そろそろAAしてもよかですか?
731 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 18:41:41
もすこしおもろい議論きぼんぬ
つまらなーい
おまいは内観法で生得と獲得を区別できるとでも言うのか!
と 30年前にあったスレの或るレスの記憶が蘇ってきたので
ここでその返答をしておきます。
734 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 05:47:13
記憶は正しいの。でも思い出す時に捏造上書きしてしまうの。
非常に面白いテーマだが難しすぎる。自分でも、これは確かな記憶、
これは怪しい記憶と区別しているが、何を根拠にそう考えているの
かよく考えると不明。脳科学でも根拠づけられるが、最終的に
主客問題になって哲学的な解決を求められるから哲学の問題だ
。言語や理解や哲学さえも、記憶を基礎にしている。
根本的問題である。しかし根本的問題であるがゆえに、哲板レベル
では考察は難しい。イデア論や想起なども関わってくるのだろう。
事象を想起する際、早く収束するものが正しくて、収束しにくいものが
比較的正しくない。収束しないものは間違っている。そういう分類。
737 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 22:32:34
あとは、過去の経験との整合性。
夢の記憶は整合性があわないから、夢であると認識できる。
夢の中も整合性が合えば、夢と現実の違いが不明になると思う。
738 :
日大通信哲学科4年中退者:2006/05/24(水) 23:34:04
記憶がある程度信用できるのは唯無論第一の原理「保存律」が成立しているからです。
>>735 鉄板だから「うるせー馬鹿」「馬鹿いうヤツが馬鹿」のレベルでいいのであります。
気軽に考察してくらはい。
想起できるってことは記憶があるってことだね。
言葉通りの今なんて認識できないね。
言葉は便利だね。今ないものを想起できるからね。
あの時のあれとこの時のこれを比較できるためには、比較する方は同じじゃないと駄目だね。
考えるときに言葉を使っていることを意識することはほとんどない。
私の中に、私に意識されない外部がある。
これは矛盾した表現か?
私の中にと語ることで私に含まれるのか?
私ではないのか?
私とは全体であり部分でもある。
この矛盾こそが私を私たらしめる。
私<全体>の中に、私<部分>に意識されない外部がある。
それは別の意味を一つの言葉で表そうとする時に生まれる
修辞学上の矛盾である。
それなら全体を魂と呼べばいい、と以前チンポ太郎が言ってた記憶がある。
違う文脈だったかな。
正いとは何かの否定なしにありえない。
(外部の)何かを否定して生きてきたからこそ、記憶に入ってる情報は(外部に出る時)正しい。
ごめん、ちょっとわかりにくい。
記憶を外に出そうとする時に、正しい間違ってるを問われるのは多分
多数決が関係していると思う。それに逆らう力があるんなら、記憶の中のものは正に正しい。まんこ。
752 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 16:43:11
保守
753 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 16:58:17
へえ。こんなちゃんと哲学しているスレもあるんだなあ。
754 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 19:57:56
それじゃ哲板が普段ちゃんと哲学してないみたいじゃん。
既出かもしれないけど、世界5分前創造説を語らない?
俺は小学生の頃、2学期は1週間も無い短い期間だと思っていた。
つい最近まで、地下鉄サリン事件が阪神大震災の数年後の事件だと思っていた。
たまに、自分が昔2ちゃんねるに書き込んだ文章を読むと、
「誰の書いた文だ?」って思う。
756 :
考える名無しさん:2007/02/22(木) 03:02:10
うむ
757 :
考える名無しさん:2007/03/08(木) 17:38:06
人間の存在は記憶の堆積である。
経験したことも忘れてしまえば、体験しなかったに等しい。
あらゆる感覚、情念、思考を記憶にとどめて自由に引き出すことができたら、人生はどんなに豊かになるだろう。
しかし、忘れるからこそすべてが新鮮で、発見や再発見の喜びがあるというのも事実だ。
記憶が不確実なものだから
俺はがんばって記録しまくってんだろ。
写真とったり日記書いたり。
あんまり意味ねーけどな!!
俺「117が時報で、177が天気予報である。」
A「絶対違う。あなたは間違っている。」
後日
A「やっぱりあなたは間違っていましたね。
あなたは117が天気予報と言っていました。
117は時報です。
いい加減なことばかり言わないでください。」
760 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:09:31
記憶は正しくもないし、間違ってもいない。
過去は余韻を残すだけ。
未来を想像するのと同じ事だ。
昔話と、未来予想図。
こうしたであろう事と、こうなるであろう事。
どう違うのだ?
こうして「今」と感じる瞬間も感じると同時に過ぎ去ってしまう。
「今」すら掴まえようが無いでは無いか。
何事も留め置けず、全てを消し去ってしまう事も出来ない。
ただ響き合い、留まる事無く常に揺れ動き、影響し合う。
それがそのままこの世界だ。
その中で固定された思想なり、現象を留めようとしても
成し得るはずがない。
本当の意味では誰しも記憶を前提になど出来ていないのだ。
ただ流れに身を任せているだけなのを気付かず、
あたかも事象は順序立てて、過去から未来に向かって動いていると
思っているだけなのだ。
一定の方向にだけ流れるものなど何も無い。
761 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/03/29(木) 00:35:55
哲学馬鹿には解りにくいかもしれんが俺から
記憶が無かったら自分が誰かもわかんねーと思うけどね実際は
言葉もしらねーんじゃん?
762 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:53:58
そりゃ、記憶って何?自分って何?言葉って何?って問題からだな…
自分が誰だというのもただの記憶じゃないかね…
764 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 11:06:44
記憶って何?
2ちゃんねるってなに?
766 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 21:56:51
反応
767 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 02:29:14
すいません。みなさんの記憶は私が5分前に埋め込んだものです。
5分前に宇宙ごと全部私が作りました。あとで捨てておきます。
768 :
考える名無しさん:2007/03/30(金) 06:07:08
記憶とは自己に都合のいいよう脚色されていれものだよ
769 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 01:10:58
都合のいい様に脚色したのに、
その後それが都合悪い事になったりもするよな。
例えば、出逢った頃はラブラブで、いい思い出しか無いはずなのに、
後に騙されてたと知って、いい思い出のあの時あの出来事を
全部悪い思い出に書き換えなきゃいけなくなったりして…
と…この時、いい思い出はいい思い出として別に残るのか…
それともすっかり悪い思い出に塗り替えられてしまうのか?
また違う誰かとラブラブに陥った時、
以前の感覚を思い出し、あの時もこうだったなぁ…等と、
甘い思い出に浸れるなら残っていると言えそうだ。
その場合、後に書き換えたはずの思い出は、
最初のラブラブの頃の思い出とは別の形で保存されている事になり、
同じ出来事でも上書きされず、コピーの上別保存されていると言う事になる。
記憶って面白いなぁ〜
記憶は反射的行動に反映するだろw
771 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 01:43:09
一時停止線で停止しなかった所で警官に「免許証だして」と言われた場合、
警官の「一時停止線でこいつは停止しなかったのを俺はばっちり見てたぜ」という記憶を
覆す事は出来ますか?
772 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 01:53:23
通行人の複数が口を揃えて「一瞬だが絶対に止まってた!」と主張すれば、
ひょっとしてあれは俺の錯覚だったのか…?と思わせる事は出来るな。
(警察の威厳により実際にキップを切るかどうかは別として)
これは疑い出すと、哲学の世界がガラガラと崩れていく危険があると思う。
なぜなら、ある前提から結論を導こうとするのが思考であるのに、結論を
出す時点でその前提が正しいのか記憶違いかもしれないと疑う事になり、
結論を出せなくなってしまうるからだ。哲学を破壊するこのような根本的な
哲学懐疑は、自己言及と言われている問題とつながっていると思うが、
もっと深いところから破壊していく力を持っている。おそろしい懐疑だ。
まぁ記憶っていうのはすべてを支える土台だからな。
地面みたいなもんだ。
>>1は頭悪すぎ
775 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 00:45:00
単に記憶を疑うんじゃ無く、記憶とは何なのかを探ればいいんじゃないの?
記憶ってのが何なのか分からなけりゃ、正しい云々も無いわけだしねぇ…
これは完全に自己言及だね。
何かが『正しい』あるいは『正しくない』と判断する場合
よりどころになるのが『知覚』と『記憶』。
『知覚』と『記憶』のうちどちらかが『正しくない』場合
『判断』そのものが不能になる。
>>1 確かにその前提はおかしい
というかもうそれについては議論しつくされてるはずだけど
物質の状態が確定できないということから自ずと記憶自体も正しいとは言えない事は分かるわけで
ここまで分かっている人は哲学はただの脳の体操だという結論に至っても問題がない。そうであると気づいてる人も多いはず
哲学の役目は当の昔に終わってるわけで。考えるということ自体に対して考えることに慣れていない人にはこの単語はそれを起こさせる一つの要因になるかもしれないわけで、この単語を見たときに感じる何かがあるわけで
その何かを感じさせるという役割があるならまだ現役として粘ってほしい。
というか脳の体操と言ったほうが哲学の意義があっていいと思う
知るということ自体がその対象に影響を及ぼすことであるわけだから、近似で満足できるなら別だけど、そうでないなら嫌になるし
まぁさ、数百万行に及ぶ厳密な議論をしたところで真理には到達できないことが分かってるわけで
2chでだって、面と向かってだってお話しすること自体が意味がないとも言える。完全に近づきたい人にとっては。まぁ完全自体が無理なんだけど。
完全が物質から構成されている人間には到達不能なわけだから、一神教みたいな宗教に未だにすがり付く人がいる一つの要因になってるんだろうなぁと思うし。
実際少し勉強したことがある人なら、神がいたとしてもそれもまた有り得るなと思えるようなとこに行き着くと思うし。基本的に物理系の人だと思うけど。他の人は何となくとか適当とか雰囲気的な感じだろうけど。
むしろいくらか勉強したことがない人が神はいたとしても否定できないとか言っても説得力がないし。どうせどっかの本で書いてたことの受け売りなんだろとか思う。
何が言いたいんだか自分でもよく分からないが一つ言いたいことは、ああでもないこうでもないと延々言い合うのも娯楽なんだよなぁと。金にならないし、見た感じ刺激的じゃないから衰退するのは確定なんだけど。
今の時代、ぱっと見刺激的じゃないと無理。
「お兄ちゃんそこは」まで読んだ。