1 :
考える名無しさん:
最近超絶カッコイイ小泉先生に導かれながら生命・交雑個体・生殖技術などについて語りましょうヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
ソーカル厨は荒らさないでね(人∀・)タノム
万一荒らされてもヽ(゚∀゚)ノドン (。`・3・)σマイ (n‘∀‘)ηケル
2 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 18:34:26
一人でやってれバーカ
元木氏ね
3 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 18:38:51
4 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 18:44:41
永井廚のボクが徹底的に荒らしまーす
5 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 18:46:09
荒らすと泣くよ?
6 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 20:35:14
まんこ
7 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 20:43:02
セクハラですよ?
8 :
千のプラトー:2005/07/06(水) 22:55:02
ドゥルーズ嫌いだ。あの訳本はざけてるよ、多分。
あらやだ、落ちちゃうわ
10 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 00:58:22
生殖の哲学はぶっ飛びすぎぶっ壊れ振りは日本の人文書の歴史で
抜きん出てんじゃないか。
ぶっ壊れ振りの名言集だな。捨石になることこそ幸い、とかいってるし。
これ自分のことの捨石宣言だよなwwwwwwwwwwwwww
11 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 01:14:22
“街路が自動車によってではなく車椅子や松葉杖で埋められている
ほうが、よほど美しい社会だと思う。痴呆老人が都市の中心部を徘
徊し、意味不明の叫びを発する人間が街路にいるほうが、よほど豊
かな社会だと思う。そのためには何をなすべきかという問題を立て
ています。”(P111)
12 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 01:16:05
「たしかに人生観や政治観や社会観程度のものなら変えることは
簡単ですが、本当の意味での変身は、私たちには無理です。」(120頁)
13 :
永井均:2005/07/11(月) 01:21:50
小泉が存在する意味が分からない
おめーなんかより100倍あるだろw
15 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 10:24:52
生殖技術が万人に解放されたらセクマイでも子供を持つことができるんですよ!!!!
16 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 22:23:06
あげまくりんぐwwwwwwwwwwwwwwww
17 :
考える名無しさん:2005/07/16(土) 00:50:24
このスレは『生殖の哲学』を、使える形に曲解するスレにしましょう。
小泉も言ってたジャン?
曲解してナンボって。
18 :
考える名無しさん:2005/07/16(土) 16:41:39
人間の尊厳って何だろうねえ?
19 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 11:34:19
読んでる人いないの?
20 :
永井:2005/07/20(水) 11:41:50
こいつは説教臭いからな。哲学者としては落第
ぜんぜん説教くさくねーよwwww
22 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 23:55:08
てか小泉はどこに問題意識もってるかさっぱりだね。
てことで哲学者失格。
23 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 00:35:20
「どうして人を殺してはいけないのか」で、
小泉は「どうして人を殺さなくてはいけないのか」
という問いがでないのはなぜかなどと言い返しているが、
「どうして〜してはいけないのか」という問いは、
その行為が「禁止」されているから問うのだ。
子供は親に「どうしておやつを食べてはいけないのか」とは問うかもしれないが
「どうしておやつを食べなくてはいけないのか」とは絶対問わない。
禁止されていないという事に対する問いはそもそも生まれない。
そこら辺の考察が思い浮かばない、
ただイデオロギー防衛のための浅薄な反論しかできないペライやつよの
その禁止も、どうして禁止されているかって問いになるのでは?
25 :
22:2005/07/21(木) 00:45:40
まあ該当の本を読んでくれよ。小泉は道徳の起源については何も考察しないの。
悪いものは悪いって態度。だから浅い。
対談者の永井のほうが続編「なぜ悪いことを〜」でも続けて考察してる。
26 :
25:2005/07/21(木) 00:46:21
間違えた23ね
永井均…。
小泉の本領は生殖の哲学なんだって!読め!
29 :
考える名無しさん:2005/08/21(日) 17:04:34
「私」なんていう近代の遺物にとらわれている永井は現代の小学生以下だって
漢字で書かれているねw
30 :
考える名無しさん:2005/08/21(日) 23:51:04
東北で一番ラディカルと言われた私でもあきれますたよ。
>>30 レーヴィットや木田元を越えた貴君より
小泉の本領&限界を御教授ください。
東北で一番ラディカルだったのは梅木さんですよ
33 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 02:31:49
このスレ残ってたんだw
>>30 あなたは誰でつか?
こいつの本って文章は読みやすいようでいて論理がめちゃくちゃだから嫌だ
あと政治臭い
35 :
考える名無しさん:2005/09/04(日) 02:11:11
『生殖の哲学』を読み終えたところ。
挑発的な書き方をしているが、
管理社会論を生殖を強調してアレンジした感じ。
>>34 >あと政治臭い
政治の話してるんだから……
むしろ、政治的な話をしてるはずなのに抽象論からスタートするところが良いと思うけど。
高橋哲哉とかと違って。
37 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:05:31
age
38 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 07:07:47
ラディカルさが自己目的化したパフォ男。
断末魔の奇怪な奇声。
「なぜ人を殺してはいけないのか」を読み返して
これは「奇書」というほかないとあらためて思ったよ
それほど異様なんだよね、永井の悪意に満ちた執拗な小泉攻撃
虫の居所がわるかったのか私怨でもあるのかって感じ
最初に読んだときは小泉を知らなかったし
永井にそれほど罵られるならチンピラなのかなと思ってもみたけれど
その後小泉の著作を読んだり話を聞く機会がふえてきて
これはトンデモナイ言いがかりだよなぁと感じはじめた次第
このスレで永井を詐称してる厨房は以前の私みたいなヴァカなのかもね
まぁ今の私は永井も小泉も好きですけど
40 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 18:00:37
でもあの本の小泉の言ってることやっぱり
よくわかんなかったよ 永井がいやらしい言い方してたのは認めるけど
永井特有の言い回しとかに対してとか誤解だらけだったじゃん
あと、むしろ突っかかってたのは小泉のほうではないか?
41 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 18:11:49
小泉はソフィスト
人殺なんてどうでもいいぜ、小泉といえば生殖の哲学ですよ
43 :
考える名無しさん:2005/10/05(水) 01:49:10
永井ー小泉なんて対立軸があるのか。
要約すると何?
郵政民営化の是非
46 :
考える名無しさん:2005/10/12(水) 19:35:46
この小泉センセは最初東大の理1類に入学されたのです。
物理志望だったとか
そこで共産党=民青の活動家をしていて出会ったのが若き日の志井共産党委員長。
二人は共に手を携えて活動に邁進したのであります。
しかし小泉センセのほうは学業がさっぱりで留年したりする有様。
そこで華麗に受験しなおすという暴挙に出たのであります。
そして首尾よく合格して哲学科に。
また活動歴もロンダリングしてあたかもマルクス主義なぞ関係ないような顔をして
苦節ウン十年、京都に職も得て優雅に暮らしてらっしゃいます。
皆さんも他人の暗い過去をほじくったりしてないで学歴ロンダ、思想ロンダにいそしむことを
覚えないと未来ありませんよ
ツマンネ
50 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 19:06:51
緊急浮上!
小泉先生の社会契約論批判について女子中学生でもわかるように説明してください
51 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 20:43:35
小泉先生の野グソ事件
52 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:49:38
ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、
病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するた
めに、何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。小手先の改良で
済むなどと思っているのか。本当に心の底から、そんな人間たちに、青空を眺め
る自由を確保するべきだと考えているのか。そもそも、諸君は、自由と潜在能力
について本気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済とのトレード・オフ
を口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。
われわれが願っているのは奇跡である。車椅子がスポーツカーよりも速く移動す
ること、医療機器がポータブルになること、指先の動きだけで意志が伝わること、
目蓋の動きだけで武器を破壊できること、受肉の奇跡を肉体のいたるところで引
き起こすこと、要するに、無力な者に力を賦与することである。われわれが為す
べきは、こんな奇跡のために、政治経済を本気で変更することなのだ。
例えば、水飲み場は無料である。ならば、無料食堂が設置されるべきである。
無料人口経管栄養補給所、無料人工呼吸器提供場所も、水飲み場の数だけ設置さ
れるべきである。現代の文化と文明に見合った「食物」の「分かち合い」が制度
化されるべきである。そのための場所ならいくらでもある。学校、役所、公園を
使えばよい。そのための人的資本ならいくらでもある。官僚、公務員、児童・生
徒・学生を使えばよい。そして、少し考えればわかることだが、こんな簡単なこ
とですら、憲法改正や政治経済改良程度では実現不可能である。
ああ、やっぱり小泉さんはかっこいいなあ
杉田さんだとか野崎さんだとかが影響されるのもよくわかるぜ
うん、格好良いですね。
小泉義之は、やや晦渋ではあるけれども、
世間的なものに迎合しないというその一点で認めます。
ときに感動的なほど常識から逸脱して――
説教にすぎないいわゆる人生哲学とは全く逆の、哲学があります。
小泉純一郎と対極にあると思います。
55 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:23:45
56 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:22:15
飢えた子どもを前に、「君には飢える自由がある」と告げたとしよう。
ひょっとしたら、その子は思慮深くて、「そうだ、私には、飢えて死ぬ権利がある」と
思うかもしれない。そして、自らの理性と意思で、即身成仏よろしく、悟りすまして
死んでゆくかもしれない。そんな子もいるだろうと私は思ってはいる。しかし、
「君には飢える自由がある」と告げる側の者は、飢えた子どもを死ぬにまかせ、
飢えた子どもを殺していると私は思ってもいる。死ぬ自由を告げる者は、
何か罪を犯している。
では、飢えながらも悟りすました子どもがいるとして、その子に向かって、
死ぬ自由があると罪を犯すことなく言えるための条件は何だろうか。
簡単なことだ。その子に水や食物を与えることである。その子が心置きなく生きられる
条件、衣服や家屋、所得や物品、余裕や余暇、必要なら人工呼吸器や人工経管栄養を
与えることである。飢えて死ぬコース以外に、生きるコースを開くことである。
その子が元気になった後なら、死ぬ自由があると告げても許されるかもしれない。
>>56 それ小泉の言葉?カント流の抽象的で当為的な道徳律へのありきたりな批判じゃん。
別に目新しくもないと思うけど。
カントって誰?
59 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 01:00:01
小泉義之の『八月のテーゼ』は良かった。
「最善ではなく次善を選ぶのは市民のやり方だ。最悪ではなく次悪を選ばせ、
最善に転ずるのがわれわれ左翼のやり方である。」というのは本当なのだよ。
60 :
やれやれ、あーあ:2005/11/25(金) 01:06:43
へー、小泉善之さんとやらは、
最善のなにかを歴史的にやらかされたのですか。
素晴らしいですな。
そんなかたの名前は知りませんでしたが、
左翼的にはとっくに世界は最善なのですな(笑)
あったまよすぎーー(苦笑)
頭が良い人たちは、苦労がなさそうでうらやまちい。
>>56 これ、永井との『なぜ人を殺してはいけないのか?』に収録しておけば幅が出たのになあ。
オルタナティブ、不在の選択肢によって自由があるというのは、まあよくある話なんですが、
別の場所で芥川の『河童』について話してて、生まれるかどうかを選択できるだけでは
何か超越論的な自由では全然なく、生まれるかどうかを選択する場面を選択できないと、と。
要は「極限」概念の虚構性というか、一挙手一投足ごとに規則が変化してしまうみたいな。
0.999…が1に等しいという収束の予定調和を使ってるのが嫌だというのと同じことなんですよ。
まだ上手く小泉を要約できないんですけど、彼の主張の驚きは価値観の生成にあると思う。
62 :
やれやれ、あーあ:2005/11/25(金) 01:08:53
皮肉というか、
ある意味、本当にそういう人間が、
そういう発言をして、自信満々でいられるという、
その人間性のつくりが羨ましい。
皮肉半分、実感半分、本当にうらやましい
やれやれ。。。
どうでもいいけどコテはDQNの代名詞
名無しできらりと光る書きこみをしてくださいな
聞く耳は持ってますんで
>>63 そうとも限らない。文脈を重ねることで、同じテクスト量で多くを意味できます。
ちょっと保守的だけど、貨幣の使用に比する固有名の使用は合理性があります。
やれやれ、あーあさんのことでは?
>>64 詳細な「アスペクト論」をどっかにアップしていてそれを言えば説得力あるんだが
67 :
考える名無しさん:2005/12/23(金) 13:29:28
小泉さんって、ドゥルーズの鎧を使って、結局は自分の妄念をいつも述べている人のことでつか?
69 :
考える名無しさん:2006/01/09(月) 23:36:54
あげ
70 :
考える名無しさん:2006/01/15(日) 00:59:22
さすがに高橋哲哉スレがないのには笑った
71 :
考える名無しさん:2006/01/24(火) 12:09:42
あっげ!
72 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 20:52:21
ラチオの論文読んだ?あげ
しかめっつらの写真だけ見た。
74 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 15:02:37
ちくま新書593
病いの哲学
小泉義之
良心オナニーキモス
76 :
サイコキラー:2006/03/15(水) 15:36:20
小泉義之は へたれ
77 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 12:09:13
どこが?
78 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 12:20:34
答えろよ
人間は欲望の奴隷
腹減ったとか、タバコ吸いたいとか、酒飲みたいとか、セックスしたいとか、
肩こったとか、眠いとか、寒いとか、だるいとか・・・・
そういったものに突き動かされて毎日毎日動いてる機械のような物です
死ぬまで奴隷です
小泉義之はへたれじゃないと思います。
へたれとかいう言葉で簡単に片づけようとしている人こそ
へたれなのだと思います。
確かに何かというとヘタレって言いたがる馬鹿いるよな。
ホントにヘタレなやつはいるけどね。
小泉のドゥルーズ論ってどうなの?
83 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 04:09:52
クズ。
小泉のドゥルーズ論のおかげで開かれた部分は多いと思う。
85 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 10:55:41
例えば?
股。
87 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:29:16
ドゥルーズといえば小泉。。ドゥルーズと言えば桧垣。。。
そんなもんどうでもいい。貧相すぎる。
88 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:30:25
ひっこしのサカイのおっさん。
89 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 02:47:19
日本哲学界きっての最過激派でしょう。好きだけど。
90 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 21:01:18
弔いの哲学最高!
靖国問題より弔いの哲学の方がいいよ。
ついでにゴキブリとか天然痘ウィルスとかも繁殖させればええやん?
なんか自分のショボイ妄想をレヴィナスやドゥルーズで権威づけしてるだけちゃうのん?
哲学の論文はたいがいそうだろ
根拠付けの作業が権威ある他人の言葉をもってきて終わる場合が多い
94 :
考える名無しさん:2006/05/20(土) 09:06:59
病の哲学はこの人の書いたものにしては珍しく読みやすいね
狂ったドグマ←精緻な論証
まずは太田竜レベルのオカルト的結論ありき。
自分の妄想を正当化するために哲学を使ってるだけだな。
道徳的恫喝の道具としての哲学。
大庭健といい勝負。
具体的に
具体的に批判するとなると、俺ごときの頭ではなかなかムズいw
まんどくせーし。とりあえずごく端的に。
『病の哲学』の序文に、こうある。
「仮に論争をしたいのなら、本書で紹介する程度の水準は踏まえてほしい云々」
けだし恫喝ではなかろうかwwwwwwww
手前勝手な「祈り」を防御するために、精緻な哲学で身を鎧っている。
オレ様の神聖なる倫理を批判したければ、この哲学の防護壁を突破してこいとな?
そんなの職業哲学者ならともかく普通の人には無理。
たかだか
「潔く死ぬより無様に生きよう」程度の通俗道徳でも言ってるようなことを、
なぜ、そこまで擁護したいのか?
それこそ系譜学的に明らかにして欲しい感じ。。
いやあ、じつは隠れマッチョなだけなんですよ。てへへへ。
「顔」の筋肉は確かにマッチョだな。
あのしかめっつら力入り過ぎ。
祈り殺されそうだわ。
101 :
考える名無しさん:2006/06/23(金) 03:33:19
↑大きなお世話(笑)
不毛な過激さ。こいつがいくら力んでも屁しかでないよ。
104 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 16:06:06
105 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 16:09:54
↑アフィリエイトな件。
tigaudaro
>>102 結構同意
ところで2005年末からある哲学書を訳してるってなんの本だろ
108 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 19:00:54
『負け組みの哲学』をちょっと立ち読みしたら
(と言っても1ページの半分も読んでないけど)
むしょうに腹が立ってきた。
哲学ってバカの妄想を拡大再生産するのが仕事かよ。
うん
つか、ある種の読者を立腹させるのが小泉の芸風だろ。
オレも負け組だけど、こんな奴に代弁されたくない。
つか勝手に代弁すんな。
112 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 09:59:59
誰か、ドゥルーズとニーチェのトランスクリティーク書けるやついる?知能指数150以上ないと絶対書けないけど。
おれのような「負け組」にとってはどんどん代弁してくれて欲しいね。
今更ゲームに再チャレンジなんて御免だし、おりこうさんに説教されるのもうんざりだし。
働かずに食える世界を待ってるよ。
「働かずに食える世界」を夢想するのは恐るべき資本家の卵だ、
と言ったのは「人類滅亡教」の故・深沢七郎。
小泉さんは『ドゥルーズの哲学』以外はめっさ面白いw
『生殖の哲学』とか腹抱えて笑えるw
116 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 17:49:59
>>112 知能指数この前測ったら150あったけど「トランスクリチーク」という言葉すら知らないぜ。
(笑)
118 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 03:15:58
道徳的恫喝の道具としての哲学、か。
なるほどね。
119 :
考える名無しさん:2006/09/30(土) 03:13:31
『現代思想 2006年10月号』
脳表面の動的発生 ドゥルーズ 『意味の論理学』 に即して / 小泉義之
120 :
考える名無しさん:2006/10/01(日) 03:13:34
ポモの金魚の糞がいるってきいてすってんできました!
121 :
考える名無しさん:2006/11/02(木) 16:28:32
(笑)
122 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 23:28:29
北東イングランド肝細胞研究所(North East England Stem Cell Institute)は6日、
英国政府に対してDNA操作でヒトと牛の両方の遺伝的性質を持つ胚の生成を認めるように
申請を行った。
同研究所ではヒトのDNAを牛の卵子に組み込むことによってヒトと牛の両方の遺伝的性質を
持つ胚を生成。この遺伝子操作によって作られた肺をパーキンソン病やアルツハイマー病の
研究に利用したいとしている。
ただし、同研究所では倫理上の制約からこのヒトと牛の両方の遺伝的性質を持つ胚は
数日で廃棄し、胎仔になるまでは育てないとしている。
もしこの申請が英国政府によって認められた場合は、向こう3年間に渡ってヒトと牛の
ハイブリッド胎児の生成が行われることとなる。この認可の可否は数ヶ月以内に下される
見通しだ。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200611080140
123 :
考える名無しさん:2006/12/14(木) 10:11:55
意味の論理学期待age
小泉っていいよなあ・・・
125 :
考える名無しさん:2007/01/06(土) 18:48:03
わーい『意味の論理学』上下巻げっと〜
小泉先生、バカでも理解できそうな翻訳ありがちょ〜^^
このスレで散々悪口書いてゴメンちょ,,,
hosyu
127 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 13:48:56
おいおい、オレドゥルーズ嫌いだから読んでなかったんだけど、
食わず嫌いも駄目かなと思ってとりあえず入門の新書をと思って
こいつの書いたドゥルーズの哲学読んだらなんだこりゃと
こいつアホだろ
脳みそにものごっつい力入ってるのはわかる
130 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 23:50:29
小泉義之の本領は、やはり『兵士デカルト』にこそあろうかと思われます。
ここに小泉の長所も短所も含まれている。
小泉義之は哲学という場(これはいかようにも動きうる場であって、だから
こそ小泉はここを「足場」に選択したとも解釈できるでしょう)から、「純粋戦争」
を仕掛けているものと思われます。戦いから祈りへと小泉の戦いはやむことなく続くでしょうし、
そのことに私としては手放しの賛辞と連帯の挨拶を送りたい気持ちにかられます。
『ドゥルーズの哲学』に関しては、とかく評判が悪いようですが、この書も読みように
よってはなんとか読めるテクスト足りえます。
とはいえ小泉の著作の中では、今ひとつテンションに欠けるもので、私としては
おすすめできません。
小泉義之の著作では、先ほど触れた『兵士デカルト』は言うまでもなく、
『弔いの哲学』および『生殖の哲学』が秀逸でしょう。
確かに筆致は荒っぽいし、議論も詰め切れていない点も目立ちますが、小泉としては
これらの書である種のアジテーションをしているのだろうと思われます。
つまり「純粋戦争」の遂行のための扇動=先導をしているだろうということです。
粗暴なところもありながらも、社会が前提としている思考形態に風穴を開ける思考を
提示し、人の思考を駆動せしめようとする点で、成功しているテクストに他なりません。
日本哲学界最左派として、今後も注目しないわけにはいきません。
131 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 23:51:09
小泉義之の本領は、やはり『兵士デカルト』にこそあろうかと思われます。
ここに小泉の長所も短所も含まれている。
小泉義之は哲学という場(これはいかようにも動きうる場であって、だから
こそ小泉はここを「足場」に選択したとも解釈できるでしょう)から、「純粋戦争」
を仕掛けているものと思われます。戦いから祈りへと小泉の戦いはやむことなく続くでしょうし、
そのことに私としては手放しの賛辞と連帯の挨拶を送りたい気持ちにかられます。
『ドゥルーズの哲学』に関しては、とかく評判が悪いようですが、この書も読みように
よってはなんとか読めるテクスト足りえます。
とはいえ小泉の著作の中では、今ひとつテンションに欠けるもので、私としては
おすすめできません。
小泉義之の著作では、先ほど触れた『兵士デカルト』は言うまでもなく、
『弔いの哲学』および『生殖の哲学』が秀逸でしょう。
確かに筆致は荒っぽいし、議論も詰め切れていない点も目立ちますが、小泉としては
これらの書である種のアジテーションをしているのだろうと思われます。
つまり「純粋戦争」の遂行のための扇動=先導をしているだろうということです。
粗暴なところもありながらも、社会が前提としている思考形態に風穴を開ける思考を
提示し、人の思考を駆動せしめようとする点で、成功しているテクストに他なりません。
日本哲学界最左派として、今後も注目しないわけにはいきません。
小泉さんは、マルクスとは違った意味で、政治経済学批判をしたいものと思われる。
もちろん志は類似している。本質的に革命家の気質を持った哲学者なのだと。
否、哲学者たらんとする者は本質的に革命家たらざるを得ないのだと。
これは廣松渉の言だが。
兵士デカルトに核心がある!
最初からアジにしか見えないアジ。
自分のオケツの穴が世界の穴だと主張しているかのような。この穴を見よ。
なお純粋アジなら小泉純一郎のほうがお上手でした。
もちろん最初からアジテーションに見えてもいいのですよ。
だまし絵ではないのだから。
小泉さんは、この点自覚していることと思われる。
しかし小泉義之の凄さは、これは純一郎との違いにもなるだろうが、
アジテーションの中で、問題の核心をいつのまにか射抜いているところに
こそあると言わねばならない。
>>134 射抜いているか?w
ま、どうせ実効性のないアジだから無害だし、どうでもいいか。
ほめ殺し
「生殖の哲学」は、ここ数年で稀に見る名著だと思う。
小泉さんは時限爆弾を放ったってこと。
この時限爆弾はおそらくいつかその真価を発揮するものと思われる。
小泉さんのやりたいことというのは、種の解放をも含めた壮大な革命だろう。
それには大いに賛同したい。
種の解放ねぇ…
ペスト菌や天然痘ウィルスも解放したれやw
139 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 02:14:05
うむ。なんのかんので
>>102が真実を射貫いている気がするよ。
生物兵器テロで病原菌撒き散らしながら
「繁殖性じゃ〜」とか言ってる小泉を想像して吹いた。
兵士デカルトか、懐かしいな
日曜日に読み返してみます
142 :
考える名無しさん:2007/04/20(金) 16:42:10
力んでないやつも退屈だけどな
不毛だねえ、だよねえって確認しあって安心する不毛はいいの?
屁ぐらいしろ
>>142 不毛じゃないことを淡々とやればよい。
見当ハズレな方向に力むと、また共産主義革命とか始まっちゃう。
革命やってる奴は人生充実して楽しいだろうけど後が迷惑。
まぁ小泉の考えてることは革命よりもっとラディカル(嫌な意味で)だけどw
一生懸命考えてるつもりなんだろうけど、短絡なんだよ。
あと辺見庸とかもいい加減にしとけや。
気持ちはわからんでもないが、おまいらの妄想や良心オナニーより、
スウェットショップの方がずっと人々の役に立ってるんだよ。
真面目に資本主義をやんなさい。
145 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 10:26:52
がんばって今まで通り変わらずにやってなよ
いわゆる「淡々と」さ
たんたん、たんたん、
はっ、今までどおり変わらずで資本主義社会を戦いぬけるかっつの。
淡々と日々戦争ですよ。
147 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 13:02:34
みんなガンバロー
148 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 13:13:10
この人の本、今読んでるけど読みにくいな
149 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 19:51:51
日々戦争! 笑
たいそうな毎日を送ってるようで。
なぜだか自分を戦国武将に例えたがるデブハゲ経営者をおもひだす。
日々戦争だとデブハゲ経営者で戦争機械だとドゥルーズかよ!
151 :
考える名無しさん:2007/04/22(日) 10:37:50
みんな勇ましいなあ
152 :
考える名無しさん:2007/04/22(日) 10:46:49
>>143 不毛じゃないことって具体的にナニデスカ?
「〜やればよい」ってとこは武将だね。うん。
さ、屁でもしよう。
153 :
考える名無しさん:2007/04/22(日) 11:44:47
>>150 そりゃそうでしょう
君のみすぼらしい日々戦争とドゥルーズの戦争機械をごたまぜにしてはいけないよ
日々戦争の割には
2ちゃん見るヒマも、さらに書き込むするヒマさえもあるんだから
小泉義之やへんみよーを読むヒマもある
のんきなもんだ
154 :
考える名無しさん:2007/04/22(日) 16:22:38
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃
155 :
考える名無しさん:2007/05/09(水) 00:34:05
>>146 資本主義社会を戦いぬく
笑
がんばってね
156 :
考える名無しさん:2007/05/09(水) 20:53:13
【インタビュー】
小泉義之「ベーシック・インカムの「向こう側」」(聞き手 白石嘉治、矢部史郎)
157 :
↑:2007/05/09(水) 21:00:14
『VOL 02』以文社
158 :
考える名無しさん:2007/05/14(月) 13:55:50 0
『「負け組」の哲学』で取りあげられてる
ヴァン・パライスって読んだことある人いますか?
どんな人なんでしょうか?
>>159 苦痛を凌駕する精神の強度って何?
じゃあなんでドゥルーズは自殺したん?
ドゥルーズの自殺は生きるための試み=生の強度だから、おkってこと?
ほんだら、なんでもありやん!ご都合主義やね〜
額に青筋立てて強度とかほざいてれば倫理が生まれるなら苦労せんわ。
倫理より 子供を産むべし 繁殖性
162 :
考える名無しさん:2007/06/25(月) 13:56:21 0
独身をとおしたり、子供をつくらなかったり、ホモになったり、
グループに加わったりするだけではオイディプスを回避することにはならない。
G・D
163 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 13:47:55 0
川口有美子はどうでもいいけど
ドゥルーズ自殺したじゃん
っていう紋切型の批判もかなりどうでもいい
ドゥルーズ読んでない証拠だし
紋切型wって批判も
>>163 だが
>>160のようなベタなツッコミにどれだけきちんと
説得的にドゥルーズ的観点から答えることができるかは
結構ドゥルーズ読みの試金石だと思う。
現に君は答えられていないわけだし。
166 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 16:07:57 0
>>160 紋切型だからダメつってんじゃないからね
そんな批判はすでに出尽くしてて、ドゥルーズも答えてるわけだから
批判するならそれを踏まえてしてよ、と
>ドゥルーズの自殺は生きるための試み=生の強度だから、おkってこと?
>ほんだら、なんでもありやん!ご都合主義やね〜
ここは大事な問題。
そして、
ここをナンデモアリに持ってちゃう短絡脳こそドゥルーズ批判対象。
>>165 そうなのか??
『記号と事件』にこういう批判してくるアホには参るよなー
ってさんざん書いてあるから、それ読めばいーじゃねえか
読まないやつに批判する資格あんのか?
そう問い返すだけで十分だろ
167 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 16:15:56 O
原典読めだけでは答えになっとらんでしょ。
それに何ページかもわからんし。
168 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 16:46:02 0
いや、だからなんで?
何ページかまで教えてやる必要あるの?
あるとしたらなんで?
俺は授業料とってる教師ですか?
169 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 17:23:15 O
答えられないんなら黙ってろ
170 :
考える名無しさん:2007/06/26(火) 18:21:39 0
答えない=答えられない
素晴らしいなw
こっちは一応、
『記号と事件』読めばドゥルーズ答えは書いてあると言ってるわけだが。
こっちの質問に答えないお前も黙るべきだと思わないw
『記号と事件』読みなよ、じゃ答えになってない理由はナニ?
ページ数まで書かなきゃいけない理由はナニ?
答えられないなら黙ってろ
ドゥースル? アイフルー♪
>>166 >『記号と事件』にこういう批判してくるアホには参るよなー
>ってさんざん書いてある
ドゥルーズがそれほどきちんと書いているとは思えないな。
そう解釈するなら解説したほうがいいのでは?
173 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:08:43 0
そうかなあ
きちんと書かれてないと言うけど
どこがどう不足してると感じるの?
あと、
>>160にはほんとに読んでほしいとしか言えないからね
間違えてたら誤るけど
読んでないでしょ、読まずに批判しちゃったんでしょ
読んでたとしたら読めてないでしょ
もし、万が一読んでいて、読めてもいて
あの書き込みの瞬間だけ忘れちゃったというなら
思い出してもう一度考えてみてね
174 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:25:35 0
>>173 読んでないのはお前だろ。
ドゥルーズの本を嫁と言う以外に
何も実質的なことが言えないんだからな。
その割には煽ってばかりだが。
お前がドゥルーズをきちんと読んで理解していれば、
だいたいの要点ぐらい書き込めるはずだろ。
それを書き込まない限り、2ちゃんの哲学板によくいる
「原典読め」を連呼する厨と同じ。なにせ原典嫁は、
原典読まなくてもいくらでも言えるわけだから。
175 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:44:20 0
やっぱりなw
それを疑っているわけね
でもね、読んでるから仕方ないよね
実質的なことを言わないのは、
そうしたんじゃ
>>160が読まないからだろ
ページ数示したりしたら、本屋でそこだけつまみぐいして反論してくるぞ
そんな奴を相手にしたいのか?
俺は嫌だね、楽しくない
俺が読んでるかどうか試したいなら
ページと場所指定してくれたら、そこの文書き込もうか?
ま、でも、これじゃ読んだことの証明にはならんけどなw
176 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:48:05 0
あ、ちなみに
>>162は俺の書き込みね
『記号と事件』からひっぱってきたよ
177 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 10:51:59 0
あっと、説明不足
176は175のつづきね
まあ本を読めというのは中学生にでも言えることだが
分かりやすく咀嚼して自分の言葉で説明するのは、
本当にじっくり読んで理解している人間にしかできない
ものだからねぇ。
179 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 11:08:34 0
>>178 うまい返しだねえw
でも、何度も言うけど、
そこまでしてやんなきゃいけない理由はないよね
>>160に言いたいのはまともに読んでないのに批判するなという
常識的なこと
それだけなわけ
あと、
>>172のように読んでいて、それでもまだ疑問だという人なら
その疑問を具体的に書いてくれれば
反論するし、あるいは納得するかもしれない
読んでる人となら議論する価値はあると思うから
でもそこに
>>160がいっちょかみしてくる可能性があるから
それが嫌だけど
偉大な思想家に矛盾を見出さない限り自分は聡明だと感じられない、
そんな人がいますからね。 G・D
自分の頭で考えられない人間が
聞きかじりの言葉を適当に繋げただけの自前の哲学
に逃げ込む
それが2chクオリティー
181 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 13:56:53 0
聞きかじりは問題だよねえw
182 :
考える名無しさん:2007/06/27(水) 14:02:56 0
>>182 聞きかじりの言葉を受け売りしかできないお前のこと
じゃねえかw
184 :
考える名無しさん:2007/06/28(木) 08:41:28 0
いいぞ妄想!
小泉さんには、ぜひチンパンジーとセックスして人間と類人猿のアイノコを生んで欲しい。
186 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 00:00:35 0
処女作「兵士デカルト」が復刊された模様。
増刷じゃなくて?
>>188 復刊とは長い間品切れだった本の増刷のことだよ。
不誠実なスレだ
191 :
考える名無しさん:2007/09/23(日) 11:25:26 0
中倉智徳って人は、小泉の弟子か何かか?
批判つうか全く読めてないだけじゃね?
195 :
考える名無しさん:2007/10/04(木) 20:46:21 0
下のほうに書いてある好意的解釈ってのが大筋で正しい読み方だと思う。
小泉の言ってることは原理としては、
@特定の遺伝子と特定の症例との関連を保障するものは今のところ何もない
Aなぜなら遺伝子全体のみならず他の環境の影響も個体全体に影響も及ぼすからだ
Bマクロなレベルでの類似(遺伝子と症例)よりも根源的なミクロの分子プロセスがある
というわけだと思う。
こういえばいいものを『ドゥルーズの哲学』等の諸著作を通じ、
確かに彼は青筋を立てて(いる様子が目に浮かぶ)原理的アイデアを示さないまま語るので、
ファンも多いが誤解も多い、
と漏れは思う。
こいつらどっちも立命の哲学科だろ?
同僚なんだから直接言えよwwwwww
アンパンマンでまるまる一冊書いて欲しい。
199 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 12:30:26 0
芸風なんだから別にいいだろ>青筋
つか、この人から青筋を取ったら何が残るのかと
逆に問い詰めたい
伊勢俊彦さんてhatenaでもういっこブログやってなかったっけ?
一人でアカウント二つ取れるの?
201 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 14:27:59 0
メ
202 :
考える名無しさん:2007/10/05(金) 14:51:52 O
小泉=ウンコ(笑)
辺見庸が死ぬ前に対談でもしてほしい。
青筋野郎同士で傍で見ている分には面白いはず。
基本的には、新書とか一般向けの哲学本書いてる人には
青筋系が多いんじゃないのかねえ
「青筋系」って言葉なかなかいいね
209 :
考える名無しさん:2007/10/08(月) 00:38:27 0
まあ社会学も青筋系多いけどね
ネタかもしれないけど一応。
kalliklesは伊勢俊彦氏のしゅごキャラじゃないよ。ケロケロ。
550 :名無しさん@社会人:2007/04/26(木) 01:45:03
http://d.hatena.ne.jp/kallikles/20050718 『マーサ・ヌスバウム、ジュディス・バトラーを批判する』
「日本でバトラーやコーネルをもちあげている人びとは、いったいどういう理解をしているのだろうか。
多くの場合、そういう人びとは政治哲学や法哲学や文学の専門家で、バトラーやコーネルを「哲学者」と
見ているような気がする。正統の哲学の人びとは彼女たちを哲学者とは認めないだろう。」
551 :549:2007/04/26(木) 10:11:25
伊勢さんは知ってますが、この件に関しては彼に反対します。
大学で金もらって「哲学」教えてる人が正統派?
笑わせてくれますね。
wつけたくなる気持ちを察してくださいよ。
まあ、哲学者の定義なんてどうでもいいですけどね。彼も聞かれたらそう言うでしょう。
45 :考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:22:30
日本でバトラーやコーネルをもちあげている人びとは、いったいどういう理解をしているのだろうか。
多くの場合、そういう人びとは政治哲学や法哲学や文学の専門家で、
バトラーやコーネルを「哲学者」と見ているような気がする。
正統の哲学の人びとは彼女たちを哲学者とは認めないだろう。
46 :考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:24:16
予言する。
お前は誰にも認められない。
鶏の脳みそでも哲学できますか?
1 :考える名無しさん :04/06/08 11:11
3歩歩いたら忘れてしまいます。
2 :考える名無しさん :04/06/08 11:15
コケッ
3 :ウン子 :04/06/08 11:17
、_ _......
、、_ ノヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ └゛゙゙゙´`ヘ─¬_
なんだこのスレオリジナルの言葉じゃないのか
青筋系の反対ってなに?
ッツmmmmmミッ
ッツmmmmmmmmmミッ
ッツmm>'"´ __,,  ̄`丶mmミッ
ッツmシ'´ _ ,ニ_二 三‐`、 `ヾmmッ
. ツm彡' ,' _,..-ュ ̄ fニ三三ミヽヾmmッ
ミm彡! :丶/|::/!!:. :. .:ミ;=`゙' ヾmm',
mmリ ,'f r",,ゞィ_, i :. ヨ ●ヾ ',mm!
mm{ ' イ●ノ"´,:,! ' "'ーヘヽ Nlハ⊥
mミリハ .: '""_,.ノ,' ,. }、 tf{´i, l|
. Wリ小! .: ,ゞ・ ・'' ヽ `!) Vl
ゞ干ミ} : / _J_ 丶 }'´ / <癒し系カナ☆
'、Yヾ :. ( "'-三-''" ) / ノ
ヾ.f'、:.:. '´ '"~"' /l'´
ヽ._):.:.、 ,. ' l
トi、ヾ:.. 、 _,. - ' |
/^ヾ!、丶 ` ¨""´ |
/ヽ 丶、 `¨¨´ ト、
/::::::::::丶、 `丶、 丶 | rゝ、
220 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 01:46:20 0
内田ジュ系
221 :
考える名無しさん:2007/10/09(火) 02:17:33 0
『ドゥルーズ/ガタリの現在 達成と限界』
平凡社 小泉義之、檜垣立哉、鈴木泉 編著
没後10年以上を経た今でもなお、使える思想家の筆
頭であり続けるドゥルーズ。こうした俗流ドゥルーズ
主義の風潮を前に、哲学者としての到達点と限界を示
すべく、多様な30人の研究者により行われた共同研
究の成果。
A5判 728頁 予価5250円(本体5000円+税)
11月刊行予定
これは是非とも読みたいな。鈴木と小泉が共編ってだけでもかなり。
しかし30人分の論集で、720頁越えかぁ。5250円なのもしょうがないか。
最近出たきっちりした単行本は江川のものしかなかったから、これは買っておこう。
おー「使える思想家の筆頭」ときましたか。
いいアオリだ。
> 二・三の点についてだけ、論点を意図的に曖昧にして記しておく。
> ●『ドゥルーズの哲学』における進化の〈ゲーム〉の事例に関して。そこでは
> ゲーム理論応用進化学説を直接に論じようとしているのではなく、ドゥルー
> ズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
> 採って(典拠の名は伏せた)、その水準に合わせて論じている。だから、そ
> こに対する批判・批難の過半はその進化学者に向けられるべきものである。
誠実さの欠片も見あたらない。すごすぎるな。
226 :
sage:2007/10/17(水) 16:44:29 0
>>225 や、批判してるからあえて典拠挙げてないんだと思われ。
なんで批判するときに典拠あげないの?
228 :
考える名無しさん:2007/10/17(水) 22:50:48 0
>>225 ドゥルーズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
採って、その水準に合わせて論じている。
kono bunn no imi wakatteruuuu?
229 :
225:2007/10/18(木) 13:36:55 0
>>228 >
>>225 > ドゥルーズの〈理念的ゲーム〉の意味を解説するために、進化学者の著作から事例を
> 採って、その水準に合わせて論じている。
>
> kono bunn no imi wakatteruuuu?
読んだその通りじゃだめなんですか?その「進化学者」が馬鹿だという
含意がありそうですけど。
230 :
考える名無しさん:2007/10/18(木) 16:17:08 0
読んだそのとおりだよ
そして、その下に続く文章でさらに細かく書かれてる
231 :
225:2007/10/18(木) 18:53:41 0
そうですか。
スレ違いだけど外山恒一が檜垣立哉を批判してるな。口調はちょっと青筋系かも。
檜垣立哉『生と権力の哲学』(いいこと云わない人たち@)
http://www.warewaredan.com/blog/2007/10/post_104.html 昨今のインテリ左翼どもが、いかに混乱した認識をもって、わざとなのか
単にアタマが悪いからなのか、その混乱を詐術的な論法で糊塗していくかが、
はっきりと露呈している箇所である。もしこれを読んで、「なんかおかしい」
と感じることすらできないないようでは、あなたもこの著者の同類、つまり
昨今のダメなインテリ左翼の一人だということだ。もちろんそんな連中に、
「権力に『抵抗』することは不可能」だし、「グローバル化し、収容所化する
現代世界の中で、『ポジティヴ』に戦い続ける希望を提示する」ことなど
できるわけがない。
公的な領域と私的な領域が曖昧にされ(「なり」? いや「され」だ)、
そこに発現する「暴力」が現在、「権力」とかそれに対する「抵抗」とかを
考える時に最重要なテーマとなっていることはまったく事実である。セクハラや
DV(やここには挙げられていないがストーカー)の問題がその典型的な事例で
あることも、まったくそのとおりである。
だが、問題設定というか、位置づけ方がまったく間違っている。
ここではまるで、私的な領域である民間の男女関係の中で男個人が女個人に
対して行使する「暴力」が、アメリカの「反テロ戦争」に典型的な、国家間の
衝突ではない形で展開している現代の戦争において行使される「暴力」と同質
の問題であるかに語られている。
違うだろう。
いや、たしかに両者は同質の問題である。
しかしその意味は、「反テロ戦争」的な国家権力の発動形態と、単なる民間
の個人的な男女間のイザコザに警察や裁判所を介入させたり、そのための新規
立法をおこなったりするという国家権力の発動形態とはまったく同じである、
ということだ。
233 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 01:38:26 0
憐憫
234 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 10:04:21 0
学部学生必読文献すごいなw
おまいらの事が書かれているのだから
心して読め
237 :
考える名無しさん:2007/10/19(金) 14:23:01 0
凡才のほうは別にわざわざ言わんでもって感じするけど
みんな自然とそうしてるんじゃないのかな
>>235 そもそも凡才は哲学なんか専攻しちゃいかんよな。
手に職つけるべき。
凡才学部生が小泉流の多読に挑戦して、
結局は全部消化不良で
立花隆の出来損ないみたいなのが量産されたら困る。
240 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 10:00:01 0
挑戦する奴がまったくいないのも困るけど
問題は、いま哲学教員してる連中が、
小泉のいうレベルで多読してきた奴は殆どいない
という点だろうな。
自分がやってこともないことを学生に薦めることなど
できるはずもなく。
242 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 12:36:02 0
まあ、アレは煽りみたいなもんと思うがね
衝動にまかせてとりあえず実効性のないことを言っちゃうという思考の特徴が現れてるな。
244 :
考える名無しさん:2007/10/20(土) 21:11:45 0
実効性がまったくないとは思わないけどね
初学者には
ここらへんを読んでいけばいいのかという指針にはなるでしょ
俺は〈東大出版会UP BIOLOGY〉の存在すら知らなかった
個人的にはコレだけでも収穫
245 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 02:31:30 0
しかしブログで書いてるものに政治センスの欠片さえないのは
彼の本を貶していた連中と同じなんだね。
しょせん目糞鼻糞たちが知ったかぶり競争を続けてるだけかと。
246 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 09:25:14 0
へええええええ
蓮実と浅田は評価しても、柄谷は評価しないタイプかと思ったら、違うんだね。
「ある解放運動」って何なんだろ
249 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 15:15:06 0
同和かなと思ったけど
わからん
>同和かなと思ったけど
あ、そうか。
ついでに、「日々の祈り」って何なんだろ
なにこのアホ対話w
必読文献でもしこしこ読んで炉よ
そういや『兵士デカルト』は「戦いから祈りへ」ってのが副題だったな。
253 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:42:40 0
クリプキの「ナチス」の名をめぐる断章
これってどの本に入ってるんだろ?
「名指しと必然性」かな
>>253 『名指しと必然性』には「ヒトラー」をめぐる話は出てきてたな。
「ヒトラー」の指示対象を、歴史上他の誰がやってのけたよりも多くのユダヤ人
を殺すことに成功した男、として選び出すことに決めたとしよう。それが、われ
われがその名前の指示対象を選び出す手続きである。だが、他の誰かがこの不名誉
を担ったような別の反事実的状況においては、われわれは、その場合にはその
別の男がヒトラーだったのだ、とは言わないだろう。…われわれは依然として、、
すべての可能世界においてその人あるいはその長さを指示するためにその名前を
使うのである。
「ナチス」についてはたぶんない
256 :
考える名無しさん:2007/10/30(火) 16:43:10 0
>>255 そうなんだ
その話のことなのか、それとも他にあるのか
ブログで書名あげてくれるといいんだけどなあ
しかし、今回のも格好良いねえ。
「死ね!」と言うべきとき
今、一番面白いブログの一つ
259 :
考える名無しさん:2007/11/03(土) 23:05:06 0
ML派ってそっちかww
毛とか出てくるかとオモタのに
たしかに面白いな…。
正直、感動してしまった箇所もある。
たまに情況や現代思想での文章に惹かれていたけど、小泉はいいな。
ところで、素朴な疑問なんだけど、このblogは、2007/9/6より前の記事はないんだよね?
そういえば加藤秀一が最近言及してたな。
小泉義之の「鋭い状況認識」を倫理の平面に織り込んでいかないといけないとか
やはり障害について語るときに、文章がさえるね。
支離滅裂
266 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 01:56:56 0
小泉義之の最良の仕事は矢張り『兵士デカルトー戦いから祈りへ』だと思われる。
後の仕事でこの著作を超える著論文は未だない。
あと『弔いの哲学』も良質な著作だと思われる。
勿論、結構なアジテーションに満ちているに違いないが、それでも倫理学的に重要な
問題と真摯に向き合う姿勢が見られる。著者は誠実な人だと感心させられる。
特に、堂々巡りの議論の応酬となっている靖国問題等に関して、これまでの左右の側からの
よくある問題の立て方を根本から否定した刺激的な、それゆえ本質的な部分に届いている論考に
なっている。この著作で取り上げられたテーマは、前の『デカルト=哲学のすすめ』の冒頭部分で触れられ、
また『兵士デカルト』においても、述べられていたテーマであったが、「英霊」を持ち出す議論も、「無名戦士」を
持ち出す議論も、ともに肝心要のところをネグレクトして、イマジネールなものとの戯れに耽っているだけに過ぎない
ことを痛打した快著というべきだろと思われる。
『ドゥルーズの哲学』は、扇情的な表現がさらに前面に出てきたために、ひどく評判の悪いものになってしまったが、
著者の志には共感できる。だからこそ、新書という形ではなく、本格的な論文で他分野の専門家の思考を真に駆動せしめるような
立論を展開してもらいたかった。
その他著作があるが、私としては小泉義之の考えの根っこにもなり、事実『兵士デカルト』においても情念論の読解の章だかで
触れらていた政治経済学批判(それは同時に法学批判をも含むだろうが)を展開してもらいたいと思っている。
贅沢を言えば、かつてデリダがロースクールの学生向けに『法の力』を著したように、
現今の社会体制を支える下僕としての法曹予備軍に向けてものを考える契機を与えうる
著作なり何かを出してくれればと念願している。
ブログ読んでると、単に常識的な思考が出来ない人じゃないかと思えてきた。
あと経緯をロクに知りもしないくせに、他人に無限責任を負わせるのはやめてくれ。
一人で黙って祈ってろ。
とんでもなく常識的な人に見えるがな
いずれにしろ、この人のブログはむちゃくちゃ面白い
期限付きなんて留保しないでほしいな
あれが常識的って。常識人というものをずいぶん低く見積もってるな。
常識的というか、266が書いてるとおり誠実な人だとは思う。
はあ。
『弔いの哲学』って、どこも品切れ状態なんですよね。
手元に置いておきたいけど、図書館で借りるしかない。
何とかして中古品が安く手に入らないだろうか・・・。
blog意味わからん。解説してくれ。
blogで理論を一歩一歩作り上げていける人なんてそういないからな。
恐ろしい。でも、そんなに難しいことはまだ言ってないはず。
現在の医療体制の分析として、cancer体制として名指してみたということ
だろう。
先ずはフーコー生政治論の延長線上にあるとみなしてみるべき。
cancer体制として言われているのは、先ずは医療的なpopulationの話である、と。
しかも、別に癌に限ったことではなく、広い意味で医療的な話ととるべきだろう。
病の哲学では、患者の祈り=願いが治癒することにあったとされていたはずで、
それがズラされている、と。
cancer体制に潜む矛盾が何かはわからん。
ただそもそも、治療の標準化といったことは、むしろ医者の分業化とかあるいは医療の
大衆化?普及?として、むしろたんに医療化の一環だと理解することもできる
のでは?
cancer体制というのは、単なる生活の医療化といったものではないはずで、
それとどう違うのだろうか。
Cancer Selectionの話と合わせて考えてみると……
cancerについての概念が医療的に標準化されることで、
それまでcancerの持っていた「死」の表象が
コントローラブルなものとして計測対象となった。
そのため、cancerがそもそも生物の自然淘汰の過程で人体内に生じて
現在の様態に至ったという可能性、
言い換えればcancerもまた「通常の」生体の生活史の
一環に過ぎないという可能性が看過されるようになった。
昔はその生活史の一部分が「死」と絡めて恐怖の対象だったが、
ソンタグ革命後(?)は治療の対象となった。
でも、cancerが「異常」であることにはい〜まも昔も変わりなく〜
……みたいな感じなのかなあ。なんかずれてるような気もするけど。
でも、「cancer体制の矛盾」というのはやっぱりわからない。
cancer標準概念の「その後」に当たるターミナルケアの部分に
矛盾が押し付けられているみたいな話になっているようだけど、
どうつながっているのかが読み取れない。
生物的に「通常」であるかもしれないcancerと死が、「異常」として認識されたまま
医療を離れてホスピスに押し込められている、みたいなことなのかな?
>>275 まとめサンクス。ちょっと見えてきた。もちっと矛盾についてこだわってみる。
たしかにcancerをその嚆矢として、死が病によって評定可能なものであり
「原因」を画定すべきものであるとされ(「ソンタグ革命」)、
実際に評価されていくなかで、研究者―医者―患者を巻き込んだcancer体制
ができたとする。
そのとき、病の「ステージ」によって「治療可能」と評定された生は
cancer体制下で治療あるいは手術がなされ、cancer患者として予後を
すごすこととなる。
でも、「治療不可」「手術不可」として評定された生(と死の絡み合い)は、
cancer体制においてはうまく処理することができない。
なぜなら、医者には「治療不可能」である以上、医療的には対応できないから。
この意味で、研究者―医者―患者というトライアングルでcancer体制を考える
なら、体制の「矛盾」というより、「綻び」がたしかにこの終末期にあった。
この「綻び」は1970年代、cancer体制下における患者の死によって
顕在化するかにみえたが、ホスピスや、死に関わる倫理(生命倫理の一分野、
というより相当に大きな部分)によって覆い隠された。
そのとおりとして、この先どうすればいいのか。
cancerの「治癒」が実際には不可能であり「治療」がなされるだけでしかない。
それはたしかにみんな分かっているし実はこのさき技術的に「治癒」ができる
のではないかと期待してもいる。
しかも、「治療」によって実際に社会生活に復帰して、「治癒」しないまでも
いつか必ず来る死を先延ばしにして<元気>に暮らすことができる人もいる
(それこそソンタグのように!)。この死を先延ばしにする、あるいは、<元気>に暮らすということと、
ホスピスや生命倫理は関わっていそうな気がする。
というか、cancer体制が、このように死を想起させるもの、死から逆算される
ものとしてみなされている?だとすれば、希望というのは、cancerと死の観念連関、
そしてそれをめぐってなされる一連の諸制度からの解放ということになる?
今日のクロ現代は小泉の好きそうなテーマだった
278 :
考える名無しさん:2008/02/25(月) 11:07:46 0
入院中のアルチュセールをデリダが訪問して書き記した美しい小文(松葉祥一訳、『情況』掲載)
これって「アルチュセール追悼」のことかな?
279 :
考える名無しさん:2008/02/27(水) 14:45:58 0
宇都宮時代の馬鹿弟子ですw
「小泉義之」をググる事はあっても2ちゃんねるに来ることはありませんでした。
今回たまたまこのスレにたどり着き、先生のブログがあることに気付きました。
普段の先生は決して単なる青筋系ではなく、
生真面目で誠実ながらも、よく笑い融通も利き、くだけていて明るい方でした。
僕がお世話になっていた当時は「エヴァンゲリオン」が流行っていた頃で、
「他の学部に全話録画している先生がおられるそうですよ」
とお話しすると、嬉しそうに「じゃあ借りに行こう」などと言っておられたのを思い出します。
まぁ、先生の嫌っておられた「駄話」ですのでこの辺でw
ゴシップを語るスレでもありませんしね^^;
ただ、懐かしさと、先生のブログが始まっていた事を知れた喜びで、ついw
「2007-10-15 学部学生必読文献」の結びの一文が、我が事のように胸に迫りました。
『たぶん今生では相見えることのない若き友よ、研鑽に期待します。』
乱文にて失礼。
はてなにあった、京大生かなんかのブログにも、すごく良い人だったって書かれてたな。
281 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 19:18:04 0
>>272 品切れですか。それは残念。
但し、古書店等にあたれば見つかるかも知れませんよ。
古書店の在庫が確認できるウェブサイトも存在しますので、そこで検索して
みては如何でしょうか?
ともかく『弔いの哲学』は素晴らしい。
とかく見落とされがちで、かつ大切なことが述べられていました。
特に大岡昇平を肯定する文章がありますが、大岡昇平の凄みとそれへの共感を
超えた畏敬を読み取りました。「生きて、死ぬ」という根本的な事を、単に量的な問題に
還元して思考した振りをする政治経済学を含めた現在の社会科学のごまかしではなく、
そこに定位して辛抱強く思考に相応しい言葉を探り当てようともがいている小泉義之の格闘の跡が
残っているように思われます。
その「あとがき」において、ソクーロフについて触れられています。おそらく『精神の声』の第一部
のことでしょうが、そこで映されている雪から、小泉義之の出身地である北海道の雪を思い出したことが
か書かれていました。雪国の人が知っている自然の恩寵である、というような表現だったと記憶していますが、
そんな風に人は生きて死んでいくのに、と。
私も北海道出身ですので、何気なく書かれた短い文章でありながらも、妙に胸に響いてきた経験があります。
『弔いの哲学』も、北海道の雪を思い出しつつ書かれたのか、と。
282 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 20:11:08 0
ところで小泉義之と言えば所雄章。
このデカルト研究で知られる碩学の著作が先日江湖に出されました。
所雄章『知られざるデカルトーデカルト研究拾遺』(知泉書館)
決して安い値段ではありませんが、デカルトに興味のある方は、この偉大な碩学の
著作を購入されることをおすすめします。非常に専門的な内容で、いわば書誌学的な
側面がありますが、テクスト読解には欠かせないものと思われます。
これと平行して『現代デカルト論集 T、U、V』を読むと、論文集に収められた各論文の
面白さが倍増するというもの。
283 :
考える名無しさん:2008/03/01(土) 20:34:09 0
小泉の本は『レヴィナス』しか読んだことがないけど、
かなり影響を受けて、その後レヴィナスや立岩真也に関心を持つようになる。
最近は父ががんの手術を受けたこともあって、柳原和子の一連の著作を読んで
いるところで、今日このスレでブログの存在を知った。
cancer体制とか弔いの哲学とか今の俺にとってはぞくぞくするようなテーマで、
これから読ませてもらおうと思う。
284 :
考える名無しさん:2008/03/02(日) 21:09:29 0
ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、
病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するために、
何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。
小手先の改良で済むなどと思っているのか。本当に心の底から、そんな人間たちに、
青空を眺める自由を確保するべきだと考えているのか。そもそも、諸君は、
自由と潜在能力について本気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済との
トレード・オフを口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。
われわれが願っているのは奇跡である。
車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること、医療機器がポータブルになること、
指先の動きだけで意志が伝わること、目蓋の動きだけで武器を破壊できること、
受肉の奇跡を肉体のいたるところで引き起こすこと、
要するに、無力な者に力を賦与することである。
われわれが為すべきは、こんな奇跡のために、政治経済を本気で変更することなのだ。
例えば、水飲み場は無料である。
ならば、無料食堂が設置されるべきである。
無料人口経管栄養補給所、無料人工呼吸器提供場所も、水飲み場の数だけ設置されるべきである。
現代の文化と文明に見合った「食物」の「分かち合い」が制度化されるべきである。
そのための場所ならいくらでもある。学校、役所、公園を使えばよい。そのための人的資本ならいくらでもある。
官僚、公務員、児童・生徒・学生を使えばよい。そして、少し考えればわかることだが、こんな簡単なことですら、
憲法改正や政治経済改良程度では実現不可能である。
アジテーションとしても、かっこいいよね。
せいぜいマオさんの大躍進政策か第二第三のポルポトを生むのに寄与するだけだな。
つまり人間や生物本来の「利己性」を根本から改造するという思想に繋がるしかない。
まぁ善意に満ち溢れたショッカーみたいなもんだな。
小泉先生の哲学オナニーに留まっていることを「祈る」ばかりだw
286 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 00:28:44 0
なんとナイーブな反応だろうか。
小泉義之は毛沢東とはある意味真逆だよ。
むしろ政治的ユニットを前提にして思考することしかできない、その外を見よう
としない者こそ、善意の衣を身にまといつつ、虐殺に賛同して正義を雄叫びを上げる
破廉恥というべきだろうね。
288 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 00:43:02 0
>車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること
そんな車椅子は怖くてのれないだろ。
289 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 09:23:56 0
>>284 まあガタリっぽいといえばぽいな。
昨日テレビを見てたらジュウシマツの話をやっていて、何でも野生の鳥を
人間が飼って改良してジュウシマツにしたということだった。
その中で変わったのは、野生の時には単調な歌しか歌わなかったのに、
改良されてジュウシマツになって複雑な歌を歌うようになったということ。
先生の説明では、野生のときは生きるのが大変で歌どころではなかったけど、
人に変われて餌をもらい天敵もいなくなったことで余裕ができたからということらしい。
よく原始時代は人間は自由だったという人がいるけど、実は人間も文明の中でより
自由になってるんじゃないかとふと思った。
小泉さんが言っているのはもっと人間に自由をということだと思うんだけど、それは
文明を放棄することからは達成されない。むしろ今の不完全な文明をより自由な
文明へと変えていかないと無理なことなんだろう。
カントの読みぜんぜんまちがってるじゃん
批評空間で連載してたドゥルーズ論の続きが読みたい
292 :
考える名無しさん:2008/03/03(月) 21:46:39 0
喫緊の課題は、小泉氏も認める通り、ブルジョア政治経済学批判だろう。
こういう時の小泉氏の舌鋒は、シュールでかつシャープなんだよ。
思うに、小泉義之という哲学者・倫理学者は、やはり骨の髄まで17世紀哲学者の精神なんだろう。
そして小泉氏によれば、近代哲学史とはデカルトが登りつめた高みから滑り落ちる歴史に他ならないわけだから、
近代思想の申し子たるブルジョア政治経済学とは、「天才の世紀」の<普遍数学>への知からすれば、堕落も堕落、
唾棄すべき対象であるに相違ないのだ。小泉氏が、ポストモダンとは別の文脈でドゥルーズや郡司・ペギオ・幸夫らを
賞賛するのは、とりわけ前者がスピノザやライプニッツの研究者であると自認しているところから見ても、至極当然といえば
当然なのだろうね。
医療経済学が耐え難いってなんだよ。
この先生の偉そうな妄想の方がよっぽど耐え難いんだが。
自分も慢性病で長年医者のお世話になってるから、
医療崩壊問題には興味あるんだが、
こういう哲学者の道徳的恫喝は百害あって一利なしだと思うね。
腹立たしい事この上ない。
この人の基本的スタンスって、
*資本主義の生産力とか技術革新力は俺様が認めてつかわす。
*君達が資本主義をやるのは許してやるからその成果を俺様の倫理的欲求のために貢ぐがよいぞ。
ってこととちゃうのん?何様なのかすら?
そしてこの人があらゆる知を動員するのは、
「俺様はこれだけ勉強してるんだから、ついてこれない奴は黙って俺様の倫理に従いなさい」
という恫喝とちゃうのん?
道徳的恫喝であっても世の中を住み良くするのに少しでも寄与するならいい。
でもしないと思いますよ。
むしろ小泉さんの妄想は現場で実際に仕事をしている医療関係者や福祉関係者の足を引っ張ると思う。
まぁ福祉関係者には小泉信者もチラホラいるようだけども。
ほとんどでたらめだから、気にする必要なんじゃないの?
なんらかの影響力をもつことはありえない。
> *資本主義の生産力とか技術革新力は俺様が認めてつかわす。
> *君達が資本主義をやるのは許してやるからその成果を俺様の倫理的欲求のために貢ぐがよいぞ。
何が悪いのか
298 :
考える名無しさん:2008/03/09(日) 17:51:01 0
>>294 小泉の批判はソクラテスと同じように専門家に向けられているのだから
専門家から嫌われるのは当然だな。
そもそも哲学を用無用の観点から見ることがまちがいだろう。
何をもって「道徳的恫喝」とかいってるのかぜんぜんわからん。
くだらん批判だな。
普通に読んだら、別に道徳的でもないし恫喝でもない。
今の医療経済学は既存の企業経営論や経済学の応用だから面白くなくて、
むしろ医療そのものの特徴から経済学を作り直すといった作業をしてみた
ほうが有効なんじゃないかと思うから少しやってみたって話だろ。
しかし、最近ブログ書きこみないな。
もしかして「期限」が来てしまったのかな。
で、小泉さんは「用無用の観点」すなわち功利性を超えようとしているのか、
「有効なんじゃないか」すなわち功利性を目指しているのかどっちなんだ?
くだらね
ああくだらないな小泉はw
功利性も功利性を超える倫理も両方満足させたいんだろうな。
10人を生かすために1人を見捨てなくてはならない時に、
全員救えと要求する馬鹿。
道徳オナニーはさぞ気持ちいいだろう。
くだらね
304 :
考える名無しさん:2008/03/10(月) 02:17:50 0
>>302 そうではなくて10人を生かせないような社会とは何なのかと問いかけているのだろう。
305 :
考える名無しさん:2008/03/10(月) 02:38:33 0
1人を切り捨て10人生かしている人にむかって
それでいいのかと問いかける
じゃあお前は1人でも助けたのかといえば、
人数の問題ではない、私は問いかけているのだ、と
まあ、掃いて捨てるほどよくいるジジイだ
たしか全員死ぬか生きるかに賭けるほうが絶対に正しいと言い切っていたうえで
問いかけていたはずだから、お前はどうなのかと聞かれたらそう答えるだろう
な。
元々の批判も現場に言ってたんじゃなくて、1人見捨てるかどうかを
「問いかける」倫理学者にむかっての批判だったと思うがな。
308 :
考える名無しさん:2008/03/10(月) 07:35:28 0
>>306 > 1人を切り捨て10人生かしている人にむかって
ここがまちがい。
要するに現場はさておき、批判の仕方を批判してるのか
そういうのを立ち位置系というんじゃないの
現場への批判を批判してるわけではないはずだったがな。
それに立ち位置が定まってないとは思わんが、ほかにも新しいこといおうと
してんだから立ち位置系でもないだろ。
イタリア行ってたのかー
本日のエントリに感動した!
>>307 >たしか全員死ぬか生きるかに賭けるほうが絶対に正しいと
たしか救助の場面を仮定して言い切ってたな。
ということは実際にその場面に遭遇したときもそう言うのか?
実際に言うのだとしたら「現場に向かって」言うことになるし、
実際には言わないのだとしたら無責任だなw
戦争では「奇跡」に賭けて部隊全滅とか旧日本軍にはよくあった話なわけだが、
そんなののどこが倫理的なの?
それって別に1人を切り捨てないためにってことじゃないだろ。
小泉みたいなことはキリストだって言ってるよ。
318 :
315:2008/03/18(火) 18:06:07 0
>>316 すまん、確かにそうだな。例が不適切だった。
軍隊は別に全員を生かそうとは思ってないもんな。
319 :
考える名無しさん:2008/03/18(火) 23:45:06 0
小泉先生は時事ニュースにも反応するんだな。
府知事に噛み付いた女性職員をほめてたけど、あの職員の発言って
小泉先生の言う組合専従の活動家そのものだったんじゃないの。
あんまり褒めてないように見えるけど
府知事のことは確実に馬鹿だとおもってるっぽいけど
321 :
考える名無しさん:2008/03/19(水) 10:27:46 0
府知事のことは完全に馬鹿にしてるよね
情熱はいいけど、それを向ける方向が頭悪すぎだろ、と
ちまたの公務員バッシングのレヴェルなんだよね
まあ、だから大衆的支持を得たんだろうけど
322 :
考える名無しさん:2008/03/19(水) 13:35:47 0
はすみ男買う
>>314 たしかに「実際」に言えば現場に向かっていっていることになるけど、
それが何か問題あるのか?
というか「実際に」ってお前が問うているだけで事実ではないだろう。
だから、「実際」の話は「実際」にその場になってみなければ分からない
のに、観客がそれについてうだうだしゃべって、しかもそれが答える人に
後ろめたさを覚えさせるような問いが気に食わんし、それで現実とやらを
教えてる気分になっている人のことも気に食わん、ということだろ。
そんな問いなら答えはオール・オア・ナッシングしかないという判断なの
はよくわかるがな。
キリストが同じようなこと言ってるというのはそのとおりだと思う。
そういう意味では2000年ほど前から「よくいる」人なのかもしれないな。
>>319 ちゃんと嫁。
「馬鹿げた朝礼に対して抗議した公務労働者は、その発言内容から推しても、
立派に仕事をこなしている。あるいは、立派に仕事を行なっていることを盾
にして、抗議を行なっている。私はその語り方は肯定する。」
>>323 >だから、「実際」の話は「実際」にその場になってみなければ分からない
のに、
小泉の真意はそういうことなんだろうな。
未来の不確定さに賭けるみたいな。
ドゥルーズの時間論かなんかに基づいているのかね?
だがさらに問うが、普段からリスクを考え、あらかじめ現実的な対応策を考えるより、
奇跡を夢想する事の方が倫理的だと言えるのはなぜかね?
326 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 12:20:11 0
>>324 だから小泉先生が肯定したあの公務員の語り方が、俺には小泉先生の否定する
組合専従者の語り方にしか聞こえなかったということ。
>>326 なぜ「組合専従者」が否定されているかといえば、一般労働者と違って
働いてないってことが問題。
ここでの公務員は「私たちはこれまでも充分に働いている」という形で
知事に対抗している。であれば、素直にとればこの公務員は「働いている」
のであって、否定されるべき「組合専従者」にはあたらない。
あるいは「組合専従者」であったとしても、「私たちはこれまでも充分に働
いている」と知事に対抗するそのやりかたは正しい、と言っている
までのことだろう。
328 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 14:47:36 0
>>327 あっなるほど。知事に対抗する方法としては正しいということか。
そういえば周りはみな背広なのに1人だけ作業着を着ていたし、
始めから知事に対抗する気満々だったわけだ。
>>325 ドゥルーズの「時間論」とは関係なかろう。
普段からリスクに備え現実的な対応策を検討することと、
「誰かを見捨てなければわたしたちはみな生きていけません。(だから
「現実的」にいざというときのために誰かを見捨てる覚悟をしておきま
しょう)」という教説とは距離があるとは思わないか?
そんな構えで、リスクに対するどんな現実的な対策が検討できる?
そしてそのときに、「いざというときに誰かを見捨てると考える(あるいは
考えさせる)のは間違っている。全員救う方策を必死で考えるのが正しい」
というほうが倫理的だろう。それは別に奇跡を願うこととイコールでもない
だろう。
330 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:52:09 0
ちょっと話ずれますが
2ちゃんとかユーチューブとかで
あの作業着の女自身がサービス残業してないことをあげつらう意見が多いんだけど
その批判(というか罵倒)は変だよね
あの女はサービス残業に批判的なんだから、
思想信条としてかたくなにサービス残業を拒否するのは当たり前だよね
ところが、残業してねー奴が言うな、の一言で済むって空気が支配的なこの状況は何だろ
ゆとりとかニートとか公務員とかに対するバッシングに熱心な連中って
結局、亀田沢尻コウダ朝青龍あたりを罵倒しまくってたのと同じ層なんじゃないのかな
政治でもワイドショーや週刊誌の怨嗟ぶつけの祭りの感覚で民意が形成されてるというか
331 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 19:05:12 0
巷間言われてるのと全く逆に、モラルが過剰に蔓延してるんだよ
多分・・・
332 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 19:07:53 0
怨嗟ぶつけ祭りでストレス解消する口実としてモラルは使い安いんだろうね
333 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 19:51:00 0
>>330 私たちがどれだけサービス残業してると思ってるんですかという語りは
実際にやっているなら有効な語り方なんだけど、
私はやってませんけどとぶっちゃけられたら、おいおいってことになる。
334 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 21:28:31 0
私たちって職員たちってことでしょ
ていうか、サービス残業やってる人らはああいうとこで堂々とあの発言できないよ
そういう事情があるという想像もなしに罵倒一辺倒なのはまともじゃないでしょ
カメラまわってるとこで
あんだけ堂々と意見言うやつがサービス残業してたら変でしょ
職場でも拒否してるに決まってるじゃん
なんとか派のシンパみたいだし、
不当な搾取だとか言って頑固に拒んでると考えるのが普通じゃないの?
>>330 333の言うとおり。日本の一応仏教徒実質無神論の一青年が、イスラム世界を体験したことも無いのに、テロのニュースを聞いてそれがイスラム教徒だった時にイスラム教徒やイスラム教を批判するのと同じくらいナンセンス。
もっと似たような身近な例をあげると、聞いたことないような新興宗教の教団員が何か事件を起こしたときにその宗教を部外者があれこれ言うのもナンセンス。
それと同じ。作業服の彼女はオレの予想では自分が酷い目にあってたわけでなく周りに毎日毎日洗脳されてて、その内容を知事にはきだしただけ。ある意味被害者。
336 :
考える名無しさん:2008/03/20(木) 23:37:48 0
>>335 >イスラム世界を体験したことも無いのに、テロのニュースを聞いてそれがイスラム教徒だった時にイスラム教徒やイスラム教を批判する
これがナンセンスなのにはまったく同意
役所で働いたこともないし、そこでの労働環境がいかなるものかも知らないし
そのうえ、あの作業服の女がどういう状況で、
どういう意味をこめてあの発言をしたのかを何も考えずに罵倒するのがナンセンスなように
そういう批判は、ニコニコでぱらっと動画見て、何も考えずに死ね糞ババア、とかコメする奴にこそ言うべきじゃないかな
>作業服の彼女はオレの予想では自分が酷い目にあってたわけでなく周りに毎日毎日洗脳されてて、その内容を知事にはきだしただけ
この予想はまわりがサービス残業してないという事実があるなら意味がるけど
役所でサービス残業がまったくないなんてのは想像しにくいな
俺は民間だけど、大学で公務員試験の授業出てたから友人に公務員いて
やっぱりサービス残業はしてるらしい
なかには断固拒否して残業代つける人もいるみたいだけどね
あと公務員は給料いいみたいなのは嘘で、役所の二十代なんて悲惨だよ
俺の同期は民間、公務員どっちもいるけど、たいてい民間のほうが給料は上
ただ警官は例外。警官の給料にはびっくりした
あと、国Tとかの上級官僚は知り合いいないからわからん
サービス残業をこれ以上増やそうとするのは止めてほしいという
働く人に有利になるような、ある意味当然の要求をした人がたたかれる
というのもまったくわからん話だ。
活動家と労働者は完全に分断されてしまっているんだな。
「オルタナティヴ」はほとんど忘れ去られてしまっている、ということか。
338 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 17:59:12 0
それはあるよね
大抵の理屈は、民間はもっとキツイって言い方なんだよね
みんなでもっとマシにしようじゃなくて
俺たちより楽するんじゃねえ、とくる
まあそもそも、溜まりに溜まったうっぷんをぶつけらるなら
タレントだろうが公務員だろうが若者だろうが誰でもいいという低次元の話な気もするけど
でも、一方でえげつない金持ちはセレブとか言って持ち上げる
そいつらこそ怒りをぶつけるべき相手なんじゃないのかな
339 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 18:39:44 0
>>337 小泉氏もブログで言ってるけど、この人は労働者であると同時に公務員なんだよね。
しかも大変な財政赤字を抱えて、民間の企業ならとっくにつぶれている団体でもある。
かつて国鉄の職員がストを繰り返して国民の批判を浴びていたけど、それと同じ構図
じゃないかな。
逆にあの公務員を「擁護」する人は、やはり一定の社会層に所属しているのだろうか。
340 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 19:52:10 0
>>339 そうそう。小泉氏は公務労働者には公務労働者としてすべきことがある
と言っているから、たぶん国鉄のストも肯定しただろうけどね。
341 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 20:52:42 0
公共団体の財政赤字問題を民間と同一に論じるのは問題だという意見もあまり出ないね
少し考えれば不思議な比較だと思うはずだよね
すくなくとも、例え方として意味があるのかどうかの疑問を呈する人がいてもいいはずなのにね
国の借金は天文学的で破綻も間近だみたいな議論もそうだよね
経済学の基礎知識さえあればわかる話なんだけど
まず、何か罵倒の対象が欲しいとうとこから感情が動いちゃって
深く考える気がそもそも無い
自分がまともに知らない分野なんだから
テレビがそう言ってるけど、ホントにそうなのかなと思うのが普通なはずなんだけどね
ニュースの該当インタビューで国家や地方の財政状況についてぺらぺら答えてる人に
ちなみにISLM分析はご存知ですよね?と聞いてみてほしいなww
342 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 21:25:05 0
>>341 今の財政赤字問題は行政サイドやマスコミが作り出しているにすぎないない面もあるわけだ。
民間なら倒産という比喩は毎日のようにニュースキャスターや経済評論家が唱えている。
少なくとも経済評論家に経済学の基礎知識がないとは考えにくいが、アジテーションとしては
ありなのかもな。先の大阪府の公務員へのネット上での罵倒合戦がそうやって作り出された
風潮に乗っかったものにすぎないという冷静な視点は確かに大切かもしれない。
とそういう風潮に乗ってあれ活動家だろwと一蹴した自分の感性にも一応懐疑を示しておく。
343 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 22:04:57 O
今日、研究会に来てたけど、やっぱり気持ち悪い外見だよ、あの男は。
344 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 22:43:51 0
>>341 国の借金は天文学的で破綻も間近だみたいな議論もそうだよね
確かに破綻間近は少しおおげさだが、でも火薬庫となってるのは事実だよ。
何かの外因でパラダイムシフトが起こる時に爆発しかねない。
それに概念上は国の借金/国民の数が国民一人当りの借金であることは事実。
それを増やしてきたのは免責されてきた公務員と政治家。責任をもって国家運営をしてもらうためにも借金の明確化は必要。
小泉先生も橋下も現実のプラグマティックな分析をせず、
いきなり道徳を振りかざす点で同じじゃねえか。
倫理なんて一時棚上げにしとけよ。
人間はおおむね利己的に行動するもんだという事を大前提とした制度設計が必要なんだよ。
>問題は、某府知事が馬鹿であるということである。
これは全く正しいが、
>オルタナティヴを教えてやらないといけないのである。
はぁ?ですよ。
オルタナなんていらね。必要なのはまず正統的な経済学だろう。
「経済・経営言説」なんて経済と経営を一緒くたにしてる時点でセンスない。
346 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 23:25:47 0
>>344 財政赤字はマイナス要因であることは事実だよね
でも借金という表現は誤解のもとだとは思うよ
国債を買ってるのは大半が日本人だし、国債が買ったとたんに紙屑になるわけでもない
国の借金という場合、正確には対外債務のことを指すんじゃないのかな
(間違ってたらすまん)
あと、公務員の責任は問うべきは問うべきだけど
国家財政にタッチする上級公務員と、地方公務員なんかの中下級公務員を一緒くたに批判するのは違うよ
もちろん、中下級公務員にも指摘すべき問題はあるけど
保育士から官僚から何から何まで公務員の一言でまとめてバッシングはダメでしょ
>>345 正統な経済学の啓蒙が必要というのは同意
世間一般にむけて考えるなら、小泉氏の著作より経済学の入門書が優先されるべきかもしれない
でも、小泉のような人は必ず必要だとは思うな
やっぱり嘘でも幻想でも、「外」を見せるべきで、現実の改良をよりマシな方へ刺激する一因にはなるんじゃないかな
かくしてここでも、素朴で素直な人々の信仰の対象となっている
政治経済学批判が喫緊の課題だということが再度確認されたわけだ。
「喫緊」なのは常に現実的な処方であって、道徳談義はのんびりやってくれよ。
西部邁が経済学を捨て、宇沢や森嶋などの老大御所が「政治経済学批判」に転じ
それらが何の成果も生み出していないのを見れば、何が喫緊だという感じだな。
哲学者なら有効な批判ができるというわけか。
そりゃたいしたもんだ(棒読み
まぁどうせ小泉とか哲学を擁護するなら、
俺がいちいち「現実的」とか書いてる部分に突っ込んで欲しいな。
レアリテとは何ぞや、と。
レアリテとは「出来事」であるがゆえに奇跡こそが現実的なのである、
とかなんとか。ドゥルーズっぽいしょ?
COPD 肺の生活習慣病
http://www.spinet.jp/index.html このような症状がある人は、肺機能検査を受けましょう
* 40才以上で、タバコを吸っているまたは吸っていた
* しつこく続く咳、痰
* 階段をのぼると息切れがする
だそうだ。
多くの人が当てはまるだろう。
ここでも医療における患者という資源の発掘が行われようとしているな。
医療費は健康保険でまかなっているのに、
なんで「患者という資源の発掘」が必要なんだよ。
予防医療による将来の医療費高騰の抑制が目的だとしか思えんのだが。
354 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 08:55:26 0
>>352 癌の検診もそうだよな。
癌は末期に見つかって2、3か月闘病して死ぬのが楽。
早期に見つかって抗がん剤漬で何年も闘病して死ぬなんてな。
355 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 10:00:24 0
>>345 >小泉先生も橋下も現実のプラグマティックな分析をせず、
>いきなり道徳を振りかざす点で同じじゃねえか。
>倫理なんて一時棚上げにしとけよ。
>人間はおおむね利己的に行動するもんだという事を大前提とした制度設計が必要なんだよ。
何もわかっていないアホ。
制度設計が人間を利己的にしているんだよ。人間が本来利己的なわけではない。資本論くらい読んどけ池沼w
刑事犯に移動の自由があるのなら、何で警察なんてものが必要なのだ。
通り魔にも移動の自由を保障しろ。
なんで「移動の自由」こそが「絶対的正義」なのかわからんw
公理なの?
小泉先生は超越的な無限の彼方から到来する倫理的電波の受信機なの?
358 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 11:32:08 0
ここのやつらアホすぎじゃね?
カントの『永遠平和のために』を踏まえた発言だろw
359 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 11:34:41 0
移動の自由こそが究極の善であるというのはデカルトの『情念論』の
小泉先生流の読み替えだな。
今の社会でも、金川容疑者の移動の自由は結果的に保障されたわけだけど。
360 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 11:35:35 0
361 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 12:04:59 0
>>360 つ小泉義之『デカルト=哲学のすすめ』(講談社現代新書)
>>358 一人哲学も知らずに粘着してるのがいるだけ
民衆をマルチチュードだと解釈して、ネグリ自身がマルチチュードの移動の自由
に希望をこめたことを思えば、ネグリへのオマージュ的アジだろうな。
364 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 19:01:05 0
俺もそう思った
365 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 20:20:00 0
それにしてもリバタリアン・パターナリズムってのもおもしろい用語だな。
頭の変なところを刺激される。
あらゆる規制を嫌いながらでも社会の福祉を増進させるよう人々を誘導する
方法を、スーパーに入った客を買ってもらいたい商品に誘導する方法と結び
つけて考えてみる。
かつての前衛党は理念と啓蒙によって少数者による革命を起こそうとしたけど、
今やそんなことをしなくても、買い物客を誘導するように革命を起こせるわけだ。
各人が自由に移動しながら、実は公共の福祉のために動いている。犯罪者は
自分の意志で刑務所に入り、進んで裁判を受ける、そんな世界なのだろうか。
366 :
考える名無しさん:2008/03/24(月) 20:40:09 0
「公共の福祉」(笑)
超越論的仮象ですねw
>>365 たしかに面白いよな。
でも基本的な難点は、パターナリズムとして合理性を外から入れ込むときの
判断が難しい場合があるような気がす。
商品の置き場の問題は明快な答えが出る、つまり、売り手はたくさん商品
を売りたいという「トートロジカル」な合理性が成立しているので、
「商品を売る」ためにより合理的な手段の提案を拒否したり非難するのは
馬鹿らしい。
でも福祉制度などの場合、どのような状況が望ましく合理的であるかをめぐる
論争が起こりうるし、その結果によっては結局福祉受給者にとって悲しむべき
事態になりそう。
リバタリアン・パターナリズムと福祉向上の議論はやはり別の話でうまく
繋がっていない印象を受けるってことだが、そういう形で考えてみること
が面白いのは確か。
福祉を向上させるリバタリアンなんてほぼナンセンスに思われそうなものが
成立可能かもしれないというだけでもじゅうぶん面白い。
なんかあずまんの「環境管理型権力」連想したんだが。
それと立岩真也の「冷たい福祉国家」とか「分配する最小国家」
やばい。なんか脳汁出そうだ。ちょっくら連中の著作読み返すかな。
369 :
考える名無しさん:2008/03/25(火) 19:21:01 0
リバタリアン・パターナリズムは環境管理型権力とかなり重なるよね
>>369 もしそうなら、環境管理型権力の「善用」もありうるってことか。
371 :
考える名無しさん:2008/03/26(水) 21:08:34 0
うーん
リバタリアン・パターナリズムはうまくいっても
環境管理型権力のマイナスを引きずるってイメージかなー
うまくいったリバタリアン・パターナリズムは主観によっては環境管理型権力に見えるというか
哲学界の立花隆
373 :
考える名無しさん:2008/03/29(土) 14:01:14 0
それはない
374 :
考える名無しさん:2008/03/29(土) 18:06:28 0
>>344 ヴォイス四月号の山形浩生の文章読んでみるとおもしろいよ
国家公務員の質を国際比較してて
冷静な分析と思う
山形なんて小泉先生から見たら、単なる「グローバル独占資本の走狗」だろw
なにしろ「飢餓の原因は世界市場」と断言する御仁だから。
376 :
考える名無しさん:2008/03/30(日) 17:48:13 0
それはそうだろうけど
ひとまず分析としてはまっとうだと思うよ
俺も小泉よりは山形のほうが好きだな
378 :
376:2008/03/30(日) 19:01:16 0
いや、俺はどちらかというと小泉が好きなんだが
山形の意見も参考にすべき点はそれなりにあると思う
二人の意見がぶつかるのはわかってるつもり
ヴォイスの文章も現状分析としてはいいと思うけど
その後の改善の方向性はどうかなーという感じ
でも、公務員と民間で流動性高くしたらみんな民間に流れるとか
人口当たりの公務員の数は先進国ではかなり少ない方だとか
こういった事実を知らせるのはまっとうな仕事と思うな
広告費に依存してるマスコミは結局、公務員が一番たたきやすいんだよね
379 :
考える名無しさん:2008/03/31(月) 13:04:18 0
このひと、ベーシックインカムの第一人者なの?
380 :
考える名無しさん:2008/03/31(月) 14:30:46 0
そうではないと思う
最低保障賃金ってどこかうまくいかない
ってどこかで発言してたと記憶する
もちろん肯定か否定かなら、肯定するだろうけどね
>>379 ベーシックインカム知りたいなら日本語ならはじめは小沢修司とかがお勧め。
>>380 ベーシックインカムと最低保障賃金はちょっと違う気が。
どちらかといえば賃金でなくて所得保障かと。
382 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 18:18:57 0
あれ、それは別物なの?
訳し方の差というか、呼び名がいろいろあるだけだと思ってたんだが…
* *
* うそです +
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
384 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 23:06:43 0
かつて『別冊情況』のレーニン特集に掲載された小泉義之教授の論文を読み、
その時、憲法学を学ぶ者として若干の違和感を持ったことを思い出します。
詳しい内容については失念しましたが、それでも憲法13条や25条について触れられた
記述が納得のいくものではありませんでした。
日本国憲法は、「個人の尊厳」を基本的価値とし、全ての国民を「個人として尊重する」
ことを宣言しております。そしてその意味を一層具体化するために、「生命、自由及び
幸福追求に対する権利」つまりは幸福追求権を有すること、他方で全ての国民が等しく個人
として尊重されねばならないことから、当該権利が「公共の福祉」の制限に服することを明文に
おいて規定しています。
ところでこの「公共の福祉」とは公権力が決めた外在的な制約というのではなく、あくまで人権相互の
矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理として位置づけられていますので、人権内在的制約と観念
されます。
この幸福追求権の意味内容に関して、学説は一般的行為自由説と人格的利益説に分かれており、通説は後者なので
すが、これは、幸福追求権を「個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体」と
解する学説です。他方、一般的行為自由説とは、他者の利益を害さないあらゆる行為の自由が幸福追求権の保護対象
となると解する学説です。
佐藤幸治教授も指摘するように、この学説間の対立の背景には深いレベルでの人間観の対立があろうと思われます。
前者は、人権主体としての個人を、自ら最善と考える自己の生き方を自ら選択して生きていく人格的・自律的主体と
考え、人権をそのような人格的・自律的な生の必要不可欠な権利と解するところに特徴があり、他方後者は、
個人を極く限られた能力しか持たない存在と考え、何が最善か予め選択して生きていくよりは、善き生を探りながら行動し、
試行錯誤しながら生きていく存在だと考えることで、人権とはそのような試行錯誤をして生きていくための手段・方法と解する
見解です。
385 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 23:07:56 0
そしてこの13条によって、14条以下で規定されている人権以外の人権であっても、幸福追求権に包含されると評価される権利
であるならば、憲法により直接保障されるという解釈が起こり、例えば人格権であるとか、自己決定権であるとかの「新しい人権」が
生み出されていったのであり、個人の尊厳を重要と考える全ての人々にとって貴重な意義深い規定であろうと思われます。
なるほど、憲法の第三章の表題には「国民」と規定されています。
しかし、憲法の人権規定は何も日本国民ばかりが対象となっているのではありません。
外国国籍を持つ者であろうと、人として存在するということを根拠として、人権保障の対象になります。
学説と判例の見解は多少異なりますが、最高裁判例においても、憲法第三章の人権規定は、権利の性質上
日本国民のみを対象としていると解されるもの以外は、外国人に対しても等しく保障が及ぶ、とされているのです。
当然、21条の表現の自由も保障されています。但し、政治活動の自由は、政治的意見の表現の延長としてその活動の
自由も21条の保障対象内であるものの、我が国の政治的意思決定とその実施に影響を及ぼす等、外国人の性質からこれを
許容することが相当でないと解される自由までは保障されてはいませんが。
いずれにせよ、小泉義之教授の憲法13条に対する見方は、近代憲法における、そして日本国憲法での13条の重要性を
軽視している見方ではないかと思わずにはいわれません。
えっと、小泉さんは憲法13・25条についてどんなことを『別冊情況』のレーニン特集に書いてたわけ?
長文書くぐらいなら、小泉さんの主張もパラフレーズして欲しかったな。
387 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 23:36:29 0
憲法25条のいわゆる「生存権」規定についての見方に関しても違和感がありました。
憲法25条は、1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
と規定し、2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進に努めなければならない」と規定し、1項で保障した権利に対応する国の責務
を定めております。
1項で保障したいわゆる生存権は、国家に倒してその侵害行為を控えるように求める自由権的側面を
持つだけでなく、それを実現する行為を行う作為請求権としての社会権的側面をも有するところに特徴
があるわけですが、作為請求権としての側面を見ると、作為の内容は原理的には無数にありうるわけですから、
具体的内容が定まっている権利ではありません。
そこで当該権利の法的性格が論定される必要が生じてくるわけですが、小泉義之教授はどうもプログラム規定説の
説明を取り出し、それを攻撃しているように見受けられます。
もちろん、プログラム規定説批判を法的性格をめぐる憲法解釈論として提示するのなら真っ当であろうと思われますが、
これを以ってだから25条は欺瞞であるとの批判としているように読めるわけです。
この点、私は承服しかねます。
388 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 23:37:21 0
憲法25条で規定されているいわゆる生存権の法的性格をめぐる解釈論上の対立する学説は、概ね三つに大別されます。
一つはプログラム規定説と呼ばれる見解で、かつての通説的見解でした。
すなわち、25条は法的効力を持たず、政治指針ないしは法律解釈の基準以上のものではないとする見解です。
二つ目は、抽象的権利説であり、これは25条に法的性格は認めるが、そこで保障された生存権は抽象的な権利にすぎず、
そのままで裁判所で適用しうるものではないが(つまり裁判規範性を持たない)、その権利を具体化する法律が制定されれば、
その法律の審査基準として働きうる、ないしはそれと一体化して具体的権利になると解する見解です。
以上二つの見解は、生存権の具体的内容を決めるのは国会であり、裁判所が国会の権限を代位行使することは認めるべきでは
ないとする立場(三権分立に抵触する危険性も認められるから)である点で共通していますが、
その意味するところは異なります。
三つ目は具体的権利説であり、これは25条は生存権を具体的権利として規定していると考える見解です。
したがって、25条規定を直接の根拠として裁判所に出訴できると考えます。
もっとも、かく解しても、やはり裁判所として具体的金額までは算定することはその能力・権限を超える
ものですから、給付請求までは認められず、違憲であるとの確認判決を出すにとどまり、国会等の政治部門に
具体的施策の実施を期待するということになります。
一昔前なら、プログラム規定説を全面的に押し出して訴えを不適法として却下するところ、
最近では社会権絡みの違憲判断も最高裁が下すこともあり、解釈・運用次第で25条の規定も十分その有効性が
認められるのではないでしょうか。闇雲に25条を欺瞞とするのではなく、憲法学者や法曹関係者の努力を注視して
おくべきではないかと思われます。
389 :
考える名無しさん:2008/04/01(火) 23:54:55 0
長々と書き連ねましたが、私が小泉義之教授に対して持つ若干の違和感は、
小泉義之教授が端から立憲主義の意義を軽視している、否、真っ向から否定
しているのではないかとの疑念を払拭しきれないところに由来しているもの
と思われます。
ラディカルな左翼の方からすれば、現在の議会制民主主義及びそれを支える
日本国憲法体制は、紛れもなくブルジョア支配を温存することにしかつながらない
と解するのかも知れませんし、それを擁護する考えはブルジョアイデオロギーないし
その亜種でしかないと見なされるのかもしれません。
当然、立憲主義に何らかの積極的意義も見出さす必要はないということになるでしょうか。
しかしながら、歴史的に見ても、立憲主義が国家権力の暴走を食い止めてきたし、今後もおそらく
権力の恣意的運用から社会の成員の権利・自由を守る砦の役割を担うものと期待され、
立憲主義の意義は何ら減退することはないだろうと思われます。
長谷部恭男教授も立憲主義を擁護することの意義を最近積極的に方々で発言しており、その前には
おそらく現存する憲法学者の中で最高権威の一人である司法制度改革審議会会長を務めた佐藤幸治教授も
その著書の中で「立憲主義へのアフェクション」という表現で、人類史におけるおそらく最も優れた英知の
一つだろう立憲主義の重要さを説いています。
390 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 00:21:35 0
公務員についても述べるべきことがあります。
現行法上、公務員の労働基本権は広範に制限されております。
但し、職務の内容によって規制の範囲が異なっております。
労働基本権は、ご承知の通り、団結権、団体交渉権、争議権の三つに大別
されますが、三権いずれも否定されるのが警察官、消防隊員、自衛官で、
次に団結権は認められるが、団体交渉権が制約され、争議権が否定される
非現業の国家・地方公務員があり、その次に、団結権と団体交渉権は認められる
が、争議権が否定される現業公務員が存在するというようにおおよそ三つに分かれ
ています。
公務員も憲法28条の「勤労者」に含まれると解されていますから、当該規定の保障対象に
あるものの、国家公務員法や地方公務員法およびその委任を受けた人事院規則等による広範な
制約に服しているわけですが、かかる制約に服さざるを得ないことの憲法適合性について、かつては
特別権力関係論が支配的潮流でしたが、最高裁は全逓東京中郵事件においてこれを否定しました。
現在では全農林警職法事件最高裁判例が事実上の先例規範となっておりますので、先の判例の基準が
妥当するのか怪しい点があるわけですが、いずれにせよ、公務員は政治的中立の保持とこれに対する
国民の信頼という公益のために、労働基本権が必要かつ合理的な範囲で制約されるのはやむを得ない
と見るべきでしょうし、最高裁判例もそのことを述べております。
すなわち、公務員は「全体の奉仕者」として労働基本権が必要かつ合理的な範囲で制約されてもやむを
得ず、争議行為を一律禁止することは憲法の認めるところである、と。
この最高裁判例を重視するなら、公務員のスト行為はやはり認められないと考えるべきではないかと思われます。
もっとも、公務員も憲法28条の「勤労者」に含まれますので、労働基本権の制約も「全体の奉仕者」として
職務遂行することを妨げない程度に認められるべきであり、したがって公務員の政治的中立性の保持とこれに対する
国民の信頼の確保という公益を実現するという要請との調和を図りつつ、必要かつ合理的な範囲の制約を考えていくべき
でしょうね。
391 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 00:45:53 0
「個人の尊厳」を人格形成責任たる主体の尊厳として理論化した主体性理論を
展開したのは、わが国刑事法学の最高権威であり、東京大学名誉教授、元最高裁判事、
元東宮参与、日本学士院会員である団藤重光博士です。博士は、カール・ポパーとも親交があった
偉大な学者で、法学にとどまらず哲学的思索に裏打ちされた著作を多く残しておりますので、
是非御著書をご一読あれ。小泉義之教授の関心とも重なるところがあるかもしれません。
団藤博士は、勲一等旭日大綬章や文化勲章を受章しており、現在は学士会理事長です。
哲学は常識や専門知の根幹を懐疑に付し、場合によっては根こそぎにする。
小泉さんは哲学を武器とするテロリストだと思うね。
自分の道徳的欲求にそぐわない場合は、専門の知であろうと平然と破壊する。
諸専門家にとっては迷惑な人だ。
>>386 気持ちはわかる。
釣りだと解してそっとしておいてやるのが情けというものだろう。
>>382 ちなみに賃金というと労働の対価になってしまうけど、ベーシックインカムは
働いているとか働いていないとかの前に全員に生きられる分だけの所得を
保障するんだから、それは保障された賃金ではなくて、生活できる所得の保障
なんだと考えておいたほうがいい。
ブログ終わってしまったな。
最初から「期限付き」と示されていたこととはいえ寂しい。
「ローコスト、ノーカウント」なんていわずに、このまま消さずに
残しておいてほしい。
395 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 18:33:35 0
>>392 「迷惑な」?
「ありがたい」と打ちたかったのに打ち間違えたのか?
396 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 18:39:05 0
いや、まったくよくわかるが
それは同じことを違う呼び名でよんでるだけじゃないのかな?
ちなみに
保証賃金要求の基本は生きてるだけで労働だという理屈だよね
ベーシックインカムもネグリとかが言うのはその理屈だし
もともとの小泉の発言も
ネグリとかが生命=労働の理屈をもとに保証賃金要求を引出すことを
資本制との対決を回避することになる、とダメだししてる
これはネグリのベーシックインカム論を背景にしてるわけでしょ
いろいろあるベーシックインカムの訳し方、あるいは表現の差なんじゃないのかな
397 :
396:2008/04/02(水) 18:40:45 0
>>396 そのとおりなんだけど、生活=労働だからその対価として賃金を求めるって
話以外にもあるからな。
これはベーシックインカムの表現の差である以上に、論理の筋道の差だろうな。
ただし資本制との直接対決を回避しているというのは、ほかのベーシック
インカムの議論にも当てはまる批判ではあるがな。
399 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 22:59:35 0
労働契約は、労務提供義務と賃金支払義務とは双務関係に立つとしていますので、
いわば「ノーワーク・ノーペイの原則」は労働法学上当然の法理となっています。
したがって、使用者の責めに帰すべき事由により労務提供義務が不履行になった
という事情が存しない限り、賃金支払請求権は発生しません。
そして使用者は、契約上包括的な指揮命令権を有するので、労務指揮権に違背する
行為は労務提供義務の不履行と見なされ、当然に賃金支払請求権の成立を否定することに
なります。
この点、小泉義之教授の議論は、賃金支払請求権は労働契約の債務の履行に基づく債権である
ということを無視していると思われます。
400 :
考える名無しさん:2008/04/02(水) 23:18:22 0
仮に小泉教授の主張する「ベーシック・インカム論」は、労働対価としての賃金支払請求権
の主張ではないとするならば、一定の所得保障を基礎づけるだけの請求権の根拠を論じる必要が
あります。
しかし何らかの請求権だとすれば、それは通常相手方に対する債権の主張という形をとるわけですが、
契約、不法行為、不当利得、事務管理といった債権発生原因なくして債権の発生を根拠付けることなどできません。
労働契約に基づく賃金支払請求権の主張ではないという前提だとするなら、残り三つの可能性を考えてみる必要がありましょう。
では不法行為なのでしょうか?何らかの相手方が故意または過失に基づき権利もしくは法律上保護された利益を侵害したという
事実が基礎づけられるのでしょうか?その時、一体相手方とは誰なのでしょうか?
権利もしくは法律上保護された利益をどのように考えればよいのでしょうか?
故意または過失によって損害を発生させた相当因果関係をどのように立証するのでしょうか?
ほとんどナンセンスなことになってしまいます。
では不当利得なのでしょうか?一方の損害によって相手方が「法律上の原因」なくして利得した
ということをいかなる理由で構成するのでしょうか?事務管理にしても「他人の事務」というときの
他人とはいかなる対象を指すのでしょうか?
いずれにしても、債権発生原因の根拠なくして債権としての請求権の主張などできようはずもありません。
では、憲法25条の解釈として国または公共団体に対する給付請求権として位置づければよいのでしょうか?
確かに筋としてはこの方向で行くよりほかないでしょう。
しかしながら、憲法25条を直接の根拠として給付請求権を基礎づけることは難しいのではないかと
その具体的内容が乏しいこと、財政上の限界のなかで給付額算定のためには専門的・技術的判断が要求される
ところ、それらは国会等政治部門の判断に負うところ大きく、原則大幅な裁量権を立法府に認めざるを得ません。
もっとも、現在は憲法25条の規定の趣旨を反映させた生活保護法が実現していますので、その文言から権利の内容を
一義的に判断できる場合は、給付請求権の存在を基礎づけられますので、この方面でつまりは生活保護法等の柔軟な運用によって
解決されていくべき問題であるように思われます。
401 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 00:20:08 0
>>399 ベーシックインカムは賃金ではないとすればおk
>>400 債権発生原因の根拠は「社会契約」であるとすればおk
法学徒は頭が固すぎる。新しい法律を作る必要があるのは明白だろ。憲法改正も視野に入れる。
>>399,400
あいかわらず長いが、今回は小泉義之=ベーシックインカム論者と
誤認している以外はそれほど外してないな。
ならば基本的な確認を。
生活=労働だといった主張をするとき、では誰が、どこから、どういう根拠で
その「対価」を支払うべきかと考えることは確かに必要で、答えるのは
なかなか難しい。あるいは、その際の「対価」は、生活が狭義の意味での労働
ではないように、狭義の意味での賃金ではないのかもしれない。
そうではなく生活を保障するための所得が必要だとするなら、すでにある
生活保護でいいではないかという議論もたしかにある。
だが現行の制度では、生活保護を受けるのは働いてないだめな人間といった
イメージをもたらしやすいこと、働くと受給額が減るので努力しても貧しい
状況から抜け出しにくいことという問題点が指摘されているな。
ベーシックインカムであれば、全員に無条件に給付されるためにこの二つが
クリアされるという利点がよくいわれる。
403 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 00:59:12 0
>では誰が、どこから、どういう根拠で
>その「対価」を支払うべきかと考えることは確かに必要で、答えるのは
>なかなか難しい。
公務員を全員クビにして、その給料を回せばいいだろ。
>>403 それだけでは全然足りないし間違っている。
公務員を全員クビにしようがしまいが、その人たちの生活も保障する制度
でなければならない。
であればクビ=全額没収ではなくて、たとえば公務員全員の給与を三分の一に
して生活できるとして、のこりを三分の一ずつ別の人に分け与えたとしても、
現公務員の三倍の人がもらえるが、全員にはならない。
ただここで言いたいのは、実際に元手が用意できないからダメだということ
ではなくて、生活=労働の対価としてベーシックインカムをちゃんと説得的に
主張できるかということだ。
スローガンも勇気がなければ言えないし重要だが、
スローガンだけでは何も変わらない。
405 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:03:00 0
ベーシックインカムはダメだなやっぱり。国家に依存して強化させることにしかならない。
406 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:07:53 0
>>401 債権発生原因を「社会契約」とするわけですか?
それには無理があります。
そもそも、債権発生原因としての契約は、意思表示をその本質をする法律行為です。
とするなら、意思表示を構成する内心的効果意思を欠く場合、契約は有効にはなりえず、
したがって当該契約について「契約した覚えはない」あるいは「契約内容と自分の意思は異なる」
という主張が仮に認められるならば、当該契約は無効ということになります。
社会契約がここでいう「契約」に包含されても(私は契約の本質的意味からして「契約」という
表記は同じでもその意味内容は大きく異なるものであると思いますが)、意思を欠くと主張する者は
当然に存在するだろうし、契約には一定の要件を充足する限りで無効あるいは取消を主張しうる性質の
ものでなければなりません。社会の成員を一方当事者として含めた契約が一体何を意味するのか不確定ですし、
仮に一成員がそのような契約を締結したというのなら、当該契約はそもそも実現可能性の疑われる内容を持つものゆえ、
契約成立要件すら充足しないということになりはしないでしょうか?
百歩譲って「社会契約」が債権発生原因としての契約と解しても、それを以って
一定の給付を請求するわけですから、請求原因事実を立てなければなりません。
そのとき一体、いかなる事実を以って請求原因事実とするのでしょうか?
ご承知の通り、請求原因事実とは、給付訴訟でも確認訴訟でも形成訴訟でも何でも
いいのですが、ある法律効果を請求するわけですから、当該請求を基礎づける具体的事実で
請求を申し立てる者に主張・立証責任がある事実です。
407 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:16:43 0
生活=労働というのは、俺は間違っていると思う。
食料を手に入れるだけでも、労働が必要だ。ただじっとしているだけで食べ物が手に入るのは道理に合わない。
>>406 社会契約は国家と国民のあいだの契約ではなくて、あくまで社会構成員同士の契約だから、
ベーシックインカムを給付する国家なり公共団体なりは、その仕事を任せられているだけなわけ。
社会構成員はベーシックインカムのためのお金を払い、それを受け取ることに、社会構成員となる際に契約すればいい。
請求原因事実は本人が生きていることでいいんじゃね?
ベーシックインカムはそういうものでしょ。
408 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:19:55 0
先述したように、この問題は憲法25条の規定の趣旨を踏まえて制定された生活保護法の
必要かつ合理的な範囲での適用と給付行政の適切な運用によって解決されるべき問題では
なかろうか思われてなりません。
憲法25条に規定される「健康で、文化的な最低限度の生活を営む権利」は生存権として
認められており、このままでは具体的内容を持たない抽象的権利にとどまるので、当該規定を
直接の根拠として裁判所に出訴して救済を求めることはできませんが(判例及び通説に従うと)、
当該規定の趣旨を受けた法律により相当程度具体性が付与されていますので、これを根拠に
裁判所に対して救済を求めることもできますし、現に訴訟も行われているわけです。
仮に問題点があるとしても、それは先述したように法の適切かつ柔軟な運用によって解決されるし、
また解決されるべきところです。
409 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:21:38 0
>>408 いいや違います。
国家にお願いします、助けてください、じゃダメ。
あくまで社会がみんなで助け合う。相互扶助。
あなたは保守的すぎて、何も分かっていない。
410 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:26:18 0
>>408 とりあえずあなたはもっと哲学を勉強してください。
そしたらもっと物分りがよくなるんでは?
411 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:33:18 0
>>407 社会契約は成員同士の契約という前提でしょう。
だからこそ問題点があるのです。
成員同士の契約であるなら、契約当事者は当該成員であって債務は当該成員に
発生するのが原則です。
債権とは、ローマ法以来のアクティオ体系の考えに則るならば(仮にそうでなくとも)、
特定の者が特定の者に対して一定の作為ないし不作為といった給付を請求する権利と
解されますので、債権が第三者から不当に侵害されており妨害排除を行なわざるを得ない等の
特段の事情がない限り、債権に対世効は原則認められのです。
ですから、第三者のための契約であるとか、代理人として本人のためにするとの意思を示して
代理行為をするというならば格別、そうでないならば契約当事者以外の第三者には何ら契約により
発生する債務を負いません。
「仕事を任せられている」といいますが、そこで義務の発生を主張しているのでしょうから、
国家と当該成員との間で委任もしくは委任に準じた契約が成立しているとの主張と解されますが、
委任契約もしくは準委任契約を基礎づける請求原因事実は一体何でしょう?
やはり無理があります。
412 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:44:09 0
>>411 >国家と当該成員との間で委任もしくは委任に準じた契約が成立している
もちろんです。
>委任契約もしくは準委任契約を基礎づける請求原因事実
国家は社会構成員のために存在するものです。それが委任契約の請求原因事実でなくてなんでしょう。
国家が社会構成員のために存在するのでなければ、そんなものはなくしたほうがいいでしょう。
社会構成員相互でベーシックインカムのためのお金を払い、それを受け取るというお金のやり取りを任
せられているのだから、それを怠れば請求は当然でしょう。
413 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 02:53:02 0
>>409 相互扶助というなら、生活保護法はまさに相互扶助と言えませんか?
生活保護法は、「全国民を代表する」国会議員が「唯一の立法機関」である
国会で議論した末に成立したものです。
国民は、国民主権の原則の下、政治に参加し、直接間接それに影響を与えています。
そもそも日本国憲法は、その前文において「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを
享受する」と規定しております。
近代立憲主義の下、憲法とは、国民の権利・自由を守るための公権力を名宛人とする一種の国民からの命令、
と捉えられていますので、かかる憲法の規定からその趣旨を斟酌して立法府により制定された法律は、国民自身
の定めた規定という位置づけです。
民主制の本義も、治者と被治者の自同性と解されるように、「人民の、人民による、人民のための政治」であると
いうべく、国民自身の自己決定であるのです。
したがって生活保護法が相互扶助ではないという主張は、立憲主義や国民主権の原理を踏まえた主張とは言い難い
と思われます。法律は決して天から降ってくる恩寵でもなんでもないのです。
414 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:01:56 0
>>413 あなたはカール・シュミットの『政治神学』を読むべきですね。
何事にも決定する権力があります。
民主主義とは建前です。我々ができることと言ったら選挙くらいなものでしょう。
現に私は、法律作成に参加したことも、審議に参加したことも、賛成反対投票に参加したことも、ない。憲法だってそうです。法律はごく一部の人間が作って可決させるものです。
生活保護法は不十分です。北九州市で問題もあったでしょ。
415 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:04:39 0
「国家は社会構成員のために存在するものです」との主張は、私も同意しています。
この点に何ら問題はなかろうと思われます。
だからこそ近代立憲主義が機能しているのです。
社会構成員の生存と福祉等のために公権力は行使されねばならない。
個人の尊厳を最大限認めつつ、他方で個々の人権の矛盾・衝突を調整する実質的公平の
原理である公共の福祉による一定の制約に服せしめて、個人の自己実現と社会の均衡のとれた
調和ある発展が図られる、これが我が国の憲法の要請することです。
社会公共的政策の実施のために、公権力は機能すべきであって、そこから行政活動が正当化されねばならない。
そのためには徴税を行う必要もあり、得られた限られた予算の中から、国民が選んだ代表者がその用途を適切に
配分していく、生活保護行政もその一つです。
416 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:14:58 0
>>415 収奪-再分配の交換システムが遅かれ早かれ破綻するのは目に見えています。
これは国家の破綻と同じです。
現にもう税金では国家財政も地方公共団体財政もまかなえないでしょう。これから少子高齢化が進む一方だから、どんどん税収は減って歳出は増してくる。
けっきょく国家や公共団体は、誰かから収奪してきたものを再分配するしかないのだから、北九州市のように苦しい人に金を出し惜しむということが起きる。
そういう弊害は本末転倒なのです。いくら理念として社会構成員のためにと思っていても、こういうことが起きる。これは倫理が悪いのではなくて、国家というシステムの限界なのです。
417 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:17:01 0
>>414 シュミットの『政治神学』なら既に読了済みです。
しかし憲法論でいうなら、シュミットの『憲法理論』の方がよりここでの問題や、
あなたのおっしゃる決定の権力について憲法制定権力論として触れられていますよ。
もっとも、私は憲法制定権力を政治的実存に帰せしめるシュミットの議論には同意しかねる
ものを感じますが、それはともかくとして、我が国は日本国憲法体制の中で、自分自身が
いわば主人公として自らの社会生活を支えています。国民主権なのですから。
あなたが現に法律の制定に関与したかしなかったかなどは問題にはなりません。
事実、選挙権の行使は何よりも国民主権の現れではないですか。
間接的であれあなたはあなた自身を規律している。
もっともこの問題は代表するものと代表されるものとの非対称な関係を思考する必要が
あろうかと思われますが、それにしてもシュミットの『政治神学』の主題は直接の問題では
ないでしょう。
仮にあなたがかかる思考が全て欺瞞というなら(欺瞞と決め付けることはたやすいことです)、
いかなる公権力も成立しません。あなたのいう社会契約すら成立しません。
国民主権原理がフィクションであるというなら(フィクションとしての前提を共有しています)、
同じく社会契約そのものがフィクションでしかないのです。
フィクションをフィクションであると知りつつ、可能な限り社会構成員の福利のために
合理的に運営していくことに政治の要諦があり、国民主権の意義もあろうかと思われます。
418 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:23:53 0
国や公共団体の徴税を否定したとして、どうやって再分配するのですか?
国家は社会構成員のために存在するから、国家に対して生存に必要なものの
給付を請求する権利があるとおっしゃりますが(私はこれを否定するものでは
ありません)、同時に国家システムは破綻しているとおっしゃる。
これは明らかに議論として破綻していませんか?
419 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:32:03 0
>>417 >事実、選挙権の行使は何よりも国民主権の現れではないですか。
>間接的であれあなたはあなた自身を規律している。
私自身を規律しても食えない人間には死ぬしかない。
>仮にあなたがかかる思考が全て欺瞞というなら(欺瞞と決め付けることはたやすいことです)、
>いかなる公権力も成立しません。
まったく違う。欺瞞から権力が生まれるのではなく、まず権力がさきにあってそこから欺瞞が生まれる。
>国民主権原理がフィクションであるというなら(フィクションとしての前提を共有しています)、
>同じく社会契約そのものがフィクションでしかないのです。
フィクションであるか無いかというのは問題ではない。それが機能するかどうかだ。国民主権は機能していない。
機能していないものを機能しているかのようにいうのが欺瞞だといっている。
本当に国民主権が機能しているのならば、なぜ主権者がニートやフリーターやワーキングプアとして存在するのだ!?
420 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:34:50 0
>>418 俺がベーシックインカムを主張するとしたらまさに国家財政を破綻させんがためだからなw
現に、ベーシックインカムを導入すれば、国家財政が持たないのは明白だから、あなたは反対しているわけだ。
しかし俺は収奪-再分配のような交換でなければ、ベーシックインカムも可能だと思う。ただそれは、何の労働もなく得られるものじゃない。
421 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:40:53 0
破綻している主張ではないかとの問いにお答えになっていませんが、
とりあえずここでは追求せずにおきましょう。
主権者であることとニートやフリーターあるいはワーキングプアであることとは
何ら矛盾なく併存しえます。国民主権の機能ないし機能不全とは相関しておりません。
世界の特に先進諸国は須らく国民主権の国家でることをみてもおわかりでしょう。
問題は、複合的要因によってもたらされています。
そして政府としては早急に何らかの施策を講じるべきでしょうが、これは公共政策やその他
経済政策の問題に帰結します。国民主権原理がダメだという話にはつながりません。
では国民主権を捨てて天皇主権に回帰すれば事態は好転するとでもいうのでしょうか?
事態はますます悪化すると思われますが。
ではそろそろ寝床につくことにします。
422 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 03:45:47 0
>>421 まったく違うよwww
要は国家がなくなれば国民主権なんていう必要がなくなる。
自分の部屋で俺がこの部屋の持ち主だー!と叫ぶ必要はないw
国民主権、国民主権とお経のように唱えなければならないのは、そうしなければならない理由があるからだ。そうだろ?
人類の前史が終わるとき、「主権者」がはじめて自分が持つべき完全な権利〔自由〕を得るんだよ。
いやはや、夜もとっぷりと更けてまいりました。
424 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 17:21:06 0
国がなかったらどこからベーシックインカムが支払われるんだい?
以前爆笑問題の番組で、斉藤環(だったと思うがうろ覚え)さんが
「ニートも引きこもりも誰も彼も含めて国民全員に一律に一定の最低収入を
保証した方が、全体としてうまくいくという経済学的な考えも最近はある」と
いうようなことを言っていました。そのときは「そんな無茶な」と思ったのですが、
ここで言われている「ベーシックインカム」というのは、そういう
考えのことなのでしょうか。
426 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 17:59:34 0
427 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 18:03:21 0
アソシエーションというのは国家とどこが違うの?
428 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 18:29:17 0
小泉が留保つきながらベーシック・インカムを推すとき
ヴァン・パライス(だっけ?)の議論参照してたよね
何に書いた文だか忘れたけど
あれはたしか、既存の国家財政から分配するんじゃなくて
新たに富裕層から正当な額を吸い上げて財源にするって話だったよね
なんか、さほど多くない徴収でまかなえるという計算が立っていた気がする
>>425 そうだと思うよー
429 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 18:33:05 0
>>428 じゃあ、やっぱり資本主義は大事にしなきゃね
431 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 18:39:33 0
だからそういう財源確保方法だとベーシックインカムは国家を強大化させることにしかならないし、
富裕層だからって金をとっていいことにはならない。
相互扶助で助け合うべき。
432 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 18:46:25 0
無駄な道路財源とかを回せば、確保できるんじゃないの?
内閣機密費とか。
433 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 20:11:31 0
権利であるからには、終局的には権利の強制的実現可能性が確保されている必要が
あるでしょう。その強制的実現可能性を確保するためには、それを正当化する法と
それに基づく公権力の行使が前提となるはずです。
公権力の存在を無視した議論は妄想の類と思われても仕方がないでしょう。
私的自治によることが原則とされている民事事件の領域でも、それを保障しているのは
法とそれに基づく公権力の行使なのです。
法は原則として自力救済を禁止して、定められた適正な手続に則ることで権利が保障され、
権利義務または法律関係の存否をめぐる紛争を終局的に解決するということになっております。
434 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 20:34:12 0
>>433 まーた法学バカが来たか。
NAM原理嫁。
私有財産制度を越える議論をしているのに、私有財産制に基づく公法や民法の話をしてもしょうがない。
小泉はNAMは支持してないんじゃないの。
ネグリの入国拒否のときに、微妙にディスってたし。
436 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 21:47:28 0
私有財産制度を越えると口で言うのは容易いでしょうが、その意味することは内容が
あまりに乏しく妄想の域を出ません。
まず個体的所有までをも否定するのか、それとも生産手段の私的所有を否定するのか
いずれでありましょうか?よもや前者であるとはいいますまい。なぜなら前者を否定して
所得という概念が成立しないからです。
もし後者であるとするなら、生産手段を強制力を伴う仕方で収奪することになりますが、
収奪する機関とそれを正当化する根拠を何に求めるというのでしょうか?
その時、かつての社会主義国のように強力な国家権力による統制が図られることになり、
国家権力を独占するプロレタリアートの前衛を自称する「共産党」ないしはそれにはそれに
類する組織に属する特権的党官僚による独裁に至ることは目に見えております。
更に、生産手段といっても複雑化・多様化した今日の資本主義経済の下、かつてのように
生産手段は限られたものではなく、無数の手段が生産手段足りえるわけで、結局は個体的所有の
廃絶とどう異なるのか、その境界線が曖昧になることでしょう。
そもそも日本国憲法29条は私有財産制を擁護し、この規定は制度的保障であると解するのが
判例及び学説多数の採る立場です。
437 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:09:34 0
わからない方がおられるようなので、再度私の見解を説明します。
憲法25条は、まず1項において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の
生活を営む権利を有する」と規定し、2項においては「国は、すべての生活部面
について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」
としております。
1項にいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として生存権の権利性が問題に
なるわけですが、最高裁判例によると、本条でいう「健康で文化的な最低限度の生活」とは
極めて抽象的・相対的な概念であって、その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、
経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきもの
であり、具体的な立法にあっては、国の財政事情等、多方面にわたる政策的判断を必要とするもの
であるから、具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量に委ねられて
おり、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用となるような場合を除き、裁判所の審理判断
の対象にはならない、ということになります。
では、保護されないかというとそうではなく、立法府の広い裁量の下で審議され成立した生活保護法等の
社会給付政策が実行されているのです。
事実、生活保護法1条は、「この法律は、日本国憲法25条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮する
すべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、
その自立を助長することを目的とする」と規定し、さらに2条では、「この法律による保護を無差別平等に
受けることができる」としているのです。この生活保護法が保護の対象として明文規定している範囲は、
生活扶助、教育扶助、医療扶助、住宅扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助と広範なものです(同法11条1項)。
最低限度の生活を営む権利は、憲法25条により抽象的に保障され、その理念を具現化した生活保護法によって
十全な保護が図られているのであり、日本国憲法体制を否定することは誤りであろうと思われます。
438 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:18:32 0
>>436 「近代的な私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたもの
だ。私有はむしろ国有なのであり、逆に言えば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、私有財産
の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければ
ならない。」
柄谷行人『トランスクリティーク』岩波書店p.253-254
私有財産制は要するに上記のような性格を持っている。それは排除し独占する性格だ。人間の本来的な相
互扶助の精神を解放することが、俺の主張だ。困っている人がいれば、困っている人は助けを求めるし、助
けてあげたくなるものだ。それを国家が介入して、強制的に収奪し、審査して再分配する、などという余計な
ことをするから、本当に必要な人に生活保護を出し惜しみして死に至らしめるようなことになる。
439 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:20:30 0
>>437 あのな、現に問題が起きているだろうが。生活保護行政にしろ、財源は限られている。厳しすぎる審査のために、自殺した人もいるだろ。
見ない振りをするな!
440 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:26:48 0
生活保護行政の現場では不適切な運用の事実が認められることもあるでしょう。
だからといって日本国憲法が誤りでも近代立憲主義が誤りでも何でもないのです。
近代立憲主義よりも適切な統治のあり方が未だかつて存在したためしがあったのでしょうか?
いいえ、存在しません。完全とは言わずとも他の体制よりは個人の尊厳と自由を守ってきたのです。
その意義を無視して、欺瞞だと何だのと叫ぶことは、「革命的ヒロイズム」に酔えても現実に悲惨をしか
もたらしはしません。産湯とともに赤子を流すが如き暴論以外のなにものでもありません。
441 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:34:19 0
>>440 制度が正しいか誤っているかは相対的なものだ。それよりよい制度が現れたならば、そちらを検討し、実施しなければならない。
そのためには現行制度への批判が必要だ。少なくとも批判の自由は絶対に必要だ。
保守主義者はつねに変化を恐れる。
これから先どれだけ長い未来が待っていると思っている。
俺は人類には使命があると思っている。人類全体に課せられた使命だ。
>近代立憲主義よりも適切な統治のあり方が未だかつて存在したためしがあったのでしょうか?
「統治」というものがそもそも適切ではないw
人間が人間を治めるとは何事だw
442 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:38:44 0
文芸評論家の柄谷行人氏(氏が現在もかつて漱石論を著したように文学の批評を
しているのかわかりませんが。蓮實重彦東京大学名誉教授の指摘するように、柄谷氏は
『トランスクリティーク』以後では文学の批評の現場に戻ってこないものと思われますが)の
主張(『トランスクリティーク』や『世界共和国へ』などに見られる一連の主張)は、私には
ほとんど妄想の類に属する暴論であるように思われます。『日本近代文学の起源』のような鋭利な
<読み>はもはや期待できないのではないかとの危惧すら抱かないわけにはいきません。
国家死滅と言いますが、具体的にどのような過程を経て国家死滅といくのでしょうか?
日本単独で国家をやめるなど不可能でしょう。それは柄谷氏がかつて言っていたように、
国民国家はそれ自身のみで国民国家足り得ない。他の国民国家との関係においてしか国民国家として
存立しえません。日本一国で国家を「廃業」なんてことはそもそも無理なのです。
吉本隆明の『共同幻想論』を批判していたのも、吉本が一国単独でものを考えていたようにしか読めない
ことへの批判をも含意していたはずです。
443 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:41:21 0
水を差すのがもったいないくらいの議論だが、
乱暴にいえば、
「法学バカ」は現状日本国内における現実主義、
「NAM原理バカ」は理想主義。どちらもそれぞれ得意分野がある。
原理バカは現実主義の限界をうまく突いてる。
法学バカは理想主義の空疎で現実的基盤のない妄想ぶりをうまく浮かび上がらせる。
たとえばの話、問題が現実の貧困層増大とそれに伴う社会状況悪化であれば、
解決手段(社会諸制度)のおおざっぱな輪郭描写こそ原理バカのなすところだし
さような描写の法的肉付けこそ法学バカのなすところじゃないか。
大事なのは、それぞれを利用し合うことであって
それぞれが不毛にたたき合うことではあるまい。
444 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 22:58:07 0
この地球上に共産主義社会が到来すると期待しうるほど人類は賢明ではない、というのが
私の見解です。人間は何をするかわからない、特に権力を持つと何をするかわからない、
しかしながら一定の社会を構成する以上、何らかの統治権力が要請されるのはやむを得ず、
だから如何にして統治権力の存在を前提にしつつ、その中で権力の恣意的な逸脱・濫用を防ぎ
個々人の権利・自由を保障していくか、ということに問題意識があって、近代立憲主義は権力
に対する制度的拘束という人類の持ちえた英知であると思って憲法学に関心が向かったのです。
今のままの人類の姿を見て、どうして国家死滅などと浮かれた言葉を吐くことができるのでしょうか。
再度申し上げますが、共産主義社会の到来を期待できるほど人類は賢くはなく(ずる賢さはあるでしょうが)、
愚かでどうしようもない存在でしょう。
人類が新しい種に進化しない限り、「人類の前史」に終わりを告げることなどできはしない、そう思われるのです。
445 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 23:27:05 0
>>444 すべて根拠がない主張だな。
公務員は国民をバカにしているが、お前が生きていけるのも、強制的に徴収した税金で食っているからだろ。国民に食わせてもらってるんだぜ?
446 :
剛田 武 :2008/04/03(木) 23:33:25 0
バカしかいないじゃん。
447 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 23:37:06 0
国家死滅だなどと妄想混じりの与太話を雄叫びのように吹聴することしか能の
ない人々と比べてみるなら、よりましであると言えるでしょう。
そして私は公権力の必要性をこの場で述べているわけです。
あなたがはからずもおっしゃったこと、すなわち強制的に徴収した税金を使って
様々な社会公共政策が講じられているわけですし、大学も多くの税金によって支えられて
いるのです。そして私は、そのことについて思い致すとき、公権力の必要性を切に感じるわけであります。
但し、公務員は国民をバカにしているということは必ずしもなかろうと思われます。
もちろん中には特殊な公務員もおられるようですが、「全体の奉仕者」として日夜公務に勤しんでいるものと
思われます。そう、国家死滅を叫ぶ方々に対しても差別することなく等しく対しているわけですよ。
448 :
考える名無しさん:2008/04/03(木) 23:50:00 0
>>447 社会公共政策なんてやるだけ有害でしょう。
市場の失敗より政府の失敗のほうがたくさん生じているし、被害も大きい。
すべて民営化すべきだ。
449 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 00:04:00 0
市場の失敗と政府の失敗を同じ次元で比較できるのか、そもそも怪しい。
すべてを民営化するとして、法を定立する機関はどうするのですか?
法の執行機関はどうするのですか?
そして具体的権利義務または法律関係の存否についての紛争に対して法を適用して
解決するための司法機関はどうなるのですか?
民営化など不可能でしょう。
民営化といっても民間会社ないしは民間の諸個人では様々な契約を前提に経済活動を
営みますが、法定立機関なくして権利義務の発生も何もありませんし、執行機関の存在
なくしては権利実現の担保は得られませんので、権利義務そのものが無意味と化します。
更に紛争に対する法原理機関としての中立を前提にする裁判所なくして公平な裁判とこれに
対する信頼と裁判所の決定に対する権威の創出も不可能となってしまいましょう。
したがって社会そのものが成立しません。
450 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 00:16:02 0
原始時代に逆戻りせよという主張なら、どうぞ「森の生活」でもしてください
というしかないでしょう。
いまこうやってインターネットに接続できるのも、契約関係が成立しているからなのですよ。
その契約関係は法によって創出されているから、当事者に拘束力を与えているのです。
そしてこの拘束力は、権利の強制的実現可能性を担保する民事執行法等の法制度なくしては不可能
なのですよ。法律は一般的・抽象的法規範の謂いですから、法定立機関が民営化というのは語義矛盾
も甚だしいというわけです。基本的な法学や社会思想史等をお勉強されることをご提案したい。
451 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 00:20:15 0
ついで言うなら、インターネットのみならず、電気もガスも水道も、そして教育、
医療、道路などなど衣食住にまつわるものみなすべて近代社会においては法制度が
機能して初めてその恩恵を享受することができるのです。
したがって法を定立し、法を執行し、法を適用して審判する公権力の機能を全否定しては
近代社会以後の社会はとりわけ一日たりとも存立しえません。
452 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 12:43:24 0
小泉は公権力の全否定はしていないと思うんだが
>近代社会においては法制度が機能して初めてその恩恵を享受することができる
現に恩恵を享受出来ないヤツらがいる。そのことが問題にされてるんじゃないのか?
ところで
「権利の強制的実現可能性」ってどういうこと?
バカな俺に詳しく教えてもらえないかな
柄谷は実際にNAMを実行してみたという点では偉いな。
まさにアホの妄想でしかなかったことを身をもって証明したことを含めて。
小泉は何をやったというんだ。
救急の患者がたらいまわしにされたと聞けば、
医者の倫理を糾弾するような短絡青筋馬鹿のくせに。
アカデミズム体制に寄生して好きなだけ本を読んで法学や経済学を愚弄して大威張りとはいい身分だなw
454 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 13:29:59 0
455 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 13:42:35 0
チンコに青筋
456 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 13:45:06 0
>>452 まあそうだな。ただし政府は全て批判している。ボルシェビキくらいだろ
457 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 19:53:31 0
>>452 権利(笑)と権利(笑)が衝突したときに、どちらかの公権力(笑)によって権利を抑圧すること(笑)。
458 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 19:54:15 0
>>457訂正
公権力(笑)によってどちらかの権利を抑圧すること(笑)。
459 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 20:59:54 0
法学バカの主張および理解範囲の恩恵に預かれぬ人々は
どうなるんだろう?どうなるのさ、これやあれやの悲惨さは?
法学バカはそうと知りつつ排除しているか度外視しているものがあるんだよ。
そこをどうするかっていう視点はいやおうなく、
原理バカを招き寄せる?、、、となるとだ、
法学バカとその(近代的)正統性は、
いやおうなく、さしあたりは近代化が不十分だとしてより推し進める方向と、
そこからこぼれ落ちる、あるいはその恩恵を受けられぬものを
どう捉えたらいいかという、いわば近代化それ自体の構築と破壊ないし
再定義や再構築を含む変革の方向と、思想としては視野に入ってきて
いいんじゃないか?どうなんだろう、このほうが法学バカとしては
より不十分さが少ない、と思えるのだが。
より一般化していえば、
現実主義は都合のいいところでは大手を振って歩くが、
そのほころびの一つ一つ、細かな不徹底の一つ一つから
つねに理想主義を招き寄せてしまう。
他方、理想主義は現実的手段、手続きの空疎さからかえって
現実主義の正統性を呼び寄せてしまう。だとしても、その恩恵に預かれる
保障はどこにもないのだが。
やはり、小泉が福祉国家論を擁護する時の言い方を借りるなら、
われわれは一挙に理想主義的なものに飛びつくのではなく、
もう本当に凡庸なものだけれども、現実的なものをこよなく愛し
であるが故に、批判していくことが重要で、
法学バカの姿勢をこよなく愛するが故に、さらなる批判を浴びせることが
急務である、という気がするのだが。
460 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 21:40:46 0
>>452 権利の強制的実現可能性とは何か説明しろとのことですので、ご説明申し上げます。
例えば、我々が経済活動を営む場合、通常契約を締結します。
この契約により契約当事者に債権債務関係が発生します。
債権とは、特定の者が特定の者に対して一定の作為ないし不作為の給付を請求する権利です。
逆に債務とは、特定の者が特定の者に対して一定の給付をなす義務のことです。
そう致しますと、もし債務者が債権者からの債務履行請求にもかかわらず、債務者自身の責めに
帰すべき事由により履行がなされなかった場合(つまり履行障害事由が認められる場合)、
債務不履行となり、そこから完全履行請求権や履行不能の場合では損害賠償請求権に転化することになります。
債務者が債権者に対して債務の履行ないし損害賠償の求めに応じてくれればそれで構わないのですが、
現実には債務不履行を認めず、履行を請求したりあるいは損害賠償義務を任意に履行することは稀です。
そこで債権者は債務者に対して債務の履行ないしは損害賠償請求などを主張して裁判所に対して一定の判決をなすよう
申立てすることになります。これが民事訴訟です。つまり国家に対して強制的に権利が実現されるよう求めるわけです。
訴訟において原告側の主張が認められ請求認容判決が下され、これが確定したとします。
そこで確定判決を根拠に債務者に対して履行請求あるいは損害賠償を求めます。
通常はこの時点で債務者も観念して渋々応じるわけですが、中には確定判決が出されても義務を履行しようとしない者も
います。
そこで確定判決を債務名義として執行裁判所に持ち寄り、裁判所に対して強制執行等の手続きを行って債務者の資産を差押さえ、
差押財産を換価処分して債権を回収するという民事執行手続が用意されています。
つまり私的自治を原則とする私法の領域においても、最終的には公権力によって強制的に権利が実現されることが担保されている
ということになります。この担保があるゆえ、現実に契約の拘束力は実効的たりうるものとなるのです。
道徳を語る行為が現実に道徳的な帰結をもたらす事も場合によってはあるだろうが、
たいていは現実を無視して道徳を語る行為は道徳的ではないと思いますよ。
功利的にプラグマティックに語る方が道徳的理想に近づく可能性が大きいんです。
倫理学者は思い上がるんじゃねえですよ。
462 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:06:50 0
功利的にプラグマティックに語る方が道徳的理想に近づく可能性から
結果的に、事実上排除された者らの立場にたって考えてみないのはなぜ?
功利的にプラグマティックに語る方が
現実に道徳的な帰結をもたらす事も場合によってはあるだろうが、
場合により現実を無視してしまう以上、
功利的にプラグマティックに語る行為は必ずしも道徳的ではない、
それゆえその行為は結果として、
理想主義や道徳主義、小泉的なアジテーションを
不毛か有益かはさておき、招き入れる余地を作り出しているのでは?
もっといえば、
冷たい功利主義語りと熱気を帯びた道徳主義語りとは
相互補完的なものではないでしょうか?
法学バカは許容範囲だが、
>>461のような低学歴はせめて黙っててくれないかな。
464 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:07:06 0
なお私は、小泉義之教授が公権力を全否定しているなどとは申し上げておりません。
そうではなく、私の立論に反論する方のあまりの暴論に対して些か誇張を交えつつ
再反論している次第なのです。
むしろ憲法学を専攻する私が「畑違い」の分野で活躍する小泉義之教授の著論文に目を通す
ということは、私が小泉教授の言に大いに刺激を受けているゆえのことである、ということを
申し上げたい気がします。
一連のデカルト研究やその他出版された御著書にも目を通していますし、
マイケル・フリードマンの『空間ー時間理論の基礎』の一部を翻訳されたものも
一読しています。
さらに、雑誌『現代思想』に掲載された「民主制の<内包>と<外延>」には大いに刺激された
ことが思い出されます。同じ雑誌に掲載された「ドゥルーズにおける普遍数学」も若干疑問を持ちましたが、
それでも楽しく読ませていただきました。『批評空間』に連載されたドゥルーズの『意味の論理学』の読解を
中心に据えた論考も興味をそそるものでした。
「無力な者<に代わって>訴える」でしたっけ?これも山括弧を付していることからもわかるように、
代表ないし代行すること自体の問題性を踏まえての留保が意識されてのことであることも理解できましょう。
但し、小泉義之教授が<公共性>の有する一般性とは別の次元の、あるいはそれを遥かに超えた<普遍性>
を志向する哲学者だからかもしれませんが、近代立憲主義の持つ意義を軽視しているように見受けられる主張に
ついては憲法学を学ぶ者としては首肯するわけにはいかないとの思いも同時に抱くのです。
465 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:41:09 0
たぶんね、
小泉のアジテーションの魅力はさ、ややもすれば
近代立憲主義のおこぼれに預かれぬ場所に届きかねない、って
ところなんだよ。これだって褒めすぎかもしれんよ。
現実は、あんたがいうように、いろんなことがそしてほとんどが
近代立憲主義という土俵で実現されてるようにみえる。
ただ、その実現にふれることなく死んでいく者も多いし
しかもその悲惨をほとんどの人々は知ることなく死んでいく。
そんなことでいいのか?っていう怒りが小泉の普遍性。
その怒りをより現実的な手続きへと変換したら小泉の
近代立憲主義の軽視を伴う、各種アイデアの提案になる。
それはある意味暴力だしあんたが素直に首肯するわきゃないんだけど、
だけどこれくらいいわないと誰も聞く耳もたないくらい、
社会諸制度とその恩恵からこぼれ落ちた者らなんて、みんな無関心じゃない?
知ってしまえば、逆に、より冷酷にいじめぬくじゃない?
しかも、いじめる連中だって実態みりゃけっこう悲惨だったりする。
だから、小泉としては権力をもつアカデミシャンや政治家を叩くくらいしか
できない。それだって、大事なのは新たなる展望だってヒントに
すぎないんだけど、それがそんなにわるいことなのか?
466 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:52:19 O
>>460 そんなものがなくても契約は成立します
皆が倫理的に振る舞えば法律は不要だし、紛争が起きた場合は当事者で解決すればいい。
467 :
考える名無しさん:2008/04/04(金) 22:58:26 O
>>461 それはカントから言わせれば完全に間違い
倫理は当為であって現実によって根本から揺さぶられるものではない
ただ実践的には現実を見なければならない
その意味でコミュニズムは統制的理念として働くべきものだ
痴漢も増えるわけだよな。
どっちにしたって、倫理学者なんて現実の社会に対しては
コンマ以下何桁の影響力しか持っておらんだろうよ。
470 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:06:23 0
>>466 いいえ、成立しません。倫理的に振舞うとおっしゃりますが、倫理から何ゆえ契約及び
契約に基づく債権債務関係の発生とそれらの当事者への拘束力の根拠がもたらされるのでしょうか?
法と倫理は別物であって、倫理が法の代替になることなどありませんし、逆もまた然りです。
倫理学の歴史や法思想史あるいは法哲学でも学ばれることをお勧めします。
紛争が起きたとき場合は当事者で解決すればいい、とおっしゃりますが、当事者間で解決できないから
訴訟制度が存在するのです。
471 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:08:06 0
>>465 近代立憲主義の理念を押し広めたとしても、尚その制度の恩恵に与れない者が存在するという事実に
目を向けるために、敢えて「極論」を展開するという戦略を小泉義之教授は実践しているのかも知れませんが、
確かに教授の論文「民主制の<内包>と<外延>」はそのことを直接の主題にしていたことを
思い出します。事実、私はこの論考によって気づかされることがあったのです。
ただ、そのことを承知の上で、しかし近代立憲主義の理念は捨てたものではなく、現にベストとは言わずとも
ベターな状況を作り出すのに大いに貢献していますし、これからも貢献するだろうことが期待できるから、
近代立憲主義の理念を評価すべきところを評価し、その上で制度的救済の行き届かない場所に光をあてるべく、
きめ細かい行政施策なり何なりを講じていく必要があろうかと思われます。
生活保護における給付行政の現場でしばしば問題となる事象から目を背けるのではなく、憲法25条の理念が
現実化していないことを直視しつつ、どうすれば理念が反映されたきめ細かい施策が実行できるか、現実に何がどこまで
可能なのか、知恵をしぼって立ち向かうしかないとも思っているのです。
かつて東京大学法学部を卒業し、東北大学で憲法学の助教授となったある方は、現実の社会で憲法の理念が活かしきれていない
現状に落胆し、大阪西成の釜ヶ崎いわゆる「あいりん地区」に飛び込んでいったのです。
確かに法学や社会科学でできることには限界があるでしょうし、哲学者(数学者などもそうかも知れませんが)から見れば、
法学的思考は哲学者ないしは数学者がかつて志向していたMathesis Universalisの構想にみられるような<普遍性>に行き届いて
いないのかも知れませんし、私もそのことは承知しております。小泉義之教授が主としてデカルトをはじめとして17世紀の哲学者の
研究者であって、その著作(『兵士デカルト』や『デカルト=哲学のすすめ』などは特に)を通じて、法学や社会科学を小賢しい学問
ぐらいにしかみなしていないことも知っておりますので(もちろんある面では当たっているのかもしれませんが、ある面では同意できません)
、小泉教授と私の意見は相当程度異なるであろうと予想されます。
472 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:10:20 O
>>469 哲学はすべてそう見えるな
ただそれを計量することはできない以上確かなことは言えない
人間である以上倫理的な課題から逃れられない
473 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:15:53 0
>どっちにしたって、倫理学者なんて現実の社会に対しては
>コンマ以下何桁の影響力しか持っておらんだろうよ。
おっかしーなー。
じゃあなんでおまえさん、いちいち小泉節にけちつけてんの!
自分のコメントをいちばん信じてないっていったいなんなの!
たまには、まじめになさい。
474 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:32:10 0
>>471 かような立場はわからなくはないけれど、
やはりいやになるくらい凡庸なものでね。
どれだけ近代立憲主義の理念を推し進めることを尊重する、祈念するにせよ、
現行制度の下での議会制民主主義における官僚ども政治家どもの右往左往ぶり
によってみーんな左右されちゃう。一般庶民は評論家、作家、知識人、
大学教授、弁護士などなど含め、衆院選やなにかを固唾を持って見守るだけ。
茶番を見せつけられた挙げ句に落胆を重ねてきたってのがここ二百年くらいの状態。
でもまだ、あんたのよーな呑気な連中が、まだ可能性がある、
茶番を見守ろう、落胆するような現実だが、落胆せずに選挙に賭けよう!
っていってる。
原理バカがさかんにもちだす柄谷ってのはさ、
なぜNAMなんて具体性のない空疎な運動、立ち上げた?
もう茶番を見守るだけなのはごめんだ!
ってことでしょ。あほな運動でも、ただ選挙結果の茶番を見守るだけよりましだとね。
こういっちゃなんだけど、
みんな、あほな奴らはみんな、はじめはというか、おわりまでは、
あんたのように冷静なもの、冷徹な近代主義者なんだよ。
もう手遅れなのに気づいてはじめて、怒りを行動においてあらわにするようなね。
だからって、あんたに、怒れる行動者を期待するんじゃなくってさ。
たんに、知っておいて欲しいだけなんだけどね。
475 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 00:47:10 0
>>474 しかし近代というのは、誰もが凡庸たらざるを得ない宿命を背負わされている
時代ではないでしょうか?誰も「冴えた」者ではない。自分はそうではないと
思い込むことが既に凡庸でしかないでしょう。近代主義に反対するのも凡庸な
振る舞いですし、反近代主義は近代主義とともにある、いわばメダルの裏表なの
ではないでしょうか?
近代は反近代の言説を生み出しつつ機能し、近代の終焉の言説も近代とともにある
極めて近代的言説でしかありません。蓮實重彦ではありませんが、ついそう口ずさみたく
なりましょう。
資本制や国民国家がそうたやすく崩壊するものではないことぐらいは誰もが自覚しているはずです。
もし本気でそう信じ込んでいるなら、何をか況や!ということで、好きにしないとしか投げかけるべき
言葉を持ちません。ただ間違いなく、そう信じて行動を起こす人も近代以降の者の宿命を背負い込んでいる
ということに自覚的であるでしょうね。
これも蓮實重彦ではありませんが、私はつとめて「市民」であることを自覚するようにしているのです。
したがって、政治にしろ何にせよ、「市民」として振るまわさせていただく、ということです。
476 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:09:40 0
>>475 またまたなんだけどさ。
かような立場はわからなくはないけれど、
やはりいやになるくらい凡庸なものでね。
いや、あんたは正しい!正しくも、
柄谷に対して蓮實を対案したのだから。
蓮實はいわばニヒリズムの権化でね。
どんなに個性豊かな自慢の創意工夫であがいたところで
いずれはみんなここに降りてくるっていうものを握っちゃう。
で、柄谷ってのは、いやになるくらい子供っぽくてさ。
そういう、わかりきった蓮見節に対しては
死ぬまであがき続ける糞ガキ=芸術家なわけでね。
だから蓮見は柄谷を芸術家と評したこともある。
あんたが
>>475で描いたような構図を微妙なレトリックで
くぐりぬける言葉をつづってきた、その精華の一つが「とらくり」
なわけでね。もちろん、いろんなごまかしもあるけれど、
あんたのように物わかりよく蓮見節に落とし込まれることだけは
なんとか避けようとしてきたし、している。小泉だって同じようなもんだよ。
みんながみんな凡庸で、アンチ凡庸こそ凡庸の権化で、
アンチ[***]こそ[***]の権化なりなんなり、お好きにどうぞ。
あなたはものわかりよい賢い近代人、だが、タイクツだ。
小泉なり柄谷はその点、おろかな子供。だけどみてみてスリリングだ。
この違いは大きいよ。
でさ、蓮見はどうか?実はさ、蓮見その人ってけっこうガキだと思う。
だから、蓮見の読者は見事にスポイルされてるって気がする。
やっぱり、ふつうの人が蓮見に酔うとまずい気がする。
ただのニヒリストでちゃんちゃんって落ちがついてしまう。
まったくおもしろくない。
どうせ時間を無駄にしてまで議論するなら
せめて子供にでもなったつもりで楽しく議論したほうが、
予め分かり切った落ちに落とすよりも
展望、開ける可能性、あると思うけどなー。
477 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:13:38 O
>>475 誰もたやすくとは言っていない
だから統制的理念と呼んでいる
ではあなたの近代主義の理念は、これからも末永く存続しうると思っているのか?
478 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:20:30 0
とりあえず教科書的に整理するなら
近代主義的理念でいけるところはいけ、
まだまだ近代化されてない領域はいっぱいある。
日本なんてまだまだ村社会だからね。---------これが第一セオリー。
法学バカだってまだまだ捨てたモンじゃない。
近代主義的理念が手の届かぬ領域があるし、
そもそも前近代じゃないのに近代化が圧力ともなる領域がある。
さらにいえば、近代化が推し進められたその挙げ句に破綻してる領域が
あるじゃないか。
先進国なのに、日本には大阪の西成のようないわば南があるじゃないか。
地球上の南北問題だけでなく、先進国内部における南北問題があって、
後者においては近代化そのものの副作用ともみえる以上、
近代主義的理念そのものが疑問視されうるわけ。
じゃあどうすればいいか?NAMがある、柄谷「とらくり」がある---第二セオリー。
479 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:36:33 0
>>476 私は自分自身のことを蓮實重彦名誉教授のよき読者であるとは思っていません。
もちろん、楽しく読ませてもらっています。特に映画論は。
ただここでの主題に関連するものと言えば、『物語批判序説』であったり
『凡庸な芸術家の肖像ーマクシム・デュ・カン論』あたりでしょうか。
私が蓮實重彦氏から学んだことは、蓮實氏の華麗なレトリックの駆使能力ではなく、
むしろ蓮實氏の持つ極く近代的な分析力の鋭さです。具体的な事実の分析・記述を
通し、決して抽象的なものに安易に飛びつかない態度でもあります。
それからこれも関連しているでしょうが、であるがゆえに「<深さ>の誘惑のだたなかで
<浅さ>にとどまりつづけること」を学びましたね。
人はいとも簡単に<深さ>に飛びついて抽象的な物言いしかしません。
しかしそれは私に言わせればありきたりの退屈な振る舞いです。
むしろ、身近にある事象を具体的に分析することを通じて、例えば憲法学なら憲法学で
具体的に問題となるべきところを一つ一つ積み上げていくことの方が、ありもしない幻影を
作り出しで抽象的にイメージを交換しあってお互い頷きあっているような薄気味悪い風土を醸成する
ことよりも、ずっと刺激的なことです。
>>477 未来永劫続くとは思っていません。近代主義も歴史的な現象であって、そこから逃れられるものではない
と私には思われます。もっとも、私の生存中はまったく機能しなくなるというようなことはなかろうとも
思っていますが。
タルコフスキーの『惑星ソラリス』で地球には人類愛が未だ届いていないといった台詞があったかと記憶して
いますが、近代主義の陥穽を一気に解決できるほど人類は賢くはないし、人類は人類自身のことを愛してはいない
とすら思っています。
480 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:52:41 O
>>479 どうあるべきかは実際にどうあったか・あるか・あるだろうかと区別しなければならない。
あえて経験的立場を捨て、超越論的立場に立って初めて見えてくるものがある。
超越論的ということをカント的にではなく、
ウィトゲンシュタイン的に使って、
倫理は語りえないものとして規定してはダメなんかのう。。
482 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 02:07:14 0
>>480 もちろん経験的なものと超越論的なものとを区別することは必要でしょう。
しかしながら、同時に経験的なものと超越論的なものとは完全に分離できない
ものであって、超越論的なものが経験的なものに依存している面があることが
見えなくなってしまい、にもかかわらずそれを超越論的立場にあると勘違いする
ことは危険であろうと思われますし、現にそのような事例をみつけることは容易い
でしょう。
例えばフッサールの現象学一つとっても然りではありませんか?
超越論的還元といっても、本当に還元しきれているのか、経験的なものを密輸入して
いるにもかかわらず、超越論的還元ができたかのように装う振る舞いは、どうも門外漢の
身でありながらも、現象学のいい加減さを感じないわけにはいきませんし、
フッサールがその超越論哲学の系譜の一つに数えるカントにしても明確な区別ができているのか、
疑問なしとまでは言えません。
ましてや昨今、賑わせた<表象不可能性>やら<他者>やらの議論もうんざりさせられます。
表象不可能と言いつつ、高さのイメージに翻訳して際限のない言説を新たに紡ぎだしていく様は
悲惨というよりむしろ滑稽というべきでしょう。
ということで、私としてはこの種の思考は信用の置けない議論の類なのです。
483 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 02:24:16 0
私もウィトゲンシュタインについては今尚考えさせられるものがあると思われます。
もちろん憲法学に直接役立つ指針を得られるとはつゆだに思いませんが。
倫理についての言説はアプリオリにナンセンスでしかない、との考えには否定しきれない
ところがあるからです。
但し注意すべきは「語りえぬもの」として、それが表象不可能性の議論のように、何かの
イメージとともに無際限の言説を紡ぎだす可能性も否定しきれないという点です。
アプリオリにナンセンスであるはずの倫理的言説が、「語りえぬもの」という記号をもとに、
何か意味ありげな言説として機能し、これまた薄気味悪い風土を醸成しはせぬか、との危惧を
同時に抱くわけです。「語りえぬもの」というなら、単に黙っていたらいいものを、そこでも
<深さ>の誘惑に負けて<浅さ>にとどまることができなくなって、再び同じイメージの中を
戯れるということになってしまうのではないでしょうか。
では今夜はこの辺にて、そろそろ眠りにつきたいと思います。
484 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 03:21:25 O
法学バカは哲学的才能は皆無らしいなw
どうせカントもウィトゲンシュタインも直接読まずに知ったかしてるだけだろwwW
485 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 06:30:04 0
>>484 そうかもしれない。
けど、荒削りなだけでその実、汲み尽くせぬ才能かもしれない。
法学バカがいうべきであるのに述べていないことがある。
小泉の思想って、
もうこの枠組み、近代主義的理念では(学問にせよ政治にせよ取り組んでも)は無駄だ、
といいかねないし、またある程度その必然性みたいなものもあるのに、
そういう小泉の近代的なものへの軽視には首肯できない、とかいってるけれど、
たぶん、軽視ではなくて、重視なんだよ。
小泉は近代的なものを重視してる。重視しようとするがゆえに、
その役立たずぶりに気づくとか、運用上の理不尽な制限区域の存在とか、
頭にくるから、より役に立ちそうな枠組みを提案しようとする。
とすれば、法学バカは、そういう小泉の誤解をときつつ、
小泉のやりたいことはまだまだ近代的なものの範囲内でも
理論実践問わず、政治家、政党、党派とわず、
やれることを示せばいいんだよ。
そうすれば小泉も、ある種の近代的なものを軽視する必要、ないじゃない?
小泉もそう、原理バカそう、柄谷もだけど、
たんに近代こそ土俵なのだ、すべてはその上で成立してるのだ、というばかりでなく、
彼等が問題にしてる現実課題だって、近代的なものの運用でなんとかなる、
ならないと思って焦ってNAMだのアソシエーションだの、相互扶助だのなんだのって児戯にふけるのは馬鹿げてる、
ってことを、もっと明瞭に記すことができればいいのに、と思うんだけど。
486 :
考える名無しさん:2008/04/07(月) 01:10:58 0
小泉さんには最近関心を持つようになってブログや本を読むようになったけど、最初に読んだのは2004年の8月だった。
『レヴィナス』という本で、その時に感想を自分のブログに書いた。
感想というか、当時日テレで『光とともに・・・』という自閉症児のドラマをやっていて、その感想にからめて引用したんだった。
2004年8月6日
『光とともに・・・』雑感
(前略)
ふと、選択的中絶のことが頭をよぎった。胎児に障害が起こりうるという理由で中絶を選択することだ。
胎児が障害を持って生まれてくることがわかったとき、親はどうすべきか。自らの子育ての苦労、未来の我が子の生きる苦しみを思い、ある親は中絶を選択する。
小泉義之『レヴィナス』(NHK出版)に、立岩真也『私的所有論』が引用されている。
(中絶を選択した)「その私は、苦痛があるときには、苦痛とともに生きる存在があるのだという精神の強度をもつことができなかったのだ。当の存在にあくまで即そうとする時、これは正当化されない行いである」。
そして、それを受けて小泉は「障害者を想像することは、障害を受肉する人間を肯定的に想像することである。
だから『精神の強度』を保ちさえすれば、生まれくる人間を歓待しない理由はひとつもなくなる」(p55)と語る。
『光とともに・・・』を見ると、この文章の意味がわかったような気になる。光君とその母親にはそれぐらいの力はある。
「肯定」がニーチェ的な肯定じゃないんだな。
ドゥルーズ屋のくせに。
根本敬の足元にも及ばん
いつも思うんだが「強度」っていったい何なんだ?
うおおおおとか、
すっげーとかじゃないの
その際プラスかマイナスかは関係ない
492 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 21:29:22 0
絶対的な差異、これをぬるく敷衍すると特別なオンリーワンw
494 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 21:59:40 0
絶対矛盾の自己同一=いろいろあるけど俺は俺
495 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 11:26:13 0
論理哲学論考の趣旨:言葉では伝えられないことがある。
>>490 ここでは<しっかり>考えるってくらいじゃない?
497 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 11:19:53 0
今『生殖の哲学』を読んでるけど、外で読むのに少し抵抗があるタイトルだな。
昔、上野千鶴子の『「女」という快楽』を読んでいて母と祖母に「何て本を読んでるの」と
咎められたことを思い出す。
498 :
考える名無しさん:2008/04/13(日) 00:05:07 0
小泉氏は生殖とセックスは本質的には別物と考えてるのか。
生殖補助技術が進んで現実に別物になれば男同士で結婚して
子供を作ることも可能になるわけだ。
499 :
考える名無しさん:2008/04/13(日) 12:15:52 0
少なくとも、生殖を性器の快楽に還元する思考には反対しているものと思われます。
この点、小泉義之教授と蓮實重彦博士の見解は近接しているのではないでしょうか。
生殖そのものには触れていませんが、蓮實重彦博士がかつて雑誌『中央公論』に寄稿した
「差異とは何にもまして性の体験であって性器の体験ではないのだ」というテクストが
面白いですよ。このテクストは蓮實重彦著『凡庸さについてお話させていただきます』(中央公論社)
に収録されています。
500 :
考える名無しさん:2008/04/13(日) 13:26:26 0
『生殖の哲学』と対比させるという意味ではありませんが、つい並べて読んでみたい
テクストのいくつかがあります。
それは、蓮實重彦博士の上記テクストのほか、
小説家である中上健次氏の『千年の愉楽』、『地の果て至上の時』あるいは『奇蹟』を
そして中上氏の小説に触れている蓮實重彦博士の『小説から遠く離れて』を並行させて読むべき
ではないでしょうか。
あるいは小説家埴谷雄高氏の畢生の大業とも言うべき『死霊』を再読するのもいいかもしれません。
その上で、非嫡出子の法定相続分を嫡出子の二分の一とした民法900条の規定は憲法14条に違反しない
と、僅差で合憲とした非嫡出子法定相続分差別事件最高裁大法廷決定(平成7年7月5日)を丹念に読み込む
ことが必要かと思われます。
小泉と蓮實って全然関係なくね?
情念の面で接点がないというか。
小泉と埴谷も結びつかんなぁ。。
個人的に小泉の生殖の哲学で連想するのは、根本敬とか山野一だなw
奇形やカタワの繁殖を全肯定するという点で。
肯定の強度も倫理性も小泉なんかより根本敬のがはるかに上だと思うんだけどね、マジで。
小泉のはだらしない妄想でしかない。テクノロジー他力本願だし。
なんであんなものが倫理なのかさっぱりわからん。
そういや小泉が注目してたペギオとかいう奴も根本敬が好きって言ってたな。
奴の言ってることもわけわからんが、根本敬を挙げるセンスだけはほめてつかわす。
503 :
考える名無しさん:2008/05/06(火) 23:51:01 0
蓮實重彦博士の待望の著作『「ボヴァリー夫人」論』が世に出ることになれば
わかることですよ。
19世紀を引き摺っていた20世紀への訣別の言葉を告げる書、そして21世紀中に
その全的意味が開示されるかもわからない問題の書となることでしょう。
世界は今、『「ボヴァリー夫人」論』の公刊を待望しているのです。
504 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 00:36:55 0
>>503 ボヴァリー夫人論は出ないような気がするんだけど。
蓮實先生って一生「序説」しか書かないつもりなんじゃね?
まぁ先生のことだから出ないと思わせといてあっさり出たりするのかもしれんが。
いずれにしろ小泉さんとは関係ないだろ。
大人の蓮實先生から見たら小泉なんて「凡庸な狂人」ですよ。
小泉さんが蓮實先生を視野に入れてるのかどうかは知らんが、
入れてたとしても、独りよがりのトンチンカンな総括をしてる予感。
506 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 08:55:50 0
中島の『「人間嫌い」のルール』を読んだら、
自分に都合のいい社会を作りたいみたいで笑えた。
でも中島の生きやすい社会は他のマイノリティにとっても
生きやすい社会なのかもしれない。マジョリティには受け
入れがたいと思うけど。
カバーの類書のリストに加藤諦三『誰にでも「いい顔」をしてしまう人』があった。
やっぱり中島って加藤の哲学版なのかな。
507 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 08:56:50 0
>>506 誤爆orz
中島義道板に書くつもりだった。
社会への関心や配慮をほとんど遮断しているかのような
中島義道や永井均の方が、小泉より現実的に社会を捉えているように見える件。
509 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 13:24:18 0
中島や永井が与太話を弄していられるのも、彼らが衣食住満ち足りた生活を
しているからだろう。大学教授のロッキングチェアーに踏ん反り返って、「これって、
哲学している?」「哲学しちゃってる俺って、周囲のアホどもより優秀な選ばれた人間、
俺ってかっこいいじゃん」と妄想にふけっているに過ぎない。
510 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 13:57:56 O
そうでない人って誰?
>>509 中島や永井はそれを自覚してるよ。
現実からの疎外を哲学で埋めているという自覚があるからこそ、
ちゃんと現実が見えている。
小泉は現実の問題にコミットしているつもりになっている分、
何も見えていない。
513 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 20:32:27 0
>>512 中島や永井の哲学は現実から遠のくためにある。
小泉の哲学は現実へ向かうための哲学だ。
現実って?
>>513 「現実へ向かうため」というのは「そういうつもりで」ってことで要するに仮想。
仮想は永遠に現実に追いつけない。
一方永井らの「現実を遮断する」行為は現実の中で行われる現実的行為であって、
いわゆる超越論的な思考は逆説的に現実に到達する。
否定神学的に外部から「現実」が到来すると言ってもいい。嘘だけど。
「現実」ってのはツンデレだから追えば逃げるし
現実から逃げようとすると追いかけてくる。そゆこと。嘘。
安易に「現実」などと言えばいうほど
「現実」から遠ざかる。
それを分かってない馬鹿が多すぎる。
馬鹿キター
小泉さんの文章には、なんというか心意気を感じる。
心意気の唯物論的擁護。
はあ?
521 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 23:00:20 0
>>515 じゃあ「現実的でしかない」と言おうか?
url見ただけで馬鹿とわかる。
よりによってトニオさんだとは
トニオさんはどっちかというと小泉側の馬鹿代表として出したんだが
やっぱり小泉は哲学界の立花隆ではないかと
526 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:13:27 0
>>442 国家を持たない(持てなかった、なかった)クルドやユダヤから考えてみたら?
すでにあるものを前提にしてしか思考できないのは致命的に○○かもよ。
わかってない香具師ばかりだな
恋済みは2ちゃんでありきたりな「釣師」を現実社会でやってるんだ
このスレが立って今もわらわら賑わっている時点で
恋済みの思うツボなんだよwww
>>527 釣りというのとは違うと思うなぁ、とかマジレス。
あの人は超共産主義的理想の実現をマジで「要求」してるだろ。
あらゆる生きとし生けるものが全き生を謳歌できるユートピアを早く作れ、と。
残る問題は、なんでそんな無茶を人様に要求できるのか?ってこったな。
どこの貴族だよ。
>>528 直接本人と話してみろよ
そんなこと言っていた自分がおかしくて腹痛くなるくらい笑っちゃうぞ
>>528 優生学だの尊厳死だのほざいてる輩よりは数段マシだろ。
それこそどこの貴族だよと思う。
小泉を批判するなと言わんが、なぜこういった輩にも矛先を向けんのだろうか。
531 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:37:24 0
>>526 今ある前提となる事実を直視しない方が、観念の遊戯に浸って自己満足しか
もたらさぬ閉鎖的思考に他ならぬものと思われますが、如何でしょう?
誰も国民国家が永続的に存在するものと見なしているわけでもありますまい。
ただ、現在は幸か不幸か国民国家が存在し、それはそう容易く崩壊するとは
言えず、少なからぬ「国民」がその存在の恩恵に浴しているが故に、その存在を
明示的にせよ黙示的にせよ承認しているという事実を踏まえつつ、問題点を抽出して
解決策を模索して一歩一歩漸進的に解決していく方法を歩むよりほか、特効薬のごとき
妙案があるわけでもない今、よりよい道は形成されがたいであろうということです。
国民国家に過剰に入れ込むことも、または国民国家をさも簡単に崩壊するかのごとき幻想を
振りまいて得意気になることも、同時に否定されるべき態度であろうと思われます。
いずれの態度も国民国家の現実を直視していない態度であるという点においては同じ穴の狢
というべきだからです。冷静な分析こそが求められているのではないかと思われてなりません。
532 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:51:34 0
一つ確認しておきたいのは、国民国家と個人の尊厳は決して相対立する関係に立つ
だけではない、ということです。
例えば自由権の捉え方一つとってみてもそれが理解されようかと思われます。
伝統的な自由権の考え方は、原則として国家と個人は相対立する関係に立つものと
して捉えています。しかしながら同時に、国家は個人の「契約」によって形成されたもので、
その正当性の最終的な根拠は個人の尊厳に帰着されるように捉えられております。
そして自由権といっても、その内容・性質は様々であります。
一般に「国家による自由」と捉えられる社会権と解される生存権は、我が国を代表する民法学者
であった我妻栄博士によれば、生存権的基本権と位置づけられ、その法的性格について次のように
述べています。
「生存権的基本権は、自由権的基本権のように、個人をもって国家と対立するものとは考えない。
個人と国家とが有機的に結合した個と全との関係に立つものと考える。また、自由権的基本権の
ように、個人がそれ自らのための自由を有し、国家はただ外部からこれに対して最小限度の制限を
加えることを任務とするものとは考えない。個人の自由は、国家全体とともに文化の向上に尽く
すべき責任を伴うものであり、国家は個人の自由の発展のために積極的関与をなすべき義務を負う
ものと考える」。
533 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 01:02:28 0
生存権について争われた裁判で、この種の訴訟のリーディングケースともなっている
最高裁判決をご紹介しておきます。
一つは朝日訴訟最高裁大法廷判決です。この訴訟は、生活保護法の保護に関する不服申立てに
対する裁決取消請求事件ですが、最高裁大法廷は次の通り判示しております。
「憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように
国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を
賦与したものではない。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法
によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、
「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に
基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持する
にたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める
保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の
生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念
であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量して
はじめて決定できるものである。したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の
合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を
生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、
法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。
534 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 01:32:43 0
この人エライ人なの?
「デカルト=哲学のすすめ」図書館で借りて読んだけど、クソつまらなかった。
>>531-533 「今ある前提となる事実を直視しない方が、観念の遊戯に浸って自己満足しかもたらさぬ」
まで読んだ
>>534 おもしろくないな
余りにも当たり前過ぎること書いてるから
536 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 03:59:33 0
>>532 てか国家必要ないだろ。自由権なんか謳うより国家をなくせば早い話だろ?馬鹿なの?
537 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 04:00:24 0
法学徒ってほんと進歩がないよね。
俺は法学なんか一年でマスターしたぜ。
つまらんものだと途中で見抜いたけどね。
アナーキスト乙
単なる、なんちゃってアナーキストw
何でこのスレはこんなに力入ってるんだ?
こ こ は 2 ち ゃ ん で す お ?
541 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 22:21:20 0
>>536 自由には、対国家関係という側面に定位すれば、大凡三つの自由に区別することが
できるとされています。
一つは、「国家からの自由」であり、これは伝統的な自由権の考えが想定している自由
に他なりません。
二つは、「国家による自由」であり、例えば社会権等は前国家的権利であるとは観念できず、
国家の存在を前提とする国家に対する給付請求権的意味を帯びるものです。
三つは、「国家への自由」であり、これは参政権や公務就任権等に代表される如く、国家の
統治権の行使に関して積極的に関与していく自由です。
上記の内、最初の「国家からの自由」のみが前国家的権利としての自由であり、残り二つは
国家の存在なくしては無意味な自由になります。
もっとも、「国家からの自由」にしても、前国家的権利であると考えることはできず、やはり
国家の存在を前提とする権利であって、であるがゆえに人権というよりも「基本権」と名称させるが
相当であると解する見解もあり、後者の見解は主として京都学派の憲法学者に多くみられようかと
思われます。
私の見解は、前国家的権利というのは大凡形容矛盾でしかない概念であるという見解です。
つまり、権利が権利として有意味な概念足りうるのは、何らかの公権力に救済可能性が担保されて
初めて可能となると考えますので、国法秩序を前提にしない権利主張は権利の名に値しない主張である
ことになるからに他なりません。
543 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 22:58:48 0
小泉義之教授は、至る所で発生生物学等の飛躍的発展に伴う生殖技術の著しい
進展によって、胚細胞を人為的に操作しうる段階に達したことを生命の潜勢力を
開放することになると肯定的に捉え、同時に、かかる生殖技術を国家等によって独占
させるのではなく、万人に解放するべきであるとまで主張しています。
このような主張の是非そのものは、ここでは敢えて言及しないでおきましょう。
小泉教授の主張が「世間の常識」からすれば幾分突拍子もなく響くことはあっても、
かかる主張自体は、その内容・程度等に相対的な差異がみられようと、以前から少なからず
存在していたわけですし、主張としては当然予想の範囲に収まるものです。
但し、そうした生殖技術の発展は、大学その他研究機関による研究活動等によってもたらされた
ものであるというごく当たり前の事実を改めて考えておく必要があるでしょう。
万人に解放といっても、そのことに変わることはないでしょう。
とりわけ我が国の場合、東京大学や京都大学を中心とする大学やその他公的な研究機関によって
なされてきた事実が注目されようかと思われます。
アメリカに目を移しても、アイビーリーグを中心とする名門私立大学であっても、例えば全米科学財団やら
国立衛生研究所等の政府機関から巨額の予算が投じられて初めて可能となったものです。
ヒトゲノム解析にどの程度の巨額な公的予算が投じられたか記憶に新しかろうと思われます。
そして民間でも、ライフサイエンス関連企業が立ち上げられ、今後その動きは不可逆的に変化することでしょう。
それに合わせて特許法等知的財産法関連諸法令がますます整備されていくことでしょう。
つまり、いかなる事情を考慮しようと、公権力の存在は不可欠の要素であるということです。
小泉義之教授が、仮に生殖技術の発展を企図すると同時に公権力の不要を説くとするならば、
それは相矛盾する主張を抱懐する見解ということになるものと思われます。
544 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 23:10:29 0
「万人に解放するべき」といった抽象的な言辞ではなく、例えば生殖技術に
関連する重要な事項に関する情報について、憲法21条1項で保障されている
いわゆる「表現の自由」と表裏の関係にある「国民の知る権利」の内実を
詰めて考えていくべきでしょうし、現に憲法学者はそのことに本格的に取り組み
始めています。政府の審議会等でも様々な活発な審議がなされており、十分とは
いえないながらも、問題点のいくつかが指摘され始めてもいます。
また遺伝情報についても、憲法13条の保障対象とされるプライバシー権との関係で
問題となることでありましょう。既にプライバシー権を自己情報コントロール権として
再構築する元司法制度改革審議会会長である佐藤幸治教授(京都大学名誉教授)の見解が
注目される所以です。
545 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 00:53:25 P
10年ほど前に、講師で来ていた小泉の授業を受けたことがある。
(内容はデカルトやライプニッツといった近世哲学だが、しばしば脱線し現代の話題も取り上げる感じ)
「学者は「諸学の王」を目指さねばならない」などと話していた。
その言葉通り、小泉には博覧強記な一面もあったと思うが、
文献を厳密かつ丹念に読み込んでいく作業や、
哲学の問題を自らじっくり論証していくことはあまり得意でないように見えた。
デカルトのテキストを強引に生命倫理学か何かの問題に結び付けて論じた時には、
デカルトが専門の院生の反論に答えられなかったこともあった。
授業自体は才気にあふれたものだったため比較的人気が高かった。
一方で、小泉がちょうど予備校講師がするようなやり方で、
明らかに学生の「受けを狙う」ような発言をすることがあるのは意外に感じた。
また、当時は、一般の学生に対する彼の成績評価は非常に甘いことでも知られていた。
546 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 01:41:30 0
>>542 同意。
法学徒の考える自由はそこが浅すぎるw
スピノザもカントも読んでいないのだからしょうがない。
>>545 >デカルトのテキストを強引に生命倫理学か何かの問題に結び付けて論じた時には、
デカルトが専門の院生の反論に答えられなかったこともあった。
うーん具体的に小泉がどう論じてて、それに対して院生とやらがどう反論したのかを紹介してくれんとなぁ(一部分だけでも)。
デカルトに限らず、古典的な思想家や哲学者をアクチュアルに読もうとすれば、
強引な結び付けをせざるをえん場合もあるだろうし。
院生の反論がクリティカルだったかも知れんし、的外れな難癖だったのかも分からん。
一概にその院生に軍配を上げるわけにもいかんだろう(逆もまたしかりだが)。
548 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 01:44:49 0
>>543 公的な意義があるなら、みなで募ってやればよいこと。権力など不要である。
むしろ公権力の存在は、お金の無駄遣いの原因になる。
いまだって必要のないところに利権で金が動いたりする。
549 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 03:00:04 0
即興で人を納得させる応答をすることは、
政治家には必要な資質かもしれないが、
哲学者には必要なかろう。
無駄飯食らいが上から目線やめろっつうんだよ
551 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 14:34:12 0
うん
今月の『現代思想』に論文「魂を探して」が載ってるな。
>>553 ついでに「哲学の就職先を探して」っていうのもお願いしたいところだがな
小泉さんって矢部史郎をボロクソ批判してたのか。。
同じ穴の狢かと思ってたが少し見直したw
556 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 16:27:22 0
『病いの哲学』(ちくま新書)を読み終えた。
この先生にかかると障害者に障害などないし末期の患者も
固有の生を持つ価値ある存在になる。
小泉先生の望みは新しい生物に変身することなのか。
脳みそが破裂するほどモノを考えている人にしては
素朴なユートピア志向だと思うんだけど。
あらゆる差異を肯定するなんて言葉で言うのは簡単だが、
じゃあその手前で差別や苦痛をどこまで肯定できるのかって話だ。
むろん小泉先生には「差別を肯定する」なんて発想は微塵もない
559 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 22:53:08 0
小泉義之教授は、心底から革命家なのであろうと思われます。
もちろん、単なる政治革命や社会革命の類の革命とはおよそ異なる、
新しい種への進化、人類という種からの解放という革命。
埴谷雄高氏の使った「存在の革命」という言葉が当てはまるのではないかと考えます。
もっとも、埴谷氏の生殖に対する認識を小泉教授は批判していますし、
埴谷氏のように全宇宙史を「誤謬の宇宙史」を弾劾するのではなく、全肯定していこうと
する方向にある、との違いが見られますが。
但し、全否定も全肯定もメダルの表裏の関係であって、人類の進化を加速度的に進めることが
できるのなら、いけるところまで進化させるべきとの考えを持っている点では、小泉教授と埴谷氏の
考えには、そう大きな違いはないのではないかと思われます。
560 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 23:01:02 0
小泉義之教授が誰に似ているかと問われれば、私は先ず、アレクサンドル・グロタンディーク博士を
想起します。
哲学者と数学者と畑違いの領域で活躍する御二人ですが、革命家あるいは革命的な思想を抱いている
こと、現生人類への失望と同時に来るべき「人類」(もはや「人類」というべきではないのかもしれませんが)
への希望、メシア的到来を待ち望む(「神を待ち望む」というべきかもしれませんが)その姿勢、それゆえ、
既存の価値秩序を根こそぎにする徹底した思考が共通しているといえばそう思われないでしょうか。
ある専門分野の超天才が浮世離れした理想主義にはまるのはよくあること。
チョムスキー先生もそんな感じ。
小泉先生は猛勉強の果てに天才の妄想を手に入れられたのですねw
562 :
考える名無しさん:2008/08/08(金) 13:47:20 0
私は、小泉義之教授が望む革命は、おそらくこの日本では適わないのではないかと
思います。
そこで唐突ですが、「北海道共和国」独立を本気で考えてみるのも面白いのではない
と思うのです。
確か、小泉教授の出身は北海道。高校生活を終えて東京大学に進学する手前まで、北海道に
育った経験を持っています。私もほぼ同じ経路を辿って来ました。出身は札幌市ではありませんが、
いずれにせよ北海道で生まれ育ちました。
北海道が共和国として日本国から独立する。
アイヌ人、日本人、ロシア人などが共生する大地を作る。
「五族協和」「王道楽土」の理念を右翼から奪い返すわけです。
公用語は、アイヌ語、日本語、ロシア語など。
学術研究に多額の投資を行い、教育水準を飛躍的に高める。
特に自然科学への研究・教育に力を入れ、世界中から優れた研究者を招聘する。
国籍・性別・年齢に関係なく。
自衛隊の基地や駐屯地などの施設は日本にお引取り願いたいが、それが適わないなら、
べらぼうに高い土地利用料を課して収入源とする。
独自通貨を発行し、しばらくは固定相場制にして変動相場制に移行。
スイスが永世中立国を実質放棄した後で、北海道共和国がその後継として永世中立国の宣言を全世界に
向けて行う。
さすが小泉に私淑してるやつの言うことはネタか本気かわからんな。
ネタにしては凡庸なのも仕様だな。
564 :
考える名無しさん:2008/09/02(火) 01:04:52 0
この人の社会科学への不審感は相当。
不信はかまわないけど、ものすごく斜め上の理解をしてそうで怖い。
ふむ
sage
ル・サンチマン™、また言い負けたの(笑)?
569 :
考える名無しさん:2008/11/16(日) 15:33:11 0
なんかよくわからん方向に発展していっているようですね。
がんばってください。昔授業に出ていた人、デカルトはテキストを読んで
いたんですか?
小泉義之教授は、雑誌『現代思想』2008年12月号に収録されている大阪大学の檜垣立哉教授との
討議「来るべきドゥルーズ」において、次のように述べています。
「現在の社会科学は基本的に死んでいる。これははっきり言うべきだと思います」
「ドゥルーズ=ガタリやフーコーの社会科学的な応用ないしは展開をやっていかないと
若い人にリレーできなくなってしまう。それぐらいの危機意識を持っています」、と。
そして、とりわけ社会科学の中でも”成功”を収めていると言われる経済学を中心に標的を絞って
「どうしてテクノクラート面した連中がかくも湧いて出てくるのか考えるべきです。そして、
現在のエコノミカルな言説の元になるものがあると一応は想定してそこを相手にするべきです。
それは、ひょっとしたらノーベル経済学賞をいただいている方々かもしれません(笑)。
私なりにアテはあるけど、ともかくネグりがロールズを最高の敵として遇して批判したような仕事
をやらなくてはいけない」、と述べます。
この発言は、小泉教授に現在の居心地の悪い感が拭えない社会科学に対する総批判を
密かに期待していた私を非常に勇気づける発言でもありました。
普遍数学を目指した西欧17世紀哲学の研究とりわけデカルト研究から学者人生を
スタートさせた哲学者の面目躍如たるものがあります。
現在の経済学は、様々な学派が跋扈してはいますが、
概ね@古典派(新古典派を含む)経済学、Aマルクス経済学、Bケインズ経済学の3つの
いずれかの潮流につながっていますので、これら経済学者たちの拠って立つ諸前提を再検討
することから始められるのかもしれません。
もっとも、一般均衡理論を批判することから始める複雑系経済学もあることにはありますが、
これも一般均衡理論に代替しうる理論を構築できているかと問われれば答えは否でしょうから、
ここでは複雑系経済学には触れないこととして話を進めましょう。
小泉教授が「ノーベル経済学者」と言及していることだけから断言するわけにはいきませんが、
今日の主流派経済学を当然念頭においているでしょうから、フリードマンらに代表されるシカゴ学派を
標的にしようとしていのかもしれません。
シカゴ学派は3つの中では@新古典派と位置づけるべきですから、古典派の拠って立つ根拠に向かって
攻撃を仕掛けるつもりなのかもしれません。
これは単なる経済学の理論上の対立のみではなく、実際の労働問題にも密接に関係している極めて具体的
な問題ですので、そこに本格的な経済学批判が展開される意義は極めて大きい。
関心はどの範囲まで批判の射程を及ぼすのかということにつきます。
すなわち、古典派の基本的前提であるセイ法則を批判したケインズ経済学の立場から有効需要の原理を肯定し、
ケインズ反革命を唱えたフリードマンを批判するというのか、もしそれなら既にケインズ経済学の側から批判
がなされていますので小泉教授としてはこの選択はとらないでしょう。
見るべき成果としては森嶋通夫博士の業績があるわけですから。
だとすると、有効需要の原理を肯定する否定する、あるいはマネタリストの政策を肯定する否定するといった
ことではなく、近代経済学全体の陥穽そのものを暴露していくという方途を模索することなのかもしれません。
近代経済学は数学的に見れば、小泉教授も指摘するように解析力学の歪な展開でしかないと言われても仕方ない
側面が多分にありますので、この点に集中砲火を浴びせて全体を突き崩そうとしているのかもしれません。
あるいは、『貨幣の複雑性』を著した東京大学の安富歩准教授のように、市場経済学の基本的諸前提がモデルとして
単純であるという理由からではなく、物理学の諸原理にすら反する荒唐無稽な代物であることを批判追及するという道を
辿るのかわかりません。
いずれにせよ、社会科学中でもその先端を行っていると自称する経済学に宣戦布告するともなれば、
非常に刺激的なことになるでしょうし、雇用問題等で先鋭化している経済政策の対立にも影響を与える
ことになるものと期待しています。
小泉教授が「(ガブリエル・)タルドからすると、同時期のワルラスじゃ理論的に
駄目だくらいの認識はあったと思いますよ」と言及していることから、一般均衡理論を
標的にすると考えるべきなのでしょうか。
ご承知の通り、ワルラスは一般均衡理論の祖といわれる経済学者です。
交換、生産、信用、資本化、貨幣の各々一般均衡モデルを構築して、徐々に仮定を追加
していくことで複雑な一般均衡モデルを構築することに成功したことで知られています。
もちろん、このモデルは完全競争を前提にしています。
完全競争とは言うまでもなく、需要者・供給者が十分なまでに多数であること、財は均一であること、
市場は完全情報で運営されていること(需要者・供給者が商品の特性や時々の市場価格等の情報が
無料・無価格・無時間で獲得できていること)を前提にしています。
実際はこんなこと現実的ではないので、モデルが単純にすぎるだの色々と批判がなされますが、理論的には
極めて上手くいきますので経済学者にとって魅惑的であるというわけでしょう。
事実、ここから資源の最適配分やパレート最適が証明されていくのですから。
これを御伽噺みたいだと批判することは容易い。実際そのような批判もなされています。
また均衡価格を説明するために出されるワルラスのいう模索過程は、数学的にいえばNP問題を抱え込むことに
なるわけで、実際は穴だらけの理論であるとも言えますし、そういう批判も既にとりわけ複雑系の研究者からなされています。
そうではない別の仕方での批判は何なのか、非常に興奮させるものになるのかもしれません。
小泉義之教授が、社会科学批判(主として経済学批判を念頭においているものと思われますが)
を展開せねばならないと考えている主要な動機が、我が国の1990年代から続くいわゆる規制緩和論と
その延長線上に位置づけられるいわゆる「小泉純一郎・竹中平蔵路線(以下、小泉・竹中路線)」の
新自由主義的経済政策への批判に限定されるものでは必ずしもないとはいえ、
一応この「小泉・竹中路線」に対する積極的評価をする論者と批判的評価をする論者の言説にも
目配せしているに違いなかろうと思われます。
「小泉・竹中路線」に対しては、その前身である90年代の規制緩和論への反論として
いわゆる福祉国家・社会国家論を展開する論者からなされてきました。
一橋大学の渡辺治教授の一連の研究はその典型であろうと思われます。
一瞥しておくと、渡辺教授は、90年代の規制緩和論や政界再編、軍事大国化への流れは、
一環した新帝国主義的再編の中に位置づけられるものであると指摘します。
自由民主党の野党への転落と細川護煕氏を首班とする連立内閣も、
元いた自民党では、新自由主義的な再編と利害上齟齬を来す支持基盤によって
支えられている以上不可能であるゆえ55年体制を崩壊させるとともに
新自由主義的政策を党是とする新たな保守政党を築くべく小沢一郎は自民党を
離党して政界再編を目論んだとします。
これは1985年のプラザ合意以後の先進国の中では遅れた多国籍企業化を支える
国内基盤整備という財界の要請に相即しますし、海外進出するにあたって、
自衛隊の海外での活動もなされるべきとの意向もあって、PKO等を通じて
自衛隊の海外派遣への道が築かれ、果ては周辺事態法制定や集団的自衛権の問題が
浮上することになりました。
この辺りの事情については、『「豊かな社会」日本の構造』、『政治改革と憲法改正』、『企業社会と国家』、
『現代日本の帝国主義化』、『日本の大国化とネオナショナリズムの形成』等に
詳しく紹介されています。
いわゆる日本共産党系の学者は今までは概して従属帝国主義論を採用してきましたが、
渡辺教授はこれに反して自立帝国主義としての日本の新帝国主義化を90年代の
一環した流れとして分析し、その対抗となる支軸は福祉国家の理念であるとしております。
おそらくこの点は、小泉教授の見解と必ずしも一致しない点ではなかろうかと思われますが、
この種の議論を当然小泉教授は理解しているはずなので、これら見解に対する小泉教授の見解を
披瀝してもらいたいという思いがあります。
とはいえ、今までの小泉教授の言説からして、小泉教授が福祉国家論に当座の方便
としてならともかく全面的支持するとまでは思えませんので、別の方途を考えておられる
ことと思われます。
別の道を模索する前に、少々面白い論説を紹介しておきます。
「小泉・竹中路線」に対して、東京大学法学部で憲法学を講じる石川健治教授が
雑誌『論座』2007年6月号に「ラオコオンとトロヤの木馬」と題する論文を寄稿して
おり、これが奇妙な面白さを持った論文なのです。
憲法9条2項論としても卓抜な論考であるのですが、その前の「小泉・竹中路線」に対する
憲法適合性を議論しているところが面白い。
「小泉・竹中路線」は、主として経済的自由に対する規制立法に対する合憲性審査において
最高裁判所が一貫して採用してきた見解に真っ向から反対する「憲法違反」の内閣であり政策
であると指摘します。
もっとも文字通り、違憲の内閣であるから打倒せよと主張しているわけではありません。
なにせ、最高裁判例は事実上の拘束力を持つにとどまり、法規範性まではないと解釈されている
わけですから。
ですが、日本国憲法体制とは、法典に記載された単なる条文のみに帰着されるものではなく、
当該条文に対する裁判所の解釈があり、内閣法制局の見解やそれを踏まえた政府統一見解なりが
積み重なって広い意味での憲法体制であるわけで、最高裁判例は「憲法は社会経済の均衡ある調和的発展」を
企図していると位置づけ、間接的ながらも野放図な「市場原理主義」をやんわりと否定しているのです。
これに真っ向から反する「小泉・竹中路線」は明らかに最高裁が一貫して採ってきた解釈の根底にある考えを
否定しているという意味で憲法適合性が疑われるというわけです。
ユニークな憲法学者の見解も披露され、法学の立場からも「小泉・竹中路線」に対する批判が出てきております。
もっとも法学においてこの「小泉・竹中路線」の抱える問題に関する先鋭的な
対立は労働法学において展開されております。
労働法学は、扱う対象が労働者の死活問題が絡む点と雇用する企業の利害が直接
反映するため極めて具体的な社会的・経済的・政治的な問題となっており、それだけに
見解の対立が感情的にもなるほどに先鋭化する領域です。
労働者派遣法をめぐる攻防もさることながら、労働法学の理論上最も対立する問題の一つ
として挙げられるのが、「解雇権濫用法理」というものです。
これは判例法理として形成されてきた法理ですが、今年の春に施行された労働契約法にも
明文化されました。その骨子は、使用者には労働者を解雇する解雇権が認められるが
(労働契約であるからには、当然民法の雇用契約の規定にある大原則通り一方当事者である
使用者が契約を解除する権利は一定の条件を満たすかぎりにおいて許されます)、解雇するに
あたっては、「客観的で合理的な理由が存在し、社会通念上相当であることを要する」として、
すなわち@客観的合理的理由の存在とA相当性の存在がなければ「解雇権の濫用として、無効である」
ということになります。
とりわけ労働者側に解雇事由となる帰責事由が存しないのに、専ら使用者側の都合で雇用調整のために
解雇されるいわゆる整理解雇ともなれば、解雇権行使の要件は厳しく課され、
具体的には
@人員削減の必要性、A解雇回避努力義務を尽くしたこと、B被解雇者選定の公正性、
C適正な手続きの履践の4要件(要素)を充足した上で、客観的合理的理由の存在及び相当性が
吟味されることが裁判例上なされることになっています。
この整理解雇法理を含む解雇権濫用法理が正社員の解雇を困難ならしめ企業の自由な雇用調整を
妨げているとの理由で日本経団連をはじめとする財界の幹部や、その声に呼応する主流派経済学者
並びにそれに追従する一部労働法学者から攻撃されているというのが現状です。
彼ら彼女らの主張する理由の一つに、正規労働者の地位を保護しすぎているために非正規労働者の
雇用がままならなくなっているのだから正規労働者の解雇をやりやすいようにするべく労働法制を
とりわけ解雇権濫用法理を改めるべきである、という点があります。
この主張を裏付けるために経済学者は様々な統計的データと称するものを持ち出し(極めて恣意的に
抽出したものであることが労働法学者からは指摘されはじめていますが)、それらをもとにフィリップス曲線が
どうのこうのとさも理論的に正しい見解であるかのごとく吹聴しているという次第です。
しかしながら労働法学者も経済分析に疎い者が多く、これら主張に理論的な面でまともに応戦できているか言われれば
非常に心許ないのも事実。悲惨な現状であるというべきかもしれません。
さりとてマルクス経済学に則って主流派経済学を批判してもあまり有効とは思えません。
確かにマルクス経済学の強みもありますが、同時に克服すべき欠陥も多くあります。
これは主流派経済学と比べて数理化が遅れたといったことではありません。
数理マルクス主義とか見るべき成果もありましょうが、基本的にはマルクス経済学の要諦に
関しては「マルクスの基本定理」に見られる森嶋通夫博士や置塩信雄博士の一連の業績が
あるわけですから、基本的にはこのラインで考えていくのでしょう。
あるいは別の側面からゲーム理論を用いたジョン・ローマー博士の業績も知られています。
いずれにせよ、マルクス経済学に対してなされてきたうんざりするほどの労働価値説批判
に対して有効な反論を供せずにいることは確かです。
もっとも労働価値説が誤りで限界効用価値説が正しい根拠もありません。
哲学者であった廣松渉教授は、この労働価値説と限界効用価値説のいずれかを採るかについて、
確か『資本論を物象化論を支軸にして読む』だか『資本論の哲学』だかで触れていたと思いますが、
双方の価値論を否定し、弁証的に止揚するべしと主張します。
『資本論』の価値形態論の読み方として廣松教授の持論である物象化論を前面に押し出して
投下労働価値説を否定し、さらに限界効用価値説の不備をつくわけですが、その批判は正鵠を
射ていると思うものの、物象化論で如何様な価値論を展開してそれを具体的な経済学の道具立て
にするかについては何ら解明されているわけではありません。
だが重要なのはここからではないかと思われます。
労働価値説にせよ、限界効用価値説にせよ、いずれも不備がある点はある程度モノを考えている者に
とっては既に自明の事柄なのですから。
ですから廣松渉教授の議論は、双方の価値論を素朴に信じている者に対しては有効な批判になりえても、
既にその不備を承知している者に対しては刺激的な議論になりがたいのではないかと思われます。
小泉義之教授は次のように言います。
「ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、
病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するた
めに、何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。
小手先の改良で済むなどと思っているのか。
本当に心の底から、そんな人間たちに、青空を眺める自由を確保するべきだと考えているのか。
そもそも、諸君は、自由と潜在能力について本気で考えてきたのか。
いつだって現状の政治経済とのトレード・オフを口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。
われわれが願っているのは奇跡である。車椅子がスポーツカーよりも速く移動すること、
医療機器がポータブルになること、指先の動きだけで意志が伝わること、目蓋の動きだけで
武器を破壊できること、受肉の奇跡を肉体のいたるところで引き起こすこと、要するに、
無力な者に力を賦与することである。
われわれが為すべきは、こんな奇跡のために、政治経済を本気で変更することなのだ」と。
社会科学批判(主として経済学批判)を考える際に肝に銘じておくべき言葉であるように
思われます。
私が学ぶ法学も、そして経済学も社会学も、社会科学には総じて<ゴマカシ>をし、それを
放置ないしは気づかずにそこに立脚して論を進めようとする。それについて指摘する内部からの声は
往々にして無視されるか、自己弁護のための攻撃にさらされ、数多の言説のうちの一つとして
かき消されていくというわけです。
おそらくデカルトならば、これら言説をすべて虚偽のものとして退けたかもしれません。
ついで言うならば、デカルトは大学で法学を学び法学士の学位を持っているわけですが、
『省察』にも『精神指導の規則』にも『方法序説』等にも法学を直接対象にした考察を残して
おりません。デカルトの時代も今と同じで、エリート学生の進路といえば神学部を除き、法学部か
医学部でしたから、単に明日のパンのために法学部を選択したに過ぎず法学には何らデカルトの思考を
刺激する要素は微塵もなかったのかもしれませんが、法学部生として少々気になるところでもあります。
580 :
考える名無しさん:2008/12/13(土) 13:13:42 O
アカデミズム最左派の純粋戦争だね。
小泉義之教授は、雑誌『現代思想』2008年12月号の討議にて、稲葉振一郎教授の問題意識を
たとえ目指す方向が異なっても見なければいけないとの主張をしています。
確かに一般的には問題意識を共有することは必要かもしれませんが、何ゆえ稲葉教授の問題意識を
共有しなければならないのか、その必要性が見えてきません。
財政政策なり金融政策なり社会科学の一部についてなら、単なる門外漢でしかない稲葉教授の適当な
言説を持ち出さずとも相応の専門家による研究があるのですから、そこに神経を傾注して考えるべき
ではないか、でなければ社会科学を批判することは困難なままであるように思われます。
小泉教授はかつて「労働の擁護」と題した文章を書いていましたが、
その関連でいうと、例えば労働法学の現在は、派遣労働者と派遣先・派遣元との関係や、
有期雇用契約の中途解除の問題、あるいは解雇権濫用規制や不当労働行為等数多の問題を
再度検討する作業が続いており、様々な利害対立が蠢く場となっています。
旧来の労働組合中心の考えから個別労働契約関係の重視へとシフトした労働法学ですが、
今日の雇用契約解除等喫緊の問題から再び労働組合の役割や集団的労使関係を規律する
労働組合法への取り組みの重要性が再び注目されはじめようとしています。
その中で、憲法の基本権体系における労働基本権の性格についても見直しが
求められているのではないか、そして現にそのことに注目している労働法学者も
存在するわけです。
ご承知の通り、憲法学における伝統的見解は、基本的人権を自由権的基本権と
生存権的基本権と分類し、労働基本権を生存権的基本権の一種として位置づけてきました。
民法学の我妻栄博士の見解の影響もあって、憲法学の宮澤俊義博士や佐藤幸治博士、
そして芦部信喜博士といった我が国憲法学の牽引者によって主張されております。
しかし、労働基本権は国家権力からの自由を中核に持つべき権利であると主張する学説が
労働法学の西谷敏教授らによって展開されています。
すなわち、憲法21条に規定する「結社の自由」と労働基本権の一つたる団結権を原理的対立関係
にあるものと捉えるのではなく、労働組合も結社の一種である以上、本来は結社の自由をふまえつつ
労働者団結の特殊性に応じて独自の権利として団結権を保障した解すべきとして、憲法の予定する
資本主義経済体制(憲法22条、29条参照)において労働者が使用者(資本)に対して従属的地位に
置かれざるを得ないことの認識に立脚して、かかる支配従属状態の下では労働者に団結権・団体交渉権・
団体行動権の三権を保障することで労使の実質的対等を確保し、そのことを通じて労働者が自己の
労働条件決定や経済的地位の向上に実質的に関与することを保障する、すなわち、労働基本権は使用者に
対して従属的地位に置かれた労働者が自己の労働条件決定や経済的地位の向上に実質的に関与するために
保障された権利と位置づけるのです。
これは労働基本権を自由権的基本権中心へと転換させていく考えで極めて実際上の影響も大きいものです。
単なる解釈上の争いではおさまならないのです。
事実、自由権侵害の場合は、生存権保障が問われる場面と異なり、被侵害利益の内容や態様が明確であるため
司法審査の範囲が大きくなります。すなわち立法府の自由裁量として処理される危険性が低いことになり、権利保障
としての実効性も高まるという次第です。
反経済学なんて凡庸中の凡庸じゃねえかw
金子勝でも読んでろ
しかしこの法学おじさんも香ばしいなw
小泉センセも立花隆ばりの斜め上方向驀進中みたいだし、
稲葉もなんでいつまでもこんな脳ミソ肥大症に付き合ってるのかわからん。
小泉が稲葉にこだわることの方が不思議
ドゥルーズやフーコーを便利な社会分析の道具としてのみに
使うことを批判してなかったっけ
稲葉なんかその最右翼だと思うけど
稲葉は田島正樹にもからんでるなw
小泉や田島や大庭健みたいに自分の左翼的情念を救うために哲学やってる奴に
そういう話は通じないってのw
稲葉ってのは左から見れば単なる「まだ左に未練のある転向者」でしかない。
左から見れば近代経済学は価値中立性を装ったイデオロギーでしかない。
まぁ実際、稲葉は経済学よって劇的に世界観を転換したわけだから、
その場合経済学はイデオロギーとして機能したことは間違いない。
もう既に根源的な情念のレベルで通訳不可能性が生じている。
俗に言うバカの壁。どっちがバカかは神のみぞ知る。
588 :
考える名無しさん:2009/01/28(水) 12:52:43 0
負け組の哲学ってこの人だっけ
「負け組の哲学」が出たとき、30秒ぐらい立ち読みしたっけな。
万巻の書物を読破し物凄い強度で思索を重ねてきた知能の高いおっさんが
こんなくだらんことしか書けないってのは逆に凄いと思ったな。
sage
592 :
考える名無しさん:2009/07/25(土) 15:40:32 0
「デカルトの哲学」小泉義之 人文書院
祝論文集刊行
デカルト以外でも論文集を纏めて書籍化して欲しい。
sage
sage
597 :
考える名無しさん:2010/01/29(金) 19:37:27 0
小泉ってTwitterやらないのかね
長らく積読だった『生殖の哲学』をようやく読了。
思った通り、単なるトンデモ本だった。
トンデモで塗り固めてあるから破天荒な面白さがあるかというと、
面白くもなんともない。トンデモとか狂気というのは大抵凡庸なもんだ。
もちろんここで取り上げられている問題そのものは興味深い。
でもこんなの読むよりは普通にSFとか漫画を読んだ方がよほど哲学的だろう。
根本敬とか山野一を読んでみてください。小泉先生も読んだかもしれないが。
あと進化論についての理解がメチャクチャなので、
誰か細かく批判している物好きがいないかな、と探してみたらあった。
http://transact.seesaa.net/article/55079571.html
立花隆・松岡正剛・小泉義之を多読三馬鹿と認定
拗れすぎて修正不可能
言い忘れたが、木村資生の優生思想は、改めてちゃんと批判しなきゃいかんのでしょうな。
自分もどう考えたらいいのかわからんので偉そうなことは言ったらいけないんでしょうが、
小泉先生には金輪際期待しませんw
なんで専門家にチェックしてもらおうとしないんだろ?
理系の院生をちょっとバイトで雇ってもいいだろうしさぁ。
まぁ学問なめてるんだろうな。
605 :
考える名無しさん:2010/06/20(日) 20:42:53 O
こいつ障害児も差別せず生むべきだとかぬかすけど、生まれた子供は障害負ってる時点で、比較的不幸になるの目に見えてるだろ?
何でそんな事言ってるのか俺にはさっぱり理解出来ないんだが、どなたかこいつの代わりに説明してくれないですか?
「理念と現実」とか「建前と本音」という区別をとっぱらった最も素朴な「正しさ」への願望の下で、
「すべての生は留保なしに肯定されるべきだ」という絶対的な直観があって、
現実はその規範に合わせるべきだ、というのが小泉先生の思考経路でしょう。
要は「正しいことをやれ。できない言い訳はするな」という精神論ですわなw