キルケゴールだけどなにか質問ある?

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1考える名無しさん
質問に答えます。
2考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:40:33
キルケゴールてどんな人?
3考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:41:05
なぜ、レギーネ・オルセンとの婚約を一方的に破棄したのか?
4kierkegaard:2005/05/05(木) 22:42:52
>>2 1813-1855 コペンハーゲンのダンディー。

>>3 いろいろあったのです。
5考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:55:16
なにぃ〜〜〜。それでは答えになっとらん!!!
6kierkegaard:2005/05/05(木) 22:57:55
んじゃ答えますが、レギーネがセックスしようって言ったのが
きっかけです。私はそういうのはいやだったんです。
7考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:59:59
セックスがいやなら、最初から婚約なんかするなよな。
それとも女のほうから言い出すのが嫌って意味か?
そういうのって、どういうのだ?
8kierkegaard:2005/05/05(木) 23:00:48
わたしは結婚もしていないのにそういうことをするのが
いやだったのです。女性というのは信じられないものです。
9考える名無しさん:2005/05/05(木) 23:03:35
レギーネが婚前交渉をせまったってホントかね? ありぇねえ〜〜と思うな。
レギーネだって、結婚する前にそんなことしたくなかった、と思うがねぇ。
10kierkegaard:2005/05/05(木) 23:03:48
ちなみに今日は私の誕生日ですのでスレを立てました。
11kierkegaard:2005/05/05(木) 23:05:36
わたしの時代には女性が性欲を持つなんてことは
秘密だったのです。というか、そういうのはそういう商売のひとだけが
持つもので、良家の子女はそういうのはないはずだったのです。

12考える名無しさん:2005/05/05(木) 23:09:43
ところが、レギーネは良家の子女風じゃなかった、と言うんだろ。
そしてそんなレギーネが嫌だったと。
やけに俗物っぽいキルケだね。
13kierkegaard:2005/05/05(木) 23:11:32
いや、良家の子女だろうがなんだろうが女はそういうものなのですが、
生きてたころの私はそういうことを認められなかったのです。

わたしが40歳近くになったときは女性解放運動家なんてものが出てきて
ずいぶん奔放にふるまっていて不愉快でした。
14考える名無しさん:2005/05/05(木) 23:19:56
>>1
イタコですか?
15考える名無しさん:2005/05/05(木) 23:43:56
絶望について教えてください(><)
16考える名無しさん:2005/05/05(木) 23:44:17
当時のジャーナリズムに嫌われて、風刺漫画の登場人物にされたりして
さんざんからかわれたそうだな? 何がきっかけ?
17kierkegaard:2005/05/05(木) 23:44:39
>>15
絶望のなにが知りたいですか?

18kierkegaard:2005/05/05(木) 23:49:38
>>16

ちょっと複雑なんですが、
もと同級生が匿名で私の本の書評を書いて、レギーネの件でいやなことを
ほのめかしたので、
報復に私がその実名を明らかにしたのです。彼はそれで大学教員になれませんでした。

ついでにそいつが関係している新聞に喧嘩を売って、
いろんな文化人が諷刺されているからぜひ私も新聞に載りたいと書いたのです。

その結果があれです。
19ぴかぁ〜:2005/05/05(木) 23:53:00
おやおや、また例の方ですかな。
20考える名無しさん:2005/05/06(金) 00:07:11
ほう。その話だとみずから望んで風刺漫画のモデルになった、と
聞こえるが、そういう事かい?
21考える名無しさん:2005/05/06(金) 00:49:43
キルケゴールは墓へ戻ったか?
22考える名無しさん:2005/05/06(金) 01:03:21
日付変わりましたしね。
23考える名無しさん:2005/05/06(金) 01:57:41
キルケゴールは早寝早起きなんだね。
24考える名無しさん:2005/05/06(金) 02:37:45
あなたの著作をすべて教えてください。
ひとつひとつ
25キルケくん:2005/05/06(金) 02:52:35
わたしの最初の著作は5歳のときに書いた絵本「ペーターと眠るヒツジ」
だった。今思えば、この著作にはわたしのすべてがあった。が、すでに
散逸して現存しないのは残念な限り。

次の著作は、5歳のときに隣の家のハンナと共著した「キルケくん診療
カルテ:ハンナちゃん」であった。細部へのわたしのこだわりが存分に
発揮され、後の哲学者としての基盤を築いた一冊だったが、ハンナの母親
がこれを発見して大騒動となった挙げ句に、焚書処分にあってしまった。
言論弾圧の痛みを思い知った点でも、重要な著作だったのであり、現存
しないのがこれまた惜しまれる。特にハンナの……いややめておこう。

(つづく)
26考える名無しさん:2005/05/06(金) 08:12:15
その調子でガンガレ
27考える名無しさん:2005/05/06(金) 16:38:43
「死に至る病」について教えてください。
28考える名無しさん:2005/05/06(金) 17:10:46
絶望
29wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 18:08:37
絶望に絶望する絶望の後、あなたは、どこに救いを求めたのですか?
30考える名無しさん:2005/05/06(金) 18:14:17
アドルノの批判(美的なるものの構成)についてどう思われますか?
31wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 18:46:45
>29
確か、何かに向かって、跳躍されたと認識しておりますが。
321:2005/05/06(金) 19:08:51
>30 アドルノは文章が難しいのでよくわかりません。簡単に説明してもらえませんか?

>>29 「絶望に絶望する絶望」ということは書いたことがありません。
「自己であろうと欲する絶望」のことかな?絶望は罪だということがわかりました。

>>27
なにを教えればいいですか? 絶望は死に至る病であり、それは罪です。


331:2005/05/06(金) 19:10:20
>>31 跳躍したりするのは中期ぐらいまでなので、
後期の絶望の話となると神と人間との深淵を自覚するぐらいしかしょうがないのでは
ないでしょうか。ただし最も遠くにいる者が最も近くにいるのかもしれません。
341:2005/05/06(金) 19:11:35
>>20
そういう解釈もできるかと思います。
私はとにかく文学者として有名になりたかったのです。新聞「コルサール」では
有名人が皆とりあげられ揶揄されていたので、私も少しチヤホヤしてほしかったのです。

35wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 19:19:39
>32
「死に至る病」の中で、あなたは絶望の弁証法を展開されました。
そこで、「絶望に絶望する絶望」という、絶望の究極のありようをしたためておられました。
「自己であろうと欲する絶望」というようなものではありませんでした。
そこに、あなたの思考の凄さを見たのです。
思い出していただけませんでしょうか。
361:2005/05/06(金) 19:23:43
ああ、「自己の罪について絶望する罪」とか「罪のゆるしに対して絶望する罪」
とかのことを言ってますね。


あそこは自分でもよく書けていると思います。
ただし、あれはとりあえず「絶望についての絶望」ではなく「罪についての絶望」です。


371:2005/05/06(金) 19:24:18

ちなみに翻訳は桝田啓三郎君のを使ってください。
斎藤信二君のはだめです。
38wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 19:29:57
>36
その展開の後で、あなたは、まだもう一歩、絶望の弁証法を展開されておられました。
その領域においては、既に、「罪についての絶望」ではなく、絶望自体に絶望する地平まで
あなたはわけいっていたと思います。
39考える名無しさん:2005/05/06(金) 19:35:56
アドルノは簡単に言うと

宗教にいたる実存的態度は内向きのベクトルの元に構成されており、自己の精神の安静、自己満足的な美の享受のみが目的となる

貴方がゲリラ的戦闘を仕掛けたヘーゲル弁証法に置いても、結局は全体の理に対しての個人の無力を認め、一切の社会批判への有効性を失った行いは、放置を容認する試みである
401:2005/05/06(金) 19:47:56
>>38
そこのところはおそらく解釈難しくて、
まあおおざっぱな理解では「絶望について絶望する」でもよさそうなもんですが、
とりあえず絶望と罪とは概念的に別のものです。

で、「絶望に絶望」するするためには「絶望が罪である」ことを自覚しないと
ならないわけです。だから「絶望に絶望する罪」という表現じゃなくて
「罪について絶望する罪」「ゆるしに対して絶望する罪」という表現になる。

ここらへんあまりにもキリスト教くさくて、他の文化圏の人間が読むと
「罪」とか抜きにして考えたくなるかもしれませんけどね。
411:2005/05/06(金) 19:49:37
難しいなあ。ちょっと本を探してみます。
421:2005/05/06(金) 19:55:29
あ、 >>41>>39に対してです。
哲学はこまかい論証のつみかさねが重要なんで、よく見てみないと
ならんですよね。
アドルノがどの程度まじめにキルケゴール読んでたのかってのは微妙なところ。
あれくらいオリジナルな人だと対象は自分が言いたいことを言うためのネタにすぎないんで。
若書きの博論だし。
43考える名無しさん:2005/05/06(金) 19:57:48
上のほうで書いてる「kierkegaard」さんとか「キルケくん」さんとかも1さんですか?

あ、単なる質問ですので。
441:2005/05/06(金) 19:59:47
キルケくんは1ではありません。「眠るヒツジ」も「ハンナちゃん」もおもしろそうだ・・・
45wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:04:13
>40
キリスト教において罪は確かに絶望の原点となります。
そして、あなたは、確かにそこから出発して、絶望を弁証法により、
どんどん内的に止揚していかれました。
その過程において、あなたは、「○○に対する絶望」から、
絶望していることに対する絶望、という前人未踏の内的(心的)領域にまで踏み込まれていきました。
そこに、キリスト教から思考力を駆使して離れていく思考のダイナミズムをみたのです。
さて、そこに至りついたあなたは、もはや「罪」に対する絶望を語る地平にいたのではなく、
絶望している内的な心理現象の最中にまで立ち至ったのです。
そして、神を母体とする精神風土で育ったあなたが、そこに見たものは、おそらく凄惨な
心的現象だったのだと思います。

何も無い。
あれだけa prioriにあなたの精神の中に存在していた神がいない。

そこで、あなたは耐えられなかった。
そして、必死の跳躍を試みられたのです。

さて、何に向かって?
46wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:12:36
おそらく、神も育たぬ野蛮な日本の精神風土では、
神の前の人間の罪の意識等、本当には理解できないかもしれません。
でも、あなたは、勇猛果敢にも、内的な営為かもしれませんが、絶望の果てを目指して、
思考を推し進められたのではなかったでしょうか。
私の知りたいのは、その荒涼とした心的現象の中でのあなたの苦悩(おそらく日本人一般には理解しがたいほどの)
と、そこにいたたまれなかった実存者としてのあなたの、次に行った跳躍の方向の先に何があったのか、です。
471:2005/05/06(金) 20:14:52
うーん、そういう解釈はのちのサルトルとかヤスパースとかドストエフスキーとか
大江健三郎とかそういう人びとの影響を受けすぎてるんじゃないでしょうか。

「飛躍」があるべきってのは中期の『哲学的断片への結びの学問外れな後書』とかの立場で、
あれは宗教的じゃない人が書いたことになってるのでキルケゴール本人の立場とは
直接にはとりにくいです。

『死に至る病』の著者(アンチクリマクス)だったら、
「飛躍しろ」じゃなくてとにかく「絶望しろ」ってことなんだと思いますよ。
『キリスト教の修練』『愛のわざ』とかも書いていることは意外に普通で、
「地道に努力」のように読めるところもあるし。

実生活の私は日誌群を読むかぎりちゃんとジャンプしているようには見えないですな。
実生活では絶望してまわりの人を憎みながらアル中で死んだようですよ。

48wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:17:49
これは私の解釈です。
あなたは、最後の最後になって、絶望の極みから、
それまでの緻密な弁証法を捨て、跳躍により、神の救いを求められたのです。
時代の制約でしょうか?

あるいはヘーゲルのような外に開かれた思考領域ではなく、最初から精神の内部に
向かっていったあなたの観念的営為の限界だったのでしょうか。

神を認識できない日本人ごときにはわからない、といわれれば、それまでですけど。
491:2005/05/06(金) 20:20:14

まあキルケゴール本人がどう生きたかというのと
キルケゴールが何を書いたかは別なわけです。

で、『死に至る病』がキリスト教弁神論のようなものになっているかというと
ぜんぜんそういうものにはなっていなくて、むしろ『死に至る病』読んで
教会やキリスト教そのものを捨てちゃうひともけっこういたらしいし。

キルケゴール本人がどうだったかというと、どうも正統的なキリスト教からは
ずいぶん離れたところにたどりついてしまったようだし。

まあ150年も離れたぜんぜん文化の違う社会に住んでいる人は勝手にすきなことを
考えてみるのはよいことだと思います。
501:2005/05/06(金) 20:24:52
>>48

うーん、ちょっとずれちゃうけど、
わたしキルケゴールは自分のことを(教壇)哲学者とも宗教者とも見てなくて、
むしろ文筆家というか著作家というか物書きというか、そういうものと見てたんですよね。


> 神を認識できない日本人ごときにはわからない、といわれれば、それまでですけど。

ああいうタイプの神さんは同時代の同じ社会に住んでいるひとも
よくわからかなったようです。
51wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:26:01
まあ、私の解釈では、少なくとも、その後の「実存」の概念まで最初に辿り着き、
その凄惨な心的現象を見てしまった最初の人間があなただったということです。
そして、あなたの時代では、まだ、戻りえた神がいた。
いってしまえば、ループなのですが、そのわっかの大きさに、どぎもを抜かれたのは確かです。
521:2005/05/06(金) 20:32:29
>>51
そうですね。人生にはペンペン草1本生えていないことを発見した
最初のひとりです。

実は当時はもう本気でキリスト教的な神さま信じているひとなんかあんまりいなかったんすよ。
すでに単なる慣習とか、現代日本の人にとっての葬式仏教のようなレベルに落ちてて。
でもそれに気づいているひとはあんまりいなかったのでそれを指摘したわけです。

で、わたしキルケゴールがそういうことを書かなきゃならなかったのはなぜか、と考えると
自分が自覚することよりは
社会の他の人びとを覚醒させるとかそういうのを目指していたわけで、
そういう意味ではむしろ外向きの関心によってたと言えるんじゃないかな。

53wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:41:09
ま、一度は通過しなければならなかった営為ということでしょうか。
「外向き」、というと、ヘーゲル等とはかなり違っていて、
あくまでも、精神内部への切り込みだったのだと思います。
それを限界といっているのではなく、神から本当に切り裂かれた世界に首を突っ込んだ人間の
いたたまれなさを文章に定着させえたことは、ものすごい偉業だとは思います。

今の時代においても、何がしかの予定調和を希求している人間の性からみて、
それを一度は離れようとした営為だからです。
54wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/05/06(金) 20:52:56
あなたに比べ、例えばフォイエルバッハ等は、余裕で、神が人間の観念の産物だ、と
割り切って本質論に拘泥できた。
そういう意味で、あなたは、やはり先駆者なのですよ。
55考える名無しさん:2005/05/07(土) 01:29:09
もう何もない

 《完》
56通りすがりの常識人:2005/05/08(日) 13:27:01
お〜い。
キルケゴ〜ルさ〜ん。
もうおしまいにしちゃうの?
もう少し、粘ってよ〜。
57考える名無しさん:2005/05/08(日) 15:00:03
桝田啓三郎氏ってご存命ですか?
581:2005/05/08(日) 16:22:41
>>57
死んでます。
59考える名無しさん:2005/05/11(水) 09:36:45
そう言えば、キルケゴールの日記読んでないな。
60考える名無しさん:2005/05/11(水) 23:40:21
>>1
何でここにいるの?
死んだんじゃなかっtうわ何をするやmあqwせdrftgyれぎーねlp;@:「
61考える名無しさん:2005/06/05(日) 11:41:29
橋○淳先生はどうして女好きなんですか?
62倉庫行救済者:2005/06/19(日) 06:10:44
 
63考える名無しさん:2005/06/19(日) 06:12:35
キリスト教信者だったらしいけど、最後は
信じずとも助ける神なきや?
って言って死んだんだよね(プ
64考える名無しさん:2005/07/14(木) 06:43:22
1 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/07/14(木) 05:35:15 ID:/u+8u9TZ0 ?#
 アドラーが遺した劣等感の概念は多くの問題を解決し、人々に希望を与えた。
現代でいう「劣等感」とは、他人と比べて自分が劣っていると感じるものだが、彼のオリジナルの概念とは
少し違っている。理想の自分に対して現実の自分が追いついて
いない、という不足感がアドラーのいう劣等感である。
他人とではなく、自分と比較するのである。現実の自分がいくら努力し成長しようが
理想の自分像はいつも絶対的に上にある。
一生かかっても実現不可能な架空の自分像に対して、現実の自分が劣っていると
感じるのが「劣等感」であって、それは完璧な自己への欲求から来るものだ。

わかったか?劣等感はネガティブな意味じゃないんだよ^^
65考える名無しさん:2005/08/05(金) 00:11:06
どのようなものが不安なのですか?
66考える名無しさん:2005/08/05(金) 19:29:47
>65
ま、一言でいえば、「不条理」。
67考える名無しさん:2005/08/06(土) 13:42:31
死に至る病の冒頭の文の意味がわかりません。わかるように
説明してください
68考える名無しさん:2005/08/06(土) 23:47:16
 「ドラゴンボール」で出てくる「スカウター」
あの原理を教えてください。
 また、同じような理屈で頭の良さや人の良さを見れるスカウターは作れないのでしょうか?
69考える名無しさん:2005/08/07(日) 04:19:00
>>67
> 死に至る病の冒頭の文の意味がわかりません。わかるように
> 説明してください

あれはわからんので、そのあとの「絶望の諸形態」から
読みはじめるとよい。冒頭のはそれを書くためのたんなる装置だと思う。

>>65
不安そのものはあなたが感じる「不安」でよい。
不条理とは関係ないと思う。
70考える名無しさん:2005/08/21(日) 03:53:54
「死に至る病とは絶望のことである」っていうのは、
絶望することがあると、免疫力が低下しガンになったりして死に至るっていう意味ですよね?
71考える名無しさん:2005/08/22(月) 23:13:27
>>70
も前さん、読書感想文を本編読まないで書くタイプだったね?
72考える名無しさん:2005/08/25(木) 14:00:31
この病は死に至らず。
しかしラザロは死んだ!なぜだ!
73考える名無しさん:2005/08/27(土) 00:51:58
なぜだ!?
74考える名無しさん:2005/09/02(金) 01:06:49
死に至る病だとおもったけど、最初に、

精神は、関係である。ってあって、関係の関係とか、いってるんですが、(うろ覚えだけど)
これどう読めばいいんですか?

おねがいします。
75wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/04(火) 20:28:55
>74
例えば、自分は罪をおかしたという意識と、
罪をおかす前の自分との間には、当然、乖離が生じる。
我思う故に我有り、のワンフレーズで人間の存在を規定できたコギトの時代から、
近代以降、自分のアイデンティティの所在が自己解体を経て、
「本質的な自己」というものを無条件には措呈できなくなっている。
そこで、自分自身というものを定義づけしようとする場合、
例えば冒頭の「罪以前(自己の本質)」と「罪以降」の自分との関係自体の中にしか、自分自身を規定できなくなってきている。
キルケゴールの弁証法は、天才ゆえに、かなり粗っぽく、
「死に至る病」等の冒頭でギブアップする人が多いけど、前記の自己解体された複数の自分の関係自体が自分自身である、というところにしか、
自分のアイデンティティを見出せなくなっていることは、今更、書く必要も無いほど、現在では、ごくごく自然な、自分というもののありようだと思います。
サルトルの「対自意識」にせよ、こういう地平から出発しています。
76考えたい名無しさん:2005/10/06(木) 19:44:22
『死に至る病』の冒頭でギブアップしていた一人でっす。
>75
そういうことだったの? 関係の関係が関係する…っていう文を解読しようと三日くらい頑張ったけどだめだった。原書でよまないとだめなのか、とか思っていましたよ。でも英語やないんよね。
もう一回日本語で読んでみようっと。
ありがとう。
とりあえず諸形態からは読んでみます。
77考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:07:50
絶望の種類がいっぱいあるようですね。
絶望なんてないんだよってこととなると仏教に
いきつくと思うわけなんですが、結局神を信じなさい
ということがいいたいわけなんですよね。
78考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:20:06
絶望の様態を論じるとその深淵を際限なく無限に覗く事になり神へとたどり着くのです。
79考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:35:35
>>78
神にたどり着かないと救済されないんでつか?
80考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:32:17
 1855年11月11日、厳冬のコペンハーゲンで、キルケゴールは、短い
42年の苦闘の生涯に終わりを告げ、静かに息を引き取った。

「牧師の敵」と罵られた戦いの人は、人生を完全に生き抜いた人のように、
穏やかな微笑を浮かべて横たわっていた。
 
81考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:39:09
 神学研究をやめ、「私にとっての真理」を見い出す決心をし、
自己を探究し、文学と哲学の世界に足を踏み入れたキルケゴールの生活は、乱れていく。
家を飛び出し、放蕩生活をくり返し、精神的にも、肉体的にも荒廃していく。
彼がどのような放蕩生活をしたのか、今となっては知る由もない。
82考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:48:08
キルケゴールは7人兄弟の末っ子であったが、22歳までに
5人の兄姉と母親を失った。
83考える名無しさん
3年近くの日々が無為に過ぎ、この間、キルケゴールが何を考えていたのか、知る由もない、
1838年3月、キルケゴール25歳の時、唯一人、彼の才能を認め、支持し、彼もまた尊敬して
止まなかったコペンハーゲン大学のポ−ル・メラー教授が死去し、彼は唯一の師を失なった。
メラ−教授は、放蕩生活を続けるキルケゴールを心配し、才能と蹶起にはやるキルケゴールに客観的
思考の方法を教えた人であった。
学問においても、人生においても、師と仰ぎ、信頼を寄せていた人を失ったのだった。
その1ヶ月後の8月8日、キルケゴールが立ち返ろうとした父ミカエルもついに帰らぬ人
となった。
彼は一切を失い、いくべき場所を全く失ってしまった。