すげー流しだな…。
210 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 05:00:33
>>277 まったくだ。
どこまで続くんだろうなぁ。
211 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 05:04:57
俺以外にも見てる椰子いた嗤ワラ
212 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 06:27:28
│ 〓 犯 行 声 明 文. 〓 │
│ │
│ 我々、2ちゃんねる糞スレッド追放戦線は、幾度となく
>>1に .│
│..........................................................................................................................................│
│ よる糞スレッド乱立、ジサクジエンに対し、スレッドの移動、削除 │
│..........................................................................................................................................│
│ を再三要求してきたが、
>>1による横暴は止むどころか、 │
│..........................................................................................................................................│
│ 悪化の一途を辿るのみである。. │
│..........................................................................................................................................│
│ よって、我々は糞スレッド追放主義に基づく荒らしにより、. │
│..........................................................................................................................................│
│
>>1を徹底攻撃し、糞スレッド保護主義に対し徹底抗戦する │
│..........................................................................................................................................│
│ことをここに宣言し、攻撃を加えるものである。. |
│..........................................................................................................................................│
│ (≦三)│
│ 2ちゃんねる糞スレッド追放戦線 .(#゚Д゚)│
213 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 06:31:58
うへぇ終わり?
協力してくれ
215 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 07:35:01
おー!こんなのはじめて見た!
全部違いコピペで、300!
手動荒らし?一晩かけて、すごい労力だな!
216 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 07:59:26
とりあえず、荒らし報告と、削除依頼は出してきた。
こんな非生産的なことやめなさい。
217 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 08:02:45
すなわち、「生き生きしたもの」とは、なにか、ということなんだよ。
「生き生きしたもの」とは、女子高生、ロリコン、ペット、レイザーラモン住谷、
テレビのリアルバラエティ、衝撃的な事件発生
@無垢である。生活という反復からのズレである。
Aその無垢とは、みんなが欲望するだろう幻想である。
ここまでは「まなざしの快楽」であるわけだけど、
B感情的に感染する。祝祭性がある。
これを「あぼーんする快楽」と読んだわけだけど、
この原理がいま一つしっくりこない。
218 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 08:03:16
>203 : ◆PLAYBOYc7c :2005/05/29(日) 01:33:12
>Bも
>as(=前を)pect(=視る)の、まなざしの快楽でいいんじゃね。非日常、ハレの場の@とおんなじかなぁ。
>あーもどかしいね!
>>203 まなざしの快楽ではあるんだけど、
その過剰性なんですね。
たとえば、消費のフェティシズムは、まなざしの快楽ですね。
みなが望んでいるだろうという幻想が、商品に神性を与える。
それはそれでよいのだけど、「生き生きしたもの」という商品は
さらに、過剰なんですね。
B感情的に感染する。祝祭性がある。
非日常、ハレでも良いが、「あぼーんする快楽」があるわけです。
「まなざしの快楽」からの短絡性みたいなものなんです。
219 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 10:56:21
あっ、分かった、この荒らしの犯人。
たぶん、sebさんだ。
荒らしにしては随分AAにこだわりがある。
一枚・一枚変える労をまず、普通はとらないし、
それに独特な雰囲気のAAをチョイスしている。
絵画的なことに造詣の深い人間の仕業だ。
線描に深いこだわりがある人と読んだ。
sebさんは絵描きだったね
それにしても、すごい気合だ。
オレカヨ
オレ凄い気合だな。
私は完璧主義者だから
流すとしたらcgi使って1000まで流して証拠のこさないと思うよー。
そっちのが笑えるし。
222 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 12:52:32
おー、一気にスレの半分まで行ってしまったな。
これも衝撃的な事件ということ?
100パ^セント近い確率で、
この荒らしはseb氏です。
普通、荒らしって
滅茶苦茶にするものなんだけど
この荒らしに画技っては妙に
綺麗なんだよね。
構図的にいって…。
絶対に美学がある人だ!
そして犯人は必ず現場に再び現れるものw
この荒らしスタイルは几帳面な性格の人のもの。
血液型で言えば、AorAB。
真面目で厳格、正義感が強い人。
そしてややサディスティックな性格。
まあこの人の場合は悪意でやってる荒らしではないと思う。
ぴかぁー氏の前途を危惧しての義に溢れた行為でしょう。
白状しなさい!誰も貴方を責める人はいない。
どうでもいい話を長々と失礼。ほんのお遊びです。
このスレッドにて
277 :seb ◆Ec8svtWCj2 :2005/05/29(日) 03:48:25
すげー流しだな…。
278 :考える名無しさん :2005/05/29(日) 03:48:33
□■■■■■■■■□□□■■■□□□□□□□□■□□□□□■□□
□□□□□□□■□□□□□□■■■■□□□□■□□■■■■■■■
秒数見て貰えれば分かると思うけど連投規制で
私じゃ無理な時に埋められてるね。
226 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 13:19:42
AA嵐すげーっ。きっと今、寝てるんだろな。w
笑った。オレ血液型Bだよ。
正義感の無い、もろサディストだし。
今日暇だし付き合ったるか。
そのアホアホ議論に。
てか524てか529よ
そうまでしてオレを犯人にしたい理由はナンダ
ぶっちゃけ、びかぁのスレは自慰スレだから
埋めちまってもかまわねぇと思うから
犯行って呼ぶ必要も無いと思うんだが。
>この荒らしに画技っては妙に
>綺麗なんだよね。
>構図的にいって…。
>絶対に美学がある人だ!
俺の絵描きとしての人生に現在進行形で喧嘩売られているわけだが…。
230 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 13:28:37
欠席裁判
南京虐殺はなかった
232 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 13:29:46
つられるなSEB
233 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 13:35:02
知らねえよ、BSE。
ぴかぁ〜のクソレスより
荒らしのほうが
『秀逸コピペのテンプレート大量保存』として価値がある。
だからこのスレは価値がある。
236 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 15:10:54
ならば戦争だ
237 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 15:22:00
238 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 18:38:26
どちらかというと、ぴか〜が荒らしに見える
239 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 21:29:05
最近、このスレでちょくちょく名前見かけるが、
seb ◆Ec8svtWCj2って誰?
記憶にないけど???
240 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 21:44:53
>>544 俺も知らんけどさ
なことどうでもいいじゃないか!
それより生き生きしたコピペ荒らしについてもう少しコメントを。
241 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:04:32
いつになったら一人芝居を卒業するのかね?
242 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 22:13:22
「生き生きしたコピペ荒らし」?
もはや、ベタでしょ・・・
そりゃ、ボクの方が生き生きでは?
だって、「生き生きしたコピペ荒らし」への欲望(嫉妬)を
起こしたわけだから。
243 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 22:27:39
「交渉人 真下正義」(
http://www.odoru-legend.com/)を見てきました。
なかなか良くできていて、ハラハラドキドキおもしろかったです。
劇場は満員で、観客の年齢層も広い。
なぜにこれほど受け入れられるのか、と考えたときに、一つの主体像を
描き続けているからではないでしょうか。
すなわち、彼らが「生き生き」主体として現れるからです。
それは如何なる主体像かといえば、「プロフェッショナル」というものです。
244 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 22:45:08
おー削除人さん、お早いお仕事ごくろうさんです。
245 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:47:52
seb ◆Ec8svtWCj2は、
まえにロウシ ◆SRBroushi6というコテで書き込んでいた人。
246 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:52:02
アーユーレディー?
247 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:54:05
ヤー!
248 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:54:52
Hey hey hey hey〜♪
249 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:55:30
(Hey hey hey〜♪)
250 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:57:34
(かもん!)
251 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:58:20
Hey Hey Hey〜♪
252 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 22:58:57
(Hey Hey Hey〜♪ )
253 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:01:46
HEY!
254 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:02:36
(HEY!)
255 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:03:13
HEY!
256 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:03:49
(HEY!)
257 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:04:25
HEY!
HEY!
258 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:05:05
(HEY!)
(HEY!)
259 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:06:29
HEY! HEY! HEY! HEY! HEY! HEY!
(HEY!) (HEY!) (HEY!) (HEY!) (HEY!)
260 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:07:57
HEY! HEY! HEY!
HEY! (HEY!)
(HEY!) HEY!
(HEY!)
(HEY!)
261 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:09:34
へ〜い!
262 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:10:59
どこぞの板のやつらに一瞬で埋めてもらえよ
263 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:11:17
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!DA!!
264 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:12:01
ん?
265 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:16:51
>>243 それってふつうに面白かったって言えばいいんじゃないの?
266 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 23:34:52
>>265 彼らの敵がなぜいつも主体無きものたちなのか。
その犯罪自体が大がかりに対して、罪の意識の低い
愉快犯であり、かつてのように大きな犯罪を起こす反社会的存在、
いまでのアメリカ映画でもそうであるが、
に対して、オタクなどの脱社会的な存在であるのか。
いまさら、オタクが愉快犯としてこのような事件を起こすというのは、
ベタすぎるが、それでも彼らが必要なことは、
主人たちが、社会的存在であること際だたせるためである。
反社会/社会という社会ではなく、脱社会/社会であること、
すなわち組織のための社会人ではなく、
社会のために社会人である「プロフェッショナル」という姿を
描かれているのです。
それはたとえば、イチローであり、中田のような、現代のヒーロー像とも
重なるだろう。
それは、一つの倫理像でもあるのだ。
267 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:36:29
ワケワカンネ
268 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 23:38:08
これは、最近ドラマでも、様々に職業ものとして描かれている。
「踊る」では警察であったが、医者ものなど職業ものが多く
作られている一つの理由ではないだろうか。
269 :
考える名無しさん:2005/05/29(日) 23:42:54
ふつうにおもしかったと言えばいいのでは?
270 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 00:51:10
>>266 俺はその映画見てないんでなんともいえないんだけどね。
オタクが社会に対してアクションを起こすというのは
ほぼ無いと思えるんだよな。
たとえばさ、オタクの間でメイドさんが流行したよな。
でもオタクがメイド喫茶を作ったんじゃないんだよ。
たまたまオタクが集まる地域にその客層にあわせた
サービスを社会が提供しただけの話でさ。
オタクが社会に与えるインパクトというのは常にそういう
リアクションによるものなんだと思うね。
ある意味でしっかりと経済機構に組み込まれてるわけさ。
つまり全然脱社会してない(一見してるようにみえるけど)。
というより出来ないのじゃないかな。
194 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/29(日) 00:03:32
すなわち、「生き生きしたもの」とは、なにか、ということなんだよ。
「生き生きしたもの」とは、女子高生、ロリコン、ペット、レイザーラモン住谷、
テレビのリアルバラエティ、衝撃的な事件発生
このレスにぴかぁ〜の全てか凝縮されている
272 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 01:30:34
273 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 01:41:48
ぴかぁ〜は何でこんなにバカなんてだろう
「交渉人 真下正義」とかの作り手がなぜ馬鹿なのかを、ぴかぁーを使って
シミュレートすることによって、調べるためじゃないかな。
じゆんを装った荒らしかな?負けるな、ぴかぁ〜。
276 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 02:37:43
ぴかぁ〜は馬鹿だと思う
それ以上にアレも馬鹿だと思う
277 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 09:22:48
生き生き
278 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:00:01
>>347 それはいいすぎでしょう。ビルゲイツだって元オタクでしょ
しかしキミのいうようなことなんだね
なぜ「踊る」は犯人をオタクに設定するのか、ってこと
原理主義者、反社会イデオロギーなど「強い主体」的犯人像でなく、
自己顕示欲だけの「弱い主体」
279 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:12:33
だから「踊る」のポイントは「プロフェッショナル」なわけ
今回も頑固鉄道マン=プロが、軟弱な真下も実はプロだったと認めていく物語ですね
プロとは、会社人間とは違う。自分の仕事に、社会的貢献にプライドを持ち取り組む
ある意味、日本的な倫理感ですね
そして、脱社会犯人との対比で際立たせる
280 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 10:18:10
ビルゲイツはオタクじゃないよ。
281 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:43:37
プロフェッショナル、職人という倫理感は決して新しいものではないが
現代に回帰していますね
その象徴がイチローであり、中田ですが
実はこれは局部へ没入するという意味でオタク思考なんですね
それは現代的なまた無垢への欲望なんです
彼らは業を極めという新境地へ迎う。その象徴が海外リーグという(日本人にとっての)無垢へ無垢わけです
だから日本人は熱狂する
282 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 10:54:38
だから「踊る」は正しいオタクと悪いオタクの戦いであるのですが、また戦いとしてはいつも不明確なんですね
なにか可愛そうな犯人、ボクたちの片割れなのです
今回の真下にもそのような重要な台詞がでてきますが
だから「踊る」では、むしろ敵は警察組織、上層部として描かれます
余談ですが、小泉首相も組織のトップなのに、対組織の立ち位置であり、
プロフェッショナル的価値観を武器に支持されています
息子が「真下」にでていたのとは関係ないでしょうが
283 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 11:09:39
ポストモダ社会で、拡散する主体像はオタク化という収束に迎う
局部へ無垢を見いだし、欲望を維持しようとする
これは社会的な傾向であり、みな多かれ少なかれオタク化しています
しかしここで問題はいかに社会性を確保するか、ということ
オタクを脱社会的な傾向とみるまなざしから、守るか
それで要請されるのが、プロフェショナルという社会性であり、倫理観です
「踊る」はそのようなリベラルであり、倫理的であるオタク像を描いている
だから登場人物はみんな愛すべき良いやつなんですね
「踊る」ヒットはこのような傾向が社会で全面化していることのあらわれではないでしょうか
映画館には本当に幅広い客層が来ていました
主観でしょうが、他のはやりの映画よりも、オタクではない普通の人たちが、オタク顔で来ているように感じました
ふむ。今回のぴかぁ〜は鋭いな。
285 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 12:47:32
457?
286 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 13:04:57
プロフェショナルであるということも楽ではない
イチローなどに見られるようになストイックスさが要求される
一人、孤独さに絶え続ける強度が求められる
最近、元プロ野球選手が犯罪でつかまったが、局所に入り込むことは、メタメタな世界では危険である
オタク犯人に仲間といわれた真下が、電車マンたち、あるいは線引屋、木島?刑事などのプロフェショナルと共鳴しえたのは
まさに彼がオタクでなく、孤独なプロフェショナルであると認められたときである
ほう。ぴかぁ〜やるな。
288 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 17:55:55
>>286 実はそこら辺のストイックさ、孤独はオタクも共通して
もっているんだと思う。
オタク的な行為というのはほぼ個人としての営為だと思うからね。
これはプロフェッショナルの特徴じゃないと思える。
何をしてオタというかちょっとあいまいだが。
でも
>>279>>282の言うように対社会への倫理観をもつことが
プロフェッショナルだとするならば、
イチロー、ヒデはかつてオタクだったのかもと思えるんだよな。
が、おそらく海外に行って変わったんだと思う。
もしくは海外のほうが社会的なコストを要求されると
いうことじゃないかな。
289 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 19:36:07
>>288 ボクは「オタク」ではなく、オタク指向と言う意味で使っている。
「プロフェッショナル」とは、かつての意味とは違うのだろう。
現代の「プロフェッショナル」はオタクの一形態といえる。
現代のヒーローはオタクだ。ビルゲイツ、ホリエモン?
イチロー、ヒデetsets・・・
290 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 19:36:34
291 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 20:28:49
ほう、これはたいした才能だ
292 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:09:34
>>290 うん。一応読んだよ。
で、なんかこのところのレスに既視感があるなと思っていたんだけど
思い出したよ。「交渉人 真下正義」(しつこいが未見だよ)と
まったく同じ構造の作品を思い出した。アニメばっかりだけどな。
映画「機動警察パトレイバー1、2」とか「攻殻機動隊」だな。
一度見てみればいいよどっちも10年以上前のもんだけどさ。
どっちも業界的に影響力が強かったらしいから、
その影響下にあるのかもね。
オタ内部の問題意識がますます表面化してきたって感じかな。
293 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:30:44
>>289 > 現代の「プロフェッショナル」はオタクの一形態といえる。
これには同感だね。
プロジェクトXなんか見ててもそう感じる。
そういう意味では昔からそうなんだろうな。
イチローなんかは非常にわかりやすい変化なんだよな。
日本に居るときのイチローは求道的な野球オタクのイメージ。
メジャー移籍後はオタク的求道ぶりを発揮しつつ
球団イベントなんかは積極的に露出されている。
これは報道のされ方のほうが大きいと思うけどね。
実は日本に居るときでもファンサービスは多かったらしいが。
松井もそう。移籍後はじめて日本に居たときからの寄付行為とか
を報道されるようになった。
ヒデのマスコミに対する態度も海外移籍後がらっと変わった。
こういうのって海外では個人も報道もそうだしチーム経営とかも
より社会を意識した行動が求められるってことなんだろう。
294 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:39:57
すごい自演
295 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/30(月) 23:43:54
>>292 映画「機動警察パトレイバー1、2」とか「攻殻機動隊」が、
どう同じ構造なのかピントこないな。
同じ構造といえば、「ダイハード」でしょう。
まさに「ダイハード」のブルースウイルス的主体像が、
「踊る」の原型ではないかな。
>>293 もしかして、球団イベント、寄付行為が倫理的って意味?
倫理的というのは、そういうことではなく、
論理に対する倫理であり、「どうかるべきかの価値観を表す」
スタイルという意味です。
自演も才能だ。
297 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:47:08
っていうか、哲板で映画あげるなら、マトリックス以外ないよ。
勿論、第一作目のヤツだけだ。
298 :
考える名無しさん:2005/05/30(月) 23:49:00
自演も才能か…。
299 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:32:08
>>295 見てみみりゃわかるよ。
結構面白いと思うよ。
だからスタイルとして社会的貢献を求める圧力、つまり社会との
つながりをきっちりアピールする必要が
あるんじゃないのかと思うんだよな。
野球のスクーリングとかフランチャイズ地域の学校訪問なんかは
かなり頻繁に行われてると聞くし、またそういうのに積極的じゃないと
顰蹙モノらしいしな。
ビルゲイツなんてやりたくないのに思いっきり寄付してる気が
しないか?
俺から見るとビルゲイツの有名絵画のデジタル化権取得なんか
すごくそのへんが現れてると思うんだよな。
300 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:32:56
また…
きっびしー。プロに撤してくださいな
302 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 00:59:09
書き忘れたけど「ダイハード」はやっぱなんか違うだろう。
確かに融通の利かない警察組織は出てきたけどさ。
主人公の主体像にまで影響してたとは思わないんだがな。
嫁さんと上手くいってなくて、出歩くとトラブルにぶち当たる
不運な男というだけの印象だな。
303 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 07:53:27
だって「交渉人 真下正義」見てないだろう。
ボクは、映画「機動警察パトレイバー1、2」、「攻殻機動隊」
「ダイハード」見てるよ。
>嫁さんと上手くいってなくて、出歩くとトラブルにぶち当たる
>不運な男というだけの印象だな。
「ダイハード」をこのようにしか見れないのは、きついよ。
チョー名作なのに。
304 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 08:23:54
「ダイハード」は、アンチヒーロー映画だね。
それまでの、シュワルツネッガー、スタローンなどの
強靱なヒーローが超人的に敵を倒すのとは違い、
「普通の人」が懸命に巨大な敵と戦うということ。
見るとわかるけど、今回の「交渉人 真下正義」は、
「ダイハード」が意識されてる。
クリスマスの一夜の出来事、
妻(恋人)に頭が上がらない、頼りない主人公、
無名のプロフェッショナルな人との友情
(ダイハードでは、デブの黒人警官)
「普通の人」の魚竿かげん、などなど
305 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 09:59:17
生き生き
306 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 10:29:34
ほう
「事件は現場で起こる」というのが鍵なんだろうな。
「現場」とはなにか。とはいえ、現場且つ臨床気分でオナる
というのが実体か。工事現場を夢想してオナることはできないしな。
端的に「理想の現場像」ってとこ?
308 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:45:03
ブログの感想を見てると、映画「機動警察パトレイバー」は、
様々なディテイルが真似られているようなね。
309 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:50:39
>>307 オナるというのは、ある意味正しいかもね。
オタクというのは、自慰行為であるから。
でも「オタクだけでなく、「プロフェッショナル」であれ!」という
倫理テーゼだから。
310 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 11:57:46
「プロフェッショナル」は、現代の貴重な倫理だね。
掘り下げる意味はあるかもしれない。
311 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 14:51:49
立ち上がるレッサーパンダ、古くはタマちゃん
「生き生きしたもの」だね。
312 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 14:55:23
事件は現場で起こるんじゃない
事件が起こった所が「現場」です因果律を無視しないように
313 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:32:02
>>303-304 見てないのは確かだよ。
でもさぁお前さんのブログ見てたら思い出したもんでさ。
いやダイハードも面白いよ。確かに。
でもやっぱり違うと思うな。
あ、攻殻のほうはTVシリーズ「笑い男」編のほうが
構造が似てるから、そっちを機会があったら見てみてくれよ。
314 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:40:44
結局思うんだけど事件はどこででも起こりうるんだよな。
立場によってその解釈が違うだけでさ。
フジvs堀江の一連の出来事って事件じゃないけど
現場はどこなんだと思う?
株式市場なのか、お台場か、六本木か。
あるいはソフトバンクなのか外資の投資銀行なのか。
315 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 15:42:25
生き生き
316 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:28:50
>>313 攻殻のほうはTVシリーズ「笑い男」編も見たよ。
ってかさ、キミ、中高生?なんとなく
317 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:33:16
では、話をもどして・・・
すなわち、「生き生きしたもの」とは、なにか、ということなんだよ。
「生き生きしたもの」とは、女子高生、ロリコン、ペット、レイザーラモン住谷、 立つレッサーパンダ
テレビのリアルバラエティ、衝撃的な事件発生
@無垢である。生活という反復からのズレである。
Aその無垢とは、みんなが欲望するだろう幻想である。
ここまでは「まなざしの快楽」であるわけだけど、
B感情的に感染する。祝祭性がある。
これを「あぼーんする快楽」と読んだわけだけど、
この原理がいま一つしっくりこない。
それは、まなざしの快楽ではあるんだけど、過剰性がある。
たとえば、消費のフェティシズムは、まなざしの快楽ですね。
みなが望んでいるだろうという幻想が、商品に神性を与える。
それはそれでよいのだけど、「生き生きしたもの」という商品は
さらに、過剰なんですね。
B感情的に感染する。祝祭性がある。
非日常、ハレでも良いが、「あぼーんする快楽」があるわけです。
「まなざしの快楽」からの短絡性みたいなものなんです。
318 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 16:41:41
近いところでは、東の「動物化」ということ。
人間/動物という差異化された「動物化」。
しかし「あぼーんする快楽」はさらに短絡していると言えるかもしれない。
端的には、まさに快楽であり、中毒に近い。
319 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 17:02:26
たとえば、注目しているのが、フロー体験です。
「「フロー」とはシカゴ大学の心理学者チクセントミハイが提唱した概念で、
何かに没入し夢中になることで、最高の経験が持続していく状態を指します。
ホフマンたちは、インターネット上の対話が切れ目なく続き、
その行為自体が楽しくなり、我を忘れてのめり込んでいくとき、
「フロー体験」が生じていると考えました。」
それ誰かのパロディですか、そうですか。
321 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 17:09:44
これは、「アイロニカルな没入」ともとれますが、
象徴界を介さない、直接的な生理的なレベルの快楽であるといえる。
322 :
考える名無しさん:2005/05/31(火) 18:12:32
>>317 最高の経験が持続して没入感もあって、さらに
感染性があるというのは一種の流行と見ていいんじゃないの?
フィーバーってやつ。
ぴかぁ〜は誰に向けて語っているのか?
そう・・・ぴかぁ〜は自分の鏡像に向けて語っているのだった。
その語りは永遠に続く。
馬鹿だね、ぴかぁ〜の一人芝居
ぴかぁ〜は昼間から生き生き書き込んでろよ
326 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/05/31(火) 23:00:36
生き生き
327 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 00:52:29
たとえば、たばこを吸う快楽は、シニフィアンの快楽=まなざしの快楽である。
しかし薬物中毒になるような、ニコチンが体内に回るという生理的な快楽が
そこにあることは否定できない。
それが現実界に属して、ラカン的には語ることはできない。
それは「性関係が存在しない」ように、「存在しない」のである。
しかし1/fゆらぎのような快楽は、存在するし、
問題は、現代において前面化しているということである。
たとえば、それはテクノロジーによるものだろう。
テクノロジーの与える快楽、可能にした快楽とは、
疑似コミュニケーションであり、フィードバックシステムの高速化である。
こちらからのインプットに対して、素早いアウトプットである。
328 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 00:58:10
そこに、まなざしの快楽が働いていないわけではなく、
その反復の早さが、生理的な高揚感を与えるのです。
このリズムはポピュラーミュージックにも見られるだろう。
20年代のアメリカ消費社会の到来は、4ビートのジャズのリズムを生み、
50年代の消費社会の成熟は、8ビートのロックミュージックを生んだ。
現代は、16ビートを含めて、さらに激しいリズムが流れている。
ヴィヴィリオ?的な速度の快楽が増しているのである。
このとき「まなざしの快楽」は、「あぼーんの快楽」へ転倒されるのではないだろうか。
329 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 01:05:06
現実界という享楽は、他者という不確実性であり、予測不可能性が運んできたのである。
それが、現代は、テクノロジーによって、高速化している。
あるいは、疑似化しているのである。
ゲームというプログラムは、不確実性であり、予測不可能性といえるだろうか。
それは、人の能力を超えてる意味で、不確実性であり、不可能性だろう。
なぜなら、確実で、予測可能なゲームなど誰がするだろうか?
それは、閉じた命令であり、予測可能なものであっても、
不確実性であり、予測不可能性である故に、楽しめるのである。
さらには、これがコミュニケーションである上で、
私が不確実性なのであって、それを鏡像的に示すという意味で、
不確実性なのである。
私は私がどのような反応をするのか、わからないことが
ゲームを不確実なものとして、ともいえる。
330 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 01:12:27
どちらにしろ、コミュニケーション速度の上昇は、
「まなざしの快楽」の反復が、語り得ない快楽へ導く、
それが「あぼーする快楽」である。
PC、テレビ、ゲーム、ケータイ、ネットなど
速度の快楽である。
ボクは以前、自転車にのる子供の楽しそうな姿について言及した。
まだ車の運転をしたことがあるものは誰もが、速度の快楽を
知っているだろう。
人はなぜ速度にあこがれ、興奮するのだろう。
そこには、「まなざしの快楽」があるだろう。
速度の先の新たな世界の征服という「無垢の征服」である。
しかし高速という、応答性の反復の高速化というリズムは、
生理的な高揚感を生むのではないだろうか。
微妙。けどテンポは重要と思った。
332 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 05:40:33
普通の人が書き込むと全部スルーで
びかぁの自演にだけ本人が反応してたら
誰だって自演だって気がつくぞ
少しは頭使えと
333 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/02(木) 13:29:14
生き生き
334 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 20:59:29
コテハン叩きやめよう
335 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 21:03:37
狼は生`、ピカは氏ね
336 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/03(金) 11:24:56
ん?
337 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 14:59:09
ほう、これはたいした才能だ
338 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 20:17:35
自演はつづく↑
無垢なものとかフロンティアとか処女地をメディアが追っかけまわすのは
あたりまえだと思うが、なぜそんなに勢いつけて書きまくるのかわからん。
普通ならその先のこと認識があるから「エウレカ!」なんだろが・・・。
常駐する理由がなくなっちゃうからさ
341 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 00:08:20
>>339 ん〜・・・そだよな。当たり前なんだよな。
まさに、そこが問題なんだよな。
「性関係は存在しない」。でもエッチは気持ちええ。
そこなんだよ。まさに。
で、「エウレカ!」ってなに?
342 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 00:23:13
ジーコジャパン弱いよな。なんか今ひとつ盛り上がらないな。
人は言語で理解するのだろうか
言語で理解しないような理解が先にあるのだろうか
344 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:54:42
>>343 生理的な反射が先にあるとしても、「理解」は言語でしょ。
345 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:57:21
「ウェブ・ブラウジングの快楽
1996年、ホフマンとノヴァクによる論文「ハイパーメディア・コンピュータ媒介環境における
マーケティング」は、「フロー」という概念に注目していた。「フロー」とは何かに没入し夢中に
なることで、最高の経験が持続していく状態を指すものだ。
「フロー」とはシカゴ大学の心理学者チクセントミハイが提唱した概念で、何かに没入し
夢中になることで、最高の経験が持続していく状態を指します。ホフマンたちは、
インターネット上の対話が切れ目なく続き、その行為自体が楽しくなり、我を忘れて
のめり込んでいくとき、「フロー体験」が生じていると考えました。
さて、フローが生じるには2つの条件が必要です。まず、環境に何らかのチャレンジが
あること、そしてそれに相応しいスキルが本人にあることです。したがって自分の
スキルを越えた操作や、逆に簡単すぎる操作もフローを引き起こしません。フローが
経験されることは快感であると同時に、学習が促進される、探究心が高まるという
いい意味での副作用を伴います。」
346 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 09:58:05
ここにあるのは、単なる生理的な快楽ではないということです。「環境に何らかのチャレンジが
あること、そしてそれに相応しいスキルが本人にあること」。ここにあるのは、
無垢への欲望ではないでしょうか。
, --==‐〜--へ__,,,,--- 、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ,/;;;;;;;;;;;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノハ;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ \:::;::;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彳 ヽ;;;;ル
|;;;;;;;;;;;;;;イ6:::. / \ |シ
);;;;;;;;|:::::::::: (●) (●) |ゝ
ヒi_,|::::::::::::::::: \___/ |
,,, -/ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 輪島の子
―'| \ \ |\_
348 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:25:29
たとえば、空腹でもないのに、口寂しくて、ついついものを食べてしまう。
あるいは、テレビでは、衝撃的な映像番組が増えているが、物語というよりも
瞬間的な刺激を望んでいる。たとえば週刊誌も派手な見出し、一発写真ネタ、
そして最近のお笑いブームである。まさに瞬間的な快楽を求めている。
2ちゃんねる、あるいはメールも同様かもしれない、
小さな快楽を求めるのである。そしてここには、応答性の早さがある。
すんわち単に小さな快楽だけではなく、それは継続され、リズムとして
反復されることによって、継続した快楽が得られるのである。
これは先の「フロー体験」に対応するだろう。
科学技術は、このような小さな反復快楽を可能にしている。
349 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:29:32
ここにあるのは、単なる生理的な快楽ではない。
「環境に何らかのチャレンジが あること、そしてそれに
相応しいスキルが本人にあること」そこには「まなざしの快楽」が
働いている。すなわち、みなが求めているものを手に入れるということ、
そこにはみなのまなざしの対象があり、そこが「無垢」なのである。
しかしそれが小さく反復されることによって、まなざしは「あぼーん」され、
生理的な快楽へ埋没しいくのである。それが「あぼーんする快楽」である。
350 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 14:31:47
, --==‐〜--へ__,,,,--- 、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ,/;;;;;;;;;;;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノハ;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ \:::;::;;;|
|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彳 ヽ;;;;ル
|;;;;;;;;;;;;;;イ6:::. / \ |シ
);;;;;;;;|:::::::::: (●) (●) |ゝ
ヒi_,|::::::::::::::::: \___/ |
,,, -/ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 輪島の子
―'| \ \ |\_
351 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:34:50
たとえば、テレビそのものがすでに「あぼーんする快楽」である。
小さな刺激を与え続けるのである。
ボクもそうだが、特に見ていなくてもつけっぱなしである。
あるいは、音楽についてもそうだ。
音楽を集中して聴くということではなく、音楽を流しっぱなしで、
本を読んだりするわけだ。
このようなことは、まさに科学技術の発達によって可能になったと
いえる。
352 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 14:45:56
無垢の渇望は、生理レベル存在するのではないだろうか
動物園の動物はなぜあれほど死んだような目をしているのだろうか
353 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:05:08
すなわちまなざしと快感のはざまでゆれる
354 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:44:32
ジェットコースター化した社会では、快感は開拓されるのである。
より無垢な刺激を与えるのだ。いわば、それは言語を越えている。
355 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:48:13
ポピュラーミュージックにはなぜ歌詞があるのか。
実はここにまさにまなざしとあぼーんのバランスがあるのでは
ないだろうか。単なる反復する刺激であれば、歌詞は必要とされない
のではないだろうか。
しかしポピュラーミュージックは徹底的に歌詞がつくことに意味がある。
それは歌詞の内容ではなく、歌詞がつく、すなわちそこに言語がある
ということが重要なのである。
それはボクたちは言語から切り離されると、感じることが困難になることを
示しているのだ。
356 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 15:52:59
クラシック、ジャズでもよいし最近のクラブミュージックでもよりが、
これらを聞くことには訓練を必要とする。
歌詞のないこれらの音楽は、「どこを聴けばよいのか」、わからないのである。
どこにまなざしがあるのか、とらえられないのである。
まさに歌詞とは、その意味そのものでなくとも、シニフィアンが
まなざしの在処をしめし、音楽を「聞く」場所を指し示すのである。
単純には、バンドが演奏しているときに、そのセンターに
ボーカリストがいて、そこを見ればよいことを指し示すようなものかもしれない。
「独白の完成」は遠い。
訓練なしで哲学かぴかぁ〜?
360 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:52:42
>>359 小便小僧が、そこまでして、絡みたい理由がわからん。
俺のこと忘れないで、みたいなことか?
哲学から離れていく自分が怖いのか???
361 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:52:59
ボクが「欲望とは無垢(むく)への欲望である。」という意味をもう一度説明しましょう。
まず、無垢とは、「まだ誰も到達してない場所」である。主体が、他者たちが欲望している
だろうというまなざしによって、開かれる場所である。他者たちが欲望しているだろうことによって、
そこに他者がまだ所有していない「場所」があるということである。そしてそれはあくまで主体が
まなざしがあるだろうことによって開かれる想像的な「場所」である。
無垢へ誰よりもはやく到達することによって、他者との差異としての「私」の意味が現れる。
この「無垢」へ到達してものの名が「この私」なのである。
すなわち欲望は、「この私」とは何ものであるかという承認を欲望するのである。
これはラカン的には、欲望は去勢という言語の獲得によって生まれることに繋がる。
ボクたちは象徴界への参入によって、言語を獲得することによって、そこには
本当の私から疎外された言語としての私となる。しかし疎外された私は、充実した私を
獲得することができない。故に、「この私」という承認を求め続けるのである。
そして欲望は満たされることがない、無への欲望である。
362 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:53:55
このような「無垢」という想像的なものへの欲望の根底には、充実した私を獲得しようと
する現実界の「力」が働いている。それが「無垢への欲動」である。
ボクたちは、生理的に差異としての「無垢」を求める。
たとえば1/fゆらぎとは、反復と差異の比率が、50:50であるときに人が安らぎを
感じるということを示している。ボクたちは、反復的な刺激のみでは、耐えられず、絶えず
差異を望む。
いわば、言語とはこのような「反復と差異」の現実界の先にある、反復の形である。
世界を反復としてとらえるための生理を補完するための道具である。
そして無垢とは、このような反復の世界へ進入する差異である。
363 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 01:56:55
ま、出すぎた真似をすんなよ。ということだ。
364 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 01:59:10
>>363 小便、なにここの主(ぬし)気取ってるんだ???
糞スレだろ、ここ。
366 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:00:54
その勘違いはどこからくるんだ?三択で
@哲学板の古株である。
A実は哲学知識がかなり高い
B単なる成りきり、かまってくん
367 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:01:00
知識人ごっこは一度やったらやめられまへんなーw
368 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:02:48
ぴかぁ〜心の叫び
369 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:04:50
飽和してしまったこの社会では一般に無垢は禁止されてる、つか
出る杭は打たれる。
370 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:05:39
>>366 どういう奴がぴかぁ〜をおちょくって遊んでるかの割合
@哲学板の古株である。 →5%
A実は哲学知識がかなり高い →10%
B単なる成りきり、かまってくん →85%
371 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:06:14
一人テンション高っ・・・
372 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:07:40
369ってぴかぁ〜?
373 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:07:52
テンション上げて、無意識に人を遠ざける癖
そろそろやめた方がよくね?
374 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:10:42
好きな子を前にした小学生やん!
だからいまだに童貞なんだよ。
相手の目をみてちゃんと話さないとさ。
375 :
ザネリ:2005/06/05(日) 02:10:43
はなはだ無垢だな。ここの人は。
376 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:13:04
ってか、反復ばっかで差異がない。
すなわち無垢がない、むなしく、無駄な会話だな・・・
ほんと人間的な魅力がないやつだね。小便。
377 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:19:21
小便小僧ってさ、
マジキャラのときは、マジすぎの長文をだらだら中身ないし
荒らしキャラでは、ユーモアもなく、中身ないし
ひとくくりで言うと、キョドってるやつ、ってことなんだよ。
キョドってるやつって、他者とうまくコミュニケーションできない、
対人恐怖傾向なんだよ。
だから、どちらにして、極端な独りよがりな反応しかできない。
378 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:20:33
小便小僧。言い過ぎた、ごめん。
性格はそうそう変えられないよな。
379 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:20:46
自分のことじゃねーのか?
380 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:21:21
ボクが「欲望とは無垢(むく)への欲望である。」という意味をもう一度説明しましょう。
まず、無垢とは、「まだ誰も到達してない場所」である。主体が、他者たちが欲望している
だろうというまなざしによって、開かれる場所である。他者たちが欲望しているだろうことによって、
そこに他者がまだ所有していない「場所」があるということである。そしてそれはあくまで主体が
まなざしがあるだろうことによって開かれる想像的な「場所」である。
無垢へ誰よりもはやく到達することによって、他者との差異としての「私」の意味が現れる。
この「無垢」へ到達してものの名が「この私」なのである。
すなわち欲望は、「この私」とは何ものであるかという承認を欲望するのである。
これはラカン的には、欲望は去勢という言語の獲得によって生まれることに繋がる。
ボクたちは象徴界への参入によって、言語を獲得することによって、そこには
本当の私から疎外された言語としての私となる。しかし疎外された私は、充実した私を
獲得することができない。故に、「この私」という承認を求め続けるのである。
そして欲望は満たされることがない、無への欲望である。
このような「無垢」という想像的なものへの欲望の根底には、充実した私を獲得しようと
する現実界の「力」が働いている。それが「無垢への欲動」である。
ボクたちは、生理的に差異としての「無垢」を求める。
たとえば1/fゆらぎとは、反復と差異の比率が、50:50であるときに人が安らぎを
感じるということを示している。ボクたちは、反復的な刺激のみでは、耐えられず、絶えず
差異を望む。
いわば、言語とはこのような「反復と差異」の現実界の先にある、反復の形である。
世界を反復としてとらえるための生理を補完するための道具である。
そして無垢とは、このような反復の世界へ進入する差異である。
381 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:22:54
>>377 なんか、いつものぴかぁと雰囲気が違うね。
・・・もしかして本気で自分の説が画期的だと思ってる人なのかな。
だとしたら怖いな。
382 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:23:03
ぴかあ〜も優しいんだね。
345みたいな例は他の人とは違うものを求めるから快楽なんじゃ無いの?
384 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:24:20
画期的なのか?
385 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:27:06
>>381 お、テンション下がった。結構、当たってるだろう。
386 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:28:40
ぴかぁ〜は正直論がループしてると思う。
387 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:31:07
画期的って何よ?
388 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:31:56
>>385 いや、人物分析のほうの話じゃなくて、ぴかぁのブログ書きこみ全てのこと。
俺は今までぴかぁはジョークでトンデモ理論書いてると思ってたからさ。
本気で書いてたとしたら、怖いくらいの多幸症なんだなこの人、って意味。
389 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:33:21
>>386 ラカンの三角系につかまっちゃったわけだね。
いま、脱出口を探索中。
390 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:36:54
>>388 もう一ひねりぐらいできないか。まだまだ腰が引けて、ベタなんだよな。
欲望させてくれるぐらいの無垢を見せてほしい。
そこが、キミがしろうとや、くろちゃん等々になれない理由だよね。
391 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:39:14
駄目だこりゃ。
392 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 02:42:54
結局のところ、キミは金魚の糞どまりなのかな。
キミのべたでからっぽなチャチャを、
放置してあげることが、ボクのやさしさか・・・
それ以上をのぞむボクが悪いんだね。
でも、たまにチャンスを上げたくなる・・・
そのやさしさが、罪なんだな。
ウケルでしょ。これぐらい書けよ。ほんと才能ないな。
393 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:45:11
からっぽなのはぴかぁ〜
屑が。
395 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 02:57:41
「なぜ人は知ったかしてまで知識人ごっこ、言論人ごっこをしたがるのか?」
ぴかぁ〜もしろうともくろしろも、糞コテ全般はこういう欲望に憑かれているわけだろう?
このテーマで議論したほうが面白くないか?
396 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 03:00:38
>>395 はぁ〜だから、マジで、ひねって。無垢が0で、欲望がわかない。
ってか、もういいだろう。
397 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 03:02:26
ローカルルール議論で満足しておくんだね。
>ウケルでしょ。これぐらい書けよ。ほんと才能ないな。
全然。
399 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 03:05:38
400 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 05:31:58
ぴかあよ悪かった、つーか理解した。
「独白」を続けてくれ。
402 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 21:07:47
403 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 21:20:41
ほう、これはたいした才能だ
404 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 22:22:38
メトロセクシャル!
405 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/05(日) 22:26:31
ベタな「まなざしの快楽」?
406 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/06(月) 15:09:30
むくむく
407 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/06(月) 16:16:29
無垢が欠乏するとき、自己を喪失しかける
無垢を消化することそのものが、「生きることの意味」である。
408 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 10:02:32
ぴかーは時代に媚びてる時点で終わってると思うよ
つまんねーもん
409 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 10:59:19
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
410 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 11:07:15
お察しの通り、無垢とはドゥルーズのいう差異である。
すなわち、無垢とはラカンをドゥルーズ、死と生哲学の
接点であり、これらの大胆な結合にあるのだ。
時代についていこうとしてる時点で終わってる
そんなやつはほとんど寒いことしか言わん
413 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 16:26:28
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
414 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 17:24:05
とりあえず、誰も書き込むな
放置プレーじゃ
はぁ?自分で言ってることもわかってないんだな
416 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 19:42:31
いくら担ごうが革命は起こしませんよ。
417 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 20:15:21
:ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU
宮台読むなら馬場靖雄『ルーマンの社会理論』読んだ?
絶対読んだ方がいいぞ。
418 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:29:47
実は読んでます。かつてブログでもとりあげましたが、
馬場先生のホームページの脱構築に関する論文は良いです
しかしルーマンはいまひとつ難しいですね
419 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:41:26
って、最近本読みすぎかも。
そのために自分の頭使うのが疎かかも
420 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 20:42:36
って、最近本読みすぎかも。
そのために自分の頭使うのが疎かかも
無垢への欲望が過多だ
421 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/07(火) 21:17:13
たとえば哲学そのものの根底にある様式として
人間/動物の断絶がある
現代の科学がこの様式に解体していこうがかわらない
なぜならこれは思考様式であり、たとえば武道の型と同じである
そこで犠牲にされるのが有用性であり、社会的な信用性である
しかし剣道から型をとるとなにが残るのか
サッカーからフットポールが生まれたように
ボールを持てば良いのではない。
異なるものとして立ち合らわれるためには、限りなく持たなければならない
パラダイムシフトとはあくまで事後的に語られる神話でしかない
422 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 08:57:20
小便小僧いる?
423 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 12:45:25
カオスの辺縁が分けるもの
象徴界と現実界、内在と超越、内部と外部
425 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 19:51:44
どこが!?といってみたところで、ただの煽りだから返事はない・・・
426 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 20:43:52
正直難しいな。
前みたいに例を出してほしいな。
427 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 20:46:27
そうですね。最近、法則化しようと焦りすぎていますね。
日常の出来事の描写から立ち上げないとですね。
未知への欲望、フロンティアが対象a、享楽だとすると
既知への欲望、ホーム、つまりノスタルジーはラカン的には何?単なる欲求?
429 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:27:05
>>428 なぜ無垢(未知)を欲望するのか。
無垢を秩序(既知)へと変えるためです。
これが対象aです。
無垢への欲望と秩序への欲望は裏表なのです。
ぴかあさん
ワールドカップ出場決定に際してコメントをひとつ
431 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:30:38
ボクは「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」と言いました。
すなわち「デリダも必ず恋をする」のです。すなわち脱構築し続けることの不可能性です。
それは、「ボクは誰でもない唯一のこのボクだ。」という承認です。
それに対して、「単独性から偶有性へのリバース(反転)」が起こります。
「デリダも必ず恋をするが、恋は必ずいつか冷めるのです。」
捏造された神性が、暴露されるのです。
完全なる「ボクはこのボクだ。」という承認は、終わり(死)です。
だからリバース(反転)するのです。
リバース(反転)によって、新たな偶有性(無垢)を呼び込むのです。
そしてまた、恋をするのです。
このような運動が、主体を維持し、社会を維持しているのです。
432 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:35:35
>>430 (●´ー`●)゜〜゜ノ|`.∀´)〜^◇^)´Д`)^▽^)0^〜^)‘д‘)´D`)━━!!!!!
433 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:41:54
>>431 これが無垢(カオス)と秩序の境界
すなわち「カオスの辺縁」、対象aです。
434 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 21:50:34
すなわち、ラカンの「手紙は必ず届く」と
デリダの郵便的、「手紙は必ず届くとは限らない。」は、
カオスの辺縁の裏表なのです。
435 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 22:04:23
柄谷にいう「他者」とは「ものそのもの」であり、
「(本当の)無垢」です。
柄谷は「他者」へ開かれることに「倫理」を見いだします。
これはデリダと同じ、境地です。「脱構築が正義である。」
すなわち決して到達しない他者の声を聞き続ける。
これはボクが「カオスの辺縁は主体である。」というとき、
ラカンの「己の欲望に譲歩するな」へも繋がります。
単独性と偶有性のサイクルを回し続けることである。
436 :
428:2005/06/08(水) 23:04:49
なるほど。
ラカン的にノスタルジーを説明すると
超越し続けることに耐えられない、ゆえに内在する
って感じか。
フロンティアの欲望の順序を逆に辿ることで説明できるわけですね。
そうするとノスタルジーにおける主体を揺るがすような強度も説明できますね。
単独性の安心感を味わっているつもりでも、
そこには偶有性、届かない手紙が顔を覗かせている。
それは捏造された神性としてまたリバースする。内も外もないわけか。
ラカン強っ
437 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:00:08
>>436 そういうことです。ラカン最強なわけです。
ここには、ある意味、デリダの差延も、郵便的も、
ドルゥーズの差異と反復も含まれています。
さらにいえば、ニーチェの「力への意志」も含まれている。
ラカン最強なわけです。
それにしても、ここまで簡潔に理解できたのは、キミが始めてかも・・誰?
438 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:18:20
ぴかぁ〜はほめ殺し戦略にすぐ騙されるんだから
439 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:19:58
この転倒/反転は、エントロピーの減少、増加にも対応する。
たとえば、時間とはエントロピーの増加という不可逆性である。
これは、たえず「(本物の)無垢」が進入していることをい召している。
ボクたちはこの「(本物の)無垢」を反復へと回収する。すなわち象徴界へと回収する。
秩序立てる。エントロピーを減少しようとする。
ここに反復(秩序)と差異(無垢)のサイクルが生まれる。
それが時間の経過である。
440 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:22:52
>>438 別に褒めてないと思うが。
まあ、438は柄谷ファンだな。
ボクの論理は柄谷ファンにはすんなり入る。
441 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:27:12
柄谷、浅田あたりはぴかぁの理論は全否定だと思うけど。
彼らはぴかぁ理論が最終根拠にしてるニューサイエンス的な生の哲学を嫌悪してるからね。
442 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:34:01
>>441 柄谷はそうだけど、浅田の「構造と力」のなかなか生だよ。
もはや芸術だよ。
しかしラカンの「現実界」でも、柄谷の「他者」でも良いが、
科学とのスレスレまで来ている。
現にジジェクや、斉藤環、(東は微妙)はアクロバティックに越えてる。
たとえば、柄谷の「他者」は「コミュニケーション可能な他者」というときに、
もはや科学でしょう。赤ちゃんは?猿は?犬は?
そこから倫理につなげる柄谷がボク的には、強引だよ。
443 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:43:08
>>442 誤字をなくしてもうちょっと正確に書いてくれよ。
ラカンの「現実界」や柄谷の「他者」概念が科学すれすれ?
柄谷の「他者」は「コミュニケーション「不」可能な他者」だろ?
関係の絶対的外在性(内面化不可能性)から倫理へ、というほうが
正当で、そこから科学へ、って・・・意味がわからん
444 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 00:46:10
それは流し目の意味が分からないと理解できない。
どうせ読まずに適当言ってるんだからw
446 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:01:37
>>443 たとえば、柄谷の「教える−学ぶ」を考えるとわかるが、外人、子供などといっているよね。
それは、関係の絶対的外在性(共同体外)ということだけど、そこには、教えることができる、
学ぶことができるという、最低限の「コミュニケーション可能性」が担保されているわけ。
だから、石でも、犬でもなく、「他者」なんだよ。
だからこの「コミュニケーション可能性」に倫理を見いだすのは、「コミュニケーション可能性」が
あるものは、共同体外でも「他者」とするということでしょう。
柄谷も「他者」に犬は含まれるのか?猫は含まれるのか?
最近のプラグマティズムでは含まれるという極論もあるらしいけど。
ではこの最低限の「コミュニケーション可能性」とはなんだろう。
ボクたちが、とりあえず「話しかけてみよう」と思う境界はなんだろうか。
最近はシャレでバウリンガルとかあるが、単に言語が違うだけで、
懸命に話しかければ、教えて、学べば、翻訳すれば、コミュニケーションできるということは、
どう種族であるということ。すなわち、進化論的境界に向かうんだね。
447 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:02:12
実は、これはデリタの「他者」にもいえるのだが。
448 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:09:29
この視点は実はベイトソンのコミュニケーション理論の「ゼロ学習」なんだね。
コミュニケーション可能性とは、生態学の要請する同一種の
コード/デコードの機能の同一性、とうこと。
そしてラカンが、「性関係は存在しない」といって
コミュニケーションのレベル。すなわち現実界のレベル。
だから、「柄谷の「他者」は存在しない」わけだね。
449 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:16:16
だって人は、内在として犬と、人間以上のコミュニケーションを
することができるんだよ。特にさびしんおばちゃんとかさ。
子供なら、人形とね。「柄谷も必ず恋をする。」
そんな中で、この現実界に近接、柄谷の「他者」に近づく方法が、
「現実界の知」=科学的表現なんだよ。
450 :
428:2005/06/09(木) 01:16:55
美大生。
ただそれだけ切れ味が良いとラカニアンは逆に生き生きしたものに出会いにくい気が…
ベタにメタをやってもメタという時点で反復というバイアスがかかっていって
アウラという幻想も確実に消尽しているわけで
蓮実の「ジジェクは同じことしか言わない」とはそのへんのことを言っているわけですよね。
東は動物の存在を知ったがために二度と動物にはなれないわけですから
デリダ的なものまでラカン的に処理されてしまうとするならば、
アルトー、バルト的な主体消失の制度は働かないわけですよね。
ラカニアンにイリヤの夜は不可能なわけですよね。
それは単に「存在しないもの」として主体側から処理されてしまう。
そうなってくると疑問なのがラカニアンは生き生きしたものに出会えるのかどうかということ。
あくまでも形而上のラカニアンは、てことです。
形而下のラカニアンは出会いまくりでしょうから。
性関係は存在しないとかではなく
強度の次元においてラカニアンの主体は維持できるのかどうかという問題です
451 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:22:36
>>446 >それは、関係の絶対的外在性(共同体外)ということだけど、そこには、教えることができる、
>学ぶことができるという、最低限の「コミュニケーション可能性」が担保されているわけ。
違うだろw。対話(交換)以前には最低限の「コミュニケーション可能性」すら担保されないんだよ。
それを事後的に見ると最低限の担保の根拠を任意のものに負わせることが可能であるかのように
見なすことも出来るが、それは捏造であると。これはラカン、デリダ、柄谷、浅田、ジジェク、東
あたりに共通した考え。だからかつて東は柄谷の「探求T」を評価したが、それ以後の「U」「V」
には不満で「存在論的、郵便的」を書いたわけでしょう。
>懸命に話しかければ、教えて、学べば、翻訳すれば
これら事後的にのみ説明可能な主体側の内的根拠からの他者の説明を退け、東は
絶対外在的な郵便空間からの他者の説明を試みると。
452 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:32:42
>>450 うひょうー!!!するどすぎる!やっぱりただ者ではなかった。
だからボクは最近ずっと「生き生きしたもの」と
ノイローゼ的?に言い続けているわけです。
そして周りの人には苦悩がまったく伝わらない。
ラカンから脱出を試みて、「まなざしの快楽」から「あぼーんする快楽」
(すなわち象徴界から現実界への逃避)と言ってみているわけですが、
実は、ラカンの強力さから抜けられなく成っているわけです。
これは、実はジジェクだけでなく、東の動物化、
(ラカニアンの斉藤環との対談でその苦悩がわかるし、人間から動物化への断絶に固執するところなど)
あるいはデリダやドゥルーズさえも同じではないかと思います。
現代思想時代が、ラカンから抜けられなくなっているのかもしれません。
簡単には、認知科学や、あるいは芸術的な没入でも良いのですが、
向かえばいいのだけど、ラカンの呪縛からは抜かられず、もがいています。
マルクスに逃避(ラカンが綺麗に当てはまるから)してみたり。
ルーマン当たりに出口はあるのか・・・?
453 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:34:33
■ もう1:30過ぎてるよ〜 ニートと無職は起きてて可。
454 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:41:50
コミュニケーションは共通のコード体系があって成り立つのだろうけど
犬や猫と人間も共通するコードがあるだろうし、植物に対しても感じ取れる
人もいるのかもしれない。
455 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:49:17
>>451 いや、違うよ。東の郵便とか、事後的とかいらない、先に転倒/リバース(反転)で
説明したけど、結局、ラカン、デリダ、柄谷、浅田、ジジェク、東 、まとめてラカン派なんだよ。
ラカンではこれは「性関係は存在しない」ということで無いものになっているんだよ。
たとえば斉藤環が、ラカンにこのコミュニケーション可能性が抜けており、
ベイトソンは綺麗に補完関係にあると言っている、強引なカップリングを試みている。
サイバネティクス系ベイトソンのコミュニケーション理論の「ゼロ学習」は、
生態学の同一種のコード/デコードの機能の同一性の、抜けぐわいを、
じっくり考えると、とてもおもしろい。
456 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 01:55:09
>>454 ポストモダンでは、ここは踏み込めない。
なぜなら、人と人のコミュニケーションで「すれ違い」でしかないから、
逆説的に、犬や猫と植物さえ(ラカンは月とのコミュニケーションを語るが)
同じようにコミュニケーションできる。
だから、コミュニケーション可能性を語るには、精神分析、論理学、生物学とクロスオーバーした
知の巨人ベイトソンなんだよ。
457 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:55:20
花が美しかったり、果物がおいしいのもコミュニケーションと考えられ
なくもない。
458 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 01:59:20
459 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 02:10:34
>>458 東は「絶対外在的な」などいってない。
否定神学的な大きな一つの「穴」でなく、複数の「穴」を開けましょということ。
絶対外在など無理。
ポスモダでは、ベイトソン的「コミュニケーション可能性」は「存在しない」のだから。
眠い・・・じっくり考えればわかると思う。後は自分で。
460 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:13:36
>>459 またそうやって逃げるんだから・・・頭のいいふりをしても頭よくなんないよ
461 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:20:14
ほほう。ぴかぁ〜粘着厨も付いたのかね。レスが延びざかりだな
462 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 02:43:34
完結する哲学は原理的にダメなんだよ。
463 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 05:26:26
馬場のルーマン本の註で樫村愛子にケチつけてるにちゃんと読んだ?
つーか馬場本ちゃんと読めてるのか。
いま酒井泰斗のブログでルーマンとデリダの比較やっとるぞ。
464 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 08:43:54
そこまで読み込んでないので
ルーマンのコミュニケーションは愛子先生の「ラカン派社会学」でカツンやられてますが、読んだ?
465 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 09:38:38
昨日の晩はいきなり確信にはいりました。
なぜボクがむくむくとにつまっているのかを見事に指摘きされました。
ボクはラカンからその先の本物の無垢、本物の生き生きしたものへの道を試行錯誤したのに、無垢とはすべて幻想の無垢だと、送り返されているのです
そして柄谷の「他者」とはまさに本当の無垢なのですね。柄谷のいう超越、すなわち現実界への通路(交通)なわけです
しかしここで必ずボクと同じ内在への送り返しが起こります
柄谷は規則外の他者といいますが、理念的にはわかるが、完全なる無垢などどこに存在するのか
ますそれが「他者」として認識された時点ですでに内在なのです。
たとえばジジェクは隣人は現実界であるといいます。この意味は柄谷風にいえば、隣の他者は内在であると同時に超越なのです
どのような他者とのコミュニケーションにおいても「命懸けの飛躍」は存在し、「教える‐学ぶ」の関係は含まれている。ヴィトの意味も「教える‐学ぶ」に特別な他者を語っていません。
これはボクが言う主体の転倒/反転構造です。すなわち内在と超越は裏表であるということです。 そして柄谷の「他者」は反転してようで実は転倒に転じている、すなわち否定神学的として担保されているのではないか、ということです。
466 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 10:06:49
さらに柄谷の超越の他者が完全な規則外なら、
なににむかってコミュニケーションは行われ、「命懸けの飛躍」は行われるのでしょうか
ジャングルで遭難し、「助けてー」と叫ぶとき、それは木でも、猿でもなく、最低限のコミュニケーション可能な人間=同類種に向かって叫ばれるのです
だからフロイトは猿を精神分析しょうなどと思わないのです
だから柄谷の超越の「他者」は存在しないであり、「性関係は存在しない」のです
ボクはこれをデリダ批判から思い付き、ラカニアン斎藤環が「文脈病」でベイトソンの「ゼロ学習」として展開しているのを知りました。
柄谷だけでなく最強ラカンにさえ使える、
反転を突き抜ける可能性の一つです。しかしいまの哲学には「存在しない」のですが
さらには斎藤はベイトソンのサイバネティクスの先にオートポエティクスを見ています
ここでルーマンと近接してきます。ボクはまだ勉強不足ですが
467 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 10:22:08
ついでにいえば、東の動物化も、反転の突き抜けです
すなわち柄谷の「他者」と同じの道です
これは斎藤環の「乖離のポップスキル」の中の斎藤×東の対談がおもしろすぎます
反転をつきぬけという東と反転が転倒に転じてるだけという議論ですが
結局ラカン脱出の同士でもある、この微妙加減が良い
個人的には東のベスト発言ではないかと思っています
468 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 11:17:13
柄谷への違和感は、内在と超越をコミュニティレベルで語りたがることですね。マルクスから来てるのでしょうが
宮台も近いところがある。たとえば同じ意味で宮台も「世界」と「社会」といいます。
ポストモダンという反転する世界、すなわち「社会のそこがぬけている」中で
人々は超越に、動物化してまったり生きられないから
反動で急激な転倒が起こっている。それが新興宗教への没入なとである
またたとえばリストカットも極端な転倒なんですね
超越、動物化すると主体は拡散する。すると「死」も拡散する。
超越には生命機能停止はあっても、「死」は内在にしかないのですね。
すなわちリストカットは内在への転倒する極端な行為なんですね 宮台の右翼とは、このような無理な転倒をやめて、正しい転倒の仕方としてあるんですね
ここに転倒、反転をコミュニティレベルで考える傾向が見えますね
別に全員で花見をしなくてもみんな日常でマイブームとして小さな祭りをしているということです
ぴか君昔からいるけどずっと書き続けれるなんて、嫌味でなく凄いね
「動物」の概念は忘却できるよ。
でもそんなこというと宗教になっちゃうんだけどね。
クソコテとはぴかぁ〜のことだ。
472 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 09:38:03
転倒・・・「偶有性から単独性への転倒では神性が捏造される」
外部から内部へ(超越から内在へ)、形而上学、「デリダも必ず恋をする」
反転・・・「単独性から偶有性へのリバース(反転)
内部から外部へ(内在から超越へ)
ポストモダン、「デリダも必ず恋をするが、恋は必ずいつか冷めるのです。」
カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
473 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 10:16:21
単独性から偶有性の反転では神性は解体される
474 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 11:24:09
たとえば解体的であることが必ずしも反転ではないことは
東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
これは主体であるための「宿命」である
それはデリダ的脱構築であろうが、柄谷の「他者」でも同じである
ボクたちは限りなく「神話なき神話」の世界にすんでいるのであり
ラカンの象徴界、、マルクスの物神性の世界と呼ぼうが
この「ラカンの呪縛」からは逃れられない
475 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 12:49:34
>>474 >東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
>否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
>さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
>これは主体であるための「宿命」である
ってなに?詳しく教えてよ
ゲーデルは脱構築したんじゃなくて単に数学を基礎とした公理系の中での無矛盾性を説いただけでしょ
どうしてそれが主体の「運命」で、反転だの転倒になってしまうわけ?
それと君の言ってるのは第一定理と第二定理のどっちなの?そこを具体的に書いてよ。
>>474 >東がゲーテル的脱構築を否定神学と呼んだことでわかる
>否定神学とは反転に向かい言説が実は転倒に転じていることである
>さらにいえばどのような言説もかならず反転から転倒に転じる
>これは主体であるための「宿命」である
>それはデリダ的脱構築であろうが、柄谷の「他者」でも同じである
これってゲーテル的脱構築=否定神学=主体であるための「宿命」=デリダ的脱構築=柄谷の「他者」
って全部つないじゃってるけど、少なくともゲーデル的脱構築とデリダ的脱構築は全く異なるものだよね
これが同じであるという理由をゲーテル・デリダの著作を具体的に挙げて説明してよ
で、可能ならどうしてこれらが簡単に全部つながるのか具体的に説明してよ
477 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 17:13:14
475、456はチョコ坊だな
478 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 18:03:47
それらに共通するものはなにか?「内部から外部へ」すなわちボクが言う「反転」です。
そして「反転」を維持することも、突き抜けることもできない。
「反転」は必ず「転倒」する
なぜなら「手紙はかならず宛先に届く」からです
だから一つの否定神だろうが、多数化しようが「転倒」してしまうことには代わりがないのです
479 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 18:41:58
これを欲望で考えると、
欲望とは「転倒」です。偶有的な人を恋人と、偶有的なカバンを高価なカバンへ転倒することが欲望です
デリダが「反転」を試みるとき、プラトンのテクストを脱構築するとき
あるいはサインの綴りをあえて間違うとき、そこにはなんらかの欲望が忍び込むのです
柄谷はデリダが脱構築を行うときの元のテキストの読みはデリダの読みでしないと言いました。すなわち脱構築が「成功」するための読みであるということです
純粋な「反転」を行うことなどできないのです。
人は「物そのもの」=「超越」=「現実界」へ到達することはできないのです
480 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 18:54:58
わかってるから其の次は。
481 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:15:06
482 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 20:20:47
次?
それは無垢とはなにか?であり、なぜ無垢なのかである。
ボクが転倒/反転というとき、ボクはどこにいるのか。
ボクもまたこのシステムから免れない。
このとき柄谷が他者を外部というように、ボク自身が外部となるのである。
ボクは現実界である。すなわち欲動であり、無垢である。
ここでオートポエティック転回を試みれば、欲動によるカオスの辺縁には内部も外部もなく、さらに入力も出力もなくなりのだ!
483 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:22:13
超テキトーな回答
484 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 20:40:23
ここで再びベイトソンの位置に辿り着き、ベイトソンが後継者と呼んだマトゥラーヤ?につながったけだ
485 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:43:58
何かちぐはぐ
486 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 20:51:43
逃げ口上やご託はいいから、早く<<475<<476に回答しろ!
487 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:04:45
カミナリワロスw
488 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:15:08
モトゥカリア>>>マトゥラーヤ
489 :
428:2005/06/10(金) 21:16:38
>カオスの辺縁・・・外部と内部の境界、転倒、反転の往復運動の起点
> 自己組織化が起こる位置、生命が発生する位置、主体そのものの位置
ラカニアンにとって主体の統覚は空間的には必ず内部にあるのでは?
現実界には身を置けないからこそ表象としての現実界、対象a(辺縁)が可能になり、
「真理という症状」の産出が可能になるわけで…
この詐術を維持しておかないとただイマージュに癒されてしまうのでは?
490 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:30:59
ラカンの詐術平面で論理をこねくり回しても同一平面上に留まるのでは?
491 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:31:00
果たしてぴかぁ〜は答えられるのか?
492 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:31:43
コピペ最中だろ
493 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:35:48
いいよ、そんな難しい話は面白くない。
なんというかぴかぁ〜には悪いけど所詮サブカルの話なんだよな?
だったらもっと具体的な話をしてくれ。
おい、スレ主(>>1)逃げんな答えろ。
495 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:54:14
>>493 サブカル板でやればいいだけのことを無理に哲学板でやろうとするから、
ぴかぁ〜は知ったかせざるおえなくなり、マジレスに追いつめられ遁走する
というのがいつものパターン
496 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 22:31:47
同一平面上らしい
497 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 22:59:15
>>489 美大生さん、いらっしゃい。
言いたいことは、境界ではなく、内部ではないか、ということですか?
あいかわらず、鋭いご指摘ですね。
ラカニアンにとって主体の統覚は必ず内部にあります。
すると、性格には境界の内部側ということですかね。
複雑系の科学者カウフマンは、自己組織化が発生する場所として、
秩序相とカオス相の境界において、秩序維持と情報創発という両義的な条件が
両立する中間付近のきわどい領域を「カオスの辺縁」と呼びました。
内部でも境界でなければ、「真理という症状」が「産出!」されないわけです。
498 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:00:42
ゴマカシ北
499 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:07:40
内部って何?脳?
>>497 おまえサイトから他人の文章勝手にパクルなよ。
>>497 つーか、
>複雑系の科学者カウフマンは、自己組織化が発生する場所として、
>秩序相とカオス相の境界において、秩序維持と情報創発という両義的な条件が
>両立する中間付近のきわどい領域を「カオスの辺縁」と呼びました。
↑これってググルとそのまま出てくるじゃんwww
「生命が存在し、かつ進化してゆくためには、秩序(形態)の維持と新情報(新形態)の創発という相反する2条件がともに必要であるが、
秩序相は形態の維持には好都合だが新情報の創造性には欠け、カオス相は情報の創造力に富むがともすれば秩序維持にはむかない、
というディレンマが生じるのだ。そこで生命秩序にとっては、
秩序維持と情報創発という2つの条件をともに満たす場として秩序相とカオス相との中間付近のきわどい領域が
自己組織性全般のなかでもとりわけ重要な意味を持つ。
この領域をカオス辺縁と呼ぶ。カウフマンによれば、
このカオスの辺縁こそ進化能が最大となる領域なのである。」(自己組織化とはなにか 吉田民人編著)
502 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:16:02
小便小僧、餅付けよ・・・
>>502 おまえ恥ずかしいからもう哲板くんなよ。
この恥さらし。
504 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:19:41
テンション高っ・・・
506 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:26:32
496 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/01(水) 19:25:19
質問くんだけでは、身に付かない。
見よう見まねでも使わないと、ボクのように。
ラカンは、この世界を「想像界」、「象徴界」、「現実界」を
概念的に分けた。それらがどこかにあるとかではない。
想像界はイメージ、対面的な世界
象徴界は、言語世界。人は言語によって世界を認識するということ。
現実界は、人が認識できないものそのものの世界。
たとえば、ボクとくろちゃんが会話しているときには、
想像界(イマジネール)というパラノ関係にありながら、
言語規則によって慣例的に話し、くろちゃんという他我は現実界にあり、
ボクには到達できない。会話は必ずすれ違う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
学術用語は見よう見まねで使ったほうが身に付くもんなんだってさw
508 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:32:53
>>506 >ゲーデルは脱構築したんじゃなくて単に数学を基礎とした公理系の中での無矛盾性を説いただけでしょ
爆萎え・・・
509 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:34:37
それで爆萎えするのはポストモダン厨の証拠。
511 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:36:40
>>508 知らんくせに他人の文章を盗用するから意味がわからんのだろ。
512 :
428:2005/06/10(金) 23:42:27
マジレスすると…
>内部でも境界でなければ、「真理という症状」が「産出!」されないわけです。
…ええ、境界ってのは分かりますよ。
ただ同じ境界でも統覚を外部に置くと理性ではなく悟性の領域で語られてしまうことになるので
外部か内部かを確認することはラカンを論じるなら絶対に必要な作業でしょう?
「入力も出力もない」をいきなり接合してしまったのかと感じたわけだが
内部ってことはまだ癒されていないわけだ。
513 :
考える名無しさん:2005/06/10(金) 23:54:00
514 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/10(金) 23:58:28
>>512 ん〜いまひとつわからないですね。
統覚を外部に置くというのは、どこから出てくるのでしょうか。
統覚は内部にしかないですよね。
「入力も出力もない」は、ひとまず置いてください。
これはアクロバティックすぎました。
オートポエティック転回は、まだまだつなぎが必要ですね。
515 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:06:05
ラカンには外部がない、ということではない。ことは、わかってください。
だから現実界なのですね。
ラカンが「性関係は存在しない」というときの「存在しない」は、
ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」というような意味です。
だから、ラカンには、現実界として欲動であり、享楽を語ります。
516 :
考える名無しさん:2005/06/11(土) 00:11:04
内部、外部って何だよ?
517 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/11(土) 00:16:28
統覚で、話を続けると、たとえば視覚において、そこからの光学情報と、
人の内的に作られる色(統覚)には、相関関係がありません。
さらには、光学情報よりも言語との相関関係が高いのです。
すなわち統覚は内部にしかない、ということであり、ラカン的な世界であるということです。
ここからオートポイエーシスは、思考されました。
オートポイエーシスの特徴は、「入力も出力もなく」、
作動そのものが、情報を自己産出(オートポイエイシス)するということです。