確かに哲学は役には立たないかもしれませんね。
ですが哲学が宗教に先立つ宗教を生み出す前提になっているんです。
そして世界中の人々は宗教の影響下にあります。
それは非人間化によって考える葦を救済するニヒリズムですし、
資本主義は社会経済的ニヒリズムといえるのです。
そしてこのニヒリズムに抵抗しようとするならば哲学するよりないでしょう。
そしてまたその挙げ句の果てにニヒリズムを肯定し、それを代表するニヒリストになるものです。
人間、考える葦というのは過酷なものです。
ですから、それを非人間化しようとする宗教自体は合理的、人間的なんですね。
その派生物としての非人間的な資本主義もそうです。
いかに存在を忘却するか、死や無を忘却するかという問題の解決を目指すものです。
このニヒリズムによって半ば救済されていなければ人生は地獄です。
宗教の開祖は地獄ですら容認する境地に至った上で、
自他のためにニヒリズムを編み出したのです。
ナチズムというのも、ニヒリズムの一種でして、
飢餓や苦悩を客観視するようになる極限の恐ろしい状況に基づいて、
合理的に不合理と非人間化による救済を追求するものでしょう。
ニヒリズムを編み出す人というのは地獄をも許容するものなのです。
ナチがユダヤ人にやったことは、
特に資本主義社会において我々が動物に対してやっていることと大差ありません。
自覚的にやっている人は例外なんですね。
いずれも非人間的に無自覚的にやってるんです。
ニヒリズムはそんな世界でも楽しいじゃないですかというためのものであります。