1 :
考える名無しさん :
04/12/30 22:09:05 結局なんだ?
2 :
考える名無しさん :04/12/30 22:16:16
だから、美意識だろ。
3 :
考える名無しさん :04/12/30 22:29:15
死ぬこと
ちょんまんげ
5 :
考える名無しさん :04/12/30 22:33:32
武を志す道
6 :
考える名無しさん :04/12/30 22:36:32
>5 武って何よ?
7 :
考える名無しさん :04/12/30 22:42:34
かっこつけることよ。
8 :
考える名無しさん :04/12/30 22:45:35
9 :
考える名無しさん :04/12/30 22:47:09
台湾とか、東南アジアに行けば、 今でも男達が戦士として、かっこつけてるでしょ。 それが、武の本質。
10 :
考える名無しさん :04/12/30 22:54:18
>5が正解。
11 :
考える名無しさん :04/12/30 22:57:41
>>5 が正解だとしても、
「武を志す」の意味が不明瞭だろ。
これは、どうしても、
説明してもらわにゃ。
12 :
考える名無しさん :04/12/30 23:00:35
忠君ですよ
13 :
考える名無しさん :04/12/30 23:01:08
忠君の意味は?
14 :
考える名無しさん :04/12/30 23:20:05
価値観であり、 物語でもある、 それが、美意識だ。 それが、武士道の本質だよ。
15 :
考える名無しさん :04/12/31 00:32:30
このスレは
>>5 によって早々と潰されました。
しゅーりょー。
17 :
考える名無しさん :04/12/31 00:41:25
武を志すが分からんならもうどうしようもないな
18 :
考える名無しさん :04/12/31 00:42:50
だから、かっこつけることだってば。 いや、真面目な話。
19 :
考える名無しさん :04/12/31 00:45:03
何れにしろ胴と首の泣き別れなのに、カッコつけて腹切りたがるもの
20 :
考える名無しさん :04/12/31 00:45:51
かっこつけることをかっこよくいうと美意識
21 :
考える名無しさん :04/12/31 00:45:52
死んでも、かっこつけたがる。 そこに意味が生じるんだよ。
22 :
考える名無しさん :04/12/31 00:46:24
ある種の思想だね
23 :
考える名無しさん :04/12/31 00:49:32
思想と言うか、まあ、 生き方。 理想の為なら、命も捨てる。
24 :
考える名無しさん :04/12/31 00:51:32
どうせ死んだら腐るのさ。
妻は御主人様にやられちゃったりしてね。
26 :
考える名無しさん :04/12/31 00:52:36
あんま知識ないけど その範囲内で判断すると 「極度の見栄っ張り」だよね
27 :
考える名無しさん :04/12/31 00:53:26
見栄はっても腐るのさ
28 :
考える名無しさん :04/12/31 00:53:50
自分も見栄を張るけど、 主人にも、見栄を要求するわけよ。 上に立つ人間、というか、 上役は、下の人間よりも、 損をしなければならない、 ってことになってる。
見栄晴なんてのは最高の武士なんじゃないかな。
30 :
考える名無しさん :04/12/31 01:01:27
見栄で腹切れるんだからすげえ根性ではある
31 :
考える名無しさん :04/12/31 01:09:51
生きてるからだよ。 生きてるから、死ぬまで見栄を張れる。
意地晴ってのもいたな。
33 :
考える名無しさん :04/12/31 01:12:31
>>30 臭い内臓晒して腐る。
介錯が下手で、こめかみ辺りに急所を外して10cmほど食込んで、慌てて抜こうと・・・
34 :
考える名無しさん :04/12/31 01:12:49
見栄張るは、欽ちゃんファミリーだっけ。
35 :
考える名無しさん :04/12/31 01:14:25
切腹は恐れない武士も、そいつの介錯だと聞くと青くなる香具師
36 :
考える名無しさん :04/12/31 01:15:03
自分が死ぬことより、 人が死ぬ方が、 腰は引けるわな。
37 :
考える名無しさん :04/12/31 01:28:54
武士道とは最強の既成概念である。
38 :
考える名無しさん :04/12/31 01:31:18
一つの、既成概念だよ。
39 :
考える名無しさん :04/12/31 01:37:36
葉隠れってラーメン屋、「武士道とは死ぬことと見つけたり」って食わされると、やっぱり怖い。
40 :
考える名無しさん :04/12/31 01:40:56
毒、入ってそうだよな。w ラーメンに。
歪んだナルシシズム
42 :
考える名無しさん :04/12/31 01:46:11
ナルシシズムであることは、否定できないな。 結局、自己の信念だから。
43 :
考える名無しさん :04/12/31 01:46:28
あの時代の侍の家系の道徳?
44 :
考える名無しさん :04/12/31 01:48:28
価値観でしょうね。 古くは、いわゆる「未開民族」の戦士団にまで遡る。
>>43 武士道が描かれるような物語なんかを町民が読んだり聞いたりして
評価してたろうから、あの時代全体の道徳だったんじゃないの?
46 :
考える名無しさん :04/12/31 03:47:11
見本であり、期待すべき規範、とか。 それでも、武士か! みたいな。
47 :
考える名無しさん :04/12/31 04:04:14
48 :
考える名無しさん :04/12/31 04:11:31
意志主義
49 :
考える名無しさん :04/12/31 04:41:25
主君をすっげえ大事にするんだろ だから現代で言ったら営業
武士道のイメージすら、つかめないな。 誰のイメージだ?五右衛門?
51 :
考える名無しさん :04/12/31 09:40:18
武士らしさでしょう。 沿うべき規範。 あるべき姿。 ・・・役人が汚職すれば、 とんでもないことだ、って非難を受けるけれど、 それは、役人らしさに反してるから。
武士道というのは、天下泰平の世の中になって武士の存在意義 がなくなった時代に、これはまずいということで、精神論でな んとか存在意義をでっちあげてできたもんだよ。
53 :
考える名無しさん :04/12/31 09:57:16
実用性を失った概念は、 自己保存の為に「道」化するとか。
結局「主人」がいなければならない「奴隷」の思想。 「奴隷」の思想の美学化。
55 :
考える名無しさん :04/12/31 10:39:36
主人にも、ふさわしさを要求するじゃん。 ご乱心の殿を、座敷牢に閉じ込めちゃうことが、 肯定できちゃうような思想だぜ。
>>52 その考え方でいくと、今はびこっている思想のおおくって本当にでっち上げたものばっかりだな(汗
プレジデントマン
>>55 それがどうした。
そこで何で首を刎ねないわけ?
そこが忠犬根性だっつってんの。
59 :
考える名無しさん :05/01/03 09:22:49
死を思え
犬はいくらあがいても犬。 むしろ犬であることを明確に自覚し美化しない。 美化して自分をごまかしてどうする?
61 :
考える名無しさん :05/01/03 09:53:53
チャックノリス
62 :
考える名無しさん :05/01/03 12:18:50
武士道とは犬の美学である。 犬の存続を賭しての美化であり、これが即ち美学である。
闘う時は自殺する気で闘いましょう。 闘って負けた時は自殺しましょう。 名誉が損なわれた時は自殺しましょう。 そうしないやつは罵りましょう。
場合によっては主君のために恥をしのんで
生き延びることも武士道だから
>>63 は勘違い
65 :
考える名無しさん :05/01/04 10:45:43
>>64 じゃあ
君主には自殺する気でつかえましょう。
闘う時は自殺する気で闘いましょう。
闘って負けた時は自殺しましょう。
名誉が損なわれた時は自殺しましょう。
そうしないやつは罵りましょう。
これでいい?
名誉のためなら死ぬっていう騎士道も似てるなあ
68 :
考える名無しさん :05/01/04 11:52:53
>>66 両方とも荒くれ者の家系が、法治国家になっちまったんで自己主張できなくなり
仕方無しに自己の美学ってのを作り上げて、社会に認めさせちまったもの
メンツ潰されたヤクザが必死になるのと一緒
完全自殺マニュアル。
硬派道と同じ意味
71 :
考える名無しさん :05/01/06 00:08:32
名誉も糞もない増田達哉は百姓。
>>65 まあ前近代ならこれでいいけど、
近代戦争もこの調子でやったからな日本軍は。
物量と近代的、合理的な戦争には負けるわな。
73 :
平下流 :05/01/06 01:53:20
ここのレス、みんな短くていいね。 テンポもいいし、会話が弾んでるって感じ。 哲学板のなかのオアシス。また、こよっと。
74 :
武士道って結局何? :05/01/06 01:59:03
淘汰されちまった哀愁列車
75 :
考える名無しさん :05/01/06 04:29:36
諦観
真の自己満足
自己陶酔できるというのは幸せなことだ。 皆が平和的に自己陶酔できれば、犯罪などなくなる。 皆、武士になろう。 武士道を広めることが、世界平和への近道である。
78 :
考える名無しさん :05/01/06 21:34:18
切腹とは 死罪ではない、自殺だ と言い張る虚勢
79 :
考える名無しさん :05/01/06 21:42:03
正常な人間なら、切腹用の小刀を手にしたらそれで闘うだろ。 ファイトできないクズだけが言われたとおり自分の腹を切る。 馬鹿め。
80 :
考える名無しさん :05/01/06 22:19:05
正常なサラリーマンなら、残業ばかりで給料が安い会社には辞表を叩きつけるだろう 家族を路頭に迷わせるだけのリスクをとる勇気が無いクズだけが上司に媚を売る 馬鹿め
78は何か勘違いしてる。 切腹は自殺(みずからを殺す)のではなくて主君の命で 人を殺すことだ。その対象がたまたま自分。もちろん武士なら 主君の命に粛々と従うのみだ。 ま、1回しかない死。どうせなら劇的に死にたいという 破天荒な気分もあるかもしれん。派手にかっさばくのは こういった茶目っ気かもしれんね。
82 :
考える名無しさん :05/01/13 23:10:27
維新後の日本の宿願は不平等条約の撤廃であった。 国際法は適用されず住民を皆殺しにしても奴隷にしても合法だった。 日本は自給自足ができる国なんで経済的な理由で開国する必要は無かったが 黒船にびびった日本人には国防の為にはアメリカに拮抗する程の軍事力を作る事が日本の根本国策となった。 佐久間象山は『東洋道徳西洋芸』と言った。 つまり科学的な社会制度や倫理は欧米から輸入するが 道徳は我が国古来のものを維持しようと言うのである。 ここに保守の本質が有る。 伝統とは近代を経由して見い出された概念である。 近代以前の社会では伝統は当たり前の作法であり空気の様な物だったが 科学的な社会制度や倫理を欧米から輸入しても残る人間関係の美意識こそ 我が国古来から続く道徳の本質であると言える。 つまり近代を徹底する事によって日本が日本である事は観念化出来ないって事。 武士道にしても同じ。 古代から武士の規範は状況によって異なるがそれでも一貫した部分は有る。 ところで武士道って近代以降に見い出されたって知ってる?
83 :
考える名無しさん :05/01/14 02:05:54
兵農分離完成以降、基本的に、 武士の身分は、家の権利だったわな。 主君に仕えることができるのは、一つの家から、二人まで。 出世する為には、若い頃から出仕しる必要があった。 だから爺さんは、若いうちに隠居してたそうで、まあ、老害防止にはいいね。
異国間で法則を確立する方法の一つは国際的美人を決めるんだ。 そうすれば、異国間の法則なんてお伽話のように聞こえる話にも、見込みがあるよ。 それが出来ないなら、それに関連する能力以外に人間生来備わった法則を作る能力が 無いと思われる。それをしてくれなんて言うやつは、分ってないからそもそも法則を 作ってから守れくらいが精々でしょう。
85 :
考える名無しさん :05/01/14 03:27:13
白人が選ぶ東洋人の美人を、 美人だと思えるか?
この人たちは東洋人なのか、というように話が進むだろう。 東洋人は西洋人を美人だと思えるのか、は大丈夫だ。 西洋人は東洋人を美人だと思えるのか、は大丈夫だ。 要約すると、大丈夫だ。
87 :
考える名無しさん :05/01/14 05:41:16
西洋人が選ぶ美人は、 受け入れがたい。 正直な話、 可愛いほうが、まだまし。
世界が認める美人が存在したら、その人を分析すれば美の法則だろう。 だって、基本が世界一の美人なんだから、完全な法則は世界一の美の法則に なるに決まってるだろ。
主君のいない武士道というのが成立するのか? 曽我兄弟のような「もののふのありよう」も武士道なのかな?
90 :
考える名無しさん :05/01/14 23:19:37
>>88 世界が認める美人というより
万人が認める美人だろ?
ここで言う世界を構成する基準ってのは、突き詰めれば個なんだからさ
んで、個人の嗜好を超越した美人じゃなきゃいけないわけだ
ありえるか?
91 :
考える名無しさん :05/01/14 23:21:48
ありえんな。
ねえよカス
武士道とは言葉ではなく行動なのです。 つまりこんな所いくら議論しても無意味。
そうそう、犬は犬らしくウンコでもしてろ
ウンコが終わったら御主人様の機嫌取りだ
96 :
考える名無しさん :05/01/14 23:32:42
よしよし。 落ち着け。
機嫌が取れたらエサだ ホレ、食え
腹が膨れたら寝ろ、こん畜生め!
99 :
考える名無しさん :05/01/14 23:53:20
>>93 意味なんて求めて哲学の門を叩いたのかい?
100 :
考える名無しさん :05/01/15 00:09:06
意味を求めて四苦八苦する過程が、 楽しいんじゃないか・・・。w
喋りたくないにんげんは、しゃべり場にくる必要はない。
正気にては大業ならず 武士道はシグルイなり
103 :
考える名無しさん :05/02/07 15:10:58
武士も、その始まりは、地方の有力者が武装したことから始まったが 時代が下ると同時に自己の現状の正当化や生き方の規範が必要となり、それが武士道に繋がった。 新渡戸稲造は著書「武士道」の中でその根底は論語と断じている。 もともと日本の思想の根源となるのは仏教と儒教だが、生類を一切殺してはならないとする仏教の思想には戦闘を生業とする武士の生き方はそぐわないものだから 儒教が中心となるのは当然の成り行きだったであろう。 しかし儒教だけでなく武士は禅宗を信仰したのも事実だし、武士道とはそうした流れで成立したものでないの
武士道は倫理。
ぶしどう ↓ ほしぶどう ↓ ウマー
武士道とはトカゲのシッポキリと見つけたり
辞書を調べろ。 想いは人それぞれだ。思想に明確な統一した答えなどあるものか
108 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 16:31:49
究極のやせ我慢
109 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 16:37:41
過労死寸前の状態で働いてるサラリーマン道の方が立派。
110 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 16:49:25
111 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 21:21:59
「戦う」とは善が真理を通じて悪の誤謬と戦うことです。「剣」とは戦う真理を 指します。善のために悪の誤謬と戦う・・・。善とはすなわち神、神に仕え、悪 の誤謬と戦う者、それがサムライです。しかし神が悪に負けることはありません。 悪の誤謬に負けるのは人間、すなわち同胞です。つまり、主に仕えるとは友のため に戦い、これを救うことです。 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じる ことを行うならば、あなたがたはわたしの友である。」ヨハネ15・13−14
112 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 21:37:22
キリストのために サムライは戦わない。 むしろ サムライは キリスト信者に戦いを挑む。
113 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 21:49:42
いいえ、日本こそ神の国。唯一の神・主イエス・キリストの忠実な勇者となっ て世の誤謬と戦うでしょう。
114 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 22:01:17
こいつ マジにヤバイ
キリスト教と武士との親和性はある。歴史的にも。
116 :
考える名無しさん :2005/03/24(木) 23:48:33
騎士道と武士道の違いは?
まず思いつくのは女の扱い方の違いかな。
118 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 00:17:11
>>116 本来的には同じです。君に仕える者、君とは君主ですが、それは主なる神を象徴
しています。
119 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 00:22:22
「ふつつかな僕」、これが武士道です。 ルカ17・7−10 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その 僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者が いるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが 食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言う のではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感 謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果 たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないこと をしただけです』と言いなさい。
120 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 00:22:54
斬
121 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 00:47:03
>>118 象徴してるわけねえだろ。法皇をすっとばしてんのかよww
「葉隠れ」の謂いを漏れなりに語るなら、 "To be, or not to be."てなことで、せっぱ詰まったら、 (生死ではなく、損得ではなく、)潔い方を選べってこった。
123 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 01:09:22
兵頭二十八の『あたらしい武士道』に、「近代武士道」の成立過程が 書かれているよ。それによると、「武士道」なんてのは日露戦争以後。 日露戦争でロシア兵の銃剣突撃で、士族系以外の兵卒は恐れをなして 大半が逃げちゃったってことがあり、当時の陸軍が、普通の平民でも そういう場面でも踏ん張れる根性とフィジカルな強さを持たせるべく 近代武士道を新渡戸稲造あたりを利用し作っていったらしい。 『葉隠』とか『宮本武蔵』なんかが、一般の日本人に知られるように なるのも日露戦争以後。基本的に国策ありきで武士道が成立したみたい。 もちろん、鎌倉〜江戸初期まで、本当に武士が持っていたと思われる エートスと、「近代武士道」とは別物です。
124 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 14:19:42
>>121 法皇も神なる主を象徴しています。
神は真理の持つ力として王により、また取り成す愛として司祭により象徴されて
います。
125 :
考える名無しさん :2005/03/26(土) 14:20:37
斬
喪前らキリシタン武士の俺が来ましたよ
君主にとって使い易い人間を作る上で便利、 かつその事を正当化したモノ だと思う
128 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 11:22:00
>>123 おれもずれてると思うな。
それだと、近代以前でも士族には武士道が
確立していたと考えられるんじゃないかな?
当然、「武士道」というからには、その主要な担い手が
士族に限られていたとしてもおかしくは無い。
130 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 12:02:52
>>129 もちろん、江戸時代以前の武士に特有のエートスはあったはずです。
それを後の人間が「武士道」として再発見したってことだと思う。
そういう「特有のエートス」が江戸時代以降に少しずつテキスト化されて行って、
さらに、明治以後に「武士道」として定着したっていうのが、
今、私たちが考えている「武士道」なんだと思う。
で、そこで問題になるのが、例えば、北条泰時とか上杉謙信あたりが
本当に持っていたと思われる武士特有のエートスと、私たちが「武士道」
として再発見しているものが本当は同じなのかってことじゃないかなと思う。
私が考える武士道っていうは、そういう当時の武士が本当に持っていた
考え方や感情や行動指針みたいなものです。
そう考えると、いわゆる近代武士道とは少しずれるのかなと思います。
131 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 12:03:52
>>129 もちろん、江戸時代以前の武士に特有のエートスはあったはずです。
それを後の人間が「武士道」として再発見したってことだと思う。
そういう「特有のエートス」が江戸時代以降に少しずつテキスト化されて行って、
さらに、明治以後に「武士道」として定着したっていうのが、
今、私たちが考えている「武士道」なんだと思う。
で、そこで問題になるのが、例えば、北条泰時とか上杉謙信あたりが
本当に持っていたと思われる武士特有のエートスと、私たちが「武士道」
として再発見しているものが本当は同じなのかってことじゃないかなと思う。
私が考える武士道っていうは、そういう当時の武士が本当に持っていた
考え方や感情や行動指針みたいなものです。
そう考えると、いわゆる近代武士道とは少しずれるのかなと思います。
132 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 14:08:00
武士道というと悪いイメージが強いが、ラストサムライなんか見ると必ずしもそうとも言えない気がするな。 たしかに支配者に仕えるという点で支配の固定を招いた面はある。しかし、明治維新なんかはそれが特定の主君ではなくて日本国のために機能して文明開化を可能とした。 大儀のためには自己犠牲をいとわないサムライ精神は時代を動かす力となる。誰もが自己保身に走っていたのでは国を大きく動かすことはできない。
133 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 14:26:30
壮士との違いは?
>大儀のためには自己犠牲をいとわない それを何故「武士道」と呼ぶ必要があるの?大儀のための自己犠牲の精神 と言えばいいんじゃないの?主君の命令が必ずしも正しいわけじゃないのに、 それに従うのは、大儀のための自己犠牲じゃないでしょ。 大儀のためというなら分かるけど、主君のための自己犠牲なら、それはロボット精神じゃん。
135 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 18:25:54
あの武士道って本は読んでないけど、 「武士道とは死ぬことと見つけたり」っていうあの有名なフレーズは聞いたことがある。 僕はコレを聞いて、こういう解釈をした。 ようするに、いつ死んでも悔いが無いようにしておくってことじゃないか? たとえば、誰にも知られたくない恥ずかしい本を買った帰りに車に引かれて死んで 遺体の持ち物検査の時にその本がでてきたら周りの人はそいつを笑う。 だから、そういう本は買わないようにする。 もしくは死後誰かが入る可能性のある部屋に秘密のものは置いておかないようにする。 また、やるべきことを明日に後回ししてもし今日死んだらどうするのか? ようするに、常に悔いがなく完全な状態を保てってコトだと思う。 死ぬ間際になって「ああ、アレをしておけばよかった」とか 「ああ、アレをかくさないと・・・」とか、そういうことを思わないように 常に心がけておけってことだと僕は思った。
136 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 19:16:59
斬!
137 :
考える名無しさん :2005/03/27(日) 19:26:31
武士道とは人の目を恐れることと見つけたり
>>135 肛門にウンコついてるから完璧に拭いて 皮むいてチンカス洗っておけ
レンタルビデオ屋のリストは残ってる
140 :
これぞブシドー :2005/04/07(木) 08:39:56
12 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:14:49 ID:PNdtsbYL さっさと帰れよwwwww 13 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:15:35 ID:NoLoGym2 さっさと家族揃って送り返してやれよ 14 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:16:46 ID:ZW4LPTfk 日本に来るな!南北朝鮮に行け 15 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:18:17 ID:fCq007Yv 日本で迫害されているクルド人たち。トルコに逃げるといいんじゃないかな? 16 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:19:23 ID:An6wJis4 死ぬなら一家全員で市ね 17 :名無しさん@5周年:2005/04/06(水) 19:20:05 ID:QmXExsM4 またクルド人ですか('A`)
五輪書をひも解いてから出直してこい!!!
「葉隠」はそもそも鍋島藩においても発禁書だった。 公に人の目に触れるようになったのは幕末以降、本格的には明治に入ってから。 主君への個人的忠誠を内的倫理「武士道」として称揚するこの書が、 組織(具体的には徳川幕藩体制)への忠誠を旨とする江戸期の武士道と 根本的に相容れなかったかららしい。 葉隠では美徳と描かれる「追い腹」(殉死)も、 江戸時代多くの藩では厳しい罰則の対象だった(殉死者の家族親類が処刑されることもあった)。 戦国期の武士道は主君と部下との関係に 情緒的なロマンチシズムを見いだせる(男惚れ、とか)。 明日をも知れぬ変転極まりない戦国時代、武士の行動倫理は 「華々しく討ち死にすること」にあり、 また自分が死んでも残された自己の血統を保護してくれる主君の 個人的能力(戦争指揮、領国経営、外交戦略等々)に負う所が多く、 これと見なした主君に仕えるということは個人対個人の きわめてシビアな契約の上に成り立っていた。
(ゆえに、その"契約"が履行されていないと感じたときの行動には、主家からの退去から 下克上に至るまで、傭われる側にも幅広い選択権が存在した。後世に名を残した戦国期 の武将や侍の"主取り偏歴"には非常に多彩で興味深いエピソードがある) もともと鎌倉期武士道の「御恩と奉公」に見られるように、それが明文化されたものでは ないものの、武士道倫理はこの日本では珍しいギブアンドテイクな、割とストレートな 契約観念を内包している。 しかしこうした主君と部下のある意味対等な関係性は、戦国時代が終わると同時に廃れて ゆく。戦国の勝者は騎馬武者よりも長槍を携えた足軽兵を重用した信長、「犬のように 忠実な」三河武士を擁する家康といった、自由な個的契約よりも組織の規律と統制を 重んじた武将たちであり、そうした幕藩組織の末端の、名もない下級武士の懐古と現体制 への不満が「葉隠」の後景だ。
懐古的武士道が下級武士のやややさぐれた倫理より発していることは、 たとえば赤穂浪士の討ち入り事件でも伺われる。 暗君ともいわれた浅野内匠頭のため、命を投げ出して復讐戦を遂行したのは、 そのほとんどが主君へのお目見えもかなわぬ下級の赤穂藩士たちだった。 話は違うが、浅野内匠頭だけが厳罰に処された際、その処分を当然とする声の中で 「(浅野は)士道不覚悟である」 という批判のしかたがあった。これはなにも朝廷使者の迎賓儀式中に刃傷沙汰に 及んだことではなく、浅野が吉良を「首尾良く討ち果たせなかった」ことに対する非難 だった。 すなわち武士とは何かといえば、職業的殺し屋階級である。人殺しを旨とするもので ある。その武士がいったん「殺す」と決めたら、必ず仕留めるのが筋である。 それが出来なかった浅野は士道不覚悟=武士失格、よって切腹は当然、というので ある。
このような非難のしかたもおそらくは当時すでに懐古的武士道に属するものであったに 違いない。人殺し集団の職能的モラルよりも、徳川体制が採用したのは朝廷に対する 幕府のメンツという論理であり、なによりも体制維持の論理だった。 こう考えると二言目には「主君が、主家が」と小うるさく書く葉隠が、江戸徳川武士道 (=体制のために腹を切れ/死ね)から危険視されていた理由も何となく理解できてくる のではないだろうか。葉隠にとって主君とは、ある意味隠れ蓑である(そういえば、葉隠 には衆道(同性愛)を主に仕える道と同レベルの重みで語る部分もある)。
面従腹背という言葉があるが、東洋文化全般に普遍的なこの習慣は、武士道にも色濃い。 戦国期から江戸期への過渡過程に著された葉隠という書物にも、過渡故に本音と建前の コントラストは印象的だ。「武士の意地」を以て至上とする葉隠的倫理にとって、幕藩体制 どころか、ほんらい主君さえも建前ではなかったのか、と思える。 下級武士が、殿様からちょっと二言三言声を掛けられたことに感涙し、のちに主君の死に 際し腹を切るというエピソードは、殉死が刑罰の対象となった時代でも散見できる。 しかし、彼らは本当はなんのために切腹したのだろうか。彼らがはらわたを露わにして その赤心を証明したかったのは(切腹とは元々そのような儀式だ。我が腹黒からず、を 白日天下に曝すという)、いったいなぜか。彼らが本当に斬りたかったのはなにか。 葉隠を読むといつもそんなことを思う。
居合には奏者斬りという術技があり、伝奏の使者が突然VIPへと斬りかかるのを 咄嗟に斬り伏せるワザらしいが、面白いことにこれが上意討ち(主君の命によって 同僚の武士を討つこと)の場合、討たれる側も反抗して良い、という暗黙のルール があったらしい。 主君といえど、ムザ討たれるのは武士の名折れ、意地を見せて術技に術技に 対抗するのは「有り」だったようだ。つまり、主君に召し出されて死を申しつけられ たなら、黙って討たれるよりその場で大暴れして斬り殺されるもよし、逆に討ち手や 主君を殺して遁走するのも、また武士の名誉と言われた・・・。しかしこれも江戸初期 までだったようだ。
鎌倉期の武士道は原初的な個的契約観念の成立に依っていると書いた。 時代が下るにつれ、長槍や鉄砲の発達がし、武士個人の戦闘技術の価値は相対的にも 絶対的にも転落していった。武士道の変遷・・・というより正確には、武士道の成立は 集団の論理が場を占めていった過程でもある。なぜなら鎌倉期には「武士道」とは 人口に膾炙した言葉ではなく、それがもっとも強調されたのは江戸中期以降だからだ。 内村鑑三や新渡戸稲造の例を挙げるまでもなく、武士階級が滅亡してからむしろ、 武士道の倫理はまた別の文脈によって観念的な消費の対象となって行く。 それは国策の手法であったり、封建価値観への嫌悪であったり、克服の対象、復権すべき 伝統文化、話者によっていろいろだ。そのどれもがたぶん(この文章も含め)、それぞれの 時代に息づいていたリアルな「サムライの生きかた」とはあまり関係のないものであるのだろう。
そして同時に、たとえば「サラリーマン武士道」とでもいうような形で、いまもリアルに わたしたちの生活の奥底に翳を差しているように思える。 過労死やサービス残業などの悪弊を例にとるまでもないが、一方で、そこまでして 働くのはほんとうに、メディアが言うような、ムラ的忠誠心からだけだろうか? われわれは社長や上司に個人的な情緒的結びつきを覚えるだろうか? 意地になってるだけ、そんなことは意外と多いんじゃないのか? いまだに「武士道」は健在なのかも知れない。 でもそれはすべてのエートスがそうであるように意外と厄介な問題なのだ。
150 :
bbs :2005/06/08(水) 17:57:29
いわゆる信と義の世界ですね。 明日死んでも悔いの無いように生きろということで、さらにその価値が社会的な意味に還元されていますね。
儒教みたいなもんとごっちゃになってるのかな?
ho
153 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 12:59:44
現代でも十分通用しますな、武士道は。 司馬遼太郎が現代に武士道を復活できないか、 それぞれの侍でいかなくてはならない 自律という意味での規範が必要だとおっしゃた理由がわかる。
武士道とはガヴァマンでもありがたく頂くものなり! って誰かが言ってた。
155 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 17:11:10
武士は食わねど高楊枝
142〜149はオリジナルか? まあ、とにかくよく書けてるので読んおいた。乙。
157 :
考える名無しさん :2005/07/31(日) 18:29:32
>>1 明治時代になってから新渡戸稲造が解釈した
武士がいた時代のインテリ武士達の中での常識。
158 :
あお :2005/08/04(木) 10:53:37
死ねばいいのに。
159 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 01:54:21
武士道って、元をたどると 大名とか身分の高い人が、子分たちに忠義の心を植え付けるために 参謀に考えさせた、都合のいい教義なんでしょ? 国のために命を捨てるという思想を剣の道と合体させて、 カッコイイ美学にまで仕立て上げるなんて、 うまいことやるよな。
160 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 02:28:39
そういう側面もあるだろうが、元々野蛮極まりない戦闘階級であった武士が、それなりの社会的立場を占めるようになるにつれて自分を律するルールがどうしても必要になったんじゃないかね。 その結果できたのが武士道で、神道や仏教や儒教の影響を受けながら一般庶民にも影響を及ぼす倫理規範になっていったんだと思う。
あほくさ。 僕の家は代々農家だったよ。 明治政府の中心は元々武士階級だから武士道と言い出しても筋が通ってる。 新渡戸が武士道というフィクションを持ち出すのも、理解できる。 でもさ、どうせ君達の家は元々百姓だったのがほとんどだろ。 百姓が武士道だなんて、欺瞞もいいとこだね。 修身の復活ならまだ分かるが、百姓が武士道の復活を叫ぶなんてねえw ばかみたい。
サビ残や過労死は、ワーカホリック(workaholic)と言われ世界中、特に先進国で 問題になる現象。武士階級のエートスとか関係ないよ。自尊心を傷つけられた人が、 他人に勝ちたい俺は成果をもっと上げられるという見栄からハマっていく依存症みた いなもので、こういう心理は見栄っ張りで完全癖の人によく見られる。北朝鮮の 過労死者が何人いるか知らないけど、日本の戦時体制と関係あると思うね。 リーマン武士道なるエセ倫理は美学ではなくマインドコントロールされた哀れな姿という印象。
163 :
哲学者主席 ◆SENxmg7B3w :2005/09/05(月) 03:53:48
「葉隠」に代表される朱子学の系譜から出てくる中国のパクリ、 及びサラリーマン奴隷イデオロギー「大義名分論」、 「古事記」、「万葉集」に代表される国学の系譜から出てくる零知零能、 非科学的、幼児精神の「やまと心」。 いったいこのどこに誇らしい文化があるというのか。 そして敗戦アメリカのポチ化によってパクれる環境を得た手塚治による ディズニーのパクリ漫画、アニメ。そしてそのパクリアニメによって 性欲を満たすという秋葉青年の軟弱、女性化。 手前等は、一体この日本疑似文化の何を見て喜んでいるのか?
164 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 04:08:14
アメリカが戦後、武士道やら日本の精神を取り入れて 最近になってだんだん機能しはじめてきたようだね。 そのアメリカは戦後日本の統治政策として逆に 日本人から武士道やら日本の精神を取り除くために 自分たちの悪い習慣や価値観を金漬けにして植え付けた。 最近の格国のビジネスマンの意識調査で 日本人は世界一愛社精神がなく個人主義で愛国心もなく利己的で 自殺願望が強く仕事が大嫌いで早くリタイアして隠居したいと思っている。 アメリカ人はまるで昔の日本人みたいで、世界一愛社意識が強く 集団協調主義で愛国心があり他を尊重しかつ自分を高め 仕事が大好きで、、、 日本人の最大の武器が盗まれた模様です。。。
165 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 06:46:06
例えフィクションだとしても、日本人が持ちうる比較的強固な規範意識は武士道くらいしか無いんじゃないか。 そもそも人間が高貴であろうとするならある種のフィクションを信じてみせるような精神の力量が必要なんだと思う。
166 :
考える名無しさん :2005/09/05(月) 07:09:12
西部のコピーで自己満
武士道を行く者なら最低限、本名を名乗れよ。 拙者、どこどこ藩の○○と申す くらい書けないのかね。 匿名のくせに何が武士道だよ。
168 :
考える名無しさん :2005/09/06(火) 00:11:21
>>159 いや、忠君思想を伴う武士道の確立は後付けのものだよ。
もともとそういった副次思想的な概念などはなく、純粋に個人が戦いに勝つためのノウハウのようなものだった。
孫氏の兵法が、戦争における心構えを記したものだとすると、
武士道のもとは、戦闘におけるそれ、と思えばわかりやすい。
それは武術書のことだろうか。武術のコツが書いてある巻物のことかな。
サムライスピリット と 武士道 って同じものなのかな?
171 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 16:04:08
>>139 神風特攻隊を武士道精神に結びつける人がいるけど、
それは後付けで都合のいい勘違いではないのか?
日本人特有の、まわりがそうだから、というメンタリティを
自分の信念や国家への忠誠心と結びつけるのは、ごまかしにすぎないと思う。
江戸→明治の動乱期に、個としての信念をもった武士道精神があったのとはだいぶ違う。
もちろん、神風で亡くなった方は尊い存在だと思うし。一切を否定するわけじゃないが。
今、武士道なんて言い出してるトンチンカンな人は、大事な事が分かってないんですよ。 武士階級の精神を支えてきた、その本質は差別意識なんです。それが分かってない。 武士階級は、今の日本国民が目指すべき素晴らしい倫理観を持った人格者像に見えるけどね、 何故、彼らが極限まで己を律することが出来たかというと、自分より下の階級を差別できた からなんです。武士層は家柄という観念と切っても切り離せません。 平時において百姓や職人や商人が武士に成る可能性は低いのです。 故に武士階層にある者は、自分達が特別な存在であると自覚でき、特別な使命感を持つ事ができ、 そして特別な自尊心を保って、己の行動を倫理的に高い位置で律することが出来たのです。 現在、武士道を唱える者は、武士にとって大事な差別というものを無視して、自分に 都合のいい箇所だけ引っ張り出してるアホウですね。民主主義的ニセモノの通俗武士道で 満足するニセモノ知識人には呆れますね。
173 :
考える名無しさん :2005/09/24(土) 11:41:13
武士って今のやくざみたいなもんジャン これについて知りたいやつは自分で勉強しなさい 少し学べばわかってくるね
174 :
考える名無しさん :2005/09/24(土) 17:35:18
175 :
考える名無しさん :2005/09/24(土) 23:50:30
176 :
741 :2005/09/24(土) 23:55:44
葉隠れ読んだ?
武士のはじまりはヤクザみたいなもんだし、ヤクザがどさくさに 紛れて支配層になったと見ていいんじゃないの。 任侠道みたいなもんだ。
178 :
考える名無しさん :2005/09/25(日) 00:28:03
見たことないす。 それにはどんなとこが書いてあるんですか??
武士道と任侠道は案外と近いね。これ本当。 しかしヤクザ(博徒)は自由放浪民を出自とする。 案外馬鹿にしたものではない。
180 :
考える名無しさん :2005/09/25(日) 02:18:37
ヤクザを退治するのが武士。対極にある。 今日では馬鹿3国を成敗するのが武士の仕事。
もちろん、渡来外人と任侠も関係が深いし、 武道の源泉は大陸から流入したものも多い。 そもそも名のある武芸者の多くが自由放浪民(「道々の輩」)出身だったり。 忠臣楠公もそのひとり。
182 :
考える名無しさん :2005/09/25(日) 03:38:29
___ o ( ;;;;;_;;;;; )/''' 丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、 /~;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,ヽ、 ,;';;_"-=・=-;;;;;;;_-=・=- ;;ヽ、 ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヘ ./ ヽ 、"ー=〓=-'` / ヽ / ◎ ヽヽ、_ ___ / ◎ | ┌" ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"┐ |゙ l │[ク.ー.ル]│ l ゙|
|ヽ |:::ヽ . |::::::ヽ |:::::::::ヽ |::::::::::::ヽ ,.:i |::::::::::::::ヽ /:::| ._,,, |:::::::::::::::::ヽ. /::::::::'´:::;/ |:::::::::::::::::::::ヽ. ,,. -‐'ヾ::::::::::::;/ ヽ::::::::::::::::::::::ヾ´ `;;;/ ヽ:::::::::::::::::::::ヽ. / >':::::::::::::::::::::ヽ. / ,.::´:::;;;;::::::::::::::::::::::ヽ/ /:;;。''' `;:::::::::::::::::::::::ヽ. レ'‐--ー'''ヽ:::::::::::::::::::::::::ヽ、 ヽ::::::::::::::::::::::::::`ヽ、 ヽ::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、 `''''ー‐-- ::::;;;;::::::::::`ヽ、  ̄`''''ー-`
184 :
考える名無しさん :2005/09/25(日) 08:24:05
体面こそ全ての思想。
185 :
考える名無しさん :2005/09/27(火) 13:40:01
葉隠の序盤にも、武士道とは何かと問われてもほとんどの人間は答えられないだろう 漠然と考えているに過ぎないと論じられている。。 つまり武士道って一言に言っても、これはってものは全ての武士が共通のものとしてもっていたわけではないってことだ 葉隠も新渡戸の武士道も、そうした漠然とした武士道の概念を論理だてたものであり 断言するのは難しいような気もするが。。 まあ、人に教えるにいたってはある程度は筋道を立てて理論づける必要があるから 葉隠や新渡戸の武士道のような本もあるのでしょうけどね
186 :
ぬえ :2005/09/27(火) 22:49:18
武士道。筋を通す事。
武士道は栄達の仕方だと思われる。 古代、武士は地方の荘園で農場経営を担った武装者であったようだ、 滝口の武士は、宇多天皇の寛平年中(889〜897)蔵人所に属し禁中の警衛にあたった、 北面の武士(1087年)は院政の守護に創設される、 鎌倉時代では、右大将、征夷大将軍の武士が現れる、 室町時代では、中央により身分を保証される有力者の様子を現す、 安土桃山時代では、地方の有力地頭や強調された守護職が台頭する、 武士同士の対立、主殺し、子殺し、下克上があったとされる、 江戸時代では、朱子学などの諸学と結びついた道徳的な意味合いである、 武士道は、武士社会における権力者と従属者の関係的な守るべき心得であるようだ、 そして、自身が栄達を目指すことが保証されるべきであるという道徳的な意味も具え ている。それらが、現代から各々の時代の諸点を取り上げて、美的意識に高めたもの であると考えられる。これらが武士道の一般的なあり方であるようだ。
189 :
考える名無しさん :2005/09/28(水) 15:53:10
武士道を栄達や権力関係の維持に矮小化するのはどうか。 たしかに歴史的にはそういう面もあるが、それは本質ではないような気がする。 武士道の本質は自分を犠牲にしてでも自らの信念を実現しようとする志にあると考えればわかりやすい。 この観点からいえば武士道は決して過去のものではなく現在でも十分に通用するものだ。 歴史を動かすのはまさにこのような人達だろう。
190 :
考える名無しさん :2005/09/29(木) 23:58:04
だから武士は今のやくざ 変わりなし
191 :
考える名無しさん :2005/09/30(金) 00:28:27
極論を言えばそうなるな 曲げようのない事実でつ。 チェイチェイ!!
192 :
考える名無しさん :2005/09/30(金) 11:39:26
武士道は自分と主君と国の「名誉」を保つため。
つまり
>>172 のような感じだと俺も思う。選民思想的な感じ?
大体、武士は何%程だったろうか。きっと、1,2%だったんではないかな。
それで、武士はその強い自負心を持っているため、強い理性も持てた と思う。
と一応書いた所で
>>172 を見たら、
>>172 の説明の方がしっかりしてたorz
でも、俺も武士の子孫だ。武士らしく強い精神を持って、国の為に生きようと思う。
↑やっぱり、ナルシズム入るよw 「俺が」国と国の思想を守るって思っちゃう。
武士の血潮に染みし鎌倉の山の隈々落ち葉踏み行く
194 :
考える名無しさん :2005/09/30(金) 12:24:01
武士道は権力構造の延命装置以外の何物でもない。 それを「矮小化」と呼ぶような発想は宗教的だ。
195 :
考える名無しさん :2005/09/30(金) 14:13:27
忠義 面目 潔さ
196 :
考える名無しさん :2005/09/30(金) 18:50:36
自分のために死んでくれる馬鹿者を育てるための心理学
欧米では、一企業に忠誠的に仕えるハッカーのことをSamuraiっていうしな。
つまり、卓越した技術を持つだけじゃなく、 それに忠義を伴って始めて武士といえるのか。 なんか個人主義的な現代人の美学とはかけ離れてるのかも
199 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 00:46:41
捨象した人と人の関係、 時間が絶対的な優先権をもっている。
201 :
考える名無しさん :2005/11/20(日) 18:51:22
何らかの見返り無き、武士道は成立しないよ。
昔の農民だって土地に縛られて、雨風飢饉に晒され、 そこで無惨に死んでいったのだから、忠誠心を持つものにたいして ことさら武士道の名に固執するものでもないだろうに。 それに商人(あきんど)に対して武士道と言うのはナンセンスではないだろか。 番頭みたいなものに向かって、それは武士道だなんて称するのは。
204 :
考える名無しさん :2005/11/27(日) 00:00:01
恩を感じる、 という心の動きは、自然発生的なものであって、 それを べき論 に結びつけるのはイヤだな。
205 :
考える名無しさん :2005/11/27(日) 01:05:26
市ヶ谷切腹を知らんのか
生存の必然から美学へと転化したのだろ。
207 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 20:14:10
武士道=男尊女卑
武士道は騎士道
209 :
考える名無しさん :2005/12/08(木) 21:13:09
武士道3原則 1.君主の命にはいつでも従いましょう。ただし君主が武士道3原則を守らない場合はこの限りではありません。 2.闘う時は死ぬ気で闘いましょう。また、闘って負けた時は自殺しましょう。 3. 名誉が損なわれた時は自殺しましょう。またそうしないやつは罵りましょう。
名乗らずに奇襲しちゃいけません。 それは武士ではなく、忍びです。 名乗ると同時の奇襲はOKです。>>新撰組
212 :
考える名無しさん :2005/12/20(火) 19:49:17
チャンバラの必勝法だろ?>武士道
物書きのような、具体的集団への帰属感の薄い仕事を続けていると、 世界が抽象的になっていって、武士道の英雄的で忠誠心の強い イメージに憧れてしまうんじゃないかな。今の時代に武士道て、 ちょっとした病理現象かもしれん。 趣味や歴史研究でやってる分には良い事だと思うが。
214 :
考える名無しさん :2005/12/21(水) 03:01:54
武士道は平和なときに戦士としてのアイデンティティー保つためのものでしょ。 武道や狩り。上意下達や役職への服従。死を常に意識して行動する。名誉と家族の保護により死を制度内で許容させる。 平和なときの専門戦士階級が擬似的目標として定めたもの。自衛隊で流行ってもおかしくない。
215 :
考える名無しさん :2006/03/03(金) 21:55:12
お前ら「武士道」読んだこと無いの?
武士道に於ける大事さの序列 君主の命>自分のプライド>自分の命
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」(朝倉宗滴) 稲造の武士道は妄想
>>217 妄想つうか外国向けにちょっとかっこ良くしたかったんだよね。
ま、毛唐どもにはそう思わせとけ。
>>218 でも江戸期以降の「武士道」に生きた人もいるから
「新しい士道」と「旧い武士道」を分けて理解するべきなんだろう
武を志す死
221 :
考える名無しさん :2006/04/07(金) 17:27:12
武士道なんだけど宮本武蔵と新渡戸稲造の武士道じゃ全然ちがうと思わない? 前者は戦いに勝つための実戦武士道で後者は身を修めるための道徳武士道。 自分の場合はそんな風に思う。
井原西鶴の好色物は江戸後期の最高峰の文学だけど、 社会制度と道徳は違うと考えているよ。
>社会制度と道徳は違うと考えているよ そりゃそうでしょ、法律に情はないんだから
前近代的身分制度では百姓の身分だった人間が、日本の武士道精神なんて 言ってるのがインチキくさくて少し滑稽ですが。 宮本武蔵は武術、つまり効率的な人殺しの殺人術を探求した人間で、 現実にはえげつない戦法で勝利していて、かなり汚い手をつかう人間。 宮本武蔵は道徳のお手本にはなりません。
225 :
考える名無しさん :2006/04/30(日) 08:49:21
どんな人でも困っている人を助けたり、思いやりをもって人に接することじゃないの?
225よろしくレスを読んでなく、ましてやニトベの「武士道」も読んでありませんが・・・ 「高貴な人間」ということではないのか? つまり、何らかの独特の価値観を有する人間のこと。
227 :
& ◆QWv3R1XL8M :2006/04/30(日) 09:00:22
「葉隠れ」は江戸時代の禁書。
228 :
考える名無しさん :2006/04/30(日) 14:51:37 BE:206798764-
基本は、まっすぐに誠実に生きる事だと思う。 決めた事はやり通す。忍耐強く生きる。
229 :
考える名無しさん :2006/04/30(日) 15:52:17
単なる理想像でしょ。 その武士道に生きた武士が実際どれだけいたというのやら。
230 :
考える名無しさん :2006/04/30(日) 16:24:11
現代に生きていると戦うという事がどういうことかよく分からなくなる。 孔子は「人を殺すうちにも礼あり」と言って、弟子の子路に怒られた。
231 :
考える名無しさん :2006/05/01(月) 07:18:52
武富士道
232 :
考える名無しさん :2006/05/01(月) 07:26:36
>>223 昔の法はどうだか知らないけど法こそが社会の善悪を計る基準とする道徳だと思うよ
233 :
考える名無しさん :2006/05/01(月) 07:37:46
>>224 戦争というのはそういうものなんじゃないかな?
五輪書を読むとわかるけど武蔵の中では効率的に人を殺すのが兵法者においての善
みたいなところがあるのよ。現代の俺たちは本質的には理解しがたいけど。
234 :
考える名無しさん :2006/05/01(月) 07:45:34
>>232 侍として評価が高く庶民の人気も高い赤穂浪士たちは法より侍の掟で行動したから喝采を浴びた。
日本にはこういう価値観もあると思いますよ。
もちろん法を重視した偉大な侍も歴史にはいたでしょうし。
いろんな人間がいてこそ器の大きい国になるんじゃないでしょうか。
横道に外れるけど、赤穂四十七士の忠臣蔵は、大衆受けをねらった 大衆迎合の見せ物じゃないかな。 あのストーリーを読むと、最初から本当にこうすべきなのか疑問だらけ。 吉良義央に対する浅野の態度からして大いに疑問がある。 少なくとも俺は小学生のころから、あの恣意的なストーリーに 最初から最後まで共感できない所が多かった。大衆の心をつかむには 論理より情緒だからしょうがないけど。
236 :
考える名無しさん :2006/05/01(月) 09:06:10
>>235 そうだね。
毎年年末にドラマ化されたりするの見るとあの物語は大衆受けするんだろうね。
ただ235さんみたいに共感しない人も結構いると思いますよ。
史実として四十七士は決起したがそれに参加せず故郷で百姓はじめた浪士もいたわけだし。
決起しなかった浪士にも生きて家族を守りたいという義があったと思います。
237 :
考える名無しさん :2006/05/03(水) 10:50:17
忠義とは
238 :
考える名無しさん :2006/05/03(水) 11:07:03
江戸時代、1日3時間労働で暇をもて余したニート同然の武士が、 戦乱の世など二度と来ることがないとタカをくくって、 「武士道とは死ぬことと見つけたり」と テキトーな妄言をこねくり回してただけだろ。 んで幕末、情勢がキナ臭くなってくると、 急遽多摩の百姓を武士道で騙して吊って 危ない役目をことごとく押し付ける、と。 最近馬鹿にされているネットウヨとなにが違うのかと。 明治の新政府軍に粉砕されたのも束の間、 藩閥が弱体化してくると ニニ六事件等を皮切りに再び頭角を表した武士道精神。 白虎隊を急遽初等教育に取り入れ 学徒動員や神風特攻隊への布石とし、 東條や牟田口のメチャメチャな精神論につながって、日本滅亡。 起源が胡散臭いのはノブレスオブリージュも同じだが、 少なくとも第二次大戦時のイギリス貴族はそれを実践していた。 武士道みたいなご都合主義のカルト思想、 外人の自分探しのネタになる以外は、有益どころか有害である。
239 :
考える名無しさん :2006/05/03(水) 12:49:27
やはり帯刀・帯刀権(長刀)を抜きに考えられない
240 :
考える名無しさん :2006/05/04(木) 07:39:04
孫子は?結構武士道と似てるとおもうが?
241 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 03:01:59
>>240 新渡戸や葉隠れの武士道にはまったく似ていない。
「孫子」はいかに敵を倒すか?ということだけ書いてある「五輪書」には似ている。
それなのに一つの思想として完成しているところは素晴らしい。
242 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 05:11:38
>>238 >メチャメチャな精神論につながって
確かに民族主義、共産主義、宗教あらゆる思想問わずいきすぎるとメチャメチャな精神論になる傾向がありますね。
243 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 06:36:01
孫子は信玄も参考にしてたようだが? 武士道は慈愛というものに似てると思う。 今の日本人は武士道をファッションに使いすぎ。 もっと血生臭い人間の命のやりとりの中にある華 だと思う。ちなみに孫子でも人格論に触れている。
244 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 08:10:29
一つの道を究めていく求道。強い者が勝ち、弱い者が死ぬのみ。 自分より強い相手を探し、その者より一歩でもその道の高みを目指す。 そして自分が敗れれば潔く死ぬのみ。 俺が勝手に思いこんでる武士道ってそんな感じでしょうか。 ありきたりだけどイチローさんが現代では武士道に近いスタイルって ところでしょうか。(切腹はしないだろうけど潔さはあるみたい。)
>>238 ・242
それこそ犬死ってやつじゃ…
そうならない為の「道」じゃないのかなぁと思ってみたり。
教養や人格にまで規範があり、「高い理想」としての侍の姿を教育
する手本なわけでしょう?ま、共産主義のように上手くはいかなか
ったが…
お二方正解ww
ただ、個人差はあれ立派な人はいたとおもうんだよなぁ、だからもし
「武士道」=「キチガ○」みたいに思われるんだったら大変悲しい…
「花は桜木、人は武士」 「人は武士 なれど傾城に いやがられ」
そのときどきの時代によって武士道の内容も変わってきたし、 武士というものが消えてからも、時代の要請にあわせて、 いろいろな武士道が語られてきた。 いいんじゃないの? 自分の好きな武士道を語れば。 それをそのまま持ち出すんじゃなくて、 自分にとって最適だと思うかたちで現代に活用すれば。 解釈は自由なんだから。
そういや、神風特攻は武士道的ではあっても武道的ではないという話があった。 武術は武士の専売特許だから、武士道=武道でいいはずだが、 子細に見ていくと結構食い違うところが多い。葉隠でも、武道(武術・兵法)には ちょっと否定的なニュアンスが付加されていたな。 武道は「たち交わす刃の下こそ地獄なれ 踏み込んで見よそこは極楽」という 道歌に見られるように、死地に活路を求める心構えのものだ。死を覚悟することで 逆説的に生を得る、決死のサバイバル術。 武士道は逆に死ぬものである。死を賭して武士の一念を通すもの。 だから葉隠では、武道は小手先の生き残り術として、やや卑小視されてる。 いわば、武道が観念的に死ぬことによって実体的に生き残る道であるのに比し、 武士道とは実体が死ぬことによって、観念(武士の意地、忠誠、信念)を生き残らせるもの といえる。 神風特攻は「死んで護国の鬼となる」ことを目指した。敗戦色濃い当時の日本において せめてもの意地の発露と、同士への鼓舞を目的としたそれはまさに武士道の美学。 負け戦を好んだ戦国名将の心意気に通じるものがある。 なーんてな。 でも「死ぬ覚悟」より「生きる覚悟」のほうが難しいし、つらいものなんよ。。。
「本懐を遂げる為なら生き恥を晒すも志…」
「恥を晒してまで浮世に執着するなかれ…」
これって別に矛盾しないしね、何処に美学を感じるかは色々だけど
矛盾するような解釈の元、道を選択するから「犬死」と呼ばれるわけで…
私は
>>248 氏に同意
250 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 12:19:09
>>248 「死んで護国の鬼となる」
これを心から納得して特攻した隊員もいただろうが嫌々特攻した隊員もいただろう。
一番こんなフレーズで日本人を煽った東條が自分は生き延びようとしたのはどうかと思う。
大西郷や大石は自分こそ死を選べど部下は生かそうとしたのに・・・
>なーんてな。
でも「死ぬ覚悟」より「生きる覚悟」のほうが難しいし、つらいものなんよ。。。
生きるか死ぬかの選択に迫られたことが貴方はあるのでしょうか?
もし貴方が学生かなにかでそんな事を言ってるのなら軽すぎると思います。
>>250 なんで東條の話が出るのか分からんな。
神風を立案し、その総責任者となったのは大西瀧治郎という海軍将官だ。
>生きるか死ぬかの選択に迫られたことが貴方はあるのでしょうか?
端的に言って、あるよ。普通に生きていれば大概の人が一度や二度は
遭遇することだ。心配しなくてもw、きみにも訪れることだろう。
252 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 12:49:41
あっそ(´_ゝ`)
大西は敗戦を迎えたとき、割腹自殺して果てた。介錯や安楽死措置を拒否し、 日頃公言していた通り、一昼夜苦しみ抜いた挙げ句、死んだ。 かれの遺書は割あい有名なので、web上でも見つかるだろう。 大西は後生の日本人に「隠忍して、世のために尽くせ」と書き残した。 が、これは生き残った「戦争で死ねなかったお父さん」たちにとっては、 あるいは残忍な言葉だったかもしれない。 あまりに深刻な、こころが破けるような思いより発するため、あえて沈黙する戦争の傷。 それを償うための「生」。 生きることすべてが、あの大きな陥穽に呑み込まれた「死」を贖うためであるならば。
254 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 16:25:16
はいはい
255 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 16:28:59
粘着か
256 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 16:51:11
バカジャネーノ?(゜,_ゝ`)
自己紹介でした
258 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 17:32:29
259 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 17:35:08
自己紹介はまだ続きます。
何この流れ。 こういう話題は難しい。すぐ意地になる人がどの立場にもいるから。
261 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 19:19:17
勘違いしている人が多いようだが、 葉隠には主君や組織のために死ねなどとは一言も書かれていない。
262 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 19:36:28
葉隠に書かれていることは、ほとんどすべて人間の生き方一般に関する事柄である。 残念ながら武士階級に特有の事は皆無に等しい。
武士道とは死ぬ事と見つけたりと誰かが言った。 今の人間は生きるために生きるといった次第だが 武士道は生を大義の為の手段としての生として生涯を位置づけ 死を先駆する生き方を貫徹する、その一つの証明が自死として現れるのだと思う。 その生き方に至る方法論に我執を殺すために禅があり心胆を鍛えるための武芸があり 大義名分には神(民族)があり、それら全ての表現として礼法がある。 うだうだ書かれたりするが武士道を極めるのは学ぶだけでは無理だろう、武士道とは至るものなのだから。
公務員道
>>263 続き、
人権思想などから見ればある意味人命無視などと罵られそうな
思想であるが、人”間”としての価値のある生き方とは
を考えた場合、より人を活かす考え方なのではないか?
と
>>253 から連想した。
266 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 20:54:26
もののふの花は散り際が最も美しい
267 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 21:09:03
葉隠に曰く。 欠伸やくしゃみを人中でするのは不嗜みであるから慎むなさい。 どうしても止まらないというときは額を撫で上げれば止まります。 …翌日の事は前日から考え、それを書き付けて置くように。
268 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 22:52:16
↑こいつら最高にアホ↓
269 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 22:57:10
↑ナニコラ タココラ
270 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 23:05:19
いや、マジて。葉隠に書いてあるねんて。
271 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 00:38:41
暴走族が爆音で俺の家の前を通りすぎた あのDQNどもを何とかしてくれ〜
272 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 01:00:14
陽明先生なら賊ぐらい楽勝で退治してくれる。
273 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 12:00:27
↑こいつら最高にアホ↓
273は大天才
275 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 18:09:21
卑怯者
武士道って結構、卑怯な面がある。 夜討ち朝駆けはアリ。奇襲不意打ちも可。 太平洋戦争開戦通知の遅れも、 そんな「卑怯さ」と関係あると思う。
いろんな武士道があるんだね。
278 :
考える名無しさん :2006/05/06(土) 21:53:43
現代は武士で溢れている
279 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 03:28:45
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」(朝倉宗滴) 稲造の武士道は妄想
280 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 04:23:09
「忠義の死はせねど情の死はする。」
日本昔話で侍がいい人であったことがあったでしょうか。 農民にとってみれば、できればいなくなってほしい 存在だったのでしょうか。
282 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 08:47:52
>>281 楠木正成、上杉謙信などは義の人として昔から語り継がれている。
武士が嫌になって百姓になった者もいるし逆に百姓から武士になった者もいる。
侍だから良い、悪い、百姓だから良い、悪いじゃなくて、
やはり人によってどんな身分でも良い奴、悪い奴はいると思う。
>>281 間違ってたら申し訳ないが貴方は武士道を否定したいだけに見えます。
ここは哲学板ですから他に貴方が良いと思う思想などがあるなら教えていただけませんか?
285 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 09:58:10
思想に正解なんかあるわけない。 みんな同じ環境で生きてるわけじゃないからな。
286 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 10:03:27
熊沢蕃山が言うところの時処位だね。
福島県棚倉市に住む 佐藤武士さん(さとう・たけし 71才 農業)の持つ畑にある農道の名前です。
288 :
考える名無しさん :2006/05/07(日) 12:29:26
春になったけど寒いな
289 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 13:01:10
290 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 15:11:03
武道ってスポーツじゃねえの? 武術は如何に人を殺すかだったが 武道は殺人を否定して活人を目指したところに、青臭さと大衆性がある。 武士道は、武士の守るべき道徳だろ。 新渡戸さんが書いた武士道は江戸時代で儒学を取り入れたあとの武士道だろうから 戦国の道徳ではなく、太平の生きる武士の道徳といった感じだろうね。
291 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 15:28:11
>>276 それはドイツの兵法を取り入れたからだって司馬遼太郎が書いてたよ。
292 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 16:25:20
>>290 同意
戦国時代の武士道と新渡戸さんの武士道に違いがあるのは当たり前
新渡戸さんの書いた武士道を現代感覚で考えると違和感がでるのも当たり前
「古きを学びつつそれを乗り越えていく」こんな風にはなかなかなれないけど・・・理想だね
293 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 17:00:50
>>276 そもそも正々堂々とした戦争なんてものがあるのかと
戦国時代以前で奇襲や詭計を使って勝ちまくったのは源義経だが、 他の武士からは卑怯者扱いされて孤立し結局破滅したぞ。
宮本武蔵は武士じゃなくて浪人。 晩年に召抱えられて武士階級になってからはまったく違う生活を送っている。
296 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 21:21:27
>>295 武士道て身分、役職の問題だと考える?
ならば武士道ってのは明治維新で滅びたことになるが・・・
武士道なんて武士階級以外さして必要ないだろう。 そこに倫理としての価値を見出されたのはもっと後の話しだし。
298 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 22:32:39
>>297 ごめん、俺の感覚だと最近の巷でよく聞く武士道ていうと倫理的なものが強い印象だから・・・
純粋に闘争の技術は武術、兵法と呼ぶ感覚で話してた。
これじゃ話が噛み合わんわねw
299 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 22:40:38
武士道とは、死と向かい合うこと。
300 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 22:50:23
>>299 死と向かい合ってると思える人が言えば納得できるのだろう
ネットで死とか言う奴は信用できん
ああ、言える言える。俺も鬱陶しいのやっつけたら ネットから消えるw
302 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 23:07:57
もののはかなさ、もののあはれ、無常観、わびさび。 こういったものが武士の思想の基本なんだろうねぇ。 地震や台風の多い国土ではあるが、春夏秋冬四季折々に美しいものを見せてくれる国土でもある。 不思議な島だ。
303 :
考える名無しさん :2006/05/11(木) 23:37:02
>>302 それは武士と言うよりむしろ原始神道、八百万の神々などの日本の根源的なものじゃないか。
>>302 そういうのは武士階級発祥ではなくて貴族や公家なんかを模倣したものじゃないか。
305 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 01:05:10
死ぬ為に生きてるんじゃないの?
生きる事を考えたら死ぬ事を考えなきゃ人生駄目でしょ、ってこと。
士道と武士道の決定的な差に注意のこと
308 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 01:37:41
武士道って引きこもり、ニートの宗教みたいなものでしょ 戦争のないのんきな時代に 武器オタ、武道オタをだまして商売。。阿漕だよね 用事のない日は出歩くな 出歩いて馬に蹴られて死ぬより 引きこもって妄想にふけってたほうがマシ 葉隠にも書いてあるじゃん
武士道とは、死ぬことである。 生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。 それ以上の意味は無い。覚悟してただ突き進むのみである。 「当てが外れて死ぬのは犬死だ」 などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。 生か死か二つに一つの場所では、計画通りに行くかどうかは分からない。 人間誰しも生を望む。生きる方に理屈をつける。 このとき、もしも当てが外れて生き長らえるならば、その侍は腰抜けだ。 また、当てが外れて死ねば犬死であり気違いざたである。 しかし、これは恥にはならない。武士道においてもっとも大切なことだ。 毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死身になっているとき 武士道と我が身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行できる。 ここから読み取れるのは単なる美意識表明である。 もののあはれの価値観は、少なくとも葉隠には組み込まれていない。
311 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:08:46
312 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:14:30
>>311 のように、人の主張したことそのものをどうこういうのでなく
主張した本人にあてはめた個人攻撃のようなものをして
すっかり黙らせるような日本人特有の陰湿さがきらいだ
それで、議論に勝った気でいやがる
313 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:25:32
>>312 >日本人特有の陰湿さがきらいだ
日本人がそうならあんたにもその陰湿さは受け継がれてるってことじゃん
板の連続投稿可能数がここまで少ないとは思わなんだ。
規制に付きこれ以上の書き込みは無理と判断しますよん。
>>311 実質私は仕事というアイデンティティ無しには
行為を組み立て(られ)ない、これは物怖じでありものぐさ。
私の定義では己の活動野において腰抜けとは
物怖じ、ものぐさな行動パターンにより行為に支障を覚える個体を言う。
よって一言で表せば、yes
>>312 擁護のお気持ちには心から感謝したいが、
私自身議論を振ったわけではないから。
それと、このへんは軽重問わず社会主義に
付随する必然的な構造だからなんとも厄介だな。
気楽な揚げ足取り自体が悪いとは言わないが、
挑戦意欲の薄さを現すという観点からは
残念な気持ちが湧き上がることしきり。
315 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:33:34
213・・・
316 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:42:48
朝鮮人ほど陰湿ではないが
317 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:45:52
318 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 02:48:18
>>312 陰湿じゃないあんただからしっかり答えてくれよ?
>>310 一篇だけ持ち出してそんなこと言われても困っちゃうよ。
分量的にはそういう苛烈な部分の方が少ないんだから。
320 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 03:12:12
自分が意見して都合が悪くなるといなくなるってのは陰湿だと思います。
321 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 03:12:37
>>312 おれがいつ、すべての日本人が陰湿だと言ったのか?
過剰反応もいい加減にしてほしいものだな。
朝鮮人とくらべてみたり
322 :
321 :2006/05/12(金) 03:13:45
×312 ○317
323 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 03:23:17
>>321 >すっかり黙らせるような日本人特有の陰湿さがきらいだ
「すっかり黙らせるようなお前みたいな陰湿な奴がきらいだ」
日本人特有なんて書かずにこう書くべきだろ。
朝鮮人て書いたのは俺じゃないよ。
324 :
321 :2006/05/12(金) 03:29:50
いや、悪かった。その通りかもしれん。 そういうやつがあまりにも多いから、ついそう書いてしまった。
325 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 03:30:57
>>321 自分が文章間違えたのになんで偉そうなんだよ?
お前、陰湿さが日本人の特質だって書いてるぞ
>おれがいつ、すべての日本人が陰湿だと言ったのか?
>>312 で言ってるやん
議論のスリ変えしてんなよ?陰湿な野郎だな
326 :
321 :2006/05/12(金) 03:45:59
おれは文章を間違えたわけではない 意図的にそう書いた。 だが、それを間違いだとあとでみとめただけ。 312の文章は日本人すべてを指しているわけではない。 たとえば、 大阪人はガラが悪いといって、すべての大阪人をさしていると捉えるか? あまりに短絡的すぎる幼稚な発想だな 議論のすり変えなど微塵もしているつもりはない 小さなことでねちねちと粘着してくるなよ
武士道とは、自分の信念を貫き通す事。
武士道って引きこもり、ニートの宗教みたいなものでしょ 戦争のないのんきな時代に 武器オタ、武道オタをだまして商売。。阿漕だよね 用事のない日は出歩くな 出歩いて馬に蹴られて死ぬより 引きこもって妄想にふけってたほうがマシ 葉隠にも書いてあるじゃん
329 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:01:09
武士道って、仁義礼智信(人の道)にプラスαで勇誠忠と家の名誉など がくっついたものでないかね。 勇も誠も忠も名誉もまず己自身が強くなければありえないものばかり。 まず、強くあって、更にそれを大義のために使うという精神がいる。 ただ強いだけの傲慢さ、弱いのにきれい事ばかり並べるのも武士道とは呼べない。
330 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:25:12
いくら語っても武士道とは何かという結論が出るはずはない。 なぜならここで語られている武士道は かつて日本に存在した武士の実態を論理の根拠に置いていないからだ。 このスレでは武士道という名を借りて、それを賛美することによって、 まるで我々日本人の質を上がるとでも言わんばかりに、 武士道に対して都合の良い恣意的な解釈を加えているだけであり、 実際の武士について言及することはほとんどない。 このまま武士道を浮ついた概念として議論を進めたとしても それは浮ついた結論しかもたらさない。 我々はまずかつて存在した武士について 歴史的視点から客観的に考察し、それに基づいて武士道の精神というものを導き出していくべきだ。
331 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:25:56
×日本人の質を上がるとでも ○日本人の質が上がるとでも
333 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:52:32
>>330 だって、武士道について語ってるんだから。
武士について語るなら他いけ他
334 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:53:34
じゃあ武士道っていうのは何に依拠して語ってるの?
335 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:54:05
武士の道というからには武士の省察無しに語りうるはずはないじゃないか
336 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:57:43
>>334 武士が鑑としてきた人の行動や言動。
また、武士道という本から。
337 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:59:26
要するに新渡戸稲造が主張した品行方正な武士という幻影をこねくり回して遊んでいるだけか
338 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 11:59:53
339 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 12:02:02
武士道を自己讃美として語る以上、そこには何の学問的価値はない。
340 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 12:13:14
>>339 いやいや、道徳だろ。どこが自己賛美なんだよ。
例えば、約束を守るということが日本では美徳とされてるが
それは別に自己賛美でもなんでもない。
古来より、日本ではそういう行動原理を好んできて誇りに思っているというだけだ。
それを称揚するのは、自己賛美というより、自己確認と言った方が適切。
今やたらと、アイデンティティを強調せよと言われてる一方でどうも
あまり自分を語るなと反対のことを叫ぶ輩が多くないかと思う。
日本的謙虚さから出てくる者なのか知らんが、彼らはあまりに日本に居すぎて
それを当たり前、世界共通の概念と思いこんでるようだがまったくちがう。
341 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 12:34:27
新渡戸稲造は武家の子だが彼自身は武士では無く学者でしょ。 最近の人はあまり知らないが彼は洗礼を受けたキリスト教徒でもある。 本当の意味で死を意識して生きるというのは闘争、病気などで死というものを 自らの感覚で体験してから出来ることだと思う。 普段、死を意識して生きていると言う人でも戦い経験の無い大体の現代人は 日本刀振りかざされたら恐怖で体が動かなくなり何も出来なくなると思う。 昔の本当の侍というのは戦いにおいて生に執着しないことによって 戦場でも平常心を保っていられたんだと思う。 死を意識するってのは道徳とは関係なくそういうことだと思う。
武士もおっぱいが好き
343 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 12:44:24
>>342 武士以前の問題、生き物としての男の条件だろ
344 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 12:54:17
>>341 知ってますとも
新渡戸稲造は、武家の子でごたぶんに漏れず当時、立身出世を志した
元士族階級ですよ。そこにはまだ十分武士道が生きていたと言えますね。
あと、実際死に向き合って云々ですが、それも武士道の一つとは言えますが
それだけが武士道だとは言えませんね。武士道は行学だと思いますよ。
誠を重んじますから、言葉で言ったことを実効して始めて意味をなします。
口先で死を論じるだけでは武士の道徳とは言えませんね。
でも、戦場で常に先頭に立って命のやりとりをして平然としてるってだけじゃ
とても武士道とは言えないと思います。というのも、
それじゃあ、戦好きのバカと変わらないからです。単なる修羅ですよ。
そこに相手を思いやる情けも、大義もありません。
死を恐れないのは、真の強さを求めるからですが、強さをどう使うかも大事なことです。
345 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 13:13:12
>>344 あなたの言ってることはよくわかります。知行合一もあなたの言うとうりでしょう。
しかし戦場というのは常に先頭に立ち平然としているような侍が強いし必要なのは歴史も証明していると思います。
大義というのは戦争においてはある意味、ホウベンのような所も有るのではないでしょうか?
前線に立つ者は政治的な力を持つ者はいないでしょうし彼らには大義などはお上の戯言にすぎない面もあったでしょう。
今、日本で言われている武士道は前線で戦う名の無い兵のことをあまり考えて無い気がしたんで・・・
勘違いなら申し訳ない。
つくばねの峰から峰への渡り鳥 迷い迷いて難儀を致す 今夜一夜の宿を所望す 今夜一夜はよいけれど 女一人の部屋なので 傍などよってはなるまいぞ いやいや拙者とて武士の端くれ 滅多なことは致さぬが 傍など寄ったらなんとしょう 傍など寄っても良いけれど 体に触れてはなるまいぞ いやいや拙者とて武士の端くれ 滅多なことは致さぬが 身体に触れたらなんとしょう 身体に触れても良いけれど チチなど揉んではなるまいぞ いやいや拙者とて武士の端くれ 滅多なことは致さぬが チチなど揉んだらなんとしょう チチなど揉んでも良いけれど ○○○○の中に指など入れてはなるまいぞ いやいや拙者とて武士の端くれ 滅多なことは致さぬが ・ ・ ・
347 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 13:38:39
>>345 >戦場というのは常に先頭に立ち平然としているような侍が強いし
>必要なのは歴史も証明していると思います。
これはどうかと思いました。
戦場で冷静なのは司令官一人いればいいと思います。
>大義というのは戦争においてはある意味、ホウベンのような所も有るのではないでしょうか?
もちろん絶対的大義などありませんよ。
なんというか難しいですが、生きることに一生懸命になるとき
そこにある言葉がすべて真実になる瞬間があるものです。
例えば、訪問販売しているおじさんが胡散臭い品を売っているのにしても
家族を食べさせていく、守るために是が非でも売ってみせるという気概のあるお父さんと見れば
少しは許せる気持ちになるものです。
もっとも、転ばぬ先の杖、もっと前に他人に迷惑かけないような職についていろとも言えるわけですが・・・。
まあ、それと同様に戦国に生きるものでも、相手を殺さなければ生きれない、
あるいは、新しい世をつくるために、と言った大義があれば自然と士気は上がり戦う気概も出てくるものです。
そういった大義を信じない者は裏切りをしたり、戦わず逃げるでしょう。
もっとも近代では否応なく徴兵されることもありましたから、それは大義は関係ないですけど。
>今、日本で言われている武士道は前線で戦う名の無い兵のことを
>あまり考えて無い気がしたんで・・・ 勘違いなら申し訳ない。
前線で戦うものが無名なのはしょうがないですよ。
譜代家臣もいれば、傭兵もいたでしょうが、報償は十分もらえたわけですし。
彼らは彼らでうまくやってたと思いますけど・・・
葉隠では、義の発見は人との話し合い(談合)と読書によってなされると書いてありますが。
349 :
武士道=唯心論 :2006/05/12(金) 16:46:18
「葉隠に書いてあることじゃなくて君自身はどう思うんだ?」というのが唯心論
350 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 16:51:19
>>348 それだけじゃ分かんね。作者が経験的にそうだって思って
作者の中でははっきりしてるんだろうけど、ニュアンスがどうも測りかねる。
解釈する人でそれぞれになってしまいそう。
不義を嫌うて義を立つる事成りがたきものなり。 然れども、義を立つるを至極と思ひ、 一向に義を立つる故に却って誤多きものなり。 義より上に道はあるなり。これを見付くる事容易に成り難し。 高上の賢智なり。これより見る時は、義などは細きものなり。 こは我が身に覚えたる時ならでは、知れざるものなり。 但し我こそ見付くべき事成らずとも、この道に到り様はあるものなり。 そは人に談合なり。たとへ道に至らぬ人にても、脇から人の上は見ゆるものなり。 碁に脇目八目と云ふが如し。念々非を知ると云ふも、談合に極るなり。 話を聞き覚え、書物を見覚ゆるも、我が分別を捨て、古人の分別に付く為なり。
ていうか武士道云々を語ってるのに葉隠も読んでないてどうなのよ。
353 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 18:00:31
>>352 俺はそうゆう人も議論していいと思うよ。
三島由紀夫も「伝習録」は読んでないが「陽明学」を松陰経由で語っているよ。
最低限、日本の文化で育ってる人は書を読まずとも日本文化で生きてきてるんだし。
もちろん外国の人も議論参加有りだと思います。
354 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 18:10:51
すみません、葉隠れって名前と死ぬことと見つけたりしか知りません(ワラ)
義とは条理に従うこと、またその条理自体ということですけど、
>>351 では、義は一人で考えているものでなく、よく話し合って
自分で気づかぬことを指摘してもらい、書物なども読んで独りよがりになってないか
重々省みるべきであるというような内容のことが書いてあるのでしょうかね。
でも、言っときますけどあらゆる事に義を敷衍するなら身動きがとれませんよ。
義は決起を促すためにあるのですから、どうしても独りよがりになってしまうのは
致し方ないです。なるべく多くの人を納得させるための道理であることにとどまればいいと思います。
仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。
という言葉もありますし。
355 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 18:40:57
「葉隠」と「武士道」だけが武士道を代表する書では無い。 上の2つは権力にも都合の良い内容なのでマスコミにもよく登場するのだろう。 吉田松陰らの流れはお上が馬鹿なら革命も是とするのであまり武士道として紹介されない。
356 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 18:55:19
吉田松陰は、天皇を中心とする日本という国に仕える武士という考え方でしょ。 それもそのはず、毛利は外様で関ヶ原では約束に反して120万石から40万石に 減封だろ。それも内容は単なる減封じゃなくて改易だったのが 吉川の40万石を主家に与えるという形にしての減封だし、 徳川に怨みこそアレ、なんの恩もないの毛利だったんだからそんな考えになってもしょうがないよ。 しかも、もともと毛利は昔から当主がひっぱっていくというより有能な家臣が 合議で決めていく体制が確立されてた藩だったもんだから自由な気風があったんだろうな。 他藩のように家臣が出張ってお家騒動で取りつぶされたりもないし、 それがために主君に過剰な忠義を誓ってお家大事なお堅い雰囲気もなかったわけだ。 そこらへんは、薩摩とは違うな。
357 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 19:08:11
>>355 葉隠はむしろ権力には都合が悪い。
なぜなら主君や組織のために死ねなどとはまったく書いてないから。
358 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 19:20:38
主君や組織のために死ぬことを美化したのは、 江戸時代になってより盛んになっただろうと思われる。 家が取りつぶされれば、一族郎党すべからく路頭に迷うから one for all だけが強調されたんだろう。 むろん、忠とは本来、自分の仕事を愛し貫徹するということだし 命惜しさに忠義に反することは、武士としてあるまじきことだし 家族のため、大志のためという事情でもなければふぬけの感は否めないな。
359 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 19:42:24
>>356 貴方の松陰の見方は俺には「なるほどね」とわかり易かった。
個人の経験、立場によって同じ思想書を読んでも捉え方は十人十色なんだろうね。
俺のイメージだと薩摩武士はここで議論されるような武士道の激烈な面が強い印象。
あそこは藩の中に郷中をはじめ死を恐れない武士を作り上げる機関もあったしね。
「ステガマリ」「薩摩隼人」といった昔から尚武の気風の強い土地柄なんだろうね。
島津義弘の敵本陣中央突破退却なんてのは死を恐れてちゃ成功しないだろうし。
360 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 19:51:54
>>359 漏れは地元が毛利関係だから、毛利をどうしても応援したくなるが
島津の質実剛健なところも好きだね。
あのシラス台地の風土も素朴で好きだ。
361 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 19:52:58
武士道って結局、内向きの思考だよね。 どうしようもない殿様だったら下克上するのが武士道みたいな? 忠も自分に忠実であれってこと、誠も自分に誠実であれってこと。 きっと仏教から生まれたもんだな。
363 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:14:47
うほっ、いい君主?
364 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:31:53
武士道は禅、仏教、儒教、陽明学、神道の混血。
365 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:35:29
それプラス、多分なんか殺し合いの中で見つける優しさ的なもんあるよね、多分。
366 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:40:35
武士道の発現となるべき人物というのは一体だれなんだろうな。 帰結としては土方なんだろうが。
367 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:41:51
武士道の発現→武士道の発祥
368 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 20:55:14
熊谷直実とか。 武勇に秀で詩歌も得意で敵への優しさもあった。
369 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 21:00:25
随身、蔵人は侍であっても武士ではないのですか?
370 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 21:02:46
そもそもさ、武士と言っても血なまぐさい戦闘バカより 政治家や役人のような治者の方が相当に多いわけで。 戦国期だって前線で戦う職業軍人を支えるのは領地経営の手腕を持った武士なんだし。
武士道で規範に沿わない誠実でない行為や言動を卑怯と言ったり、弱者を虐める行為はいけないって 現代に通じる事だと思う。 日本はそれを武士道って形で表現できた。それが人間が持つべき共同幻想であろうとね。 フランスとアメリカ合作で葉隠れを愛する黒人マフィアの「ゴースト・ドック」って映画には感動しますた。
372 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 22:04:05
戦闘バカと政治バカが手を組んだものが藩であり大名家? うーん、むずかしい。武士道は個人的なものとして考えるか?統治の手段と考えるか?
373 :
372 :2006/05/12(金) 22:06:24
レスしたあと政治家と極道の関係が思い浮かんだw
「死に習い」って知ってる?
あ、『葉隠』にもあんのかw 『驢鞍橋』と『葉隠』って、 どっちが早いんだろ。
『葉隠』って、禁書なんだな。沢庵禅師も将軍に頭を下げない 人だったし。
葉隠は読み物としても面白いので、あまり武士道の教科書的に読まれるだけだと、 なんだか残念だ。 閑居している元イケイケの下級武士、まあ近所の右翼のお爺ちゃんみたいな人が、 「いまの時勢はなっとらん」と嘆くんだが、その嘆きよりもお爺ちゃん現役だった頃の、 戦国直後の佐賀鍋島の様子、まだ死が身近にあって人間たちががギラギラしてた時代の、 昔語りが生き生きとしてて良い。 殿様のために用意されてたお膳を食っちゃう話だとか、新支配地の民を手懐ける手管とか、 いわゆる長崎喧嘩の顛末とか。 純粋な道徳訓ではなく、世話話的なところ・活劇的なところもあるのが長く愛された理由かもね。
武士道を言い出してる奴は少し現実から離れた所で自分探しをするのに 興味を持ってる奴じゃないのか。 深田恭子が自分の前世はマリー・アントワネットですと言い出したり、 三輪アキヒロが自分は天草四郎の生まれ変わりと言い出したり。 前世カウンセリングで変身願望を満たす癒しに近いものがあるかもな。 2006年の現在に武士階級など存在しない。自分の仕事にプライドがあるなら、 先輩をお手本にすればいいはずなんだがな。
379 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 23:47:47
>>378 職場で先輩を手本にするのも、古典から学ぶのもどちらも良い学び方だと思うが。
日本の指導者、経営者も古典から学んでる人はたくさんいるじゃないか。
>深田恭子が自分の前世はマリー・アントワネットですと言い出したり、
>三輪アキヒロが自分は天草四郎の生まれ変わりと言い出したり。
>前世カウンセリングで変身願望を満たす癒しに近いものがあるかもな
武士道などの古典とオカルトはさすがに違うぞw
社会体制と関係なく人としての普遍性があるから現代まで残ってるとは考えられない?
380 :
考える名無しさん :2006/05/12(金) 23:53:53
つまり、美徳。
武士道って引きこもり、ニートの宗教みたいなものでしょ 戦争のないのんきな時代に 武器オタ、武道オタをだまして商売。。阿漕だよね 用事のない日は出歩くな 出歩いて馬に蹴られて死ぬより 引きこもって妄想にふけってたほうがマシ 葉隠にも書いてあるじゃん
382 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 00:47:08
用事のない日は出歩くな
出歩いて馬に蹴られて死ぬより
引きこもって妄想にふけってたほうがマシ
これをニートと取るのは
>>381 が平和ボケしすぎかニートだからだろ。
時代を考えろよw行間を読むってわかる?
葉隠はオカルトじゃないから未来がどうなってるかまでは予知して書かれてないんだよ。
てか、お前
>>378 だろwなんかオカルトくわしそうだもんなw
なるほど もはや血腥い戦乱も尽忠報国もコトバでしかない〈平和〉な時代に 役立たずの戦闘階級のプライドをいかにして支えるか そのための幻想の供給源が武士道だったんですね いざという時のために平素から油断するな 要事のないときはみだりに他家に顔を出すな という『葉隠』の戒めは のんべんだらりとした徒食者の日常を 前戦闘的、嵐の前の静けさ的静寂とすり替えるための ちょっとしたトリックと理解しました
384 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 01:08:33
>>366 鹿嶋神社の神事が発祥で、神社剣法まとめた人も名前残ってたはず。
その時に武士道の規範の一部もうまれたはず、あやふやな記憶だけど。
385 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 02:21:56
自身を犠牲にしてでも、【自分の命よりも大事なことの為】に尽くすこと……ってのは既出?
>>383 トリックじゃないだろ、平時でも心がまえは重要だろが。お前武士道か戦闘階級に恨みでもあんの?
武士道がどうしても気にいらないんだろ?だれもお前に武士道を強制してないしこのスレ来なきゃいいじゃん?
現代がそんな平和だとは俺は思わんけどな、まさか日本では2度と戦争おこらないと思ってる?
「日本は憲法九条によって他国に戦争を仕掛けることはないのは分かったが
戦争のほうが日本に容赦なく参加してくることがある。日本はその用意ができているのか?」 byピーター・タスカ
387 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 03:20:42
>>383 武士階級といっても大半は役人なワケだよ。
戦国時代末期から江戸時代初期の日本の人口はだいたい2千万人ぐらいで、
そのうち武士階級は一割程度。つまり約200万人。
ひるがえって関ヶ原の戦を見ると、参加兵力は20万を超えていない。
残りの180万人が何をやっていたのかと言えば領地経営や政治なワケで。
388 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 03:23:14
あ、武士階級なら女性なんかも入るから180万人全部とは言えんか。 まあそれでも平時では役立たずの職業軍人よりずっと多いが。
じゃあやっぱ公務員道だね
でも薩摩藩なんかでは郷士も普通に大工や職人をしてるしな〜。
下級武士の足軽は平時は内職で稼がないと食ってけないので、 なんだかんだ言っても役立たずと言うわけでもない。
>>389 いまの公務員と違うのは、武士階級は一朝事あれば刀槍でもって戦争しなきゃならんこと。
武士の中でも自衛官みたいに戦闘に参加する役目と、 それ以外の参加しない役目とがはっきり分かれてたんじゃないの?
武士でもないのに武士道武士道と、おまえらキチガイか?
395 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 04:02:28
温故知新
396 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 11:07:26
>>383 職業軍人より領地経営などの文官が特別、優れてるとは思わんが?
文官が能力を発揮する局面もあれば武官が能力を発揮する場面もある。
職業軍人を見下した書き方は正直、見苦しい。
国としてどちらも重要な役割だと思うぞ。
あまり自分の気にいらないものを馬鹿にするのもどうか?
おなじ日本人だろ。
397 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 11:19:19
太平洋戦争では牟田口のような戦争を知らない将は役に立たなかったな。
398 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 12:48:42
陸軍てのは農民出身が多かったわけだが
牟田口は緒戦期には割りと活躍しているんだけど。
肯定するのであれ否定するのであれ、 今に至るまで多くの人に影響を与えた伝統文化ですね。 素直によい点悪い点を見極めていきたい。
401 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 15:19:32
武士道とは強烈なトップダウンという名にふさわしい。 身分の低い家臣が、ボトムアップをするときは命を賭けなければならない。 利点は、求心力がつよく、俊敏な対応が可能だということ。 欠点は、上が有能でないと時代の流れに対応できない。現場の声が聞こえにくい。 武士道は武断という点で、時代の流れにうまく対応できる点で欠点をうまくカバーできている。 もし、文治でトップダウン制なら、血を嫌い構造改革ができずじわじわと国が腐っていくだろうから。
402 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 17:02:02
武士道とは絶対利他である
403 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 18:56:00
しかし、葉隠れとは如何に。 葉っぱのうらに隠れて忍んで一体何をしてるんだい?
404 :
考える名無しさん :2006/05/13(土) 19:07:50
405 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 00:41:31
>>402 そんな決め事を作るのはただの教条主義でしかない。
人が感ずる利なんてのは本人にしかわからない。
「心即理」結局、己の心で判断するしかない。
葉隠れに曰く、武士道とは死に狂いなり。 掲示板で「武士道ってなんだ?」とか聞いてるヒマがあったら それこそ死に狂いで調べてみればよい。
407 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 02:22:46
「武士道を調べる人へ」 葉隠に書かれてあるのはあくまでも作者の武士道観というのも忘れずに。 武士が10人いれば10の武士道が有る。当たり前のことだけど。
408 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 02:44:35
全員が別々の考えを持っているのなら武士道などないも同然じゃないのか。
>>408 トロツキーとスターリンが喧嘩しても、
日本共産党が国際コミンテルン追放されても、
中国共産党がソ連と袂を分かっても、
ベトナムがドイモイ政策を導入しようとも、
そこに 共産主義が あるように
個体差はあっても、武士道は存在するよ?
10人いたら10人でバラバラになるものを、 武士道として一つに定義する事が出来るのか?
「色即是空 空即是色」 色すなわちこれ空なり 空すなわちこれ色なり 宮本武蔵なんかだと空の思想(禅)の影響がかなり強い。 卑怯者呼ばわりされることも多いけど彼もかなりの思想家だと思う。 武士道に興味ある人はまだ読んでなければ「五輪書」も読んでみるといいよ。 なんとしてでも生き延びる武士道てのもなかなか美しい。
412 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 03:16:40
>>410 そういう矛盾を溶解させるのが義という概念なのか?
でも義も人によって違ってくるし、そもそも人に個性があるのに1つに定義する必要があるのか?
俺のような青二才にはわかりましぇん
>>411 江戸時代以降の近代までの武士道と、戦国乱世の武士道は別物というか
戦国乱世に武士道があったのか?
鎌倉時代の武士道は江戸時代の武士道と、どう違うのか?
これ面白いね。
武士道の歴史的分類って
西洋哲学の神学的分類に匹敵する研究テーマじゃない?
>>413 武士道の話がでると俺もどうしても武士道の時代毎における変質みたいなものに興味がいってしまうんだわw
日本は武士だけで成り立って来たわけじゃないから朝廷、農民、町人などの時代毎の変質も興味あるし。
>武士道の歴史的分類って西洋哲学の神学的分類に匹敵する研究テーマじゃない?
たしかに面白いし重要なテーマだよね。俺、勉強不足だから西洋哲学は詳しくないけどw
武士道は専門家でも研究しにくいテーマかもね、いろいろあるだろうし。
なるほど もはや血腥い戦乱も尽忠報国もコトバでしかない〈平和〉な時代に 役立たずの戦闘階級のプライドをいかにして支えるか そのための幻想の供給源が武士道だったんですね いざという時のために平素から油断するな 要事のないときはみだりに他家に顔を出すな という『葉隠』の戒めは のんべんだらりとした徒食者の日常を 前戦闘的、嵐の前の静けさ的静寂とすり替えるための ちょっとしたトリックと理解しました
>>415 いいかげんコピペウザイ、同じ事しか言えんのか
なんで武士道のスレ見にくるんだよ?気になるの?
お前みたいな行動する奴は大体コンプレックスからやってんだよ。
そのコピペじゃ武士道の価値は落とせんよ。
安心しろ、武士道はお前に国の為に死ねとか言ってるワケじゃないから。
>>415 犠牲の対象として 自分を差し出すのなら哲学。
だから、武士道は哲学。
犠牲の対象を、他人に転嫁して、自分の保身を求めるのなら それは詭弁。
だから、快楽主義は詭弁。
バレンタインデーに自分をプレゼントする女のようなものか
419 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 20:15:19
生死の利害は万物の共有 それ無くばただのキティ
420 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 22:28:16
「各自の得意とするところをよく知り、それぞれの能力、分際にふさわしくそれを使えば、用に立たない人間はいない」 中江藤樹
クラウセビッツのような戦争が、道徳や幸福と結びつけられるのだろうか。 確かに、道徳や幸福が考えられているにしても、 その作法は名誉や正義などから為しているのだ。 だから、戦争をするとしても、幸福にされるのに、戦争が必要だろうか。 幸福にされるとすると、もっと他の仕方を優先するだろう。
422 :
考える名無しさん :2006/05/14(日) 23:53:04
>>421 政治や思想に幸福を感じる人はいるでしょうが、政治や思想が人を幸福にするってのは有り得ないと思う。
幸福って個人が感じる感情ではないでしょうか?
幸福を不幸に置き換えてみそ コネズミ風無責任野郎の言いぐさに早変わり
424 :
考える名無しさん :2006/05/15(月) 13:38:28
>>423 コネズミ風無責任野郎なら、そんな野郎に期待するのが間違ってる
425 :
考える名無しさん :2006/05/15(月) 20:28:54
幸福とは環境との調和 政治や思想は(元来は)環境をより良くすること その「より良い」の定義が問題であるわけだが
より悪い選択肢を回避する、が政治の要諦だと思うよ 幸福(広義の理想)の純粋な追求が いつのまにか邪悪な抑圧に転化した例は枚挙にいとまがないじゃん
お前ら日本史を勉強した事がないからキリシタン大名を知らないんだな。 ここの武士道バカには理解できないだろう。
イエズス会にほったらかした隠れキリシタンの方が(略
訂正、ほったらかしにされた。転びバテレンのスコラ主義批判、etc.
430 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 01:40:28
反日サヨクは 侮飼童
431 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 19:10:37
>430 いまどき、「反日」と「サヨク」を融合させる感性はイタイな
432 :
考える名無しさん :2006/05/18(木) 21:54:54
>>431 でも言わんとしている事はわかるよ。
この場合、反日左翼=サヨクの意味だから
反日サヨク=反日反日左翼のになる。
434 :
考える名無しさん :2006/05/19(金) 10:23:50
435 :
考える名無しさん :2006/05/20(土) 23:34:09
共産党支持の日本人は武士道嫌いなのかな?
妄想の人きた
437 :
考える名無しさん :2006/05/29(月) 17:03:47
「他人をとやかく言う前に、己を省みるべし。」
438 :
考える名無しさん :2006/05/31(水) 23:09:29
死ヌ事ト見ツケタリ
失敗して生き残ったら恥ずかしいから、 失敗したら死ぬような危険な任務を選択しろてことです。
440 :
腐女子 :2006/06/04(日) 23:37:32
ダイッキライ
自分探しってやつだろ。 捏造宗教に近い。 前にも書いたが、今の時代に武士道を主張してる奴は自分てもの が無いんだろうな。血液型占いと同じだろ。血液型占いは差別なき 社会に耐えられなくなった民主主義人間の作った新しい差別だと 言う人がいたが。 身分差別なき民主主義社会で、自分を見失った奴が武士道に引き寄せら れるんだろう。 努力なしに身分や差別できる立場を得たいんだろうね。 お前ら百姓出身の商人は、武士なんかじゃ無いんだから、 自分の足下を見た方が良いぞ。武士の自分なんか妄想しても駄目だ、 現実を見ろ。 お前ら自己像があいまいなんだろ。一種の社会病理だ。
442 :
考える名無しさん :2006/06/05(月) 00:03:26
みんな最低でも武士道はよんでカキコしてるんか?
武士道サイコー しかし読んでない!
444 :
考える名無しさん :2006/06/05(月) 00:12:27
>>443 俺は読んで思ったんだけどもちょくちょく勘違いしてるところがあったりする。レス見てても思うけど勘違いした武士道のままカキコしてる人もいる感じがしたから、ある程度定義をしないと変な話しになる気がした。
実はこのスレも読んでなかったである・・・
うむ。 自分探しなどしてフラフラしてる奴が辿り着く エセ宗教だろうな>武士道 まあ、自分の事を武士だと言い張るならば武士道を歩めばいいん じゃないのか。端から見てると逝っちゃってるバカみたいだが。
自分探しって、 そのマジレスどこから見てもアホみたいだが。
448 :
考える名無しさん :2006/06/06(火) 12:45:36
武士道=日本的哲学の一形態
449 :
考える名無しさん :2006/06/06(火) 12:58:22
魂のあるサムライの志+道。 常識や形に拘るものには永遠に理解できない。
450 :
考える名無しさん :2006/06/07(水) 07:10:17
「自分探し」ってよく聞くけど、具体的にはどういう事なの? 誰か教えてくださいな。
眼鏡デブの文学オタクが自分の中にサムライを探す事かな?
452 :
考える名無しさん :2006/06/07(水) 20:26:46
笠谷和比古『武士道と日本型能力主義』(新潮選書)は、勘定所を中心とする幕府の官僚制度が能力主義の牙城になっていたことを明らかにしている。 幕末外交の官僚トップであった勘定奉行の川路聖謨は農民出身で、最下級身分から出発して能力主義によって財務長官のポストにまで昇進した人物だ。 能力主義と身分主義を巧妙にバランスをとっているところに幕府官僚制度の特色がある。 明治以前の武士道についても詳しく書かれている。
453 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 10:29:13
>>441 「公」と「私」を分けて考えるからダメなんじゃないか?
>>441 武士社会はむしろ能力主義だってよ
幕末外交をしきった幕府官僚陣トップの川路は農民出身
455 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 15:00:13
>>441 はなんか勘違いしてるだろ。
武士道は最近の「国家の品格」のバカ売れによるものだろ。
米国の奴隷みたいになっている日本に主体性を回復させたいという
国民が多くいるからああいう本が売れたんだよ。
捏造宗教でもいいが、民主主義はキリスト教だから。
それへの反発も含めてね。
456 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 15:03:53
>>454 川路利良って警察の頭の大警視やった人ですよ。
能力主義なのはそのじだいだけ。
457 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 15:06:03
yrtyrs
458 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 16:33:29
459 :
考える名無しさん :2006/06/08(木) 17:07:30
おうおうそりゃよかったな。 鼻でもつまんどけ。
直観的な判断を重視してるところもあるよね?
葉隠くらいは読めよ。江戸時代初期の葉隠ですら、 「低い身分から身を起こして、歴々の士分に並んだものほど、徳が高いものだ」 と書いてあるぞ。 江戸末期の東湖や海舟だって一代前は町人、維新を支えたのもほとんどが郷士出。
厳然たる身分制度があったのは確かだが、 後期に行けば行くほどそれを超克する能力主義的実態があったのもまた確か。これも建前と本音というやつ。
463 :
考える名無しさん :2006/06/09(金) 03:24:02
http://www.bodymaker.jp/takasu/archives/2006/06/pride.html 週刊現代の記事でPRIDEの黒い交際が明るみになってから、早いもので3ヶ月ほど経過した。
むかえた今週6月5日月曜日…ついにPRIDEの民放放送が取りやめとなった。
フジテレビがPRIDEを放送中止するという話は、今年4月ごろから実しやかにマスコミ界に情報が流れた。
視聴率は悪くなかっただけに、必ずしもフジとPRIDEとの縁が切れるとは思わなかったが、こんなに早くこの日が訪れるとは・・・!
週刊現代は、これまでPRIDE潰しのために、PRIDE主要スポンサーをマークして徹底的に取材した。
ある一つのAスポンサー企業とのやり取りを大まかに説明すると次のような状況だったそうだ。
週刊現代記者「PRIDEの黒い交際をしりながら、未だにスポンサーをしている理由はどうしてなのでしょうか?」
Aスポンサー広報担当「今の段階では、何もはっきりしたことが分からないのでノーコメントです」
週刊現代記者「わかりました!Aスポンサーさんはノーコメントで掲載させていただきます」
このやり取りが事実であり最終的に記事になったら、ノーコメントということは色々な憶測記事を書くことができAスポンサーは企業イメージを損なう!(6月7日現在では、Aスポンサーを中傷する記事は、週刊現代には掲載されていない)
そうすると、AスポンサーはPRIDEとのスポンサー契約は解除するしかない。
これと同じようにB社、C社、D社とスポンサーサイドにマスコミが同じようなやり方で取材をすれば、PRIDEにとって莫大な利益となっていたスポンサー収益がなくなるだろう。すでに、この経緯があってスポンサーから外れた会社が数社あるとのこと。
マスメディアの力は、時に人権を無視し、報道の自由、言論の自由というものを武器に、猟奇的な状況を生むことがある。
PRIDEがやってきたことは悪いことなのかもしれないが、格闘技界存続のためにはPRIDEが潰れてしまう記事は寂しい。
464 :
考える名無しさん :2006/06/09(金) 17:14:58
自己犠牲
465 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 07:44:46
>>464 自己犠牲は違うと思う。
自我や私欲を克服するのが重要なワケだから、自己犠牲という概念を持つこと自体が、まだ未熟ということでわ?
自己を犠牲にすると思う、ということは、まだ自己に対する欲や未練が有るということだと思う。
466 :
考える名無しさん :2006/06/12(月) 20:37:11
「その言葉にはかならず信義があり、おこのうてはかならず約束を果たし、 いったん引き受けた以上あくまで誠実で、わが身を惜しまず進んで人の困難を救い、 存亡死生を度外視してしかもその能力を誇らず」
467 :
考える名無しさん :2006/06/17(土) 02:04:56
武士道は、情報や価値観が錯綜する世の中で 迷える己に単純明快な答えを提供してくれるという点で、 自分探し組の痛いおっさんの支持を得てるんだろうな。 恍惚の表情でスローガンをぶらさげて 思考停止しておけばいいんだからな。 まあ、例えるならあれだな。 レギュラーの西川くんが毎回ネタ前にお約束でフリーズしてるけど、 あれをギャグじゃなくて素でやってるようなもん。
468 :
そうだね。プラグマティズムだね。 :2006/06/17(土) 02:41:19
噛み付く相手の居ないサヨク。 いとあはれ。
469 :
↑ :2006/06/17(土) 07:43:24
現実逃避の武士道オタを嘲笑っている人はサヨクに違いない と信じないと生きていけないほど弱いヘナチョコザムライw 学校で「ボクはサムライだぁ!」と叫んでみてくださいオサムライ様。 何人があなたをサムライだと認めますか。
470 :
考える名無しさん :2006/06/17(土) 15:30:22
ヨーロッパの市民階級で 騎士道だのノブレスオブリージュだのを 精神的支柱に据えてる奴っているの?
イギリス人にはいっぱいいそうだな
472 :
sincerity :2006/07/05(水) 11:28:30
武士道=忠誠、犠牲、信義、廉恥、礼儀、質素、尚武、情愛などを重んずる。
473 :
sage :2006/07/05(水) 21:30:37
花は桜で、山は富士。それが武士道ってもんよ。
474 :
考える名無しさん :2006/07/05(水) 21:56:40
上司が求めれば愛妻をも差し出すのが武士道
475 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 00:05:07
武士道なんてのはまんま、サラリーマン道じゃねーの。 戦国武将が戦う意味が無くなって、システム化の幕藩体制でいかに生きるべきかって言う問いから 生まれたんでないの。 忍ぶ恋なんてのは、どうやっても共感できない殿様に対してでも、死ぬまで面倒見なきゃいけないわけで、 そんな中で最も自分が、仕事に本気で取り組むために編み出した態度でしょう。
476 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 00:21:57
熊谷直実のように息子を殺してでも忠誠を誓うこと
477 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 00:40:52
武士道とは死ぬ事と見つけたり〜 とあるように、潔さの極みが武士道だよ。 僅かでも潔くない点があれば武士とは言わない。
478 :
277 :2006/07/06(木) 02:00:42
武士道という言葉の前に、「道」という概念を理解しておいた ほうがいいぞ、激しく勘違いが多いがw
479 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 03:54:32
武士道はいわゆる「道」ではないよ
480 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 14:02:00
そうそう、武士道と、華道や茶道なんかの「道」とはなんか違う気がしますわな。
481 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 14:57:00
勘違いした議論で進みまくってるよね。 せめて武士道くらいは読んで欲しい。
482 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 14:58:33
新渡戸の『武士道』と武士道は別物
483 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 19:59:55
武士道に新しい定義をするスレはここですか?
484 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 21:13:14
武士道という概念は何時ごろ形成されたのかね?
485 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 22:03:31
「道」つったら、理屈より先に作法やしきたりがあるもんでしょう。 んで当然、理屈の無い作法を受け入れるんなら魅力のある師匠の存在が必要でしょう。 武士道にうんなもんあんの?
作法やしきたりだらけで非難されることのが多いんじゃないの
歴史研究で昔の人の生態を調べるのはいいと思うが。 今の武士道は実践主体に問題あるのでは。 武士道という道は江戸期の身分制度を廃止してから、過去の記録を参考に 明治以降にインテリ層や文士が勝手に作り上げていったようにも見えるが 実態内容はどうか知らない。 それよりも問題なのは、近代柔道や現代剣道は五体満足なら誰でも実践できるが、 武士道は武士階級が存在しないために実践できない。 これが武士道に対する哲学的な疑問ではないのか。たとえば 柔道を実践する者なら柔を学ぶ者、居合道なら居合いを学ぶ者、弓道なら 弓を学び心を鍛える者と学習主体を 規定できるが、現代で武士道を歩む者は武士階級に属しないので、 主体を偽っており、非常に滑稽に見えてしまうと思う。正直、嘘つきじゃ ないかと感じる。医者ではないのに「私は医者の道を歩む者だ」と言う人間を 見たら、どう感じるだろうか。武士道は己の身分を偽り公然と嘘をつくこ とを許しているのだろうか。欺瞞ではないか。
488 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 22:23:03
それはあんた、師匠の魅力、修行で身につけている師匠の仕草を美しいと思えんから まあ、ものあわれさが分からんのよ。竹久夢二の描く女性みたいな師匠だったらなあ。 ん?華道のことか。
488はバカ。
え。武士道って言葉は戦国末から普通にあるよ。遡れば室町にもなるのか。 武士道の中心概念は忠君とされるがこれが定着したのは江戸以降。 後世になって都合良く取捨選択され美化されたのは確かだが、これは非難する側も同じ。
491 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 22:35:48
武士道概念が時代とともに変遷したことは分かりました。
492 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 22:38:14
>>487 しかし、現代で武士道らしき価値観を認めているんなら、何か相通じる
ものがあるんでないかな。会社の社長なんか、受容しそうだしね。
武士道とは、金があってもめざしを食う者なり。
忠君って部分ではサラリーマン武士道は支配者にとって好都合だね。
494 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 22:42:52
そうそう、裏切られたら腹を切るってのがないと、利用されるよ。
495 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 23:02:08
形式や理屈、建前でしか物を見れない奴が何を言おうが(ry
496 :
考える名無しさん :2006/07/06(木) 23:15:22
形式や理屈が大変必要なんだよ。
>>496 あとから生まれたものは大切というより建前だろ。
中身からっぽな香具師が何をいっても(ry
498 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 00:01:26
例えば、徳川幕府が何かの目的を持って政治を行ってたら、いったい外 のものはどんなに干渉を受けたことか。安定して目的が無いから政治も 形式化したんだろ。形式化とは、弱者だけでなくその当事者をも縛りつ ける。最も強いものが縛られて形式外の行為を行えないところに、弱者 の行動空間が生まれる。
499 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 03:34:22
日本には宗教がない。どうやって道徳教育を学ぶのかを外国人に聞かれ、困った。二戸部は武士道にあると考え武士道を書いた。 武士道を読めばわかるが決して美化されてない。勘違い武士道を武士道だと思うから美化とかしてると思う。武士が歩むから武士道ってわけでもないしね。少しは勉強しなさいよ。(一部の人ね)
500 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 03:47:07
はあ?新渡戸は何時代の人間だ?お前こそ勉強しろ。
>>499 君は大きくハズしてるな。
新渡戸は外国人から、宗教教育がないのに日本人はどうやって道徳を
伝えるのかと聞かれた時に、何と的確な答えが思いつかなかったのだ。
その時点で彼は武士道というアイデアを思いつかなかったというのが
驚き。武士道なるものは幻想だったのである。
その後、新渡戸がゴチャゴチャと考えてキリスト教的な道徳と似ているもの
を過去の日本人の記憶から引っ張り出して、武士道なんて作り出したのだ。
さらに武士道が西欧のキリスト教と異なるのは、西欧ではキリスト教者が
多数を占めていたのに対し、日本では日本人の多数が武士ではなかったという
事実だ。つまり、日本人の規範意識は武士道ではなく、もっと他の宗教的心性
に根城があったと思われる。ラフカディオ・ハーンが日本人の
礼儀正しい美しい姿を描いているが、日本人の意識を解明するなら、
そっちの方を重視した方がいいだろう。
502 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 04:58:20
カッコいい死に方でいいんだよ。 さあ、北朝鮮征伐に逝って氏ね。
503 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 11:20:42
武士道の最後の花、特攻隊
504 :
sincerity :2006/07/07(金) 12:20:15
西洋にキリスト教道徳があったように、東洋に儒学があり、武士道があり騎士道があった。
>>498 武士道と徳川幕府は次元が違うだろ、問題のすりかえが得意だなw
506 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 13:05:56
哲学徒は馬鹿だな。 武士道を知りたければ、21世紀最大数学者・藤原正彦先生の『国家の品格』を読みなさい。
507 :
考える名無しさん :2006/07/07(金) 16:14:11
その昔「武士道」なるものは存在しなかった。自明のことだったから。しかし、 時代が変化し、明治の時代となり失われてしまった何か(規範のようなもの)をただ「武士道」 と名づけただけではないだろうか?我々は失って初めてその存在を知ることが できるのである。近年でいえば例えば終身雇用、年功序列などがそれに相当 するのではないか、と推測している。
何言ってんだ? 明治期の人が、歴史学的社会学的民俗学的人類学的考察と調査による 不文律を解析し明文化したものが武士道なのかよ。それなら武士道じゃなくて 社会制度だろう。 そんな不文律が北から西まで存在したのか疑問であるし、新渡戸が詳細に 社会調査して正確に制度を明文化したのではないのだから、507の説明を 飲むと武士道はデッチ上げ論文と言ってるに等しいと思うのだがw 失礼な奴だw そうではなく、個人が勝手に考えた美学なんじゃないの。
国家の品格は良書です、みなさん一度読んでください。
え。またなんか変な話が。 「宗教教育は」と聞かれたのだから、即「武士道」という答えが出てこないのは当然だろう。武士道は宗教ではないのだから。 すぐに思いつかなかったから幻想であるというのなら、最後まで思いつきもしなかった他の宗教的心性など、幻想どころの話ではない。 武士階級が日本人の少数派だった云々も意味不明。 「花は桜木、人は武士」の文句通り武士は徳目の手本とも見られていた。藩校、私塾、寺子屋、剣道場は経営者はみな武士階級。 武士は当時知的エリート階級でもあったことを忘れてはいけない(だからといって儒仏の影響を排すのも間違いだが)。
森鴎外はとある会席の場でドイツ人博物学者ナウマン(ナウマン象で有名)と論戦し、 やはり「日本にはキリスト教はないが、武士道がある」といった。 ナウマンが 「日本人は優秀だが、その優秀さは猿のごときものだ。模倣するだけのものでしかない。 なぜか。それは日本人にはキリスト教というバックボーンがないからだ」 と一説したからである。
512 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 15:54:24
武士道精神の発露が太平洋戦争であったことは黒歴史として封印されたのですか?
513 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 16:09:38
武士道精神の発露が太平洋戦争????
日本人は、自分一人の決断による行動では自信が無く気が弱いのに、 上司に命令されると俄然気が大きくなり、上からの命令を 絶対の使命として、燃えるタイプだと感じます。どこの国の 人も似たようなものだとは思いますが、絶対的で厳格な宗教がない分、 上の人の命令に過ぎないものを宗教的な強い意味を持つものにしてしまう という文化が日本人の基底に流れているのではないでしょうか。 武士道人気もそこに秘密があるのかもしれません。 自分の奴隷根性を英雄視したいという現代人の欲望が、武士道という美化の機能を 必要としているのだと思います。
江戸期の武士道において忠誠、忠君のファクターはとても大きなもので、 それは君のためなら喜んで死ぬという絶対的マゾヒズムにまで達するものだった。 ところが後世の武士道賛美者たちは、この部分をバッサリ切り落として語るのが一つのパターンになっている。 明治以降はそれは主に国体への忠誠(武士道=やまとごころという国学的解釈)の部分が強調され、 さらに敗戦後の個人主義全盛期には、理念や個人の意志性への忠実さとして再解釈されることが多いようだ。 武士道といっても時代時代によって変遷することをよいことに、 解釈する時代時代にあわせえて選り好んで「これが真の武士道である」というのはちと問題。 もちろん、解釈とは元々そういう性質のものではある。 過去の遺産からなにを引き出すかは、個人個人の自由な問題意識によるからだ。 しかし史実は史実として押さえておくべきだ。その上にあってこその継承だと思う。
516 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 18:25:03
>>514 上司の命令に従うことを、奴隷的態度というあなた、論理の骨格が形成
されていないあなたは、即ちタコ!
人間の行動が現状と一致してこそ最大の効果が現われる。人の価値観と
現状とが合致しないと、やる気なんて起きません。現代の相対化された
世界と、明治初期の不羈独立という明確な目標がある世界とを混合する
な。
明確な目標が無くて混乱している日本のほうが、よっぽど正常だ。
これをトンチンカンと思う人はそもそも倫理的センスがない。
519 :
515 :2006/07/09(日) 18:36:33
そういう意味で
>>514 のような批判は、耳タコかもしれないが、武士道理念になんらかのロマンティズムを
見いだしている者(俺もその一人)は、常に心しておくべき事だと思う。
それが歴史的には一時期のものであれ、また武士道の他の徳目がいかに立派なものであれ、
封建的支配制度を成り立たせるための奴隷システムでもあったことは、間違いないのだから。
まあそれをいったら他のキリスト教をはじめとした倫理体系だって、出自において大して変わらないのだが、
逆に言えばそこに武士道から現代的価値を引き出すヒントもあることだろう。
>>514 名前:考える名無しさん :2006/07/09(日) 16:45:49
> 日本人は、自分一人の決断による行動では自信が無く気が弱いのに、
韓国人の特徴に類似している。
これは閉鎖社会の企業などでA型が集中しすぎると本来は隠れている
血液型の気質が表にでてくる為だとおもわれる。※個人では表面にはでない。
インド人の特徴から考えてもB型が集中する場所では、やはり同じ
本来隠れているB型の特徴が集団行動として表にでてくる。
集団で行動する場合は各自の個性が打ち消しあい本質として持っている
特徴が表に現れるのは科学的に実証済みである。
521 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 18:58:32
ねー、あんたら、世間っつーものの機能をのべ立ててよ。 そうねー、意味形成と勢力均衡の立場から。 んで、奴隷っつー言葉やめてくれません。権力なんて必要なものなんだから。
世間かぁ。世間くらいの共同体性なら町人倫理でもいいと思う。 江戸武士道は上意下達の絶対服従が強くて近代的価値との擦り合わせがムズカシス
523 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 19:33:35
絶対服従ってあんた、そんなものだったら政治は必要なくなっちゃうよ。 仮に、将軍が「切腹しろ」と言ったとしましょ。 親類、商売関係者、利害関係者、反対派等々下からの人々から、ボトムアップで 陳情しまくるでしょうよ。 こうゆう、縦横斜めの関係によって日常の習慣が形成される。都市中心の常識を世間というとしましょう。 だったら、武士階級でも現代日本でも世間に類するものはあるんでないかい。 ねー、おれ、日本好きなんだが、狂ってんのかい?
うーん…。個人マンセー自由意志マンセーの近代は終わり、ポスト近代では人間主義は再評価の的ではありますが…。 まあ時には黙って命令を受け容れなきゃいけないこともある。そうでないと組織はやってけない。 末端にまで情報開示してたら機密漏洩しかねない。でもね、そういうとき組織(権力)中枢の正当性は誰が保証するのかと。 つまりは殿様の武士道は誰が良しとするのか。戦国武士道なら、去っても良し、下克上も良し、主君押し込めもアリですが。 すると忍従という価値は、やはり一面的なものであるとしかいえない。
525 :
考える名無しさん :2006/07/09(日) 21:28:37
だからほとんどの殿様は馬鹿殿様だったんでしょう?長州の毛利さんとか。 んで、だからこそ、役職に基づいた仕事に邁進して必死に影響力を確保すんでしょ。 それを基礎とした藩経営なんだから、下々にも発言権は生まれる。 江戸時代の絶対的肯定は、世界ではトンと見ることの出来ない庶民文化を、 もっと言えば、イキ、ハリ、義理人情などの美意識を形成したこと。 武士層が、真・善・美のうち善しか担わなかったこと。 キリスト教を背景にした絶対王政の一極集中は異常だ。中国も。
526 :
考える名無しさん :2006/07/22(土) 20:37:28
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」(朝倉宗滴) 稲造の武士道は妄想
527 :
考える名無しさん :2006/07/27(木) 04:03:14
武士道なんてその時代ごとに全然違うわな。
528 :
考える名無しさん :2006/07/28(金) 13:03:55
>>527 武士道なんてその人ごとに全然違うわな。
529 :
あじさい :2006/07/28(金) 13:08:40
かっこ良く生きる事。
530 :
考える名無しさん :2006/07/28(金) 13:51:04
ウテナさま!
武士道は誘発型能力である。「武士道 N/Bushido N」は「このクリーチャーが ブロックに参加するかブロックされた状態になるたび、それはターン終了時まで +N/+Nの修整を受ける。」を意味する
532 :
考える名無しさん :2006/08/22(火) 21:38:20
武士道: 通常の概念では、“君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、 私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす”という態度であるとされることが多い。 さらにこれに、常在戦場を以て心構えとした武士の意識を重視して、日本特有の「死の美学」を付けくわえることもある。 ただし上記のような典型的な武士道観念は、明治以降に近世の武士の倫理観・美意識を再編・再解釈されたものであるか、 もしくは本来の武士道と明治期の再解釈があいまいなままに混同されているものを指す場合が多く、「作られた古典」の典型的な例である。 1900年に新渡戸稲造により流麗な英文で書かれた『武士道』(BUSHIDO: THE SOUL of JAPAN)は、はじめて諸外国に向けて日本人の「倫理観」を示した名著とされ、 セオドア・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ大統領など政治家のほか、ボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン・パウエルなど、多くの人たちに影響を与えたといわれている。 新渡戸武士道は、キリスト教世界に迎合した思想にすぎず、本当の武士道を言い表したものではないという説を唱える者もある。
533 :
考える名無しさん :2006/08/25(金) 13:54:20
>>493 、494
そのご都合主義的忠君論を、押し込め論でひっくり返したのが笠谷の『武士道と日本型能力主義』だろ
534 :
考える名無しさん :2006/08/25(金) 13:58:40
>>532 笠谷の『武士道と・・』は、その種の世上に広まっている新渡戸武士道=「作られた古典」論が誤りであるということも論証している
いつまでも同じようなことが議論されてるけど、武士と武士道って どういう関係なの? 例えばスポーツマンシップという美学ならば、スポーツマンシップから 外れた行為、ドーピングや審判買収や八百長など不正行為が見つかったら スポーツマンはペナルティを受ける事もあるし、たとえペナルティは与え られずとも、スポーツマンとして相応しくないと世間から批判されるとい う事もある。スポーツの世界では、スポーツマンシップの美学が流れてい るというのがルールと判定に従った行動や世評によって実証的に観察でき そうだ。 新渡戸武士道という美学は、一部の現象において観察されたのだとは 思うが、どの程度の範囲と強度と普遍性があったのかを実証できるのだろう か?
むしろ幕府の標準的な武士道として採用されていたらしいことも分かっている
537 :
考える名無しさん :2006/08/26(土) 15:41:03
現代の批評家たちは、新渡戸の本に書かれているような 整然として倫理的な武士道なんて実際にはあるはずがないという思い込みで、 新渡戸武士道を否定してるんだね。 でも、そういう思い込みや決めつけの態度が、 実は「戦後民主主義」教育によるスリコミ効果だということにも思い至るべきなんだけれどもね。
538 :
考える名無しさん :2006/08/27(日) 03:00:07
age
539 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 11:43:30
武士道って要するにさ、 目的が正しければ手段の是非を問わない というテロ推奨思想だろ。幕末の志士活動見れば、武士道の真髄が一目でわかるじゃんw
540 :
考える名無しさん :2006/08/28(月) 14:03:09
俺が思う武士道 ・何か失敗したら即自殺 ・ただの殺人機械 ・女子供でも俺ぁ容赦しねえぜ ・善悪の判断がつかない ・ウンコはブリブリだ ・ちなみに君は何道?俺は国道だ・・・
「名を名乗れ」はどのようなことなんだろうね。 何か目的でもあったのかな。 例えば、うぬぬ、わぬしは尻味噌乃守、いざくまんず。 あいや、名を名乗れ。端武者は相手にせぬぞ。 というような活用が考えられます。 お互いに知らしめるというのが挑戦者の礼儀だったのだと考えられます。 名乗りが無いと、挑戦するのだから、私は知っているけれども、相手は知ら ないということになります。もし敗れれば、相手の手柄にもならず、或は、 討ち果たしても心残りであるという作法があったのでしょうね。
542 :
考える名無しさん :2006/08/29(火) 02:57:36
名乗りの作法は武士の発生の歴史とともに古い。 源平合戦、いやそれよりもずっと古くからやっている。 つまらぬ奴を相手にして死んでもバカバカしていし、勝ってもしょうもないしね。 お互い、相手が自分にとって不足なしと確認してから勝負に入っていくというわけ。 今日の格闘技と同じだね。
>>542 >今日の格闘技と同じだね。
「今日の格闘技」って具体的に何の事を指しているんだ?
プライドやKー1などのビジネス的なショウ?軍隊で習う殺人術?
警察でやる逮捕術?ストリートファイト?いちいち名前を名乗るという
んだから、ショウビジネスの事を言ってるのか?
このスレは定義がはっきりしない、個人の思い込みだけで言葉を使う奴が
多くて、さっぱり分からないね
544 :
考える名無しさん :2006/08/29(火) 07:28:35
>543 単なる揚げ足取りのイチャモンつけ 内容の無いやつに限って見られる性癖だな
545 :
考える名無しさん :2006/08/30(水) 02:51:59
論ずるに足らずw
546 :
考える名無しさん :2006/08/30(水) 23:01:16
age
542は自分が何を主張しているのかよく分かっていないという事だな。 今日の何と同じだと言うのだろうか。
>>542 を読んでみたが、さっぱり意味が分からない。
名乗りの作法は今日の格闘技と同じというのだろうか?
>>542 の言う今日の格闘技という言葉が、もしアルティメット大会のような
組み打ちのショー(見せ物)の選手紹介を指すならば、それは選手紹介で
あって、陸上競技・水泳・野球でも当たり前に行われている事であり、
場内アナウンスによってフィギュアスケートや短距離走の選手紹介が
行われているのを見ても分かるように、それは主に観客のためのものである。
>相手が自分にとって不足なしと確認してから勝負に入っていくというわけ
>>542 の言う「今日の格闘技」という言葉が、もしアルティメット大会のような
組み打ちのshowの事を指すのならば、実際の試合においては相手が
不足ないかあるかとは関係なく実力差の大きい試合がいくつも行われている
事から見ても間違いだという事は明らかである。実力者が、お話にならない
くらいの弱い相手と闘う試合など何度も見てきた。全体的に見て
>>542 の主張は
デタラメであると私は判断した。
549 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 04:15:46
>>548 の反論の前半は分かるけど、後半は揚げ足取りだと思うよ。
>>542 の「相手が自分にとって不足なしと確認してから」
というのが、別に実力だけを問題にしているとは限らないでしょ。
「互いに相手のある程度の情報(名前、所属等)
を納得した後に、よーいドンで戦うという点では
今日の各種プロ格闘競技と同型のシステムが当時から作られてた。」
くらいの主張と読めば
>>542 はそれほどおかしなことは言ってない。
ただ、そういう(ある点では)同型のシステムが要請された理由は、
おそらく当時と現在ではまるでちがうはずで
(いやそこも似ているというのならぜひ説明して欲しい)
そのへんをすっ飛ばしているという点で
>>542 の主張はあまり中身のある議論にはなってないのだが。
550 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 19:35:46
542は名乗りの作法について説明してるだけだろう。 今日の格闘技がどうのといのは別にどっちでもいいこと。 議論の主眼とは関係ないこと。 543,548はその枝葉末節にからんで、どーでもいいような揚げ足取りをやっているが、 ここいう揚げ足取りの矮小化された根性こそ、まさに武士道精神の対極物だということを感得できるなら、 武士道とは何かという問題は簡単に理解できる。
551 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 20:05:45
おもろいね
552 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 20:41:45
武士道とは、何じゃ!”
Der 平成サラリーマン道 「サラリーマン時代」には、数枚の背広を買い置きしており、懐に名刺を偲ばせ、悪天候に 備えて雨傘を帯びている人々がいた。彼等はクレーム触れの電話が鳴ると何時でも跳ね起き会 社の会議を開いたのである。そのような人々は「サラリーマン」という響きで呼ばれていた。 サラリーマンの中には半属関係にあるものもおり、彼等は「契約社員」という不当な意味を もって呼ばれていた、平時にはアルバイトをしながら、仕事時には会社の版図を広げる為に働 いたといわれている。契約社員は常に仕事に就いていないので、一枚だけ背広をもっているだ らしない者と含めて、「フリーター」と呼ばれていた。 成績の度合いに応じて、サラリーマンを集めるものを「上司」という。彼等はサラリーマン を集めて仕事に向かう役割を担った。上司は数人おり、中には大人数の収集責任のある上司が いた。上司は収集責任に応じて、銀行振り込みの禄高が加増された。これを月賦という。上司 は数人集まり、「会社」を広げる仕事にあたった。 国家より、営業許可書の認可を受けているものは「社長」である。厳密には社長ではないが、 「公務員」という上司の中には強力な権力をもち、社長を圧倒するものがあらわれた。そして、 「自営業」といわれる実力で版図を獲得したものがいた。
社長は版図を広げる為に、積極的な営業をしかけて「お得意先」の切り取りをした。そして、 沢山のお得意先を獲得した社長は「一流企業」といわれ、周囲のお得意先を吸収していったの である。だが、会社の中でもお得意先を沢山獲得した者は「独立」をした。すると、お得意先 を引き連れて新しい会社になることから、会社は減退を強いられたのである。それ故に、彼ら はお得意先に権限を与えすぎないように「書類」により徹底した管理をしたのである。 一流企業は「西洋貿易」を独占し、その交易を一手に引き受けて蓄財をした。一流企業は 「国家」に「納税」を行い「認可」を得ることに励んだのである。海外よりもたらされた、 「IT技術」によりビジネスのスピードは飛躍的にアップした。彼等は ネットと言われるITの連 続使用により、お得意先を大量に獲得したのである。中でも、「IT企業」と言われる一流企業が 勃興し、IT技術普及戦略により、既存の一流企業を押しのけて広大なお得意先 を獲得したので ある。 このように、一介のサラリーマンから働き、実力次第で独立を果たせる激化した競争世相に乗 じて社長になるものが現れたのである。会社に忠誠を誓う旧来の崩壊をきたし、商業社会が到来 したのである。中には、派遣社員から身を起して、一流企業になるものが現れ、多様な商品の交 流がはかられ、史上類をみない飽満な時代をむかえたのである。
555 :
考える名無しさん :2006/08/31(木) 22:06:03
>>1 鎌倉期から安土桃山時代に、朱子学の知識人の伝来を待ったそうだ。
明代には、玄宗皇帝が試験制度の八又文を整備したり、学問熱が高くな
っていたそうだ。そういうところから、儒教系の学問から日本へ流入し
たようだ。義とか智とかいうようだよ。仁とかは儒教系なんじゃないかな。
旧来の仏教の影響から、諦念を教えるものだと考えられている。むしろ、
宗教の影響から、諦めのよさを教える為の集まりだと思われているみたい
だけど、独特なものといったら、殉死や自殺の類があるみたいだよ。
でも、仏教でも献身はあるよね。
だから、死に華を咲かさせてやろうという美的な死があるんじゃないの
かな。
武士道3原則 1.君主の命にはいつでも従いましょう。ただし君主が武士道3原則を守らない場合はこの限りではありません。 2.闘う時は死ぬ気で闘いましょう。また、闘って負けた時は自殺しましょう。 3. 名誉が損なわれた時は自殺しましょう。またそうしないやつは罵りましょう。
558 :
考える名無しさん :2006/09/01(金) 04:22:28
麺亭 葉隠 電光看板で、武士道とは死ぬ事と見つけたり!! のあとにメニュー流すな。 食ったら死ぬかと思うだろ!!
559 :
考える名無しさん :2006/09/01(金) 04:30:13
>>557 君主は主君中でもかなりいい方だが。大大名藩主クラス以上。
君主が2.の後半を守ってってしまうと、単なる負け戦ではなく、滅亡になってしまうが。
君主が3.をやると、家臣は路頭に迷う。
560 :
考える名無しさん :2006/09/01(金) 06:12:43
2ちゃん自体、虐げられた農民のストレス発散の場のような側面があると思う。 武士道とは程遠いと思うんだけど・・・
>>560 だれがそんなこと決めた
武士道精神に欠けた奴がいっぱい居ることは間違いないがw
562 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 00:27:00
2ちゃんは腰抜けと小心者の巣窟w
563 :
考える名無しさん :2006/09/04(月) 09:14:29
↑ 小心者、みっけw
>>559 すまんかった。じゃあこれでいい?
武士道3原則
1.主君の命にはいつでも従いましょう。ただし主君が武士道3原則を守らない場合はこの限りではありません。
2.闘う時は死ぬ気で闘いましょう。また、闘って負けて殺されそうな時は自殺しましょう。
3. 名誉が損なわれた時は自殺しましょう。またそうしないやつは罵りましょう。
565 :
考える名無しさん :2006/09/10(日) 16:52:23
sage
566 :
考える名無しさん :2006/09/10(日) 16:55:36
あげ
567 :
考える名無しさん :2006/09/12(火) 21:27:10
>>564 武士道はサバイバルの思想
「死ぬこととみつけたり」を表面的にしか捉えられないやつに、
武士道は理解できない
568 :
考える名無しさん :2006/09/16(土) 21:43:32
age
武士を養うためには、それなりの土地が必要なんです 武士とその家族の食料は、周辺農民からの供出に頼っている訳ですから 農民がその食料を差し出すのは、自分達の代わりに武士が受ける危険に対して 何もしないで飯を食う奴が嫌われるのは当然の事 武士も目に見える形で自分達の危険を示さねばなりません 自分の家から不定期に変死者を出す事で農民を納得させる必要があったのですが 家族の人数を減らす事で、農民の負担を減らす効果もあった様です
570 :
考える名無しさん :2006/09/17(日) 05:44:07
宮本武蔵「五輪の書」のほうが武士道的だな 兵法を知らずして武士となれるかな
武士にもいろんな奴がいただろうから、歴史の中から都合の いいエピソードを探せばどれかに当てはまるものが見つかって、 こじつけられるんじゃないの。吉本興業お笑い芸人道なんかも かっこよく美化した書きものが作れそうだ。
572 :
考える名無しさん :2006/09/17(日) 08:07:09
腐敗した江戸時代の殆んどの武士は呆れるな
573 :
考える名無しさん :2006/09/17(日) 08:20:38
よく頑張ったな松尾
574 :
考える名無しさん :2006/09/22(金) 11:31:21
笠谷和彦氏の『武士道と日本型能力主義』という本に幕府の採用した武士道ということが紹介されているけれども、 なかなかたいしたものだ。いまの役人、企業人の心構えとは比べもんにならん。
575 :
考える名無しさん :2006/09/22(金) 11:35:13
新渡戸武士道ってネチケットに似てるな
>>526 朝倉宗滴の時代に武士道なんてない。
こういう畜生武士を否定するところに武士道の成立がある。
まず、武士と武士道との間に何らかの関わりがあるのかどうか それさえもが謎となって来たな
578 :
考える名無しさん :2006/09/23(土) 05:51:26
「武士道」という言葉は武田流軍学書の『甲陽軍鑑』に最初に出てくるということらしい
580 :
考える名無しさん :2006/09/23(土) 15:11:48
「葉隠」の 「武士道とは死ぬことと見つけたり」というやつだろう。
581 :
考える名無しさん :2006/09/24(日) 08:26:19
582 :
考える名無しさん :2006/09/24(日) 11:20:43
武士道とは文化です
583 :
考える名無しさん :2006/09/24(日) 11:36:19
無じゃ。
584 :
考える名無しさん :2006/09/24(日) 12:06:16
無だったのか。。。
585 :
考える名無しさん :2006/09/26(火) 11:54:49
主君への忠誠心の現れ 主君がいなければ武士は意味がない。武士道精神=その心を美徳とし目指した生き方の一つ。
だけどその「主君」が結構アイディアルなものだから、 腹切って進言みたいな事態が起こるんだろ?
ハンドル入れちゃった。気にしないでください。
男道
589 :
会津武士 :2006/10/05(木) 23:08:57
山川健次郎から学べる本物の男としての生き方。 国家の品格は確かに良書。 ですが、 会津武士道「ならぬことはならぬ」の教え・・・星 亮一 これも素晴らしい。 そしてやっぱり今の世の中に一番必要なのは西郷隆盛のようなカリスマが必要。 責任はすべては私がとります。これを言える政治家は誰一人としてこの世に存在してねぇ。 俺が日本をかえます! 具体的には言えませんがすでに動き出しています。 三島由紀夫の二の舞にはなりません、もっともっと根本から崩していく。 権力が及ばない方法で、今現状居座っているやる気のない議員さん達を退いてもらいます。 間違った積み木を崩して新しく積み上げる。 これじゃ繰り返し。 間違った積み木の上に堂々と正しいものを積み上げてから容赦なく壊す。 これが一番手っ取り早い!
590 :
↑ :2006/10/05(木) 23:55:48
他力本願のサムライw 上に責任を押しつける、上からの指示待ち小役人根性のインチキサムライw 自分の意志がないクソ。
591 :
考える名無しさん :2006/10/15(日) 18:24:11
うそつきの新渡戸稲造が5000円冊なんて我慢できない。
592 :
考える名無しさん :2006/10/15(日) 18:54:23
核武装していない国を 宦官国家と呼ぼう なぜなら 核のない国は キンタマのない男みたいなものだから キンタマのない国は アメリカの犬になるしかない
卑怯者に非ず
594 :
考える名無しさん :2006/10/15(日) 22:26:53
>武士道って結局何? 武士は聞かない
595 :
考える名無しさん :2006/10/16(月) 16:19:13
人を殺すこと
核など武器では無い。臆病者が使うものだ。
597 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 01:10:31
>>591 新渡戸の「武士道」が明治時代の創作物にすぎないというハヤリの議論に毒されているようだが、
この「創作物にすぎない」という議論こそ真っ赤な偽り。というより単なる無知。
江戸時代の武士道説には新渡戸と近い議論をしているものは、いくらでも見出せる。
598 :
774 :2006/10/17(火) 01:35:40
武士道 “勝っても驕り高ぶらず 負けても卑しからず”
599 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 03:47:32
切腹は所詮責任逃れにすぎない
600 :
短パン :2006/10/17(火) 04:09:52
>武士道って結局何? ・・・。覚悟の話なんだろうと思うのだが。
武士の道。ぶしどうじゃなく、ブシのミチ!。 道は1歩1歩進むものであって、目的地にたどり着くことではない。 目的が無くたださまようだけでは意味がないと思い込むオマイラには 理解できない概念だよな。デタラメに進むのではない、誰かに依存する 知識に依存するのではない、魂の赴くままに本質を見極めることだ。 それには目標など絵に書いた餅。無意味だ。
英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。 日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。 この上、政治家のうれしがらせにのり、 より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。 武士の魂はどこへ行つたのだ。 魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。
603 :
考える名無しさん :2006/10/17(火) 10:12:56
>>602 韓国社会にその答えはある。インドと比較すれば(ry
>>603 もうちょっと詳しく書いてくれませんか?あなたの主観で構わないから。
煽りじゃないよ。
結局武士道も中国発祥韓国経由の輸入品って事?
武士道は死生観であり、とどのつまりは殉ずることだ。 何に殉ずるかと言えば大義だろう。
山下画伯かと思いました もしかしてリアルでもあんな口調ではありませんか
自爆テロで死んでいった人は武士?
あれは若い童貞の男に宗教的マインドコントロールを施して行う。
610 :
考える名無しさん :2006/10/24(火) 20:34:52
「武士道とは死ぬこととみつけたり」というのは、 生の哲学なんだけど
武士道とは、姑息な真似をしないということだ。
武士は食わねど高楊枝
武士道=神、目標 なんかと同義だと思う。武士達の理想の行動、生き方を武士道と呼び、それを愚直に突き進む者に神聖さを感じた。愚かながらも人々の心を捕らえたキリストのように。 もし、そうだとしたら武士道が複数あっても可笑しくない。目標や神なんて派閥や多神教のように捕えることができる。
自衛隊の戦車に「士魂」なんてペイントされていると、 ちょっと笑っちゃう。搭乗員がデブオタだったりすると、 なおさらに。
少なくとも金儲けが最上位の目標になることはないな
616 :
天空の犬 :2006/11/19(日) 17:40:29
平等よりも比較を重んじて、正義の秩序を構築することを目的として、実践に 移す人たちかな。
617 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 18:03:10
現代思想と相対した男のロマンなんだよ
618 :
考える名無しさん :2006/11/19(日) 18:24:58
武士道とは 主君のために死んでくれるバカを育て上げる方法のこと たいていの人間はバカかキ違いだからこれが結構うまくいく
>>618 それはどの武士道のこと
武士道って曖昧すぎる,明治以降の武士道はそれ以前のものとはまったく違う
いま見直されているのは明治以降の武士道だと思ふ
どこがまったく違うの?
621 :
考える名無しさん :2006/11/21(火) 22:52:43
622 :
考える名無しさん :2006/11/23(木) 20:47:57
武家の棟梁になるのが武士の心得なんだ。 諸々の道徳はこういう為にあるんだ。
623 :
考える名無しさん :2006/11/23(木) 20:58:23
兵学の一種だろ
>たいていの人間はバカかキ違いだから こういうこといってるのはどちらにしろ駄目。
625 :
考える名無しさん :2006/12/01(金) 21:39:00
「武士道」という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、
新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、その契機になっていたようです。
もともと「武士道」なるものが形成されたのは江戸時代のことです。
天下泰平の世において、サムライの戦闘精神が、
文化的に形式主義の磨きをかけられたものがそれでした。
これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の「武士道」とでも言うべきものです。
つまり副題に「日本の精神」とあるように、
武士を中心とする日本人の精神一般についてなのです。
武士道による「台湾精神と日本精神」
李登輝前総統講演全文
http://www.yorozubp.com/0303/030301.htm
日本人道というならば名称として分からないでもない。が、 武士の家系でもない奴が「武士道」と言っているのを見ると、 分際をわきまえない見当違いの無礼者にしか見えない。 まず、武士道を唱える前に、己の分際を知れ。どん百姓どもが!
627 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 20:36:33
敵を剣圧だけで押さえ込む”まるはし”
628 :
考える名無しさん :2006/12/02(土) 20:41:28
ああ、あの魚が味見しているようなことするやつだろ? ジリジリ攻めるのが一番怖いと思うよ。
629 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 16:15:13
630 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 18:27:15
新渡戸稲造と葉隠は必読だな
632 :
考える名無しさん :2006/12/04(月) 21:29:53
ところで「武士の一分」どうだった?
633 :
考える名無しさん :2006/12/05(火) 12:25:54
人生僅か五十年
634 :
龍宮 :2006/12/05(火) 12:42:24
何でもそうだが物事には深い訳がある。弁明
武士っつっても、もともとは百姓の自衛団だしなぁ。
636 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 02:32:25
>>635 なんでもかんでももともと〜だからと考えればよいと言う物でもない。
中国なんか共産主義で分断されているわけですから、4000年などといっても別物でしょ。
637 :
短パン :2006/12/11(月) 02:46:07
「武士道って結局何?」 江戸時代? 何で、今に至り。。。 時は宇宙世紀ダブルオーセブンティナイン・・・・。 「決死の自分」 か? くだらねぇな。。。 ・・・んじゃ、言ってみようか。 「友を見つけろ。」 武であれ、死であれ。 そこに在るのは、他という存在だ。 他。無くして、自。の下り、言葉に成らず。 ・・・・あぁ。あ。頭がっ。(お前は、3分間しか持たない、早漏カリスマか!) 〜〜〜。いや、、、そうなんだけど。。。。なんで、解ったのか?
638 :
短パン :2006/12/11(月) 02:48:44
以上! 〜〜〜〜はぁ。もぅwww
639 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 02:54:09
武士は戦い続けなればなりません、人を殺す事もあるでしょう 殺される事もあるでしょう。大怪我もするし大怪我を負わす事もあるのです。 もう俺こんな生活いやになっちゃったよ(;w; とかいっても辞められないのです。全部ひっくるめて、ようし分かった 色々あるのは分かったから、俺はこの世界でやっていくよ。 それが道です。 だから叩かれ様とけなされ様と気にしない。それが2ちゃん道でもあるわけなんです。
武士道は身分制度によって保証される。銭儲けを考える商人は身分が低く、 誇り高い武士階級は商人を軽蔑する。身分の違いという優越感によって 武士道の精神が支えられている。
641 :
短パン :2006/12/11(月) 03:12:10
642 :
短パン :2006/12/11(月) 03:14:43
>>640 いぁ。別に俺は保障制度をこの世に送付したくて、ここで、泥酔の自己。
書きしたためている訳でもないのだ。が?
大丈夫?君??
643 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 03:16:26
キチガイは座敷牢に帰れ!
644 :
短パン :2006/12/11(月) 03:20:45
「武士道」が、今の世においてでも「無効」か? と。問われれば、その審議。この国において、存在する我々が、国に問い。そして、 正す気持ちを持って、当たってもいい、と。短パン個人は思うけど、よ?
645 :
考える名無しさん :2006/12/11(月) 04:14:59
武士道は筋金入りのロマンチズムだ
他人から尊敬されないロマンは長続きしない。
武士道とは死ぬ事と見つけたりが示すように仕える主君への忠義を全うし その命を賭して使命をこなす事 例えそれが、月の物も上がったババァの相手だろうが、斬首役人への配属だろうが 自らのお家断絶であっても主君より賜った命は何物にも勝るもの 使命を果たせずを恥とし、自らの腹を切るのは、正に武士道の体言 腹を切る事が武士道ではなく 使命を果たせなかった事を恥じる気持ちが武士道と考えたが行数が足りない
648 :
短パン :2006/12/11(月) 05:05:53
>>647 ううっ。そうかのぅ〜。そうなのか?それで、お前は存在しきれるのだろうか?
ん。
「短パン」と、やってるんだぜ?
青いな。、、悪いのだけど。。。。
どこかでバランスとってるから大丈夫だろう。百姓をいじめたり 威張ったりしてプライドを維持してる。
650 :
短パン :2006/12/11(月) 06:05:35
[他人から尊敬されないロマンは長続きしない。] か。。。これじゃまるで、他人の評価こそが正義だ!みたいだ。なw
正義は文化的な学習によって身に付くのだから、親や先生や友人の 評価によって形成されていくものだろうね。他者の評価から遊離した 自己中心的な正義は、時として狂気といわれるものになるのでは。
652 :
短パン :2006/12/11(月) 06:33:44
ロボコン0点www 何処かで、勝手に生きて、んで、死ねばいいと思うよ? ・・・少なくとも、文才は、無いかもな?
文才を評価してもらおうと狙っていた652の自意識 正体を明かす
あれごときw ものの数ではない
自爆テロを行うムスリムのごとき前近代の意識。 敗戦以降の日本人が論じて迫れるものではない。 違うと言うなら米軍基地に特攻しろ。
656 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 21:25:34
657 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 23:34:22
>>たいていの人間はバカかキ違いだから > こういうこといってるのはどちらにしろ駄目。 おまえ自身メンヘルだから気にさわったのだろう しかし 「たいていの人間はバカかキ違い」 というのは、2chを見てもわかるとおり 現実そのものであるwwww
658 :
考える名無しさん :2006/12/25(月) 23:41:36
武士道って身分制度「道」てことだろw 殿とか百姓とか忠義とかサ、わははは !!
武士道ファンは何故か自分が武士になった気分なんだからオメデタイ
660 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 12:09:21
661 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 12:40:47
人殺す覚悟あるかって事ちゃうん?
662 :
考える名無しさん :2006/12/26(火) 12:43:47
殺すか殺されるかの毎日を過ごせるか。どうこれ?
663 :
考える名無しさん :2006/12/27(水) 00:09:06
中国系には、人を殺して何とも思わないのがゴロゴロいる 侍も真っ青よ ^^;
山岡鉄舟を読め!
665 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:27:31
馬鹿になりそうなのでヤメときます ^^;
666 :
考える名無しさん :2006/12/28(木) 00:31:43
a
オイゲン・へリゲルを読め
668 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 11:42:57
武士道は実践しなけりゃ意味がない。
669 :
龍宮 :2007/01/07(日) 12:11:13
寂しみを感ずる
670 :
考える名無しさん :2007/01/07(日) 12:17:26
外国人の考えてる武士道ってなんか アメコミヒーローみたいなのっぽいな そもそも外国人には日本人の考え方は理解できんだろうし
茶道や華道や書道も嗜まないと武士になれません><
>>658 日本人の八割は農民だったからね。
むしろ日本人の礎は農耕民族
673 :
考える名無しさん :2007/02/14(水) 14:32:13
義
675 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 17:34:35
日本人は宗教もなしになぜ道徳を持っているのか 世間様が恐いから。
>>675 八百万の神への宗教があるだろ。
無知だよな。
677 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 18:49:46
678 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 21:57:45
>>677 あのあべきんやとも思えない嫌な本だったよね。
先日、壬生義士伝を見た。
680 :
考える名無しさん :2007/02/16(金) 23:33:18
武士道とは死ぬ覚悟なり
681 :
675 :2007/02/17(土) 01:55:36
>>677 紹介してくれてありがとう!読んでみる。
>>681 以下の文章は今年初頭に哲学板に書かれた真偽不明だが定年間際に解雇された会社員の嘆きです。
阿部謹也も始めは世間を潰せと主張していましたが、晩年はそれを守るようにと変わりました。
世間とは恐ろしいものなのです。それも忘れないで下さい。
>いいかい?人というものは、ときどき醜悪な本性を見せるものなのだよ。
>おじさんを見てごらん、四十年この会社の為だけを考えて行動してきた。
>だが、今ではその会社に裏切られ、こうして命を絶たれようとしている。
>おじさんは全てを悟った、会社の為のこの四十年は全て無駄だったと。
>そろそろ、おじさんは逝かなきゃいけない、家族の事よろしく頼む。
683 :
考える名無しさん :2007/02/17(土) 08:29:16
`・ω・´ゞ
684 :
考える名無しさん :2007/02/17(土) 23:18:10
ただ通り過ぎただけ君が回るためどこ吹いた風でしたくるりかざぐるま
685 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 05:45:08
686 :
考える名無しさん :2007/02/18(日) 08:06:59
687 :
考える名無しさん :2007/02/20(火) 03:23:35
負け犬根性正当化 …けど逆らえば一族縁者がヤバイ事に… 泣く泣く歯ぎしり高血圧 身内も世間も知らずに生きられようか、 植木等の伝説
688 :
考える名無しさん :2007/02/20(火) 04:36:02
武土道とは 武田さんが土の道を歩むことすなわち、武土道。
軍事階級が歴史の長きにわたって支配権を確立していたのは、世界的に見て珍しい。 平氏-源氏-北条家-足利政権-徳川と、政権交代はあっても日本は実力行使者(enforcer)が 統べる国であったという事実は変わらない。武士道はその構造をモラル面で支えたスキームだった。
690 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 02:34:22
武士道とは弁証法。 世界は変化発展するものであるとして、自分の変化発展をそこに重ね、 その相互作用を見つめたもの。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
692 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 21:04:16
武士道とは、名を尊ぶこと・正直・恥を知ること・猛しきこと・不言実行など〜〜 〜〜鎌倉時代初期の戦法は前代からの騎射を中心としたもの〜〜 〜〜戦場の一騎打ちは、二人の武者が馬を疾馳させ、馳せちがいざまに矢を放ち合うもので、〜〜 〜〜武士の家職が「弓馬の道」と称されたのも、このことによっている。 って、この本に書いてある。
693 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 21:07:34
『北斉書』が起源。
694 :
その時歴史が動いた :2007/04/04(水) 22:18:01
上杉氏‐始祖重房は勧修寺流藤原氏の出身。鎌倉幕府皇族将軍となった宗尊親王に従って鎌倉に下り、のち武士となり丹波(京都府)上杉庄を領し上杉氏と称した。その孫は足利氏に嫁し、尊氏・直義の生母となった関係から室町時代には鎌倉府の管領に任じられ
695 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 22:30:42
一族は扇谷(おうぎがやつ)、詫間、犬懸、山内の4家に分かれ、ことに扇谷・山内両家が栄えたが、後北条氏に敗れ、まず扇谷家が滅び、山内憲政も領国越後へのがれ、守護代長尾景虎(上杉謙信)に上杉姓と管領職を譲った。
696 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 22:50:40
藤原氏‐天児屋根命(あまのこやねのみこと)のまつえいと伝え、大化改新の功臣中臣鎌足が居地の大和国高市市群藤原に因んで藤原姓を賜った〜奥州藤原氏はもと亘理(わたり)氏で、別系。
697 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 22:58:48
今川氏‐足利氏の支族。足利国氏が三河国幡豆群今川庄に住み、今川氏を称したことに始まる。孫の範国は南北朝の内乱で足利尊氏に従い、功により駿河・遠江の守護に任じられ、その子貞世は九州探題として活躍。氏親は駿河・遠江国を領国とする戦国大名体制を整え
698 :
結局みんな天皇と繋がっている :2007/04/04(水) 23:04:52
義元のときさらに三河国を支配して東海一の大名となったが、1560年桶狭間の戦いに敗死してから勢威が衰え、武田、後北条、徳川氏の侵略をうけて勢力を失った。江戸時代にはその子孫が高家としてわずかに家命を維持した。
699 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 23:20:28
松平氏‐徳川家康までの徳川氏の本性。三河松平郷の土豪に入婿した親氏から9代目の家康が1556年新田氏の一族得川氏の子孫と称し「徳川」を名乗った
サムラァイ サムラァイ ブシドーゥ
701 :
考える名無しさん :2007/04/06(金) 00:02:51
弐し向くサムラヒ
702 :
考える名無しさん :2007/04/20(金) 21:36:15
刀を持っての暴力装置が制度に取り込まれるにおいて 「死ぬ事とみつける」しかなくなった軌跡。
703 :
考える名無しさん :2007/04/20(金) 22:20:41
源家康(みなもとのいえやす)
チャブドーは?
705 :
龍宮 :2007/04/22(日) 06:29:17
さむしい
706 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 02:27:42
武士道というのは、武道を体得した者だけに備わる教義だと思うのだが。 ようは実践哲学であるということだ。だから学者が述べる武士道は、 的を得ていない為、批判がでるのだ。実践哲学あるが為にその体得は 厳しく険しいわけなのである。
707 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 08:17:05
武士道とは倒すことと見つけたり 修羅道とは死ぬことと見つけたり
708 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 14:09:26
>>702 銃を持って「死ぬことと見つける」かい?
命の尊さとかの教えだろう?
>>708 現代の軍隊でも似たような雰囲気あるんじゃね?
>>708 刀を持った暴力装置が徳川幕府という軍事政権に取り込まれる過程で、
「死ぬ事とみつける」という形で制度化した軌跡が武士道。
712 :
考える名無しさん :2007/05/03(木) 00:31:20
>>708 銃は人を狂わす、だろう。
天皇マンセーとは違う。
武士は覚悟だろ、そして建前の形式ではなく その志の道。 武士は武士を演じるのではなく、素のものが武士として生きる生き様。 何かと問うものではない。 覚悟なきものは、戦い臨む前に負けている。 それは無謀でもなく、忠義の元の立ち進む勇気だ。
>>713 結局志、生き様、心構え、覚悟という形式を語っているにすぎない。
その思考停止に気付け愚か者。
オタクが憧れを語ってるのだろうな。
新渡戸の武士道読んだけど、なんか朝鮮日報の記事みたいで萎えた
717 :
考える名無しさん :2007/06/29(金) 07:13:59 O
このスレをみている人は菅野覚明氏の「武士道の逆襲」や山本博文氏の「葉隠の武士道」を是非読んで欲しい。本来の武士道というのは主君に絶対服従せよというシロモノではないそうだ。 むしろ本当の武士道は、勝つためには卑怯な事をしてもよいという事や自分の主君が間違った事をすれば、それを諫める事は良い事だと言っている 新渡戸の武士道は本来の武士道とは異なる。
ヤクザ道ことですよ。暴力がすべて。強い者が世を支配して何が悪い?
>>717 歴史をみると現実には仲間割れや裏切りの歴史だもんね。
現実はそうじゃなかったからこそ、忠臣蔵みたいなのが美化されたのかも。
いろんな奴がいたからいろいろ反証は出てくるだろうな。 医療食料が今ほど充実していない社会で生き残るために みんな必死だから、表で奇麗事を言っていても裏の現実で は矛盾した汚い事をやらざるを得なかっただろうな。
>>717 新渡戸武士道は何があっても主君に絶対服従しろと説いているのかね?
ルールを絶対遵守しろと言っているのかね?
違うよね。
>>717 >新渡戸の武士道は本来の武士道とは異なる。
だったら「本来の武士道」とは一体なんだね?
たとえば戦国時代の荒々しい武士道のみが唯一無二の武士道であり、他の解釈は認めないのかね?
葉隠解釈の武士道は武士道だが、新渡戸解釈の武士道が武士道でない理由を説明してよ。
723 :
考える名無しさん :2007/06/29(金) 11:57:52 0
もっと言えば、武士道とそうでないものの境界線をどこに引くのかってことだよ。 どういう条件を満たせば武士道になるのか、「本当の武士道」「本来の武士道」 とか言っている人にはぜひ説明していただきたい。
724 :
考える名無しさん :2007/06/29(金) 12:07:20 0
>>718 ルール無用で勝つためには何をしていい。暴力が正義の下克上。
それが武士道の条件?
ていうかそれなんて韓非子?
725 :
考える名無しさん :2007/06/29(金) 16:32:35 O
名と名誉を重んじる→元々朝鮮(中国からだが)にあった思想が日本に流入。 徳川幕府が謀反で倒されないように「忠義」というものを特化させ、無制限の忠義こそ武士道とし普及奨励した。 戦国時代以前の武士道は「忠義と俸禄」。 家臣の忠義に対して主君は俸禄を家臣に与える。 それを全うする事こそが武士の道。 家臣に領地を与え、それを守り続けた者が名君と呼ばれ、 家臣たちはその君主に対して忠義を働き通す事で名臣と呼ばれる。 ここではじめて「名・名誉」が出てくる。 従って武士が主君を鞍替えする事が頻繁に行われた。 彼らは不忠者ではない。 このあたりが、江戸時代武士道とそれ以前の武士道の違いだと思うが?。
>>725 >名と名誉を重んじる→元々朝鮮(中国からだが)にあった思想が日本に流入。
>徳川幕府が謀反で倒されないように「忠義」というものを特化させ、無制限の忠義こそ武士道とし普及奨励した。
ホントかね? その根拠は?
ていうか、幕府の誰がどうやって各藩に教育したんだ?
直参旗本相手ならともかく。
>戦国時代以前の武士道は「忠義と俸禄」。
>家臣の忠義に対して主君は俸禄を家臣に与える。
>それを全うする事こそが武士の道。
>家臣に領地を与え、それを守り続けた者が名君と呼ばれ、
>家臣たちはその君主に対して忠義を働き通す事で名臣と呼ばれる。
>ここではじめて「名・名誉」が出てくる。
>従って武士が主君を鞍替えする事が頻繁に行われた。
>彼らは不忠者ではない。
>このあたりが、江戸時代武士道とそれ以前の武士道の違いだと思うが?。
そもそも戦国時代と江戸時代では状況がまるっきり違うだろ。
働き場所が無数にあった戦国時代と比べて、戦乱が絶えた江戸時代では再就職が非常に難しい。
幕府はどしどし改易を進め各地で浪人があふれている。
ちょっと気に入らないことがあったからって主君を捨てれば一家が路頭に迷うだけ。
江戸時代というのは鞍替えなんて頻繁にできる時代ではない。
そういう時代の流れを読めず、現実的で功利的な判断ができないのが本当の武士道だと言うのかい?
あくまで江戸時代の武士道は武士道でないというなら、 戦国武士道は大阪の陣をもって絶滅したことになる。 しかし、江戸時代には別の思想が武士によって育まれ、今はそれが武士道と呼ばれている。 江戸時代以降の武士道を否定している人はこういうことをいいたいの?
日本人はアニメキャラを白人だと思ってないんだよ
恒久的軍事政権の統治下にあった時 武器の携帯を許された兵士がどう日常を過すかという問題に対して ある妥当な解だったね。 武士道は。
江戸時代に入って謀反の芽を徹底的に潰すための管理制度が成立 した。徹底したその管理政策が長期に成功したのが江戸時代で ある。戦乱の世で武士は情け容赦のない汚い戦いをしている。 安定政権下でそのような規律のない行動は忌避された。 今後も日本では、管理されるサラリーマン(和製英語)の自尊心 の支えとして、武士道は擬似宗教の役割を果たすべく読み語り継 がれていくはずである。
>戦乱の世で武士は情け容赦のない汚い戦いをしている。 >安定政権下でそのような規律のない行動は忌避された。 江戸時代の政争ってのは情け容赦のあるきれいな戦いだったんですか?
732 :
考える名無しさん :2007/06/30(土) 10:52:40 0
>>718 それなら結局多数が正義ってことになるんじゃないの?
人間の数が多ければ戦争になってもそうそう負けないし、
産業革命以前の時代なら生産力はすべて人力で、人間の数が多ければ多いほど有利になる。
つまりは武士道ってのは民主主義になるわけだw
基本的人権、法による支配、平等権が弱いから民主主義では ありません。
戦国武士たちにも御成敗式目という法があったではないか。
735 :
考える名無しさん :2007/06/30(土) 12:02:01 0
そもそも、江戸時代以前の武士道を「戦国武士道」でくくるのは正しいのかね? 鎌倉時代はどうだったのか? 北条幕府の時代は? 南北朝の時代は? 室町幕府の時代は? これらの時代の武士道は全部同じものだったのか? その根拠は?
当時はパソコンがないし、すべて記録されてるわけ じゃないから。中立的ジャーナリズムがないうえ客観的 事実を記述する人は当時いなかった。 米何俵授受とか金の事は正確に記録していたようだ。
737 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 04:22:45 0
『国家の品格』の著者・藤原正彦先生は
「武士道精神」の復活を、20年以上前から考えているそうです。
「武士道は鎌倉時代以降、多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能してきました。
この中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。」
いまの子供たちが武士道精神に則った 卑怯を恥じる心を育まれていたならば、
いじめなど 起こらないのではないだろうか。
1人の人間を複数の人間で寄って集って(よってたかって)悪さをするといういじめが、
いかに卑怯なことなのかということを徹底的に教えていかなければならない。
ttp://blog.oricon.co.jp/kimuatsu/archive/440/0
738 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 06:53:48 0
>この中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠などが盛り込まれています。 そんなの全部孔孟の教えからパクったもんだろ。
739 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 07:10:07 0
>>737 いじめを無くすのが人類の目的じゃないぞw
740 :
佃煮マニア :2007/07/01(日) 08:27:37 0
慈愛、正義、勇気がいじめ側の道徳で 誠実、忍耐、惻隠がられる側の道徳なw
741 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 09:17:31 0
どっちもバランスを欠いているわけだ。
742 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 10:06:26 0
藤原先生はモラルが全てだから、武士道でも何でもいいんだけど 歴史を鑑みれば武士道だってことなんだろね。
イギリス生まれだったら紳士道を支持しただろうし、 中国生まれだったら君子道を支持しただろうね。
744 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 11:38:54 O
中世政治史の泰斗、上横手氏は「武士=ヤクザ「論てなことおっしゃってる。 どうでもいいが、ニトベの例の本はプロテスタント外人向け。 プロテスタント+騎士道+儒教道徳で一丁上がりのパンフレットだよ。 ただこの本は日本人にとって有益だったな。 凄い宣伝効果だったもんね。
745 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 11:39:30 0
>この中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠など これって忍者がよくやる臨兵闘者皆陣列在前とかといっしょなの?ちがうの?
746 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 11:46:09 O
戦国武士道って言葉、なんか凄いな。 笑ってしまった。 武士なんて高尚なもんじゃない。 暴力を効果的に使う連中さ。 江戸だと儒教道徳が加味されてくるし、軟弱なのも増える。
なら、江戸時代において効果的に日本を支配した武士だって、暴力を効果的に使った連中だろう。
慈悲、誠実、忍耐、正義、勇気、同情はなにも武士の専売特許 ではないし、これらを教えるために、何故武士階級を持ち出さ なければならないのだ。武士は家柄を大切にする。百姓の家系 がハッタリかまして武士道とは、あまりにも卑しいではない か。
749 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 12:39:34 O
永遠に生きるかのように学び 明日死ぬかのように生きる 武士の道 素晴らしい
750 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 14:34:03 0
>>717 >むしろ本当の武士道は、勝つためには卑怯な事をしてもよいという事や自分の主君が間違った事をすれば、それを諫める事は良い事だと言っている
それは儒教道徳だ。
論語のある章で、主君に仕えることについて孔子はこう言っている。
「欺くことなかれ。而してこれを犯せ」
平たく言えば、主君に仕えるには欺かないことが肝要だが、
主君が道をはずれ過ちを犯そうとしているときには逆らってでも諌めよ、ということだ。
また、儒教は勝つための謀略に関しても寛容だ。
孔子の高弟である子貢は、その弁舌の才を駆使して他国をあい争わせ、自らの国を侵略から救ったというエピソードがある。
また、孔子自身も、謀略の権化とも言える管仲を称えている。
儒教ってのはもともと、国家的な呪的祭祀によって巨大帝国を維持してきた周の支配が崩れ 実力主義の武断的群雄国家群が台頭してきた春秋戦国時代、理想化された周王朝初期の 政治形態(文公は南面して政治す)を復古的に価値づけることで、戦国の世に新たな思想 秩序をもたらそうとした政治-思想-体系-運動だった。その実践型が「礼」であり、その行為を 通じて「徳」が涵養されることが期待された。 その理想は結局、武断政治の権化ともいうべき秦の出現によって最終的に(運動としては) 断絶されるわけだが(焚書坑儒)、のちのちに「礼」の形式主義だけ(というのは言い過ぎだが) が支配層によって都合のいい統治イデオロギーとして取捨選択されたのは興味深い。 江戸時代に林羅山らによって咀嚼され、江戸幕府の正学となった朱子学はそのひとつ。
ノー・ルールでなんでもアリの実力主義・武断主義に、徳礼の文治をもって異を唱えた孔子の教えが、 日本のサムライたちの、卑怯をもってしても善しとする合目的的合理精神にいかほど影響を与えたかは 興味深い。 それはおくとして、日本の武士がキタナイやり口を許し、武士道が卑怯さを許容する理由としては、 戦国時代が骨肉相喰む内戦であったことと関係が大きいと思える。少なくとも、理由の一つではあろう。 「常在戦場」は武道の言葉だが、これは単に心構えを表すだけでなく、戦国期の武士の常態であった。 夜討ち朝駆け当たり前、裏切り下克上は日常茶飯事、親兄弟を殺し、妻子を敵の人質とし、神仏といえど 焼き払う、それが近世武士道の生まれた世界だった。 後年、日本は真珠湾奇襲に際して国際的非難を浴びるのだが、当時の日本人としてはなぜ非難されるのか、 もしかしたら訝る気持ちもあったのではないか。兵力差に開きのある相手に対して、非正規戦、今風に 言えば「不均衡な戦争」を仕掛けるのは、武士道的な感覚で言えばむしろ、フェアな行いである。
こうした心的態度はその後、戦国が遠くなった江戸中期においてもおいても散見される。 たとえば流派の伝承に関して、後継者同士の戦いが道場や公開の場での試合ではなく、 奇襲戦で決着することがしばしばあったようだ。ノールールこそが戦いの神髄であり、 それに対応できないのは「成っていない」という理屈である。 現代人からすれば、道徳的に高いとされる武士道が、本質的にキタナイ世界であるのは、 奇異に感じられるかもしれない。あるいは、それに深く合点する人もいるかもしれない。 中世キリスト教の文化的伝統から発した近代的合理主義とはまた別の、ラジカルな合目的 性質がここにはある。
日本人の道徳観は「世間」つまり具体的な対人関係やムラ共同体との相対的距離感として 現出する。西洋におけるキリスト教のような中心的で強固な理念系の伝統に乏しい日本人は、 戦後においても国際舞台において「アンフェア」と指弾されることが良くある。 そのなかにはステロタイプとしての「狡猾な東洋人」のイメージもあるだろうが、基本的に 文化的特性の問題ではなかろうか、と思う。文化論的にいえば、それは特性の問題であるからには 「善いも悪いも無い」。ただそのようなものであるというだけだ。敢えて善く言うならば、 柔軟なのであり、悪く言えば不公平である。 それはここのところかまびすしい、「東洋人」同士がナショナリズムを衝突させる場においても、 イメージ戦略と現実の方法論の両方とに、顕れているようにも見える。
755 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 18:37:35 0
鎌倉・北条幕府時代も南北朝時代も室町時代も、全部そういう荒っぽい武士道のだったんですか? だいたい、戦国時代なんて室町時代末期からの50年程度じゃないですか。 人間の世代で言えばせいぜい2代でしかありませんよ! そんな短期間の武士道を「本当の武士道」として絶対化するんですか?
756 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 18:49:04 0
武士道は政治でもなければ経済でもない あえていうなら「飼い犬の心構え」ってとこかな 腹切ってどんな責任が取れるのか 書けるモンなら書いてみろ田吾作どもw
武士のことをヤクザと言ってる人に質問ですが、 ヤクザが国を治めたためしがあるんですか?
武士道が徳目して強化され喧伝されるようになったのは江戸以降だね。 それ以前はそもそも武士道という言葉自体がメジャーではない。 後世の多くの武士(道)イメージは、江戸時代の忠勤武士のそれだ。 後のものほどイメージとしてさらに後代を規定する。
759 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 19:16:32 0
>>757 鎌倉時代から江戸時代までそうだったんだよ。
日本史とか習わないの?
戦国時代が50年間とかヤクザが600年間日本を治めていたとか、 アナザーワールドすぐる。
じゃあ応仁の乱終結から約100年が戦国時代でいいよ。 それでも江戸時代より短いがw
戦国時代の始まりと終わりの時期には諸説あるが、まあ大体60年から80年ぐらい。 100年だと長すぎるし50年だとちと短い。
>>761 横やりですまんけど。
期間の長短はあんまり関係ないんじゃないのかな。人間でも、思春期のような特異な時間が一生を決定することがある。
ところでアンカーをつけてないのでよくわからないのだが、
>>755 は
>>751-754 への質問かな。
だとすればちょっとお門違い。これは「卑怯さ」を「本当の武士道」と規定する文章ではない。
武士道の性質の一つ(卑怯さを許容する)に関する説明だ。それは忠勤武士道・朱子学武士道のイメージとは反するが、
(「>>武士道が、本質的にキタナイ世界であるのは、奇異に感じられるかもしれない。」)が、事実とは符合する。
>>763 >期間の長短はあんまり関係ないんじゃないのかな。人間でも、思春期のような特異な時間が一生を決定することがある。
つまり、日本にとって100年足らずの戦国時代こそ、日本人の民族性を規定した重要な時代だった、というのかね。
その時代論が正しいとして、ではその前後の室町時代や江戸時代はどういう時代だったと言うの?
>武士道の性質の一つ(卑怯さを許容する)に関する説明だ。それは忠勤武士道・朱子学武士道のイメージとは反するが、
>(「>>武士道が、本質的にキタナイ世界であるのは、奇異に感じられるかもしれない。」)が、事実とは符合する。
そもそも、忠勤武士道だの朱子学武士道だの、本当に実在したのかね?
江戸時代でも、儒教とか朱子学っぽい政治で有名なのは新井白石だけだが。
>>764 武士道の後方に隠れたプラグマティックな卑怯さは、思春期のトラウマに喩えられるかもしれない。
大人になってどんな職業に就こうが、幼少期どんな子供であろうが、それとは関係なくトラウマは機能してしまう。
(これは喩えであって、戦国前後の時代的影響を排するものではない。)
忠勤武士道は他の人が言い出し事なので、関知しない。しかし忠君・朱子学も武士の属性的に理解されているのは、
このスレも見ていてもわかる。否定的・肯定的両面から、多くの人が書き込まれている。
プラグマティックな卑怯さ? バカな。 だったら、戦国時代以前の武士は、江戸時代の武士は、 その種の卑怯さを持たなかったと言うのか?
志村、志村! >江戸時代にも散見される
768 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 20:54:02 O
つまんないウンチク言うと、 昨今(ここ30年くらいかな)史学プロパーじゃ 武士像の見直しが行われている。 外人向けの理想化された武士像を真に受けるのもどうかな。 まあ昔の軍記物、史論、研究者の著作なんかをお読み下さい。 お話はそれからです。
769 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 20:55:04 O
770 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 21:03:02 O
>>755 そうさ。
院政期の武士なんて人殺しの請負人だよ。
郎党とのつながりもヤクザ的な感じだ。
凄いよエゲツナサ。
ちなみに連中を飼ってる摂関家とか暴力の使い方がうまい。
中世史の研究者なら誰でも知ってることだな。
771 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 21:05:32 0
武士道、武士道って言うが、日本人の9割がたは百姓の子孫だろ? 武士道よりも百姓道について語れよ。w
772 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 21:07:37 O
しようもないこと書くけど ドラゴンボールに登場するサイヤ人。 あれはまさしく日本武士像だな。
773 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 21:11:15 O
江戸は平和だから暴力性が脱色されちゃったんだよ。 しかたないさ。 ただ江戸時代に書かれた、あるべき武士像についての著作も 二トベフジワラの武士道とは少々目指すところが違うよ。
774 :
武陽陰士 :2007/07/01(日) 21:18:07 O
>>771 うるさいなー
美化された武士道を
史実に照らして批判しようとしているだけじゃない?
なんなら大原幽学について一席ぶってもいいんだぜ。
手元に大原幽学全集ないのはキツいが。
ああ二宮尊徳、梅岩のテクストはあるや。
775 :
考える名無しさん :2007/07/01(日) 21:51:24 0
>>774 おまえ内容のあること書け
空っぽのレスをいくつ並べても糞!
ゼロに何を掛けようがゼロなんだよドアホ !!
勇気・慈悲・礼儀・誠意・正義・惻隠・忍耐は、昔の日本人の どの職業の人間にもあった価値観だ。今この価値観を語るために あえて武士道と言わないといけない原因は、伝統宗教の力が衰え ているからである。このような時代はオカルトが必要とされるの だ。現在、スピリチュアル系といわれるものが流行しているが、 スピリチュアル系の人間は、生活における忍耐、人への誠意、踏 み出す勇気、他人への慈悲心、先祖への感謝、強い信念などの 必要性を盛んに語っている。 いま武士道の必要性が語られるのも、このオカルトの流行の一種 である。武士道を求める現代人の心理は、オカルトを求める堕落 した者の心理と同じといえる。荒廃した日本人の精神のねじれ 現象がここにも垣間見られるのである。
777 :
考える名無しさん :2007/07/02(月) 05:42:29 0
「 腹を切ってどんな責任が取れるのか?」 教えてください、武士道わかる人
荒れてるな。批判にしろ見当違い。 援護のつもりか知らないが、迷惑だよ。
779 :
考える名無しさん :2007/07/02(月) 06:36:17 0
780 :
武陽陰士 :2007/07/02(月) 22:23:35 O
>>775 ウルセー
お前が書けよバカ野郎。
内容ってなんのことだよ。
俗情に結託し美的に表象された武士道なるものを
史実に即して批判してるんだろーが。
わかんねーのか?
パーはこれだから困る。
フジワラのトデンモ本でもありがたがっとけよ。
781 :
武陽陰士 :2007/07/02(月) 22:36:16 O
今、巷で言われてる武士道は近代以降に成立したもの。 一見、通時的にある倫理のように思えるが、そうじゃない。 ナショナリズムが倫理の装いの元に美的に表象されたものだ。 こんなしようもないにかかずらうのは、人文科学的な知見の足りない数学者、二トベのようなオクシデンタリストとかだよ(二トベなんかは、ある意味戦略的だから偉いかも)。 ああ、あとこの掲示版に書いてる何割かの無定見な人間もだ。 たわごとはよしてくれ。うだうだ言う前にもっと勉強してくれ。 まったく。読まずに語るのはよせ。
782 :
武陽陰士 :2007/07/02(月) 22:50:49 O
無知な現代人が喧伝する「武士道」は いささか整理していえば共同体が外部を意識したときに召喚する似非エートスだ。 そのイデオロギーとしての側面を摘出分析すべきだと思うね。
783 :
佃煮マニア :2007/07/02(月) 23:10:25 0
刀をポンポンみたいなので丹念に手入れしてる時の目つきが刀に映ったもの これ武士道
784 :
考える名無しさん :2007/07/03(火) 00:15:33 0
>>783 目つきチェックしたかったら、ちゃんと鏡買えっつんだよ
本当の武士道は卑怯だの汚いだの言っている人は、他の時代の武士道と比べて 戦国時代の武士道が際立って卑怯だった、ということを証明しろ。
>>781 >今、巷で言われてる武士道は近代以降に成立したもの。
同じ理屈で、戦国時代にしか成り立たなかった武士道なんか「本当の武士道」とは言えないだろ。
まず直観的に与えられた「義」があって、 それに即して出来うる限り素早く行動しなくてはならない。 考えれば考えるほど「義」からは離れていく。 「義」は人の命より「大事」であるから、それに即した行動をとる場合、 自分の命は最も邪魔になる。だから常に「死人」として考えなくてはならない。
788 :
考える名無しさん :2007/07/06(金) 20:28:41 0
>>787 「義」を別の言葉に置きかえてみてくれる?
葉隠っぽくていいね
義理 葉ガクレ難しすぎ
791 :
武陽陰士 :2007/07/07(土) 03:00:21 O
>>786 戦国時代が、よほど好きなのか?
バカなのか。
平安鎌倉を参照しろ!
もののふの心の故郷と言える時代だ(苦笑い)
ちなみに、お前等のいう武士道ってのは、ニトベのだ。
彼の武士道は西洋流の騎士道とキリスト教が入っている。
ちなみに私はプロテスタントだ。
西欧人を前にした二トベの気持ちは痛いほど分かるな。
792 :
武陽陰士 :2007/07/07(土) 03:09:25 O
江戸時代においては『葉隠』はマイナーな書物。 江戸時代の武士道を語る際は、大道寺友山の『武道初心集』だな。 こっちのほうが読まれている。 どうせお前さんたち読みやしないだろうが、 お前たちのイメージするところの武士道とはだいぶ違うよ。 ああ『葉隠』だけど、 『葉隠』がポピュラーになったのは 和辻の肝いりで岩波に入ったのも大きいな。
793 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 03:15:34 O
平安末期に藤原支配者達が、自らの保身のために、けしかけて清和源氏を戦わせた。だから公家に武士道はあまりない。
794 :
武陽陰士 :2007/07/07(土) 03:18:26 O
どうでもいいが、 この板の住人は古文と日本史の知識が中学生以下だな。 戦国戦国ってウルセーし。 院政期とか分かんないのかね。 『葉隠』が難しいとか、しょうもねーな。 武士道云々すんなよ。 まあお前らはマトモな日本思想史(出来れば近世ね)の 研究者んとこ行って啓蒙された方が早いよ。 あとさ、こんなとこで実証なんて基本的な知識が 中学生以下の人間に出来る訳がないよ。 通史から始めなきゃいけないじゃない?
795 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 03:18:48 O
清和源氏達は自らの生き残りの為と、共通の祖先が清和天皇であるというプライドを信じて命を捧げてきた、一種の集団ヒステリー状態。
796 :
武陽陰士 :2007/07/07(土) 03:30:59 O
外人に「日本」と言えば、ブシドー、禅と答える。 その理由は、ニトべイナゾウ、スズキダイセツの二人のお陰(せい)だ。 二人とも奥さん白人。 英語が出来すぎた。 西欧人は武士道と禅を二人の著作で初めて認識したのさ。 こんなのも基本的なことがらなんだが。
いや普通に荘園の管理権(事実上の支配権)を巡る利益争いだろ
自民党議員も巻き込んだ単なるヤクザの抗争とかわらん
799 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 10:18:37 0
武士道とともに生きる 奥田碩 山下泰裕
真に求められるリーダー像、未来のビジョン――「旗」の重要性、
礼節の大切さ、教育の問題、勝負ごとの要諦……。
バブル期以降、富みに顕著になった日本人の経済至上主義、拝金主義を戒め、
グローバル社会の今こそ「武士道」精神に学ぶことは多いと説く本書。
経営者・幹部クラスから中堅・若手に至るまでのビジネスマン、
就職活動中の学生、教育関係者、スポーツを愛する方など、幅広い層に読んで頂きたい一冊です。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/200504-05/index.html
800 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 13:47:12 O
武士道は桓武平家より清和源家の妄想的伝統。特に小笠原流礼法のこと。一般外人は何も知らない
系譜捏造は武家に限らず。江戸期末は町人が御家人株買ったりも変形例かな。
802 :
し :2007/07/07(土) 14:50:53 O
其の疾(はや)きこと風の如く其の徐(しず)かなること林の如く其の侵掠(しんりゃく)すること火の如く其の動かざること山の如し
803 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 15:06:58 O
源氏も平氏もすべて天皇の血筋で多くの源氏のなかでも征夷大将軍を取ったのは清和天皇から出た清和源氏だけだ。源、足利、得川(新田)。源の性はすべての根源である天皇家から出たという意味の源。そのなかでも清和源氏、宇多源氏、村上源氏、花山源氏が有名
804 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 15:16:31 O
平氏は四流、桓武、仁明、文徳、光孝。特に武家の棟梁として栄えたのが桓武平家で源平の戦いは清和源氏と桓武平家の政権争いだ。桓武平家も後世に残り我々の多くのDNAに入っている。北条・三浦・畠山・千葉などが平氏の子孫だ。越後の長尾景虎(上杉謙信)も桓武平家
805 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 15:20:35 0
腹を切る意味は何ですか? そこに武士道のすべてが凝縮されてるような気がします
それより、侍に話しを聞けよ。
∧_∧ (・ω・`) うむ。拙者がお答えしよう `ノ^yヽ ヽ_ノ==lノ / l| """~""""""~"""~"""~"
808 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 18:27:19 0
武士道とは自分のするべきことを欲望や打算に負けずやり通す。 要は主君に腹を切れと言われても、損得抜きで自分が納得出来ないなら腹を切らない。 逆に腹を切ることで光明が見出せるのなら腹でも切るという精神。 現代ならチンピラにタカラれて恐怖から金を出してしまうのは武士道ではない。 逆に女連れで歩いている時に絡まれて女の前だからと格好をつけて勝てる見込みもないのに喧嘩して、 女にまで迷惑をかける結果になってしまう・・・この場合は恥を忍んでチンピラに頭を下げ、その場を治めるのが理にかなう。 要は状況を判断し、名や欲にとらわれず最善の行動を選ぶのが武士道。だと思う
809 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 18:30:40 0
その通り。それが本物の武士道。
>>808 チンピラが調子に乗って、女も連れて行こうとしたらどうするんだ?
チンピラが味をしめて、他の人間を恐喝しだしたらどうするんだ?
811 :
考える名無しさん :2007/07/07(土) 22:21:23 0
>>808 腹を切ることで見出せる光明・・ってなんです?
812 :
808 :2007/07/08(日) 01:34:18 0
>>810 、811
私のレスの最後の行を読んでください。
例えばの話であって、事に対処した時のその場の状況も各自違うので、
あなたの質問は意味がないと思います。
美学
814 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 03:11:33 O
むやみに霊界や輪廻を盲信する閉鎖文化社会の騎士たち。
なんでもいいから悪口言いたい
毎日卑屈に生きてるから、頭の中でヒーローと完全一体化したく なるコスプレ願望=武士道大好きオタク
なんでもいいから悪口
818 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 07:51:12 O
きょくてんせきち
819 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 07:51:56 O
おちむしゃはすすきのほにもおず
820 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 08:23:52 0
>>812 >要は状況を判断し、名や欲にとらわれず最善の行動を選ぶのが武士道
切腹はべつに武士道でも何でもない・・というご意見よくわかりますた
この世は「状況が優先」なのでありそれに振り回されるのが武士道だということも
わたしも武士道に生きてたってことみたいですね?
その通り。 それも立派な本物の武士道也。
822 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 08:59:02 0
>>820 切腹は行為であって武士道でもなんでもないのはガキでもわかるだろw
切腹が時に武士道を貫くための手段となることはあっても、切腹が武士道そのものなんてことはない。
自決にしろ戦闘行為にしろ武士道文化の日本以外の国でもやっていることなんだから。
武士道ってのはそうゆう行為の問題じゃなく精神の問題。
状況に振り回されるのは打算があるからであって、状況に振り回されず最善の行動をとるのが武士道。
あんたは、とにかく武士道を否定したいがために無理に理屈をつけすぎている。
逆になんで通らない理屈をつけてまで武士道を否定したいのか教えてくれ?
ひょっとして武士道を勉強もせず、死を強制される思想と一人で勘違いしてはいないか?
823 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 10:03:14 0
「状況に振り回されず最善の行動をとる」のは武士道文化の日本以外の国 ではやってないことなのかい? 武士道文化の日本以外の国でもやっていること だったら、それは武士道じゃないのかい?
824 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 10:18:10 0
>>822 >武士道ってのはそうゆう行為の問題じゃなく精神の問題
おまえはね、根本が間違ってるのよw
ひとの言ってる事とやってる事・・のどちらが真実かといえば「やってる事(行為)」さ
精神なんぞ後でどうとでもその中身の修正・付加・言い換えが可能・・まやかし騙しが多いのよ
従い、ひとが「何を重んじたか」はその行動(何をしたか)以外にその内容を知る術が無いてこと
825 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 10:23:24 0
>>824 それもまた変だな。武士道ってのは、
一種の倫理であり「・・・すべし」というような
当為の体系なんだろうから、
武士たちが実際にどう行動していたかという事実とは
同一視できんだろ。
826 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 10:27:20 0
>>824 そう考えるオマエは精神論的な武士道のスレに何しに来てる?
オマエ自身は武士道にたいしてどう評価するのか教えろ。
オマエも自分自身の意見を述べるべき。
否。 武士道精神をもって上司にゴマすりすれば武士。 武士道精神をもって買春していれば武士。 外から見た行動は関係ない。人は内面で判断すべき。 人間は心だ。
武士というのは商人を蔑視していた。金儲けばかり考える人間は 武士の風上にも置けぬ。 公務員こそ武士道の実践者である。
829 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 10:34:16 0
>>827 貴方の言う通りに自分も思いますね。
他からの評価というのは武士道みたいな唯心論的な思想から言うと名誉を求める欲望ですからね。
自分が良心から行動し他人からも認められるなら良いが、他人に認められたいという動機から行動するのは打算であるってこと。
結局、自分の行動というのは自分の心から発するもの。
まぁ内面が行動に現れるわけだから、内面と行動は別物じゃないという結論になるかな。
社保庁は武士じゃなないな・・・当たり前かw
現代日本の武士は米国ですよ
832 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 12:29:39 0
>>825-826 ほんとにオツム弱いみたいだなw
「○○道」と名がつけば「まずその道を肯定して語るべき」というのは屁理屈
糞を意味あるもののごとく扱う必要はない・・糞は糞、というのが当方の指摘
なお「倫理」とは行動規範だが、「具体的な行動」をイメージできないものを
行動規範と呼ぶことはできない、つ〜かそれ「霞を食う」の類だろw
833 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 14:08:32 0
834 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 18:55:35 0
>>832 いや、オマエは哲学板に来ては駄目だよ。
自分では賢いと思っているのかもしれないが傍から見ると馬鹿そのもの。
俺から見ると貴様が糞にしかみえない。
835 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 19:03:23 0
>>834 アホかw
おれは馬鹿そのもの糞そのものだよ
ま、それでもお前の馬鹿さ糞さには負けそう
つか明らかにおれが負けてるw
836 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 19:14:09 0
>>835 はやっww張り付いて必死だなww
子供の口喧嘩にしかならなくなってきたな。
俺とオマエがお互い馬鹿にしあってもな〜
まっ俺はオマエのほうが馬鹿で糞だと感じてるんだ。
だってオマエは否定するための否定しかしてないしなw
837 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 19:18:06 0
>>835 武士道は戦いを連想させるのでイジメられッ子の835には喧嘩強制の思想に思えて必死に否定するのだろう。
普通はくだらないと思う思想を、いちいち否定するために2chやらないもんw
838 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 19:19:41 0
>>836 「相手に合わせてやろう」・・とするといつも
レベルがとことん落ちてしまう
合わせないとそういう事は起きないんだが
今度は相手がついて来れない
そういえば漱石も似たようなこと言ってたな
情に棹させば・・
おれって気が優しいからな、、、
839 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 19:20:09 0
840 :
考える名無しさん :2007/07/08(日) 21:25:16 0
武士道を知りたきゃ オタクに聞くな オタ公なんかが武士道語るな!!!! 武士道知りたきゃ 本を読め 葉隠 武士道 俄を読め 武士道は人によりて違うもの 俺の武士童はこんなもの 俺の信条はこんなもの 仁義欠かず 友を助け 誰の為とも死せる覚悟 仁義の意味さえ知らねえ 寄生虫共 クソ野郎 女々しい キモイ イモ野郎 オタク野郎
841 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 00:18:40 0
;:',;' || ||/ / || | / '",:;; || || / ;:',;' || 0)|| '",:; || ||;:',;' ;:',;' '",:; || ∩___∩_ || | ;:',;' _||_ __(・∀・ ) ((0) '" ,:; C| | |||| |つ|____/ | ||| レ´_/| | | / ||| || ,  ̄ |_//_/ '",:; | || |_∞_| ||| (\_/) | || | | || ||||' ",:; | || ( ;´∀`) | | | | | | ||||||| ||| /|| `′ ||\ | | | | | || |||||| | | | /ヽ || || ´\ | | | | | | || |||||| \ 〈 \||=====|| / ) | | | | | | || ||||||| λ \ \_|ろ===E|_/ |_|_|__|_||∧|_|_||_||||| λ  ̄ //// | | ||\\\ Zy」 Lyゝ .;:'";:'".,:;';:'";:';'.;:'",:;;:';' ( ( ( | | | | | ) ) )).;:'";:'".,:;' .;:'",:;' '.; : ' ,;'.;:'",: ;'.;:' .;:'".,: ;:' ,:;';:'",:;'.;:'";:'",:;''".,:;';:'"'.;:';'../ ̄ ̄\;;';:'" ,:;'.;: ',;'.;:'", :',; '", .;: .; ;' ;'. | ̄ ̄ ̄ ̄|;.;:',;'.;:'",:;'. ;:'",;'.;:'",:;;:.;:'",:;'.'".,:;';:',:;'., ̄| ̄ ̄| ̄;' .;:'",:;'.;:':;'.;:'
かつおぶしを削るどう
844 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 00:34:07 O
>>788 難しいですね。直観的ですから。概念としての「義」が一般的に存在するのかどうかも
わかりません。局地的具体的なな判断を司るものとして個人的にしか存在しないんじゃ
ないでしょうか。考慮を嫌いますので哲学とも言えないのかも知れない。
腹を切るのも打算が働いてはだめですね。問題に対する個人的で最終的な結論です。
それに意味を見つけるのは他の武士の仕事ですね。あてにはしませんが。
少数の武士共同体内でのリスペクトの問題ですね。
846 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 16:12:25 0
>>845 >概念としての「義」が一般的に存在するのかどうかもわかりません
>>787 >「義」は人の命より「大事」である
おまえは「義」が「存在するのかどうかもわからない」といい、
一方で「義」を人の「命より大事」である・・と定義づけている
お節介かもしれないが医者に診てもらったほうが良いと思う、、
>>846 >おまえは「義」が「存在するのかどうかもわからない」といい、
>一方で「義」を人の「命より大事」である・・と定義づけている
違いますね。「一般的な概念として」存在するのかどうかもわからない、です。
眼科医に相談してみてはいかがかなww
848 :
↑ と言ってられる幸せ\(-_-) :2007/07/09(月) 16:55:49 0
>>847 845 名前: 没落した武家の末裔 投稿日: 2007/07/09(月) 13:22:43 0
>>788 難しいですね。直観的ですから。概念としての「義」が一般的に存在するのかどうかも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
わかりません。局地的具体的なな判断を司るものとして個人的にしか存在しないんじゃ
~~~~~~~~~~~~~
ないでしょうか。考慮を嫌いますので哲学とも言えないのかも知れない。
腹を切るのも打算が働いてはだめですね。問題に対する個人的で最終的な結論です。
それに意味を見つけるのは他の武士の仕事ですね。あてにはしませんが。
少数の武士共同体内でのリスペクトの問題ですね。
847 名前: 没落した武家の末裔 投稿日: 2007/07/09(月) 16:30:24 0
>>846 >おまえは「義」が「存在するのかどうかもわからない」といい、
>一方で「義」を人の「命より大事」である・・と定義づけている
違いますね。「一般的な概念として」存在するのかどうかもわからない、です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^~~
↑
後出しジャンケンだけならともかく、「嘘の言い換え」をするのは小学生以下だぞタコw
没落さんはウソで固めた人生を歩んで来られたようですね。
850 :
考える名無しさん :2007/07/09(月) 17:03:11 0
「1つの誤魔化しが百も千もの誤魔化しを呼ぶ」 …山の上のお蔵。
自分を誤魔化して生きて北…あ、北の方ですか?
コンテキスト無理解症か
反論しないところを見ると、少なくとも没落は自分が反論すると 余計墓穴を掘ってしまうってことがわかってるみたいだな
けものが踏み固めればけもの道があり 武士が踏み固めれば武士道がある 踏み固めるものがいなくなれば もはやあるのは言葉のみ
武士道精神は濃度が薄くなったとはいえ今でも受け継がれてるよ。
856 :
考える名無しさん :2007/07/11(水) 22:05:18 O
今川義元やってるね
857 :
考える名無しさん :2007/07/11(水) 23:00:35 O
858 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 05:38:33 0
武士道とは武士道とは何かを見つけること その結論の一つが「死ぬことと見つけたり」
859 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 15:40:09 0
>>858 「見つけること」自体が道なら見つけ続けてなきゃならないわけで
結論なんか出たらオカシイじゃんよ
それって単に「途中で見つけたこと」であって
そういう「途中のもの」を結論とは言わないのよ
860 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 15:46:30 0
途中ではあるが、直ぐに死ぬから先はない。
あのな、現代の武士道とはな、まず自分が武士だと思い込むところから 始まる。そして次に新渡戸と葉隠を読む。 武士である自分が歩めば、それが全て武士道になる。現実の武士は 裏ではセコくて汚い事もオナニーもやってたし女も強姦してたし イジメもしてた。そういう汚いことも含んで武士道だ。朝起きて鏡を見て 俺は武士だとつぶやく。そこから武士道が始まる。
862 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 19:27:42 0
863 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 21:45:48 0
武士道とは、自分が武士じゃないと理解するところから始まる 最初から武士な奴などいない。 その程度も悟れないのに武士道など理解できるわけがない。 まず自分が何かの本質にいたるのが武士道の基本だ、そして 相手が何かを悟れればこれで完成である。 物事の本質とは意味として理解できないことを悟れ。
864 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 22:02:56 0
「たけし道」てなんですか?
865 :
考える名無しさん :2007/07/21(土) 22:16:24 0
私は騎士道の方が好きなんだが。
【武士道と衆道】 一番最初に衆道を日本に持ち込んだのは空海。衆道の始まりは坊さん。 その後貴族に広まり武士に広まった。有名な衆道家は 空海・足利義満・伊達政宗・織田信長・武田信玄・上杉謙信・徳川家光 こんなんはほんまごく一部、ほか、一杯いすぎ。 ほとんどがそうやと言うても過言じゃない。 なんせ、それがステータス、その頃ではごく普通の風俗だから。 そうでない奴を探す方が大変。
867 :
考える名無しさん :2007/08/14(火) 23:43:53 0
戦 \:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 国 ../::::::::::::::::::::::::、:::::::::::::::::::::::::::::: い 武 ホ ヽ:::::::::::::::::::::::::ヽ、,::::::::::::::::::::::::: ま 将 モ 〉∧i i゙i .|l, 、ヽ斗l' ヽ:::::::::::::: せ な じ /`トl、{.ヽ.l!、 イ℃)ヽ,i:::::::::::: ん ん ゃ >! (℃}`ヽ ヽ!"´´ ヽ l,::::::::::: !!!! か な l 、 "/// ////// u |::::::::: い i /// ヽ ._....-- 、. !:::::::: v-"!、u . .r‐''''"゛ l .il::::::::: .、., i=@.、 ,,/ヽl::::::::`-..、'!、 /・/ l:::::::: ! ./ `'".!::::::::::::::::::::`''!-ii=--;;'''".ノ |::::::::: ″ !:::::::::::::::::::::::::::::::::`"''ァ'"゛'., ー''│::::: ハァハァ ,!::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/]、,/ l:::::::: /:::::::::::::::::::::::::::::::::,,イ ,l'" ,!:::::::: iヽ,∧/i,7::::::::::::::::::::::::::::/ / ,l'l ,,i'!::::::: ┌, ‐''''ヽr‐┐:::::::::::::::/ __ /ノ |, \, ./ |:::::: . / 、 ゙ッ.l:::::::::,i'"/./゛.--ィ_.ゝ/i"\ |:::::: .| .''" .l /:::::://○iラ"、.ブ i' .l′ 'l:::::: .| ...=@ l::::./ ゙゙ノ,ljZr"''''''゙゙".、/ ./::::: .,! 〈::./ .r'"'!ッ'"._ l'"´ =''゙/ !:::::: .:!. u -'" リ゙ .,iヘ,フ" ,, - ,,,7_,レ ,! /:::::::: : .l'ヽ ./ .|,,./′.,ノ_./ l !:::::::::: .゙'、ヽ_,,,..i''|′.l ./ ./ ''''ー′ l /:::::::::::: ::::::.`'ー--'゙/ ./ .│ .| / ""''''""l .!::::::::::::::
葉隠にも衆道の話が出てくるな。
869 :
考える名無しさん :2007/08/15(水) 18:52:46 0
たけし道とどう違うんですか?
士族に限らず、当時理想とした道徳観? 道徳観なんて時代、宗教で異なるんだから 現代日本に生きる我々が善悪を語ったところで・・・。 しかし最近思うんだよなぁ。 強烈な道徳観は多様性を潰すけど、多くの人にとっては ある意味幸せへの近道かもって。 判断基準があるから悩まなくていいからね。
871 :
考える名無しさん :2007/08/15(水) 19:57:32 0
>>870 >判断基準があるから悩まなくていいからね
おまえの脳はゾウリムシみたいだなw
872 :
考える名無しさん :2007/08/15(水) 20:00:10 0
武士道の起源は縄文にあるとか中沢新一氏が言ってたよ
>>871 レスありがとうー
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(ω・ )ゝ < フムフム ナニナニ?
. ノ/ / \_____
ノ ̄ゝ
・・・き、貴様ぁぁぁ!
オレ様を挑発してるのかぁぁぁ?
あぁ〜ん?
ところで・・・
実際私の脳はゾウリムシ以下なんだけど ∧_∧
どうしてそれがばれたんだろう? ( -д-)
874 :
考える名無しさん :2007/08/16(木) 00:38:11 0
>>873 小さな脳味噌丸出しにしといてよ〜ゆ〜わw
「強烈な道徳観」を壁に見立てると
ゾウリムシは壁にぶつかると反射的に向きを変える
またぶつかると変える・・を繰り返してその生涯を終える
な、そっくりだろおまえにw
その強力な道徳観を自分も共有できるんなら楽だろうね。
876 :
考える名無しさん :2007/08/16(木) 01:16:24 0
>>875 「強烈な道徳観」を共有するのは大きい脳には無理でも
脳のほとんど付いてないゾウリムシなら簡単
その安易さ果たして羨ましがるべきものかは別
そっか・・・ 小さな脳味噌丸出しだったのね。。。 かわいそうなオレ様。 強烈な道徳観の話については微妙に勘違いされてるみたいだけど、 もうどうでもいいや、 所詮ゾウリムシのたわごとだし。 では暑くて干上がっちゃうので水中に戻ります(モゾモゾ)。