201 :
考える名無しさん:
メ
202 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 14:51:52 O
小泉=ウンコ(笑)
辺見庸が死ぬ前に対談でもしてほしい。
青筋野郎同士で傍で見ている分には面白いはず。
基本的には、新書とか一般向けの哲学本書いてる人には
青筋系が多いんじゃないのかねえ
「青筋系」って言葉なかなかいいね
209 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 00:38:27 0
まあ社会学も青筋系多いけどね
ネタかもしれないけど一応。
kalliklesは伊勢俊彦氏のしゅごキャラじゃないよ。ケロケロ。
550 :名無しさん@社会人:2007/04/26(木) 01:45:03
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20050718 『マーサ・ヌスバウム、ジュディス・バトラーを批判する』
「日本でバトラーやコーネルをもちあげている人びとは、いったいどういう理解をしているのだろうか。
多くの場合、そういう人びとは政治哲学や法哲学や文学の専門家で、バトラーやコーネルを「哲学者」と
見ているような気がする。正統の哲学の人びとは彼女たちを哲学者とは認めないだろう。」
551 :549:2007/04/26(木) 10:11:25
伊勢さんは知ってますが、この件に関しては彼に反対します。
大学で金もらって「哲学」教えてる人が正統派?
笑わせてくれますね。
wつけたくなる気持ちを察してくださいよ。
まあ、哲学者の定義なんてどうでもいいですけどね。彼も聞かれたらそう言うでしょう。
45 :考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:22:30
日本でバトラーやコーネルをもちあげている人びとは、いったいどういう理解をしているのだろうか。
多くの場合、そういう人びとは政治哲学や法哲学や文学の専門家で、
バトラーやコーネルを「哲学者」と見ているような気がする。
正統の哲学の人びとは彼女たちを哲学者とは認めないだろう。
46 :考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:24:16
予言する。
お前は誰にも認められない。
鶏の脳みそでも哲学できますか?
1 :考える名無しさん :04/06/08 11:11
3歩歩いたら忘れてしまいます。
2 :考える名無しさん :04/06/08 11:15
コケッ
3 :ウン子 :04/06/08 11:17
、_ _......
、、_ ノヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ └゛゙゙゙´`ヘ─¬_
なんだこのスレオリジナルの言葉じゃないのか
青筋系の反対ってなに?
ッツmmmmmミッ
ッツmmmmmmmmmミッ
ッツmm>'"´ __,,  ̄`丶mmミッ
ッツmシ'´ _ ,ニ_二 三‐`、 `ヾmmッ
. ツm彡' ,' _,..-ュ ̄ fニ三三ミヽヾmmッ
ミm彡! :丶/|::/!!:. :. .:ミ;=`゙' ヾmm',
mmリ ,'f r",,ゞィ_, i :. ヨ ●ヾ ',mm!
mm{ ' イ●ノ"´,:,! ' "'ーヘヽ Nlハ⊥
mミリハ .: '""_,.ノ,' ,. }、 tf{´i, l|
. Wリ小! .: ,ゞ・ ・'' ヽ `!) Vl
ゞ干ミ} : / _J_ 丶 }'´ / <癒し系カナ☆
'、Yヾ :. ( "'-三-''" ) / ノ
ヾ.f'、:.:. '´ '"~"' /l'´
ヽ._):.:.、 ,. ' l
トi、ヾ:.. 、 _,. - ' |
/^ヾ!、丶 ` ¨""´ |
/ヽ 丶、 `¨¨´ ト、
/::::::::::丶、 `丶、 丶 | rゝ、
220 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 01:46:20 0
内田ジュ系
221 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 02:17:33 0
『ドゥルーズ/ガタリの現在 達成と限界』
平凡社 小泉義之、檜垣立哉、鈴木泉 編著
没後10年以上を経た今でもなお、使える思想家の筆
頭であり続けるドゥルーズ。こうした俗流ドゥルーズ
主義の風潮を前に、哲学者としての到達点と限界を示
すべく、多様な30人の研究者により行われた共同研
究の成果。
A5判 728頁 予価5250円(本体5000円+税)
11月刊行予定
これは是非とも読みたいな。鈴木と小泉が共編ってだけでもかなり。
しかし30人分の論集で、720頁越えかぁ。5250円なのもしょうがないか。
最近出たきっちりした単行本は江川のものしかなかったから、これは買っておこう。
おー「使える思想家の筆頭」ときましたか。
いいアオリだ。
> 二・三の点についてだけ、論点を意図的に曖昧にして記しておく。
> ●『ドゥルーズの哲学』における進化の〈ゲーム〉の事例に関して。そこでは
> ゲーム理論応用進化学説を直接に論じようとしているのではなく、ドゥルー
> ズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
> 採って(典拠の名は伏せた)、その水準に合わせて論じている。だから、そ
> こに対する批判・批難の過半はその進化学者に向けられるべきものである。
誠実さの欠片も見あたらない。すごすぎるな。
226 :
sage:2007/10/17(水) 16:44:29 0
>>225 や、批判してるからあえて典拠挙げてないんだと思われ。
なんで批判するときに典拠あげないの?
228 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 22:50:48 0
>>225 ドゥルーズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
採って、その水準に合わせて論じている。
kono bunn no imi wakatteruuuu?
229 :
225:2007/10/18(木) 13:36:55 0
>>228 >
>>225 > ドゥルーズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
> 採って、その水準に合わせて論じている。
>
> kono bunn no imi wakatteruuuu?
読んだその通りじゃだめなんですか?その「進化学者」が馬鹿だという
含意がありそうですけど。
230 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 16:17:08 0
読んだそのとおりだよ
そして、その下に続く文章でさらに細かく書かれてる
231 :
225:2007/10/18(木) 18:53:41 0
そうですか。
スレ違いだけど外山恒一が檜垣立哉を批判してるな。口調はちょっと青筋系かも。
檜垣立哉『生と権力の哲学』(いいこと云わない人たち@)
http://www.warewaredan.com/blog/2007/10/post_104.html 昨今のインテリ左翼どもが、いかに混乱した認識をもって、わざとなのか
単にアタマが悪いからなのか、その混乱を詐術的な論法で糊塗していくかが、
はっきりと露呈している箇所である。もしこれを読んで、「なんかおかしい」
と感じることすらできないないようでは、あなたもこの著者の同類、つまり
昨今のダメなインテリ左翼の一人だということだ。もちろんそんな連中に、
「権力に『抵抗』することは不可能」だし、「グローバル化し、収容所化する
現代世界の中で、『ポジティヴ』に戦い続ける希望を提示する」ことなど
できるわけがない。
公的な領域と私的な領域が曖昧にされ(「なり」? いや「され」だ)、
そこに発現する「暴力」が現在、「権力」とかそれに対する「抵抗」とかを
考える時に最重要なテーマとなっていることはまったく事実である。セクハラや
DV(やここには挙げられていないがストーカー)の問題がその典型的な事例で
あることも、まったくそのとおりである。
だが、問題設定というか、位置づけ方がまったく間違っている。
ここではまるで、私的な領域である民間の男女関係の中で男個人が女個人に
対して行使する「暴力」が、アメリカの「反テロ戦争」に典型的な、国家間の
衝突ではない形で展開している現代の戦争において行使される「暴力」と同質
の問題であるかに語られている。
違うだろう。
いや、たしかに両者は同質の問題である。
しかしその意味は、「反テロ戦争」的な国家権力の発動形態と、単なる民間
の個人的な男女間のイザコザに警察や裁判所を介入させたり、そのための新規
立法をおこなったりするという国家権力の発動形態とはまったく同じである、
ということだ。
233 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 01:38:26 0
憐憫
234 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 10:04:21 0
学部学生必読文献すごいなw
おまいらの事が書かれているのだから
心して読め
237 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:23:01 0
凡才のほうは別にわざわざ言わんでもって感じするけど
みんな自然とそうしてるんじゃないのかな
>>235 そもそも凡才は哲学なんか専攻しちゃいかんよな。
手に職つけるべき。
凡才学部生が小泉流の多読に挑戦して、
結局は全部消化不良で
立花隆の出来損ないみたいなのが量産されたら困る。
240 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 10:00:01 0
挑戦する奴がまったくいないのも困るけど
問題は、いま哲学教員してる連中が、
小泉のいうレベルで多読してきた奴は殆どいない
という点だろうな。
自分がやってこともないことを学生に薦めることなど
できるはずもなく。
242 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 12:36:02 0
まあ、アレは煽りみたいなもんと思うがね
衝動にまかせてとりあえず実効性のないことを言っちゃうという思考の特徴が現れてるな。
244 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 21:11:45 0
実効性がまったくないとは思わないけどね
初学者には
ここらへんを読んでいけばいいのかという指針にはなるでしょ
俺は〈東大出版会UP BIOLOGY〉の存在すら知らなかった
個人的にはコレだけでも収穫
245 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 02:31:30 0
しかしブログで書いてるものに政治センスの欠片さえないのは
彼の本を貶していた連中と同じなんだね。
しょせん目糞鼻糞たちが知ったかぶり競争を続けてるだけかと。
246 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 09:25:14 0
へええええええ
蓮実と浅田は評価しても、柄谷は評価しないタイプかと思ったら、違うんだね。
「ある解放運動」って何なんだろ
249 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 15:15:06 0
同和かなと思ったけど
わからん
>同和かなと思ったけど
あ、そうか。
ついでに、「日々の祈り」って何なんだろ
なにこのアホ対話w
必読文献でもしこしこ読んで炉よ
そういや『兵士デカルト』は「戦いから祈りへ」ってのが副題だったな。
253 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:42:40 0
クリプキの「ナチス」の名をめぐる断章
これってどの本に入ってるんだろ?
「名指しと必然性」かな
>>253 『名指しと必然性』には「ヒトラー」をめぐる話は出てきてたな。
「ヒトラー」の指示対象を、歴史上他の誰がやってのけたよりも多くのユダヤ人
を殺すことに成功した男、として選び出すことに決めたとしよう。それが、われ
われがその名前の指示対象を選び出す手続きである。だが、他の誰かがこの不名誉
を担ったような別の反事実的状況においては、われわれは、その場合にはその
別の男がヒトラーだったのだ、とは言わないだろう。…われわれは依然として、、
すべての可能世界においてその人あるいはその長さを指示するためにその名前を
使うのである。
「ナチス」についてはたぶんない
256 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 16:43:10 0
>>255 そうなんだ
その話のことなのか、それとも他にあるのか
ブログで書名あげてくれるといいんだけどなあ
しかし、今回のも格好良いねえ。
「死ね!」と言うべきとき
今、一番面白いブログの一つ
259 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 23:05:06 0
ML派ってそっちかww
毛とか出てくるかとオモタのに
たしかに面白いな…。
正直、感動してしまった箇所もある。
たまに情況や現代思想での文章に惹かれていたけど、小泉はいいな。
ところで、素朴な疑問なんだけど、このblogは、2007/9/6より前の記事はないんだよね?
そういえば加藤秀一が最近言及してたな。
小泉義之の「鋭い状況認識」を倫理の平面に織り込んでいかないといけないとか
やはり障害について語るときに、文章がさえるね。
支離滅裂
266 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:56:56 0
小泉義之の最良の仕事は矢張り『兵士デカルトー戦いから祈りへ』だと思われる。
後の仕事でこの著作を超える著論文は未だない。
あと『弔いの哲学』も良質な著作だと思われる。
勿論、結構なアジテーションに満ちているに違いないが、それでも倫理学的に重要な
問題と真摯に向き合う姿勢が見られる。著者は誠実な人だと感心させられる。
特に、堂々巡りの議論の応酬となっている靖国問題等に関して、これまでの左右の側からの
よくある問題の立て方を根本から否定した刺激的な、それゆえ本質的な部分に届いている論考に
なっている。この著作で取り上げられたテーマは、前の『デカルト=哲学のすすめ』の冒頭部分で触れられ、
また『兵士デカルト』においても、述べられていたテーマであったが、「英霊」を持ち出す議論も、「無名戦士」を
持ち出す議論も、ともに肝心要のところをネグレクトして、イマジネールなものとの戯れに耽っているだけに過ぎない
ことを痛打した快著というべきだろと思われる。
『ドゥルーズの哲学』は、扇情的な表現がさらに前面に出てきたために、ひどく評判の悪いものになってしまったが、
著者の志には共感できる。だからこそ、新書という形ではなく、本格的な論文で他分野の専門家の思考を真に駆動せしめるような
立論を展開してもらいたかった。
その他著作があるが、私としては小泉義之の考えの根っこにもなり、事実『兵士デカルト』においても情念論の読解の章だかで
触れらていた政治経済学批判(それは同時に法学批判をも含むだろうが)を展開してもらいたいと思っている。
贅沢を言えば、かつてデリダがロースクールの学生向けに『法の力』を著したように、
現今の社会体制を支える下僕としての法曹予備軍に向けてものを考える契機を与えうる
著作なり何かを出してくれればと念願している。
ブログ読んでると、単に常識的な思考が出来ない人じゃないかと思えてきた。
あと経緯をロクに知りもしないくせに、他人に無限責任を負わせるのはやめてくれ。
一人で黙って祈ってろ。
とんでもなく常識的な人に見えるがな
いずれにしろ、この人のブログはむちゃくちゃ面白い
期限付きなんて留保しないでほしいな
あれが常識的って。常識人というものをずいぶん低く見積もってるな。
常識的というか、266が書いてるとおり誠実な人だとは思う。
はあ。
『弔いの哲学』って、どこも品切れ状態なんですよね。
手元に置いておきたいけど、図書館で借りるしかない。
何とかして中古品が安く手に入らないだろうか・・・。
blog意味わからん。解説してくれ。
blogで理論を一歩一歩作り上げていける人なんてそういないからな。
恐ろしい。でも、そんなに難しいことはまだ言ってないはず。
現在の医療体制の分析として、cancer体制として名指してみたということ
だろう。
先ずはフーコー生政治論の延長線上にあるとみなしてみるべき。
cancer体制として言われているのは、先ずは医療的なpopulationの話である、と。
しかも、別に癌に限ったことではなく、広い意味で医療的な話ととるべきだろう。
病の哲学では、患者の祈り=願いが治癒することにあったとされていたはずで、
それがズラされている、と。
cancer体制に潜む矛盾が何かはわからん。
ただそもそも、治療の標準化といったことは、むしろ医者の分業化とかあるいは医療の
大衆化?普及?として、むしろたんに医療化の一環だと理解することもできる
のでは?
cancer体制というのは、単なる生活の医療化といったものではないはずで、
それとどう違うのだろうか。
Cancer Selectionの話と合わせて考えてみると……
cancerについての概念が医療的に標準化されることで、
それまでcancerの持っていた「死」の表象が
コントローラブルなものとして計測対象となった。
そのため、cancerがそもそも生物の自然淘汰の過程で人体内に生じて
現在の様態に至ったという可能性、
言い換えればcancerもまた「通常の」生体の生活史の
一環に過ぎないという可能性が看過されるようになった。
昔はその生活史の一部分が「死」と絡めて恐怖の対象だったが、
ソンタグ革命後(?)は治療の対象となった。
でも、cancerが「異常」であることにはい〜まも昔も変わりなく〜
……みたいな感じなのかなあ。なんかずれてるような気もするけど。
でも、「cancer体制の矛盾」というのはやっぱりわからない。
cancer標準概念の「その後」に当たるターミナルケアの部分に
矛盾が押し付けられているみたいな話になっているようだけど、
どうつながっているのかが読み取れない。
生物的に「通常」であるかもしれないcancerと死が、「異常」として認識されたまま
医療を離れてホスピスに押し込められている、みたいなことなのかな?
>>275 まとめサンクス。ちょっと見えてきた。もちっと矛盾についてこだわってみる。
たしかにcancerをその嚆矢として、死が病によって評定可能なものであり
「原因」を画定すべきものであるとされ(「ソンタグ革命」)、
実際に評価されていくなかで、研究者―医者―患者を巻き込んだcancer体制
ができたとする。
そのとき、病の「ステージ」によって「治療可能」と評定された生は
cancer体制下で治療あるいは手術がなされ、cancer患者として予後を
すごすこととなる。
でも、「治療不可」「手術不可」として評定された生(と死の絡み合い)は、
cancer体制においてはうまく処理することができない。
なぜなら、医者には「治療不可能」である以上、医療的には対応できないから。
この意味で、研究者―医者―患者というトライアングルでcancer体制を考える
なら、体制の「矛盾」というより、「綻び」がたしかにこの終末期にあった。
この「綻び」は1970年代、cancer体制下における患者の死によって
顕在化するかにみえたが、ホスピスや、死に関わる倫理(生命倫理の一分野、
というより相当に大きな部分)によって覆い隠された。
そのとおりとして、この先どうすればいいのか。
cancerの「治癒」が実際には不可能であり「治療」がなされるだけでしかない。
それはたしかにみんな分かっているし実はこのさき技術的に「治癒」ができる
のではないかと期待してもいる。
しかも、「治療」によって実際に社会生活に復帰して、「治癒」しないまでも
いつか必ず来る死を先延ばしにして<元気>に暮らすことができる人もいる
(それこそソンタグのように!)。この死を先延ばしにする、あるいは、<元気>に暮らすということと、
ホスピスや生命倫理は関わっていそうな気がする。
というか、cancer体制が、このように死を想起させるもの、死から逆算される
ものとしてみなされている?だとすれば、希望というのは、cancerと死の観念連関、
そしてそれをめぐってなされる一連の諸制度からの解放ということになる?
今日のクロ現代は小泉の好きそうなテーマだった
278 :
考える名無しさん:2008/02/25(月) 11:07:46 0
入院中のアルチュセールをデリダが訪問して書き記した美しい小文(松葉祥一訳、『情況』掲載)
これって「アルチュセール追悼」のことかな?
279 :
考える名無しさん:2008/02/27(水) 14:45:58 0
宇都宮時代の馬鹿弟子ですw
「小泉義之」をググる事はあっても2ちゃんねるに来ることはありませんでした。
今回たまたまこのスレにたどり着き、先生のブログがあることに気付きました。
普段の先生は決して単なる青筋系ではなく、
生真面目で誠実ながらも、よく笑い融通も利き、くだけていて明るい方でした。
僕がお世話になっていた当時は「エヴァンゲリオン」が流行っていた頃で、
「他の学部に全話録画している先生がおられるそうですよ」
とお話しすると、嬉しそうに「じゃあ借りに行こう」などと言っておられたのを思い出します。
まぁ、先生の嫌っておられた「駄話」ですのでこの辺でw
ゴシップを語るスレでもありませんしね^^;
ただ、懐かしさと、先生のブログが始まっていた事を知れた喜びで、ついw
「2007-10-15 学部学生必読文献」の結びの一文が、我が事のように胸に迫りました。
『たぶん今生では相見えることのない若き友よ、研鑽に期待します。』
乱文にて失礼。
はてなにあった、京大生かなんかのブログにも、すごく良い人だったって書かれてたな。
281 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 19:18:04 0
>>272 品切れですか。それは残念。
但し、古書店等にあたれば見つかるかも知れませんよ。
古書店の在庫が確認できるウェブサイトも存在しますので、そこで検索して
みては如何でしょうか?
ともかく『弔いの哲学』は素晴らしい。
とかく見落とされがちで、かつ大切なことが述べられていました。
特に大岡昇平を肯定する文章がありますが、大岡昇平の凄みとそれへの共感を
超えた畏敬を読み取りました。「生きて、死ぬ」という根本的な事を、単に量的な問題に
還元して思考した振りをする政治経済学を含めた現在の社会科学のごまかしではなく、
そこに定位して辛抱強く思考に相応しい言葉を探り当てようともがいている小泉義之の格闘の跡が
残っているように思われます。
その「あとがき」において、ソクーロフについて触れられています。おそらく『精神の声』の第一部
のことでしょうが、そこで映されている雪から、小泉義之の出身地である北海道の雪を思い出したことが
か書かれていました。雪国の人が知っている自然の恩寵である、というような表現だったと記憶していますが、
そんな風に人は生きて死んでいくのに、と。
私も北海道出身ですので、何気なく書かれた短い文章でありながらも、妙に胸に響いてきた経験があります。
『弔いの哲学』も、北海道の雪を思い出しつつ書かれたのか、と。
282 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 20:11:08 0
ところで小泉義之と言えば所雄章。
このデカルト研究で知られる碩学の著作が先日江湖に出されました。
所雄章『知られざるデカルトーデカルト研究拾遺』(知泉書館)
決して安い値段ではありませんが、デカルトに興味のある方は、この偉大な碩学の
著作を購入されることをおすすめします。非常に専門的な内容で、いわば書誌学的な
側面がありますが、テクスト読解には欠かせないものと思われます。
これと平行して『現代デカルト論集 T、U、V』を読むと、論文集に収められた各論文の
面白さが倍増するというもの。
283 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 20:34:09 0
小泉の本は『レヴィナス』しか読んだことがないけど、
かなり影響を受けて、その後レヴィナスや立岩真也に関心を持つようになる。
最近は父ががんの手術を受けたこともあって、柳原和子の一連の著作を読んで
いるところで、今日このスレでブログの存在を知った。
cancer体制とか弔いの哲学とか今の俺にとってはぞくぞくするようなテーマで、
これから読ませてもらおうと思う。
284 :
考える名無しさん:2008/03/02(日) 21:09:29 0
ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、
病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するために、
何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。
小手先の改良で済むなどと思っているのか。本当に心の底から、そんな人間たちに、
青空を眺める自由を確保するべきだと考えているのか。そもそも、諸君は、
自由と潜在能力について本気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済との
トレード・オフを口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。
われわれが願っているのは奇跡である。
車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること、医療機器がポータブルになること、
指先の動きだけで意志が伝わること、目蓋の動きだけで武器を破壊できること、
受肉の奇跡を肉体のいたるところで引き起こすこと、
要するに、無力な者に力を賦与することである。
われわれが為すべきは、こんな奇跡のために、政治経済を本気で変更することなのだ。
例えば、水飲み場は無料である。
ならば、無料食堂が設置されるべきである。
無料人口経管栄養補給所、無料人工呼吸器提供場所も、水飲み場の数だけ設置されるべきである。
現代の文化と文明に見合った「食物」の「分かち合い」が制度化されるべきである。
そのための場所ならいくらでもある。学校、役所、公園を使えばよい。そのための人的資本ならいくらでもある。
官僚、公務員、児童・生徒・学生を使えばよい。そして、少し考えればわかることだが、こんな簡単なことですら、
憲法改正や政治経済改良程度では実現不可能である。
アジテーションとしても、かっこいいよね。
せいぜいマオさんの大躍進政策か第二第三のポルポトを生むのに寄与するだけだな。
つまり人間や生物本来の「利己性」を根本から改造するという思想に繋がるしかない。
まぁ善意に満ち溢れたショッカーみたいなもんだな。
小泉先生の哲学オナニーに留まっていることを「祈る」ばかりだw
286 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 00:28:44 0
なんとナイーブな反応だろうか。
小泉義之は毛沢東とはある意味真逆だよ。
むしろ政治的ユニットを前提にして思考することしかできない、その外を見よう
としない者こそ、善意の衣を身にまといつつ、虐殺に賛同して正義を雄叫びを上げる
破廉恥というべきだろうね。
288 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 00:43:02 0
>車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること
そんな車椅子は怖くてのれないだろ。
289 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 09:23:56 0
>>284 まあガタリっぽいといえばぽいな。
昨日テレビを見てたらジュウシマツの話をやっていて、何でも野生の鳥を
人間が飼って改良してジュウシマツにしたということだった。
その中で変わったのは、野生の時には単調な歌しか歌わなかったのに、
改良されてジュウシマツになって複雑な歌を歌うようになったということ。
先生の説明では、野生のときは生きるのが大変で歌どころではなかったけど、
人に変われて餌をもらい天敵もいなくなったことで余裕ができたからということらしい。
よく原始時代は人間は自由だったという人がいるけど、実は人間も文明の中でより
自由になってるんじゃないかとふと思った。
小泉さんが言っているのはもっと人間に自由をということだと思うんだけど、それは
文明を放棄することからは達成されない。むしろ今の不完全な文明をより自由な
文明へと変えていかないと無理なことなんだろう。
カントの読みぜんぜんまちがってるじゃん
批評空間で連載してたドゥルーズ論の続きが読みたい
292 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 21:46:39 0
喫緊の課題は、小泉氏も認める通り、ブルジョア政治経済学批判だろう。
こういう時の小泉氏の舌鋒は、シュールでかつシャープなんだよ。
思うに、小泉義之という哲学者・倫理学者は、やはり骨の髄まで17世紀哲学者の精神なんだろう。
そして小泉氏によれば、近代哲学史とはデカルトが登りつめた高みから滑り落ちる歴史に他ならないわけだから、
近代思想の申し子たるブルジョア政治経済学とは、「天才の世紀」の<普遍数学>への知からすれば、堕落も堕落、
唾棄すべき対象であるに相違ないのだ。小泉氏が、ポストモダンとは別の文脈でドゥルーズや郡司・ペギオ・幸夫らを
賞賛するのは、とりわけ前者がスピノザやライプニッツの研究者であると自認しているところから見ても、至極当然といえば
当然なのだろうね。
医療経済学が耐え難いってなんだよ。
この先生の偉そうな妄想の方がよっぽど耐え難いんだが。
自分も慢性病で長年医者のお世話になってるから、
医療崩壊問題には興味あるんだが、
こういう哲学者の道徳的恫喝は百害あって一利なしだと思うね。
腹立たしい事この上ない。
この人の基本的スタンスって、
*資本主義の生産力とか技術革新力は俺様が認めてつかわす。
*君達が資本主義をやるのは許してやるからその成果を俺様の倫理的欲求のために貢ぐがよいぞ。
ってこととちゃうのん?何様なのかすら?
そしてこの人があらゆる知を動員するのは、
「俺様はこれだけ勉強してるんだから、ついてこれない奴は黙って俺様の倫理に従いなさい」
という恫喝とちゃうのん?
道徳的恫喝であっても世の中を住み良くするのに少しでも寄与するならいい。
でもしないと思いますよ。
むしろ小泉さんの妄想は現場で実際に仕事をしている医療関係者や福祉関係者の足を引っ張ると思う。
まぁ福祉関係者には小泉信者もチラホラいるようだけども。
ほとんどでたらめだから、気にする必要なんじゃないの?
なんらかの影響力をもつことはありえない。
> *資本主義の生産力とか技術革新力は俺様が認めてつかわす。
> *君達が資本主義をやるのは許してやるからその成果を俺様の倫理的欲求のために貢ぐがよいぞ。
何が悪いのか
298 :
考える名無しさん:2008/03/09(日) 17:51:01 0
>>294 小泉の批判はソクラテスと同じように専門家に向けられているのだから
専門家から嫌われるのは当然だな。
そもそも哲学を用無用の観点から見ることがまちがいだろう。
何をもって「道徳的恫喝」とかいってるのかぜんぜんわからん。
くだらん批判だな。
普通に読んだら、別に道徳的でもないし恫喝でもない。
今の医療経済学は既存の企業経営論や経済学の応用だから面白くなくて、
むしろ医療そのものの特徴から経済学を作り直すといった作業をしてみた
ほうが有効なんじゃないかと思うから少しやってみたって話だろ。
しかし、最近ブログ書きこみないな。
もしかして「期限」が来てしまったのかな。
で、小泉さんは「用無用の観点」すなわち功利性を超えようとしているのか、
「有効なんじゃないか」すなわち功利性を目指しているのかどっちなんだ?