体系が 先走ってる 似非学問
こういうことは、ちゃんと権威を持ってた方がいいね
まず歴史的に実在した種種の信念(偏見?)体系における
その体系化構造の・内部相互関係の必然性の検証と
それによる環境の評価による特性の要素の強化や変化などを
検証・説明してみるとか?
批判者が出した優秀な問い
「火のついたマッチをガソリンに投入したらどうなるか、ときいたら?」
の回答者に対し、「なぜそう思う・考えるのか、どうやって学んだのか、
それはなぜ正しい・信じられるのか、どこで学んだのか、
それは誰の体験からなのか、などなど」
聞いてみれば知識構成の多様性と独自性の実例を
彼ら自身にたっぷり出してもらえたろうに。
どうせ参考データを集めて作りこまないと使い物にならないのだし、、
勝利成功型の情報の近接性と傾向性による経験化・方向空間化:道と
順序=等価交換による単一軸化および分離特定化=主体的報酬化:徳と
正義特色系(相互依存=冗長・権《かり》義《かし》=許可の適正さ)などの
イデアの三系統を混同しなければ全く通じなくなることもないだろうから。
ようするに、現状では「答えや行動が同じに見えても中身は違う」とか、
「表れが食い違っていても類似した認知・評価系」など。・・・例?
続き:例がすぐおもいつかないけど時間がなくなったゴメン
固有の評価尺度はその肯定尺度同士・否定尺度同士などの
競合排他対立状況にのみ現れ、他で定めた目的や「方向関係」をもとに
その達成効率を評価すれば良い場合:道徳の場合のみ外的資源として
「個人性を排して(実際は隠して9」同一の評価尺度を想定することができる。
などという予備知識を前提として、
いつでも意見が合わない=別の選択肢をより高い価値とするなら、
それらの前提となっている評価対象としての選択肢どうしの
方向性(例えば多変量統計における因子成分:構成因子空間化)や
順序=等価交換型評価尺度化(徳=善や力など学習=報酬系)や
ええと・・・まぁ、自由や愛を放縦や情と混同可能なら説明は無駄か・・・の
「枠組みのパーツや組み合わさり方」に共通性が高いと見てよい。
どんなに「自然」な相互配置に見えても、それは恣意的な条件だから。
実例?不毛な争いをしている同士の似通いぶりをどれでもどうぞ。
全員男性で最強を決めてその最強の個人だけが女性になれる社会のように。
なんて「女らしい」んだろう、その勝利者は。(※ある魚の実例・・・?)
男は着飾って歌い、女は黙って腕っ節を示す(鳥やティラノサウルス)。
だから「ハイタカ」は女性(female)だけですよハイタカさんin『ゲド戦記』。
→人類社会多数派基準で「男らしい」のはそうなってしまうのかも。
現実がこうも恣意的に相互関係を決めてしまうなら、そこで生きている
ナマモノたちが自前のパーツの組み方を工夫するのは当然かと。
遺伝子もそれによるパーツも彼らとヒトでは変わり映えがしないんだから。
などと、まだ実例を並べてるうちは権威はあまり重要じゃないような。
ていうか、権威ってあるの?しらなかったよ(・・・現状のレベルで?誰に?
馬鹿は無理しないで馬鹿を楽しめ
レヴィ=ストロースさんのいう構造は、数学から来ているとかどうとか。
数学的にいう「構造」っていったいなんですか?
191 :
考える名無しさん:2007/03/24(土) 00:00:58
構造構成主義はもっと評価されていい
名前が間違ってる気がするな
『構造共和主義』の方が合ってる気がする
構成というと、一人で創ってる感じがするんだが
要は、みんなで仲良くやる手法って事だろ。
認識論と言われても首を傾げる。コミュニケーション論ではないのか?
認識論だとしたら、使い勝手が悪そうな思想だな
なんて、良く知らないのに、評価したんだけど、こんな感じであってる?
193 :
考える名無しさん:2007/04/02(月) 20:42:27
>>192 >構成というと、一人で創ってる感じがするんだが
別の人「構成というと、全員で創ってる感じがするんだが」
感覚だけで原理的な決着はつかない。(ただし、数の暴力を使えば実際的な決着はつく。)
>>193 だけど「どちらとも取れる」と言うのは感覚的ではない
「共和」なら、単語から複数人だと分かりやすい
それとも、やっぱ「どちらとも取れる」方がいいのかな?
つーか、いわゆる構成主義と紛らわしい
え? 構成主義とは関連性ないの?
よくよく考えてみれば茶番だな
構造主義と構成主義(構築主義)の思想的関係を考えれば、
両者を合体させて新しさを標榜する安易さにはセンスを疑わざるをえない。
199 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 10:49:24
構造構成主義の具体的成果が示される前から旗振りばかりというのは
一体どう受け止めたらいいのだろうか。まるで自家中毒ではないか。
200 :
考える名無しさん:2007/04/22(日) 12:23:25
age
有名無実の似非学問乙。
202 :
考える名無しさん:2007/04/23(月) 01:24:48
203 :
虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/30(月) 00:02:37
204 :
考える名無しさん:2007/06/04(月) 08:12:16 0
>>190 数学板のブルバキのスレッドで訊いてみたら?
一向に盛り上がらないのは「似非学問」だから?
少なくともこれだけ何冊も出版する企画力があるのに比べて、そのエッセンスを簡潔に伝えるプロモーションがなされないのが不思議だ。
「信念対立を乗り越える」と言ってみせるだけなら、別に今に始まったことじゃないし。
wikipediaの構造構成主義と西條の項目が気持ち悪いのでここに来ました。
要は神なき神学を目指してますって事?
たしかに気持ち悪いね。
西條とその取り巻き連中が。
構造構成主義とは関係ない文章をビッグネームに書かせて、あたかもシンパで
あるかのように論集に並べてハクをつけようという魂胆がいやらしい
210 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 21:44:44 0
似非学問上げ
211 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 23:14:23 0
何とか「主義」ってのはそもそも自分から名づけて広めるものではないでしょう。
社会現象になったときに、初めて一般的にそう呼ばれるようになったというだけ
のものでしょう。
「構造主義」というのはレヴィ=ストロースが命名して自分で広めたものではないし
「西田哲学」だって西田幾多郎自身が命名して自分で広めたものではないでしょう!
自分で名乗っちゃってしかも自分で広めようといるところが実に香ばしいよね。
そういう自分の欲望それ自体について「構造構成主義」はどう考えるの?
「学問ごっこ」をしたいだけでしょ、そもそもコイツらは。
ドクター中松みたいなもんかな。
ユーモアの欠片もないか。大マジだもんね。
でも、こういうインチキに騙されちゃう奴もいるんじゃないかな。
大学を騙せればしめたもの。
「学問」なんて元々そんなもんかもしれん。
216 :
考える名無しさん:2007/09/11(火) 17:50:54 0
>>213 そう。まさに現代日本における正統派哲学w
217 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 10:24:52 O
夏過ぎて
ウンコ漏れたり
いと臭し
218 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 11:44:33 0
自己顕示のみの
似非学問かな
君達が何を言おうが便所の落書であり、
実社会でアクションを行うものには、永劫に勝てません。
220 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 15:20:23 0
日本の哲学は「哲学」ではない
下等学問である「人文=文化研究」だ
真の意味における「哲学」とは「神学」なのであり、
この「神学」に関して、実のところ日本人は全く理解できていない
221 :
考える名無しさん:2007/09/29(土) 16:36:08 O
柿食えば
糞が出るなり
法隆寺
自己顕示のみの
似非学問かな
223 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 01:17:37 0
>>219 「実社会」の「アクション」とは、あなたが「便所の落書」と呼ぶところの「2ちゃんねる」で、
「構造構成主義という哲学が,日本人によって提唱されるらしい」と白々しいスレ立てをしてみたり、
これまた「便所の落書」でしかない Wikipedia でもっともらしく定義してみたりすることかな?
>>219 そりゃそうだ。
もし2chで「のみ」威勢のいいこと言うだけなら
そいつはいてもいなくても大して意味がない。
225 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 01:34:32 0
>>118 それは言っちゃだめでしょw
それ言ったら現在の日本の哲学・思想の存立基盤が吹き飛んじゃうよw
>>223 「ライブ講義・質的研究とは何か」
マーケットプレイスで、プレミアがつきはじめていますので、
早めに手に入れましょう。
>>226 「便所の落書」でもっとも嫌われているのはその場を利用した商業的宣伝です。
似非学問に熱中するとそういうことってどうでもよくなるみたいですけど。
「主義」と言う概念自体が批判に晒され意味を失っている時代に
自ら「主義」を名乗って悦に入っている鈍臭いセンスの持ち主が
まがりなりにも一応のプロとしてやっていけるところに人文系の
「学問」の完全なる衰退がみてとれるわけだがわかってんのかね
229 :
考える名無しさん:2007/10/06(土) 02:22:27 0
実践実践言うなら社会学においでよ@社会学徒
斜め読みした印象は、哲学者ワナビーのでっちあげた中途半端な似非哲学
つーとこですか。こんなん読むくらいならそれこそフッサール読んだ方が
マシって感じですな。
「学徒」とか 自称してる時点で目糞鼻糞
え?学徒って学生って意味なんだけど何が目くそ鼻くそ?
いや、哲学はただの机上の空論(形而上学)だから、
最近の流行である、脳の体操程度のものでしかない。
哲学じゃ世界は変わらない変えられない。
一歩前へ進むには、実践が伴わなければならない。
自ら「便所の落書」と呼ぶ場に、内容を全く伴わない空疎な「宣伝」を、
しかもわざわざ携帯から書き込みすることは「実践」でも何でもないし、
「机上の空論」にも達していないことを、似非学問の「宣伝マン」は自覚しなければならない。
sage