哲学をする意義

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1考える名無しさん
哲学に実用性はない。
では、なんのために哲学をするのか。
人生を豊かにするため? 
知を愛するから? 
色んな考え方を知って広い視野で物を見るため?
哲学という漠然とした物に興味を持っているから?
論理に強くなりたいから?

俺は最近実存主義を研究しているのだが、正直、こんな考え方知ら
ない方が楽しく生きられた、と思ったのである。

さあ、諸君は哲学をする意義がどこにあると思うか。意見求む。
2考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:30:19
やっぱ実用性なんじゃない?
3考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:30:48
重複
削除依頼してこい チンカス


一体哲学に何ができるというんだ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1097160983/
◆結局、哲学って何の役に立つの?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1082622095/
哲学やっててよかったこと書いてくれ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1104313776/
4ピーターパンシンドローム:2005/06/08(水) 22:31:02
哲学をする意義がわからない?
それならオナニーしよう。
哲学する意義がわかるぞ。
5考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:31:06
>>2
実用性と言いますと?
6考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:34:03
こういうこと考えすぎて邪念が多くなりすぎて何かダメ人間になりました。
7考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:34:19
>>3
それらとは少し違います。
哲学によって結果を求めるのではなくて、なんのために哲学をするのか、ということでありますゆえ。
8考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:35:41
重複 削除依頼してこいチンカス

一体哲学に何ができるというんだ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1097160983/
◆結局、哲学って何の役に立つの?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1082622095/
哲学やっててよかったこと書いてくれ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1104313776/

9考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:35:50
>>4
申し訳ありませんが、もう少し分かるように書いていただけないでしょうか。
>>6
……分かります。
10考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:39:05
>>8
上に申しました通りです。
11考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:46:31
哲学に何ができるのか?哲学は何の役に立つのか?哲学やっててよかったことは何か?
哲学する意義は何か?

同じだろ。重複だ。削除依頼して来い>1
12考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:47:54
1で挙げられている、哲学する人にとっての目的である可能性のあるものに関して、
その目的を成し遂げるために哲学をする必要がある、と考えた人が哲学をするのだろう。

実用性というのは、何かの目的を達成するための、実際の役に立つということだから、
上の場合、哲学が、そういった目的を達成するための実際の役に立ってるので、
「哲学には実用性がある」といえることになる。

そう考えると、「哲学に実用性はない」という前提が間違ってることになる。
13考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:48:28

重複スレです。既存スレへ移動してちょうだい。

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14考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:49:28
>人生を豊かにするため? 
>知を愛するから? 
>色んな考え方を知って広い視野で物を見るため?
>哲学という漠然とした物に興味を持っているから?
>論理に強くなりたいから?
>さあ、諸君は哲学をする意義がどこにあると思うか。意見求む。

なんで哲学してるか個々人の意見聞いてどうする気だ。
そんな意見は哲学とは何の関係もない。

削除依頼して来い
15考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:51:30
>>14
個々人の意見ではなくて何を聞くべきかをまず書いたらいいんじゃない?
16考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:55:05
まず、削除依頼は申し訳ありませんが、出す積もりはありません。
私の意見を求めるのはなにかと申しますと、ひっきょう、なにゆえ哲学を
するか、ということでありまして、もしかすると哲学とは無意味なものか
もしれませんし、神の存在について人類が煩悶したのも荒唐無稽なはなし
かもしれません。あらゆる哲学を批判しつつ、自分はどうして哲学をして
いるのか、について話していただければなぁ、と思っております。
17考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:56:47
大分こう、哲学に毒された言葉遣いですね。
18考える名無しさん:2005/06/08(水) 22:57:27

別に削除依頼しなくてもいいんじゃね? と思うがな。
自分の行為を批判することは大事だと思うし。
19考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:04:42



だめ。いいかげんにしてちょうだい。

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20考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:06:11
1では、
「楽しく生きる」という目的のためには、
「実存主義の考え方を知ること」が役に立たず、
むしろそれによって目的から遠ざかってしまった、
という個人の経験が書かれている。

これを一般化すると、
「楽しく生きるためには実存主義の考えを知らないほうがよい」
となる。

1は実存主義を学ぶことによって、
「楽しく生きるためには実存主義の考えを知らないほうがよい」
と世間の人々に告げることが出来るようになった。

1のお陰で、
世間の人々が楽しく生きるという目的を達成する過程において、
「実存主義の考え方を知る」ことを、障害としてあらかじめ知り、
回避することが出来るようになる。

世間の役にも立ったわけだ。
21考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:08:56
>>19
おかたくならずに、お茶でもどうぞ。
>>20
根本的な所で論点が食い違っている気がしてなりません。
22考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:08:57
哲学にはいろいろある
科学の基礎付けや解釈
思考の原理・条件の探究
究極真理探究
人生=実存の意味探究
哲学について哲学してもいいし
役に立つかどうかは、個々の興味しだい。
23考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:10:35
>>22
役に立つために哲学でしょうか。個々の興味次第とはまたアバウトな(^^:
24考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:12:53
近代以降において哲学が科学を基礎付けたって話は知らないな。
ウソじゃないの?
25考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:13:36
一旦哲学を捨てればいいと思うよ。
26考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:22:22
い‐ぎ【意義】
1−意味。わけ。言語学では、特に「意味」と区別して「一つの語が文脈を離れてもさし得る内容」の意に使うこともある。
2−物事が他との連関において持つ価値・重要さ。「参加することに―がある」
27考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:22:59
重複
削除依頼してこい チンカス


一体哲学に何ができるというんだ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1097160983/
◆結局、哲学って何の役に立つの?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1082622095/
哲学やっててよかったこと書いてくれ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1104313776/
28考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:26:58



悪質な居直りと判断されますた。

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29考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:39:14
たしかに科学を基礎付けるためには科学の外部のものが必要になる。
それが哲学の役割なのだとすると、
哲学は科学が成立するために要請されたということなのだろうか?

科学の成果の解釈となると、解釈する主体が必要になる。
解釈は、何者かにとっての解釈だから。
ただ科学による成果を解釈すればよい、というのであれば、
解釈する主体は誰でもよい、ということになり、それが哲学である必要はなくなる。

思考の原理・条件の研究は科学のすることでもあるのではないか?
しかし、科学の基礎付けに哲学がかかわるのならば、
哲学も間接的に研究に携わることになるといえるのかもしれない。

真理に究極とそうでないものがあるのだろうか?
真理とは、内容をもつものではなく、
内容と内容とを隔てる形式や、内容と内容との間に成立するの関係のことではないだろうか。
それゆえ、それ自体に価値はなく、どこにでも適用可能な、すなわち、普遍的なものといえるのではないか?

人生の意味の探求も、解釈と同じように、意味づける主体が必要になり、
ただ意味づければよいのであれば、それは哲学のみができることではない。

役に立つ立たない以前に、
何が哲学と呼ばれるもので、哲学は何をするものなのかが知りたい。
そうでなければ、ここの興味しだいなのかどうかも決定できないから。
30考える名無しさん:2005/06/08(水) 23:54:09
ヘーゲルなら、
真理は一つで絶対的であるに決まっている、だからこそ真理なのだ
というだろう。
31考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:20:58
わたしの言う真理も、
内容、すなわち、存在するもの、すなわち、有限なもの、すなわち、相対的なもの
ではないもの、
をそう呼んでいるので、
つまり、絶対的で、一つ(分節性を持たない←有限ではない)ということになり、
けっきょく、ヘーゲルの言う真理と同じなのだとおもう。
32考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:27:17
いや、まちがいだ。

わたしは真-偽、無-有という対立の中での真、無についていっているので、
対立されたそのつどの偽、有によって分節されている。

ヘーゲルの言うのとは違う。
ヘーゲルの言う真理は、真-偽、無-有という対立以前の「不定」な状態のことなのかもしれない。
33考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:30:01
禅の真理は、「世界の分節=くもり・迷い・盲目」だから、
真理という言葉による文節さえ許さないような真理、つまり「無」である。
34考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:35:29
重複スレで板違いの書き込みを続けても無駄ですよ

とっとと削除依頼してきなさい>1
35考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:58:48
>>33
仏教のことはよく知らないが、
禅の「無」や、中観の「空」、あるいは論理学や数学で「不定」というものが想定されたとして、
「禅の真理」、「ヘーゲルの真理」などと、さまざまな呼び方をされている限り、
「真理」は言語上、「真理」と名づけられる対象を、一見、複数持つかのようになってしまう。
さらに、トートロジーとその変形も「真理」と呼ばれており、これはまったく違った対象を示している。

わたしは「真理」どちらか一方の名前として欲しいと思う。
「理」(リ・ことわり)という文字に、「事と事とを分節するもの」という意味合いが含まれるので、
論理学で言う「真」のほうを「真理」と呼び、
「禅の無」や「ヘーゲルの真理」には「真理」という呼び方をしないほうがいいのではないかと思う。
36考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:02:22
話は変わるが、
実存主義は、ニヒリズムと共に、
「道徳的完璧主義」の一種であるという指摘がある。

実存主義により1が楽しくなくなったのも、
そこに原因があるのかもしれない。
37考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:15:38
はなはだ大雑把な言い方だが、
道徳的完璧主義は、
純粋な自己や本来的自己という、
一見まっとうに見えて、実は不可能なものを前提にして、
完璧な世界が実現可能なのだという過ちなのだろう。

完璧な世界というものは目標にしている過ぎず、
実現可能だとは思っていないとしても、
前提が間違っているので、そういった考えを擁護する気にはなれない。
38考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:23:44
役に立つ立たない以前に、哲学がどんなものか知りたいと書いた。

わたしなりに今考えている哲学像は、
哲学とは、
超越論的というあり方で、公共的世界像の厳密化を目指すことなのではないか
というものだ。

たとえるなら、よりリアルな世界のミニチュア模型を作ろうとすることだといえる。

表象はフィルターやスクリーンではなく、模型であり、
我々は世界をじかに感じているのではないかと思っている。

カントの認識論のコペルニクス的転回で180度回転した認識論の方向を、
90度ほど戻したほうがいいのではないかと思う。
39考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:26:58
まったく関係ないし、何のことかわからないでしょうが、
わたしは2003/11/30にやったときと同じくSIRのhotでした。
まったく成長していないようだ。
40考える名無しさん:2005/06/09(木) 04:58:34
>>34
君のその態度が、まさに工学の奴隷の姿なのだよ?
41考える名無しさん:2005/06/09(木) 11:19:11
結局、実存主義は現代じゃ馬鹿馬鹿しい哲学なのかね?
4233:2005/06/09(木) 15:24:12
このスレは濃密な議論ができそうな人が少しいるようです。
33や38などは興味深い。
この方々の考えを、もっと知りたいです。
43考える名無しさん:2005/06/09(木) 15:31:24
実存の問題が「主義や一般的知識」になった時点で、
「実存=唯一の私」の問題は死んでしまう!
44bbs:2005/06/09(木) 15:38:07
>>43
そうですよね。
サルトル自身晩年は宗教的とも言える思想を発表していますし。
どんどん実存主義から離れていったとしても実はそれ自体が実存になりうるという逆説的な事が起こるんですよね。
45考える名無しさん:2005/06/09(木) 22:01:50
実存
誰のものでもない、自分でしか生きられない、唯一でしかありえない、自分の〈生〉
このアタリマエだが途方もない事実を知り実感した者は、
他人の評価の奴隷、ロボット、動物以下の動物などのように生きることは、
幾分回避するようになるだろう。自然に、より倫理的になるかもしれない。
46考える名無しさん:2005/06/09(木) 22:09:16
>>45
ふつーの人間は、んなことできねえぞ。
都会の自由業者か、世間を知らない学生くらいだろう、んなこといえるのは。
47考える名無しさん:2005/06/09(木) 22:25:27
あと、カルト教団入信者も。
48考える名無しさん:2005/06/09(木) 23:13:13
>>42
知りたいのであればいくらでも書くのできいて欲しい。
38はわたしだが、33はあなた自身ではないのか?

過去のある一時点の自分と今ここにいる自分とは別人である
といいたいのだろうか?

たしかにその通りだともいえるが、
その逆に、「自分」の範囲を過去に広げることも出来るだろう。

「自分」の範囲を自在に伸縮させるのだ。
4942:2005/06/10(金) 00:15:28
カントのコペルニクス的転回を90度ほど修正すると、
認識論と存在論の関係は具体的にどうなるのか?
50考える名無しさん:2005/06/10(金) 00:32:58
考えたくないのについつい考える→哲学
51考える名無しさん:2005/06/10(金) 03:46:43
カギ(¬)まだいたんか>1

お前は存在自体が板違い。
さっさと削除依頼して消えろ。
5242:2005/06/11(土) 22:41:14
次元の異なる主体が複数いるという前提で考えると、
「単一の理性・世界・真理」が否定されることになり、
相対主義が、容易にかつ合理的に、導かれる。
実存哲学もこちら側と相性がいいと思う。
やはり、「普遍の真理」というべきなのは、あなたのいうような「形式・論理」だろう。
53考える名無しさん:2005/06/13(月) 00:55:36
>>1
例えば1さんが実存主義を知らなかったなら
実存的な在り方にさらされることはなかったんだろうか?
僕ら一人一人にとってはどうだろう?

で、僕らがそれでも楽しさを知っているのは何でだろう?
というような疑問がなくなってくれないからだと思います
5442:2005/06/13(月) 15:28:50
価値と事実とは分離して考えるべきか?
55考える名無しさん:2005/06/14(火) 22:53:23
>>54 分離して考えるべきか?
ということはそもそも繋がっているものと考えているんだと思う
事実と価値とはどんな風に繋がっているのかを考えるほうが
ずっと面白そうだけども
抽象的過ぎて僕にはわからない
5642:2005/06/14(火) 23:40:54
「世界の模型」ということは、表象=模型の背後にある実在を認めていることになるが、
その実在は、物質的なものか精神的なものか?
また、表象や現象の一元論についての貴方の考えは?
57考える名無しさん:2005/06/15(水) 01:23:30
皆さんの哲学しなくなって良かったことや、哲学と縁を切れてよかったなってことを
教えてほしいよな?
58考える名無しさん:2005/06/15(水) 01:37:11
実存主義を研究して話し合うという暇つぶしが可能になる。
59考える名無しさん:2005/06/17(金) 06:02:32
考える事が楽しい時って誰にでもあるんじゃないか。それが所謂「哲学」じゃなくても。で、俺の言いたい事はそれが所謂「哲学」と結びついた瞬間っていうのはちょっとしたエクスタシーで止められなくなるって事。思いもしなかったもの(体験)が哲学と結びついちゃうんだな。
60考える名無しさん:2005/06/18(土) 23:27:35
>>56
模型という考え方で疑問点が二つほど

世界を窓のない塔とした時
 塔の中の住人はその塔の全体の模型を作ることが出来るかという点
次に上手な人と下手な人がある塔の模型を作った時
 同じ塔を対象とした模型だとみなされるかという点

で、僕にとって今この瞬間は一つしかないということを
否定する方法を僕は知らない
とすると表象=模型の背後に実在があるとして
それを知るのにどんな方法があるかが問題です
ただ、ある塔について見たことも聞いたこともない人が
その塔の模型を作れるとも思えない
そうした理解もまた僕らに現れる世界なわけです

僕らが世界と呼んでいるものは一体何の模型なんだろう
自分でもよくわからなくなってきました、長くなって申し訳ないです
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興味深いはなしありがとうございました。
「原型=背後の実在」をどう考えるかという問題ですが、
純粋理性批判のカントなら、「物自体」は認識できない、とするでしょう。
ヘーゲルなら、普遍的精神の一元論なので、
誰でも思考を深めていけば必然的に「真理=実在」に到達する、という考えです。
しかも彼は、「もともと知っているもの」を自己反省して、深めて、
いわば思い出しているだけ、という感じです。真理は、誰でもある意味で最初から知っているというのです。
だから、原型と模型に関する問題が生じないのです。
思考を深めれば、原型と模型が分離することはない、というわけです。
彼の「存在=宇宙=思考=精神=神」や「主観=客観」という前提でいくと、多くの難問が解消されるのです。
でもやはり私も、あなたのような問題はそんなに簡単に処理されるべきではない、と思っています。

あなたは、「見える(見えない)」と「ある(ない)」とをどのように関係させて捉えるべきだと思いますか?
カントみたいに、根本的には「何があるか(物自体=原型)はわからない」というべきなのか・・・