◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない32◆
952 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 09:43:11
>>946 因果律を信じない人の心に因果律はありません。
因果律は迷信です。
世の中に確実性の根拠なんかありません。
これまで生きてきた経験による習慣だけです。
わあぁっ!データ壊れたかも。
私、ちょっと休ませていただきます。
>>943 原因に対する結果がある、原因があって結果がある(因果律)
ただ、それと未来が決定しているかとは関係がない。
何故なら原因に対して結果があっても、その結果が出るよう予め決定されていたのか”決定論”、
それとも別の結果も出る可能性があったのか”非決定論”不明だから。
>>950 右上のはそういう意味だったのね〜。
でも残念ながら変わらない@Firefox
IEでは確認できましたけど、
cssnumの値は1で、一応クッキー保存はされている。
…っと、ここのスレで言うことではないな。
スレ汚しすまぬ。
956 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/03/30(水) 10:04:27
>>954 ここの住民には
そういう「バカでもわかりそうな事」から丁寧に説明しなけりゃならないし
説明しても理解できないからタチが悪いよ
一個説明しても、次の事を説明すると、すぐ忘れちゃうしね
どうすりゃいいの?って感じだ
>>956 忘れてるんじゃなくて別の奴が出てきただけだろ。
まとめてテンプレにでもすりゃ、テンプレ嫁で終わる。
まともに議論するスレなら新規参入者用のテンプレは必要だと思う。
958 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 10:10:02
>>954 原因の起きた時点からみた結果の起る時点は未来です。
その未来に起きることがあらかじめ原因によって決まって
いるという原因と結果の対応関係が因果律です。
結果があらかじめ決まっていなければ因果律になりません。
因果的決定論を否定するなら因果律を否定する以外の論法は
ありません。
一寸先のことがどうなるか解らないということは因果律が
解らないからか、因果律を信じていないかのどちらかでしょう。
自由意志があると信じることはすくなくとも心については
因果律を信じないことでしょう。
>>958 量子力学があっても、原因があって結果があるという意味は変わらない。
怖いものが出て来たという原因があって、それに対して、それを見た人の反応が現れるという結果があるけれども、
その反応がどのようなものであるかは決定していない。
>>954 「可能性」というものは、扱う系に対する情報の不足から生じる。
結果に対する可能性だけでなく、原因に対する可能性も論じれる。
961 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 10:24:44
>>959 >怖いものが出て来たという原因があって、それに対して、それを見た人の反応が現れるという結果があるけれども、
だから、そういうのは因果律と呼ばないだけです。
原因と結果ではなく時間の前後する二つの現象でしょう。
因果律はないという立場ではヒュームが有名ですね。
>>959 >その反応がどのようなものであるかは決定していない。
決定していない(=いろいろな可能性がある)のは、系(ここでは人の内部状態)の情報の
不足から、そのように見えるだけというものです。
内部状態が定まれば、反応は決まる(=内部状態の違いが、反応の違いを生じる)
というのが因果律で、因果律に反した現象が観測されたことは一度もありません。
>>962 量子力学は?
情報の不足というより細部が決定していないのでしょ?
「情報が不足」なら「人の内部状態が定まっている」のかどうか
わからないのだから、その反応が
「因果律に合致した現象」なのか「因果律に反した現象」なのか、
観測できるわけないのでは。
>>963 前から言っているように、哲学が物理学に立脚するようなことがあってはなりません。
物理学というものは、論理的に正しいかどうかではなく、
観測結果から予測に使える道具を構築しているに過ぎません。
物理の立場からは「細部が決定していない」なんて言い切ることはとても言えません。
因果関係があるという前提で根源に近づいていき、測定の限界に辿りついたとしか言えません。
>>964 当然わからない現象が数多くありますが、その内部状態を把握するにつれ、
「因果律に合致した現象」であるものが次々に見つかっているわけです。
もちろんその段階では、すべてが「因果律に合致した現象」であるとは限りませんが、
内部状態が解明するにつれて「因果律に反した現象」が見つかったことは一度もありません。
なお、ここでいう「因果律に反した現象」というのは、
因果律に反しているとしか説明がつかない現象のことです。
そんなものはこの世に一度も起こっていません。
967 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 11:23:15
>>966 貴方の言葉の定義で行くなら、
因果律に合致した現象、ではなく、原因があって結果があっただけだよね。
原因があって結果のある現象が次々と見付かってはおりますが、
いまだかつて未来の結果が定まっているという状況が見付かった事はないですよ。
話はあくまで決定論。
>>967 >@(量子の位置がどうあれ)マクロ世界には影響を及ぼさない
違います。このモデルでは外の系を考えていないだけです。
観測するときのように系が開いていれば、当然観測者のマクロ世界に影響を与えます。
もう単純に、俺は何も考えていない状態から右手を挙げることも
左手を挙げることもできる。
「何も考えていない脳の状態」から
「右手を挙げようと意志している脳の状態」にも
「左手を挙げようと意志している脳の状態」にも
移行できる。
量子力学だの大脳生理学だの何だのを総動員して、「原因」である
「何も考えていない脳の状態」を調べ上げて違いを見つけようとした
ところで、「相反する結果」が生じるような違いは見つけられない
のではないか。それは情報が不足というより、そういう決定的な違いは
「ない」と考えるほうが自然ではないのか。
養老孟司も確か同じようなことを言っていた。
971 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 11:51:32
>>969 世界が確率論的にしか「予測」できない・・ということ、と
世界がその確率全部を実現するよう分岐するということには
相当の距離があるような気がいたしますが??
>>968 >いまだかつて未来の結果が定まっているという状況が見付かった事はないですよ。
決定論なんて証明するようなものではないですよ。人間の思考方法の拠所であるだけです。
どれだけ単純で決定的な世界だったとしても、
神が突然介入してきて法則を変えてしまう可能性を我々は排除できません。
しかし、そういった可能性を論じても意味が無いように、
我々は不必要に非決定論を持ち込むべきではありません。
悪魔の証明と同じで、因果に縛られない事象を発見するまで、非決定論は不要です。
>>970 >もう単純に、俺は何も考えていない状態から右手を挙げることも
>左手を挙げることもできる。
できません。
>「何も考えていない脳の状態」
そんな状態は存在しません。死ねばそうなりますが。
何も考えていないと思っている状態でも脳は活動しており、対応する内部状態が存在します。
>それは情報が不足というより、そういう決定的な違いは「ない」と考えるほうが自然ではないのか。
なぜ、そこで急に諦めモードになって下位の学問のいい加減な結果を採用しようとするのでしょう。
例え物理が測定限界に達し、もう確率でしか考えたくねーよ。と言い出したとしても、
その背後にある何かが確率を生み出していると考えるのが哲学の立場でしょう。
哲学が観測機器の測定能力で振り回されてどうするんですか。
下位の学問に立脚することは、下位の学問の間違いを取り込み、
さらにそれを下位の学問に垂れ流すことになるため、あまりにも危険です。
974 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/03/30(水) 12:14:35
>>972 決定論こそ不要なんじゃないの??
一般的に人間には自由意志があって、決定などされていないと感覚的にもとらえている
だからこそ イヤだなぁなどと思っても努力したりするんだよ
それをわざわざ人間も物体であり物理現象によって最初から決定された行動しかする事はないなどと
こじつける必要性などないのでは?
元々、人間の精神が単なる物理現象だとする事すら根拠のない信仰なんだし
キミの言葉を借りるなら
人間の精神は物理現象であるという事が証明されるまでは、決定論は不要です
となるね
>>972 >決定論なんて証明するようなものではないですよ。人間の思考方法の拠所であるだけです。
>どれだけ単純で決定的な世界だったとしても、
>神が突然介入してきて法則を変えてしまう可能性を我々は排除できません。
>しかし、そういった可能性を論じても意味が無いように、
ってのと、同様に、何もかもが説明がつく程に原因の解明が進んでいない状態で因果律を主張しても、
主張の立場は守りきれるし、説明のできない現象の因果が解明されるという根拠の無い希望だけが先立つけど、
それ以上の何ものでも無い以上「人間の思考方法の拠所であるだけ」にしかならない。
それが無意味だということになぜ気づかない?
>>973 「下位の学問」て変だな。別に哲学が他の学問より「上位」だと
思ってる人って、今ではあんまりいないのでは。
それに学問がどうだとかいう高尚な話じゃないの。
たとえば、右手と左手とどっちかを挙げて、相手もそれに合わせる
ゲームがあるじゃない。
あの場合、どっちの手を挙げるかは、どう考えてみたって
「そのときそのとき」に決めて(決まって)いるのであって、
ゲームを始める前の「脳の状態」を全学問を総動員して粒子レベルまで
調べ尽くしたって、「それによって手を挙げるパターンが決まっている」
ことがわかるなんて、到底思えないのよ。量子力学がどうとかいう
話じゃなくて。だからといって外部にそれを左右する未知の原因が
あるとも思えないし。
誰でもそういう実感が否定できないからこそ「自由意志」を無意識に
前提するんじゃなかろうか。
あと、どう言う根拠で
哲学と物理学の関係に上下が成立するのかもついでに答えてちょ。
今や哲学が下だという人はいても、上だという人は生きた化石のような気すらするが。。
>>974 >一般的に人間には自由意志があって、決定などされていないと感覚的にもとらえている
>だからこそ イヤだなぁなどと思っても努力したりするんだよ
倫理とか感情で、論理を構築するものではありません。
>それをわざわざ人間も物体であり物理現象によって最初から決定された行動しかする事はないなどと
>こじつける必要性などないのでは?
こじつけではなく、重要なのは、それを否定する根拠がないということです。
意識と物理現象を関連付ける必要性が何かといえば、それはAIを作るためです。
>元々、人間の精神が単なる物理現象だとする事すら根拠のない信仰なんだし
それは「物」を見下し、舐めているから、そう(根拠のない信仰)思えるのでしょう。
単なるという修飾語からもその片鱗が窺えます。
物の現象の方が偉大だと思っていれば、そのような考えは生まれてきません。
神は遍在する、万物に神は宿るといいます。
粒子一つ一つに意識の元があることを認められないから、
自分等の精神だけは特別扱いしようとするから、そういう歪んだ発想が生まれる。
こういう奴等が将来AIを迫害するんだろうけどね。
>>975 >それ以上の何ものでも無い以上「人間の思考方法の拠所であるだけ」にしかならない。
そうですよ。
>それが無意味だということになぜ気づかない?
それは貴方にとって意味がないというだけでしょう。
因果を探ろうとすることが事象を解明するのであって、
非決定論は、事象の解明に何の役にも立ちません。
>>979 ちょっとまった!
SYN ◆Dgc0R/.dgc って、複雑系とかシステム論とか勉強したことある?
無いよね?
>>976 >ゲームを始める前の「脳の状態」を全学問を総動員して粒子レベルまで
>調べ尽くしたって、「それによって手を挙げるパターンが決まっている」
>ことがわかるなんて、到底思えないのよ。量子力学がどうとかいう
>話じゃなくて。だからといって外部にそれを左右する未知の原因が
>あるとも思えないし。
脳に電極をぶっ差して、この実験をすると、
本人は自由に選んでいるつもりでも、脳の状態と結果に明らかな相関性が現れてくる。
電極を指す数を増やして測定精度を上げれば、結果の予測性が上昇すると思われる。
>>979 >それは貴方にとって意味がないというだけでしょう。
そんな事ないよ。例えば、水溶液中から結晶がどんな条件で析出を始めるかっていうことも
現時点の化学力では確定できない。
この状態で何らかの原因によって引き起こされる!って主張することは別に悪いことじゃないけど、
現時点で到達できない以上、エポケーるしかないでしょ。
諦めるんじゃなくて、保留にせざるを得ないって事。
主張以上の何ものにもなれないんだから、存在意義も薄いっていいたいわけよ。
個人の勝手の域をでないでしょ?
>>982 だから、保留しているでしょう。
↓
どれだけ単純で決定的な世界だったとしても、
神が突然介入してきて法則を変えてしまう可能性を我々は排除できません。
しかし、そういった可能性を論じても意味が無いように、
我々は不必要に非決定論を持ち込むべきではありません。
悪魔の証明と同じで、因果に縛られない事象を発見するまで、非決定論は不要です。
>>981 ちなみに、目に電極をぶっさして、目の前におかれた光電の色との相関関係を調べたところ、
相関関係が無いという測定結果が現時点ではでていますが・・。
少なくとも目に関しては、外部環境から受ける刺激と、目から脳に伝達される電流の相関関係が見出せない。
それでも、現時点での測定能力に限界があるからだって言い張ることはできると思うけど、
だから何?としか良いようがないと思うのですが、どうですか?
>>983 だから、保留するなら、決定論も必要ないでしょって思うわけよ。
脳内主張にとどめて置けない理由は?主張しちゃう時点で保留になってないじゃん?
986 :
考える名無しさん.:2005/03/30(水) 12:46:02
>>978 >倫理とか感情で、論理を構築するものではありません。
便利さで、理論を構築するものでもありません。
真理を求めるのみであります。
>>979 >因果を探ろうとすることが事象を解明するのであって、
>非決定論は、事象の解明に何の役にも立ちません。
もーぐだぐだだね。
未来が決定か非決定かで、何か物事を解明するのに影響があるっての?
しかも貴方いわゆる決定した未来ってのは、多世界解釈の、現実とは似ても似つかないシロモノだし。
物理屋さんは哲学的思考がよく理解出来てないみたいだね。
987 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 12:47:07
哲学は形而上学であり物理学は形而下学だと解釈してる
人が学問の上下を表現通りに思ってるんじゃない。
いまではひも理論のような理論物理学だって形而上学だよ。
科学か非科学かの線引きでいえば哲学は科学じゃないね。
科学哲学はあっても哲科学はない。
論理的思考という観点から見れば、
哲学と数学、論理学がもっとも上位にくるだろうね。
次に自然科学、物理学、化学。
>>986 >便利さで、理論を構築するものでもありません。
>真理を求めるのみであります。
便利さというか、実りがありそうな方向で努力するために、
決定論を採用してるのでしょ?
>>986 俺にはSYN ◆Dgc0R/.dgc氏は物理屋さんには見えないのだが・・?
>>986は何屋さん?良かったら教えて。
>>984 それは単に解明が難しそうな題材を選んでいるに過ぎません。
しかし多くの因果関係がわからない事象は、科学の進化と共に
次々と因果関係が見つかっているわけです。
しかし、明確な因果律に反する事象は、たった一つでいいのに、起こっていません。
理由も無く物理法則を無視して、突然月が逆方向に回りだしたとか、
海の水が瞬間的に突然無くなったとか、そんなことは起きていません。
>>984 >ちなみに、目に電極をぶっさして、目の前におかれた光電の色との相関関係を調べたところ、
>相関関係が無いという測定結果が現時点ではでていますが・・。
ソースよろ。
ていうか、電極刺した時点でその細胞には光が届かなくなるような気もするが。
>>985 過去の存在を仮定するのと同様に、因果律の仮定は現象の解明に役立ちます。
非決定論は不要です。
因果律がないかもしれないというのなら、世界が一秒前に作られた可能性を考え、
世界中の犯罪者の無罪の可能性を謳いますか?まぁ、それもいいでしょうけど。
995 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 12:57:07
決定論か非決定論かなんて同じコインの裏表だよ。
この世は決定的か蓋然(確率)的かの選択だよ。
それだったら確率論は偶然から必然まで包含するから
決定論は不要だな。すべて必然なんてない。
>>976 >ゲームを始める前の「脳の状態」を全学問を総動員して粒子レベルまで
>調べ尽くしたって、「それによって手を挙げるパターンが決まっている」
>ことがわかるなんて、到底思えないのよ。
思うのは結構ですが、猿の脳の一部に電極刺して、
猿がどの決定を下すかどうかをかなりの精度で予測できる、
という論文が幾つかありますが。
>誰でもそういう実感が否定できないからこそ「自由意志」を無意識に
>前提するんじゃなかろうか。
folk psychologyの歴史を少し読めば、
「実感」がどれだけ(科学的には)頼りないか分かりますけどね。
>>994 >過去の存在を仮定するのと同様に、因果律の仮定は現象の解明に役立ちます。
なして?
厳密な因果律が存在しなくても、原因があって結果があるという構図さえあれば、現象は解明されうるでしょうに。
>因果律がないかもしれないというのなら、世界が一秒前に作られた可能性を考え、
>世界中の犯罪者の無罪の可能性を謳いますか?まぁ、それもいいでしょうけど。
哲学者なら、まずはそう考えるでしょうね。
998 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 13:00:50
>>978 >倫理とか感情で、論理を構築するものではありません。
論理も倫理も感情がもとになって構築される。
感情がなければ理性も知性も意志も働かない。
>>986 >多世界解釈の、現実とは似ても似つかないシロモノだし。
特異点を作らず、現実との矛盾が全くないのが多世界解釈ですよ。
特異点と矛盾を無くすために、あんな姿に成ってしまったというのが正しいかもしれませんが。
>>995 >決定論は不要だな。すべて必然なんてない。
で?
確率論を採用してそんな結論に辿り着いて、どうしようっていうわけですか。
1001 :
1001:
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