【都の性欲】色を好むことについて

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1好色一代男
わさび
2考える名無しさん:2005/03/25(金) 05:03:09
ぼくが、恋愛を知ったのは、東大紛争も終わり、就職先も決まって、
学生時代に何か大きな落とし物をしてきたような気分におちいってい
た秋だった。妻は当時十八歳のJALのスチュワーデスでたまたま学園
祭に来たところ(運悪く)ぼくに出会ったわけである。その日から、彼
女の眼はぼくの眼となり、彼女の口はぼくの口となった。恋愛を説
明する程、難しいことはない。それは、「出会えばわかる」のである。
一体、彼女と出会うまで、ぼくは何を探し求めていたのだろうか。そ
れは、自分がそのために死ねる一人の女(ひと)であった。「私は
何者か」という問いかけは、そのために死ねるものが見つからなけ
れば永遠に答えは出なかったのである。ソクラテスは哲学とは死の準
備といい、モンテーニュは「エセー」の中で、哲学することは死すべ
き理由を知ること、という一章をもうけている。
 生の意味を問うことは、死の意味を問うことであったことを、私
は恋愛によって知ったのである。 恋愛は精神的であると同時に肉
体的なものである。セックスは単なる生物的衝動ではなくて、観念
的で形而学的な行為であることは「頭でやる」として、みんなが理
解していることである。
3АБ:2005/03/26(土) 02:28:44
私も色を好む者である。
ただ、それが「好み」である事が、或る浮遊感を伴うのである。
間近に彩度があれば、それに感染するようなニュートラルガイが私なのかもしれない。
私自身染まることはないが反映されるのである。
女性達がその鮮色を発し、街は乱反射で練り上げられたフェロモン海のようだな。
私の胸骨はきしみ、彼女らのストマックが温もるのかもしれない。
そして想うには、ああ透明になりたい。なんちゃって。
4考える名無しさん