1 :
考える名無しさん:
栗本の新刊が出た。新刊がでるとは思ってなかった。
これを陰謀史観のトンデモだと切り捨てるのはたやすい。
彼は法とは異なる価値観をもつ人々が共同体のなかにいるとき
勝者の価値観を確定させるものだと言っていたと思う。
法や公的に流布する通説とはなにかを問題にしてきた。
彼の言説は公的には確認されてないという批判は無効だ。
彼は一貫して公的に確認された事象は問題にしてない。
公的に確認された言説による暗黙知の抑圧に抗してきた。
確かに彼はアインシュタインのように公的な言説のパラダイム
シフトを起こすことはできなかった。彼がやった最大の仕事は
「意味と生命」で暗黙知の認識論、存在論の地平を切り開いた
ことだろう。方法論は手にした。しかしそれを用いてまったく新たな
認識を公的なものにまで高めることはできなかった。それは後継者が
なすべき仕事だ。彼は後継者を得て死ぬことはないだろう。俺もまったく
話にならん1ファンにすぎん。「パンツを脱いだサル」は実質的な遺作
なのだろうか。パンツを意識的にはいているユダヤ人について語ってるが
悪魔をみつけたという話ではない。人間のパンツについてもっとも知悉し
意識的にコントロールできる連中に、地球が任せられるかという話だ。
本書で素直に闇というものに敗北してきたことを認めている。
学生運動時の大衆への愛だろう。コントロールされるな覚醒しろっていう。
偽史、異説のレベルを踏み越えた暗黙知の開放が見たい。でも後継の仕事
だよな。人間の知性の外部としてのウィルスを主題とした生命論がみたかった
なあ。
================== 終 了 ==================
開始
( ) ジブンヲ
( )
| |
ヽ('A`)ノ トキハナツ!
( )
ノω|
__[警]
( ) ('A`)
( )Vノ )
| | | |
5 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 19:38:41
{ ヽ、 テ彡⌒ ⌒} ノ |
| } 丶 . .,,___ノ、ノ/{ i
今回、『パンツを捨てるサル』の新版を出版しなかったのは
京大伊勢氏の『快感進化論』現代書館
に譲ったからかと見てますが如何
いつか
ウイルス快感進化
太陽黒点景気変動
光脳共鳴
等の合わせ技による
自然科学系の完結編を読んでみたい
とずっと思ってました。
8 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 21:22:51
栗本さんはビジョナリーですね。
9 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 21:39:37
ミミズとクリミラー以来、全然ホームページが更新されないなあ。
10 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 21:43:06
私、栗本大好きです。
でも十数年前よりは少し賢くなったので本を読もうとは思いません。
がんばってね。
本屋で見かけたら、立ち読みで
まえがきとあとがきくらい
流し読みしてあげたら?
12 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 21:54:41
アインシュタインは実験と観測がついてきたけど
13 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 22:11:59
意味と生命の続編・・・無理かな
14 :
10:2005/05/01(日) 22:22:06
>>11 立ち読みしたよ。
栗本の新刊ということで、脳内ホルモンがドバッと出た。
それくらい、私は栗本が好きだったのです。
意味と生命の最後の数行で示唆してたのが
パンツを捨てるサル
縄文式頭脳革命
幻想としての文明
だと思ってました。
がまとまりが悪いなぁ、と思ってたら
ニューサイエンスやら小沢一郎やらで
ありゃりゃ
と思ってたのが90年代
自由大学の各講義録は良かったが幅を広げただけ
脳梗塞後はミミズ酵素
弟子っぽかった大和雅之が真面目な理系研究者になっちゃって
あらあら、と眺めてたら自由大学生徒の伊勢さんが
快感進化論出しちゃった。
そのまえがきとかで示唆してたのが今回の
パンツを脱いだサル
でホントに出たんだぁ、と読んでみるとまとめ方や視点以外の各事実が
昔、朝生で激論交わしてた広瀬隆に酷似。
と思ったんで
>>7 みたいなこと書いてみました。
意味と生命は上記著作群では続編としては不十分なので、
続編そのものが無理なら増補改訂新版でも出版しないかな。
16 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 22:38:02
俺は栗本慎一郎を読むのを止めてから、栗本法子様の大ファン
になったんだが。
17 :
10:2005/05/01(日) 22:39:51
「脱いだサル」読んだ人はめぼしい論点を書いてくれればありがたいのですが。
難しいよ
20 :
考える名無しさん:2005/05/01(日) 23:23:41
ユダヤ人はパンツを穿いて生まれてくるのか?
21 :
10:2005/05/01(日) 23:26:02
>>20 それじゃ割礼するとき不便だから、穿くのはその後でないの。
伸びるから無理でしょ
24 :
考える名無しさん:2005/05/02(月) 00:17:21
どうかな?
25 :
考える名無しさん:2005/05/02(月) 00:20:20
栗本節健在か。安心した。
26 :
10:2005/05/02(月) 00:55:43
>>19のリンクをよく読んでみたが、やっぱり馬鹿馬鹿しい。買わない。
私も
>>19のリンク読んでから買ったけど、また違った印象だったな
ライアル・ワトソンとかアーサー・ケストラーとかチャネリングに興味を持つ人が
陰謀史観にはまるというのはよくわからない。
そんなつまらない妄想ふくらませるより考えなくてはならないことがたくさん
あるでしょうに。
良く読むと、陰謀史観が根拠としかねない構造があるが
それ自体を問題にはせず、その発生原因や
構造が持つパワーへの注意喚起がメインであると思われます。
で対処方法については後進に任せる形をとっている。
これは名著『パンツを捨てるサル』のまえがきでの感動的ですらある主張と
同じことを自らの限界を認めつち改めて記述しているのです。
宮台某等とは比較するのも失礼な
次元の高い知的誠実さのある思想家としての
告白と捉えるべきでしょう。
この辺のニュアンスは他人の紹介文からは読み取れない
ところ。
またこのような部分がわざわざ同書を購入した理由でもあります。
30 :
169:2005/05/02(月) 03:54:13
> ライアル・ワトソンとかアーサー・ケストラーとかチャネリングに
>興味を持つ人が陰謀史観にはまるというのはよくわからない。
ワトソンも消すとラーも、特にチャネリングは、オカルトでしょ。何か
普通の人にはわからないものが世の中操ってるという発想だから、
陰謀史観そのもの。当然のなりゆきです。
まあ陰謀史観もニューサイエンスもオカルトの類だが、
そうとられないように、本文では注意してると思う。
オカルト全開?の
金魚某の頃よりは冷静かと思われますが。
オカルトは、人間でないものが世の中を動かしているという発想で、個人的には考慮
に値すると思っている。
陰謀史観は、特定の人間集団が世の中を動かしているという発想。馬鹿馬鹿しいと感じる。
オカルトというか、トンデモ系の話を扱う栗本さんの姿勢は評価するよ。
面白いから。
人間を突き動かす力の実体はまだ解明されていないけど、いろいろアイデアは浮かぶ。
俺は天才じゃないし長生きしないから、アイデアは出しておくけど科学的検証は後世の
人に頼むよ、って面白いじゃん。
34 :
考える名無しさん:2005/05/02(月) 21:23:23
「意味と生命」p.173「いかなる角度から言っても成功を
求めて研究に従事した野心家などではなかったポランニーが
、科学の世界におけるわからず屋どもに対し「発見」して
見せつけるという次元での戦闘を挑まずに(中略)、自分の
発見を支えた本性とそれを阻害しようとした流れの角逐の
解明によってより根本的な解決の道を示そうとしたことは
よく分かる。」
ポランニーの人生後期の仕事ははマルクス主義などの用具化
された思想に固執し暗黙知を開放し得ない者たちがなぜ世の
中の主流であり、生き生きした暗黙知の潜入の働きが阻害
されているのかを明らかにしようとした。
栗本においてもそうなのだろう。「パンツを脱いだサル」
p.162あたりで詳述されているように日本のマスコミの情報
処理能力の低さ、大衆のミスリードはあたかも意図的にされて
いると疑わせるものとなっている。日本人の総白痴化に栗本は
抗しているのだ。90年ごろの著作でも情報がますますクローズド
となっていき勝ち組と負け組みがはっきりする格差社会がやって
くるようなことを予言していたと思う。ユダヤ人に関する本書の
部分も本来はクローズドな情報を公開している意味があると思う。
ブタペストのユダヤ人社会に「潜入」したからこそ見えてくる部分
もあるのだろう。栗本のこの青さが好きだ。世の中は公正でないと
いけないと本気で思ってるから。俺も含めてクローズドな情報網に
加わる機会のない人間が大衆というものだ。学歴など瑣末であろう。
クローズドな情報を握ってる人間が大衆をコントロールすることに
本気で怒っている。青い。いい。
35 :
10:2005/05/02(月) 23:47:07
買いました。
おめでとう^^;
37 :
考える名無しさん:2005/05/03(火) 21:19:06
栗本に強烈に惹きつけられた人間の一部は、彼が人間の
外部の存在が人間を規定しているのかもしれないという
という主張に彼の日本の知識人のなかでの唯一性を感じて
いたのではないか。今回の「パンツを脱いだサル」では
「パンツを捨てるサル」からの理論的後退?が見られる
ようだ。「パンツを捨てるサル」では人間の理性が歴史を
動かしていたのではなく、快感をセットしているパンツが
歴史を動かしてきたとしている。(これは「パンツを脱いだ
サル」でも変わりない。)しかしそのパンツにウィルスという
外部が介入しているという視点は封印されたように見える。
「パンツを脱いだサル」p.133において「それでも身体は変化
し続けているが、過去にダナキルで起こったようなことは、もう
起こらない。ならば我々は、その身体を前提にして生きるしか
ないではないか。」とある。「パンツを捨てるサル」ではあたかも
ウィルスの人間の進化への介入による大転換が近いとの煽りがあった。
「意味と生命」p303で「またXが例えば一つの巨大で抑圧的な生命体
であるとでもいう、一見、およそ暗い牢獄に閉じ込められたヒトなる
存在の性格が確認されたとしても(文学者たちは勝手にそうしている)
、そう確認されたら確認されたからこそ初めて可能になる人格的(パー
ソナル)な参加の道が逆に開かれ得る。」とある。層の理論における
人間の精神の上層たる場の力をXといっているが、このころの栗本は
外部の力、場の力に対しての関心を集中している。ディックや半村良
への関心もそこへ繋がっていたはずだ。「パンツを脱いだサル」では
場の力、外部の力を主題とはしていない。人間の精神の上層への注目
ではなく、人間同士の間でユダヤ人が比較的にパンツに意識的である
がゆえに現実でのパワーを持っているという人間の精神の層に注目した
ものになっている。栗本にウィルスから「まだ俺らは温泉で保養して
いるよ。」と挨拶があったかどうかは分からんが。
外部、境界の思想家としての栗本に強烈に惹かれていた自分としては
残念な気がする。
栗本さんはディックのヴァリス三部作を意識してるんだろか。
至極真っ当な事を言っているのに、急に変な方向に突っ走る・・と栗本評を
小浜いつおが書いてた。栗本さんのを読んでると、ディックの薄気味悪い妖気
と似たものを感じて気分が重くなってくる。
39 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 13:25:30
真の外部は神(悪魔?)であると思う。
ウイルスとか太陽黒点とかは、無理に因果的説明をしようとして
出てきたものだと思う。
40 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 13:28:47
私はオカルト好きです。
41 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 13:50:47
しかし「世界一の強国であるところのアメリカが、なぜかイスラエルの肩ばかり
持つ」ってことは事実だし、これは無視するわけには行かないだろう。
42 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 15:54:30
「しかし、いっぽうで、現代の非行少年や暴走族がやたら近代的な
道具をカッコよく使いたがったり、テレビに出たがったり、アホな
ファッション雑誌に踊らされたりする姿は、深層の知どころか、別の
かたちでの外知への屈服であるとしか言いようがない。」「パンツを
はいたサル」p.210。科学とオカルティズムの関係も科学からの非行
がオカルティズムなのであろう。しかしオカルティズム的な欲望こそ
真の科学者たちの欲望なのではないか。アインシュタイン的な欲望、
「世界の法則はシンプルな方程式の形であたえられなくてはいけない。」
などというものは、非アジア的、非アフリカ的いいかえれば西欧特有の
欲望ではないだろうか。真の科学者を突き動かす欲望は途方もないものだ。
新しい科学が創発する瞬間は美しい。しかし科学が創発し、形態が形成されて
それが一つの用具として、(学者の飯の種として)使われるようになったとき
創発の欲望は忘れ去られ、学者の地位を保守するために使われるようになる
というのはいいすぎか。栗本が援用してきた理論は、一つ一つは学会でそれ
なりの地位をえているものだろう。少数説もあるだろうが。しかし栗本のよう
にそれらすべてを総合的に理解しようという途方もない欲望をもつ学者はごく
少数だ。「意味と生命」p.9「正常であることへ戻る欲望(a desire
to go back to normal)と彼が表現したのは、分野ごとに分散化された科学の
諸理論をabnormalと見なし、人間は何故思考するのかという問題の根源に
立ち戻ることを自らに課したことを反映するものであった。」
栗本の超領域的な欲望が正常な欲望であるとされる日は来るのであろうか。
44 :
考える名無しさん:2005/05/04(水) 19:21:19
『シリウスの都 飛鳥』って本が出るみたいですね(『パンツを脱いだサル』11ページ)。
クリシンの書いたSF短編ものを読んだ記憶があるけど、なかなか面白かったな。
頭が痛くなるような脱線自爆ギャグがまったく無くて。
あれは良かった。
46 :
考える名無しさん:2005/05/05(木) 13:24:30
>>44 縄文式〜の続編的要素を勝ってに期待しているのですが
全然違った内容ならこれまた面白いのですが
47 :
考える名無しさん:2005/05/06(金) 19:30:59
しかし、どう考えたって、ユングのほうがよっぽどオカルトなのに、
ユングは学問の世界においても認められてるんだよなぁ。
カリスマ性が違う
ルーシーインザスカイウィズダイヤモンドの頭文字がLSDだったなんて!
まともな人間には、ただの言葉遊びとしか思えない、こんな些細な事実から、ユダヤの陰謀に思い至るなんて、暗黙知のお告げを電波受信している先生はやはり凡人とは違うと痛感しました。
と、書いた瞬間、僕にも暗黙知が囁きかけました。脳に快楽物質がドバーと放出されます。
ビートルズの詩がサブリミナルだとしたら、ルイスキャロルのアリスはサブリミナルの嵐じゃないですか。
健常者はまさかと思うかもしれませんが間違いありません。キャロルもまたユダヤの陰謀の手先だったのです?
確かに、アリスは売れすぎるほど売れた本です。世界中で翻訳されているし、英語圏では聖書の次に売れた本だと、聞いたような
記憶もあります。
おそらく、あの童話の名作は世界中の子供達にロリコンの芽を植え付けるための策謀だったのでしょう。そしてその成果は日本のオタク文化を見れば、成功だったことがわかります。
ただ、理解しがたいのは、ユダヤ資本がロリを増やして何か得があるのかということだけなのですが……
これは、後世の天才に託すべき課題なのでしょうか?
>>49 だめです。
栗本先生とあなたでは教養と知性が比較にならないし、話のおもしろさが違う。
あなたの話は、栗本先生が使う話の枕レベルで完結してる。
2ちゃんの縦読みも、クリシンに掛かればサブリミナルということになるんだろうなあ
52 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 16:53:48
オレの場合、サブリミナル云々ってのは、あんまり違和感を感じないんだわ。
たぶん、マインドコントロールに関する本を何冊も読んでたからなんだろうな。
tu-ka、誰でも相手のサブリミナルに働きかけようとしてるじゃん。成功してるか
失敗してるかは別として。他人をこういう風に誘導したいなあという意図なんて
誰でも持ってるじゃん。その意図に、度を超えた悪意があって度を越した利益誘導が
あったら指摘すべき。いや別にクリシンを擁護してるわけじゃないが、一般論として。
54 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 21:39:08
そもそもサブリミナルの研究って、どの程度のことが判ってるのかねぇ?
それから、ウィルソン・ブライアン・キイの『メディア・セックス』って、
学問の世界では、どんな評価を受けてるんだろうか?
まぁ、みんなから諸手をあげて支持されたりなんかはしてないだろうけど。
55 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 22:04:24
キイの本、じかに読んだ事ある?
少なくとも俺には信じられなかった。
こじつけと感じる。
いくらなんでも、エプシュタインがユダヤ人だから怪しいというのは、まずいだろう。
一番たちの悪いユダヤ陰謀説みたいに見える。
>>55 写真やイラストのあちらこちらに「SEX」「SEX」「SEX」って書いてあるんだよね。
ウ〜ン。
「ユダヤ人が裏でいろいろやってるんだ」っていう話が載ってたけど、これを読んで、
2ちゃんでよく見る「半島出身者・層化・童話・サヨ団体なんかが〜」っていう話と
同じようなものなのかなぁって思ったよ。
もっとも、いかんせんスケールがでかすぎて、中丸薫みたいになってるのは、激しく
アレなんだが…。
60 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 01:10:33
明日本屋に行くので見てみる。先生は副島隆彦化したのか。
情念ぶちまけ体の文章は昔から似てたけど。
どうでもいいが
このスレは哲学板の範疇なん?
クリシンの場合、途中から思想が変化したというわけでもない希ガスr
パンツをはいたサルのとか幻想としての経済の段階で既にオカルトめいたことを言ってたからな。
たぶん、ユダヤ陰謀説もずっと発表のタイミングを見てたんだろうね。
クリシンの場合は、本当は単純な陰謀説ではないんだけど、そこまでは読んでくれない(読めない)読者がいっぱい付いてるからね。というか、クリシンは意識してそういう読者を排除してない気もするし。
あと、ビートルズへのいちゃもん付けは、「お前らのせいで俺が命賭けてた学生運動があぼーんしちまったじゃねえか」という逆恨みめいて見えました。
63 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 05:29:13
ブライアンキイと言えば、続編で
メディアレイプ
って本もあって昔買いました。内容は忘れました。
こちらも批判されてるのかな。
栗本は全く言及してないですね、絶版みたいだけど。
マインドコントロールの可否より、大衆動員の意図を
問題視してる
ようには読めましたが。
64 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 22:41:00
ウィルス論に踏み込まなかったのは、栗本の言う国際金融資本は、
ひょっとして身体にとってのウィルスとしての暗喩を得てしまうからかも知れないね。
市場経済における国際金融資本を身体におけるウィルスと誤解されるのを避けた
かったのではあるまいか。
65 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 22:56:29
なんか今度の本には目新しさがなかったな
人間が水生のサルから進化したというのも
ユダヤが世界を影から操っているというのも
9・11がやらせというのも
サブリミナルも全部どこかで聞いたことがあるような話だった
しかもクリシンの得意の話術もいまいちさえない印象
いろんな要素を纏めてあっと驚く全体像を提示……本人はしているつもりなんだろうけど、正直あんまり驚けなかった。むしろ呆れることのほうが多かった
本当はもっとクリシンには理論的にやって欲しかった
というかクリシンは浅田彰の「構造と力」に対して理論的に反論する義務があったと思う
浅田のあの本は明らかにクリシンの理論を標的にしたものだった。サブタイトルの「記号論を超えて」というのは、光と闇の二元論を超えて
という意味だったはず
それに対してクリシンは明確な反論をなしえていないと思う
そして現在の日本の思想界では「終わりなき日常」「動物化」というのっぺりとした一元論が支配的というわけだ
まあ、浅田に言わせれば「とっくに決着が付いた問題」(中沢進一との対談での発言だったと記憶している)なんだろうけれどね。かつての栗本信者としては、もう少しがんばって欲しいわけだ
>>66 モヤモヤ感を的確に表現した意見だと思います。
しかし、すごいことを書けば「トンデモ」って言われて、加減して書くと「期待
はずれ」って言われるんだから、困ったもんだな。
まぁ、ファンからそれだけ期待をされてるって事なんだろうけど…。
話はちょっと変わるけど、最近、都内の大型書店に行って、二見書房の「バタイユ
著作集」を手にとって見たんだけど、帯のところに浅田彰氏の推薦文がついて
たんだよね。
で、バタイユを評価できるんなら、栗本先生のことだってそれなりに評価できる
んじゃないかと思ったんだが(もちろん、バタイユ=栗本先生ではないけど)、
どうなんでしょうね?
浅田のバタイユの帯の推薦文
うろ覚えだが
「ヘーゲルとニーチェの影響の下に云々」
というものではなかったかな(本当にうろ覚えなんで間違っていたらすまん)
浅田の場合は、もちろんバタイユに一応の評価を与えているわけだが
結局はヘーゲルの弁証法的思考から抜け切れなかった
凡庸さがあると思っているのだろう
それに対してクリシンは
バタイユをニーチェよりもニーチェ的と評価していたはず(鉄の処女)
つまり浅田が当時バタイユを論じていたこと自体
栗本のバタイユの読みに対する反論だったのだ、と思う
バタイユ本の帯で朝出しが推薦してたのは20年前から。
浅田のバタイユ評価については
構造と力を読めばすぐにわかる。
というか、目次を見れば一目瞭然。
「第二章 ダイアグラム―ヘーゲル/バタイユの呪縛から逃れ出るための」
って書いてあるからね。
浅田は、近代以前の社会においては栗本・バタイユの理論に
一定の有効性を認めているが、
資本主義が前面化した近代以降の社会においては
パンサル理論は通用しないと考えている。
この浅田の理論を気にしつつも栗本は、
現在まで本格的かつ有効な反論を展開できていない、と思う。
栗本は、パンサル理論は未だに有効だと言い張るばかりだ。
浅田彰氏の『構造と力』って読んだことがないから、今度読んでみますね。
でも、「パンサル理論は、近代以降の社会には通用しない」ってのは、おかしいと
思います。
たしかに先進国では人身御供みたいなものがあるわけはないけれども、ギャンブルや
ポルノ、無駄な性行為なんかはあるわけですしね。
また先進国では、わけの判らない犯罪、ノイローゼ、無気力なんかがあるわけですが、
これなんかは「人間の本性」を無理やりに押さえつけているってことが原因の1つでは
ないかと、私なんかには思えるのですが。
それから、浅田氏には『パンツをはいたサル』に匹敵するような、人間や社会に
関する包括的な議論ってあるんでしょうか?
私も、栗本氏の説に全面的に同意するわけではないのですが、しかし少なくとも、
検討に値する「たたき台」を提出できているようには思います。
>>72 あるジャン、「人身御供みたいなもの」なんて、いくらでも!
君には見えないのか?
…あ、そうか、ここは「先進国」なんかじゃなかったんだね!!
と、一人で自己ツッコミしてみるテスト。…孤独だ。
近代の収奪のイデオロギスト・・・浅田彰
本棚から「構造と力」をひっぱりだしてみた。見事なチャート式(反語?)
なまとめと美文であった。ユクスキュル、ボルグ、カイヨウ、バタイユ
などの論者のある種の反近代的知性の知見をまとめてしまい、それを近代
の中に去勢して位置づける。反近代的知性を総まとめしてしまう力技に
浅田の力量を感じてしまった。まあ浅田の時代的役割は「いろいろ反近代的な
ものもありますけど、それは問題ないんですよ。近代(貨幣)はすべてを
飲み込んでしまいますから。」という近代至上主義を確立させることにあった
のだろう。「資本となった貨幣はありとあらゆるものに化身しつつ世界を
自らの運動に巻き込んでいく。これは、あの過剰の問題に対する前代未聞の
解決である。」p.170「構造と力」。第六章「クラインの壷からリゾームへ」
では過剰、生命といったものは怖くない、すべて貨幣の運動に従うものだ。
といった主張がなされる。そして彼はマルクス、ニーチェをひきつつ絶えざる
批判の作業、つかず離れず、しらけつつのる、といった軽やかな戯れが可能で
あるといった楽観論でもって大衆を説得した。いまどき「俺はスキゾキッズだー。」
なんていったら、「馬鹿かお前。」で終わってしまう。しかし彼は貨幣の力
に飲み込まれることなく、相対的に自由な立場をとれるかのような楽観を
可能とした。すべての近代を揺るがすような力を去勢するイデオローグそれが
彼だったのだろう。
初期の栗本の表層に対し深層を対置するのは、わかりやすさを狙い意図的に
なされたものだ。「意味と生命」においてはすべては無限につらなる層の
問題であって、どの層に注目しているかだけが問題であるという立場である。
すべては生命論的に見られなければいけないというのが栗本の立場であって
近代というものも生命論的にはけっして人類の最終形態ではあるまいと相対化
されていたのであった。反近代といっても、近代、反近代の対立といった近視眼
ではなく生命論的な相対化の視点があった。
浅田にあっては生命論的な視点は皆無である。反近代的なものを「反動だ。」
と斬って捨てる刀捌きが読者の快感を呼んだだけだ。
同時代人としてお互いを気にはしていたが、立論の根底がまったく違うのだから
話がかみ合うはずもない。
「パンツを脱いだサル」においては皮肉にも貨幣の暴力が告発されている。
栗本的には貨幣の暴力が発動されるのは人類にとって生命論的にどのような
意味合いをもつのかという層への注目こそなされるべきなのだが、残念なことに
ユダヤ人という貨幣のプレイヤーへ注目するという層へ視点がいっている。
「意味と生命」はすばらしい著作であったなー。
浅田彰氏の「主著」って何になるんでしょうかね?
栗本スレで浅田の話ばかりするのもどうかと思うが、一応74氏反論しておこう。
浅田は近代至上主義者などではない。
僕は別に浅田信者というわけではない。
むしろかつては栗本信者であった。
現代の社会状況を見ると、光と闇の二元論よりは、一元論的な力の理論の方に分かあるように見えるが、百年後はわからないぞ、と思ってもいる。
そのことを最初に言っておこう。
浅田の「構造と力」はただの参考書、現代思想の流れを整理しただけ、と揶揄されもするし、本人も「チャート式」などと言っているが、もちろんそのようなレベルには留まっていない。
ここには浅田本来に思想が述べられている。
浅田はまず人間を本能が壊れた動物として規定している。
そして、人間以外の本能が壊れていない動物たちは、まさに浅田が言うところの「記号論」の世界に生きていると言っていい。
それは有徴/無徴という二元論的構図が完璧に作動している状態であり、これこそはまさにユクスキュルが描いた環境世界の姿である(しかし、ユクスキュルが反近代であろうか?)。
ここで重要なことは、浅田がピュシスと名づけるこの秩序構造においては、いわゆる差異、ズレが存在しないということである。
それは一種のユートピアでもあるだろう。
すべてが完璧に調和した世界!
だが、浅田に言わせれば、人間とはこのピュシスの秩序からどうしようもなくズレてしまう悲しい存在であるのだ。
そして、そのズレゆえに人間は、「ありとあらゆるサンス(意味=方向)の氾濫する多方向性=多義性の領域」(リゾーム)を生きざるを得ないのである。
そしてこのサンスの氾濫こそ浅田のいうカオス、過剰、力、なのである。
これが生命論でなくなんであるというのだろうか?
この「構造と力」第一章で提示されている浅田の議論の土台となる定義を理解しておけば、浅田が近代至上主義者などではないことは明らかだろう。
浅田にとっては前近代も近代も共に批判の対象なのだ。
前近代とは、このカオスを抑圧することで秩序を構築しようというものである。それは円錐のモデルによって示される。
浅田がヘーゲルに批判的であるのは、その理論が本来的にスタティックなものであるにもかかわらず、弁証法の詐術によって偽物の運動を演出するからに他ならない。
そして近代とは、このカオスの力を抑圧するのではなく、一定の方向へと流れるように管理することで秩序を維持しようという試みなのである。
「資本となった貨幣はありとあらゆるものに化身しつつ世界を 自らの運動に巻き込んでいく。これは、あの過剰の問題に対する前代未聞の 解決である。」
という言葉はこの近代の動的なシステムを表現したものである。
これはクラインの壷のモデルによって表される。
もちろん浅田はこの近代のシステムに批判的だ。しかし、これを一種のチャンスと捉えていることもまた事実である(この部分が近代至上主義的に見えるのであろうか?)。
それは、近代のシステムが文化的な抑圧から、カオスとしての力を解放したからである。
しかし、近代のシステムは力を本来のカオティックなもののまま野放しにしたりはしない。
それは力を一定の方向へと無限に駆り立てる。
浅田が目指しているのはこの近代の秩序からの逃走である。
「過剰、生命といったものは怖くない、すべて貨幣の運動に従うものだ」という74氏のまとめは少し違うと思います。
むしろ浅田の戦略は「資本となった貨幣」の運動という局面に集約されている力を、本来の多方向性=多義性へと解放するという、戦略である。これが浅田のいうポストモダンである。そしてこれを表すモデルはリゾームである。
「このスキゾプロセスの中ではじめて、差異は運動エネルギーの源泉として利用されることをやめ、差異として肯定され享受されることになる」(「構造と力」P227)
おそらく74氏はこのポストモダンの段階を読み落としているのではないか?
どうでもいいことだが、一応付け加えておけば、スキゾキッズという言葉が現在使って恥ずかしいものであるのは、流行語というものの宿命に過ぎない。
もちろんこの浅田の考えは楽観的すぎるだろう。というか、その後の歴史の展開がそれが楽観的に過ぎたことを証明している。
だが、それも浅田の理論の有効性を減じるものではないと思う。
「そして彼はマルクス、ニーチェをひきつつ絶えざる批判の作業、つかず離れず、しらけつつのる、といった軽やかな戯れが可能であるといった楽観論でもって大衆を説得した」
ここで忘れてはならないのは、浅田はそのように軽やかに戯れ続けることが、決して楽なことではなく(楽しいことではあると言っているが)実は困難極まりないものであると主張してやまないことである。
浅田は、「逃走論」で「電子の密室の中に蹲るナルシスとありとあらゆる方向に逃げ散っていくスキゾ・キッズ、ソフトな管理とスキゾ的逃走、そのいずれが優勢になるかは、まさに今このときにかかっているのである」と述べている。
そして、東浩紀あたりの最近の言動を見るに付け、この預言は最悪の方向で当たっているように見えるのである(この辺りが、僕が現代の社会の状況を見ると、浅田の理論の方に分があるように見える、と思う根拠の一つなのだ)。
浅田は確かに楽観的だった。しかし、それは生命や過剰を甘く見た、というよりも、大衆というものを買いかぶり過ぎていたというだけのことなのだ。少なくとも現状ではそう評価するのが妥当だ。
栗本と浅田の理論的戦いはまだ終わってなどいないと思う。というか、いまだはじまってすらいない。
いまや、浅田は書かない大先生になり、栗本はアカデミズムの世界からはまるで端から存在しなかったかのように遇されている(というのは少し言いすぎか)。
八十年代のこの二人の対立は、現代日本の歴史の上でとても重要なターニングポイントにおける思想的表現だったにも関わらずだ。
だからこそ、近代における貨幣の運動を主題とした今回の本で、栗本にはもっと理論的にやってもらいたかったのだ。こんな事実(と栗本が主張するもの)の羅列なんかではなく。
最後に一言。
『「パンツを脱いだサル」においては皮肉にも貨幣の暴力が告発されている。
栗本的には貨幣の暴力が発動されるのは人類にとって生命論的にどのような
意味合いをもつのかという層への注目こそなされるべきなのだが、残念なことに
ユダヤ人という貨幣のプレイヤーへ注目するという層へ視点がいっている。』
という見解には完全に同意です。この本を読んでいて感じるもやもや感を見事なまでに適切に表現されていると思います。
84 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 08:20:26
2人とも貨幣暴力論と生命論に繋がると。
そこで浅田さんは楽観的だった。スキゾなんて普通の人には無理なのに、と。
栗本さんは貨幣暴力論と生命論で浅田さんに期待していたが、
浅田さんは、とっくに回答済みだとして無視し、それ以後は沈黙したと。
だもんで、2人の読者は栗本さんにその先の議論を期待したんだけど、
栗本さんは生命論ともっと絡めて欲しかったなあ〜ということですか。
なるほどー。
愛のないものについて人が語るとき、下品なものいいとなったり
することがあると最初に言い訳しとく。
「構造と力」をちらっと読み直してみて浅田の目配りの良さに改めて
感心した。第一章「構造とその外部」において当時の現代思想界(なつかすぃ)
の外部、力に着目した思想を見事にまとめている。浅田には生命論がない
と書いたが生命論に関する本質的な関心がないということであって、当時の
生命、外部、力に着目した思想をまとめあげ去勢していく力はたいしたものだ。
浅田は外部、生命、原初といったものは遡行的に見出されたものであって、我々
は常にすでに近代の中にいるのであり、メルロポンティ、ユング、バタイユと
いった外部、生命、原初に信を置くものを幻想にまどろむものとして一刀両断
する。見事な手さばきである。栗本の超領域的な学説の狩猟の旅は、個別の
学説が近代すなわち要素還元主義により導かれたスクウェアな学説であろうと、
近代を揺さぶる力がありそうな学説の超領域的総合を企てる旅だったのであろう。
俺が現代思想を熱心にフォローしていたのは90年代ぐらいまでなので誤認も
あるだろうが、浅田はスキゾ的逃走という概念を事実上撤回しているのでは?
浅田は近代というシステムは強固なもので反近代的な事実や現象を言い立てて
みたところで無効であって、近代の超克は近代を徹底する以外にないという
ような趣旨のことを言ってた気がする。浅田が近代をむやみに礼賛している
わけではないのは勿論だ。そしてスキゾ的逃走という概念と近代の強固なシス
テムを対置することによって楽観的な物語をつむいだわけだ。
「お前僕の話を真に受けたの?」って浅田に言われそうだが。
そもそもスキゾ的逃走といった概念はガタリから来ているのだろうが、ガタリ
の概念を継承して進化させようとしている学者はいるのだろうか。
臨床から離れていない精神医学者でガタリの概念を自らの臨床のための学の
中軸にしているものはいるのだろうか。そういう潮流があれば不勉強でスマン。
栗本はポランニー兄弟にほれ込んで、一歩でも二歩でも彼らの仕事を乗り越え
ようと苦闘をしていたと思うが、浅田がドゥルーズ・ガタリの仕事の継承に
苦闘したことなどあるのだろうか。
役に立たない概念だったとわかれば、ただ捨て去ったようにみえる。
87 :
考える名無しさん:2005/05/15(日) 11:34:23
浅田はドゥルーズ・ガタリの継承というよりは柄谷というヤバイ兄貴に寄り添って
いったように見える。ちなみに俺は柄谷の「探求T」ぐらいまでしかフォローして
ないがあの著作はスキゾフレニックな感覚の横溢したヤバイものだった。
浅田の著作はまったくスキゾフレニックな感じはない。
逃走論以降の浅田は映画、美術といった高踏的な芸術の評論(美文だ)もしくは
田中康夫とのなんとか放談で、左翼的な気分で政治を評論することが多くなって
いる。?(他に理論的な仕事があったらスマン。)
知識人と大衆、前衛と後衛といった問題は昔、散々言われたのだろうが、浅田は
前衛的知識人の立場を崩していないのだろう。天皇崩御のときも天皇にひざまずく
のは土人だみたいな大衆に苛立つ前衛的知識人の姿があった。
栗本的にいえば真理というものは、もともと自分のなかにあるし、すべての人が
知りうるものであるが、それを阻害しているさまざまなものがあるということ
だろう。(前衛、後衛はない。)
東、宮台の議論はさすが現役の学者であるのでオタク、ブルセラ(古いかw)と
いったビビッドな日本の中の過剰に触れる議論となっている。
彼らも過剰に惹かれる感性があるのだが、社会制度設計、管理の問題に関心がシフト
しているようだ。
なんか散漫なおしゃべりになってしまったw。
現代思想ブームってあったなあ。
バブル崩壊後にオウム事件、保守思想人気で完全に終わったね。
懐かしのニューアカデミズム
ニュー・赤 とか素で思っちゃってるバカがいるよね。
栗本先生の本を読んでいて感じるのは、「人間&社会とは、どういうものか」ってことを
本気で考えているんだなってことですね。
栗本先生は、マルクス経済学を勉強したり、学生運動をやったりしてたわけだけれど、
文化大革命やポルポト派の大虐殺、また規模は小さいけれども、あさま山荘事件なんかが
あったりして、「人間は理屈で動いているわけではない」「すばらしい理想を語る人間が
とんでもないことをすることもあるんだ」ってことを痛感されたみたいですね。
で、バタイユやポランニー兄弟の理論や、動物行動学なんかに出会って、それらを
統合したり肉付けしたりして、経済活動、エロティシズム、そして大虐殺が発生する
理由までをも包括的に説明する理論を発表したのだと思います。
それにくらべて浅田彰氏の場合、有名な思想家の説をまとめる力量はすごいんだ
けれども、「人間&社会とは、どういうものか」ってことを本気で考えようっていう
意欲は、あんまり感じられないんですよね。
栗本に人間的な魅力を感じるというのはわかるんですよ。
それは、自分もそうだからわかる。
まあ、直にお会いしたことはないから
著作を通してのイメージなんだけど。
だけれど人間性と理論としての有効性は別物でしょ。
ところで、最近、東浩紀という人がいて華々しく活躍していますね。
このスレの住人が東の著作を読んでいるのかどうかはちょっとわかりませんけれど、この人の言っていることというのは、もう過剰も生命も怖くない、というかそんなものは近代人の錯覚だったんだよ、ということなんです。
たとえば、オタクは美少女キャラに欲情して、自慰をする。
栗本流に言えば、性というのは禁止と侵犯のダイナミズム、つまりはエロティシズムに関係するものですよね。
だけれども、東は、オタクがアニメのデフォルメされまくった幼女に興奮できるのは、ただの条件反射だというわけです。
美少女のキャラに萌えることは、パブロフの犬の実験のような
神経系の条件付けの問題に過ぎないと東は本気で主張しているんです。
そして、東の理論は結構支持されているし、
実際に、現代社会の説明としてそれなりに有効性がある。
これは、パンサル理論が普遍的だという栗本からみれば
まずいでしょう。
もちろん、栗本が東に理論的に応答する必要なんてありません。
理論家としての格が違いすぎるし、東自身栗本を意識しているわけでもないですしね。
だけれども、東によって思想的な表現をあたえられている、
この現代社会の現状というものへは、
栗本は理論的に応答すべきではないか、
と思うわけですよ。
表面上はのっぺりとした一元論に覆われつくしているようだが、
やはりこの社会においてもパンサル理論が人間を規定しているのだ
ということを栗本には示してもらいたかった。
栗本はひょっとしたら今回はまさにそういう本を書いたのだ、
というかもしれないけれど、
読者が期待していたのは「何故」「どのように」といった問いへの答え
であったのに、栗本はそれは「ユダヤ人」だと言ってしまったわけです。ユダヤ人というのは「誰が?」という問いへの答えでしょ。
それは先生、違うじゃないか、と思ってしまうわけです。
多くの人は、競争社会と長時間労働で疲れてるし面倒な事はやりたくないんですよ。
帰宅したら5分でも多く睡眠をとって体力温存、休みの日はゴロ寝。いつまでも
休日出勤と接待なんかしてないで、暇になったら自分の趣味の世界に没頭してみたい。
そういう感覚と合ってるんじゃないですかね。栗本さん的お通夜躁病の気分で体力が持つ
わけないし。哲学・思想の話とぜんぜん関係なくてすみません。
良くも悪くも競争が可能になった社会なんですよね
競争するためには、ある程度条件が揃わないとできませんから
それが「市場社会」ということなんでしょう。
栗本は二元論ではなく関係論的一元論だが
パンツを捨てるサルによると
現代の人間の脳は快感に敏感になっている。
そのために、過剰の蕩尽の仕方に変化が出ると
栗本は予測している。
もちろん「仕方」が変化しても、根本は変わらない(と栗本は言う)。
だが、これからの音楽やファッションは確実に変わるだろうとも栗本は
言っている。
それらは、より直接的快感に近づくだろうと、栗本は見ている。
この見方を踏まえるなら、東の言うような変化は
ウイルスがもたらした脳のレセプターの増加によるものと
考えられるかもしれない。
快感に対して敏感な脳は、もはや禁止により過剰を蓄える、
というステップをそれほど重視するまでもなく(もちろんこれまでに比
べればということだ)、それなりに十分な快感を味わうこともできる、
という可能性もある。
オタクは、ランナーズハイのように、萌えによってハイになっている
というわけだ
そう考えると辻褄はあう気する。
たとえばビートルズやサブリミナルについての
今回の本での関心もその辺りに関係するのではないか。
ビートルズのサウンド重視のポップスというのは、つまりは生理的快感
に直接に訴える音楽だし、
もちろん、わずかな刺激から大きな快感を得る脳は
サブリミナルメッセージにも敏感に反応するだろう。
そう考えると、ウイルス進化論の観点を今回まるっきり無視している
のが、惜しいと感じられる。
言葉や文化的装置を介在させることなく、生理的刺激のみで
快感を生み出そうとする音楽の流行。これは、ユダヤの陰謀などでは
なく、人間の脳の変化の兆しだったのではないか、という気がする。
>栗本は二元論ではなく関係論的一元論だが
栗本の関係論的一元論というのは認識論の話でしょう。
これはそういう原理的な認識論とは、少し違うフェーズの話です。
栗本は、共同体とか人間の行動原理というのは
常に日常と非日常の二元論になっていると言っています。
日常では過剰を溜め込み、
非日常の時空においてそれを一気に蕩尽する。
これが人間の基本的な行動原理であり、これは絶対に変わらない。
なぜ、この原理が絶対普遍であると言えるのかを、解説したのが、
パンツを脱いだサルの第一章で書かれていたことですね。
その方が生きるために都合が良かったので、そのような行動に快感
を感じるように進化してしまったのだ、ということです。
そして、パンツを捨てるサルで言われていたのは、
生物というのは快感に貪欲なものだというものでした。
過剰蕩尽という行動に快感が存在する以上、
人間が二元論的なシステムを捨てることはありえない、
というのが、栗本の言いたいことなのでしょう。
でも、現実の今のこの社会はそうなっているのか?
という疑問があるわけです。
>>95 文化現象は直線的じゃないからなあ。
癒し系ってありましたね、アンビエントミュージックなど。
虫の音や鳥のさえずりや小川のせせらぎの音を楽しむ心は昔からあったし、
特に日本人は虫の鳴き声を楽しんでた。
また、アニメのキャラに対して欲情するように人間が変化したのではなくて、
欲情を催す性的なキャラや記号ばかりを集めた性的なアニメ作品が増えたと
いうことでしょう。
これは美人のAV女優が増えたというのと構造的に変わらないんじゃないかな。
それに、アニメオタってランナーズハイなんですかね。
鬱に見えますけど。脳が快感を感じにくくなってるんじゃないかと。
ランナーズハイとは逆方向の、自己防御するために自己愛世界に自閉していってる
ような鬱状態じゃないですか。
文化現象は多層的で断続的だから、説明しようとしても反証らしきもの
が上がってしまうので理論に組み込むのは難しいんじゃないですかね。
で、個々の現象ではなく、全体的に見て言えることは、
この手の性的な商品や、生理的にダイレクトに刺激する作品が、小学生
にまで手軽に入手可能になった消費社会が到来したということ。
その消費社会を動かす資本の運動が過剰をどう処理してるかがテーマ
じゃないですか。
>>94 >>96 「関係論的一元論」っていうのは、栗本先生が「浅田彰論 命題なき練習問題」という
小論において、過剰-蕩尽理論を形容した言葉ですね。
> 先ずはたとえば、ピュシスとカオス、人間の存在的なEXCESがカオスとなる
> というT章の認識についてだが、それが浅田自身が批判している二元論に自ら
> 陥っているではないか。そして、浅田が(暗にあるいは明に)批判しようとして
> いる栗本理論は、ことのはじめから言うなれば、関係論的一元論である。
(『読書原論』263ページ)
それから栗本先生は『意味と生命』において、浅田氏に関して、次のように
書いてますね。
> 規則性や内部完結性へのパラノイアを前提にしてこそ、ゲーデルやエッシャーが
> 面白い問題になるのであった。西欧的な内部完結性への永遠のパラノイア!!
> グレゴリー・ベイトソンの分裂生成(シスモゲネシス)への一般の注目も似た視点
> から行なわれたことがある。つまり、スキゾを標榜するポスト構造主義は規則性への
> スピノザ=ライプニッツ的パラノイアの後産的産物である。浅田彰がスキゾを語る
> のを読むとき、それを意味づける基礎たるパラノイアに欠ける我々は「うむ、君たち、
> とにかくそうしたら」と曖昧につぶやくしかないのである。浅田はまるでスキゾでは
> ない。
(『意味と生命』45ページ)
最後に、これらは1980年代中ごろの文章であるということを申し添えておきます。
96が非常にまじめなのはわかるんだが、
それでもなお関係論的一元論というところで栗本的にはすべてを言い終わってると思う。
そのような中でも渦状はやはり蕩尽されていると思う。栗本の言い方はわかりにくいが。
みんな!もっとセックスをしよう
101 :
96:2005/05/18(水) 12:31:01
関係論的一元論というのは
ようするに暗黙知理論でしょう。
それが背後にあるかどうかというのはちょっと違うんではないかと。
要するに、これはどのレベルの層に焦点が当たっているかの問題です(暗黙知理論についても疑問があるのですが、
それはここでは横においておきます)。
ここで問題にしたいのは、社会と人間の行動を説明する原理として
二元論と一元論のどちらが有効かということですね。
前提にするシステム論が違っていても、このレベルでの議論の余地と
いうのはありえます。
栗本的には、一つの理論というのは、全体の中で考えなければ
いけないものですが、
同時に、その理論自体も細部の諸細目から見れば全体である。
栗本は、ここで栗本理論の総体の中で過剰蕩尽理論を語っている
わけですが、
僕が言っているのは、過剰蕩尽理論を、その細部を構成する諸細目
のレベルから実証できるか、ということです。
102 :
96:2005/05/18(水) 12:31:34
まず、疑問があるのは栗本が実例としてあげるものが、
非近代社会の研究に偏っているということです。
栗本がいうポトラッチや人身供犠というのは、非近代の習俗であり、
現代においては普通は行われていない。
栗本は、非近代社会の分析において、安易に近代主義的な見方を
持ち込むものとして機能主義的人類学を批判します。
そして、栗本は実際、非近代社会の分析においては
驚くほどに慎重です。しかし、その一方においては、
現代社会の中での行為のあれこれをむしろ無造作な仕草で
非近代の習俗のあれこれと結び付けてしまっている。
僕は、五十円玉を見て、ペニスを連想したことなどありませんが、
おそらくそれは大多数の人にとってそうなのではないでしょうか。
僕は貨幣のシンボリズムを否定しませんが、それを実証する仕草が結構ぞんざいなのではないか、と言いたいわけです。
これが妥当であったか、ということですね。
これは栗本が近代と言うものを甘く見ているのではないか、
と言うことでもあります。
栗本本人はもちろん違いますが、栗本の読者には、安直な
反近代主義にはまり込んだ人間も多いのではないでしょうか。
栗本は楽天的に反近代を肯定することで、近代というシステムに
耐えられない読者に、安心感を与えて、売れたと言う見方も
できる。もちろんこれは浅田への批判をひっくり返したものですが。
(誤解のないよう付け加えておきますが、僕には浅田への思い入れなどありません)
ここまでのことを踏まえたうえで、現代社会のもろもろの現象を諸細目
として含みこんだ理論として、過剰蕩尽理論の有効性を、
栗本は実証できているのか、というのが言いたいことなのです。
>>102 有孔銭は男性器を模したものという説は、貨幣はエロスや糞尿と関係があるという
考察や、子安貝の存在などを通じて出てきたものです。
また「仮説」であると断わっています。
> もうひとつの穴あき銭は何か。これこそは私がやや自信を持って世に問う
> 仮説だが、ペニスを正面から見た形なのである。
(『パンツをはいたサル』1981年版では88ページ、88年版では94ページ、
2005年版では80ページ)
> 従って淡水貝貨のイメージは、実は日本でいう「金精様」に当たるものであり、
> 性に関連したシンボルにその源たる形状があるというのが私の考える一つの仮説
> である。
(『幻想としての経済』所収「貨幣のエロティシズム」、角川文庫版では100ページ)
もっとも、『幻想としての経済』所収の「貨幣と人体」という論文には、有孔銭は
男性器を模したものという説は出てきますが、仮説とは断わっていませんね。
関係ないけどUFOって金が欲しくてしょうがない人が見た幻覚だと思う。
金貨は月か太陽か星のシンボルなんじゃないの。
硬貨に性的なものって感じないよ。惑星、恒星に感じる。
根拠は無いが、そんな宇宙的なものを硬貨には感じます。
DVDーRスピンドルケース50枚セットを4段重ねて見れば、ペニスに見えなくも
ないな。1枚1枚抜き取る作業はペニスを手で刺激するような動き・・・
でも、DVD-Rをペニスの輪切りに見る人はいないわけで、
昔の人の意識は、今の僕たちにはよく分かりません。
栗本さんは、近代の人間が前近代の習俗の真似をしても近代的思考からは
逃れられないと言っていたように思うので、どうでもいいですが。
過剰蕩尽理論は現代でも有効か・・・うーーーーん有効なんでしょうね栗本
さんの中では。
もう一度、栗本の浅田への再反論について考えてみました。
栗本の浅田に対する反論はそれ自体としては有効ですね。
栗本がいう関係論的一元論というのは、
>その二つ(聖と俗、過剰と蕩尽)の局面の対立、交代はそれ自体で
>要素の複合体として諸関係の中に相対的に安定しつつ、
>社会および人間の統合原理になっている。
と言うものです。
これは確かに浅田の「構造と力」でのまとめを超えていますね。
浅田の理解では、聖と俗の二元論というのは、
秩序とそこから零れ落ちるものとの弁証法でした。
たしかに、栗本の理論はこういうものではない。
浅田のモデルでは「光」こそがメインで「闇」とはそこから零れ落ちる
余り物に過ぎない、となっていた。実際、今村や山口あたりの理論は
このレベルです。
しかし、確かに栗本の理論はそういうものではないですね。
栗本の理論においては「闇」と「光」が同格の存在となっている。
どちらがメインと言うことでもない。
これが栗本の言いたいことだとすると、それはこの局面では正しい。
ただし、浅田が二元論の罠にはまっているというのは、おかしい。
浅田は最初から否定しさるつもりで二元論的モデルを立てていた
のだから。無茶苦茶に単純化して言うと、ピュシスとカオスの二元論
をデリダ的に脱構築してしまえばドゥルーズ的な平滑空間が開ける
というのが(当時の)浅田でしょう。
ただ、この栗本の反論の有効性を認めたところで、やっぱり
過剰蕩尽理論は正しかったのだ、とはなり難いんですね。
宮台、東と続くその後の思想の流れを見ると、間違いなく現代の日本
からは闇がどんどん消えていっている。そこを見ないと栗本はやばい
んじゃないか、と。
もっとも、栗本の過剰蕩尽理論というのは、宇宙全体をも超えて
すべてを貫く大原理であるので、たぶん栗本としては、個人レベル
とか日本一国レベルでは間違っているように見えることもありうる
と言うでしょう。実際、パンツを脱いだサルも地球レベルでの過剰と
蕩尽の話でした。
そうだとしても、現代日本の状況を無視するのはまずい
と思うんですね。
こういう言い方をすると栗本は違うと言うでしょうが、
暗黙知理論と言うのは、つまりは要素還元主義とホーリズムの間を
縫っていくような理論でしょう。
あるものAは、注目の仕方によって下位の諸要素の一つであったり
上位の原理であったりする。そういう揺れ動きを含めて栗本は理論を
作りたがっている。
しかし、実際には、栗本は、より上位の全体原理にばかりを
気にしていて結構足元が見えていないのではないか、という感じが
するんですね。
つまり栗本はホーリズムにちょっとばかり偏りすぎてるんじゃないだろうか、ということです。
上位層の原理から下位層の諸要素を完璧にはコントロールできない
っていうのが栗本さんの理論じゃないですか。だから上位の全体原理が
諸要素たる現実には効いて無い場合もある。そういう場合は、生命体
のアナロジーでいえば壊れかけている病気の状態なんじゃないですかね。
栗本さんによると近代は、病気や狂気の状態なのかな。
近代という病的な状態がずーっと続いてるので上位原理が働いてないという
考えなら、ああそうですかと。
闇のあり方は変わってるような気もするが消えてはないんじゃないの。
宮台、東については「幻想」がなくなりはしないが弱くなった際のヒトの
ふるまいとしてごくあたりまえのことをいっているだけとの印象。
「超絶する欲望」とかの延長線上で語れるような気がする。
>上位層の原理から下位層の諸要素を完璧にはコントロールできな
>いっていうのが栗本さんの理論じゃないですか。
これはその通りです。僕もそう書いたつもりです。
>だから上位の全体原理が
>諸要素たる現実には効いて無い場合もある。
これは違うと思います。この言い方だと理論は何の根拠もなく提出
されてよいものになってしまう。包括的全体としての理論の価値は
下位の諸細目をいかに位置づけるかにかかっている。上位原理の
コントロールを脱していく下位の諸細目は、包括的全体そのもの
を変化させるというのが、暗黙知のダイナミズムでしょう。台形の部屋
の実験を思い出してください。もちろん、逆に包括的全体に焦点を
あわせることで諸細目の位置づけが変化するという局面もあります。
>そういう場合は、生命体のアナロジーでいえば壊れかけている病
>気の状態なんじゃないですかね。
これは、つまり、諸細目としての現代社会を、病気の状態として上位原理の中に位置づけるということですね。こういう見方は確かにありえ
ますし、これが栗本の主張ですね。
だけれども僕はこれを病気とは思わないといっているわけです。
思想業界では近代批判というのが続いていたけど、最近は、成熟した社会とか
民度の高さとか、とりあえず近代社会を進めてみようじゃないかとする方向に
人気が向いてる。
いつまでも近代批判をして腐っていたって埒があかないじゃないか、と飽きて
きたのかもね。
そういう時代に、過剰蕩尽理論はどういう関係を持ってくるんだろうか。
それはぜひ知りたい。
>>109 「超絶する欲望」はどんな内容なんでしょうか?
>>109 >>111 「超絶する欲望」って、「ORGAN」第2号(1987年 現代書館)に載ってる
文章ですね。
113 :
110:2005/05/20(金) 22:59:31
>だから上位の全体原理が
>諸要素たる現実には効いて無い場合もある。
これについてもう少し考えたことがあるので書きますね。
栗本の過剰蕩尽理論というのは結局解釈の理論ですね。解釈の理
論という言い方が 適切かどうかはわからないですけれど。例えば、チベットの人々は過剰蕩尽理論を意識して生活をしていたわけではない。彼らはそれを宗教心からやっていたはずです。
人類学者なりなんなりが、それを観察して、「ああ、これは過剰と蕩尽
のリズムで社会を運営しているんだ」というわけです。
これが解釈の理論ということですね。
114 :
110:2005/05/20(金) 23:08:42
だから、現代社会が病気というとき、上位原理があちこちで機能不全を
起こしているのだ、と考えるのはまずいような気がします。まずいというか
そういう言い方をするまでもないということですね。
資本主義というのは要するに自転車操業で回っている原理ですね。
過剰と蕩尽、というか生産と消費を行き着く暇もないほどのサイクルで
回転させることで成り立っている。
生産する端から消費しているのだから過剰なんて溜まらないんだ、という
のが浅田でした。
でも、お金が過剰に余ってるじゃん、というのがパンツを脱いだサルの
主題でした。
115 :
110:2005/05/20(金) 23:30:02
過剰に溜め込まれているからには、たぶん一斉に蕩尽されるという局面
も栗本的にはあるのでしょうけれど、その辺は僕にはわかりません。経済
学に詳しい人は考えてみてください。
お金の他にあともう一つ現代社会においては人間が余っている。
たぶん、過剰蕩尽理論的に言えば、近代社会というのは過剰な人口を
溜め込みに溜め込み続けている社会ということになるでしょう。もちろん、
それはいつか一気に蕩尽するためです。
たぶん、栗本的には近代人は、自分でもそうとは気づかず、来るべき大殺戮に向けて淡々と準備を進めているのだ、という解釈になるんじゃないでしょうか。
まあ、証明のしようがない話ではありますが。
これはこれで面白い理論ではあるんです。
たしかに現実の一面を説明できてはいます。けれど、僕はこの解釈を取りたくないんですね。未開社会の原理としては全面的に認める
んですけれど。
以下に引用するのは、『加速する変容』(1991年 扶桑社)所収の石原慎太郎氏
との対談で、対談が行なわれたのは1989年の末ごろと思われます。
---
【石原】 ならば、なぜ構造主義というのは衰微していったんですか。
【栗本】 衰微しているとは思いません。それは単なる学界の噂だと私は思うん
ですよ。ポスト構造主義というのがいま非常に話題になってるんですけれども、
まあ十五年もやってると飽きるんですね。
結局、俗な言葉でいうと「いいタマ」が少ないんですよ。世界的にタマが少ない
んだと思っています。そうすると、十四、五年もすると、何か新しいことをいわない
と受けないということで始まったのが、ポスト構造主義なんですね。一時期はやった
ジル・ドゥルーズとか、フェリックス・ガタリとか、浅田彰とか、いずれも大した
もんじゃないんです。
エイズで死んでしまった有名な哲学者ミッシェル・フーコーという人がいるんです
けれども、このフーコーのいっていることを基本的には超えていないというふうに
思います。今年の学園祭では、ポスト構造主義批判をやってくれという注文が私の
ところへ殺到した。一つか二つかは行きましたけどね。そんなもので、ポスト構造
主義なんて、真剣な流れではないですね。現実は構造主義を深める方向でしか
進まないと思います。
(119〜120ページ)
117 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 00:54:30
週末カキコ。
宮台の「サイファ覚醒せよ!」と東、笠井の「動物化する世界の中で」
を本棚から取り出してみた。宮台は感性的には栗本と類縁性があるね。
社会学から出発している宮台はウェバー、デリュケムといった社会学の
オリジネーターが聖なるものの噴出をちゃんと意識しつつ理論を構築して
いることを認識し、自身も彼らの本懐を遂げたいみたいな感じじゃないかな。
聖なるものに触れてしまう自分の心性にもふれていてお祭り体質だっていってる。
またブルセラや援交といった小さな祭りにも身をもって潜入してるしね。
どっかで栗本が吉本に共感してしまうのは闇に潜む魔に攫われる体質にだって
いってたし。また左翼と右翼の区分がない点も似ているね。極右にして極左みたい
な。現実の政治に対する視点も戦後保守政治にあった戦略的対米追従と90年代以降?
の売国奴政治の違いへの意識も似ている。またマスコミの大衆操作に関する警告とかもね。
科学哲学に対する認識もあるにはある。社会システム論から汎システム論へのつながりへの
関心もある。まあ関心がある程度で弱い分野みたいだけど。
栗本みたいにすべてを生命現象として読み解くという視点はないけどね。
まあ後継者ではぜんぜんないけど栗本に対するつながりはありそうだね。
まったく言及したことはないだろうけど。
118 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 00:55:47
このスレででた浅田批判は「動物化する世界の中で」で言い尽くされているね。
微温的左翼性、マルクス主義の延命者としての浅田。差異の戯れなどといって
「早い資本主義」を翼賛してしまった浅田。
東の仕事は構造主義的かもしれない。オタクといった社会にとっての異物を了解可能な
存在とすること。その心理を内在的に了解するのではなく、データベース消費といった
概念でオタクというマーケットの構造分析をすること。昔は幼女に欲情するといったら
端的に異常者だよな。だがオタクとは生産、消費のマーケットであり排除の装置=片隅の
だが無視できぬマーケットなわけだ。オタクはマーケットであり一種の人間集団であるから
端的な狂気ではないわけだ。共同幻想といってもよいわけで、オタクという自己規定が
自分は狂気ではないかという恐怖からオタク自身を守るわけだ。タバコやライターをみて射精
できる人間はほぼいないわけでどんなにデフォルメされた幼女の画像でも「女で自分の思いどおり
になり自分にとってなにを置いても必要なものだ」という痛切な認識の揺らぎがあるわけだ。
テレビドラマでの恋愛の教育装置から共同幻想からどうしても抜けおちてしまう過剰な心性が
あるわけだ。
宮台も東も社会の底を抜けた存在を論じている。今の日本にとっての過剰であり異物な
わけだがシステム的には統合されている。ブルセラも援交もオタクも市場の問題であり
栗本が若かったら取り組んでいたかもしれないね。
栗本が相対幻論のなかで小林秀雄を論じて時代の公傷を担うものはそれだけで天才だ
みたいなこといってたと思うが宮台も東も時代の公傷を引き受ける感性があるね。
栗本に時代に潜入してくれというのは酷だろう。
119 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 00:57:32
このまえ本屋でシジェクの本をちょい立ち読みしてしまったがドゥルーズはマルチチュード
といった概念で反グローバリズムの理論的支柱として読まれているらしいね。ネグリも援用しているのかな。
ぜんぜん知らんし興味もないけど。基本的には「マルクスその可能性の中心」って
気分なんだろうね。現実にはソ連邦の惨状を引き起こしたマルクス主義だけど考え方
はよかったんだ、マルクスを救い出せっていう気分。
栗本的には根本的に誤っている考えなのだからマルクスを救い出すもクソもないってこと
だろうが。栗本は学生運動から出発しているからマルクスが根本的に誤っているので
救いようがないし有害極まりないことを突きつけるのも彼の重要な仕事だったのだろう。
日本の経済学部はマルクス経済学と近代経済学が主要な二部門であったらしね。
栗本はマル経に失望し、悔恨し近経にも満足できず未踏の経済人類学を学んだのだろう。
経済学=資本論でもなく経済学=市場論(市場の価格形成メカニズム)でもなく経済(人類)学
なんだよね。「人間の経済」とは互酬、再分配、市場であって市場主義社会が人類の進化論的
終末や最終到達点ではないという視点がある。なぜ人類学なのかといえばある人間集団が
その経済体制を選択しなければ、その経済体制がその社会に広まることはないという認識ね。
アフリカに市場主義が十分浸透しないのは馬鹿であったり、帝国主義の搾取があるからでは
なく集団の生理が市場主義を拒んでいるからということね。
120 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 00:58:11
そこで彼の二重文化論がでてくる。
市場経済が十分に浸透した社会は二重性を持ち、外部が内部に入り込んでいる社会だという仮説。
日本の場合は縄文文化と弥生文化の対立、西欧の場合は、外部がユダヤ人だったかな。
そこで人種的に分離され生理的反応が違うもの同士が同一の空間に共存する社会しか
市場主義化しない。市場主義とはある種の病だという視点。病を乗り越えてがんばった社会だ
という説ね。そこで市場主義社会とは人間に知性の進化発展によるすばらしい到達でも
なんでもなく外部としてのウィルスが単に人間に介入しただけだという示唆がされてきた
わけだ。「パンツを捨てるサル」の近代崩壊の示唆は人間の知性の発展により歴史の転換が
おこるのではない、人類とは全体従属的な細目にすぎないんだよという身もふたもなく、知性の
誇りもあったものでない話なわけだ。この視点が日本の知識人のなかで栗本を孤高の存在と
する理由だよね。宮台の絶望とは桁がちがう絶望なわけだ。
長文書いてちょい疲れたぜ。
>>117 機能主義者かつ思想家失格の宮台ごときと一緒にするなボケ。
脳味噌腐ってるだろ、お前
二度とくるなよ
121がこなければよいと思われ
124 :
質問です:2005/05/22(日) 02:28:39
過剰な嫉妬エネルギーを害毒の少ない方向性で蕩尽するにはどうしたらいいんでしょう?それこそが15年前に書かれた「パンツを捨てるサル」のテーマと現在の状況の重なる問題だと思いますが
125 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 02:31:36
縄文式頭脳革命読んで優秀になってもらう
ここで東の話をするのもなんだが、東は、オタクを過剰な異物だなん
て思ってないぞ。むしろ、東にとって、オタクとはポストモダンの典型
的なモデルケースなんだよ。
栗本が人間集団の生理に興味を持つのは、栗本のパラノ。
それのせいで栗本はオカルトを語らざるを得なくなる。
ウイルス、太陽黒点、シンクロニティ、サブリミナルというのは、
この辺りの関心だね。
まあ、そもそも暗黙知の大前提がオカルトだ。
認識論と存在論をいきなりイコールで結んでしまうんだから。
127 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 06:28:53
↑いまだにオカルト=インチキ宣伝をする人って・・・
128 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 07:01:21
栗本を理解出来るキャパの無いアホ
129 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 07:20:40
超おもろい
130 :
126:2005/05/22(日) 10:22:23
別にオカルト=インチキと言いたいわけではない。
むしろ、栗本の理論が構造的にオカルトを語らざるを得ないものであり、
そして、そうなってしまうのは栗本の理論がパラノの産物だから、
というのが言いたいことだ。
お前ら辺りを相手にこれ以上何かを言うのも面倒くさいのでやめとくけどね。
>>124 より害毒の少ない方向性で過剰を蕩尽する方法ならパンツを脱いだ
サルの最終章に箇条書きされているのを読めばわかる。
ただ、この栗本の提言は絶対にお勧めできない。
項目の16〜19辺りを読めば、勧められない理由は多分わかるはずだ。
わからなかったらもう栗本は読まない方がいいよ。たちの悪い宗教に
騙される素養を磨くことになるだけだから。
浅田の図式では栗本さんはパラノなんだな。
栗本さんを読むときには疑似科学的な領域とどう距離を取るかが
難しいところである。
また層の理論も、ちょっと単純化して強引に繋げてるいるように見える。
それを踏まえても期待してしまうのは、判官贔屓なんかな。
132 :
130:2005/05/22(日) 10:56:43
面倒くさいとは思ったが、なんか腹が立つのでちょっとだけ書いておく。あおりや釣りに抵抗できない自分の生理を呪いたくなるな。
栗本のパンサル理論というのは、人類の行動を全体的に説明する理論
だ。例えば、戦争が行われているとき、そこに参加している個々人は
過剰蕩尽理論なんて意識してはいないはずだ。たぶん、愛国心とか
勇気とか利害とかいうものを表面上は意識しているはずだ。しかし、
経済人類学者は、戦争を集団全体規模では過剰の蕩尽として解釈する。
すると、ここには説明すべき乖離が存在するわけだ。
個々の人間レベルでは勝手に動き回っているだけなのに、結果としては申し合わせたわけでもないのに、
共同体全体で統一された行動をとっている。あるいは個々の集団としては、勝手な理屈で動いているだけだが、人類全体としては、
過剰の蕩尽という行動をとっているということになる。
この個体と全体のギャップを説明できるか?というのは過剰蕩尽理論
弱点だろうと思う。栗本としては、ここを補強したいはずだ。
浅田に対して、ユングやエリアーデを排除して思想を構築できるかと
こだわってみせたのはこの辺りの問題意識だ。
この部分へのこだわりは本当に初期の著作から散見される。
パンツを捨てるサルで、科学の発達を待っていたというのは、ひとつ
にはこの辺りを説明できそうな理論を待っていたということだ。
こういうことは、わかっている人にはいまさらな当たり前のことだが、
わからない人が栗本を読むと、なんとなくオカルトで面白いじゃん、
程度で終わってしまう。こういう人は単純な反近代主義者になって
終わりだ。むしろ、栗本は読まない方がいい。ヘーゲルでも読んで
がちがちの近代主義者になってくれ。そのほうが害悪が少ないよ。
それを踏まえて、どうなのよ?っていうのに興味が集中するなあ
あおるつもりも釣るつもりも無いが、脱いだサルの最期の結論がエセ宗教的なのは同意だなぁ。
ただ過剰蕩尽理論を快感進化論に包摂して考えれば、特に不備はないな。
ダイエーやカネボウは潰れたくて潰れたんだって感じ
人類それ自体も規模が違い過ぎるがまあ一緒。
また今時浅田ごときに言及する輩は変な宗教は入らないかも知れんが、ものの理解レベルに障害があるよな。
あおりでも釣りでもなく。
解らない輩はやはりキャパ低すぎだな。
産経に書評キター!
http://www.sankei.co.jp/news/050522/boo018.htm 【書評】 『パンツを脱いだサル』 栗本慎一郎著
「裸」になって語る論争の書
『パンツをはいたサル』は一九八一年刊だった。続編『パンツを捨てるサル』が八九年。
そしてここに、完結編。一般に、脱いでから捨てるのが順序だが、著者によれば、
「(前著では)上着は捨てたが、下着は捨てきれなかった」そうだ。
裸になって語る。何を。「進化の根源」と「歴史の真実群」を−それは深くリンク
しているのだ、という。九九年脳梗塞(こうそく)で倒れ、生還した。その脳梗塞も、
「進化」と重大にかかわっている、と始まるのである。運びの軽妙さも全快を思わせる。
海生のほ乳類には脳梗塞などあり得ない。上陸して二足歩行したゆえにヒトが
抱えた、これは「進化上の不利」「退化」にほかならない。身体の欠損を補うために、
ヒトは「パンツ」をはいた。道具をはじめ、言語・民族・宗教・国家・貨幣といった
文化や制度だ。しかも「過剰を蕩尽(とうじん)する」ことの快−《快感》がセット
され、パンツを強化した、というのが「パン・サル理論」である。
木から下りてサバンナで直立したという主流の学説を退ける。「浅い海で直立
した」、場所もアフリカ「ダナキル地塁」と特定する。「パン・サル理論」を、
いつ・どこで・どのように、と具体的に可視的に論じるのが前段になる。おもしろい。
(
>>135 の続き)
後段は怖い。「真実群」として、9・11米国テロから、イスラエル問題、
ビートルズ、フジテレビ買収劇をも、「一筆で」ハダカにしていく。
自己増殖する貨幣。それが世界事象を引き起こし背後でうごめく「パンツの王」
だと著者は断じている。五千兆円もの資金が世界の市場を跳梁(ちょうりょう)する。
世界総生産は最大でも三千五百兆円だから、「格差」と対立をいやでもつくりださ
なければならない道理だ。それを「世界資金資本主義」と著者はよぶ。そしてそれを
コントロールする資金資本家の伏された源流へ、突進して切開する。
しだいに切迫した息づかいも聞こえる、論争の書である。(現代書館・二一〇〇円)
エディター 田中紘太郎
137 :
132:2005/05/22(日) 13:47:17
特に浅田に興味はないよ。浅田の名前を出しているのは八十年代への
敬意みたいなもの。あのころは、栗本さんも熱かった。いい時代でしょ(ごめん、本当はその頃の空気を直接には知らない世代です)。
ただ、ポスト構造主義は、栗本が言うみたいには簡単に否定できるものでもないよ、、とは思う。いまどき、ポスト構造主義なんてはずかしいというのは、思想としての流行が過ぎたからでしょ。そもそも思想に流行なんてないのに。
脱いだサルの最後が似非宗教的というのはその通りだけど、
それだけだとこんなに腹は立たないよ。ほんと、本を読んでて久しぶりに
本気で腹が立った内容だよ。アレは。
あそこで栗本が何を言ったかというと、人は完全には暴力を捨てられない
ということ。これはいいよ。事実だと思う。そのあと、栗本は、貨幣の
暴力に対しては最低限の暴力を認めよう、というわけ。
これは悪いけど栗本さん、気でも狂ったかと思った。しかも、そのあと
ヒトは組織を作り、行動隊を作ることが許されるだろう、というわけ。
許すなよ、そんなもん。神様にでもなったつもりかよ。
栗本自身が主張するヒトの本性(これは紛れもない真実だ)に照らせばやばすぎる主張だよ。
これって栗本が散々批判した大宗教やマルクス主義とどこが違うのさ。栗本信者は説明してみろよ。
他の過剰蕩尽的行動を一旦抑圧できたとしても、こんなことを許したらその行動隊とやらが見る間に肥大化するのは目に見えてるだろ。
同じことの繰り返しだよ。というかたぶん今より悪くなるよ。
「素直にして強靭な知性」
こんなものはどんなカルト教団の教祖にでもある(と信者は信じている)。
「何が真の敵かは真剣かつ科学的に検討されねばならない」
だから、マルクス主義者だって、検討したつもりなんだよ!
「資金資本家のグループとその仲間の学者に支配されるようでは
いけない」
脱いだサルを栗本サブリミナル的に深読みすれば、「ユダヤ人を攻撃しろ。俺が許す」というメッセージを発してるとしか思えない。多くの読者というものが、ああいう書き方をすれば「ああユダヤ人というのは
悪い奴なんだなあ」程度の感想しか持ち得ないことを知っていながら、最後に真の敵には暴力を許すと来たものだ。栗本さん、ひょっとして反ユダヤ陰謀組織から資金を提供されてますか?
138 :
132:2005/05/22(日) 13:48:53
要するに、俺が言いたかったのは、こういうことだったのだが、そこを
読み込めずに、「心を清くすれば結構簡単にパンツは脱げる」という
似非宗教の部分が気に入らなかったんだろうと言われると…(まあ
確かにそこは気に入らないが)
ああいう風に書けばみんなわかってくれると思った俺が馬鹿なのか。
ほんと、もうお前ら栗本読むなよ、怖いから。栗本がユダヤ殺せと言ったら殺すのかお前ら。
バタイユ読んでパリで人肉を喰うくらい可愛いもんだという気がしてきたぞ。
だから、栗本は注意深く読まないと単純な栗本信者と反近代主義者を作るだけだと俺があれほど言ったの(そんなの俺の周りの人間しか知らんわい!)
ああ、憤りに任せて感情的になってしまった。「まあ、もちつけ」と言われる前に
自分で落ち着きます。
本当は132の続きを書くつもりだったんだけど…
ところで、直立レッサーパンダかわいいね。
ああいうのを見ると、栗本理論は深いなあと本気で思う
かわいいよ、フウタ、かわいいよ
139 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 14:35:13
やはりキャパ不足だな。
もう書かんでええよ。
真の信者または理解者はそんなヘボな誤読などしない。
また一般人は対抗するパワーを持ったり、実際のパワーに気が付く機会すら無いから。
無意味。
これが誤読なら真実の読みを示してくれよ。
>一般人は対抗するパワーを持ったり、実際のパワーに気が付く機会す>ら無いから
じゃあ、なんでユダヤはあんなちんけなサブリミナルに凝ってるんだよ。
サブリミナルなんて仕掛け人自身がインチキ告白して終わりでしょ。
大体、俺がユダヤ人だったらジョンレノンの暗殺なんてしないぞ。そんなことをしたらレノンを殉教者にしてしまうだけ。キリスト磔刑の意味をユダヤ人が理解できないわけがないだろう。あれだけ迫害されてそれに
気づかないならユダヤ人はむしろあほだ。
メディア支配してるなら、
スキャンダルを流してつぶせば、終わりだよ。
とにかくキャパ不足の一般人にわかるように説明してくれよ。
141 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 15:02:03
確かに栗本の読みは難しい。栗本も「意味と生命」の結語にて述べている。
「私の経済人類学も紹介や導入を旨とせざるを得ない時期においては、、また
ある程度は意識的に明瞭さを目論んで、AはAでなくBなのであったという形で
記述を進めることもあった。もっとも勿論のことそうは言っても、確かに、バタイユ
やポランニーの理論における旧Aから新Bへの転換は疑いもなく革命的に急激なもの
であり、そこまで思いも掛けぬ急激な逆転をしても見事に同じはずの事物を説明できる
という驚きを通じて、のちの科学における言語の相対性を主張することになるカールの
弟マイケルの動的でも静的でもあり得る言語観への予感が含まれていたと言えはするが、
そこにはあくまでも「新理論の定期としては旧態依然」の性格を残していたことは指摘
しておいてもよい。」
「哲学の分野では、メルロ=ポンティの現象学は、「世界内存在」なるキイ・ワードで
提出して、閉鎖的でない意味の言語が(それは西欧的な把握では言語ではないが)知覚を
通じて、というよりそれ自体にそこに融合して存在を存在たらしめるという、「知」と
「存在」を同一に考えるマイケル・ポランニーの思想への橋渡しを行った。」
「(略)マイケル・ポランニーは更にAがつねにAであることに止まることなく、ときに
あるいはやがてBであり次第にはCともなる動態的構図が決してA自身の実体的変動に
よるものでなく、それ自体が暗黙知の発現である言語のダイナミズムによる局面上の
変化であることを明らかにした。」
あとがきにて「本書はかなり難解であるし、西欧形而上学の伝統を批判して訣別したと
いうより、ある面ではまったく別の真実の光の地平から進みきたって邂逅して批判している
ものであるから、時空論にせよ、エントロピー論にせよ、言語論にせよ、旧来の俗流西欧
知識主義を排して何度も精読せねば判るまいと敢えて言っておこう。」
142 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 15:02:47
相対幻論にて吉本から啓蒙主義的と栗本は批判(愛情を込めた)されたが、パンサルは
啓蒙書だよね。「意味と生命」を読み込むには精神的なテンションを高めて潜入しないと
読み込めない。パンサルはAは実はBでしたという書。「精神世界は科学である」も啓蒙書。
AでなくBであるというのを無造作に、無防備にさらしている。でもこれは栗本の愛情じゃ
ないかな。来るべき子供たちへの。とっかかりとしてAはBとしても見えるよという新鮮な
驚きを子供たちに知らせてやるための。「意味と生命」まで読み込める栗本チルドレンは本当に
ごく少数しか誕生しないだろうね。言語そのものが世界であり知であり存在でもあることを
本当に生きることのできる子供たちが栗本を継ぐだろう。
啓蒙書をかなりな労力を使って書いてきた栗本の努力を実らせたいよな。
このスレを立てた目的もググってみてあまりに栗本の本当の仕事が論じられていなかったから。
本当に鋭い感性をもった少年少女が検索かけたとき栗本へのとっかかりを得られないようじゃ
困ると思った。今の日本に愛憎含め栗本にこだわりを持つ人間がいるとわかり嬉しかったよ。
143 :
140:2005/05/22(日) 15:26:06
もうどうにも誰にも理解されないようだから、この話はこれでやめるけど。
俺は栗本貨幣蕩尽隊に参加することを断固拒否するよ。
別に俺は栗本の提言を理論として否定してるわけじゃない。
これは、美意識とか気分の問題だよ。
あらかじめ言っとくと栗本行動隊がヒトを蕩尽しようという主張だなんて
まるで思ってない。だけれど、普通に考えるとそれは簡単に栗本生命過剰蕩尽隊になるのが目に見えてるじゃない。いくら生き延びるためでも
そんなものに加入するのはごめんだよ。
あれだけパンツは強固だ強固だ言って、結局は「自然の声」かよ。
別にオカルトは構わない。だけれど、それをこういう本で簡単に書くなよ、ぐらいは言っておきたい。
144 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 15:41:19
確かに簡単に書きすぎだな、あれは。
まあ走書きの遺書とでも見てあげなきゃ。
実際、死にかけたんだし栗本先生は。
クリールベール知り合いのお父さんが脳コウソクで倒れたから紹介したいんだけど
インチキ健康食品と混同しちゃって信じないんだよね。
もう勝手にすれば、ってほっといてます。
145 :
143:2005/05/22(日) 16:25:38
もう書かないといっといてなんだけど、
一通り憤りをぶちまけてすっきりしたら俺の間違いも見えてきたよ。
ごめんよ。
たしかに、俺の誤読だった。
ただ、栗本理論に感じた怒りは変わらない。
俺は栗本理論の本当の怖さをようやく知ったよ。
俺としては、別の道も模索するべきだという思いがますます強くなった。
それが難しいということはわかっているんだけれど。
今頃、わかったのか、といわれると面目ないけれど
まあ、恥をかいた価値はあると思っている。
これからもいろいろ書くつもりだけれど、間違えたところがあったら
ビシバシ批判してくれ。
ただ、キャパ不足とかいわれただけじゃ批判の意味がわかりにくいんだ。2ちゃんはそういう場所だといえば、そうなんだけれど。
今日は大にぎわいですね。
147 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:08:33
浅田とずっと比較してたバカがいたんで
ウゼー
と思ってたらアホ宮台まで持ち出す不勉強な勘違いも出始めたんで
少し絞めたらおお賑わい。
スレ
>>1までオデマシいただき
コメントに感激。
148 :
考える名無しさん:2005/05/22(日) 18:22:59
(; `Д´)/ヽィアー/ヽィアー!!
149 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 01:33:52
「メタをベタにしか取れない」病理を持った人が来ていたんだな。
それはそれで栗本的には大成功だろう。
150 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 02:07:23
パンツを脱いだサルの処方箋を批判する人が結構いるんですね。でももう既に民兵のような武闘行為はアングラで始まっていて恐ろしいほどです。私が嫉妬エネルギーの蕩尽方法を質問したのはこの処方箋では足りないと思ったからです
151 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 02:41:12
パンツを剥いだサル
パンツで抜いたサル
結局、栗本先生は、いっしょに考えてくれる人間を求めているのではないかな?
あれだけ壮大な理論を、1人で完成させることは出来ないに決まっているし、
それに、これまでに出版された本のなかに重要なポイントはかなり書かれている
わけだし。
「考えかたの枠組み」を示しただけでもスゴイじゃないですか。
栗本先生は昔から不思議な人だという印象は変わりません。
層の理論は、下位と異なる上位層の原理が在るという考えですから、
そのままだとユダヤ陰謀論などに陥りやすい。
しかし層の理論は注目の仕方で上位にも下位にもなるという事ですから、
ユダヤ陰謀論を上位層から個々の諸細目として見たら、
妥当な所もいくつかあるけど怪しげな論理でもあると見えてくる。
しかし栗本先生は、ある層で固定してその原理で突っ走る印象が僕にはあります。
これはエンタテイメントでやっているのでしょうか。
そこが僕に、栗本先生は不思議な人だなという印象を与えます。
彼の本は好きですけど。
そうだ。
間違いなく、我々は袋小路に入り込んでいる。
既成の宗教は愛をもたらさず、愛の死をもたらしている。
過剰な貨幣だけが、暴れまわっている。
科学技術や情報は差別と富の偏りをもたらしている。
そして地球は、言うまでもなく病んでいる。
この袋小路から脱出する方法は、これまで断片的に、その一部しか触ることが
できなかった巨大な象の姿を、像として捉えることでしか見つからないのでは
ないか。
「進歩」という名のもとでなされてきた、人間の欲望を満たすためのさまざまな
試み――それらはしばしば「学問」とか「科学」とかいう衣をまとっているのだが
――、表だって語られてきた人類の歴史や宗教のあれこれ、そういった枠組みを
捉えたうえで、この巨大な象の姿を、すべての存在の「共存」のためにしっかりと
認識しなければならないだろう。
真実を知りたい、そして知りえたことを公にしたい。
さまざまな真実群を洗い出し、それを明らかにして後世に託したい……。
その思いは、最初に述べたように、私がずっと棚上げにしてきた宿題でもあった。
その宿題を仕上げるため、私はいまこの本を書いている。
そこから先は……私よりはるかに多くの時間とエネルギーを有する、読者の
みなさんに託したいと思う。
本書で主張したことの証拠は必ず見つかるだろう。
時間はかかるかもしれないが、ぜひ見つけてもらいたい。
本書は、現在地球上に起こっている問題群に対して、ひとつの展望を示すための
ものである。
(『パンツを脱いだサル』18ページ)
155 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 15:59:37
私は最後の結論で坂口安吾とシオランを思い出してしまった。
絶望のどん底に落とされ、「生きる」ことがそんなに正しいのかと追い詰めている。
人間の行動には、常に間違いを孕んでいるという意識が必要なのではと。
生きるとは追いつめられることだ シオラン「四つ裂きの刑」
>>153 「層の理論は、下位と異なる上位層の原理が在るという考えです
から、そのままだとユダヤ陰謀論などに陥りやすい。」
むしろ、栗本なら、陰謀説などに陥るのは、パンツが暗黙知が抑圧
しているから、となりそうですね。
「しかし層の理論は注目の仕方で上位にも下位にもなるという事」
これ自体は正しいですが、そうかと言ってどのような注目の仕方をしても良いということにはならない。その辺を書いたのが縄文式頭脳革命でしょう。解決すべき問題に対して適切な注目の仕方というのは
おのずと決まってくるものです。
「これはエンタテイメントでやっているのでしょうか」
たしかにエンターテイメントの部分はあるんでしょうね。
ただ、やっぱり栗本は焦っているという印象があります。いつ完成する
かわからないくらい壮大な理論だけど、生きてるうちに枠組みだけは
示しておこうというような。
>>155 そういう懐疑は栗本の著書を貫く伏流水ですね。
そこにはとても引き付けられます。
浅田宮台瞬殺上げ
158 :
e1:2005/05/28(土) 05:33:00
今回、新著を読んで思ったのは、栗本さんのおっしゃる人間の顔をした経済という
ことの内容を改めて問い直されているんだという事です。
通俗的解釈ですが、環境や生態を意味するエコは、エコノミーのエコと同じはずです。
ところが、エコノミーはエコについてのノモスであり、フィシスと対立して・切り離
されて構築されてきました。
しかし、私達の精神は、人間のフィシスとしての身体と切り離されるものではなく、
逆により密着したものであることが、暗黙知の理論によって明らかにされたことを考
えると、ノモスの内には明確なロゴスが内在しているのではないかと思われます。
このフィシスから切り離されたノモスの内にロゴスを見出すことが、実は経済人類学
の課題であり、エコノミーをエコについてのロゴスを求める広義のエコロジーの一部
として捉えなおすことなのだと思います。
このノモスにロゴスを取り戻す試みにおいて動員され注入されるのが、人間諸科学の
ロゴスであり、両者を結びつけるのが哲学であるとすれば、栗本さんの広範な知的営
みも容易に理解されますし、この試みの結論が本書に結実しているとすれば、改めて、
過去のパンサル理論をおさらいしてみることに十分な意義があると思います。
エコロジーとしてのエコノミーを考えること、これが経済人類学なのだと、私は受け
止めました。
血圧が高いし脂もの好きだから多分俺も60代で脳梗塞で倒れると思う。
栗本さんは肌が乾燥してるけど水分が足りないのだろうか。
西城秀樹がサウナで気分が悪くなったときも水分不足だったという。
水分補給に気をつけようと思った。
オレが栗本先生の説につよく惹かれるようになったのは、まず「エロティシズム」に
関する説明が明快だったってことだな。
これは言うまでもなく、もともとはバタイユの説なんだけど、いずれにせよ、
オレが生きていくうえで、ひじょうに役に立ってるんだよ。
オレが欲求不満にもならず、また痴漢をすることもなく生きていけてるのは、
『パンツをはいたサル』なんかのおかげだと思っている。
しかし、「労働」に関する説明には、ちょっと異論がある。
労働っていうのは、やっぱり「腹ペコになるのはイヤだ」とか「とりあえず食べ物は
あるけど、でも、できれば美味しいものを食べたいよね」ってなことから始まった
んじゃないかと思うんだが…。
もちろん、「過剰を増やすため」って側面もあるとは思うけどね。
162 :
e1:2005/05/29(日) 17:36:08
158の続き。
では、本書で展開されている経済人類学は、現代のストア学派なのだろうか。
ストア学派は、独自の自然学・論理学・倫理学を柱とする哲学であり、世界観である。自然学に
おいては神と世界の関係が語られるが、世界は1つの有機体を構成しており、神と世界とは同一
実体であるという汎神論を展開する。すなわち、自然界における全ての摂理は、神によってもた
らされるが、この神自身は究極の摂理そのものでしかない。
したがって、神の摂理は世界の全てにおいて見出すことができ、世界が摂理として見出される際
に、世界は神として語られることになる。
この倫理学も必然的に、この汎神論から導き出される。
この倫理学のスローガンは、自然と一致して生活せよである。すなわち、人為によってゆがめ
られず、その自然の素朴さを保っているような、理性的な本性にしたがって生活せよ、となる。
まさしくストイックに生活せよ、ということだ。
163 :
e1:2005/05/31(火) 00:18:14
162のつづき
「パンツを脱いだサル」を読む意義は、前2著で明らかにされた事柄を背景として含めつつ、
著者から私達に対して示された21項目の指針にある。
栗本さんは、カザール人によって既に経済人類学的なるものが知られており、これがある種の
エートスとしてマジャール人を含むカザール系ユダヤ人に引き継がれたと考えているようだ。
ただ、マジャール人とカザール人の違いは、貨幣に対する関心であって、カザール人の優秀
さは、マジャール人の優秀さから押して知るべしというものであろう。単なるユダヤの陰謀史
観が描かれているのではなく、彼らのエートスを明らかにすることであり、同時に、経済人類
学の不の側面を明らかにすることでもある。
つまりは、こうだ。経済人類学はカザールを親分に持つマジャール人によって創設された学問
であるが、これはある種、彼らの行動や思考におけるエートスであった。それをポランニー兄
弟が、ポラっとというか、ぽろっといってしまったというわけだ。
彼らは、人類が火を発見するよりも早く火を利用することを知っていたわけであり、人類が核
を発見するより早く核を利用していたのと同様に、本家本元として経済人類学を我々が発見す
る以前に、それを利用していたというわけだ。
164 :
e1:2005/05/31(火) 00:38:28
この結果がこの世界である。
エコノミーはエゴをごり押しするためのノモスであり、それはカザール人である
ユダヤ人が我々に強要するノモスである。現代のエコノミーは、彼らのエゴノミー
であるというわけだ。エコに濁点がつくのとつかないのとでは、まったく違った意味
になる。いや、同じことかもしれないが…。栗本さんは、多分、本当の事を知ってし
まったのであろう。本書全体に流れる遺書めいた雰囲気が、それを予感させている。
私たちは栗本さんが提出した21項目の指針を守って、行いを改め、身を正さねばな
らない。
しかし、それは単にストイックにいきるという子とではない。
165 :
e1:2005/05/31(火) 00:53:01
私たち人類は、過剰蕩尽理論が示すように、自然のロゴスを越え出た過剰を抱えた
存在であり、自然そのものに既に過剰性が内包されているにせよ、いま、この自然
とは容易に調和しえない存在である以上、困難この上ないことである。ある意味、
とても過激なことであるといわなければならない。ストア学派は、この点ではやや
楽観的であり、人間の本性について希望を持ちすぎているのかもしれない。
過激なストイシズムとして経済人類学をどこまで受け止められるかが、やはり問題だ。
ワクワク胸騒ぎするようなビジョナリー
億千万!億千万!ジャパーン
年齢、闘病中という事を考えて
みんな優しくなってる
めちゃくちゃ評価が高い
過剰蕩尽理論では、日本の高齢者の貯蓄好きを明快に説明できないね。
なぜあんなに溜め込んでるのに、死ぬまでに使おうとしないのか。
よって、この理論は終わり。
クリシンのこの本は、懐かしく思い図書館で借りた。
あいかわらず主観的で思い込みの激しい人だね。
話があっちこっちトンで分裂症じゃないかと思ったりしたよ。
クリシンは、自分では自分を天才と思ってるようだけど、
まあ秀才止まりだね。
例えば、人間水生生活論なんて、前からあった仮説の一つだし。
別にクリシンのオリジナルじゃない。
小室直樹は、天才だと思う。
でも、この人も最近は焼き直しみたいな本ばかりで、
新機軸の本は出せなくなったけど。
>>169 スルーが最適だが多少の相手w
失礼で馬鹿なヤツには栗本の基本的な問題意識すら読み取れない典型。
簡単にいえば認識の浅い幸せ者=バカ
「意味と生命」は、正直どう判断して良いか分からなかった。
現象学や言語哲学や構造主義は入門書しか読んでないし、
マイクル、カール・ポランニーの著書は面白そうな所を摘み食い
しただけ。
僕は「意味と生命」を自分に都合良く(スポーツをやってるので)解釈
しながら読んだけど、最後の方は全然理解出来なかった。
栗本さんはスピード狂らしく話があちこちに飛ぶ。
凄い早口で話を先に進めるので、よく田原総一朗から「何が言いたい?」
と聞き返されていた。栗本さんの論理をあらかじめ知っている人は話を
理解できるけど、知らない人が初めて聞いたら、何を言っているのか
早口過ぎてさっぱり分からないと思う。
暴力的なスピード感が栗本さんの魅力でもある。常にイライラして先に
行きたがるあの性格は、過剰に貯め込むという感覚にリアリティを感じやすい
と思われる。
173 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 04:51:01
>>169 >よって、この議論は終わり。
いえ、説明できます。貯蓄行為そのものが精神内部において過剰エネルギーとなり死とともに壮大な蕩尽を行うと説明できます。
あの〜私実は高卒なんです。
174 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 05:24:43
過剰蕩尽理論が分からないので質問。
祖父さん婆さんの貯金は、昔で言えばピラミッドを建てて死後も残す
みたいなもんだろう。
ピラミッドの建築は王の富や奴隷の蕩尽みたいな物なんだろうか。
それとも、ピラミッドは破壊して快感を得るために作ったのだろうか。
現象のどれを取って過剰でどれを蕩尽というのか厨房の俺には・・・・?
今は知らないが、ちょっと前のアメリカ人は貯金しないで金をすぐ使ってしまった
と言う。金をすぐ使ってしまう人は肉体が過剰傾向にあるんだろうか。
多くの人を見てきたけど、物を貯めるオタク性格とすぐ捨ててしまうサッパリ
性格の2つに別れるようだ。特に女は物を捨てるのが上手いように見える。
それは過剰蕩尽理論とどう関係があるんだろうか。
過剰蕩尽理論は個人を扱った理論ではなく、社会理論であって
この疑問は的外れなのだろうか。分かる人がいらっしゃったらよろしく
お願いします。
>>169 > 過剰蕩尽理論では、日本の高齢者の貯蓄好きを明快に説明できないね。
> なぜあんなに溜め込んでるのに、死ぬまでに使おうとしないのか。
なるほどね。
栗本先生の本を読むと「何でもかんでも過剰-蕩尽理論で説明できる」って言ってる
ようにしか見えないわけだけど、オレも、それは違うんじゃないかと思うんだよね。
オレは、「破壊を目的とした蓄積・建設」もあるけど、「純粋に蓄積・建設を目的として
いる蓄積・建設」もある、つまり両方あると思うんだわ。
日本の高齢者の貯蓄好きっていうのは、やっぱり「自己防衛」のためと「貯蓄は
美徳」っていう価値観があるからなんでしょうね。
戦中・戦後に苦労をした経験もありますしね。
>>169 > クリシンは、自分では自分を天才と思ってるようだけど、
> まあ秀才止まりだね。
> 例えば、人間水生生活論なんて、前からあった仮説の一つだし。
栗本先生の仕事っていうのは、生物学・法学・経済学・文化人類学・精神分析学…
といった、さまざまな分野の知見を総合したうえで、「人間」や「社会」というもの
を把握しようとする、ってものだったわけですね。
こういう問題意識をもって、栗本先生は、さまざまな分野の大量の文献を読んで、
いろいろと考えて、「これなら包括的に人間や社会を説明できるんじゃないか」って
ことで、本にしてるんだと思います。
つまり栗本先生の仕事の目的は、「新しい知見を1つつけ加える」というものでは
なくて、「これまでに蓄積されてきた、さまざまな分野の知識を統合して、人間や
社会について包括的に考える叩き台を提示する」ってものなんじゃないでしょうか。
人間水生生活論というのも、そういう文脈のなかで取り上げられているわけでしょう。
だいたい、人間水生生活論というのは、何十年も前からある説ですが、いまだに
大部分の生物学者からは、不当に無視されてるわけですよね。
それを栗本先生は、本で取り上げることによって「(栗本流の)経済人類学の立場
から見ても、これは重要だよ」って主張してるんだと、私は解釈しましたが。
(
>>177 に追加)
栗本先生が、これだけいろいろな分野の知見をちゃんと理解できてるかって点に
ついては疑問もあるんだけど、しかし少なくとも「考えかたの方向性」だけは
正しいと思うんですよ。
そういう点を評価せず、少々難点があるからといって、旧来のセクショナリズムに
逆戻りするというのは困ったものだと思います。
もちろん、難点を指摘すること自体は必要なんですが。
>>169 > クリシンのこの本は、懐かしく思い図書館で借りた。
> あいかわらず主観的で思い込みの激しい人だね。
> 話があっちこっちトンで分裂症じゃないかと思ったりしたよ。
「この本」っていうのは、文脈から察するに『パンツをはいたサル』のことだと
思います。
『パンツをはいたサル』っていうのは、大ざっぱに言って、『経済人類学』および
『幻想としての経済』の内容を単純化し(て、動物行動学をつけ加え)たってもの
なんだよね。
だから、『パンツをはいたサル』だけ読むと、根拠がくわしく書いてないから
「自分勝手なことばっかり書いてるなぁ」としか思えないかもしれませんね。
ということで、少々むずかしいんだけど、やっぱり『パンツをはいたサル』と並行
して『経済人類学』とか『幻想としての経済』なんかを読まないとダメでしょうね。
あと、オレの考えでは、栗本先生の考えを理解するには「エッセー」のたぐいを
読むと良いのではないかと思うんだよね。
これだとむずかしくないからね。
オレも、『鉄の処女』とか『読書原論』なんかは、比較的すんなりと読めたな。
いずれにしても、読んだあと、よーく考えないと納得できないんだよね。
それから、栗本先生の本にはオカルティックな部分があって、これが問題なわけ
だけど、オレ自身はそういう体験がほとんど無いし、理解できる部分については
素晴らしいと思っているので、これについては判断を留保している。
180 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 22:43:38
>>169だけど、賛否はともあれ、色々レスサンクス。
昔、「パンツをはいたサル」や「鉄の処女」を読み、
知的触発を与えてくれた栗本先生は、そこそこファンでした。
それから吉本隆明や柄谷行人、蓮見重彦なんかも、かじったりしたし。
吉本隆明なんか、さっぱり分からなかったけど。
とりあえず、この本読んで、脳梗塞でもう廃人なのかと思った栗本先生、
主観的で強引ながら論理展開する能力をまだお持ちであることに、
ちょっと嬉しくなった次第です。
それにしても、女栗本とか言われた上野千鶴子のほうが東大教授に
出世するとはねえ。
181 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 23:00:36
>>173 貨幣という物質を精神にすり替えちゃダメですよ。
栗本理論では、溜め込んだお金は最後にパーっと使わなくちゃ。
>>175 ピラミッドは、労働というより暇つぶしに作ってたみたいだね。
アメリカ人が貯蓄しないのは、彼らの楽天的気質によるようで。
先のことより今の一日一日を楽しむ。昔の江戸っ子気質みたいに。
それから過剰蕩尽理論は、個人にも当てはまるとおっしゃっていたような。
もともとこの理論は、人はパンツをはいて性欲を溜め込むって
ところから始まっていたんじゃなかったかな。
男も女もふだんから丸裸だと、
覗きも盗撮もなくなって、セックスがお楽しみにならないってワケ。
182 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 23:08:21
アメリカ人が貯蓄しないのは、アメリカ経済、強いてはアメリカ政治が
安定して信頼されているからだ。
それにひきかえ、日本の貯蓄癖は、その真反対。
183 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 23:09:28
>「純粋に蓄積・建設を目的としている蓄積・建設」
スペインのサグラダ・ファミリア聖堂なんかがそうですね。
それから、この本ご指摘のユダヤ資本5000兆円なんかも、
人間の性が蕩尽だと不可能な数字じゃないかと。
もっともこの額は、ちょっとトンデモじゃないと思うけど。
185 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/06/02(木) 23:13:17
>>182 だとすりゃ変だね。
なんで信用できない国の通貨で貯蓄するんだろう?
>>177 栗本先生は、超大陸パンゲアを最初に提唱した人(誰か忘れた)
を自分になぞらえたいみたいだね。
人類学の専門家からすれば、
素人の戯言としか、みてもらえないだろうけど。
特に日本のアカデミズムでは、
こういうのは学者として噴飯モノになるんだと思う。
>>184 そういうのを「重箱の隅をほじくる」と申します。
188 :
182:2005/06/02(木) 23:24:39
米にピーピー言われる度に上下する¥なら、漏れもやり方さ
え《知ってれば》ドルで貯蓄したいよ。
までも、【通貨は安定】してるな。でもさ、日本の借金は、すごいよ。
あれ知ったらおいおいと使えないよ、マジぞっとする。
>>182 アメリカ人は、こつこつ貯蓄するよりも
一攫千金、アメリカンドリームを目指すのです。
だから、貯蓄よりも株や宝くじ。
190 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/06/02(木) 23:29:06
>>188 普通に銀行に行って「外貨預金をしたいんですが」っていえばいいんだけどw
まあ、手数料が高いんだよね。
191 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/06/02(木) 23:30:12
ちなみに今、ユーロ、メチャメチャ安いよ。畜生!
>>188 ドルで社債運用してる。日本円で300万ほど。
金利は5%。でも買ったときより円高で収支は微妙。
193 :
175:2005/06/02(木) 23:47:10
>>181 厨なんでバタイユなど意味不明で何を言ってるのか
全然分からなかった。ありがとう。
過剰というのは「富を象徴する物質を貯め込む+禁止の観念」
蕩尽というのは「貯めた物質を壊す+禁止の観念を破る」
なのかな。緊張をためる事とストレス解消の経済的循環を分析する
という理論なのかな。
祖父さん婆さんは家でテレビを見てるだけで、年金を孫の塾の受講料や
大学の学費に使ってた。これを蕩尽というのかな。
祖父さん婆さんは、将来的に孫の生命を蕩尽し犯しぶっ殺す快感を得るために、
今は学費を出しているのだろうか。それとも孫を結婚させ交換する贈与の快感の
ためにやってるんだろうか。
孫の笑顔を見る快感を得る目的でやってると俺は思うのだけど。
笑顔が強化子になって行動が強化されてるだけに見える。
過剰蕩尽というおどろおどろしい目的と、これがどう結びついてるんだろう。
194 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/06/02(木) 23:53:28
>>193 その孫の笑顔ってのは、その「祖父さん婆さん」にとっては価値をもつが、
市場では無価値だろう? 充分に蕩尽理論に適うわけだ。
>>187 重箱のスミじゃあ無くて
基本的認識が出来ていないから
自分に都合の良い解釈を馬鹿が書いてんだろ。
スミじゃ無くて、ご飯たのんだら、雑巾味のまずいラーメンが出てきた
ってとこだろ。勘違いするな間抜け。
196 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/06/03(金) 00:22:47
ユーロは、昨日は132円代だったけど、今133円代まで上がってきている。
ユーロ買うんなら早くしろよ。
>過剰というのは「富を象徴する物質を貯め込む+禁止の観念」
これ、違うね。
バタイユの話は、地球は太陽から過剰なまでのエネルギーを受けている、
というところから始まる。
貯めて過剰が生まれるんじゃなくて、いきなり始めに過剰があるんだな。
それを如何に蕩尽してきたかが、生命の歴史であり、人類の歴史である、
ってことになるかと思う。
>>193 難しく考えすぎじゃない。
孫は祖父さん婆さんの遺伝子を受け継ぐもの。
生命体の目的が遺伝子を絶やさないことだとすれば、
孫の塾通いを援助したりして学歴をつけさせ、
生存に有利なよう計らうのは当たり前のことだと思われ。
>>195 どこの板にもこういう人っているんだね。
無視または放置がお約束だけど、エサあげる。
キミ煽るにしても、もう少し的確でわかりやすい例示を頼む。
重箱からご飯、ラーメンと話をとばされても、
比喩するものが何なのか、間抜けの俺にはわからん。
199 :
175:2005/06/03(金) 01:08:33
>>196 存在自体が過剰だと言う哲学は知ってますよ。しかし存在は成長し変化する
んであって、それと過剰の蕩尽とどういう図式で関係させるんでしょうか?
孫の笑顔は市場で価値を持たないと言っても、投資的な意味も発生しませんか?
一家の大黒柱に育てる事が、蕩尽とはとても思えないのですけど。むしろ屁理屈
をつければ過剰の方向に行ってるんじゃないかと。
もともとの俺の疑問は、現象のどこを切り取れば過剰蕩尽なのか分からないし、
恣意的に過剰蕩尽と言ってるように見えてしまうという事なんですが。
よく知らないので俺の勘違いかもしれません。
>>197 難しく考えすぎって・・・俺が過剰蕩尽理論を言い出したわけじゃないんで・・
流れが見えない人にレスしてしまったか・・
毛髪を植えたサル
>>199 >もともとの俺の疑問は、現象のどこを切り取れば過剰蕩尽なのか分からないし、
STARTが過剰で、GOALが蕩尽。
孫が一家の大黒柱になったって、そこが資本主義社会のGOALじゃないでしょう?
…といっても、近代資本主義社会では、過剰-蕩尽の関係が見えにくいのは確か。
私もよくわからない。栗本だのバタイユだの、読んだのも、ずいぶん昔だし。
日常的に蕩尽が行われているってことになるのかな。いや、戦争があるか。
過剰-蕩尽の関係がわかりやすいのが前近代の社会だ。
日常的に労働をし、財を貯め、祭りの日にストレスを発散させるために蕩尽する、
の で は な く て
始めっから蕩尽するのが目的で財を貯め込む、というのが過剰-蕩尽理論の眼目。
日常的に蕩尽が行われているって言ったら浅田彰になっちゃうよ。
あ、このスレで浅田の名前をだすのは荒れる元か。
>>202 ごめん。ウロ覚えだったから混ざっちゃったか。
204 :
175:2005/06/03(金) 01:51:26
>>201 そうなんですよね。前近代的な社会で見られた非日常の蕩尽が、
近代ではどれが日常でどれが非日常なのか、どれが過剰で
どれが蕩尽なんだか俺には分からんとです。
その行為が消費なのか投資なのか。
ペイオフなんて言ってますが貯めたのは、ただの紙切れかもしれない。
実際に過剰蕩尽理論て、どう関係してるんですか?
>>204 まあ、いま読んでる人に答えてもらいましょう。
だけど、TV番組なんて、あんな無駄なものはないんだから蕩尽なんでしょうね。
それをいったら、2ちゃんねるなんて…。
206 :
175:2005/06/03(金) 01:56:16
過剰なのか蕩尽なのか、どちらなのかを決めるときに「恣意的判断」に
見えると言ったのはそういう意味。
価値が何分の1かになるような可能性のあるもの、もしかしたら
紙切れになるような物を一所懸命に「貯蓄」してる祖父さんの行為も
「蕩尽」なんじゃないかと。屁理屈をつければ。
207 :
高卒:2005/06/03(金) 02:36:18
>>196 バタイユは太陽を出発点にしたところが間違いだと思う。太陽もまた宇宙のなかで過剰を溜め込むプロセスがあったはず。始めに過剰ありきとは断言できんですたい
208 :
高卒連投:2005/06/03(金) 02:46:13
栗本は吉本隆明との対談で「無意識の意識化も過剰の蕩尽である」と言ってます。その理屈を当てはめれば貯蓄行為が無意識のエネルギーの表出であり、金額や孫の笑顔という目に見えるもの(意識化されたもの)が蕩尽に当たると言えるんじゃねえべかな
言えるといやあ何とでも言えるのが過剰蕩尽理論だからなあ。
そこで説明可能性ということが問題になってくるわけだけど。
快感進化論も視野に入れたらどう?
ミーム論とか
211 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 21:57:43
>>209 栗本の過剰蕩尽論で人間を説明するは、
木火土金水で、物質を説明するようなもんだな。
そもそも前提条件がまちがっとる。
知的遊びとしては、なかなか面白いけど。
これはもう栗本にもう一冊書いてもらうしかないね
タイトルは何がいい?
『パンツを盗んだサル』とか?
214 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 00:27:21
『バンツを下ろすサル』
ミッキー○ウスはパンツを被った○○人がモデルかもしれない
>>209,211
その点では、バブル時代に浅田彰が何でもリゾームとツリーで説明しようとしてたのも
同じな気がする。
217 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 22:28:27
そんな説明してたんですか?
社会を説明する理論ではなくて、
単に芸術評論の詩的な表現としてリゾームとか使っていたのでは?
218 :
高卒:2005/06/04(土) 23:10:48
栗本は中沢新一との対談で市場社会の崩壊の例として情報独占や情報流通ルートのアングラ化を挙げてました。その問題は今非常に深刻化していてアングラアノミーとでも名付けたくなるような現実があります。新著ではなぜ触れなかったのでしょうか?
うーむ
栗本ワールド全開で次作も楽しみだ
この人、人を見る眼がないよね。
小沢一郎とか小泉純一郎とかさ。
栗本本人こそがもっと暗黙知を解放するべきだと思う。
>>220 ただのあおりか馬鹿だな
少なくともスレタイの
『パンツを脱いだサル』
はマトモに読んでないな
スルーが最適。
ちなみにアホ宮台デブ宮崎との小泉への認識の違いは、
天国と地獄以上の次元の違いがあります。
わざと釣られてみましたが
後はスルーで
何で小泉支持の宮崎など小物が出てくるのだ。
クリリンに失礼じゃないのかね。
223 :
220:2005/06/06(月) 22:31:01
あー、根本的に勘違いされているようだが、
俺は「パンツを脱いだサル」を読んだ上で言っているのだが。
栗本が一時小泉に入れあげていたことは事実。
そして、その当時は一番の側近であったとさえ本人が語っている。
それが手のひらを返したように、
かつての同級生がとんでもない嘘つきだとわかった、とか言っているのを
見ると、
そりゃあ、あんたの人を見る眼が不確かなだけだろ、といやみのひとつも
いいたくなるということだ。
224 :
高卒:2005/06/07(火) 05:38:51
過剰ー蕩尽理論はエントロピーの法則をモデルにして考えると分かりやすいのでは?それより私は生命進化と社会システムの関係の方が気になる。栗本氏はベルタランフィーの一般システム理論についてどう考えているのでしょう?
Die Ehe ist ein Rechtsbündnis zum wechselseitigen Gebrauch der Geschlechtsorgane.
結婚とは、性器の使用を一方が他方に交互に許す権利の契約である。--イマヌエル・カント
カント様、いまの時代では、結婚するまで純潔を守らなければいけないと考える人はほぼ皆無です。
結婚とは、性器の使用権を互いに独占的に所有し合うための契約である。
意味と快楽
栗本が半村良がすきというのはわかるね。
妖星伝とかね。
「地球=生命が過剰な異常な星」
というところから
「生命=宇宙の過剰」
というところに行く小説だからね。
だけど、「人類新世紀」はむしろクラークの「幼年期の終わり」を思い出した。
悪い宇宙存在=オーバーロード
真の神=オーバーマインドみたいな、ね。
231 :
高卒:2005/06/07(火) 14:36:28
栗本は「マルクスは人間をよく理解していなかった」と言っている一方で実存主義をバカにする。これはポスト構造主義の悪影響ではなかろうか。人間に取って実存という限界は非常に大きな問題である。「実存は本質に先立つ」と言われるが「実存こそ本質を現す」とも言えると思う。
232 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 14:44:06
カワウソw
233 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 08:05:44
楽しく読ませていただいています。
このスレのますますの発展をねがって、あげます。
234 :
e1:2005/06/09(木) 01:22:36
>224
ベルタランフィの一般システム論は、どちらかというと生物学モデルだから、
基本的には気にしていないようだった。それよりも、ハーバマスとルーマン
のシステム論論争があったとき、ルーマンの閉鎖系システム論が社会科学全
体にスッゴイ影響力をもっていたときだったので、ルーマンは気にしていた
感じだった。雑談の拍子でルーマンがとか言ってたら、ドキッとしたってい
ってたし…。
でも、そういう議論は、アカデミックな業界内のお話だから、そんなに気に
することはないですよ。
235 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 01:56:03
栗本氏には「パンツを捨てるサル」で書いていた脳の進化と「嫉妬感情」がどういう関係にあるのか是非とも書いてもらいたい
236 :
考える名無しさん:2005/06/12(日) 03:55:06
そおかあ、出たのか本が!
このまま農大でミミズの研究して死んで行くのかと思っていたので、
たいへん嬉しゅう御座います。
さっそくアマゾン発注しました。
>ミミズの研究して死んで行くのかと・・・
さすがに、ギャグで言ってると思われ・・・。w
>>238 いや ギャグとも思えんのだ
俺たちは多少ではあるが栗本理論を理解しそれを評価しているわけだ
将来のために俺たちは自らミミズとなり、うんこで土壌を改良できるのではないか
この本とは関係ないんだけど、栗本先生って昔「朝まで生テレビ」に出てたよね?
そのときの様子って、どんな感じだったの?
オレは一度も見たことがないんだけど、ウワサでは「怒ってばっかりだった」って
話を聞くんで、見たことのある方の感想をお聞きしたいと思いました。
242 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:14:08
>>240 独善のしゃべりで議論がかみ合わず。
升添や西部が受けてたのとは対照的。
そんでもって、朝生の裏で自分司会で討論番組始めたけど、惨敗。
栗本先生は、本を読んでの通り、ちょっとデンパかかってるからね。
243 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:29:28
朝生に広瀬隆と一緒に出ていた回を見て唯一まともなことを言ってる
栗本先生を見て題名のせいで手に取ることのなかった「パンツをはいたサル」
を買いました。
「怒ってばっかりだった」という印象はないな〜。
頭の悪い連中相手にため息まじりで参加していたという感じだったような、、
244 :
考える名無しさん:2005/06/13(月) 01:42:46
どうして陰謀だと思うのですか、そうでないだけということを考えられないのでしょうか。
それにともない、そのようなやり方でないと考えられ得るでしょう。
陰謀であるとすると、悪意がなければならないでしょう、悪意があるのですね?
おまえだいじょうぶか?
哲学する前に国語を勉強しろ。
陰謀とすると、悪い事をすべきでないでしょう
死して屍拾う者なし
天体と脳卒中との関係
>>242 > 栗本先生は、本を読んでの通り、ちょっとデンパかかってるからね。
なんて言い方をするんですか! 「孤高の存在」と言いなさい!w
ニュータイプ(古い?w)の苦悩は凡人にはわからないのさ。w
ところで、
細木数子をみんなが恐がるのはナゼだと思う?
強力なデンパ?
非デンパ達が知らない事って、たくさんあるよね。
おっと、オカルト方向に誘導してしまった。失礼。ビーン。
ニーチェも、いいデンパだったなぁ。最後には向こう側に行っちゃった。
鉄の処女の思想品質表示では、栗本2:8、ニーチェ5:5だったとおもうが。
栗本さん踏みとどまってるよね。ギリギリ。
たったったっ、たちばな出版!
私は
>>240 を書いた者ですが、答えてくださって、ありがとうございます。
ものすごく早口で、誰もついて来れなかったんですか。
栗本先生の考えてる事って、世間の常識からはかなり掛け離れているから、
口頭でかんたんに説明できるようなものでは無いんですよね。
もともとディベートっていうのは、「世間の常識に近い考えかた」か、あるいは
「自由・平等といった抽象概念で説明しやすいような考えかた」とかでないと
勝てないような気がします。
栗本先生が提唱する、大量の情報を、経済人類学的に整理・統合した結果
出てきた意見なんてものは、およそディベートには向いてませんよね。
みなさんのカキコを読んで、栗本先生の朝生での体験が『ニッポンの終焉』
『縄文式頭脳革命』『危ない現実!』といった本に反映しているのかなぁ、と
私は思いました。
突き詰めると栗本の理論体系にオカルトは存在しないね。
なんせ大統一理論を目指してるんだから。
260 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 02:35:40
みなさん、ショーペンハウアーとニーチェとシュレディンガーをよんで、
仏教(インド思想)に辿り着きましょう。
経済人類学が分かってきます。
仏教っつうか、ヴェーダだな。ウパニシャッド哲学。
>>258 朝生ではよく、舛添氏と激しく言い合っていたなぁ。
著作と比してテレビでの栗慎は意外と凡庸なことしか言わなかったよ。
そこが残念だった。
他人の無学を馬鹿にするような物言いは宮台氏に少し似ているかな。w
俺も思い出話。パンサルが出版されてNHKにクリシンが出た。
初めてクリシンの話を聞いた時はあまりの早口で驚いた。結論に向けて超高速で
一気に喋り切るので付いていけない人が多かった様子。あの早口は朝生で、
田原総一郎の邪魔が入る前に言いたいことを全部喋っちゃおうという作戦に
繋がっていった。そういえば呉智英などは、話の途中で田原に何度も邪魔されて
最後まで意見を言えなかった事が多かったな。
そんな田原にイラついたクリシンが奮起してフジでディベート番組の
司会を始めるが、彼は何を考えてんだか学生やフリーライターなどほとんど
素人のディベーターを呼んで、それを猪瀬直樹などの評論家が評論するという、
朝生と正反対の退屈な企画にしてしまう。栗本さんがプロの論客を呼んできて自分で
ディベートすればいいのに。夜中にルールに従った紳士的なディベートをやるので
視聴者はみんな途中で眠ってしまった。日テレも朝生に対抗して、猪瀬直樹を司会に、
森毅、大月、平岡などを呼んで夜中に討論番組をやるが全く盛り上がらなかった。
こう見ていくと、田原はテレビを良く知っている事が分かる。大声で煽ったり話を
ズラしたり場を混乱させて、イライラさせて視聴者をハメていくのは、2ちゃんねるを
盛り上げている職人の手法そっくりだ。
最近テレビでクリシンの喋る姿を見たが、昔の感情豊かな喋りと比較して表情が乏しく
何とも寂しかった。
264 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 12:17:28
265 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 12:17:58
「進化」したのだろうと思う。
266 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 12:36:03
学生時代、パンツをはいた〜捨てる を読んで感激したのを覚えている。
だが、その後は、新たな視点を持ち込んでくれることもなく、著書のレベル
もどんどんと下がっていった印象が強い。「縄文式頭脳〜」とか「日本の終焉」
とか、本代に見合わない内容のつまらない本のオンパレードであった。
パンツを捨てるサルの最後に「昆虫のことも考えていないはずはない、私は天才だし」
と続編に期待をいだかせて20年余り。引っ張りまくった結論は、ユダヤ陰謀説
ですか?
あまりにもさびしい続編だ。このクォリティの低さは「日本の終焉」とかの駄作
レベルから少しも変わっていない。やはり期待すべきではなかったの
かもしれない。
267 :
考える名無しさん:2005/06/14(火) 13:19:52
おまえは読むべきではなかったと思う。
自分を高みにおいて偉そうに語りたいという欲望も快感を期待しているのだろうか。
読んだからって読めたと思うな。って、栗本さんよくいってたな。
べつに隠してないのに「ネタはなんとかだ」って、
得意になってるクズは、常にいた。どこにでもいた。
>>268 お前も栗本といっしょにバシャールにチャネリングしてこいよ(w
ユダヤ陰謀説ではないね。というかユダヤが陰謀をめぐらしていようが
いまいが栗本の言いたいことは変わらんのだろう。
近代社会にもやっぱり光と闇の構図が生きていて、闇=商業に関わる
特定の集団もいる、というのが言いたいことなんでは。
信長の暗殺やら秀吉の天下取りの背後に、山人やら商人やらがいて
糸を引いてた(これ自体胡散臭いけど)というのと同じ構図が今でも
あると言いたいわけでしょ。
問題は、近代の闇を証明するために持ち出される証拠のいちいちが
胡散臭いということなんだけど。
キミはユダヤ人の陰謀に洗脳されているから胡散臭く思うんだよ。w
科学で解明されていないことは全部オカルトでウソッパチだと思ってる人いる?
科学で解明されてないことと
科学的に見て間違っていることが確認されたことは
別のモノ。
便宜的にそう思ってる
>>264 に貼ってある日記の2005年6月10日のところに『パンツを脱いだサル』の
感想がありますけど、これについて書かせていただきます。
> 水生人類説部分は、「人類の起源論争〜アクア説はなぜ異端なのか」の過去日記にも
> 書いたエレイン・モーガンの著作からの受け売り
これは
>>177 の後半にも書いてありますけど、栗本先生から見ても重要だと思えた
ので、知らない人のために、くわしく説明したまでだと思います。
まさか、「オレは水生人類説が正しいと思うから、めいめいで読んどいてくれ」とだけ
書いて事足れりとするわけには行かないでしょう。
> 「P.144 ボーイング社はエアバス受注に成功したのである」(エアバスは機種の名前
> ではなくボーイングのライバル会社)とか、「P.151 ハイジャックされたジャンボ
> ジェット機がつっこんだ」(WTCに突っ込んだのは、ジャンボジェットではなくB767)
> など、どこから転記したのかお粗末な間違いも目立つ。
これは、栗本先生が飛行機にくわしくないからでしょう。
だいたい「ジャンボジェット機」という単語は、厳密にはB747のことですが、
「大型のジェット旅客機」をあらわす普通名詞として使われることも多いのでは
ないでしょうか。
(
>>276 の続き)
> ペンタゴンに突入したAA77便や墜落したUA93便についても、陰謀説を取る
> トンデモ本をウ飲みにして、あれこれ謎を記述しているのだが、これについても
> 直近の調査ではすべて説明がついている事である。
これについては「ささいな間違い」で済ますわけには行きませんね。
私の場合、911事件については、自力で事件全体の構図について把握しようと
いうような気持ちは無かったので、マスコミが流している程度の知識しか無かった
んですが、1度、そこそこ信頼できる人が書いた「あの事件には、よく判らない点が
いくつもある」っていう趣旨の文章を読んだことはあったんですね。
また、「あの事件はエシェロンと関係がある」っていう話も聞いてはいました。
だから、『パンツを脱いだサル』を読んだとき、そういった話を思い出したんですが、
「でも、いくら日本人の常識が平和ボケだとは言っても、やっぱり話が大きすぎる
よなぁ」とも思いました。
まぁ、要するに私の力では判断できないって事なんですが、みなさんはどのように
思われるでしょうか。
この人、ポモのことをよく揶揄するけど、実はこの人がいちばんポモ的なんじゃないの?
いわゆるポモが中途半端なんだって批判なら分かる気がするが。
>>266 > 「縄文式頭脳〜」とか「日本の終焉」とか、本代に見合わない内容のつまらない
> 本のオンパレードであった。
そうかな?
それなりに良い本だったと思うんだが…。
> パンツを捨てるサルの最後に「昆虫のことも考えていないはずはない、私は天才
> だし」と続編に期待をいだかせて20年余り。
たしかに、そう書いてましたね。
私の知るかぎりでは、昆虫に関する栗本先生の文章というと、「写真世界」1989年
1月号に「蠢く虫の快感」という題で発表され、その後『五月のテニスボール』(1990年
六興出版)に「昆虫」と改題したうえで再録されたエッセーくらいしか知りません。
これは数百字のごく短いもので、ここに up しようとすれば簡単に up できるん
ですけど、著作権とかどうなのかな?
栗本さんがもっと元気だったら、パン脱を叩き台に長時間対談企画で疑問点
を払拭できそうに思うんだけど、、残念
>>253 今は種(シード)を持つ者と言うそうですな
282 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 01:14:29
ポモっていうのか最近は。
なんでも短くすればいいってもんじゃないだろ。
頭悪そう。ププッ。
昆虫は変身するからさ。
生命の形態的変化/進化を探るいい素材だよね。
面白い事言える材料がまだ無いんじゃないのかな。
研究内容のオリジナル性や語句にいちゃもんつけて得意になってるやつらがいるけど、
経済人類学の言語についての認識を何も知らないんだな。
学会に提出した論文じゃないんだから書物の意味をもっと考えろ。
くだらないヤツが多すぎる。
今回の本では認識の土俵についての話もあったのに、
何も読めてないんだよ。読んだって読めてない。
ジャンボジェット機ぐらいにしか引っかからない感性って、
そうとうステージ低いよね。いやはやまったく。。。
>くだらないヤツが多すぎる。
本自体にくだらない記述が多いんだよ。
ビートルズやユダヤの考察は最悪レベルに近い。
>何も読めてないんだよ。
質の悪い書物に読むも読まないもないもんだ
284 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 01:25:47
おまえは ビートルズやユダヤの考察の専門家か?
おまえが「質」や「レベル」の問題を語るなよ、おまえごときが。w
>>283 こんなところにこないで、
もっと質の高いスレへ逝け。
栗本さんが出てた朝生のビデオ、結構たくさん持ってます。
本気で観たいって思ってる人もいるんでしょうね・・・見せてあげたいな。。。
〜思いで話〜
広島で生放送やった回。平和運動オバちゃんたちに向かって、
「所詮、ここにいる人たちは、戦車走らせたら逃げちゃうレベル…」(かなり記憶曖昧)
とかなんとか言って、スタジオが騒然となったことがありましたよね。
オバちゃんたち、もう「キーっ!」って怒っちゃって・・・あの回は面白かった。
あと、栗本さんといえば、印象に残っているのが、
他人の発言を途中で遮ってその人以上に分かりやすく整理して言いなおしちゃうところ。
呉智英が、「ヘーゲル」という単語を若者が抑揚のないイントネーションで発声する点について、
「外国語の影響が云々・・」と言い始めたときに、栗本さんが、さっと割って入って、
「いや、そうじゃなくて、ヘーゲル(抑揚のない読み方)と言うと『ズラせる』からですよ」
と、より本質的に切り返してみせたんですが、これなんか凄く印象に残ってます。
あと、フェミニズム(?)の回で、池田晶子が「皆さんさっきから男社会とか女社会とかいうけど、
『社会』はひとつしかないはずなのに、男と女で違う『社会』があるのはどういうこと・・・?」
みたいな、ひどくこんがらがった話を始めたときも、栗本さん、またさっと入ってきて、
「つまり、なぜ男社会に入ること『だけ』が価値なのか、と彼女は言ってる」
と、明快に(ものすごく論理は飛んでるけど)整理してしまったこともありました。
取り留めないこと書いてごめんなさい。ちょっと懐かしくなったもんで。。。
たしかに、こういうところ、宮台と似てるかもしれませんね。
>>283 キミの存在そのものが
コーカサスからのヒトの大移動が今日の世界にもたらしている罪過そのものだよ。
そうか、ポモっていうと『ズラせる』のか!
弱者のルサンチマンのなせるワザだな。
言語は面白い道具ですね。
栗本の前スレ読みたいんですけど、
リンク貼れるひといますか?
>>284 少なくとも「読んだって読めてない」などとえらそうに構えてるお前には
言われたくないな。
お前の言葉を使うなら「お前ごとき」にな。
年取ったなあ、栗本。
老いは残酷だよ。
この本も往年の黒沢映画を見るような感じでつらいね。見てらんない。
なぜ買うのかといえば、郷愁からかな。かつて読んだパンサルを
思い出し懐かしむための。
この本単体で見れば、価値はそれほどないね。いろんな意味で
後光効果以外に見るところはない。残酷だけど。
血液凝固・血栓形成系の話はとても勉強になりました。
命にかかわるし。
それが中途半端な進化のせいだという推論は読み応えありました。
まだ第一章だけど。
糖尿病という病名は変えた方がいいなぁ。イメージわるい。
痴呆症を認知症にしたようにさ。
価値が無いって言ってる人って、
何も得るものがなかったの?
初めて知った事とか新しい認識とか。
かわいそうだね。残念だね。
自分が糖尿病や血栓症になったときに思い出すといいよ。
オレは、動物としての人間観や生体システムについての考え方が
随分変わってきた。かつてパンサルを読んでいてもね。
医療行政の酷さを、この書で初めて知る人もいるだろう。
進化の話も医療の話もモトネタの専門書なんか読む気がしないし、
一般人に分かりやすく纏めて提出するのが認識や議論の土俵を作る一歩なんだな。
>>291 やっぱりステージ低いな。
もうちょっとがんばってくださいね。
高レベルの、ビートルズやユダヤの考察を述べてみなさいよ。
どうせたいしたこと知らないだろ。
おまえの心の中心にあるのは嫉妬心なんだよ。
アクア説って古人類学の専門家からはまるで相手にされてないらしい。
どうも、化石をみるとありえない話なんだそうだ。
まあ、この辺は、今度の本では非本質的な部分だから良いけど。
人間が不自由な身体と過剰な暴力性を持つ生物だというところを
押さえとけばいいわけでしょう。
296 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 03:44:55
しかし茂木健一郎とか「と学会」の連中とか、理系かぶれの書く文章は何故こうもつまらないのか?
>>294 栗本信者。。。
つまりは「読んだって読めてない」わけですな(w
本屋に本はたくさんあるんだよ。
たくさんの本の中、意味と生命ならその当時、買う価値はあった。
過去のパンサルも。
今回の著書を見る限り、同じお金をはらうなら、ほかに買うべき
本がありそうだな。
わかったわかった。
市場社会で営業妨害してないで、価値のあるスレにいっておしゃべりしてろ。
>>296 つまらなくない文章を書く人を教えて。偉い人。
>>298 同じお金をはらうなら、ほかに買うべき本を教えて。偉い人。
ところで、意味と生命とパンサルって同じ購買層だと思う?
表現する時に、誰に向かって表現するのかを考える事の重要性って、考えた事ある?
価値って、君にとっての主観的価値だろ。
キミはどんなグループを代表してものを言ってるの。最先端の学者?女子高生?
>>301 「誰に向かって表現するのかを考える事の重要性」なんてのは、ほんとうは
君にとってどうでもいいことなんだろ?
君の文書の内容自体にはなんの意味のない。ただ単に「栗本ファン
が栗本を擁護するために考えた武器としての単語」
の羅列にすぎないのだから。
私怨を含ませた言語を並べて質問されたところで、それに答える
価値はない。
その文自体に、相手を攻撃したいという私怨以外に
何の意味も含まないからだ。
>本屋に本はたくさんあるんだよ。
そりゃあるだろ。本屋なんだから。w
最先端の学者も女子高生もきっと栗本は読んでない。
意味と生命とパンサルの両方を読んでいる人間はきっといっぱいいる。
>>302 だぁ・かぁ・らぁ、
市場社会において表現が商品として成立するための条件について
話題を振ってんだよ。
そこまでいわなきゃわからないか?
価値も意味も無いのはキミの言説だよ。
何を答えたって価値はないから、もう答えなくていいよ。
言葉づかいにイライラしたならゴメンな。
最近、匿名で営業妨害するネット状況にムカムカしてたもんで。
ちゃんとした批判ならいいんだけど。
じゃ、ジョギング逝ってきます。
>市場社会において表現が商品として成立するための条件について
>話題を振ってんだよ。
嘘をつけ
>何を答えたって価値はないから、もう答えなくていいよ。
信者の攻撃のための言語ほど価値のないものはない。
それは女のヒステリー時に発する言葉と同じ。
わかってないのはお前
バ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜カ
史ねよクズ
ソ連もユダヤの国だったのか!
権力派遺伝子最強。コワ。w
309 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 18:38:17
わーい。インボーインボー。
暴飲暴食は下痢の元ですがな
ユダヤが解ると世界がわかる
かなんかしらんが、くだらん本が昔あったな。
陰謀なんてのは限られたグループでおこすもんだ。
ユダヤ人が皆で陰謀なんぞたくらむものか。そんな
発想する奴は、脳みそがいかれているか、妄想癖が
激しいか、あまりにも老いたかだ。
栗本はユダヤ陰謀論じゃないと自分で言ってるじゃん。
要するに、双分制は人類社会の基本原理であり、近代社会も人間
が作ったものである以上、光と闇の二つの原理が働いているはず
という話でしょ。だから、歴史上のターニングポイントにいちいち
ユダヤの影が見え隠れするのは構造的な話であって、陰謀の事実
があろうがなかろうが、基本的な主張は変わらないというわけでしょう。
あと栗本はいい加減に思い付きを書き散らしてるわけじゃないよ。
初期からパン脱まで基本的な関心と主張は首尾一貫していて
まったくぶれてない。
まあ、栗本が証拠としてあげる一つ一つが、いちいち突っ込みどころ
満載なのはご愛嬌ということで。
なぜだろう。前スレのほうがクリシンへの愛に満ちているのは。
せっかく、パンサル完結編が書かれたというのに…
どーでもイイ話だが、1992年にリリースされた、作詞:栗本大先生、作曲:
織田哲郎の「平成若者大音頭」って聞いたことがある香具師はいるかな?
オレは聞いたことがないんだが、のりピー音頭みたいなものなのかな?
それから「秋田は濡れて」って曲も入ってるらしいんだけど。
>>315 その曲、聴いたことあるよ。鶴ちゃんのプッツン5っていうテレビ番組に栗本センセ
が出てきて歌ってたよ。地球愛して行こうじゃないか〜♪ってトンチキな曲をセンセが
歌った後に片岡鶴太郎が、この変なオヤジをどう扱っていいのか困ってしまってポカーンと
してた。というか、何だこいつ!?芸能界を舐めるなよ!という目をしてセンセに対して
無言で怒ってたね、鶴ちゃんは。
栗本先生は大インテリなので尊敬してるけど、俺のような無知な大衆にとって
先生の行動は時たま解釈不能である。評価に戸惑っちゃうんだな。
栗本先生のバシャールへの評価は、ワクワクして生きると良いよという
メッセージだったんだ、という好意的な見方もできる。政界をウロウロして結局
うまくいかなかったのも、高潔なインテリだったからだと好意的な
見方もできる。しかし、あの歌だけは何だったんだろうか・・・と
政界で巧くやっていける栗本より、
失敗してる栗本のほうが俺は好きだけどね。
ただ、やっぱり当人が思ってるほどは現実処理能力は高くなかった
ってことだろう。
変な色気を出さずに学者に専念してれば良かったのに。
政界ではフィールドワークをやってたといわれても…
それはともかく栗本ってもともとは経済史の学者さんだよね。
人類学者としてフィールドワークをした経験ってあるの?
>>318 『ホモ・パンツたちへ』68〜69ページに、以下のように書いてあるね。
> 私は、いわゆる人類学者になろうとして経済人類学を始めたわけではありません
> し、これまたいわゆるフィールドワーク(現地調査)至上主義を理論的にも強く支持は
> しませんので、あまり調査というものを積極果敢には行ないません。
> 体を動かしてみなければわからないことはたくさんありますが、逆にそれによって、
> 自己陶酔が生まれて、洞察が甘くなることが多いからです。しかし、実際の私自身は、
> 体を動かすことは、子どものころから人の三倍も好きでしたからあまり苦にならない
> ので、一〇〇パーセント人類学者的なことはしませんが、現地に行って人に会って
> 話を聞くことは大好きです。また、得意だとさえ感じます。
それから、カール・ポランニーに対しても「フィールドワークをやってないじゃないか!」
っていう批判があったらしいね(栗本先生の本に書いてあったと思う)。
しかし話は変わるけど、栗本先生は『鉄の処女』の3章において、Aゾーン(=理性)、
Bゾーン(=非理性+不明な部分)って分けてるけど、この分類法でいくと、宮台氏って
何対何になるんだろうか?
ここで宮台氏のことを聞くのはアレなんだけど、ここ以外ではAゾーン・Bゾーンって
言っても通用しないんで、許してね。
宮台はかなりAが多いと思うけど。
天皇制とか言っても、あったほうが便利だから京都の御所にでも置い
ときましょうという考えのできる人だから。
人間を動かすのはBの力だけれど、それはAで十分制御可能だし、
制御すべきだ、ととりあえずは言ってるんじゃないの、あの人は。
社会全体でみると「理性=エリート」がバカな大衆の情念をコントロー
ルするという感じかな。
ブルセラとか、やってた頃はまた違うと思う。
いや、宮台はあまりよく読んでないから、あれだけど。
321 :
考える名無しさん:2005/06/18(土) 06:11:36
>>312 うん。あなた優秀ですね。
>>313 前スレリンクありがとうございます。
「NAMの会員いるかあー。
説得(折伏)してくれー。」
で終ってるのにワラタ。
>>318 ま、政界も芸能界も人類学者としてのフィールドワークだって言ってますけどね。w
経済史学としては院生時代にイギリスへ行ってるのかな。
業界の企画ものっぽかったけど西アフリカ行ったり、バリやベトナムのレポートもあったと思う。
ペルー、スペイン、本拠地東欧ハンガリー周辺、客員教授でアメリカ南部、ソ連・・・等々。
栃木の栗山村に通ってたこともあったかな。
当然、吉野熊野、飛騨高山、南近江なんかは現場へ通ってるはず。奈良住んでたし。
例の新刊が楽しみです。
いわゆる、未開の原住民と何年も暮らしたっていうフィールドワークは、無いと思う。
Bゾーンじゃなくて、UゾーンDゾーンじゃなかったか。
ややAが強いっぽい宮台氏はあまり読んでないんでよく知らないけど、
縄文式頭脳革命でお前らもう少し自分で考ろよと言いながら
政治の世界で教育改革をしようとした栗本氏と宮台氏は
似たようなものでは。
323 :
考える名無しさん:2005/06/18(土) 11:18:53
私はこう思う。
シオランでなくてもその人に寄ってくる多くの理由は自分を「利用できる」からだ。
相手は「善意」からと勘違いしていてもそう考えているのが大半であることは確かだ。
そう簡単に人の「言葉」を信じてはいけない。
なにより栗本は懲りない。
しかし、私がこの人が好きなのは学者としての「矜持」とは何かを良い意味で知っている数少ない人であるからです。
(学者の「矜持」とは何かは「ご冗談でしょうファインマンさん!」を参照)
また世間がどう考えようが「私」はこうだという理論と思想、そして展望を打ち出せる人であるからだ。
理論と思想を打ち出せる人は数多いが、「展望」の両方をキチンと打ち出せる人は本当に少ない。
なにより人間が良すぎる。
これまた本人はそう考えてないだろうが、清濁併せ呑む(法的にという意味でなく)ことは絶対にしない不器用さがカワイイ。
「暴力的」と標榜しているが「とてもセンシティブでまわりの無神経さに苛立っているようなところもある」(月本裕のコメント「鉄の処女」同)。
清濁併せ呑んでいれば総理大臣くらいはなれたであろうが(笑)、本人はそれを潔しとはしない。
人物としては企画立案力や構成力、社会的交流のうまい。
ヴィトゲンシュタインの様な社会的交流能力が欠落していないし、自分の経験を血肉にするバランス感覚もある。
ただし文章は正直すぎて悪文である(笑)。「意味」を正確に伝えようとするあまりカッコや脱線が多いのはちょっとどうかと。
しかし、編集者に赤を入れられているからか、パソコンのワープロになってからだいぶ改善された。どうでもいいな、そんなこと。
324 :
考える名無しさん:2005/06/18(土) 11:34:28
宮台真司:A:D=9:1
Dゾーンを知っているからAを語れるというスタンス
ちなみに「鉄の処女」で同じコメントをしていた。最近の中沢新一
A:D=8:2 ポケモン分析を見てそう感じた。
325 :
考える名無しさん:2005/06/18(土) 12:08:21
ビートルズに関しては、書かない方がよかったな。もうちょっとスタンスを
変えて書くとか。『ストロベリーフィールズ』の(「ポールを埋葬した」)と
かは今では完全な誤りであることが立証されていたり、紹介している曲名に
完全な間違いとか、ビートルズの作品でないものまでが混入していたりとか。
だいいち、「怠惰な反戦ムード」を作り出すことがベトナム戦争をやって
いた時代に「ユダヤ資本家」に何のメリットがあるのかとか、ポール死亡説
がいったい何のメリットがあるのかとか、突っ込みどころ満載だし。
326 :
匿名1:2005/06/18(土) 19:12:03
初めて書き込みします。このパンツを脱いだサルの中の第一章「人はいかにして人になったのかーそしてなぜなったのか」についてここの章が長く人に対してうまく説明ができません。いったいどのように説明すればよいのでしょうか?分かる方よろしくお願いします。
>>326 「よく読め!」と言いたいところだが、まぁ簡単に言えば
(1) 670万年前に、地殻変動により、エチオピアの海岸部分であるダナキルが
孤島になった。ヒトの祖先(当時はサル)は、この島に取り残されてしまった。
(2) これに加えて、気候の変化により島の森林も減っていき、生活できる場所が
減少していった。また、肉食獣に襲われる危険も増大した。
(3) やむをえず、浅瀬に住むようになった。
(4) 浅瀬に住むようになったことで、身体にさまざまな変化が生じた。二足歩行や
体毛が薄くなったことなどが代表的なものである。
こんなんで良いのかな?
そういやクジラなんかも、かつては陸の動物だったのが、海に帰っていったんですよね。
328 :
匿名1:2005/06/18(土) 20:38:29
簡単に説明していただきありがとうございました!さらにまた読んでみます。
329 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 01:06:00
UゾーンDゾーンを合わせてBゾーンとした。
A:アポロ的秩序
U:アンノウンのU
D:ディオニュソス的混沌
用語はニーチェを意識している。だったと思う。
厨学の頃、栗本さんの本を読んで家のかーちゃんによく怒られてた。
母「ホモパンツ!?バカな本を読んでないで勉強しなさい!!学者なんて
世間知らずのバカでどうしようもない人達なの!!ホモだのパンツだのサルだの、
この栗本ってのはバカじゃないのかね!!こういうのを変態って言うんだよ。
お前も変な本に影響受けちゃって!情けないよ!この前のあんたの数学のテストの点数
見てあたしは泣きたくなったよ。勉強しないでバカなものばかり見て根性の腐った子だね!
勉強しろ!犬でもエサをやったら飼い主の言うことを聞くんだよ!家から出て行け!
死ね!お前なんか死ね!!」
俺「うわああーーーんヽ(*TДT*)/ かあちゃーーーん ひどいよーー」
栗本さんの名前を見るたびに、古傷がうずくのである(;。;)
331 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 11:14:34
この親あって、この子あり。
332 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 11:37:49
そういえば栗本さんの娘さんも学校でいじめられていたらしいな。
「お前の親父はホモだろう、パンツだろう」って。
でも『ホモ・パンツたちへ』は、名著だと思う。学術的意味は抜き
にして一番好きかも知れない。
ヤバい古傷を触ってしまった・・
それで今度は西部邁さんの本を読んでいたら母ちゃんが
「小遣いを無駄なものに遣っちゃってバカじゃないのか。
お前は今度は西部なんかに影響されてるのか。あたしはこの人、
嫌いだよ。お前は受験するんだろ。こんなもん読む暇あるのかね。
何を考えてるんだ気持ち悪い。分からない癖に知ったかぶりして
バカじゃなかろか。生意気なんだよ!勉強しろ!あんたがカバンの中に
エッチな本を隠してるのは知ってるんだよ!小ずるい事して、将来ろくな者
にならないよ。あんたのやる事なんて全部お見通しなんだよ!
今度のテストで90点以下だったら学費は出さないよ。
親方に頼んで土方か左官屋やらせるよ。何だその目つきは?
文句あるならてめえで働けってんだよ!ただでオマンマ食わせるほど
世の中甘くないんだよ。反抗的な目をしやがって、犬でも飯を3日食わせ
りゃ飼い主に恩を感じるんだ!お前は犬以下だね死ね!」
俺は西部さんの本を本棚にしまって、泣きながら問題集を解くのであった(ToT)
334 :
sage:2005/06/19(日) 12:38:00
ワンダフル
これは栗本の学説を貶めて無きものにしようというユダヤ権力派資金資本の
陰謀に違いない。おまえのかーちゃんカザール人だな。
て言うか、お母ちゃんの攻撃は西部に対してのほうがヨリ鋭いぞ。
偉いお母ちゃんだ・・・
西部警察を警戒してるのだろう。
カザール系ユダヤ人は優秀だからな。
つうか、俺たち、ユダヤ資金資本の生贄なのね。
竹中平蔵って、あんな坊ちゃん顔して、相当悪党なんだな。
みなさん、日本民族って、無くなっちゃっても、いいと思う?
パンツとしての、自己増殖する貨幣の暴走は、
その使い手である権力派ユダヤ人にも止められないっていうけど、
そいつらを殺す、いやいや、説得して、
資金を全部アフリカに寄付しちゃうとかすればいいんだよ。w
貨幣を意志ある人格のように扱いすぎなんじゃないかな。と思ったんだけど。
闇の力っていっても、人間がやってることなんだからさ。
・・・読めてなくてスイマセン。w
340 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 21:06:24
自由縄文党を作って、政権奪取を目指そう!
341 :
考える名無しさん:2005/06/19(日) 23:27:43
ううううううううううううううううううううううううううううっ
342 :
考える名無しさん:2005/06/20(月) 12:35:36
今こそ;宇宙へ蕩尽の旅に出せ!
343 :
考える名無しさん:2005/06/20(月) 17:17:42
あああああああああああああああああああああああああああっ
>>316 にも書いてあるけど、6月22日の「徹子の部屋」に栗本先生が出るよ。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/050622.html ---
今週の徹子の部屋 6月22日(水) 出演
栗本 慎一郎 (くりもと しんいちろう)
「脳梗塞との闘病リハビリ」
テレビの討論番組などで、舌鋒鋭く情熱的に論議する姿が印象的な経済人類学者の
栗本慎一郎さん。実は約6年前に脳梗塞を発症、脳のど真ん中の血管が3.5センチ
も詰まり、いつ死んでもおかしくない危険な状態に陥っていた。しかし一命は取り留めた
ものの、後遺症により左半身が完全に麻痺。介助なしには食事も排泄もままならない…、
車椅子が手放せない…、そうした生活を余儀なくされていたが、自分で考案したリハ
ビリ法を実行ったところ、驚異的な回復を遂げたという。それは「鏡」を使った簡単な
箱を用いて、脳に錯覚を起こさせる独自の「ミラー療法」。これで通常1年かかるリハ
ビリを4ヶ月で終了し、発病前とほぼ変わらない生活を送れるまでに完全復活したという。
スタジオでは、その方法と理論をじっくり紹介。脳梗塞の患者数、約170万人とも
言われる現在、必見である。
※ 栗本さん発案の脳梗塞片麻痺治療のためのリハビリ器具
「クリミラー」(9800円)大学総合研究所より発売中。
申し込みは、メールまたは電話で
電話03-5779-6386(大学総合研究所)
[email protected] ※ 栗本さん近著
「パンツを脱いだサル」
(現代書館より2100円で発売中)
※ なお栗本さんの闘病については
「脳にマラカスの雨が降る」(光文社・栗本慎一郎著)
に詳しく書かれてあります
倒れてからもう六年も経ってるのかあ。
俺も栗本先生と同じで、左目利きで顔が右に曲がってて高血圧で糖尿でセッカチ
で話が彼方此方飛ぶタイプで、すでに小さな梗塞は起こしてると思うから、
録画しなきゃな。ラマチャンドランのミラーは半年くらい前にテレ東で見たが、
あれと同じ物なのかも興味あるな。
347 :
考える名無しさん:2005/06/20(月) 19:26:37
貨幣については、比喩としてではなく確実に(本当の意味での)
「生命体」として位置づけていると思うな。
「意味と生命」でも、つまり生命とは意味と同義語だという議論
をしていたし。
348 :
考える名無しさん:2005/06/20(月) 19:47:19
利ざやで食ってるやつらって、軽蔑すべきだと思わない?
軽蔑っていう言葉は、フラットな社会ではすでに死語です。
350 :
考える名無しさん:2005/06/21(火) 00:45:09
利ざやで食うならまだいい、生存のためだから。
そんな、かわいいもんじゃない。
チンホ○に鯉ってなんだよ
笑わしてるのかよ
352 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 11:39:41
徹子の部屋age
見たよ、徹子の部屋。思ったよりはるかに元気そうだったのでホッとしたよ。
良かったよ。
しかし、センセの奥さんはおっかなそうだな。
354 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 13:59:31
先生の奥さんは、よほどの美人なのかと思っていたが、
そほどでもなかったかなw
俺には美人に見えたよ。もちろん若い頃を想像しての話だけど。
経済人類学的に考えれば、
>>353-354 みたいなことを言う香具師は、腹を切って
死ぬべきである。
それはまぁ冗談だが(しかし、ちょっと失礼ぢゃないか?)『パンツをはいたサル、
国会へ行く』(1993年 光文社)の93ページに、栗本先生の奥さんと思われる
女性が写ってる写真があるね。
やはり美人だと思うけどな。
ところで、今日の放送で、オレ的には、農大で授業をやってる様子が見れたのが
良かったな。
357 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 17:02:39
ところで351て何なんだ?
見たよ。大事なのは水分だな。西城秀樹も水分不足でサウナで気分が悪くなった
という。
視覚的な情報を言語化して欠損した短期空間記憶を補ってるというは、
聞いてて辛かった。左手がリハビリで学習した動きしか出来ないというのも辛いな。
不謹慎だが、感情が鈍麻して怒りの感情が起こりにくいというのだけは羨ましいと感じてしまった。
359 :
考える名無しさん:2005/06/22(水) 23:33:22
確かに丸くなった感じだね、栗本先生。
昔はもっと、口をとんがらがしてしゃべってた。
リハビリの機械発明したのは、やっぱさすがって感じ。
特許とれそうな代物。
とりあえずは、お元気そうだったし、雰囲気も好感持てた。
脳梗塞が人間にしか起こらないことを考察できたから、
この本が書けたって話もあった。
東京農業大学で、マルクスとかの授業やってる様子が映ってたけど、
偏差値知らないが、そこの学生のレベルで、
栗本先生の話についていけるんだろうか?
360 :
考える名無しさん:2005/06/23(木) 11:04:16
そういう言い方をしてはいけない。
そんなことをいったら、そもそも明大だって・・・ごにょごにょ。
むかしは奈良の短大とかで教えてたんでしょ。
本にもあるように、ビートルズに完敗して失意のうちに田舎へ引っ込んだのでしょう。
天理大学にもいた。
そこでカール・ポランニーの著書に再会してビビーンときたらしい。
奈良の聖地霊場にもビビーンときていたらしい。びびーん。
この野郎!!という気持ちは分かるけどな。俺の場合ビートルズじゃないけど。
364 :
考える名無しさん:2005/06/23(木) 15:14:36
>>347 「パンツを脱いだサル」では現在世界中でどれだけ貨幣数量があるかもう分からなくなっていると書いてあった。言われてみれば10年前ぐらいからマネーサプライという言葉が徐々に聞かれなくなった。ではそれ程貨幣数量が増えてハイパーインフレが起こらないのはどうして?
365 :
考える名無しさん:2005/06/23(木) 18:02:53
数字だけで実体がないから。
しかし、徹子の部屋では「ミミズの酵素」の話はいっさい出なかったな。
吉本ばななのエッセイ読んでたら、吉本リュウメイの家に栗本さんから
ミミズ(クリールベールだっけ?)が届いてて、ばななが試しにそれを飲んだと
いう話があった。
たけしの番組で、鳥越俊太郎の脳を見たら小さな脳梗塞を起こしてたのが見つかった。
元気そうでも気がつかない内に誰でも梗塞は起こってる可能性はあるんだから、
注意したいよ。
栗本さんは政治の世界には戻らないだろうし、今後は研究と出版で
読者を楽しませてくれることを期待しまっす!
368 :
考える名無しさん:2005/06/24(金) 20:09:02
へー、吉本さんに送ってたんだ。
バナナが飲んで、本人は飲んでないのかな。w
浅田に脳軟化症とか罵倒されてたので、
バカにすんなとか思っちゃったんだろうか?w
ミミズなんか飲めるか!と。
重層的に非決定してやるプンプン!とか。
しかし、血栓を直接溶かすミミズ酵素をダーウィンが発見していた
というのは、ビクーリでした。
サントリーとかがミミズ健康飲料出さないかな。
イメージ戦略が難しいな、ミミズでは。
ユダヤ資本に協力してもらわんと・・・。w
>>368 吉本隆明氏に対して「脳軟化症」って言ったのは、中沢新一ではなかったかな?
失礼しました。
でも、おなじようなものでしょ?
>>370 でも、別人だからなぁ。
浅田彰氏にヌレギヌを着せるわけには行かないからね。
昔は雑誌で対談をよくやってましたが、最近は対談してないんですかね。
田近伸和あたりと対談すれば面白い本が出来そうな気がしますが。
373 :
考える名無しさん:2005/06/25(土) 14:06:55
373乙!
すごいねこれ。
栗本センセー、サイコー!
>>369 いや浅田でしょう。
渡部直巳も似たようなことを言ってた。
中沢は吉本と仲が良いので、そんなに酷いことは言わないんでは。
377 :
考える名無しさん:2005/06/26(日) 21:24:36
梅原、吉本、中沢、で日本思想についての鼎談本もあったなぁ。
中沢さんも頑張ってるよね。まだチベット方面やってるようだし、
社会科学と宗教を絡み合わせる語り口は、けっこうステキ。
コーカサスって、アーリア人の出身地でもあるんでしょ?
中沢は最初から眉に唾つけた読者に読んでもらえるから
気楽だな。
いい位置だよね。宗教学者って。
オ○ムでは酷い目にあったけどさ。
でも島田裕巳は完全に抹殺されたけど・・・
中沢新一と運命を分けた「差」はなんだったんだろう。
才能
運命を分けた「差」は、スカしてるかどうか。w
でも島田さんも本、出してるでしょ?
抹殺は酷い。ユ○ヤじゃあるまいし。
中沢さんの、東京を地層で分析してるような本が出てたよ。
本屋で見かけた。
地の霊力と欲望の関係の話だろうか。
縄文に擦り寄ってきたのだろうか。
山口昌男か
山口昌男健在?
386 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 00:06:35
387 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 00:10:30
383
すごく興味ある。
389 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 00:25:47
>中沢新一が宗教学と民俗学と現代思想をこきまぜて
>また怪しげな言説を吐いている
わらた
tp://www2s.biglobe.ne.jp/~cama/italia/cultura/libro.html
392 :
考える名無しさん:2005/07/01(金) 10:19:08
中沢は吉本を批判してたけど、
吉本が中沢のチベットでの修行を誉めたりしたんで、
中沢は吉本にいい感じを持ってるんだろ。
栗本は「相対幻論」で吉本に認められたって喜んでたな、昔だけど。
吉本に必死に反発してんのは浅田や柄谷くらいだろ。
どちらにしろ吉本をいまだに「意識」してるのが面白い。
393 :
考える名無しさん :2005/07/01(金) 10:22:51
>>383 「アースダイバー」ね。
面白いよ。
発想が夢枕獏とか想起させるけどさ。W
誰が言ってたっけかな。中沢さんは実証性の問われる学者の世界に
いないで、さっさと小説家になればいいんだって。
作り話の才能は素晴らしいから。
>>392 少なくともその世代は吉本を無視しては成り立たなかったからなあ。
それほど日本の思想界における吉本の影響力は大きかった。
『パンツを脱いだサル』ではサブリミナル効果が取り上げられていますが、下條信輔
という心理学者が書いた『サブリミナル・マインド』という本の215〜218ページに、
キイの『メディア・セックス』に対する言及がありましたので、以下に引用します。
---
キイという社会学者は『メディア・セックス』という本を書き、これが数年前に
日本でも翻訳されてベストセラーとなりました。衝撃的な告発の書ということで、
ご記憶の方も多いことと思います。
消費者・市民が知らず知らずのうちに、マスメディア、特に商業広告の潜在的
メッセージによって操られている。また広告制作者の側も、意図的にそれをねら
って、巧妙なサブリミナル・コマーシャルを量産している。具体例を挙げながら、
そう警告している本です。
この本では、狭い意味での商業ポスターやコマーシャルだけではなく、政治家
や官公庁による広報活動、映画やポピュラーミュージックなどから豊富な具体例を
示しています。その中には牽強付会と思われるものもあり、あるいは被害妄想に
すぎないのではと思わせるものもあります。けれども全体としては、流行による
大量消費を是とする資本主義社会の今後の方向に対して、強烈な問題提起をして
いると思います。
(中略。『メディア・セックス』で取り上げられた具体例について解説している)
公平を期するために申し添えますが、その後キイの挙げたこれらの例については、
「本当にそんな効果があるのか」という疑問から検証や追試がおこなわれ、どちらかと
いえば否定的な意見を持つ人のほうが多いようです。もともとキイは実験心理学者
ではないので、実証的根拠ははじめから薄弱です。また告発の書ということで多少
気負いすぎ、センセーショナリズムに走ったきらいもあります。それにもかかわらず
私がここで取り上げたのは、その全体の方向性は正しいと思うし、彼の表明した
危機感に、私もある程度共鳴するからです。
つぎは、池田清彦/著『新しい生物学の教科書』(2004年 新潮文庫)の244〜
246ページに書かれている、エレイン・モーガンのアクア説についての批評です。
池田氏は「構造主義生物学」を提唱し、ドーキンスらの社会生物学を否定している
人物です。
---
人類は脳の巨大化や言語の使用などに先行して二足歩行をはじめたことは確か
らしい。問題はなぜ二足歩行をはじめたかにある。ホミニゼーション(ヒト化)が
進行中だった頃の東アフリカでは、ちょうど気候が乾燥化して、森林がサバンナ
に変わりつつあったことから、二足歩行をサバンナへの適応形態だと考えるのが
一般的であるが、構造主義生物学はもちろんそのような考え方はしない。二足歩行
は大きな構造上の変化として適応とは無関係にまず起こったのであり、細かな
形態変化が二次的な適応としてその後に生じたと考えるのである。
ラミダス猿人の生息地は一緒に出土した森林性のサルや樹木の種子などから、
かなり深い森林だと判断されているという。森林だろうとサバンナだろうと、
立ってしまったものは歩くより仕方がないのである。二足歩行の原因とされる
サバンナへの進出や、社会構造の変化などは、すべて原因ではなくて結果であろう。
オーウェン・ラヴジョイは子育てのために前肢も使って食物を運ぶ必要上、二足歩行
が適応的行動として進化したのだと主張しているが、これは多分、話が逆なのだ。
(
>>398 の続き)
最近、日本でも翻訳がいくつか出ているエレイン・モーガンのアクア説も、
自然選択による適応というダーウィニズムの呪縛から逃れられない典型である。
モーガンによれば体毛の薄さ、厚い皮下脂肪、涙、二足歩行、対面性交などは、
ヒトがかつて水棲生活をしていた時の適応だと考えないと説明できないという
(たとえば『人は海辺で進化した』どうぶつ社)。
私見によれば、ヒトは適応とは無関係にゲノムシステムの変更によりヒトに
なったのではないかと思う。具体的に言えば、遺伝子のランダムな突然変異では
なく、遺伝子の使い方を今までのやり方とは少しだけ変えたのではなかろうか。
これは普通に言われている突然変異ではなく、遺伝子発現システムの変更であり、
その結果急激な形態変化を起こしたのだと思う。ヒトとチンパンジーのDNAは
98.5%同じであり、他の生物ではこの違いは別種になる程のものではないと
いう事実も、ホミニゼーションは突然変異と自然選択の繰り返しにより起きた
わけではないことを示唆するように思われる。
池田さんがアクア説の根底にあるダーウィニズムを否定している
論理は分かりますが、水棲生活をしていたのかという点について
池田さんがどう考えているのかは、ちょっと分かりにくいですね。
401 :
考える名無しさん:2005/07/02(土) 05:45:18
進化
「遺伝子発現システムの変更」と「突然変異」ってどう違うの?
サブリミナル効果
少子化とはいえ、騙されやすい子供は毎年供給され続けてるわけだから、
売らんかなの商売宣伝で洗脳を続ければ、世の中が資本の思いどうりに変わっていくよね。
意識されないほどの映像を差し込むなんてことは、もはや無いのだろうけれども、
欲望を煽る技術は、より巧妙(強引に)になっているようなきがする。
保険のCMとか、うざくない?
うざいね。
なぜ毛が無くなったのか、アクア説以外になにかあるのでしょうか。
なぜ、頭髪と陰毛と腋毛が残ったのか。大事なところを守ってるようだが。
なぜ、中年になってハゲる人がいるのか。なぜ、男がハゲやすいのか。
ハゲについても栗本さんは詳しいはずだが・・・・。
ナゾは多い。。。
404 :
考える名無しさん:2005/07/02(土) 18:06:37
>>403 いろいろ批判された人だけど、昔、栗本先生がお奨め本の中に必ず
入れていた『生命潮流』の著者ライアル・ワトソンが、やはり原始人
類水棲説を唱えていて、面白いことを書いていた。つまり女の髪が抜け
もせず長く長く伸び、また大抵の文化で女が髪を伸ばしているのは、
水棲だったころに幼子を髪の毛にくくりつけて水の中を泳いでいたから
ではないか、だからその必要がない男ははげるのではないか、という
ようなことを書いていたな。
>>404 だとするならば、最初からヒトの雄には頭髪はいらないのでは?
404
おもしろいね。
さすがライアル・ワトソン。
>>405 ぷかぷか浮いてる男の子の髪の毛をひぱってお母さんが抱きかかえるんだよ。
ヒトの祖先くらいの身体の大きさだと、海に入ると波に流されるので、
生存にはかなり不利らしい。
池田氏は、モーガン説をダーウィニズムだと言うが、ダーウィニズムの
立場から言えば、モーガン説はラマルク説的として否定されるはず。
409 :
天才の発想:2005/07/03(日) 00:00:28
>>404 女が、髪の毛を長く伸ばすのは、陰毛のコピーだから。
これ思いついたのは、自分が世界で一番かも。
410 :
天才の発想:2005/07/03(日) 00:05:15
>>403 ダッシュ説のほうが説得力はある。
木から下りたヒトは何かと草原では走り回らなければ
ならなくなった。その時、非常に体温が上がる。
それで体中毛だらけでは暑くてたまらんってワケ。
他の動物みたいに毛皮を持ちながら体温の急上昇を
防ぐ進化を行うには、時間がなさ過ぎたってワケ。
2ちゃんねるのハゲ板でもハゲしい議論があったが、頭を酷使することによって
大量の血液が送り込まれ熱を持った脳が、熱を逃すために保温作用のある髪の毛
が邪魔になり、男はハゲだすようになったのだという説が人気があった。
水棲生活では水冷式で頭部の熱を逃すことができるので、おそらくその時点
では、男性型脱毛はなかったと想像される。
すべては偶然である。
ウケケケケケケケケケケ
ながーい髪の毛が水に濡れると顔全体を覆ってしまうよなあ
水に濡れなくても貞子状態
原始の祖先はみんな貞子みたいな容貌だったのだろうか
おそろしや
>>411 そうか!頭冷やせばいいのか!冷やそう冷やそう。
416 :
考える名無しさん:2005/07/03(日) 11:29:26
>>414 水も滴るいい女、だね。
水で濡れた女に萌えるというのは、原始的な衝動だったりして。
417 :
天才の発想:2005/07/03(日) 21:46:50
ハゲるのは、白髪になるのと同じ意味あい。
つまりこのオスは、老化が進んで生殖には不向きなオスですよ
っていうメスに対するメッセージ。
オスにとっては、ハゲるとメスに嫌われるから
ハゲる前に早く生殖行動しなさいよという警告。
髪の毛というのは、メスにとってもオスにとっても、
大きなセックスアピールになっている。
ということかな?
それについてハゲ板で様々な説が出たが、どれも矛盾があるようだ。
ハゲでも性欲が強い者がいること、ハゲの方が体毛の濃い者が多いこと、
ハゲでも肉体的に強い者がいることなど。
アンケート調査ではハゲが女にモテないというのは事実のようだが、
モテないハゲがもてあました性欲を何とかしようと工夫する力が、
人類の文明・文化を発展させる原動力だったのではないか、という説が
有力のようだった、ハゲ板では。ハゲがインフェリオリティコンプ
レックスを克服しようとして発明した物として帽子が上げられる。
動物の毛皮や植物を編んで使った帽子は、紫外線を避けるのが目的ではなく、
ハゲが女にモテるために被りだしたのだと思われる。ハゲ板ではそういう
意見があった。
あなたハゲですね!w
身体コンプレックスを隠すファッションはヨーロッパの貴族文化に多そうですね。
中東だっけ?ラテンだっけ? 禿げてる男が意外とモテるらしいってのは。
水棲生活と男性型脱毛で想起したんだけど、日本には河童伝説なんてのがあるよね。
あれは、人類の遠い祖先の生活様式が言い伝えられて現代に残ったものなのだろうか。w
421 :
河童伝説:2005/07/04(月) 11:15:11
柳田國男は古い神々が零落した姿であると説明していますが、
カッパは本当にいます。見ましたから。
これほんとに哲学板の会話か?www
太古の神々というのは、やっぱり日本人の、
あるいはもっと遡って人類の祖先でしょ?
> これほんとに哲学板の会話か?
かなり、哲学的に深遠な会話だと思います(w
423 :
考える名無しさん:2005/07/04(月) 15:08:10
クリモト先生がトレードマークの帽子を取ったら
お皿があるというのは本当でつか
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
先月、徹子の部屋に出演してたね
海編 帽子を脱いだ海坊主
河川編 帽子を脱いだ河童
陸編 帽子を脱いだ クリモト先生
ハゲスレか?
>>418 なるほど、パンツをはいたサルではなく、帽子を被った河童か。w
生物学的な比喩だと「裸のサル」をもってヒトをあらわすんだろうけど、
経済人類学的には「裸でない(パンツを履いた)サル」という比喩でヒトを
あらわすことになるんだね。まったく視点が逆転している。
デズモンド・モリスってツルパゲじゃなかったかな。
モリスは自分がハゲなので「ハゲのサル」と言う事に心理的な抵抗があって
「裸のサル」にしたのだと俺は睨んでる。
433 :
考える名無しさん:2005/07/05(火) 12:54:54
ところで栗本先生の書評が出ていた。
文芸春秋 7月号
特集 「人生の危機に読む本」
題 脳梗塞に倒れながらも
メルロ=ポンティ「知覚の現象学」
栗本慎一郎 (経済人類学者)
書いてあった中に
「サルトルとデリダとヘーゲルが、「あ、こりゃ嘘で表面だけの言葉だ」と
思わせた。退院して家に帰って、不要なカメラと一緒に彼らの本は捨てて
しまった」(p277)
とあった。「意味と生命」を読んだ僕はやはりやったかと思った。
434 :
考える名無しさん:2005/07/05(火) 12:58:22
読んだ。「パンツを脱いだサル」が
ヒトと血栓ばかりの問題になったかかかれてあった。
>意味と生命
何が言いたいのかさっぱり分からん。あまりにも単純なことを言っているような気もするし。
一度、ソーカル厨に一刀両断にしてもらわにゃあかんな。w
436 :
考える名無しさん:2005/07/05(火) 13:47:28
アシュケナージ系ユダヤ人の問題を栗本慎一郎以外
ほとんどかたらないのはなぜなんだろう?
昨今の妙な日本の動きの地下水脈がなにに繋がってるのか、
その候補のひとつとして、挙げられるような気がするんだけど。
柄谷行人とか浅田彰はこの辺についてどう考えてるんだろうね。
表面からは見えないし、
見える人は、本当の恐さを知ってるから、
アシュケナージ系ユダヤ人には言及しないのでは?
人種問題は、恐いし、ハッキリした事はワカラナイし。
言語学的なインド・ヨーロッパ語族というくくりで見ると、
なんだ元はみんな一緒か、みたいなはなしだし。
438 :
考える名無しさん:2005/07/05(火) 19:49:00
意味と生命、本がどこかに行ってしまった。また読みたいのに。
ちくま文庫さん、そこんとこよろしく。
いま文庫凄いよね。
バタイユも文庫で買える。
>>437 レスどうも。。。
語れないことなら、お勉強会のような公開された場所では
質問できませんね。
「ハザール帝国が現代社会にもたらした影響について」
という質問は、「天皇についてどう思うか?」というものに
近いものがあるのかもしれないな。
アウシュビッツの大宣伝がイスラエルという国を
維持する鍵になってる限り、やはりこのへんはタブーなのかな。
宇野正美がアーサー・ケストラーの本を監修してるのは、
彼以外やる人が誰もいなかったということなのかもしれない、と理解しました。
高校生向けの世界史の年表を改めて書店で複数めくってみたんだけど、
ハザール帝国のところは、すべて地図上では白くなっていた。
このへんは、学校教育では積極的に言及されないことになってるようだなー。
どんな新しい認識があろうとサルと比べるような言説は願い下げ。
意味と生命は確かに気合いの入った本だった。 あれがメルロ=ポンティを超えて
いるのかどうかを議論すべきだろう。
444 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 00:32:04
私も文藝春秋7月号を読んでみた。
こう書いてあった。
「私のリハビリ法や暗黙知についての考察は
メルロ=ポンティの「知覚の現象学」(みすず書房)や
「見えるものと見えないもの」(同)に大きく助けて
もらったものである。自分が病を得てさまざまな不自由を
痛感することになtっときに、メルロ=ポンティの哲学は
身体の存在ということについての根本的な洞察の助けとな
った。知覚だけでなく概念の構築も身体の生理的反応を通
過しつつ行われると彼は言っていた。それなのに一方、身
体的反応だけではないと言うから、今でも彼の議論が分か
らないのである。身体でなくて身体であると思索している。
これが病気後にすごくよく分かった。」
身体リハビリに「役立たずの哲学書」を廃棄
したという気持ちはよく分かった。
ただ最後の部分が私よく分からないです。
だれか意見下さい。
>身体でなくて身体である
これ、原文のまま?
油分を除去しすぎて脳梗塞になった思想家の思想を信じれますか?
『意味と生命』からの展開は「現代思想」誌でも言及されていたが、
率直に言って、このような帰結になるのなら、『意味と生命』など
いらない。
むしろ言葉面だけの思想家だったということを表しているだけ。
ハイデカーや、その他思想家を重々しく粉砕していて重厚な哲学論だと
思ってしまった。かつてダマされた。
あれは、「現代思想」とやらに浮かれていた思想界の勢力見取り図に
すぎません。
香
柄谷やら浅田やら、ドゥルーズやら広松渉やらいろいろでてきます。
ジャーナリステックな本『鉄の処女』の理論化かも?
この手の思想は「批評とポスト・モダン」さえ読めば、時代の子であっただけだ
というのは明白。
447 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 00:44:55
>444
原文のままの様だ。編集側のミス?
それとも曲解かもしれないけど
身体が動かないというのは、もはや身体ではないと
考えてしまうが、しかしそれは身体であると思索する
ことで身体の新たな「意味」が獲得され動く様になった
と言いたいのかな?ここらあたり、
栗本先生の「意味と生命」でメルロ=ポンティ論が
乗っていたと思うけど昔見たのは忘れてしまった。
誰か解説を!
448 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 00:46:33
>語れないことなら、・・・
栗本さんも死にかけたから、ある種の覚悟を持って語ったのかも?
そもそも、遺作にしたかった内容でしょ。
>「天皇についてどう思うか?」というものに ・・・
万世一系なんてウソなんだし、本当のことを知りたいよね。
大和朝廷の侵略の歴史というものをさ。南京大虐殺の真実よりも知りたい。w
今度出るという栗本さんの飛鳥についての本は、そのへんにも触れるのかも。
>アウシュビッツの大宣伝がイスラエルという国を・・・・
まさに、「現在」の問題だよね。
アーサー・ケストラーの自死も、伊丹十三の自死も不可解だ。w
笑い事では無いか。
449 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 01:01:46
> あれは、「現代思想」とやらに浮かれていた思想界の勢力見取り図に
すぎません。
現実とはそういうものだし、現実はそのような動きの中で創られる。
ハイデッガーがそんなに重要だと思うならばドイツに住んでドイツ語で考えればいい。
『意味と生命』と『鉄の処女』が同じなのはあたりまえだろう。同じ人が書いてるんだから。
だれだって時代の子だ。ハイデッガーでもね。
>>442 ヒトがサルから分岐したってことは、科学的な事実じゃん。
しかも、残酷さ(=ヒトや他の動物を殺したり傷つけたりすること)の点では、
サル以上だし。
生物学を考慮しない現在の通常の社会科学に、包括性や説得性がないのも
無理はない。
とは言うものの、「サルと比べられたくない」っていうのは、正直な意見だわな。
オレの考えでは、ヒトというのは心のなかで「神」になりたがってるわけだけど、
それなのに科学が発達したら、よりによって「サルの仲間です」ってことになった
わけだから、楽しくないし、認めたくもないだろうな。
まぁ、このへんのことを受け入れられるかどうかが、栗本先生のファンになるか、
ならないかの決め手になってるんでしょうね。
西洋哲学プロパーだけに誉められて語り継がれても、何も起きないんだよね。
>>450 > ヒトがサルから分岐したってことは、科学的な事実じゃん。
そう言い切っちゃっていいんでしょうか。
>>444 知覚や概念が身体の生理反応を通過しつつ構築されるって、
あまりにも常識的にすぎる厨房レベルの見解じゃん。
それを言うだけなら、べつにメルロ=ポンティの名を挙げなくたって。
>>442 > どんな新しい認識があろうとサルと比べるような言説は願い下げ。
ワラタw
454 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 20:29:43
「意味と生命」、読み返してみないとなんとも言えないが、あれは
「生命の発現」と「背後の神」の実在をこそ語っているわけでしょ?。
ケストラーの「ホロン革命」と、M・ポラニーの「暗黙知」、それとつい
でにF・ホイルとウィックラマシンジの「生命は宇宙から来た」。いずれ
もクリモト先生のお勧め本だったわけだが、これらと読み合わせると、
どうしてもそういうことになるのだけど。
455 :
考える名無しさん:2005/07/06(水) 20:31:01
456 :
考える名無しさん:2005/07/07(木) 18:40:29
「背後の神」って、ナニ?
>>454 オレも『意味と生命』は読んだけど、「背後の神の実在」なんてものが語られて
いたっけ?
もちろん、栗本先生がそのくらいのことを語ったとしても不思議ではないし、『人類
新世紀 終局の選択』あるいはその文庫判の『人類は思考する”金魚”である』
には
> たとえば、メルロ=ポンティは『見えるものと見えないもの』(みすず書房)という
> 著作のなかで、
> 「神というのは、まさに見えるもののなかにいる。目に見えるここに全部あらわれて
> いる。それを我々が知覚する構造があって、その知覚する構造に秘密があるのだ」
> というようなことを言っている。
(『人類新世紀 終局の選択』138ページ)
なんて書いてありますよね。
でも、『意味と生命』で神について語ってるとは思わなかったなぁ。
説明をよろしくお願いします。
X(ラージエックス)とかいってたな。
一神教の神は小文字の x としていたな。
『意味と生命』では包括的全体について大いにほのめかしてはいたよね。
やっぱり限りなく宗教に近づいてるよね。w
462 :
考える名無しさん:2005/07/08(金) 00:18:19
『いうまでもなく、現在ヒト即ちホモサピエンスが、
全体従属的レベルになっていることを認めねばならぬ日が来る、
そこに属する者、即ち我々が、いかに高潔であったり
学問を究めたものであったとしても、全体従属的位置に置かれることは変更できない。
そして、ある者たちは、DNA上にあったが生かされなかった「情報」のように、
次なる生命からは「外部」として処理されざるをえないことになる。』
>>462 キリスト教の「最後の審判」を連想させますね。
465 :
考える名無しさん:2005/07/08(金) 10:37:59
『我々の層の理論の全体像から見れば、
完全なる虚構も完全なる実体的存在も
自己円環的で固定的な主張としては存在しえない。
すべての層があるものに対しては上位であり、
あるものに対しては下位であることを運命づけられている。』
466 :
考える名無しさん:2005/07/08(金) 10:39:25
『注目を通じた焦点をある原理の上位に向ければ、
その原理のレベルの細目は物理的存在であるかのように立ち現れるし、
上位のそれは虚構の存在であるかのように見える』
マルクスのいう上部構造・下部構造が幾重にも層をなしている・・・・
カール・セーガンの言っていた素粒子宇宙論みたいなイメージでもあるなあ
意味生はコリン・ウィルソンと平行して読んでました
469 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 00:27:59
>>462 へヴィーな言葉ですね
>>463 だから、何?と、小一時間・・・
構造→実体→形而上学・・という「レトリック」でつか?(笑
470 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 02:09:36
たぶん、ここ(意味と生命)で言う層の理論とは、ケストラーのそれと
たいして違わないものだと思う。
しかし、暗黙知に照らしてみた場合、それは全く違う様相を呈してくる。
我々をとりかこむあらゆる局面においてもたらされている層構造は、
イメージとしては図示されたピラミッド型に代表されるような、
静的なイメージが浮びやすいと思うが、
暗黙知的に(暗黙知を働かせて)見た、表現された場合はそれとは違って、
上位と下位の関係がもっと有機的に、あるいは動的にイメージされて来る。
だから、師の文体にうまくノルこと(暗黙知的には潜入?)ができたら
まさに生きたままの、今活動している状態のごとき
生命論が展開さていることが伝わってくる。
まさに、割烹状態。活きがいい!うまい!
ちょっと、暴走気味!?
471 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 02:47:13
『すべての物事に対する我々の一般的視座はマイケル・ポランニーに導かれて、
ある「実体」はつねに上位原理から見た場合にのみ実体であり、
下位原理を形成する素材(従属物)から見た場合は「虚構」になる
といことであった。』
このことから、我々という存在であっても
その器官や細胞レベルにおいては、「虚構」であるということになる。
これは、重要な事を意味しないか。
472 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 04:22:33
>師の文体にうまくノルこと(暗黙知的には潜入?)ができたら ・・・
いいこというねぇ。
>>454 >>458 私は
>>457 を書いた者ですが、たしかに『意味と生命』のいちばん最後のところに
X(ラージエックス)ってのが出てきましたね。
すっかり忘れてました。
しかし、細かいことをいうようですが、『人類新世紀 終局の選択』によると、
このXというのは「大変に進化した生命体」であって「真の神」ではないらしいです
(同書192ページ以降を参照)。
個人的には『人類新世紀 終局の選択』の続編を書いていただきたいんですが、
人間をサルと比較して論じることにさえ拒絶反応をおこす人が多いんですから、
まぁ、むずかしいでしょうねぇ。
>>471 層の理論て、細胞→器官→(精神、意味)ってことですか?
細胞→器官というところまでの層の積み重ねは分かるのですが、
われわれの精神をさらにその層の上位に位置している層として乗っけて
いいんですかね。
感覚的にはもちろん分かるんですけど。単純すぎて理論的にこれでいいのか
と不安に成りますが。
475 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 10:16:29
発現が何に依拠しているか、ということでしょう。つまり、意識は脳という
器官の活動に依拠している、と。
ただ、ケストラーはなんとなく「下から上」に向けて発現しているという方
向を考えているようだけど、栗本先生はどうなのかなと思うんですが。ひょっ
として、「上位のもの」が発現するために、下位にあるものを「利用する」と
いう方向でも考えているのではないか、と。暗黙知的認識・直感を他人と共有
するために、より下位にある言語的記号によりあらわさざるを得ないというよ
うな。考えすぎかな。
476 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 10:31:13
そう、師の文体にはノリがある。
『AがつねにAであることに止ることなく、
ときにあるいはやがてはBであり次第にはCともなる動態的構図が
決してA自身の実体的変動によるものではなく、
それ自体が暗黙知の発現である言語のダイナミズムによる
局面上の変化である…』
と語るがごとく、師の記述はいわゆる多角的といったレベルを越えて、
暗黙知的潜入をもって多次元的とでも呼べるような記述のしかたで、
対象を世界=精神=生命のありようを我々の前に
展開して見せてくれている。
多角的といった、対象から距離を置いた記述では
生命=活動=生きざまは伝わってはこないのだ。
師の記述を読み進むうちに「それ自体が暗黙知の発現である
言語のダイナミズムによる局面上の変化」が我々のうちに
未成熟ミーム(伊勢史郎)を発生させ、
それが(読まなければという)行動へと駆り立て
ノリとして感じられるのではなかろうか。
477 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 10:58:57
注目の仕方によって層の上下関係が逆転しうるという動的関係が
ケストラーと違うところで、決定的なところだ。
478 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 11:05:29
>474
層の理論では、いきなり器官→精神と言てっもいないと思うし。
間にも層があるとは思う。
層そのものに関しては詳細には述べられていないと思う。
意味と生命ではあまりそのことを問題にしていないと思う。
ある階層における上位と下位の関係性に注目せよと言っているのだと思う。
>475
>「上位のもの」が発現するために、下位にあるものを「利用する」と
>いう方向でも考えているのではないか
これは、そうだと思うけど。
>下位にある言語的記号によりあらわさざるを得ない
がよくわからない。
479 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 11:19:31
>下位にある言語的記号によりあらわさざるを得ない のとこは
ちょっと書き方に困ってしまって(笑)。
着想・直観の精妙さ、複雑さからすれば、その言語化はどうして
も粗雑なものになってしまうという気がするもので。しかし、そ
れが「共有されるレベル」において発現するためには、言語化が
必要になってくるわけでしょう。つまり、上から下への発現。
なんか、これもわかり難いですね。
ちょっとこのスレの流れとは関係ない話なんだけど、栗本先生と小阪修平氏との
対談をおさめた『現代思想批判/言語という神』(1985年 作品社)っていう
本の45〜46ページに
【栗本】 うーむ。そこでうっかりすると言語はダメで身体は正しいと、こういう話に
なるでしょう。だとしたら、身体自身が言語であるということを忘れていることに
なります。
【小阪】 当然だと思いますね。そのような言い方で言語から身体へ行くというのは、
身体に顛倒した幻影を押しつけるという話になってしまう。
【栗本】 そうです。身体自身は非言語的な実体であるというような、非常に安易な
考え方に結びつくわけでしょう。ただし、結びつけていくのはヴィトゲンシュタイン
自身ではなくてその追従者ですが。そういう追従法を許す弱さはあります。
この「身体自身が言語である」というのが判らないんだよね。
しかも、それを聞いた小阪氏も、同意してるし。
哲学の世界では、わりとメジャーな考え方なのかな?
481 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 14:05:22
>475
発現というのが、適当でないように思いますね。
記述とか説明の仕方とかに関することを言おうと
しているのだと思うので、そう思う。
上位から下位への働きは拘束条件と言ったようなもので、
具体的に我々の体験するのは、
多分イメージのごときものとしてではないだろうか
>480「身体自身が言語である」というのは
ふつう、我々の感じている身体と言うのは、
物理的身体そのものではなく、
そこに我々の精神による言語たる上位原理によって
型どりされ色づけされたものであるってことではないだろうか。
『感覚とはつまりイメージ形成された知覚である。
痛いという言語で表現しようとすまいと自らの
ヒトとしての意識がないとき、つまりイメージとしての
身体が介在していないときにはそのようなものは感じられない。
我々が深い眠りについているとき、
多少の痛覚程度は意識の表層では感知されない。
しかし物理的身体はそれを知覚しており、
刺激が身体の意識的な対処がなければ
物理的身体自体の原理維持にとって危険になると人が判断
(これも無意識のものである)したときには眠りから
されるよう命令をはするのである。』
482 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 15:09:51
知覚優位論というか認識優位論という感じなのかな、、、、。?
身体自身が言語(的システム)で認識されていると言う事ではないか?
『実は、貨幣とは言語や文字や度量衡と同様な、一つのシンボル体系なのである。
これらがそれぞれ異なるのは主として、
使用される目的と、実際に使われる記号、そしてあるシンボル体系が
どの程度一つの統合的な目的を明らかにしているか、
という点においてなのである』kポランニー「貨幣使用の意味論」
エラー
485 :
考える名無しさん:2005/07/09(土) 18:50:20
いや、それは認識優位というということを越えている。
我々において現象しているところの身体とは、
イメージとしての身体をおいて他にない。
それは、無意識をも含めた包括的全体としての精神(と言っておこう)
との関わりにおいて形成されているもので、
これまたその精神においては諸細目であるところの、
意識(いわゆる言語)をもって用意には変更出来ないものと思う。
しかし、「身体自身が言語である」という言い方が可能であるのは、
現行におけるところの一般的な包括的全体としての精神が、
無意識といった非意識的領域を考慮に入れずに、
意識(いわゆる言語)で理解できる範疇でのみ形成されている
からではないだろうか。
ちょっと苦しいか…。
仏教の唯識論に似てるぞ。
487 :
ミーム1:2005/07/10(日) 00:36:15
『Xは、、場の力とといってもよいし、システムと言ってもよい。
ここで、生命という語を自己自身の体系的反応性を持つシステムと
考えてよいことにすれば、Xは、我々がここまで迫ってきた生命とは
別の意味で生命でえるとしても別におかしくない。
我々の生命とは、その中での狭義の生命である。
というより、生命は決して狭義の枠内では解明され得るはずはない。』
『しかし、量子力学の導入がかつて必要だったように、
今、量子あるいは場的概念としてのXはどうしても必要である。
例えばXなしには、人は自然環境をすべて外的条件として考えて
しまうかもしれない。そうではない。ヒトは、意識の在り方さえも含めて、いわゆるガイアに有機的に組込まれたXの要素である。
ほっておけばその中で設定された方向だけが、
我々の行くべき道となるであろう。』
ヒトという種が絶滅したらXも死ぬんですかね。
ばか
490 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 09:03:32
ヒトの存在にXが先行していたとしたら、と考えると、今度は別の生き物を
選ぶのではないか、と。
そうではないかね、科学忍者隊の諸君。
491 :
ミーム1:2005/07/10(日) 11:23:13
そうですね。
それは充分考えられることですね。
Xとてシステムであり(ある種の)生命ならば、
進化をしているはず。
その進化に、我々のパーソナルコミットメントが
役割を担わされているのだろう。
結果としてはXとの共生という道なのだろうが、
そう言ってしまうと、既に答が用意されていると思われかねない。
それでは、パーソナルコミットメントにはならない。
師が言う、「Xと精神との格闘」というのも、
その辺を考慮しての発言ではないだろうか。
492 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 12:20:54
>>489 てめえがバカだボケ!いやてめえは既知外だ!
494 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 13:29:09
> それ、まさに構造主義的だよ
詳しく
構造主義というのは、上位原理たる包括的全体、つまり構造が
下位原理たる諸細目(諸要素)を実体化するということのはずでは?
なんでも計算の次はなんでも構造主義かよ(´・ω・`)
精神が身体にとって「意味」となるということは精神が身体の一つ上位の原理で
あり焦点であるということでもあるが、同時に身体を用いて表現されるものが
世界であって精神であることを意味する。精神が世界を理解したり構成するので
はなく、世界そのものが身体の意味としての精神の立ち現われなのだ。
498 :
ミーム1:2005/07/10(日) 20:59:18
構造主義というのは、我々と直近の上位としての層、
社会や制度や文化や習俗等の考察から、
それらと人間の関係が、意識できないレベルに及んでいることの、
発見と警告みたいなもんでしょう?
つまり、意識や理性や言葉で簡単には突破できないという…。
経済人理学及び暗黙知はそれを越えるものだと思う。
特に暗黙知は、なぜそうなのかと、どうすればよいのか、
の少なくとも手がかりは、提出してくれているのではないだろうか。
個人的には、師に入れ込んでいるのも、
構造主義の生みの親ソシュール研究の第一人者ともいわれた今はなき、
丸山圭三郎氏の意味生成論に限界を感じてのことでもある。
499 :
ミーム1:2005/07/10(日) 21:13:14
時間差でけど、
>497
そうそう、そうですよね。
実体的であったり、虚構的に見えたりするのも、
どちらも本体ではないんですよね。
どちらが本体かと言うことでもないんですよね。
だが、身体の意味が精神であるということは、連続的な系列の、より上位
を精神が占めるということとはちがう。身体の〈意味〉が精神であって、
その立ちあらわれが世界であるととらえるために、はたして、ポランニー
の上位‐下位の系列理論の媒介が必要であろうか。身体と精神の関係を
語るのに、認知構造の系列理論はかえって両者の原理的差異を打ち消す
ことになってしまわないだろうか。むしろそれだったらメルロ=ポンテイの
現象学的方法だけに限って身体と精神と世界を記述していったほうが、
より純粋に、厳密にこの関係をとらえられるような気がするのだがどう
だろうか。
小浜逸ォか
>>467 > カール・セーガンの言っていた素粒子宇宙論みたいなイメージでもあるなあ
素粒子はそれより下位からみれば宇宙であり、宇宙はそれより上位からみれば素粒子である。
それが上にも下にも無限につづく……というやつ?
504 :
ミーム1:2005/07/10(日) 23:23:06
「認知構造の系列理論はかえって両者の原理的差異を打ち消す」
の説明がすこしほしいところですが。
勉強不足かもしれませんが許してください。
実のところ、師の未成熟ミームに突動かされている気がしなくもない感想を持っています。
現象学やメルロ・ポンティに関しては入門書のようなものぐらいしか
読んでいませんが、感触としては現象学的還元のような方法を
自分としては行っているように思っています。
暗黙知にしても、還元のようなものをしたじきにしないと
理解できないようにも思うのですが。
505 :
考える名無しさん:2005/07/10(日) 23:34:08
現象学的還元と言うこと自体、とらわれていることにならないか?
と言ったら揚げ足とりかな?
ここが現象学の危ういところで、いくら還元したところで、恣意的だ
という
批判に答えられない。
それと、あまり「暗黙知」に根拠を置きすぎると結局西田の「純粋経験」など
とかわらなくならないか。
自らの「暗黙知」によって未知の生命に出会うというのは、あまりにも
馬鹿にした話であって、『言語という神』を読んだけど、まったく自らは
「言語」から自由でないなぁという‐。
これも現象学の危ういところなんだろけど、
ここら辺だという感触はあるはずで、
哲学者(哲学屋)でなければ、批判に答える必要はないんではないですか。
「暗黙知」によって未知の生命に出会うというのは、
そんなに馬鹿にした話なのですかね〜。
単に出会うだけなら、出会っている人もたくさんいるともいますけど。
507 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 08:17:14
いるんですよね。w
508 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 09:13:38
>>411 考え事をすると脳に血がいって
頭皮に血液がいかなくなる=髪に栄養がいかない
のでハゲると橋本治が言ってました
509 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 09:14:47
ふかしてくれるぜ橋本治
510 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 13:02:12
ハゲネタで話題を切るな!w
>>500 身体の意味が精神ではなく、精神の意味が身体なのでは?
ばか
513 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 17:08:06
おれがあいつで、あいつがおれで
みたいなもんか?>511
注目の仕方によって上下の層が逆転すると。w
515 :
ミーム1:2005/07/11(月) 19:18:28
意味というのは包括的全体なので、
下位に来ることはないと思います。
逆転することもないのでは?
意味と生命では精神(上位)と物理的身体(下位)
の間に(いわゆる)身体がくるような記述がありますが。
516 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 19:54:30
>>515 このへんでどうでしょうか。
『意味と生命』
p12〜
「・・・ヴィトゲンシュタインは・・・ある一つの原理に対して上位の原理が制御する事によって
初めて我々の言語的世界が構成されている事を指摘した。しかしそれから先へ彼は進まないのだが、
マイケルポランニーは、ある場合に上位の原理であるものが我々の注目のしかたによっては相対的に
下位になる成ることを指摘した。それゆえに、注目や表記の仕方による事物の我々に対する立ち現れ
の違いを説明できる事になったのだ。・・・意味を読み取る行為自体に人格的参加による暗黙知の働
きがある・・・・言語行為に人がいかに参加しているのかという言語行為に対する自己言及的な
論理的視座がなければ越せない壁であった。・・・」
p25〜
「・・・全体があるときには部分になり、部分がまた全体にもなるという考えであり・・・
アーサーケストラーのホロンの考えに大変近いが・・・・ケストラーと違ってポランニーは
・・・人間の生理的反応や身体と精神の関係すべてにこの暗黙知の構図を持って
理解できるとするし・・・」
517 :
考える名無しさん:2005/07/11(月) 20:58:53
「全体があるときには部分になり、部分がまた全体にもなる」
その前をみてくれたまえ。
『その上位の「文化」や「ギリシャ」もまた包括的全体として焦点を
当てられ注目される場合と、より上位の地中海文化なりヨーロッパなりとの
全体従属的な位置で注目される場合があるといううことであった。』
上下が逆転していると言うよりは、さらなる上位との関係で下位になる
と言ってるのではないか?
『ある場合に上位の原理であるものが我々の注目のしかたによっては相対的に
下位になる成ることを指摘した。』もその前の文節には、『この層の積重ねは、
無限に上下につながるものであることに注目しよう。』とあって、すくなくとも
その意味のながれからすると、逆転する意味にはとれないともいえると思いますが。
「上下は逆転しない」ということに固執するつもりはないけれども、
では、逆転することによってなにが見えてくるのだろうか。
なにか、考えていることがあって注目しているのではないですか。
是非、教えていただきたい。
意味形成=暗黙知の諸相として
諸細目とその包括的全体である意味とが同一空間に存在している
意味形成の第一の型と、
身体内のプロセスが、外延的に人間における意味の形成に参加していることを
示す第二の型の、二つをおあげている。
そして、そこから第二のかたちが重要として
『一つの重大な結論が引出さざるをえない。
それは、つまり人間が事物に意味を付与したり解読したりするときは
つねに我々自身が知覚しない身体内のプロセスを動員するということだ。
そうすることによって、ヒトは逆に身体内部をのぞき見ることが
できるともいえるのだ』としている。
ここで言う身体内部とは、意識しえない部分とか、
メルロ・ポンティの『みえない物』を意味するのではないか。
520 :
516:2005/07/12(火) 01:58:31
>>518 うん。そうですね。逆転しないですね。
誠実なレス有難う御座います。
ちょっとオカルトっぽいこと考えてました。
「・・・言語行為に人がいかに参加しているのかという言語行為に対する自己言及的な
論理的視座が」
ってあたりを深読みすると、もう何でもありうるみたいな。。。。
第2節p46〜では、言語の用い方と認知のしくみについて、
同一レベルの外部と上位下位の外部への注目のずらし、変換の中にこそ
人間の認知の方法が存在するとし、その変換は現実に使われている言語的体系においては
有限であるとする。
物理的身体と精神の上下関係まで逆転するかどうかわからないが、
言語的認識においては言語体系の変化(人間の知識範囲の変化)でそれもありうるかと。。。
(精神の宿るところが身体以外にあるとかねw)
「商業」「交易」「東京都」を例にした説明では、
認知する時の焦点の当て方を末端項と中心項を「逆転」させたり切り離す事を自由に行う事で
人は事物を認識し、ある別の立場に立てば両項の事物の位置を完全に「逆転」させる事も出来る。
とあります。p48
私は、層の上下、包括的全体、全体従属的中心項、末端項などの概念整理が出来ていないようです。w
いまパラパラと拾い読みしただけなので、混乱してますが、、、、
最初から読み直そうかと思ってます。とほほ。
521 :
考える名無しさん:2005/07/12(火) 02:13:17
ERROR:このスレッドには書き込めません。
八方やぶれが八方塞がりだな。w
522 :
考える名無しさん:2005/07/12(火) 10:05:35
| // /
|// /
/ ̄
|
|
|
| (-_-) (○)
| (∩∩) ヽ|〃
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>511の書き込みが意外な波紋を呼んでしまったようだ。w
>>518 しかし、それだと素朴で、あまりにも通俗的な階層論になってしまう気がするね。
525 :
ミーム1:2005/07/12(火) 13:09:50
私には、階層自体がさほど重要になっているようには思えません。
全体と部分、上位概念と下位概念とあれば、素朴であれ何であれ
どのようなことにも当てはまるようにも思えます。
やはり、その上下や部分と全体の関係が重要なんだと思います。
逆転については、先に述べた意味形成の第一の型であれば、
同一空間上にあるのだから、どのようにでも逆転可能かと思いますが。
けど第二の型に関しては、そう簡単ではないかと…。
>>518 >『この層の積重ねは、
> 無限に上下につながるものであることに注目しよう。』とあって、
ますますカール・セーガン的な気が。
>>517 たぶんCosmosでしょう。記憶が定かじゃないけど、東洋の輪廻思想と
重ね合わせて宇宙論を語っているところで少し言及してたかな?
>>526 セーガン氏の場合は宇宙と素粒子を直接結びつけたものだから、
栗本氏のいう層とは違いかも。
要は、宇宙論と一緒で、栗本氏の場合は生命進化が閉じているか開いているかということかな?
詳しく!
馬鹿なのでこれ以上詳しく書けません。
/⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃
| / ブーン
( ヽノ
ノ>ノ
三 レレ
男が長髪で泳いでると、後ろから見たら女に間違われてしまうんじゃないかな。
お!女だ!とバックから男が近寄ってきて、なんだお前は男だったのかよ!
みたいな事が多かったのかも。
私は男ですよ〜間違って犯さないでください〜って意味で
男のハゲが増えたのかもね。
俺の想像だと水棲人のチン毛は今よりも長くてスッポリとペニスを
隠していた。そして女にもヒゲが生えていた(今でもヒゲが生えてる女いるけど)。
そしておっぱいも小さかった。だから男と女の区別がつきにくかった。
>>532 そうすると、太古の人類の雄は、性的に成熟すると
すぐにみんな若禿げ状態になったということかなあ?
男と女とでは頭髪の周期に違いがあるらしいけど、これは本当かな?
女のほうが髪が自然に抜けるまでの周期が男より長いので、つまりより長く伸ばせる。
とすれば、散髪しなくても、男と女とでは髪の長さに自然に違いが生じることになる。
534 :
考える名無しさん:2005/07/12(火) 19:19:40
どうしてもハゲ問題に引き戻されてしまうなあ。
チョンマゲはどうよ。
ふさふさの若い奴がむかつくので、老中が「全員青ズリにしてチョンマゲろ」
って決めたんだろ。
あ、進化の話と関係ないか。スマソ。
やっぱり、層の理論や暗黙知よりも、毛の話のほうが、カキコしやすいか。
頭はげるまで長生きできる奴は優秀な遺伝子の持ち主。
538 :
考える名無しさん:2005/07/12(火) 21:41:30
19でハゲ!(;´Д`)
暗黙知、層の理論というが、現象学、解釈学とどうちがうの?
誰も書かないので、書こうと思ったら膨大な時間(遅いので)が
かかりそうになりそうなので、
とっても端折って書いてみました。
解釈学についてはしりません。
前にも書いたように、私には現象学的還元によって見えてくる、
あるいは浮び上がってくる人間の認識形態が暗黙知であると。
前に、現象学的還元と書いたら、とらわれていないかと言われたが、
補足しておきます。私は先ず経験的に還元(的行為)をしていて、
後から現象学に出会っていますので、それは当てはまらないかと。
私は芸術(美術)系の仕事をしていますが、
芸術の創造(創作)活動は現象学的営為に似ていると思っていますし、
そう言う(現象学者の)文献もよくあるように思います。
また、オカルトチックな意見ありがとうございます。
実は私も、超常現象に関するパラダイムシフトが暗黙知的認識に
よって展開されるのではないかという期待をもっています。
そこと、関連して気になっていることの一つが、
注目の仕方によって実体のようにも、
虚構のようにも見えるというとこらへんです。
さらに、我々の認識しているところは狭義の生命で、
もっと広義の生命がありうることなど、興味はつきない…。
カール・セーガンの宇宙論との類似が気になってるヒトも、
思うことがあったら、教えてください。
私自身もとても、自分でも理解できているかどうなのか、
気にしながら書いていますから。
立ち上げた人には悪いけど、
この際、みんなで出し合って、進めて行けばいいんじゃないでしょうか。
ここを立ち上げたひとの最初の文なんかも、うまいもんだねー。
最初の方思い出して見たら。みんな凄いよねー。
私の周囲には皆無だから、うらやましーねー。うれしーねー。
541 :
考える名無しさん:2005/07/13(水) 18:22:06
542 :
考える名無しさん:2005/07/13(水) 18:42:46
>超常現象に関するパラダイムシフトが暗黙知的認識に
よって展開されるのではないかという期待をもっています。
面白いですね。私も栗本先生が薦めていたMポラニー「暗黙知の次元」
を読んで、似たようなことを考えたことがあります。「問題の所在が分かる
とは、解決の手段が見つかったということである」といったような議論がな
されていたと思いますが、現在の人間の抱える諸問題の根源は「他人の思考
が分からない」ことにつきると思いましたので。つまり「共感の手段の獲得」
という方向で進化するのかな、などと。
シリウス8月に延期か。ユダヤの陰謀にちが・・・
オレはSFに関する教養はほとんどないから埋め込まれた深い意味は
読み取れないだろうな。
私は諸問題の根元は、私は人が自分自身を
見失っているからではないかと思います。
答は自分にはなく、教科書や、本や、誰かの意見の
中に、あるいは社会通念の中にあると思っているのではないか。
真実(リアリティ)は自分にはなく、
事物や世界の側にあると思っているのではないか。
リアリティとは、やりがい等につながる、
手応えの基底となる感覚のこととでも言っておこう。
私たちの意識は、自分以外のものに向けられすぎているのではないだろうか。
事の本質は、自分がそれをどう感じているのか、につきるのではないか。
おもしろいのか、イヤなのか、たのしいのか、つらいのか。
そこから展開していって、どうすればもっとおもしろくなるとか、
ここがこうだから、自分にはつらいとか、要するに意識におこってくることを
基に事物との関係を読みとっていくことだ。
つまり、本当に意味を持つもの(意味)とは自分と事物の関係の中に、
あるいはそれが現象する意識(自分)の中にあると言うことではないのか。
そう、意味とは自分の中にあるのだ。
これは、ある意味ではあたりまえの事である、しかしそれだけに
軽んじられてきたのかもしれない。あるいは無意識的営為だったようにも思う。
現象学とは、それを厳密に、そして意識して徹底的にやろうとするものだと思う。
このようなことを通過していけば、自ずとその思考や行動は
(通俗的にいうなら)地に足のついたものになってくると思われます。
逆に言えば、今は地に足がついていないので「他人(相互)の思考が分らない」
という事態が生じているといえるかもしれません。
「共感の手段の獲得」と言うよりは、共感の意味するところの(進化における)重要性と、
それを厳密に、そして意識して徹底的にやろうとするものだと思う。
人間は自分以外(外部)のものとして「言語」を受け入れる事によって社会的な存在となっていく。
経済人類学のいう実在主義の実在とは、共感の事なのではないか。
共感の道具(装置)としての言語は生き物のようで、
社会の変化の時には、大きく揺れ動く。ヤバイ。w
言語の獲得は他者のインストールってやつだね。
>>545 そこで共同幻想論の序にある、私は国家を人々を包む袋のようなものと考えていた。
だが国家とは対幻想を基軸とする想念であった。というやつと結びつくのだろうね。
現象学や、暗黙知のやろうとしていることは、いわば無意識の意識化
ということでもあると思うのだが、それにいったい何の意味があるのだろうか。
無意識とはいわばオートマティックなシステムであるが、
意識はこれを改変をすることが可能なもののようである。
それは、遺伝子を書換える事に類するように思える。
つまり進化だ。
経済人類学とは、人間におけるコミュニケーションまでをも含めた広義の意味での経済活動を分析する学問と言えると思う。
>546の「言語」を「身体」と置換えて読むことは可能ではないか。
ひょっとして「パンツを脱いだサル」における「ユダヤ」とは、
我々を諸細目とする包括的全体としての「X」を比喩的に
表現したものかもしれない。
あるいは、事の発端を「ユダヤ」にしなくとも、個別にでも違った「存在」を
機軸として同じような出来事が既にいろんな場面で発生しているようにも思える。
なぜなら、最後にしめされている「新たなる方向性」は、「ユダヤ」などとは
無関係に考えてみても、我々の向わざるおえない方向性でもあると思うからだ。
それを、師はXと言わず「ユダヤ」と言うことで、誰にでも否応なく理解出来るかたちに出して見せたのではないか。
550 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 04:55:18
快感進化論って面白い?
551 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 09:35:12
そりゃもう、カ・イ・カ・ン、です。
552 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 09:55:31
意識はちっちゃなもので、それにくらべて無意識は膨大な情報を扱っている。
無意識の意識化は、精神分析のカウンセリングでも行はれているね。
共感が実在であるなら、みんなが同じように意識を拡張すれば、「世界」が変わるということだろう。
ケン・ウィルバーとかトランスパーソナル心理学とかもその辺を見据えているような気がする。
仏教が大乗仏教に移行していったのも同じ根があるのではないだろうか?
553 :
ミーム1:2005/07/15(金) 11:34:30
>522まったく同感。
次は、同じ意味のことを書こうと思っていました。
私の場合、精神分析と言うよりは、精神病理学ね。
現象学的精神病理学。
>>553 AAに同感って意味不明。 ┐(゚〜゚)┌
555 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 17:25:10
552に同感では。
栗本さんはライアル・ワトソンを評価してるけど(どこが良いのか知らないが)
ケン・ウィルバーやトランスパーソナル心理学なんかを全く評価してないよ。
カプラとかニューサイエンスをバカにしてたよ(ライアル・ワトソンを除いて)。
栗本さんが ケン・ウィルバーやトランスパーソナル心理学を評価してるなんて
どこにも書いてないだろう。
栗本さんはカプラとかニューサイエンスをバカにしてたらしいけど、
ケン・ウィルバーやトランスパーソナル心理学をバカにしていたのか?
ニューサイエンスといえばひとくくりで全部同じなのか?
認識論のまえに、もうちょっと日本語を勉強したほうが・・・。
そうですね
>556
評価してたとか、バカにしてたとか、どこをどのように、そしてそれを自分では
どう考えるのかの努力をもう少しした方がいいのではないですか。
極端な話し、だれが何を言おうが、自分がちゃんと考えていたなら人の評価なんて
関係ないんじゃないですか。
人は、いろんな意見を見聞きして、いろいろ考えて、様々な経路を経て到達したり
達成したりするんでしょう。
不十分であったり、途中で道間違っちゃったり、あると思いますけど。
全面的に間違ってるものなんてないんだと思いますよ。
もちろん、もちろんここがこうだから間違ってるんじゃないか、とまで言われれば、
考えてみる余地はあると思いますけど。
そうでなければ、あまり気にしない方がいいと思います。
栗本さんだって、勢いで言ったことはあるかもしれないですけど、
私の知っている範囲では、そんな頭ごなしにバカにした、
発言なんてないように思いますが。
560 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 22:27:48
サルでも ( (
,,.r'' ゛~~` ''ッ,, 立てねーぞ ) )
、 ゛ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ヾ. こんなスレ ,.、 / /
ミ ミ゛,へ.__, ,_ノヽ i. .| |l l ,´
ミ ミ, ( ・) {・フ 〉 ミ. _-、i::| |ニニii '
、,,,,ツi: ミ,`~´ ヽ~〈 .ミ /,‐ヽヽ`、||
、シ`` i: ,ゞ 'n.inヽ. .ミ ( .〉〉/
シ // ミ` l.l ヽ"、 / ノ
ミ/ シ 彡 ,=こ二=.{ ミ,, ,r'´ ,,、'゛
ミi. / / ' ! w、`~^' vwv '、 ミ 〃 .ミ
.ミ / i: / `^^ \ ." 〃 ミ
.ミ.:/ / / i: v ! ,, \ 、 〃 ミ
:i; .i: w !! ミ!: ミ \\( ⌒ヽ
:i; / i: !! .ミ キ , ⌒`、_ ) )
:il .i: ! w! ミ .:i. (_ ( _,ノ ) ,
:il ! i: ! ,〃゛ キ ゞ、 __, ノ ,
.:il ! /~~````` " '''' = ‐- 、ミ _,,,,_ミ, il ` ー ´
:il ´ ―  ̄ - ,,. -‐‐-、、 ヽ. ヾ、 ゞ、 ` 〃
ゝ、wx.mn.!!++ナ'~ ヾ~ヽ、 ヽ、 ,, ~^^}´
彡 〃 〃 }} /〉.〉〉〉i''" 〃
彡、 {{ 〃,__!////l | 〃
X,, 》. ≪.__`‐'.' '´,Uwwvw'、...,,,___
^^^^ !wニこ)こ)二)`) (_,,,..- 、...二⊃_).).
人間にとって、旅とは意味の交換であろう。
旅する人は、つねに他者と出会い、異なる世界に属する異なる意味の体系と自己のそれとを
ぶつけあわなければならない。けれども、その体験は、自らが全く移動せず、前から来た異
人と出会うことでも発生するし、また自分さえ準備できていれば、良い書物に対することでも
実現できる。
栗本慎一郎 「経済人類学の眼」より
>>557 @>ケン・ウィルバーを評価してるなんてどこにも書いてないだろう。
A>ケン・ウィルバーやトランスパーソナル心理学をバカにしていたのか?
B>ニューサイエンスといえばひとくくりで全部同じなのか?
@ABの文章の論理的な繋がりが滅茶苦茶なので、何を言いたいのか分かりませんね。
>認識論のまえに、もうちょっと日本語を勉強したほうが・・・。
あなたの方こそ日本語の勉強が必要ですね。
カプラ → 全然評価しない
ケン・ウィルバー → 全然評価しない
と、この2つしか書いてないのですが、 「ニューサイエンスといえばひとくくりで
全部同じなのか?」という素っ頓狂な質問をされても、こちらとしては
意味不明で困ってしまいますね。もう少し筋の通った日本語表現の勉強を
された方がよろしいかと・・・
バカ
564 :
考える名無しさん:2005/07/16(土) 03:33:22
ニューサイエンス(カリフォルニア・ムーブメント)を否定してたインテリを信用したらダメ
565 :
考える名無しさん:2005/07/16(土) 09:59:51
>559
この指摘は正しい。そもそも栗本先生は多少の間違いや気にしてない。読むと
それが分かる。「時間は限られている。どでかい目標に向かっているときはい
ちいちかまうな。ふりはらって進んじまえっ!」と考えている。特に栗本先生
は「体を張った」思想家を信じている(先生の言い方で「血と肉で思考する思
想家」(鉄の処女))。それは、体を張った思想をしていなかったヘーゲルや
デリダやサルトルの著書が「嘘」の言葉と考えたのは、身体も「言語」である
と考えているからである。「意味と生命」でも「バタイユを評価し、ジラール
を軽視し、クリスティヴァにはとても首肯できない」と言っていた。
メルロ=ポンティやマイケル・ポランニーを評価しているのも苦悩しているか
らで、それは苦悩するマイノリティ(社会的少数派)に栗本先生はとても親近
感を持っている。だから、それを「政治」やビジネスに易々と利用されるのを
嫌う。と私は考えている。
教授がニューサイエンスをバカにしていたというのはよくわからんが、ニューサイエンス
を信奉している連中をバカにしていたということはあるかも知れん。
おそらく教授は彼らと接触を試みたのだと思う。見えないが実在している何かに対して
ニューサイエンティストなりの言葉で実証し認知していこうという姿勢に惹かれたのでは
ないか。
ところが、いざ接触ししてみたら実態はまるでお話にならなかったということなんだろう。
567 :
考える名無しさん:2005/07/16(土) 11:53:11
栗本先生にも、チャネリングで有名な「エササニ星のバシャール」を
評価していたりと、妙な著作があったりもしたし(タイトルは忘れたが、
『トンデモ本の世界』のシリーズで紹介されてしまっていた)。
栗本先生が、著作にあらわしていない領域って、きっとかなり広いだ
ろうと思う。
568 :
ミーム1:2005/07/16(土) 13:47:05
>566
それは、充分にありうることだと思う。
ニューサイエンスって、解りやすかったり、ポジティブだったりして、
己を飾ったり、偽ったりする道具になりやすいと思う。
金儲けの道具になりやすくもある。
道具になりやすいところが、「意味と生命」でいってた、
なんらかの上位を、包括的全体をイメージさせないという思想の道具化、
用具化?だったっけ、と批判されるところなんだと思う。
>>567 エッセイ集『五月のテニスボール』(1990年初版)には、
「私は、長いこと奈良に住んでいた。・・・いつも奈良の山々を見ていた。
そして、日本人にとって神とは何かをずっと考えていた。
神の山たる三輪山や春日山はいつも私の目の前にあったのだ。
御神体である山をいつも眺め、しばしばその山中を歩いた。
・・・私は、神であるところの奈良の山々から何かをさずかっていると自覚していた。
・・・そこで得たものは困った力であったらしい。・・・
・・・そうした「力」を私は、奈良で得たと自覚している。・・・」
さて、その「力」とは、なんであろうか!www
571 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 01:29:29
パンツを嗅いではる。
572 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 02:22:51
パンツは脱いで、する。
573 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 02:33:42
パンツは脱がないで、穴をあけて、、、
やっぱり脱いで、する。
574 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 02:40:51
パンツを脱いではく。
575 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 02:47:05
パンツは脱がないで、穴をあけて、、、
やっぱり脱いで、はく。
パンツを脱いだサルってどうゆー意味? 人間をやめたヒトって意味?
ロダンの考える人の彫刻のようにいったんパンツを脱いで考えるヒト
になってみることで得られる何かを掴んでから再びパンツを履いてみる
とその履き心地に新しいものが感じられパンツへの意識が変化すると
いうことなのだろうかと想像するのだけどなにしろ読んでないから想像
するしかないので断言はできない。
「…私は、神であるところの奈良の山々から何かをさずかっていると自覚していた。
ところで、そこで得たものは困った力であったらしい。
私の体が休もうと主張しても、ときには私自身もそれを押えきれない。
めりはりがあるが、強いときには、やくざの親分の一人二人の脅しぐらいでは
押えられないのでまことに困る。
そうした「力」を私は、奈良で得たと自覚している。
…神とは、共同体が異質なものと交流するとき、その関係の底に現れるものなのだ。
もちろん異質なものそれ自体ではない。それでは、鬼や天狗たちがそのまま神だと
いうことになってしまう。そうではないのだ。
そういうこの世での実体論的なものではない。
神は、交流の土台に居る。経済人類学的に言わば、交流の背後に神は存在する。
あるつまらないこだわりを捨ててしまえば、ごくごく簡単に見えるものなのであろう。…」
クリシンは「贈与」「蕩尽」といったキーワードを使ってましたが、
どんな意味があるんですかね?
そういう聞き方はないとおもうの
581 :
考える名無しさん:2005/07/19(火) 09:33:29
ヒトは、蕩尽する時の快感を期待するゆえに、生産性をあげて過剰を溜め込む。
贈与も、一種の心的安定の為に行われ、ポトラッチなどは、
相手の目の前で貴重品を破壊する事で、相手に対する立場の優位性を確保する機能を持つ。
とする。貨幣も、心的バランスを取るためのお払いの道具として生まれた呪物である。
582 :
考える名無しさん:2005/07/19(火) 21:08:21
ファビョーン!!
r⌒ヽ (⌒⌒) r⌒ヽ/,
、、;(⌒ヾ ((⌒⌒)) /⌒) ), ,
、 ヾ (⌒ヽ ド━ l|l l|l ━ン!⌒⌒);;)/. ,
、\(⌒ゝ;(⌒ヾ ∧_∧ ⌒)/)) .,/ ,,
((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;(⌒∩#@Д@)'') ,⌒⌒);;;;;)))⌒)
(;;;;(⌒(⌒;;;(⌒ ヽ ノ / ))⌒));;;;)-⌒))
ゞ (⌒⌒=─ (,,フっ.ノ ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─ 人从;;;; レ' ノ;;;从人─=≡⌒)丿;;丿ノ
過剰の蕩尽ですが、生産と消費と言い換えることもできます。
栗本さんの主張は、他の科学と同じように普遍性を目指したものなんですか?
それともレヴィ・ストロースのようなフイールドの観察考なの?
科学の普遍性を相対化していこうとするフイールドです。
586 :
ミーム1:2005/07/20(水) 01:33:54
さらに、偽りの科学理論と真なる科学理論と言うべきものがあり、
暗黙知に依拠することで、真なる科学理論となるとしています。
「マイケルは、本質的に重要なのは、手に触れることが出来るかどうか、物理実在的で
あるかというようなことではもちろんなく、ましてや計量可能性などではない。
…精神こそが実在、すなわちリアルであることを再三にわたって語っている。」
『経済人類学を学ぶ』より
女のパンツを脱がせた後は、アレするしかないわけだが。
露出狂のサル
590 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 19:41:58
>…精神こそが実在、すなわちリアルであることを再三にわたって語っている。
リアルかどうかが基準なんですか?
「リアル」だと感得することの意味や構造は問わないんですか?
591 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 21:03:17
そーねー、おれはリアルよりもWMPを愛用してるけどね。
592 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 21:40:29
…、〈ニュー・アカデミズム〉という現象が出てきた。あれは、誰が今もっとも
先端を走っているかという競走のような、一種の先端志向だったわけでしょう。
〈ニュー・アカ〉批判の人たちも、その先端志向には乗っちゃったわけですよね。
そのへんから、誰が一番か、競馬みたいなもので、鼻の差で誰が抜いているか(笑)
という話ばかり出てきて、ぼくは、そういうことだとかなりまずいと思って、
勝手に横を向いて映画のほうに行っちゃったんですけど。誰が鼻の差でトップか
という話は、それがつくりだされた状況として、吉本さんの「世界で誰が一位か」
という口調と、うまく連動しちっゃたと思う。だから吉本さんが、〈ニュー・アカ〉
が出てきたときに新たな輝きをましたというのも当然だと思う。
それと同じ文脈ではないけれども、喩え話にしても、栗本慎一郎なんかは、誰の
ほうが偉いとかオレが一番だとかいう話をよくするわけでね。そこで吉本さんが
ちょっとまずく活用されたなぁ、という思いがありました。
593 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 21:42:18
バカ
594 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 22:53:15
栗本は「相対幻論」で吉本の誉められたと自慢する始末だからねえ。
浅田は吉本の対幻想論を否定するためにラカンをプッシュしたに過ぎないし。。。
595 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 23:41:00
>>590 レーニンとマッハの論争か、中沢のレーニン論でも読んだ方がええよ
596 :
考える名無しさん:2005/07/20(水) 23:53:06
>>594 もっと、テニヲハをしっかり使えよ浅田ヲタ。
>>594 なお、ここであらためて『相対幻論』について明らかにしておきたいことがある。
この書で年長の吉本に対して私がていねいな態度をとっているという一事をもって、
栗本イコール吉本派という色分けをした、ものの全然見えない評論家どもがいて
私を怒らせた。たとえば渡部直己だ。
でも、この対談は、最初から私が吉本の仕事の意味を、ここで述べた外部対応の内部
共同幻想論という形で全面的に読みかえようとしたものであったし、それに対して
吉本は、経済人類学は「アジア的」という概念がわかっていないという形で猛烈に
反撃したのであった。
その場における挑戦と反撃は、かなり熾烈なものであり、一致していたのは、思想家は
思想界の政治活動をすべきではないという一点であった。にもかかわらず、決して
下品なやりとりにならずに進行したことに対して、吉本があとがきで感謝の言を述べて
くれた。それを誤解して、吉本親分説のようなものを吹聴するのは、両者に対して
まことに失礼きわまる。私は、そのような字がまるで読めないらしい人々にかけら
ほどの知能も認めない。蓮實や浅田は、さすがに絶対にそのようなことは言わない。
字が読めるから。
(『鉄の処女』245〜246ページ)
598 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 00:43:57
吉本がクリシンの唯一の弱点としてあげたのが啓蒙的なということじゃなかったかな?
印象としては、クリシンは「唯一」というニュアンスを強調して自慢気だったね。
その後クリシンが呉智英を「啓蒙的」と批判してたのは笑えた。朝生でね。
599 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 00:50:57
>>579 クリシン流の意味は知らないが、経済学なら
「贈与」は利子、「蕩尽」は消費だろうね。
個別の「贈与」「蕩尽」という行為はいろいろな意味があるだろうけど、
人類全体から(つまり市場全体から)演繹すると極当たり前の経済行為に
過ぎないね。それに付加価値を見いだそうとするその姿勢こそ分析対象として
興味深いけどね。
600 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/21(木) 00:56:46
>>599 経済学じゃ「貨幣はペニスの輪切りだ」とか、そんな話は出てこないだろう。
そこら辺が、まあ、面白いといえば面白い。
601 :
ミーム1:2005/07/21(木) 01:06:40
>586の引用は『経済人類学を学ぶ』の大和雅之氏のものでした。
「リアル」と言う言葉は、師の著作にはあまり見られなかったものだと思うが、
重要だと思われたので引用させていただいた。
「リアル」というのは普通には、いわゆる五感によって感得されるこの目の前にある
現実のことであるが、ここでいう「リアル」はもっと高次のものであると言っていいだろう。
暗黙知の働きによって、パラダイムシフトあるいはゲシュタルト転換のごときものが
起ることで、立ちあがってくる現実感覚のことであろうと思われる。
それは、同一空間上における違う見え方と言ったようなことではなく、
(暗黙知の)層の理論におけるところの上下と関連するものだ。
どのようにかは、未だ語るには自分としては不十分である。
かつて耳にしたのでは道元禅師の「もの来たりて、我を照らす。」
という言葉が一つ当てはまるように思う。
ケン・ウェルバー等の言う「リアリティ」も近い事柄を表しているように思う。
イデア論ですよ
603 :
ミーム1:2005/07/21(木) 01:10:39
パンツ=制度=文化でもある。
604 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 01:20:09
>暗黙知の働きによって、パラダイムシフトあるいはゲシュタルト転換のごときものが
起ることで、立ちあがってくる現実感覚のこと
いいかんじですね。
605 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 01:22:43
じきに色褪せるんじゃねーの?
606 :
ミーム1:2005/07/21(木) 01:23:48
ありがとうございます。
607 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 01:59:29
私の解釈の仕方はちょっと違います。対象物に対して思いっきり近づいてから
一気に焦点を遠くに持って行くと現れるものがリアリティだと思います。
http://members.home.nl/saen/Special/Zoeken.swf ↑このフラッシュの3D画像の2枚を見てください。
そして焦点を遠くにズラして、2枚の画像が1枚に重なるように見てください。
次第に立体的に見えてきます。そうすると気がつくのですが、左右の写真には
微妙な違いがあることに気がつき、次の瞬間に驚きの感覚が生まれる。
これが暗黙知によって掴むことのできるリアティやパラダイムシフトだと思います。
2つの画像をぜひ試してみてください。3Dに見えてくるまで時間がかかりますが。
608 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 03:30:10
栗本や吉本のような啓蒙批判をしていた知識人には「怯堕」という言葉がよく似合う。知識、知恵、利権の独占を意図していたんだな。今では宮台や宮崎や福田がそう
怯懦なら知ってるけど怯堕ってどうやって変換したんですか。
わざわざ変な変換をして難しい言葉を遣うくらいなら
最初から簡単な言葉で書けばいいと思うのですが。
610 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 07:35:42
「知識、知恵、利権の独占を意図」すると「啓蒙批判」なんですか?
知恵がないと「簡単な言葉」で書けないですよね。
611 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 07:36:58
リアルというのは感覚と認識が一致する度合いのコトじゃないんですか?
612 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 07:43:18
たしか親鸞をヒントに知識の放棄を主張したのは吉本だと思いますよ。
613 :
考える名無しさん :2005/07/21(木) 07:49:23
たとえば貧乏人の空腹にはカレーがリアルで、金持ちは空腹でもフレンチでないと食べない
とか。。。。「リアル」はそういう問題を解析するツールではないんですか?
覚悟した感覚みたいなニュアンスでリアルを考えると、単なる宗教やカルトのように思えますが?
語彙の少ない現象学厨が知ったかして議論に首を突っ込んでくるなよ。
615 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 08:18:34
空腹=感覚の動物化(あるいは近隔化)した状態で欲するものがカレーであれば、
その人にとってカレーは意識(の対象であることを)を離れて身体化したものです。
空腹=感覚の動物化(あるいは近隔化)した状態でもカレーではなくフレンチを所望
するとすれば、2つの可能性があります。
そのフレンチへの欲求はカレーへのそれよりも身体化されているか、
あるいはフレンチという文化=意識の対象への希求が身体化された欲求をしのいでいるか。
この後者の欲求は意識による身体のコントロールを意味します。自己言及ですね。それは
精神労働でもあり、その主体が精神労働をする階級=支配階級である可能性をも示唆します。。。というように「リアル」を分析することによっていろいろなことがわかるのですが。。。
616 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 08:19:49
>>614 対手を否定しているレベルじゃまだまだダメですよ
リアルって言葉がいちばん謎めいている。
618 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 19:53:57
>>614 おいおい「語彙」の多少で差別するなんて、もっとも栗本的でないな、おまえ。
619 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 20:00:07
おまえは栗本的という制度(パンツ)をはきたいサルなのか
620 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 20:08:31
馬鹿ばっかし。
621 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 21:08:46
馬鹿の大将はクリシン以外にはいない!
622 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 21:10:54
自民党でコケにされて議員を辞職せざるを得なかったクリシンに同情を!
たかが公共のものを作っている一つの民間企業が国営企業だと考え得るのか
というところに尽きるわけだ。
624 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 23:09:37
ではなぜ啓蒙がいけないのか説明できるなら説明してみなさい。フランス革命批判が本意ではなく隠れみのなのは見抜かれておるぞ
625 :
考える名無しさん:2005/07/21(木) 23:58:59
栗本の啓蒙批判て何ってことか?
626 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 01:00:36
馬鹿ばっかし。
627 :
ミーム1:2005/07/22(金) 01:10:39
さて、「リアル」ついてもう少し書いてみたいと思います。
私は学生の時、具象絵画から抽象絵画へというパラダイムシフトを
自ら体験したと思っています。
課題で描いたスケッチを学校の先生に見せると、
何が面白いのか聞かれ、「木の並び方が面白かったので」と答えると、
「だったら、もっと自分の面白いと思うかたちにでも、並び替えて見ろ、
これじゃどうしようもない」といわれたことがきっかけだったのでしょうか。
そのすぐ後に取りかかった、別の制作の構図を取るためモチーフの静物を
(何時間もかけて)いろいろ並び替えてじ〜っと観察していると、
不思議なことがおこり始めました。
目の前にある、イスや机や本などのそれを視覚的に構成する要素、
線や面やかたちといったものが、バラバラになって
自立的に動き始めた(かのように強く感じた)。
そして、それを感じるまま描き進んで、筆を止めてみると、
そこには、あの近代美術史において具象から抽象への過渡期的芸術運動の
キュービズムの作品群に酷似したものが目の前にあった。
私は、感嘆した。私はそれを意図せずに遂行してしまった。
先生は言った「これは、美術史的に見ればもはや古典だ、しかし、
おまえさんにとっては大いなる出来事だ、もっと推し進めよ」と。
私は、対象の構成要素がバラバラになって自立的に動き始めたところから、
「リアル」「リアリティ」を強く感じ始めている。
この後、抽象絵画に進み出るのにはそう時間は、かからなかった。
描くのも、見るのも依然より増して、面白くてしかたがなくなった。
よくわからなかった、現代美術が俄然わかるようになった。
見えないものが、見えるようになった感覚がある。
それまでとはちがう、わかり方があるのを知った。
なにか、誰かに参考になったで、あろうか。
そうであるならば幸いである。
そういうのをパラダイムシフトというのでしょうか。
納豆が駄目だった子供がある日納豆がおいしく感じるようになった程度の
話のように思えるんですけど。
629 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 01:43:18
>>627 視覚情報の再編ですね。それが意図してできるのは凄いことですね。
いわゆる精神分裂症・統合失調症の感覚レベルにおける発現ですが、
2、3名知り合いでできる人間がいました。村瀬学という学者も若いときの
体験としてどこかに書いてましたね。
宗教的な修行からLSDの使用まで、こういった体験を通して、今までと違う
認識や、他者の疑似体験をするのが目的なのでしょうね。
最終的には他者を知り、そのことによって共同性の再構成を略るものだと思いますが。
630 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 01:47:46
問題はやはり「リアル」を保障するものは何か? ですね。
人によってそれぞれ「リアル」感は違うので、特定の「リアル」を以て
それを「リアル」だという定義?はできないし、するべきではないからです。
リアルな感じを保障するものは何か?
631 :
ミーム1:2005/07/22(金) 01:50:40
それは、どちらかというとゲシュタルト転換。
それが、他にまで波及して人生観や、世界観みたいなものまで
変ってしまったら、パラダイムシフトといえるのではないでしょうか。
あきらかに、私にはそのときから世界がちがって見えてきました。
絵画史的にみても、後期印象派からキュビズムさらに抽象絵画への道程は、
絵画の芸術の概念を爆発的に変えています。
632 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 01:53:54
視覚が味覚より高級という思想ですか。
633 :
ミーム1:2005/07/22(金) 01:56:54
リアルな感じを保障するものは何か?
その一つは、蘇生と言ったことではないでしょうか。
今まで見ていたものまでも、新たな意味づけをもって目前に
立ちあがってくる。まさに、活きを吹返すかのごとく。
634 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:08:43
>>632 ワタシの知見では...視覚は味覚より均質である、となります。
なぜなら視覚が感受する可視光線という電磁波は、
生命を取り巻く環境の構成要素としてはいちばん均質均等な物理特性を持っている
からです。それに対して味覚は対象を感覚器への浸潤によって感受するもので、
対象との距離がゼロ以下です。これは別の言い方をすると対象は自己の形になって
しまっているということであり、均質な空間性は失われてしまっています。原生動物の
細胞間の連絡や交接のレベルと同等な形態の感覚ですね。
635 :
ミーム1:2005/07/22(金) 02:08:50
631は628に対するものです。
636 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:16:55
>>631 >後期印象派からキュビズムさらに抽象絵画への道程は、
>絵画の芸術の概念を爆発的に変えています。
そうですね。これは人間の暮らす環境の激変と関係があると思います。
いわゆる資本主義の進行ですね。資本主義化とその空間的な発現である都市化
によって登場する代表的な病気が統合失調症ですし、人間を取り巻く時空間の
激変つまり物質的な基盤の変化は人間性をも変化させますよね。
>>633 >その一つは、蘇生と言ったことではないでしょうか。
ある意味でワタシもそう思います。
環境の変化に対して自らの認識も変化する....それが以前の認識と
大きく違うほど蘇生の意味合いが深くなると言えるかもしれませんね。
637 :
ミーム1:2005/07/22(金) 02:18:43
>629
大筋では、そのせんでいいのではないかと…。
暗黙知もだいたい、そんな事を
言ってるのではないかと思います。
638 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:20:20
>>634 化学的刺激を感覚器で受容しただけでは人にとっての味覚の意味は生まれないのではない
でしょうか。ポランニーの「から〜へ関係」で言うと、味わっていないで
飲み込んでる状態なのでは。
639 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:56:21
脳の中で起こる事としては、
味覚や嗅覚は、もの凄く複雑な事をしているような気がしますね。
聴覚や視覚よりも分かって無いことが多いからでしょうか。
化学反応だからでしょうか。
ゲシュタルト崩壊としては、指の爪を見つめていて、もの凄く恐くなったことがあります。
640 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:58:52
>宗教的な修行からLSDの使用まで、こういった体験を通して、今までと違う
認識や、他者の疑似体験をするのが目的なのでしょうね。
最終的には他者を知り、そのことによって共同性の再構成を略るものだと思いますが。
おー深いですね。いいセンいってますね。v
641 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 02:59:03
広松の「存在と意味」買いたいけど今金欠病&本屋に置いてねープギャー
642 :
考える名無しさん:2005/07/22(金) 03:23:11
図書館で借りて、メモしながら読み込んだほうが、血肉の思想になるぞ。w
643 :
l& ◆/nAiHULOlc :2005/07/22(金) 07:56:06
>>638 > 化学的刺激を感覚器で受容しただけでは人にとっての味覚の意味は生まれないのではない
>でしょうか。
そうですね。感覚が受容した段階では「指示決定」、意味を確定した段階を「自己確定」すると
考えてます。吉本言語論や心的現象論がヒントですが。「自己確定」の段階は人それぞれなので
>>630のような主張をしたわけです。
>>639 > 脳の中で起こる事としては、
>味覚や嗅覚は、もの凄く複雑な事をしているような気がしますね。
そうですね、脳幹や海馬などによる認識が大きいのでしょうね。過去の全体験との
照合がされると思います。しかも味覚は13、4歳までに確定してしまうようだし。
644 :
?~?[??1:2005/07/23(土) 02:21:36
自らの抽象画開眼というパラダイムシフトによって、
なにが変ったかについて、もう少し書いてみようと思う。
まず、決定的に変ったのは、「意味は自分の中にある」と言うべき感覚である。
あの制作行為における、解体と構築は、自分(たぶん自分の意識)以外の
ところからやってくるように(対象の側からの働きかけが生き物のように)
感じられつつも、自分もそこにコミットしつつ行われた感覚がある。
しかしそれはまぎれもなく自分の内部での出来事であり、
全体としては、意味が自分の中で生れてきた、と言う感覚がする。
物事を前にして、自分の中に何が起るか。起っているのか。
結局、煎じ詰めるところ、意味とはそれが「自分にとっては何か」
と言うことにつきるのではないか。
そこから、すべては始ると言っても過言ではない、のではないか。
既にわかっている人は、間主観性を展開(発達といった方がいいのかな)させるため。
未だ、よくわからないと思っている人には、参考になれば幸いである。
対象の意味は分らなくても、対象の意味を問うている自分の動機のごときもの
は覗き見ることができる。実はそれが意味の本当の姿というものであり、
「リアル」の一つはそこに(その方向に)あるのではないか。
645 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 02:24:36
陰謀論を読んで関係のない事象が繋がっていって世界が違って見えるようになったっていう
やつに似てるね。
646 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 02:41:45
それは、精神政界の人々に対して語りかけた栗本の本を
単純な物理科学側からコケにしたくだらない文章だよ。有名だよ。
『だから電子は常に同時には存在しない。したがって、スプーンならスプーンのある部分に、
たまたま電子がそこにいない一瞬に、何かで突き通したり、曲げたりするということは理論的に
簡単に可能なことなのである』
さすがにこれはフォローできないぜ
649 :
考える名無しさん:2005/07/23(土) 08:39:43
どうせと学会の山本だよ。まーた与太話しして遊んでんだろ。心根が卑しいんだよと学会は
わたし、電子がそこにいない一瞬にスプーン曲げたりできますが、なにか?w
653 :
650:2005/07/24(日) 00:34:18
ちがうの。できたって意味が無いの。w
654 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 02:19:47
心根が卑しいんだよと学会は
スプーン曲げができない人って心がねじ曲がってるんだろうね
656 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 02:56:10
ああ、曲がってら、今度見せてやるよ W
657 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 03:03:17
「パンツを脱いだサル」に書いてある「のど」の話の重要性を理解できる奴が一人もいないな。「のど」こそ進化の鍵らしいよ。デリダも言ってるしね
658 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/24(日) 03:09:10
>>657 シュタイナーも、そういってたりするんだな。
『脱いだ』読んでないんだ。どう書いてるの?
659 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 03:12:48
660 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 12:31:09
解剖学者の三木成夫が「のど」のことも詳しく書いてますね。
身体の諸器官の機能とその発達史を解いて意味づけしてます。
「のど」という内臓が外に向かって発現するようになった意義は、
内言語の外化であり、他者への意識なんでしょうね。志向性かな。
具体的には発声の高調波倍音などをコントロールするようになった
ということでかと思います。声色とか。
>>646 そこ読みました。
科学の知識がムチャクチャなのは良いとして(ほんとは良くないけど)、
文章の展開がとんでもないのにはびっくり。
『意味と生命』もこの調子なんでしょうか?
もしかしてポランニーの科学哲学もこんな感じ?
歌はいいね・・・
リリンの生み出した文化の極みだよ
そう感じないか?
ポランニーはノーベル賞候補になったぐらいの科学者だから、それはちょっと・・・
たしかに、栗本先生の科学に関する理解には、いろいろと問題があるんだろうな。
でも、最新の物理学が、哲学にも大きな影響を与えているのは、事実だよね。
脳科学や意識についての科学が、
伝統的な哲学の心脳問題というか心身問題と交錯してきてるんだよね。
>>663 一流の科学者が必ずしも一流の科学哲学者であるとは限らない。
ポランニーはこうじゃないと信じたいが。
まあ、読もうとは思わないけど。
>>664 問題なのは科学に関する理解よりもその論理展開。
なんじゃこれは?
↓
『UFOをめぐる論争もまったく論理的ではない。
人間の知覚というのものは限定された知覚である。その、限定された知覚の間隙をぬうのがUFOだ。
となると、UFOは写真に写ったという類の話はほとんど嘘であることは間違いない。』
すばらしい論理展開だ。
おまえのような凡人には解からないのだ。わはははは。
>>666 >一流の科学者が必ずしも一流の科学哲学者であるとは限らない。
そりゃごもっともなんだけどさ、
クリシンの話題を通してポランニーを知ったせいでか疑いすぎだよ。
クリシンはポランニーの発想を変に拡張しすぎて紹介していると思う。
ポランニー自身はいわゆる「トンデモ」を生み出さないための
「科学者」と呼ばれる集団の倫理や科学的問題発見の理論を考えた人だよ。
クリシンからの先入観を捨てて『暗黙知の次元』読んでみてよ。
それから、科学と政治との分離を主張したってことでもあるかも。
> ポランニー自身はいわゆる「トンデモ」を生み出さないための
> 「科学者」と呼ばれる集団の倫理や科学的問題発見の理論を考えた人だよ。
> クリシンからの先入観を捨てて『暗黙知の次元』読んでみてよ。
クリシンのスレでその言い方はいかがなものか。
失礼しました・・・
クリシン自身が変に拡張しすぎているとかトンデモなんじゃなくて、
読む側がそういったものと結び付けすぎなんでしょうね。
672 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 15:35:29
何を言ってるんだ。クリシンの理論は大変に拡張したトンデモない可能性を秘めてるんだぞ。
神秘と科学を繋ぐ可能性だ。
FBI超能力捜査官なみに可能性があるんだぞ。w
>>666 たしかに、そこだけ読むとヘンですね。
でも、そのあとの部分を読めば
(1) 宇宙人は存在する。バシャールがそうである。
(2) しかし、彼らが人間に姿を見せる理由はない。
(3) だから、UFOが写真に写ったという類の話は、ほとんど嘘だろう。
ってことですね。
もっとも私は、栗本先生が言わんとしていることは理解できるのですが、是認
しているわけではありません。
私も、栗本先生が信じておられるらしいので、バシャールの本を読んでみましたが、
ああいったことは、ニューエイジ運動に関する知識があれば、言えるのではないか
と思いました。
もちろん、頭やセンスがそうとう良くないと無理でしょうが。
バシャールが、栗本先生と同じく「楽しいことをすべきだ」と言ってることが、
先生が本物だと思われた理由の1つのようですが、私なんかは「単なる偶然の
一致ではないか」と思いました。
バシャールのチャネリングをするというダリル・アンカという人物は、カリフォ
ルニアあたりに住んでるわけですから、楽天的なことを言っても当然だろうと
私は思ったのです。
とは言うものの、栗本先生がUFOにこだわりを持つ理由は、よく判ります。
『脳にマラカスの雨が降る』に書いてあったと思いますが、栗本先生のお父さまは、
東大法学部を出て、最終的には最高裁判事になられた優秀な方だったわけですが、
UFOを見たことがあったらしいですね。
私には不思議な体験はほとんど無いのですが、だからといって、そういったことが
絶対に無いと断言するつもりはありません。
あくまでも冷静に研究すべきものだと思っています。
674 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 15:48:38
「のど」についての
デリダとシュタイナーの見解を教えてください先輩。
675 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 15:53:04
>栗本先生のお父さまはUFOを見たことがあったらしい・・・
興味深いですね。ソースは?
676 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 15:54:37
ユングにもUFOについての本あったよね。
677 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 16:22:12
678 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/24(日) 18:11:24
>>674 現在、ひとは喉を使い、空気を振動させることによって、
自己の内的思想を外界に刻印している。
シュタイナーによれば、将来において喉は、人間が
自己と同じ存在を産出するための生殖器官となるらしい。
生殖器官ですか!
680 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/24(日) 19:55:22
生殖器官といってしまって適切なのかどうか、わからない。
なんでも、ひとは将来において両性具有的段階に進むらしい。
そのとき喉は、生殖器官? 産出器官? になるとのこと。
681 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 20:27:48
栗本氏は、カルト宗教であるワールドメイト(教祖:深見東州、本名:半田晴久)と
密接な関係があること知ってる?ここには、マインドコントロールされた人や信者
も大分いるようだね。
>>671 > クリシン自身が変に拡張しすぎているとかトンデモなんじゃなくて、
いや、クリシン自身はその科学理解も思想もまちがいなく「トンデモ」。
ほとんどの読者はわかって付き合ってると思うが。
またおまえかよ。
w
深見は大本出身だから、気が合うんじゃないの。w
ライアルワトソンも大本に世話になってたはず。
選挙の票田にしてたのかなぁ。?
「シリウスの都 飛鳥」を出すたちばな出版も
資本関係が深見つながりだったような気がするけど。。。
>>681 ワールドメイトがカルト宗教である証拠と、
栗本氏との密接な関係とする証拠を教えて。
687 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:03:28
ファビョーン!!
r⌒ヽ (⌒⌒) r⌒ヽ/,
、、;(⌒ヾ ((⌒⌒)) /⌒) ), ,
、 ヾ (⌒ヽ ド━ l|l l|l ━ン!⌒⌒);;)/. ,
、\(⌒ゝ;(⌒ヾ ∧_∧ ⌒)/)) .,/ ,,
((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;(⌒∩#@Д@)'') ,⌒⌒);;;;;)))⌒)
(;;;;(⌒(⌒;;;(⌒ ヽ ノ / ))⌒));;;;)-⌒))
ゞ (⌒⌒=─ (,,フっ.ノ ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─ 人从;;;; レ' ノ;;;从人─=≡⌒)丿;;丿ノ
688 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:10:02
ヒュ〜♪ドンドンドン
キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー
689 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:22:35
クリシンって、ハザール帝国のことを書いたからこんな感じで叩かれてんの?
690 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:25:17
ハザール帝国とワールドメイトが関係あんのかよ。
691 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:37:16
>>690 いやわからんけど。
それとも小泉政権をくそみそに批判してたのが原因なのかな。
692 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:57:57
こないだ「ポーランド・ウクライナ・バルト史」って本を読んだら
ロシアがハザールの後継国だって説が載ってた。
栗本先生は、危険なところに行くのが好きな人だな。
694 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:45:16
亀井静だって小泉政権をくそみそに批判してるし。
695 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:46:15
:
:
キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー
:
:
696 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:55:01
栗本は統一教会や落合信彦の一族とも付き合いがあるよ。しかし栗本先生のお母様の教え子である私から見れば栗本先生は自分達のやった事に対して無責任過ぎますね
697 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:59:40
たとえば?
698 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 00:01:01
「自分達」とはだれだ。「達」とは。
>>696 栗本先生のお母さまって、なにか教えていらしたんですか?
700 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 01:09:03
経済珍類学
701 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 01:30:56
それは、やはり、奈良の山の神々からもらった「力」のせいだろうね。w
702 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 02:11:17
栗本先生は一族の罪滅ぼしとしてせめて持ってる情報全部洗いざらい公表すれば?
栗本先生の一族とか落合信彦の一族とか、なんなのそれ?意味あるの?
ぜんぜん分からないんだけど。
704 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 02:35:00
犬神家の一族かっつーの。
>>668 > ポランニー自身はいわゆる「トンデモ」を生み出さないための
> 「科学者」と呼ばれる集団の倫理や科学的問題発見の理論を考えた人だよ。
> クリシンからの先入観を捨てて『暗黙知の次元』読んでみてよ。
世間にありがちな、そういう常識的すぎる読み方に与さないのが栗慎だからね。
706 :
考える名無しさん :2005/07/25(月) 10:55:14
>>693 ウソつけ。レバノン内戦の時に現地取材に行ったが、
ビビッてレポートできなかった姿は笑えたぞ。WWW
>>706 そういう意味での「危ない」じゃないだろw
708 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 11:10:04
>706
何歳なの?かなり歳いってるような。
栗本と同年齢とか?
710 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 15:54:46
〉705
この場合逆だよ。
711 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 16:03:48
馬鹿ばっかし
A10神経、ウィルス、は虫類脳、、、、などなどクリシンは主張してきたけど、
オリジナルは何ですか? それとも「オリジナル」という発想を超えてるということですか?
馬鹿 馬鹿 馬鹿 馬鹿 馬鹿 馬鹿
714 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 01:03:08
バシャールって、宇宙人なの?
(´・ω・`)知らんがな
716 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 07:34:04
このスレ馬鹿とかいう発言多いですね
よくここの特徴を現してるのみたいな
馬鹿は治らない病気だからね。せめて自覚しないと。
718 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 09:01:40
719 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 19:19:10
ケストラーの「ホロン革命」に爬虫類脳の話が出てたな。
720 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 20:34:59
「は虫類脳」は脳幹のことですよね
721 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 22:40:42
バシャールって、宇宙人なの?
(´・ω・`)知らんがな
723 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 09:18:34
ファビョーン!!
r⌒ヽ (⌒⌒) r⌒ヽ/,
、、;(⌒ヾ ((⌒⌒)) /⌒) ), ,
、 ヾ (⌒ヽ ド━ l|l l|l ━ン!⌒⌒);;)/. ,
、\(⌒ゝ;(⌒ヾ ∧_∧ ⌒)/)) .,/ ,,
((⌒-丶(;;;(⌒ゝ;;(⌒∩#@Д@)'') ,⌒⌒);;;;;)))⌒)
(;;;;(⌒(⌒;;;(⌒ ヽ ノ / ))⌒));;;;)-⌒))
ゞ (⌒⌒=─ (,,フっ.ノ ─=⌒⌒)ノ;;ノ;;;::)
((⌒≡=─ 人从;;;; レ' ノ;;;从人─=≡⌒)丿;;丿ノ
724 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 09:47:54
おぉ、はげしいな。
725 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 10:12:10
誰が読んでもOKの栗本の著作といったら自民党の研究本ではないかな?
726 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 11:47:22
テニスの本とか、車の本もあるよ。
この人、マルチタレントならぬ、マルチ学者だね
728 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 18:21:35
>>725 ああ、あれは面白かった。
実際にフィールドワークした人にしか書けないモノだ。
>>725 『ブダペスト物語』なんかも、わりと好評みたいだね。
730 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 19:20:57
>>729 『南部』には、女を買った話があったな、そういえば。
なんかさー、そういう話を嬉しそうに書くんだよなぁ。
>>730 『南部』は、事実半分、フィクション半分だって、栗本先生がどこかに書いてた
んじゃなかったかな?
で、女を買ったのは、どっちなんでしょう?
732 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 19:50:43
特別にデカイ女をたのんだという。w
ガッツあるよな。w
733 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 22:30:06
前スレ面白いね。
あんなに批判してた、広瀬隆とどう違う?
メッセージ一緒じゃん、ってなっちゃうんだよね。
あの本だけ読むとさ。
大衆は「意味と生命」まで、複眼思考で読み込むヒマないから。
昔から栗本って、そういうプレゼンが下手というか。
>>712 亀レスです。
大木幸介の講談社ブルーバックスや光文社カッパサイエンス本
あと紀伊国屋書店だったかの『故障した脳』なんかもネタ本だったはず。
クリシンにオリジナリティがあるとすれば、RNAウイルスが神経細胞のレセプター増減に関与しているのでは無いか?と主張しているところだったと思う。
またエイズの様にRNAウイルスだったら、用意に細胞に取り込まれるぞ、とも。
スレ違いだったら、済まないがここ数年RNAウイルスの研究も進展しています。
クリモトは『意味と生命』で、DNA構造解析よりもその発動条件の方が重要だ、と主張してました。
最近やっとDNA解析上無意味と思われていた領域に既にRNAが組み込まれていて、DNA発動への関与が示唆されているという研究もでてきました。
広瀬隆と一緒って・・・
読んだ人の意見とは思えん
736 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 07:50:17
>>734 >DNA解析上無意味と思われていた領域に既にRNAが組み込まれていて、DNA発動への関与が示唆されている
そうですね、RNAウィルスや他の生物からの遺伝子だったりする可能性ですよね、たしか
737 :
734:2005/07/28(木) 08:34:54
>>712 >>734続き
レセプターの増減へのウイルスの関与は、証明されていません。
しかし、ヘルペスウイルス感染と気分障害との関係は培風館『ストレスと心の健康』のかでは示唆されています。
さらに花風社『脳画像でみるうつと不安の仕組み』などでは、脳の特定箇所の活動と気分障害の関係についての最近の知見がまとめられています。
これらの知識?のベースとなるようなレベルや認識まで踏み込んだ、RNA研究が進めば、クリモト説の真偽または先見性が明らかになってくると考えます。
>>733>>735 単なるマークシート方式試験で問える水準までの知識なら、広瀬本と同内容のところがあるだけ。
まあ結構な量だけど。分野も重なるし。
>>733はマークシート試験レベルでしか理解できなかっただけのことでは?
739 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 09:08:39
免疫系のスーパーシステムは
サイトカインの関連などは
740 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 09:19:55
広瀬隆が単なる電波って言ってる奴はどうしようもない馬鹿ばかりだけどね。
>>734 『故障した脳』は当時精神医療界で話題を呼んだ本だったけど、その後、
その本の内容じたいはボロクソに批判にあったみたいだね。
科学知識なんてどんどん古くなって否定されていくものなのよ。
下位システムが上位システムを決定する(進化させる)ってマルクス主義唯物論そのまんまじゃん。
そういや、広瀬隆って「ユダヤ陰謀論」の本も出してたよね。
で、栗本先生は『ニッポンの終焉』のなかで、これに言及して、広瀬氏を批判
してたんだった。
もちろん、栗本先生の場合は「凡百のユダヤ陰謀論とはぜんぜん違うぞ」「徹底的に
調べたり検討したりしたんだぞ」ってことなんでしょうけど、私には判断のしようが
ないですね。
>>743 いや、上位は下位だけで決まるわけじゃないよ。
たとえば、将棋を例にすると、駒の動かし方(「歩は1マスずつ真っ直ぐにしか
動かせない」といった)は厳密に決められていて、それは羽生さんでも、初心者
でも、まったく一緒なわけだ。
でも、羽生さんと初心者とでは雲泥の差があることからも判るように、こういった
ルールだけで全てが決まるわけではないわけだ。
「駒の動かし方」が下位のシステムで、これは全く同じなんだが、「駒を全体のなかで
上手に位置づける」という上位のシステムに大きな相違があるわけだよ。
将棋ではなく脳のお話しでしょ
746 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 17:27:29
わからずや
脳タリン
コリン星人
749 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 18:15:58
>>744 >もちろん、栗本先生の場合は「凡百のユダヤ陰謀論とはぜんぜん違うぞ」「徹底的に
クリシンは、竹中平蔵大臣が国際ユダヤ資本と
うんぬんかんぬん・・・という説を展開してますね。
クリシンが言うことだから真に受けてしまうのですが。
>>749 「ケケ中氏=国際ユダヤ資本の代理人」説をとなえているのは、栗本先生だけでは
ないですね。
もちろん、こういうことを多数決で決めてはいけないんですが、でも、さまざまな
理由から、そう思われても仕方がないんですよね。
751 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 18:55:27
免疫系 スーパーシステム サイトカイン
の話で盛り上がってるかと覗いてみたらだれも話題にしてない (´・ω・`)
752 :
ゆうこリン:2005/07/28(木) 21:28:39
わからずや、脳タリン、コリン星人
の話で盛り上がってるかと覗いてみたらだれも話題にしてない (´・ω・`)
>>751 免疫系、スーパーシステム、サイトカインの話をしてもらっても構わないですよ。
ただし、理解されるかどうかは判らないですけど。
医学、免疫学、神経学などの細かい話は、仮にスレは良くても板違いの話が続きそうで辞めたんですが
量も多くなって手間だしね
また話題についてこないで、揚げ足だけとりそうなレスをスルーするのも全員じゃあ無いし
スレ汚しでスマソ
755 :
ミーム1:2005/07/29(金) 00:34:06
>DNA解析上無意味と思われていた領域に既にRNAが組み込まれていて、
DNA発動への関与が示唆されている
これって「DNA」を「無意識」、「RNA」をミームみたいに
置換えてみることも出来ませんか?
756 :
ミーム1:2005/07/29(金) 01:13:51
間違えました
これって「DNA」を「無意識」、「RNA」を「ミーム」と
置換えてみることも出来ませんか?
です。
>>744 > いや、上位は下位だけで決まるわけじゃないよ。
それは構造主義的マルキストっぽい。
758 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 05:23:06
>>733だけど、あの文では残念がってるニュアンスが伝わらなかったかな。
俺も『脱サル』から読み取るべきメッセージは、
陰謀史観が根拠としかねない構造があるがそれ自体を問題にはせず、その発生原因や構造が持つパワーへの注意喚起がメイン(
>>29)なのだと思う。
外部と境界の思想家、栗本を初期の著作から読んで層の理論を理解していれば、それは分かる。
ただこの本の書き方では、大衆にそのメッセージが届くかなあ?と。
その点は
>>75で鮮やかに指摘されている。
759 :
続き:2005/07/29(金) 05:43:59
引用すると、
「栗本的には
貨幣の暴力が発動されるのは人類にとって生命論的にどのような意味合いをもつのか
という層への注目こそなされるべきなのだが、残念なことにユダヤ人という貨幣のプレイヤーへ注目するという層へ視点がいっている」
>>163-165にも同感するな。
F.カプラ批判は、米西海岸ニューエイジにみられがちな単純な自然観・人間観に対する反発から来たものだろう。
760 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 05:45:32
>栗本的には貨幣の暴力が発動されるのは人類にとって生命論的にどのような
>意味合いをもつのかという層への注目こそなされるべきなのだが、残念なことに
>ユダヤ人という貨幣のプレイヤーへ注目するという層へ視点がいっている。
>>75のここ凄いね。
みなさんは、どう考えますか。
貨幣の暴力が発動される生命論的意味。
761 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 06:00:54
坂口安吾とシオランを愛し、「歴史の転換は人間の知性の発展によりおこるのではない、人類とは全体従属的な細目にすぎない」という認識を持つ彼にとってニューエイジ系の大半は楽観的に過ぎるのだろうね。
瞑想する人の数が増えれば、人類のエントロピーを抑えることができる、というのはトランスパーソナル的な一つの処方箋だが、栗本的には「それだけでは」甘い、ということなのだろう。
彼はアーノルド・ミンデルのプロセス指向心理学をどう捉えているのか気になる。
762 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 06:15:53
根源的な欲動に支えられた覇権主義を乗り越えるには、
ユダヤ人を仏教に改宗させるしかないと思う。w
763 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 06:19:01
日本人は、グローバルスタンダード教に、ちゃくちゃくと改宗されつつある。
764 :
ゆうこリン:2005/07/29(金) 06:23:00
ゆうこリンもそう思う。
地球は、意識のステージが低いやつばかりが権力を持っている。
もうコリン星に帰りたい。
765 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 06:34:06
最後に補足だけど、
陰謀史観やニューエイジについては、海野弘の
『陰謀の世界史』(文藝春秋社)
『世紀末シンドローム ニューエイジの光と闇』(新曜社)
が秀逸。
『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』リン・マクタガート(河出書房新社)
『叡知の海、宇宙 物質・生命・意識の統合理論をもとめて』アーウィン・ラズロー(日本教文社)
これらの仮説、事実群?が、ポランニーと栗本が指摘した、場の力Xと果たしてブリッジしていくのかも気になるところだ。
ちなみにA.ラズローもブダペストの出身だ。
766 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 09:00:47
ラズロー読んでみます。ありがとう。
767 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 09:49:00
このスレ盛況だな。栗本思想のパワーはまだ健在ってことですね。
俺も読み直してみようかな。
768 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:01:05
ルパート・シェルドレイク。ピーター・ラッセル。エンリッヒ・ヤンツ。ケン・ウィルパー。J・リリィ。スタニスラフ・グロフ。ブライアン・ジョゼフソン。デヴィッド・ボーム。スティーブン・グールド。栗本や中沢はこのうち誰にダメ出しをしていたんでしょうか?
769 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:28:45
ブライアン・ジョゼフソンて日本語訳で1冊しか出てないよね。
俺邦訳しか読めないから。
770 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:42:40
特にそのうちの誰、というのでもないんじゃない?
栗本は、J.リリィとかは好きそうだしw
ベイトソンも嫌いではなさそうだけど。
ヨーロッパ(栗本氏だとドラキュラを産んだハンガリーなどの東欧)の知的風土に比べると、ニューエイジを産んだカリフォルニアの知的風土は、やっぱり単純すぎて楽観的に過ぎたのでは?
あと、栗本氏のマッチョ志向?がカプラなんかのエコフェミ志向と相入れなかったんじゃないの?
でも海野弘のカリフォルニア論読むと、栗本の都市論とリンクしていきそうな部分がありそうですよ。
771 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:52:37
個人的には、東欧クロアチア生まれのニコラ・テスラにも言及してもらいたかったですね。
形態・リズム・エネルギー・場の力といった問題群と関わってくる巨人の1人ですから。
772 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 10:54:03
773 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 11:16:26
>>772 そう。
現代の交流システムや無線電信を作った鬼才で、荒俣宏いわく「20世紀を発明した男」ですw
>>765で紹介したゼロ・ポイント・エネルギー派の源流の1人でもある。
あまりにビジョナリーで先走り過ぎた、今でいうと意識研究におけるJ.リリィみたいな存在ですかね。
映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」やドクター中松のモデルでもあるw
訂正します。
荒俣がテスラにつけたのは「地球を割ろうとした男」でした‥w
俺は拡散し過ぎたから、そろそろ思想的な問題に戻った方がいいですよね。
775 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 13:53:21
>>773 J・リリィと言えば、「アルタード・ステーツ」。
栗本氏の本を読んでいた時期と、この映画にハマっていた時期が重なる。
ディックのヴァリスについて言及してたけど
アルタード・ステーツについて何か言ってたかな?
ヒッピー系の脳天気ドラッカルチャーは嫌いみたいだけど、
悲観論で主人公が何か悪意に操作されてる感覚になってると
好きみたいな感じに見えるな、この人。
777 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:09:54
当時、栗本氏の書いた物やメディアでの発言は、可能なかぎりチェックして
いましたが、「アルタード・ステーツ」についての言及は見聞した記憶が無い
ですね。
あの映画について、何か言ってくれないかな、と期待してたんだけど。
778 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:15:56
>>760 >みなさんは、どう考えますか。
>貨幣の暴力が発動される生命論的意味。
>>75 >栗本的には貨幣の暴力が発動されるのは人類にとって生命論的にどのような
>意味合いをもつのかという層への注目こそなされるべきなのだが、残念なことに
>ユダヤ人という貨幣のプレイヤーへ注目するという層へ視点がいっている。
もっとも興味があるところ。
で、正面からこのジャンルをやったのはどうみてもマルクスがいちばん。
そして取り上げると内容以前に左翼罵倒、アンチマルクスの嵐?
....じゃないことを祈るよ。W
>>778 栗本先生じしんが、著書のあちこちで、マルクスを批判してるだろ。
780 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 17:15:16
まあそういわずに、
マルクスはなんといってるのですか?
「生命論的」意味としては。
781 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 17:39:34
マルクスは<組み込み>という概念で人間と自然との関係を捉えてるけど、
人間的自然とか自然的人間とか、この辺の定義や解釈がマルキストでもいちばん混乱してるね。
自称マルキストや共産主義者でまっとうな見解は圧倒的少数だと思うよ。
でもマルクスから派生したり、その辺を参考にした論考にはいいものがあると思う。
エコロジーや生態学も宇野派マルクス主義から派生したものだし、吉本隆明や松岡正剛もいいところ
をついた論考をしてるよ。
栗本がマルクス批判をしてるからマルクスはダメだ、という幼稚な否定と排除の論理が
荒らし以上に認知されているならば、このスレのレベルも....ということか?
栗本と舛添が何故マルクスを否定するのか、その理由を知ってるのか?
782 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 17:47:16
教えてパパ。
>>781 まず貨幣の定義ができないといけないだろうけど、
経済板でさえも、ひとりも貨幣の定義ができていなし、
「定義する必要はない」という見解が支配的だったりするのが笑えた。
言語学や精神分析の方が貨幣の定義により近いいい見解をもってるのに。
ちなみに「贈与」と「蕩尽」については既出だろうけど、
<利子>と<消費>の定義の範疇のことで経済現象として珍しいものではない。
ところで貨幣の本質からいくと....
<貨幣>には形がない
<貨幣>は交換できる
<貨幣>は強度である
という抽象的な定義ができるよ。
この抽象に具体的な形を与えていくと、わかりやすい定義になるだろうね。
そこで、それぞれの段階の<意味>や<価値>がわかってくるよ。たぶん。W
>>782 >「生命論的」意味としては
たぶん<貨幣>の生命論的な意味は<強度>だね。
マルクスの言い分ではどうだかわからないけど、
マルクスを前提に考えると<貨幣>のいちばんの意味は<強度>だと思う。
前レスの
>>781は
>>782の間違い
785 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 17:59:34
貨幣の暴力が行くところまで行ったら
大多数の貨幣的弱者による世界革命が起きますか。
じゃないや783、784でも
>>780が正解。ハズ
>>785 世界革命は起きないでしょう。
「貨幣の暴力」は貨幣に投影された自己の再帰的な弱さでしかないので、
「暴力」も「革命」も個人個人の自己コントロールが問題だと思いますよ。
余談?だけど吉福伸逸の「流体感覚」の対談に栗本も参加してたら面白かったのにな
と思うんだけど。
788 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 18:07:41
なんだよ<強度>って。
循環理論はまっぴらだ。
再帰的に強さを表現したい行為が<贈与><蕩尽>という面は大きいだろうな。
循環理論の<強度>?
何それ?
クリモトのスレで自作自演のようなマルクス談義なんて長々すんな、ドアホ。
792 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 18:31:57
「脱会したら殺す」
そごいな「ザイン」。
側近の枢機卿がアニメちっくで笑う。
「ザイン」が貨幣の生命論的意味を変えるか!?
w
「ザイン」とメルロポンティの共通点を
生命論的に述べよ。
クリシンならザインと国家は同じだと見抜くだろうな。
見抜けなければクリシンもその程度に過ぎないということだしさ。
ソ連では共産党の党員証が貨幣だと気づいたクリシンに乾杯!
無くならないね、こういうの。
「不可視の存在」って、必要なんだね。
騙されるやつが無くならないんだから。
797 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 23:48:44
「アルタード・ステーツ」
キノコ食って水槽に入ると
サルになっちゃうってのが凄い、ひどい。
798 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:12:35
あのアイソレーション・タンクとか、シンクロエナジャイザーとか置いてある店って、まだあるのだろうか?
シンクロエナジャイザーはユーミンのアルバムジャケットにも使われていたが。
799 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:43:18
>「アルタード・ステーツ」
栗本理論とのつながりで言えば、人間の身体の中には、魚類(もっと前から?)
から、哺乳類(サルなど)までの進化のプロセスが詰まっていて、
それをドラッグの刺激によって、呼び覚ます、というようなことかね?
脳内麻薬が過剰分泌すれば、キノコ食ったりタンクに入ったりしなくても、
進化のプロセスを遡行できる!?
800 :
ミーム1:2005/07/30(土) 01:00:45
「進化における個体という自己組織化はDNAによって実現したのだが、
群という自己組織化はミームによって実現しうる」というのは、
師公認の伊勢史郎の言葉であるが、
貨幣をミーム(文化の遺伝子)の一つとして考えてみると、どうだろうか。
それも、DNAというよりは、RNA。
いや、むしろRNAウィルスといった方がいいかもしれない。
そう、市場社会の拡大と、そこでの貨幣の持つ役割の重要性は、
病にかかった、群としてのヒトにおけるウィルス的存在に近いのではないか。
801 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 04:20:34
おー実在的意見だ。
自己意識(自我)って生物としては病だよね。
802 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 05:46:26
副島隆彦との対立というか、栗本を非難(批判レベルに非ず)していたが、なんだったんだろう?
副島んとこの会員になってまで得る貴重情報とも思えないがw
803 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 09:30:51
代々木ゼミナールがブタペスト倶楽部にかなうわけがなかろう。
だから人間はビョーキなんだろ
805 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 10:02:13
副島の本も何冊か読んでケッコウ面白いと思ってた。
「現代アメリカ政治思想の大研究」には、ポランニーやドラッカーについての
言及も(ちょっとだけど)あるしね。
副島氏の栗本批判らしきものはどこかで私も読んだけど、
たしかにアレはちょっと気になったね。
>>802 オレも2年くらい前に、副島氏のサイトに「栗本先生が選挙に当選したときに呼ばれた
んで、行ったら、とんでもないことを言われた」とか「選挙運動のときに、栗本先生は、
知識人としてあるまじき事をした」とか書いてあったのを読んだことがあるよ。
いずれも、具体的に何をしたのかは、まったく書いてなかったんだが、後者の「選挙
運動」に関しては、『教科書では教えない日本政治』所収の、小選挙区制の実態に
ついて述べている文章のなかに、次のように書いてるのを思い出したんだわ(22〜
23ページ)。
> だれに勝てば国会議員になれるかが完全に明確なのだから、政策をどうこう言う
> よりも個人を中傷するほうが早いと思うのは当たり前である。実際、個人攻撃が
> うまく決まれば、凡百のいや凡千(?)の運動をはるかにしのぐのは間違いない。
> だから、今回はどの選挙区でも、政策論など糞食らえ、相手候補や党の誹謗・
> 攻撃がはびこりまくった。こういうことはこれまでもたしかにあった。しかし、だれを
> 倒せばだれが勝つということが、運動員や有権者のすみずみにまで明瞭に見えた
> 今回、様相はまことに酸鼻を極めた。
> 私は自らの東京新三区(品川、大田北部、島嶼)のライバルたちとは、いずれも
> 親しく話したことのある仲だった。だから、当初、各種会合で顔を合わせるたびに、
> 醜い個人攻撃はしないようにしようなどと話していたものだ。もちろん、本気である。
> ところが、いよいよ選挙が近付いてくると、支持者たちから「相手と話なんか、
> しないでもらいたい」と要望が来る。「相手は先生のことを……と言ってましたよ」と
> ご注進も来る。それでもなお、私は相手の候補と顔を合わせる機会のあるたびに、
> 「候補者だけでも矜持を保とう」などと言ってはいた。しかし、経験のある支持者
> からは、なおも「選挙は×××(差別語)にならなければ勝てませんよ」とか
> 「先に×××(同)になったほうが勝ちます。相手はなってます。先生は、まだです」
> とくる。猛進しない候補者は、たんなる弱将なのである。とうとう私だって、×××に
> 「なった」。だから勝てたのである。
そこまでやって政治家になったんなら、もっと政界で粘ればよかったのに
808 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 10:10:15
>>807 それ、俺も読んだことある。最後の四行の部分、笑ったーw
>相手はなってます。先生は、まだです」
だってw
809 :
ミーム1:2005/07/30(土) 10:10:51
>801
そうそう、
市場=意識、自我=貨幣
なんてふうにも、考えられないだろうか?
貨幣というウィルスに感染した、群としてのヒトは
発病の危機に瀕している。
いや、すでに発病してしまっているのだろうか。
それとも、ウィルスとの共生を通じて
新たな進化に向かおうとしているのか。
忘れてはいけない、進化とは退化でもあるということを。
ひよっとするとそこに、ある種の精神疾患、
とも呼びうる(呼ばれている?)ものが、
カギを握っているのかもしれない。
810 :
808の訂正:2005/07/30(土) 10:14:29
自由民主党の研究では
自民党内では「より多く頭を下げたものが勝ち」とか書いてあったな。
自民党内では力になるのは「金」ではなく「挨拶」「頭を下げること」だ、と。
日本が無くならないかぎり自民党はなくならないという結論は衝撃的だった。
それから小泉がいちばん裏表があるとも書いてあったな。
812 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 10:48:29
副島のサイトの有料会員になれば、詳しい話が載ってるみたいだけど。
副島の『日本の秘密』は面白かった。
>>811 なんか象徴的な話だね。
今の日本の会社で出世するにも、そういうのがまだまだ必要なのかな…(ウツ
813 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 11:13:26
>>811 それ、読んだ。挨拶回りで金も時間も掛かりすぎるってのがよーくわかった。
ちなみに野田聖子の本でも似たようなことを書いてあったよ。
とにかく地元への挨拶回り、あーんど、先輩議員への<義理>を
欠かさないことが大事みたいだ。
しかもそれって、通常のレベルじゃないからね。
自分のあらゆる時間、全活動を捧げなきゃならないような激しさだし。
まぁ、わかる、けど、国会議員の職務ってそういうもんじゃないはずなのになぁー。
クソ忙しいはずだし、読まなきゃならない資料だって山のようにあるだろうに。
>>696 のカキコに対して、オレは
>>699 を書いたんだけど、返事がないところを
見ると、ガセだったんだな。
815 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 12:09:14
自民党の仕組みは日本の仕組みそのものだってやつね。
自民党をぶっ壊せば、日本もぶっ壊れるのだろうか。
イナカの選挙見てると、変わらねーような気がするけど。
今回の郵政のゴタゴタで解散して一度自民党ぶっ壊れてみてほしいな。
公○党は野党に戻したいしさ。
副島さんっつうひとも、自分で選挙出てみなければ、わからないことが
あるんじゃないの?評論家は楽だよ。
舛添も、政治家になったら、口調ががらっと変わったし。
816 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 12:14:58
栗本さん自民党除名処分だもんね。
除名って一番厳しい処分でしょ。具体的理由って、盗聴法反対だったっけ?
これも反ユダヤだよね。
817 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 12:16:34
×××って、893?
818 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 12:37:07
ただちょっと俺も小室直樹の幸福の科学への接近と並んで、栗本のコスモメイトへの接近を危惧はしている。
大本系の流れへの関心からフィールドワークしているのかもしれないが。
オウム事件の時みたいにヒヤヒヤさせないでほしいw
國広正雄や松本道弘まで関わってるものな、ちょっとびっくり。
松本道弘は分かる気がするが、國広氏はスタンスを大きく変えたのか?意外。
神道国際学会
訂正
今はコスモメイトじゃなくて、ワールドメイトだね。個人的には、どうでもいいけどさ。
政治と大病、この人は波瀾万丈だ。
政治関係のレス読んでると、
もう政治はイラネと思っちゃう。
でもそれじゃ思うつぼなんだろな、自公の。
823 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 22:30:56
人の情報は盗みながら自分達の情報は隠す。こんな卑怯な事をやっている事自体栗本達が実力不足だという証拠じゃないか
824 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 23:45:19
世間は、君が考えるよりも、もうちょっと複雑なのさ。
825 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 23:52:03
俺はフィールドワークしてたぞ。w
神道国際学会は、メイトのヤツが金出して役員やってるけど、
べつに悪いことはやってないんじゃないの?
メイトのヤツは神社の写真本で栗本に言及していたから、
栗本ファンだったのだろう。
鎌田東二も理事やってたな神道国際学会。
菱研の半田晴久=ワールドメイトの深見青山だな。
栗本は菱研の顧問をしているみたいだね。
827 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 00:02:28
828 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 00:09:00
ミームの概念がぶれるような気がする。拡張しすぎ。
それより、菱研ってなに?三菱研究所?ww
(いや、世俗ネタに戻したいわけじゃないけどwww)
829 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 00:13:21
宗教は最高の票田なんだよね。信者は盲目だから。
830 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 00:22:23
831 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 00:26:10
こんどでる本も「たちばな出版」であると。w
「たちばな出版」も半田くんの支配下なんでしょ?
832 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 01:01:01
菱研のシンポジウムの面々、けっこうすごいな。
ラビ・バトラとか怪しいけどw
三菱総研だと思って出席してる人いたりして…w
2001年以降は金が続かなかったのかw
833 :
ミーム1:2005/07/31(日) 01:24:03
>827さん、どうもありがとうございます。
実は全然反応がないので、少しとまどっていました。
まったく見当違いなのか、それともあたりまえすぎて話しにならないのかと。
>828さんのカキコも併せて、参考になりました。
834 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 01:38:58
新興宗教の宗教家はみんなそうだけど、凄いパワフルだね。半田さんって。
商売人としても。
哲学書の読者よりも、現実でイザとなれば頼りになりそう。w
栗本さんは、芸能プロダクション所属のタレントでもあるのだから
付き合いの広さは、魅力の一つと考えよう。
たんなる学者じゃないんだから。
835 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 01:41:53
そうだね
栗本信者なら、貨幣はドーパミン。
837 :
ミーム1:2005/07/31(日) 02:08:05
同じく、そうですね。そのへんのところでしょね。
838 :
ミーム1:2005/07/31(日) 02:09:56
おっと、837は835に対するものです。
839 :
ミーム1:2005/07/31(日) 03:00:19
貨幣がミームであるかどうかは、とりあえず別にして。
ミームは、群としてのヒトという生命体にとっての
RNAウィルスの存在に酷似しているように思えてならない。
学生の頃読んだ、ライアル・ワトソンの「生命潮流」には、
『ミームは遺伝子とまったく同様に生存を競っており、
そしてもっとも適したもののみ生残る。しかし、いまわれわれが
問題にしているのはいったい何の生存なのかを、認識することである。
ある観念が社会や個人や遺伝子そのものにとっても
有害なのに、それでもなお生残ることがある。全人類が滅亡した後も、
本やフィルムやコンピューターの記録など、機械的記憶として
生き続けることさえできるだろう。観念はその特性が自分に都合がよい
というだけで、発展し観念として成立っていく。』とあった。
ミームに直接関係する記述は、あの四百五十数ページの中のこことあと、
数行というものであったが、そのあと「捨てるサル」で
RANウィルスはミームに似ていると言う着想をもち、
「快感進化論」でミームは(文化の)遺伝子であるという言葉をもらうことで、
その考えを強くしている。「捨てるサル」ではDNAはRNAの堕落した姿であり、
さらにRNAはもともとウイルスであったとある。
840 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 03:58:26
今時「資金資本主義」なんて言うセンスやケネディ暗殺の原因を連邦準備制度に特定するセンスにも栗本の根性のなさがうかがえる。ま、栗林中将のぼんぼんだしな
栗林中将?
842 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 04:33:02
今だから「資金資本」って言うセンスが光ってんじゃん。センスないなぁおまえ。w
843 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 04:46:30
>>840 ケネディ暗殺の原因を説明してください。根性入れてセンス良く。
844 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 06:35:49
他スレでやりました。命懸けでね
845 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 08:31:01
ププッ
846 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 09:35:23
ウィルス学者よると生物のレトロウイルスの罹患率(感染率は)、
その生物種の生存率に比例するんだってね。いまのところ人間がいちばん多くの
レトロウイルスによる感染を受けてきていて、それは種の残存率・生存率を
保障するらしいよ。
RNAはレトロウイルス由来でしょうね。それからトランスポーター遺伝子なんかも
もともとは他の生物に由来する可能性もあるんじゃないかな。
847 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 09:43:46
共生だよね。他者(外部)と混ざれれば生き残るんだね。
チャンプルーこそ生命の本質だ。うううっ。
848 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 09:47:58
849 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 10:29:11
いや、ここでも命がけで説明させるほうが面白い。やってよ。
850 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 18:42:02
みんな知ってるくせにわざとらしい
対象と認識が一致しているのでしょうから、命がけに違いありません。
852 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 18:55:06
ほら知ってるじゃん
854 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 20:01:26
しらけ
855 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 21:16:05
近刊『シリウスの都 飛鳥』は、自身の光・闇の都市論や、ロバート・テンプルのシリウス・ミステリー、渡辺豊和の縄文夢通信論などを交錯させたものになるのだろうか?
856 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 21:35:15
「パンツを捨てるサル」に、不随意神経が随意神経に変わることが、
進化だ、と書いてあったような記憶がある。
これは、今まで無意識にやってきたことを、意識的に行うようになるのが
進化だ、っていうことかなと、理解したんだけど。
そしてこれは、社会科学的には、今まで社会にとって補助的な役割だった
機能が、中心的な存在になっていく、ということかな、と思ったんだけど。
857 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 23:27:06
>>856 ある程度そうだろうと思うよ。
意識化というのは文化化であり、生物的本能の外部化でしょう。
858 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 23:47:19
心臓を随意に止めたりできると自殺が楽になるだろうか?w
859 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 23:49:00
改行しないで書き込んでるヤツは命懸けの同一人物だと、俺の暗黙知が囁いている。
860 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:00:39
するどい!
861 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:02:53
>>858 脳の血流が止まって意識がなくなるや否や、心臓が再び動き出すと思う。
862 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:10:00
863 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:10:24
うまい!
しかし、このスレには、明治大学とかで栗本先生に教えてもらったことがあるとか、
あるいは自由大学に行ったことがあるとかって香具師はいないのかな?
ちなみに私は、栗本先生には1度もお会いしたことがありません。
865 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:17:15
はい、JKU逝ってました。
栗本先生とは、お好み焼きを一緒に食ったことあります。
逝ってきます。とほほ。w
866 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:20:47
浅い www
867 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:38:20
フロイトとユングだったら、栗本さんは断然ユングに近いと思うけど、
「無意識の意識化は、いいことばかりじゃないないんだぜ」っと
ユングは言ってる。
868 :
ミーム1:2005/08/02(火) 00:39:17
>意識化というのは文化化であり、生物的本能の外部化でしょう。
そう、無意識の意識化は、本能の外部化を含むと思う。
本能の外部化は、進化をもたらすと当時に、退化をも生じせしめる。
あるいは、退化が先に起って、それを補うべく進化がもたらされるのだろうか。
どちらにしろ、進化(ヒトにとっては本能の外部化?)と同時に、
退化が起るのではないかと思う。
では、今なにが、退化しようとしているのだろうか。
ちなみに、私も栗本先生とは会ったことがありません。
お好み焼き一緒に食ったなんてうらやましい。
などと、ミーハーな私であった。
869 :
ミーム1:2005/08/02(火) 00:44:22
>867
私も、そう思う。
無意識の意識化は、先に述べた同時に起るであろう退化以外の
事も含めて、手放しで喜べるしろものではないと思う。
870 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 00:47:29
じゃ、キミはこれからミーハ1に改名しなさい。w
本能は意識の外部。と言った方がスッキリするような気がするけど。
意識ある限り、本能の一部しか意識化できない。
「本能」の定義によるみたいだけど。どうでしょ?
871 :
ミーハ1:2005/08/02(火) 00:58:41
「本能」の定義がちがうようで…。
あげあしとるようだけど、
意識がなかったら、意識化もへったくれもないのでは…。
つまらんこといって、スマン。
872 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 01:06:24
873 :
える名無しさん:2005/08/02(火) 01:16:44
今更ですが、栗本先生のオウム事件に対する対応は醜かったですね。
自分も麻原に利用されたことは棚に上げ
(当時、新宿駅で麻原との対談記事が、オウムの勧誘に利用されていましたな)
「島田裕巳はオウムとロシアに行ってたぜ」
なんて告げ口しちゃって。
874 :
える名無しさん:2005/08/02(火) 01:18:00
(当時、新宿駅で麻原との対談記事が、オウムの勧誘に利用されていましたな)
↓
(当時、新宿駅では麻原との対談記事が配られ、オウムの勧誘に利用されていましたな)
875 :
ミーハ1:2005/08/02(火) 01:24:02
他には?
876 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 01:42:40
870
意識ある限り、本能の一部しか意識化できない。
871
意識がなかったら、意識化もへったくれもないのでは…。
これはゴーギャン的問題だね!(キマッタでしょ?w)
「我々はどこから来たのか、我々はなにものか、我々はどこにいくのか」
>>872 キミのその情熱は、他で使った方がいいと思う。w
>>873 オウム関連は前スレでもさんざんやったよ。
もう栗本先生本人は醜くてもいいってば。w
本人と思想は別人格なんだから。w
なんかwらってばっかしでスマソ。w
ミーハ1さんは、ミーム1さんに戻って頂いて、w
ミームとしての抽象画もがんばってほしいと思います。
抽象画のミーム力が、言語より強いことを祈りつつ。。。。なんて、、失礼しました。
877 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 01:58:00
ポール・デルヴォーも知らないで何がゴーギャンだか
878 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 02:07:04
長生きしすぎ。
879 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 02:20:23
やっぱし ポール・デルヴォーぐらいは意識化しないと、
胸を張って裏日本出身者とは言えないよな。
さすがポール。
♪ヘイ〜ジュー〜〜
881 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 05:39:37
>>878 お前らは人を殺しすぎ。長生きしたいだの虫が良すぎる
883 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 11:17:56
>>856&
>>857 「”無意識の意識化”に伴って、社会の補助的機能が中心的な存在に成る」
この事と、トフラーやドラッカーなどの「北米フューチャリスト」との
思想的なツナガリに興味がある。
彼らは、第三次産業の就業人口やGDPにおける比率が高まるにつれて、
情報インフラストラクチャーが、
従来の橋や道路などの「建設系」インフラに勝るとも劣らぬ存在になっていく、
というような主張を1970年代頃から、唱えてきた人たちだ。
トフラーの「第三の波」もドラッカー「新しい現実」も、社会・経済的には
そのように要約されるだろう。
第三次産業(これ、アヤフヤで嫌いな表現なんですが)も、情報インフラも、
近代においては、補助的な存在だった。でも、現代(=ポストモダン?)に
おいて、台頭しつつある。
ホリエモン騒動の一方で、旧インフラ系の大物が失脚する、という現象も、
この流れを象徴していると思う。
これは、生命論的な視座から見たら、一種の「進化」か?
884 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 11:32:13
栗本先生は、当初、トフラーやドラッカーをあまり高く評価してなかった
ように思う。
「鉄の処女」では、「蓮實や柄谷でも、トフラーの『第三の波』程度の理論
だったら反駁できる」なんて書いてたようだし、
「ブダペスト物語」でも、ドラッカーに対して
「通俗的なウケを狙った面”だけ”ではない」(つまり、通俗的な面も多々
ある、という評価だろう)と書いてたような憶えがある。
だけど、1990年代に書かれた「大転換の予兆」では、かなり、ドラッカー&
トフラー寄りの発言をしてたと思う。
彼らの主張に同意する一文もあったような。
しかし、栗本流の経済人類学を(部分的にでも)継承する人って、伊勢史郎氏
以外には居ないのかなぁ。
農大に火曜日に来れば
潜ることは可能だよもう夏休みだから後期になるが
まあ、潜りバレたら困るって人は科目履修生でどうぞ
前期は文化人類学を教えていて
テキストは「パンツを脱いだサル」と祖父江孝雄の「文化人類学のすすめ」でした
後期はシラバスによるとヨーロッパの文化だそうで
>>883 >第三次産業の就業人口やGDPにおける比率が高まるにつれて、情報インフラストラクチャーが、
>従来の橋や道路などの「建設系」インフラに勝るとも劣らぬ存在になっていく、
これはまるで吉本隆明の日本経済分析そのままですね。
最終的に消費がそのまま生産になる状態が生まれますが、それは「資本論」から
吉本が読み取ったものでした。
888 :
866:2005/08/02(火) 15:39:03
因みに半分以上どころか
席は40パーも埋まってないです
あと農大は潜りはほぼばれないと思う
>>886 『パンツを脱いだサル』をテキストに使うとは、ユダヤ人もびっくりですね。
890 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 16:35:55
>>887 >最終的に消費がそのまま生産になる状態が生まれますが、それは「資本論」から
>吉本が読み取ったものでした。
そう言えば、トフラーの造語「プロシューマー」もそういう概念でしたね。
プロデューサー(生産者)+コンシューマー(消費者)から、プロシューマーという言葉を
造ったのです。
情報関連のインフラは、コミュニケーションを豊かにするという役割も
あるけど、この消費と生産とのフィードバックを支えるためのインフラという
面も大きいと思います。
891 :
える名無しさん:2005/08/02(火) 17:20:12
>>876 >>本人と思想は別人格なんだから。w
「立ち腐れる日本」の三島論の中で
作品のその作者を別と考える奴は糞だと、栗本先生本人が言ってまつが・・・
>>888 もう過去の人なのかねぇ。
むかし明大には、ビートたけしまで講義を聴きにきてたものだが。
三島の云々はドナルド・きーんだんでしたっけ。そうやもしれませぬ。
文学は身体に密着した芸術であり、思想は人格を超えた普遍論理であるから
違うという言い訳は暗黙知身体知の立場に立てば不可能かもしれませぬ。
894 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 00:21:33
食事
睡眠
アリナミン
で、よろしく。
895 :
ミーム1:2005/08/03(水) 00:31:46
やはり、ブームみたいなもんでしかなかったのでしょうか。
結局、誰もよくわからんということで、終っちゃったのでしょうかね。
自分が、わかってると言うつもりもないけど。
私は、ミーム1と名のっているけど、
ミームを生成するだけの力は持ち合せていないと思ってる。
それは、言語においても、抽象画においてもだ。
ミーム1と名のるのは、むしろ感染しているということ、
キャリアだということだと思っている。
出来れば、発病することなく、共生する事で、
生きながらえることが出来たらいいなぁ、と思っている。
無意識の意識化も過剰蕩尽だと、誰か言ってたと思うが、
と言うことは、「快感進化論」に沿っていけば、
それはミームの生成ということだろうと思う。
そして、当然のことながら、ミームは広義の生命体である。
896 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 00:38:29
/ 丶
/ 気 !
l |
''''''''''‐-、, | に !
::::::::::::::::::::\ | |
:::::::::::::::::::::::::ヽ _,,,,,,_ .| す |
:::::::::::::::::::::::::::::':, ,.-''"::::::::::::`l |
::::::::::::::::::::;ヘ::::;::i /::::::::::::::::::::::::| る l
::::::::::::::::::::'、|ヽ!ヾ /::::::::A:::;::::/!::ムli /
:::::::::::::::::::、:'、 ,':::::::::ハ;ハ;l レ' '|ヽ な /
:::::::::::::::;:::| `! ,.,.._ レi::;lV. ┃ ┃''"ム /
::::::/l:::ハ:|,/ i ヽヘ, '〈| ソ'''''、
:::/ ,|/,,/ ', l, ヽ. l、 r一‐:、 /:::::::::::'、
/ | '' \ 丶.ll''r、.,_ /::`':.、 ヽ--‐',.イ、::::::::::::::'、
:‐┴:、. `i''y'l |: : : ``''ヽ‐''ヾil´`i';、''" / >、:i、::::::',
\ '-'、/ : : : : : : :`: : : lL,, l /_ ,//: :\'、;::、
,.-‐ヽ, `'-、: : : : : : : :l: 〈<,_i-‐l_,>〉′:i|: : \ヾ
//´`.ヽ `'-、 : : : : | : :`'ヾ l''": : : : :| : : : :ヽ
ミームをもっと明確に定義して欲しいな。
もともとミームってドーキンスの利己的遺伝子の発想を、そのまま人間の
文化に適用したものでしょ。そのあといろいろな人がいろいろなことを
言ってるけどどうにも定義が定まらない言葉なんだねえ。
生物の進化と文化とか観念の進化が相同的であるとすれば、
どちらにも大進化という同じ問題がありますね。ダーウィニズムでは小さな
変化は説明できても、大きな変化は説明できないみたいな批判を
(最近はどうか知りませんけど)昔はよく見かけた気がします。
で、文化の歴史について言えば、フーコーの考古学どかがありますね。
人間の世界の見方がある瞬間ガラリと変わるという発想ですね。
でもって生物の大進化を説明するのがウイルス進化論だとすると、
ミーム進化論に、ウイルス進化論を持ち込むのもひとつのやり方
ではありますね。
あとパンツを捨てるサルの主張を認めるなら、ミームはミームだけで
語れないでしょうね。それは生物学的なウイルスが人間を変えて
しまうことで、環境の激変を経験するはずです。
898 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:29:25
でもフーコーはホモだぞ。w
スマソ。
栗本先生は、自分のサイトの更新を、全然やっておられないんだよねぇ。
1980年代にやった「栗本慎一郎が選ぶ100冊の本」みたいなのを発表して
いただけると、とっても嬉しいんですが。
900 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:42:39
ホモだからなに?w
901 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:53:49
HIVウイルスと共生できるようになった時、人類の大進化が起きるのかな?
ゲイはミームで説明できるの?
過剰-蕩尽理論による説明は『パンツをはいたサル』にあったけど。
あと、ネオテニー進化論で説明している人とかもいるよね。
902 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:57:08
あぁ。フーコーは発病したんだもんね。
903 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:59:05
ニーチェもな。w
904 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 02:37:37
しかし900まで行くとは…感無量だなあ。
『シリウス〜』が出たら、また盛り上がると思うが。
>>892 まあー、東京農大は一応理系の大学(農業経済系の学部もありますが)ってのと
その講義の単位取得率が農大にしては非常に低く45パーくらいだからびびって受けない人が多いのかと
(明治では7割くらいだったのにとぼやいてましたが)
ちなみに栗本氏は研究室持ってる割にはほとんど学校に来ない
>>889 確かに
これを一回生に読ますとは
906 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 04:15:19
なんか2000年前後に、太陽の黒点活動がピークを向かえ、
それに相応して大量にヴィールスが地球に降り注ぎ、
カタストロフィー的変化が地球に起こるって脅してなかった?
このインチキ預言者。
907 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 06:08:05
起こってるじゃないか。新聞読んでないのか。w
908 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 07:00:11
>>906 / 丶
/ 気 !
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,.-‐ヽ, `'-、: : : : : : : :l: 〈<,_i-‐l_,>〉′:i|: : \ヾ
ビジョナリーというか、科学の進展を待たないと何とも言えない。
判断に困るな。
科学は、パンツを脱ぎ捨てたサルこと栗本慎一郎の100年後を歩いている。
911 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 15:35:36
それもまあ、言いすぎだと思うが。w
912 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 16:06:43
超常現象、陰謀論、太陽黒点と文明史(中公新書で桜井邦朋も出してた)、これらがアカデミズム(特に日本)ではタブーなのは何故?
そのタブーに果敢に踏み込んじゃう所が、栗本の魅力でもあり、いかがわしさでもあるわけだが。
知識&科学社会学でみた場合どうなのかな?
913 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 16:10:40
あと、ここの皆さんで浜田和幸とか読む人いる?
俺はけっこう気になってるんだが。
914 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:38:04
>>905 ぜひ、もぐりに行きたいんだが、曜日と教室、どこのキャンパスへ行けばいいのか、
よろしければ、そういう情報を教えてください。。。
915 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 22:06:52
>>913いますよ。哲学系オンリーじゃ馬鹿になるからね
916 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 22:32:25
917 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 23:19:09
小室直樹が無視してる。
918 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 23:29:44
ワロタ
>>914 世田谷キャンパスの一号館掲示板に
シラバスの写し一覧で講義教室は掲示してありますんで
国際食料情報学部共通の所見れ
>>915 国際情勢板にもスレッドなかったんだが、浜田和幸のインテリジェンス能力どうなのかな?
副島隆彦よりは安心して読めそうなんだけど…w
『黒いホワイトハウス』祥伝社 とか「ホントかよ?!」って情報に満ち満ちてた。
どう思います?
栗本さんは読んだなあ。カッパと情報センター出版局。上杉清文、写真時代、
ビックリハウス、イレブンPM。
少年時代に暗黙知という言葉に影響されて暗黙知少年を目指していた。
ヘンタイよいこ少年だったんですね!w
年少こいよイタンヘ
『ホモ・パンツたちへ』を買ったとき、紀伊国屋書店でレジのお姉さんたちにクスッと笑われた俺の青春時代…w
925 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:18:59
926 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:24:05
アルカイダの者でつ。
927 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:31:15
928 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 02:48:50
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929 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 05:30:39
>>920 副島(古くは田中清玄や馬野周二)ほど反米一辺倒ではなく反中である所はバランスがいい。しかしディープな裏情報に欠けるキライがある
って感じかな
930 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 06:36:31
931 :
考える名無しさん :2005/08/04(木) 07:08:34
世界そのものが身体の意味としての精神の立ち現われなのだ。
932 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 08:03:54
マイケル・ポランニーの『知と存在』とか新訳で出してくんないかなあ。
晃洋書房版は絶版?古本屋でもなかなか見かけないね。
『暗黙知の次元』はちくま文庫から新訳が出たね。他の薄い著作も出してほしい。
>>856&
>>883 社会の進化を経済(下部構造)という面から見たら、そうかもしれん。
では、文化(上部構造)はどう進化するか?
たとえば文学(≒文芸)はどう変わるかな?
日本近代は「小説の時代」だった、というような主旨のことを
柄谷行人が「反文学論」の『価値について』の中で言っていたと思うが、
近代社会がポストモダン(=現代?)社会に進化すると、
日本文学も進化する。すると「小説」を超えた文芸様式が台頭してくる
と思うのだが。
ズレズレ。修行して出直しなさい。
>>933 吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の「構成論」の中に、
「”物語的言語面”からの上昇(飛躍?)が”劇的言語面”である」
と書いてあったような記憶がある。
これは、「文芸の進化論」ではないだろうか?
物語的な文芸っていうのは今風に言えば、「小説」だろ?
劇的な文芸っていうのは、脚本形式で書かれた文芸、
つまり「戯曲」(映画のシナリオなども、ここに含んでいいだろう)だろう。
日本人が進化すると、みんな小説より戯曲を読むようになる!?
そう言えば、宮藤官九郎や三谷幸喜みたいな脚本家(劇作家)が、
時代の寵児みたいになってるな。
>>935
937 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 11:31:14
>>934 どこが「ズレズレ」なのか、具体的に指摘してあげたほうが、
若者のためになるよw
>>935 物語的言語面は口承伝承のようなもの、たとえば文字のないアイヌの。
それに比して劇的言語面は享受者として第3者を意識したもの、ですね。
文芸の原点は独り言であっても脳内で相手・享受者を意識した瞬間から
芸術である、という吉本の視点は本当に新鮮でしたね。
なんかヘンだと思ったら、夏休みモードなのね。w
あっつ〜〜。
ちげーよ!w
「禁止の侵犯」、「過剰の蕩尽」 こういふ言葉をイクォールで結べるとなると
理解は楽になるんぢゃないでしょうかね
>>897 >人間の世界の見方がある瞬間ガラリと変わるという発想ですね。
文学のことが話題になってるところで一つ。
栗本先生も高く評価した、柄谷行人の「日本近代文学の起源」では、
近代の認識論的布置(=パラダイム?)は、日本近代文学によって形成された
という考え方ですよね。
ミームって何なのかイマイチ分からないけど、
「文学」はミームじゃないのかな。
>>938 なるほど。吉本さんが言ったのは、そういう事だったんですか。
しかし今や「日本の小説」は、「第3者」を排除して成り立つ「内部」専用の
言語、文字に書かれてはいるけど「口承伝承」のようなものになってしまって
いる、と感じるのは私だけでしょうか。
ここらで、認識論的布置の転換(転倒?)が必要かな?
>943
言語ウィルスに登場してもらうしかないなw