哲学やって悟った人たちがいろいろ書き込むスレ

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578考える名無しさん
最近、ファイアアーベントの『理性よ、さらば』をもう一度読んだ
その序章で彼は、合理性批判を目的とすることを綴っているが
そこでは、−発見を除いて−などと発見の論理と正当化の論理を区別しているように思える
彼が批判したかったものは正当化の論理における合理性なのではないだろうか
しかしながら、昨今では発見の論理も正当化の論理も一緒くたにされ、合理性への批判が顕著である
また、合理主義からの反論もほとんどない

『ウンコな議論』という非合理主義批判の本の翻訳者後書きには
カンボジアの虐殺などを例に挙げ、理性の不足が悲劇を招きうるということを説く
しかし逆に非合理主義の方もカンボジアの虐殺をはじめ多くの歴史的な虐殺や悲劇について
理性が原因と、その責任のすべてを理性に押し付ける
同じ悲劇を例に挙げながら、お互いに責任をなすりつけあうというのは見ていて気分が悪いものだ

発見の論理における合理性と言語を通じた研究は、多くの豊かさをわれわれに与えてくれる
この合理性の問題においてさえもそうであるとわたしは考えるが、
豊かでない言葉が氾濫している現状につい憂いを抱いてしまう