【虚無】ニヒリズムとその克服【否定】

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952考える名無しさん:2005/09/13(火) 12:13:47
>>921

これは、なるほどと思った。
953考える名無しさん:2005/09/13(火) 16:51:25
多くの場合の「ニヒリズム」は、
神と契約する事によって、成立っていたモラル等も、
その「神」と思われていたものは、作られた偽物の偶像に過ぎず
(そこには、高い位の人物がルサンチマンを巧みに抑える為の処世術として
神と言う見えない権力を作り、位の低い人間が逆らわないようにするモラルを作った、
と言う観点がある。しかし、その言わば神を中心にした権力システムと、
神を中心としない世界のシステムはどちらの方が現世利益的に有利かは、
また別の問題としておく)、
したがってその神との契約は当然消滅、
同時にそれらに寄り添うようにして成立していたモラルも同時に崩壊する、
そこから、神と言う偶像の為に生き無くても良い以上は、
何をしようが自由だ、と言う意味での「ニヒリズム」が殆どだと思われます。

954考える名無しさん:2005/09/13(火) 17:04:01
ただ、この場合の「ニヒリズム」は、
結局その人にとっての「人生は無意味」であって、
他者のルールを無視して犯罪を犯したとすれば、
その人の主観では相変わらず「人生は無意味」と考え続ける事はできるが、
罰を受けないと言う証明にはなりえません。
「ニヒリズム」と言う共通の言葉を使う限りは、
結局、全体にとっての「無意味」と言う状態は理屈の上では可能なので、
全体にとっては「ニヒリズム」はありえず「ニヒル」と言う一語で終ってしまう、
と言う事になります。
つまり既存の神を信じないニヒリズムが存在すれば、既存の神を「意味無く」信じる
ニヒリズムも同時に存在できる。「人生が無意味」なら、別に神と言う偶像を信じ様が信じまいが、
構わない訳です。
つまり「ニヒリズム」に生きる以上は、「ニヒリズム」と言うまた一つの「神と言う名の偶像」と、
同じ位に実は宗教性を帯びてしまうと言う矛盾を孕みます。
955考える名無しさん:2005/09/13(火) 17:14:39
そう言う前提なしに感情的に「人生は無意味だ」と捉える場合は、
「自分の価値観や感覚が他者に認められない」事から起因する物でしょうし、
それはどちらかと言えば「ニヒリズム」と言うよりは、
「アナーキズム」につながる、と言った方が近いかもしれません
956考える名無しさん:2005/09/13(火) 17:28:28
実感的肉体は、既に目的嗜好性を持っているので、
「無意味」は、刹那的で、進行的であり、
個人的肉体的個性の求める志向性とその解決の無い場合、
虚しさへ感情の交替によって、
矛盾しつつ、それを表そうとするのかも知れません。

ここまで来ると、確かに「私小説」の領域に入ってしまうでしょうね。
957考える名無しさん:2005/09/14(水) 13:55:57
サルトルが嘔吐で批判した論調が、まんま出てるよ。

(「僕は人類を愛してます、人類は平和にならなければならい、だってそうでしょう」
と言うヒューマニストに
「じゃあそこでティーを飲んでるオヤジは愛しているのか? このカフェのウエイターは?
そこの・・・・は?」と訊くシーンね)

全然現実を見てないで、論理を都合よく整理整頓して「無矛盾」という棚にしまい込んで
「無意味」を解決した、と思い込む行為。
棚に入らなかったものは、「私小説」であり取るに足らないものと名づけ、さーすっきりしたぞ、と。

ニヒリストが「それは感情の話であってニヒリズムの論理じゃないよ」と言えば、
いや、「ニヒリズム」という言葉がある以上こうなのだ、と告げる。
イスラム教徒が「それはテロであってイスラムじゃない」と言っても
キリスト教徒は、いやおまえらみんな同じだから、と言って聞く耳を持たず戦争を仕掛けるの同じ。
もとより話が通じる道理がないんだ。

「私小説」という言葉が出るたびに思ってたが、あんたらいったいいつの哲学勉強してるんだ?
現代思想をなんも知らんのだな。
現実が私的である以上、分析を続けていく論理も私的にならざるを得ない。
哲学ゴーストが持ち上げられたのは、19世紀までの話だよ。
958考える名無しさん:2005/09/14(水) 14:00:35
何が言いたいのかというと、哲学ゴーストにならないように、もっと現実を分析したら?
「現実の分析」の結果が哲学なんであって、「分析結果報告書」の体裁で構文したからって
哲学にはならないんだよ。
といってもニヒリズムの外部にいる人間が、それをできるわけがないけども。
959考える名無しさん:2005/09/14(水) 14:07:29
分別の時代じゃこう書くと選民思想だ、と非難がありそうなので先に反論しておくと、
人間同士がわかりあえないのは当たり前のことだから
少しもそうじゃないから。
イラつくくらいなら来なきゃいいのに、って思うよ。あんた哲学に何を求めてんの?って話。
自分への賛同意見求めてもはじまらないよ。
960wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/14(水) 15:15:00
>>957
<現実が私的である以上、分析を続けていく論理も私的にならざるを得ない。>

現実は、「私的」になんかなりえていない。
権力とマスメディアと経済的勝ち組等による意識誘導の結果、私的領域はどんどん狭まっているよ。
だから、例えば、この状況に対し"non"と言える論理なりを構築していく営為主体にもなりえるのが、ニヒリストの強みなんだよ。
ニヒリストは、もともと、既成価値一般などは、感性的にであるにせよ、否定し終わっているのだから、能天気刹那的近視眼的楽観主義者よりも、いいポジションにいると思うよ。
961考える名無しさん:2005/09/14(水) 15:21:36
>>960
たぶん昨今の「自分らしさ」「個性」とかはその反動なんだろうな。
世界の全体主義化が始まったのか。
>現実は、「私的」になんかなりえていない。
たぶんそうだね。
ニヒリスト以外があなたのいう「能天気刹那的近視眼的楽観主義者」わけではないと思うが、
年をくってからニヒリズムに陥る人がどんどん増えるんでしょうね。
962wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/14(水) 15:29:09
>>961
世界の「米国ドメスティックなグローバリズムに基づく価値感による世界全体主義化」ですね。
人間の意識は、99.9%が下部構造の生産現場/経済活動に規定されるとして、
例え0.1%にすぎないとしても、上部構想としての「私的領域(私小説的時空)」が最後の砦ですから。
この例えでいけば、ニヒリズム等は、当然に非生産的なものとして排他されます。
そうではないよ、という営為主体であることがニヒリストのミッションではないかと。
963考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:19:00
>>962
お前にとっては私的領域は宗教そのものだな
964考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:20:47
>963
お前にとっては私的領域は皆無だな
965考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:23:06
>>963
コピペやテキスト等に書いてあること以外のことを自分の言葉で書いてからいえや
966考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:27:51
>964
>965
私的領域なんて幻想だろ
そんなもんあるわけねえだろ
967wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/14(水) 16:31:11
>966
確かに幻想かもしれない。
しかし、「無い」とは断定できない。
もちろん、「有る」とも断定できない。
但し、ニヒリズムが、「私的領域」抜きには語れないことだけは確か。
968963:2005/09/14(水) 16:33:14
じゃあニヒリズムがあるかないかもわかんねえのかw
ちなみに即興で言ったんだが、どんなコピペやテキストに書いてあんのさ
969考える名無しさん:2005/09/14(水) 16:48:06
だだのニヒリズムを批判することでニヒリズムを脱出しようとしてる奴らはだまってな。
で、私的領域が上部構造としてニヒリズムがそこにいるとも限らないんじゃないかな。
もしかしたら、下部構造の下の最下部構造でくすぶってるかもしれんぞ。
そうだとしたら営為主体ととることにしか社会的価値がないということだ。
営為主体になるすれば0.1%のうちどのくらいが営為主体となれるのか。
おそらく0.1%のうちの0.001%くらいならいい方だろう。
それだけが生産的として賞賛を得ることができるかもしれない。
970wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/14(水) 19:32:42
>969
<私的領域が上部構造としてニヒリズムがそこにいるとも限らないんじゃないかな。>

哀しきかな、下部構造に「私的領域」が入りこむ隙は、「一般的には」無い。

<もしかしたら、下部構造の下の最下部構造でくすぶってるかもしれんぞ。>

認識のプロトコルでいえば、ニヒリズムは、物理層の直感辺りから、統覚/悟性/理性まで貫通している。

<営為主体ととることにしか社会的価値がないということだ。>

だから、生産/経済活動に物理的/時間的に99.9%補足されているニヒリスト一般にとって、もし何らかの営為ができるとすれば、残りの0.1%しか余地が無い。
これで何ができるのか?
おそらくは何もできやしない。

ではどうするか?
たとえそれが幻想であっても、belong to nothing、
即ち、すべての既成価値/観念/感性等から追放される/追放するのがニヒリズムの出発点であり且つ定義であるとすれば、
生産/経済活動の領域においても、belong to nothingであると自分で割り切れる/妥協できる地平を構築するしかないね。

もちろん難しいよ。経済的に。しかし、そのくらいしか、今のところ、解は無い、と思っている。
971ポコチンクレイマー:2005/09/14(水) 19:52:08
「引きこもりはつらい」シリーズのスレは
なくなったんですか?
972考える名無しさん:2005/09/14(水) 20:31:18
引きこもりと、ニヒリズムとは、まったく関係ありませんので、
別スレをお探しになることを、お奨めいたします。
973考える名無しさん:2005/09/14(水) 22:05:09
非常に初歩的な質問ですいませんが、「ニヒリズム」の反対語は何でしょうか。
辞書的には、どうも適当な言葉がないような気がするのですが。
日本人は「ニヒリズム」と「ペシミズム(悲観主義)」を混同している人が多いので、
反対語は「オプティミズム(楽観主義)」だという雰囲気もありますが、
これは明白な誤解だと思います。
反対語がない、という事実が、「ニヒリズム」の他と比較し難い
独特の位置を示しているような気がします。
974解体屋:2005/09/14(水) 22:10:26
おお、このスレもまもなく終了ですね。
「蛍の光」が聞こえてくるようです。

 結論としては、ニヒリズムもニヒリストもこの世には存在しなかったから、
克服するまでもなかった、ってことでしょうか。

 よって「慣用句としてのニヒリズム、その克服(藁」と次スレを立てる
 誰も乗ってこなそうだがw
 ま、言葉はすべて慣用句と言えますから。

 そういう自覚があれば、「私的領域」うんぬんが問題になることもないと思うしね
975解体屋:2005/09/14(水) 22:14:51
>973

「存在」

でどうでしょう。
976考える名無しさん:2005/09/14(水) 22:19:56
>>973
パルメニデス
977考える名無しさん:2005/09/14(水) 22:26:37
>>97
ニヒリズムを破壊者(主義)と捕らえて、

ニヒリズム=超現実主義・・・

その反語といういみで、

妥協主義、盲目的建設主義、実存主義、

978考える名無しさん:2005/09/14(水) 23:29:13
>>973
ニヒリズム=虚無主義、とするなら、
漢字的にいうと「虚⇔実」「無⇔有(存在)」で、やっぱり
「実有主義」「実存主義」か。「充溢主義」もいいか。
979考える名無しさん:2005/09/15(木) 06:19:59
プラッグマティズムじゃねーの?
980wisteria-1 ◆w6bR1QqEtU :2005/09/15(木) 11:30:46
>>973
ニヒリズムのアンチノムは、「能天気刹那的近視眼的楽観 非本質的無私 被流社会之皮相」無意識主義
981考える名無しさん:2005/09/15(木) 13:58:35
>>「能天気刹那的近視眼的楽観 非本質的無私 被流社会之皮相」無意識主義
きのうより長くなったね。
982考える名無しさん:2005/09/15(木) 22:25:05
イタイ造語

ああ恥ずかしい
983考える名無しさん:2005/09/15(木) 22:55:18
考えたんだから、いいじゃないか。
誹謗するより、100倍まし。
984考える名無しさん:2005/09/16(金) 16:32:55
うーん、それなら「ニヒリスト」より
「感情論否定主義」の方が適切。

985wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/16(金) 18:01:51
>984
確かに、ニヒリストは、常に醒めていて(一生、心の底から笑えない)、感性、論理とも、基調がモノトーンのきらいはある。
感性に関し、例えば、ばら色の夕焼けを見て、無心に、美しい、これが永遠に続けば、なんていう感傷からも無縁だからね。
しかし、これは、「感情論否定主義」とは違う。
このアントニムは、「理性/論理至上主義」になってしまうから。

だから、前にも書いたけど、ニヒリズムの認識のプロトコルは、「物理層の直感辺りから、統覚/悟性/理性まで貫通している」のだから、
感性/直感の層だけでは、語れない。
且つ、なにかに対する否定、というものでもない。

誰かが、「実存」と書いていたけど、既成価値一般を全否定した地平から、
自分の私的領域でもって世界/人間存在のありようを再構築していくプロセスである、というのには、外部からの現象としては近似しているかもしれない。
でも、実存の場合は、もっとアグレッシブなものであり、ニヒリズムとは本質的に共有する部分は無いと思う。

難しいね。
ニヒリズムを定義づけるのは。
アントニムを挙げてみると、よけいに、その難しさがわかる。
その難しさの要因として、ニヒリズムが「私的領域」に関与しなければ語れない、という点があることは間違いないと思う。

こう書くと、ニヒリズムは、結局は、「主義」ではなく、それゆえ、今まで、哲学のターゲットとして正面から切り込めてこなかった領域なのかもしれない。

一点、誤解を解いておく必要はあると思う。
ニヒリズムは、どのように揶揄、批判されても、成熟し深く沈降したニヒリズムは、決してネガティブななにものかではなく、
something new, something elseを構築/再構築する母体たりえるものである、という矜持を持てるだけの基本的姿勢の1つたりえるものだよ。

いずれにせよ、もっともっと議論が必要だよね。





986考える名無しさん:2005/09/16(金) 18:37:05
>>985

それは、ニーチェが編み出した「ニヒリズム」からはまた離れたものですね。
なにか「ニヒリズム」=一種の安眠枕と言った観を受けます。
987考える名無しさん:2005/09/16(金) 18:39:57
結局、遠回しのコミュニケーションではないですかね。
それを肯定的に受け止めるか受け止めないかの違いで。

個人のある独特の感情の流れと言う自己主張を、
正当化すると言う行為なのでは?

988考える名無しさん:2005/09/16(金) 18:41:16
美学。それを説教的に表に出そうと、隠そうと。
989考える名無しさん:2005/09/16(金) 18:42:51
美学に戦いあり。
990考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:21:33
>986
<ニーチェが編み出した「ニヒリズム」>

「神」という絶対超越者を否定することと、前スレで書いた「既成価値一般を全否定」することとは、
ほぼ同義のつもりです。

神の否定は、ニーチェよりも、フォイエルバッハ等の方が、弁証法の駆使により、
よほど鮮明にやりきっていますし、キルケゴールも内的な弁証法により、神のいない世界に到達していますよ。

もし、ニヒリズムを、絶対的/超越的存在(西欧における神)の否定、という狭義でとらえるならば、
そのニヒリズムは、一方ではマルクス、一方では、サルトル等により、既に克服されてますよ。

ここで書こうとしているのは、現在、どこでも、いつでも、誰にでも、なんらかの要因により現出してくるニヒリズムの現象をどう捉え、どう対処していけるかを書いているつもりです。
991考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:26:42
992考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:37:58
それなんて漫画?
993考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:53:52
不幸を克服するためのニヒリズム
wisteriaのそれ。
994考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:56:00
Q ニヒリズムの概念をつくったロシアの小説とは何でしょう?
995考える名無しさん:2005/09/16(金) 20:58:16
ニヒリズム克服したら、なんかいいことあるんかいな?
7レスで表現せよ。
996考える名無しさん:2005/09/16(金) 21:17:12
>>995
あるはずないべ
997解体屋:2005/09/16(金) 21:17:40
>990
もし、ニヒリズムを、絶対的/超越的存在(西欧における神)の否定、という狭義でとらえるならば、
そのニヒリズムは、一方ではマルクス、一方では、サルトル等により、既に克服されてますよ。



信じられない恥ずかしい言葉だなあ。
もちろんジョークだよね?
998wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/16(金) 22:07:02
>997
自分で考えて書いていることだから、何も恥ずかしくない。
解体屋さん、誤謬があれば、どんどん、ご指摘ください。
999考える名無しさん:2005/09/16(金) 22:09:44
誤読も恥ずかしくないのさ

1000
1000wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/16(金) 22:10:26
>>993
<不幸を克服するためのニヒリズム>

ニヒリズムは、幸福、不幸という、それこそ曖昧な尺度で定義づけられるものではない。
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