1 :
冒険ヤロー罧原堤 ◆SF36Mndinc :
2005/04/03(日) 14:32:08 とはあまり関係ないスレ
自己矛盾して結論が出ないと、論理的には真理であり続けるのかな? >>キルケゴールさんへ
3 :
冒険ヤロー罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/04/03(日) 15:17:05
>>2 このまえ、『哲学的断片』と『哲学的断片への結びとしての非学問的あとがき』を読了したんだけど、
たしかこう書いてあった。
キリスト教は真理である。でも人間にとっては逆説であるから、信じるしかない。
論理的にはおかしくても、信仰していかなければならない。みたいなふうに書いてあった。
4 :
冒険ヤロー罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/04/04(月) 03:13:09
キルケゴールの言うように生きたい
10年前に買った「死に至る病」を見ると460円と印刷されてる。 今は630円。まあ昔が安すぎたとも言えるけど。
6 :
ローカルルール審議中 :2005/04/05(火) 20:22:58
手元の不安の概念は300円だよ
糞スレ認定
8 :
冒険ヤロー罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/04/06(水) 02:25:56
くそスレ認定されたから思い切り書くか。 俺はひきこもっているけど、キルケゴール読んで、冒険の必要性を痛感して、図書館に通ったりしだした。 今は仕事を探している。
9 :
ローカルルール審議中 :2005/04/07(木) 10:22:14
信仰には実感が必要だが、 ほとんどの者がキリスト者でない日本人が、 キルケゴールの絶望を言語レベル以上に把握するのは不可能と思われ。
10 :
ローカルルール審議中 :2005/04/07(木) 23:16:26
言語レベルでさえも把握できてねーってのが現状だろが。 だったらそのレベルでも御の字よ。
11 :
冒険ヤロー罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/04/17(日) 12:42:03
12 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 13:55:30
スピノザ嫌いのキルケゴール野郎か。 典型だな
13 :
ローカルルール審議中 :2005/04/17(日) 14:49:45
偶然見かけたんだが、 堤、お前は哲学板でも馬鹿呼ばわりされているんだな‥。 創作板に帰ろうよ、な?
14 :
考える名無しさん :2005/05/05(木) 22:59:47
「子供の日」記念無理矢理アゲ
15 :
考える名無しさん :2005/05/05(木) 23:00:52
まねしんぼ。
文庫判のキルケゴールの本を買ったら、字が小さすぎて、読む気が失せたことが あったな。
17 :
考える名無しさん :2005/05/05(木) 23:20:45
図書館に行って、単行本のキルケ著作集とか講話集とか読めばいい。 字の小ささが問題なら。
18 :
考える名無しさん :2005/05/22(日) 08:09:29
人少ないな、とりあえずageてみる
19 :
考える名無しさん :2005/05/23(月) 16:04:10
教化って自認して言説するのはちょっと芸人的。
20 :
純一 :2005/06/01(水) 19:29:20
たしかにこの世には均衡がある。神は一方の人間には喜びを、他方の人間には涙と、 ときどき神の腕の中で休らう権利を与えたもうた。しかもこの涙でかすんだ眼には 神々しさがはるかに美しく映り出ているのだ。それはちょうど虹が澄み切った青空 よりも美しいのと同じように。 (キルケゴールの日記 1840年8月5日) なんだか彼らしくない文章のような気がしたので載せてみたよ。
一見すると「らしくない」文章が大量に入り込むことこそが、 キルケゴールの文体の特徴ですよ。
22 :
純一 :2005/06/05(日) 16:46:29
>>21 そうですかね。
それはちょっと意外でした。
私は、彼の論理にはイエス・キリストの神しか認めないような気になるんです。
キリストと同じように、論理と道理を大事にし、その形式に沿って物事を
極端にまで合理的に考えていく思考。その究極には罪という絶望しかありません。
しかしあの文章は彼の著作からではなく、日記から抜粋されたものです。
まず本音の要素が非常に強いという点。
また赦しについて書かれている点。
詩的(比喩)表現を用いていること。
論理ではなく感情的言及にとどまっていること
これらを踏まえれば
イエス・キリスト自身に代表される人間(ロゴス)の神でもなく、
またヤハウエのような怒る神でもない、赦しの神について書かれている。
まあ個人的見解なのですがね。
ずっとどういう部分が他の彼の意見と違うのか考えていたんですね。
そしたらこういう答えが出ました。
哲学者のことを語っているんだから文体の問題じゃないと思うんだけどな。
文学者じゃないんだしさ。(あ、彼は文学者でもあるのか!)
>>22 哲学者とか文学者といった肩書き以前に、
彼の書き物を読むべきではないですか?
同じ事はキリスト教の教義との関係についても言えます。
19世紀の知識人なのだから、
そうした背景も含めて、
最近の研究書を何冊か読むといいと思いますよ。
じゃないと翻弄されるばかりだと思います。
キルケゴールは博士論文以来、
文体に対してとても鋭敏な哲学者なのですよ。
『イロニーの概念』を読んでください。
ここでは、
「言外に言われていること」が問われているのですから。
24 :
純一 :2005/06/07(火) 01:42:01
>>23 どうやら、文体という概念の意味合いがあなたと私では違うようですね。
余計なことを言ってすいませんでした。
あれか、これか
って、全集以外で翻訳出てたっけ?
んー。
28 :
考える名無しさん :2005/08/26(金) 20:54:09
なんか、ようか 9日、10日
なんか、ようか にテラワロス
つまんね
あぼーん
32 :
考える名無しさん :2005/11/30(水) 14:43:05
キルケゴールの本がさっぱり理解出来ません。 何かよい入門書かなにかないですかね?
俺も死に至る病はほとんど理解出来まへんwwwww
俺に教えられないで第一編の終わりまで踏破しても何も感じないなら駄目だなw もちろん、教えられて感化されても俺のエピゴーネンの謗りを免れ得ないわけだがwwwwwwwwwwww
明日も、きっときっと、何かが起こると思う・・・。
塾講師が監獄の誕生を薦めていた けど受験終わるまで読まない方がいいっていわれた 読みてぇなぁ
38 :
考える名無しさん :2005/12/13(火) 09:48:18
>>36 泥酔状態だから大して意味ないんだけど。
『死に至る病』って、面白いけど、パウロ神学を下敷きにしてるから
グノーシス主義的だなぁと、今更、指摘して見るテスツ・・・。
あー、キルケゴールに「肉の棘」が刺さってたからこそ、 パウロに惹かれたと解するべきか・・・。
屈折のない奴は読んでも面白くはないかもなぁ。 哲学を鼻に引っ掛けるための知的アクセサリー みたいに考えてるようじゃ無意味かもね。 『現代の批判』なんか、大衆社会批評の古典中の 古典で、読んでて馬鹿笑いしちまうが。
死にいたる病は大体理解できたと思う。少くとも感動したんだから。 でも、それ以外の著作が全然わからん。不安の概念と哲学的断片と反復を 頑張って読んでみたんだがチンプンカンプンだった。
「他者とは、何事かにつけ、ある問題について自分と意見を同じくする 必然性のない存在のことである」。 ↑思いつきの格言。体勢順応が社会を動かす唯一の原理であるような 大衆社会には「他者」というものは、最早、存在しない。 以上、「現代の批判」の「水平化社会」という概念について。
>>42 『死に至る病』以前の著作は、レギーネ・オルセンへの未練たらたらの
中途半端な精神状態で、饒舌さが鼻につくのは確かかなぁ。どの著作も
天才的な洞察がここそこに見え隠れはするが。
>>42 反復とは習慣から永遠性が抜け落ちたものだという記述を
夕べ、ベッドで斜め読みして見つけたんだが、原則論と
経験論の違いをチラシ一枚にまとめてこの場に乗せて見なさい。
あ、やっぱり逆だった。習慣とは、反復から永遠性が抜け落ちたもの。 ヴァリアントとして、「永劫回帰の思想」とか、「シジフォスの神話」 とかあるね。 習慣は惰性であり、それ故無意識であり無意志だ。そこには目的論が 欠けている。そういう言い方もあるかな? 重要な結論だけを言うと、永遠に向かう信仰における習慣は反復に他 ならない、と言うこと。 うーん、ちょっと違うか・・・。
例えば、ハイデガーの『存在と時間』が前半しか書かれなかったことに、 キルケゴールの妙な偉大さを感じるんだがっ!
『死に至る病』何度か読み通したんだが、結局、残ってるのは あの部分だけだな・・・。
49 :
な :2006/01/04(水) 00:22:44
ライダーさん 大変面白いです 見てますので がんばって下さい
「な?」? 「な?」だと? 貴様に何が分かる、貴様に!?
51 :
な :2006/01/04(水) 02:08:51
フッ いきなり貴様とは恐れ入ったぜベイビー 君のような人がいて安心したよ なは昔からのHNなのさ
「死にいたる病」ずっと昔に読みましたが、未だに頭にこびりついているのは、 絶望しておのれ自身であろうと欲するところです。 悪魔的な様相を呈するその絶望は、すごくエネルギーを要するものと思う。 そのエネルギーを生み出すものは、神へのすさまじいまでの憎悪、呪いなのでしょう。
53 :
考える名無しさん :2006/01/05(木) 05:11:21
反復を読もうとしたけど意味不明でした。訳は正しいのだろうか。 今まで難解な本を読むときは生意気にも「この翻訳は怪しい。 ほんとはこんな事を言いたいのだろう」という推測で乗り切ってきたけど、 反復はお手上げ。
54 :
な :2006/01/05(木) 14:22:29
>>46 >重要な結論だけを言うと、永遠に向かう信仰における習慣は反復に他ならない
「習慣」を「実存」と置き換えて読むとよくわかる気がします。しかし時間の経過のうちには、やはり人間ですから、習慣に堕することもよくあると思う。
『反復』はレギーネ体験の影響が最もよく現れている一冊だと思う。 神との関わりを第一としながら、一人の女性を真に愛するとはどういうことか、という苦悩が現れていると思う。
実存とは決して眠ることのない内なる棘のようなものだ。 その棘を眠らせようと無力な抵抗を続け、ついに棘に負けて、 棘そのものになる。
>>57 到底ヨブにはなれないと思いました。
ヨブも「私の生まれ出た日は呪われよ」と愚痴を言ってたのが印象的でホッとした。ヨブは悪魔的な絶望にはならなかった。
>>58 棘にはいろいろあるのでしょうが、キルケゴールはそれを乗り越え、信仰の道を歩んだ。
しかし私は信仰の道を歩むつもりはない。
パウロにおいて棘はsexual derireと解釈する人もおり、おそらくそれは当たっているのでしょう。 実存は棘をも含み、もっと大きなものではないでしょうか。
少なくとも俺の棘はそんな下らないものではなかったな(笑
神を徹底的に憎み呪った経験の後、それでもなお信仰の道をゆく人といかない人がいる。 私はもう呪うことに疲れた。
>>61 氏も棘と戦うことに疲れたでしょう。
しかもその戦いで失われたものは永遠の損失である。
真昼の太陽のような無慈悲、乃至、岩よりも堅い真冬の氷塊。 自殺を許さない冷静さ。
>永遠の損失である。 嗚呼、幼き頃の夢も憧れも、何もかもなw
その後、随分、構ってやりはしたがっ。
67 :
考える名無しさん :2006/01/07(土) 00:23:26
_, ,_ パーン ( ・д・) ⊂彡☆))Д´)
いやー、物言わぬ日々が懐かしゅうて懐かしゅうて、、、 影響力?w 糞 食 ら え 。
69 :
Meta :2006/01/07(土) 11:32:46
私は『反復』の前口上が好きだ。 古代からヨーロッパの形而上学の論争の的だった「運動」の現代的(19世紀的)解釈について。 デンマークの匿名作家は当代の大哲学者ヘーゲルの「移行」という解釈を、古代哲学者の切迫感 を薄めたようなものとしてしりぞけ、それに対して「反復」という概念を提出する。「移行」と とらえると、時間系列に沿って過去から未来への運動しか観察されない。 彼自身が気ついていたかどうか不明だが、この数行で現代の哲学が始まったとも言えるのでは (かなり贔屓目だが)。ただ、それに続く本文はいつものイロニー的恋愛談(これ自体、非常に 優れているが)。この書の著者は、一瞬哲学の深淵を垣間見させるが、それを持続的に展開しな かった(後に、ハイデッガーがDenkerか単なるSchriftstellerか悩んだらしいが、うなずける)。 彼自身告白していたが、ドイツ語はたいして出来なかったらしい。当然、ヘーゲルの著作を精読 していたとも思えない。にもかかわらず、ヘーゲル哲学体系に挑戦したとは! (ヘーゲルのために言っておくが、初期神学論集には逆説弁証的契機が認められ、しかも体系を 構築したという指摘もある。つまり、この匿名作家の直面した問題を超えていたと。) ただ今でも、私にとって好感の持てる作家であるのは変わりない。そのエクセントリックなところが
「永遠の現在」とは時間的な目的論の欠如だな。「生きることそれ自体が 目的」とか、色んな言い方があるが。意識の永続性。最早、時間の中に成立 する人間の世界に着地点はない。 「反復」は出だしだけは面白いって俺も前に書いたことあるな。
「過去」や「未来」とは、目的論的世界認識において、 ある「現在」から見た、別の「現在」のこと、とか。
何言ったって便所に流すのと一緒だなw
世界が欲しいのか? おまえの一言で、誰もがひれ伏すような。 クスクス
>>69 >この数行
とは、「野生の木は、花がよい匂いをはなち、培養された木は、果実がうつくしい香りをもつ」(前田訳)
という箇所かな?
たしかに、種という可能的存在が、果実という現実的存在になるというアリストテレスを彷彿させます。
十年以上前にしまいっぱなしになっていた著作物をようやくひっぱりだしてきました。
ヘーゲル批判で今も頭に残っているのは、「類概念の個に対する優位」というのを単独者の立場から反駁するところです。
キルケゴールにおいて、反復や永遠は信仰によらなければ意味がないものですが、私はあえて信仰なしで考えたいとも思っています。
>>72 その通りですが、自分で考えて発言した内容はそれなりに頭の中に残るもので、さらにそれを発展させていくことも可能なので、全く無意味ではないと思いますよ。
無限に放棄したものだけが無限の獲得を行いえる。
永遠の損失は無限の獲得の始まりとも言える。
人の世と和解し、新たに受け取り直すこともできる。
しかし悪魔的反逆の残滓は、今もなお私の中に残っている。
>>73 復讐が終わっていないだけさ。集団主義は反吐が出る。
>>75 俺は人の世と和解なんてする必要はないよw
保守。以下、『死に至る病』第一篇終わり。 比喩的に言えば、それはある著作家がうっかり書きそこないをし、その書き そこないが自分を書きそこないとして意識するにいたった場合のようなもので ある…けれども、実をいえば、それはおそらくあやまりなのではなくて、はる かに高い意味では、全体の叙述の本質的な一部をなすものであったかもしれな いのである…そこで、この書きそこないは、著者に反逆を企て、著者に対する 憎しみから訂正をこばみ、狂気のような反抗をしながら著者に向かってこう言 うようなものである。いや、おれは消してもらいたくはない。おれはおまえを 反証する証人として、おまえが平凡な作家であるということの証人として、 ここに立っていたいのだ、と。
これは「コルサル事件」後の文章だよな。ちょっとすると、 「著作家」とは神で、バイロン風の反逆精神かと誤解するが。
最近聞いた話だと、ヘーゲルの影響ってのは当時は北米にまで及んでいた らしいな。ちょっとした大物だったらしいw
ああ、違う、戸坂のに書いてあっただっけな。age忘れ。
どうりで前にも聞いた記憶あるわ。
『使徒と天才の違い』読んだことある奴いるか?
83 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 14:24:10
俺はナイ。 教えて、コルサル事件ってやつも。
84 :
考える名無しさん :2006/03/13(月) 15:27:46
,r'三ミr= 、 彡 '" ミヾ、ミ 、 、 ,rイ ′ `ヽ、' 、| ミヽ ノ| リ ヽ'、ミ| |ミ', 从ノ,,r-、 ,ィ=‐-、 | i'|リ. |! ,イノi| -エアi l: -iコゝ川l |ヾ;| ノ斥ノ| ~l l:: ⌒ 人ワ !卞 、 仆'ソi li| 、'__ ゞ、 ノイ lヽ、 ) 冫X^N、ヽ ノ小ヽ r 'ル、ヽ、\ヾ、 y^NZ^N'、'" ̄ ̄` ,,ノイノズ、ヽ\ヽノ ノ川リ¬n、 イソ'⌒`ヽ 、)乃 ヽノ /`''' '" `r、 ,、-‐'゛ / ノ \ /,,,、π'''"^"'ァ、,,,, / \ /'" ノノ // "' -、 / ヽ ダレソレ[Pierre Daresolet] (1566〜1593 フランス)
>>82 読んだよ。『現代の批判』におまけでついてるやつでしょ?
岩波版「死に至る病」笑える程難解ですね。
87 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 13:26:33
キルケゴールはイケメソですね。
88 :
考える名無しさん :2006/04/03(月) 17:05:15
>>86 あれはあんまりむずくないだろう。
分かり始めたら一気に分かると思うよ。
最初のところで、
絶望が理想と現実の断絶であるということと、
自己が対自存在(ということにしておく)だということを、
読み取れたら大枠は理解したも同然。
細かい読解が勝負どころですね。
89 :
考える名無しさん :2006/04/05(水) 05:42:56 BE:85987627-
パスカルと同類。
もう知っているんだから、それで隠したら、よけいに羞恥心でドキドキするんじゃないのかね。
91 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 00:08:32
>>88 そうだね。解釈のセンスでいう所の、俺は「カルペディエム」や「メメントモリ」の様な格言にヒントを見いだし読み解く。
『死に至る病』はちくまで読め。岩波ので簡単とか 言ってるのは知ったか。
93 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 08:51:26
>>92 どこがどう違うんですか?
岩波版しか読んだことないんですが
そもそも岩波の斎藤先生のは昔のドイツ語訳からの重訳。省略も多い。 (ドイツ語訳者が理解できないところをあちこちカットした) ちくまの桝田先生のはデンマーク語から。内容の理解度もぜんぜん違う。 最初の3ページ比べてみ。
いま読んでるが、岩波は難しい。 だが、絶望してることを自覚してると分かる
96 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 21:38:56
誤謬しまくりそうだったので、途中で筑摩に乗り換えた。
97 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 16:20:31
白水社の松浪信三郎訳はどうですか?
98 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 18:04:33
宗教作家・思想家であって哲学者ではない。 哲学的な考察も著作のうちには見出だせる、 ということと 大学でキルケゴールについて学ぶなら哲学科くらいしかない というだけの話。 この線でいくとニーチェも同類だ。
99 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 18:06:40
先駆的思想家は パスカル、ハーマン、シェリング。
100 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 18:46:54
さらに言えば護教論者。
>>97 その人の書いた岩波新書の『実存主義』は、駆け出しの頃、結構、
勉強になった。
102 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 19:38:33
処刑ライダーはつい先月大学を出たばかり
俺は大卒なんかじゃねえよ。残念でしたっと。
104 :
考える名無しさん :2006/04/20(木) 21:27:07
はいはい(笑)
>>96 斎藤先生のよりもっとダメです。ほとんど読めてない。
おとなしくちくまの桝田先生の使ってください。
106 :
考える名無しさん :2006/05/02(火) 15:21:21
お前ら今どこの段階? 俺オナニーしてばっかだから美的ならぬ痴的段階だな
107 :
考える名無しさん :2006/05/02(火) 16:38:49
段階という概念はどこから生まれたんだよ
物事を好き嫌いでしか判断出来ない幼児的状態(美的段階)、 社会道徳を弁えている状態(倫理的段階)、 そもそも道徳とは何であるかについて煩悶する状態(宗教的段階)、 という発展は、人間にとって自然な展開ではあると思う。 宗教的段階からニヒリズムを通って美的段階に一気に後戻りを するバカが多いが。
夏目漱石の文学遍歴で、 『草枕』まで 『虞美人草』から『門』まで 修善寺代患を挟んで『彼岸過ぎ迄』以後 ・・・が、この三段階に典型的に合致してるって俺は 時々言ってるがな。
110 :
考える名無しさん :2006/05/02(火) 21:51:22
後戻りするやつが多いなら、それが人間にとって自然な展開なんじゃねーの?
自然なボクら万歳! ・・・ってオサルな日々を送る 戦後民主主義に乾杯?
野生動物にだって掟くらいはあるな。 ケ ダ モ ノ 以 下 。
キレてやがる。 後退したようですな
処刑ライダーって仏教徒なのかな。 恐れるなかれ、行けばわかるさ。
さすがは処刑ライダー、恐れいりました。 最高段階の宗教ってものすごいですね。
キリストの影響強いから、結構、ガミガミ言う方w
人間の発展の最終段階が恐怖の怒れる処刑ライダーですか。そいつは素晴らしい。
ほう、笑いを取り戻し、人に戻ったようだね。
宗教はすごいな。体感した。 侮辱するとブチキレル 獣以下扱いされて殺されるという罠
処刑ライダーには驚かされた。 彼も自分に驚いたようだな。 私は反省する、君も反省するべきだ。 猿でも反省する時代なんだから。
隊長! 例によって人生で苦笑を発見しますた! ここにあるのがその苦笑です。
ヤバいこの沈黙はまさか、相応しいコテだったということを語っているのではないか? 沈黙が語り得ないものを語っているのではないか?
リアルホラーですか?
そのようで。
質問、キルケゴールにとっての最高の芸術とは詩なんですか?
曖昧な恐怖と不安、それこそは無宗教・無信仰者の神だな。
・・・ということを下敷きにして『現代の批判』などを 読むと分かりやすいってわけ。
ああ、そういや『オーメン』リメイクらしいなw スレ違いだが。
俺は葬式キリスト教から反キリスト扱いされることに ついては恐れちゃいないんだが。
130 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 12:30:35
幽霊また現る。 死んでる人だけど。 ゾンビキモい
マッカーサーの泥人形に言われたくないわ(呆
「凡人」だけあって勘違いも甚だしいな。
おや、非凡な書き込み、本当にご苦労様でした。
いやー、嫌いな連中に好かれる程、不幸なことはないね(笑
惨忍で凶暴、冷酷、非情。但し、相手は良く見極めてね。
好かれる?寂しい勘違いだ。 それはかなり無理がある。 血と玉を抜き取られた人形は君だ。 私は抜かれながらも輸血してきたのだ、人形ではない。 まあしかし輸血しないでゾンビとして生きる方が日本人として潔いとは言えよう。 死せる魂のご冥福を願っている。
俺は別に貴様に認めて貰う必要なんかないさ。 お前は俺には不必要な存在だ。
人が我が身を振り返るには「鏡」が必要だ。 「鏡」の向こうの眼差しはどこから来るだろう? 「雰囲気」のような輪郭の曖昧な「世間の目」?
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、 その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、 きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、 しかし、堀木にそう言われて、ふと、 「世間というのは、君じゃないか」 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。 (それは世間が、ゆるさない) (世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ) (世間じゃない。あなたでしょう?) (いまに世間から葬られる) (世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?) 汝(なんじ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(あくらつ)、古狸(ふるだぬき)性、妖婆(ようば)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、 「冷汗(ひやあせ)、冷汗」 と言って笑っただけでした。 太宰治『人間失格』
外国人が相乗りしても、外国人だからナショナリズムの括りによる、 馴れ合い意識のようなものは当然生じないんだが、日本人だと それが起きてしまって、非常に鬱陶しいわけだ。
まあ普段よく感じるよ
国際政治だって、政治家の発言見てると一緒だけどね。 (それは国際社会が、ゆるさない) (国際社会じゃない。ドイツが、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、国際社会からひどいめに逢うぞ) (国際社会じゃない。あなたの国でしょう?) (いまに国際社会から葬られる) (国際社会じゃない。葬むるのは、ドイツでしょう?) (イラン問題についてのメルケル発言より)
日本の場合。 (それはアメリカが、ゆるさない) (アメリカじゃない。日本が、ゆるさないのでしょう?) (そんな事をすると、アメリカからひどいめに逢うぞ) (アメリカじゃない。あなたの国でしょう?) (いまにアメリカから葬られる) (アメリカじゃない。葬むるのは、日本でしょう?)
144 :
な :2006/05/11(木) 06:41:30
これが一体何がキルケゴールよ?
ちくまの『死にいたる病』ぱらぱらっと読んだけど、大差は感じなかったなぁ。 解説の詳しさがべらぼうに違ったけど。
ちくまの訳、いいんだけど、注が詳しすぎて逆にやる気なくす・・・
147 :
考える名無しさん :2006/05/23(火) 15:19:45
処刑ライダーギロチンで死んだか?age
148 :
考える名無しさん :2006/05/24(水) 00:51:54
死に至る病 関係の関係による関係のための・・・(ちょっと違うか) 意味不明だったが読み進めるうちに人間の心を深く掴んだ 素晴らしい書物だと感じた。
150 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 14:42:05
キェルケゴールという表記は一般的ですか?
>>125 > 質問、キルケゴールにとっての最高の芸術とは詩なんですか?
いや、恋愛だよ。成就しえないことが前提の情熱。失恋すれば成就せず、結婚しても失われる。
生とは成就してないもの・こと。
とかね。
>>150 > キェルケゴールという表記は一般的ですか?
キルケゴールもあったよな。もともとの綴り眺めると、いろいろあっても可笑しくないような綴りではある。
ま、ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い、かも。
152 :
考える名無しさん :2006/05/25(木) 20:14:35
>>94 翻訳の正確さはどうか知らないが、斎藤訳のあの生硬な感じが
逆に俺は好きだ。
キルケゴールの、アイロニーと逆説を圧縮した文体には向いてると思う。
(原文読めんからテキトーなこと言ってるw)
桝田訳にはそういう文体の魅力がないね。
>>109 ああ、こりゃ『漱石と実存』とか言う評論本から教わったんだっけか。
道行のどこかで無くしたな、あの本。
155 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 20:09:56
おい誰か!可能性を持ってこい!
重要なのは、生きること、それ自体が目的であるような生き方。 それはどういうことだと思う?
動物的欲求に束縛された生において、目的は多岐に分かれ、 際限もないが。
原文は、 「この世では決定(けつじょう)を性とする知性は唯一である。 決定を欠いた者たちの知性は多岐に分かれ、限りないが」。 『バガヴァット・ギータ−』
159 :
考える名無しさん :2006/06/14(水) 23:22:13
>動物的欲求 ってなに。動物って腹がいっぱいになって欲求満たされると静かになるよ。 欲求満たされないのは人間だけなんじゃ。超人間的欲望には限がないね。
何事も腹八分。足るを知るは常に足るなり、紋切り型。
161 :
無理 :2006/06/15(木) 02:12:24
単純な俺が複雑の道に救いを求めたが拒否される もとの世界にはいまさら戻れないがこっちで生きるのも無理 キルケゴ−ルさん絶望とはこの事ですね 成る程自殺しても救われませんわ
162 :
考える名無しさん :2006/07/02(日) 00:07:04
神は救って下さいますよ
163 :
考える名無しさん :2006/07/02(日) 12:18:30
要する真に絶望し得る魂をもった人間だけが超越的に 神に救済されるという、まあ親鸞だな。
164 :
考える名無しさん :2006/07/02(日) 16:47:41
165 :
考える名無しさん :2006/07/02(日) 22:35:56
親鸞には宗教性AとBの違いはある?
>>164 リチャード・ドーキンスの『延長された表現形』
168 :
sage :2006/07/04(火) 23:20:38
キルケゴールの話じゃなかったのね。 ドーキンスはよく知らないが、 キルケゴールはそれ程複雑ではないよ。
170 :
考える名無しさん :2006/07/05(水) 00:53:43
>>166 君には『建徳的講話』か『キリスト教講話』を読むことを勧めるよ。
171 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 11:13:05
172 :
考える名無しさん :2006/07/10(月) 23:47:04
>>171 このページは右手手的著作についての記述があまりない。
173 :
考える名無しさん :2006/07/11(火) 18:48:58
投稿されたのはサイトの制作者の方ですか? 貴サイトはとても参考になりますが、 右手的著作についての記述がもっとあると キルケゴールも喜ぶでしょうね。
174 :
考える名無しさん :2006/07/11(火) 19:37:03
>>138 >人が我が身を振り返るには「鏡」が必要だ。
「鏡」の向こうの眼差しはどこから来るだろう?
講話・遺稿集四巻を読むと良い。
P257「鏡に自分の姿を映したとしてもそれは自分に対するほんの浅薄な知識にしかならず、
だからこれも一つの誤解であるが、しかし、鏡ではどうすることもできないことがらに正しく目を向け
それを忘れないようにすること、その事が自分のものにする、という事であり、自分のものにする、ということは
読者のさらに大きな、勝利に満ちた献身の事だからである――S・K」
175 :
考える名無しさん :2006/07/14(金) 18:56:33
>>125 >質問、キルケゴールにとっての最高の芸術とは詩なんですか?
人がそれに従って生きる原理、という意味でなら宗教だろうね。
176 :
考える名無しさん :2006/07/14(金) 19:02:44
>>20 >なんだか彼らしくない文章のような気がしたので載せてみたよ。
順一さん、ご覧になっていますか?
日記は英訳からですか?信用できる質のものかどうか伺いたいのですが。
178 :
473 :2006/07/15(土) 00:12:44
同じ事だよ
179 :
な :2006/07/15(土) 16:21:13
何だよ処刑ライダーこんなもんかよage
180 :
考える名無しさん :2006/07/15(土) 17:40:06
>なんだか彼らしくない文章のような気がしたので載せてみたよ。 キルケゴールは仮名の著作では文体を意図して変えているので当然。 日記や本名の講話集では深く透明な彼の本当の声が聞こえるが、 これらがあまり読まれていないのがキルケゴール受容の不幸と言える。 かなり前にブラントが英語では日記が抜粋でしか読めない事を嘆いていたが もう完訳されているらしい。日本では抜粋すら出ていないので翻訳が急がれる。 >一見すると「らしくない」文章が大量に入り込むことこそが、 キルケゴールの文体の特徴ですよ。 著作によって文体を明確に使い分けているので、こういう事は殆ど起こらない。 >いや、恋愛だよ。成就しえないことが前提の情熱。失恋すれば成就せず、結婚しても失われる。 生とは成就してないもの・こと。 キルケゴールは恋愛より結婚を、結婚より信仰を高く評価しているのでこれも間違い。 いい加減な事を言うものではないな。 この程度のものなのかな。
181 :
考える名無しさん :2006/07/15(土) 17:48:33
>哲学者とか文学者といった肩書き以前に、 彼の書き物を読むべきではないですか? 文学者としての書物、哲学者としての書物、宗教家としての書物を 彼は意図してわけているので、この態度も正しい接し方とは言えない。
182 :
考える名無しさん :2006/07/15(土) 19:27:38
>教化って自認して言説するのはちょっと芸人的。 教化する権能を持たないから わざわざ教化「的」としたんだけど……
183 :
考える名無しさん :2006/07/15(土) 19:28:18
>キルケゴールは博士論文以来、 文体に対してとても鋭敏な哲学者なのですよ。 『イロニーの概念』を読んでください。 『イロニーの概念』は修士論文です。
184 :
考える名無しさん :2006/07/20(木) 00:03:12
イロニーにみちみち フモールがたりんのです
185 :
考える名無しさん :2006/07/20(木) 14:10:43
ヨハンネス・クリマクスはフモリストだよ
186 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 19:39:30
>『イロニーの概念』は修士論文です。 それはちょっと微妙。
>>179 こんなもんとはナンだ、こんなもんとは。
香田くんの動画は見たんだろうな?
188 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 22:40:30
博士じゃないでしょ。 ま、どうでもいい話だけど。
189 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 22:41:36
>>187 もう良いからキェルケゴールちゃんと読んでね。
彼の実践的生も大事だがね。
191 :
考える名無しさん :2006/07/28(金) 10:51:52
うん、そうだね。だからキェルケゴール読んでね。 『苦難の福音』あたりがいいと思うよ。
「キルケゴール」ってカエルチックな響きですね・・・ 出雲神話にヒキガエルが大国主命に助言をする場面が 見られますが、確かに何かに答えてくれそうな風体です。 アマガエルは少し頼りなげで心もとないです。 岩波文庫版「死に至る病」との闘いで疲れました・・・
しまった素で名前欄消し忘れ・・・ 別にどうでもいいことですが。
>>191 入手し難いのは読んでないよ。
白水社の全集、文庫化しないかな・・・。
ああ、選集か。全二十二巻、ちょっと待てよ・・・。
196 :
考える名無しさん :2006/07/29(土) 15:53:45
『苦難の福音』は新地書房版遺稿・講話集四巻 あんまり流通していないが、 実践的生が云々いうならがんばって探してこっちを読もう。
ならさっさと買って読もう。 入手しがたいってのが値段の事だったら 安いのがんばって探そう。 手に入らなかったら図書館で読もう。
印象に残った箇所を手打ちでうpしてくれ。 講話集、紀伊国屋に置いてあったの買っとくんだったな・・・。
>>174 読め。
割安だから古本で全巻セットで買おう。
踏み切れないなら五巻だけは古本屋でよく出回っているから試しに買って読もう。
心を映す鏡こそ必要な時代だね〜。
202 :
考える名無しさん :2006/07/30(日) 16:18:21
読む気がないのが解った。無駄な事をした。
おまいら、名著だそうだぞ。
名著だから次のカキコでは読んで感想でもアップしなよ。
205 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 17:39:18
05:11 47: ともあ えらくぶっちゃけていうと、一般的と思われる範疇からはみ出た人の脚を引っ張ったり引き摺り下ろしたり貶めたりすること。 出る杭を打つ化、みたいな。 と思ってます。 死ねバカ
206 :
考える名無しさん :2006/08/20(日) 20:02:36
キルケゴールって童貞っぽくっていいよね。悩める美少年にあうね。
207 :
考える名無しさん :2006/08/21(月) 11:09:21
親の遺産で友人を引きつれて売春宿に頻繁に通う男でしたがどうも高潔なんです。不思議ですね。 クリスチャン特有の過剰な反省意識がそうさせるんですね。 だから一度でも信仰心を持たないとキルケゴールが理解できないと言っているんですよゴミの皆さん。
おしぼりは高熱だし、磯人はきれいだよ。まあ、人にいうことではないけど。 延長は断られたら、何か悪いことしたのかなって思うしね、 何故なら、人間だから、仕事しているところですから。
209 :
Kファン :2006/08/25(金) 21:08:09
キルケゴールのたいへん優れた研究書が出版されました。 『キルケゴールの人間学』(稲村秀一、さふらん書房) 稲村先生は岡山大学教授です。ブーバーに関する大きな研究書が二冊あることは 皆様もよくご存知のことと思います。詳細は稲村先生までお問い合わせください。
210 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 03:53:28
カント同様研究され尽くしてるからイラネ
211 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 04:06:37
だから一度でも信仰心を持たないとキルケゴールが理解できないと言っているんですよゴミの皆さん。 自分の悩みのカタチの時間経過による変化が キルケゴールの実存の段階の変化に似てんのは 日本に過去にキリスト教が流入したから。
水平化。
214 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 01:02:24
実践派ってことは実際にキリスト教信仰持つか持たないかのギリギリで迷ってますって状態を保ったまんま死ねばいいじゃん
「キリスト教にキリスト教を導入する」ってのがキルケゴールの スローガンだったわけだがな。
216 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 23:13:31
キリスト教にキリスト教導入してどうすんだよww キリスト教世界にキリストを導入するんだろうが
いや、そうじゃない。中公世界の名著の解説を読んで見れ。
あれれ、どこだったっけ???
ああ、「キリスト教界にキリスト教を導入する」が正解。
220 :
考える名無しさん :2006/09/01(金) 01:10:19
そんなことだからオマエはダメなのだよww 俺がキリストだ 俺に躓け
221 :
考える名無しさん :2006/09/01(金) 01:32:46
ベルフェゴールなら知ってます
おめーらの仲間になってどうしろってんだよ?
223 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 12:52:35
ねえデザイン系ホモ、水平化ってなんのこと?
>>223 「デザイン系ホモ」というのは謎だが、「水平化」とは世の中が
↓のような連中に占拠されること。
223 名前:考える名無しさん :2006/09/03(日) 12:52:35
ねえデザイン系ホモ、水平化ってなんのこと?
いわゆる大衆化社会、社会の大衆化のことだな。 キルケゴールは『現代の批判』で集団ヒステリー的原理で 動く大衆社会を活写してる。集団ヒステリーというのは、 数の原理で物事の正邪が決まる状態でもある。 民主主義社会においては、これは生じやすい状態だ。
民主主義社会の基本である多数決の原理は、それを 放棄してしまうと「ファシズム」になってしまって 一部特権的人物だけが利益を享受する状態になりかね ならからであって、「多数意見が正しいから」では 決してない。
ちょっと日本語が狂ったな。つまり多数決の原理は 寡占支配に対するセーフティ・ネットに過ぎないって こと。 社会の大衆化は、その民主化と表裏一体だ。 いかなる社会も歴史的であり、ある社会の基底をなす 理念は、その社会体制が成立した歴史的諸事情によって 左右されるのが一般的だと言えるだろう。
228 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 17:08:19
処刑ライダーって中川さん?
229 :
考える名無しさん :2006/09/03(日) 17:28:00
そんで水平化ってキルケゴールの用語なわけ? ホモ言葉じゃなくって?
>>228 ICUの元学長? 俺はやっと来年で四十郎だぞ。
当たり前のようにサラリと言い流す俺・・・。
>>229 世の中には男の腕にぶら下がって目先の楽しいことだけを
追っかけていれば満足な女もいるし、そういう女をぶら下
げて満足げな顔をして、それだけの男もいる。
しかし、世の中、そういう生き方に興味の沸かない性質の
者もいる。水平化された社会では、恋愛に過剰な幻想が付与
されて、しばしば公の問題に関心を持つ者は恋愛などに興味
のない聖人君子でなければならないかのような極論が生じる
こともある。それだけのことだ。
処刑ライダー#kamaneko
ゲ、ま、いいや。たまに晒してるからな。 テメエらじゃ何もできねーもんだから、俺を無理やり 仲間に引きずり込んでラクして成り上がろうってハラの 小ずるいバカ、鬱陶しいんだって。
ボス猿の権力にメス猿や力のない猿が群がる感覚と 一緒なんだよな。 俺は小泉みたいな権力の亡者と違うんだから迷惑なだけ。
236 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 22:30:19
ま、何代かつづいて今の処刑ライダーは最初のやつと別人なんだろな。 俺はそいつがダレなのか実は知ってるけどここでバラしても本人はなんとも思わないだろう。
好きでやってんじゃねえんだって。いい加減にしろよ?
238 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 23:17:35
プロ固定か。月収いくら?w
カネ儲けしてんじゃねー。
240 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 23:20:58
中川八洋さんですか? : 処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 ←このへんが「エドモンド・バーク」に見えて仕方ないんですけど
ID出ないからって適当に絡むなよ?
宮沢賢治『猫の事務所〜リターンズ〜』。
たかるなよ。
>>240 ソイツは2ちゃんねるROMして俺のネタを拾ってるだけ。
漏れ鳥のコテハンはさておき あれかこれかとか話足らないところ語っていきましょー
247 :
考える名無しさん :2006/09/25(月) 12:41:53
んで水平化ってキルケゴーる用語なの?ホモ用語なの?
お前、メスだろ。しかも俺の大嫌いなタイプの。
神学との兼ね合いについて
250 :
考える名無しさん :2006/10/11(水) 00:05:29
そういや「悪魔の神学」はもう出たのか 本にはならんのか あれは
251 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 15:00:44
2ちゃんでキルケゴールがどう語られてるか覗きにきたら、 ウザコテの溜り場だったorz
252 :
幻の丘 光のブラームス :2006/10/12(木) 18:45:30
世の中まだまだいろいろある。起きよう。もう一度上に上がろう。適材適所がわかるのは天皇家だからな
253 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 19:06:04
まあ人を扱っていくのだから簡単ではない。ただ考えがある。すべでを繋げていくといい。永遠はないがずっと良い状況を全員に伝えていく。それまで新しい人たちとたくさんあっていかなければならない。現実界は大変だが上へ
254 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 20:18:11
絶望しつくすのが希望の行きつく先である。 そこに至ってついに人は満足するのである。
255 :
考える名無しさん :2006/10/12(木) 20:34:01
満足とは絶望である。
256 :
考える名無しさん :2006/10/13(金) 02:46:37
それは絶望すら知らない最低の絶望らしいが なんかひがみっぽいですな でも好きよセーレンぼうや
257 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 17:52:20
いったい恋愛をしておいて ひとつの曲も、ひとつの小説もかけないとしたら そいつに恋愛をする価値があったのだろうか。 キルケゴールという男は、一人の少女との思い出をネタにして いくつもの哲学書を残した。 恋愛には何かを生み出すパワーがある。 こどもを生むだけの結果に終わるのが凡人というものだ。
258 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 18:30:44
らしいね。キルケゴールのような男(女を拒否してきた男)は女を女として見てる。女は女神であり環境に左右されないものを女とみている。女を見るときセクシャルとして環境に甘んじた女を女とは呼ばない。その核にあるものを見てそれはただ時代に翻弄された未完成の女としてみる
259 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 18:37:07
女とは抱くものであり幻の産物であり男は近づくことができない神でありりそれは完璧な人類の宝石としてみるのだ。それは触ることはできない腫れ物である。かつてサルバドール・ダリがそうであったように男は女を崇める。女は広大な宇宙空間のような慈悲をもって女というのだ
女に逃げるのを止めなければ全力で闘えない。
・・・違う、結婚とその結果としての家庭的平穏かな。
岩波文庫の死に至る病を読もうとしたんだけど 「自己とは自己自身に関係するところの関係である」のところで挫折しました
あれはねえ、最初は飛ばして「絶望の諸形態」のとこから読めばいいんよ。 それから岩波の斎藤先生のじゃなくて、ちくまの桝田先生の訳で読むこと。
俺もそう思う・・・
てか
>>262 の箇所は訳者によって全然違う訳になってたりするよな…
>>262 これはなんて解釈したらいいの?
自分がすべてどう判断するのか決めるのだから、自己の価値観と関係してるのは他者でなく自己と自己ってこと?
無限←−−−→有限 絶対←−−−→相対 神性←−−−→罪性etc..... ↑ 自己は自己を構成する様々な2極の要素同士の 関係そのもの 人間内面において関係し合っている2極のせめぎあい そのものが自己 自己は2極のどちらにも限定されず絶えずはざまをうろうろする 関係そのもの しかし2極は紛れも無く自己の要素である 一見自己は有限や絶望の存在であるが、それはその対極がために 自己において成立している 自己は何か規定できるものではなく 絶えず揺れ動く 関係でしかない しかもその関係は自己たるところの2極間の 関係である キルケゴールは死に至る病ではその一方についてしか書かず、 もう一方(神性や無限)については 書かなかった。ただ切々と、躓きについて書いた。 宗教的矛盾についてはシェイクスピアにだって書けやしない、と 最後のほうで語っていた希ガス。 …一方のともすれば卑小な要素がもう一方の神的域まで 弁証法的に発展しうるなんて有り得ない ヘーゲルさんよ無邪気だな 今、自分がはざまに浮遊している ことを考えたことはないのか? ・・・・てなあてつけもこめられているらしい。 ・・・といった解釈解説を大学にいたころ なんかの論文?で読んだことがあります だいぶ前でうろ覚えだけどね まぁそれを解説してくれた教授にも、冒頭のその箇所はヘーゲルへの 反発表明みたいなものだから、飛ばしてもいいよ と言われた
267 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 13:33:58
>>262 ようするに自己っていうのはこうありたいっていう自分の願望と
現実の自分って言う関係において自己というものが形成されているって事
だと思って読み進めたけどな。
アイデンティティー(自己同一性)と同じ意味と捉えてもそんなに
差し支えはないはず
冒険なんて生の戯れに過ぎないんじゃないか?
そのまんま東が県知事になってしまった・・・。
270 :
考える名無しさん :2007/01/26(金) 04:10:56
「自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている、 それで自己とは単なる関係ではなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。」 俺は日本語が読めないことが判明した。
同じ言葉を繰り返してるからゲシュタルト崩壊してるだけだろ。難しい事 は言ってないよ。
272 :
考える名無しさん :2007/01/26(金) 04:34:56
説明して。
自己とはただの関係ではなく関係が自己自身に関係するそのことだって 言いたいんだよ。
>>470 そこは何となく頭に入れておくだけで先を読んでいけばだんだんと言わんとしていることが分かるよ。
とりあえずキルケゴールは、自己とは自分や他人などによって塑定されてるもの
(例えば自分が自己とはこういうものだ、他人があいつとはこういうものだと考える。それによってあやふやな一人の人間の像が定まっていく)
と考えているようだ。
Aというものは何か?それは人によって解釈は違う、目に映る姿も違う。
A君をA君自身は強い者と解釈する。これがA君へのA君の“関係”。
B君はA君を一見強そうだけどその実弱い者と解釈する。これがA君へのB君の“関係”。
そうやって無数の関係によって自己が塑定されるとキルケゴールは考えていたんだと思う。
まあ、読んだのが大分前な上に若い頃だったから俺の解釈が正しいかは分からないが。
275 :
つるじょあ :2007/03/03(土) 01:56:18
おっちゃんやで〜。キルケゴールは実存の論理構造教えてくれる意味で 今日的に学ぶ意味ある思うで。 自己 「関係が関係自身に関係する」言うのはな、同じ言葉でも文脈で読みとらな あかんねん。これは換言すると「自己関係が自己関係自身に関係する」言う ことなんや。自己関係は無限性・有限性・可能性・必然性の関係項持っててな、 自己関係自身は自己関係を措定する自己関係がより自由になる可能的自己や。 自己関係は行為の決断によって4つの関係項を総合して自己関係自身へと関係 していく。この様な存在形式が自己であり、この様な人間独自の存在形式が 実存な訳や。
276 :
つるじょあ :2007/03/03(土) 02:11:39
審美的人生 これは近代的自我ではのうて快不快を感じる選択主体としての自己によって生きる ことでな、ここでは思弁による反省はなく自己超克もないねん。これには2つあってな、 外的享楽追求と内的享楽追求や。前者は外的対象を通じて享楽を調達するもんで、 たとえば性的快楽や薬物依存、暴力などに基づく。せやけどこれは享楽をさらに更新 しようとするとより強い刺激が必要になってくるから反社会的になりがちや。後者は キルケーゴールは魂の輪作て名付けてるもんで、日常を虚構化して無意味と知りつつも 合えてそのイベントにコミットするねん。ダンス大会とか部活動とかあんなんや。 せやけど享楽を得ても結局冷静になると人々に無が進入してくる。そこで次の人生へと 発展せんとあかん。
277 :
つるじょあ :2007/03/03(土) 02:35:47
倫理的人生 これは現実に即した人生でな、空想や思弁やのうて現実に選択することによって 自己を作ろうとすることや。人々の日常における人間的義務を実際に選択する。 審美的人生では結婚や就職は無視されるけども、倫理的人生ではそういった普遍的 人間性を選択する。就職し、日々の糧を得、結婚し子供をもうける。一切の現実性を 否定する審美的人生は可能性の海の中に埋没し、中身の無い亡霊的人間となることや。 倫理的人生では普遍的義務を選択し、現実性の中に生きる。せやけど倫理の世界にも 無が侵入してくる。普遍的義務を引き受けて自己否定しても、否定するのも自己やから 自己が温存されてしまう。それどころか倫理家が傲慢に説教することがあるのは、 普遍的倫理の上にふんぞり返って真理を我が手にしたと思い上がってるからや。そこで 次の人生へと発展せんとあかん。
278 :
つるじょあ :2007/03/03(土) 16:04:14
宗教的人生A 倫理的な相対的自己から絶対的自己へとかわらなあかん。ここでは主体性こそ 真理でな、ヘーゲル的知性の論理やのうてソクラテス的情意の行為によって自己を 超克する。相対的目的には相対的に関わり、絶対的目的には絶対的に関わる。 こうして倫理は世界史から自己の内面へと取り戻されて人間は自分の中にある 真理を目指す。せやけどここでも無が侵入してくる。これは負い目として表現される。 つまり課題を達成しようとしても達成できないという挫折感、これが負い目や。 そこで次の人生へと発展せんとあかん。
279 :
つるじょあ :2007/03/03(土) 16:52:02
宗教的人生B 自己の中に真理は無かった。主体性は真理やのうて虚偽やった。そこで人は真理を 内部やのうて外部に求めなあかん。ここでは負い目は深化して罪となる。罪とは 神の前で絶望して自己自身であろうとする、もしくは絶望して自己自身であろうと しないことや。そこで外部の真理は神でしかない。神は永遠性で絶対性や。そこで 外部の神を欲する者は神に試されることになる。そう、あのイエスを神と信じ られるのか?ここで人は躓く。つまり永遠性である神が時間性に出現したこと、 そして絶対者である神が乞食の罪人であること、これは知性的論理では理解でけん 背理(パラドックス)や。ここでその躓きの石に躓かずに信ずる者のみ信仰の世界 へと飛躍でける。ここではイエスの隣人愛の教えを遵守し彼と同時代的に生きる ことによって神と一体化でけるわけや。隣人愛とは愛すべき親や家族を愛すること とは全くの反対物や。隣人愛は親や家族を捨てることを意味する。家族愛は自然感情 に沿ったエゴイズムや。そこで自分自身に対して石を投げてくる人間、自分自身を 突き飛ばしてくる人間をそれでも愛する、これこそが自然感情に逆らうイエスが 自分自身で実践した隣人愛なんや。ここで倫理的な目的は意味を失ってしまう。 神が愛する息子を生贄として差し出せ言うたらそれを誰に語ることも無く宗教的 義務として実践する。愛する息子を殺すことは倫理的悪の極致やけど、倫理を 超えた宗教の前には倫理的価値は色あせる。これこそ神の前における倫理的な ものの目的論的停止や。キルケゴールは宗教者として人々を平均化していく 既存の教会やマスコミと戦って殉死していった。死んでから天使とともにハレルヤ、 ハレルヤと天へと浮かび上がることを信じて。
>>270 もうちょっと先に読み進めると、
すなわち、この公式こそ、全関係{自己}が他者に
依存していることの表現であり、自己は自己自身に
よって均衡と平安に達するものでもなければ、また
そのような状態にありうるものでもなく、自己自身に
関係すると同時に、全関係を措定したものに関係する
ことによってのみ、それが可能であることを表現する
ものである。
と、ある。「全関係を措定したもの」というのは、俺は
神のことだと受け止めたが。
なんか俺に聞きたいことない?
不細工なキルケ君は、なんで婚約破棄したの?
284 :
考える名無しさん :2007/05/18(金) 12:17:58 0
自己が全くの精神的存在たるべく宿命付けられているならば、 あらゆる事象は精神を通じてのみ理解され得る。キルケゴー ルの主張するに、精神とは有限なるもののと無限なるもの、 必然なるもののと偶然なるものの二つなるものの関係それ 自体であり、要するに精神とは他方が他方の性質を止揚し 合う関係、つまり弁証的なるものとしている。 (話は変わる様であるが)最近話題になっているが、ワクチン を打っていない人はハシカにかかり易い。そして丁度このハシカ とワクチンの関係がキルケゴールの言う処の絶望と救いの関係 なのだ。一旦ワクチンを打って置くとハシカにはかからない。同じ 様にほんの少しの絶望の淵を垣間見てそこから一旦救われるという 経験をして置くと、人生における洗礼を味わった時にそこから 絶望する事からは救われる。
285 :
考える名無しさん :2007/05/18(金) 12:27:03 0
キリスト教における真理は苦痛の象徴たる十字架が 人間の目指す最高のものだとされているが、この事が 他ならぬその苦痛から救われる事がキリスト者の至福 (キルケゴール)なのだ。問題なのは自己の精神に於 ける病の深淵を覗き込み、受け入れてしまう事を他に しては、いかなる救いももたらされないという事に尽き る。絶望し、病にありながら、一切が可能な神の前に跪く 事!
つまり苦ありゃ楽ありということなのだ。
>>283 神様は時々、趣味の悪い冗談をなさるらしい。
288 :
考える名無しさん :2007/05/24(木) 00:37:42 0
教会の庭
289 :
考える名無しさん :2007/05/24(木) 01:47:33 0
>>283 三流私大卒にありがちな語彙の乏しさと趣味の悪さと
方向性のトンチンカンぶりを露呈しただけ
一発出しで偶然出たトリップに合わせて適当に思いついただけだ、馬鹿モン。 ついでに言うなら俺は高専の電子工学科卒だ。大学にはいっとらん。
291 :
考える名無しさん :2007/05/24(木) 23:13:31 0
小川圭治先生、お元気ですか?
ここだけの話だが、トリップ・キーは半公開。場所は秘密。
誰もお前に興味ないだろ
294 :
考える名無しさん :2007/05/25(金) 20:54:05 0
キルケゴールが越えられなかったのは、哲学できなくなる次元 への突破 考える位置を確保したまま 天使にとどまった 理屈こねながらサッカーできないし 生きるって どういうことか まあ結婚してマイホームパパになるよりは ああして珍妙な本書いたことのほうが 意味あったかなあ
>>293 それは大いに結構だが、ここにいると誤解されることが多いからね。
もともと誰のために始めたわけでもない、自分を守るためですら ない。納得がいかないから死ぬまで戦うのだ。
>>296 得体のしれないものと戦ってるのか?
何故に戦うのか、それは自分の存在を前提にするためではないか?
納得がいかないから戦うのに何と戦うのか知ってるはずもなかろう?
しかし気に食わん連中というのは、この世には確かにいるのだ。
さながらドン・キホーテのようだが。
俺は無力であることが好きだな。地震や戦争で幾ら死んでも俺のせいとは言えない・・・。
ドイツ語わかればデンマーク語だかオランダ語だから知らないが、 キルケゴールも原文でなんとかわかりそうだよな。 原文ネットにあんの?
未だにイラクに兵を置いているデンマーク。
304 :
考える名無しさん :2007/06/12(火) 08:20:46 0
ゼミの課題でキルケゴールのドンジョヴァンニ論を読まなきゃいけないのですが、この人何言ってるのかわかりましえん(;;)だれか教えて
教員もわかってないから大丈夫。
306 :
考える名無しさん :2007/06/13(水) 23:15:25 0
まじすか
>>304 「キルケゴールは何も分かってなかった」というのでどう?
308 :
194 ◆JMEUe1jdXc :2007/06/14(木) 00:05:47 0
キルケゴールは青春の人だ 「私が生きるにたるイデーが必要だ」 まさしくの青春そのものだ
情熱家ですので・・・
310 :
考える名無しさん :2007/06/14(木) 23:46:21 0
うーん・・・誰か答えられる方ー
311 :
短パン :2007/06/15(金) 00:25:27 0
>>310 答えるだけなら容易いが・・・・・。
それでは。処刑ライダーにでも、答えて頂くとするかw
ほれ。
あれ読める人間はほとんどいないよ。 キルケゴールによればドンジョヴァンニは その場その場で快楽を求め、女性を誘惑するしつづける美的な実存の理想でした。 なにも考えず、ただただ欲望を追求します。 そういうのを表現にするには、モリエールの戯曲より、音楽の方が 向いてました。 ぐらい。
313 :
考える名無しさん :2007/06/15(金) 02:47:33 O
キルケゴールは自意識を持ち、道を情熱的に生きた。目的などなかった。 観念は散らばり、対象を欲し、不安定だけれど、道を歩いていく自分の肉体は、それより信頼できる。自意識が肉体を操っていく
314 :
考える名無しさん :2007/06/16(土) 18:31:28 O
処刑ライダーさーん
この人、ただのキモオタだね。
316 :
考える名無しさん :2007/06/16(土) 23:30:34 0
「絶望的に自分自身であろうとすること」って、 いまのフリ−ターやニートにあてはまるんじゃないでしょうか。
318 :
考える名無しさん :2007/06/24(日) 23:35:30 0
反復のみ読みました。意味の分からない箇所は流して読んだだけですが 理解できる箇所は非常に感銘を受けました。 キルケゴール作品の中で反復はどのような位置づけもしくは評価 なのでしょうか?
一番文学っぽい作品。
>>304 著作ないから知らんわ。あったらカミュの『シジフォスの神話』のドンファンの部分の感動的なくだりと並べて、
なんか書いてやる。
321 :
考える名無しさん :2007/06/26(火) 00:14:37 0
反復のちくまは無いの?
岩文ならあるが、扇情小説は苦手。
アドルノ読めばええやん 素敵やん
進歩も希望もない同じことの繰り返しな退屈極まる生活最強だろ。
『反復』じゃない、『あれか、これか』からの抜粋を白水社が 新書で出してんだろ。 『反復』は冒頭にライプニッツの名前の登場するのが良い。 恒真命題の問題と関係してる。
ライプニッツの「モナドロジー」には興味ないが、ラッセルが ライプニッツの論理学を研究してたから、論理的原子論もライプニッツの 影響かもな。
「反復」は、どういうわけか、 自分が自乗されたのをうけとってしまうオチだね。 女より神に忠誠を誓ったからか? このオチは破綻しているといわれることもあるそうだが、 これはこれでいいじゃん。
この人って、結局は取り巻きだな
キルケゴールの「弁証法」っていうのは 大ざっぱにいえば 弁証法というより「二者択一」みたいなもの? イマイチ分からないのだけれど・・
330 :
考える名無しさん :2007/08/29(水) 23:46:19 0
『反復』最高でしょ
キルケゴールの哲学は「親が悪いんだ!」という地点にも 到達しなかった。
332 :
考える名無しさん :2007/09/21(金) 11:58:25 0
負けてないー(T_T)
333 :
考える名無しさん :2007/09/21(金) 11:59:29 0
負け犬が負け続けると負け×2になるのね(−_−)
334 :
考える名無しさん :2007/09/21(金) 12:00:03 0
負け戦ー(T_T)
335 :
考える名無しさん :2007/09/21(金) 12:00:46 0
負けないで(^_^)v
336 :
考える名無しさん :2007/09/22(土) 14:25:20 0
キルケゴールの「弁証法」っていうのは 大ざっぱにいえば 弁証法というより「二者択一」みたいなもの? イマイチ分からないのだけれど・・ あれかこれかですからね。サルトルは<それ>。<それ>はドイツ語のエスだと思いたいけど、関係薄いと思うwwwww 哲学というより、騎士道書に思えるwwwwwwww
質的弁証法がよく分からない。 どちらか一つを選ぶなら、どんどん減っていくんじゃないのか? 世界の全てを知るどころか、どんどん一つのところに向かってく イメージがあるんだが。それは弁証法なのか? ヘーゲルは絶対精神(人類)を目指すけど キルケゴールは信仰(単独者)を目指すからか…。 的外れなこと書いてたらすまん。
338 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 16:48:07 0
岩波文庫の「死に至る病」を買ってしまったんだが、 何を言ってるのかさっぱり解らん・・・。 これまで読んだ本の中で一番理解できない。 誰か一言で教えておくれ。
339 :
考える名無しさん :2007/09/26(水) 17:16:08 O
癌って怖いよね
>>338 神でも「死に至る病」には勝てない。
といこと。
>>338 ちくま学芸のを買ったほうがいい。
でもとりあえず要約してやろう。
「絶望とは、自分の現状を喜んで受け入れていない状態であり、
絶望の克服は神の助け無しには不可能な信仰である。
絶望こそ何にもまして恐るべきなので、神の前にへりくだるのがよい。」
ごめん、名前消し忘れた。 名無しにかえる。
喜んで受け入れるとかへりくだるとかという表現はまずいかな。 読んだのもずいぶん前だからなぁ…。
んじゃ俺の要約 「(現状にたいして)ま、そんなもんよ」
俺に似ている。 だから気になっていた。 読んだ。 俺に似ていた。 ニート。 彼はニートだ。 俺もニートだ。 例外者だ。 必然と可能性。 俺は違うぞ。 30手前。 救いを求めて、罪のうちにとどまらずに、必然的に、 可能性を求めて、レギーネという普遍性を求めて。 被造物的な評価など俺にはもとより興味はない。 ただ、俺は、許しへの可能性を求めて、信じて、生きようと思う。 今東光も言っていた。 失望するなかれ、と。 俺も、罪の中に帰らずに、自己へと帰ろう。 自己と対峙し、神の許しの可能性を信じよう。 アスペルがーかもしれない? 知るかボケ。 自らが犯した罪のなかに埋もれることで、俺は成長することを拒んでいたのだ。 信ずることだ。 それしかないのだ。 俺はキリスト教徒ではないが。
哲学の授業はつまらなかったけど、キルちゃんだけは興味深かった。 やはり「私にとって真理でない真理なら、そんなものは要らない」という彼の態度は 無教養な若者の心にも響くらしい。風貌も忘れがたい。 中原中也のように、目がかわいい。潤んでいて、母性本能をくすぐりそうな顔。
347 :
考える名無しさん :2007/10/17(水) 18:49:48 0
「お前は自分自身を食い尽くしている」 という問いかけは,どういう意味ですか?
348 :
考える名無しさん :2007/10/17(水) 20:28:14 0
自分で自分を苦しめている程度の、という意味。 つまり、絶望というのは(自己を含めた)状況についての自己の態度であり、 状況それ自身が絶望というように、自己と関係無しに絶望が存在するのではないということ。
自分で自分を苦しめている、という程度の意味。 の間違い。
350 :
考える名無しさん :2007/10/17(水) 21:11:08 0
>>348-349 わかりました。
まだこの辺あたりしか読んでいないのですが,
結局「自己」を中心軸に絶望をみるか,絶望が潜在的・必然的に存在してそれが「自己」との関係で発現する,
という,単なる視点の違いなのでは・・・
「絶望」の存在を絶対的とするためには永遠者が必要になり,結局永遠者への信仰が自己を救済する
唯一の手段なのである,という結論なんでしょうかね・・・
哲学全然わかりませんごめんなさい
おう、気にすんな頑張れ。 そうさね、読んでるうちに分かってくるよ。 でもとりあえずおさえておいて欲しいのは、以下のこと。 絶望は、自己が自己の現状について無自覚的だったりor不満をもったりor不満なくせに現状に固執したりすることだということ。 そんなプロセスが可能となるためには自己の永遠的性質(昨日の俺も今日の俺も同じ俺、という程度の意味)が必要なんだな。 で、そんな絶望以外に何もない悲惨な状況から逃れるには神を信仰する必要があるということだ。 あと、追加ね。 >絶望が潜在的・必然的に存在してそれが「自己」との関係で発現する というのはキルケゴール的にはないと見たほうがいい。 絶望があるかどうかは自己の態度次第だから。 だからこそ、絶望者は自己自身を食いつぶ「そう」としている。 でもいくら自己の現状を嘆いても現状は変わらないので、自己を食いつぶしきることは出来ない。
ああ、追加。 「逃れるには神が必要」と書いたけど、これは現実逃避という意味ではないぞ。 キルケゴールも書いているように、神を信仰して何が起こることは、 自分の現状に感謝とか自信とかが湧いて、未来への勇敢さがもらえるということだから。 ちょっとやそっとの挫折にはビクともしないような自己自身の根拠は神以外にありえないということ。
「神を信仰して起こることは」 の間違い。 たびたびスマン…
「ほらごらん。『あれか、これか』がやってくるよ。」
355 :
考える名無しさん :2007/10/27(土) 21:05:46 0
岩波の反復は大きい書店でも見かけなくなった。 ネットでもどこも品切れ。 新品で欲しいよー。
356 :
考える名無しさん :2007/10/29(月) 22:00:54 0
反復を欲するには勇気がいる。
357 :
考える名無しさん :2007/10/30(火) 07:35:16 0
>>351 >自己の永遠的性質(昨日の俺も今日の俺も同じ俺、という程度の意味)
いや違うし、説明になってない。
それは、単に状態としての意識の連続性。
キルケゴールによれば、自己は自己の力で自己であるのではなく、
超越者(永遠者)が自己を措定している。
したがって、絶望に身を委ねても、自己が自己自身を食いつぶすことはできないし、
絶望からの救済には、永遠者の力が必要となる、ということ。
>絶望があるかどうかは自己の態度次第だから、
これも不正確。
キルケゴールによれば、絶望は意識の常態であり、究極的には
自分が絶望していることを意識している絶望と意識していない絶望があるだけ。
信仰による救済だけが例外とされる。
358 :
351 :2007/11/03(土) 18:34:30 0
>>357 いや、そう書いたつもりだったんだけど…。
文章を初心者向けに砕きに砕いたからなぁ…。
反復っていうのが(ハイデガーの言うとおり)、
自己へ自己の絶えざる帰還であって、
キルケゴールにとってはそれは超越者無しには無理なんだ、
ということが基礎にある。
(パウロがコリント人への手紙か何かで恩寵を「自己が分裂しないこと」と書いていたと思う)
その機制が失調するのが絶望であり、
それは信仰なき状態と同値である。
ってことでしょう?
少し揚げ足取り的に言わせてもらえば、
絶望は意識の常態だって言うけど、
その「常態」っていうのは意識論的にはほとんど意味がないよね。
だって、一般人の一般的状態っていうだけなんだから。
重要なのは信仰が現実的に可能なんだってことだと思う。
359 :
351 :2007/11/03(土) 18:51:47 0
つまり、 意識の連続性とか自己が自己と反復的に一致するっていうのは、 現代思想では偶然とみなされ、キルケゴールでは永遠な超越者のおかげとされている。 ってことだとおもう。 絶望についていえば、 絶望は精神的な営みであって、それとは別個に自己の置かれた現実がある、 というのも重要だよね。 絶望は「現実と精神との結びつきを引きちぎってしまえ」という志向を持つが、 それは無理だ、ということでしょう。
360 :
考える名無しさん :2007/11/05(月) 11:51:27 0
>>358 >重要なのは信仰が現実的に可能なんだってことだと思う。
もっと重要なのは、「信仰が現実的に可能」だからといって、
「現実に(絶望からの救済としての)信仰をしている」にはならないということ。
両者の間には超えがたい溝があり、そこを乗り越えることを
キルケゴールは質的飛躍と呼んでる。
更に言うと、自己を、霊魂と肉体のような相対立するものの
止揚ととらえているキルケゴールにとって、自己が分裂することは
認識上の出発点であり前提。
だからこそ、絶望は意識の常態だというのが彼の根本認識となってるわけ。
初心者に読み方を教えてやろうなんて上から目線はやめて、
もっと読み込んだ方がいいよ。
361 :
351 :2007/11/05(月) 18:37:36 0
>>360 別に上から目線だったつもりは無いけど。
えらそうな口調だったのは認めるけどね。
フランクなほうがいいかと思ったわけです。
(あとこれだけは言わせてくれ。
現実の信仰と信仰可能性の理解の間には
天と地ほどもの差があることくらい分かってるよ…。
ただ、一般的な人間において普通のことであるということと、
自分が絶望しているかどうかは関係ないよね、
って言いたかったんだよ)
私は実際キルケゴールを専門的に呼んだわけではないというのも白状します。
(というか、これはバレバレか)
それでは、教えを乞う立場の人間として質問です。
>自己を霊魂と肉体のような相対立するものの止揚ととらえている
という部分について詳しく教えてください。
人間が動物より優越しているのは、
霊魂の存在によって自己に対自的に関われるということだった。
(動物にもガイストはあるが、霊魂は人間にしかない、という話だったと思う)
対自的に関わるというのはつまり、自己から離れた点から自己に関わるということだ。
しかし関係が存在するからには、
二つの関係物は同一の場に在って媒介者に媒介されている必要がある。
こうして、自己は自己と離れつつ自己と繋がっているということになる。
…という理解に問題はある?
(媒介者って考えはしてなかった気もするし、そもそも私自身普段使わない概念なんだけど)
362 :
351 :2007/11/05(月) 19:02:00 0
自己に関係している方の自己(言表行為の主体)は、 意識内に描かれた途端に、関係される方の自己(言表の主体)になり、 その時既に同時に、関係している方の自己が新たに何処かに現れている。 この後退は無限に可能であるが、 関係されている自己と関係している自己は、 意識よりも根源的な地平の上で常に現実的に繋ぎあわされている。 この根源的地平を開いている者を超越者とキルケゴールは呼んでいる、 …と私は理解しているってことなんだけど。
363 :
考える名無しさん :2007/11/05(月) 21:35:53 0
>>361-362 いきなりそう下手に出られると、こっちもやりにくいなw
横からだったけど、初心者って言い方が引っ掛かったんで、
攻撃的な言い方をしてしまったよ。申し訳ない。
俺にしてもキルケゴールの専門家でもなんでもないし、
他人に教えを垂れるとかじゃないけど、せっかくの質問なんで俺なりの回答を。
キルケゴールの、そして伝統的なキリスト教の考え方として、
人間には精神があるが、動物にはない、と。
なぜなら、動物は即自的存在であり、弁証法的対立(霊と肉)の
構造を内包していない為、対立する2項を総合するものとしての精神
が必要ではないから、という理屈らしい。
この総合者を媒介者と呼んでもいいと思うけど、もっと能動的な
働きのイメージじゃないかな。
もう一つの、自己の自己言及的構造についてだけど、自己をめぐる循環は
決して無限ループではなく、その根源に絶対者が存在しているはず、
というのがキルケゴールの立論(あるいは信仰)で、ハイデッガーなんかは
絶対者とか超越者を措定せずに、死への覚悟という実存的意志が
その無限ループを断ち切るとみなす立場。
長々と語ったけど、結論として、あなたの理解と俺の理解には
そんなに隔たりなさそうって感じ。
もうちょっと気の利いた識者の解釈を待つw
364 :
351(以下、名無しに戻る) :2007/11/06(火) 18:10:25 0
いままで半分シッタカなのに変に強情はって損したことが何度もあるからね…。 早めに降参して教えを乞おうってところなのですよ。 貴方が親切に応答してくれて良かった。 で。 今何より疑問なのが、 「対立する2項を総合するものとしての精神(=総合者、媒介者)」 ってものが今ひとつ理解できないというのが私の現状なのだった。 というのも、キルケゴールは自己という言葉をニュアンスにかかわらず多用するから。 (変に分類されてもドイツ観念論みたいになって難しいんだろうけど) それを考えるために自己の自己言及的構造という点から私は私なりの解釈を試みた訳で、 この解釈に対する貴方の応答が、 キルケゴールは無限ループにならないようにする根源的絶対者を信じ、 ハイデガーは無限ループを断ち切る実存的意思を考える、 というものだった。 けれどもやっぱり、 絶対者や実存的意思がどうやって自己の自己言及的構造に割り込んできているのか、 という問題は難しくてよく分からない。 というより言表行為の主体という概念自体、 言表行為の主体が定義上は表象不可能である以上(そのくせ感覚的には理解できてしまう)、 すでに鵜呑みにがたい概念なんだな。 ウィトゲンシュタインみたいに言表行為の主体を「世界の境界」と言ってもいいのだろうけど…詩的な表現だよなぁ。
365 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 18:57:10 0
もうちょっと考えてみる。まずまとめる。 動物:即自的存在 弁証法的対立(霊と肉)の構造を内包していない 人間:対自的存在 (霊⇔肉)+対立する2項を総合する能動的精神 ("霊""肉""精神"の三角形とか言ってみると途端にグノーシスっぽくなるよね) ということだった。 この動物観って実際どうかとか以前に他者論的にもどうなのよとか思うけど、 キリスト教での教えは確か基本そうだったと思うし、 今の問題の重点は自己論だから自己について考えてみる。 『死にいたる病』ではこの自己論が展開されたあとで絶望の諸様相についての分析がなされる。 一見すると「関係自身に関係する関係」という自己観とこの絶望論はあまり関連が無いように思われる。 というのも「自己の現状」と「自意識の強度・性質・方向」という概念で一通り説明が付くように思われるからだ。 現にこの概念群による解釈からも日常的絶望観に比べて十分に精密な絶望論が生まれるとみなせるだろう。 しかし、この概念群とキルケゴールの自己定義のあいだには違和感を感じる。 というのもキルケゴールの提出した命題は「関係自身に関係する関係」という、 「物と物との相互外在的=平面内在的関係」ではない「それ自身に関係する内的関係」だからだ。 「自己の現状」と「自意識」というくくりでは単純すぎる感がぬぐえないのである。 それゆえ私は「自己の現状」と「自意識」で第一編後半が説明が付く以上基本的な方向性は間違っていないはずだと考え、 この二つの概念のあいだに内的関係を見出すために自己言及的構造という良く知られた自己の性質を考量に入れたわけだ。 しかし、ここにおける神の介在は如何様であるというのか。
キリストは全ての罪深き人の罪を背負って死んだ キルケゴールは俺の代わりに悩みぬいて死んだ 自分にとってキルケゴールはキリストのようなもの。
文学的な作品は好きなんだが、哲学的なのはよくわからない。 詩人・文学者としてのキルケゴールは好きだけど、 哲学者としての彼の文章はおぼろげにしかわからないというのが本音。
死に至る病が全然わかんなくて続編だという キリスト教の修練を読み始めて さらに瞬間も少し読んでみたくらいだけど 神を信じることが、キルケゴールの言いたかったこと だとしても、教会と思いっきり喧嘩してるんだよね。 教会行かずにキリスト者になれるものなのかな。
369 :
363 :2007/11/07(水) 08:06:28 0
>>364 あなたの疑問に対する答になるかわからんけど。
「対立する2項を総合するものとしての精神(=総合者、媒介者)」 について。
純粋に認識論的に考察すると難しい、てか解決できないんじゃないかな。
俺ならこう考える。
まず日頃の自分の心を観察するに、自分の中に相対立する
二つの衝動、ベクトルがある。
わかりやすく言えば、天使と悪魔。で、大抵の場合悪魔が勝つんだがw
ただいずれが勝つにしても、自己というものは主として
二つの方向に引き裂かれる危険を常にはらんでいると。
でも、そこでは単純に二つの相対立する力が働いているだけではないはずで、
自分がどうにか意識の連続性を保って、統一的な自我、人格を
維持しているからには、その二者を統合する高位の自我(フロイトの超自我?)が
存在するとしか思えない。
そうした対立、葛藤、相克の総合が自己なんじゃないかと。
370 :
363 :2007/11/07(水) 08:09:39 0
>>365 「関係自身に関係する関係」という自己観と絶望論の関連について。
今度は行動の観点からアプローチしてみたい。
絶望を乗り越えようとしてか絶望の果てかはわからないが、
自分が人生を、全人格を、あるいは生命を賭した行動に身を投じる場合を想定する。
その場合、状況は様々だろうけど、その行動を選択する瞬間に
「絶対」のようなものを意識するんじゃないか。
それは、その行動自体の善悪に対する認識論レベルの価値判断ではなくて、
ニーチェ風に言えば善悪の彼岸での実存的な意識としかいいようのないもの。
それをキルケゴールは直接的にキリスト教の神と呼び、
ハイデッガーは元神学生ながら現象学の立場から、実存的意志の発現と
呼んだんじゃないかな。
ま、俺自身はその種の行動が出来るような人間じゃないから、
あくまでも想像するだけだけどね。
キルケゴールは368でも少し触れられてるけど、地元の教会の腐敗を弾劾し続けて、
最後は路上で倒れて死んだくらいに過激な行動者だから、
そういう行動者の視点で自己、絶望を分析したということかなと。
>>368 彼は、当時のキリスト教は真のキリスト教ではないと思って教会を批判してたんだよ。
毎週教会に通っていても、それだけでキリスト者だと思っている者が多いが、それは間違いであって、
神の前に単独者として立つことこそが真の信仰なんだって、彼は言いたかったんでしょう。
キリスト者であるか否かは、教会へ行くか否かでは決まらず、神の愛を真に信ずるか否かで決まる、と
言うのが彼の主張なのではないか。
>>369 ほっとんどまだ理解できていないんけど、
(純粋な認識論ではないが)ラカンの理論とか木村敏の思考とかとキルケゴールを付き合わせて読んでみると、
何かお宝的なものに突き当たるかなぁ、見たいに思ったり思わなかったり…というところなんだよね。
(あと、現代思想の知見から(安易な発想だが)統合的な現実認識を得るために避けられないポイントもするし)
で、二つの衝動の対立・葛藤・相克の総合としての自我という考えについて。
「多数の」ではなく「二つの」というところが興味深くもあり引っかかるところでもある。
多分イメージ的に貴方の言うことを私なりに解釈するわけだけれど、
多数の下-意識的な衝動があって、
それが(ある時間において既に与えられた)自己に関わりある現実的対象に対する特定行為をするか否かで対立し二分され、
葛藤し相克しつつも新たな(次の瞬間において与えられる)自己として収斂する、ということだろうか。
例えば。
朝起きたときは自己意識がはっきりしないので(おそらく自己の収斂作用が未熟な状態で諸衝動の一部が意識化されたゆえ)変な衝動が微弱に感じられる。
その次に何かある衝動が他の衝動を(例えば学校の授業に行かねばならないという意識が他の微弱意識をかき消しだすようにして)まとめだす。
次にその意識化された「学校へ行く」という命題の否定である「行かずに寝る」という意識が表れ、強くなっていく。
(そのあいだ、下-意識的部分では諸衝動の相克が繰り広げられているのではないか)
このとき、命題とともに「行くか行かぬか悩む自己」が定立されている。
最後に、過程はこの行の四行上あたりに戻る。
みたいな。
ただ、この解釈は多分に独断論的であり「意識化されたことの説明としての下-意識的領野の理論」というには童話的過ぎる感は否めない。
脱字が多くあるが適宜補完して欲しい。
つまり、意識上は二つの選択肢にスポットライトが当たるという現状が確かにあり、
意識化では多数の衝動がうごめいていると考えられる、ということ。
>>370 「人生を、全人格を、あるいは生命を賭した行動」というのだけど、
『死にいたる病』では信仰と反抗(岩波訳では"強情")としてこれは対応するように思われる。
ここで注目してしまうのは、信仰も反抗も構造上、他者の存在を必要としていると(私はそう記憶しているわけだが)いうことではなかろうか。
つまり、神に対する信仰、この世全てに対する反抗。
この二つの例においてキルケゴールにとっては自己の強度が最大になると言われる。
とすると、自己の構造を他者論とも含めたものとして考えねばならないかもね。
374 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 19:37:23 0
あなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリア あなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリア あなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリアあなたのコーデリア あなたのコーデリア
彼が主体的真理を唱えたのはなぜ?
>>371 >キリスト者であるか否かは、教会へ行くか否かでは決まらず、神の愛を真>に信ずるか否かで決まる、と
ということは、キルケゴール的信仰からすると行き着くところ
教会は不要になるのでは。
人がキリスト者になるための洗礼や儀式などはどうなるのだろと
疑問になって。
378 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 18:44:48 0
379 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 20:08:18 0
>>377 そうでもないと思う。
というのも。
『死にいたる病』でキルケゴールが「イエスが神の子だと信じないのは罪だ!」とか言っていた(と思う)ことからして、
「一般的な神」の愛ではなくて「キリスト教で示されているところの神=イエス」の愛じゃなきゃダメだったと思う。
ということを踏まえると、
キリスト教で示されている儀式もイエスが語ったと思われることである限り、
意義が分からなくても従わなきゃダメだということになるんじゃなかろうか。
380 :
考える名無しさん :2007/11/25(日) 23:14:15 0
死にいたる病で泣いた人いますか?どこで泣きましたか?
>>380 結構、泣ける個所は多いけど、挙げてみるなら
第2編 絶望は罪である B罪の継続 B罪の赦しにたいして絶望する罪
(つまずき)
さらに絞るなら、「罪の赦しにたいして絶望することはつまづきなのである」
かな。
神と人間の関係(信じるか信じないか)に悩むなら
別にキリスト教じゃなくてもいんだけど
その間に、キリストが立ちはだかって、その救いを受け入れるか
受け入れないかという真剣さが問われるところだから。
って俺はキリスト教徒じゃないんだけど、まぁキルケゴールもキリスト教を
信じきることができなかったからこそ…ということで。
それにこの解釈でいいかどうかも分からんが。哲学書で泣けたのは
キルケゴールだけだ。
難解さについて行けず泣いた
>>381 そこは漏れも泣いた。
以降、ことあるごとに自分に「絶望は罪だ」って言い聞かせてる。
384 :
考える名無しさん :2007/12/18(火) 14:03:52 0
キルケゴールの思想が主体性に重きを置いているのはさておき、 主体的にはどうあれ、客観的にはある意味何でもありになってしまいませんか? 転びようによってはめっちゃ危ない気がするんですがどうでしょう・・・?
>>384 キリストってのは頭の良い人、品の良い人には馬鹿にされまくって
しかも仲間は貧しい人々と病人、無学な人ばかりだったわけで。
果たしてお前、それで神をその当時、信じるなんていえたのかよ?と。
「理性」でキリストを信じるなんていえるわけないだろう。
本気でキリスト教徒やってんのかよと。光か闇かさっぱり分からない
ただ、自分が信じるしかないんだと。破滅か救済か。
その恐れとおののき、絶望を感じているのか?
こんなことを教会に言いたかったのではないかと、妄想。
殉教思想なイメージが個人的にはあるかな。
死にいたる病の副題は
「教化と覚醒のためのキリスト教的・心理学的論述」
で、キリスト教国家、生まれたものは皆、客観的に
キリスト教徒の世界で、それをぶち壊し、教化するために、
主体性を持ってきたのだと思う。だから理性的ではないとは思う。
あ、だから十分。危ないと思う。
387 :
考える名無しさん :2007/12/18(火) 16:17:27 0
ていうか、実存的に自分が存在するというのが理性的にはワケワカランことなんだから、 実存の救済にしろなんにしろ、実存について真剣に向き合おうとすれば理性的にはおかしなことになってもしかたないとおもう。
定番だけど、ハイデガーはナチにいっちゃったわけだし。
389 :
the catcher in the rye :2008/01/11(金) 09:40:33 0
390 :
考える名無しさん :2008/01/11(金) 09:41:28 0
391 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 21:37:36 0
カントやハイデガーなんかは解説書が山ほどあるのに、 どうしてキルケゴールの解説書はほとんど無いんだ。 死に至る病の解説書ってあります? 神ってもんが深く根差ししぎてて、判断しづらいところが多数。
哲学古典入門シリーズ『キルケゴール 死にいたる病』 大谷愛人・泉治典、有斐閣新書、1980年
393 :
中上 :2008/02/06(水) 12:34:03 0
もう逃げられないぜ
394 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 12:35:52 0
死んでわびるしかないだろ?
395 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 12:37:45 0
死んで詫びるしかないだろ?
396 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 12:38:33 0
死んで侘びるしかないだろ?
397 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 21:42:42 0
死んでわびるしかないだろ
電波切支丹の許しと再生を描いたロマンポルノ
で、岩波とちくま、どっちが読み易い?
大谷長監修 『原典訳記念版 キェルケゴール著作全集』 創言社 高いから大学で借りろ 読みやすい
401 :
考える名無しさん :2008/02/09(土) 18:32:04 0
だれか、『理想』のキルケゴール特集の目次を教えてください 本屋に現物がないので、買うかどうか迷ってます><
ハイデガーを最近読み始めたんだが、 同時にキルケゴール(『死に至る病』)も読んでいる。 実は再読なのだが前に読んだときの記憶がほとんどない。 再読してると思い出すのは 前にも舐めてかかって失敗したなぁってことかな。 ヘーゲルを前提にして書かれてるし。 ちなみにヘーゲルは挫折したままだし。
403 :
じゅんいち :2008/03/22(土) 22:28:20 0
キルケゴールは時間の捉え方が独特です
404 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 01:49:35 0
こいつって所詮はキリスト教徒なんだなって印象 たいして面白くもない著作ばっか
405 :
じゅんいち :2008/04/08(火) 20:51:33 0
404さんニーチェはどうですか?(神は死んだ)
406 :
考える名無しさん :2008/04/09(水) 22:24:44 0
407 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 00:47:52 0
問い:キルケゴールの著作1冊持って、無人島へ行くとすれば? 応える:『あれか、これか』
408 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 02:06:25 0
『あれか、これか』って白水社の著作集だと4冊になるけど、 そのうち1冊を選んで無人島か務所に持って行くとしたら、どれにする? 因みに俺は、どの巻に収録されているか忘れたが、 「ある誘惑者の日記」が載ってるやつね。
キルケゴールが死んだのは1855年、ダーウィンのお祭りの始まる直前だ。 間もなく世界は糞で塗り固められる。
『不安の概念』のナポレオン論は面白かった。 『現代の批判』での革命後の社会の平俗化についての批判は、 キルケゴールのナポレオン贔屓を念頭に置いて読むべきか知らん。
413 :
考える名無しさん :2008/06/06(金) 22:01:59 0
キルケゴールの原罪とはオヤジが小作仲間を裏切って成り上がった ためにバチが当たったものであった。 この点で芥川が貧乏な牛乳屋の倅から小学生仲間を裏切ってちょっとだけ 上流の家に養子に行ったのに似ていないこともない。
なかなか面白いだろ。 これ読んで岩波文庫のナポレオン語録読むと良いんだ。
415 :
考える名無しさん :2008/06/24(火) 14:07:54 0
416 :
考える名無しさん :2008/06/24(火) 14:08:22 0
希望
昨日ついに『死に至る病』の冒頭で説明されている自己の意味がわかった。 この書物を読み終えてから実に半年後のことであった。 中公クラシックスに付されていた紙のおかげ。
419 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 00:30:59 0
昨日、シコシコして逝く瞬間にティッシュを取ろうと 思ったのですが1枚もありません。 チンコの皮を思いっきり引っ張り皮の中に精子を 貯めトイレにダッシュしたのですが段差でつまづき 精子を廊下にブチ撒けた瞬間に母に見つかりました。 慌ててカルピスを溢したと言い訳したのですが どう見ても精子です。 本当にありがとうございました
自己とはひとつの関係、関係それ自身に関係する関係する関係する関係する
以下の引用は「カミュ シーシュポスの神話 清水訳」からの孫引きでございまする。 ↓ キルケゴール》私に欠けているのは獣性だ、獣性、…われに肉体を与えよ。《 キルケゴール》…私に欠けているのは、結局、肉体であり、生存の形而下的条件だ。《 キルケゴール》みずからの挫折のなかに、信仰をもつ者は、みずからの勝利を見いだす。《 キルケゴール》もしかりに人間が 永遠の意識をもっていないとしたら、 もしかりにいっさいの根底にあるのが、 暗い熱情の渦巻きのなかで、いっさいを、偉大なものもつまらぬものも、 すべてを生み出す荒々しい沸りたつ力でしかないとしたら、 もしかりになにものをもってしても埋めることのできぬ底なしの空虚が事物の下に隠れているとしたら、 そのとき人生とは、いったい、絶望以外のなんであるだろう。《
.
423 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 15:52:01 O
レポートのために指定された何冊かの内から『死に至る病』を選んで読み始めたのですが、最初の自己とは〜関係する関係する…の部分でもう挫けそうです これから進めていけばまだ読みやすくなるのでしょうか?それともずっとこんな難解な感じが続くのですか?
424 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 19:00:08 0
>423 最初の、自己とは〜関係する関係する…の部分を読んで脳髄が勃起しないのであれば、その書を捨てよ。 縁が無かったってことにして。
>>423 そこを一度読んでわかった人はほとんどいないと思います。
あとで解説書等を参照にするといいかと。
とにかく我慢して一度通して読んでみてください。
2部はわりとわかりやすいです。
ちなみに、指定されたほかの本は何でしょう。
>>424 残念ながら全くきませんでした…
>>425 とりあえず頑張ってみます。
和洋、近代以降の50冊程度が指定されています。
3冊選ばなければならないので、あとはラッセル『幸福論』と和辻あたりを考えています。
友人いわく『環境倫理学のすすめ』が読みやすいらしいですが…
>>426 『幸福論』はわかりやすいですよ。
哲学書というより、一般の人生論・自己啓発本に近いところがあるような気がします。
昔読んだときには、実践的な要素が強いと感じました。
和辻の『風土』などは高等学校の倫理の教科書で紹介されていることもあるので、親しみやすいかと思います。
わかりやすさを重視したいのなら、基本的には日本人が書いたものの方がいいと思います。
邦訳にはひどいものも多いので。
まずは自分が関心を寄せているテーマについて書かれた本に当たってみるのが
順当な道ではないかと思います。
関心が強ければ、わかりにくさに耐えられると思うからです。
以上、ご参考までに。
428 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 10:15:46 0
こもだ先生?
429 :
考える名無しさん :2008/09/14(日) 23:53:14 0
親の遺産を食いつぶしたキリスト教原理主義の毒男です
売春宿の、あの娘が忘れられましぇん
431 :
考える名無しさん :2008/09/24(水) 18:29:40 0
名を間違えたのかw
不安の概念とあれかこれかのどっちが読みやすい?
>>432 何をもって読みやすいとするかわからんけど、不安の概念は小品にまとまっていて
レポート書いたりするのにはいいかもね
これかあれかは揃えて読み通すのに一苦労かも 大学図書館とかで現物見てみ
思想として追うならこれかあれかから読んだ方がいいと思う けど俺も全部は読んでない…
「キルケゴールは晩年の『日記』のなかで、自分の本が売れて印税が入ったことに驚いている。この「驚き」には、 彼の書物に書かれた問題と匹敵する問題が隠されている。彼はそうと「意識せずに」、相対的な他者と関係づけられていたのだ。」 (柄谷行人『隠喩としての建築』p207岩波定本版より) この「日記」はどの本に所収されているのでしょうか?探しても見つかりません。
>>434 『セーレン・キェルケゴールの日誌』橋本淳編訳
部分だけなので柄谷さんの引用箇所があるかどうかはわからん
後、関係ないかもしれんが、キルケゴールの講話・遺稿集があるよ
けど絶版だから、でかめの大学図書館へ行こう
>>435 ご教示ありがとうございます。その後図書館で調べてみました。
「しかし私の心を占めるのは、(略)此岸的なものの放棄であるはずのキリスト教をの宣べることで、この
世的な益にあずかってそれでよいかどうか、である。」
(1853年の日誌『セーレン・キルケゴールの日誌第一巻』橋本淳編訳、p172より。続巻今のところなし。)
橋本氏は別の解釈をしていますが、明らかにこれは印税のことだと思います。
ただ柄谷氏の参照した箇所で
もないと思います。
印税については同じ橋本淳氏の『逍遥する哲学者』に詳しいのですが、直接日記(日付がない場合が多いの
で日記ではなく日誌と表記しているようです)の引用はあまりありません。
また探してみます。
追記: キルケゴールの日記の経済関連の記述で、面白い箇所を見つけました。 「私は一八一三年、多くの不換紙幣が流通していた金融恐慌の年に生まれた。そして私の実存在はそのような 不換紙幣と最もいい比べものになるように思われる。私の持っている或るものは私が或る偉大な存在である事 を暗示する、だが景気不況のために私は余り値打ちが出ないのだ。 そしてそのような不換紙幣は家族の不幸になる事が間々ある。」 (『キェルケゴオル著作集第十三巻日記』人文書院p131-2より、『キェルケゴール思想へのいざない』 ビネバル出版、高藤直樹著p43参照)
橋本淳氏の『逍遥する哲学者 キルケゴール紀行』には、デンマークのドライヤー監督の傑作映画 『奇跡(ORDET,原題は「言葉」)』の原作者のカイ・ムンクに関する記述があり参考になった。 カイ・ムンクはキルケゴールに傾倒した牧師でもあり、ナチスへの抵抗の中で殺されたのだが、 前述の映画『奇跡』にキルケゴールの名前が出てくるのが個人的にずっと気になっていた(黙狂 の主人公がキルケゴールを呼んでいたという設定)。 タルコフスキーの『サクリファイス』にはニーチェの名前が出てくるし、こうした映画と 哲学の並行関係は、想像以上に大きいのではないだろうか。 『奇跡』は傑作なので、機会があればキルケゴール好きの方には是非見てもらいたい。
>>436 たいして役に立てんですみません
『逍遥する哲学者』は面白いよね 17年で2億近い金がすっからかん…すごすぎる
>>438 調べたら、ドライヤーさんて『裁かるるジャンヌ』の人なんだね!それは期待できる
面白い情報ありがとう
キルケゴールが死んだとき、あれほどあった親の遺産の殆どを使い果たしていたんだって。
442 :
考える名無しさん :2008/11/02(日) 22:13:00 0
最近、大学教授の助けを借りてキルケゴールを再読している。 ようやくわかってきた。 一人でキルケゴールだけ読んでたら、一生かかることがわかった。 カントもヘーゲルもハイデガーも一人で読んでたら一生かかると思うが、キルケゴールの分かり難さはまたいちだんと独特。 「間接的伝達」とか云って、ようは本人がわざわざ他者に伝わらないように書いているところにある。 これを読み解くのは尋常の(他に職業をもった)人間には無理。 「反復」とか、読解不能。 「不安の概念」も、分かり難さはキルケゴールの著作中、最高峰。 「死に至る病」が、まあ、いちばん分かり易いといえば判り易い。「間接的伝達」じゃないから。
キェルケゴールのダメ男加減に共感を覚えざるを得ない。
有名になってしまった引き篭もり
>>444 >引き篭もり
印税がかなり入ってきたし、馬車を使った旅費(遠出であって旅行という程ではない)でかなり出費をしているので、
引きこもりではなかった(街を散歩する姿を新聞に揶揄された)。
ちなみにそうした出費を執筆の必要経費と考えていた節がある(遺稿
X3A177)。
生きるために買い物やらで外出はするわな
幼少期父親に外出させてもらえなかったようだが、(コルサール誌による攻撃以前は)基本的には逍遥、
散歩の人だったろう。
お供を連れた馬車での遠出等を執筆の原動力にしていたし、執筆は行きつけのカフェでしていたらしい。
コルサール誌に揶揄された姿↓
http://home.uchicago.edu/~ddp/corsair.jpg コルサール誌による攻撃後も、引っ越しや馬車による遠出は行っていた。
「歩くことを私は讃えます。歩くことは私にとって精神の運動の象徴です。」(『逍遥する哲学者』p173)
実はキェルケゴールだったり
それを言い出すと後ろのルもいらないとか面倒なことになるから、 もうね、誰が誰だか分かれば良いんじゃない? 読みにくいので「キアケゴー」さんじゃなければ自分的にはおk。 どうせ「キルケゴール」か「キェルケゴール」かどっちかしか見ないと思うから気にしないことをお奨めする。 というかこのスレ見返してみたら、混ざってるし。
『死にいたる病/現代の批判』キルケゴール 白水Uブックス 1,365円
451 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 01:23:02 0
キルケゴールわかりにくいので、翻訳2種以上読むことお勧めする。 わたしは中公のいろいろ入ってるやつ、岩波文庫で読んだ。(現代の批判、不安の概念、死に至る病とも。) さらにちくま学芸文庫で死に至る病も昨日買ってきた。
452 :
蜻蛉の巣 :2008/12/03(水) 16:03:06 0
『タイピー』"Typee", 1846年 『オムー』"Omoo", 1847年 『マーディ』"Mardi and a Voyage Thither", 1849年 『レッドバーン』"Redburn, His First Voyage", 1849年 『白いジャケツ』"White-Jacket", 1850年 『白鯨』"Moby-Dick", 1851年 『ピエール』"Pierre or the Ambiguities", 1852年 『代書人バートルビー』"Bartleby the Scrivener", 1853年 『イスラエル・ポッター』"Israel Potter", 1855年 『詐欺師』"The Confidence-Man", 1857年 『ビリー・バッド』"Billy Budd", 1924年
453 :
蜻蛉の巣 :2008/12/03(水) 16:03:40 0
『タイピー』"Typee", 1846年 『オムー』"Omoo", 1847年 『マーディ』"Mardi and a Voyage Thither", 1849年 『レッドバーン』"Redburn, His First Voyage", 1849年 『白いジャケツ』"White-Jacket", 1850年 『白鯨』"Moby-Dick", 1851年 『ピエール』"Pierre or the Ambiguities", 1852年 『代書人バートルビー』"Bartleby the Scrivener", 1853年 『イスラエル・ポッター』"Israel Potter", 1855年 『詐欺師』"The Confidence-Man", 1857年 『ビリー・バッド』"Billy Budd", 1924年
454 :
蜻蛉の巣 :2008/12/03(水) 16:05:10 0
『タイピー』"Typee", 1846年 『オムー』"Omoo", 1847年 『マーディ』"Mardi and a Voyage Thither", 1849年 『レッドバーン』"Redburn, His First Voyage", 1849年 『白いジャケツ』"White-Jacket", 1850年 『白鯨』"Moby-Dick", 1851年 『ピエール』"Pierre or the Ambiguities", 1852年 『代書人バートルビー』"Bartleby the Scrivener", 1853年 『イスラエル・ポッター』"Israel Potter", 1855年 『詐欺師』"The Confidence-Man", 1857年 『ビリー・バッド』"Billy Budd", 1924年
455 :
蜻蛉の巣 :2008/12/03(水) 16:05:54 0
『タイピー』"Typee", 1846年 『オムー』"Omoo", 1847年 『マーディ』"Mardi and a Voyage Thither", 1849年 『レッドバーン』"Redburn, His First Voyage", 1849年 『白いジャケツ』"White-Jacket", 1850年 『白鯨』"Moby-Dick", 1851年 『ピエール』"Pierre or the Ambiguities", 1852年 『代書人バートルビー』"Bartleby the Scrivener", 1853年 『イスラエル・ポッター』"Israel Potter", 1855年 『詐欺師』"The Confidence-Man", 1857年 『ビリー・バッド』"Billy Budd", 1924年
456 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 16:07:17 0
12発だ
457 :
蜘蛛の巣 :2008/12/03(水) 23:38:27 0
V. (V., 1963):ウィリアム・フォークナー賞 競売ナンバー49の叫び (The Crying of Lot 49, 1966) 重力の虹 (Gravity's Rainbow, 1973) スロー・ラーナー (Slow Learner-Early Stories, 1984) ヴァインランド (Vineland, 1990) メイソン&ディクソン (Mason & Dixon, 1997) アゲンスト・ザ・デイ(Against the Day, 2006)
>>450 松浪信三郎の訳で12月に出るね
どうしようっかな
とりあえず買い。
>>449 >「キルケゴール」か「キェルケゴール」か
関西の研究者はキェルケゴール、関東はキルケゴールと言う説がありますが、
どうでしょう?
ちなみに、当方関東圏ですが、キルケゴールがしっくりきます。
本来の発音は、キアケゴーァでしたっけ?
けつねうどんみたいなもんか
京都ですが、和辻さんからの流れでキェルケゴールらしいです
463 :
考える名無しさん :2009/01/07(水) 05:26:44 O
人間とは何か?
精神である
465 :
考える名無しさん :2009/01/09(金) 00:22:40 0
精子である。
この帰結として、人間は精神と身体とから成りそして人間身体は我々がそれを 感ずるとおりに存在する、ということになる。 (スピノザ エチカ2:13系、岩波文庫上p109)
467 :
巣穴 :2009/01/14(水) 08:52:40 0
468 :
巣穴 :2009/01/14(水) 09:00:43 0
469 :
巣穴 :2009/01/14(水) 09:03:28 0
470 :
考える名無しさん :2009/01/14(水) 09:04:37 0
471 :
巣 :2009/01/15(木) 10:39:36 0
472 :
考える名な無しさん :2009/01/15(木) 10:40:50 0
嬉しくない。自演の荒らしはキ・エ・ロ!!
岩波版の死に至る病を読んでいるけど訳分らんw 一応理解はおいて置いて通読をしているが辛いぜw
ちくまの桝田先生の訳と注で読みなさい。
478 :
天 :2009/01/31(土) 14:01:25 0
479 :
天 :2009/01/31(土) 14:02:09 0
480 :
天 :2009/01/31(土) 14:02:51 0
481 :
考える名無しさん :2009/01/31(土) 14:03:38 0
われらの時代
482 :
考える名無しさん :2009/02/03(火) 16:36:08 0
483 :
考える名無しさん :2009/02/03(火) 16:36:32 0
484 :
考える名無しさん :2009/02/06(金) 19:29:17 0
関係が関係が関係が こればっかり
486 :
正受老人 :2009/02/14(土) 19:13:03 0
>451 「不安の概念」:これはたいした価値はない。 「死にいたる病」これの第一篇三のBのβを自分で体験し 何かのきっかけで悟りを開けば、始めてキュルケゴールの価値がわかる。 同時に19世紀版のダンテのいわれもはっきりと分かる。(岩波文庫)
487 :
考える名無しさん :2009/02/14(土) 19:31:53 0
『死に至る病』はヘーゲルのパロディですから
488 :
正受老人 :2009/02/14(土) 20:10:12 0
>487さん、死に至る病は、へ−ゲルのように形而上学だったかな (ヘーゲルは私は27年前に読んだきりでよく覚えていない)に対して、 明瞭にキリストの使徒だ。パロディでは決してない。 どういう意味で487さんが言ったのかは分からないが 上記の通りだ。こういうことを言うと>487さんは怒るかもしれないが キェルケゴールは悟りを開いているので、ヘーゲルは足元にも及ばない。 ニーチェの創造者の道を読んでみるがいいと思う。
489 :
第2唯物論 ◆BN8ofhI8Eg :2009/02/14(土) 21:12:32 0
>>241 結構な一流大学に上位で入ったのよ
ただでる時はかつかつだったけどね
実際第2唯物論は意外な展開を見せて、なんと人間の生きる意味さえ考えれる難しい理論なのよ
衣食銃を起点とする入門のところだけが単純なだけさ
他の哲学区では生きる意味はちょっと考察できない
実際そういう哲学ってないだろうが
話は逸れたが.温暖化資源枯渇という下部構造はいまや重大だ
影響をあたえないわけがない
490 :
考える名無しさん :2009/02/14(土) 23:22:50 0
491 :
正受老人 :2009/02/15(日) 06:43:15 0
>490さん、お早う。 アホでもなんでもよい。 私は一人でも二人でも良いから本当の人間を求めている。 第一篇三のBのβ(済まないが私は岩波文庫しか持っていない)とは 禅宗でいう大死一番をくぐり、本当の安心を得たときに始めて分かる。 ちなみに私は20歳の冬、大学の期末テスト時に本当に ドスンと心が本当に本来の場所に落ち着いた。 君がもし若ければ禅寺に行くことをお勧めする。 ただし正禅を見抜く眼を持っていればの話だが。 禅寺は厳しいなどと思ったら大間違いだ。 目くら坊主だらけで正禅などと言ったものは一つも無い。 しかしこれを機縁に私に騙される事も無くなるかもしれない。 アホなんてまだマシだ。 私なんぞそれまでの友人には怪しまれるか、自分たちの仲間ではない と彼らの目を見れば分かるような存在になってしまった。 大事にしていた長い付き合いの友人にさえそうだ。 しかし彼らは悪口を言いながらも絶対私を手放そうとしない。 両親、兄弟もだ。面倒くさいから親兄弟は切ったが。 それまで何の問題も無い付き合いだったが、急に私は彼らの 憎悪の的になってしまった。 私が黙っていようが、話をしようが、常に文句を言う。 いや長くなって申し訳ない。 しかしレスをくれるということは何かしろ君がそれとは気付かずとも 君自身の中の本来の面目が目を覚ましたのだろう。 どうかしっかりと他人の言葉に乗っかるだけのつまらない人間には ならないで欲しい。 (いや上から目線でものを言うなとお思いだろうが、その他の 悪口雑言も甘受する)世界一の嫌われ者、正受老人(ちなみにこの人は 白隠禅師の師にあたる)が謹んで申し上げる。
492 :
雨 ◆qsnbXzDRzo :2009/02/17(火) 11:31:32 0
ランペスのライザ(Liza of Lambeth、1897年)田中西二郎訳、北川悌二訳 講談社文庫 魔術師(The Magician、1908年)田中西二郎訳 ちくま文庫 人間の絆(Of Human Bondage、1915)中野好夫訳 新潮文庫、守屋陽一訳 角川文庫、厨川圭子訳 旺文社文庫、行方昭夫訳 岩波文庫、北川悌二訳 講談社文庫、大橋健三郎訳 世界文学全集 河出書房 月と六ペンス(The Moon and Sixpence、1919年)厨川圭子訳 角川文庫、中野好夫訳 新潮文庫、竜口直太郎訳 旺文社文庫、阿部知二訳 岩波文庫、北川悌二訳 講談社文庫、大岡玲抄訳 小学館、行方昭夫訳 岩波文庫、土屋政雄訳 光文社古典新訳文庫 お菓子とビール(Cakes and Ale、1930年)上田勤訳 新潮文庫、厨川圭子訳 角川文庫、竜口直太郎訳 旺文社文庫、 劇場(Theater、1937年)竜口直太郎訳 新潮文庫 山荘にて(Up at the Villa、1941年)※邦題『女ごころ』中野好夫訳、竜口直太郎訳 新潮文庫、 剃刀の刃(The Razor's Edge、1944年)斎藤三夫訳 新潮文庫、中野好夫訳 講談社文庫、ちくま文庫 昔も今も(Then and Now、1946年)清水光訳 新潮文庫 アシェンデン 加島祥造訳 早川書房、河野一郎訳 新潮文庫、ちくま文庫、篠原慎訳 角川文庫 秘密諜報部員 竜口直太郎訳 東京創元社 1956 創元推理文庫、 夫が多すぎて 海保眞夫訳 岩波文庫 2001
493 :
雨 ◆qsnbXzDRzo :2009/02/17(火) 11:32:24 0
信義の人(A Man of Honour、1904年) フレデリック夫人(Lady Frederick、1912年) ジャック・ストロー(Jack Straw、1912年) ドット夫人(Mrs Dot、1912年) ひとめぐり(The Circle、1921年) おえら方(Our Betters、1923年) シェプー(Sheppy、1933年)
494 :
雨 ◆qsnbXzDRzo :2009/02/17(火) 11:33:02 0
読書案内(Books and You、1940年)西川正身訳、岩波新書、文庫 世界の十大小説(Ten Novels and their Authors、1954年)西川正身訳 岩波新書、文庫
495 :
雨 ◆qsnbXzDRzo :2009/02/17(火) 11:33:49 0
要約すると(The Summing up、1938年)中村能三訳 新潮文庫、「サミング・アップ」行方昭夫訳 岩波文庫
496 :
考える名無しさん :2009/02/17(火) 11:34:45 0
赤毛だ
不毛だ
デンマーク語の原書ってそれこそデンマークの出版社にでも注文しないと手に入らないか?
499 :
死 ◆VnPHnO.Nlo :2009/02/20(金) 18:40:42 0
500 :
雀蜂の巣 :2009/02/20(金) 18:41:25 0
501 :
死 ◆VnPHnO.Nlo :2009/02/20(金) 18:42:31 0
502 :
考える名無しさん :2009/02/20(金) 18:43:54 0
死に至る病とは絶望の事である
503 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/20(金) 20:52:49 0
>502 絶望することに絶望する絶望。
504 :
炎のマント :2009/02/28(土) 14:13:17 0
505 :
炎のマント :2009/02/28(土) 14:13:53 0
506 :
炎のマント :2009/02/28(土) 14:14:59 0
507 :
炎のマント :2009/02/28(土) 14:15:40 0
508 :
考える名無しさん :2009/02/28(土) 14:16:44 0
定めには逆らえんぞ
巣の荒らし酷過ぎ
中学三年のときに【死に至る病】を読んで、かるく欝。 距離置いてそれっきりな俺なんだが何かオススメないですか。 入門書的な読みやすいものがあれば有難い。
511 :
考える名無しさん :2009/03/01(日) 19:45:03 0
>正受老人様 第一篇三のBのβ とは? そもそも「第一篇」に「三」という区分が見当たらないのですが…
『死に至る病』が「まんがで読破」シリーズで出ていた
513 :
考える名無しさん :2009/03/06(金) 04:59:22 0
初心者はそこから入るべき? 読んだ人感想プリーズ
514 :
512 :2009/03/06(金) 20:53:40 O
買ってきて読んでみました。 キルケゴールって、はるかむかし高校の倫理で習った程度しか知らないんで、この本が原典に沿ってるのか、まるで的外れなのか全くわからないですけど。 まあ結論として「怖くても、勇気を出して『倫理的な生き方』をしよう」ってことなんでしょうけど、そんなこと言われても怖いんじゃボケ、って感じです。 むしろ勇気の出し方の方を知りたいです。 みんなそれが出来なくて困ってるのに、っていうか。 あと、ちょっと中二なのと、狂言回し役の悩める高校生が、なんとなくエヴァンゲリオンを思わせて嫌でした。 でもまあ、キルケゴールの生い立ちとかヘーゲルとの対比なんかが分かりやすくて面白かったので、まあ買って損したとは思いませんでした。 アマゾンでレビューするなら星三つというところです。
キルケゴールの著作を読んでると、 理解できない部分が多くてめまいがするし、 理解できない自分に絶望して死に至りそうだよ。
516 :
なうやいば :2009/03/12(木) 16:03:32 0
これからキルケゴールの時代がやってくるのではないかと考えています。 キルケゴールが最近脚光を浴びていなかったのは、否定契機として二つ 上げられるのではないでしょうか。一方がキリスト教的実存主義者であること、 他方が日本が近代化をしていたからです。つまり特定宗教を信奉者を 社会一般で受容するのは抵抗があるし、また近代化の過程においては 個人が普遍性の中に真理を見出すので、単独性というのは逆を行くもの だったのです。
517 :
なうやいば :2009/03/12(木) 16:08:21 0
しかしキルケゴールが示したものは、けしてキリスト者となれということでは ありません。彼は信仰を内面性と捉えていますので、気付きの供給はあっても 思想家となったことはない。その意味で彼は哲学者だったのだと思います。 そこで社会一般は彼をキリスト者であることでその権威に左右されず、 彼が示した人間の実存形式の類型を学び取ることが可能なのです。これは 宗教性を相対化しているというところでけして特定宗教の宣伝には ならない。そして近代化を遂げて普遍の中に幸せを見出せない現代こそ、 個人の実存というものが問題になってくるはず。ここにキルケゴールの 時代が来るのではないかの根拠が有ります。
518 :
なうやいば :2009/03/12(木) 16:17:44 0
キルケゴールが示した人生の生き方は、享楽的実存、道徳的実存、 宗教的実存です。古い言葉は社会一般に理解されるように変えました。 特に倫理は社会学のエートスと混同されてしまうので、道徳に変えました。 簡単に説明すると享楽的実存は日常の慣れに対抗して非日常を作り出す ことであり、道徳的実存は民族や国家などの共同体においてその普遍性 の中で正しく生きることであり、宗教的実存はAにおいては自己実現に 幸せを見出し、Bにおいては絶対者を信じて神の命令どおりに生きると いうことです。
519 :
なうやいば :2009/03/12(木) 16:32:19 0
享楽的実存においては、外的なものと内的なものが有ります。外的とは 壁紙の張替えや転居魔やセックスや薬物や暴力などによる非日常の 創出です。しかし外的な対象は有限であるために不自由であらざるを得ない。 内的なものは想像力によって可能性を開くものです。日々起こる現実から 楽しい可能性を想像によって耽溺するので外的対象に依存する必要が無く、 無限に楽しむことが出来ます。しかし現実の自己は温存されたままなので ゲームで現実逃避してもゲーム終了後はそのままの現実が待っています。 人がレジャーで楽しんだ後に覚える虚無感はその為なのです。
520 :
なうやいば :2009/03/12(木) 16:54:32 0
道徳的実存とは、民族や国家などの共同体において個人がその普遍性の中で 現実に正しい選択を行い、結婚や仕事をして幸せを得ようというものです。 享楽的実存では実際に何も選択せずに可能性に耽溺していますが、道徳的実存 では現実に選択するので共同体内で良い立場にあることができます。しかし 外部に存在する道徳的な生き方をしようとしても、否定する自己にまた自己が 付いて回るので、人は成長できません。そして正しい選択による幸せを保証して いたのは共同体内であって、民族や国家の共同性が衰退すると正しさはその 価値を失います。年長者が過去の思い出を根拠に傲慢に振舞って説教をしても、 共同体が衰退しているので誰も相手にしないし尊敬もしなくなりました。
521 :
なうやいば :2009/03/12(木) 17:10:38 0
前近代的な自動的な日常と非日常の来訪や、近代における共同体を 経て人は、単独者としてあらねばならなくなりました。自動運動もなければ 頼るべき普遍性も無い。そこで宗教というものが持ち上がってきます。 宗教的実存Aにおいては、主体性にこそ真理を求めます。享楽や道徳では 自己が温存され続けましたがここで初めて享楽における可能性と道徳に おける現実性を統合して成長に至るわけです。反復に余って不自由さから 自由へと近づき、自己実現をして人は幸せを感じる。ここでは絶対者は 自分の内部にあると信じられており、このことが宗教的といわれるのであって 特定の宗教は無関係です。しかし人間の力は限定されており、結局 完全なる自由の実現は挫折することになります。
522 :
なうやいば :2009/03/12(木) 17:24:47 0
宗教的実存Bにおいては、個人的な単独者が信奉する神の命令に従う ことに幸せを感じます。これはキリストの神でもよければ、奥崎謙三の ゴッドや、酒鬼薔薇のバモイドオキ神でも論理構造は同じです。しかし これは人に説得できることでは有りません。信仰とは内面性であり 非論理的な感情であって、そえゆえに言語化できない絶対性であり、 これは語ることが出来ないのです。このようにキルケゴールは、人生の 類型を示しているのであり、それがキリスト教に騙しこもうとしていたと しても信仰が内面性である以上語ることは出来ず、それゆえに哲学と しての固有の価値があると思うのです。現代という無の深遠の前に 単独にたたされた現代人が、相対化された人生の類型を示されることに 一定の社会的価値があるとおもいます。いかがでしょうか。
>516 >277 さんの解説で概要その通り、というか同意です。でも真面目にいって彼の本は特に、誰でも読めるものじゃない気がする…。 向いてなければ諦めた方がいいです…。 一応おすすめは未知谷•あれかこれか。
著作は年々世界中で増えていく。 すでにこの時代の一人の思想化のモノは、背景を含めると一人の人間が10年くらいかかって読む作業になると思う。 恐らくキルケゴール云々言っている人の多くはロクにヘーゲルを読んでいない。 それでいていけしゃあしゃあと、ステレオタイプのヘーゲル批判をしている人を掃いて捨てるほど見かける。
525 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/04/21(火) 10:28:17 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ
526 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/04/21(火) 10:29:39 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ
527 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/04/21(火) 10:30:58 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ
528 :
ロリータロリータロリータロリータロリータ :2009/04/21(火) 10:32:49 0
ロリータロリータロリータロリータロリータ
529 :
考える名無しさん :2009/04/21(火) 10:33:50 0
電撃文庫創刊に際して
ロータリーエンジン
死に至る病で分からないところがあります教えてください 三 この病の諸根源 A、絶望が意識されているかいないかという点を問題とせずに考察せられた場合の絶望。 a 、有限性と無限性との規定を元に見られたる絶望 の章の中に、次のような表現があります ”自己を無限に、自己自身から解放すると同時に、自己を有限化する ことによって、自己を無限に、自己自身へと還帰せしめること。 自己がそういう仕方で自己自身とならない限り、自己は絶望状態にある。” 何を言っているかさっぱりわかりません 教えてください
532 :
考える名無しさん :2009/04/26(日) 09:33:48 0
意味不明だな。 あえて解釈すれば、今の自己を抜け出して成長し続けることは大切だけど、 だからと言って自分を見失ってはいけないってところか。
噴水をイメージすればいいんじゃないかな
534 :
考える名無しさん :2009/04/26(日) 16:57:23 0
マグロが動くのをやめたら死んでしまうように、 人間の精神も動くのをやめたら絶望の状態に陥るとか。
535 :
考える名無しさん :2009/04/26(日) 21:24:53 0
将棋の棋士の言葉にも似ているな。 棋士は有限の盤の上で無限の手を考える。
ごめんなさい。理解できました。 つまり、自己と言うものは、まだ、つくりはじめたばかりのパズルのようなものなのですって。 極端に簡単なパズルに例をおきますと ピースAとピースBが袋からまず取り出されるのです。 そして、そのAとBの関係がパズル(自己)と言うのです。 しかし、そのパズルは、まだ完成されていないので、 これから、意識的に完成させようとしないのならば、そんなものはパズル(自己)でもなんでもない! と言うのです。 これは何を言っているか、分かってから非常に感銘を受けた文章でもありました。 分かってよかったです!! お騒がせしました
あっと間違えました。 そんなものはパズル(自己)でもなんでもない! ではなくて 自己を意識的に完成させようとしない限り、絶望状態にあるってことです。 たぶん同じような解釈でいいのだと思いますが。 念のため。
ヘーゲルはまだ論理的であろうとする気があるように思うけど キルケゴールはもはやただの文学だな。これ哲学じゃないでしょ
キルケゴールは詩人なんです
>>538 「死に至る病」や「不安の概念」はれっきとした哲学書でしょ。
541 :
炎のマント :2009/05/10(日) 13:24:30 0
542 :
炎のマント :2009/05/10(日) 13:25:23 0
543 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 13:26:10 0
定めじゃ
544 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 13:30:41 O
さだめじゃよほんま
545 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 18:24:23 0
近代の勃興期にキルケゴールの思想が生まれた。 それは近代社会で大いに消費された。 で今や時代はポストモダンなわけだけど、この時代に キルケゴールの思想はどういう意味を持つのだろう。
546 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 03:55:14 O
547 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 10:21:38 0
>>545 今や時代はポストモダン(笑)
あなたは東浩紀でも読んでたほうがいいよ。
548 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 12:08:49 0
>>547 ポストモダン→冷笑→東浩紀
悲しいくらいの脊髄反射だな。
549 :
547 :2009/05/11(月) 12:39:22 0
>>548 545のスカスカの時代総括と空虚な問題提起の方には突っ込まないのか?
ならば、その問題提起に答えてもらおうか。
とりあえず、客観的真理なんぞあったところで糞の役にも立たんという
キルケゴールの姿勢から545は遥かに遠いから、東某の名前を出したまで。
550 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 13:25:33 0
東スレの廃人の愚痴聞いても、何の面白みもないし、無駄な時間を費やすだけ 東スレの廃人ってバカで不細工で暗くてくさくてキモいロリコンの中年童貞ニートだから、 世間から切り離させてしか生活できないけど、 せめて匿名になった時だけは馬鹿にされたくなくて、 くだらない小理屈こね回しながら他住民にからみつく。 哲板の人間なら実直に相手してくれると思ってる。 で、相手には、優秀な論客として扱ってくれるのを期待している。
551 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 14:08:33 0
面白いな。東スレの廃人ってのがどこにいるのか知らんが、 見えない敵と闘ってる高揚感に水を差したくはないから、健闘を祈るょ。 ただ、出来れば他スレでやってもらえるとありがたいかな。
552 :
考える名無しさん :2009/05/11(月) 15:36:15 0
>>551 心療内科の予約、ちゃんととったの?
怖くて外に出られないなら電話とかメールでも診療してるよ?
2chっぽい人たちだなあ… どっちがどうでもいいですよ。 キルケゴールのいう"読者"ってのとは遠くないですか?
554 :
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ :2009/06/20(土) 17:31:48 0
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ
555 :
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ :2009/06/20(土) 17:32:44 0
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ
556 :
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ :2009/06/20(土) 17:34:42 0
にーちぇニーチェニーチェニーチェニーチェ
557 :
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ :2009/06/20(土) 17:36:07 0
ニーチェニーチェニーチェニーチェニーチェ
558 :
考える名無しさん :2009/06/20(土) 17:37:57 0
角川文庫発刊に際して
kierkegaards skrifterは全巻買ったら、いくらするんだろう?
あれもこれものヘーゲル対あれかこれかのキルケゴール。 彼の哲学を理解するには逆説的にヘーゲルを読む必要がある。
ヘーゲルがどんなものを切り捨てて哲学してたのか 考えるならキルケゴールなんて読まなくてもいい
ヘーゲルは生身のキリストの捨象したのだから、キルケゴールとは 生産的な論敵となりうる。 ただしこれはあくまでキルケゴールを哲学者として考えた場合だが。
563 :
考える名無しさん :2009/08/09(日) 10:09:30 O
なんだ、キルケゴールスレあったのか
東洋の中里巧の様な俗物がキルケゴールを研究する可笑しさ。
>>560 >あれもこれも
じゃないよヘーゲルは。むしろあれかこれかだよ。
ヘーゲルかスピノザか
キルケゴールは哲学者だろ。 ましてや、現代に一人も哲学者などいないよ。 他人の知恵で本出してるやつばっかり。それのどこが哲学者なのかと言いたい。
左手=この世的、倫理的 右手=宗教的
『現代の批評』 _______ 『建徳的講話』
↑ 『後書き』 |宗教的世界 | ↓
『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |
『不安の概念』 二階|______『死に至る病』『野の百合・
『哲学的断片』 |倫理的世界 | 空の鳥』
『反復』 一階|(ソクラテス)|
『おそれとおののき』_|_______|___
『あれか、これか』//|審美的世界 |///
//|(ドン・ |///
//|_ジュアン)_|///
地下////////////
『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』
キルケゴール内部は、 2階=宗教的(キリスト) 、1階=倫理的(ソクラテス)、
地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。
参考:
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html
他人の知識を上手く紹介するのもある程度の役割
ヘーゲル『エンチクロペディ』 キルケゴール 哲学 宗教(ソクラテス) /\ _倫理(哲学?道徳?キリスト)__ 芸術__宗教 → 芸術(モーツァルト) 精神哲学\ /__\/__道徳(倫理) /\ヘーゲル体系/\ /__\ /__\ /論理学/\ /自然哲学\ /__\/__\/__\/__\ ヘーゲルでは哲学、歴史がすべてを止揚するが、 キルケゴールでは倫理の問題が中心となりその問題は永遠に残る。
572 :
訂正 :2009/09/15(火) 09:58:20 0
ヘーゲル『エンチクロペディ』 キルケゴール 哲学 宗教(キリスト) /\ 芸術__宗教 → 倫理(哲学?道徳?ソクラテス) 精神哲学\ __________________ /__\/__道徳(倫理) 芸術(モーツァルト) /\ヘーゲル体系/\ /__\ /__\ /論理学/\ /自然哲学\ /__\/__\/__\/__\
更
574 :
考える名無しさん :2009/09/17(木) 22:05:15 O
ゴツーン
ageる決断をしました
577 :
age :2009/09/28(月) 11:32:22 0
あげかさげか
578 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 11:44:18 O
保守は大切ですね。 阪神タイガースよろしく
僕のレギーネ・オルセンはどこに行った?
3D
581 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 02:40:49 0
終局的にはキルケゴールは神に行き着くんですよね。 そこがやはり自分は理解に苦しむ。 みなさんはどう思います?
どうもこうも、それを前提で書いたのでは?
583 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 19:24:00 O
この世に確かなものは何かあるか?
なぜ、このスレで質問する?
585 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 20:21:08 O
586 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 20:35:54 O
幼女は神とかネタでなしにだぞ?
587 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 21:05:41 O
キーワード ヤマアラシのジレンマ→死に至る病
588 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 21:41:00 O
個人は可能だろうか。
589 :
し :2009/11/10(火) 21:47:17 O
まああんまり下手なことしない方がいいよ。
590 :
考える名無しさん :2009/11/10(火) 21:53:29 O
『現代の批判』で取り上げられてる現代社会の描写の 主役はナポレオンだな。 現代は小賢しい分別の時代であるとか何とか。
591 :
考える名無しさん :2009/11/13(金) 12:37:17 0
キルケゴールは悩める詩人哲学者。 ヘーゲルは悟れる宗教哲学者。
592 :
考える名無しさん :2009/11/13(金) 13:04:13 O
かしす
ヘーゲルなんて膨大で難解な著作を記しておいて、人の記憶に 残るのはミネルバの梟くらいだろ。 キルケゴールが広く読まれてるようにも見えないが。
キルケゴールが死んだのは、ダーウィンが『種の起源』を 出版する前年だったかな。『不安の概念』の原罪についての議論を 読むと、ダーウィン以前の世界が少し分かる。 我々にとって(アメリカ人以外は)、楽園追放神話は歴史 ではないが、キルケゴールの時代にあってそれは「単なる」神話では 済まされなかった。
595 :
考える名無しさん :2009/11/19(木) 21:47:39 O
キルケゴールはナポレオン贔屓だが、ニーチェもそうだな。 ニーチェがナポレオンやキルケゴールと違うのはダーウィン後の 世界に生きた点なわけだが。
ニーチェは若い時代に上着の懐に手を突っ込むナポレオン・ポーズ 取った写真あるもんな。マルクスも。 忠誠のポーズか知らん。
597 :
考える名無しさん :2009/11/23(月) 00:50:00 O
チャベスが第五インターを立ち上げるそうだ。 みんな祝え。
チャベスってベネズエラのか 社会主義陣営の崩壊後の現代によくやるよ この人は自分のことをシモン・ボリーバルと同一化しちゃってるね しかし政治の内容は社会主義とはほど遠く 単に貧困層に媚びを売るポピュリズムのくせに
599 :
考える名無しさん :2009/11/23(月) 12:45:54 O
市民革命の精神は圧制からの解放だろう。 貧困層の味方して何が悪い?
現代批判で、フーコーがいったみたいな社会にガス抜きにされた市民みたいなの感じた
「死に至る病」を初めて読んだが、キルケゴールはキリスト教に対する実存的分析が甘いと感じた。 彼は最終段階の絶望を「十字架による神からの罪の許し」を受け入れられない事に対する絶望だとしている。 だが、実はこれは最終的な絶望ではないのである。 この罪の許しに関する部分だが、イエスは「許す者は許され、裁く者は裁かれる」と言っている。 同時に「主よ、主よと言う者が救われるのではなく、神の言葉を行う者が救われるのである」 とも言っている。 つまり、単に「神による罪の許し」という御題目を信じるだけでは救われず、自分に悪を行う 他者を完全に許せる者だけが救われるのである。 自分を客観的に分析する能力を持った人間ほど、「罪の許し」に関する真の意味でのの絶望が生じる。 それは「自分はいくら努力しても他者の罪を完全に許す事はできず、結局、自分の罪も神に許される事 は無い」という絶望である。 実はこの観念が全ての人間の潜在意識の根底にあり、これがあるからこそ、「神による罪の許し」を 受け入れる事ができないのである。 キルケゴールはこの点を見落としている。そして彼自身が実は他者や社会を絶対に許せない人間であり、 いくら「十字架による罪の許し」を観念的に信じても、結局は神に許されず、救われない人間である事に 気付いていないのである。 だが、恐ろしい事に、この段階を進むと、更に新たな決定的絶望に行き当たる。 それは、「他者の罪を許せないのは自分の責任ではなく、もともと人間の精神構造はそのように造られている のであり、それを知りながら、神はワザと人間に新たな掟(即ち、他者を許せという掟)を与えた」 という絶望である。 一見、旧約の律法という重い枷からの開放・救いという名目で与えられた新しい律法こそ、実は人間を更に 深く、決定的な絶望へと追いやる物であるという絶望である。 この次元の絶望と本気で格闘したのは真の実存主義者ドストエフスキーだけだろう。
602 :
考える名無しさん :2009/11/26(木) 00:22:04 O
>>600 市民はブルジョア階級のもんだろう。
フーコーの笑える文章をまた引っ張り出すぞ?
取り消すわ。
>>601 確かに、イエスは「許す者は許され、裁く者は裁かれる」と言っている。
だけど、逆に、「許さない者は許されない」とも言っていない。
つまり、必死に、「許したいけど、どうしても許せない・・・しかし、裁く事はしない・・・」という
立場の人間まで永遠の地獄に引き渡される事はないと思う。
605 :
604 :2009/11/29(日) 15:22:16 0
補足 高校数学で学ぶ「集合と論理」で言うところの “もとの命題が真であっても、その逆が真とは限らない” という論理の基本を踏まえた上で解釈してね。
606 :
凪 :2009/11/29(日) 19:43:47 0
どなたかキルケゴールがルサンチマンについている著書をご存知でしたら教えてください! お願いします(>人<)
607 :
考える名無しさん :2009/11/29(日) 23:51:12 O
このスレ遡ったら『死に至る病』第一部末尾の激情にかられた 一文を引用してあるはず。 「貴様がヘボなのを証明するために私は断固ここに立っている のだ」ってな調子。
608 :
考える名無しさん :2009/11/29(日) 23:57:10 O
出来損ないのような自分を創造した神に対して言ってるのか知らんが。
610 :
考える名無しさん :2009/11/30(月) 00:22:43 O
コルサルのヘタクソな似顔絵に対して言ってるとも解釈は可能だ。 俺もヘタクソな似顔絵描きには容赦はしない。
611 :
601 :2009/11/30(月) 20:51:53 0
>>604 はっはっは〜w気付かれたか。
しかし、「許さない者は許されない」は“逆”じゃなくて“裏”だろうがw
論理学的には
命題A:「許す者は許される」に対し、
逆B:「許される者は許す」
裏C:「許さない者は許されない」
対偶D:「許されない者は許さない」
であり、一般に命題Aが真ならば、対偶Dも真であり、逆Bや裏Cは必ずしも真とは
限らない。
612 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 00:13:52 O
『死に至る病』のその書き損ねの箇所は「自分を含む集合」の 問題を連想させる。ある種のメタ意識だな。
613 :
考える名無しさん :2009/12/01(火) 00:46:47 O
マルクス読んでるとキルケゴールを同時代で読んでたんじゃ ないかと思わせる箇所があってヒヤリとするね。
614 :
転載 :2009/12/01(火) 12:24:53 0
>>606 以下の『現代の批判』の英訳では ressentiment (邦訳では「妬み(ねたみ)」)が使用され
ています。
"The ressentiment which is establishing itself is the process of levelling, and
while a passionate age storms ahead setting up new things and tearing down old,
razing and demolishing as it goes, a reflective and passionless age does exactly
the contrary: it hinders and stifles all action; it levels. Levelling is a silent, mathematical,
and abstract occupation which shuns upheavals."
http://en.wikipedia.org/wiki/Ressentiment#Kierkegaard_and_Nietzsche 「妬みが定着すると水平化の現象となる。情熱的な時代が励ましたり引き上げたり突き落としたり、高めたり低めたり
するのに反し、情熱のない反省的な時代はそれと逆のことをする。それは首を絞めたり足をひっぱったりする。それ
は水平化する。水平化は、なにごとによらず人目につくことを忌避する、ひそかな、数学的な、抽象的ないとなみで
ある。」(『現代の批判』世界の名著p391より)
参考:公共性をめぐって−キルケゴールの批判
http://www.geocities.jp/epcowmjp/papers/Yoshida2008Senmonin-Kierkegaard.pdf "ressentiment "の原語はMisundelse、
"Den sig etablerende Misundelse er Nivelleringen, og medens en lidenskabelig Tid fremskynder,
h
615 :
追記 :2009/12/01(火) 12:27:18 0
616 :
考える名無しさん :2009/12/02(水) 22:14:30 O
ニーチェがキルケゴールを知ってたのはヤスパースの 『理性と実存』(だったかな)にちょっと触れられ てるが詳細は知らない。ルサンチマンはもともと 特別な言葉ではない?
『死に至る病』は「躓き」がどうにも読めなくて躓いた。
618 :
考える名無しさん :2009/12/03(木) 06:31:27 O
キルケゴールて健康診断受けてなかったんだろうな無職だから。
そんな保険制度があった時代なのか?
最期の言葉は「わたしも掃き捨てろ」だっけ わたしを捨て去れだっけ そんな感じ
621 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 23:56:47 O
>>614 水平化された社会とは2ちゃんねるみたいな世界ですね?
622 :
考える名無しさん :2009/12/06(日) 08:27:41 O
>>620 道端で昏倒してるのを見つけられて病院に運び込まれて、
力を使い切ったような調子で、身内に神と和解出来るかと
聞かれて自信に満ちて「出来る」と答えて死んだと中公の
解説にはあるぞ。
ウェイキング・ライフっていうアート映画で、キルケゴールの最期の言葉は「私を捨て去れ」だって言ってたよ
624 :
考える名無しさん :2009/12/10(木) 18:45:28 O
甥のルンに看取られて穏やかに永眠したとネットソースにはあるな。 『ウェイキングライフ』って2001年の20世紀fox作、 ソダーバーグ出演とか、アメリカ的バイアス強すぎだろ。
http://www.youtube.com/watch?v=R2b5sLZGhFw#t=4m15s Waking Life - Sub Español - 9/10
"Kierkegaard's last words were: 'Sweep me up.'"
(A wonderful and haunting quote from the end of Waking Life)
http://www.amazon.com/review/R2T3HV4MAS3ZHK http://www.amazon.com/Waking-Life-Ethan-Hawke/dp/B00005YU1O/ref=cm_cr_pr_product_top Slight correction: one character in the movie says that Kierkegaard's last words were:
"Sweep me up." This quote is, in fact, based on something Kierkegaard reputedly said
a month or so before he died. He was at a gathering at someone's house when he
collapsed physically. As people gathered around him, he quipped, "Let it lie. The maid
will sweep it up in the morning." He soon entered a hospital and died a month later,
apparently of a staph infection. I am not aware of any recorded final words.
http://augustus-young-no-5.monsite.orange.fr/page2.html He suffered a paralysis at a dinner party, winking to his host, ‘Oh, leave it, the maid will sweep it
up in the morning’, and had himself committed to the Royal Frederick Hospital, having drunk the
last bottle of fine wine in his cellar and thrown away his last cigar. A few weeks later he died, still
mildly amused by himself and sympathetic to those who sat by his bed. He died, I suppose, in a
good humour. His last words were, ‘Not to say I’m perfect or completely finished’.
Never particularly strong physically, Kierkegaard became progressively ill in September. At a party at Jens F. Gjødwad’s , he slid from the sofa to the floor, winked, and said to the friends around him, “Oh, leave it―let―the maid―sweep it up―in the morning.”*81 A few days later he collapsed on the street. After a time in his quarters at Klædeboderne 5–6, he was taken on October 2 to Frederiks Hospital, where he died November 11, 1855. *81 Reported by his former amanuensis, Israel Levin, Hr. Cand. Israel Levins Udtalelser om S. Kierkegaard 1858 og 1869, D. Pk. 5, Læg 31, Søren Kierkegaard Arkivet, Kongelige Biblioteket, Copenhagen.
<ボエセンはまた、なおいいたいことがあるか? とキェルケゴ ールに尋ねた。「無い。いやある、みんなによろしく、僕はみんなが好きだ、皆にいってくれ、僕の生涯は一 つの大きな、他の誰にも知られない、理解されないような苦悩だった、と。それは尊大と虚栄のように見えた がそうではなかった。僕が他の人達より良いなんてことは全然ない、僕はそう語ったし、他のことは決してい わなかった。僕は自分の肉のとげをもっている、それ故僕は結婚しなかったまた一般的な諸関係の中に入り得 なかった、そして僕は自分の課題は例外的なものと結論したのだ。僕はその課題をできるだけよく遂行するよ うつとめた、僕は僕を投げ出す摂理にとって一つのボールであった、僕は用いらるべきだったのだ。かくして 数年が経った、そして今や摂理は手を差伸ばして僕を契約の櫃に入れるのだ、それは常に例外的使徒のうくべ き運命なのだ」。ボエセンはまた安らかに神に祈ることができるか? とたずねた。「うん、できる。僕はまず 僕の犯した一切がゆるされるよう、罪のゆるしについて祈る。それから僕は死に際しての絶望から自由となり ますようにと祈る。それから僕は、大変知りたいこと、すなわち死が何時来るかをちょっと前もって知ります ようにと祈る」。そしてそれ等は皆君がキリストにおける神の恩寵を信じ、その許に逃れるが故にだね?「う ん、勿論だよ、その他に何がある?」> (『セーレン・キェルケゴール伝』ヨハネス・ホーレンベーヤ著、大谷長他共訳ミネルヴァ書房p.362-363より)
629 :
考える名無しさん :2009/12/11(金) 21:59:58 O
オマエモナー 中公の解説は伝記に正確なわけだな。
まあ、俺が思うに、ユダヤ教的には、 “神”こそが最初の実存主義者なんだな。 それをローマカトリックを始めとする様々な勢力がギリシャ哲学的な “普遍性”の枠の中に閉じ込めようとした時から教会の堕落が始まった。
思い返すと誰か他人がキルケゴールを語ってんの見ると許せなかったな 自分だけのキルケゴールであって、誰かと共有しなければならないキルケゴールじゃないからって感じで そんなことグダグダ言ってんだと違うのかいキルケゴール
K・レヴィットの図式(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32より) [個人の内面] キルケゴール (主体的実存) /| / | ←/ | [現代思想]/ | [近代主観主義] ニーチェ/____|____ヘーゲル (神の死)\ ← | (絶対精神) \ | ←\ | \ | \| [社会の現実] マルクス (共産主義社会)
ジェッツコミックで死に至る病って漫画でてたけどおもしろかった
634 :
考える名無しさん :2010/04/11(日) 11:47:00 O
「水平化」=「一元論的世界観」 キルケゴールの時代はヘーゲル哲学だったわけだが。
635 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 21:01:30 0
あ
不安の概念
637 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 21:56:53 0
ちょっと、脇から失礼しますが・・・根本的なことを言わせてもらうと 欧米社会は、キリスト教の伝統の上に成り立っているので、イエスに対して 違和感をもたないと思いますが、われわれ日本人の場合はどうでしょうか? 明治時代に内村鑑三の活躍があったり、多くの文学者がキリスト教を受容し たりしました。ですが、結局のところキリスト教は根づかず、われわれは 漠然と天皇制=神道の支配下にあるのではないでしょうか?その、われわれ がイエス・キリストと言われても、こころから共感を感じることが出来る でしょうか?われわれは知的にはいろいろ論ずることは出来るでしょうが 身体レベルでは、日本人であることを止めていないし、止めるつもりも ないのではないでしょうか?
638 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 22:18:39 0
イエス・キリストを信ずるならば、お正月に初詣と称して、神社に行ったり すべきではないですよね。
バベットの晩餐会みたいなのって、なかなか理解するのが難しい
640 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 22:40:56 0
結局、日本の伝統とは集団主義だという気がします。言いかえるならば「和」 の精神、でしょうか。それは、神とむきあうキルケゴール的な個人「単独者」 の思想と対極をなす思想であると言えないでしょうか。思想というよりも 行動原理というべきでしょうが。なぜなら思想という考えかた自体、明治 時代に輸入されたものと思いますから。
昔、一人で高尾山に上った時、金比羅さんを見ながら、 「ああ、やはり習合の後がありますなぁ」とか独りごちて いた爺さんがいたっけ。
「和を以て貴しとなすべし」は仏教振興をやった太子だろ。 神道が整備されたのも、概ね同じ時代だ。 神仏習合の修験道の開祖と言われる役行者の生まれたのは、 太子が摂政をやった推古帝の次の天皇の時代だ。 廃仏毀釈後の近代神道なんて伝統でもなんでもないぞ。
643 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 23:57:16 0
そうでしょうか。現在でも天皇は古来からの神道儀式を継続している でしょう。その意味で伝統は継続していると思います。 いまの神道は、別に仏教を排斥したりせず、共存しているでしょう。 神仏習合は、復活していると見るべきではないでしょうか。 戦前の国家神道が、一時的に逸脱していたにすぎないのです。
644 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 23:58:44 0
そうでしょうか。現在でも天皇は古来からの神道儀式を継続している でしょう。その意味で伝統は継続していると思います。 いまの神道は、別に仏教を排斥したりせず、共存しているでしょう。 神仏習合は、復活していると見るべきではないでしょうか。 戦前の国家神道が、一時的に逸脱していたにすぎないのです。
645 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 00:06:17 0
すみません。操作ミスしました。わたしのパソコンの調子がよくない ようです。
あ、そういやキルケゴールも王政における 自らの臣民としての立場と市民社会的な 意識について、ちょっとだけ漏らしてる。
647 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 00:41:46 0
明治の知識人たちの努力にまかかわらず、ついにキリスト教が根ずくことが なかったのは、民衆たちの草の根保守主義が原因していると思います。 キリスト教を異物と認識してアレルギー反応をおこしたのです。 この日本において、キルケゴールの単独者の思想を理解しようと、 努めても、知的レベルの言語ゲームに留まらざるを得ないのではないかと 危惧の念を持ちます。なぜなら、そのようなうわべだけの言語ゲームは キルケゴールがもっとも唾棄すべきと感じるはずのものですから。
キリスト教も適当に取り込んではいるだろ。島国的ないい加減さで。
649 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 01:04:56 0
キルケゴールのキリスト教観は、キルケゴールが生きていた時代に規定されている。
18世紀、ヨーロッパの土着の宗教を、君が言う異物としてのキリスト教が覆い尽くした時代をキルケゴールは生きた。
キルケゴールの実存的な批判は、
>>647 のようなありもしない過去のキリスト教とキリスト教徒を仮構して、
他者を批判する道具とすることではない。
650 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 02:17:30 0
キルケゴールは彼の著述をとおして、読者が真のキリスト教に目覚める ことをめざしているのでしょうか。私のいいたいのは、たとえキルケゴール の眼からみて、読者たちが堕落したキリスト教徒であったとしても、やはり 彼らもキリスト教の伝統を熟知した人たちであり、だからこそキルケゴール の福音が届く可能性はあったと思うのです。 それに対してわれわれはキリスト教の伝統をもっていない。教会にも通って いない。神仏をあがめている、天皇制の支配のもとにある保守主義者です。 あなたたち知識人は別なのかもしれませんが、すくなくとも大衆はそうです。 そんな私たちにキルケゴールの説くイエスの福音が届き得るでしょうか。 私は大衆の立場から考えています。
キルケゴールは別に伝道者ではないだろ
>>650 もう少し謙虚になりなさい。
あなたは、キルケゴールではないのだから、キルケゴールの眼で、現在社会を眺めることは出来ない。
そして何より、あなたは、あなたが言う大衆の一人に過ぎず、大衆の立場に立つと宣言することさえ僭越なこのなこと。
匿名制のネットで、対話者の素性も知らずに、
>>652 のように「もう少し謙虚になりなさい。」などとレスするのは、われながら、お前が言うな!な発言だと反省する。
改めて謙虚に質問します。
あなたの言葉にある「キルケゴールの説くイエスの福音」とは、どのような言葉ですか?
654 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 07:05:21 0
ええ。あなたの言うとおり大衆の一人だから、「大衆の立場から考えてます」 と発言して、なにか矛盾があるでしょうか? わざわざこういったのは、もしかしたら知識人の方はわたしが描いた日本人、 日本の伝統に縛られた日本人とはちがって、ほんとうにキルケゴールを読んで キリスト者になられる方がいるのかな?と思ったものですから。
655 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 07:15:56 0
652さんを注意して下さって、ありがとうございます。 すこし言い回しが悪かったかも知れませんが、キルケゴールの主張 したい事は「真のキリスト者になる以外に救われる道はない」では ないでしょうか。いいかえれば「真のキリスト者になれば救われる」 という事であり、結局イエスの福音とおなじ考えだと言えるでしょう。
>>651 「キリスト教界にキリスト教を導入する」は、キルケゴールの
有名なモットーだが。
ハクジンどもにキリスト教を教えるのも大変さ。
俺はアジア人として日本人として目覚めたのだ。 西洋人どもが偉そうな顔をするためのダシに されるのは我慢ならん。
658 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 19:22:03 0
それが、大衆的保守主義の一般的な感じかただと思います。 私も、キルケゴールの文章の巧みさに感嘆はしていますが、 自分がキリスト者になろうとは思わないのです。日本人は イエス・キリストを知らなくても長いこと、平和に暮らし て来たんですものね。いまさら異教徒呼ばわりされたくない ですよね。 ただしキルケゴールに関していえば、彼は偉そうな顔をしたい 訳ではない。彼は、びっくりするほどまじめな人間なのです。 まじめさの極北と言っていいほどです。そのまじめさには、私たち 日本人も学ぶべき点が多いかと思われます。
ナチズムを前にしてドイツ共産党が「去勢された巨人」だった ことが露呈してしまったのは、マルクスの思想に根がないこと が原因だったのではないか?
民族的階級意識というのは常にあるのだ。 それは、被抑圧階級民族だけではない。 帝国主義の国際分業という基本政策から、 必然的に生じるのだ。 ブルジョア左翼インテリもどきに保守呼ばわり されたくないね。
661 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 20:21:14 0
あなたが保守主義という言葉に悪い印象をお持ちだとは知りませんでした。 私はけっして保守主義が悪いものだなどと主張している者では ありませんが。「日本人はイエスなど知らなくても長いこと平和に暮らして きた」と言っているでしょう。これは日本的保守主義の価値をみとめた 文章ですよ? それにあなたは私のことをよくご存知ないのに、いきなり左翼呼ばわりされる のは心外だ、と申しあげて置きます。 あなたの660の書き込みこそ「左翼っぽい」と私などには感じられますが。
珍米ブルジョアキリスト教か?
景教のたどった道―東周りのキリスト教 (単行本) 東海聖書神学塾で比較宗教学を教える著者が、中国の景教碑文から、景教の神学と、日本への影響について語る。 『キリスト新聞』に2003年から1年間にわたって連載したものを加筆し、まとめたもの。「景教小字典」「中国とアジアの 歴史略年表」付き。 この本、面白そう。ロシア経由もあるけど。
>>661 君にはドゥルーズの記念碑的処女作『キリストからブルジョアジーへ』を
お勧めする。
665 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 21:45:48 0
わかりました。ぜひ、読んでみます。とても面白そうな題名ですね!! それはそうと、私は、あなたのおかげでとても大事なことを思い出して しまいましたよ! 我ながらあまりのうかつさに笑い出しそうなほどです。 それは、なにかって? いまの所、秘密です。まだ、考えも情報収集も 固まっていない段階なので。でもその内、書き込みますよ。
666 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 21:50:29 0
わかりました。読んでみます!なんだか、とても面白そうな題名ですね?
667 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 21:51:31 0
わかりました。読んでみます!なんだか、とても面白そうな題名ですね?
668 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 21:52:55 0
ちぇ!パソコンの操作ミスです・・・。わたしのパソコンは調子が悪い。
卑屈であることと謙虚であることを一緒くたにしてはいかんよ。 マイスター・エックハルトの伝説にあるだろう。 何も持たない男が「私は王である。私の王国は魂にあり、私は 私の肉を治める」と。
>>663 ICFから宗教板に転がり込んで来て、戦争ネトゲに出かけて、
拉致問題で帰って来て大騒ぎして板落としまくってとか、そう
いう時代だな。イラク戦争にも乗った。
月日の流れるのは早い。
671 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 21:39:20 0
>>663 う〜ん。いわゆる「秦氏(はたうじ)の謎」という奴ですよね。 謎の渡来系氏族で、多くの影響を日本文化に与えた。 代表的人物、秦河勝は、聖徳太子の右腕として活躍。 その正体はじつはイスラエルの一氏族であった・・という。 なにか京極夏彦氏の小説にも出てきたような気が・・。 話としてはじつに面白いが、いかんせん資料がないから実証性はほぼ無い。
672 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 21:42:40 0
ところで、誰か一行目を青色小文字にする方法と サゲ進行にする方法を教えてくださいな・・。 昔は知ってたと思うが、忘れてしまった。
E-mail (省略可) : sage
懲りてない奴が多い。最後までやるさ。 現物を拝みたいもんだな。ソースが「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」(著者:久保有政、 ケン・ジョセフ、徳間書店)ってんじゃ、甚だ心許ない。 京都、西本願寺には、親鸞上人も学んだという景教の、『世尊布施論』があります。現在は公開はしていませんが、 宝物として保管されています。親鸞上人も、景教の書物を読んでいたのです。この『世尊』とはシャカではなく、イエス のことです。 これは中国で、七世紀に景教徒によって漢語に訳された景教の経典です。それが日本にも持ち込まれていました。 内容は、イエスの「山上の垂訓」(マタイの福音書五〜七章)等に関するものです。その冒頭の部分を少し現代語訳 してみましょう。 「世尊(宇宙の主、イエス)はこう言われた。人に施しをするのであれば、施しをする前に、まず神にそれを捧げ、 それからそれを人に捧げなさい。あなたの左手がする施しを、右手に知らせないようにしなさい。あなたの礼拝が、 人に見せるためであったり、人に聞かせるためであったりしないように気をつけなさい。…・・ あなたに罪を犯している人がいるなら、その罪をあなたが赦すなら、聖なる方も、あなたの罪を赦して下さいます。 …・・あなたの宝を地上にたくわえるのはやめなさい。殺人や強盗に略奪されたり、きず物になったりしてしまいます。 あなたの宝は天国にたくわえなさい。そこではこわされることも、失われることもありません。…・・」 『世尊布施論』はその後、アダムの創造と堕落、イエスの降誕、生涯、教え、さらに基督教的救い等についても述べ ていきます。こうした『世尊布施論』を、親鸞が何時間もかけて学んだということは、興味深いことです。
天台や真言も景教の影響を受けてるとか言われるしな。
676 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 22:26:24 0
>>674 ほう。それは確かに興味深い話で、その資料を読んだのが、親鸞だという のも意味深長。日本の思想のなかでは一番、キリスト教に近い可能性の ある・・ 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」のひとですからね。 しかし、物知りだな。 しかし、
ああ、香港の神学系サイトに、『世尊布施論』の話題が出てるわ。 中国語なんだが、やはり山上の垂訓らしいな。
678 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 23:08:22 0
中国語、出来るの?
Yahoo翻訳を付けといちゃる。 福音書に、イエスは同様に何度も「すぐ必然的に捜し出すことができることを捜して、を強調するドアが必ずあなたたちに 与えることができて開を打って」(瑪の7:7−8;道の11:9−10;《景教経の文:1の神論の?の一生尊布施論三番目に》 145;どれだけか黙る福音の94)。イエス「有信徳がすぐ成就可能なことを求める」に対した訓が正義である上に、何度も 提示して、何度も解説する。もし私たちはただユダヤ人の心の態と理解によって奇跡を解読することへ行けば、あんなに して答案は空けて、少なくともあれとイエスは求めて私たちは勉強した福音趣旨は違う。下に私は少しの福音書の引用を 抜粋して、しかし話法と穀の16:15−18にあることは少し相違を点けて、ただそれの精通した義は余程で接近する。
680 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 23:22:39 0
すると地方労働者さんの説に従うと、だいたいこういうまとめでいい? 日本におけるキリスト教の第一次ブームは鎌倉時代初期における 浄土真宗の成立。 第二次ブームは戦国時代から安土・桃山時代におけるイエズス会 による日本宣教。(ザビエル、フロイスら) そして、明治時代における知識人たちによるキリスト教受容は 第三次ブームである・・と。
681 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 23:25:51 0
679は、変な文章で理解できないと思うが。
俺は、確度は高そうだけど一般には余り認知されていない知識を ただ並べているだけだ。
683 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 23:45:33 0
悪人正機説は、確かにキリスト教に非常に近い内省の深さを感じさせる・・。 昔、そう思ったことがある。実際に、資料を見ていたという事が事実である ならば、影響関係は否定し難い・・。
684 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 00:57:23 0
「世尊布施論」のはなしは確かに面白いが、「偽書」の可能性も否定できない。 私としては、「浄土真宗問題」はいちおうカッコに入れたい・・。 定説にはなっていないし、ケン・ジョセフ氏の本も(まだ読んではいないが) トンデモ本扱いになっている。(なにしろ5次元文庫) 一応、定説化された最大のキリスト教ブームであるイエズス会の宣教に ついて、勉強して行きたい。
685 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 01:04:37 0
世には多くの「偽書」が出まわっているので、あるからといって それが「見かけ」通りのものであるかどうか、即断するのは危険だ。
それに「世尊布施論」というテキストを親鸞が読んだというのは いったい、誰の証言であるのか明らかでない。
674の第三節目の冒頭の一行目だが、この情報の出どころがいっさい 記載されていない。
親鸞が景教の教典を読んだことがあると言う話は俺も聞いたことがあるが、 本当かどうかはまぁ今更どうでもいいかな
やはり、親鸞上人が読んだとされる「世尊布施論」と一言で片付けられて いますね。というか、出典はおなじなのでしょう。肝心なのは、その情報の 確かな出処はどこなの?という事なのに。やはり「伝説」の域を出ていない。 ・・しかしながら、景教・秦氏・聖徳太子・猿楽、能楽、雅楽の祖・親鸞 といったきわめて広範な要素を含んだ一大複合体をなしているこの話題に、 古代史・中世史マニアが、熱烈な関心をよせる理由はよく理解できる。 証明は出来ないが、なにか隠された真実があるに違いない・・と信じさせる のだ。
とこで、地下労働者さんは「運命のボタン」というホラー映画を ご存知でしょうか。いま上映中ですが・・。スレ違い!という声 が飛んできそうですが、わたしの考えは、ちと違う。このホラー 映画、かならずしもキルケゴールとまったく無関係とも言い切れ ない・・と思ってるんです。興味ありましたら、御一見を。
西本願寺も非公開にはなってるけど、取り立てて 隠すつもりもなさそうだし、伝承として当たり前のこと になってんじゃねえの? 疑う必要のあるほどの ことでもあるまい。 鈴木大拙は『浄土系思想論』で真宗とキリスト教の 類似と相違を論じているが、たとえ真宗の背後に キリスト教の思想が影響していても、親鸞という 一宗教者の達した信仰があればこそ真宗が生まれ たという事実に代わりはないだろ。
その本、読んでみたいと思って検索してみたけど、ど高い本でとても購入 できる代物じゃないな。大きな図書館に行くしかなさそうだが、自分のいま の環境は、手軽に大きな図書館に行けるような環境じゃないのが残念だ。
伝承は伝承以上のものではなく、事実の保証にはなりえない。 親鸞の時代から、長い長い年月がたっている。その間ずっと そのテキストの存在が隠されていた、などと信ずるよりも、 そのどこかの時点で本願寺のだれかが、かのテキストを入手し、 親鸞の教えとの類似に気づき、伝説を作りあげた・・と信ずる ほうが、はるかにたやすい。 気づく。
どうも入力ミスが多くて嫌になる。わたしのパソコンは役立たずだ・・。
とは言え。 690で言ったとおり、ひとりの古代史・中世史マニアとして (と言うか、いまは日本思想史におけるキリスト教受容の過程 全般に関心があるのですが) このテーマの関連本を何冊か読んでみたい・・と願っているのも ほんとうの所。
・・ところで、地下労働者さんが何歳くらいの方なのか。大学では何を まなばれていたか。お聞きしてはいけませんか。どうも気になるので。 ちなみにわたしは現在、55歳で大学では哲学科でした。
・・でも、ぐうたらだったのでロクに勉強もせず、授業をさぼっては クラブ活動で将棋ばかり指してるダメ人間だったんですけどね。
地下労働者さんじゃなくて、地方労働者さんでしたね・・。どうも失礼。 ドストエフスキーの「地下生活者の手記」が頭にあったもんですから・・。
>>693 公立図書館で予約すればどこからか取り寄せてくれるだろう
時間はかかるが
キルケゴールと親鸞の比較研究は、やってる人は多いし その手の本は結構あるよな 特に真宗系の大学で熱心にやってるはずだが・・・
「キリストからブルジョワジーへ」を含む『ドゥルーズ初期』入手しました。 一読して、正直言って理解できない点が多かったので、そのうち読書会スレを たちあげようかな?と思っています。その際には、地方労働者さんもぜひ、 参加して下さいね。
ひとつだけ、質問させてください。『ドゥルーズ初期』の230頁以下の [注]にしばしば、ibid何頁という項が出てきますが、ibidの説明がどこにも 見当たらない気がするのです。お分かりの方は御教示お願いします。
ibid. = ibidem = 同書
705 :
白髭 :2010/05/29(土) 19:43:34 0
>>704 つまり直前の<注>に出てくる本と同じものを指す、という事ですか。
どうも、ありがとうございました。
706 :
横レス :2010/06/02(水) 03:38:38 0
創成期日本への景教の影響は歴史的事実だし、同祖説は大げさだがユダヤ教の影響も 実証的に説明できる(たとえば諏訪大社の儀式。秦氏の末裔=南郷氏のユダヤルーツ もDNA検査すれば明白なのだが)。 キルケゴールの場合に重要なのは、後者のユダヤ思想の系譜だ(『不安の概念』でも ユダヤ教に好意的だし)。 彼がスピノザ(『知性改善論』に言及している)を読んでいたのは大きいと思う。 ちなみにニーチェもスピノザの影響を受けている。 単独者という概念は「単独」で現れたわけではない。 親鸞に関しても法然を無視すると動機がよくわからなくなる(悪人正機説の原型も あたりまえだが法然にある)。 ドゥルーズの初期論文はウェーバー+ニーチェといった感じ。 よく勉強しているから書けたのであって、これまた「単独」に成立したわけではない。
そういえば「悪人正機」は元々法然の言葉だったという研究結果が出たとか 以前ニュースがあったような
708 :
考える名無しさん :2010/06/06(日) 00:57:12 0
で、『原典訳記念版 キェルケゴール著作全集』(創言社) の訳は どうなんだろう。 書店に寄るたびにチラチラ読んでるんだけど、 チラ読みだとどうにも判断がつかない。 しかし高価だなぁ・・・・・。
つーかまだ完結してなかったのか 去年の秋辺りに13巻が出るとかサイトで言ってた気がするが
710 :
考える名無しさん :2010/06/07(月) 21:18:25 0
その 『原典訳』 の12巻に 『死にいたる病』 が収められているんだが、 「序」 の冒頭 「教化的でありうるためにはあまりに厳密にすぎ」 の 「教化的」 というところに 「建徳的」 という訳語が使われている。 「建徳的」 なんて日本語あったっけ? 大体 訳語として妥当か? 広辞苑には南朝の長慶天皇朝の年号とある。 昔 白水社から全集出てたよなあ。
建徳ってのは教会用語だね 徳を高めるだの、徳を建てるだのそういう意味のオイコドメオーから来ているらしい デンマーク語はさっぱりわからんが、その原典訳曰く、 英訳ではedifcationとかupbuildingと訳されている部分らしいから、 ニュアンス的には間違ってはないと思うんだけど、英語もあんまり自信ないからえらそうな事は言えない
原語のopbyggeは建てるという意味のbyggeと上へという副詞opとからなっているらしい で、日本の文語訳聖書では徳を建てると訳されている こうなると教化的って訳す方が直感的には分かりやすいが、原語には忠実じゃない気がするな
713 :
690 :2010/06/28(月) 21:59:16 0
山田繁夫「法然と秦氏」(学研)がでましたね!
秦氏はチベット系の後秦の末裔とか、色々な説があるから面白いよな ただ、さすがにキルケゴールスレでは微妙な話題だがw
715 :
考える名無しさん :2010/07/01(木) 21:08:09 0
どうい
716 :
690 :2010/07/02(金) 01:17:46 0
>>714 ええ、でも私たち日本人がキリスト教思想家であるキルケゴールを読もうと
いうのですから、日本におけるキリスト教受容史を振り返ってみることは
けっして無意味なことではない、と考えます。
そんなオカルトじみたキリスト教受容史と キルケゴールの目指したキリスト教は繋がらないと断言できる
んなもん読むくらいだったら、キルケゴールの著作を読んで、 聖書と真摯に向き合った方がよっぽど有益だわな
いいね、まっとうな意見
親鸞と景教の関連性を研究するなら無駄ではないが、キルケゴールはちっと無理があるかもわからんね
721 :
690 :2010/07/05(月) 23:15:03 0
スレ違いだというのでしょう。それならそれで、秦氏スレなり、 イエズス会スレ(そんなのあるかな)に行けばいいんでしょ。そうしますよ。 ただ、話は変わりますが、みなさん映画「告白」はもう観られたのかな? あれこそ、キルケゴールスレにふさわしい映画なんですよ。お見逃しのなき ように。
この人の婚約破棄の理由って同性愛? 厳格で信仰熱い父親が神を呪った、父親が前妻生きてる間にキルケゴールの母と姦通した、 家族が次々死に35まで生きられない。キルケゴールは放蕩し、売春婦と純潔汚した。 これらの理由なら別に婚約破棄する理由、あそこまで悩む理由には思えない。 しかし、同性愛者でそのことを婚約者に包み隠さず言えるかといったら無理だろう。 童貞失った話も同性愛者だってそれくらいあるだろうし、 恩師が放蕩を注意したというのも、若者が酒や女で羽目外すのはむしろ当たり前だが同性愛なら辻褄あう。
それはないかな ただのロリコンだろ
ただのメイド萌え
EDでしょ