818 :
考える名無しさん:2008/12/23(火) 10:07:06 0
永井が「哲学的問題とされているものを器用に扱うだけの哲学者」みたいな感じで揶揄してるのって
この人と信原幸弘のことか?
三浦俊彦のことじゃない?
820 :
考える名無しさん:2009/01/03(土) 02:11:57 0
むしろ野矢茂樹は同業者からの評価が高い哲学者の筆頭格でしょ。
えっ?
>>817 どちらがキレるかはともかく、永井先生は解説向きじゃないよ。悪文すぎるからね。
まあ、翻訳やるよりはマシだとは思うけど。
翻訳は本人にとっても読者にとっても時間の無駄だと思うので
金輪際、手を出さないで欲しいです。
823 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 22:06:08 0
この人のトレーニングと
細野真宏の数学嫌いでも「数学的思考力」が飛躍的に身に付く本!
はどっちが良いですか?
825 :
考える名無しさん:2009/01/12(月) 19:09:05 0
確かに悪文なのは認めるけれど
ウィトゲンシュタインの解説は
永井先生の方がよかったと俺は思う。
項目立てがしっかりしてると思うんだよね。
それに比べて、野矢先生は典型的な学者肌の先生で
自己満的な記述をする。
>野矢先生は典型的な学者肌の先生で
えー
827 :
考える名無しさん:2009/01/12(月) 20:32:52 0
なんだかぜんぜん外れているなあ
野矢先生が学者肌だとか、
永井先生が悪文だとか、
どちらも真逆じゃん?
野矢先生は学者っぽい文章なんて一切書かないのが売りだし、
永井先生ほど美しい文体で書く哲学者はめったにいないのに。
その他の指摘も、なんだか驚くほど的が外れているんだが…
学者肌というより自己満大好き人間ってとこ。
永井は、日本語が難しい時あるね
『これがニーチェだ!』を書いた永井が自己満大好きでないとな?(それが悪いとは思わないけど)
個人的意見だが、ウィトゲンシュタインの解説本で項目立てがしっかりしていて
一番抑制が効いているのは鬼界彰夫の本だと思うが。
830 :
考える名無しさん:2009/01/25(日) 21:52:06 0
情報源としては役立つが、残念ながら、哲学的にはまったく面白くないな。
831 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 02:09:58 0
野矢の本ほど面白かったものはないけどなあ。
あまりにハマって、脱サラして科哲に入り直そうと画策中。
野矢さんは、哲学と名の付くタイトルの本は出さないほうがいい。
論理学関連のエッセイ出してたほうが幸せになれると思う。
いつもの印象論の人乙。
野矢さん別に論理学の専門家でも何でもないからなあ。
論理学の本は出して良いが哲学の本は出すなというのは意味が分からん。
「ソクラテスは死すべき存在である」みたいな簡単なことしかやらないから
論理学なら良いだろうとか思ってるのなら正直、論理学を舐め過ぎだと思う。
>>827 野矢は、文章を少しひねっているところがあるね。
「あれ」、「これ」などの指示代名詞の指示する先が、すぐ前の文章だったり、
前の章全体だったり、かなり前の問題提起まで戻って、それ以降が一連の
疑問の提示だったりと、学生をテストするような文章を書いたりする。
他にも、論理のつながりをあえて飛ばしたりするところもある。
考えを分かりやすく伝えるという意味では悪文かもしれないが、考えさせる
文章という点では、思考の結論の羅列の著書より面白いと言える。
>>836 脱ぎっぱなしの靴下が居間のテーブルの下にあったり、
冷蔵庫の中にあったりする感じだな。
838 :
考える名無しさん:2009/05/03(日) 05:10:58 0
あげ
哲学航海日誌を読んでいる途中、少し気になった点がある。
なぜ野矢先生は他者を例に挙げるときに「彼女」と言うのだろう。
なぜ女性に限るのだろう。
二人称なんて何だっていいはずじゃないかっ!
840 :
考える名無しさん:2009/05/06(水) 22:28:53 0
二人称じゃないし
842 :
考える名無しさん:2009/05/07(木) 01:21:13 O
ごめんなさい。もう調子に乗った書き込みしません。許してください。
見逃してください。野矢先生にもごめんなさい。
氏ねばいいのに
846 :
考える名無しさん:2009/05/09(土) 10:34:35 0
なんだとてめぇが氏ね無職
>>773 野矢より斉藤環の方が半階上とかお前馬鹿だな。
848 :
考える名無しさん:2009/05/09(土) 11:32:44 0
「彼」ではなく「彼女」を使うのは、最近の外国語の文献によくあるね。
フェミニズムの影響なんだろうか?
誰かyoutubeに爆問学問の野矢先生出演回をうpしてくれ
番組名関係でググったら真っ先にそのページが出てきてワロタ
>>849 めんどくさいの時間の無駄。
哲学の謎 野矢茂樹
空と無我―仏教の言語観 定方 晟
この世は空、言葉にすぎない をよみなさい
「新版 論理トレーニング」の2章、3章の課題問題の解わかる人いますか?
答えがあってるかわからない。
855 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 04:08:58 0
856 :
考える名無しさん:2009/09/03(木) 16:05:58 0
落ちないように保守
sage
ニッポンの教養新年会SPでのやり取りなのだがハッキリと思い出せない。誰か明確に覚えていたらぜひ教えてほしい。
斎藤環「今若者論で真剣に議論されているのが『ベーシック・インカム』っていうのがある。
働いていてもいなくても全員に一定の報酬がある。そういう状況を作ってしまいましょうよって。
で、結構支持者が多い。何故そんなことをするかというと、放っておくためですよ、彼ら(引きこもり・ニート)を」
太田光「そこまで親切にする必要あります?」
斎藤環「ハッハッハ」
野矢茂樹「これは親切とは違うよ」
太田光「でもニートのためにそこまでできないよねぇ、何故かというと確信が無いからだと思うんだけど
それが自分の幸せに繋がると思えば…!」
野矢茂樹「そんなもんなの?」
太田光「そうだよ。違うの?他人の幸せ?」
野矢茂樹「いや、他人の幸せとかそういうんじゃなくって。何かのために相手を尊重するっていうのは
最終的な確立だと思うけどねぇ」
太田光「うーん…でもそこで得られるのがさ、俺って偉いとか…」
野矢茂樹「そういう考え方は卑怯だと思う」
太田光「悪かったな。卑怯で…」
859 :
考える名無しさん:2010/02/24(水) 17:34:41 0
すみません。ageさせてもらいます。
[哲学の謎]で
非決定論の立場でも自由意志は擁護できない、幻想では と言う箇所ですが
非決定論⇔宇宙には決定論と非決定論が混在 と仮定する
人間も宇宙・自然の一部分だから混在する決定論と非決定論に従う(A)⇔
人間は宇宙・自然(神の振るサイコロ)に従う操り人形にすぎない⇔
人間は「宇宙・自然からは」自由ではない→
自由意志はない
という論法になっています。
けど
(A)⇔人間は、非決定論の領域において「決定論から」自由である
→自由意志はある
だと思います。(非決定論で自由意志を擁護する立場)
何か仏教思想なのか科学思想なのか、まず自由意志否定ありきの文脈に見えました。
861 :
考える名無しさん:2010/05/04(火) 08:39:46 0
862 :
考える名無しさん:2010/05/05(水) 16:44:20 0
論理トレーニングやってるけど解答は不親切だし、余計な感想書いているし、
誰か他の先生がもっと役に立つ本作ってくれないかな。野矢よりは売れると
思う。
71 :考える名無しさん:2010/06/15(火) 22:55:28 0
茂木さんがしきりにその名を挙げているアラン・チューリングが創案した
チューリングマシンは、あらゆる数学の形式体系をその動作に還元できると
いわれた仮想機械です。しかし、万能のようでいて、この機械で決定できない
命題も存在するのです。
そのひとつがいわゆる「停止性問題」で、これは簡単にいえば、ある与えられた
チューリングマシンが停止するかどうかを、別のチューリングマシンで決定する
ことはできない、というものです。そういえばゲーデルの不完全性定理だって、
同じ意味で計算不可能性の問題ですよね。これらについては「自己言及」問題
として、あとでもういちど触れます
http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2010/05/5-455b.html 72 :考える名無しさん:2010/06/17(木) 10:58:49 0
クルト・ゲーデル(Kurt Gödel, 1906年4月28日-1978年1月14日)は、
オーストリア・ハンガリー二重帝国(現チェコ)のブルノ生まれの
数学者・論理学者である。
1930年には最初の重要な業績である「第一階述語論理の完全性定理」
を発表し、学位を得た。
翌1931年、ゲーデル数の概念を用い、20世紀の数学基礎論、論理学に
とって最も重要な発見とされる「不完全性定理」を発表した。これは
ヒルベルトが数学の無矛盾性を証明するために推進した「ヒルベルト
・プログラム」にからんで研究されたものであるが、「数学は自己の
無矛盾性を証明できない」ことを示した不完全性定理は、正にヒルベルト
学派の主張した有限の立場を忠実に用い、手法としての超数学を具体化して、
皮肉にもそのプログラムが本質的に不可能であることを暗示した。
こんなのがあったのか。
>721 :考える名無しさん:2007/12/31(月) 11:26:12 0
>TV出演情報
>1月2日(水)NHK総合23:10―0:30
>爆笑問題のニッポンの教養 新年会スペシャル「2008年ニッポンの大問題」
>
>出演者:東京大学教授…浅島 誠, 東京大学教授…佐藤 勝彦, 青山学院大学教授…福岡 伸一, 東京大学教授…野矢 茂樹, 京都大学霊長類研究所教授…遠藤 秀紀, 精神科医…斉藤 環, 爆笑問題
決定論でいつも思うのは 神 ってなによ?
神という言葉の定義による言葉遊びがすべの発端だろ
神 = 全知全能 すべて知っている、なしうる
なんてことを想定して出発してる時点でややこしい理論遊びになる
この 神 を想定・定義したら 人間はその神から自由ではないのは当たり前。
そういう定義だから(神から人間がどうしたって自由ではありえない、そのようなトンデモな超越的なものを神という)
一度神という概念をやめてみようと思いました。
科学的決定論の一方で、人間の知りえない非決定的な要素が存在する(量子力学で)
そこで偶然や自由意志をこの人間が知りえない要素と定義する
人間が知りえないのだから偶然や自由意志といっていいだろう?
人間の知りうる決定的宇宙法則から自由だということで。
これでシンプルになる
いや、人間は宇宙、自然の一部だからそこから自由ではない
というのは当たり前で言葉あそび。自由を適用する概念を何気に置き換えている
繰り返すと、全知全能の神を想定すればそれから自由なものはありえず
ライプニッツの決定論でかつ、傾かせるが強制しないなんてのは何いってるの?馬鹿にしてるんじゃないの?カトリックがらみで適当なこといってごまかしたな?! である。→ もうライプニッツは明らかに何言ってるのかわからないのをいいことに適当いっている
われながらいいこといった。野矢の理論も触発を受けたが、あっさり超えた
あーわかる
そもそも素朴な自由意志
って定義を考えたら
他人から自由な意思ってことだよ
それだけ。
それはそれであたっているし間違っていない。
ただ俺もお前も、宇宙法則からは自由ではないよと言い出すところから
ややこしくなる
われわれは宇宙の決定法則、宇宙の非決定性から自由ではない