◎ まなざしの快楽 PART7 ◎

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941ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 10:48:04
喜び、怒りなどは自分の内面を表に出す
しかし笑いはそれとともに共感を確認する
笑いはいつも単に一人でなく、場の表現としてある。
942考える名無しさん:2005/07/25(月) 11:08:10
ぴかぁ〜って自分で自分のハードルを高くして
自分の中に閉じこもっているだけ
ぴかぁ〜自体がセカイ系だよ
こんなやつ、半世紀前にはいなかっただろうし
ぴかぁ〜自体がきもいぞ・・・
943考える名無しさん:2005/07/25(月) 11:38:58
ぴかぁ〜と哲学者はやっぱりちがう
944ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 11:43:00
ぴか?
945ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 11:45:35
って、わしがやってるの科学なんだけど…
946考える名無しさん:2005/07/25(月) 12:01:46
オトナノカガク
.∧_∧ダナ ∧_∧
(*゚Д゚)目ミ゚Д゚ミ
(| |つ|(ミ ミ)
@| | ‖ ミ ミ@
〜∪∪ ¶ ∪∪〜
VVVVVVVV
947考える名無しさん:2005/07/25(月) 12:03:02

☆   ∧∧ナンデ
 \  ミД゚ミヤネン
 四==⊂  ミ
~∧∧ ∫ミ ミつ
(∀゚*)⌒つしヾヾ
.じJ∪゙  ⌒
VVVVVVVV
948考える名無しさん:2005/07/25(月) 12:05:08
科学という割には哲学的、
哲学にも値しなければ科学という
どんな価値があるんだ?
949ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 12:06:58
科学と同じ価値がある!
950考える名無しさん:2005/07/25(月) 12:08:09
まあ、気にしないでおくか・・・

哲板理系化阻止委員会
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1055346645/
951ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 12:29:45
お笑い番組にはいつも笑い声が足される
それは笑いどころの指示であるとともに、笑いが場と密接であることを示す
952考える名無しさん:2005/07/25(月) 12:38:25
ハリウッドのSF映画なんて見てると、
こりゃ西洋科学の狂気は行き着くところまで行くな、
とも思えてしまう。クローン製造にしても、
ハリウッド映画に描かれているようなものは、
アメリカならあっておかしくないと思えてしまうもん。
一応は、映画としては、批判的な風刺的な、
ある種そういう道徳的な筋書きにはなっていても、
圧倒的な情報量でそれが来ると、感覚として、
慣れてしまいそうになるところが恐ろしいところだ。
ああ、こういう未来もあるのかな、って。
現実って、こんなこともありなのかな、とか。
それもちと、過剰配給すぎる段階に来ているな。

こういう世の中だからこそ、あまり、
時流に開き直らないことも大切なんじゃないか。
そういう意味では、ぴかぁ〜みたいな、
時代の流れしか追っていないような軽薄な輩は、
すぐに忘れさられてしまうような存在だと思う。
953ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 12:50:19
よい流れなのにいきなりぴかぁ〜に回収するのは照れかね
954禁煙マン:2005/07/25(月) 14:27:21
おい、ぴかぁ〜。
タバコを辞めてから1年くらいか?
タバコの代替物、
他の嗜癖とかに転移したりはしないのか?
(ネット依存とかは置いておく。)
955ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 14:39:23
はあ?なんでしってんの?去年の今頃、風邪で一週間寝込んでからだから
一年やね
中毒はないけどいまでも吸いたいなあ。
一生忘れられへんのやろな
956ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 14:42:33
タバコはなんかもうめんどくさいよね
いろいろ拘束されすぎて、たえず吸う場所考えながら生きてるみたいな
わしは結構移動が多いからなおさらやね
957禁煙マン:2005/07/25(月) 15:33:00
タバコを吸う人間は合理的か?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1106841103/l50

ここの4
958ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 15:38:07
ほー忘れてた
959禁煙マン:2005/07/25(月) 15:40:18
禁煙から一年経つとさすがに
「彼岸への強烈な飢餓感」からは逃れることができるようだ、
しかし「過去への憧憬」からは逃れられないってかんじらしい。
960考える名無しさん:2005/07/25(月) 15:53:59
tp://www5b.biglobe.ne.jp/~aomo/itakotok.htm
961ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 17:21:41
個人情報がもれていくなあ
ストーカーじゆんに刺される日も近い?
こわあ〜
962ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:00:23
最近、あるある探検隊や長井秀一、波田陽区、など、俗に言うあるあるネタが一つのブームに
なっている。このような「あるあるネタ」は、その境界線が重要である。当たり前すぎるあるあるは、
あるあるにならない。「あ〜それあるあるよね」とは、自分だけが思っていた独我論的世界に、
他者が進入したとき、わかりあえたときに悦びが生まれる。だから、あるあるネタにもたえず
「暗闇への跳躍」という賭が存在するのである。

最近のあるあるネタの特徴は、テレビの世界である。そこに共通項を見いだすことが考えられる。
その中での「あ〜それあるあるよね。私だけが、思っていたら。」そしてそれへのウケによって、
「みんなのそうだったんだ。」という悦びである。

逆説的にこのようなことがよくわかるのが、外国のバラエティを見たときの気持ち悪さである。
たとえば韓国のバラエティを見たとする。するとどこのだれかわらない、そして取り立てて、特徴もない。
なんで彼なのか、まったくわからないが、とにかく一言一言大受けなのである。その内容が面白い、
面白くないがわかる、わからないということではなく、だれかわからない、兄ちゃんが大受けなのが、
気持ち悪いのである。おそらくそれは、外国人が日本のバラエティーをみても同じように感じるのでは
ないだろうか。
963ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:04:15
ボクたちは、自分の身近な人間関係よりも、テレビの人々との人間関係に詳しい。そこで繰り広げら
れる物語の出演者の一人である。あの二人がつきあった?別れた?ということを、身近な話題として
感じる。もはや、みながそこに住んでいるということが、バラエティの意味である。

それによって、楽しむことを容易にする。テレビをつけるとすぐにこの世界に入り、楽しめる。
途中から見ようが、ながら見しようが、楽しめる。だれが出ているかで、すでに様々な状況が
わかってしまう。そのコンテクストを理解するような労力を必要としない。

すなわちバラエティ的な笑いは、場所に限定した局所的なハイコンテクストが必要とされる。
彼がだれであり、どのようなことをしてきたかが重要である。その中にいるボクたちは、
笑いの儀礼の中にいるといえる。これは義務と言うことでなく、仲間なのであり、楽しむことに
積極的な場なのである。

そして最近の笑いの「あるあるネタ」は、このバラエティ的世界という、「ハイコンテクスト」を
うまく利用している。みながそこに住んでいることを前提に、「あるあるネタ」がサガされている。
964ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:10:10
しかし作り手を考えると、このような「あるあるネタ」は、ローリスクである。作り手のイノベンション
としては、さらにはいかにリスクの高いネタで、共感を呼べるか、あるあるネタの演者は、
このギリギリの賭によって、お笑いの勝負となる。

これは、お笑いだけではないが、人々の価値観として、イノベーターは尊敬される。と言う価値がある。
未開地へ乗り出すことは、リスクが高いが、それを乗り越えることに高い価値が持たれる、歴史に名が
刻まれるのである。クリエーターとしてのお笑いにも同様な価値観が存在し、「売れる」ことは重要で
あるが、リスクを負うことも重要とされる。

このような開拓者としての成功者が、パイオニアが、ダウンタウンである。彼らが尊敬される理由の
一つがこのパイオニアとしての面である。ダウンタウンが開拓者として尊敬される開拓地は、
人間にタブーな暗部、見せてはいけない、見てはいけない領域である。
965ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:13:35
たとえば「かっぱの親子」のコントでは、いじめられている息子のために、いじめられっ子を
しかるかっぱの父親(松本)が、いじめられっこの父親(浜田)にいじめられる、と言うものだ。
父親は息子の前だけでは、殴らないでくれと頼むが、容赦なく、しばかれる。
これに似たものに、恋人といるツッパリが不良に絡まれるというものがあった。

またコント「おかん」では、ツッパリ(浜田)が彼女を家に連れてくるが、そこにおかん(松本)が
しつこくツッパリを、子供扱いする。ツッパリはカッコがつかない、というものがあった。

ここに描かれるのは簡単にいえば、人のコンテクストに支えられた主体性=プライドが、
潰されていく場面である。それは見てはいけない、見せてはいけないタブーである。
このようなコンテクストによって、強力に与えられるプライド(主体性)、それは崩れては
いけないものである。なぜならば、それはその人そのものであり、だれもがそのようにして
主体であるからだ。
966ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:18:07
このような狙いは、ダウンタウンのバラエティーでも見られる。いじられ役は、
そのプライドにかけて、いじめられることが笑いとされる。それは、教育上よろしくない
ところ、社会的なタブーとスレスレである。このようなあるあるネタの開拓によって、
ダウンタウンはフロンティアとして尊敬されている。

そして、最近では、アンガールズもイノベーターである。それは、ダウンダウンのそれと近い、
もっと身近にした、小さな緊張である。それは、一見円滑に見える人と人のコミュニケーションの
ちょっとした断絶の間とそれが妥協されていく、緊張の場面である。

卑近にいえば、レストランでの食事で、多くも言葉が交わされ、一見十分に分かりあっているようで、
会計になると、おばちゃんたちがだれが支払いをするのか、「いいのよ、奥さん私が払うから」の
緊張感である。それは、コミュニケーションの断絶が、露呈する緊張に瞬間である。

一見、円滑に進めコンテクストの場から、一瞬の望む断絶の緊張感。そしてそれを、
懸命に取り繕うとして、言葉を重ねる滑稽さ。このような間はどちらかというと、女性的な
ものかもしれない。アンガールズが女性に受けるのは、そのためだろう。
967ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 19:21:47
つまんね・・・
968考える名無しさん:2005/07/25(月) 22:49:41
おもろいよ。

自分はとあるお笑い掲示板でアンガールズのジャガジャガ♪を
「ディスコミュニケーションのメタ記号」
と表現したことがある。
つまり「何この空気?」などのいわゆる自分ツッコミだ。
自分をツッコミというメタ位置に置くことによって
先の自分のボケ、失敗を場のボケに転換する。
斉藤のいうフレーム切り替えの快楽にも近いのかな?

個人的にはラーメンズ、おぎやはぎも「ゆるい父」を使用したイノベーターだと思う。
969ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 23:44:43
>>968
失敗(断絶)を、場のボケとしてごまかすために、自分をメタ位置に置く。
「いやいや、だからそれは〜」みたいなことかな。

ボクがいう、「円滑に進めコンテクストの場から、一瞬のぞく断絶の緊張感」
と似てますね。言葉を重ねれば重ねるほど露呈する断絶の「暗闇」。
それを懸命に取り繕うとする。それは、懸命にコンテクストを取り繕う=メタ位置に置く。

これは女性的な間だと思う。女性は一般論として、コンテクストの変化に敏感ですね。
社会的に弱い存在である女性は、男性よりもコンテクストを読むことを学習する。
たとえば、女性は浮気を見抜くとかいうのは、このようにコンテクスト、場の空気を
読むことに長けていくのかもしれない。

このコンテクスト読みの過剰性は、逆に、コミュニケーション不全に繋がる。
メタのメタのメタの・・・先の「おばちゃんたちの会計」は、ある意味、
読み合いなんだよね。ほんとは相手の料金など払いたくないけど、
コンテクストを保たなければならない。
ある瞬間に開く間とそれを懸命に取り繕う面白さがアンガールズじゃないかな。

斉藤のいう「フレーム切り替えの快楽」は知らない。フレーム憑き?
970考える名無しさん:2005/07/25(月) 23:54:14
おまえらお笑いに詳しいんだな。
俺が最近面白いと思ったのは笑い飯ぐらいだな。
他のはネタを見たこと無いわ。
971ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 23:58:24
>>970
笑い飯は、ボケボケの発想が面白いが、広がりがなくて、
ワンパターンに陥るよね。

最近、若手の新しいパターンで、面白かったのが、
一生懸命ボケけても、まとのもにつっこまれずに、「あ、そ」と
空かされて、無視されるというのが、あった。
名前忘れた。あれ売れるね。
972ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 23:59:08
まともにつっこまれずに
973考える名無しさん:2005/07/26(火) 00:43:46
そう、フレーム憑き。解離のポップスキルにも同様のことが書いてあるらしい。
この本では視覚がもたらす二重性(見える/見えない)の効果について
押井映画の審級間の移動などを例に挙げて説明している。
対象を視る→対象を「現実のフレーム」において視る→複数のフレームの並列
フレームを切り替える瞬間にリアル感が起こるらしい。
974ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 00:46:19
「解離のポップスキル」は呼んだけど、なかったような。

フレームを切り替える瞬間にリアル感が起こる。
「フレーム切り替えの快楽」か。
読んでみるか。
975考える名無しさん:2005/07/26(火) 00:55:25
ところでアンガールズにおいて笑いが起こる瞬間は

>円滑に進めコンテクストの場から、一瞬のぞく断絶の緊張感

ではなくて
ぐだぐだ→ジャガジャガ
の瞬間だと思う。

ぐだぐだの暗闇において笑いが起こるのではなく
その暗闇全体がジャガジャガという完全なメタ位置において救済
(暗闇全体がボケとして認識)されるときに
安心して笑えるのだと思う。

ガキの使い、リチャードホールの作家なんかは
こういう虚構フレームを意識的に使っていると思う。

連辞的な笑いの構造(ボケ→ツッコミ)は古典的だが
範列的にぐだぐだボケという分野を
意識的にボケとして取り込んだアンガールズはやはり先進的だと思う。
976考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:00:44

>「解離のポップスキル」は呼んだけど、なかったような。

『精神科医は多重人格の幽霊を見るか?』
という項に似たようなことが書いてあるらしいぞ

977ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 01:03:18
>>975
>救済 (暗闇全体がボケとして認識)されるときに
>安心して笑えるのだと思う。

確かに、これは笑いの基本の緊張と緩和だね。
笑いの時間的位置は正確には、緩和にある。
でも、ジャガジャガよりも、長時間コントが好きなんだけどね。

>範列的にぐだぐだボケという分野を
>意識的にボケとして取り込んだアンガールズはやはり先進的だと思う。

これは、そうだね。
ある瞬間に開く緊張の間とそれを懸命に取り繕う面白さ。

「リチャードホール」ってなんだっけ?
978考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:07:57
>でも、ジャガジャガよりも、長時間コントが好きなんだけどね。

俺も、田中の自分を俯瞰ししたツッコミがおもろい。

>「リチャードホール」ってなんだっけ?

お笑いコント番組。
コントの「笑ってはいけない」というしばりの隙間から
ほとんどの笑いが生まれる
979ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 01:10:53
さらに、この「範列的にぐだぐだボケ」というのが、
実はものすごく、日常的なんだよね。普通の会話なんだよね。
いわば、女子高生のおしゃべりとか、こういうことでできている。

だから、お笑いとという、「古典的連辞的な笑いの構造(ボケ→ツッコミ)」を
転倒している。
アンガールズはあまりに普通すぎて、芸としての笑いとして
成り立っていなかった、ただの普通の雑談だろうと、思った。

それを、女子高生とかが、面白いといった。
それは、あまりに自分たちだったから。

ここがアンガールズの革命的なところでは
980考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:16:09
ダウンタウンも出てきた時はチンピラの立ち話って言われてたよね。
でも今や、談志に言わせると「落語の間」になってるらしい。

ところで君、書くの速いね。
981ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 01:28:19
いやいや、それほどでもないよ。うわあ、おれ、赤面してるよ。
ジャンガジャンガジャンガジャンガ♪
982考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:33:33
>だから、お笑いとという、「古典的連辞的な笑いの構造(ボケ→ツッコミ)」を
>転倒している。

ここがちょっとわからない。
転倒しているってどういうこと?
983ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 01:36:53
>>982
ボクは最初アンガールズの面白さがわからなくて苦労した。
「笑い」になっていないと思った。
けどそれは、ボクの中に「笑い」とはこういうものが、という概念があった。
作られた「古典的連辞的な笑いの構造(ボケ→ツッコミ)」があて、
それから逸脱しているから、わからなかった、ということ。
984ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 01:39:43
最近では、仲の良い人をウダウダしゃべっているとき、
「あ、いま、アンガールズやん」と思うことが多々ある。
そういうことなんだね。ということ。
985考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:45:38
例えばキモイという言葉はボケ(相手を無理やりに穢れの位置において)と
ツッコミ(自グループを優位に置く)を同時に成立させる言葉だが、
アンガールズはボケとツッコミが分離している。

この順序(ぐだぐだ→ジャガジャガ)を連辞的と言っているわけで
範列的にどんな材料(ぐだぐだ)を持ってこられようとも、
このボケ→ツッコミという順序は転倒しようがない。
キモイという言葉すら発言グループ全体がボケとして
つっこまれる(ジャガジャガされる)可能性は常にある。

だからぐだぐだボケでも転倒はしないと思う
つまり自分はアンガールズは古典的だと認識している。

転倒する可能性があるとすれば、それは「引き芸」系だと思う。

もう次のスレに書いたほうが良いのかな?
986考える名無しさん:2005/07/26(火) 02:05:20
リアクション待ちなんだが…就寝?
987ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 11:48:53
>>985
いや「ボケとツッコミ」が転倒しているわけではなくて、
「古典的な連辞的な笑いの構造(ボケ→ツッコミ)」という構図に
はまっていない、ということ。

ジャガジャガはツッコミかな。
ショートコントで、間にフレーズを入れるのは良くあること。
988考える名無しさん:2005/07/26(火) 23:19:12
なぁ。ぴかぁ〜。
俺は、笑いにボケとツッコミ以外に、「砕け」という要素を追加したいんだが
どう思う。
989ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/26(火) 23:33:31
えっ!え、え、え、な、なに!?

ジャンガジャンガジャンガジャンガ♪
990考える名無しさん
上方はボケツッコミが様式美として確立してるが、
関東系は「砕け」要素が強い気がする。