1 :
考える名無しさん:
借り物の意見が多いとか、そういう話じゃないよ。
何かについて意見を求められた時、「これは絶対にAだ」と言い切れずに、
「Aだとは思うけど、もしかしたらAじゃないかもしれない」
と考えるような、自分の立場を決定できない奴が多いんじゃないか?
(そういう奴は大抵、意見がコロコロ変わることを、成長だと勘違いしてたりする)
間違いや過ちを犯すことを恐れずに、
曖昧な態度を改め、自分の意見や立場を明確にすべきなんじゃないだろうか。
言い切らないのかよw
3 :
考える名無しさん:05/01/21 14:01:59
これは絶対にクソスレだ
4 :
考える名無しさん:05/01/21 14:09:46
1は絶対に包茎だ
5 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :05/01/21 14:09:59
この板の連中は思ったことを書いてるだけだからな。考えてない。
我思う故に我あり。
7 :
考える名無しさん:05/01/21 14:15:00
6は思ったことを書いてるだけだからな。考えてない。
我思う故に我あり。
8 :
考える名無しさん:05/01/21 14:15:16
決まった考えを持たないことが柔軟さだと思われてる。
9 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :05/01/21 14:23:11
哲学的に、決まった答えなんて無いのに
何で決まった答えを持とうとするのか理解できないなw
間違いに気づけば、なるほどと意見を変えざるを得ないのであり
その方が賢くなる
10 :
考える名無しさん:05/01/21 14:29:43
ははは。
>>9 決まった答えなんて無いのに間違いはあるのか
12 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :05/01/21 14:44:44
>>11 しょ〜もない事を言ってくるなよマッタク
疲れる
少しは自分で考えろよ
ただし、まともにな
断言しない奴は思考してないことが多いよな。
「Aだと思うけど、Bという見方もあるかもしれない」とか言う。
で、実はCが妥当だということになると、「そりゃそういうこともあるだろう」とか頷く。
つまり、何が起きても不思議じゃないという心構えを持つことで、
逆に「何が起こるかなんて分からないんだから考えない」となってしまっている。
相対主義でも、相対主義は自己矛盾が生じてるのではないかとか、
何か絶対の基準があるのではないかという思考をしない。
とにかくオウムみたいに「絶対のものはない」をくり返すだけ。
>>12の意訳
痛いところをつくなよ。
こういうときには相手に考えさせてうやむやにしよう。
的確なことを言われたら「そんなのまともじゃない」と切り返すぜ。
15 :
考える名無しさん:05/01/21 14:54:47
考えるけど答は出さない
16 :
考える名無しさん:05/01/21 16:33:06
良スレ確定
内容の範疇の限定と、その限定の納得の行く説明、ってプロセスは必要だよな。
18 :
◆qkSq/eCC6g :05/01/21 17:13:47
まず「自分」というものについて疑問を持つことだ。
「考え」が「自分」のものであるとはどういうことを
1がわかっているとは思えない。
「考え」というものは「持つ(所有/従属)」ものなのか。
「考え」は独立している。
また、「少ない」「多い」ということの根拠がわからない。
それこそが曖昧ではないだろうか。
そして、1の言う「自分の考えを持つ」ということの利点を、
1は語っていない。
それが語られていない以上、「間違いや過ちを犯す」よりマシと
1の言う「自分の考えを持つ」ことをしないことは責められまい。
19 :
考える名無しさん:05/01/21 17:25:30
>>1 自分の意見なんてみんな持ってる。
ただ、話し相手を困らせるようでは大人げない。
だから、含みを持った言葉が好まれるんだろ?
20 :
考える名無しさん:05/01/21 17:48:37
意見を固められる程の根拠がない状態にも関わらず断言するなんて
その意見が間違っていた場合
→
>>1は絶対Aだと言っていたが間違ってたじゃないか
→
>>1の「絶対」は当てにならない
→
>>1の意見は誰にも信用されなくなる
Aでない可能性も視野に入れておけ でないと、盲信者になっちまうぞ
21 :
考える名無しさん:05/01/21 18:22:59
>>20 自分の意見に確信を持てない奴が他人に何か言うな。
>>20 それは断言の弊害じゃなくて、無根拠な行動すべてにあてはまる弊害だよ。
たとえば、俺が「Aが正しい」と言ったとしよう。(※実際はBが正解とする)
相手がそれを根拠も聞かずに賛同したのなら、それは無根拠に信じた相手も悪い。
もし疑問があるのなら相手は俺に訊くべきだ。「どうしてAなのか?」と。
俺も断言したからにはAである根拠を説明するだろう。
この根拠は結局論駁されるだろうけど、それでもこれは全体として意味のある議論になる。
少なくとも俺も相手も考えてる。
考え抜いた末に間違えるのは、考えずにいるよりいい。
「Aかもしれないし、Aじゃないかもしれない」とか言う奴は大抵何も考えてない。
考えたのならせめて「AであるともBであるとも断言できない」と断言するはずだ。
24 :
考える名無しさん:05/01/21 19:45:10
何らかの答を出せない奴はニートかひきこもりになる。
25 :
考える名無しさん:05/01/21 23:47:22
ニート君は働いたら負けと断言してたぞ。
26 :
考える名無しさん:05/01/22 00:07:41
言葉をそのまま受け止めちゃいけない
27 :
考える名無しさん:05/01/22 00:09:46
自販機爆発 ←やぱーり自爆なの?
28 :
考える名無しさん:05/01/22 00:10:25
29 :
考える名無しさん:05/01/22 11:23:42
でれすけでんでん
哲学そのものが、みんな自分の考えに過ぎんのだよ。
何が真実で虚構なのかはあまり明確でないのだから。
31 :
考える名無しさん:05/01/22 13:43:19
32 :
考える名無しさん:05/01/22 13:46:17
33 :
考える名無しさん:05/01/22 13:50:14
間違ってるかもしれないけどって前置きすることで、保険をかけてるんだよ。
34 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :05/01/22 15:12:06
35 :
考える名無しさん:05/01/22 15:49:28
確信がなくても、間違ってるかもしれないと思ってても、
自分の出した答には責任を持たなければいけない。
意見がすぐに変わるのは柔軟さではない。
むしろ、そういう人間を柔軟だと感じる頭の硬さにうんざりする。
柔軟な人間とは自分の意見を変えずに、時と場に適応できる人のことを言うのだ。
それが単なる統覚であると良くわきまえているという見方はないのか?
その場の空気を読めない人はダメだね。
39 :
考える名無しさん:05/01/22 16:05:00
人を殺すのは間違ってると思っていたら、殺人を犯しても罪にはならないよ。
40 :
考える名無しさん:05/01/22 16:19:14
思想をコロコロ変える奴にとって、思想って何なの?
41 :
テXテフツ& ◆T4syw.algE :05/01/22 16:23:46
ウィトにきけ。
42 :
考える名無しさん:05/01/22 16:25:35
ああ、あいつは駄目だよ
43 :
考える名無しさん:05/01/22 17:07:54
自分の意見なんてないも〜ん!
沢山の本を読んで内容をパクリ、それを自分の考えのように
カキコしてるだけだも〜ん。
ここは2ch、「無責任・馬鹿・非常識・友人なし」でいいじゃないの!
そんな人達の憩いの場なんだから。
肩の力を抜いて行こうよ!
>>35 自分の出した答えに責任を持つ為に意見を変えるんだよ。
>>43 お前は自分語で話して自分論理で話してくれ。
多分他の人には危ない人にしか見えないと思うけど。
46 :
考える名無しさん:05/01/22 21:11:26
何が真理か分からないから、
答を出せないってのはどうなんだろうな。
真理って、いつ見つかるんだ?
47 :
考える名無しさん:05/01/22 21:31:52
>>45 そうしてますが?なにか?
>>46 真理は過去も現在も未来にも常に存在しています。
誰でも知っています。
>>47 はて?俺には日本語と日本文法、使い古された言い回しにしか見えないが
49 :
考える名無しさん:05/01/22 21:55:44
50 :
考える名無しさん:05/01/22 21:57:16
「自分の考えを持つ」というのは、どういう状態のことを言うのか?
400字以内で述べよ。
自分語を宣言してるような奴を相手にすんな。
ほっとくが吉。
52 :
考える名無しさん:05/01/22 21:59:32
53 :
考える名無しさん:05/01/22 22:00:58
54 :
考える名無しさん:05/01/22 22:04:16
うるせーな哲学は無知の知から始まったんだよ。
56 :
考える名無しさん:05/01/22 22:11:49
ならいいや。すんなタコ! を流行らせてくれ!
>>50 言葉は先人の使ってきた言葉文化の記憶によって話すしか無いんだから全部借り物ですよ。
自分の意見というのはそれを解釈してローカライズしたりシェイプアップしたりする事では?
>>57 オリジナリティがないと言ってんだよダコ!
59 :
考える名無しさん:05/01/23 00:04:08
>明確にすべきなんじゃないだろうか。
その言い方がまさに曖昧な態度なんだが
>>58 オリジナリティのオリジンは(源泉)だぞ、実に源泉的じゃないか
過ぎない物ではない、次から次への考えだな。
61 :
考える名無しさん:05/01/23 00:18:01
源泉井上
62 :
考える名無しさん:05/01/23 00:35:48
>>1 >間違いや過ちを犯すことを恐れずに、
自他の意見の中に、間違いや過ちを「これでもか」と探し続けてきたのが歴代の哲学者じゃないのか。
間違いや過ちを恐れずに自分の意見を言う事が何を成すと言うのか。
断定すべきは間違いや過ちを探し尽した後だろうに。
オイラ、人に合わせてコロコロ意見を変えるふりをして、
実際は何も変えてない。。。
そのほうがイクナイんじゃないんでちか?
64 :
考える名無しさん:05/01/23 00:38:56
へたに断言しないほうがいいよ。プライドだけ高い人は、後に引けなくなって
無理やり反論し続けるハメになる。
あと人間誰でも、今までの人生で触れた意見のつなぎあわせで
モノ言ってるんだから「自分の意見」なんてこれほどあいまいな言葉はない。
65 :
考える名無しさん :05/01/23 00:41:00
言質を取る!
基本的に、オイラ議論とか論争とかディベートはイクナイことって感じてるので、
議論がいいことと考えてる人に、どこがいいのか教えて欲しいでち。
議論は自分の主張を相手に通すための訓練としていいってことなんでちか?
目的はなんなんでちか?
68 :
考える名無しさん:05/01/23 00:44:22
基本的に間違ってるよ。
これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。これ知るなり
↑言わずもがな孔子の格言。
解る事を断言し、解らん事は解らんと言えば良いんだ。要するに。
だからおまえは
いつまでたっても
ちくわぶなんだ!!
>>67 それは説得。
自分だけでは結論に至らないから、結論を得る為に相手の力を借りるのが議論。
相手を論破する為にするのが口論。
ちくわぶはいつでもやめられるでちよ。
そういうことはどうでもいいでち。
議論の目的はなんなんでちかね。
何か答えを見出したいなら研究することのほうが重要だし、
新しい発想を生み出したいなら、
ブレインストーミングとかスプリントライティングのほうが効率はいいし。
73 :
考える名無しさん:05/01/23 00:48:32
>>66-67 議論の目的はいろいろあるが、自分と違う考えに触れるためにある、と俺は考える。
議論してる最中は、相手の意見なんて認められないよ。自分に反対してるわけだから。
アドレナリン出てムキーッてなる人もいるだろうし。
でも、その議論がいったん終わって、また別の人と議論する時に、不思議と
前の議論で、相手のうなずけた意見を自分のものにしてたりするんだよ。
議論で得るものがあるとすれば、それかな。
>>69 分からないことは分からないと断言しろ、ということでは。
考えた末に「まだデータが足りない」と断言できるなら、それは考えてる証拠。
即座に「分からん」と返すやつは何も考えてない。
>>71 結論が得ることと議論って結びつくでちか?
それぞれの主張を持ってる人たちが、
主張の食い違う人を相手に説得しようとしてるのが議論に見えるでち。
そんなことだから
みんなから
ちくわぶと呼ばれるんだ!!
>>75 相手の反論を受けて、自分の意見を省みることができるじゃないか。
>>73 すごく分かりやすい話でち。
ただ、自分になかった意見を手に入れる方法としては、
もっとムキーーっとならずにする方法がたくさんあると思うでちよ。
議論だけが方法じゃないはず。
だから、それだけのために議論を肯定して欲しくないでち。
>>78 ムキーっとなるのは議論の問題じゃなく参加者の人格の問題。
それと、議論に代わる方法として具体的に何を想定してるの?
>>74 >分からないことは分からないと断言しろ、ということでは。
その通り。言葉足らずで申し訳無。
それから考えるか考えないかはまた別の話。
>>75=78
それは言葉の定義の問題。
少なくとも私は
>>71としている。
貴方が批判しているのは、私が言うところの口論。
議論で感情的になる必要は無いんだがなと思うが、人間そうはいかないらしい。
>>79 さっきも書いたけど、
新しい発想を得るには、ブレインストーミングやスプリントライティングもあるし、
自分にない主張や発想を得るためには、読書なんかもあるし、
主張のぶつかり合いなんかしなくても、雑談でもいろんな意見は知れるし、
自分の考え方を省みることはできるでち。
なのに、感情的になる人がいたり、反動で意固地になるひともでるような議論が
いいことだって言う人にどこがそんなにいいのか聞いてみたいんでち。
まずは考えを的確正確に表現する力をつけるべき
何言ってるか分からん奴が多い
次に相手の表現を的確正確に理解する力が必要
慌てて誤解する奴が多い
>>81 バカとハサミは使い様。
「議論する人間がどうか」は「議論がどうか」とは無関係。
議論とは本来無機質であるべきもの。
「命題が正しいか正しくないか」が参加者の感情に左右されては議論が曲がった方向に進んでしまうから。
ならば悪いのは、「無茶苦茶な議論を行う人間」であり、「議論自体」ではない。
オイラも考えを表現する「力」というか「方法」をより明確に知って、
相手の表現を理解するための方法もよく知りたいと思うでち。
85 :
考える名無しさん:05/01/23 01:09:06
バカ多いね(つд`)
フツー人てちくわぶくらいしかいないでち。。。
超天才はオレだけ。
86 :
考える名無しさん:05/01/23 01:09:55
>>81 ブレインストーミングって、一人でやるの?多人数でやれば意見の対立があるかもよ。
>>83 そのとおりだとおもうでち。
感情的になって無茶苦茶なことを言って恥ずかしい思いをしたり、
話をこじらせることを目的にする人は、多分ほとんどいないと思うでち。
なのに、実際にはそういうことが起こりやすいのが議論でち。
ということは、議論という方法は避けたほうがいいことなんじゃないかと思うでち。
88 :
考える名無しさん:05/01/23 01:13:59
>>81 確かにちくわぶの言う通り、議論でなくてはいけない理由なんてのは
無いと思うよ。でも他人と話した内容ってのは、一人で考えてたり
読書してる場合より、印象に残るんじゃないかな。
>>81 ブレインストーミングは複数の人でやるでち。
進行役もいるでち。
ルールがいくつかあって、そのひとつに、
「しとの意見を否定しちゃダメ」というものあるので、
対立による話のこじれはないのでち。
90 :
考える名無しさん:05/01/23 01:17:26
善意志だってさ
>>87 >ということは、議論という方法は避けたほうがいいことなんじゃないかと思うでち。
にも関わらず、今まさに行っているのが議論。
では、今行っている議論の他に、貴方の疑問を解決し得るものは、何。
そうか。わかった。俺が間違ってた。
俺も人のこと言えないんだけど、哲板の連中は自分の考えを持ってないんじゃなくて、
自分を批判的に見れないんだな。
だから、他人に持論を批判してもらうためにここに来てるんだ。
自分でもそこまで正しいとは思ってない仮説を最初に出して、
他人に批判してもらって、それを修正する。
そしてまた発表して、批判を受けて・・・ってのを繰り返して、
自説の確からしさを高めようとしてるんじゃねぇかな。
でも、それはやっぱ、自分で自説を批判的に見られないからだよな。
だから、あっさりと意見が覆されて、コロコロ意見が変わることになる。
でも、持論を批判的に見て、自分で修正できるとこまで修正するのが理想だよな。
考え抜いた末に、他人から批判を受けるために発表するのは悪くないけどな。
ここでは、そこそこ考えて書けば、重箱の隅をつつくようなレスしかつかないし。
普段、ちゃらんぽらんな議論しかしてないのに、「哲板の連中」って誰だ、全員がそうなのか、
とか、簡単なとこだけ厳密にやろうとしたりしてな。枝葉の部分なのに。
93 :
考える名無しさん:05/01/23 01:19:15
>>89 ああ、そういえばそうだった。忘れてたゴメソ。
しかし思ったが、今こうして話してるのがもう「議論」じゃないか?
ちくわぶも議論の有効性を暗々裏に認めているから、
こうして2chで聞いているのではないの。
あと、議論の目的としてもうひとつ、自分の主張を自分以外に
認めてもらいたいという欲求を満たす、というのがあるのじゃ
ないかな。必ず果たされる目的じゃないけど。
>>87 2chでの議論に話を限れば俺も賛成だ。
誤りを指摘されると感情的になる奴があまりにも多い。
でもたとえば大学のディベートとかはどう?
あれってそんなに感情的になる人はいないと思うけど。
>>89 俺は実際にブレインストーミングやったことないんだけど、
他人の意見を否定できないと先に言った者勝ちにならない?
極端にいえば、最初に「1+1=5だ!」と発言されたら、
続く人はそれに反対する意見が述べられずに困ってしまうような。
あと、「○○じゃなかな?」とか「○○と思う」という言い方より、
「○○だ」といったほうがいいという人がいるけど、
それだと、○○と思っているという事実を捻じ曲げてしまうことになると思うでち。
その発言者の現時点での考えや意見じゃなくて、
普遍的な命題であるかの印象をうけるので避けたほうがいいかと思うでち。
96 :
考える名無しさん:05/01/23 01:22:11
1とかきちがいだし
>>91 そうなんでちか?
オイラは、議論がいいことだというのはどうしてなのか質問してるつもりだったでち。。。
>>93 あー、そなのかもしれない。
なんというか議論でもいいんでちが、副作用が少ないように、
方法がなにか方法が確立できたらいいなとおもうでち。
>>94 ディベート、オイラも好きなんでちが、
あれは目的がはっきりとしていて、
思考や発表や説得のためのトレーニングだから、
哲学のような問いに対する答えを導き出したいときには向いてないと思うでち。
>>97 今のが本来あるべき議論、つまりは、論理的で、感情的でない議論の形をある程度達成出来ている、と自分では思う。
意見を交換して、自分の意見(根拠が薄い状態では疑問)を強化していくという事。
貴方の言う議論は、私の言う「議論の悪い例」の事。
だから私にとっては「悪い議論は悪い」
全くもってその通り。
100 :
考える名無しさん:05/01/23 01:31:18
>>98 うーん、匿名掲示板では無理とは言わないが厳しいと思う。
ホストが表示される掲示板でなら多少軽減されるんじゃないだろうか。
口調は丁寧だが内心煮えたぎってる、という状態になるだけの気もするが・・
>>98 トレーニングということは、それを実践に用いるのが最終目的なのでは。
なぜ哲学の問いを考えるのに向いてないと思うんだろう。
なるほどでち。
ということは主張のぶつかり合いだけが議論ではないんでちね。
ということなら、オイラが普段雑談だと思ってやってることも、
議論になってることがあるでちね。ふーむ。
103 :
62:05/01/23 01:36:14
>>98 自分を磨いて、相手を選ぶ事。
正しい結論を得る為に議論を行うならば、それしか無いかと。
>>94 ディベートはそもそも正しい結論を得るものでは無い。
本当に論理的になればそもそもディベートは成り立たないのだから。
だから論題は「〜〜べきである。真か偽か」ではなく「〜〜べきである。是か非か」なのだ。
>>100 そうでちね。
仮に議論のルールというのが確立されたとしても、
それをみんなが守ってくれるわけではないでちからね。
>>101 ディベートって、自分の主張や考えに関係なく、
肯定側と否定側に分かれて、主張・質問・論駁をして、
どっちが説得の技術があったかをジャッジしてもらうものなので、
答えとして正しいかより、説得の技術がうまい事を重視する人になりそうでち。
実際のところどうかは分からないけど。
「あーいえばこーゆう」というつかみどころのないしとになって行きそうでしょ?
105 :
62:05/01/23 01:43:17
>>101,
>>104 論じるまでもなく、日本ディベート協会も
>第三者を説得することが目的です。
と言ってる。
106 :
考える名無しさん:05/01/23 01:45:17
層化はディベートに力入れてるよな。
層化高校なんてディベート甲子園で毎年優勝しているし。
なんだか怖いね
107 :
考える名無しさん:05/01/23 01:45:41
よく考えると、互いが攻撃的にならない議論って、馴れ合いに
発展しそう。それも弊害に成りうるな。
馴れ合いになってしまうと、微妙な意見でも肯定しなけりゃいけない雰囲気に
なりかねないし、煽り合いになると必要以上に相手の意見を攻撃してしまう。
といって、馴れ合いを嫌って歯に衣着せずに相手の意見を批判すれば、
人によっては「じゃあこっちもお前の意見は認めてやらない」と思ってしまう。
そうなると議論の目的が崩れかねない。
まあ、相手が良ければ問題にならないと思うが、それは
どの問題にも言えることだしなあ
オイラが今やってるのが議論だといわれてしまうと、
議論がよくないというオイラの考えと食い違ってしまうんでちが、
オイラとしては気軽に雑談してるようなつもりなんでちよね。
気軽にフレンドリーに話して、あんまり気張らないようにしたいでち。。。
>>103 ごめん。ディベートで正しい結論が得られない理由がよく分からない。
疑問点は2つで、
1、ディベートで正しい結論が得られないなら議論でも同じことではないのか?
2、論理という公理系を認めていないと論理的にはなれない。
とすると、論理的であることから演繹できる価値判断はありうるのでは?
>>104 「答えとして正しい」という何かなんて存在しないのでは。
実践・議論を尽くした結果、最も説得力のある仮説という形でしか「正しさ」は表せないと思う。
110 :
考える名無しさん:05/01/23 01:54:22
>>109 62ではないけど、ディベートは、正しい結論を得ることを「目的としていない」ってことじゃないかな?
だって、多くの第三者を納得させるところに目的があるわけだから。説得力を争うのだと思う。
時には正しい結論が得られることも、無いことは無いんじゃない。
>>107 そーでちね。
言ってみれば、「雑談」の悪い例が「馴れ合い」でちかね。
まず相手を選ぶ必要があるというのは、
「雑談」でも「議論」でも、確かにそうかもでちね。
普通はそうなんでしょうけど、
できれば、誰とでも仲良く建設的に雑談できるようになりたいんでちがね。
>>109 主張が「正しい」「正しくない」という判断は、
これはこれでおっきなひとつのテーマなんで、
ここでその話するのはオイラには無理ぽでち。
オイラが示したかったのは、
「正しい」かどうかはともかく、その方向性が、
「答えを知りたい」っていう方向に向かってるか、
「説得合戦に勝ちたい」という方向に向かってるかの違いでち。
>>110 あ、ごめん。勘違いしてた。
相手を説得するんじゃなくて、ディベートを見てる第三者を説得するんだった。
その第三者が論理的に思考するとは限らないから、確かにその通りだ。
大学でやってたディベートはその第三者にあたるのが先生一人だったから、
論理的である=説得的である、だと勘違いしてしまってた……(´・ω・`)
>>111 このレスの上にも書いたとおり、俺の中では「説得合戦に勝つ=正しい」という
変な図式が出来上がってました。スマソ。
113 :
62:05/01/23 02:15:33
>>109 先ず正しさについて。
例えば私がボールを持っていたとする。
ここで、「ボールを放せば落ちる」というのは「正しい」
実用的な議論で求める正しさとはそういう正しさ。
どう否定しようと"この世界では"実際そうなるのだから、ということ。
「この世界」を前提にするから「正しい」「正しくない」がある。学問の公理と一緒。
ここの、「この世界」自体がどうかを問うのが存在論。
実用的議論を超えた、「哲学」という学問の範疇。
でもって、「論理的思考」とは「この世界」を前提とする議論においては「正しい答えを得るために考えること」
で、ディベートがどうかと言うと、
色々な場所で論理的でない箇所がある。
例えば、「べきである」は、「目的」を前提としなければ成り立たないのに、何故かディベートは成り立っている、とか。
そのような偽があるということは、論理的ではないということ。
だから、論理的な議論ではない→正しい答えを得る為の議論ではない
議論の途中に偽があるのだから、答えが必ずしも正しいとは言えない。
そもそも目的が説得なのだから当然のこと。
114 :
考える名無しさん:05/01/23 02:19:21
> 「べきである」は、「目的」を前提としなければ成り立たないのに、
「定言命法」って言葉、知ってる?
115 :
62:05/01/23 02:30:00
>>114 知らないから検索した。
が、実際そんなものは無いではないか。
あれば真理となってしまう。
最早宗教の範疇である。
116 :
考える名無しさん:05/01/23 02:33:37
定言命法は、カントがそう言っているというだけで、別に普遍的な理論でも
なんでもないと思うよ。
117 :
62:05/01/23 02:35:00
追記。
カント自身も
わたしは信仰に席を与えるために、知識を廃棄しなければならなかった
と言ってる。
道徳は人間を縛るための既成概念である。それ以上も以下も無い。
118 :
考える名無しさん:05/01/23 02:38:41
正しさといっても、それは常に条件付きのものだよね。
科学的な正しさ・・・とかね。
そういう意味で、宗教的な正しさもあり、哲学的な正しさも
あるにはあるわけだ。
だから、「正しさ」とひとことで言ってしまうと、混乱のもと。
「正しさ」なんていう言葉は使わないほうがいいんじゃない?
>>115 逆だろ? 「べきである」というのは到達できぬ無限遠点として要請されるもので、
理性を構成的にではなく統制的に使用することでしょ。それによって学問的対話と
疑似学問的対話(ディベート)は峻別できる。
>>1 蒙前固有の考えを述べよ。話はそれからどあ。
121 :
62:05/01/23 02:42:44
>>118 だから前提がある、と書いた。
「正しさ」がないなら議論は出来ない。
どれだけ無茶苦茶な事を言おうが、どれだけ筋の通った事言おうが同じになるんだから。
>>119 悪いが理解不能だ。
もう少し簡単に喋っては貰えまいか。
122 :
考える名無しさん:05/01/23 02:44:58
>>121 >「正しさ」がないなら議論は出来ない。
その「正しさ」の基準は何?
>悪いが理解不能だ。
えっ?カントは読んでるんじゃないの?これ以上易しく書けないよ。
124 :
考える名無しさん:05/01/23 02:48:52
>>123 横レスだが、
>>115で「知らないから検索した」と書いてるよ。
入門書も読んでないことは明白でしょ。
125 :
62:05/01/23 02:49:30
>>122 >>113でも書いた。
>例えば私がボールを持っていたとする。
>ここで、「ボールを放せば落ちる」というのは「正しい」
>どう否定しようと"この世界では"実際そうなるのだから、ということ。
>「この世界」を前提にするから「正しい」「正しくない」がある。学問の公理と一緒。
例えば数学においても「1+1=2」正しいわな。
126 :
考える名無しさん:05/01/23 02:49:56
>>122 ディベートにおいては、第三者の集団にだいたい共有されてるコモンセンスだと
思う。それは自分に分かる範囲でしか想像し得ないが。
127 :
62:05/01/23 02:52:24
訂正。「1+1=2」正しいわな。 →「1+1=2」は正しいわな。
128 :
考える名無しさん:05/01/23 02:53:52
>>125 つまり・・・
常識的に「この世界」を前提とする場合の「正しさ」、
また、数学的な意味での「正しさ」、それ以外にもいろんな観点から見た
「正しさ」があるわけだけど、
>「正しさ」がないなら議論は出来ない。
という場合の「正しさ」は、そういういろんな「正しさ」の中の
どれを指しているのか?
あるいは、どれでもいいのか?
129 :
62:05/01/23 02:56:21
130 :
考える名無しさん:05/01/23 02:59:52
>>129 なら、「正しさ」なんて言わずに、論理性と言えばいい。
エジソン(だったっけ)が二つの泥の塊を合わせて「1+1=1じゃん」と言って教師を
困らせたという話があるでしょ?あれについて考えてみると、第三者の集団にだい
たい共有されてるコモンセンスを持ち出しただけじゃエジソンは納得しないじゃん。
そこでは連続量と非連続量の概念の混同(カントで言えば世界分割のアンチノミー)
という説明がちゃんとあるわけでさ。
132 :
考える名無しさん:05/01/23 03:02:31
>>125 カントが出てきたのでついでにそれに触れると、
「ボールを放せば落ちる」というのは、「1+1=2」とは正しさの
種類が違う。前者は経験で確かめることで正しさが確かめられるが
後者は経験に頼らず概念上で考えるだけで正しさが確かめられる。
(ちょっと、いやかなり言い方が適切でないかもしれないが)
カントは前者を「後天的総合判断」と言って後者を「先天的総合判断」
と言う。また別に「分析判断」もあるが
分析判断 ・・・ トートロジー。「ボールは丸い」みたいなもの。必ず正しい。
先天的総合判断 ・・・ 例「1+1=2」。トートロジーでないのに、誰にとっても
必ず正しい判断のこと。
後天的総合判断 ・・・ 経験によって正しいと判断すること。これは
各人の経験に拠っているので、誰にとっても
必ず正しいとはいえない。
参考までに。間違いあったら指摘してちょ。
133 :
考える名無しさん:05/01/23 03:04:29
>>131 ディベートにおいて、コモンセンス以外に何を頼るの?
ディベートの話をしてるんだよ。エジソンとか特定の個人の話をしてないよ。
論理的な言明であること、を矛盾律、排中律を侵犯しないというだけの形式論理学
的な正しさという意味に取ると、エジソンとの対話は永久に平行線のままだわな。
そこには形式論理学だけではなく、超越論的論理学が必要。
>>133 エジソンじゃなくても別にいいんだよw。そこらの子供でもいい。
>>132 正しいですよ。コモンセンスは後天的総合判断に属しますね。
超越論→倫理 とワシは思うておるのだ。だが、
倫理的論理学があるとして、ワシは、そんなものは信用しない罠。
137 :
考える名無しさん:05/01/23 03:15:50
>>135 ああ、そうか。上で言う後天的総合判断以外にも、第三者を納得させる
理論的な手続きがあるってことかな?
138 :
62:05/01/23 03:16:07
>>130,
>>132 論理性と言えば良かったのかもしれない。
ただ、「論理性のある結論」より「正しい結論」と言った方が通じやすいと思ったから、それだけのこと。
何か誤解を生んだならば申し訳無。
分類に関しては、そう分けることも出来るのだろう、としか。
ロジックと言うものは、おおよそ、非倫理的なものであろう。
140 :
62:05/01/23 03:27:28
見事に誤爆もした事だし、頭が逝きかけてるらしいので寝る。
以下返信は起床後に見るので。
>>136 >超越論→倫理 とワシは思うておるのだ。
ウィトゲンシュタインは「語り得ぬものに関しては沈黙せねばならない」と言い、
倫理の領域をその埒外としました。その埒外の領域のものが論理を超越した倫理
の領域であり、積極的には語れない超越的なものとした。しかし、超越論的論理学
とは、語りうるものと語り得ぬものの境界確定そのもののことです。つまり
「語り得ぬものに関しては沈黙せねばならない」という言明が超越論的なのです。
「超越的」(トランセンデント)と「超越論的」(トランセンデンタル)の違いです。
142 :
考える名無しさん:05/01/23 03:40:27
>>138 まぁカントの分類もひとつの観点からみた構造の解説に過ぎないけど、
「正しさ」を考える上での補助線にはなるよ。
ボールを放せば落ちる、と1+1=2はややもすると同じ種類の
正しさだと考えかねないからね。
>>141 妙に納得。だが、「妙」がくせ者。ご返答ありがたく承り候。
このスレが哲学の本質のような気がするのは漏れだけだろうか。
読んでておもろすぎるな。話が概ね噛みあってるし。
146 :
考える名無しさん:05/01/31 13:35:17
考えごとにはBTRON
147 :
考える名無しさん:05/01/31 13:48:36
>>145 そうなのかと思って読もうとしたが、まんどくさくて嫁ない。
148 :
考える名無しさん:05/01/31 23:39:07
東スポの記事なんか書かせたら面白いだろうな、ここの住人。
149 :
考える名無しさん:05/02/16 02:22:41
誇大妄想狂が多いから?
150 :
考える名無しさん:
age