【Immanuel】 カントだよ全員集合!3 【Kant】
944 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:13:09 0
「アプリオリな総合判断」は文献学的には重要。
945 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:36:47 0
アプリオリな綜合判断はあるだろ。
数学がそうだし。自明じゃん?
え、まさかいまだに公理主義とか論理実証主義を引きずってるわけ?
数学は、分析判断だろうに。
947 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/05/29(木) 17:36:34 0
>>943 確かに、実験/検証等は人道的にも不能ですから、ア・プリオリ、ア・ポステリオリの識別は、認識論のロジックを組み立てる上での便宜的なカテゴライズと解釈するしかないですね。
カントは純理で随分と苦闘していますが、その論のスキームにも、ほころびが目立ちます。
948 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 19:47:37 O
数学は綜合判断
純理読めよ
>>948 数学が総合判断なんて言ってるのはカントだけ。
クワインや分析哲学の一派に批判されただろうに。
950 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 21:17:40 O
そして公理主義や論理実証主義は失敗した
アプリオリな総合的判断の存在を認めなかったからな
>>950 どういう意味で失敗したと言っているのか?
アプリオリな総合的判断の存在をどのようにあなたは解釈しているのか?
952 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 00:53:04 0
カントだって人間。間違いだってあるよ。
宗教じゃあないんだから、
「まちがったこと」は認めなくちゃ。
953 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:03:21 0
自明だろw?
5+7=12
5や7という概念に、12という概念は含まれていない。
綜合判断じゃん。
955 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:35:13 0
は? なんなの?
956 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:38:33 0
>>953 +という記号の概念が、両者を足し合わせる意味だから、分析的に5+7から12が出てくるというの?
それは浅薄な考え方だと思うよ。
実際に、足し合わせるためには、現象(直観)の助けが必要だよ。
5に6、7、8、9、10、11、12と足していって、12を導かなければならない。
そのためには直観がどうしても必要になる。直観を介在させなければ、述語を付加できないのだから、綜合的判断なのは自明だよ。
957 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:46:55 0
例えば幾何学にしろ、どこかに補助線を引けば答えが出る問題がある。
どこに補助線を引けばよいかは、分析的には出てこない。
一種の閃きが必要だからね。
補助線を引くという直観の助けを借りて、答えを出すしかないのだから、綜合的判断だよ。
>>956 それは計算を理解するときの経験的なレベルの話でしょ。
確かにカントはそのレベルで考えていたふしがある。
だが、そんなこととは無関係に「+」を足し合わせることとして
定義して 5+7=12 と導くのは分析的に可能でしょう。
二進法にすればもっと分かりやすいんだろうけれど。
現に計算機の演算過程はそうなってるし。
計算機に現象や直観の助けは必要ない。
959 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:53:01 0
「2+3=5」は分析
「因果」はアプリオリな総合
が常識だが。
960 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 01:59:28 0
>>958 二進法だろうと、直観の助けは必要でしょ。
計算機はすべて分析的にできるように公理主義的に定義を組み立てたんでしょ。
主語概念に考えていなかったものを、あとづけで主語に付加するようなことだよ。
順序を転倒してはいけないと思う。
その手続きでさえ、直観の助けなしにはできないだろうし。
数学がすべて分析的とは言えないよ。
>>959 「2」や「+」や「3」の概念に、「5」は含まれないじゃん。
「1498535+532543」ならどう? 答えを分析的に求めることができる?
紙に書いて筆算するでしょ。直観の助けを借りているじゃん。綜合的判断だよ。
ニュートンの3法則は総合
3法則を使って、計算するのが分析
962 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:16:49 0
みんなカントの綜合と分析の定義をおさえてるの?
>>958 >計算機はすべて分析的にできるように公理主義的に定義を組み立てたんでしょ。
そうだけど、まさに直観なしで公理主義で組み立てうるからこそ数学が可能になるわけでしょ。
非リーマン幾何学とか現象レベルでは理解できないと思うし。
足し算はたまたま人間の現象界に対応した演算だから経験に即して理解できるが、
足し算であれなんであれ直観不要の分析的な公理系として組み立てることは権利上可能だ。
それだけで十分に反論になっていると思うが。
直観は現象界に生きる人間にとっての実際の学習過程として必要なだけ。
習得過程や理解の段階論と、構造の存立の議論とは区別しなければならない。
964 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:18:49 0
>>963 おいおい、単に数式を書くのだって、規則に従って数式でもって計算していくのだって、直観を使っているわけだぜ?
常識を捨てて、純粋に考えろよ。
どうかんがえても、綜合的判断だろ。
965 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:19:31 0
>>963 ていうか『純理』読んでないんじゃないの?
>>964 そりゃ現実に生きる人間だからね。だからといってそれが公理主義の否定になるのか?
事実問題ではなく、あくまで権利問題の議論をすべきでしょ。
>>965 いまはあえて反カントの立場で議論してる。つーか少なくとも、
数学を総合判断とした純理への反論はこれまで無数にあったわけでしょ。
別に特別な話をしているわけではないよ。
967 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:29:14 0
>>966 カントが事実問題と言ったのは、悟性の超越的使用についてだろ。
やっぱり『純理』読んでないな。
『純理』にがっつり取り組めば、数学が綜合的判断であることに納得できると思うよ。
>>967 「悟性」なんて「曖昧なこと」を言い出したら、まともな議論にならんよ。
『純理』は聖書ではないよ。哲学なんだよ。
969 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:52:03 O
>>968 何が曖昧だ
純理読んでたら明確に理解できるだろ
読んでない奴は書き込むなよ
感性、悟性は心理学・脳科学的で
総合・分析は哲学的なんだ。
だから、総合・分析の議論に「悟性」など持ち出すのは初心者。
『純理』をしっかり読んでいれば、そういう間違いはしないよ。
971 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:04:31 0
>>970 いや、俺がいったのは、事実問題権利問題という言葉が出てくるのは、カントが悟性の超越的使用について語った場所だけだ、ということ。
このことだけでも、お前が純理すら読んでないことは明らかなわけよ。
恥の上塗りしてないで、さっさと読んでこいよ。それが無理なら、書き込むな。
別にカントの解釈話をするのはいいが、カントがこう言ったってだけでは議論になってないんだよ。
数学が綜合判断だというなら、なぜ分析的というだけではダメなのかを
事柄として正しいということを説明してもらわないと。
>『純理』は聖書ではないよ。哲学なんだよ。
そういうことです。
973 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:11:52 0
プゲラッチョ
純理も読めずに、数学が分析的判断であることにこだわるわけ?WWW
まず読めよ。基本文献だろ。
通りすがりの者だが
分析的判断=数学
総合的判断=その他
でどう?
カントは敬虔なクリスチャンですけど、
純理には無関係?
『純理』をかじると、「嫁嫁詐欺」になるみたいですね。
977 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:26:41 0
分析的判断なんてほとんどないよ。無意味だし。
「未婚者は結婚していない」とかが分析的判断。
純理を読んだことと、それを理解して他人にも説明できるようになること
とは全然別だからなあ。
それを混同しているのが「嫁嫁詐欺」。
純理を真面目に読んだんだからその努力を褒めてもらいたいという厨に多い。
自分で説明できるようにまでならないと、哲学書をどんだけ読んでも仕方ないだな。
嫁嫁言うことこそ読んでなくても言えるからね。
979 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:58:09 0
は? 労力使って説明する義理ないし。めんどいわ。
ってか読んでないことを認めなよ。
980 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:00:39 0
初心者ですが
感性=ア・ポステリオリな総合的判断
悟性=ア・プリオリな総合判断
理性=分析的判断
でどうでしょうか?
981 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:05:13 0
>>980 感性、悟性、理性はいい加減なものでどうにも解釈できる。
事実、現代心理学ではその区別は公式には認めらていない。
と思って、感性、悟性、理性を再定義したと思えば、グー。
983 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:28:37 0
>>982 いい加減じゃねえよw
感性→現象(多様)
悟性→現象(規則)
理性→物自体or現象(統一)
だろ。明晰すぎて曖昧さは欠片も残らない分類だろ。
984 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:29:06 0
純理も読んでないアホはこのスレに書き込むなよw
985 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:31:39 0
>>982 てか心理学じゃなくて哲学の認識論なんだがw
マジで馬鹿すぎるなコイツ
>>984 そういう嫁嫁発言は全然純理の精神にそぐわない。お前こそ純理嫁
987 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:33:55 0
純理の精神ってなんだよ。
お前ってさ、純理純理言いながら具体的に純理の内容を話さないよねw
そりゃそうだ。頭が悪くて読もうとしても理解できないからねw
>>987 「哲学を学ぶことはできない、哲学することを学びうるだけである」
989 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:55:17 O
プロレゴメナ読んだだけの駄目学生ですが、思うに分析的判断/総合的判断って概念レベルで行われる以上、後期ウィトゲンシュタインの言うような言語ゲームにすべて包摂されると思うんですが、みなさんどう思いますか?
>>989 頭が悪くて『純理』が読めないダメ学生ですが、
言語ゲームって、
「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」っていってるだけ。
と思いますが。
991 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:15:57 0
哲学者の多くは、問題探究の手段であるはずの文献研究が目的になってしまうという罠。ミイラ取りがミイラになる!
もちろん、ちゃんと分かっている学者もいくらかはいるが。
文献研究の専門家はどうかといえば、訓詁学がきちんとできる専門家も少ない。
目的であるはずの文献研究(訓詁学)ができていない。
つまり、思索探究家(哲学者)であろうと、文献研究家(哲学学者)であろうと、徹底できている人が少なすぎる。
どちらも中途半端な偽者が多い。
哲学するという営みと、偉大な哲学を整理・解明するという営み、自覚的に区別してそれぞれの専門を徹底しないといけない
992 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 03:23:36 0 BE:1815324487-2BP(0)
7゚|
| ミヽ_
`TT
>>990 >「人間は言葉をしゃべれる生き物だ」っていってるだけ。
これを言ったから、20世紀最大の哲学者と言われてるんだよ。