1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:04/11/25 01:03:13
>デリダ亡き後、現代思想をしょって立つのは、ナンシーではないだろうか?
それはないね。
ありえない
3 :
考える名無しさん:04/11/25 01:06:21
>>2 そうなの?
もうちょっと理由書いて欲しいです。。。
4 :
考える名無しさん:04/11/25 01:08:40
読んで本当にあなた、面白いと思いますか?
ナンシーが?
>>4 まだ「無為の共同体」しか読んだことないのですが、面白いと思った(十分理解でき
たかは自信はない)ので、これから他の本も読んでみようかな、と思っています。
止めた方がいいですかね。。。
バタイユと一緒に読んだら面白いんじゃないか?
7 :
考える名無しさん:04/11/25 01:24:46
無為の共同体は面白いと思いますが、しかしあの本だけであのテーマが
完結して面白くありえるわけでもないと思いますね。
他のテキスト−−ブランショからフーコーやデリダの問題圏に接続したときに
ナンシーのあのテキストは意味を明らかにしうるのであって、
ナンシー自体の作ってきた概念というのは往々にして弱くてショボイものが多いのでは
ないでしょうかね。ナンシーは年齢的にも高齢ですからこれから新しい展開を持てるとも
思いません。ナンシーはサブテキストとしては意味を発揮できるかもしれませんが
本人自身の自立した問題圏というのは影が薄く、中途半端なものが多いのではないでしょうか。
『無為の共同体』はよかったが、『侵入者』を読んでめっちゃ萎えた。
それ以降読んでない。
いま『自由の経験』読み中。
ナンシーの主著は『無為』じゃなくてこっちだぺ。
>>7はそういう評価を下すにしても、これを解読できてからにしてもらいたいな。
しかし何故こんなにむつかしんだ、おい。
10 :
考える名無しさん:04/11/25 15:35:59
>>9 中味がないからそれは難しいんでしょう。
哲学書というのは中味のないことを言ってる本のほうが
逆に見た目では難解に見えてしまうという現象があるね。
11 :
考える名無しさん:04/11/25 17:21:52
中身のないレスだね。
12 :
考える名無しさん:04/11/25 17:44:43
新刊出てるじゃないか
関?
>>10 中身がないから難しいんだったら
カントであれハイデガーであれ哲学の古典の殆どは
無内容ということになるな。
くだらないレスすんな。
17 :
考える名無しさん:04/11/26 00:36:40
18 :
考える名無しさん:04/11/26 01:06:16
>>15 カントにもハイデガーにも明らかにおいしい中味は充実して詰まっていますが
それとナンシーでは随分違うね。
そもそもナンシーを古典と勘違いしてるのは痛いな
>>18 カントやハイデガーを引き合いに出したのは、
「難しい哲学書は無内容だからだ」という趣旨を述べた阿呆なレス(
>>10)を
軽く反駁するためにすぎない。
ナンシーも中身のある哲学書は書いている(失敗作があるのは認めるが)。
カントやハイデガーと同列の古典だ等とは一言も述べてはいない。
20 :
考える名無しさん:04/11/26 01:20:13
カントやハイデガーはわかりやすいでしょう。
というかカントの文章読んで難しいとか思ってしまう時点で
まず厨房だね。彼ら古典の表面的な難しさの奥にある深遠が「難しい」
というのなら、まだ話がわかるが。
要するにダメな哲学書というのは、何が言いたいのかわかりにくいわけ。
言ってる事が。難しい言葉や言い回しが乱発されているのだが
その実いったい何が言いたいのかは意味不明。
柄谷の言い方を使えば「難解というよりも意味不明」というところだな。
ナンシーはそういう性質ありますね。
いわれてるのはそういうことでしょう。
21 :
考える名無しさん:04/11/26 01:22:02
失礼 ミス
>彼ら古典の表面的な難しさの奥にある深遠が「難しい」というのなら、まだ話がわかるが。
→
これは、
彼ら古典の表面的な明晰さの奥にある深遠が「難しい」というのなら
の間違いです
>>20 >要するにダメな哲学書というのは、何が言いたいのかわかりにくいわけ。
>言ってる事が。難しい言葉や言い回しが乱発されているのだが
>その実いったい何が言いたいのかは意味不明。
哲学研究の専門家の中にでも、カントに対して、そう思う人はいくらでもいる。
(例えば『判断力批判』を毛嫌いするカント学者はいる)
ハイデガーに対してであれば、アレルギーのある哲学研究者はもっといるだろう。英米系の分析哲学者等。
要するにキミの言い草は偏見でしかないと言うことだ。
批判するなら、上で言われている『無為の共同体』でもなんでもいいから、
じかにテクストにあたってみるべきだ。
自分の趣味に合わないんだったら、無視しておけばよい。
23 :
考える名無しさん:04/11/26 01:34:15
>要するにダメな哲学書というのは、何が言いたいのかわかりにくいわけ。
>言ってる事が。難しい言葉や言い回しが乱発されているのだが
>その実いったい何が言いたいのかは意味不明。
>柄谷の言い方を使えば「難解というよりも意味不明」というところだな。
現代思想に出てる論文とかはこの手の不明系が多いよな
酒井隆史の「自由論」の文章なんか、まずあれじゃあ読めないだろう
24 :
考える名無しさん:04/11/26 01:37:45
ナンシーはデリダ派だが、ドゥルーズを意識している。
そこが面白い。
デリダもナンシー論でドゥルーズ=ガタリを引用せざるを得なくなった。
26 :
考える名無しさん:04/11/26 01:42:17
ナンシーはオカズ系のサブ哲学者だな
あれにそれ自体で自立して論じられるほどのコンテンツは乏しいね。
ナンシーが独自に提示した概念で有効なものがなんかあるのかい?
共同体的無為といったことくらいだろう。
そのくらいしか思い浮かばない。
後の論文は誰でも書けるような普通の語彙を羅列してるものにすぎんな。
27 :
考える名無しさん:04/11/26 01:43:58
コンテンツの乏しいレス
うざいんですけど
28 :
考える名無しさん:04/11/26 01:44:59
カントでもハイデガーでもそれが読みやすかったか読みにくかったか
あるいは体質に合致したかしなかったか、というポイントの以前に
彼らの重要さの価値を決定づけている点というのは、まず
どれだけの有効な歴史的概念を、彼らがたくさん提示できたのか
ということでしょう?
29 :
考える名無しさん:04/11/26 01:47:12
>>27 君がなんかコンテンツ先に出せば、それをちゃんと俎板にかけて料理してあげるよ
そもそもナンシーなんか数冊図書館で見ただけで、だいたいもういいとか
思えちゃうんだからさ
ナンシーについて特に知りたいとも思わないし、知ってるやつが偉いとも思わないわけ
30 :
考える名無しさん:04/11/26 01:47:13
だいたいカントとかハイデガーとかお気楽に持ち出してくる時点で
厨ケテーなんだけど
歴史的概念とか意味フメーなことへーきでゆうし
>>25 昔「批評空間」に載ったナンシーのドゥルーズ論は興味深く読んだ覚えがある。
或る意味でナンシーは、デリダよりも懐の広いところがあり、その点では
ナンシーはデリダにとってもいいライバルだったのだと思う。だからこそ
デリダはナンシーについて大著一冊を割いて論じたのだろう。
32 :
考える名無しさん:04/11/26 01:49:03
>>30こいつ文脈読めてないなw
「カントとかハイデガー」先に出してきたのは
>>15 ナンシー持ち上げヤシだぞ。よく読めよw
33 :
考える名無しさん:04/11/26 01:50:03
>歴史的概念とか意味フメーなことへーきでゆうし
しかもコイツ平気で読解力もない馬鹿だなw
>>28 >どれだけの有効な歴史的概念を、彼らがたくさん提示できたのか
ナンシーはまだ現役の哲学者なんだから、カントやハイデガーと比べてそういうことを言っても意味ないだろ
ナンシーの哲学が歴史に残るかどうかは、まだ未知数
35 :
考える名無しさん:04/11/26 01:50:59
>>32 別にどっちでもいいよ。
内容見ればバカ晒してるのがどっちかは分かることだし。
もう相手するつもりもないけど。(スレの邪魔しちゃ悪いから)
36 :
考える名無しさん:04/11/26 01:52:46
>>35だから馬鹿は君だよwもう出てこなくていいよ
37 :
考える名無しさん:04/11/26 01:55:31
>>34 >ナンシーはまだ現役の哲学者なんだから、カントやハイデガーと比べてそういうことを言っても意味ないだろ
だから本当に頭の抜けてるヤシだな
最初に、カントとハイデガー出してどうの、と突っ込んできたのは
>>15 その対応に少々比較論を打ってやっただけ。
本当にナンシーのコンテンツを云々したいなら、ナンシー通を自称する
君たちがやりなさいって。
ナンシーの話なんてこっちはそんな大して覚えてもないんだよ
だって詰まんないんだからさ。明らかに
38 :
考える名無しさん:04/11/26 01:57:53
>>37 >そんな大して覚えてもない
ていうかまるで読んでないで煽ってるだけだろ、お前は
39 :
考える名無しさん:04/11/26 02:00:50
そんなこともないが今手元にナンシーの著作は残念ながら一冊もないなw
だからその程度の読者だが、君たちがナンシーについて具体的になんかを書けば
それがどの程度のものなのかを俎板で捌いてみせる自信はあるよ
40 :
考える名無しさん:04/11/26 02:02:32
そもそもナンシーがどうのとかバディウがどうのとか
言ってるやつ等って
だいたいムカツクんだよね
馬鹿だから
41 :
考える名無しさん:04/11/26 02:03:42
デリダ、ドゥルーズ以降の世代のフランス人って明らかに断絶があって
そこでガクッと落ちるよね
42 :
考える名無しさん:04/11/26 02:05:23
しかもナンシーの世代以降となると壊滅状態。
一体なぜこんなことになったんだろうな。
43 :
考える名無しさん:04/11/26 02:08:15
「共出現」とかヘーゲル論とか、わざわざ読んでやったけど
その糞詰まらなさには絶句しました。
こんな本を翻訳にしてまで流すのはインチキだと思ったな
44 :
考える名無しさん:04/11/26 02:09:31
45 :
考える名無しさん:04/11/26 02:10:08
その二冊はそもそも変な出版社から翻訳出てたね
>>42 フェリーとブーヴレス世代のせいだよ
なぜか分析哲学とロールズが80年代以後のノルマリアンに流行。
せっかくの資産を台無しにした。
47 :
考える名無しさん:04/11/26 02:13:03
48 :
考える名無しさん:04/11/26 02:17:05
フランス的伝統としての言葉遊びゲームに堕して拘泥してるといった感じね
49 :
考える名無しさん:04/11/26 02:17:52
フランス人というのはやっぱりそういう人たちがメジャーなのか?
日本とはまた違った嫌らしさがあるね
>>46 言えてる。いわゆるヌーヴォーフィロゾーフ達か。
その意味では、伊のアガンベンにしろその他英米独語圏にしろ
周辺国の方が「68年の思想」の資産を積極的に摂取できているような気がする。
とはいえ新しい展開はまだまだこれから起こるだろう。
51 :
考える名無しさん:04/11/26 02:20:18
アガンベンもウザイよね・・・
ドゥルーズの弟子たちが大学に残れなかったのも大きいな。
ラプジャードみたいな秀才ががんがるしかない。
アガンベンは美学として読めば十分刺激的。
>>55 版型がグラと一緒。
現象学にも触れているし、本気の本だよ。
こんなザコの本は訳されてガンディヤックの御大の本はなんで訳されナインダ
ゲルー御大もスルーされた国だから…
>>54 喜べ。
『彼に触れること〔触覚〕、ジャン=リュック・ナンシー』
松葉祥一・榊原達哉訳、青土社、近刊
ふむ
64 :
考える名無しさん:04/12/08 18:42:06
人文の装丁って綺麗よね
65 :
考える名無しさん:04/12/09 14:34:48
うむ
そうかね
69 :
おすすめ:05/01/12 00:40:29
侵入者
2005年1月14日(金)18時
→上映後、クレール・ドゥニ、黒沢清、ジャン=ミシェル・フロドンによる対談
2005年1月16日(日)14時30分
@エスパス・イマージュ
(2004年/130分/35ミリ/カラー/英語字幕付)
監督:クレール・ドゥニ
出演:ミシェル・シュボール、ベアトリス・ダル、グレゴワール・コラン、バンブ
ルイ・トレボールはジュラ山脈に2匹の犬と暮らしている。自然を愛するルイは、
ある看護婦と性的関係を結んでいるが、実の息子とは距離を取っている。心臓病
を患っているルイは、スイスのジュネーヴで心臓移植の手術を受けた後、韓国、
オセアニアの島々へと旅立つ……。
クレール・ドゥニが、哲学者ジャン=リュック・ナンシーの著作「侵入者― いま
〈生命〉はどこに?」(以文社 翻訳:西谷修)から着想を得て撮った新作。
「小さな兵隊」のミシェル・シュボール他、ドゥニ作品お馴染みの俳優たちが出
演している。ヴェネチア映画祭で話題となったクレール・ドゥニの新作。
http://www.ifjtokyo.or.jp/culture/cinema_j.html
70 :
考える名無しさん:05/01/13 22:10:56
そういえば10ミニッツオールダーって映画にナンシー出てるんだったっけ?
誰か見た人いますか。
>>70 見た。あのなかで一番つまらない映画が「ナンシーとの対話」。
見ても退屈なだけだよ。
72 :
考える名無しさん:05/01/15 15:28:14
そうなのか。残念。暇ができたらネタで借りてみる
保
74 :
考える名無しさん:05/01/25 16:04:32
鷲田書評掲載age
朝日に出てたな
ネットにもあるかは知らないが
>>71 いや、おれは面白かったけど。
ゴダールの中国女を思わせるところもあって。
78 :
考える名無しさん:05/02/02 00:42:26
「ナンシー」だから女だと思ってたんだよね
はやみゆ〜〜〜〜
ナンシーって言っても苗字だからね。
na
83 :
考える名無しさん:05/03/10 00:13:56
>>61 『彼に触れること〔触覚〕、ジャン=リュック・ナンシー』
松葉祥一・榊原達哉訳、青土社、近刊
近刊っていつなんじゃあ
いつ?
85 :
新刊AGE:2005/03/26(土) 02:24:38
複数にして単数の存在
ジャン=リュック・ナンシー著
加藤恵介(かとう・けいすけ)訳
松籟社
本体3600円 20cm 366p
4-87984-229-X / 2005.04
「大文字の他者」は存在しない。「複数で単数」の共-存在から存在論を作り直さね
ばならない。「無為の共同体」を越えて「われわれ」を思考するナンシーの主著と、
現代の状況に直接に言及した論考4編を収録。
【著者紹介】
〈ナンシー〉1940年生まれ。ストラスブール大学名誉教授。哲学者。著書に「自由
の経験」「肖像の眼差し」ほか。
http://www.trc.co.jp/trc/book/book_d.idc?JLA=05013997
86 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 21:39:30
ナンシーなんて時間の無駄
いいのは自由の経験、侵入者、無為の共同体だけ
数ある哲学研究者のひとりだよ
「侵入者」が一番ダメだと思うが・・・
「無為の共同体」と「自由の経験」がいいのは同意。
88 :
ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 01:17:41
89 :
ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 16:35:50
ナンシー?ゴダールとは違う人?
90 :
ローカルルール審議中:2005/04/17(日) 16:49:33
デリダの映画のなかで「まだ若い頃デリダに会ったとき、
彼が新人の私の論文をすでに読んでいてくれて、感激した」とか語っておりました。
ナンシーなのに普通におじいちゃんでした。
91 :
またまた新刊!:2005/04/25(月) 11:33:49
哲学的クロニクル
ジャン=リュック・ナンシー/著
大西雅一郎/訳
本永惠子/装丁
4/6判・上製・144頁 定価2,200円+税
ISBN4-7738-0501-3
2005年4月上旬発売
哲学を専門とする者のみがこのテクストを理解しうるのではなく、このテクスト
による自由=開放性への呼びかけを聴取=理解する者が、今この場において「哲
学する者」であることを発見することになるのであろう。(「訳者あとがき」より)
【著者紹介】ジャン=リュック・ナンシー/Jean-Luc Nancy
1940年生まれ。ストラスブール・マルク=ブロック大学名誉教授。特にハイデ
ガーが解明した実存の二重性をなす共存在・共同性と独異性・単独性の共有=分
割(パルタージュ)という問題系を徹底化させることで、西洋形而上学・存在神
論における身体性やテクネーの否認を脱構築し、出来事が真に到来しうるような
世界、表象作用に還元されえないイマージュが現前しうるような世界、絶対的に
切り離された単独者が、その絶対性=分離性のままに、“芸術的に”、触れ合うこ
とが起きるような世界の創造──主体ならざる自己の自己触発、無カラノ創造─
─の可能性を素描し続けている。邦訳書に、『エゴ・スム』(朝日出版社)、
『無為の共同体』『侵入者』(以文社)、『共同−体』、『声の分割』『哲学の
忘却』『神的な様々の場』『共出現』『訪問』『映画の明らかさ』(松籟社)、
『肖像の眼差し』(人文書院)、『自由の経験』(未来社)、『ヘーゲル』『世
界の創造あるいは世界化』(現代企画室)、フィリップ・ラクー=ラバルトとの
共著の邦訳に『ナチ神話』(松籟社)、編著に『主体の後に誰が来るのか?』
(現代企画室)などがある。
http://www.jca.apc.org/gendai/99sin/05index.html
ageとく
94 :
考える名無しさん:2005/05/28(土) 08:02:44
95 :
考える名無しさん:2005/06/25(土) 08:25:58
訪問
96 :
考える名無しさん:2005/07/14(木) 01:14:28
97 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:07:04
サラ・コフマン讃
F・コラン,J=L・ナンシー,J・デリダ 他 著 / 棚沢直子,木村信子 他 訳
四六判336頁 3,000円(税別)
ISBN4-89642-133-7 C0010
サラ・コフマンは
生を肯定して高らかに笑う
ホロコーストを生き延びたサラは
赦しがたきを赦すという試練
このアポリアを乗り越えるために
性を超える生
自らの生の肯定を最優先した
コフマンの真骨頂は、西欧の大哲学者たちが構築した哲学体系に、
ただ一点「女性的なもの」をとおして破れ目をつくり、その形而
上学を解体してみせることだった。たとえばカントの唱えた他者
への尊敬を当然なものとする先験的な道徳律は、母=女にたいす
る尊敬=敬遠から出発した経験的なものであることが立証される。
女への尊敬=敬遠は、他者への尊敬の一つのかたちなのではなく、
まず母=女への尊敬=敬遠があって、そこから他者一般への尊敬
が始まるのだ。こうしてコフマンは、カントの説く道徳律の「純
粋性」が実は女性的なものによって「汚染」されたものであるこ
とを示し、形而上学の客観的と見えた構築が、哲学者の性のポジ
ションからくる極めて主観的な動機に基づいたものであることを
明らかにした。コントの実証哲学も、ルソーの教育論も同様の手
法で分析される。……本書はサラ・コフマンの格好の入門書であ
り、さらには、現代に生きる私たちに課された難問に切り込みを
入れる方法を、いくつもの側面から示唆してくる貴重な追悼文集
である。巻末の詳細な作品目録はコフマン研究に大いに資するは
ずである。(「あとがき」より)
http://www.michitani.com/books/ISBN4-89642-133-7.html
hosyu
あぼーん
102 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 09:46:34
でデリダのナンシー論はまだかね
105 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 16:37:06
乱立のため
保守age
心臓移植を受けたということ以外になんかあるかな。
107 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 11:54:47
>>104 ようやく出たようだ。
触覚、ジャン=リュック・ナンシーに触れる
ジャック・デリダ著 松葉祥一+榊原達哉+加國尚志訳
青土社 06年3月刊 本体4800円 46判598頁 ISBN4-7917-6257-6
■帯文より:現代思想も陥る西洋哲学史の罠。アリストテレスから現代にい
たる哲学が、触覚の直接性に基づく「直感主義」の罠に陥っている様を詳細
に分析し、それを免れたナンシーの哲学の可能性をおし開く。現象学から
ドゥルーズを含むフランス現代思想全般を初めて批判的に論じ、その精神的
背景としてのキリスト教=グローバリゼーションの脱構築を試みたデリダ晩
年の哲学的主著。
108 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 13:01:06
109 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 23:36:39
明日の早稲田は行きますよ。
ナンシーの本一冊も読んだことないけどね。
え?この人まだ生きてるの?
111 :
考える名無しさん:2006/04/13(木) 21:56:18
行ってきましたー
112 :
考える名無しさん:2006/04/13(木) 22:52:51
5時ごろ早稲田文キャンに着いたら、会場は満席で立ち見だった。
見渡せば、きもい雰囲気。頭悪そうな学生から院生から
教授もどきみたいなのがあちこちに突っ立ってる。
そして肝心のレクチャーがもどかしい。通訳は馬鹿そのもの
サイテーの空間だったので、すぐに帰ったよ。
113 :
考える名無しさん:2006/04/13(木) 22:57:53
なにその無為の共同体w
115 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 00:29:45
>114
藤本一勇
>>112 確かに手際がよかったとはいいがたいけど、
馬鹿そのものってのはちょっといいすぎじゃないの。
あと、
>見渡せば、きもい雰囲気。頭悪そうな学生から院生から
>教授もどきみたいなのがあちこちに突っ立ってる。
って、そうじゃない哲学者の講演会なんてあんの?w
116 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 00:35:03
昔の文学研究会で呼んでた柄谷講演会のときは
会場にもうちょっと希望が持てたなw
なんというか、革命的な幻想に酔うこともまだ可能な頃だった。
もう今回のナンシー@早稲田みたいなのは最低。
知の敗北を象徴するかのような無気力な会場そのものだった
通訳する係の人はまず、表の体育館の前で練習やってる人達にまじって
(演劇でも空手でもダンスでもいい)
発声練習とコミュニケーション会話の基礎から学んでからやらしたほうがいいんでないの?
117 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 00:39:03
通訳してもらってる身で偉そうなこと書くなよw
118 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 01:02:12
柄谷ってw 年がばれるぜw
>革命的な幻想に酔う
って、あほかw 酔っててどーすんだよ。
そういう浮ついた空気が消えたことはいいことなんじゃないの?
確かに今回は俺含め、はっきり言ってナンシーって誰だかよくわからずに
来てたような学部生が多かったように思う。
でもさ、そういう純粋に興味を持って講演を聞きに来てるやつらを否定してどうすんのよ。
それこそ知の敗北じゃないの?
あと、あの「通訳する係りの人」は日本人で唯一デリダその人から論文指導を
受けたとかいう人で、今後デリダ研究者として頭角を現してくるよ、たぶん。
>>116はそこまでいうからには通訳とかなしで全部わかる人なんだよね、もちろん。
119 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 01:26:09
>>116はとりあえず自分の鏡を見てからものを言え。
>柄谷ってw 年がばれるぜw
そういう読み方しかできないから馬鹿だっつーの
いまや悪の化身みたいに思われてる柄谷でさえ明らかにナンシーとか言うバッタもんよりは
マシだったということだろう。少なくとも日本の批評のレベルは低くないし、どちらかというと今や
フランスより上だろう。
>でもさ、そういう純粋に興味を持って講演を聞きに来てるやつらを否定してどうすんのよ。
>それこそ知の敗北じゃないの?
純粋に興味を持ってるからエライわけはありえない。むしろ殆どはただの馬鹿というのが正しいだろうな。
>あと、あの「通訳する係りの人」は日本人で唯一デリダその人から論文指導を受けたとかいう人で
デリダだって商売なんだから職業上のことなら普通に平等に平気的にこなすだろう
日本でも○○の指導を受けた奴、なんていうのは常に山ほどいるが、別にそれが何かになるなんていうことも殆どない。
>今後デリダ研究者として頭角を現してくるよ、たぶん。
あれで。あり得ないw
早稲田のデリダなんて所詮、高橋充昭レベルだろうw
しょーもない。昔から
高橋も自分がデリダの友人だとか自慢してたよな
藤本 一勇
資 格 専任講師
生年月日 1966年3月9日
主要業績
共著: 『デリダを読む』、情況出版、2000年
123 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 13:25:03
>>120 確かにほとんどはただの馬鹿かもしれんが、中にはそうでないやつもいるかもしれない。
それに馬鹿だって馬鹿なりに勉強はするのだ。
それによって難解な思想のいくらかは理解され、広まって影響力を持つようになるかもしれない。
「革命的な幻想に酔」ってただけの連中が浮かれ騒いでただけで、
そうでない人たちにまで広くその思想を普及しようとしなかったていうことも、
酔いが醒めてみたら結局は何も残らなかったっていう、一時期はやった思想の
今日の目も当てられないような凋落の一因じゃないのか?
そういうスノビスムと排他性がいかにその思想が本来持つポテンシャルを
スポイルしてきたかということがわからんのか?
藤本に関しては、昨日の通訳だけの印象ですべてを決め付けるのは公平じゃないだろう。
まあ講義を聴いてから言えって言ってもそれは多くの人には無理な話だろうが。
こないだ単独著書が出た(『批判感覚の再生――ポストモダン保守の呪縛に抗して』)。
読んでもらえれば、少なくとも柄谷なんかよりはアクチュアルな有効性を持つものであることは
明らかだとおもう。
より本来の専門に近い哲学的な論文としては『思想』に載った「夢の政治学」ってのがよかった。
例えば、革命という前提がなくても
哲学者の講談会場に、まだ活気があればいいわけ。
生き生きとしてる何かが。
今回のナンシーについては、そういうのがもう全くないんだよ。
狭い迷宮的な領域に入り込んだ哲学の袋小路で
そこには難解さがあるのでもなく、ただ社会的不適応なものが
自分勝手な癒しの世界におのおの勝手に浸るような
そんな倫理という名の醜悪さの領域に、もう哲学がやられてしまった。
そしてこれは哲学の実質的な死亡通知だろうと思ったよ。
ナンシー的な倫理浪花節は、そこらの街で流される実際の浪花節よりも悪質
そして単に情けないだけ。
この恥ずかしさを哲学が省みることができなくなったとき
それは実質的に死亡してるのだ。
125 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 19:39:56
>>112 っていうか5時に来るなよ。4時からだったよ。
途中入場して途中退場、失礼なやつだな。
確かに会場は快適ではなかったよ。10分前くらいには満席だった。
けど人気のある哲学の講義とか講演ってそういうものじゃん。
126 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 19:50:41
>ただ社会的不適応なものが
>自分勝手な癒しの世界におのおの勝手に浸るような
>そんな倫理という名の醜悪さの領域
>ナンシー的な倫理浪花節
なんか勘違いしてないか?
昨日の講演でも、別に「倫理」が主題というわけではなかったし
そのような「倫理」をナンシーが提唱したことなどないと思うが。
127 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 23:19:22
金持ち喧嘩せずw
129 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 20:13:28
今日の駒場はどうでした?
130 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 20:32:36
盛況でしたよ。席が足りないくらい。
131 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 21:40:31
今日のは本当に内容が濃かった。余韻が消えない・・・。
132 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 21:41:35
内容の薄いレスごくろうさん
133 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 02:39:00
これほどションベン臭い哲学者ってほかにいるのかなあ?
ドゥルーズデリダ以上じゃんwww
134 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 06:36:56
「考えること、それは自らを開くことです。」(ナンシー)
本日15時過ぎから、東京大学駒場キャンパスの学際交流棟3階・学際交流ホール
で行われたラウンドテーブル「ジャン=リュック・ナンシー「無-無神論(A-at
heisme)」について」(ナンシー+鵜飼哲+小林康夫+西谷修+増田一夫+湯
浅博雄)は、会場から人が溢れるほどの大盛況でした。
「考えること、それは自らを開くことです」というナンシーさんの言葉が胸に
残っています。発表用の原稿にはこう書かれています。「思考は、まさしく思
考そのものの外部へと自らを開くことで、思考する。あるいは思考は、自らを
廃棄することなく、また自らをより高次のものとするのでもなく、自らを開く
ということ以外の何もしないことによって、自らを超出すに至ったということ
を自らに対して顕わにする」(西山達也訳「無-無神論」第四節より)。
135 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 08:25:47
超-出す[trans-expression]
>あるいは思考は、自らを廃棄することなく、また自らをより高次のものとするのでもなく
ってところは、思考(考えること)はアウフヘーベンではないって言ってることはわかる
じゃあ、ナンシーの言う「自らを開く」ってどういうことよ?
139 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 15:42:36
うっぜえ(笑)
なんでこんなモンに入れ込んでだろwww
自分らがオヤジになったときどう思うんだろ(笑)
140 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 15:43:50
仏文科のキモオタがいっぱいだったんだろww
141 :
ハゲワラ:2006/04/16(日) 15:51:51
と、キモオタが申しております
と、キモオタが申しております
と、キモオタが申しております
と、キモオタが申しております
142 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 16:10:58
>>138 自己(Ipse)への回帰ではなく、我々(Nous)へと開かれていく
これがナンシーの考える思考なんだとさ
(『ヘーゲル 否定的なものの不安』を参照)
詳しくは、まあ読んでみてよ
結構おもしろいから
143 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:47:15
全部ただの言葉遊びだろうw
ナンシーなんて
しかも子供騙しのレベルだよ
>>142 ありがとう。
ところで、
>>134で引用されてる「無-無神論」ってのは翻訳でてないのかい?
>>142 ありがとう。
ところで、
>>134で引用されてる「無-無神論」ってのは翻訳出てないのかい?
無-無神論=明らかな子供騙しことば遊び
147 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 20:22:12
きみがわかった気になってるだけだよw
最初から中味はない
149 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 21:20:38
バタイユだのブルトンだののあたりに端を発するこういう
ブランショとかナンシーとかって
浅薄といわれても構わないから強引に適当に言いますとですね、
クソ馬鹿らしくてくだらないと常識的に十分に判断できることを
ものすごく真剣に、しかもわざと真剣に考え込んで、
孤独にその真剣さの中に没頭するというのかな
そういうのが基本になってますね。
これって一種の宗教的な修行や祈祷に近いものがあるんで
フランスってカトリックですぐ「マリアの奇跡」とか
「聖人なんたらのはたらきで私の重病がどうたらこうたら〜」
っていう話あるでしょう。
ああいうフランス独自の地域性に基づくモンなんじゃないですかね。
バタイユがイタリアやスペイン人だったらもっと過激だったかも知れませんね。
あとこいつらの言う「共同体」ってのもそういうトコから考えないと
普通政治学・社会学などでいうところの「共同体」とは異なりますので
そういう通常の意味を持ち込んで理解しようとすると齟齬がでてきます。
俺はフランス語なんてホモの習い事と思ってるんで学気もありませんで、
原文当たるとかしませんが。まあ間違いでしょうけど一応書いときます
150 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 22:28:55
共同体には目的なんてなくたっていいんだよ、
っていうのがナンシーとかブランショの共同体論。
そもそも私は他者無しではありえない。
デイヴィッドソンの三角測量の言語成立みたいな主張。
151 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 22:34:05
やだやだw村上春樹みてえだwww
152 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 01:05:44
153 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 10:32:12
>>124 早稲田に比べ東大のはすっごい活気があったね。
ということで、主催者の手際の良し悪しこそが本当の問題なわけだ。
154 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 12:24:17
仏文科・比較文化のキモオタたちwwwww
心臓だけじゃなくて「他者」の脳みそも移植してもらうといいと思う。
156 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 16:08:17
日仏会館でも講演したんだっけ?
157 :
英国人:2006/04/18(火) 16:11:23
>>155 Your brain is good !
158 :
考える名無しさん:2006/05/24(水) 03:15:45
そんなに邦訳されてるんか・・・
160 :
考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:04:06
161 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 06:22:48
中島義道のくだらない雑文と並べられてて可哀想だったね。
162 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:17:01
主著を3冊挙げてみた。
「無為の共同体」
「声の分割」
「自由の経験」
163 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 13:31:30
『水声通信』第10号 2006年8月号(特集:ジャン=リュック・ナンシー)
本体1,000円、ISBN:4-89176-591-7、店頭発売7月20日
【特別寄稿】
世界の外……J=L・ナンシー/吉田晴海訳
【ターブル・ロンド】
無‐無神論……J=L・ナンシー、鵜飼哲、小林康夫、西谷修、増田一夫、湯浅博雄
【対話】
責任――来るべき意味について(上)……J・デリダ×J=L・ナンシー/西山雄二+柿並良佑訳
【論考】
像・表徴・図式――ナンシーの思考を貫くもの……合田正人
共‐存在の宛先――J=L・ナンシーのための断片……守中高明
放棄としての感覚=意味〔サンス〕、あるいはダンスとしての世界……大西雅一郎
「世界化」と「一神教の脱構築」を巡る対話――世界の「開き」について……上田和彦
出発間際にある復活の身体――ジャン=リュック・ナンシーのキリスト論……西山雄二
【著作目録】
ジャン=リュック・ナンシー著作目録……西山雄二+柿並良佑+馬場智一編
http://urag.exblog.jp/3976882/
165 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 19:36:52
消しゴム版画家
166 :
光のマナ識 希望の阿頼耶識:2006/09/17(日) 19:43:43
物事には道理というものがある。また先へ進むということがある。これからどんどんいろいろなものが流れこんでくるが慌てずにな。無理は無理を呼ぶ。できる範囲で少しずつ進めばいい
『ダンスについての対話 アリテラシオン』
ジャン=リュック・ナンシー マチルド・モニエ
大西雅一郎・松下彩子訳
169 :
考える名無しさん:2006/12/16(土) 12:42:05
恋かなー 恋じゃなーい 愛かなー 愛じゃなーい♪
171 :
訃報:2007/02/01(木) 02:37:29
172 :
考える名無しさん:2007/02/03(土) 23:46:17
まじかよ・・・知らなかった
173 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 15:52:38
新刊の反応ないな
こっそり保守
まだ生きてるナンシー関
178 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 10:04:16 0
age
乙女の姿をした芸術の肖像
ジャン=リュック・ナンシー
(訳=長友文史)
『現代思想』2007年7月臨時増刊号
総特集=ヘーゲル『精神現象学』 二〇〇年の転回
181 :
考える名無しさん:2007/09/30(日) 10:33:43 0
JLNって共著が多いね。
エゴ、無為、奥底の単著しかまだ読んでない。
あぼーん
183 :
考える名無しさん:2007/11/13(火) 00:14:16 0
>>181 >エゴ、無為、奥底の単著
それって主著三作じゃないの?
ちがうだろ
>>186 >検索したブログは見つかりませんでした。
189 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 09:10:34 0
今度フランスへ行くのを友達に話したら、これから有名になり古典になりさうなフランス哲学の本を買つて来る様に命令された。
今流行つてる哲学の本なんて、オンフレーくらいしか知らないし、余り高い(30ユーロ以上)のは嫌だし、成る可く沢山の名前を揃えたいし、誰に聞けば良いのか?
190 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 09:33:16 0
神的な様々の場
ジャン=リュック・ナンシー 著 大西 雅一郎 翻訳
ちくま学芸文庫 文庫判 336頁 刊行 06/10
ISBN 9784480091512
予価1,365 円(税込)
>>190 ナンシーもついに文庫化か。
>>189 ここで聞けばいいと思うよ。
有名になりつつあるフランスの哲学者といえば、
ナンシー、バディウ、バリバール、ランシエール、マラブーあたりかな。
アンリなら古典になると思う、今後有名になるかは知らんけどね。
あとはスティグレールの「技術と時間」くらいかね。
193 :
考える名無しさん:2008/05/02(金) 17:57:54 0
マリオン、アンリ、バリバルでは古過ぎ
マラブウはデリダが居なくなつたら忽ち消滅だし。
シモンドンとかステイグレルやリシールは値段が張り、厚いので持つて帰るに苦労する。
ランシエールの論文はウェッブで見ることが出来るが、主著はまだ書いて居ない。
バディウは評判が悪いし。
結局VrinとかCompagnieやサン・ミシェルの辺りの本屋を覗いて見て来れば良いのか?
ナンシー、バディウ、バリバール、、ランシエール、マラブー、スティグレールは古典にはならん。
シモンドンやアンリはもう半分古典化してる。あとはリクールとかもね。
デリダみたいなスターはデリダで最後だろう・・・
プーランツァスでも買え
197 :
新刊:2008/05/12(月) 14:35:57 0
ラッツァラートの「出来事の政治学」は6月に出るってさ
サルコジの名前って何だっけ?
200 :
kyrie ◆.RYdSpBfEI :2008/06/25(水) 18:51:29 0
ナンシー面白いじゃん。
「複数にして単数の存在」にはまった。
203 :
11月近刊:2008/10/04(土) 11:04:47 0
ジャン=リュック・ナンシー、フェデリコ・フェリーニ
『作者の図像学』林好雄訳
ちくま学芸文庫 ¥1,050
Iconographie de l'auteur. Paris: Galilee, 2005 (with Federico Ferrari).の文庫訳し下ろしかな
そのちくま学芸版の「フェリーニ」になってるのは、
たぶん予告者かそのソースのサイトが間違ってると思う
Federico Ferrariは1969年生まれのイタリアの美学者です
206 :
kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/10/06(月) 21:49:43 0
面白そうだ。安いし買っちゃうんだろうな。
ナンシーの言い回しは日本語だと難しくなるけど、いい朝の頭の体操になる。
毎日近所を練り歩きながらナンシーを読むのが俺の日課だ。
少女探偵ナンシー・ドルー
209 :
考える名無しさん:2008/11/28(金) 02:41:57 0
>>203 面白かった。次はなにを読むのがお勧めですかね。『無為の共同体』はとりあえず読むつもりでいますが。
『侵入者』が薄くて読みやすくて面白い
211 :
新刊:2009/04/09(木) 01:09:35 0
脱閉域
キリスト教の脱構築1
ジャン=リュック・ナンシー/著
大西雅一郎 /訳
本永惠子/装丁
2009年4月上旬刊行
定価3300円+税
A5判上製・324頁
ISBN978-4-7738-0904-6 C0010 Y3300E
世界化した「西洋」の根源にある、
〈キリスト教〉あるいは〈神〉という名についての徹底した思考
束の間通過する〈神〉の歩み、ウインクの煌めき
―一神教=無神論が名指す無制約的な他者、世界を開裂する何ものでもない〈開け〉を線描する
絶対的に分離された「他者」との触れ合いを真摯に思考し続けるジャン=リュック・ナンシーが、 ライフワークとして取り組む「キリスト教=一神教」論の集大成。
デリダ、ハイデッガー、ニーチェ、バルト、ブランショらと〈神〉との関わりを論じる、ヨーロッパ 現代思想のひとつの到達点を示す書。
おお、これが訳されたのか
>>211 序章で躓いた・・。意味が頭に入ってこない。
おいらこんなに頭悪かったのか orz
>>214 正直大西氏の訳は生硬すぎるよね。。。
あまり順序に拘らず、気に入った別の章から読み進めればいいと思う。
216 :
新刊:2009/06/07(日) 21:14:34 0
水と火 (単行本)
ジャン=リュック ナンシー (著), Jean‐Luc Nancy (原著), 吉田 晴海 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4773809051 内容(「BOOK」データベースより)
場あるいは諸々の場というテーマの共同作品のために依頼されて書かれたテキストと、花火
製造の手法を用いた芸術家(蔡國強)の展示会に添えるために書かれたテキスト。フランス
でも一冊の刊本となってはいない、二つのテキストを「結合」させた訳者の「企み」によって、
ナンシーは図らずも、これら二つのテキストを通じて、ひとつは水を、もうひとつは火を、つま
り、古代ギリシャで、哲学者たちの先人であった者たちの「生理学」が特徴的に扱っていた四
つの要素のうち二つを語ることとなった。
218 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 01:53:09 0
【悍(HAN)】
第3号(特集 暴力燦燦) 10月20日発売!
民主主義の真理
ジャン=リュック・ナンシー(訳・解題 山本光久)
sage
sage