805 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 01:54:54
>>802 >「観念」は、各人の脳内で百人百様だから
ほう、観念は脳の中にありますか。
それじゃあ、観念は空間的存在ですね。
もちろん、物質のように実証可能ですね。
結論としては、観念はちゃんと実在しますね。
>>804 「真」と「真理」は違うでしょう。
辞書的な意味でも、「いつどんなときにも変わることのない、
正しい物事の筋道。真実の道理」と書いてある。
今現在最も高い山は富士山だが、それはいつどんなときにも
変わることがないのかどうか?というのが真理かどうかという
議論になると思うが。
>>805 観念は脳の機能である。
機能は空間的存在でもないし、物質のように存在しているわけでもない。
例えて言うならば、運動のようなものだ。
運動している物質は実在するが、運動そのものが実在しているわけではない。
808 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 02:17:17
>>806 真と真理が違うなんて、それこそ日本人限定の話をされても困る。
君はtruth-valueとかtruth-tableという言葉を知らんのかね?
809 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 02:18:46
>>807 >運動している物質は実在するが、運動そのものが実在しているわけではない。
その考えが、まさに伝統的な西洋形而上学の根本であると、いつか君が気付くことを願おう。
810 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 02:27:43
働 け よ
811 :
44:2005/08/26(金) 02:28:55
>>799 西洋哲学者は、彼らの言う真理が、実はそのような誤謬であることを自覚し
ていない、ということが、ニーチェの言いたいことではないですか。
ところで、「初心者」ではないあなたは、ニーチェ自身は、何を根拠として
「真理は誤謬である」と判断したのかという基本的な点を、理解しています
か。
>>805 観念を生じる脳細胞は、物質として実在するが、その機能としての観念その
ものは知覚できないから、実在ではない。
そもそも、人間界は共同体なのだから、(物質が)実在するということは、
その成員の不特定多数人がほぼ同一に知覚できるということ。さもなければ、
「妄想」「幻覚」と呼ばれる。
812 :
44:2005/08/26(金) 02:36:50
>>804 それらの真偽の判断は、すべて現実界との照合による。そして、現実界とは、
五感で知覚される世界をいう。
813 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 02:38:31
>>811 ということは、「時間」も「社会」も「言葉」も実在しないということですね。
あなたの意見はわかりました。
814 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 03:03:08
はいはいころすころす
>>811 あなたは西洋哲学確立以降(これはポスト・ソクラテスととって良いのですか?)
そしてニーチェ以前までの哲学を西洋哲学、西洋形而上学と呼び、素朴実在を根拠としない
空論としていっしょくたに無効宣言しますが、話はそんなに簡単ではないと思います。
西洋哲学、西洋形而上学の本質、と一言で言い切るものが存在しないからです。
確かに、物質に対しての精神の優越、キリスト教神学の多大な影響などは傾向としてあり
ますが、あくまで傾向であって、それが破産すると西洋哲学全てが破産するようなもの
ではない。もう少し、誰々の思想、○○的××論はニーチェによって完全に粉砕された、
みたいに具体的に書いていただけるとありがたいです。
>西洋哲学者は、彼らの言う真理が、実はそのような誤謬であることを自覚し
>ていない、ということが、ニーチェの言いたいことではないですか。
その通りだと思いますが、これが直ちに、素朴実在論に基づく生物学的事実という現実が
全ての根拠だという主張になるわけではありません。
ニーチェは批判者ですから、視点の「変更」そのものが重要なのであり、新たな絶対的視点の
提示をしようとしたのではない。そう読んでしまうと、俗っぽい社会ダーウィニズムしか出て
こない気がします(このへんは反論されるかもしれないが)。
あと、「真理は誤謬である」はなかなかやっかいな文だと思います。私は「真理は、人間独自の
必然的仮像である」くらいの表現のほうがニーチェ思想を言い表していると思う。
ニーチェは真理や普遍がない、と言っているわけではないのです。
むしろあると言っている。
816 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 03:19:09
>>815 >あと、「真理は誤謬である」はなかなかやっかいな文だと思います。私は「真理は、人間独自の
>必然的仮像である」くらいの表現のほうがニーチェ思想を言い表していると思う。
ただし、そうするとニーチェが揶揄しまくったカントと同じになるという罠。
ニーチェ自身がカントを読んでたらもうすこし慎重な文を書いただろうが、
まあ、仕方ないね。哲学に関しては素人に毛が生えたような人なんだから。
>>816 そうそう。結局は「判断力批判」でカントが展開した目的論と区別がつかない
と言わざるをえない。ポスト構造主義者らのアクロバティックな読みを別に
してリテラルにニーチェを読んでみると、でカントとどう違うの?
という問いにニーチェはほとんど答えていないと思いますね。
818 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 04:06:42
結局、仏教が真理ってことか
>>808 宗教で真理という時は、時間や空間を超えて真であるという
意味が含まれていると思うが。
これは日本人限定の考え方?
820 :
44:2005/08/26(金) 10:17:47
>>815 ソクラテスやプラトンは、精神異常の宗教信者だったそうですが、若しそうだと
すれば、西洋哲学の起原そのものが、怪しげなことになる。
>>816 カントの思考の基盤は何ですか?それが「生物としての人間の生の欲求本能」で
なければ、ニーチェの批判をもろに受ける対象となる。ニーチェがカントをよく
読んでいないことなど、問題ではない。あまりアホらしくて、読む気がしなかった
だけでしょう。
821 :
44:2005/08/26(金) 10:40:06
皆さんのお話には、カントを初めとするドイツ観念論哲学者の名前ばかりで(マル
クスも、唯物論者を自称しているが、実はヘーゲル直系の観念論者)、イギリス
建研論が出てこないのは不思議ですね。思想に偏りがあるのでは。カントに始まる
観念論は、結果としてマルクス主義による大虐殺を生み出しただけ。初めから問題
にならない。
ニーチェも、イギリス経験論を批判しているが、それは、彼の国民意識に基く感情
的な要素が多く、完全な否定にはなっておらず、また否定できるはずがない。ニー
チェの真の好敵手は、妄想に過ぎないドイツ観念論ではなく、イギリス経験論では
ないでしょうか。
822 :
44:2005/08/26(金) 10:42:35
823 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 12:03:12
屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。
ポール・マッカートニー
「仏教」「地獄絵図」ってキーワードで検索してみてください。
というよりしてほしいと思う。
ひよこはオスだとわかると数十匹袋に入れられて圧迫されて叩き殺される。
食肉される牛は最後涙を流すこともあるらしいです。
片脚を鉄のチェーンで縛られ逆さまに吊るされ、宙に浮く。悲鳴を上げる。
牛は自らの重い体重を支えられず、
吊るされた脚は脱臼し骨がバキとへし折れる音が解体場に鳴り響き、
牛の頭は人間が持ってきた解体する大きなまな板のよな台に首が乗って目は充血し、
パニックになり鳴きつずける。
人間はノコギリのような刃物で首に切れ目を入れ、
その瞬間に動脈が切れ大量の血が滴る。。
・・・生きてる鶏を吊るして羽をむしりとり首を切って、
中には動脈でつながり意識ある鶏を熱湯に放り投げフタをする。
俺このサイトみてから改心した。
「牛の作文1、2」ってコーナー見て人間は戦争をやめろだとか平和を願ってるけど、
家畜の動物たちに待ってるのは地獄。安楽死させてると思ってた。
もしくはガスの中で意識薄れていく中で死んでいってると思った。
だけど、現実はそうじゃなかった。涙というよりショックで肉食べれなくなった。。
人一人がベジタリアンになると80の命が救われるらしいです。
俺は宗教あんま信じてるほうじゃないけど
そんなんじゃなくて普通にベジタリアンになろうと思った。俺が食べないことで
少しでも殺される数が減っていることになるならいいやなんて思った。。
グロテスクな映像は見なくていい。命ってなんなのか。文章だけでも読んでほしい。
ここを覗いた人が何かしら家畜たちに対して感じてほしい。
国道16号線を走っていた時、
赤信号で止まって前のトラックの隙間から見えた牛と目が合った。
大きな瞳がすごく潤んで見えた。。
それから16年間肉は食べていませんって書き込みに泣いてしまった。
霜降り和牛が高級品だと知っているのでしょうか
825 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 12:09:00
826 :
166:2005/08/26(金) 13:36:52
久しぶりに来てみれば……
>>820 それは815の主張と全くかみ合っていない反論だと思う。要するに反論になってない。
起源が怪しいからその後も怪しいとするとデカルトをふまえたスピノザに共感するニーチェはおかしい。
>>821 >カントに始まる
>観念論は、結果としてマルクス主義による大虐殺を生み出しただけ。初めから問題
>にならない。
その論法で言えばショアーを引き起こしたニーチェこそ問題にならない。
マルクス主義がダメなのはいいがそれは別問題である。ソヴィエトはマルクス主義的ではない。
>>819 論理学で真というのは時間と空間を超えて真だということだ。
827 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 13:43:30
ニーチェの思想って矛盾してる気がしてきた
828 :
44:2005/08/26(金) 14:55:02
>>826 君が44をスルーしたのだから、君も、そんな他人の「借り物」「受け売り」
の思想ばかりでなく、自分自身の思想の体系を構築してみろよ。
スピノザもニーチェも、西洋哲学の毒を残していることは指摘したとおりだが、
少なくとも彼等はそれを実質的には克服しているとは思わないかな。
デカルト、スピノザ、ニーチェを同列にしながら、マルクス主義とソヴィエ
トを同列にできないのは矛盾であり、意図的な言い逃れに過ぎない。マルクス
主義とソヴィエトとの関係のほうが、はるかに密接ではないか。
表面的に見れば、ニーチェとヒットラーの思想は確かによく似ている。しかし、
ユダヤ教から発生した一神教の思想(ニーチェが批判して止まなかった)が、
現在、人類の癌細胞であることは明白であり、ヒットラーは、この癌細胞は
全摘出以外には治療法はないことを、素朴に直感していたのではないだろうか。
それに、前レスで、ニーチェとナチスとの関係を否定したのは、確か君では
なかったか。
最近の研究結果によると、ナチスによる犠牲者は2500万人、これに対し
マルクス主義による犠牲者は1億人。この数字をどう見るか。
829 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 14:57:26
屠殺場の壁がガラス張りだったら、人々はみな、ベジタリアンになるでしょう。
ポール・マッカートニー
「仏教」「地獄絵図」ってキーワードで検索してみてください。
というよりしてほしいと思う。
ひよこはオスだとわかると数十匹袋に入れられて圧迫されて叩き殺される。
食肉される牛は最後涙を流すこともあるらしいです。
片脚を鉄のチェーンで縛られ逆さまに吊るされ、宙に浮く。悲鳴を上げる。
牛は自らの重い体重を支えられず、
吊るされた脚は脱臼し骨がバキとへし折れる音が解体場に鳴り響き、
牛の頭は人間が持ってきた解体する大きなまな板のよな台に首が乗って目は充血し、
パニックになり鳴きつずける。人間はノコギリのような刃物で首に切れ目を入れ、
その瞬間に動脈が切れ大量の血が滴る。。
・・・生きてる鶏を吊るして羽をむしりとり首を切って、
中には動脈でつながり意識ある鶏を熱湯に放り投げフタをする。
俺このサイトみてから改心した。
「牛の作文1、2」ってコーナー見て人間は戦争をやめろだとか
平和を願ってるけど、家畜の動物たちに待ってるのは地獄。
安楽死させてると思ってた。
もしくはガスの中で意識薄れていく中で死んでいってると思った。
だけど、現実はそうじゃなかった。涙というよりショックで肉食べれなくなった。。
人一人がベジタリアンになると80の命が救われるらしいです。
俺は宗教あんま信じてるほうじゃないけどそんなんじゃなくて
普通にベジタリアンになろうと思った。
俺が食べないことで少しでも殺される数が減っていることに
なるならいいやなんて思った。。
グロテスクな映像は見なくていい。命ってなんなのか。文章だけでも読んでほしい。
ここを覗いた人が何かしら家畜たちに対して感じてほしい。
国道16号線を走っていた時、赤信号で止まって前のトラックの隙間から
見えた牛と目が合った。大きな瞳がすごく潤んで見えた。。
それから16年間肉は食べていませんって書き込みに泣いてしまった。
830 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 15:00:23
>>826 それでは、
>>804の富士山云々というのは誤りでいいんだよね。
一時期の日本では最も高い山は富士山ではなかったわけだし。
832 :
166:2005/08/26(金) 16:22:00
>>828 いや、論法の問題を指摘しているのだが。
>スピノザもニーチェも、西洋哲学の毒を残していることは指摘したとおりだが、
>少なくとも彼等はそれを実質的には克服しているとは思わないかな。
だとしたら西洋哲学の中からその毒を克服した哲学者が出てくる可能性は有るのに
西洋哲学自体を否定するのはなぜか。
そういう哲学者はすでに哲学者ではない、と言うかも知れないが現代人は
バタイユすら哲学者と分類している。(本人が否定しているにもかかわらず)
>デカルト、スピノザ、ニーチェを同列にしながら、マルクス主義とソヴィエ
>トを同列にできないのは矛盾であり、意図的な言い逃れに過ぎない。マルクス
>主義とソヴィエトとの関係のほうが、はるかに密接ではないか。
どちらも同列に語るべきではない。
>それに、前レスで、ニーチェとナチスとの関係を否定したのは、確か君では
>なかったか。
改めて、マルクスとソヴィエトの関連性を否定する。
826と矛盾すると思うかも知れないが、826で「その論法で言えば」と断っている。
44は主張する権利を有する。これは当然のことだが、
反論に対して稚拙な応答しかできないのならば議論にならない。
議論をするためにはもうちょっと勉強を。説教がしたいのならば宗教板へ。
>>831 地理的に言う「日本」の定義がその一時期と違わないのであれば、
当然、そういうことになる
833 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 17:16:39
>>832 >だとしたら西洋哲学の中からその毒を克服した哲学者が出てくる可能性は有るのに
>西洋哲学自体を否定するのはなぜか。
西洋哲学の「思考の基盤そのもの」を覆さない限り、その毒を完全には消すことは
できない。だから「否定」と言っている。ニーチェは、まさにそれを試みたので
ある。
>改めて、マルクスとソヴィエトの関連性を否定する。
ソヴィエトは、マルクスの教義の「無意味な」実験ではなかった、とでも言うのか。
君は、マルクス教の信者だということだな。
今村仁司は、その著書「マルクス入門」(ちくま新書)の中で、すでに破滅した
マルクス理論を懸命に擁護しているが、マルクスは「人間は精神的動物である」
という前提に立っており、彼の唱える下部構造には、上部構造である筈の精神論
がたっぷりと含まれている。唯物論と自称しながら、内容は西洋観念論そのもの
である。
>議論をするためにはもうちょっと勉強を
君の言う「勉強」とは何?ひたすら本を読み、他人の借り物の知識と思想を蓄積し、
原理ではなく、言葉の枝葉末節を追求することか?それこそ、小学生の「お勉強」
なみの稚拙さではないか。それは、「学問」ではない。従来の見解を批判し、自分
自身の体系を構築するに足りる「脳味噌」がないということだ。
834 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 17:29:41
835 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 17:55:43
728 名前:考える名無しさん 投稿日:2005/08/20(土) 22:24:30
なんつうかね。このスレを楽しく見ている者としては
44のような妙な盛り上げ力がある人がいるといないとでは全然違うんだな。
子供のおもりのような166は自分で話題を展開するには至ってないし、
>>713=
>>719に至っては、閉鎖的で独善的でほかの参加者の気持ちを考えていない。
きみらのレスのやりとりが始まった瞬間、スレが硬化したよ。
誰も書き込まなくなったのはどうしてだと思う?
836 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 21:54:00
166さんが、44を毛嫌いするのは、44がどの本にも書いてない、トンデモ説
を持ち出すからだと思うよ。しかしね、本に書いてあるからという理由であり難が
ったり、正しいと思い込むのが大間違いのもと。事実、書店の書棚にあふれている
哲学書には、大したことは書いてない。特に、観念論哲学などは、現実を突き付け
れば、一発で吹っ飛ぶ砂上の楼閣ばかり。論破するのは、赤子の手をひねるような
もの。2ちゃんねらーなら、誰でも簡単にできる。キリスト教も同様。
これに対し、経験論哲学、プラグマテイズム、それに実証的宗教としての仏教などは、
手強い相手。厳然として実在する人間自体を、思考の基盤をしているから。
837 :
考える名無しさん:2005/08/26(金) 22:04:14
入門書数冊でその思想を極める44スタイルを流行らせよう!
838 :
166:2005/08/27(土) 00:13:48
>>836 確かに「本に書かれた哲学」が正しいと思うのは間違いの元というのもわかる。
だが、ある程度認知された学説に対して反論するにはやはりしっかりとした論拠をもって
反論してもらいたい。でなければ膨大な時間をかけて一から議論するハメになる。
……まあ自分はそもそもニーチェ得意じゃないし自分より知識のある人に書き込んでほしい。
>>833 マルクス教の信者ではない。マルクスの誤謬とソヴィエトの失敗は別だということだ。
焦点の合ってない批判は無用。
>>837 流行ったら困る。
839 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:26:15
>>836タイプの観念論攻撃者は間違いなく観念論と現象学の区別もつかないレベルなんだよな。
そもそも本に書いてあるから正しいという主張は誰一人してないしw
このタイプの幼稚なアカデミズム批判をして、自演がばれないと思ってんのかい?>44
840 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 03:34:09
釈迦とニーチェ、人類最深はどっち?
841 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 05:22:08
どっちもウンコ
842 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 06:41:18
843 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 11:04:13
釈迦が深く見えるような人間の浅はかさには恐れ入るね。
844 :
44:2005/08/27(土) 12:13:10
>>838 「ある程度認知された学説」って何ですか?そのような「既成の権威」に
縋り付くことこそ、ニーチェが最も批判していることですが。
常識的な質問に対しては、「膨大な時間」をかけないでも、日常語による
数行の説明で足ります。本当に理解していれば、それが可能なはず。
哲学とは、所詮は、通常人の生活感情や思考を、論理的な言葉で表現した
ものに過ぎない。さもなければ、「哲学って一体何?」ということになる。
「だれでもわかるニーチェ」(河出書房新社、定価¥1143)を、書名に
惹かれエ買ってきたが、多くの人々が、それぞれ勝手に自分のニーチェ評価
を語っている。「ある程度認知された学説」など、どうも見当たりません。
竹田セイジ先生は、哲学素人の44とほとんど同じ意見を言っています。
「マルクスの誤謬とソヴィエトの失敗は別」などと言っても、普通の人には
通用しませんよ。一昔前の、マルクス教徒の学者や文化人のソヴィエトや中共
礼賛の醜態を忘れるべきではありません。あなたは今でも「共産主義ユートピ
ア」の建設が、世界のどこかで可能であると夢想しているのですか。人間性の
洞察を欠くマルクス主義では、絶対にうまく行かないことは、賢い人々には
とっくに判っていたことことです。
>>836は、44でした。
845 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 12:20:01
>>844 マルクスの唯物論は観念論の一種だと言うけど、44君が素朴に
「物質は実在する」と素朴に言うとき、それは既に観念論なんだよ。
物質観なんてのは時代時代の自然科学によってぜんぜん変わる。
最も観念的なのが「物質」という観念。44君は本能が人間の
拠って立つところだというが、本能と言うのは環境によって
決まりきった(決定論的な)反応をするだけのものだろ?
すると人間には自由意志がないことになる。あるいは神だけが
自由意志があるということになる。神に干渉されるのは
が自由意志でありそれは災いであるという事になる。そういう
アホがこの板にもいる。しかしそういう人間や説が力を持つと、
神の視点から世界を再構築しようとするソ連やそれに似た
悲劇に繋がるんだよ。
>>845 44じゃないが、本能は大脳旧皮質および間脳の仕事、
自由意志は大脳新皮質の仕事と考えれば、
「本能が人間の拠って立つところ」と「人間には自由意志がある」
というのは簡単に両立するよ。
847 :
44:2005/08/27(土) 12:52:10
>>845 五感で知覚される物質が、実在する(と見なす)ことは、観念論ではない。
むしろ、人間の生そのものである。どんなに偉い哲学者や宗教家でも、飯
を食うとき、「この飯は本当に実在するのか」と考えて食う者はいない。
色即是空、されど空即是色である。
同様に、腹が減る、セックスしたい、(自他の)死が怖い、そして、困って
いる他者に対する憐れみも、本能、即ち生の欲求である。
自由意思は、これらの本能を基盤として成立する。この基盤を無視するのが
観念論であり、本質的に生物である人間の変容と破壊を招く。
848 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 13:52:43
>>847 意識は実在するのかい???
それと、本能万能論ということになると、たとえば殺人は本能だから殺人は正当化されるとか、
そういう展開になるんだけどそれについてはどうよ?
足元の意石に注意されよ
850 :
44:2005/08/27(土) 14:15:46
>>848 意識の発生源としての脳やその神経伝達物質は、五感で知覚できるから、
物質として実在する。意識は、脳の「機能」であり、五感で知覚できない
から、(物質として)実在しない。
「何故人を殺してはいけないか」というのは、愚かな問いである。人間に
限らず、すべての生物は、独りでは決して生存も種族維持もできないこと
を、これも本能的に知っているから、生存本能から共同体形成維持の本能
が派生する。簡単に言えば、「人を殺すのは嫌」だからであり、共同体
本能の面からは、「人を殺せば、自分も殺される」ことになるからである。
共同体は、複数の「自分」から構成されている。
仏教では、この原理を、誠に簡潔に、次のように言う。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひき
くらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(法句経)
851 :
考える名無しさん:2005/08/27(土) 14:19:54
>>850 意識が実在しないとなると、意識ってのはなんなのさ?観念???
852 :
44:2005/08/27(土) 14:31:54
>>851 意識の発生源である脳細胞に聞いてくれ。死ねば意識もなくなるのだから、
意識そのものは生の徴候であり、観念ではない。「意識とは何ぞや」など
と考えることは、観念である。
853 :
166:2005/08/27(土) 16:31:21
>>850 こいつを殺したくらいじゃおいらは殺されないな、と思って殺すのはありなんだな。