学問としての哲学ばかりでなく
人生にも、哲学があっても いいじゃないか。。。
けど、経験論 empiricism なんかではなくぅ〜
で、私の愛読書は、鴨長明『 方丈記 』ですぅ
って、それは 「 隠棲哲学 」 だろ !
♪ 人生 楽ありゃ 蜘蛛あるさー
って、「 苦も 」 だろ !
僕も入ってました。
って、それは 「 公文 」 だろ !
バ〜カ
理想なくして人生は語れない。
大人たちの汚れた考えに立ち向かうのが若者の特権である。
さあ、「三太郎の日記」を読み返そう !
じゆん、いいかげんにしな!
「 鮭と焼肉の人生 」。。。
って、それは 「 酒とバラの人生 」 だろ !
ここは人生哲学専門の隔離スレとします。
以後人生哲学関係のスレはすべてここに
誘導し、削除依頼を行ってください。
10 :
考える名無しさん:04/11/22 00:19:14
合点承知の介
>>9 >「誘導」 し、削除依頼を行ってください。
それは、>9 「自らおこなう」 ことだ。
って、それは 「 You do ! 」 だろ !
あ、ちと すべっち まった。 つるりん
>>9 スレタイ検索にかかりずらいスレタイだから却下。
14 :
考える名無しさん:04/11/28 13:48:31
風が語り掛けます
うまい
うますぎる
/ ̄ ̄ ̄\
│ うまい… |
\___/
o〇
∧__,,∧
(´・ω・`) ○
(つ旦と) ○○
と_)_)  ̄][ ̄
銘菓 十万石饅頭
気の毒だけど、このスレあんまり盛り上がらないね。
16 :
ERRANCE :04/12/02 10:28:49
無理ッス。ミーはネ
こう思うの。
現実の無い人間に人生は語れないッス。
あれっスよ
やっちゃたら、あれッスよ
カミミングアウト道場、即ち、経験不足の恥さらし。
こうも思うッスネ、
書き込みした人間を浮き掘らせるものは
「哲学」を抜きにした処にある言葉、世間の言葉なんッスヨ。
雑談スレッドが気嫌いされる最もな要因っス。
仲良くしようぜ ッス。
素直で、ッス。ミーは思うッス。
17 :
考える名無しさん:04/12/02 19:44:52
きちがい
18 :
ERRANCE :04/12/02 19:50:55
ほうほう
光栄です。
人生哲学なんて昔昔からあるじゃん。
人生いろいろ、哲学もいろいろ。
色即是空、これ人生哲学。
考える自分がカッコイイって思ってんだろ?
人生不可解。
今俺が自殺したら、周囲の人たちに俺は俺のまま残せそうだ。
でもあと10年もすれば化けの皮が剥がれ落ち、
俺に対するマナザシは羨望から嘲笑へと変わるのである。
南無三宝。
↑誰も気にしないって。
安心せよ。
23 :
考える名無しさん:04/12/04 15:19:11
>>19 色即是空の空ってなんだよ。
ニヒリズムじゃないぞ。
>色即是空の空ってなんだよ。
色とはモノのすべてをいう。
空とはそのすべてのモノに含まれる
モノである。
どんなものにも必ず含まれているモノ
それが空である。
ちなみに物と物の間を空間という。
2ちゃんねらーにもっとも必要なのは人生哲学だと思っているのは、私だけでしょうか?
満腹は幸せ空腹はもっと幸せ
kinpega
人生に哲学は必要なし
なわけねー
29 :
考える名無しさん:04/12/20 11:56:05
人生プラス・マイナス0
これについてどう思いますか
さぁ ?
共通問題 次の公式の右辺にあてはまる人生を送りなさい。
1+(−1)=人生
↑ そんな単純ではないよ。
33 :
考える名無しさん:05/02/02 00:41:46
f
こんな素晴らしいスレッドがあったとは・・・
人間関係について
・人前で他人の悪口を言わない
・人の話を聞くときは、本気になって理解しようと努める
>>35 自分についてはそれで穏やかに暮らせると思います。
では、他人が人の陰口を言ってきたときと、
他者同士が悪口を直接に言い合っているときは、
人間どうすればいいんですか。
無視すべし
>>37 へぇ。自分は積極的に関わりますけどね。
軽く諌めたり、合わせたり、激辛の悪口で相手の考えの甘さを指摘したり、
でもこれは前者についてだけです。
他者の罵詈の交し合いは、いつ接してみても、何していいのかわかりません。
それと、これからしばらく俺のレスでスレを占めます。
§ 何で人は生きるのか §
何で人は生きるのか、、、と自分に問うとき、三つの答えを用意しています。
一、「人体の生存」があるから
これは動物の生態を観察することで、科学的に、人間にも確立されている理由です。
なぜかは知らないけれど、生まれてきて、もの心が芽生えて、人体の生存があるから、生きている、ただそれだけのことです。
その理由と仕組みに疑問を感じるところですが、それは人生哲学の範囲外で、別な哲学の範囲内です。
二、理性的幸福への志向としての「人間の生命」のため
これは人生哲学によってのみ考えられる理由です。
三、「個々人の実生活」があるから、
これは科学も哲学も何も教えてはくれず、満足な助けもなく、そして人が否応もなく直面する理由です。
端的に言って、毎日があるから、日常生活があるから、ということです。
現実の生活の中で、稼いで食べていかなければならないからです。真面目な人は皆、経験によって了悟していることと思います。
わかり易いように三つの「」の中に、「人・生」の文字を入れてみました。
この概念の三本柱がバランスよく、人の内に知的に構築されていないと、
人は「自分が何で生きるか」「何で人生があるか」わからず、果てしなく苦しんでいくことになると考えています。
例えば、個々人の実生活が危機に陥ると、つまり、仕事を失って社会のはみ出し者になったりすると、
いくら寝ても疲れが取れない→人体の生存の危機
考え方も混乱して、粗雑に荒涼になっていく。→人間の生命の危機
ますます社会からはみ出していく→個々人の実生活の危機
…となると思います。人生の活気に関するデフレスパイラルです。
§ なぜ人生が、三つの概念に峻別できるのか §
これはよくわかりません。人びとがそういう考え方をするのを、俺が見てきたから、としか言えません。
哲板の人生哲学系スレも、だいたいこの三つの傾向に従って、レスが刻まれます。
第一は、「人生に意味はない」という傾向です。
―代表例1
>僕はどうして生きているのだろう
勘違いしたら駄目だよ。
君が自分(身体)を所有してるんじゃなくて、自分(身体)が、君を所有してるだけなんだから。
なるべく長生きして、可能なら子孫を増やしてくれるなら、それで身体的には、まったくオッケーなわけよ。
つまり、君という存在は、手段であって、目的ではない。
代表例2
そもそも存在理由が、肉体の制御なんだから、それ以上を求めたって、無いもんは、無い。
―代表例3
>生命は何の為に産まれたの?
何の為にとかいう問題ではない、自然現象の一部だ。死ぬまで生きるだけ。まあ、死ぬまでやりたいことせい。
>何の為に種を残すの?
何の為にとかいう問題ではない、自然現象の一部だ。やりたいことして生きてきた結果、種が残ってれば残ってる、
残ってなければ残ってない。どうでもいい。
二番目の傾向は、「人生の意味は自分で決める」というものです。
「人それぞれ勝手に実生活を生きる、その結果が人生の意味そのものである」というものですね。
―代表例1
人間が他の生き物と決定的に違う点は、
人間自らが作り出した環境に従うことであります
その環境は経済的、文化的、言語的、歴史的構築物であります
それゆえ生きる意味とは社会的選択肢としてあらかじめ用意されております
それぞれの社会によって生きる意味は違うわけです
―代表例2
人は人、自分は自分。誰かの人生は参考程度で十分。重要なのは、経験。
俺の場合、仕事と旅と海に潜ること。生きがいに値する
三番目は、何人かの人たちが議論して、徹底的に人生の意味を考えていく、というものです。
dat落ちた「生きる意味」スレや「僕は何のために生きているんだろう」スレ、「生きていくのがつらい」スレがそうです。
「人生の目的とは?」「生きる価値はあるのか?」「価値と目的と何が違うのか?」等々、
話しがずれていくこともしばしばですが、とにかく考えていっていることだけは、間違いありません。
第一の傾向の考え方も、第二の傾向の考え方も、それ自体、非常に合理的な考えで、反駁し得ません。
「人体の生存があるのみで、それ以上の意味はない」
「個人個人、勝手に実生活上の生き甲斐を見つけて、生きる。考えるよりも、行動である。私もそれに従っている」
つまり、―「人体の生存」を利用して、「個々人が実生活」を充実させる
人生の何たるかについて、ここに何の疑問があり得ましょうか…? これで皆が満足できないものなのでしょうか?
ここから先に疑問を投げかける、第三の傾向の人たちがなぜ出現するのか、これもよくわかりません。
善良な気質で、そこそこ頭もいい人が、なぜ人生の意味を見失うのか…?
自分にはいろいろ考えがあります。
ですから、このスレに続きがあったとして、それが盛り上がり尽くしたとき、その答えもはっきりしているかもしれません。
§ そもそも、理性的幸福への志向としての「人間の生命」は在るのか? 確かなのか? §
人生の概念は、三つに袂別されることを示しました。
ということは、人生の特殊な場面において、三つの概念を選択する可能性が生じることになります。
つまり、「人体の生存」を取るか、「人間の生命」を取るか、選択の可能性が生じることです。
そういう場合を考えたとき、理性的幸福への志向としての「人間の生命」の有無が、ヒョコッと顔を出すことになります。
例えば、ヤクザであるAさんに、ふとしたことで因縁をつけられて、
「腕を折るぞ」という脅しを楯に何らかの要求を突きつけられた人Bさんがいるとします。「百万円払え」とかですね。
そのとき、Bさんが、Aさんに腕を差し出して、彼に腕を掴ませ、
「折るなら折れ。そんな脅しに屈したという人間と思われるくらいなら、腕などいらない。引きちぎっても構わない」
と言ったとします(ある漫画からの挿話です)。警察に頼る気もないらしい。
このとき、Bさんには、人体の生存を危機に晒す、すなわちそれ相応の苦痛を伴ってでも、貫きたい志操があることになります。
それは、健全な人体の生存を人生の目的とする科学的な考え方では、決して理由を説明できない志操ということになります。
また、「実生活の充実」を取るか、「人間の生命」を取るか、という選択を考えてみましょう。
哲学好きの人が、稼ぎを犠牲にしてまで哲学に打ち込んでいると、その人は奇異の視線の対象になります。
そういう人、哲板にいないでしょうか? おそらく哲学が生き甲斐なんでしょう。
でも、「生き甲斐」への志操も、実社会が弾き出した常識から大きく外れてしまうと、それだけ説明がつかなくなります。
自分はこれらの志操を、理性的幸福への志向と呼び、そのまま人間の生命と考えたいんです。続きがいくらでもあります。
科学による人体の生存としても、個々人の健全な実生活としても、説明の出来ない何か、
そんなものだからこそ、哲学的価値が見出されるのではないでしょうか?
2002年の春頃、踏切を越えた赤ん坊を助けようとして、母子共々が轢死した、というニュースを見ました。
この母親の行動を、哲学以外の何かで説明できるでしょうか…? その説明で、万人が納得できるでしょうか…?
こう考えると、人体の生存でもなく、健全な実生活の為でもない、もっと別種の人生の意味は存在する、と思えないでしょうか?
§ 理性的幸福への志向とはどんなものなのか? 例えば、いわゆる自己満足と、どう違うのか §
哲学とか、変わったことに打ち込んでいる人に対して、「結局、、、それは自己の満足のための行動なんでしょう?」と、
意地悪く言う批判があるのを、よく目にします。
この批判は、人生哲学において、軽く扱うわけにはいかないと自分は思っています。
「自己の満足のための行為か、それ以外の何かか」は、人生哲学において、重要な問いだと考えています。
哀れにも当初の目的を果たせず、高速で向かってくる鉄の塊に肉体の機能を粉砕させられた母親の行動も、
単なる自己の満足や我欲の充足のためと言えるかもしれません。
もしかしたら、赤ん坊を助けるという意志などはなく、
飛んでいった財布の一万円を拾おうとして踏み切りの中に入ったのかもしれない。
新聞の記事ですから、疑おうと思えばいくらでも疑えます。でも、ここまで疑うと、それは意地汚い考え方になるでしょう。
自己犠牲にもいろいろあるでしょうけれど、何か、良識ある人の琴線に触れたり促したりする場合があります。
少なくとも、普段よく見られる行為ではないので、死ぬほどの自己犠牲には"哲学的驚き"があります。
ここで注目してもらいたいのが、哲学の分野の一つである、倫理や道徳です。
カントやウィトゲンシュタインに従うと、
(かなりいい加減かもしれませんが)、倫理や道徳的な行為は、美の概念を引き連れてきます。
美しい以上は、意地悪で薄汚い懐疑を跳ね除けることになります。
つまり、「自己満足である」という非難は、「美しくない、引いては道徳的でないですよ」という批判と同義なんです。
ここに、単なる自己の満足と理性的幸福とを峻別するためのヒントがありそうです。
46 :
考える名無しさん:2005/03/22(火) 19:54:46
んん?
48 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 10:23:04
人は、学ぶ「ため」に生まれてきたのではない。
人は皆、気づいたら生まれていて、
皆、生きようと思い、
皆、この世のことを学ぶ「ハメ」になり、
次第に、多くの人は、人生に意味はないことを、
悟るようになっていくだけの話である。
この過程を通って生きれば、年期には安らかに死ねる。
この世に未練はなくなるからだ。
49 :
48:2005/04/23(土) 10:24:10
年期→老年期
50 :
身も蓋もない結論ですが:2005/04/25(月) 20:55:08
人は何のために生まれてきたのか?
その問いに答えがあるとしたら、
生前(もしくは死後)の世界が存在していなければならない。
もし生前(死後)の世界がなければ、
人は何かのために生まれてきたのではなく、
気づいたら生まれていただけの話ということになる。
若き程は(´∀`),諸事につけて,身をたて,
大きなる道をも成じ,能をもつき,學問をもせんと,
行末久しくあらます事ども心にはかけながら,
世を長閑に思ひて打ちおこたりつゝ,
まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて,月日を送れば,
ことごとなす事なくして身は老いぬ(´Д`).
終に物の上手にもならず,思ひしやうに身をももたず,
悔ゆれども取返さるゝ齡ならねば,
走りて坂を下る輪の如くに衰へゆく...
52 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 20:06:13
名スレ!
53 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 21:38:05
コピペだが
みんな聞いてくれ。もし明日にでも死んでしまったら
そんな概念すらなくなる。宇宙の広さとかも君が脳内で考えているだけで
脳が死ねば「君に」とっては何もなくなってしまうだろう。だけどその後も
ちゃんと地球は存在していてそれぞれの生物が
生きているはずだ。これはすごいことだと思わないか?
自分が生きてる意味って何なのかなって考えてほしい。
そして最後には生きる意味はないって気付くだろう。
生物なんて偶然に地球で生まれただけで食欲、性欲によって
生きて遺伝子を残しているのだから。人間にいたっては
優越感や愛情などの自己満足的な感情で精神を安定させている。
そう考えると世の中に意味があることはなんにもない。
まさに生物が生きているなんて無意味だ。
しかし君の今の生活がよっぽど辛くなければ自殺などは
考えず翌日には普通に会社に行ったり遊んだりするだろう。
でもそれでいい。それが人間、生物として当たり前のことだから。
明日の朝がくるのを、楽しみに眠りについていた子供の頃を
懐かしむ今日の私である。
みなさま、こんばんわ いかかおすごしですかいパーフェクトTV
今日は残りの人生の最初の一日