952 :
bbs:2005/06/14(火) 18:22:47
>>951 幻影は視ているだけで見るものも目も一応は必要ありません。
ですが、先天的な何かだけで幻影を見ることは可能なのかといえばそれは微妙なのでその働きも否定はしませんし本来的に的外れでしょうね。
意識は少なくとも近代的理性的主体としての役割のみを持つのではありません。
死体も我々の客観上はその人のシンボルですし、その意味では、少し飛躍した言い方をすれば「生きて」いるとさえ言えるかも知れません。
興味深いよね
生まれつき全く目の見えない人はどんな夢を見るのだろう。
臨死体験といわれる状態の時に何をその眼は見るのだろう。
もし、細かな脳内のことがわかったら
電極の刺し方・電流の流し方でお花畑を見せることもできるだろうか・・・。
スレ違いスマソ m(_ _)m
質問スレかこっちで迷ったんだけどスレタイがずばり「意識って何だ?」なので
ここで聞いて見たいと思いまつ><
サルトル以降の「意識」の系譜についてでつ><
意識とはものではなく関係であり、
外部の世界に向かって直接関わっている「矢印」そのものである
世界と関わっているとは、人間が世界との間に裂け目を作りだすことであり
だから「意識」としての人間はいわば世界の中の裂け目そのものである
これがサルトルの「存在と無」ですよね?(違う?)
で、その後の構造主義やポストモダンではこの考えがどう受け入れられまた批判されていったんですか?
955 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 09:54:22
そうだとすればサルトルは馬鹿いうほかない ^^;
956 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 12:53:47
そうかな?
意識がものではないことは正しい見解と思うけど。
単なる比喩的表現で眼くらましされてるのと違うか?
>>956 > 意識がものではない
そんな分かり切ったこと、わざわざ言わんでも…
958 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:42:55
そうかな?
意識が魂と同じだと考えてるなら
魂はものだから意識もものとなる。
意識はものではない、関係性であるは思考の
新志向だよ。
959 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 15:53:28
新思考に飽きたらどうすんの?
960 :
bbs:2005/06/15(水) 16:33:28
>>959 また新しいものに切り替えればいいんです。
そういうわけで実存主義は二十世紀半ば以降衰退したのではないでしょうか。
しかし、必ずしも間違っている訳ではないでしょう。
特に、人間は単なるものではあってはいけない。
後に言う「去勢」だけでは人間はものになってしまうといった感じの批判は的外れではないでしょう。
>>960 > 特に、人間は単なるものではあってはいけない。
人間自体は単なるモノだけれども、その単なるモノからいまだ解明されていない
様々な現象が現れる、というのが今の多くの人々の考え方じゃないの?
962 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 22:01:55
963 :
bbs:2005/06/16(木) 14:47:14
>>961 そうですね、ですが一部の人には物というものを器官的に考える思想があり、それが我々の拘束具になりうるから人間は人間が「今」考えている物理学から絶対に逃れられないのだと一蹴してしまう人もいるのも確かです。
964 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 19:44:52
意識はひとつしかない。
脳はたくさんある。
965 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:17:09
>>964 >意識はひとつしかない。
ひとつの意識とはどのように数えるのだ?
ひとつの脳(からだ)に対応するひとつの
意識と数えるしかないだろう。
脳がたくさんあれば意識もたくさんある。
966 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:20:33
ワロタ
968 :
考える名無しさん:2005/06/16(木) 21:54:45
今日は、
養老孟司「考えるヒト」「解剖学教室へようこそ」(筑摩プリマ―ブックス)
を読みました。
969 :
考える名無しさん:2005/06/25(土) 20:01:26
意識の中に意識がある。
970 :
bbs:2005/06/27(月) 17:55:22
意識のそれぞれの要素もまた、本質的には意識でしょう。
971 :
考える名無しさん:2005/06/27(月) 18:31:26
意識は知覚して初めて意識でしょう
知覚しなければただの機械の作動でしょう。
972 :
bbs:2005/06/28(火) 17:13:43
>>971 知覚とは何でしょうか?
私は複雑な意識における知覚は客観的認識であるとは考えていますが、瞬間的な主観の知覚も意識的要素にありうるでしょう。
もし、客観的な知覚が完全なら意識の不完全性は生まれず、そこにあるものでありそこにないものでない単なる物になります。
これを防ぐには主観的な瞬間的知覚もまた意識的に考えるべきです。
>>953 TVで実験してたよ。
頭に電極付けて本人は起きたままで過去の経験した場面が思いだして
感動していた。
974 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 18:28:15
客観的認識ってのがわからないです
私が思うに認識も知覚、単純に痛いと感じるのも知覚
考えることも知覚、人間は主観により知覚するのみ。
例えば、考えるとは知覚の繰り返しにより記憶のつながりが起こり
それが理由と呼ばれる概念となり
概念となって初めて再び取り出すことのできる記憶となる。
975 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:43:17
他我や国家や法律は知覚することはできない。
しかし、それらも意識の対象である。
976 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:53:34
>>974 君は「地球は丸い」というのが客観的認識だと思わないの?
977 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:53:43
意識の対象は客体
「他我、国家、法律」は情報として
目や耳から知覚し概念として連結され記憶される客体です。
978 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 21:59:52
>>977 その考え方で、「美しさ」のようなものも説明できるのかな。
979 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:00:24
>>976 地球が丸いのは客体の情報
その情報を認識するのは主観です
主観が認識しなければ客体は認識されない。
980 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:03:43
>>979 お前は客観的認識と客観認識の区別もできないのか?
981 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:03:51
中途半端な懐疑論信仰も中途半端な実在論信仰も欺瞞だよ。
懐疑論者はこの世界が主観の錯覚だと言っていても、
電車には飛び込まないわけでしょう。
その程度は客観世界の実在を信じてるわけだ。
それがなぜ哲学的な議論の時だけ
「ほんとうに1+1=2なのか?」とか
「物理法則は明日なくなるかもしれない」とか言うのか。
無意識のうちに自分の信念にウソをついてますよ。
982 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:06:02
>>979 よくわからんが、「地球は丸い」というのは主観的認識だということですか。
983 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:14:22
美しさは快感
目や耳からの情報がシナプス系の増幅作用で快感物質を放出して
快感を伴う概念として記憶され知覚される
そして記憶の循環のなかで絶えずその情報は修正され新しい記憶が取り込まれ
「美しさ」を知覚した感動は一時として同じ形態を維持できず
故に人は美しさをなつかしむ。
984 :
考える名無しさん:2005/06/28(火) 22:21:36
人は主観でしか認識できない。
客観的認識とは?
主観により客観視することにより認識することはできる。
よくわからんが、「ノモとホモ」というのは主観的認識だと言うことですか.
完投して喜ぶのが野茂、浣腸して喜ぶのがホモ
打たれるのをいやがるのが野茂、打たれるのを喜ぶのがホモ
野茂はホモを狙わないが、ホモは野茂を狙うことがある
好プレーするのが野茂、チンプレーするのがホモ
家族で楽しく見るのが野茂のプレー、家族で楽しく見れないのがホモのプレー
お尻を見せて球を投げるのが野茂、お尻を見せて玉を揺らすのがホモ
フォークが得意なのが野茂、トークが得意なのがホモ。
アメリカで観戦するのが野茂、アメリカで感染するのがホモ。
野茂は講演に行くが、ホモは公園に行く。
野茂はカレーが好きだが、ホモは彼が好き。
野茂のプレーは素晴らしいが、ホモのプレーは凄いらしい。
優勝して感動するのが野茂、融合して浣腸するのがホモ。
タマを投げてチームを守るが野茂、タマを触って彼を攻めるのがホモ。
野茂はバーモントカレーが好きらしいが、ホモはバーの元彼が好きらしい。
野茂は投手、ホモは同種。
野茂はお尻を向けて投げるが、ホモはお尻を向けて誘う。
野茂はあまり喋らないが、ホモはよくしゃぶる。
野茂はトレーニングをするが、ホモは彼にングッする。
バックに守られるのが野茂 バックから攻められるのがホモ
野茂の高校は成城だが、ホモの行動は正常じゃない。
ただの投手じゃないのは野茂 多田野投手はホモ。
986 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 11:07:26
主観・客観も意識された知識でしょう。
987 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:25:25
クォークが存在するということは主観的(個人的、私的)には認識されていない。
しかし、客観的には認識されている。
988 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:28:25
客観的知識とは、人類的な知識。
それを受け入れるのは個人(主観)。
個人的には受け入れられないが、社会的には受け入れられている知識というのもありえると思うが。
990 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:35:19
それを客観的知識と受け入れられないということでしょう。
991 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 13:53:42
神は存在するということは、客観的認識だろうか。
神なんて概念じたい日本人にはないでしょ
神が存在するというのは宇宙人が地球に来てる
と思い込んでる人くらい主観的では
993 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 14:47:37
994 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 14:51:54
>神なんて概念じたい日本人にはないでしょ
安易な一般化をするな!
997 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 16:46:58
やだ。
誰か新スレ立ててください。
言うと思った。
┏┳┳┓ ハイ. ┏┳┳┓
┏┫┃┃┃ 雑談は ┃┃┃┣┓
┃┃┃┃┣┓ ここまで ┏┫┃┃┃┃
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┃ 雑談 ┣┫ . ・∀・ ┣┫. STOP!┃
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