♪カントの『判断力批判』を語りましょうよ♪

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242考える名無しさん:2008/11/14(金) 04:58:37 O
宇宙人だって天使と変わらんだろw
243考える名無しさん:2008/11/14(金) 05:05:52 O
カントがどういったかという話じゃないんだよね。
妙な質問に関連する話であって。
244考える名無しさん:2008/11/14(金) 05:07:25 O
> とりあえず、私たちが知りうる限りでのこの世界は、
> まさに私たちが認識しているようにある、ってそれだけの話なのよね。

「それだけ」ってのもやめときなw
245考える名無しさん:2008/11/14(金) 05:28:46 O
質問者よ、君はクニと同類である。
246考える名無しさん:2008/11/14(金) 07:22:15 0
カントに関係のない話なら別のスレでやってくれ
247考える名無しさん:2008/11/14(金) 15:36:52 O
この質問者は昨今常駐してる哲板荒らしだ。
高慢で卑劣であることから老衰したぴかぁであるとも考えられるが、
おそらく受験に失敗して社会に己を投影せずにはいられなくなった一腐女子であろう。
今後10年程続く可能性が十分にある。
その間、高慢さと卑劣さに磨きがかかっていくことは間違いない。
248考える名無しさん:2008/11/14(金) 15:55:21 0
「カントの判断力」批判
249考える名無しさん:2008/12/02(火) 16:31:37 0
   崇高の概念

 崇高の概念は絶対的であり、それ以外のものが下にあることである。
 だが、対象に崇高の概念を与えない。反対に、軽蔑と無知を与える。しかも、足らないこと
であり、狭い感じを与える。
 それなので、自己満足でしかない。

 崇高の概念はそれ以上に立派な事が必要である。みなに恩恵を与えたり、基本的な
整備をすることでなければならない。

 立派な事がそれらを含めて崇高なんです。
250考える名無しさん:2008/12/03(水) 03:48:15 0
   崇高の概念

 崇高の概念は失敗的である、もし根源的であるならば、成功するが、根源としないなら、
失敗するものとなる。失敗したら、もっと大事なものが無くなる。
251考える名無しさん:2008/12/04(木) 03:41:16 0
カントの威光は衰えたな。
252考える名無しさん:2008/12/18(木) 12:59:54 0
「美と崇高との 感情性に関する観察」 来年2月復刊

ttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/8/3362600.html
253亀レス:2008/12/18(木) 13:06:12 0
カント形而上学全体系計画 
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1027598713/n114
254考える名無しさん:2008/12/20(土) 22:34:57 0
カントは純粋理性批判し実践理性批判し判断力批判もした。
じゃあ何を信じればいいんですか?

新たな形而上学ですか?
255考える名無しさん:2008/12/21(日) 09:58:18 0
カントの言うことを鵜呑みにする必要はないでしょう。
256考える名無しさん:2009/01/09(金) 19:01:59 0
批判というのは自己吟味ですから、信じられる範囲は限定されるかも知れませんが、
確実な部分も明らかになる訳で,,,
257考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:05:43 0

____________判_____断_____力_____批_____判____________
|           |           |          数学的#25-7|#6-9|#1-5|
|           |           |           |_崇高__|__美__|
|           |           |        力学的#28-9   #10-17|#18-22 
|           |           |           |__|_分析論_|__|
|           |           |           |  |  |  |  |
|           |           |           |_演繹#30-54__|__|
|           |           |           |(共通感覚#40) |  |
|___________|___________|_________美 学#1-60 __|__|__|
|           |           |     |     |           | 
|           |           |     |     |           |
|           |           |     |     |           |
|           |           |___弁証論#55-60__|           |  
|           |           |     |     |           |   
|           |           |二律背反 |     |           |    
|           |           |  #56-7 |     | 付録:方法論なし#60 |    
|___________|___________|_(概念/)_|_____|___________|
258考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:06:05 0

|           |     | 実質  |                       |  
|           |規定/反省| / #62|                       |
|           |#61    | 形式  |                       |
|           |___分析論#62-68__|                       |
|           | 内的#66| 機械的 |                       |
|           |  /  | / #64 |                       |
|           |相対的#63 | 有機的 |                       |
|_______目 的 論#61-91 __|_#65,66,67,68                       |
|     |     |     |     |                       |
|     |     |     |     |                       | 
|     |     |     |     |                       | 
|__弁証論#69-78___|_付録:方法論#79(体系)-91                       | 
|     |  |  スピノザ#73,|ヒューム |                       | 
| 二律背反|_体系etc_|,80,85,87 |   #80 |                       | 
| #69-73 | #72-78 | 最高の善| 道徳神学|                       | 
|_(機械論/)_|総注、関係|_自由#91 |___#86 |_______________________|
259考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:13:50 0
カント三批判書
         |『純粋理性批判』
         | 感性論  分析論   
         |     (カテゴ
         |       リー)
         | 弁証論  方法論
         |(二律背反)
_________|____________
『実践理性批判』 |『判断力批判』>>257-258
     分析論 |      美学>>257 
  (カテゴリー)|        分
         |      弁
 弁証論 方法論 | 目的論>>258
(アンチ     |   分
  ノミー    | 弁 方
260考える名無しさん:2009/02/27(金) 03:19:30 0

カント三批判書>>259

『判断力批判』>>257,258
261考える名無しさん:2009/03/25(水) 17:54:40 0
・ォ・ネセ莨ッ

Alles, was die Natur selbst anordnet, ist zu irgendeiner Absicht gut.
Die ganze Natur ィケberhaupt ist eigentlich nichts anderes,
als einZusammenhang von Erscheinungen nach Regeln;
und esgibt ィケberall keine Regellosigkeit.
、ケ、ル、ニラヤネサ、ャラヤ、鬢ヒヨクチタケ、・筅ホ、マ。「、ハ、ヒ、ォ、ホメ竍タヒ、ネ、テ、ニ、隍、、筅ホ、ヌ、「、・」
ネォラヤネサメサー网マ。「アセタエ。「メ私t、ヒ樟、ヲヨTャFマポB騅メヤヘ筅ホ、ハ、ヒ、筅ホ、ヌ、筅ハ、、。」
、ス、キ、ニオス、・ヒメ私t、ャミミ、ュカノ、テ、ニ、、、・ホ、ヌ、「、・」

In jeder reinen Naturlehre ist nur soviel an eigentlicher Wissenschaft enthalten,
als Mathematik in ihr angewandt werden kann.
、ケ、ル、ニ、ホシ・うハラヤネサムァ、ヒ、マ。「、ス、・ヒ、ェ、、、ニハ�ムァ、ャ゚m場、オ、・テ、・ホ、ネヘャ、クハ�、タ、ア、ホケフモミ、ホムァ、ャコャ、゙、・ニ、、、・

Mathematik ist eine Bedingung aller exakten Erkenntnis.
ハ�ムァ、マ、ケ、ル、ニ、ホユ�エ_、ハユJラR、ホヨニシs、ヌ、「、・」
262考える名無しさん:2009/03/25(水) 17:58:43 0
カント句集

Alles, was die Natur selbst anordnet, ist zu irgendeiner Absicht gut.
Die ganze Natur überhaupt ist eigentlich nichts anderes,
als einZusammenhang von Erscheinungen nach Regeln;
und esgibt überall keine Regellosigkeit.
すべて自然が自らに指令するものは、なにかの意図にとってよいものである。
全自然一般は、本来、規則に従う諸現象の連関以外のなにものでもない。
そして到る所に規則が行き渡っているのである。

In jeder reinen Naturlehre ist nur soviel an eigentlicher Wissenschaft enthalten,
als Mathematik in ihr angewandt werden kann.
すべての純粋な自然学には、それにおいて数学が適応され得るのと同じ数だけの固有の学が含まれている

Mathematik ist eine Bedingung aller exakten Erkenntnis.
数学はすべての正確な認識の制約である。
263考える名無しさん:2009/05/11(月) 03:43:39 0
sage
264考える名無しさん:2009/07/10(金) 08:22:05 0
中島義道のカントを読んでる。わかりやすい気がする。
265考える名無しさん:2009/07/26(日) 21:34:03 0
>>264
そりゃ結論だけ書いて肝心の所をなにも説明してないんだから読みやすいだろ。
266考える名無しさん:2009/09/19(土) 15:05:32 0
大昔にメモった『純粋理性批判』のノートを読み返している。
岩波の奴を使ったから混乱しているのかも知れないけど、
誰か教えてほしいんだけど、判断と判断力って別物なのか?
判断は悟性が感性をカテゴライズすることを言うように見えるし、
判断力は『判断力批判』では何か美とかに関わっているように見える。
両者は名前が似ているだけで違う領域のものなの?
それとも判断力は何か判断に関わっている?
(『純粋理性批判』スレがあればそこでやれという話になるのかも知れんが、
ないのでここで訊きます)
267考える名無しさん:2009/09/22(火) 12:42:05 0

>>266
>
>判断は悟性が感性をカテゴライズすることを言うように見えるし、
>判断力は『判断力批判』では何か美とかに関わっているように見える。

第一から第三批判へ至る過程で、カテゴリー(判断と範疇がセット)を支える受動的な構想力(図式)が
判断力という形で格上げされたといえるのではないでしょうか?
以下の図が参考になるかと、、、、
http://www.nagaitosiya.com/b/ethische_analytik.html
http://www.nagaitosiya.com/b/kant008.png

カント概念図:
                              ●:範型/象徴
純粋理性概念→|\ ←理性                 ■:図式
(超越論的理念) | \                                
       |___● ←(規定的/反省的)判断力       
       |   |\                           
       |   |  \         
純粋悟性概念→|___|___\ ←悟性(超越論的統覚)    
(カテゴリー)|\  |  /|\       
        | \ | / |  \     
       |___■____|___\ ←構想力
       |  /|\  |     \
       | / | \ |      \
感性的多様性→|/__|__\|_______\ ←感官
                            (経験的統覚)
図:カントにおける媒介的第三者の位置
268考える名無しさん:2009/09/22(火) 18:12:22 0
>>267
ありがとう。
俺の理解だと統覚って悟性から感性への働きかけの力で、その意味では構想力と同じだと思っていたけど、
この図だとちょっと違うみたいだね。
で、判断力って悟性と理性をつなぐ、判断と範疇を支える構想力なんですね。
269267:2009/09/22(火) 20:27:02 0
あ、もちろん統覚と構想力は別物だって分かってますよ。
どちらも共に悟性が感性に働きかける能力だって意味。
270268:2009/09/22(火) 20:28:48 0
上の番号間違えた。
271267:2009/09/23(水) 13:01:31 0
追記です。

基本的にカントは理性と感性を構想力でつないだわけですし、
構想力自体は産出的能力を持ち得るということでいいと思います。
ただ、カントは第一批判初版の積極的な構想力の適用を第二版で撤回しており、
それを第三批判でまた新たな形で採用しているのでややこしくなります。

また(以下周知のことですが)、構想力=統覚と考えてもいいと思いますが、
統覚は物自体を前提とした総合なので、感性よりも統整的理念として理性に適応さ
れるべきだと考えます。
(先験的主観=統覚Xは、倫理的には自律の概念が要求され、文字通り刑事上の
責任問題まで発展するので、第二批判読解を必要とするでしょう。)

さらに、先に紹介した図はカントのテクストに則した正確なものだとは思いますが、
個人的には以下のように、


  美
 / \
真 ー 善


真善美(=三批判書にそれぞれ対応)が互いに牽制し合って同格に共存すると考えた方が
カントの変遷が説明しやすいと考えます。

272考える名無しさん:2009/09/27(日) 22:14:44 0
分析論第一章まで読んでいます。

人間には
・感覚する能力である感性
・像にまとめる能力である構想力
・概念を作る悟性
・像に法則を与えて概念にまとめようとする(そして快をもたらす)判断力
などがある。

多様な感覚を、像がまとめ上げ、法則を与えて、概念としてまとめることで経験と快適が成り立つ。
多様な感覚の形式にのみ着目して、像がまとめ上げ、法則を与えて、概念にまとめようとすることで美が成り立つ。
美は感覚の実質を捨象しているので、概念に結実しないし、経験としては成り立っていない。
快適は個別の経験の産物であり他人に要求できないが、美は人間一般の内的能力の産物であり他人に要求できる。

私は判断力を構想力と悟性をつなげるものと解釈しました(がそれでいいのかどうかは分からない)。
今読みかけの崇高に関する第二章を見ると、構想力と理性をつなぐ面もある?
『純粋理性批判』を思い起こすと、判断力は複合体である経験や悟性の概念を理性とつなげる面もある?
こうすると判断力は構想力・悟性・理性をつなぐものである? という理解で大体よろしいのでしょうか?
273あぼーん:あぼーん
あぼーん
274271:2009/10/02(金) 10:50:37 0
>こうすると判断力は構想力・悟性・理性をつなぐものである? という理解で大体よろしいのでしょうか?

『判断力批判』50節の注にもほとんど同じ記述がありますから、ご指摘の通り、(規定的ではなく反省的な)判断力はそれらをつなぐ媒介と考えていいのではないでしょうか?
ただ、構想力は悟性に含まれるという方向にカントは転換したのではないかと思われますから、あくまで悟性と理性をつなぐ媒介ということになります。
天才論(46〜50節)では構想力を天才の証と考えているようですが、最終的にカントは理性の越権行為ならぬ天才(構想力)の越権行為を認めていないように思います。つまり、

     理性
     / \
    /   ×
   /     \
 趣味  →×←  天才
(判断力)   (構想力)
   \    /
    \  /
     \/
     悟性   
あるいは、 
(天才)構想力____悟性
      |\    |
      | ×    |
      ×   \  | 
      |___\ |
    理性     判断力
  (立法的)    (趣味、特殊から普遍へ)

という離反した状況化ではカントは理性、判断力の側につきます(#は『判断力批判』の節番号)。
もちろん『オプスポストゥムム』まで含めれば違う解釈も可能ですし、カントのテクストはダイナミックに読み替えうる、と言ってしまえばそれまでですが。
275274:2009/10/02(金) 10:53:36 0
>>274:訂正

(天才)構想力____悟性
      |\    |
      | × #50 |
#29○,#49×  \  | 
      |____\|
    理性      判断力
  (立法的)     (趣味、
            特殊から普遍へ)

(注:#は『判断力批判』の節番号)
276考える名無しさん:2009/10/02(金) 12:12:02 0
すみません、この図の×とか○とかってどういう意味ですか?
277考える名無しさん:2009/10/09(金) 23:10:55 0
カントの考える自由は悟性なのか実践理性なのか。
『道徳形而上学原論』を読むと「超感性的=悟性=自由=道徳性」とも言っている。
まあ普通に考えたら考えが変わって実践理性にしたということか?
278考える名無しさん:2009/10/12(月) 09:16:18 0
自然は感性直観から悟性概念に要約したもの、
自由は悟性概念から発して実践理性として体系化したもの、かな?
279考える名無しさん:2009/10/12(月) 22:23:32 0
快適:単純に経験から快を感じる。
美:判断力がパターン(構想力)と法則・概念(悟性)を関連付ける。
経験ではなくそのパターンから何らかの法則・概念を見出そうとする過程で快を感じる(法則・概念が先にあるのではない)。
崇高:判断力がパターンと理念(理性)を関連付ける。
パターンが理念にたどり着こうとしてたどり着けないが、逆説的に理念のすごさを感じることによって快を感じる。
自然目的:判断力が自然に関する経験と自然目的=神理念を関連付ける。

という解釈で大体よろしいでしょうか?
280考える名無しさん:2009/12/03(木) 21:38:39 0
前半は読み下せないな
281考える名無しさん:2009/12/11(金) 18:49:41 0
NHKブックスの「カント 信じるための哲学」ってのを
立ち読みしたが、著者が自分に酔ってる臭いプンプンで激しくツマランかった。
282考える名無しさん:2009/12/12(土) 19:39:34 0
竹田学派の連中はみんなそう。
理性やなんだ言いながら、言い回しには判断留保も緻密さもない。
かといって社会思想史や哲学史の理解もない。
283アプリオリな趣味の読解:2009/12/23(水) 11:58:10 0
 趣味は物が気持ちいいってことだろ。

 趣味が快と結びついている、これが趣味らしさだと言うと、これだけだと経験の話を言ってるだけだ。
じゃあ、快をもっと高いものにして、初めから快を持っておく。一定の感情だけを用意してそれと結び付
くものばっかり集めるとすると道徳的判断だ。快で考えると、経験的な感情とか、道徳的な観念の結果
を見てるだけという話になるのが、趣味は経験論でも、道徳論でもないんだよ。

 じゃあ、経験でも、元々、持ってる道徳でもないなら何だというと、物が気持ちよいってことを一つの
セットにすると、セットに判断するってことなんですよ。
 じゃあ、判断があるので、幾つも判断を多くしてやって焦点にしてやればいいかというとそうじゃない。
判断と理性が判断される。理性というのは普遍性だと。

 物が気持ちいい、これがみなさんに通じるんだよというと、良いご趣味ですねって言うんです。
284考える名無しさん:2009/12/25(金) 15:15:40 0
≫283 ?????
285考える名無しさん:2010/01/13(水) 09:44:35 0
>>283
言わんとしていることはまあ分かるし、大体それで合ってる。
認識能力が生み出す事柄には
・感性、構想力、悟性による経験
・構想力、悟性、判断力による美
・構想力、理性、判断力による崇高
・理性による道徳
などがある。
でも物が気持ちいいというよりは、「構想力によって物から抽象化された、悟性には何かよく分からないもの」が気持ちいいというのがより正しいんじゃないかな。
286考える名無しさん:2010/01/13(水) 22:15:44 0
 
287考える名無しさん:2010/03/11(木) 15:31:53 0
「858」 冒頭加筆します。ここのうしろに「722」番の中から、「合理
(ratio ラチオ)と「理性(reason リーズン)」について、再掲載します。
お読みください。2007.6.18 今月6月30日
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200706.html

私たちは、3年ぐらい前から、reason リーズン は、「理性」(あるいは、理由)などと
いうコトバに訳して、日本人の知識階級は、それで分かった気になって、実際は、何にも
分かっていない。「理性」という言葉にして、アホダラ経の有り難い、お経を読むように
難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は高学歴で、
知識階級に所属する」と、勝手にうぬぼれてきた。

私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の私の「真実読み破り訳」に
ケチを付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に
問答を提起してきなさい。私が、10時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。

分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、どんなコトバを使ってでも、すべて解明
されなければならない。自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、
その自分自身の、脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり打つから、覚悟しなさい。私には、
いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、一切ないのです。
288考える名無しさん:2010/05/21(金) 19:17:23 0
まあ、こんなやつが会長してる西田哲学なんてたかがしれてるわな

【京都】性的関係を他大学の女子大学院生に強要、龍谷大教授を懲戒解雇
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1266497603/


削除依頼板より転載
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1269355369/

1 :大橋良介 西田哲学会会長:10/03/23 23:43 HOST:cb170.opt2.point.ne.jp<8080><3128><8000><1080>
対象区分:[法人/団体]管理人裁定待ち
削除対象アドレス:

http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1266497603/126

削除理由・詳細・その他:

電話番号・Fax番号転載。その他個人への誹謗中傷がひどい。

京都府警下鴨警察署に個人的に相談したところ、刑事判断が下せないとのこと。
ただし、内容を見る限り、いつ当方への被害が来てもおかしくない状態である。

内容を鑑みスレッドそのものの削除を依頼したい。



4 :削ジェンヌ ★:2010/03/24(水) 14:41:03 0
>>1
電話番号、FAX番号ともに公開情報ですので残しております。
個人への誹謗中傷は見当たりませんでした。
289考える名無しさん:2010/05/23(日) 07:59:11 0
カントを読むならば、現代科学の知見から批判的に読む事が必要なのではないでしょうか?
悟性や理性と言うのは大脳生理学でいうところのどの部位に辺り、実際にその機能とどの辺りが同じでどの辺りが違うのかとか
カントがやっていたのは今で言う、機能脳科学と共通している部分が多いと思います。

290名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 16:03:58 0
kらあ!藤本忠!出てこんかい!!!!!!
291考える名無しさん
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