要が有ると考えています。 楽しく無ければ人生では無い、と言うのが私の考えですので雨の日も風の日も晴れの日も、 道ばたの雑草の伸びるさまを見ても生きている事の実感を覚えます。
976 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 22:36:15
てr
977 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 01:48:54
ネタか?
凡人の心性は奴隷だね。腐った臭いがする。
979 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 03:05:43
980 :
凡人 :2005/08/23(火) 12:44:11
知能の低い人は自分の思考の範囲を超えると腹が立つ、そして相手 を卑下して自分の気持ちを納める。 練馬の哲人さん、もっと冷静に自分の哲学の思いを聞かせて下さい。 それとも何も無いのかな?
凡人さんの思考では、「スレ違い」という概念は思考の範囲を超えますか そうですか
982 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 16:02:00
昨日電車の中で金髪の女子校生が読んでいた
983 :
凡人 :2005/08/23(火) 19:47:23
少し刺激を与えて錆び付いた哲学板をオーバーホールした方が張り合いがでますよね。 私の思考に範囲は有りませんので大丈夫です。 刺激的な言葉は相手の反応を促す時に少しだけ使います。 気に触りましたらごめんなさい。
984 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 22:14:06
錆び付いているのはおまえ
>>975 それは人間様の都合にだけ立脚した、利己的な世界観なのでね。
君はエイズ・ウイルスの内にも、愛智の精神を発見できるのかね?
986 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 22:18:49
ニーチェの永劫回帰の思想と、キリスト教批判はまったく結びつかないような 気がするが、どうしてニーチェは永劫回帰にまで行ってしまったのでしょうか。 やっぱり気が狂ったからかな?
987 :
考える名無しさん :2005/08/23(火) 22:23:34
ニーチェなりの仏教理解をもとに、キリスト教を否定したあとの ニヒリズムを克服しようとしたのでしょう。単にキリスト教を 否定するため神を否定するだけだと、神を知っているという人を 否定するいわゆる否定神学(神秘主義とか)と区別がつかないので 仏教を迂回する方式を取ったのでしょう。
988 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 00:30:35
それじゃニーチェも宗教になってしまいますよね。 永劫回帰っておかしいですよね。
はあ?あったま 大丈夫?
990 :
考える名無しさん :2005/08/24(水) 00:45:52
あったまってなんですか?
あったまっていきなよ。残暑厳しいけど。
992 :
凡人 :
2005/08/24(水) 01:55:07 985さん 君の哲学に対してのの思いがもしも少しでも有れば、この板に記して見ませんか? 何も無ければ結構です。