◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない36◆

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926唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/25(土) 02:25:51
存在・現象を「言葉」にする。
ある唯識の本にありましたが
この「言葉」無しで周りの物事を見聞き、思考しようとすると
非常に困難であると同時に、事象の存在自体が怪しくなってくるそうです。
927じいさん:2005/06/25(土) 05:31:06
>>849 :「機械的唯物論」者
すいませんが宜しく・・・・埋もれちゃったみたいで・・・
>>867 :じいさん :2005/06/24(金) 06:50:54

要は脳のもろもろの働きの中に分子(粒子)の運動のゆらぎがあって決定できない。
つまり脳の働きは必然とはいえないのではないかと言うことなのですが。
928じいさん:2005/06/25(土) 07:31:42
>>0
すぐ埋もれてしまうので述べていきますが
意識が必然だろうとなかろうとあまり論ずる意味は無いと思います。
私は脳は物質だから必然と一部の偶然性(確率)に支配されていると考えます。
しかしそれと意識の問題は何の関係もありません。
必然だと言われようが言われまいが影響がないのです。
「刺身は旨い」と言う意識は「機械的唯物論」者さんの意見に賛成しても反対しても、
変わらないでしょう。
929考える名無しさん:2005/06/25(土) 08:42:53
>>906
神=造物主なのは聖書やコーランを読めばわかりきったこと。
「人間が作った神」なら唯物論と矛盾しないのも、わかりきったこと。
>>918
「解剖学による知識」だって自我の一部。
930考える名無しさん:2005/06/25(土) 09:04:48
  >>912
脳が物質であれば、精神病のほとんどが薬で直るとさ
哲学の鏡だね、世界中が尊敬するよ

 俺は精神論的唯物論者だから精神病というと心の構造を探求して直そうとするというとおもったらさすが、
機械論的唯物論者は違う、恐れ入った、何しろ自分で機械論と言ってるからなあ
 
931決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 11:01:18
>>920
物理学が世界の全てを「物理的説明」に取り込んだとしても、
世界の別の説明方法(文学的、宗教的、美的な説明方法)は
可能であると考えます。そして、それぞれの観点に基づいて、
幾通りかの唯物論が生じるでしょう。

確かに、文学的唯物論は物理的唯物論に「物理的説明」を
通じて取り込まれるでしょう。しかし、それは文学的唯物論
の諸命題と等価ではないゆえに、文学的唯物論の意義は
残ると思います。

例えば「モナリザ」という対象を、物理的に説明した文章と、
文学的に説明した文章は、同一対象を持つが等価では
無いと思います。
932考える名無しさん:2005/06/25(土) 11:07:54
夏だな



暑い。。
933考える名無しさん:2005/06/25(土) 17:43:20
>>925
>我々が知覚し、我々に作用をもたらす全てを、我々は物理現象と呼びます。

これこそ観念論の立場だな。唯物論の立場ではない。
科学的実在論の立場なら我々の知覚に関係なく物理現象は存在する。
我々は夢を知覚できるけど夢は物理現象だろうか?
我々はものの数を数えられるけど数は物理現象だろうか?
我々は「明日はこれこれしよう」という予定を立てられるけど
予定することは物理現象だろうか?
知覚できることがすべて物理現象であるわけではない。
我々は物理現象のほんの一部分を知覚できるだけでしょう。
934SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 17:53:25
>>933
>これこそ観念論の立場だな。唯物論の立場ではない。

貴方が唯物論者ならば、そういうことも言えるかもしれませんが、
そうでないならば、唯物論の立場かどうかを言及できません。
私は唯物論者の立場で語っています。

>知覚できることがすべて物理現象であるわけではない。

知覚できるものはすべて物理現象に含まれます。

>我々は物理現象のほんの一部分を知覚できるだけでしょう。

これはその通りです。
物理現象⊃知覚できるもの
です。
935SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 18:03:57
>>931
それはYHWHから八百万の神という面に注目し、その一部分に着目したようなものです。
ただ、その観点を批判しているわけではありません。
936考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:20:33
観念論も唯物論も、今のところどうでもいいよ。あと
何百年か認知科学が発展して、どこまでギリギリ説明できるかを
待つしかないでしょ。そこまで行かないうちから、
観念だ唯物だと、哲学オタがウダウダ言っててもしょーがない。
937SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 18:28:29
>>936
貴方がどうでもいいと思うのは自由ですが、それならば議論に参加されない方がいいと思います。
他人に「どうでもいい」という価値観を植えつけるのは、私は賛成できません。
938考える名無しさん:2005/06/25(土) 18:47:00
>>937
どうでもいいと考えるのも「必然的」なのだから、そう邪険にするものではない。
大体、どうしてここの自称唯物論者たちは、非唯物論を排斥したがるのか、
よく理解できない。すべては必然的なのだろう。それを理解することは、唯物論を
深化することに資するのではないのか?
939SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 19:06:12
>>938
>大体、どうしてここの自称唯物論者たちは、非唯物論を排斥したがるのか、

排斥していません。全ては物理現象に付随するというだけです。
唯物論は汎神論なんです。在るものは在るのだからしょうがないのです。
従ってYHWHを否定することは不可能です。
940考える名無しさん:2005/06/25(土) 19:32:38
>>1は統合失調ですか?
941飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:05:59
決定論を理解したら日常でも考え方変わったよ。
942考える名無しさん:2005/06/25(土) 20:10:37
>>939
>唯物論は汎神論なんです。

無神論の唯物論のほうが多数派だろう。
汎神論は神の否定ではあるけど、なぜ自然を神
といわねばならないのか? 
943考える名無しさん:2005/06/25(土) 20:13:50
すべては必然の決定論に意味はない。
944SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:14:23
>>941
良い方向に変わったのなら、いいですね。
間違った理解をしなければ、不満や怒りや憎悪というネガティブな感情が消えると個人的に思っています。
945飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:24:43
決定論も宗教と変わらないことを理解しました。所詮信者ですね。
946SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:25:10
>>942
元々私は無神論の唯物論者でした。
しかしモノの究極の姿を考えていくうちに、そこにある何かの根源を何と呼ぶかという問題に直面しました。
そういう意味では単なるラベルの問題であり、それを「神」と呼ぶ必要性はないとも思います。
しかし、それがYHWH(=在りて在るもの)であることは、どうやっても否定できません。
YHWHを「神」とするかどうかは個人の自由でしょうが、
この世界のどんなものもYHWHの部分集合でしかありません。
947SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:27:10
>>945
まあ、そういう考えも、ある意味ポジティブです。生き方としては間違ってないと思います。
948飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:27:28
怒り、憎悪の感情は生きていく上で必要であり、進化の過程で身につけたものだから、
消えたら困る。
949決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 20:29:54
決定論から論理的に導かれる倫理命題は何か、
と問われれば、ほとんど何も無い、と答えるでしょう。

それは物理学から論理的に導かれる倫理命題が
あるのか、と問われてるのと一緒です。
950SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:32:14
>>948
そういう感情は、物事を解決する一つの手段ですが、原始的であり最適化されていません。
同じ解を見つける方法は他にもあります。怒り、憎悪に頼る必要はありません。頼るなとまでは言いませんが。
951飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:37:27
決定論が宗教と言われようがオレはとにかく信じます。我々が実在を理解しようとするとき、
必ず実在が因果律に基づいていることを前提としている。因果律を全く信じなければ実在世界を
少しも理解できないと思う。
日常生活から、まずはすべての出来事が完璧なタイミングで起きていると信じることから始める。
そして自分の判断も決まっていると思うようになれば、自然と考え方が変わってくる。
952決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 20:44:15
>>951
私は決定論によって考えが変わる、というのがよく
分かりません。決定論はそれ自体で完結しており、
>>174で指摘されているように、素通りされたからと
言って特に問題が有る理論では無いと思います。
953SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:45:54
>>951
>日常生活から、まずはすべての出来事が完璧なタイミングで起きていると信じることから始める。
>そして自分の判断も決まっていると思うようになれば、自然と考え方が変わってくる。

その考えを進めていくと、遥か未来の世界の形態が既にあり、
それに向かって、あらゆる存在が役目を完璧にこなしているということになると思います。
954決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 20:51:27
>>953
私はそのような考えは受け入れられません。唯でさえ
「予測不可能」という前提で論を進めている決定論が、
(もっとも、予測不可能であるがゆえに非決定論もまた
依然として立証されないのですが…)理想的な未来像
を指し示す事ができるのでしょうか?
955飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:54:32
>>952
オレから非決定論者を見ると、事象の原因を考えることや、自分の行動から起きた結果から
逃れて思考停止しているように見えます。すべてが偶然だという人とは明らかに考え方が違うと
思います。
956決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 20:56:38
>>955
相手がおかしいからこっちが正しいだろう、という
点には余り納得できません。結局のところ、理論
は自らを説明することによって為されるのではない
でしょうか?
957SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:56:41
>>954
「予測不可能」というのは人間(系の内側の存在)にとってのことです。
また、この予測不能性は決定論的作用が保証します。

理想的な未来像?誰にとってのですか?
958決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/25(土) 20:57:54
>>957
あなたにとっての、です。
959SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 20:58:40
>>955
仰るとおりだと思います。
自分がとった行動が、あらゆる存在に作用しているという責任から逃れたいのかもしれません。
960飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 20:59:49
>>953
役目と考えるのは、目的論であり、別なところに目的意識を設定してしまっていると思います。
目的論でさえ脳という機械の状態をあらわす概念にすぎないかもしれません。
961SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 21:02:52
>>958
私にとって理想的な未来像であります。
962SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 21:04:51
>>960
でも、そのように考えてしまうことも含めての決定論ですけどね。
963飛べないカラス ◆hslonKolMc :2005/06/25(土) 21:15:48
決定論の次にオススメなのが汎心論です。決定論では自我は扱わないですが、
すべてに心があると考えることで自我と実在の問題を解決できるかもしれないと
思っています。
964考える名無しさん:2005/06/25(土) 21:19:32
決定論は馬鹿向きw
965考える名無しさん:2005/06/25(土) 21:21:05
>>946
>モノの究極の姿を考えていくうちに、そこにある何かの根源を何と呼ぶかという問題

カントの「物自体」、哲学で一般にいう「実体」のことではないですか?
存在をして存在たらしめるもの、現象ではなく本当にあるもの、の謂いですね。
世の中現象しかない、実体なんかない、という仏教哲学の「空」の立場もありますね。
966SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 21:27:01
>>965
でも、「空」は”在る”わけですし、「空」は「色」でもあるわけです。
実体と呼ぼうが、現象と呼ぼうが、ラベルの違いだけでしょう。
重要なのは、空=色、空≠無です。
967考える名無しさん:2005/06/25(土) 21:27:27
客観的な事象として、自我を捉えようとすること自体に限界があるのではないか?
しかし、それでは諦めきれず、人は考え続けるのだね。
968SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 21:36:34
>>967
たぶん限界は無いと思います。でも知り尽くすことも出来ないとも思います。
969素人:2005/06/25(土) 21:51:29
>>959は仏教への挑戦状と受け取って宜しいか?w
970SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 21:55:32
>>969
959で書いた「自分」とは、「非決定論者」のことです。「私」ではありません。
971素人:2005/06/25(土) 22:09:47
>>970
決定論者と非決定論者との間にどちらでもない者がいてもいいということかな?
972SYN ◆Dgc0R/.dgc :2005/06/25(土) 22:13:18
>>971
そういった存在も必然という意味で、その通りですね。
973考える名無しさん:2005/06/25(土) 22:16:48
>>971

決定論者なんていう実体はないのだから、どちらでもない者
もどちらでもある者もいていいんじゃないか?
974素人:2005/06/25(土) 22:20:16
>>972
了解w
なぜ粘着的なレスをしたかといえば
こうした場では(いや一般的通常の感覚としても)、「非」をつける場合、
非Aといった場合A以外は全て如何なる物も非Aとして括られるわけで
その前提で>>959>>955を読めば、
決定論以外の全ての思想は>>955及び>>959的思考であるとの断定と読み取れたものでね(^^;)

失礼したw

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|彡サッ
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975「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I
>>926
>要は脳のもろもろの働きの中に分子(粒子)の運動のゆらぎがあって決定できない。
>つまり脳の働きは必然とはいえないのではないかと言うことなのですが。

よくある(FAQ)に属する疑問ですが・・
@量子の揺らぎ(シュレディンガー方程式における「不確定性」)は『分子のふるまい』
(例えば「ブラウン運動」)とは何の関係もありません。
A脳の働きが「(物理・化学法則に基づく)必然的結果」である・・「事実」と、
Bその「物理・化学的経過の全てを記述(言語化)しなければ「納得できない」という「事実」
 は「別物」です。
そもそもBは「30世紀になってもできない」・・要するに「技術的(原理的)に不可能なこと」
なのです。・・・「宇宙の果て(137億光年彼方)で宇宙誕生後137億年後(地球では現在)に」
何が起こっているのか?・・・知ることが「原理的に不可能」であることと同じです。