1 :
考える名無しさん:
優しさという概念は常に危険を伴う。
「人に好かれたい」、「一人ぼっちは嫌」だから
優しい人であろうとか思ってる内は、その優しさ
は本物ではないカモ
4 :
考える名無しさん:04/12/22 02:32:43
優しさは優しい
「人が憂いる」、と書いて「優しさ」。
6 :
考える名無しさん:04/12/22 02:38:26
優しさという概念は無限の悲しさを秘めている
7 :
考える名無しさん:04/12/22 02:39:36
嗚呼、優しさよ。君は何処にいるんだ!
8 :
考える名無しさん:04/12/22 02:55:05
優しさと愛、この二つのベクトルは常に悲しみへと向かっている。
俺は……俺は…… 優しさに包まれて生き、優しさに包まれ眠りたい。
今日もその願いが叶わなぬまま、眠りにつこう。
おやすみ。哲学板の諸君。
9 :
考える名無しさん:04/12/22 13:37:33
狂人メ
10 :
考える名無しさん:04/12/22 18:53:03
ぬるぽ
今日、駅で老人が階段をのぼるのを手伝った。
老人は俺に「あんた優しいねー」といった。
その横を通り過ぎていく女子高生の一団が「偽善者」「かっこつけ」などといいながら笑って通り過ぎていった。
優しさは偽善か?
しない善よりする偽善
13 :
考える名無しさん:04/12/23 05:22:25
クソ女子高生に「はたしてそうかな?」と言ってやれ
やられ女〜 や〜い や〜い
>12
だけど偽善には危険な一面もあるよ
助けた相手を心の中で支配した気持ちになる
16 :
ちんかす:04/12/25 00:35:25
漁スレ揚げ
優しさから出る行為と偽善から出る行為はどこが境界線だろうか。
老人を助けようと考え実行していた間は、確かにそれだけを考えていたが。
助けた老人から礼を言われた後、15が言うような偽善の危険な一面に満ちた気持ちになったのも確かだよ。
18 :
考える名無しさん:04/12/25 01:33:56
まわりに誰もいない状況を仮定した場合においても
その老人を助けたのなら偽善にはならないのでは
19 :
考える名無しさん:04/12/25 02:02:52
自分に対して偽善なんだよ。
そしてそれは、善悪の問題じゃない。
美意識の問題だ。
20 :
考える名無しさん:04/12/25 02:04:39
偽善であろうが善であろうが、悪であろうが為す理由なんか気分でイイジャマイカ。
優しい人間になりたいぞ!
しかし優しい人間になろうとすると、周りに偽善者の烙印を押される…。
悲しい世の中だな…。