1 :
考える名無しさん:
自分の意見は「正しい」と思い込み杉。
ってか、そーゆー風な口調で書き込み杉ですよ。
そりゃあ、自分の意見は間違っているから('A`)
なんて言ってたら何にもなりませんがね。
他人に自分の意見を押しつけてる様にしか見えないんですよ。
人それぞれ「生きる理由」だって「幸せの定義」だって違うんだから。
「自分はこういう意見を持っていますが、
貴方はこの意見をどう思いますか」って感じで聞いていくべきだと思う。
と俺は思いますよ('A`)
2 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 09:49:18
2
「生きる理由」とか「幸せの定義」を押しつける今の哲学者って誰?
あと、I thinkがいちいち付いてるのはウザい。
今の国語教育がダメだから
>>1みたいな文章を書くんだろうな。
5 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 09:57:27
今の国語教育が悪いから
>>4は大して意見言わないんだろうな。
6 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 10:04:46
>>1 「人それぞれ」という相対主義と相反に位置するのが、絶対普遍についてを取り扱う哲学です。
意見と哲学は別物です。貴方が言う「哲学」は信念とでも言い換えるのが妥当です。
そんな筋違いなことを言う貴方は哲学を深く知った人でありませんね。
7 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 11:18:14
今の哲学者は、哲学史研究者がほとんど・・・独創的な研究をしている研究者はほとんどいない・・・
8 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 11:42:55
独創性のかけらも無いご意見ですこと
オホホ
9 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 13:52:54
靖幸ちゃんだよ Oh!Yeah!
10 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 14:03:14
哲学なんて、自己中意見のせめぎ合うさ。
11 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/03/23(水) 20:25:47
>>1 自分は、逆に今の哲学者はそうは言わないと思います
公理論を踏まえて条件付けなしに断定しないでしょう
確かに価値観は人それぞれでしょうが
それでも全員完全にばらばらな訳でもありません
「幸せとは愛だ」とか「幸せとは金だ」のような
ある程度は共通する言説に関する
普遍的な考察は、哲学の一つの方法です
だから、人称を使う代わりに条件法によって
局所的な解を述べるという手はあります
つまり、「自分は〜だが、貴方は〜」の代わりに
「もし〜ならば、〜だ」と、自分ならそう言います
12 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 21:44:38
哲学者って何で儲けてるんですか?
まだ、なれる可能性があるうちに知っときたいです。
よろしく
何よりも、このスレタイと
>>1の内容がずれている。
まさかこの板に書き込んでいるのが皆「哲学者」だと
思っているわけではあるまいな。
14 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 00:32:10
いや、まさに哲学者満載だよ
>>11 そんなことはない。今の哲学者、という漠然とした言葉を使ってるスレタイに問題
ありだが、少なくとも現代思想がニーチェ、マルクス、フロイトという疑似科学三巨頭
さらにはハイデガー(疑似科学というのはいい意味でも悪い意味でもだが)を大前提にし
ている限り、分析哲学的な局所的解を述べることを哲学と思っている人はいないと思う。
16 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 14:33:35
>>15 「今」と「現代」を同一視するのかよ・・有り得ねぇ・・。
17 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 14:40:10
「今の哲学者」
「現代の哲学者」
さほど違わんようだが…
1は誰のどの言葉について言っているのか、それが分からないと何とも。
19 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 14:53:46
「今の哲学」
「現代哲学」
全然違う。
20 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 14:56:31
どう違う ?
21 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:03:31
現代哲学は分析哲学、論理学、構造主義以降など、漠然ながらも、
近代から転回が成された以降として捉えられている。
無論ウィトやハイデッガーなどはこれの範疇。「今の哲学」だと本当、「今」。
現代哲学と今の哲学を同義に捉えるなど、モダンと今を同義と捉えるくらい無理がある。
22 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:08:46
モダンは近代
21は詭弁
23 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:09:53
今→○現代
今→×近代
英語圏だと、modernは今を含む概念だよ。モダンと今を同義と捉えるのが無理とは言えないよ。
25 :
☆kiki+ki ゜Д゜♪(2代目) ◆x/cQLuG.4c :2005/03/24(木) 15:12:24
26 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:25:31
現代音楽というのも変な名称だし、どうなのかね、その分類は。
27 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:25:38
モダンと今という言語間に共有領域があるだけで「同義」じゃねえだろ。
現代は「あの頃から今まで」を指す言葉で、今は純粋に「今」であり現状だ。時節の幅が違う。
28 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:29:28
「今」という言葉も、今の瞬間という意味だけじゃないわけで・・・
29 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:29:41
最近のとか今時のってやつか。たとえば誰をあげますか?
30 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:34:59
要するに、文脈によって、語の意味はさまざまだという当たり前ことで、
まぁたとえば、タレスとかヘラクレイトスの話をしたあとに
「今の哲学者」と言えば、ニーチェ、ハイデガーあたりが入ってもおかしくない。
31 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:35:36
>>30 俺は「え?」ってなるけどな。「今」だと。
32 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:36:37
言語感覚は人によってかなり違うからね。
33 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:40:33
普遍性の高い感覚はどちらかという話だろう。
そうした上で、俺はニーチェやハイデガーを「今の哲学者」と言う言語感覚は、マイノリティであり、
「今」の幅を誤って捉えていると思う。それは「今」は現代というよりも「同時代」と言った方が同義に近い。
34 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 15:41:04
ちなみにgoo辞書で「今」を引くと、その中に「現代」という
意味も入っているよ。
>>1 (自分の)意見を正しいと考えることを、一般的に他人への押し付けと理解するのは、
間違いです(哲学と無関係)。また、口調が気に入らないなら、意見を押し付けと
みなしてよい、と考えるのも間違いです。
例えば、「自分の意見」が、「ある人たち(=他人)」を利する内容である場合、「ある人たち」にとって、
「自分の意見」は、押し付けではなく、口調は関係ありません。意見の正しさは、「自分」や「口調」ではなく、
意見の内容にかかるのです。
むしろ、
>>1のように「自分の意見」を正しいとすることを、一般的に他人への押し付けと理解する態度のほうが、
他人に対する自分の意見の押し付けです。なぜなら、そのような理解にたつ「他人(=自分=
>>1)」は、
常に「自分(=他人)の意見」を押し付けと理解することで、「他人(=自分=1)」の意見を通そうとするからです。
議論している最中に「人の話を聞け」とか「相手の話を理解しようとしろ」と注意する人が、自分の意見への承認を、
相手に強要しているに過ぎないことは、極めて多いです(さらに、話を聞いているか、理解できているかの基準が、
注意する側の主張を「認めるかどうか」であったりもします)。
また、「〜貴方はこの意見をどう思いますか」という感じで聞いていくべき
>>1とあります。これは、相手が意見する
機会を保障すべきの意味にとれば、確かに正しい考えです。
しかし、「貴方」の意見を理由無く尊重する態度をとるべき、という意味なら、間違っています。
なぜなら、意見の正しさは「貴方」が決めることではなく、「人(=自分+貴方+その他、意見を知りうる他人すべて)」が
決めることだからです。「貴方」の考え(実体は虚栄心)だけを尊重する態度をとるべき理由はありません。
>>1の間違いは、単数形の「他人」と、複数形の「他人」を、論理的に区別しないために犯されます。
単数形の「他人」の意見を一般的に尊重する態度は、複数形の「他人」(「自分」を含みます)にとって、
自分の意見を押し付ける態度でしかありません。また、複数形の「他人」の立場に立って話せる人など
存在しません(話者は常に単数ですから)。これらを理解しない人が、
>>1の誤りを犯すのです。
おまけに、
>>1の考えの持ち主は、自分の意見に責任をとらないことも多いです。そのときは、、
考え方の一つとして思ったことを述べただけだから、その意見をとるかどうかは、「自分」の責任だ、
と言ったりしますね。いつも自分は「他人」なんですね、こういう人は。
日本語においては、自分・自己より他人の方が偉いんですね、どういうわけか。
いつぞやのバッシングなども、
>>1のような考えが根本にあると言えるでしょう。
良レス乙
38 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 20:12:32
1は早く答えよ
39 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 20:17:06
>>1は哲学を何か別のものとはきちがえてはいないか?
40 :
考える名無しさん:2005/03/24(木) 22:07:00
今の哲学者って例えば誰よ?
41 :
考える名無しさん:2005/03/25(金) 00:01:51
> 「自分はこういう意見を持っていますが、
> 貴方はこの意見をどう思いますか」って感じで聞いていくべきだと思う。
おまいはそう思っているが、そう思っていない香具師もいて、そいつらは
当然そういう感じで聞いて行ったりはしない、というだけの話だろ。
42 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 15:28:50
哲学的認識のコペルニクス的転回はもはや起きないだろうな。
43 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 15:38:01
>>42 アリストテレスの論理学も、千数百年の間そのように思われていたのでは?
>ってか、そーゆー風な口調で書き込み杉ですよ。
ここに書き込んでる奴が哲学者だと思っとるのか。
45 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 15:58:45
オレはいつも正しい。まちがった事がほとんど無いから仕方がない。
正しいことを正しいとして、どこがまずいんだ?
ま、いつも間違ってるおまえらが、それは押し付けだと取りたがる
のはわからないわけではないが・・。
46 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 16:33:55
47 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 16:39:08
自分より正しいヤツが目の前にいる事が許せねんじゃね?
48 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 20:37:12
どうかな?
正しいだとよ、笑わせるっ
50 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 20:56:34
正しいと 相手は具体的反論ができなくなっちゃうんだよな
51 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 20:58:28
学祖ソクラテスの「無知の知」に学びたまえ
52 :
考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:06:14
「無知の知」を持ち出すやつって
ホントに無知なのが多いから笑える
53 :
考える名無しさん:皇紀2665/04/01(金) 13:19:30
自分は「ホントに無知だ」と思ってたほうが精神的に楽だよん
54 :
考える名無しさん:皇紀2665/04/01(金) 13:21:55
間違えた
「自分はホントに無知だ」
こう思ってたほうが「まだまだ沢山勉強することがある、これで一生つぶせる」と思えるもん
55 :
青空:皇紀2665/04/01(金) 13:33:45
>>1 それは
哲学思考者の癖なんじゃないかな?
哲学思考の人の話って普通の人からすれば、わかりにくくてなかなか理解してもらえないから
その気持ちがある故に自分の意見は正しいと主張したくて、そうなってしまうんだと経験的に思う。
もう一つ考えられるのは、あまりにも簡単な話なので正しいに決まってると言うケース。
哲学者からすれば簡単な話だが、一般者からすれば難しい話なので、そんな簡単に自分の意見が正しいと決め付けるなよ。って
>>1みたいに思われるかもしれない。
>>1の言うように人それぞれ生きる理由や幸せの定義がバラバラだからこそ思考もバラバラ。
だからそこを注意する
>>1は矛盾しているようも見えないこともない。
56 :
青空:皇紀2665/04/01(金) 13:35:25
×ようも
○ように
ひとつずつキー入力がズレタヨ。。
57 :
ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 05:23:56
muchimuchibodyを忘れるべからず
どうでもいいが
>>1よ。
「今の哲学者」は
「この板の住人(とくに知識がありそうな人)」
の間違いではないのか?
59 :
ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 12:10:37
日本に哲学者なんていたか?
俺だよ俺
61 :
ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 16:53:08
いつから豚を哲学者と呼ぶようになったんだ?
皆、
何となく自分の不安を抱えていて、
それを気にしすぎると何も言えなくなるから、
「自分はこういう意見を持っていますが、貴方はこの意見をどう思いますか」
というのは省略しているんだよ。
63 :
十二使鳥:2005/04/02(土) 18:43:09
天と地がひっくり返ろうとも俺様は正しい。
ゆえに、
「自分はこういう意見を持っていますが、貴方の意見はどうでもいい」
64 :
ローカルルール審議中:2005/04/03(日) 15:01:58
それくらいたくましいほうがいい。
いいわけないだろ
いや、いい。
駄目
68 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 18:12:45
うんにゃ
いいよ
70 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 20:45:56
日本の今の哲学者では梅原猛氏の本を読みました。
あと、ダライ・ラマ猊下の本を読みました。彼はいわゆる哲学者ではありませんが
彼の説く仏教哲学とでもいいましょうか、あれは、人種国籍性差を越えて正しいと思いました。
>>70 それは哲学じゃなくて思想じゃないのですか?
72 :
ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 22:24:18
科学的哲学
74 :
考える名無しさん:2005/06/03(金) 03:47:14
>>59 浅田彰氏の「構造と力」の最初の30ページでも読んでみなさい。分かるかな?分かんねーだろうなー。
75 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 17:10:30
76 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 23:33:23
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77 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:50:22
「オレの意見は間違っている」という主張は果たして正しいのか間違っているのか?
もし、この主張が間違っているとするとオレの意見は正しいということになるし、もしこの主張が正しいとするとオレは間違っていないことになる・・。
クレタ人にでも聞いてみるか・・。
78 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 02:22:10
79 :
考える名無しさん:2005/09/03(土) 07:41:55
>>76 なるほどな。
確かにお前のデリダ批判は至極まともなものだと思う。
だが
>wぷプワラワぷっwwぷっwwwwww
ここにお前の矛盾がある。
なぜデリダが神秘主義者なんだ?
そこを詳しく説明しないと誰もお前の意見に納得なんぞしやしないぜ。
80 :
凡人:2005/09/03(土) 11:55:30
哲学者に限らず哲学を志す者の全てが本質からかけ離れて居るのではと思っています。
人の心の仕組みを模索中の者を哲学者と名称を付けるなら人類の行為に疑問を持ち、
それを明かしたいと考える者の全て哲学者と呼ぶ事も差し支え無いと思います。
心は【覚え、学んでも淘汰できる事象では無い】のに哲学と名称付けをした所に蒙昧社会を
司る者達の悪意が隠されて要ることも事実です。
何故なら大衆が心の仕組みを解き明かせば陰湿な人類史を支配してきた蒙昧社会は一気に
崩壊の道を辿り人類が長年、待ち望んだ平和な啓蒙社会に幸転をするからです。
81 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 05:25:27
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82 :
考える名無しさん:2005/10/04(火) 05:35:48
こいつほんときもいよ。
>>80 2chで宗教の宣伝すんなっつーの。
>>59 西田幾多郎はそういっていいんじゃないの。
84 :
凡人:2005/10/07(金) 17:00:17
哲学の真意は物事の理を悟る事に有りますが心の創りだす諸々な事象をお話しすると宗教と間違えられます。
何故なら宗教は過去の賢者達の意識を盗用し利益団体の都合よく組み替えた為に宗教を信じる者は物事の理を悟る事
ができず、人の心の真の仕組みを宗教と勘違いして否定する者も物事の理を悟る事はできません。
人は長年、力を崇拝する蒙昧意識が作り出す心の檻の中で暮らして要ると自由の扉を開いても持ち前の猜疑心が邪魔を
して狭い意識の檻の中からでる事を恐れます。
>>82番さん、自我を抑えて静かに物事を判断をし常に己の良心と対話を繰り返し物事の理を悟る事を心がけて下さい。
85 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 21:37:24
>>84 お前さー
そのホームページ、自己啓発セミナーじゃんかよ
今時そんなんに引っかかるバカいねえってwww
86 :
凡人:2005/10/08(土) 16:22:56
>>85番さん
貴方の大切な人生を無駄に消費しない為にお伝えしているだけでセミナーと関係ありません。
貧しい言葉の一言一句は貴方の未来に現実として現れますのでお気おつけに成った方が宜しいですよ。
哲学の道は純粋な目的と純真な心を必要とし二つの条件が欠落すれば愛智を会得する事は許されません。
自我に囚われ耳を持たぬ者が多い中、他の誰も伝えてくれない意識を貴方の良心と対話を繰り返し吟味
し事実確認をして見たら如何でしょうか?
87 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:32:05
>>1 たぶん文章を書く動機が
”ぼくのこと理解して!!””ぼくすごいでしょ?
こんなすごいこと気が付いちゃったよ!”
”これはオレがこのオレがはじめて見つけたんだ、
どうだ?すごいだろ?”とただ自分の自尊心を見たし
他の作品との優劣を競ってるにすぎないからだと思う。
むかしの偉人さん達は、切実に
”世の中を変えなければ、なんとかしなければ、このままでは
まずい”と作品はあくまで世直しのための命がけの手段であった。
88 :
考える名無しさん:2005/10/09(日) 01:20:56
「無知の知」を持ち出すやつって
ホントに無知なのが多いから笑える
って言い出す人間が
自分の無知を認識できていないのが憐れだ
89 :
考える名無しさん:2005/10/09(日) 16:25:04
そもそも今の哲学者なるものの
厳密な定義を提示されていないのに
90 :
考える名無しさん:2005/10/09(日) 16:26:52
正しいと思わなきゃ行動できないのよ。もうそこは決意の問題であって。
91 :
考える名無しさん:2005/10/25(火) 00:17:45
>>89 しかし我こそ哲学者と自負する人間はくさるほどいるわけだよ
92 :
素人の質問:2005/10/29(土) 23:48:47
>>1 ところで今現在、哲学者っているの? 哲学研究者で無くて。
いるとしたら誰。 出来れば、私が調べ易いように日本人で。
日本には哲学研究者すらいないといえよう
94 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 00:41:40
>>93 では、日本でなくても良いです。
ただし、著作物が日本語で読めればww
95 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 22:22:14
ボブサップ
96 :
考える名無しさん:2005/10/31(月) 12:04:14
>>95 ?? そんな名前の哲学関係者がいるのか?
ビーストはワシントン州立大の薬学・社会学を専攻したとなっているのだが。
97 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:25:18
>>79 笑止の極み。
_,,;::-―ー-:;:,,、
/'''''' '''''':::::::\
|::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|
| .:"ー=〓=-'`:::: |
\ `ニニ´ .::::::/
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
: | '; \_____ ノ.| ヽ i
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | |
言うなれば私は、私の天才的知能により誰もが持っている「内なる世界」
とでも呼ぶべき世界を、常人より遥かに優れた形で構築してしまっている。
その世界は既に外界のそれに迫り、一部では遥かに凌駕してしまっている。
98 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:31:50
>>92 大学の哲学教授は全員、現役の哲学者です。
教えているだけでなく、本や論文の執筆、学会、会議など
一般人の知らない世界で活躍しています。
あるときは
A:「私はこうだと思います、あなたは?」
B:「私はこうだと思います。」
A:「いいえ、それは間違ってます。私はこうだと思います。」
B:「自分の意見は正しいと思い込み杉」
あるときは
A:「私はこうである。」
B:「自分の意見は正しいと思い込み杉」
100 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 11:08:40
>>99 通常、哲学論議では相手の意見が間違っていると指摘する時は必ず
どこがどう間違っているのか論理的に説明しなければなりません。
ですよね。
ほんと
>>1みたいなガンコな人には困ります><
102 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:03:50
生きる理由や幸せの定義を押し付けるのは宗教家や精神世界の「グル」です。
フランス人で哲学科をでた「もの書き」が金稼ぎに軽目に書いたのの翻訳をよんで、哲学書を読んだと思っていませんか?
103 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:07:39
104 :
102:2005/12/20(火) 12:09:30
男だよ
105 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 12:14:07
女が哲学やると1を大抵言い出すね。
あと大学入学するあたりから「彼女のできたオトコノコ」w、家がサラリーマンで自分も就職しないとヤベェって奴。
106 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 21:46:20
ある哲学者が言っていた『欲望とゆうものが成功へ導く原因になる』とゆうのは分かるけどW.ダイアー氏は『金とか物などの執着を捨て去れ、こだわるな』と言っていた‥これって矛盾してるじゃん?
引用のときは、一重カギカッコで。
二重カギは、引用内引用か著書名を表示するときに使う。
「とゆうもの」ではなく「というもの」
異なる体系を有する人物同士の意見が対立したとしても矛盾とはいわない。
108 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 08:20:53
なるほど(;-_-+
弁証法では、対立こそ総合に向かうからね。
110 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 10:21:18
111 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 03:14:20
112 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 04:01:05
哲学を知らんようだね?
r'"⌒ヽ
/◎ω ◎\
,____/ヽ -==- /
r'"ヽ t、 ヽ___/
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
,ハ ,ィ' ,;-ゝ、
/ミ`ーt!,_,ィ-‐彡''"^ヽ
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l t:::::::::::/ ノ /
l! `'T7′ / /
113 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 04:36:11
114 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 22:32:23
むしろ愛子様が北欧のイケメンと恋愛して
皇族にルックスのよくなる要素を加えるべきだね。
平沼とかいうじじいが最も血管ぶち切れになる事態だけど、俺はその方がいいと思うね。
115 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 06:45:11
116 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 10:35:20
大学の哲学教授は全員、現役の哲学者です。
教えているだけでなく、本や論文の執筆、学会、会議など
一般人の知らない世界で活躍しています。
まったく無駄に時間を費やしてるわけだな
仕事ってのはみんなそんなもんだよ
119 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:45:12
>>116 認知科学や、脳関連の科学の進歩は目覚しい。これらの成果を取り込んだ新たな思潮を,と思うけど、旧態然として何の変化も見られない。
120 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 22:55:50
トクワン
121 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 01:52:50
>>116 実態としては哲学者じゃないわな
古典を教育する人ってことだね
122 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 14:50:55
そもそも大学で教える側だからって何で学生の哲学以前のションベン臭い期待にまで応えないといげないのか分からない
>119
現象学の授業で脳科学とか認知科学と話絡めてたよ
124 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 20:58:44
>>119 それを「旧態」と見るか、
「哲学とはそもそも脳生理学とは無縁のものでなくてはならない。
進歩云々の問題じゃない」と見るかは
意見の分れるところ。
試しになぜ、哲学に脳生理学の進歩が加味されなくてはならないのかを
ざっと説明してみてほしい。
125 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 21:35:30
認識論一つとっても一目瞭然とおもう、。加味なしの説明は笑えてこないか?
126 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 21:51:09
なお、ライプニッツ、デカルト、皆、当代、第一級の科学者だったはず。
科学と哲学の分離はカントからとか?
127 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 23:09:39
> 認識論一つとっても一目瞭然とおもう
一目瞭然と思わない人がいるからこそ「それは"旧態"と呼ばれるべきでない」と
考える人がいるんだろ?
それに対して「一目瞭然とおもう」だけじゃ、何の説明にもなっとらん。
「なぜ自分は一目瞭然だと思うか」を説明しない限り、発言する意味がない。
もう少し相手に通じる議論をしろ。
128 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 23:11:15
すまんちょっと訂正しておく
「なぜ自分は一目瞭然だと思うか」を説明しない限り、発言する意味がない。
↓
「認識論のどこがどう一目瞭然に脳科学を必要とするのか」を説明しない限り、発言する意味がない。
129 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 23:13:26
哲学をかじった科学者はいい仕事をするが、
科学を知らない哲学者はアホな物書きにしかなれない。
130 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 11:38:50
猿真似の受け売りと縄張り監視(学会、会議、云々)だけに忙しくて
>>116、自分の脳を使って哲学しようとした経験がないのかな。
それをやってれば、一目瞭然、自己の意識現象に直ちに突き当たることを知っているはず。
大脳生理学を加味しない心身問題なんて意味があるのかな。
131 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 11:41:53
そして心身問題を離れた認識論なんて。
132 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 11:43:23
養老だの何だの本や雑誌記事なんかを見る限り、
それを加味すると哲学的に何か新しいことが出てくるようなものは、
現在の脳科学にはまだなさそうだと思うんだが、どうよ?
133 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 11:47:28
最近の脳科学のこういう発見が、こういう哲学の問題に新しい観点を提供している
っていう具体的な話をしてみてくれ。
134 :
考える名無しさん:2006/02/25(土) 23:49:46
杜玖椀宮家を敬わない学問なんて意味があるのかな?
135 :
哲学者:2006/02/26(日) 00:12:18
136 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 00:18:04
杜玖椀ネタつまらんよw
137 :
不敬罪許すまじ:2006/02/26(日) 00:28:45
伏見宮・男系優先皇位継承順位(皇太子殿下と同世代以下限定)
1.賀陽宮家:章憲王系男子2名(小学生)
2.杜玖椀宮家:朝融王系男子3名(未婚2名)
3.朝香宮家:直系男子1名(既婚)
4.東久邇宮家:盛厚王系男子6名(乳児1名)
5.竹田宮家:恒徳王系男子5名(未婚5名)
伏見宮・女系血縁優先皇位継承順位
1.東久邇宮:昭和天皇第一皇女成子内親王及び明治天皇第九皇女聰子内親王の子孫
2.竹田宮家:明治天皇第六皇女昌子内親王の子孫
3.杜玖椀宮家:明治天皇第八皇女允子内親王の子孫
4.久邇宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫
5.賀陽宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫
138 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 00:38:33
>>138 しらん。
とにかく、俺が言いたいことはだ、杜玖椀を敬えってkと。
140 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 07:58:41
パイパンにしろよ
1 :名無しさんの主張 :2006/01/22(日) 19:32:36
なんで日本の女って毛モジャモジャのマンマにしてるのよ
パイパンにしないからだめなんだ
2 :名無しさんの主張 :2006/01/22(日) 19:39:20
ニンニン
3 :伊井加玄西郎 ◆/oPh/.5i4M :2006/01/22(日) 19:40:27
漏れも嫁さんに頼んだけど断られた(涙)
>>116と全く同じ書き込みがウチのブログにあった。立命から。
143 :
考える名無しさん:2006/02/26(日) 09:09:22
各時代、その時代の基礎とみなされるものをGrundとして、いろいろな現象を把握しようとしてきたのが学問だと思う。
21世紀、意識・感情・記憶・言語などの実在的基礎について、十分な根拠を持って脳科学が立ち現われてきた。 哲学者が対象としているはずの広大な脳活動の解析とこれらとの関係、
完全にOverlapなんてはずはないにしても、この関係そのもの、をどう哲学的に位置付けるか。思考など高度な脳活動の、脳科学との直接的な橋渡し
(専門家で無いので具体例は知りません
>>133)はまだ先の問題としても、少なくとも両者の関係についてどのような哲学的問題意識をもつべきか。
それが無縁とする意見(
>>124)の存在そのものが部外者にとって奇異。素人に分かるよう説明してください、
>>138さん。
144 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 06:39:47
そこで杜玖椀哲学ですよ
145 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 15:24:34
>>143 そういう漠然とした関係でいいのなら、現在、心身論を論じている哲学者はみな
脳科学を念頭において考えているとは思うけれど。
今の学問の最先端は量子論です
後スモールワールド理論もいい
この二つ押さえておくといいよ
俺が言うんだから間違いないよ
言い切れる
2ちゃんねらーは馬鹿ばかりだからカーネギーの成功哲学でも読んでおけばいい
148 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 16:46:43
哲学者が脳科学を念頭に置くより、
脳科学者が哲学を念頭に置いた方がはやいんじゃないの?
脳科学は「念頭に置く」なんていうものでは済ませられないdetailとの
接触をもっているけど、哲学の議論の細部ってそれに比べたらはるかに
切実さを欠いている(同じ土俵で言葉を交わす他人から否定されること
はあっても、事柄や身体そのものに否定をつきつけられたりはしないよね)。
枝葉末節を無視して要点だけ押さえる(つまり「念頭に置く」)くらいで
十分なんじゃない?
脳科学者をもっと増やして哲学者を減らすべきだ。
150 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 22:43:28
たとえば、心身論についても、いくつもの説や論が提出されています。
哲学者の見方も、結構広く見ているので、脳科学は複雑の極みとして、認知科学やAIの人間には役に立つ。
ここで生身の哲学者に、具体的に、この新しい観点からの自説、自論を語って欲しかった。
151 :
哲学教授:2006/02/27(月) 23:27:27
そこで量子哲学じゃよ
152 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 23:54:50
↑どうやら哲学を半端に齧ったようだなww
153 :
127:2006/02/28(火) 00:09:24
>>130 何度も言うが、あなたはただ「一目瞭然」と繰り返すたけで、
どこがどう瞭然なのか、全く説明していないんですけど。俺の言ってることわかる?
>>143 > それが無縁とする意見(
>>124)の存在そのものが部外者にとって奇異。
奇異かどうかは知らんけど、哲学としては普通だと思うよ。
何でもいいが例えば西田哲学なんかの立場だとね、
脳の科学を含む心理学・生理学っつのは、身体と環境とからどのように経験が生じるのかを
明らかにするものだと思うんだが、実際にはまず始めに我々の経験というものがあって
そこから身体とか環境というものを考え出しているわけだ。
我々は直接「物」を知るのではなく、あくまでも経験を通してのみ知ることができるのだから。
そうすると、上記のような意味での脳科学とか生理学ってのは哲学にとって第一義的に重要なものではなく、
あくまでもまず、「経験」からどうやって身体や何やらが出てくるか、の方が根本的な問題だ、
ということになる。
或いはもっと新しく言語哲学なんかだと、
やはり身体から経験が出てくる過程を論じる以前に、
まずその「身体」とか「経験」とか「主観」とか「客観」とかいうことが、
言語によってどのように捉えられるかを明らかにしなくてはならない。
哲学にせよ脳科学にせよ何にせよ、我々が何かを考える際には必ず言語によらなくてはならないからね。
そういう意味で、やはり脳科学は哲学にとっては第一義的には重要な問題ではなく、
その前に、正しい認識とは何か、とか科学はどのようにして成立するか、とかいうことを
まず言語に即して考えてゆくことが重要だ、ということになる。
いずれにせよ、少なくともある種の(例えば上記のような)哲学的立場では脳生理学は何ら根本問題にはならない、
というのは上記のように明らかであり、もしあなたが哲学に脳生理学は絶対に必要だ、と主張したいなら
これらの立場が全て誤りであることを示さなくてはならないと思う。
(別に示さなくてもいいが、少なくとも自分の中ではそれらの立場を明確に否定できてないといかんと思う。)
>>127 > 我々は直接「物」を知るのではなく、あくまでも経験を通してのみ知ることができるのだから。
> そうすると、上記のような意味での脳科学とか生理学ってのは哲学にとって第一義的に重要なものではなく、
> あくまでもまず、「経験」からどうやって身体や何やらが出てくるか、の方が根本的な問題だ、
> ということになる。
観念論にすぎんな。あなたは考察すべき対象とその対象を考察するための
方法とを混同している。「第一義的に重要」なのはやはり世界がどうなっているか、
人間とは何かということであって、その方法こそ二義的なものだ。
> 哲学にせよ脳科学にせよ何にせよ、我々が何かを考える際には必ず言語によらなくてはならないからね。
> そういう意味で、やはり脳科学は哲学にとっては第一義的には重要な問題ではなく、
> その前に、正しい認識とは何か、とか科学はどのようにして成立するか、とかいうことを
> まず言語に即して考えてゆくことが重要だ、ということになる。
これも考察すべき対象とそれにアプローチする方法を混同した新しいが同じ
形の観念論だ。近代認識論の難点を克服したかにみえるいわゆる言語論的転回
以降の哲学も、舞台を観念から言語に移しただけで結局は同じ堂々めぐりを続けている
にすぎん。
哲学者が観念的に考えた抽象的な「経験」とやらから
「どうやって身体や何やらが出てくるか」という問題設定をしてしまった時点で
もうほとんどどういう答えが出てくるか、その方向性はほぼ決定してしまっている。
言語哲学も結局はカントやヘーゲルと同じ轍を踏んでいるではないか。
「経験」がもたらす真の豊かさが決定的に欠けているんだよ。
脳科学者の認識論が哲学的に素朴だろうとなんだろうと、
頭(観念や言語)の中だけでぐるぐるまわってるだけの哲学よりははるかに
マシだ。
結局、観念論が正しいか実在論や唯物論が正しいかなんてことをいくら「根本的」に
問題にしたって決定的な答えなど出てこないし、
●●の中にいるものが「●●からいかに△△が出てくるか」ということを
問題にしてその道筋をいくら説明したって、それが本当に△△に届いているか
なんてことは●●の中にいる我々には知りようがない。
「根本的な問題」なんてものがもはや「根本的に」不必要なんだよ。
脳科学の対象が所詮は間主観的に構成された「仮設」にすぎないのだとしても、
その不純な「経験」がもたらすものは、哲学者が頭で考える純粋な「経験」
よりははるかにマシなものだ。
156 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 02:50:13
生物学的生きていく上では不要とも思われる哲学的思考。
哲学してしまうのも、人間の脳の構造によるのか?
果たして哲学とは、何じゃ?
157 :
今野哲也:2006/02/28(火) 03:16:39
人類全員が一方向に走って絶滅しないために、バランスをとるための
メタ認知の機能が脳にあるんじゃろ。大昔は、その機能が狩や集団生活に
生かされていた。
しかし古代文明が発達し、食い物に困らない暇人が発生した。暇人は
疑いや反省ばかりしても生活できた。暇だから。そのうちに、この
暇人は、賢人の哲学者として尊敬されるようになってしまった。
158 :
127:2006/02/28(火) 11:59:18
>>154 えっとね、
>「第一義的に重要」なのはやはり世界がどうなっているか、
>人間とは何かということであって、その方法こそ二義的なものだ。
少なくともこのような立場から見れば、
哲学というのは科学やその他の「世界がどうなっているかを考察する学問」の
成立の根拠を問うものである、ということになる。だからあなたの言っていることは、
「哲学なんていうのは他の科学ほど重要なものではない」ということでしょ?
で、まあ哲学が重要か否かはとりあえず置いておくとして、
少なくとも、だから「哲学に脳科学が必要だ」ということにはならないと思うよ。
それは論理を混乱している。
>言語哲学も結局はカントやヘーゲルと同じ轍を踏んでいるではないか。
>「経験」がもたらす真の豊かさが決定的に欠けているんだよ。
あなたの言うのは、
「哲学は世界の内実について考察しない→それらは観念論に過ぎない」
ということだ。それはあたかも、
「理論物理学は我々が社会でどのように生きるべきかについて何も答えを出さない
→理論物理学は無意味である」と主張するのと同じで、
批判する対象を間違えていると思う。
繰り返してすまんが、
「哲学が<世界についての何かの知識をもたらすもの>ではなく
<知識の根拠を問うもの>であるのなら、そんな哲学に意味はない」とあなたが思うのなら、
まあそれはあなたの自由だ。
しかし少なくとも、どう考えても、だから「哲学に脳科学が必要だ」という結論にはならんと思う。
159 :
127:2006/02/28(火) 12:07:39
ついでに言っておくと
>>155 > 結局、観念論が正しいか実在論や唯物論が正しいかなんてことをいくら「根本的」に
> 問題にしたって決定的な答えなど出てこないし、
> ●●の中にいるものが「●●からいかに△△が出てくるか」ということを
> 問題にしてその道筋をいくら説明したって、それが本当に△△に届いているか
> なんてことは●●の中にいる我々には知りようがない。
俺は、例えば西田哲学はこのようなことについて明確に答えを出していると思う。
「知りようがない」とは思わない。
「哲学では結局、何の問題についても明確な答えが出ない」などというのは
哲学というものに対して真面目に取り組んだことのない人の抱きがちな幻想だと思う。
(あなた自身が真面目に取り組んでないと言ってるのじゃなくて、あくまで一般的に言って。)
だから、少なくともあなたがそのようなことを主張するためには、
>>155で言っているような抽象的な議論ではなく、
もっと西田哲学なり何なりの議論に即して、どこがどう間違っているのかを
具体的に指摘することが必要だ。そうじゃないと何の議論にもならない。
長レスすまんね。
160 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 12:39:12
脳科学の結果から,哲学者が何を感じたか,考えたか,
という事の方が興味がある.
でも,哲学って使う言葉の意味がよく理解出来ないですね.
経験とか物とか,相手がどの様な意味で使っているのか
分からない.
使っている人も,相手が自分の言った事を哲学的に
厳密に理解できると思っていないような感じを受ける.
161 :
127:2006/02/28(火) 12:53:52
>>160 まあ上で「経験」とか言ってる言葉の意味が
社会一般で言われる「経験をつむ」とかいうような意味とは違うのは確かだけど、
俺の言ってるのは普通に哲学で使われる「経験」という語の意味通りなんで
「相手が自分の言った事を哲学的に厳密に理解できると思っていない」ということはない。
少なくとも
>>153 >>156-159で書いたことは、ある程度以上の理解力のある人には
明確に理解されるだろうということを想定している。
一般的に言って、真面目に哲学的な議論をしている人なら必ず
自分の言うことは明確に相手に伝わるはずだ、少なくとも伝わるように書かなければいけない、
と思って文章を書いていると思うよ。
> 脳科学の結果から,哲学者が何を感じたか,考えたか,という事の方が興味がある.
それは確かにそう。
一口に哲学っていっても色んな立場があるから、人によって受容の仕方が全く異なると思う。
俺自身は逆に、脳科学者がもし真面目に本気に哲学を読んだら
(茂木タンみたいないい加減な読みではなくて)どういうことになるのか、ってね。
どうやら他の人の議論とごっちゃにしているようだが、
俺は「哲学に脳科学が必要だ」などということはひと言も言っていない。
俺が言っているのは、「もうこの先哲学者は必要ない。脳科学者がこれまでの
哲学の遺産を念頭に置きながら探究すればよい」ということだ。
あなたが言うような「根本的」な哲学の必要性を説得的に示したいのなら、
まず、
> 少なくともこのような立場から見れば
というような場合のその「立場」が、これからも必要になるということを
「具体的な事例に即して」示さなければならない。
科学哲学なんてファイヤアーベントでどん詰まりじゃないのか?
その先があるようなことを言っている伊勢田のようなやつもいるが、
あれ、ぶっちゃけ科学についての社会学だろ。
あなたが言うような「根本的」な哲学の立場からみればむしろ後退だ。
> 「哲学が<世界についての何かの知識をもたらすもの>ではなく
> <知識の根拠を問うもの>であるのなら、そんな哲学に意味はない」
> とあなたが思うのなら
思ってねーよ。どこを読めばそんな短絡になるんだ。
そういうのをわら人形攻撃っていうんだよ。
あなたが「第一義的に重要」なんてことを言うから「二義的なものにすぎない」
と言ってるだけだよ。哲学がこれまでやってきたような方法論的反省が
「二義的な」重要性をもっていることは認めている。で、そういうのはもう
20世紀までの哲学的遺産で十分だからもうこの先必要ないと言っているんだ。
> あなたの言うのは、「哲学は世界の内実について考察しない
> →それらは観念論に過ぎない」ということだ。それはあたかも、
> 「理論物理学は我々が社会でどのように生きるべきかについて何も答えを
> 出さない→理論物理学は無意味である」と主張するのと同じで、
> 批判する対象を間違えていると思う。
これも違うな。俺のこれまでの発言をよく読んでもらいたいんだが
「世界の内実を考察してるかどうか」が問題なんじゃなくて(実際、
西田哲学だって世界の内実くらい考察してるだろ?頭の中でw)、
「世界から直接理論を否定されるような契機ないしディテール(現場と
言いかえてもいい)をもっているかどうか」ということが問題なんだ。
西田哲学はそれが間違いだから問題なんじゃなくて、どうすれば間違いと
言えるのかがわからないから問題なんだ。
理論の正否を問う契機がみえないから問題なんだ。
> 俺は、例えば西田哲学はこのようなことについて明確に答えを出している
> と思う。「知りようがない」とは思わない。
ほう。じゃあ、「無の場所」とやらをどうやれば知ることができるのか、
明確に示してもらいたいな。カルナップ(説明は不用と思うが、ウィーン学団
の哲学者ね)的な観点から言えば、あんなものはシンタックスに解消されるべき
言語的誤謬(無用な実体化)だろう。
> 西田哲学なり何なりの議論に即して、どこがどう間違っているのかを
> 具体的に指摘することが必要だ
哲学研究者なんかも何かというとこの論法でくるんだが、
なんでこっちがあんたらの土俵にのらないと駄目なんだ?
こっちは哲学なんてもう必要ないと言っているんだ。
こっちのこの土俵で闘う気はないのか?
あんな抽象に付き合うことが「具体的」だと思ってる時点でもうゲップが出るんだよ。
164 :
160:2006/02/28(火) 13:11:48
>>161 なるほど,もう少し哲学用語を勉強してみます.
嵌りそうで,哲学怖いですね.
哲学素人の僕から見ても茂木タンの雑誌の記事読んで変な感じました.
(内容覚えてないけど.結局,茂木タンの本を読む気にはなれなかった…)
165 :
127:2006/02/28(火) 13:20:23
>>162-163 あのさあ、俺はあくまでも、
>>143が
「哲学に脳科学が必要だ、ってのは自明なことで、それに反論するのは奇異」だと言ってるから
それに対して、
>>153でそんなことはないよ、と答えただけ。
哲学自体に意味があるのかどうか、なんて大袈裟なことをここで議論するつもりは初めから全くない。
もともとそういう流れが進んでいたのに、あんたが
「そもそも哲学なんて二義的な重要性しかねーんだよ」と、文脈を無視して絡んできただけなんだが??
そういう流れなので、哲学そのものの重要性が「一義的」か「二義的」か、だとか
そういうあなたの論点にはこれ以上絡まない。
俺は
>>143さんに答えただけなんでね。悪しからず。
ただ一言だけ、西田のために論じておくと
> ほう。じゃあ、「無の場所」とやらをどうやれば知ることができるのか、
> 明確に示してもらいたいな。
我々が現に「個物」というものを知っている以上、「無の場所」というものが
「考えられなくてはならない」のですよ。
西田にとっては、もし「無の場所」が知りえないのなら「個物」も知り得ないものでなくてはならない。
だから「個物」というものは知りえないものだ、と主張することもできようが、
しかし実際には(何故か知らんが)我々は「個物」というものを知ってしまっている。ということだ。
言語哲学の人から見れば勿論言語的誤謬に解消されるべきものだと思うが、それは的確な批判にはなってないと俺は今のところ考えている。
166 :
127:2006/02/28(火) 13:23:32
すまんちょっと訂正。
そういう流れなので、哲学そのものの重要性だとか、
何にせよそういうあなたの論点にはこれ以上絡まない。
俺は
>>143さんに答えただけなんでね。悪しからず。
>>164 > 嵌りそうで,哲学怖いですね.
その通りw
あまり人生を無駄にしすぎないことを祈る(w
> あなたの論点にはこれ以上絡まない。
なるほど、じゃあ以下は独り言っつうことでw
> 哲学自体に意味があるのかどうか、なんて大袈裟なことをここで議論するつもりは初めから全くない。
おいおい、「根本的な問題」を云々するやつが「哲学自体に意味があるのかどうか、
なんて大袈裟なことをここで議論するつもりは初めから全くない」ってマジかw
あんたらの議論がそもそも「哲学は必要だ」という前提の上に立っているから
その前提を「根本的」に問題にしただけなんだが。哲学ってのは自明な文脈や土俵を
ひっくり返すものなんじゃないのかい?
> 我々が現に「個物」というものを知っている以上、
> 「無の場所」というものが 「考えられなくてはならない」のですよ。
> 西田にとっては、もし「無の場所」が知りえないのなら「個物」も
> 知り得ないものでなくてはならない。
> だから「個物」というものは知りえないものだ、
> と主張することもできようが、しかし実際には(何故か知らんが)
> 我々は「個物」というものを知ってしまっている。ということだ。
> 言語哲学の人から見れば勿論言語的誤謬に解消されるべきものだと思うが、
> それは的確な批判にはなってないと俺は今のところ考えている。
まったく根拠が示されてないな。問題は何故「考えられなくてはならない」と
言えるのかということだ。出直してこい。
さて、俺の「経験」では「オマエにはもう絡まない」とか「もうここには来ません」
とか言ってその通りにしたやつを見たことがないんだが、どうかなどうかな?
168 :
127:2006/02/28(火) 18:52:00
>>167 > 「オマエにはもう絡まない」とか「もうここには来ません」
> とか言ってその通りにしたやつを見たことがないんだが、どうかなどうかな?
ハァ?
あなたは人のことを、どこを読めばそんな短絡になるんだとか罵るくせに、
自分自身は相手の言うことをよく読まないのな。
俺は「あなたの論点に絡まない」とは言ったが、
「オマエにはもう絡まない」とか「もうここには来ません」などとは一言も言ってないんだが?馬鹿馬鹿しい。
それは哲学が重要か否か、俺らの議論が「哲学は必要だ」という前提の上に立っているか否か、
などといった下らん議論には絡むつもりはない、と言っているだけなんですが。
で西田のためにだけ、もう一言つけくわえておくと
> 問題は何故「考えられなくてはならない」と言えるのかということだ。
それを論じるためには、ここでたかが数行で議論できるものではない、ということ位はわかってほしいのだが。
(まさか、哲学の全ての議論は3行にまとめられるべきだ、と考えている人ではないよね?念のため)
もしあなたが実際に西田の論文を精読して、その上でそういう議論を掛けて来るのなら
幾らでも相手はしてやるが。ただし「西田幾多郎」スレでやろうな、ここではなくて。
169 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 00:03:56
>>153 「一目瞭然」について;
私、記憶に関連する一寸したtool(ソフト)を作ろうとしている。そのため、自己の記憶・意識の内観・精査(C)を心がけています。
Cについて、当然、記憶・意識に関する哲学A、認知・脳科学B両領域の関連既存知識(概略)が気になる。toolは、A、B、Cの融合したものであって欲しい。
さて、認知・脳科学者の手法は実験です。でも、哲学者は、やはり自分の脳で哲学しようとすると思うので、私が経験しているようなことは、
一目瞭然に(共感覚的表現でまずかった)、体験しておられるだろうとおもったに過ぎません。
170 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 00:34:09
A、B、Cの「融合」したもの、と言うより、「矛盾」しあわないもの。
>>168 ああ、じゃあ絡んでくれるんだ。ありがと。
> ハァ?
> あなたは人のことを、どこを読めばそんな短絡になるんだとか罵るくせに、
> 自分自身は相手の言うことをよく読まないのな。
> 俺は「あなたの論点に絡まない」とは言ったが、
> 「オマエにはもう絡まない」とか「もうここには来ません」などとは一言も言ってないんだが?
ああ、あんたは言葉を額面通りにしか受け取れない人なのか。すまなかったな。
「そういう類の発言をする人はやっぱり絡んでくる」という意味だったのだが。
まるまる書き写さなきゃだめかw
> 哲学が重要か否か、俺らの議論が「哲学は必要だ」という前提の上に立って
> いるか否か、などといった下らん議論には絡むつもりはない、と言っている
> だけなんですが。
うーん、もう一度言うよ?
「おいおい、『根本的な問題』を云々するやつが『哲学自体に意味があるのかどうか、
なんて大袈裟なことをここで議論するつもりは初めから全くない』ってマジかw
あんたらの議論がそもそも「哲学は必要だ」という前提の上に立っているから
その前提を『根本的』に問題にしただけなんだが。哲学ってのは自明な文脈や土俵を
ひっくり返すものなんじゃないのかい? 」
今度は「下らん」ときたか。だいたい文脈無視とかいってるが、
俺の議論の方が何故かこのスレの
>>1の文脈には沿ってたりするだろうがw
> それを論じるためには、ここでたかが数行で議論できるものではない、
> ということ位はわかってほしいのだが。
> もしあなたが実際に西田の論文を精読して、その上でそういう議論を掛けて来るのなら
> 幾らでも相手はしてやるが。ただし「西田幾多郎」スレでやろうな、ここではなくて。
ほーう、じゃあおまえらこの後、脳科学の専門的な論文を精読してその哲学的不備を論じる
用意があるんだろうな。え?
だいたい「脳科学」などとひとくくりにしているが、それぞれ微妙に異なった方法論的前提
をもった下位分野(認知科学と神経解剖学ではアプローチの前提からして違うだろ?)
の集合体をオマエらみたいなおおざっぱな議論で覆えると思ってるのか?
ぶっちゃけ、俺が西田哲学を観念論だと(あえて)断言したのと同じように
脳科学は自然科学だからどうせ素朴実在論だろうくらいにしか思ってないんじゃないの?
認知科学ひとつとったって、そんな簡単なことは言えないぜ?
> もしあなたが実際に西田の論文を精読して、その上でそういう議論を掛けて来るのなら
だーかーらー、
俺は単に哲学を少し囓った素人として何だか詳しそうなあなたに脳科学発展以後の
哲学の有効性を問いかけているにすぎないわけ。
西田哲学の正しい理解なんてどうでもいいんだよ。
(じゃあ聞くが、戸坂潤的な「解釈の哲学」批判にはどう答える?当然、知ってるよな)
「素人になんかいちいち説明してられるか!」ならそれでもいいが、
西田幾多郎先生はそんなこと言わないと思うよw
あんた誠実さだけはありそうだし、
まさか122みたいに「そもそも大学で教える側だからって何で学生の哲学以前の
ションベン臭い期待にまで応えないといげないのか分からない」なんて言うとは
思ってないが(たっかい金払っとるからじゃボケ!)、
「根本的な」議論を避ける姿勢というのはどうかと思うよ。
あと長レスすまんねとかいらんから。バンバンやって。
76的な「哲学らしい言説」は狼の方がおもろいからいらん。
127がうるさそうだから訂正しとくが、最後の
「76的な「哲学らしい言説」は狼の方がおもろいからいらん。」は
「76的な「哲学らしい言説」みたいなんも狼の方がおもろいからいらん。」
ってことで。
「俺は76みたいな書き込みはしていない!」とか言い出しそうだからな。
おい、貴様、羽月。127を馬鹿にするな。
127こそは「俺達は哲学批判してきたから関係ないもんね〜」と
ひとり安全圏にいるつもりの分析哲学を打ち破ってくれる未来の将軍よ〜。
あやつらこそ真っ先に消えるべき寄生虫だとは思わんかね?
科学への寄生虫が!
おまえらがやってるようなことは科学者が自前でできるんだよ。
よしんば科学者にできないとして、
おまえらそんなに数いらんだろwwwwwwwwwwwwwww
リストラだリストラ!
あー・・・。
それもそうっすね。
データ積み重ねて実証的な社会科学に迫った気でいながら
結局の所は法学者なんかに胡散臭がられたりする応用倫理とかw
哲学内部で哲学批判して安全圏にいると思ってるやつらよりは
西田君の方がまだ潔い。
169のいうABCっていうのは、
A:心の哲学
B:認知科学を含む脳科学
C:ヴント的な内観法
ってこと?Cはもっと何か哲学的な瞑想を想定してるのかな?
私が経験しているようなことは一目瞭然に体験しておられるだろうとおもった、
とか言ってるんだから、普通に自分の意識を意識する程度じゃね?
それより、記憶に関連するちょっとしたtoolってのが気になるんだが。
どんなソフトなんだ?
ちょっと読み返してみて思ったが、
>>123の話を詳しく聞いてそこから広げれば
>>169の話も
もっと議論のしがいのあるものになるんじゃないか?
>>123もういないだろうけど。
認知科学の専門家と現象学者は交流してるみたいだぞ。
ttp://edhs.ri.aoyama.ac.jp/~susan/archives/2005/01/post_55.html 「哲学者の長滝さん(中京)から「現象学と21世紀の知」(ナカニシヤ)という本を
いただいた。(略)これを読むと、認知科学の発展が約50年遅れくらいで哲学(現象学)
の歴史を追いかけていることがよく分かる。哲学の最良の部分は人間の知性の最良の部分
の発露であるのだから、認知科学が遅れているのはある意味当然とも言える。だいたい50
年前には認知科学はなかったわけだし。で、長滝さんはそこで「よしよしだいぶましになっ
てきたね」と傲慢な態度を取るのではなく、「身体論を基軸として認知科学と現象学の協働
の可能性を探ることである」とおっしゃる。うん、じゃあいっしょにやりましょう!」
「この本を読みながら考えたことはいろいろあるけど、まず身体性認知科学における
脳科学の位置ですね。脳科学の大半は完全な古典的表象主義になっているわけだが、
これらの知見は無視できない。proper treatment of neurosience dataというのは
どんなものなんだろうか。また、脳も身体ですよね。感覚器や効果器とちがってか
なり特殊な扱いが必要な気がするんだけど、ここらへんはどうなんだろうか。
あと時間と変化、つまり発達や学習の問題が取り上げられていない気がしたけど、
ここもすごく気になるなぁ。」
まだこれから対話を始めようかという段階か。お互いの差異がハッキリしてくる
のはもっと先のようだし、さらにそれを越えて実質的な「協働」が成り立つのは
もっと先だろう。ひょっとしたら、それに至るまでの過程で認知科学が現象学を
単純に追い越してしまうかもしれないし、現象学の知見を吸収して深く成熟する
のかもしれない。少なくとも現象学者は認知科学に対して第一義的に重要でない
とかいう「傲慢な態度」を取ってる場合ではないような気がする。
ちなみに、この認知科学の専門家はむしろ脳科学を認知科学の下位分野
ととらえている。で、脳科学をほぼ神経解剖学と同じような感じでとらえ
ているようだ。それに比べたら認知科学が現象学と相性がいいのは
確かだろう。何が下位分野になるかは、パースペクティブによるみたいだが、
脳科学同様、認知科学自体も複合的な学問らしい。
180 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:02:01
>>176 Aは、意識、記憶などに関する近・現代哲学、論理学。
Cは、シミュレートを目的に、対象についての自分の意識、記憶の動きの観察。
181 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:21:45
なお、
>>178 消化活動Aの快感は日々体験。そのとき、消化の実在的基礎B(胃の遺伝子的分化、消化過程の分子機構)は知りません(カントのたとえだったか?)。
精神活動の諸相は古代から深く追求されて哲学A。最近になって脳活動の「科学」Bが急速に発展。
結局Aは、Bで説明されるべき先取り?
182 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:44:38
>177
推理小説で探偵が最後まで種を明かさないあの心境です、周りの人にも言っていません。どうか、ご勘弁を。
183 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 23:58:22
>>177 笠井潔なぞ推理小説に現象学を考察法にした主人公に探偵させているぞ
>>178 そもそも、哲学の始まりにおいては「真理」を追いかけることを目的としていた
けれど、現代において「真理」とは人間の数だけあるという理屈がなりたつなら
人間自体を追いかけるのは自明の理でしょう。自分だけで考えるのは限界でしょ
う。疑い始めたら、テレビは何で映るのかとか、電気とは何かということを疑い
出して日本に住んでられますか?生活自体が崩壊するし、そういう日常生活こそ
疑いを持たないといけないはずなのに、そのことを棚上げしないと経済的に効率
がよくないということに過ぎない。ならば現代は科学の分かっていることを翻訳
する科学哲学に積極的に動いてもらう必要を感じています。ジャーゴン共同体が
何をしているか全く門外漢には不明の世界ですから。
184 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 00:19:07
>>183 つまり
訓詁学的哲学者はこれ以上不要で横断的に考える哲学者
こそ求められている…こう言いたいわけだ
>>181 > 結局Aは、Bで説明されるべき先取り?
>>178の交流なんかを見てたらそう単純でもないんじゃないか?
場合によっては、後輩のギャグをパクって生き延びる芸人みたいに
現象学が認知科学のおいしいとこを吸収してデカくなる可能性もある。
メルロ=ポンティだってゲシュタルト心理学からおおいに影響を受けて
理論を形成したわけだし。
ただ、学問全体の趨勢からすると逆の可能性の方が大きい気はする。
科学哲学もやはり理論的にある程度行くところまで行ってしまったという
感は否めない。
しかし、
>>183のいうような、「科学の翻訳者」としての科学哲学、これはむしろ
これから先にこそ必要になる可能性がある。
今の科学哲学は科学の具体的な現場で何が起きてるかをあまり知らずに、
十把一絡げに基礎付けしようとしたり、逆に批判しようとしたりしている
ことが多い。そして、そうした論も根拠を具体的な科学の営みの中に探す
のではなく、過去の哲学者の文献の解釈をして何かを論じた気になっている
ケースがほとんど。すなわち、
>>184の言うとおり。
188 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 09:44:55
>>184 訓詁学といってもソシュールの研究をしていた丸山圭三郎の様なラディ
カルな原資料追求まで行ったケースは皆無に等しい。訓詁学は無くなれと言い
たいのではない。日本においてのソシュール像を塗り替えたこの様なケースは
極めて稀。本物の学者は丸山氏の様に冒険の旅に出るはずだからだ。
従って誰々研究者なる肩書きの方々の多くは現代のニートや引きこもりの問
題と同様で全く違う世界に触れることへの恐怖に閉鎖的になっている人がほと
んど(全部ではないにしろ)。閉鎖的になっているお年を召された方々は現代
のニートや引きこもりを笑える資格はないと思って良い。現代思想の潮流は異
文化交流があったからこそ活性化したわけであるが、交流会とは名ばかりのな
あなあ宴会なら参加しない方が良いと思います(研究者諸氏で思い当たる節が
少ないことを祈りますが、結構あるはず)。
哲学の学会なんてたいがいなあなあ宴会だよ。
190 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:46:19
大学の哲学教授は全員、現役の哲学者です。
教えているだけでなく、本や論文の執筆、学会、会議など
一般人の知らない世界で活躍しています。
191 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:54:04
哲学は高度な学問です。
しろうと談義をいつまで続ける気ですか?
あなた方がここでいくら学問としての哲学を批判しても
こちらは大学の中にいる限りビクともしないわけです。
いい加減、無駄なことはやめて、
平穏な生活をエンジョイしたらどうですか。
餅は餅屋に、ね;-)
192 :
188:2006/03/03(金) 16:48:47
>こちらは大学の中にいる限りビクともしないわけです。
>いい加減、無駄なことはやめて、
>平穏な生活をエンジョイしたらどうですか。
>餅は餅屋に、ね;-)
>>190の様に自分はきちんとやってるぞと主張するならともかく、上記の
>>191 の様に主張される貴方、忙しいと言い訳するならまだ可愛げがあるが、恥ずか
しくないんですか?
高級・低級なんぞ地球上の生命で人間が高等動物と言うが如き破廉恥さだ。
私は訓詁学的研究を否定しているわけではない。全く未知の学問も自分の研究
を指摘してくれる有難いヒントになることも多い。そのことを言ってるまでで
す。
>>188に書いた内容を吟味もせず分かりたくないが故に、封印しようとす
る態度なら嫌悪を覚えます。ましてや大学の先生なら今すぐ退職してサラリー
マンでもなさった方が人生のバランスを考えて有益です。
ちなみに大学の先生でなくともそれ以上の博識の方々ならいくらでもいらっ
しゃいます。荒俣宏や笠井潔など相当な博識で、一流の教授方々と対等に議論
される。大学の先生でないから馬鹿と受け取る発言が如何ほどの「責任」が取
れる内容かお聞かせ願いたい…。
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
194 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 17:16:15
>>186 そうですね(笑)でも実際は経験則から直観が先に現れて、当たりを絞って捜査し
ないと時間効率が悪いという警察の方々の意見もありますから、難しい所です。カンというも
のが推理小説で結構否定的に書かれるケースは多いけれども、本来論理的に解決に至るケース
の方が極めて稀らしいです。手がかりを得てその中から「意味」を発見する態度が現象学に似
ていることは笠井潔は確信犯的に使っていますよね。勿論神秘主義的に受け取られやすい欠点
を補う上で、1000頁以上にも及ぶ大作「哲学者の密室」でハイデガーをモデルにした哲学者が
密室殺人されたという「死」をどう考えていたのかから考察するスタイルを取らざるを得なか
ったらしい。その論理的不十分を竹田青嗣や西研らの哲学者にコメントや山の様に勉強しながら
その不十分を克服しようとした。こういう態度は見習うべきでしょう。
195 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:41:04
>>187 つじつまが私の中で合うまで、ヒトに言いたくないのです(
>>176,
>>177)。
高い整合性が内部的にないと、「プログラム」(ソフト)は書き下すことは出来ません。
つーか、作ったソフトは作動しません。「著述」との違い?
196 :
哲学教授:2006/03/05(日) 02:15:39
>>190 哲学者と哲学研究者の差異を理解していない貴方は、
大学の人間ではありませんね。
適当な嘘をついてはいけませんよ。
杜玖椀太郎最強
>>196 そんな差異が自明のものなら、森岡正博がわざわざ挑発的な論文書かんだろ。
199 :
188:2006/03/05(日) 10:26:47
>>196 同感ですね。
>>190にしても欺瞞くさいとは思ってましたが、「言葉」
の上では嘘はつけますから。まだごまかすなら可愛げがあるとは思いますが、
>>191の様に言われたらどちらの人間であろうと、怒り心頭ですよ(笑)
哲学者が大学の人間であることは必要条件ではありませんから。哲学研究者
の中から本物の哲学者が出る確率はまた低いのも確かなんですが、だからとい
って言上げしないからと言って単純な実体論に陥るわけでもなく、判っている
ことをわざわざ書いたからといってどうなるのか?と思っている関係者も結構
いるとは思ってますし。市井の人間にも普通にいきることが難しい人間もいれ
ば、語ることの空しさに気付いている人も少なからずいるはずですから。
だからと言って
>>196の言う様にこれが混同されているという現場も少なか
らず「実在する」ことは事実でしょう。自分の大学の風土を持って普遍的価値
であるかの如く捉えるならば警告しますが、そうでないと「信じたい」。
ウチの大学の教授(哲学専攻)は小説家のような文学者と文学研究者は違うが、
哲学者と哲学研究者は同じだって言ってたよ。
201 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:23:36
たとえば、
画家ゴッホと、ゴッホ研究者の違い、
そして、
哲学者ニーチェと、ニーチェ研究者の違い。
ゴッホの研究者も、自分なりの絵は画けるだろうが、
ゴッホのような、絵は画けないし、ゴッホにはなれない。
202 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:25:37
哲学研究者はある程度は勉強していないと自称できないが、
哲学者はだれでも自称できる。だから、同じじゃない。w
203 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:41:10
>>202 哲学者は、自称しなくても哲学者足りえる。その通りで、キルケゴール
は自分を哲学者と思ってなかった、むしろキリスト教の本を書いたとし
か思ってなかった。しかし、人々は彼を「哲学者」として位置づけた。
つまり、世界に対する精神の態度の問題でしかない、という極めて両
義的にも受け取れる言い方でしかない。時代時代において位置づけてい
る精神の態度の端緒を問題にしていたなら、それは「哲学者」として位
置づけるのは構わないとは思う。されどそれが時代における批判足りえ
なかったならばどうであるか、こういう相対的視点に立たないと簡単に
唯名論=実体論でしかなくなってしまう。しかし、この唯名論=実体論
が強く意識されていない現場であるならばやはり、捉え方が甘いと言わ
ざるを得ない。つきつめれば、問題にならなければ問題は存在しないの
と同じであるから。
204 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:41:16
> ゴッホの研究者も、自分なりの絵は画けるだろうが、
> ゴッホのような、絵は画けないし、ゴッホにはなれない。
ニーチェの研究者も、自分なりの哲学はあるだろうが、
ニーチェのような、哲学を生み出せないし、ニーチェにはなれない。
205 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:50:49
>>204 「シーザーを理解するのにシーザーである必要は無い」
ということですよね。自らの思想でもって世界と立ち向かう人間を私は
「哲学者」として位置づけたい。その意味でソクラテスは哲学者であっ
たと考える。だからと言って言上げすれば「哲学」と思う勘違いも多い
けれど、取りあえず言えるのは、皆がそう「哲学者」と名づけられれば
「哲学者」と言われるだけの問題になる。あたかも名前と実態が混同す
るかの如くの有様は正直萎える話ではあるが「現実」である。
206 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:52:49
それにしても199は196をうまいこと誤読するもんだな。
>
>>196の言う様にこれが混同されているという現場も少なか
>らず「実在する」ことは事実でしょう。
って、
>>196はまったく逆のことを言ってるんだよww
208 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 17:04:48
哲学者と哲学研究者の区別。理系にはない?
209 :
188:2006/03/05(日) 18:42:54
210 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:06:11
>>200 それは少々やばいよ。豚でもかもしれない。
211 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:22:56
>>208 数学者とただの数学教師という区別ならあるんじゃね?
212 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:43:44
そういえば、数学者と数学研究者は同じだな。
哲学者と哲学研究者とただの哲学教師はそれぞれだいぶ違うがw
>>213 数学の場合、文献とか知識に長けているだけじゃあっというまにはじかれるから、
ちょっと状況が違うね。
哲学の場合、外から歴然と見分けられないから。
215 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:33:45
>>213 哲学の場合、3者とも同じように教授として大学におれることを、
>>190は誇っているんだよ、きっと。
でも、哲学者が大学と関係を持ったのはデカルト、スピノザ、ライプニッツの後のことで、哲学の歴史から見ると極く最近のことらしい。
世界の巨大図書館の所有する全書籍の全文検索も可能になりつつあるし、web上で作動するソフト(今までは、各コンピュータ内で動いていた)
もできつつある。哲学の本来の定義(愛知)にもどって、哲学は大学にのみに在る、なんて確信自体、非哲学的とちゃう?
216 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:43:26
ちなみに、工学系でも、者、研究者の区別なし。
217 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:18:07
工学の場合、哲学と違って、装置、人力等の関係で、大学を含む大施設が必要。
哲学の場合、膨大な参考図書、連絡情報センタなど、大学を必要としてきたと思う。
図書館にしても、高効率・大容量のLinkにしても、面と向かい合うTV会議にしても、
>>215のようになりつつある。
愛知の営為に、そんなに、大学、大学を言わなくてもいいのとちゃう?在宅教育も発達してきているし。
理系に者、研究者の区別がないのは、
つねに事柄そのものに向かってるからじゃないかな。
219 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:16:07
既存の物理学を知らずに新しい物理学が作れると思う香具師はごく少数のデムパ系だけだが、
既存の哲学を知らずに新しい哲学が作れると思う香具師はもうちょっと多いってことだな。
220 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:27:16
215
>哲学の場合、3者とも同じように教授として大学におれることを、
>>190は誇っているんだよ、きっと。
190?皮肉にきまってるじゃない。
221 :
190:2006/03/06(月) 16:08:03
皮肉じゃないですよ。文字通りの意味。
今の哲学者は哲学史の研究を通して哲学をしています。
そんなことも知らない素人は最初から哲学などしない方が
いいと思いますよ。
独りよがりを正当化するのもたいがいにしましょう:-)
222 :
190:2006/03/06(月) 16:09:32
>>219のいうとおり。
無からは何も生まれません。
223 :
>>215:2006/03/06(月) 16:56:21
そもそも哲学者と哲学研究者を分ける発想自体、根本において間違い。
ヘーゲルの歴史哲学の例。
要は、どんなにがんばっても大学哲学で御座というスタンスは頂けないね。
>>221 そうそう、オマエみたいな教養俗物は皮肉でなくこう思ってるんだよなw
そのくせ、公の場では「哲学者は自ら民衆の中へ赴かねばならない」とか
なんとか言ってやがったりするんだよ。反吐が出るぜ。
無からは何も生み出せない?
その通り。
物理学者はあくまで既存の研究を踏まえて新しい研究をするために
今までの学説史をたどる。しかしその後は、直接事象と向き合い、
テメーの頭で考えた理論を事象そのものに問いただす。
事象から否定を突きつけられたら、理論を修正、それでも駄目な場合は
学説史の中に戻って先行研究にヒントを得たりする。
じゃあ哲学はどうか。
185にあるように、過去の哲学者の文献の解釈をして何かを論じた気になって
いるケースがほとんど。文献解釈に終始し、その先がない。たまにその先を
言ったかと思えば、文献解釈の時の精密さとはうって変わって非常に粗雑な
私見を厳密な根拠もなく投げ出しているケースがほとんど。
前にも言ったが、理論が否定される契機がもとから組み込まれていない。
せいぜい同じ土俵の上の同業者だろう。
それも多くはなあなあ宴会。違うか?
哲学は哲学の外部(他者と言いかえてもいい)に晒される契機を著しく欠いている。
哲学の中だけで解釈や論理をぐるぐる回してばかりいないで、
外気にあたってみちゃどうだい?
材料はいっぱい転がってるぜ。
ただし、それと本気で取っ組み合ったら、哲学の原形はとどめないだろうがな。
俺は哲学自体がもう無効だと考えているから哲学者と哲学研究者の区別なんぞに興味はないが、
とりあえず物理学者は「物理学の研究者」じゃなくて「物理の研究者」だから。な。
「物理学の研究者」は科学史家とか科学社会学者だから。
だから、物理学においても、「物理学者」と「物理学研究者」は区別される。
物理学者は先行研究を吸収するために学説史を学ぶが、物理学そのものが研究対象なのではない。
物理学者の研究対象は「物理」であって「物理学」ではない。
「哲学史を通して哲学する」ということについては、もう哲学内部でもヘーゲル批判やハイデガー批判
という形で出てるからくどくどと言いはしない。要点だけ述べよう。
まずはそのような主張をする人は、「哲学史を通して哲学する」ということが学問的に成り立つ
根拠を示さなければならない。何故哲学史を研究すれば哲学が目指す真理に到達(とは言わない
までも接近)できると言えるのか。それを示さなければならない。
さすが大家になると、ちゃんと答えを用意していて、それがヘーゲルやハイデガー。
しかしどちらの答えも突き詰めれば同じことを言っている。
つまり、「存在自体が哲学史に現れたような形で運動し自らを示してくるから」。
もちろん、ヘーゲルの場合それが積極的な自己展開であるのに対して、ハイデガーの場合は
「存在の忘却の歴史」といういわば隠蔽の歴史であるわけだが、どちらも、
存在が自らをある仕方で示す運動として歴史というものがあり、哲学史を研究することによって
そうした運動の意味や内実が理解できる、という点では一致している。
哲学を習いたての人間なんかはこれでたいがい納得しちゃうわけだが、本当にそうか?
哲学の歴史は膨大で複雑な歴史の一部にすぎない。
マクロな経済の動きから個々の具体的な「物」に即した感性の歴史、
さらに「存在の歴史」と謳うのであれば、通常の歴史学では扱われない自然と歴史の
複雑な関係まで考慮に入れなければならないだろう。
また、哲学はしばしば時代を映す鏡であるが、逆に時代を批判し否定する性質をもつ
ものでもある。
そもそも哲学と時代の関係自体が否定や肯定だけで語れる単線的なものではない。
従って、哲学の学説史をたどっただけで「存在の歴史」が把握できるというのは
哲学という学問の土俵の上だけで成り立つ幻想にすぎない。
存在の忘却の歴史ってのは、存在が自らを隠しつつ現す歴史で、それがすなわち形而上学の歴史なんだよな。うろ覚えだが。
で、それがニーチェまで行って極まって、そこから急に科学テクノロジーに飛ぶんだよな。テクノロジーにはテクノロジーの歴史があるだろうに。
229 :
>:2006/03/07(火) 16:06:12
>哲学の学説史をたどっただけで「存在の歴史」が把握できるというのは
哲学という学問の土俵の上だけで成り立つ幻想にすぎない>
素人の質問;現象学、言語学、記号学、心理学、人工知能など相互に連携しあって進展しているようだ。哲学者が思考すべき対象自体が、全知識的に、史的に広がってきているように思う。従来の、絵に描いたような哲学は、内包されつつも発展的解消。
とすると、哲学史を通しての哲学研究者は何をする? 現代は、哲学史を通して「も」、哲学することは出来る?
230 :
>:2006/03/07(火) 16:17:27
>>229挿入;
相互に連携しあって<reality?目指し>進展しているようだ。
>>228 ハイデッガーにはハイデッガーなりの理屈があってのことだが、問題はその理屈が果たして正しいのかということだな。
ぶっちゃけ、俺も正当化は無理と考えてるが、一種のイデオロギーとしてプラグマティックな有効性を持ってると考える。
具体的には文明批評の原理として。これを具体的な政治実践の中に置いて改鋳しながら使っていく。
正しいもの即ち使えるものではないからな。逆もまた然り。
俺は哲学上のプラグマティストじゃないので、役に立つ=正しいなんていう短絡はしない。
いや、俺も素人だから。素人なりの見解として聞いてくれ。
> 哲学史を通しての哲学研究者は何をする?
> 現代は、哲学史を通して「も」、哲学することは出来る?
俺の見解はすでにこのスレで何回か言ってきたが、
俺は哲学自体がすでに有効期限を過ぎている、とみる。
人間の知的営みの最前線はもはや哲学にはないというのが俺の意見。
哲学の遺産管理は必要かもしれないが、それにしちゃ人数が多すぎるし、
いまだに人間の知的営みの最前線にいるかのような錯覚を与えすぎている。
少なくとも、哲学史の研究から世界についての新しい見解が出てくる
というのは、無から有を生み出す詐欺に等しい。
新しい経験(材料)のないところから根本的に新しい知識が得られるわけがない。
哲学者のやってることは世界の「解釈」にすぎず、観念の組合せをいろいろ
試しているだけのことだ。
これもある程度までは「新しい解釈」として有効だったが、それももうパターン
は出尽くしているのではないか。
「従来の、絵に描いたような哲学」が「内包されつつも発展的解消」するのであれば、
もはや哲学者も哲学研究者も出る幕はない。
ただ、最前線にいる科学者が行き詰まり、方法論的反省を迫られた時に
参照できるようなアーカイブを作っておく必要はあると思う。
それが科学の現場で使われ、231の言葉を借りるなら「改鋳」される。
そして、そうした方法論的反省のもとに新しい理論が生み出される。
このように考えている。
だから遺産管理者としての哲学史家は必要だと考えるが、
彼らが自分のやっていることにそれ以上の価値を与えるのは僭越であるし
時代錯誤であると思う。
234 :
>:2006/03/07(火) 21:38:13
どうしてもそうなるかな、やっぱり。
なお、>>最前線にいる科学者が行き詰まり、方法論的反省を迫られた時に
参照できるようなアーカイブを作っておく必要はあると思う>> 、賛成。効率的な利用方式を考えてほしいね。
235 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 22:27:43
236 :
>:2006/03/07(火) 23:42:57
でも、自分の問題を考える上で、
>>229の各学問を横断的に(概略で)参考にしたいと思うとき、どうして、たとえば
カント、ヘーゲルなどの「範疇」など利用したくなるのはどうしたもんかな。
いや、バンバン利用すればいいんじゃない?
「改鋳」を施しながら。
ドイツ観念論にはシステム論の先取りみたいなところもあるし。
頭の中だけでシミュレーションしたにしてはよく出来てる。
でも、それがシステム論の中でどんどん改鋳されていってるわけでしょ。
哲学が科学のためにのみあるとでも言うのかね?
241 :
>:2006/03/07(火) 23:59:13
範疇、カテゴリーも、生得的というか、脳の可視化の方法で研究対象になってきてるし、
ドイツ観念論は、先取り的に、カテゴリー群をうまく整理しているように思う。脳神経的にそこまで行くのはまだまだだけど。
243 :
>:2006/03/08(水) 00:02:10
ところで、前のほう読む時間ない、悪いけど、「改鋳」を簡単に乞う説明。
かいちゅう【改鋳】 鋳(い)なおすこと。鋳造しなおすこと。
まぁ、使いながらいろいろ作り直すってことだろ。
245 :
>:2006/03/08(水) 00:14:47
ありがとう。わかった。ブリコラージュ的にだね。
それと、かれらのカテゴリー、新しい意味、というか、現代に通用する意味が重なって見えてくる経験が多い。
ありがと。
>かれらのカテゴリー、新しい意味、というか、現代に通用する意味が重なって見えてくる経験が多い。
詳しく。
247 :
>:2006/03/08(水) 00:31:05
Er-scheinungにしても、Exi-stenzにしても、現象学、実存主義を想定しての上だけど、複合語の前綴Erー、Exーの強いインパクトを再認識する。
248 :
>:2006/03/08(水) 00:54:58
Er-scheinung 現象
Er-は,にさせる、の状態にするとか。scheinungは、見せかける、光る、外見
249 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 00:58:21
一寸悪いけど明日早いので寝させてもらう。
すいません、話が見えないです><
>>238 俺は哲学はすべて科学に還元されるとか、哲学は科学のためにのみある、
というようなことを言っているわけではない。
哲学はまだ科学として成熟していない段階の科学だ、
という主張もあるが、そういうことを言っているのでもない。
哲学が主張しているような認識論的な見解や存在論的な主張が
本当に正しいのか、そういう「正当化」ということを考えていくと、
どうしてもそういう方向にいかざるをえない、と言っているだけ。
結果として哲学はまだ科学として成熟していない段階の科学だという
ことになるのかもしれないが、哲学と科学の厳密な境界などに俺は
興味がない。それは結果そうなるだろうな、という程度の問題でしかない。
哲学だろうと科学だろうとその理論が正当化できるかどうか、という問題
は免れない。
逆にいうと、正当化など問題ではないというのなら、それはそれでOK。
だから俺は231のような見解には同意する。
ただし、正当化の問題をクリアしていない哲学を実践で使っていくことには
様々なリスクが伴うと思う。ある意味、宗教と同じになるわけだから。
その場合には、理論それ自体の正当化とは別の、文脈に沿った実践的な
正当化(実践的な有効性に関する正当化)が必要になるかもしれない。
252 :
花野:2006/03/08(水) 15:08:50
まぁ実践的な正当化ってのは要はうまくいきゃいいってことだから厳密には正当化じゃないけどな。状況とか運とかいろいろあるし。
>>245 それは単語の中に認知態勢みたいなものが埋め込まれてるってこと?
254 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 22:58:20
>>251、
>>252 「正当化」については、「基礎づけ主義」は眉唾としても、さて、「整合説」もなんとなく架空じみておます。
たしかに、実践(主体性)を取り入れる変わってくるかも。ちょっとpendingにさせてもらいます。
>>253;
>>247ですけど、ソシュールは記号表現(語)と記号内容の関係は全く恣意的としています。
その彼も、既存の記号を組み合わせた複合語については、その記号内容との関係が全く恣意的でなくなる。
相対的な恣意度の差なる概念を導入しているといいます。
したがって、複合語Er-sccheinungなどについては要素記号の二つの語の意味の組み合わせとして、一定の根拠を持って示すであろうその
「複合語としての意味、現象」につて、社会の進化に対応した意味内容が受動的に現れて来るのかも。
たしかに、おなじ「現象」でも、Phaenomenだと、こんな、個人的な認識の向上は自覚できません。言語学者でないのでよくわかりません。
>>251 丁寧な返答ありがとございます。
でも、実験して事実を作り出したり、検証したりは科学じゃないの?
哲学者は思考の出発点に経験はあっても、結果の正当化なんて興味なくて
言いっぱなしのような。いや、それを批判してるのか?
でもそれに応えたら科学者になるよ。
いや、なにかおかしいな。
別に科学になっちゃったっていいんじゃない?哲学は科学になりきれてない段階の科学で、そのうち科学になるという考えはラッセルだったかな。
255は哲学とか科学を固定して考えすぎなんじゃないかな。
あと今までの議論をきっちり読み返した方がいい。
> 哲学者は思考の出発点に経験はあっても、
> 結果の正当化なんて興味なくて言いっぱなしのような。
> いや、それを批判してるのか?
その通り。それを批判しています。
まぁ、正当化に興味がないわけじゃないだろうけど。
というか、むしろ一生懸命正当化しようとしてきたのが哲学の歴史
なんですが、それがぶっちゃけちゃんとした正当化になってなかったので、
結果として言いっぱなしのようなものになってしまうわけです。
で、それを避けると科学の方に行く。
> でもそれに応えたら科学者になるよ。
私は留保付ながら哲学不要論者なので、
別にそうなっても全然かまいません。
もっと正確に言うと、
言いっぱなしでいいのなら、言いっぱなしでもいいのですが、
哲学者は本当は言いっぱなしのくせに正当化できてるかのように
言うので、そこの詐欺的なところを批判してるわけです。
言いっぱなしでも信じる者は救われることはあるので、
別に言いっぱなし自体を批判しているわけではない。
&:hearts
262 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 19:48:23
♥
♥
264 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 20:57:24
一体何事なの?
266 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 21:49:35
>>185 > そして、そうした論も根拠を具体的な科学の営みの中に探す
> のではなく、過去の哲学者の文献の解釈をして何かを論じた気になっている
> ケースがほとんど。すなわち、
>>184の言うとおり。
これはとても共感を感じた気がした…
しろうと考えだけど、解釈ひとつとってみても、全然違うような気がするんだよね
1. 哲学文献の解釈
2. 科学理論の解釈
1. は哲学研究の域をでないけど、2. は哲学だ、と俺は思ったりするんだよ…
過去に科学者同士で起きた量子論の解釈論争は、科学の論争ではなく、哲学の論争だと思うからなんだけどね
>>259 その正当化はどうしても科学的な正当化のように見える。
科学の価値において、哲学は科学じゃないから駄目だといってるような。
でも共感するところもたくさんある。
俺は哲学はそういう正当化と無縁だと思ってるけど。
やがて個別の学問に解消されるだろう部分もあれば、電波な部分もあるし、分かるはずがないことも含んでるね。
それにどんな価値があるのか知らないけど。
270 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 01:09:39
哲学は正当化の意志なんかとっくに捨ててるだろう
ニュートンは正当化されたところだけを評価されて歴史的に科学者と呼ばれるようになったんだろう。
本人はうれしくないんじゃないだろうか。
>>268 > 俺は哲学はそういう正当化と無縁だと思ってるけど。
ならばどういう正当化が可能なのかを明確に示していただきたい。
果たして、それが正当化の名に値するものか、
さらなる正当化の正当化を考えねばならないものか、
少なくとも多くの人々を納得させられるものなのか、
ということを吟味する必要がある。
ここで誤解されているかもしれないので付け加えておくと、
俺は「哲学は正当化できないが科学は正当化できる」などという
単純な主張をしているのではない。俺が言っているのは、
「正当化ということを考えていくと、科学の方向にいかざるをえない」ということだ。
「正当化」概念は、あくまで理念として扱っているのであって、
実際に科学ならばなんだって正当化できると言っているのではない。
「正当化」一般がたどる運命は、すでに古代懐疑論者がパターン化していて、
現代ではハンス・アルバートがそれを整理している。
細かい話は省くが、どんなルートをたどっても、「究極的な正当化」などという
ものは実際には不可能だということだ。
ならば、「あらゆる主張は正当化できないのだから、あらゆる主張は
全部正しいとも言えるし全部間違っているとも言える」ということになるのか。
別にそう主張するのは自由だが、我々の実際の生活はそれでは動いていかない。
我々はある程度納得できる正当化を行いながら日々の生活を送っている。
永田議員のメール問題が「問題」になるのは、我々がある程度正当化を気に
しながら生きている証拠だ。
しかし「究極的な正当化」は実際上無理なのだから、我々が行う正当化は
あくまで「ある程度の正当化」ということになる。
では、我々は最初から「そこそこの正当化でいいだろう」と思いながら
正当化を行っているのか。
もちろん、違う。
我々は理念としてはやはり「究極的な正当化」を目指しているはずだ。
だいたい、厳密に言えば「そこそこの正当化」だとか「ある程度の正当化」
などというものは正当化ではない(正当化できてないわけだから)。
しかし実際上は「究極的な正当化」は無理なので、
結果として「ある程度の正当化」で満足しているわけだ。
で、この「理念としての正当化」で多くの人が納得できるものということを
考えると、やはり科学の方向にいかざるをえない、というのが俺の考えだ。
知的直観だとか神秘体験だとかいうものは私秘的なもので公共性に欠ける。
対話による合意を取り入れれば公共性を増すことができ、ある程度の客観性を
もつことができるが、それはやはり擬似的な客観性(間主観性)にすぎない。
ここで再度繰り返すが、だからといって、科学ならば本当に客観的な知識を得る
ことができ、さらにそれを究極的に正当化することができる、と言っているわけではない。
「理念としての正当化」を追求すると科学の方向にいかざるをえない、というだけのこと。
対話による合意で正当化を果たそうと考えている哲学者は多いが、
俺はそれは文字通りまさに「合意」を行っているのであって、「正当化」とは別の行為だと
考えた方がいいと思う(理由は上に述べた通り)。
>>269 > やがて個別の学問に解消されるだろう部分もあれば、電波な部分もあるし、分かるはずがないことも含んでるね。
まったくその通り。
>>270 > 哲学は正当化の意志なんかとっくに捨ててるだろう
哲学の学会の馴れ合いを見ているとそう思えるし、また、
実際、個々の人間はそうであるケースが多いと思うが、
やはりタテマエでは正当化を目指してきたし、
その「理念」があるからこそ様々な議論が今もなされているわけだ。
おのれの土俵を自明のものとしてもはや正当化の意志を失った
サラリーマン哲学者ばかりが目に付くからといって哲学全体がそうである
と考えるのは酷であると思う。
>>271 もちろん、本人は自分を「自然哲学者」だと思っていたのであって、
「科学者」だと思っていたわけではない。
しかしニュートンは別に「科学者」であることを退けて「自然哲学者」を選んだわけでは
なく、単にその時代に我々が考えているような「科学」の概念がなかったにすぎない。
ニュートンがもし我々と同じような知識を身につけていたら、「科学者」であることを
選んだかもしれない。
昔、ニュートンの神秘主義的な側面がクローズアップされたことがあったが、
彼が当時の科学の限界を乗り越えようとした焦りが、我々の目に神秘主義と映っている
だけなのかもしれない。
276 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 05:39:02
age
ハンス・アルバート好きとして一言
>ならば、「あらゆる主張は正当化できないのだから、あらゆる主張は
>全部正しいとも言えるし全部間違っているとも言える」ということになるのか。
論理を前提にするならば、矛盾した言明は間違っている
あらゆる主張が正しいならば、両立しない二つの言明のどちらも同時に正しいということになる
これは矛盾律の放棄ではないか?
この解決策として
ハンス・アルバート自身は正当化と真理の分離を提唱している
> ハンス・アルバート自身は正当化と真理の分離を提唱している
これは下手をすると言葉の定義の問題をめぐる不毛な論議に陥りかねないが、
俺には「真理への接近」という考えを分離して「正当化」という理念が
意味をもつとは思えない。
例えば、歴史による正当化、歴史的な成功をもって正当化するという立場が
あるが、今現在はそうだとしても、また覆されるかもしれない。
そんな不安定なものを俺は正当化とは呼ばない。呼ぶのは自由だが。
「正当化」という概念の乱用は、不必要な哲学的混乱(疑似問題の発生)を
招くだけだというのが俺の考えだ。
ところで、俺は哲学の専門家ではないし、ハンス・アルバート好きでもないので
ひとつ尋ねたいのだが、
> ハンス・アルバート自身は正当化と真理の分離を提唱している
というのならば、
http://www.law.keio.ac.jp/~popper/hagiwara1.html にある
> 批判的吟味の方法によって、「真理への接近」をなしうるからである。
という萩原能久の記述は間違いなのか。間違いならば素人に間違った情報を
流布していることになるので、本人に知らせる必要があるのではないか。
ことによると、277の言っている「正当化と真理の分離」というのは、
萩原能久の記述の中の「真理と確実性とは無縁であると言える」に相当する
のかもしれない。
しかし、それならまさに言葉の定義の問題にすぎないわけで、それは
両者を合成した「正当化=真理と真理=確実性の分離」という言葉が
同語反復になってしまい意味をなさないことから明かである。
そして、
277のいう「正当化と真理の分離」(萩原能久の記述の中でいえば「真理と確実性」の分離)
については、よく読んでもらえばすでに俺も「理念としての(究極的な)正当化」と
「事実としての(ある程度の)正当化」の区別という位相で論じている。
「究極的な正当化」(真理や確実性の獲得)は実際には不可能なのだから、
「理念としての(究極的な)正当化」と「事実としての(ある程度の)正当化」は概念として
分離しなければならない。
しかし、両者を完全に切り離してしまえば、「事実としての(ある程度の)正当化」
ということも十全な意味を失い、恣意的な決断や今現在の歴史的合意にすぎないもの
と正当化とを概念として区別することができなくなってしまうと思う。
「真理」という概念を「正当化」から完全に分離してしまえば、「真理への接近」という
理念が意味を失い、何故「修正主義」が支持され「免疫化戦略」が拒否されなければならないのか、
ということも言えなくなる(つまりハンス・アルバートの立場そのものが成り立たなくなる)と思う。
「正当化」という概念がちゃんと機能するためには、「真理」という理念の統整的使用が必要だと
思う。
> 両者を合成した「正当化=真理と真理=確実性の分離」という言葉が
同語反復になってしまい
両者を合成した「正当化=真理と真理=確実性の分離」という言葉が
同語反復を含んでしまい
に訂正。
281 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 20:14:03
唐突に書き込みします。すみません。
今日、マイケル・ポランニーを偶然読んでいました。分からない事もありましたが感動しました。
学問を統合して考え、そして科学などを積極的に取り入れながら
哲学を総合学問として発展的に考える人って他にどんな人がいますか?
教えて下さい。検索する限りでは、彼は科学者受けする哲学者だと思われますが、
また彼は哲学者としてはどんなポジションとして現在捉えられてるのでしょうか?
唐突で誠に失礼な飛び入り者ですが、ご回答宜しくお願いいたします。
大筋とは関係ないが、278の
> 例えば、歴史による正当化、歴史的な成功をもって正当化するという立場が
> あるが、今現在はそうだとしても、また覆されるかもしれない。
> そんな不安定なものを俺は正当化とは呼ばない。呼ぶのは自由だが。
この部分に関して自分で反論が思い浮かんでしまったので、それを示し、
さらに自分で答えてみたい。
〔反論〕確かに歴史による正当化はまた覆されるかもしれない可能性があり、不安定である。
しかし、それは科学における実験や検証、観察といったものによる正当化も同じではないか。
科学の理論が覆されるということはしばしばある。
逆に、歴史による正当化に関しても、実は「理念としての正当化」ということが言える。
歴史による正当化を無限遠点として無限に先延ばしして設定してしまえばいいわけだ。
〔回答〕この反論は完全に正しい。しかし、俺の論点にはまったく影響がない。何故か。
それは、通常の「歴史的な成功をもって正当化するという立場」はそれを上で述べて
いるような理念として提出しているわけではなく、実際に行われる正当化の基準
(それを満たせば正当化されたとみなしてよい基準)として提出されている。
その限りでは、俺が言ったように「不安定」なのである。
同じことは、確かに科学における観察や検証においても言える。
しかし、これに関しては「正当化」一般を議論した時にすでに述べていて、
実際には不安定なものを含んでいて究極的な正当化はできないとしても、
統整的な理念としてはそれを認めるべきなのである。
では、無限に先延ばしされた「理念としての歴史的正当化」についてはどうか。
もちろん、原理的にはそれを理念として認めることは可能である。しかし、
ここまでくると、「歴史による正当化」ということに実質的な意味はなくなり、
「いつか真理であることが証明される」という言葉で置き換えてもほとんど
意味が変わらなくなる。
つまり、科学的な正当化も歴史による正当化も、統整的理念として設定されると
呼び名が違うだけで実質的には同じことを言っているにすぎないものとなる。
歴史によるか科学によるか、という区別が実際に機能することがないわけだから、
それらの区別に意味がなくなるのは当然といえば当然であるが。
>>281 俺はギョーカイには詳しくないので答える資格があるとも思えない(質問スレか
科学哲学総合スレで聞く方がいいと思う)が、俺もマイケル・ポランニー好き。
ノーベル賞を期待されるほどの科学者だったんだよね、確か。
彼は哲学畑の人(哲学の業界で訓練を積み、業績を重ねてきた人)ではなく、
基本的には科学者であり、科学の活動の延長線上で(もしくはそれを振り返って)
自分の哲学を作り上げた人だから、哲学固有の文脈とは切れている。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~biblio/polanyi.htm を見ても、研究者には純粋な哲学の人は少ない。
俺は古い方の訳で『暗黙知の次元』を読んだだけだが、
実験とか具体的な科学的根拠がいろいろ出てくるので、
個人的には哲学というよりは新しい科学の理論として読んだ。
> 哲学を総合学問として発展的に考える人って他にどんな人がいますか?
システム論者の中に過去の哲学をシステム論の先駆として位置づける人は
知ってるけど、今の哲学をそのまま総合学問として発展させようという人は
知らないなぁ。
しかし、最近は哲学者と科学者がコラボやってたりするから、
ありえないわけじゃない。
その結果出てきたものは、もはや純粋な意味での「哲学」(科学とは独立で
本来科学に先だっていて科学よりも根本的な哲学)じゃないと思うけどね。
皆様誠に丁寧な回答有難うございました。
皆様ってまだ一人だけじゃん。
システム論みたいに科学が哲学化してる例はあるが、哲学が科学化してる例はないんじゃないか?
システム哲学っていうのはシステム論とはまた違うものなの?
マイケル・ポランニー(ポラニー)は経営学なんかで変な流行り方したんで、若干うさん臭いと思ってしまうな。
暗黙知の存在って一体どうやって検証するんだ?
ラザルスとマクリアリの「ショックつづり」の実験とか
エリクソンとキュエテの「ショック単語」の実験とか出てきたじゃん。
もっと人が集まっていいはずだけどな。
意図的に避けてるならば、よくない
と俺は思いますよ( ・∀・)
>>293 同意見だが、こっから先は科学の素養が必要になるからある意味誠実な態度
と言えるかもしれん。他のスレのような無意味な荒らしがもっとくると思って
たので、むしろ荒らしてるヤツにも一定の見識のようなものがあるのかもしれん
という気がしてきた。買いかぶりすぎだろうか。
>>292 確かにそうなんだが、暗黙知の存在をそれらの実験で検証したというよりは、
すでに存在していたそれらの実験の中に暗黙知の理論を読み込んだという感じ。
『暗黙知の次元』では、それらの実験から暗黙知の基本構造を導き出した。
(ただし、その読み込みはあくまで実験に制約されたものなのだから、
世界全体の意味を根本的に「解釈」する哲学とは違う。)
このような方法を科学の素養のない者(ちょっとかじっただけとか)が採用すると
往々にして陥りやすいのは、その実験なりデータなりを恣意的に利用したり、
そこから導き出される結果を不当に一般化したりすること。
哲学者が「横断的」に科学を取り入れたりするとそうなることが多い。
素人目だが、ポランニーはそのあたりをうまくやってると思う。
荒らしに見識はないだろ。
哲板の場合、ユーモアも芸もないし、
批評も風刺もない。
296 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 07:11:38
age
297 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 08:15:21
脳の性能が足りないのに
往生際が悪い
という輩が多いね
だから哲学自体が誤解されてしまう
とくに日本では
>>297 おまえ脳の性能が悪そうだな。
かわいそう。
>>298 おまえ脳がほとんど無さそうだな。
かわいそう。
300 :
295:2006/03/19(日) 21:08:49
な?
301 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 00:58:23
ho?
すいません、297の言わんとすることがどうしてもわからないので
誰か解説してください(>_<)
>>295 おまえ脳がまったく無さそうだな。
かわうそ。
そんなことどーでもいーんだよー
とりあえず知りたいだけだ
俺一人を納得させてくれればそれでいーんだおー
今の哲学者って皆…あまり反論しないよな?
ヒント:チラシの裏
>>304 おまえみたいなやつは何言われても納得しないと思うがな。
ソフトを作るとか言ってた人はどうなった?
ソフトできたの?
小泉義之なんかは生命科学とがっつり組み合って哲学してる感じで好きだけど。
>>305 >今の哲学者って皆…あまり反論しないよな?
これは論争とかがないっていう意味?
学会とかで質問とかはあるけど、あれ身内の発表者への助け船(言い足りなかった
ことを補足する機会を与えるとか)だったり、格上の発表者への自己アピールとか
オマージュだったりすることが多いからな。オレ自身は学会で論争なんて見たことない。
でも、まったくないわけじゃないらしいよ。
確か結構前の現象学会だったと思うが、加藤尚武が現象学批判と言いながらえんえん
新田義弘の批判を繰り広げていたことがあったと聞いたことがある。
それに対して新田義弘が反論したかどうかは知らん。
学者は黙殺という手段をとることが多いよな。
下手に反論すると、相手の価値を高めてしまうし。
そうそう。それで仲間内だけでこっそり冷笑。
あるいは仲間内しか見ないネットの日記なんかにこっそり批判書いたり。
その場で言えっての。
大学の哲学科廃止してみんな在野になって2ちゃんで哲学すればいいと思う。
ネット上でもmixiみたいなのではあまり議論にはならないな。
mixiで議論ふっかけると空気嫁になっちゃう。
それでもやってるやつはたまにいるな。俺にはできないけど。
議論が成立するまでが大変。めんどくさい。
さらに持続させるとなると…
だからいきおい言いっぱなしに。
だったら中途半端なことはせずに最初から腹の中に収めておけばいい。
反批判は困るが言いたいことだけは言う、というのは虫がよすぎる。
323 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 11:15:46
>>297が言いたいのは、人間の知性に限界があるからといって
哲学に限界があるというような言い方はいかがなものか、
ってな感じのことじゃないの?
324 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 22:45:08
mochituke
325 :
323:2006/03/32(土) 00:15:58
>>324 ハァ?適当にレスしてんじゃねーよ、ヴァーカ
326 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 03:04:43
らいっつもいっつもらいっつもいっつもろっつってろわだらいっつもろっつってんっつってんだろわせんだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ろっつってろわだらいっつもろっつってんっつってんだろわせんだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>1 それは基本です。
普通の脳みそ持ってれば誰でも気付きます。
気付かないのはバカだけです。
バカは相手にしない方がいいですよ。
言うだけ無駄だから。
328 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 10:05:28
ここの1がバカなんだよ。
自分が考えたことを、
「ここまでは正しい」として発表してきたのは昔から当たり前なんだけど
329 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 08:02:30
soukana?
>>330 あんたの論法だとポパーの反証主義も矛盾してることになるなw
自分も相手も間違ってるかもしれないから一緒に考えるという選択肢はないのか?
そのスレの
>>19 >自分が一番正しくないと思っていてどうやって話し合いをするのか
134 :考える名無しさん :2006/04/03(月) 00:44:14
もう指し指が一番正しいということでいいんじゃないか?
135 :134:2006/04/03(月) 00:53:57
俺は「指し指が一番正しい」という自分の意見が一番正しいと信じる。
だから指し指の意見そのものは実は2番目に正しい。
334 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 23:57:41
mochituke
↑それ楽でいいよな。なんも考えずに相手に冷水浴びせられるんだから。
336 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 22:17:25
hatasitesoukana?
論外ですな。
340 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 00:12:01
doukana?
>>340 何にたいしてどんな疑問を投げかけているのかわからない。
せめて文脈くらい汲んで書いたら?
:: :..>ノ(、_, )
:: :..>ノ(、_, )・・ ..
どういうふうに?
________
/:.'`:::: :::::\
/:: \
/::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ::: ヽ
|:: ン -==-∴-==- < |
ヽ_`⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒_/
ノ//,ヽ: il´トェェェイli/ ミヽ
|.( 'ー-‐' ヽ. ー' |
ヽ. /(_,、_,)ヽ |
._|. / ___ .|
_/:|ヽ ノエェェエ> |
:::::::::::::ヽヽ ー--‐ /
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/ ゝ / ヽ
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | チョン氏ね。在日氏ね。支那人氏ね。台湾はイイ!!
| 憂 ● 国 | 石原閣下は神!西村眞悟は神!安部晋三は神!桜井よしこは女神!
|________| < 支那、チョンとは国交断絶すべき!在日はヤクザ!支那人は犯罪者!
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| ∪< ∵∵ 3 ∵>イライラ ←無職、ニート、もしくは学生。趣味は2ch。童貞。社会性に欠ける。
\ ⌒ ノ_____ なぜかプライドが高く、カッとしやすい性格なので煽りに弱い。
__\_____/ | | ̄ ̄\ \ 同世代の女性に恐怖心、劣等感を持っているためロリコン、アニメキャラへの恋に走る。
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児玉聡を知らない学者は哀れなるかな。
アンチ系のスレが軒並み荒らされてるなw
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単に言い方の問題なんじゃ…?
359 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 13:24:43
> 「自分はこういう意見を持っていますが、
> 貴方はこの意見をどう思いますか」って感じで聞いていくべきだと思う。
確かに。
360 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 23:32:02
杜玖椀テクノロジーによって初めて杜玖椀構造そのものが、
いや、さらに、人間椀椀オランウータンビーツが、
いやそもそもオマイッチョオマンジャ外部問題が、
いやされに宇宙創生意味論運知が、
テクノロジーによって初めて規定されているということに
まだ気がつかないのかな?
ここも結局ボルジア家だけでもってたてことだね
哲板って人多そうに見えて実は過疎なんではなかろうか
学問板で過疎ってないところなんてあるの?
過疎っつっても他の哲学サイトに比べたら全然人いるでしょ。
364 :
考える名無しさん:2006/05/27(土) 01:11:46
まぁ尊大なやつが多いのは確かだが、それは哲学に限らないでしょ
世間に比べたら大学にそういうやつが多い感じはするが、
俺のイメージでは文系より理系の方が多いんじゃないか?
365 :
考える名無しさん:2006/05/27(土) 06:31:45
ファンキーってどういうことですか?
正確な綴りは"funky"。
元々は「悪臭のする」という意味だったが俗語で「ブルース調の」という意味や、
「すてきな」「いかす」といった意味でも使われる。
後者の意味が今では一般的に使われることが多いですね。
ちなみに語源の"funk"には動詞としては「怯える」「逃げようとする」といった意味が、
名詞としては「悪臭」「鬱」「臆病」といった意味があったりします。
368 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 17:21:19
>>352 181 名前:考える名無しさん :2006/06/27(火) 15:32:53
m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
ここですら議論で返せずに「ヒキコ」扱いで逃げ勝ち狙いか?
夜勤だと言うのにm9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
聞きたくない見たくない事実に目をそむけ、
ひたすら脳内勝利宣言だけをわめく馬鹿に議論など到底無理よw( ´,_ゝ`)
結局池田スレですらNUVOなんてどこかで見つけたカスを投影させての
逃げ勝ち狙いだもんなぁw
ほんと、どこいっても負け犬だなwおまえw
児玉乙。
プギャオって何?
371 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 07:17:28
SeXOじゃね?
372 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 23:26:02
NUvoうざいよ。
374 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 01:30:42
__ __
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375 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 00:39:01
堵虞慧螺轡簸も読まずに哲学を語る奴は痛いなぁ
376 :
独我論:2006/08/20(日) 00:43:17
だから、意味を教えろちゅうにぽ。
377 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 01:03:51
やっぱ肝心なところってのは、わかる奴にしかわかりようが無いという
ことか・・。同じ問題意識の共有ができないわけだこれでは。
378 :
独我論:
だから、意味を教えろちゅうにぽ。