【さまざまなゲーム】
/// 将 囲 文 芸 数 科 政 経 恋 ス|
/// 棋 碁 学 術 学 学 治 済 愛 ポツ
言語性 ○ × ○ × ○ ○ ○ ○ ○ ×
肉体性 × × × △ × × × △ ○ ○
実益性 × × × × △ ○ ○ ○ ○ ×
科学性 × △ × × ○ ○ × × × ×
芸術性 △ △ ○ ○ △ △ × × △ △
社会性 × × △ △ △ ○ ○ ○ ○ △
二人性 ○ ○ × × × × × × ○ △
ゲームならルール決めましょう
傷ついても 傷つけても
うらみっこなしよ
ともだちっていうルールは
とてもむずかしいゲームね
4 :
芸術学生:2005/03/22(火) 17:58:05
おい待て! ジャンルの区分がまるで厨房だぞ。
そうやってカテゴライズしたら狭い範囲でなら「統一的に理解」できるかもな。
芸術が芸術性を、文学が言語性を帯びている!?小学校で作文書かなかった?
自由研究とかしなかったのかな?、、、、あっごめんまだ卒園してなかったか。
こういうのを含め、「カテゴリーの錯誤」と言った哲学者がいるよ。
と結論を出してしまってスレを終了させるテスト
思想生成の基本は、
1.文化Aは性質Xを持つ
2.文化Bが文化Aと等しいなら文化Bも性質Xを持つ
というものだが(一般共変性)この作業を繰り返すことで
普遍的な思想に到達できる。そして
>>1の表の出現により
自分が全体の中で何を考えているかが明らかになるのだ。
ウィトが「言語ゲーム」とか言ってもなんのこっちゃようわからんが、
このゲーム表を見れば世界がゲームであることは一目瞭然である。
>おい待て! ジャンルの区分がまるで厨房だぞ。
>>1のジャンル分けはだいたい妥当な線だと思うが、
不当だと思うなら各人が自分のゲーム表を作ればよい。
「カテゴリーの錯誤」というのはよくわからない。
芸術が芸術性を持つんじゃなくて、
芸術性のあるものを芸術と呼んでいるということ?
しかしそういう厳密なことを言ってたら何も始まらない。
不思議なスレ発見。
>>1 世界の「統一的見解」とはどういう意味でしょう。
また
>>1のように物事をカテゴライズするのもいいかも知れませんが、
このマトリックスは何につながっていくモノなのでしょうか?
あとどう位置づけられるものとして、このマトリックスを捉えればいいのでしょうか?
よかったら教えてください。
>>7 これまで哲学者が世界全体を把握するために作った
分類図式はすべて階層的なものだった。
例えばフランシス・ベーコンの学問分類だと、
まず形式科学(数学・論理学)と経験科学に分けて、
次に自然科学、社会科学、人文科学に分けるなどというものだ。
教養課程の科学概論で最初に目にする図式だ。
しかしこういうトーナメント表のようなやり方では
世界はうまく分類できないのだ。
例えば工学はふつう「自然科学の応用」に分類されるが、
工学というのは材質によらない形式科学でもある。
系統的分類ではしばしばこういう不都合が起きるが、
各ジャンルを多数の性質に分けて○×をつけるマトリックス方式なら
工学の「自然応用性」「形式性」にそれぞれ○をつければすむ。
そういう融通性が二次元の表にはある。
>世界の「統一的見解」とはどういう意味でしょう。
世界の「統一的理解」ね。
あらゆる文化をゲームとして理解するということやね。
そのための二次元の表によって世界全体を
漏れなく把握できるということやな。
>このマトリックスは何につながっていくモノなのでしょうか?
デカルトの解析幾何学によって図形認識はクリアになった。
メンデレーエフの周期表によって物質認識はクリアになった。
このゲーム表によってあらゆる人間活動認識はクリアになる。
今後、人間がものを考えるとき必須の方法となるだろう。
/// テ ネ ラ 紙
/// レ ッ ジ 媒
/// ビ ト オ 体
同時性 ○ ○ ○ ○
視覚性 ○ ○ × ○
保存性 △ ○ △ ○
随時性 × ○ × ○
無料性 ○ ○ ○ ×
例えばこういう表も作れるわけだが、
これは
>>1の表と独立ではなく、
>>1もこれも世界全体ゲーム表の一部なのだ。
思想の100マス計算
ルルスの結合術
ライプニッツの普遍記号学
この思考のマトリックスは言語のあらゆる可能性を考え尽くすためにある。
対象(上段)とその性質(左列)は無限にあるが、
この表の空白部分を埋めていくことがすなわち考えるということなのだ。
アリストテレスは原因から結果を推定すること(演繹)と、
結果から原因を推定すること(帰納)は循環しているから無意味だと言った。
しかしこれは別々の場面で用いる方法なので無意味ということはない。
それと同じで、この表の対象と性質がトートロジーで無意味だという批判も
無効である。意味が重なる部分はあってもズレた部分もあるから言葉は
成立するのだ。
上段の対象の名前(例えば
>>1の「数学」とか「経済」とか)は
左列の多数の性質の集合体としてあとから与えられるものであり、
最初は対象X、対象Y、対象Zなどと言うべきもの。
//// 朝鮮性
安藤美姫 ○
山田優 ○
大貫亜美 ○
///// 日本性
海保知里 ○
菊池桃子 ○
宇多田ヒカル ○
宮崎哲弥氏はよく二次元座標に有名人を並べて論評しているが、
二次元である必然性は何もない。
重要なのは渾然一体としていた対象(の集まり)に
今まで意識しなかったモノサシを当てはめて、
新たな認識を樹立することだ。
だから本質的に何か新しい認識を示したいのなら、
一次元の直線上に並べるだけでいい。
「新しい認識軸を示したいのなら」のほうがいいな
>柄谷名人
>大澤七段
>東、浅田、宮台、斎藤各五段
これなんかも新しい認識軸だな
宮崎哲弥は[保守⇔リベラル]や[親米⇔反米]だけでなく、
[馬鹿⇔利口]という軸でも有名人を並べてみよ。
(さすがに怖くてできないか)
「絶体絶命」略して「絶絶」
楽天が26対0で負けた。世界の終わりは近い。
スマトラ沖で2回目の大地震が起きた。世界の終わりは近い。
静岡の被害者一人の殺人事件に死刑判決が出た。世界の終わりは近い。
くりぃむしちゅーがテレビで大活躍している。世界の終わりは近い。
『歌の大辞テン』が終わった。世界の終わりは近い。
小泉が民主党と組むという話が出てきた。世界の終わりは近い。
ライブドアが窮地に追い込まれた。世界の終わりは近い。
大阪の六本木ヒルズみたいなマンションから有害物質が出てきた。
世界の終わりは近い。
マイケル・ジャクソンが裁判にかけられている。世界の終わりは近い。
ウッチャンが女子アナと結婚した。世界の終わりは近い。
旅客機が乱気流に巻き込まれてケガ人が出た。世界の終わりは近い。
丹下健三が死んだ。世界の終わりは近い。
アメリカで安楽死が認められた。世界の終わりは近い。
台湾に世界一の高層ビルができた。世界の終わりは近い。
東京都心が超高層ビルだらけになった。世界の終わりは近い。
世界貿易センタービルが崩壊した。世界の終わりは近い。
携帯テレビ電話が普及した。世界の終わりは近い。
中国の高度成長が止まらない。世界の終わりは近い。
SARSや鳥インフルエンザの脅威が表面化した。世界の終わりは近い。
地球は猿の惑星になった。世界の終わりは近い。
デリダが死んだ。世界の終わりは近い。
アラファトも死んだ。世界の終わりは近い。
カールのチーズ味の類似品が出回るようになった。世界の終わりは近い。
大型ショッピングセンターがあちこちに出来た。世界の終わりは近い。
高速道路が張り巡らされた。世界の終わりは近い。
第二東京タワーが押上に出来るらしい。世界の終わりは近い。
麻原が青酸カリをくれと嘆願してるらしい。世界の終わりは近い。
整形美人がテレビで活躍している。世界の終わりは近い。
竹島問題で韓国大統領が図に乗りやがった。世界の終わりは近い。
四角いチューブ状の結晶が見つかった。世界の終わりは近い。
チェスのフィッシャーがアイスランド江いった。世界の終わりは近い。
大阪万博のアンサー博覧会である愛知万博が開幕したが、
結局「未来」なんかなかったことが白日のもとに晒された。
世界の終わりは近い。
うちのネコが死んだ。世界の終わりは近い。
うちもフラットテレビを買った。世界の終わりは近い。
もう20年も待ってるのになかなか世界が終わらない。世界の終わりは近い。
なかなか世界が終わらない。こんな世界は終わってる。
■社会レベルで「人類は滅亡する」
という意識が支配的になったらもう終わりです。
その直前に変革は開始されねばなりません。
だから今がまさに滅亡の間際なのです。
2007年の墓碑銘
ローマ法王が死んだ。世界の終わりは近い。
中国で反日運動が盛り上がってきた。世界の終わりは近い。
ポール牧が飛び降り自殺した。世界の終わりは近い。
1985年、ファミコンが大ブレイクし、ゲームの時代が始まった。
1984年まで人類は超越的未来(≒21世紀)を目指す
単一のゲームの世界に生きていたが、ファミコン以降はそれぞれの
ゲームが複数並立する世界に生きるようになった。
(大きな物語の消滅)
1985年、日航機墜落事故で坂本九が死んだ。
坂本九の『上を向いて歩こう』という歌は、超越的未来を目指して
突き進もうというニューエイジ宣言の歌だった。
そもそも「ひとりぼっちの夜」まわりに誰もいなければ上を向く必要は
ないわけだから、この主人公は夜、群衆の中を歩いていることになる。
つまりこの歌は群衆的社会運動に挫折した人間を歌っているのだ。
1960年の安保闘争に挫折した翌年1961年にこの歌が日本でヒットしたのは
反米左翼から高度経済成長的未来主義への転換を意味する。
しかしその坂本九が85年に死んだのは、そういう人類進化の物語が
実現不可能な虚妄であることを我々に告げるものだった。
1970年の大阪万博はめくるめく未来を夢見させてくれた。
しかしその「未来」とは実は1970年の世界のことだった。
まあな、アポロが月に行ったのを家庭のテレビで見るような状態は
その10年前には考えられなかったことだよな。
それに比べれば1970年も2005年も大した差はない。
⇒それに比べれば1970年と2005年に大した差はない。
脱線した暴走電車がマンション一階の駐車場に吸い込まれてゆく・・・
なんと現在の日本を象徴する光景だろう。
日本の戦後システムは完全に行き詰まっており、
脱線衝突し暗闇でバラパラになった状態に等しい。
昭和60年の日航機墜落は歴史の終わりを告げる事故だったが、
戦後60年のJR脱線衝突は歴史の終わりの終わりを告げる事故かもしれない。
>>1の表では特に【科学性/社会性】の対立が重要だと思う。
いくら科学的に新しいことを言っても社会的効果がなければ意味はない。
最近なんかあまりテレビ見る気がしなくなってきた
ドバイに800メートルの超高層ビルができるらしい。世界の終わりは2012年。
囲碁将棋=ゲームスキル
学問芸術=クリエイト
しかしクリエイトにもいろんなレベルがあって
ジャンル内のトリビアルな発見から
新しいジャンルそのものを創造するものまでさまざまだ。
将棋は部分的だが囲碁は全体的だ。
将棋指しは無数に可能な「将棋」のうちただ一つの将棋をやっているが、
これは無数に可能な趣味のうち将棋という特定の対象を選ぶことと矛盾しない。
ところが囲碁はほぼ唯一のゲームであり他のバリエーションはない。
よって囲碁を理解することは宇宙全体を理解することに等しい。
しかしそうなると碁打ちは無数にある宇宙(=他の趣味)のうち囲碁を
選択したのかの理由がつかない。ここに碁打ちの矛盾がある。
つまり碁打ちは囲碁に熱中すると現実世界が見えなくなるのだ。
そこでさらに一段深いところから世界を捉え直す必要が生じる。
それがゲーム・マトリックスなのだった。
絶対に当たる予言理論は社会に受け入れらることはない。
なぜならその理論をみんなが知ってしまうと、ある社会的出来事を
起こそうとする時に予言されてるんならやめようということになり
絶対には当たらなくなるからだ。
そしてその理論を発見した人間は狂人として社会から迫害される。
俺のことだ。
×受け入れらることは
○受け入れられることは
文法的には間違いじゃないかもしれんが
例えば昨年暮れのレコード大賞(ミスターチルドレン)は予言通りだったし
最近の南北朝鮮統一機運や日本政変の兆しもそうだ。
俺の歴史理論が受け入れられるのは世界が終わる直前だろう。
逆に言うと俺の理論を社会に広めれば世界を終わらせることができる!
しかしそんなにみんなに知られてはいけない法則なら
どうして俺はそんなことを発見したのかという問題はある。
つまりある時点までは知られてはならないが、
いつか万人が知るべきものなのかもしれない。
だから俺も歴史の神様に殺されることなくこうして生きているのかも。
81 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 02:20:58
【注意】以下の書き込みを読むと歴史の神様に殺されるか精神的不能者になる
可能性がありますので覚悟のない人は読まないでください。
この法則の一部を雑誌『新潮』(1996年)に発表した免疫学者の多田富雄氏は
歴史の神様によって半身不随の体にさせられました。
といってももう知っちゃってる人もけっこういるよな。何回か書いたから。
もしかしたらそれを読んで不幸な目にあってるやつもいるかもしれんな。
わはは、許せ。そういう作用があるとは今までわからなかったのだ。
それでは言おう。その歴史理論とは縮小反復と逆回転の法則だ。
西暦1000〜1900年の歴史を1900〜1990年で繰り返し
1900〜1990年の歴史を1990〜1999年で繰り返す。さらにこれを一般化すると、
50億年前=生命の誕生
5億年前=多細胞生物大爆発
5000万年前=哺乳類大爆発
500万年前=人類誕生(道具使用)
50万年前=原人(固有名)
5万年前=新人(一般名)
5000年前=文明人(理想名=文字)
500年前=近代人(活字)
50年前=現代人(テレビ)
5年前=末人(インターネット)
こうなる。さらに1999年までの歴史を2000年以降は逆回転で繰り返す。
82 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 02:35:03
ターン!リバース!
28 :文責・名無しさん :2005/07/27(水) 04:23:55 ID:d7/7Qrzu
2005年7月は1994年6月の逆回転なわけだが、
94年の5〜6月といえば柄谷行人がいろんな雑誌で
「世界史の終わりは近い」と大騒ぎした時期だった。
もちろん当時もひとつの時代の終わりだったが
(例:自社連立村山政権・金日成死去は94年7月)
その予感は今度こそ本当になるのかもしれない。
しかも柄谷の60年周期説によれば今年は
1945年のようなことになるはずでもあるのだ。
これまでの価値観が180度ひっくり返り紙幣は紙くず同然となる。
今まで自明とされてきた自由恋愛が一夜にしてレイプ犯罪になるのだ。
(この自由恋愛レイプ論でも俺はさんざん迫害された。
これも社会が認めるわけにはいかない真理だからだろう。
俺が発見する真理はそんなのばっかりだ)
29 :文責・名無しさん :2005/07/27(水) 04:31:44 ID:NJ9Deol6
しかし村山富市が地元で交通事故を起こしたのには笑った。
94年6月に成立した村山政権も交通事故のようなものだったからな。
30 :文責・名無しさん :2005/07/28(木) 00:08:25 ID:whK8kYg4
日本史の縮小反復
西暦700年ごろ中国文化導入(西暦2000年から1300年前)
=西暦1870年ころヨーロッパ文化導入(西暦2000年から130年前)
1000年ごろ古典文学成立=1900年ごろ近代文学成立
1200〜1300年代=1920〜1930年代(新文化成立)
1467年〜戦国時代=1945年〜戦後の混乱期
1600年関ヶ原=1960年安保騒動
1600年代人口と農業の高成長=1960年代高度経済成長
1680年代元禄文化=1968年昭和元禄(新鮮)
1800〜20年化政文化=1980〜82ポストモダン文化(パロディ的)
1853年ペリー来航=1985年進歩の終焉(時代の激変)
31 :文責・名無しさん :2005/07/28(木) 14:38:45 ID:2qkKO4hf
1870〜1910年代の近代化=1987〜1991年のバブル景気
1920年代の不況=1992年バブル崩壊
1895年中国、日清戦争敗戦=1989年天安門事件
1890年代ヨーロッパ世紀末=1989年東欧革命
1914年サラエボ事件=1991年ユーゴ内戦
1917年ロシア革命=1991年ソ連崩壊
1930年代スターリンによる粛清=1993年モスクワ騒乱
1930年代近衛政権=1993年細川政権(近衛の孫)
1940年代ユダヤ人大虐殺=1994年ルワンダ大虐殺
1947年片山社会党政権=1994年村山社会党政権
1970年代=1997年(スターウォーズ・キティ・ヤマト→エヴァ)
1973年石油危機=1997年アジア通貨危機
1980年代ソ連経済破綻=1998年ロシア経済破綻
■ 【1999/2000を境界とする歴史の逆回転】
・99年12月21日てるくはのる事件(京都・小学校乱入児童殺害)
⇔2000年1月11日和歌山の中学校に男が乱入・生徒に危害(犯人は
「俺は日本神話だ。魔法のサングラスを持ってこい」と言った)
・99年11月日本・宇宙ロケット打ち上げ失敗⇔00年2月同じく打ち上げ失敗
・99年9月池袋&下関で通り魔殺人⇔00年4〜5月愛知「人を殺す経験が
してみたかった」高校生殺人&佐賀バスジャック事件
・98年7月下旬和歌山毒カレー事件⇔2001年6月上旬宅間守無差別殺人事件
・94年7月金日成死去⇔05年6月南北朝鮮統一へ(直接送電合意)
・94年6月自社連立政権⇔05年7月郵政法案衆院大量造反(自民党分裂下野へ)
・95年1月阪神大震災⇔04年10月中越地震
・98年8月アメリカ、アフガンとスーダンにミサイル攻撃
⇔01年9月同時多発テロで世界貿易センタービル崩壊
・99年3月ユーゴ空爆⇔00年10月ミロシェビッチ政権崩壊
・94年レコード大賞ミスターチルドレン⇔04年レコ大ミスチル
・95年trf、96、97年安室⇔01、02、03年浜崎あゆみ(エイベックス)
・98年鈴木あみ⇔01年松浦亜弥、97年広末涼子⇔02年藤本美貴
こっこ⇔鬼束ちひろ、キロロ⇔花*花、宇多田ヒカル⇔倉木麻衣、
椎名林檎⇔ほらあの♪ダーリンダーリーンの人
「♪ダーリンダーリーンの人」は矢井田瞳でした
やはり政変は起きた(郵政解散)。俺の理論通りだ。
今までの自公連立が94年以降の自社連立の逆回転だったようだ。
今回の小泉圧勝をもたらしたのは資本主義の全面崩壊への恐怖である
実は俺の映画だったらしい。
ネオらしい。
惰性で生きている人間には手助けしないと言われやばい状況だ。
>>1 自分のためのゲーム表を作ってみました。ゲーム表があると動きやすくなりますね。
今日から早速ゲームズマンになって人生を楽しみます♪
91 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 14:45:01
/:::::::|/::::::::::| ...|:::::|.i::::,,,---::::::::i:::::::i::::||:::iあっははは! なあに? この変なマンガ本の山は?
:|::::::::::::::::::::::i...ii .i::::::ii::/.,,─-,,"ヽi:::::::i:::ii:::::|「おにいちゃん、もうダメッ……!!」って、何これ?
:i::,,-""""-::::i..i:i |:::::::::::.i .. i...i:::i:::::i:::ii:::::iあんた、いつもこんなの見て、その粗末なモノを一生懸命こすってるの?
i:i .,-""..ヽ::::ii:::i ..i"".. "..,,__丿ヾ:i::::i:::ii::::::|道理でイカ臭いわけだわ、このマンガ本。ページもガピガピだし。
i,,i | ..|." ...i i ...i::i::::ii::::::|どうせあんた、現実の女と寝たことなんてないんでしょう?
i::",,,ヽ ,,/ ii ....i:::::i:::::::|こんな子供の裸見てオナニーなんて、人間として恥ずかしくないのかしらね。
::::::::"" i ...|::::::::::::::i……あら、どうしたの。私に罵られて勃っちゃったわけ?
:::" ..ヽ::::::::::::: i::::::::::::::|幼女趣味だけじゃなくて、そっちのケもあるの? サイテーね。
ゞ :::::::::.,,, --,," ,":::::::::::::|そんなサイテーなあんたは、せいぜいそこで一生しごいてなさい。え、何?
-".,, --,,," ./ .,"::::::::::::::::l私にやって欲しいって? あっはははは、冗談でしょ? 私が? あんたのを?
::|::::ヽ ."- .-"::::::::: /::::::::::::::::::::|誰がそんな汚いチンポに触ると思ってんの? 寝言は寝てから言いなさいよ。
::::i::::|:"--.,.,,, :::::::::::::::::::::::::/:|:::::::::::::::::::::::iこうして見てあげてるだけで有難く思いなさい、ロリコン童貞!
::::::::::::::::::_,r-┤"--.,,,,,:::::::::::,-":::├、,:::::::::::::::::::lほらどうしたの。さっさと出せば? いつもやってるでしょ? あっははは!
「世界はメディアである」とマクルーハンは言った。
「世界はシステムである」とルーマンは言った。
しかし俺は「世界はゲームである」と言いたい。
排泄ゲーム、摂食ゲーム、ファッションゲーム、クルマゲーム、
資産管理ゲーム、思考ゲーム、音楽ゲーム、買い物ゲーム、
散歩ゲーム、子育てゲーム、洗濯ゲーム、掃除ゲーム・・・
このように一人の人間が生きているだけで
多種多様なゲームをやっていることがわかる。
ゲームのレベル
レベル1(普通のゲーム)=囲碁、将棋
レベル2(人間ゲーム)=政治、恋愛
レベル3(人間ゲームを語るゲーム)=政治学、社会学、心理学、批評
レベル3=メタゲーム
ともいう
ゲーム的なものの見方とは現実を
普遍的原理から導出された
一つの特殊形態と見る見方だ
ニュートン力学や原子論(的物質観)なんかはそうだ
存在と認識という言葉は全く反対の意味だ
存在とは現実に成立している特殊形態のこと
認識とは現実化しなかったあらゆる形態を想像すること
極限的に理性的であろうとすると
あらゆる存在形態を否定しなければならないが
そんな努力をいくら続けても
究極の普遍認識に到達することは原理的にできない。
「どうして自分は何かを認識できるのか」という問題は絶対に解けないから
「どうして(物質)世界は存在するのか」という問題もな
俺も普通に世界を受け入れて生活できるようになりたいなあ
早く人間になりたい
早く戦争が始まってほしい
■今回のライブドア堀江はオウム麻原の逆回転だった。
麻原逮捕の1995年に対応するのは2004年だが
その年の6月、堀江は突如出現した。
地下鉄サリン事件に対応したのがフジテレビとの対決だった。
どちらも日本征服の野望だ。さらに出身地も近い。
そして多分今回の逮捕も時代の転換を象徴することになるだろう。
■意識のメタ化(1977年)はこのようにして起きた。
(┼は無意識の領域、╋は意識の領域)
╋ → ╋ → ╋ → ○ 1947年、人々はほとんど無意識の領域で
┼ → ┼ → ○ → ┼ 考えていたが、57年67年と徐々に
┼ → ○ → ┼ → ┼ 意識化が進んできて77年についに
○ → ┼ → ┼ → ┼ 不可逆的変化が起きて意識はメタ化した
1947→ 1957→ 1967→ 1977
╋ → ╋ → ╋ → ╋ しかし意識がメタ化したのは全体の
┼ → ┼ → ○ → ┼ 5%以下で、残りのほとんどの
┼ → ○ → ┼ → ┼ 人間は元のレベルに落ちることとなる
○ → ┼ → ┼ → ○ しかしそれでも社会意識全体で見れば
やはり意識のレベルは上がった
╋ → ╋ → ╋ → ╋ → ○ しかし1985年にはメタ領域で
╋ → ╋ → ╋ → ○ → ╋ もう一段の変化があった
┼ → ┼ → ○ → ┼ → ┼ それは進歩の終わりで
┼ → ○ → ┼ → ┼ → ┼ 以後すべてはパロディでしか
○ → ┼ → ┼ → ┼ → ┼ なくなる
1947→ 1957→ 1967→ 1977→ 1985
■19世紀の共産主義は活字(特に近代文学)が作り出した幻想だったが
1970年代以降のニューエイジ主義はテレビが作り出した幻想だった。
1960年代から80年代前半までテレビに出るスターは輝いていたが
それは人々が普段は物質的世界の感覚で生活しているのに
テレビをつけるとそこには現実とは全く違う理想世界がある
と感じられたからで、この感覚の落差がスターの観念を生んだ。
(あるいは実在する芸能界はまだ理想とはほど遠い世界だが、
やがて未来において真の理想世界が現出すると幻想された)
実際かつてテレビに出るスターを生で目の当たりにすると
実に不思議な気がしたものだが、それは現実には存在しないはずの
異次元世界の住人が物質的存在として目の前にいるという奇妙さだった。
ところが80年代後半になるとスターの輝きは一気に消滅し
テレビタレントが目の前に現れても何の感激もなくなった。
これは人々がテレビに慣れ、普段の生活もテレビ的認識の回路で
行うようになってしまったためだ。ここにおいて、かつての
物質的回路の認識がパロディと化す。
「下流社会」という言葉が流行っているが
「下流文化」というのもあると思う。
それはべつにスポーツ新聞的低俗文化という意味ではなく
宇宙の起源(のような抽象概念)を上流として、
そこからかなり下った段階で成立した文化という意味だ。
囲碁将棋や恋愛、経済活動のような形態の固まった文化は
下流文化だが、恋愛理論や経済理論のようなメタレベルの認識は
上流文化といえるかもしれない。このへんはまだ考え中。
恋愛・経済・文学(三大下流文化)
111 :
世界将棋五段:2006/02/21(火) 04:21:51
■世界は巨大な将棋である。
戦争も政治も企業経営も芸術も科学も恋愛もスポーツも
すべて物質(含む身体)や言語を
ゲームのコマとして操作しているにすぎない。
(これがホントのゲーム的リアリズム)
世界が下らない(下流文化)と思うのは
離人症のメカニズムと一緒じゃないかと思った。
つまり下らない世界を見降ろしている自分の場所を
確保することで精神的安定を得ている。
どうせこの世界全体が下らないんだから
深く考えて社会的不適応になってもしょうがない。
t
世界はドーナツの形をしていて、世界の外に出るというのは
外側に出るのと内側に出るのの2通りがある。
外側に出るのは単に知識が豊富なだけだが
内側に出るのがあらゆる知識を否定して根源的真理に迫る道だ。
世界の内側に出ると意味がなくなる。
しかもそれは半端ではない。「女」「ゲーム」「哲学」「ニュース」
みたいな個別的対象だけでなく、世界の背景自体が意味を失うのだ。
■理想のインフレーション■
これはヒーローアニメでよく言われる「敵のインフレーション」を
もじったものだ。ヒーローアニメでは敵を倒すたびより強い敵が現れて
最後は宇宙意志とか人類の進化というとこに行き着いてしまう
というものだが、テレビの登場によって人間にとっての理想もまた
インフレを起こしてしまった。例えば「理想の女」について言うと
テレビ以前の時代、理想の女といえば身近に接する中で最も美しい
女性のことだったろう。しかし映画の登場と共に映画に登場する
有名な美人女優を自分のものにすることが理想になったと思う。
しかしテレビはさらに事態を進行させ、テレビに出る美人はまだ
本当の理想の女ではなく、それは未来のいつか出現する、となった。
ここまで観念が昂進するとどんな魅力的な美人でも現実の女には
満足できなくなる。
■理性には対象を否定する働きがあって
「これは本当の○○じゃない」と現実を拒否する。
しかし、いつもそういう心の習慣で暮らしていると
現実のすべてが受け入れられなくなって
いつか完全無欠の理想世界が実現すると思うようになる。
ことにテレビ世代はその傾向が極端で、現実的対象をすべて
否定し尽くせば、超越的意味に満ちた世界が実現するだろうと期待する。
しかし超越的意味とは物質的生活の煩わしさの中で
たまに普遍的観念に触れた時に感じるものであって
物質的現実をシャットアウトすると全然感じられなくなるものだ。
だから現実を否定し尽くしても世界が超越的意味を回復することはない。
本当に俺の理論が認められないのは世界の終わりが近いからなのか。
もう一つの解釈は本当に必要な時まで俺を温存しているというものだ。
まあそのどちらでもなく単に俺がアホなだけという可能性もある。
どれが正しいかはあと5年もすれば答えが出るだろう。
3次元碁(2×2×2)
※_※
/ /
※ ̄※
※_※
/ /
★ ̄※
あれはだれだ、だれだ、だれだ
あれはドピル、ドピルパン、ドピルパン
超越と否定はちがう
いつか自分を取り巻くガラスがパリンと割れて
透明な世界に生まれ変わると思っていたのは
離人症的に世界と自分が透明な膜で隔てられた
疎外感からの脱出を願ったものだったらしい。
人生で最も長く生きているのは30歳である。
20代の10年間の記憶が鮮明で、10代はその2倍くらいあったと思うし
6〜9歳の4年間も20代の10年分くらいはある。となると合計40年だ。
ところが40歳になると30代の10年間は20代の5年間くらいにしか
感じないし、10代以前の記憶も薄らいでくるので(20代の10年を基準に
して)合計20年くらいしか生きているような気がしないのだ。
物質的存在=暴力的存在=経済的存在(であることを認める)
○○○○○○○○○ 【将棋碁】
├○┼┼┼┼┼○┤
○○○○○○○○○ 盤上の好きな石を好きな場所へ
├┼┼┼┼┼┼┼┤ 動かしてより多く陣地を
├┼┼┼┼┼┼┼┤ 囲ったほうが勝ち
├┼┼┼┼┼┼┼┤
●●●●●●●●●
├●┼┼┼┼┼●┤
●●●●●●●●●
○○○○○○○○○ 初手の例
├○┼┼┼┼┼○┤
○○○○○○○○○
├┼┼┼┼┼┼┼┤
├┼┼┼★┼┼┼┤
├┼┼┼┼┼┼┼┤
●●●●●●●●●
├●┼┼┼┼┼●┤
●●●●┴●●●●
なんか現実世界というものがどうでもよくなってきた
近代的主体=活字的権威(マスコミ的権威)
ハルマゲドンというのは少子化のことだったんだな。
もう近代文明の精神は死んでいる。
電気も自動車も西暦2500年にはなくなっているだろう。
現代文明を謳歌できるのもせいぜいここ何十年。
もしかしたらあと十年程度かもしれん。
少子化だけでなく、ドル暴落や資源争奪、感染症の危機もある。
そう考えると新世代ケータイや大画面テレビを開発しました
みたいなニュースが白々しく思えてくる。
1960年代「高度経済成長」⇔2030年代「高度経済崩壊」?
1980年前後「高度感性成長」⇔2020年前後「高度感性崩壊」?
■西暦2500年には人類は存在していない。
今の出生率が続くと2500年の日本の人口は10万人だ。
人口10万人で文明生活ができているわけない。
せいぜい電気も水道もない世界で自給自足している程度だ。
そのとき人間は文字も忘れているだろう。
文字がなければ自意識も成立しない。
ということは500年以内に世界は終わるということだ。
しかも実際は500年もかからない。あと5年かもしれない。
文字も崩壊するが理性も崩壊する。
理性とは現実否定作用(=禁欲的態度)のことだが
原理的にすべて解明されてしまえばもう現実を否定する意味はないし
否定しようとも思わなくなるだろう。
132 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:09:04
晒しage
柄谷行人は「1970年以降の日本しか知らない世代に何がわかるというのか」
と言ったが、俺は「1960年代に成人した世代に何がわかるというのか」
と思っていた。しかし俺も「1985年以降しか知らない世代に何がわかる
というのか」と思っていたが、これは間違いかもしれない。
1985年以降しか知らない世代もそれなりに生きているみたいだから。
ていうか戦前・戦中世代から見れば柄谷も「1945年の敗戦以降の日本しか
知らない世代に何がわかるというのか」と言われたはずだ。
つまり「各世代はそれぞれに人間的である」ということだ。
まあ1960年代生まれが極限的に意識がメタ化した世代であることに
間違いはないと思うが、活字世代から見れば単なる痴呆に見えるだろう。
生きていることに何の意味も感じられずフラフラしているだけだから。
しかし極限的真理を探究するには極限的無意味に耐えねばならないのだ。
そして自分なりに極限的真理を掴んだと思えば生きる意味を回復させる
だろう。その時は「今までなんと非人間的生活をしていたんだろう」
と思うはずだ。つまり何が人間的かなんて自分についても言えないのだ。
>>130 >しかも実際は500年もかからない。あと5年かもしれない。
団塊ジュニア女性の出産適齢期が過ぎて1985年以降の少子化世代が
出産年齢になる関係で5年以内に出生率が1を割り込むかもしれない。
そうなったら日本人は絶望して勉強する気も働く気もなくなるだろう。
生きる意欲もなくなって多くの国民は合法化された安楽死であぼーん。
その前に出生数が100万を割り込む。
ていうか人口が減少に転じた去年からすでに絶望は始まっている。
アリス と テレス
ドス と エフスキー
ウィ と ゲンシュタイン
レヴィス と ロース
昔の有名人=見上げる存在
今の有名人=見下げる存在
■現在進行中の急激な少子高齢化は極めて危険である。
社会の平均年齢が上がると社会の活力が低下すると言われるが
もっと問題なのは社会の平均精神年齢の急激な上昇だ。
たとえば団塊の世代は30代になっても40代になっても
精神年齢は20歳のままできたので1980年代の日本社会の精神年齢は
ずっと20歳だったと言えるが、さすがに50代後半にもなると
自分が年寄りであることを自覚せざるをえなくなってきて
社会の精神年齢は20歳から60歳へ一気にジャンプすることになる。
実際最近の社会的言説の重心は若者向けから(介護)老人向けへと
急激にシフトしている。これはつまり単に社会の精神年齢が上がった
だけでなく、その介護負担も含めて社会に精神的重圧がのしかかってきた
ということだ。これはかつての若者中心社会とはえらい違いだ。
若者は生きるエネルギーが生きる苦労を上回っているから社会は明るいが
60歳の意識だと生きる苦労(=死の願望)が生きるエネルギーを上回って
しまう。しかも直前まで明るい若者の世界に生きていたのが、一気に
60歳の世界になってしまうので、その絶望感は極めて深いものとなる。
1998年に自殺が激増したのはこれが原因だろう。
そして今、少子化はますます進行しており絶望は深まるばかりだ。
このままだと行き着く先は自暴自棄の戦争しかあるまい。
だから少子化を食い止めるのは現在の日本社会における至上命令なのだ。
ゆえに、まず真っ先に自由恋愛を禁止しなければならない。
ノス と ラダムス
ジョン と ラボルタ
スローフード
スローライフ
スローワールド
人間や世界は100年前や1000年前と何も変わってない。
あるいは100億年前とも何も変わってないのかもしれん。
「痛っ」「熱っ」「高っ」「早っ」etc.=固有概念
「痛い」「熱い」「高い」「早い」etc.=理想概念
老稚園
現代日本の社会問題はすべて「高望み」が原因である(例:ひきこもり)
━━━━━━━━━━━━━ド
─────────────シ
─────────────ラ
───────○─────ソ
─────○───●───ファ
───○──────●──ミ
─────────────レ
━○━━━━━━━━━○━ド
ジャガーズ『君にあいたい』のイントロ
△━━━━○━━━▽━あ
─□─────────か
───◇───────さ
────□──■○──た
───────────な
━━━━━━━━━━━は
──△───□────ま
───────────や
───────────ら
───────────わ
△あ、◇い、▽う、□え、○お
▲◆▼■●=濁点、小文字など
P音=ま行の▲◆▼■●
小さい「っ」=た行の☆、「ん」=わ行の☆
長音記号「ー」は場所によらず★をつける
新潮新書『1985年』の著者、吉崎達彦氏が『中央公論』の書評欄で
「マイクロソフトは実利、グーグルは模様」と囲碁に例えて書いている。
麻雀の例えはよく見るが、囲碁の例えは柄谷行人氏が『探究』で言語を
(チェスではなく)囲碁の定石に例えて以来だ。
この件については言いたいことが山ほどあるが
特に新しいアイデアがあるわけでもないのでここでは言わない。
湯川秀樹と古橋広之進が戦後日本人を勇気づけたとして並び称されるが
どうして科学的創造とゲーム的反復が同じ扱いになるのか長い間疑問だった。
しかし「人間にとって意味は、自分の生存にかかわることほど強い」
という原理によって解決できると思うようになった。
将棋の羽生名人曰く、
「藤井システムが出てきた時はこんな画期的な発見はこれで最後だろうと
思っていた。ところがその後、同じようなのがボコボコ出てきた。」
ふーん、そうだったのか。
・感染症の爆発
・資源争奪戦争
・自由恋愛の破綻
現代の大問題はこの3つだな。
いずれも「あとは野となれ山となれ」でやってきたのが原因。
生活保護家庭はゲットーに閉じ込めるべきですね
第二次大戦後、イギリス国民がチャーチルを落選させたのは
本当はヒトラーを支持していたからだ。
子どものころ芸能人は偉大な人たちだと思ってた。
大人になってやつらは最低の人種だとわかった。
これまで結果だと思われていたことは実は原因だった。
現在は過去の原因である。
そしてもうすぐ究極の原因に到達するとともに世界は終わる。
自然界に「性質」があることを最初に発見したのは誰なんだろう
157 :
独我論:2006/08/22(火) 01:52:08
子どものころ芸能人は最低の人種だと思ってた。
大人になってやつらは偉大な人たちだとわかった。
158 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 17:06:18
>>157 どのへんが?というか、どういう心境の変化で?
1855〜模索〜1870〜混乱〜1885〜改革〜1900〜発展〜
1915〜模索〜1930〜混乱〜1945〜改革〜1960〜発展〜
1975〜模索〜1990〜混乱〜2005〜改革
という15年周期説があるのを最近知った。しかし歴史の周期説には
近代日本の40年周期や縮小反復もある。歴史って複雑だなあ。
>>157はどこかの馬鹿による意味のない書き散らし
人間はあらゆる階層を同じように認識する。
例えば本の世界だと以下のように色んな階層があるわけだが
人間はこれらすべての階層を同じように認識するクセがある。
(人間の言語認識はフラクタル的である)
1.本全体(政治経済、社会、科学技術、歴史、哲学、教育、芸術、娯楽)
2.科学に関する本(数学、物理、化学、生物、科学史、テクノロジー)
3.テクノロジーに関する本(電気、機械、化学、建築、コンビュータ)
4.コンビュータに関する本(ハード、ソフト、ネット、IT犯罪)
5.IT犯罪に関する本(出会い系サイト、フィッシング、オークション)
6.・・・・・
このような認識機構により例えば将棋と数学というレベルのちがうものを
同列に比較しようという誤りを人間はしばしば犯してしまう。
×コンビュータ
○コンピュータ
若者の下流化は意味を回復させる手段である
なんか禁酒法にまで突き進みそうな勢いだな
165 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:34:04
>>1 行と列が逆だよ。
慣れてないと思うが、普通は、こうじゃないか?
・・・・・・言語性→
将棋・・ ○
↓
>>165 ホントだ…
// 言 肉 実 科 芸 社 二
// 語 体 益 学 術 会 人
// 性 性 性 性 性 性 性
将棋 ○ × × × △ × ○
囲碁 × × × △ △ × ○
文学 ○ × × × ○ △ ×
芸術 × △ × × ○ △ ×
数学 ○ × △ ○ △ △ ×
科学 ○ × ○ ○ △ ○ ×
政治 ○ × ○ × × ○ ×
経済 ○ △ ○ × × ○ ×
恋愛 ○ ○ ○ × △ ○ ○
スポ × ○ × × △ △ △
ーツ
しかし「あらゆる文化はゲームである」という言明はメタレベルに属する
さてゲームの代表といえば将棋だが、その将棋が今存亡の危機にある。
・コンピュータ将棋がプロのレベルに迫り数年以内に名人に勝ちそう。
・コンピュータ検索の発達により定跡研究が進み、平均110手で終わる
とされる将棋の50手ぐらいまでスラスラと進んでしまう対局がザラに
なった。もし70〜80手までスラスラ進むようになったらはたして
そのゲームは将棋と言えるのか。
・コンピュータの詰め将棋ソフトがプロより早く詰みを発見するケースが
出てきた。タイトル戦や順位戦で一般のファンがソフトで詰みを確認
してネットのやじ馬は終局ムード全開なのに対局者が間違うという
ケースも出て、なんだか将棋界全体にシラケムードが出てきた。
短期的にはこれが一番の脅威だろう。
瀬川プロ入り問題とか名人戦問題とか将棋連盟が悪あがきを始めたのも
将棋という文化自体が限界に達しつつあるからだ。
そしてこれは実は将棋だけの問題ではないのかもしれない。まあこういう
極限状況を体験できる時代に生まれ合わせたのもラッキーかも。
169 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 23:04:07
思うに、ルール則っている以上は、それでもゲームというべきである。これは、いかに?
50手くらいまで定跡化してしまうと残りの60手もまだ研究してないだけで
本当は定跡化されるべきものというイメージになる。つまりまだ解明されて
なくても詰みまでの定跡がすでに存在しているような気になる。
そしてもう将棋は終わったというような気になるのだ。
そうなったら日本人は将棋への興味を失うことだろう。
これと同じことが人間の世界認識全体についても言える。
つまりある程度人間の行動や思考のパターンがわかった時点で
すべてがわかったような気になってしまう。
もう人間の歴史も個人の人生も終わったというような気になる。
さらに人間の精神活動が理性だけで完結して本能が機能停止する。
エネルギーが肉体を動かすレベルに達しないので何もできなくなる。
現代のうつ病やひきこもりはこういうことだろう。
というわけである程度理性を放棄せなあかん。
やはり政治経済が世界の根幹で文化は枝葉だな
テレビは完全に終わったな
安倍晋三は笑うと相田翔子に似てる
174 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 01:20:54
安部さんは関係ないが、相田翔子はちょっとまずいな。
もっと腐ってくると、林真理子じゃないか?
ゲームの反対語は進化だろうな。
しかも想像もつかない超越的進化。
それが信じられていた時代(1980年代)、世界の根幹は文化だった。
政治経済なんてバカのやることだと思ってた。
ところが21世紀も何年か経過し、超越的進化なんかないという事実が
意識の奥深くまで浸透してくると、文化に特別な価値はなくなり
すべては同一レベルのゲームと化す。そうなると社会的影響力の強い
分野が上ということになって政治経済が根幹的に思えてくる。
相田翔子がもっと腐ると林真理子というつながりがわからん
1930年は軍事、1960年は政治、1990年は経済が主要な議論だったから
2020年あたりは文化の時代になるだろう、と岡田斗司夫は言った。
しかし社会の実態はすでに1960年=経済、1990年=文化だったから
議論はワンサイクル遅れている。となると2020年あたりは議論レベルは
文化中心になるが、実態は戦争の時代になるだろう。1930年代の
戦争の時代に「日本の世界史的使命」といった文化が語られたように。
将棋は完全情報ゲームだから最善手順が存在する。
しかしそれは最善手順を決定したコンピュータにとって
完全情報なだけであって人間の対局に関してはそうではない。
相手が何を考えているかわからないからだ。
いや「完全情報」というのはそういう意味ではない
と言われるかもしれないが、最善手順が決定されるまでは
そういう要素もゲームの情報のうちに入れるべきだ。
実際、人間が参加するあらゆるゲームで重要なのは「ほかの人が
どう考えているかわからない」という不確定要素なわけだから。
>最善手順が決定されるまでは
>そういう要素もゲームの情報のうちに入れるべきだ。
この発言訂正。
最善手順が決定された後でもそのゲームをすることに意味はある。
なぜなら対局相手も同じ人間なので全てを解明してるわけではないし
有利な局面に導く読みの力や手筋の知識もゲームをする上で有効だ。
そしてそういう考える能力はゲームを離れた一般的問題を解く上で
役に立つことも多い。
コンピュータは可能な局面探索と評価関数だけで最善手順を決定するので
手筋も読みも関係ないが、だからといって人間の読みや手筋の経験が
無駄になるわけではないと言いたかっただけです。
最善のふるまいは決定済みである、という意味では権力ゲームや
愛情ゲームといった反復的ゲームの最善行為も決定済みだよな。
ていうか商売や言説といった創造的分野も含めて
神様から見れば人間の最善のふるまいはすでに決定済みだろう。
だからといって人間が努力することに意味がないということはない。
ていうか世界史自体が最善の歴史経路をなぞっているだけ
という話もある(ライプニッツの最善世界説)。
哲学じゃなくて、数学のほうが向いてると思うぞ!
中川秀直幹事長のニックネームは「ひでブー」にしよう。
これでまさに「あべし・ひでぶ政権」だ。
やっと文学もテレビも本格的に終わった(死んだ)わけだが
10年後には「終わった」という意識すらなくなっているだろう。
ていうか終わらせようと力を入れるから文化が死ぬのであって
どうでもよくなればそこそこ意味は回復するだろう。
カカオ99%のチョコレートは確かに苦かったが
辛さ20倍のカレーほどつらくはなかった。
すべての世界をゲームとして理解しようというのは
すべての世界を無意味化しようという作戦だが
その作業が進行すると逆に生存にとって必要な文化が
特別なものとして浮上してくるな(世界の根幹)。
というのは人間という文化をも客観化(ゲーム化)すると
ゲームという感覚自体が失われてしまうからだ。
これは「ゲーム化のパラドックス」だ
そもそもすべてを無意味化しようという精神運動は
テレビがもたらしたものだ。
テレビに映るものはすべてギャグになる
それはテレビに映し出されたものは
二次元に変換された形式のみの対象で
実質的内容を失うからだ。
こういう認識回路が乳幼児期に刷り込まれた世代は
テレビを離れた実際の世界も形式的にしか認識できなくなり
すべては無意味と化す。
といってもそれは常に「世界を形式的に認識しなければならない」という
意志を持った一部の理性的人間だけで大半は普通に生活できている。
俺も眠りかけの、夢の世界が起動し始める時は
世界を否定する作用はほとんどなくなってると感じるからなあ。
夢というのは背景となる世界も自分の意識が作るものだから
世界を否定(形式化)するような作用があると夢の世界自体が
成立しなくなるからだろうな。
そして世界のすべてが無意味化できれば、もうそれ以上
無意味化の圧力はかけなくていいから
世界の意味が回復するだろうという作戦なのだ。
そういう意味で、ここに来てテレビが完全に終わった
(どうしようもなく下らないので見る価値がなくなった)
ということは歴史的大事件なのだ。
なぜならテレビ世代にとってはテレビ、イコール世界なのであり
テレビが終わることは世界が終わるに等しい大事件だからだ。
文学が終わるなんてことはテレビ世代には何の関係もない。
というわけで、やっとテレビの呪縛から解放されるかもしれないと
感じている今日このごろなのだが
この先どうなるかはしばらく様子を見ないとわからんな。
柄谷行人の言う「文学の終わり」というのは
文学が批評すべき対象ではなくなったということで
「哲学の終わり」に直結するんだろうな。
じゃあ俺にとっては「テレビの終わり」が
「哲学の終わり」に直結するわ。
(ただし文化としての哲学は価値を失っても
個人的に考えることをやめるわけではない)
仕事探してるのか?
仕事するとかいうレベルじゃないんだよね。
今は世界の存在を受け入れられるかも、という状況。
人間は「絶対ゲーム感」を持つべきだ
ゲームレベル0=完全情報ゲーム(例:将棋、囲碁)
ゲームレベル1=有限要素の組み合わせ(例:音楽、数学の既成分野)
ゲームレベル2=無からの創造(例:哲学、数学の新分野)
今や日本全体が一つの「超都市」になった
今や人間のあらゆる行為や認識は一つの「超ゲーム」になった
科学者は人間が炭素や酸素といった
宇宙にありふれた物質でできていることに驚くが
人間の認識が、言語というありふれたゲームで
成り立っていることにも驚かされる。
「ありふれた」物質ではいけまんせん。
量が多いか少ないかは関係ないはずですが、
もしかしてあなたは希少性に価値を見出してませんか?
>>211 仮に人体が宇宙に希少な物質でできていたとしても
科学者は驚いたでしょうね。
現に超弦物理学者は宇宙が例外的な(数学の)「群」を
採用していることに驚いた。
つまり人間や宇宙の構造がコトバで理解できたこと自体が驚きなのだ。
しかしこれは本当に驚くべきことなのか。
人間が宇宙の構造を理解したことが宇宙の起源なら不思議でも何でもない。
人間精神が宇宙の本体であるという観念論の立場ならそうなるだろう。
213 :
考える名無しさん:2006/10/29(日) 04:15:22
ところで現在という時間に幅はない。
人間は誰でも幅のない現在という一瞬を生きているわけだが
その時間の幅を持たない人間が、同じく時間の幅を持たない他人と
コミュニケーションできるのは極めて不思議なことのように思える。
しかし、こう考えれば不思議ではない。
他人は過去から未来へ向けて連続して存在しているので
どの一瞬に働きかけても必ず返事がかえってくる。
この理論だとどの時点においても他人は実在していることになり
過去から未来への歴史はすべて決定済みでなければならない。
たぶんニーチェのいう永劫回帰とはこのことだ。
宇宙の歴史は最善のものがただ一つだけ顕現しているのであり
(ライプニッツ)今この瞬間にも10年前、100年前、1000年前が
全体宇宙のどこかに同時に実在している。そう考えれば
自分や宇宙が終わってすべてが無になることを恐れる理由はなくなる。
たとえばAさんが2006年10月29日午前5時ジャストに
Bさんを殴ったとしよう。
この物理的コミュニケーション自体は成立しているが
Bさんの意識本体はその時点にはないかもしれない。
(仮に意識の本体が一つとした場合)
Aさんの現在は2006年でもBさんの現在は1996年かもしれない。
2006年のBさんというのはBさん本体の分身のようなものだ。
パーマンが活躍する時の分身のようなもんだな。
しかし本当はあらゆる時点が現在として実在しているんだろうな。
脳には現実情報処理回路とテレビ情報処理回路があって
テレビ世代は現実情報もテレビ回路で処理するようになることで
意識がメタ化した。そしてそれは脳に今までにない新しい回路を
形成する体験だったので非常に価値のあることに思われた。
しかし現実感覚を失って社会の存在が実感できなくなるという
副作用もあった。しかし俺は意味はなくなればなくなるほどいい
と思っているので現実回路とはまだ当分妥協できそうもない。
飲酒運転、サラ金生命保険、いじめ自殺、高校未履修、部落虚偽病欠、
ソフトバンク無料、北朝鮮核実験、中国権力闘争などなど
最近けっこう賑やかになってきてるな。この調子で戦後体制が崩壊して
正義と悪がひっくり返ってホスィ。
>テレビ世代は現実情報も
>テレビ回路で処理するようになることで意識がメタ化した
つまり脳の中に世界のコピーを作ってしまう。
そしてそのコピー世界から見れば現実はパロディに見えるわけだ。
ていうか大脳新皮質が元々世界のコピーだったとすれば
テレビ世代の作った世界はコピーのコピーになるわけだが。
そしてその脳内コピー世界に他者はいないし自分の肉体もない。
テレビの前に座れば全世界が見られるように
脳内コピー世界では自分が思っただけで何でも実現する
万能の超越存在なのだ。つまり夢の世界。
しかし夢の世界は背景まで自分で作り出さないといけないので
世界の否定が弱まって、むしろ意味は回復するのだが
夢の世界の感覚で現実を生きようとすると意味がなくなるのだ。
(この辺けっこう複雑)
現実世界で自分は万能の超越存在じゃないからな。
例えば夢を見ている時に電話がかかってきても
すぐには体が動かないということがあるが
これは夢と現実では働いている脳の中枢が異なる証拠だ。
体を動かす中枢は現実生活する上で否応なく働くが
脳がテレビ化されると現実認識中枢の一部が
眠ったままになるというわけだ。
以上ひきこもりが他者のいない万能感の世界を
生きていることについて説明してきたわけだが
実はそれは日本の戦後民主主義にも言える。
日本は外国から非難されるとただペコペコ謝るだけだが
これは他者の存在を認めてないということだ。
そしてそれは100%相手が悪いという
排外的ナショナリズムに容易に反転する。
観念的という意味ではいっしょだからな。
ひきこもりの説明っていうか1998年以降激増した自殺の原因も
これだと思うんだよね。新しい鬱病。
テレビ放送が45年も続いたこの年、とうとうテレビ脳状態が
生物的状態として定着したようなのだ。生命の進化はこのようにして
進行してきた。最初は一部のひきこもりだけだったものが
やがて社会意識として定着し生物的状態を変えてしまう。
しかし今ならまだ間に合う。集団的無意識は元に戻せる。
国民の六人に一人(しかもそれは良質な部分)が鬱病という
この悪しき状態を脱するにはテレビ放送を廃止
(もしくは大幅に時間制限)するしかないだろう。
活字文化再生の声やテレビ番組の低俗批判が強いのも
テレビの有害性についてみんな気づいているからだ。
会社では20代より30代に鬱が多いそうだ。
(40代が比較的少ないのは重い鬱の人は
すでに会社をやめてるからだろう)
30代はまだテレビ世代であり進歩意識も刷り込まれている。
それで現実の超越を目指し意識がメタ化するので鬱になりやすい。
それに対し20代は進歩の終わったあとに育ったゲーム世代なので
不可能な理想を求めることもなく現実に適応しやすいのだろう。
224 :
考える名無しさん:2006/11/04(土) 20:34:12
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ
泣けるぜ
1:X=X:(1−X)というXの地点に意識を調整すれば
世界の意味は再生する。このXとは黄金分割比0.618だ。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□客観世界T□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■主観意識■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■□□□□□□□□□□□□
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◎◎◎※※◆◆◆◆◆◆◆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◎◎◎※※◆◆◆◆◆◆◆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◇◇◇◇◇◆◆客観◆◆◆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◇客観◇◇◆◆世界U◆◆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◇世界V◇◆◆◆◆◆◆◆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◆◆
主観意識(■)が客観世界T(□)を認識しているわけだが
この2つの世界の形が一致したのが黄金分割で、これなら
客観世界T(□)に住む自分も客観世界U(◆)を認識できるし、
さらにその客観世界U(◆)に住む自分も客観世界V(◇)を認識できる。
こういう無限の入れ子構造が成立したとき意味は回復するのだ。
テレビ脳で意味が成立しなくなった状態(新しい鬱病)とは
世界の中に自分がいない主観意識(■)のみの状態だ。
ソシュール言語学は意味するものと意味されるものを分離したが
80年代にそれがブームになったのは意識する自分と意識される自分が
分離して世界の意味が失われるという状況が現出したからだ。
(使用価値から記号消費へという動きもそう)
ま、一種の幽体離脱状態だな。しかしそういうメタ意識を持たない世代が
増えるにつれソシュールは話題に登らなくなった。
まあ1920年代に世界内存在という問題意識はすでにあったが(ハイデガー)
それがテレビによって実体化したのが80年代だったというわけだ。
しかし主観意識と客観世界がズレていても進歩の時代のあいだは
意味が成立していた。未来の理想を信じることができたからだ。
しかしその理想が荒唐無稽な虚構になるあたりから
意味が成立しなくなってきて、
1998年にはその虚構も信じられなくなる。
まあべつにヤンキーのみなさんなんかは何も考えてなくても
(主観と客観が一致してなくても)意味は成立してるわけだが
テレビ時代の理性的人間の意識がメタ化した状態から
いかにして意味を回復させるかという話をしてるわけ。
まあ意味を削ぎ落とすことでその成立条件を探っていたわけだが
言語や家族といったシステムが解明された今
そろそろ世界の拒否も解除していいんじゃないかな、と。
>>226 80年代に他者、他者と言ったのはそのせい
意味がなくなると女性のおしゃれがコスプレにしか見えなくなる
(ていうか女が自分を女と思っているのがアホみたい)
>>209 >行為や認識は一つの「超ゲーム」
いや、自分の体を(特別な)ゲームのコマとして動かすことも含めた
認識(と存在の)ゲームかな。名づけて「世界ゲーム」。
>>213 >他人は過去から未来へ向けて連続して存在しているので
>どの一瞬に働きかけても必ず返事がかえってくる。
働きかけた時点と返事がかえってくる時点にはタイムラグがあるが
その両時点を「現在」として共有できるためには時間経過の速度が
まったく同一でなければならないわけだが、この場合も
「時間があらゆる速度で経過する世界が無数に実在している」
と考えれば問題ない。その中でたまたま速度が一致した世界を
いまコミュニケーションしている他者と共有しているわけだ。
しかしそんなに「現在」や「速度」のちがう世界が無数に
実在してるんなら、もっと俺が華々しく活躍している
別の世界というのもどこかに実在してないのかなあ。
そして今からでもその理想世界へ移動できないものか。
233 :
考える名無しさん:2006/11/07(火) 22:15:05
ついに超越者になってしまった!
でも、「自分が超越者になったところで、だからどうした?」。
この無常観は一体なんなんだ!?
超越と無常観は、同居してしまうもの、と考えてみてはどうか
それでいいんだよ
柄谷行人は1986年春の講演で、当時の思想状況を
「心にポッカリと巨大な空洞があいたようだ」と表現しているが
この空洞とは現実情報処理回路の機能マヒのことだ。
世界の中で意味を実感することができなくなり
世界の外から形式のみを認識するからすべてがパロディになる。
宮台の言う無意味感や生命力の低下もこれに由来する。
これはテレビ世代の宿命で1977年あたりに意識のメタ化が始まったあと
知的に誠実であろうとすれば、徹底的に内部的意味を削ぎ落として
世界認識の構造を解明するしかない。しかしその作業を続けると
社会生活ができなくなって、ひきこもるしかなくなるわけだが
誰に非難されようとその態度を放棄するわけにはいかない。
とはいうものの、いつまでもそれを続けると親は死に、財産も使い
果たして野垂れ死にするしかない。ていうか一定期間そういう生活を
続けると「俺はもう十分世界の構造を解明したからもうこんな生活
やめたい」という気持ちになってくる。しかしもう少し頑張れば重大な
発見があるかもしれないと思うとなかなかやめられなかったりする。
1996年、アラン・ソーカルは物理学を哲学に応用したニセ論文で
ポストモダン哲学を騙すことに成功した。
ほぼ同じころ日本でも似たようなことが起きている。
1997年、渋谷で散布された「プリクラ新聞」はやがてi-modeの
出会い系サイトの大ヒットへと展開し日本人の性の解放を極限まで
推し進めたが、実はそれは自由恋愛の間違いを証明するために
あえて極限状況を作り出そうとして撒かれたものだった。
インドやチベットには聖者がたくさんいるそうだが
ああいうのって価値あるのかなあ。
本当に価値があるのならどうして偉大な理論として
哲学や心理学に組み込まれないのかなあ。
本当は大して中身のないカルトの指導者ちゃうんか。
そんなに知的に優れた人間ならなんらかの科学的業績の一つも
ありそうなものだが、そういう話は聞いたことがない。
まあ「世界の真の姿は言葉では表現できない」と言うんだろうけど
それは漢方薬といっしょで、理由はわからないがある種の修行を
したらそういう感覚が体験できましたというだけだ。
この方面はまだまだレベルが低いか単なる妄想かのどちらかだろう。
「現在」や「速度」が違うわれわれの歴史的宇宙が実在してると
言うのなら、あらゆる可能的宇宙は実在してると言わねばならない。
なぜなら時間様態が異なる宇宙も歴史展開が異なる宇宙も顕現してない
という意味ではいっしょだからだ。
ちなみに異なる歴史展開の宇宙で、ある人が思いついたアイデアが
われわれの宇宙に影響を及ぼすということは実際ある。
なぜならあらゆる可能的歴史をいったり来たりして最善の歴史を
作るプロセスで当然影響は受けるからだ。
モーツァルトがあれだけ多くの名曲を書けたのもパラレルワールド
からのメッセージを受け取る能力があったからだろう。
じゃあもしこの先、人類が進化する可能性があるとすれば、それは
自分の好きなパラレルワールドにジャンプできる能力を獲得すること
かもしれん。それは催眠術みたいな形態になるだろう。
全人類のエドガー・ケイシー化。霊的タイムマシン。
もう西暦2000年で今までの歴史は終了してるのだから
それくらいビックリするような変化がないとおかしい。
>>213 >その時間の幅を持たない人間が、同じく時間の幅を持たない他人と
>コミュニケーションできるのは極めて不思議なことのように思える
いや、自分も他人も物質も同じ大きな意識の一部と考えれば問題ない
ケータイがそのままマウスになって、テレビにつないで
インターネットが見れるというシステムを思いついた。
これならパソコンの面倒な操作を覚える必要も
モデムを買ってプロバイダーと契約する必要もない。
これは爆発的に売れるにちがいない。
ケータイ会社さん、商品化して利益の1割下さい。
NTTドコモのi-modoも私のアイデアがきっかけです。
そういう実績のある私の新提案をぜひ採用して下さい。
mixiは会員一人の紹介で入会できるそうだが
会員10人の許可がないと入れないサークルというのもありだな。
ただし人望が厚い会員は3人分とか8人分の許可を与えることができる。
「現在」に幅はないというが量子論にプランク時間というのもある
日本将棋連盟が将棋倶楽部24を買収した
俺の地元の市役所のホームページの「市へのご意見」コーナーに
「コンビニでコンドームを売らせるな」と投稿したら封書で返事が来た。
竜巻って上昇気流だったんだ
極微の世界が不確定なのはパラレルワールドが重なり合っているからだ
という話がある。重力子は多次元宇宙に浸み出しているとも言う。
となるとたぶん奇跡と言われるものはパラレルワールドでの出来事を
この世界に引き寄せたものにちがいない。
最近1970年代に活躍した人が次々に死ぬなあ。
丹波哲郎、ポール・モーリア、はらたいら。
70年代は大昔になった。
最善の歴史がただ一通り存在している
というのは何も存在してないに等しい。
だからパラレルワールドは実在しない。
もっといい世界があるなら最初からそうなってたはず
最善の歴史を作るためには世界には終わりがないといけない。
ゆえにこの物質宇宙はビッグクランチで終わるにちがいない。
しかしそれは最大限の話で
実際は言語意識を持った人間の
最後の一人が死んだ時が
世界の終わりかもしれん。
あるいはそこまで待たずとも、あと10年以内に
資本主義崩壊、伝染病で何億人も死亡、核戦争勃発
みたいな終末状況になって全人類の意識が同時に
超越的な夢を見るような状態になって
華々しい宇宙の終わりを迎えるのかも。
「最後に全人類が超越的な夢を見る」というのは
宇宙の全歴史を走馬燈のように回想するようなことかも。
そして次に目覚めた時はシュメールで最初に意識を獲得した
人間だったりして。つまり全人類がたった一人の人間に転生する。
ていうか実はいつの時代も
全人類の中心意識が宿る人間というのがいるんじゃないかな。
釈迦、孔子、ソクラテスとかアレキサンダー、始皇帝、カエサルなど。
>>238 >人類が進化する可能性があるとすれば、それは自分の好きな
>パラレルワールドにジャンプできる能力を獲得することかもしれん
これはありえない。なぜなら最善の歴史を作る過程に必要とされた
パラレルワールドというのは我々が知覚できるようなシロモノでは
ないからだ。我々が住むこの現実世界は日常言語で理解できる形を
しているが、歴史を作る過程でいちいちそんな効率の悪い世界を
実行する必要はない。もっと高次元で抽象的なシステムを使って
いるはずだ。コンピュータ画面は普通の絵や文章でもパソコン内部は
1と0の羅列だったりするように。そういうあらゆる可能性の
データベースから最善の歴史を作るのは一種のゲームのようなもんだな。
そういう意味で意識がメタ化してすべてがゲームでしかないという感性は
世界の終わりが近づいて神の領域に入り込んだ状態なのかもしれん。
テクロノジーは人間を無限に神に近づける。
文字、活版印刷、写真、レコード、映画、ラジオと来て
テレビこそ神の視点を人間に与える最終メディアかと
思っていたが、本当のアンカーはコンピュータだったようだ。
そもそもこの宇宙の本体(=神)が最善の歴史を紡ぎ出す
超高速コンビュータなわけだが、人類はついにそれに近いものを
作り出したというわけだ。視覚と頭脳(テクノロジー)の二つが
揃ってさすがにもうこれ以上は必要ないだろう。それと、中国の
急激な経済成長も合わせると世界の終わりが近いのは間違いない。
(もし日本が戦争に勝ってたら日本と中国は同時に高度成長を遂げ
とっくの昔に資源争奪の世界戦争が起こってただろうし、共産化や
文革がなくても中国の発展はもっと早かっただろう。つまり中国の発展が
遅れたのは、その間世界が十分成熟する時間を与えるためであり実際に
発展し始めたのは進歩が終わってからだった。しかしその中国の発展も
大きな壁にぶち当たってきた。世界の終わりが近いしるしだろう)
電車の中でケータイ相手にしゃべるやつが不愉快だという話があるが
それはもともと電車に乗っている状態自体が不愉快だからだ。
(つまり不愉快の自乗)
なんでオレのような天才様がこんな雑魚どもといっしょの電車に
揺られなあかんねん、というマンガを小林よしのりが描いてた。
◆進歩の時代の時間イメージ
(時間とともに空間の位置が変わってゆく)
| /
| /
| /
| /
| /
| /
|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
◆進歩以後の時間イメージ(ずっと同じ場所)
↑
↑
↑
↑
↑
↑
↑
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
261 :
考える名無しさん:2006/11/19(日) 18:00:25
これは何と書いてあるでしょうか(書き込み欄にコピペすれば読めます)
●● ●● ●●●● ● ● ●●●●
● ● ● ●
●● ● ● ●●●●● ● ● ●●●●●
● ● ● ●● ●
●●● ●● ● ● ●
262 :
考える名無しさん:2006/11/19(日) 18:37:34
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● ● ● ●● ●
●●● ●● ● ● ●
1985年にいったんすべては終わったが
同じ年のファミコンブームから歴史のやり直しが始まった。
そもそもゲームというのは子どもの遊びだからな。
しかし電子化という要素は新たに加わった。
そしてその電子化されたメディアによる遊びはいま
インターネットにおけるハイレベルな議論まで成長している。
このまま定常社会にソフトランディングできそうな気もする。
そして今や1925〜85年の60年間は「電波の時代」として
なかったことにされている。
「戦前の日本で昭和天皇は個人崇拝された」となぜ言わない。
スターリンや金日成については言うくせに。
進歩の時代が終わると歴史を勉強する必要はなくなる。
政治や戦争なんて100年前も1000年前もやってることは同じだし
科学技術の発達も、もう人間の進歩とは関係なくなったから。
左翼=観念的
右翼=現実的
「中国で5年以内に大変動が起きるだろう」
と複数の人が「フォーサイト」最新号で言ってた
学問的哲学の議論は物知り競争みたいだ
「この先人類の歴史はどこまで進むのだろう。
それを見届けることなく死ぬのは心残りだなあ」
と昔よく思ってたけど、もう十分見届けた。
歴史だけでなくすべての勉強が無意味になる。
では人間は何のために生きるのかといえば
単に快楽のためということになる。
「ただ愛のために」という美化した言い方もある。
まあ資本主義が花火のように爆発するのが見たいというのはある
1999年がどうなるか見届けたかったのと似てる
あと新東京タワーもちょっと見たいけど5年後まで生きてるかどうか
『2007年の墓碑銘』というSF小説があったから
2007年には何か起きるんじゃないかとちょっと期待してたりする
予言小説というのはけっこう馬鹿にできないもので
「1985年」という第三次大戦を予言した本が
1978年に話題になったが、その年ゴルバチョフが登場した。
「1989年の挑戦者」という将棋界の小説が1984年に出たが
1989年に羽生善治氏が竜王戦の挑戦者になりタイトル奪取した。
オーウェル『1984』も大予言の書だった。
俺は1984年は世界史最後の年だったと思っている。
中国もロシアもおかしくなってきたし
日本もいじめ問題をきっかけに
世の中ひっくり返らないかなあ。
279 :
考える名無しさん:2006/12/05(火) 13:11:08
パイナップル食べ過ぎると舌がヒリヒリする
カーナビに映る街の画像って現実の街のコピーなわけだが
カーナビ画像のほうがオリジナル(=イデア界)で
現実世界のほうがコピーみたいだ。
『選択』12月号によれば反腐敗闘争(例:上海の陳良宇逮捕)を仕掛けて
いる中国の胡錦濤が逆に包囲網を形成されて追い詰められているらしい。
たぶん中国は軍閥が割拠するようになって北京オリンピックは中止だな。
DIKと書いて出会い系と読む
テレビの価値が暴落した。
NHKが日本ハム協会(ハム=アマチュア無線)にしか見えない。
小学生時代=何としてもテレビに出るような人になりたい
いま=テレビに出るような人にだけはなりたくたい
1970年代に教養主義が崩壊したのは当然だ。
人間自体が新しい精神形態へ進化すると思われたのだから。
(「教養」というのは傍観者的態度にすぎない)
286 :
考える名無しさん:2007/01/08(月) 21:54:35
↑君、死んだ方がいいよ
「人間はやがて物質から離れて純粋に精神的な存在になる」
というニューエイジ思想(霊的進化論)はまちがいだったが
「人間は結婚から離れて純粋に恋愛を楽しんでもよい」
という自由恋愛思想は今だに大多数の人が信じている。
私は最近テレビも新聞のテレビ欄も見なくなった。
するとあ〜ら不思議。
今までどうしても受け入れることができなかった
物質世界の存在を受け入れられる気持ちになった。
正確に言うと「どうして人間がこの先物質を超越した存在に
進化することはないと言い切れるのか」という問いに
意味がないような気がしてきたということだ。
なーんだ、あれはテレビの病気だったのか。
もっと早く気づけばよかった。
これはひきこもりという病気の本質でもある。
活字人間が理想を追求すると共産主義者になるが
テレビ人間が理想を追求すると
物質世界の存在自体を拒否してひきこもりになるのだ。
ひきこもりが苦しい生活をしている割になかなか自殺しないのは
自分から世界を拒否していると思っているからだ。
しかし本当はそれはテレビ病なのだ、と教えてあげたい。
290 :
考える名無しさん:2007/01/10(水) 03:17:33
テレビと引きこもりに関連があるのかねぇ
そりゃすごそうだぁぁぁ
291 :
考える名無しさん:2007/01/10(水) 03:18:21
たしかにNHKで特集していたけどさぁあぁああぁぁぁ
292 :
考える名無しさん:2007/01/12(金) 12:51:36
よほど印象的な内容でない限り直近の睡眠で見た夢は思い出せない。
夢とは単に個人の頭の中で想像しているだけにすぎないからだ。
テレビもこれといっしょだ。テレビを見ていろんなことを体験した
つもりでも、実はそれは何の体験にもなってない。
じっとテレビの前で画面を見つめただけのものにすぎないから。
しかし確かにテレビの中ではいろんなことが起きるので
たとえ一日2〜3時間でも毎日テレビを見続けるとその人は現実より
テレビのほうが自分が本当に住んでる世界のように感じるようになる。
それで現実感覚がマヒして何もできなくなるのだ。
テレビに精神支配された子どもが思春期になると
あまりに不完全な現実が受け入れられなくなって
学校に行かなくなる。するとますます現実感覚がマヒして
テレビを見るくらいしかすることがなくなり
それでまた感覚がマヒして、という悪循環が起きる。
現実感覚がマヒすると存在と価値の混同が起きる。
つまり何か現実世界で起きたことを価値として否定するだけなら
いいのだが、ひきこもりは現実の存在自体を否定するのだ。
そして物質を超越した真の理想世界が実現することを渇望する。
しかし物質を超越した世界というのは実はテレビの隠喩にすぎず
そんなものは原理的に実現不可能なのだ。
昔から人類は理想世界を夢見てきた。
神の国、極楽浄土、共産主義世界、人類意識の進化などだが
それらには共通点がある。
・争い事がない
・すべての人間は若くて美しい
・仕事も勉強もしなくてよい
・食事すら必要なく病気も存在しない
などだが、実はテレビの世界もこの思想に支配されている。
・争い事がない
(→テレビの中の人は怒る時も笑いながら怒る)
むかし竹中直人のギャグでそういうのがあった
・すべての人間は若くて美しい
(そういう人以外テレビには出てこない)
・仕事も勉強もしなくてよい
(テレビの中の人はただ遊んでいるように見える)
・食事すら必要なく病気も存在しない
(病人はテレビに出ないしテレビタレントは超物質的存在なので
食事も排泄もしないイメージがある)
つまりテレビは古来からの人類の夢を演じているわけだが
子どもにはそれが虚構の世界であることがわからない。
それが世界の本当の姿であり現実は一時的な夢のようなものに思える。
そして自分は本当はスーパーヒーローで将来は世界の支配者になると
信じて疑わなくなる。
しかし理想世界というのは原理的にありえないのだ。
あらゆる問題がなくなると人間は何もすることがない。
これは正にディストピアだ。
そもそも人間が意識を獲得するまでは
何も苦しみを感じなかったわけだから
これは一種の理想世界だ。
というか意識を獲得した後でも人間だけ
仲良く暮らしていこうと思えばできたはずだが
それだとあまりに退屈なので闘争のある世界を選んだのだ。
いや、自分たちは平和的民族なのだがよその民族が
好戦的なのでやむなく自分たちも戦ったのだと言うかもしれないが
人類全体が一斉に戦いを放棄すればそうはならなかったはずだ。
つまり人類の究極の進化はすでに達成されている。
今の状態がそうであり、これが本当の理想世界なのだ。
ライプニッツの最善世界説というのがあるが
まさにこの世界は誕生した時から最善の理想世界であり
もっといい世界があるなら最初からそうなってるはずなのだ。
この世界にいろんなことが起きるようにできているのは
空を見ればわかる。地球の空は晴れたり曇ったりだが
よほど精妙なバランスを取らないとこうはならない。
金星なんかずーっと熱い雲に覆われている。
そもそも平和に暮らしたいだけなら生物は進化しなければ
よかったのであり、人間に進化したあとで戦いだけ放棄する
などというのはもはや不可能なことだし望ましくもない。
丹波哲郎の言う霊界ではすべての男女が二十歳だそうだが
現実にはありえない。おばさんは永久に不滅です。
「他者」という言葉が思想のキーワードになったのは
他者の存在を受け入れられなくなったからだろうが
別に受け入れなくてもいい気がする。
永遠に「どうして他者を受け入れなければならないんだ」と
悩んでいればいい。森田療法みたいな話だが。
┏┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┓ これは俺が最近発明した三色碁だ
┠┼┼●┼┼┼┼┼┼○┼┨
┠┼○●◎┼┼○◯┼┼┼┨ ●のポイント=◎+●
┠┼┼◯┼●◎┼○+●┼┨ ○のポイント=●+○
┠┼┼┼○┼○○◯┼┼┼┨ ◎のポイント=○+◎
┠┼┼○┼◯●◎┼●┼┼┨
┠┼┼┼┼┼●┼◎┼┼┼┨ ミニ将棋に続いてこんな画期的な
┠┼┼○┼┼┼┼┼★◎┼┨ ゲームを発明した俺様は
┠┼┼┼┼┼┼●●┼┼┼┨ 文化勲章確実である
┠┼◎+○┼○●◎●●◎┨
┠┼┼┼◎┼○◎◎●●◎┨
┠┼┼┼┼┼○┼◎◎●◎┨
┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷◎┷┛
●★:2 ◯☆:0 ◎回:1
柄谷行人はハングルはいくら馴れても
人工的に作ったものという感覚は抜けないだろうと言った。
それと似たようなことが将棋についても言える。
将棋には常に「人間が作ったもの」という感覚がつきまとう。
囲碁をやってると人間の感覚がなくなるのとは対照的だ。
ただし
ひらがな=自然=有機的
ハングル=人工的=無機的
囲碁=自然=無機的
将棋=人工的=有機的
というねじれた関係にあるのは面白い
囲碁の石は全部同じだが将棋にはいろいろな機能の駒がある。
強力な駒のほうがいいだろうということですべての駒をクイーンにしても
面白いゲームにはならない。飛車と角、クイーンとナイトのように
お互いの欠点を補い合う駒のコンビネーションが面白いのだ。
しかし金と銀という相補ペアの導入は日本人の大発明だったな。
西洋人はああいう特定の方向に特化した駒は対称性を破るとして
生理的に受け付けない(桂馬もそう)が、俺は面白ければいいと思う。
(駒の再使用も不自然だから西洋人は嫌う。彼らはそれを
パラシュート部隊として何とか理解しようとする)
日本人の無思想・無原則主義がいい結果を生んだ例でしょう。
いや、囲碁のほうが有機的か。なにしろ炭素原子と同じく隣の石と
4本の手で連結するくらいだから。よって下のように訂正。
囲碁=自然的=有機的=脱人間的
将棋=人工的=無機的=人間的
【人間】−【社会】−【自然】−【ゲーム】
人間の思考の対象には大きく分けてこの4つがある。
前ほど日常的で後に行くほど根源的だ。
テレビは意識をメタ化させて世界を無意味化させるというが
そもそも活字が普及するだけでもうヤバイのかもしれん。
持続可能な社会にするためには江戸時代の情報環境に
戻るしかないが、それはとてもできそうもないので
資本主義は爆発的に崩壊するだろう。
約20年間愛用してきた傘を某デパートのトイレで紛失した。
忘れ物として届けられてもいなかった。これにはこたえた。
哲学とは人間意識の条件を探索する作業のことだ。
それは特定の「将棋」の特定の配置のようなものだ。
┏┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┯┓
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼●┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼○┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼◎┼┼┼┼┼┨
┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
いや、囲碁のほうがいいかな
人間は自由になるために現実世界のあり方をいったん否定するが
究極の基礎づけは不可能なのでどこかでこの作業を打ち切らねばならない。
復活。
マトリックス・パス・オブ・ネオ
の改造コード誰か教えてくれ!
1789〜1848 = 1865〜1905
1848〜1905 = 1905〜1945
1905〜1968 = 1945〜1985
1968〜2028 = 1985〜2025
世界史の60年周期と日本史の40年周期はこのように対応している。
2025年あたりで両者は一致するので大きな歴史の区切りとなるだろう。
////人 社 自
////間 会 然
理解する
操作する
獲得する
贈与する
破壊する
建設する
みたいな対象と操作のマトリックスのほうが
全宇宙を網羅できるような気がする。
ヤンキー言葉 正しい言葉
×行けれん ○行かれん
×読めれん ○読まれん
×許せれん ○許されん
おとつい本屋へ行ったら「地球はあと10年で終わる」(洋泉社)
という本が平積みしてあった。海水が上昇して隅田川と江戸川に
挟まれた地域が埼玉のほうまで水没した地図が載ってた。
最近、二酸化炭素が3%になったら人類は滅亡する(2080年あたり)とか
気温が3度上昇したら文明は崩壊するなどという話がにわかに
語られ出して、パニックの始まりではないかと期待している。
なんかここ3か月で時代が大きく変化したような気がする。
今までは「ダメかもしれないけど最後の最後まで諦めずに頑張ろう」
という姿勢だったのが「ああ、やっぱりダメみたいだな」になった。
ていうか最近急に環境危機が叫ばれ出したのは環境の危機ではなく
精神の危機(意味の危機)だと思うんだよね。
あまりにも差異がなくなったので最後の手段として
「世界の終わり」を消費することにしたんじゃないのかな。
しかしそれがウソから出たマコトみたく
本当に資本主義を終わらせる可能性もあるんだよね。
だから、コーネルウェストみたいなマルクス&ニーチェ学者とかケンウィルバーみたいなヒッピーがマトリックスの哲学顧問なんだよね。監督も急進的なレイジアゲインストザマシーンの大ファンだから、脚本を書いてる時間もRATMの曲だけ聴いてた。
監督曰くマトリックスで一番重要な哲学者はジャン・ボードリヤール。そういえばつい最近亡くなったね。映画でも本をちらと見たな。
「気まぐれコンセプトクロニクル」という本の529ページに
俺の発明品のことが描いてあって驚いた。
哲学=世界解釈ゲーム
328 :
考える名無しさん:2007/04/24(火) 00:33:03
哲学=否定ゲーム
329 :
考える名無しさん:2007/04/26(木) 04:38:21
へ〜。
■ブランドン・カーターの終末論法というのがあって
我々が例外的初期の人類である確率は低いので終末は近いというものだ。
宇宙が人間にとってあまりにも都合よく微調整されているということは
「そういう宇宙でなければ知的生命が宇宙を認識できなかった」で説明が
つくが、それでは宇宙を認識し始めた瞬間以降も宇宙は無数の
パラレルワールドに分岐しているはずなのに、我々がそのうちの
かなり都合のいい世界に所属している確率は天文学的に低いはずだ。
それなのに実際に我々はその天文学的に確率の低い世界に住んでいる。
これはやはり何らかの超越的意志が歴史を導いていると考えなければ
説明できない。
■ブランドン・カーターの終末論法というのがあって
我々が例外的初期の人類である確率は低いので終末は近いというものだ。
宇宙が人間にとってあまりにも都合よく微調整されているということは
「そういう宇宙でなければ知的生命が宇宙を認識できなかった」で説明が
つくが、それでは宇宙を認識し始めた瞬間以降も宇宙は無数の
パラレルワールドに分岐しているはずなのに、我々がそのうちの
かなり都合のいい世界に所属している確率は天文学的に低いはずだ。
それなのに実際に我々はその天文学的に確率の低い世界に住んでいる。
これはやはり何らかの超越的意志が歴史を導いていると考えなければ
説明できない。
■ブランドン・カーターの終末論法というのがあって
我々が例外的初期の人類である確率は低いので終末は近いというものだ。
宇宙が人間にとってあまりにも都合よく微調整されているということは
「そういう宇宙でなければ知的生命が宇宙を認識できなかった」で説明が
つくが、それでは宇宙を認識し始めた瞬間以降も宇宙は無数の
パラレルワールドに分岐しているはずなのに、我々がそのうちの
かなり都合のいい世界に所属している確率は天文学的に低いはずだ。
それなのに実際に我々はその天文学的に確率の低い世界に住んでいる。
これはやはり何らかの超越的意志が歴史を導いていると考えなければ
説明できない。
確率が低いというだけでゼロなわけじゃないんだから超越的なものを導入する必要など全く無い。
矮小な認識で考えるからそうなる。
超越的なもの=人間の意志を導入しなければ
都合良く歴史が展開することは説明できない。
宇宙のあり方の可能性は無限なのだから、その中に知的生命を含むものが
あってもおかしくはないが、そういう物質の組み合わせが成立した瞬間に
「この意識状態を継続したい」という意志が発生しなければ
たとえ知的生命を含む宇宙の状態が発生しても一瞬のちにはまた
ランダムな混沌状態に埋もれていくに決まってる。
生命進化を偶然の突然変異の積み重ねで説明するのは無理だ。
サルがキーボードを叩いてシェイクスピアの作品が出来上がるわけがない。
それと同じであらゆる可能的宇宙が存在できたとしても
それをストーリーとしてつなぐ意志がなければ歴史は成立しない。
言い換えれば宇宙の歴史は人間の意志が選択した結果だと言える。
だから「戦争は許せない」などという欺瞞的発言はやめてほしい。
すべては人間が望んだことなのだから。
宇宙の意志はあらゆる歴史の可能性を検討した上で
いまこの歴史を最善の世界として顕現させた。
しかしそれは単に光が最短距離を走るというような自然現象ではなく
人間自身の好みで選ばれたものだというのが俺の考えだ。
ポストモ団
どうして人間はメタ化に超越を感じるのか。
メタ化とは世界を無意味化して一段高いレベルから見降ろす感覚である。
もともと超越感覚とは何かを言語で認識する時その対象に感じるものだ。
その言語認識自体が一種のメタ化だったわけだが、テレビ以前の
言語認識には対象に意味があるメタ化だった。
しかしテレビ時代になってより純粋に世界認識の形式化が進み
普通に認識しても世界は無意味になったがまだ超越感はあった。
しかしだんだんメタ化の超越感はなくなり単に無意味になった。
権力と異性は空間的超越だが、テクノロジーによる
生活環境の変化は時間的超越の感覚を人間に与えた。
スターリンやヒトラーの独裁権力はその時間的超越感覚による
物語的磁場が作り出した巨大な幻影だったといえよう。
1980年代生まれにとって60年代ファッションや70年代ファッションは
等価なバリエーションにすぎないが、当時それは唯一絶対的な
先端ファッションだった。同じことは音楽にも言えるし
街の風景についても言える。80年代生まれには超高層ビルが
未来を意味するという感覚がわからないだろうし
一戸建てより超高層ビルのほうが進んでいるという感覚もないだろう。
昭和30年代に出来た商店街と
昭和30年代風に作った商店街の
区別もつかないにちがいない。
超高層ビルより昭和30年代風に作った商店街のほうが
新しい文化だと思っているかもしれん。
つまり何についても新しい古いという区別がないのだ。
これは人間にとって決定的に新しい事態だといえる。
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343 :
考える名無しさん:2007/08/13(月) 17:39:57 0
なんだこのスレ?
『下流社会』で有名な三浦展氏に「第四山の手論」というのがある。
第一山の手=文京区あたり、
第二山の手=白金、広尾といった山手線内南東部
第三山の手=杉並、世田谷あたり
第四山の手=神奈川県の小田急線や田園都市線の沿線
という図式なわけだが俺には異論がある。
俺は副都心の発生をもって東京の発展段階の指標としたい。
明治20年ごろ最初に出現した副都心は神楽坂、四谷、麻布十番の3つだ。
それと同時に山手線の内側がすべて「第一山の手」となった。
次に震災後から昭和初期にかけて新宿、渋谷、池袋が副都心となり
杉並、世田谷といった街が「第二山の手」となった。
さらに今や東京は横浜、さいたま、千葉も呑み込んで
それらは副都心と呼んでかまわない状況となっている。
さて、それではこのような事態に対応すね山の手とは
神奈川県の小田急線や田園都市線の沿線なのだろうか。
■ ←100万都市
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□■□ ←900万都市(□は副都心)
■□■
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■■■■☆■■■■
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■☆■□■□■☆■ ←7200万都市(☆は新たな副都心)
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■■■■■■■■■ しかし現実に東京圏には7200万も
■■■■☆■■■■ 人は住んでない。だから俺は
■■■■■■■■■ この段階に対応する山の手とは
日本全国の都市だと思うのだ。
つまり日本列島はひとつの巨大都市となった。
346 :
スマソ:2007/08/19(日) 03:20:43 0
× このような事態に対応すね山の手
○ このような事態に対応する山の手
347 :
スマソ:2007/08/19(日) 03:22:54 0
7200万ではなく8100万でした
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精神病院ほど怖いところはない
まず躁状態と診断されて鎮静剤を投与される
しかし本当は鬱状態なので鎮静剤を投与されると
さらに神経の働きが鈍って何もする気がしなくなる
ところが今度はジッとしているのがつらくなって
病棟の中をあちこち歩き回らざるをえなくなる
しかし医者はそれを見て躁状態が激しくなったと判断するのだ
それで再び鎮静剤を投与されて病棟の中をあちこち歩き回って
再び鎮静剤を投与されて病棟の中をあちこち歩き回って・・・という悪循環
たぶんこの悪循環で自殺した患者は山ほどいるだろう
俺は警察で「コンビニでコンドームを売らせるな」と言った
「俺の要求を受け入れないと市長を殺すぞ」みたいなことも言った
するとその場から直接、精神病院へ強制入院させられた
しかし病院には本当の病人もいた
自分の飼ってるネコが死んだのは獣医が殺したんだと言う
それだけならまだ医療ミスということも考えられるが
警察や検察までグルになってその獣医がミスしたのを隠蔽している
などと言われたら、さすがに病気と言わざるをえない
しかしクスリのせいで体が重い
歩くのがしんどい
まるで体重50キロの人を背負って歩いてるようだ
以前は20〜30キロくらい平気で歩けたが今は2〜3キロが限界だ
というか100メートル歩くのもしんどい
二槽式洗濯機の脱水槽の底に敷くビニールを姉がなくした
取り寄せるのも面倒なので、東急ハンズで材料を買って自分で作った
けっこういいのができた
8月11日(土)のNHK−FMのアイドル特番はよかった
開始早々、倉沢淳美『プロフィール』がかかって大感激
堀ちえみの『潮風の少女』もよかった
それにしても阿久悠が死んだな
宮沢喜一も
小田実も
宮本顕治も
戦後民主主義の悪人がいっせいに退場だ
これだけいっせいに死ぬのは1989年以来だな
仁藤優子『おこりんぼの人魚』が一番よかった
薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』のバージョンがちがうという
苦情に応えて昔のオリジナルのほうをかけ直したのもよかった
能瀬慶子までかけるとは立派
紀伊国屋書店が書籍の宅配サービスをやっている
精神病院から注文して雑誌が3冊買えたのには本当に助かった
精神病院はすることなんかないんだから
NHKにアイドルに理解のあるアナウンサーがいてよかった
しかし21世紀も板についてきたな
街なかにいると、ビルのすき間から山がたまに見える程度だからな
しかし俺は2015年核戦争説を信じてるぞ
例のアメリカのインターネットの自称タイムトラベラーの予言ね
中国は今年ドイツを抜いて第3位の貿易大国になるらしい
かつてアメリカは大国化する日本を叩いた
中国がアメリカを抜いて世界一になるのはけっして許さないだろう
今年とうとうアメリカの中国叩きが顕在化した
北京オリンピックも無事開催されるかどうかわからんぞ
『2ちゃんねるはなぜ潰れないか』という本をいま読んでいる
Gyaoにとってyoutubeは大打撃だったようだな
柄谷行人の『at』の連載『「世界共和国へ」のノート」は面白いなあ
狩猟採集から国家が成立するまでが見事に説明されている
次回はいよいよ帝国について書くようだ
かつて柄谷は帝国の構成要素として法、宗教、文字、貨幣の4つを挙げた
次号はそれ以外に何か新しいことを言うか楽しみだ
とは言っても俺は最近、哲学にあまり価値を感じなくなった
やはり政治経済がメインカルチャーだよな
哲学はサブカルチャーだ
科学もサブカルチャー
21世紀はこれ以上変化しない世界として板についてきた
内多 勝康. うちだかつやす. 生年月日. 昭和38年4月18日.
生育地. 東京都. NHK入局年. 昭和61年.
>>455 >アイドルに理解のあるアナウンサー
なんだ俺と同学年じゃん。道理で趣味が合うわ。
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『マリーナの夏』も久々に聴いたな
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広島にはショッピングセンターが多すぎる
チェッカーが完全に解明されたらしい
双方が最善の手を指せば引き分けになるそうだ
ダイヤモンドシティ
アルパーク
マリーナホップ
駅前の福屋
緑井のフジグラン
段原のサティ
あっちこっちにあるマダムジョイ
宇品の小さいほうのジャスコ
宇品の大きいほうのジャスコ
紙屋町地下街
↑シャレオ
そしていま皆実町6丁目に「ゆめタウン」を建設中
来年2月開業予定
さらに祇園のほうにもイオンができるらしい
もしかしたらもう工事が始まってるのかもしれん
大型の本屋も多すぎる
紀伊国屋
ジュンク堂
フタバ図書が2つ
ひとつは中筋
もう一つは府中のダイヤモンドシティの中
しかしこれがなかなかつぶれない
その代わり中規模の本屋がつぶれた
積善館
広文館
丸善
うちの親が草津病院に通院しているのだが
機嫌を損ねたらしく、紹介状を書いてやるから
よその病院へ移れ、みたいなことを言われたらしい
しかし草津病院のN先生ほどいい先生は滅多にいない
その前の先生がひどすぎたとも言えるのだが
草津のN先生になってクスリが3分の1に減った
そのおかげで父の具合もよくなった
N先生、もしここ見てたら機嫌直して下さいよ
しかし俺が入院させられたS病院はひどい
金儲け主義で有名な病院で、クスリもたくさん出しやがる
おかげでいま俺は非常に歩きにくい
足が重たい
まるで50キロの人をおぶって歩いてるようだ
以前なら10キロでも20キロでも平気で歩けたが
今は思い切りがんばって5キロくらいだ
というか100メートルでもしんどい
あと困ることがもう一つ
本が読めない
10ページ読むのにも苦労する
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そもそもクルマが空を飛ぶわけがないのだ
昔の21世紀予想図はちがってた
しかし携帯のテレビ電話は当たったな
FOMA
ウルトラマンでは腕時計型だったけど
なんかまた株が持ち直してきたな
つまんねーの
世界恐慌になれよ
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考える名無しさん:2007/08/26(日) 22:52:33 0
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考える名無しさん:2007/08/26(日) 23:29:13 0
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