死刑について

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801考える名無しさん
>>794
前者は25%がダメな理由も5%が良い理由もはっきりしないから、整合性以前の問題。
後者は「そう決まってるからそうなんだ」と言っているだけで、そのスピード自体の整合性には触れていない。

「現在の日本の法律内である」という意味では整合性があるかもしれないが、
法律が変わったらそれにしたがって数値が変動するなら、
それは「死刑が法律で定められている限りそれは正しい」という主張に等しい。
802考える名無しさん:2006/05/15(月) 18:21:21
「法律で決まってるから理論も正しい」
↑↓
「理論が正しいから法律になっている」

「世界的な潮流だから従うべき理論」
↑↓
「従うべき理論だから世界的潮流になっている」

みたいな自己発電で理論の相互補強する奴の目を覚まさせるのはめんどくさいよな
803考える名無しさん:2006/05/15(月) 19:45:03
「死刑と他の刑罰に根本的な違いがない」ってのは議論のすり替えじゃない?
この「根本的」ってのは、要は「罰」という意味でしょ?
ここでは、その「罰」の「発現の仕方」が問題になっているわけで
「罰」そのものを議論したってしょうがない
なんなら一切の刑罰は、罰金刑にでも一本化した方が
その数字的明晰さゆえ、混乱が少なくなって
刑罰の論理的整合性をまかなえるのでは?
804考える名無しさん:2006/05/15(月) 22:45:53
罰金刑っつっても絶対高飛びするよね
死刑がなければやったもん勝ちだから、死刑はあるべき
罪には相応の罰が必要
805考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:04:26
>>803
抑止効果が具体的に測れない類の刑罰においては、
その場その時のモラルに照らし合わせて許容できる刑とできない刑しかないわけで
そりゃあ確かに死刑と他の刑罰を区別する「違い」はあるだろうが、
突き詰めれば、その着目は自分のモラルを正当化するための方便に過ぎない。
そういう意味で根本的な違いはないってことだと思われる。

今の常識ではかると「罰金刑に一本化」は突拍子も無く聞こえるけど
モラルの基準がシフトしていけば、いつかそれが当たり前の時代がこないとは言い切れない。
806考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:11:34
死刑と終身刑に根本的な違いはないとして終身刑も廃止した国もあるわけだしね。
807考える名無しさん:2006/05/16(火) 03:54:07
公開処刑なら見せしめの為な訳だけど、更生とか社会復帰の可能性が無い場合に
とられる手段のような気がする。権力で人の命を左右していいのか?と言われると
多分微妙な所。そうなると正義と言うしかないかもしれないブッシュちゃんみたいに。
刑罰も再犯を防ぐ意味で効果があるのかは謎。警察がうるさいから止めとこうと
それじゃヤクザの世界っぽい、よく知らないけど。
808考える名無しさん:2006/05/16(火) 04:12:33
死刑廃止論は一見「死刑制度の撤廃」「死刑廃止の実現」でまとまっているように見えるが、それらが目的になっているなら絶望的に本末転倒で
本来廃止論が目的にすべきは死刑を廃止した後の「新たな制度への支持」だ。

一口に廃止論といっても内容は様々で、「論理的に終身刑がありえない/終身刑が必須」のような相容れない矛盾したものがいくつもある。
新たな制度のことには詳しく触れないで「廃止論だから」というだけで一枚岩のように振る舞い、
死刑さえ廃止すればあとは野となれ山となれということでは、法律を動かすことなどまず無理。
809考える名無しさん:2006/05/16(火) 04:23:33
>>807
特定の刑罰の特別予防などの効果をはかることは困難だけど、
刑罰全体ということでいえば、効果があるのはまず間違いない。
信賞必罰をしっかりしない組織は大小にかかわらずすべからく速やかにモラルの崩壊がすすむ。
810考える名無しさん:2006/05/16(火) 13:40:08
人の命をオモチャの様に扱い、娯楽感覚で殺人をする輩が増えてる。死刑にすべし。残虐な公開処刑がもってこいだ。残虐な刑罰の禁止なんてくそくらえだ!
811考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:58:20
はいはいワロスワロス

最後の一文のみ同意
812考える名無しさん:2006/05/18(木) 01:19:44
残虐な刑罰を推進する心情には
人の命をオモチャの様に扱う、娯楽感覚な殺人願望が秘められている
813考える名無しさん:2006/05/19(金) 19:29:01
秘められているうちは問題ないし
秘められていない人間などいない
814考える名無しさん:2006/05/20(土) 03:02:00
秘められているうちは問題ない
ということは、やはり死刑制度は問題があるということになるのか
815考える名無しさん:2006/05/20(土) 04:00:33
死刑制度だけじゃなくて刑法全体に問題があることになる
816考える名無しさん:2006/05/20(土) 04:12:58
殺人願望が露出した死刑判決なんて日本で見たことないぞ
817考える名無しさん:2006/05/20(土) 14:33:23
殺人という罪に相応な罰は死刑以外にありえますか?
818考える名無しさん:2006/05/20(土) 15:04:32
もし安田弁護士の家族とかが残酷に皆殺しされても彼はその犯人は死刑になるべきではないといえるのか?
結局死刑廃止を唱える人は凶悪犯罪を他人事としか思ってないんだよ
819考える名無しさん:2006/05/20(土) 15:20:40
それは感情論でしょ
逆に言えば、賛成派は仇討ちや虐殺刑も推奨しなくてはならない
ということはどっちにしろ、現行の死刑制度は問題ありということになる
820考える名無しさん:2006/05/20(土) 15:31:56
>>819
>賛成派は仇討ちや虐殺刑も推奨しなくてはならない
そうか?
国家が刑罰権を独占していることへの賛否および適正手続の賛否と死刑の存廃論は関係ないだろ。

今は賛同者がいないが、カント的死刑賛成論(人格的絶対的応報刑論)やヘーゲル的死刑賛成論(国家規範的価値的応報刑論)が過去にあり、
その修正としての相対的応報刑論(これは現在も多数の論者がいる)に基づく死刑存置論が主に唱えられているわけだから、
死刑存置論が仇討ちや残虐刑を推奨することとはまったくつながらない。
821考える名無しさん:2006/05/20(土) 16:14:25
歯には歯を、死には死を
822考える名無しさん:2006/05/20(土) 18:45:18
>>819
まあ例えそうだったとしても、それ以上に死刑廃止に問題があるから
現状維持を覆すほどの理由にはならない。
823ほのぼの(1です) ◆JE8BnO0L9c :2006/05/22(月) 08:27:45
いま、法は殺人を許していない。
しかし、目の前で愛する人が殺されるのを見たら
たいていの人は、理性も倫理も吹っ飛んで
返り討ちにあってでも良いから捨て身の攻撃に出て
殺人者を殺そうとするだろう。
しかし法はそれすらも認めていないわけだ。
よく、「犯人は精神に異常があった。だから犯人には罪がない」なんていう
主張があるが、それなら仇討ちをした遺族のほうが罪なき人を殺した
殺人者になるのか?法が個人の仇討ちを認めないんだから
法が仇討ちをしてやるべきではないのかな?
824考える名無しさん:2006/05/22(月) 08:36:55
違うんじゃないの。
周りに人が沢山いるから、そういう考えだと、表に出すのだ。
825考える名無しさん:2006/05/22(月) 11:01:55
どういうこと?
826考える名無しさん:2006/05/22(月) 11:07:43
>>823
たしかに、法的な刑罰には復讐の代行という意味もあるよね。
827クソブタhideシネ ◆nfVmWQIDlA :2006/05/22(月) 11:41:50
日本は法律上、死刑制度が無い、機能していない。

死刑判決受ける→執行前に他界する率、または執行するまで行かしてる年数


さて、日本は死刑廃止の代わりに仇討ちが復活する動きもありそうだな
828考える名無しさん:2006/05/22(月) 15:54:02
犯罪者は、自分が破った法律に守られる権利を失えばいい
殺人を犯した者を殺しても、殺人の罪に問われなくすればいい
法は、法を守る者のみを保護すればいい
法を守らない者は保護される権利をも捨てるということ
829考える名無しさん:2006/05/22(月) 17:13:32
どうしてそんな嘘をつくの。その考えは間違いであると判りますか?
830考える名無しさん:2006/05/22(月) 18:07:27
わかりません
そうであってほしいと願います
831考える名無しさん:2006/05/22(月) 19:17:21
>>829よりは
>>830を支持する。
832考える名無しさん:2006/05/22(月) 19:46:03
まあ、それはそうだな。
内容云々というよりも、独善的態度かどうかの問題だけど。
833考える名無しさん:2006/05/22(月) 21:39:17
>>829は持論も披露しないしな。
834考える名無しさん:2006/05/25(木) 18:58:01
>828さんの場合
賠償という概念を放棄するわけですかね
また、自己防衛の殺人はどうなるのでしょうか
ずいぶんと割が合わないね
835考える名無しさん:2006/05/25(木) 19:21:10
刑法を破った者は刑法に保護される権利を失うという論旨に、民法の賠償概念を持ってきても反論にならない。
正当防衛は法に許された適法行為。正当防衛行為者は犯罪者ではない。
836考える名無しさん:2006/05/25(木) 20:58:00
直接民主主義がいかに危険かと言うことを>>834が証明してくれた
837考える名無しさん:2006/05/26(金) 08:14:32
じゃ、一人殺すのと十人殺すのとに違いがなくなっちゃいますね
十人殺したからって十人分殺されるのは不可能だ
ずいぶんと割が合わない話ですね
838考える名無しさん:2006/05/26(金) 08:42:37
何が「じゃ」なのか不明な件について
839考える名無しさん:2006/05/26(金) 10:52:59
刑法を破った者は刑法に保護される権利を失うという論旨です
840考える名無しさん:2006/05/26(金) 11:01:52
それと>>837とどういう関係が?
841考える名無しさん:2006/05/26(金) 11:16:57
そもそも刑法に保護される権利ってなんだ
殺人者だけを狙った快楽殺人鬼はむしろ誉められるべきものなのだろうか
法だ刑罰だと言うけれど、例えば売春やスピード違反で捕まった人間は
そもそもどんな法に保護されていて
どんな法の保護を失うのだろうか
842考える名無しさん:2006/05/26(金) 16:04:22
>>841
車に跳ねられても文句を言わない
ババアに犯される
843考える名無しさん:2006/05/26(金) 17:09:29
相手の打ち所が悪くて死んだにせよ
計画的陰湿な殺人、陵辱的な殺し方にせよ
いちりつで殺人者扱い、逆に殺されても文句は言えない
「犯罪者は、自分が破った法律に守られる権利を失えばいい」
時速10キロオーバーも時速100キロオーバーも
同じスピード違反、車にはねられても文句は言えない
「犯罪者は、自分が破った法律に守られる権利を失えばいい」
なんかギャグみたいだね
でも、駐車違反経験のある人間の家のまん前には車をガン止めしてかまわない
これは結構便利かも
ただそこが細い道路の場合、駐車違反経験のある人間は無視したとしても
周りの人らに迷惑がかかるから、やっぱり罪になるのだろうか
う〜ん、真面目に考えると馬鹿らしい発想に思えてくるな
これも直接民主主義の危険さの所以か
844考える名無しさん:2006/05/27(土) 04:04:40
売春を禁止する法律が何故存在するのか
スピード違反や駐車違反を何故取り締まるのか
それぞれに理由がある
しかしそれを破るのはその理由に価値を感じないからでは?
価値を感じないということは、保護される必要はないということ
守るか守らないか、決めるのは自分の価値観
それこそが民主主義ではないでしょうか
秩序や環境を重んじるのは社会主義的思想です
845考える名無しさん:2006/05/27(土) 08:15:14
日本は社会主義だよ
846考える名無しさん:2006/05/27(土) 09:33:57
>>834>>837
別に犯人自身しか被害の補償できないわけでもなければ
同害報復でしか割が合わなくなるわけでもない。
そもそも死刑相当の罪を犯したから死刑になるだけで
被害者の憂さを直接的に晴らすために刑罰を科しているわけでもない。
847考える名無しさん:2006/05/27(土) 11:23:22
死刑相当の罪を犯したから死刑になるってのは
単なるトートロジーだからそれで死刑が是認されるわけではないでしょう
848考える名無しさん:2006/05/27(土) 11:32:18
死刑の是非の話ではなく
>>834>>837の論旨が偏った視点であると言う話だから問題ない。
849考える名無しさん:2006/05/27(土) 13:38:03
そもそも828の発想が馬鹿げてるうえに実用性が欠けているのが問題なのでは?
850考える名無しさん:2006/05/27(土) 21:52:08
828は希望として書かれているので現実とは違うことを自覚してると思われる。
834・837は相手の発言も他の可能性も理解しないまま断定口調。

828は応報刑の考え方の一つとして古くからあるもので、
現代の哲学では通用しないが筋は通っている。
対して834・837は828を否定するためだけの発言で、
相手が理想のミスを犯していると思い込んでいるだけ。

828は理想を明らかにしているのでそれについて議論できるが
834・837は828を否定する以外の結論がみえてこない。

相手に問題があったとしても、それだけでは自らの問題の免罪にはならない。

よって>>834>>837よりは>>828を支持する。
851考える名無しさん:2006/05/28(日) 03:11:41
>>843
時速100キロオーバーで有罪になった人は、その人が車に轢かれた時
相手の車が実際に走っていた速度より100キロ遅い速度で走っていた場合と同じ補償しか受けられない
とかそういう考え方もできそう。
852考える名無しさん:2006/05/29(月) 19:08:20
時速100キロオーバーで有罪になったとしても
その後、車に轢かれる人と轢かれない人がいるわけで
轢かれない人からすればそんなの痛くも痒くもないっしょ
なんか不条理だ
853考える名無しさん:2006/05/29(月) 21:16:12
>>834>>837>>852
自分ならこう考える、みたいな発展性のあることは言えないのか?
批判が怖くて持論を披露できないのか?
嘆くだけなら犬でもできる。
8541:2006/06/03(土) 13:32:25
まず、自分の立場(賛成・反対など)を確かにして、自分の
主張をしてから他人のいうことを考えるというのが議論には望ましいですね。
855考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:35:14
極論を言って、賛成か反対か?
そこから考えていくべきだと思う。
856考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:00:09
反対。
仕返し、復讐、国家権力の誇示の為、どれもこれも人類の進化に役に立たない理由。

加害者が真に反省し、犯罪抑止につながり、犯罪が減少するような刑罰を模索するべき。
例えば、生き地獄を与え、それを公開し、犯罪心理の研究材料にする。 一生ね。
857考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:44:37
死刑は終身刑よりも金も手間も全然かからない。そして、被害者の救済にも繋がる。
それはわかっていても、自分が死刑囚になったときのことを考えるとどうにも恐ろしすぎる。

> 加害者が真に反省し、犯罪抑止につながり、犯罪が減少するような刑罰を模索するべき。
> 例えば、生き地獄を与え、それを公開し、犯罪心理の研究材料にする。 一生ね。

真に反省している人間にすることではないな。
858考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:01:24
>加害者が真に反省し、犯罪抑止につながり、犯罪が減少するような刑罰を模索するべき。
>例えば、生き地獄を与え、それを公開し、犯罪心理の研究材料にする。 一生ね。

これこそが「仕返し、復讐、国家権力の誇示」ではないのかなぁ。
私は死刑が悪だといっている人たちがどうにもうさん臭いわけですが。
取り返しのつかないことをした人は死ぬしかない。
そういう社会的事実もあるんじゃないですかねぇ。
宅間守を刑務所に入れてたら刑務所でも弱いものを殺してたと思うけどなぁ。
そのとき、死刑に反対した人たちは裁かれないで正義の味方を気取ってられるなんて気持ち悪い世の中だ。
859考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:14:18
おまえらこの程度の釣りに引っかかるなよ・・・
860考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:33:50
賛成

人格的リバタリアニズムの観点から、
「人間はあらゆる選択肢を主体的人格的に自由に選択できる。その選択によって得たもの・失ったものはすべてその個人に帰属させる」
という原則をたてて、+100の働きをした者には100を与え、ー10の働きをした者からは10を奪うという、称賛・応報の均衡を正とする。
得失をすべて個人で引き受けること(責任)を前提に、人間は自由に振舞って良い。

つまり自由主義市場経済・応報刑を支持する。

ただし、上記は主体的人格的自由を前提とする理論モデルであり、これが様々な形で制限されている場合には、当然その得失はその限度において減点を加えられたものとなる。
国家により自由の場(流通など)を保障されている場合は、選択の一部を国家に依存するため、得に対して当該範囲内で減点(税金)が課せられることが正当化される。
市場を利用する場合には、市場の利用代金を支払うべきことが正当化される。
他者により自由制限的介入があった場合は、刑罰が減軽されるべきことが正当化される。

他者による介入なしに、他人の生命を奪った者に関しては、その「主体的な自由選択」を尊重するがゆえに死刑が科せられる。
主体的に自由に殺人を選んだのに、当該行為者が殺人の結果をそのまま引き受けることを許さないのは、当該行為者の選択を軽視するものだ。
861858:2006/06/05(月) 20:35:06
釣りにかかったのは誰かな。
862考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:40:09
日本人は北欧人などと異なり、「死刑無し」の社会には耐えられない民族だ。
この一点で、アラブ人などと近い。
863考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:10:10
>>860
要するに「俺は人格的リバタリアニズムが大好き」ってだけだよね。

そのモデルは理論も現実も神でも出現しない限り実現不可能だし、
結局現状に人格的リバタリアニズムのつじつまが合うようにするフィルタをかけてるだけなんで、
死刑そのものの正否については「好み」しか絡んでない・・・
864考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:19:31
死刑の問題で「思想的立場(つまり好み)」を超越して客観的・説得的に何かを言うことができるの?
865考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:54:32
特別予防とか支持率とか現状改変によるリスクとかいろいろあるだろ。

そうでなくても問題は「人格的リバタリアニズム」を長々と解説して「応報刑を支持する」とは言っているが
それが死刑賛成とまったくつながっていない(減点の基準によっては存続廃止どちらもありうる)のに、
まるで必然のように書かれていて誤解を招くこと。
866考える名無しさん:2006/06/06(火) 02:31:45
刑罰は、応報より犯罪抑止が目的ではないんですか?
「個人の復讐の為ではなく、国家の秩序を守る為」と読んだような気がします。
犯罪抑止が目的であれば、全然、機能していないことになる。
多くの死刑囚が、犯罪を犯す時、死刑を意識したか?の質問に「NO」と答えている。

犯罪を犯した者に対する罰としての刑ではなく、
犯罪を抑止できるような刑でなくてはならないと思います。
死刑では、役に立っていません。
867考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:24:09
死刑は犯罪抑止に大いに役にたってる。第一にそいつを死刑にすることで殺人を犯せないようにする効果がある。

次に死刑のニュースを読んで多くの犯罪者予備軍が殺人をしないようになる。これによって膨大な殺人が未然に防止されている。
868考える名無しさん:2006/06/06(火) 07:31:10
>>865
特別予防も支持率も現状改変によるリスクも思想から出発してるだろ。



869860:2006/06/06(火) 08:06:57
>>865
>そうでなくても問題は「人格的リバタリアニズム」を長々と解説して「応報刑を支持する」とは言っているが
>それが死刑賛成とまったくつながっていない(減点の基準によっては存続廃止どちらもありうる)のに、
>まるで必然のように書かれていて誤解を招くこと。
応報刑を基礎として減点主義を採用するということは、構成要件・違法性の段階まで応報で科刑の上限を決めておいて、
責任段階における非難可能性によって減軽方向にもってこようという趣旨。
私の犯罪論体系自体は、刑法学における通説的体系であるといえる。

>>866
見解が一致しているわけではないが、現在は応報刑を基礎として予防目的も考慮する相対的応報刑が通説だといわれている。

なお、先週の土日に立命館大学で開かれた日本刑法学会に参加してきたが、ちょうど土曜日の分科会Iで、この問題が取り上げられた。
オーガナイザー松宮立命館大学教授、パネリスト松原早稲田大学教授、高山京都大学教授、岡上筑波大学助教授。
そこで、松宮教授は例によってヤコブス流の「積極的一般予防論」、松原教授は「規範保護論」、高山教授は「特別予防+一般予防」、岡上助教授は「新たな応報刑」を主張した。
学者によって見解がことなるわけで、一致しているわけではない。
最近、岡上助教授だけでなく東京大学佐伯教授なども「新たな応報刑」を主張しているので、応報刑見直しは強くなってくるはず。

私見でも、カントやヘーゲル流の応報刑ではなく、規範防衛的応報刑がリバタリアニズムの観点から採用可能ではないかと考えている。
870考える名無しさん:2006/06/06(火) 08:16:12
871考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:20:54
>>866
>「個人の復讐の為ではなく、国家の秩序を守る為」と読んだような気がします。

個人の復讐権を国家が取り上げて代行することが、国家の秩序を
守ることに大いに寄与している。両者は矛盾することではない。
刑罰の基本は「報復」である。それが将来の犯罪の防止にどれだけ
役立つか役立たないかは、将来犯罪を犯す側の事情に大きく左右される
ことなので、簡単に言えば「わからない」という他はない。
それだけ取り出して議論しても、無駄である。
872考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:57:18
>>871
その解釈には同意できませんね。 こじつけですよ。
修復的司法や相対的応報論は、「報復」が土台なら、支持されない考えですよ。

どれだけの歴史が死刑を執行して来たと思ってるんですか?
いつまで「将来」を見据えなければいけないの?
認めるべきところは、認めるべきではありませんか?
873考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:33:44
>>872
後3行は意味不明。何を「認めるべき」なのか?
「相対的応報刑論」というのはよく聞く言葉だが、意味がわからない。
およそ、「刑罰(人権侵害)」である限り、報復を土台にしなければ
支持されない。本気で報復(悪には悪をもって報いるべし)を
否定するなら、そこで認められる刑罰というのは、医療における外科手術の
ような、「善なる目的(犯罪予防)の達成のための必要やむを得ざる手段」
であり、より苦痛の少ない代替手段があるならば、当然に廃止されるべきものに
過ぎない。そして、より苦痛の少ない代替手段があるかないか、誰にも
証明できるはずがないのだから、結局どんな刑罰も正当化できないという
他はない。
874考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:48:37
>>866
>犯罪抑止が目的であれば、全然、機能していないことになる。
>死刑では、役に立っていません。

再犯率が完全にゼロになるのをなんで無視する?

>多くの死刑囚が、犯罪を犯す時、死刑を意識したか?の質問に「NO」と答えている。

多くの、と言うことは少しはいるんだし、死刑を意識した人が犯罪をやめたなら死刑囚にならないんだから
その調査の解釈は無意味。
875考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:56:16
>>868
そういうすり替えをする人がよくいるが、「我思うゆえに我あり」の次元まで後退するなら
この世に客観性のあるものなんてひとつもないぞ。
あるというなら例を挙げてみて。

普通、物理的に不可能になることや一定水準の調査の結果を「思想」とは言わない。
876考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:59:15
>>869
>応報刑を基礎として減点主義を採用するということは〜説的体系であるといえる。

だからなに?それと死刑肯定はやはり関係がない。
言葉に遊ばれるのもほどほどに。

877考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:23:53
ここにも少年犯罪板の荒らし「マグロ」がいるのかw
878考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:28:19
>>870は素人かプロ市民
こっちでも勉強してね。
ttp://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a152016.htm
879860:2006/06/06(火) 13:25:32
>>876
>だからなに?それと死刑肯定はやはり関係がない。
わからないか。
どこがわからないか教えてほしい。そうしたらきちんと答えるから。

私がいいたいことは、「生命法益の侵害行為(違法行為)に対して科刑の上限は生命の剥奪までも含みうる」ということ。
ただし、非難可能性の減少している場合には(量)刑の減軽がありうるということ。

「殺人犯はすべて死刑にしろ」という主張ならば、私の説明から根拠づけることはできないが、
私の主張は「死刑制度を存置することに賛成(量刑判断として死刑を選択する可能性を存置しておく)」ということであり、
この場合私のこれまでの説明で十分に理解可能であると思うが。

もし理解不能なら、どの点が理解不能か示して欲しい。真摯に回答する。

補足ノート
・犯罪は規範侵害行為である→刑罰は侵害された規範の回復を目的として科される反作用である
・規範侵害は違法性の段階で考慮される→違法性を量刑の上限とする。
・責任は非難可能性であり、非難可能性が減少している場合は刑が減軽される。
・責任の内容については回顧的責任と展望的責任があり、違法行為に対する回顧的責任の場合は、法定的ないし超法規的に減軽される(責任能力、期待可能性、違法性の意識の可能性)。
・展望的責任については、法的的減軽判断ではなく量刑責任判断に影響を与える。
880考える名無しさん:2006/06/06(火) 14:28:21
なんで、科刑の上限を死刑どまりにするの?
恣意的すぎない?
881860:2006/06/06(火) 15:34:33
>>880
「生命法益が個人における最重要法益であり、生命法益侵害(私見では生命法益侵害禁止規範違反)に対する応報は生命剥奪だから」
と考えている。恣意的だろうか。

理論的には、生命以上の法益を侵害すれば、それに該当する応報が考えられるが、私には想像がつかない。
例を挙げてもらえれば、納得するかもしれないし、再反論するかもしれない。

ちなみに、国家的・社会的法益侵害(規範違反)に対する応報は、価値的な応報となる。
いずれにせよ、生命剥奪以上の応報が想定できない。
(「一生苦痛を与え続ける刑罰」などは、現実問題・感情問題として死刑以上であるということが可能だとしても、
理論としてはそれが「体刑」+「自由刑」の性格を持つ以上は、生命刑よりも軽いものとして扱われるように思う)。

なによりも、「死刑の是非」が問題になっているのだから、最高刑として死刑を想定しても「死刑以上の刑罰」を想定しても
死刑存置論としては代わりがないように思う。
科刑の上限を死刑よりも上にしようというのも、死刑存置論の一種だから。
882考える名無しさん:2006/06/06(火) 17:46:23
>>879
「生命法益の侵害行為(違法行為)に対して科刑の上限は生命の剥奪までも含みうる」とは
「生命を剥奪しなければならない」ということではない。
つまりここまでの説明では、あなたが死刑制度に賛成する理由はどこにも書かれておらず
結局リバタリアニズムと関係なく「好み」に過ぎないということになる。

だから>>863>>865>>876は間違ってはいない。

ついでに言うなら、あなたの説明は色々な思想のひとつであるリバタリアニズムを信奉している人にのみ有効なつじつまあわせで
それ以外の思想でつじつまを合わせる派閥とは形而上の宗教論争のような不毛な議論にしかならない。

また、>>869のように「通説だから」というのは議論においてなんの役にもたたない。
通説とは通説になるだけの理由があるもので、それを説明すればいいだけのこと。
説明できないなら、それは「多数決で決まったものはなんにでも賛成」と言っているのに等しい。
883860前半:2006/06/06(火) 18:32:36
>「生命法益の侵害行為(違法行為)に対して科刑の上限は生命の剥奪までも含みうる」とは
>「生命を剥奪しなければならない」ということではない。
それはそのとおり。
私の主張は最初から「生命を剥奪しなければならない」ということではなく、「科刑の上限は生命の剥奪までも含みうる」ということ。
「科刑の上限は生命の剥奪までも含みうる」ということは「刑罰の上限として死刑もありうる」ということなので死刑存置論に分類される。
「生命を剥奪しなければならない」とは言っていない。

私の犯罪論体系が通説的体系であるといのは、議論において何かをプラスしようとするものではない。多数決で何かを主張しようというのでもない。
刑罰論について議論すると、必ず「この人の犯罪論の体系はどのようなものだろうか?」という疑問が浮かんでくるので、私は私の体系を簡単に説明しただけ。
むしろ、議論に参加する者にそれぞれの体系を明示してもらいたい。どこに刑罰の根拠付けをもってくるのか、
上限がどこに設定され、減軽される事由は何かということが明示されれば議論がしやすいであろう。
私は、突拍子もないことを言っているのではなく、これまで積み重ねられてきた刑法学上の用語に厳密に従って記述している。
これは「通説だから偉い」とか「学問にしたがっているから偉い」というのではなく、すでにある程度刑法を学習した人に、厳密に私見を伝えるためである。
意味がわからなければ、無視しても構わないし、質問しても構わないし、刑法の本で勉強しても構わない。もちろん、勉強しなくても構わない。
884860後半:2006/06/06(火) 18:33:43
>ついでに言うなら、あなたの説明は色々な思想のひとつであるリバタリアニズムを信奉している人にのみ有効なつじつまあわせで
>それ以外の思想でつじつまを合わせる派閥とは形而上の宗教論争のような不毛な議論にしかならない。
それはそのとおり。
私は>>854の1氏の書き込みに対して反応し、「私はこう考える」というのを提示したにすぎず、「皆もこのように考えろ」というのでは全くない。
「私はこう考えるが、皆さんはどう考えますか?」というものでしかない。
なお、私には形而上学に端を発しない議論がありうるとは思えない。
従来の予防論は心理強制説に基づくものであり、規範的予防論はハーバーマス等の公共哲学に由来している。
現代応報刑論の基礎はドイツ観念論であり、国民の支持云々は民主主義由来である。
そして私見はすでに述べたように諸自由主義思想のうち最も自由を重視するリバタリアニズムである。
もちろんリバタリアン以外には無効な議論であろう。ただ、心理強制や観念論や公共哲学を否定する者にとって、
他の刑罰論も同様に無効なのである。
885考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:12:28
結局>>860氏の死刑に対する考えのキモは
>「生命法益が個人における最重要法益であり、生命法益侵害(私見では生命法益侵害禁止規範違反)に対する応報は生命剥奪だから」
であって、リバタリアニズムから導かれた必然と言うよりは、たまたまリバタリアニズムの範疇にいるだけ感が強いな。
886考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:28:38
>>869
>構成要件・違法性の段階まで応報で科刑の上限を決めておいて、
>責任段階における非難可能性によって減軽方向にもってこよう

で、その応報をなしたと判断する基準や、科刑の上限を決める基準や、非難可能性の基準や、減軽の基準は
どこから持ってくるのかな?
人格的リバタリアニズムをもって科刑の上限が終身刑となった場合、
それは死刑を許容しながら同時に死刑を否定することになるんじゃないか?
賛成反対どちらの陣営でも自分のために使えてしまう理論の片面だけを強調しても意味はない。
887考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:36:17
>>884
>なお、私には形而上学に端を発しない議論がありうるとは思えない。

いまいちどの次元での発言かつかめないんだけど、>>865
「特別予防とか支持率とか現状改変によるリスクとか」は?
たとえば再犯率が確実にゼロという事実は形而上の理論でそうそう覆せるものではない。
それに対抗するだけの事実が必要だ。
888考える名無しさん:2006/06/07(水) 04:21:56
680は難しい単語はたくさん使ってるんだが、肝心の文脈がなんかおかしいな。
そういうの詭弁のガイドラインみたいのになかったっけ?
具体的に説明しようと思ったが眠いから今日はやめとこ
889考える名無しさん:2006/06/07(水) 04:39:57
>難しい単語はたくさん使ってるんだが、肝心の文脈がなんかおかしい

哲学かぶれに多いよねそういうの。
890考える名無しさん:2006/06/07(水) 08:22:05
860の考え方はわかった。リバタリアンな植松正だね。
>>885の指摘がただしいってかんじかな。
>>886はほとんど勉強不足から出るいちゃもん。
応報をなくしたという判断、なんて意味不明。
科刑の上限を決める基準は法益侵害、非難可能性の基準・減軽の基準は刑法の責任論によるってすでに述べてるよね。
860は法学部なら1年生で必ず習う言葉と概念だけを使って説明してるんだから、特に言葉が難しいわけでもない。
でも、860は結局現在の相対的応報刑論をリバタリアニズムという言葉を使って補強してるだけ。

よく理解できたから、次の人の意見を聞きましょ。
891考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:34:46
>>890
>応報をなくしたという判断

・・・なくした?
あんたその目で勉強なんてできんの?
892考える名無しさん:2006/06/07(水) 15:22:35
>>890
むしろお前の意見が聞きたいぞ触手2号君
893考える名無しさん:2006/06/07(水) 22:23:17
>>884
>なお、私には形而上学に端を発しない議論がありうるとは思えない。

形而上学が介在する余地がない議論はないといえるだろうが、
議論の端を発するのがすべて形而上学だなんてことは、形而上学を神格化でもしない限りありえない。
「形而上学を信奉している人にのみ有効なつじつまあわせ」という奴だ。
894考える名無しさん:2006/06/20(火) 23:53:23
ニュースのせいか、いろんな所で死刑の話が出てるけど
どれも感情論ばっかで辟易・・・
895考える名無しさん:2006/06/21(水) 00:17:46
差し戻しでいいんじゃない?
無期じゃあ著しく正義に反するって託宣つきだから、よほど変わった裁判長にでも当たらない限り、
野良犬野郎の首は吊れたも同然。
暫くは、死刑に「なりそうな恐怖」を味わってから吊るされろ。
896考える名無しさん:2006/06/21(水) 00:43:41
 飼い主と仲が悪い隣人に吼える飼い犬は近所迷惑が判らない。
敷地を跨いだから、吼えることが許されていると考えているが、
深夜でもおかまい無しに吼える。
 法律家の正しさは規則の適用の正しさであるようです。
変わった裁判長に当たったから、命が助かるということでもない。
しかも、当たり前のことだと考えていると、非常識なこともあり得る。
家畜を殺すのは当たり前だけど、他人の飼い犬を殺すのは非常識だ。
機械的な制度に従い、正しいと考えることもある。
ちなみに、首吊り、斬首だけじゃない。電気椅子もありますよ?
897考える名無しさん:2006/06/21(水) 02:09:22
どこの国だよ?
898考える名無しさん:2006/06/21(水) 02:11:38
罪状より死刑にしない信念が勝ってる判事はいるよ。
899考える名無しさん:2006/06/22(木) 05:09:10
スレを半分くらい読んだんだが、何か新しい意見が必要だな。ということで俺が。

今の所みんなの考えている死刑(刑罰)の意味にはおおざっぱに言って3つある。一つは犯罪抑止、二つ目は罪の償い、3つ目は復讐。
1についてはみんな必要だと考えるだろう。死刑廃止論者はそれが非死刑でもなされると考え、死刑賛成論者は現在の死刑かそれ以上の苦痛伴う刑でもよいと考えている。
しかし2,3については意見が分かれているようだ。極端な例では刑罰の意味の重きを1以外に置く人さえいる。これは驚きを禁じえない。

結論をいうと刑罰の意味は1のみに限定されるべきだと思う。これは社会のルールとして最低限必要だという理由からだ。
そして2,3の理由を否定するならば刑罰は功利主義が言うように犯罪を抑止する最小限にするべきだ。
そして死刑が必要かどうかはこの観点からのみ語られるべきだろう。

ではなぜ2、3の理由が不要かといえばそれは
・・・眠いからまた後で書き込みます。
900考える名無しさん:2006/06/22(木) 05:59:40
逆ではないか。死刑の最大の目的は正義の実現であって、「人を殺した人間は殺されるべき」という考え方。

犯罪抑止はそれに付随する作用だと考えるべきだ。