因果、その他

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1考える名無しさん:05/03/03 12:39:19
@已に結果しているならば、新たに因をもって何を為すか。
A未だ結果していないならば、何者への因足るか。
換言、
@因中有果ならば、因果が無別異となる。(破因中有果)
牛乳と酪は同一と化す。
A因中無果ならば、因果が無関係となる。(破因中無果)
牛乳と酪は無縁となり、酪は酪と無縁な砂からでも生成しえよう。
換言、
@已に結果しているなら(現在)結果しない。(三世門破・過去門破)
A未だ結果しているなら(現在)結果しない。(三世門破・未来門破)
(@は宿命論、Aは偶然論)
次に、
B結果しつつある/因中に一部結果しているならば、
@Aに分割可能、故に成立しない。(三世門破・現在門破)
換言、
B因果が同時相依ならば、
A:どちらがどちらに依存して成立するか
B:相依の当体として其々が、たとえ刹那であれ、
相依せずに在ることとなる。(同時門破)

結論
因果は異時でも同時でもない。
(『中論頌』参照)
2:05/03/03 12:42:11
認識論的は、因果異時ならば、因が主、果が客の、
二元論的唯心論、逆ならば、二元論的唯物論、これらは上述により正しくない。
因果同時ならば、相互に無縁にありうる、しかしそれも経験不能。
動詞を実体視した器のような時間(異“時”・同“時”)を前提し、
その中で自存的な因と果が関係するというのではない。
認識論的には、主と客とそこにかかる認識作用(器的時間)という具合が
認識の真の在り方ではないだろう。

時間と主客の関係は、主客の相依と時間化のどちらが前提か
上述のように考えるにより、主客の相依という事柄が即時間性そのものだろうか。
3考える名無しさん:05/03/03 20:33:09
3
4考える名無しさん:05/03/06 02:10:06
因果といふ言葉は現象を時系列な観点から捉らえた表現にすぎない
現象は常に一体であり因は果と同体であり果もまた因と同体である
わかりましたか?
5考える名無しさん:05/03/06 02:21:10
森羅万象がある法則を元に成り立っているのならばそのようなことも言えよう。
何を担保にそのように断言しようか。
まだ宇宙の成立ちも解明されていないこの今。
61、有漏:05/03/06 08:32:21
>>4
因果が一体ならば、例えば牛乳と酪の別もない。
因果は異時でも同時でも一異でもない。
7考える名無しさん:05/03/06 11:16:08
牛乳と酪の違いは形状の変化でしかなく牛乳→酪の繋がりが示す根源的な実体は同一である
8有漏:05/03/06 16:39:19
その「形状の変化」以外に実体なるものはない。
推論されているに過ぎない。
9有漏:05/03/06 17:01:29
何に基づきいっているのかわからぬが、
因果として「表現」しうる事柄が、「現象」の側に萌芽的であれ
備わっていないならば「時系列な観点から捉えた表現」の側が
現実を無制限に規定し、自我の任意になるだろう。しかしそうならない。
また何故特定の「表現」になるかその根拠を答える必要がある。
結局は「現象」の側にそのような「表現」で捉えうる内実が、
「表現」と同じ形でではないにせよ、何らか備わっていなければ、
そのような表現も起こり様がない。

また「実体は同一」「形状の変化」という考は、
主語的な体は不変で、述語的な用(はたらき)は変化するとの
主語・述語の二元論でもあるが、主語は述語と不一不異であり、
述語が変化するとは主語の変化でもある。
10考える名無しさん:05/03/06 20:46:09
バカ丸出しだな
11考える名無しさん:05/03/06 21:05:54
ここは日本
12考える名無しさん:05/03/07 00:11:02
樹木に例えてみる、根を現在とすると葉は未来
根から葉までの距離は時間根または葉しか見れない者には根は因、葉は果と表現する事ができる
13考える名無しさん:05/03/07 00:35:44
で?




と、しか言いようがないなこいつは。
14考える名無しさん:05/03/07 01:20:18
>>13
で?
君は因果をどう説明するのかな?
ゴミが
15考える名無しさん:05/03/07 02:26:50
>>14
必死でつネw
クズが
16有漏:05/03/07 13:31:00
>>12
4=7=12か? 何を述べたいか不明だが、
とりあえず、その根は@因中有果、A因中無果、B因中有無果のどれでもない(因果は空である)。
@ならば根と葉との別異が無く、にも関わらず結果するならば、自から自が生じ宿命論と化す。
Aならば根と葉とが無縁と化し、葉は根と無縁な石からでも生じ、他から自が成立し偶然論と化す。
B、一部結果している、現に結果しつつあるならば、@Aの過誤が付随する。

因果が無いのではなく、因果は空(如幻)という在り方以外では不合理である。
この如幻が言語化(戯論化)されるとき、@AB等になる。
17有漏:05/03/07 13:51:37
或いは、

>樹木に例えてみる、根を現在とすると葉は未来
根から葉までの距離は時間
根または葉しか見れない者には根は因、
葉は果と表現する事ができる

であるから実体は不変で変化は言葉上のものに過ぎないということか?
>>7的にはそうなると思うが、しかし前述したが、言葉で表現されうる事柄が、
現象の側に、萌芽的であれ備わっていなければ、
言語使用の側が無制限に、そして、自我が任意に、現実を構成可能であろう。
だがそうはならない。
18考える名無しさん:05/03/07 22:21:21
>>17
変化に見せるのは時間
>>5の反応が正しい
19有漏:05/03/08 13:22:43
>>18
もし4なら以後は名乗れ。

>変化に見せるのは時間
これだけでは趣旨不明だ

>>5の反応が正しい
5は5自身の正当性も主張出来ない
20考える名無しさん:05/03/08 16:11:27
ばーか
21考える名無しさん:05/03/08 16:14:03
    ∧___∧
   /=・=-∴-=・=\
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,  |  
 /|   `-=ニ=- '  .|  分かるかね?w
/  .ヽ、_ `ニニ´__ノ    
|    _____ ノ
∪⌒∪     ∪
224サマ:05/03/09 00:25:29
>>19
主旨不明…
よければ主旨を言い当ててみてください。それも一興かと
5は特に主張は無いと思ふ、因果と云う表現が示す科学法則はまだ成立していないと事実を述べているまで。
23有漏:05/03/09 14:39:07
>>4
別に無理をしてレスを付けなくて良いぞ。
24有漏:05/03/09 18:48:50
>4
こちらも具体的に質そう。
@我投稿(>>1、2)を読了・理解しているか?
A君の投稿への我レス(>>6、8、9、16、17)を読了・理解しているか?
(此等について、君は一言もないので、理解どころか読了すら不明だ。)
B読了・理解しているならば、@A特にAへの識見を示せ。
ただし>>18のような「一言ネタ的」ではなく分かる様に「具体的」文面で示してくれ。
CBが不明では>>18の趣旨は不明だ、ということである。

付録 D>>5には科学法則なる語はないが、
ところで君のいう科学法則の定義を「具体的」に述べてくれ。
また、表現という語が多用されているがその定義も示してくれ。
25考える名無しさん:2005/05/09(月) 00:09:32
(´・ω・`)知らんがな
26考える名無しさん:2005/05/26(木) 22:37:35
因果律について書かれている本があったら、紹介して頂けないだろうか?
27考える名無しさん:2005/05/28(土) 01:14:59
すべては因果の流れの中に。
28考える名無しさん:2005/05/28(土) 01:25:09
仏教書とか
29考える名無しさん:2005/05/28(土) 01:39:40
>28
西洋哲学の「因果律」と仏教の「因果律」って、違うのかな?
30考える名無しさん:2005/05/28(土) 01:55:45
量子力学と因果律
31:2005/05/28(土) 04:55:51
>26、29
因果といっても仏教のは、単純化すれば五蘊や十二有支の問題だから、
単なる対象物相互の関係、つまり実証科学的な因果はない。
仏教のならば、櫻部・上山『存在の分析』角川ソフィア文庫。
32考える名無しさん:2005/05/28(土) 18:49:28
>31
サンクス。
西洋哲学で因果律を取り上げている本はご存知か?
33考える名無しさん:2005/06/10(金) 13:35:54
>>32
因果性―― 因果原理の近代科学における位置 ――
マリオ・ブンゲ 黒崎 宏 訳

因果的決定論に関して,意味論的問題と形而上学的問題を考察の
焦点として,その包括的分析を展開した労作.近代科学の諸分野を
対象として,因果原理の成り立つ範囲を見出すという観点から,
事象間の非因果的な関係についても分析が進められるとともに,
従来の因果論や非因果論に対しても批判的検討が加えられる.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0000860.html
34考える名無しさん:2005/07/20(水) 20:41:19
>>33
まさに因果づくしだね。
高いけど欲しいな。手元に置いておきたい。
35あぼーん:あぼーん
あぼーん
36考える名無しさん
カラオケでつれがトイレにいってるすきにつれの順番にこっそりセーラームーンを
いれておいたもちろんあとで怒られてその部分をけして入れなおされた
しかし、そのあとゲーム機能(ランダムに曲がきて点数を競う)で遊ぶことになった
そして、俺の番が来たときセーラームーンのあの音楽が・・・・・・・
まさに因果応報