1 :
考える名無しさん:
人間はできるだけ不快感を避け、快感を求め続けるのだと思います。
死ぬ。
4 :
考える名無しさん:05/02/28 17:59:39
死んだ
ーーーーーーーー終了ーーーーーーーーーーー
書き込みテスト
6 :
考える名無しさん:05/03/20 21:49:18
6
7 :
考える名無しさん:05/03/20 21:50:55
8 :
考える名無しさん:05/03/20 21:52:32
経済学の合理的 だろ
9 :
Y:2005/03/21(月) 15:53:36
気持ちいという感覚(欲)を求め続けることがいいのでしょうか?私はそうは思いません。そういう行いを続けると、必ずとこかで失敗すると思います。
それで失敗しないシステムが作られたのかな。
物理的欲求で。
12 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 18:52:00
失敗しない自転車操業
13 :
ROKI:2005/03/21(月) 18:59:28
「痛い」とは危険を避けるための防御本能
その逆を求めることは至極当然なのでは?
14 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 20:17:04
ベンサム流哲学を勘違いすると、人生=気持ちいいになる
>>14 ていうか、ベンサム哲学が「人生イコールキモチイイ」と
具体的にどう違うのか、説明して栗 おながいします
16 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 20:33:34
ベンサムは、私益と公益の調和を第一に考えており、例えば公益を乱す者があれば、その者の人生に苦痛という「制裁」を厭わなかった。だから、人生=気持ちいいとは、必ずしも成立しない。ともあれ、社会秩序が安定している限りでは、「最大多数の最大幸福」を目指していた。
17 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 20:33:42
利己的にあまり振る舞わないからわからないな。言説が利己的だという批判も当てはまらない
19 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:28:35
>>16-17 つまり、人生=最大多数の気持ちいい、でFA?
しかし
>>17みたいなレスする人は、利己主義と個人主義とがどう違うのか
ちゃんと説明すべきだぞ。仮にもここは「哲学」板なんだからな。
人間は全てを快感に感じることができる生物ですが?
21 :
ROKI:2005/03/26(土) 15:11:02
女王様とおよび
おーーーほっほっほっほ
22 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 15:19:11
神田川って精神科医が気持ちよさは大切って言ってたよ
私はこう聞いた。ある時、祝福された者はサヴァッティのジェタの園にある
アナサピンディカに寄贈された修道院に住んでいた。大工のパンカカンガは
ウダイ尊者に接し、教えを仰いで傍に座り尋ねた。「尊者よ、いったい何種類の感情が
祝福された者によって知らされたのでしょうか?」
「家長よ、祝福された者によって知らされたのは三つの感情です。
それらは楽しい気持ち、嫌な気持ち、そして楽しくもなく嫌でもない気持ちです」
「ウダイ尊者、祝福された者によって示されたのは二つの感情だけです。
楽しい気持ちと嫌な気持ちであって、楽しくもなく嫌でもない気持ちは
祝福された者によって意気揚々とした状態だと言明されています」
ウダイ尊者は大工のパンカカンガに二度繰り返した。「家長よ、二つの感情ではなく、
祝福された者は三つの感情、楽しい気持ち、嫌な気持ち、そして楽しくもなく嫌でもない
気持ちだといっています」
大工のパンカカンガは二度繰り返した。「ウダイ尊者、二つの感情が祝福された者によって
知らされていて、それらは楽しい気持ちと嫌な気持ちです。この楽しくもなく嫌でもない
気持ちは、意気揚々とした状態なのだと祝福された者がいわれました」
ウダイ尊者は大工のパンカカンガに三度繰り返した。「家長よ、祝福された者は
三つの感情、楽しい気持ち、嫌な気持ち、そして楽しくもなく嫌でもない気持ちだと
いっています」
大工のパンカカンガは三度繰り返した。「ウダイ尊者、祝福された者によって示されたのは
二つの感情だけで、それらは楽しい気持ちと嫌な気持ちです。楽しくもなく嫌でもない
気持ちは、意気揚々とした状態なのだと祝福された者がいわれました」
ウダイ尊者は大工のパンカカンガを納得させることができず、
大工のパンカカンガはウダイ尊者を納得させることができなかった。
尊者アナンダはウダイ尊者と大工のパンカカンガの会話を聞いて、祝福された者に接し、
教えを仰いで傍に座り、会話の一部始終を語った。祝福された者は尊者アナンダに話しかけた。
「私によって二つの感情についても、あるいは三つ、あるいは五つ、あるいは六つ、あるいは十八、
あるいは三十六、またあるいは百と八の感情についても言明された。こうしてアナンダよ、
この教えは分析的に説かれた。アナンダ、この分析的な教えの中では、もし誰かが他の見解を
評価して認められるものだと賛成しないならばこの種のことが起き、口論や喧嘩や論争や
言葉の戦闘などが続いていく。だから、あなた方はお互いに集まり、心を開き、牛乳と水のように
協力し、各自を理解する眼で見てとどまるべきだ。
アナンダよ、そこには感覚的な欲望の五つの要素がある。その五つとは:
愛情と愛欲を刺激する、視覚によって認識できる心地よく賛同できる形態。
心地よく賛同できる音…心地よく賛同できる香り…心地よく賛同できる味…
愛情と愛欲を刺激する、身体によって心地よく賛同できる感触。
アナンダよ、それらが感覚的な欲望の五つの要素だ。感覚的な欲望の五つの要素からなる
全ての快楽と快感は、感覚的な快楽なのだといえる。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が感覚欲から隔たり、
不利益なものから隔たり、思考と思考過程とともにあり、隔たりから生まれる喜びと快適さとともに
最初の静慮にとどまっている。アナンダよ、これが前者を超え、より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が思考と思考過程を克服し、
思考と思考過程抜きで心が一点に内的に満ち、集中力から生まれる喜びと快適さとともに
第二の静慮にとどまっている。アナンダよ、これが前者を超え、より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が喜びと公平に向かう平静心と
ともに思慮深く、肉体の快適さにも目覚めて第三の静慮にとどまっている。思慮深く平静心に
とどまっていると誉れある者はいうだろう。アナンダよ、これが前者を超え、
より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が快感と不快感の呪縛を解き、
快感と不快感を克服し、苦楽抜きで思慮深さが平静心によって清められ第四の静慮にとどまって
いる。アナンダよ、これが前者を超え、より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)がありとあらゆる
ものの感覚を克服し、無限の空間の様々な感覚に向かわずに空間の領域にとどまっている。
アナンダよ、これが前者を超え、より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が全ての空間を克服し、
無限の意識にとどまっている。アナンダよ、これが前者を超え、より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が全ての意識の領域を克服し、
無が無の領域にとどまっている。アナンダよ、これが前者を超え、
より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が虚無の全ての領域を克服し、
感覚でもなく無感覚でもない領域に留まっている。アナンダよ、これが前者を超え、
より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、もし誰かが、これは存在者が経験することのできる最高の快楽なのだといえば、
それを私は支持しないだろう。何がその理由か?アナンダ、そこにはこれを超える快適さがあり、
これよりも意気揚々となれるものがある。アナンダ、何がこれを超える快楽で、これよりも
意気揚々となれるものなのか?ここに、アナンダよ、比丘(びく)が全ての感覚でもなく
無感覚でもない領域を克服し、感覚と感情が消える領域を得る。アナンダよ、これが前者を超え、
より意気揚々となれるものなのだ。
アナンダ、そこにある可能性がある…他の流派の苦行者達が質問するだろう、隠遁者ゴータマは
感覚と感情の停止もまた一つの感情であると断言するのか?いかにしてそれが起こりうると
いうのだろう?いかにしてそれがありえるのだろう?これが他の流派の苦行者達に対する我々の
答えである。友よ、楽しいと感じられるだけのものに対しては、祝福された者はそれが楽しいとは
断言しない。いつであろうともそれが得られるなら祝福された者は楽しさを断言する。
祝福された者はこのように述べ、これによって尊者アナンダは祝福された者の言葉に心を輝かせた。
Majjhima Nikaayaからの引用でした。
30 :
考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:51:25
感じることだよ
31 :
考える名無しさん:2005/05/05(木) 22:57:48
哲学やってる奴はただのマゾだ
32 :
考える名無しさん:2005/05/06(金) 13:09:47
毎日うまいものを食って暮らすためには
民衆の愚かさを最大限利用すること。
たとえば宗教的な感情をあおって
カネを出させるのもいいだろう。
世間の人間というのは、想像以上にバカばかりだから
そこのところを弁えておくと
何かと勘違いがなくてよい。
およそ人生でおかしうる間違いの中でも最大の間違いは
人間扱いすべきでない者を人間扱いすることである。
33 :
考える名無しさん:2005/05/06(金) 13:19:35
オナニーこそまことの生の理由なのら
34 :
もとく ◆TpifAK1n8E :2005/05/06(金) 14:31:49
>>15 ベンサムは「人生=計算」じゃなかったでしょうか?まぁ確かに「幸福計算」などもありましたけど
>>32 学校や塾や教室の類いは、
お金と引き換えに無学な人に何かを教えてあげる、教育を与える、という所だよ。
優良な宗教の場合は、少なくとも学校や塾や教室などと違って
お金を強制的に払わせることはほとんどないだろう。
まあ、死後の戒名に値段をつけたりというのはいかがなものかと思うが。
37 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 04:19:39
いやいや。そうではない。
>>1さんのレスはエピクロスの論の一歩手前なんだと思います。
39 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 18:46:26
悩むことは全く気持ちよくないけど
何もしないより悩んだほうが楽(?)だからそうする
40 :
考える名無しさん:2005/05/20(金) 18:54:21
生活保護受けてたって
オナニーやれば気持ちいいよね!
41 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 23:17:57
dayone!
42 :
考える名無しさん:2005/05/23(月) 23:22:01 BE:84584467-
意味が分からん、というか、共感したくないスレだ。
やばすぎるぜ、もまいら。
43 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 00:00:14
おなにぃしたらすごおくきもちよかった
44 :
考える名無しさん:2005/05/24(火) 00:23:46
ほんとだよ。
よかったな。