哲学と言葉遊び

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1代行人
「哲学なんて言葉遊びじゃん」とよく言われます。

ちなみにわたしは哲学と単なる言葉遊びとは違うと考えている。
例えば自分は哲学のおかげで人間的にかなりマシになったと思う。
プラグマティズム的に言っても、その意味で哲学は価値がある。

しかしだ、こうして哲板を見ていると、反面「こりゃ言葉遊びだろ〜?」って思うような
書き込みや議論もまた沢山存在しているわけです。
個人的にはそういうのを排して、哲学をより実用的にしてゆきたいと思う。
そう言う哲学も、普通の人からしたらちっとも実用的じゃないだろうけど。

というわけで、言葉遊びと哲学の線引きを試みたいと思うのだが、
残念ながら今からバイトなので、おまいらあとは頼みましたよ。


2考える名無しさん:2005/07/10(日) 23:19:01
哲学が言葉遊びに見えたことは無いけど、
そういう方法もあるんじゃないかとは思う。
3考える名無しさん:2005/07/11(月) 00:26:48
以前、彼女にこう質問された。「哲学は芸術であるか?」

そんなん言葉遊びだよ、と答えておいた。芸術だったら何なのさ・・・って思ってね。
4考える名無しさん:2005/07/11(月) 02:18:43
言葉遊びに見える哲学言説ってのはある。
ポストモダンとか。

既成の言葉で全く別のことをイメージして語ってるから多義的でとりとめのない話に聞こえるんだよ。
それはたぶん言語生産力の貧困のせいだろ。
つーか言葉への甘え。
既成の言葉を使うなよ。
新しい概念は新しい言葉を作って語れよ。

で、人に理解して欲しかったら翻訳辞書もつくっとけってことだろ。
明治の人間はみんなそれやったんだろ。
5考える名無しさん:2005/07/11(月) 20:30:10
実際の行動にほんの少しも影響しないものは言葉遊び。
6考える名無しさん