引きこもり問題では何を考えるべきなのか?

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167考える名無しさん
引きこもりは怠け以外の何者でもない。
家で何もせず親に食わせてもらっているのが怠け以外の何であるのか。
精神科医はお客であるヒキのご機嫌をとるために当然「怠けではない」と言うだろう。
引きこもりは自分の姿をもう一度見つめ直せ。
病気なら医者に行け。例えば人が怖くて外に出られないなら治療する方法はいくらでもある。
そういう努力をしないのはやはりいくら弁解しても怠けなのだよ。

もう一つ。
長い時間を経て人類は高い生産性を獲得し大量の余暇を獲得した。大量に怠ける時間を獲得したのだ。
創造的な人間は怠けている時間にざまざまな物を自分に充電し
働く時間にそれを生かす。もちろん無為な空想すら創造的な人間はそれを生かす。
怠けは決して罪悪ではない。
近代以来青年期というモラトリアム/怠けの期間、が社会的にも容認され
それは青年が思索し、将来を模索する期間として奨励されるようになった。

だのに引きこもりは必死に「怠けではない、怠けではない」と主張する。
つまり彼ら引きこもりは、もともと怠けを創造につなげる能力が無いのだ。
彼らの多くは奴隷のように創造する事無しに働いて来た人間達の子供だ。
彼らの親や祖先は全く創造する事無く働いて来たので。大量の余暇を得ても何も創造に
つなげる事が出来ないのだ。その子供も親の奴隷遺伝子を受け継いで生まれて来た。
彼らは目の前の大量の余暇があるのに何をしていいのか分からない。
創造する能力が何も無いのだ。彼らは立ちすくむしかなく。家に逃げ帰り子供部屋に安全基地を求めた。
そこで彼らは「この余暇は怠けではない、怠けではない」とつぶやく事しか出来ないのだ。
いつまでも青年期の余暇を創造につなげる事が出来ない人間達。
青年期の余暇を将来に生かす事の出来ない人間達が引きこもる。
「怠けではない、怠けではない」とつぶやきながら。
きっと彼らの祖先が怠けは罪悪であるとした記憶を引き継いでいるのだろう。怠けを創造につなげられない事が罪悪なのに。
引きこもりは彼らを淘汰する大いなる自然の意思なのかもしれない。