216 :
ぴかあA:05/01/12 18:28:16
わかるように「名状できなおもの」をスペースで表現しています、
と書いておくか。
217 :
考える名無しさん:05/01/12 18:37:37
つかさあ、
哲学者ってのは、
理詰めの詩人なんだよ。
極端なとこまで突き詰めるわりに、
徹しきれない弱さを持ってる。
218 :
ぴかあA:05/01/13 13:08:30
219 :
考える名無しさん:05/01/13 13:56:22
おまえって真性粘土w ナニこねてんの?
220 :
ぴかあA:05/01/13 14:21:16
>>219 口うるさい爺さんにいろいろ話をぶつけると面白いからさ。
221 :
感想:05/01/13 14:50:25
門外漢なので何かについて話すなら
理解の文脈として競合するものとの
対比や対照が欲しい気がします。
自分て何語のどれの話ですか?
日本語のなら少しわかるけど・・・
・・・以下何やら説明が続く・・・
自分。
少なくとも自身や自己とは違う?
※漢字で書く日本語としての話。
(認識関連だったかな?)
222 :
感想:05/01/13 14:50:57
自分は責任等一対一対応が基本。
分の使用は乾量(離散)系語彙
⇔湿量(連続)系語彙:充満等。
量を表す語が両者で分かれたり?
「充分」は本来は間違いとか。
自身はあいまいなものによく使う。
個人的感覚として受け身っぽい?
所有格“my”には使わない?
集合操作の前提の近傍がどうとか
感覚機能や焦点がどうとか・・・
223 :
感想:05/01/13 14:51:19
自己言及は自己だけ(及=到達)。
己だけでもふつうは自己のこと。
参照(直接間接の指定)・・・
一対多関係・動機付け・表現・
(参加/登場/紹介)用。
自我は文脈・社会等相互依存関係
漢字の疑や凝や義などには
発音に密接な関係があるらしい。
情報の圧縮や冗長性に関わる。
対象との関係はふつう間接的?
224 :
感想:05/01/13 14:51:58
識(認識の)もこれらと別枠があり
知識(論理・結びつき)などに。
言語がさきにあるわけではなくとも
全部が単なる便宜上でもなさそう。
中国の干支でも(癸辰巳己・金行)
仏教の法華経の虚空会等の星座体系
(タロットなど)にも対応5つ組。
中国とインドのどちらが本家かは
ちょっとわからないのですが。
225 :
感想:05/01/13 14:53:32
さらに内部構造があるなら
単独で取り上げられても
理解が難しいです?
長文失礼しました。
226 :
ぴかあA:05/01/13 15:49:45
面白い。でも俺はあの爺さんが語るのを聞いてみたい。
老人の説法って2ちゃんねるではあまり見ないもんで。
227 :
考える名無しさん:05/01/13 15:59:33
なに聞いてみたいんだよ?
228 :
感想:05/01/13 16:12:07
おお。年の功にはかないません。
でも経験で変化するのは
自身だ、とつぶやいてみた。
自分でもこれ↑はつまらなかった。
これ以後は聞くだけにします。
→経験学習において、
連続的変化は湿量系の自身。
技術精度効率などが上昇。
レベル・段階的なのは自己で
途中に平坦=スランプが入る。
ネタ好き気質は「自分」の性格。
一生そのまま、学習はしないw
存在については、依存は自我系、
所在や在中かどうかは自己系で、
認識体系における、「自己系:
位置付け」中心にお届けしました。
つまり勝手な長文は
「自己中」になります・・・
ごめんなさいー。
229 :
ぴかあA:05/01/13 17:09:12
230 :
ぴかあA:05/01/14 19:45:00
??■(■■■(我)〇〇〇)〇??
が死ぬときを考えよう
??????????か
死後の世界か輪廻があって
??■(■■■(我)〇〇〇)〇??
のままだろう。
231 :
考える名無しさん:05/01/14 20:44:01
構造が崩壊すれば、当然、
機能も消失するだろ。
でも、そこで永遠不滅を、
信じたい気持ちを捨てきれないのが、
哲学者、あるいは、人間の弱さか。
232 :
ぴかあA:05/01/14 20:53:09
>構造が崩壊すれば、当然、
>機能も消失するだろ。
いやだから死後の世界を信じるやつらは別の構成、別の機能
を感じるわけでしょ。俺は信じないけど
233 :
考える名無しさん:05/01/14 20:59:50
・・・ところで、
人を、生き返らせることって、
不可能だよね。
まったく、同じ物を作っても、
それは、別の物なわけだし。
それを、生き返らせるとは言えない。
極端な話、本人が生きてても、
生き返らせることができちゃうことになる。
構造とは別に、機能が存在を永続するって信じたい人たちは、
違う考えなんだろうけどね。
234 :
考える名無しさん:05/01/14 21:08:57
情報が存在を永続させる。
一度言われたことはいつでもこれを
繰り返すことができる。
235 :
考える名無しさん:05/01/14 21:11:06
媒体が変わるじゃん。
2*3=6
兄さんがROCK
弟はフォーク
妹はPOPS
爺さんは詩吟
237 :
考える名無しさん:05/01/14 23:23:34
たしかそんとき、おふくろは手袋だったろ
238 :
考える名無しさん:05/01/14 23:34:33
しもやけなのは、オヤジだったか、妹だったか・・・。
想うけれども夫れは其れ。
匆々、其れは謂えません、云っては往けない気がするのですx2。
240 :
考える名無しさん:05/01/17 19:53:14 ,
おふくろが手袋だったとき
布団の中で おやじと何してたんだろ…
241 :
考える名無しさん:05/01/17 20:43:00
いろんな穴に、
いれてたんだろ。
おやゆびとか、
ひとさしゆびとか。
242 :
考える名無しさん:05/01/17 20:47:39
じゃ、ローション持ち込み?
243 :
考える名無しさん:05/01/17 20:49:18
おふくろは、
毛糸製だろ?
・・・どうかな。
ローション・・・。
案外、
ゴム製だったかも・・・。
色は、もちろんピンクで。
244 :
考える名無しさん:05/01/18 11:39:19
おれオヤジと風呂いっしょに入ったことあるけど
小指のあなで足りてたかも。
DNAもろた…
>>109 >意識ってなんか、
>流体力学的な印象をうけるんよね。
だって、意識(短期記憶)って泡だし。
脳という歪んだ空間の中で、水の泡と同様、下位の構成要素(水の分子)とは
無関係であるかのように浮かんでは消え、移動し、くっつくもの。それが意識。
実際の泡の構成要素は同期発火するニューロンの集合だけど、
水の泡をイメージすれば意識は簡単に理解できるでしょ。
246 :
:2005/04/19(火) 20:45:23
自分とは
神経の中枢です
247 :
bbs:2005/04/20(水) 17:27:46
自分とは、自分の「存在」に対する執着でしょう。
248 :
げる:2005/04/20(水) 17:42:12
肉体→動作している自分
精神→思考している自分 かと。
249 :
bbs:2005/04/20(水) 17:47:53
思考は同時に行為をも表すと思います。
その意味で体と心はほとんど同一のものだと思います。
250 :
710大きな平城京:2005/04/21(木) 13:32:52
体を動かす時に思考はしないと思う。
次の行動をどうするか悩みはするけど、動作自体は考えないでやるだろ。
251 :
bbs:2005/04/22(金) 18:56:55
体を動かすときの無意識もまた思考と言えるんじゃないでしょうか。
意識的に考えるということを「自分自身の最大特性」とするなら話は変わりますが。
少し極端な話ですが、覚醒剤とかやってて思考が飛んでる人もいるでしょう。
そういう人は無意識と意識とが一致してないでしょうか。
252 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 03:16:58
「自分」ていうのは、性格、顔、考え方、好み、等々いろいろなものを総合して
「自分だ」ってよんでいるだけなんだから、「自分とは何か」と考えると
また分裂してしまうはずだ。
そもそも、自分で、これが「自分だ」と決めているだけなのに、それを「何か」と
考えてもしかたがない。
|, ,_
|∀゚) < ん? なんか、良さげな流れになってきたか?
|⊂ノ
>>217 なんか
じ〜んとくるレスだね(^^;)
255 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 01:38:58
何となく物憂い時よ、白い雲行く。
こんな時こそ「自分」であるよ。
256 :
ハル:2005/08/11(木) 22:54:35
世界に対する憎しみや悲しみが自分。
そこから統制力が働いて主体的になる。
257 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:09:27 BE:330439695-
無常、無我を悟ると自分が判る。
幾ら頭で考えても、答えは出ない。
すなおに問えば教えるよ。
258 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:10:38
259 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:12:54
哲学者って遅漏が多そう。。。
自分を考えるにあたり、定義をする。
「自分とは何か」言い換えれば、
ある‘条件’がそろうことにより、「それが‘自分’である」と呼べる状態。
では、条件とはなにか?
肉体を持つか、
知恵を持つか、
他を認識することか、
認識に確証をもつことか、
:
:
私の答えは、ここにたどり着きました。
「自分とは‘自分’である」
自分が‘自分’であるかは、本人(自分)が決めればよい。
ただし、それを‘他(人、世界、等)’が認めるかは、別問題。
全ての‘他’が認めることしか選択肢のない‘自分’とは、ありえるのか?
「自分とは‘自分’である」て、「我思う、ゆえに我有り」のことか?
私は、この‘自分’を含め、(自己、個人、個別、独り、独りの、ひとつ、ひとつの、
唯一、単独、同じのない、...そういったもの、事柄、概念)を、
まとめて‘個’という表現で表すことにしました。
そして、この‘個’の対となるものとして、‘全’を与えました。
‘全’とは、
(全て、全部、全体、全員、多数、...、そういったもの、事柄、概念)を、指します。
‘個’と‘全’
個は全であり、全は個である。
個は全を構成する一部であり、全は個の集まりである。
個も全であり、全も個である。
ひとつの個が全であると捉える事が出来、全がひとつの個と捉える事が出来る。
個が集まり全を構成し、これをひとつの個と捉えると、個は全であると捉える事ができる。
個の認識するものも全であり、個の認識外も全である。
全を構成するは個であるし、全を構成する全もある。
個が全となり、全が個となる。
:
:
:
個と全は入れ替えても成立する。
この二つの関係は
メビウスリングの表裏の如く、クラインの壷の内外の如し。
切り離して、考えることが難しく、私は考えるのをやめました。
そして‘自分’=‘個’=‘全’であるとすることで、納得することにしました。
「自分とは‘自分’である」
自分は全を構成する個である、自分で自分を認めることは、最小であれ全が認めたことになる。
全とする自分を認めることで、全と全は対等となり、半分の全が認めたことになる。
自分のすべてを知ることは難しい、全とする自分を認めることは、難しい。
全の個である自分を認めれば、すべてが自分となり、すべての全が認めることとなる。
自分以外の自分を知り尽くすのは難しい、全の個を認めることは、難しい。
自分以外の自分、他人の思う自分、他人の中の自分、自分の中の他人、...。
「自分とは‘自分’である」今の私は、これ以上を望まない。十分だと思う...。
‘全個’から‘私考(思考)’する。
‘私考’を‘全個’に結びつける。
私にとって、物事を考える、基礎が出来たと思いました。
この時をもって、私の哲学の道は、終わりとしました。
日常生活に、おいては十分でしょう。
これより深く考えることは、日常生活に支障が出るでしょう。
あっ 哲学者を否定している訳では、ありませんよ。
「自分とは何か」の揺るぎ無い答え、定義が見つかることを願いつつ、
私はRomに戻ります。 じゃ thx...bye...。
264 :
ハル:2005/10/16(日) 05:33:47
普通の意味で言う自分とは存在の果てしない嘲笑とニーチェそのまんまに言う
楽しみと奇形は同じではないということでしょう。