むかつく奴を哲学する

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1考える名無しさん
なぜこいつはこんなにむかつく奴なのか
それがわからない
2考える名無しさん:2005/05/24(火) 06:43:16
むかつくやつにむかつく手段で対抗すると楽しくなってくる。
3考える名無しさん:2005/05/24(火) 07:40:43
それは低次元な心情というヤツですね。

「ばーかばーか」「ばかというやつがバカ!」「じゃあおまえがバーカ!」←コレ

・・・( ´_ゝ`)
4指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/05/24(火) 08:20:08
むかつくやつって自分がむかつかれてるの分かってるのかな
5考える名無しさん:2005/05/24(火) 08:52:25
>>4おまぃもな
6指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/05/24(火) 09:08:33
ぼくものすごい好かれてるんやけど

好かれてるってのは、自分でも分かるもんやねぇ。
7考える名無しさん:2005/05/24(火) 09:16:25
>>1-5の5つの短いレスの中で、既に
「むかつく奴」についての2通りの解釈が現れている。

1、AがBのことを「むかつく」と考える際に、Bが「むかつく奴」と呼ばれる。
2、上記Aも同様に、「むかつく奴」と呼ばれる。

この相互転換は、一見日本語に特有の現象であるように見える。
つまり、例えば印欧語では関係代名詞の主格と目的格として、明確に区別される、と考えられる。
disgusting manはむかつかせる人であり、disgusted manはむかつく人である。
しかし本当にそう言えるだろうか?
英語にあっても同様に、現在分詞が主格と目的格との双方を意味し得る場合もあるのではないか?
もしそうであるのならば、そのような印欧語的「論理性」はつねに既に、
日本語的「非論理性・あいまいさ」に侵食されつつある、と言わなくてはならないのではないか?
デリダに倣って、我々はこう言おう。
言語における外見的「非論理性」は、「論理性の形而上学」の外面にある「悪」であると通常は考えられている。
しかしこの「外面的悪」は実は常に、「論理性の形而上学」を内面から蝕んでいる。
むしろこの外面的な「悪」と呼ばれるものこそが、我々の言語的論理性というものを
根底から規定しているものである、と。

・・・・と無理やりスレタイに従って「哲学」してみたが、我ながら、だから何?って感じw
8考える名無しさん:2005/05/25(水) 23:06:17
1)むかつく、は発言者の自分自身に由来した、生理状態の説明、
2)やつ、は話題の対象で人称代名詞。

自分の生理的変化を起こさせる相手についての、その人物を特定する、
いわば説明行動である。

そこで、「おまえむかつくんだよ!」って説明され、その説明を正しく理解した場合

「ふーん( ´_ゝ`) なるほど」

こう答えるのが日本語においては正しい対話といえる。
9考える名無しさん:2005/05/26(木) 01:41:07
で?
10考える名無しさん:2005/05/26(木) 01:47:37
1は「こいつ」というやつに何をされてむかついたのか?
ただ一緒にいたり話してるだけでむかつくのか?
「こいつ」がどのような言動をとった時に1の「むかつく」
という感情が起こるのか教えてほしい。
11考える名無しさん:2005/05/26(木) 03:04:33
>>9 むかつく!ヽ(`Д´)ノ
12考える名無しさん
>>9
つまり、なんでも工学だったわけだよ。