244 :
考える名無しさん:
「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。
だが君は君自身の心を出会う人に、
--もしその人が悪口するならば、
それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」
エピクテートス
245 :
人生の目的?:2007/07/26(木) 21:00:24 0
「君の不幸は他人の指導理性(心)の中に存する訳ではない。
また、君の環境の変異や変化の中(会社)にある訳ではない。
しからば何処にあるのか。なにが不幸であるかについて判断を下す君の能力の中にある。
ゆえに、その能力をして判断を控えさしめよ。
しからば、全てがよくなるだろう。」
マルクスアウレ−リウス
246 :
人生の目的?:2007/07/26(木) 21:11:15 0
>>242 鬱の原因は、ほとんど幼児期、少年期の家庭環境の影響が大ですが、
その時期の知覚、意識にストア思想を習得するのは不可能です。
鬱の原因を探っていけば、限りなく迷路に堕ち込みます。
鬱と気づけば、過去よりも今、現在が大事です。昨日の事は運命
明日の計画と【今日の実行】※
247 :
人生の目的?:2007/07/26(木) 21:27:34 0
社会のあるがままの錯乱と矛盾とをそのまま受納する事に堪える能力を
強い能力という。自分の眼と現実との間には、何等理論的媒介物はない。
個人的実践の場は社会より広くもなければ狭くもない。
こういう精神の果てしない複雑の保持、これが本当の意味の孤独である。
社会は殻に閉じこもった厭人家や人間廃業者等(鬱病者)を少しも責めない
その癖いつも生身を他人の前に曝している様な溌剌とした個性には、無理にも孤独人の衣を着せたがる。
「Xへの手紙」
確かに幼少期の欝の原因になったことを探ってもそれで欝がよくなるわけじゃないからな
認知療法のトリプルコラム法とか使って効果がすぐに現れる治療のほうが役にたつ
生きるのがつらくて認知療法とか行動療法とかの本たくさん読んだけど
もっと早くストア哲学知ってたら時間を節約できたな
ストア哲学が一番効果があった
最近は財産にも名声にも執着しないようになってきた、お金もあまり欲しいと思わない
でも人を愛さないというわけでもない、エピクテトスが言ってるように
いつか返す時が来るのを覚悟した上で執着せずに人を愛している感じだな
249 :
考える名無しさん:2007/07/27(金) 09:59:07 0
「そしてもしも呼ぶならば、羊のように縛られて船に投げ込まれることのないように、
それらす べてを放棄すべきである。人生においてもその通りで、
小さな球根や小さな貝殻の代りに可愛い妻子が与えられるならば、
持っても差し支えはないだろう。だが もし船長が呼ぶならば、
それらすべてを放棄し、心惹かれずに船に急ぐがいい。
だがもしも君が老人であるならば、呼んだ時決して置き去りにならぬように船か ら遠く離れぬがいい。」
250 :
考える名無しさん:2007/07/27(金) 10:02:08 0
251 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 18:06:56 0
252 :
考える名無しさん:2007/07/30(月) 16:52:15 0
「気絶した人には、オーデコロンが効く。でも絶望しかけている人がいたら、可能性をもってこい」 (キルケゴール)
人間は絶望したとき、「やけっぱちになる」「死ぬ」「ほかの可能性を探す」の3つしか選択肢がないんです。(竹田)
他の可能性を探す.
255 :
考える名無しさん:2007/08/05(日) 00:56:15 0
エピクテトスおよびマルクス・アウレリウス彼らの著作は、
「何度読んでも読みすぎることなく、思考において何度反復しても
反復しすぎることのない教えを含んでいる」
ギルバート・バーネット
256 :
考える名無しさん:2007/08/07(火) 19:50:31 0
Das Einmalkeit des Lebens(ダス・アインマールカイト・デス・レーベンス。“一回限りの人生”)というフレーズは、
Wer zuletzt lacht, lacht am Besten(ヴェア・ツーレッツト・ラハト、ラハト・アム・ベステン。“最後に笑う者が最もよく笑う。”)
257 :
考える名無しさん:2007/08/08(水) 14:56:48 0
「世界の名著 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス」
という本があったのですが、マルクス・アウレリウスは自省録だと思うけど
エピクテトスとキケロはなにが収録されているかわかる方いませんか?
エピクテトス、ヒルティの幸福論の提要しか読んだことないので、
もし、違う作品はいっているなら買いたいと思うんですが
キケロは『スキピオの夢』『ストア派のパラドックス』『法律について』『宿命について』
エピクテトスは『要録(堤要)』『語録』
ただキケロは抄訳が多かった気がした
うろ覚えだけど
259 :
考える名無しさん:2007/08/08(水) 17:08:02 0
>>258 ありがとございます、エピクテトス「語録」も入ってるんですね、買ってみます
キケロも文庫になってないの多そうですね『ストア派のパラドックス』とか題名もちょっと興味深いです
260 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/08(水) 22:11:56 O
>>232 その文面だと六号室は読了していないようだね。
読了したというレスもないようだし、かいつまんで粗筋を書くことにしたよ。
なにぶん読んだのが十代なんで多少の誤りは寛恕願いたい。
ただ物語内容の骨子は概ね妥当だと思う。では紹介しようチェーホフ『六号室』シノプシス。
主人公はストア派に傾倒している人望ある温厚な人格者の精神科医。
刑務所のような劣悪な環境の精神病院に勤めている主人公は、
時々、狂気と幽閉に苦しむ一人のインテリ青年患者との少し変わった哲学的な会話を楽しんでいた。
主人公は苦悶の叫びを挙げる青年に、
ストア的な心の平安と持ち方について超然と説く(主人公にとってある意味楽しみなのである)。
主人公は、いかなる劣悪な環境であろうとも心を平安に保てば、環境はやりすごせるし大丈夫だと断言する。
「否」と叫ぶ青年。
そんなあるとき、主人公はひょんなことから周囲から狂人扱いされ
閉鎖病棟に強制的に入れられてしまう。
冷たい牢獄のような病室(六号室)で、主人公は熱病に犯される。
そこで主人公はすべてを悟る。
自分が平生抱いていたストア的な平安、心の持ち方など
安全地帯での暢気なタワゴトなのだった、
冷厳な現実の前には人間の卑小な道徳哲学など役にも立たないのだ…と。
261 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/08(水) 22:19:55 O
〔『六号室』続き〕
主人公の熱病は冷めやらぬ。
高熱に浮かされつつ主人公がストアの哲学が虚妄であり、
冷厳な事実と現実の厳しさと重みの前には徹底的に無力であることを
初めて悟った長い苦しみの夜が明けた朝、
主人公は死ぬ。苦悶の表情を浮かべながら…。
262 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/08(水) 22:29:35 O
『六号室』はレーニンも衝撃を受けた小説。
私はクリスチャンだが、教会でストア派、ヒルティにハマっている友人たちに、
片っ端しから読ました。
結果、チェーフを嫌いになった奴もいたけど、ストア派と決別した奴もいたね。
263 :
考える名無しさん:2007/08/08(水) 23:09:04 0
エピクテートス『語録』
哲学は人間の外側のものを与えない.
すべて人の心の成長には時間がかかる.
264 :
考える名無しさん:2007/08/08(水) 23:22:11 0
レーニンは革命後の進歩的政策や晩年ヨシフ・スターリンの手法に
批判的であったことなどにより、一般的に批判はスターリンに
対するものより少ない。
しかし、レーニンが残した膨大な政治命令書が、ソ連末期のグラスノスチと共に
徐々に公開され、その活動の研究が文書にもとづいて批判的に行うことが
可能となった。それによると彼は秘密警察による政敵や、
政策に抵抗する人々への粛清を行った事などが判明してきており、
規模は違えどスターリンの政策と共通点があることなどから、
レーニンの行動そのものがスターリニズムを生む重要な素地であるという
批判がなされている。
また、彼自身を含めてボリシェヴィキ幹部の別荘建設や特別列車の敷設といった共産党員の赤色貴族化の発端はレーニン自身の行動にあるのではないかという研究もある。
265 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 00:36:07 0
>冷厳な現実の前には人間の卑小な道徳哲学など役にも立たないのだ…と
むしろ役に立たないのはキリスト教だろう
キリスト教ならありもしない神の世界に救われることを夢見てただ祈って、無駄な時間をすごすだけだろう
来世とか奇跡とかけっして証明されないことをいいことにして、
自分で物を考えられない、何かに依存しなければ生きていけない精神の弱い人を騙して洗脳する
ほかの神をみとめず傲慢で狡猾、教養のない人や野蛮な人を利用して
十字軍の遠征とか、魔女狩りとか、考え方の違う人を差別して略奪する
他の宗教の人や科学的に物を考える人も迫害する(自分で考えることをされるとこまるから)
キリスト教とか人類に害しか与えない、まっさきに排除されるべきものだとおもう
古代ギリシアの哲学やストア派の哲学者達の偉大な精神がまさってたら、どんなに素晴らしい世界になっていたかと思うよ
266 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/09(木) 00:49:30 O
>>265 何か勘違いしてるよ。
私がクリスチャンと言うのは親がそうだからで、
別にキリスト教が素晴らしいなんていうつもりないよ。
広めるつもりもまったくないし。
日本人が外国行くととりあえず仏教徒と自称するのと同じだ。
私としたらキリスト教広まると日本の土俗信仰が衰退しちゃうんで困る。
ま、私からすりゃ日本のストア派好きもキリスト教徒もヒマジンとか甘ったれが多いけどね。
ついでに言えば私はアンチキリストの書物も好きだよ。
しかし六号室は良い小説だな。
文学好きじゃないんだね皆さん(笑)
267 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/09(木) 00:54:13 O
キリスト教なんか、どうでもいいが私のレスはどうなんだ?
私はストア派好きの友人に、ストア派はヒマジンのタワゴト、安全地帯にいる奴の思想と言ったがね。
まあエピクテトスの出自は別だが。
六号室読めよ。
話はそれからだ。
レーニンは人間的に嫌な野郎なのは誰だって知ってるさ。
ついでに言えばドストエフスキーも嫌みな奴だ。
268 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 01:56:07 0
チェーホフも好きだよ桜の園と三人姉妹しか読んでないけど
六号室も思想は別として文学的価値はあるんじゃないの
>ヒマジンのタワゴト、安全地帯にいる奴の思想と言ったがね
ストア派のことはあまり詳しくないのかな
セネカは別としてもエピクテトスも奴隷だったし
ゼノンも碑文には「彼の生活は彼の教えと完全に一致した」とかかれてるし
ストア派はソクラテスやキュニコス派の流れも汲んでるけど
ソクラテスも犬のジオゲネスもほとんど財産なんてもってなかったし
みんなどんな苦難に見えても、自分の信念にしたがって生きてたからね
安全地帯とかなんのことかわからない
269 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/09(木) 02:10:16 O
エピが奴隷なのは知ってる(だから出自は別と注記した。ちゃんとみてよ)。
ただ本当にエピは奴隷なんだろうか?
私は実は違うんじゃないか(そうだとしても変格的な?出自の奴隷)と疑っている。
まあいいやー
ストア派は概して支配層に属する人間が多いよ。
ハマる人も若い人、苦労とはほど遠い人ね。
経済的な悩みで悩まなくていい恵まれた環境の人が多いな。
あなたがそうだととはいわないけど。
ところで私だけどストア派は十代の時、好きだったね。
ヒルティ経由でハマった。
どっぷりだ。
ま、六号室とは関係なしに決別したが(キリスト教ともね)
まあとにかく読んでよ。
とりあえずお休み
ストア派を知ってる奴なんて裕福なインテリか思想に興味ある若者だけだろ
因果を逆転させてる気がするが
つうかそのエピクテトスの仮説はどう考えても自分に意見に合わせるため作りだしただけだろ
「エピクテトスが奴隷だったら自分の考えと矛盾する」以外に何か根拠ある仮説なのか?
271 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/09(木) 09:39:53 O
>>270 今、電車でこれを書いている。だから舌足らずになるだろうが勘弁。
エピがナンタラは推論だが、どうでもいいよ。
日蓮、原敬(戸籍は平民だけどさ)、空也他が念頭にあってね。
実証的な史学の方法で検証すると事実は伝承ないし噂とは違っていたりするからさ。
まあいいや。
ストア派好きをヒマジンというのは私の仮説だが、
問題はこの仮説が妥当だかどうかだよね。
まあ面倒だから傍証言うよ。君のブレ方だ。
たとえば般若心経を愛読している奴、チェーフ好き、フーコー研究者、ハイデガー好き、
ヘーゲリアン、マルキスト、レーニン(笑)信奉者、キリスト教徒(笑)、イスラム教徒etc.
以上の方々に、ヒマジンのタワゴトと揶揄したところで、
笑って黙殺するだろうね。
なぜ私のレスに君は動揺したのか(レーニンとキリスト教について書き込みは君だろ?)
笑って黙殺はできなかったのかい?
それと君は私『六号室』シノプシスの内容については直接コメントしてない。
どうでもいい言葉尻ばかり(哲学板はそういう人多いな)捉えている。
あとストア派なら外的なつまらないタワゴトには動じないほうがよいな。
まあ私の書き込みはこのレスの住人の逆鱗に触れたような気がするが(挑発だこれは。ストア派としては乗るのは止めた方がいい)。
272 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/09(木) 09:44:56 O
はっきりいって経済的な苦境とか死とか病気、野蛮な外的な強制なんかには無理だな
ストア派。
通用しない。
君がそれを悟る日は近いよ。
私のレスに動揺しているみたいだし。
あと六号室を読め。
話はそれからだ。
私のレスもちゃんと読めだな
273 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 10:59:05 0
>ストア派は概して支配層に属する人間が多いよ。
>ハマる人も若い人、苦労とはほど遠い人ね。
>はっきりいって経済的な苦境とか死とか病気、野蛮な外的な強制なんかには無理だな
何の根拠もないのに自分の都合いいように解釈してるだけじゃん
君はストア哲学にもレーニンにもキリスト教にも本当の深い理解はないみたいだね
よく陥りがちだが、知識がないと思われるのが恥ずかしくて、手当たり次第に本ばかり読んで
内容についてはまったく消化できない人が、
本から学ぶだけじゃなくて自分でよく考えるようにしたほうがいいと思うよ
読書で知識が増えるのは素晴らしいことだけど、自分で考えることのできる人はもっと素晴らしいから
それとストア哲学は苦境や死や病気なんかの苦しい時に本当に助けてくれるよ
ストア派の教えは常識的で実践的なものだからね
274 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 14:00:24 0
権内
権外
275 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 14:13:21 0
「(エピクテトスはいった)
与えられた役をうまく演ずるのは君のことであり、
役をえらぶのは他人のことである。
毎日眼前に死をおくがよい。
またじつに耐え難く思われるあらゆる苦痛をおくがよい。
いやしいことを一切考えるな。また欲望を過度に抱くな」。
>>271-272 何か勘違いしてるようだが別に俺はストア派を信奉などしていない
むしろ自省録の背後にある嫌嫌ながら生きているとでも言いたげな厭世観には嫌悪する
セネカの哲学ですら所詮は隠棲に憧れる隠者の哲学だと思っているよ
例えば俺は
>>265のような、偏見と無知にまみれた断定には不快感を抱くよ。同じようにあんたにも嫌悪するだけ
動揺とか、逆鱗とか俺の心理を都合良く解釈しただけのものが傍証だと思ってるのか?
チェーホフの内容には触れないのか、というがハッキリ言ってどこがストア派への反証になっているのか分からないな
文学は哲学書と違って感動を与えやすい。それゆえに、真実らしいものを真実と思わせることなどいくらでも可能
あんたが感動にのまれて「何となく」それが正しいと思っているわけじゃないのなら、どこが反証になっているのか教えてくれ
277 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 14:26:06 0
善事をなして悪く言われるのは、王者らしいことだ。
古代ローマの哲学者 マルクス・アウレリウス 『自省録』
中傷を受けない賢人よりも、
中傷を受けても動じない賢人のほうが
格が上だということを知っておいてもらいたい。
セネカ
278 :
考える名無しさん:2007/08/09(木) 14:26:44 0
十人が十人とも悪く言う奴は善人であろうはずがない。だが、
十人が十人とも良く言う奴も、 善人とは違う。
真の善人とは、
十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である。
孔子
279 :
考える名無しさん:2007/08/10(金) 18:21:12 0
幸福への道はただ一つしかない。
それは意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである。
エピクテートス
280 :
考える名無しさん:2007/08/10(金) 18:46:49 0
「髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。
長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない。」
「万人のうちで、叡智に専念するもののみが暇のある人であり、
このような者のみが生きていると言うべきである。」
セネカ
281 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/10(金) 22:57:11 O
ストア派についての私の書き込みは完全に私のオリジナルだ。
自分で言うのも何だが、今まで数多のアマチュアの「哲学青年」(院生も含む)に出会ったけど、
ストア派好きはヤワだったな。
ストア派にはね、過保護で育った奴とかヒマジンとかの抱く悩みの
処方箋になっちゃうところがあると私は思っている。
ヒルティみたいな物質的に恵まれた階層の人間がストア派好きなのも肯けるな。
まあ再度言おう。実際のストア派はともかく、現代日本でストア派に傾倒するのは、
恵まれたヒマジン故に生じた悩みのせいであると。
そして君たちは薄々、私が主張するようなことは気がついている。
なんとなれば私の書き込みに君たちはムカついているのだから。
他の思想(ストア派は思想じゃないなどという突っ込みはなしだぜ)
例えば実存主義(いっぱいあるが)者、アナーキスト、マルキスト、キリスト教徒etcには.、まあなんでもいいや、
ヒマジンなどという罵倒は通じないだろう。
実際ヤワなヒマジンにはこれらの思想(宗教)は毒がありすぎる。
282 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/10(金) 23:03:33 O
卑小な自意識がたくさん詰まった心の粘膜を鉄ヤスリで擦りつけ、
無数の切り傷からツブツブの血がにじみでる。
そういう書き込みを私はしたつもりだが、どうだろう?
ストア派として自若としていられたろうか?
それとも………
283 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/10(金) 23:12:43 O
これも私の私見だが、ストア派は自己啓発本の古代版(笑)という感じがする。
多分このスレの住人は(大していやしないだろうが)、
その手の本をストア派とともに併(愛)読しているのでは?
284 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/10(金) 23:35:53 O
↑「私の私見」はオカシイ日本語だった。まあ
許してくれ。
もうひとつ付け加えれば、ストア派好きは根が真面目でイイ人たちが多いね。
多分このスレの住人もそうだと思うな。
私は性格悪いからね(笑)
ストア派はつまんない。
ストア派の賢者なんかよりレーニンみたいな嫌な野郎の方がずっと好きだぜ。
ああローマじゃないマルクスも大好きだ。
面白い本(資本論じゃない奴ね)書く奴で性格がねじ曲がっている。イイなあ。
お友達にはなりたくないが、読む価値はストア派よりかずっとあんな。
聖書もいいよ。旧約はセックスと暴力が詰まってて読ませるよ。
まあ地球上にはストア派なんかよりか読む価値ある本がウジャウジャあるんだが
285 :
考える名無しさん:2007/08/10(金) 23:37:38 0
同一のトリップを発見するための時間
現在の10文字トリップの場合、パスワードの組み合わせは約28.8京通りあるとされており、同一のトリップを発見するには、毎秒30万個検索した場合で約3万年かかるとされる。 これはあくまで目安であり、すぐに発見できる可能性も否定できない。
286 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 09:27:18 O
>>276 勘違いもなにもコテなしじゃ分からない。
まあ主張は理解したよ。
287 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 09:31:29 O
>>278 ストア派好きには論語の愛読者が多いね。
結局、「六号室」は誰も読まないみたいだね。
288 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 09:33:36 O
>>277 動じてるから、そういう書き込みをしている訳でさ。
289 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 09:35:57 O
>>276 隠者になっちゃう、なれちゃう金とヒマのある奴の人生論(笑)
これは褒め言葉だから。
念のため。
290 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/11(土) 09:37:28 O
>>276 嫌悪ならいいんだよ。
失笑だったら悲しいけど。
ま、連投になった。すまない
291 :
考える名無しさん:2007/08/11(土) 19:27:13 0
「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。
だが君は君自身の心を出会う人に、
--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」
エピクテートス提要
292 :
考える名無しさん:2007/08/11(土) 19:50:16 0
「君たちは或る人の生活を、また或る人の死を、とやかく言い、何か格別の功績のために
偉大とされる人物の名前に向かって、あたかも見知らぬ人に出会った子犬のように吠えかかる。
君たちにとっては、誰もが善き人と思われないほうが好都合だからであって、あたかも、
他人の美徳が君たち全体の過失を叱ってでもいるかのように思えるのだ。
君たちは嫉妬しながら、他人の輝かしさを自分の汚さに比べるが、
そんなことをあえて行うことが、どんなにか君たちの損になるかもわからないのだ。」
セネカ幸福な人生について
293 :
武陽陰士:2007/08/12(日) 01:50:51 0
>>273 学ぶために本を読むんじゃなくて、武器として本を読んでる。
私の目的は私のストア派についての私見が妥当かどうか、
2ちゃんでも試したくなっただけだ。
君とかのレスから読みとると間違ってはいないと自認したね。
ついでに言えば君は世界狭いよ。
イロニーも分かっていない。
私の書き込みにはイロニーだらけさ。
まあ深読み期待しても仕方ないがね。
294 :
武陽陰士:2007/08/12(日) 01:53:21 0
>>273 キリスト教は学ぶというより信じるものだよ。
お分かりかな?
一度も信じたことない人間が言っても説得力ないよ。
295 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 14:48:16 0
この世間で好きな仕事をしようと思ったら、
必要なことはするしかないが、義理は欠くしかないということである。
司馬遼太郎は「坂の上の雲」を書いている間、
おそらく十年間ほど、大阪の街を顔を上げて歩けなかったと書いていた。
一切の義理をその間、無視したからである。
296 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 14:50:16 0
>>293 アイロニー【irony】
「あいろにー」を大辞林でも検索する
《「イロニー」とも》
1 皮肉。あてこすり。
2 反語。逆説。
3 修辞学で、反語法。
4 ソクラテスの問答法。無知を装いながら、知者を自認する相手と問答を重ね、かえって相手が無知であることをあらわにし、その知識が見せかけのものでしかなかったことを悟らせる。
297 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 14:52:25 0
ねたみ・批判にあったときの名言
あるとき、ブッダは愚かな男から批判を浴びた。
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、
その贈り物はだれのものになるのか」
男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」
「そうか」ブッダは言った。
「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。
自分のためにとっておきなさい!」
298 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/12(日) 15:22:19 O
動じてるね。
やっぱ私の書き込みはあってるな
まあいずれにせよ『六号室』は読まないんだろうな。
「誰もが自分の心の良さを語るが、誰一人として自分の頭が良いとは敢えて言わない」
ラ・ロシェフコーの箴言集から
※ラ・ロシェフコーは率直に自分の頭が良いことを「敢えて」言ってるね。
君たちは前者だな(笑い)さぞかし人格者なんだろう。
ガッハッハハハハ
アウレリウス帝の『自省録』はまだ読んでない。
こんど呼んでみよう。
300 :
人生の目的?:2007/08/12(日) 16:01:32 0
百人百色、あの思想この思想…、自分の生活に役に立つのが自身の真理と受止めよう。
精神病棟『六号病室』を読むに、知らない世界、文学の深みは読めたと思う。
チェーホフ自身、医師の経験はなく妄想をつくして書いた『六号病室』。読者は喜ぶ〜〜^^。
過去の半鬱者にとれば、かくも有り難いストア学、他人の意思〜自分の意思を区別し勉学に仕事に
励みましょう。
301 :
人生の目的?:2007/08/12(日) 16:29:16 0
『六号病室』も良かった〜^^ですが。
エリスの論理療法もよかった、ビリーフ(感情の受け取り方・考え方)
感情の前の思考の方向転換により自身の感情の受け方が変ります、余計な悩み
怒りの消滅は大いに心の平静をもたらします。
ストア学の神髄「感情」を抜け「脱感情」に心の幸福を得ます。
…
「自己変革の心理学」伊藤順康
「自己発見の心理学」国分康孝 講談社現代新書。ありがとう^^
302 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/12(日) 16:30:35 O
>>300 ふーん。そうかねえ。
実体験がないとかあるとか、小説の読み方としたら拙劣だな。
中村光夫を読むといいな。
あなたのような小説観を批判してる。
303 :
人生の目的?:2007/08/12(日) 16:42:10 0
「自己変革の心理学」p65n
著者が孤島へただ一冊携えて持っていくならば『自省録』の中から
マルクスアウレリウス曰く
『君が外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのは、その事自体ではなくて
それに関する君の判断なのだ。…』
304 :
人生の目的?:2007/08/12(日) 16:54:02 0
中村光夫OKです、読んでみます。世界はあまりにも広くて大きくて
私の頭では及ばない世界です。
『六号病室』読んで確かに以前よりストア・ストアと意識しない所もでましたが
ストア学の良さ、キリストの良さ、日蓮坊の良さ…
良さだけを習慣に自身の二度とない実生活をヘミングウエイのように謳歌すればいいのではないでしょうか。
自殺は逃げです。
305 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/12(日) 17:10:43 O
>>304 やっと本物のストア派による書き込みが現れましたね。
「本物」と私が断定するのは傲慢ですが。
ただ言葉尻を捉えるようで申し訳ありませんが、ヘミングウェイはあまり人生を楽しんでいたようには思えません
306 :
人生の目的?:2007/08/12(日) 17:53:54 0
『キリマンジャロの雪』
キリマンジャロは標高5895メートルの雪を抱いた山で、アフリカでは最高峰と
言われている。…その山頂近くに凍結したまま干からびた「豹の屍」がある。
豹がなにを求めてそんな高いところまで行ったのか説明できた人はいない。うん。。。ヘミングウェイ
307 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 20:32:24 0
>>304 君がこの世から去ったら送ろうと思うような生活はこの地上ですでに送ることができる。
しかし他人がその自由をゆるさないなら、そのときこそ人生から去って行け。
ただしその場合ひどい目に遭っている人間としてであってはならない。
「煙ったい、だから私は去って行く。」
どうしてこれを重大なことと考えるのだ。
マルクス・アウレリウス 二十九
308 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 20:32:56 0
>>305 君は決して傲慢な態度を示してはならぬ。ただきみが最善と認めるものを、
あたかも神に指令された持ち場につくかのように、固持せよ。
そしてこれを守って動かぬならば、初めきみを嘲笑した者も、
のちには必ず賛嘆するであろうことを、確信せよ。
しかし、彼等に譲歩するならば、彼等はきみを二重に嘲笑するであろう。
エピクテトス
309 :
考える名無しさん:2007/08/12(日) 20:33:46 0
誉める者の数が、とりもなおさず妬む者の数である。それが大衆というものだ。
何ゆえに自分は、むしろ或る本当に有用な善を求めないのか。
自分が感服することのできる善であって、誇示することのできる善ではない。
人目を引くものや、人の足を止めさせるものや、互いに夢中になって見せ合うような代物は、
外側だけは立派でも、内側は貧弱なものである。
セネカ
310 :
考える名無しさん:2007/08/13(月) 01:47:15 0
大衆がする尊敬と侮辱とは、どのみち大同小異と見なされねばならぬ。
われわれはこちら〔侮辱〕に腹を立ててもいけないし、あちら〔尊敬〕を喜んでもいけない。
セネカ
311 :
考える名無しさん:2007/08/13(月) 01:50:26 0
人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。
最悪のものだという証拠は群集なのである。
セネカ
312 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/13(月) 23:38:19 O
ストア派の連中は世界を蔑視のうちに、
世界の発展がなく、広がりのない、世界との親密な関係がない他者とは無縁な生活のうちに
賢明な賢者の生活の実現を見出している。
ストア派連中にとっては知恵を持つ自分たちだけが生きているのであって、
その他の有象無象の人々は死んでいるのも同然なのである。
マックス・シュティルナー『唯一者とその所有』から抜
313 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/14(火) 00:41:37 O
>>309>>310>>311 哲人たち、とりわけセネカは、彼らの教訓によって少しも罪悪を除きはしなかった。
彼らは傲慢というものを確立するために自分たちの教訓を用いたに過ぎない。
ラ・ロシュフコー『箴言集』から抜
314 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 16:11:25 0
自分を大切にすることだ。
自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。
だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。
ウエイン・W. ダイアー
315 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 16:18:39 0
「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。
だが君は君自身の心を出会う人に、
--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」
エピクテートス
316 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 16:23:23 0
最も惨めな者といえば、
自分自身の用事でもないことに苦労したり、
他人の眠りに合わせて眠ったり、
他人の歩調に合わせて歩き回ったり、
何よりもいちばん自由であるべき愛と憎とを命令されて行う者たちである。
彼らが自分自身の人生のいかに短いかを知ろうと思うならば、
自分だけの生活がいかに小さな部分でしかないかを考えさせるがよい。
317 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 19:55:58 0
自分は陽明学が好きで伝習録を愛読している者です。
西洋の唯心論的な学問ということでストア学派関連の書籍を読んでみたいと思うのですが、
これがストア学派の原典だ!みたいなものはなにがありますか?よろしくお願いします。
318 :
考える名無しさん:2007/08/14(火) 22:57:00 0
「どの方向に心でさがし求めてみても、
自分よりもさらに愛しいものを
どこにも見出さなかった。
そのように、他人にとっても
それぞれの自己がいとしいのである」
ブッダ
319 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 00:12:43 0
>>317 ストア派の創始者はゼノンだけど、初期のストア派の書いたものはあまり残ってないみたい
後期のストア派のは比較的資料が残ってるみたいだけど
手に入りやすくてまとまってるのはヒルティの「幸福論」のなかのエピクテトスの提要かな
マルクス・アウレリウスの「自省録」は日記みたいなものだから体系的に述べられているわけではないけど
非常にすぐれた内容だから読むといいと思うよ
まだ読んでないけど
>>257あたりでもいいと思う
320 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 19:50:21 0
世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
321 :
考える名無しさん:2007/08/15(水) 20:03:05 0
ストア派ってセム族起源の思想ってほんとですか?
322 :
考える名無しさん:2007/08/16(木) 23:23:47 0
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
ラ・ブリュイエール
世間の誰をも、すべてを満足させようなんて、狂気の沙汰だ。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
323 :
考える名無しさん:2007/08/17(金) 03:54:07 0
324 :
考える名無しさん:2007/08/18(土) 02:45:50 0
「私の嫌いな10の言葉」(中島義道、新潮文庫、平成18年9刷)
相手の気持ちを考えろよ!
ひとりで生きているんじゃないからな!
おまえのためを思って言っているんだぞ!
もっと素直になれよ!
一度頭を下げれば済むことじゃないか!
謝れよ!
弁解するな!
胸に手をあててよく考えてみろ!
みんなが厭な気分になるじゃないか!
自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!
325 :
人生の目的?:2007/08/25(土) 20:48:41 0
ストア思想が、仕事に日常生活に浸透すればネ申。
机上の空論だけで終わらすのは損です。
326 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 21:34:32 0
>>325 全くその通りです!
ストア哲学は本当に素晴らしい、ストア派の哲学者達に救われました
いわゆる「必然を徳とする」ことによって、病気でいるのに健康でありたいとか、
牢獄にいるのに自由になりたいなどとのぞまなくなる。
昔、運命の支配から逃れ、数々の苦しみや貧しさにもかかわらず、
神々と至福を競うことができた哲学者たちの秘訣も、主にこの点にあったと思う。
かれらは、自然によって自分にあらかじめ限界が定められているか絶えず考察し、
自分の力の範囲内にあるものは思想だけしかないことを完全に納得していたので、
それだけで、ほかのものごとにたいする
あらゆる執着を脱しえたからだ。
ルネ・デカルト 「方法序説」
バカであるのに利口でありたいと望んではいかんのだ。
328 :
考える名無しさん:2007/08/25(土) 21:59:09 0
いわゆる「必然を徳とする」ことによって、病気でいるのに健康でありたいとか、牢獄にいるのに自由になりたいなどと望まなくなる。ただわたしは、万事そういう角度から眺める習慣がつくまでには、長い修練とたびたび反復される省察が必要なことは認める。(『方法序説』p38)
329 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 06:06:30 0
諸々の存在のうち或る物はわれわれの権内にあるが、
或る物はわれわれの権内にない。
意見や意欲や欲望や忌避、
一言でいえばおよそわれわれの活動であるものはわれわれの権内にあるが、
肉体や財産や評判や官職、一言でいえばおよそわれわれの活動でないものはわれわれの権内にない。
そしてわれわれの権内にあるものは本性上自由であり、妨げられず、邪魔されないものであるが、
われわれの権内にないものは脆い、隷属的な、妨げられる、自分のものでないものである。
そこで次のことを記憶して置くがいい、
もし本性上隷属的なものを自由なものと思い、
自分のものでないものを自分のものと思うならば、君は邪魔され、悲しみ、不安にされ、また神々や人々を非難するだろう、
だがもし君のものだけを君のものであると思い、自分のものでないものを、事実そうであるように、自分のものでないものと思うならば、
誰も君に決して強制はしないだろう、誰も君を妨げないだろう、
君は誰をも非難せず、誰をもとがめ立てしないだろう、
君は何一ついやいやながらすることはなく、誰も君に害を加えず、君は敵を持たないだろう、けだし君は何も害を受けないだろうから。
(中略)そこですべて不愉快な心像に対しては(中略)
それは何かわれわれの権内にあるものに関係しているのか、
或いはわれわれの権内にないものに関係しているのかどっちかという、
この第一の、何よりも大切なもので、しらべたり、吟味したりするがいい。
もし何かわれわれの権内にないものに関係するならば、
「わたしには何もかかわりがない」という答がもう手もとにあるわけである。
――エピクテートス『人生談義(下)』鹿野治助訳、岩波文庫、pp.252-253
330 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 09:26:51 0
ねたみ・批判にあったときの名言
あるとき、ブッダは愚かな男から批判を浴びた。
ブッダは黙って耳を傾けていたが、
相手が話し終えると次のように尋ねた。
「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、
その贈り物はだれのものになるのか」
男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」
「そうか」ブッダは言った。
「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。
自分のためにとっておきなさい!」
331 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 14:25:15 0
「我思う、故に我在り」
デカルト
332 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 14:25:53 0
「わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、
世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。
そして、一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと
信じるように自分を習慣づけることだった。」
デカルト
333 :
考える名無しさん:2007/08/27(月) 14:26:33 0
「われわれの意思はもともと、知性が何らかの仕方で可能だと提示することだけを望むもので、
次のことは確かだからである。
つまり、いくら良いものでも、われわれの外にあるものはすべて等しく
自らの力から遠く及ばないとみなせば、生まれつきによるような良きものがないからといって、
自分の過ちで失ったのでなければ、それを残念とは思わなくなる。」
デカルト
334 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 15:24:51 0
「死は元来、それ自体として恐ろしいものではない、
そうでなかったらソクラテスもまた死を恐れたはずである。
死は恐ろしいものだという先入的な考えが、むしろ恐ろしいのである。」
エピクテトス
>>326 今読んでいる、デカルト入門の本にデカルトはストア哲学のような人生論的道徳を疑ったと
あるんだけど。
336 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 19:38:37 0
>>335 >ストア哲学のような人生論的道徳を疑ったと
疑ったというより疑おうとしたといったほうがいいかも
デカルトが真理を探究するにあたって、あらゆるものを懐疑の目で見て疑って
でも、第一に何かを疑っている自分の存在自体は疑えないと考えて
「我思う、故に我在り」
と言うところを出発点にして真理を見つけようとしたけど
その探求の間はすべてを疑うにしても、実際の生活してゆくうえでは、
まだ結論が出ていなくても何かを決定する必要があるから、
仮のものとして、道徳的なことはストア哲学にしたがうことにしたということ
もちろんこれは仮のものだからあとから真理が見つかればとりかえるつもりだったんだけど
デカルトは道徳的には生涯ストア哲学以上のものを見つけることができなかったから
疑ってみたけどストア哲学は真理だとゆうことなんじゃないかな
337 :
考える名無しさん:2007/08/28(火) 19:54:19 0
あとデカルトが本当に疑いたかった道徳はキリスト教だとおもうよ
でもデカルトの時代はキリスト教徒の横暴と弾圧がひどかったから
ガリレイが断罪されたり哲学者が火あぶりにされたりして殺されたから
直接キリスト教を攻撃できなかったから、キリスト教の教えに疑問を呈することができなくて
しかたなく異教徒のストア哲学的な道徳におきかえて批判したんだと思う
キリスト教の横暴がなければ科学的にも哲学的にももっと自由に進歩できたと思うな
>>336>>337 なるほど。確かに「仮の道徳」という話がありました。
そう読み解くといろいろ得心できる。まだ読んでいる本は途中だし、自省録も途中なので
その辺を頭にいれて読みます。ありがとさんです。
近代でキリスト教批判してる哲学者は、大抵、その人の「あるべきキリスト教」があって、
キリスト教のない状態へ突き進んでるわけじゃない。
そこが現代との大きな違いだと思う。
340 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 11:56:20 0
幸福にしてあげたいなら、
その人の持ち物を増やさず、
欲望を減らしてやるがよい
セネカ
341 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 11:59:23 0
諸々の存在のうち或る物はわれわれの権内にあるが、
或る物はわれわれの権内にない。
意見や意欲や欲望や忌避、一言でいえばおよそわれわれの活動であるものはわれわれの権内にあるが、
肉体や財産や評判や官職、一言でいえばおよそわれわれの活動でないものはわれわれの権内にない。
そしてわれわれの権内にあるものは本性上自由であり、妨げられず、邪魔されないものであるが、
われわれの権内にないものは脆い、隷属的な、妨げられる、自分のものでないものである。
342 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 12:09:05 0
完全にわれわれの力の範囲内にあるものは
われわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけること
つまり、いくら良いものでも、われわれの外にあるものはすべて等しく自らの力から遠く及ばないとみなせば、
生まれつきによるような良きものがないからといって、
自分の過ちで失ったのでなければ、それを残念とは思わなくなる
デカルト『方法序説』
起こることには全て意味がある
344 :
考える名無しさん:2007/08/31(金) 13:59:06 0
『すべて世間の事柄は、きみの欲するままに起これよ、と望んではならない。
むしろ世に起こることは、その起こるがままに起これ、と願うがよい。
そうすればきみは幸福であろう。』
エピクテトス 提要