★★ ライプニッツ Part2 ★★

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514考える名無しさん
なぜ、みんな「24の命題」について触れないだい?
モナドにこだわるのはわかるけど、
モナドが主著と決まってるわけじゃないし、難しすぎるのではないかい?
155さんが指摘しているけど、ライプニッツの主著は現段階ではまだわかっていない。
ライプニッツの著作のなかで、
「24の命題」はライプニッツ入門にぴったりではないだろうか?
「24の命題」は、主著とはいえないけれど、
ライプニッツの世界の問い方、がわかりやすく短く書かれていると思うよ。
極論だと思うけど、「24の命題」を読んでピントくるものがなければ、
ライプニッツの考え方とは、相性は悪い・合わないという目安になるんじゃないかい?



515考える名無しさん:2008/11/15(土) 03:52:52 0
516考える名無しさん:2008/11/15(土) 04:08:09 0
↑のサイトの訳、微妙だね
517考える名無しさん:2008/11/15(土) 06:58:20 0
このスレでみんなで訳すかい?
518考える名無しさん:2008/11/15(土) 07:26:37 0
微妙でない誤訳多し
519考える名無しさん:2008/11/15(土) 07:58:05 0
>>517
じゃ、とりあえずテーゼ1から

1. Ratio est in Natura, cur aliquid potius existat quam nihil. Id consequens est magni illius principii,
quod nihil fit sine ratione quemadmodum etiam cur hoc potius existat quam aliud rationem esse oportet.

1 自然本性の内には、何ものも現実存在しないよりむしろ何かが現実存在する理由が存在する。
そのことは「何ものも理由なしには生じない」という大原理からの帰結である。
同様にまた、他のものが現実存在するよりむしろ此のものが現実存在する理由も当然存在する。
520考える名無しさん:2008/11/15(土) 08:33:36 0
おぉ、完璧ですね。
でも、ここのnaturaは自然本性としてしまうと強すぎる気もしますが。
521519:2008/11/15(土) 08:51:43 0
>>520
自分でもちょっと「自然本性」は強すぎるかなと思ったんだけど、「自然の内には」とやっちゃうと
「自然界には」とか「自然学の扱う領域の内には」という意味に曲解されそうだったので、
あえてくどい訳し方にしてみた。
ようするに、いかなる事物であれ、その事物の本性を考察すれば、そこにはその事物の実在根拠が
見出されるってことかと
522考える名無しさん:2008/11/15(土) 09:13:05 0
>>521
うーん、確かにこういう文脈では訳しにくい語ですね。

すべての事物の(すべての)自然本性について語っているということを生かすために
多少ずるい訳としては「自然の本性の内には」とする手もあるかと思います。
523519:2008/11/15(土) 09:37:25 0
じゃあ、こんな感じに続けていくんで、適当に批判検討してくれ

2. Ea ratio debet esse in aliquo Ente Reali, seu causa. Nihil aliud enim causa est, quam realis ratio;
neque veritates possibilitatum et necessitatum (seu negatarum in opposito possibilitatum) aliquid efficerent
nisi possibilitates fundarentur in re actu existente.

2 その理由は何らかの実在的存在者、すなわち原因の内に存在している必要がある。
というのも、原因とは実在的理由に他ならず、
可能性と必然性(つまり反対を否定された可能性)に関わる真理が何らかの結果を生じさせるのは、
その可能性が現実に存在する事物の内に基礎づけられている場合に限られるからである。


ratio は理由より根拠のほうがしっくりくるかも
524考える名無しさん:2008/11/15(土) 09:49:03 0
「自然界には」も可能性があるのではないだろうか?
ここで強調されるのは、「何ものも理由なしには生じない」という大原理だから、
単純に「自然」と置いて解釈の余地残すのは、まずいのかなあ。
525考える名無しさん:2008/11/15(土) 09:58:42 0
10番を見るとそれでも良いかな、という気もしますね。
526考える名無しさん:2008/11/15(土) 11:16:10 0
>>515
二十四の形而上学的命題って、
最大原理のことを言ってるだけだろう。
最大原理は、一般性はないけど、「場合の方法」としては有効だけどね。

天才ライプニッツの主張の中心が、これでとなさけないな。
やっぱり、モナドだよ。

527考える名無しさん:2008/11/15(土) 11:40:41 0
>>523
たしかにこういう文脈では「根拠」の方が良いかも知れませんね。

>veritates possibilitatum et necessitatum

ここの属格は、どういう意味での属格なのかなあ、というのはちょっと考えさせられます。
528519:2008/11/15(土) 12:02:57 0
>>524
事物の実在根拠が自然界の内にあるんだとすれば、「神が自然界の内にある」ってことになって
まずいんじゃないかと思ったんだけど、どうなんだろ

>>527
訳してて「可能性の真理」(veritas possibilitatis)ってのがよく分からなかった。
可能性の状態にあったものが現実化して、「真である」と言われるような状態になっている
という感じの理解でいいのかな?
529519:2008/11/15(土) 12:04:47 0
EXISTENTIFICANS ってなんか定訳ある?


3. Hoc autem Ens oportet necessarium esse, alioqui causa rursus extra ipsum quaerenda esset cur ipsum existat potius
quam non existat, contra Hypothesin. Est scilicet Ens illud ultima ratio Rerum, et uno vocabulo solet appellari DEUS.

3 しかもこの存在者は必然的存在者でなくてはならない。
さもないと、当該の存在者のほかにさらに、当該の存在者が現実存在しないよりむしろ現実存在する原因を
探し求めなければならなくなるが、これは仮定に反している。
つまり、その存在者こそが事物の究極的な理由なのであって、それは一語でもって「神」と呼び慣わされている。

4. Est ergo causa cur Existentia praevaleat non-Existentiae, seu Ens necessarium est EXISTENTIFICANS.

4 したがって、現実存在が非現実実在に優越する原因が存在する。
すなわち、必然的存在者とは現実存在させる存在者なのである。
530考える名無しさん:2008/11/15(土) 12:37:32 0
>>528
> >>527
> 訳してて「可能性の真理」(veritas possibilitatis)ってのがよく分からなかった。
> 可能性の状態にあったものが現実化して、「真である」と言われるような状態になっている
> という感じの理解でいいのかな?

まず possibilitas は、5 あたりを見ると possibile と、それほど区別無く使われているようにも思われます。
veritas の方はどうなんでしょうね。
確かに現実化することまで含んでいるようにも思えますが、あるいは現実化ということは特に考えずに、
「可能的なものとしてある」「必然的なこととしてある」程度の意味のような気もします。
531考える名無しさん:2008/11/15(土) 12:55:02 0
>>528
> >>524
> 事物の実在根拠が自然界の内にあるんだとすれば、「神が自然界の内にある」ってことになって
> まずいんじゃないかと思ったんだけど、どうなんだろ

たしかに「自然界」という日本語にすると問題がある気もするけれど、
存在するものの総体という意味では問題がないように思えます。
うーん、どうでしょうね。
532519:2008/11/15(土) 12:56:33 0
>>530
たしかに veritas の内に existentia を読み込もうとしたのは勇み足だったみたい。
veritas(≒possibilitas) から aliquid(≒existentia) へ移行するためには、
現実存在する存在者が必要って文脈なんだし。
しかし、そうなると、possibilitas も veritas possibilitatis もほとんど同じ意味になっちゃうような気が・・・
533考える名無しさん:2008/11/15(土) 13:04:59 0
>>532
> >>530
> しかし、そうなると、possibilitas も veritas possibilitatis もほとんど同じ意味になっちゃうような気が・・・

実際のところ、ほとんど同じ意味だと言っても良いのではないかと思いますが、
possibilitas や necessitas がそれとして「成り立っている」ということを言うのに
existentia は使えない(使ったら existere してしまう)ので、こうした表現になっているのかなあ、という思いました。
534519:2008/11/15(土) 13:10:28 0
>>533
なるほどなるほど。おかげでかなりクリアーになったよ。
どうも、Veritas とか Wahrheit とかを見ると変に深読みしてしまう癖が付いてしまっていて困る。
535考える名無しさん:2008/11/15(土) 13:20:01 0
>>534
確かに、その当たりの言葉は深読みさせられるケースもありますものね。

しばらく PC を離れるので本筋から離れた感想なのですが
>>523 で debet を「必要がある」と訳されているのに感動しました。
(necesse と紛らわしいと文句を言う人はいそうですが)
自分は、ついつい「〜なければならない」と西田風の文体で訳してしまうので。
536519:2008/11/15(土) 13:21:18 0
conatus ってライプニッツだとなんて訳すのがいいんだろう? やっぱり「努力」じゃ変かな

5. Sed quae causa facit ut aliquid existat, seu ut possibilitas exigat existentiam, facit etiam ut omne possibile
habeat conatum ad Existentiam, cum ratio restrictionis ad certa possibilia in universali reperiri non possit.

5 ところで、何かを現実存在させる原因、すなわち、可能性に現実存在を要求させる原因は、
どんな可能的なものでも現実存在へ向かう努力をもつようにさせる。
というのも、或る特定の可能的なものに制限する理由は普遍の内には見出されえないからである。
537考える名無しさん:2008/11/15(土) 13:33:49 0
>>523
>つまり反対を否定された可能性

意味が通らない
対立する可能性の否定
538519:2008/11/15(土) 13:36:19 0
>>537
necessitas を possibilitas の特殊なものと考えて、
「対立する可能性を否定された可能性」というつもりで訳したんだけど
意味通らないかな?
539考える名無しさん:2008/11/15(土) 13:39:53 0
>>538
それでは、ギリシア以来の通常の意味での必然性にならない
540519:2008/11/15(土) 14:01:14 0
>>539
たしかにライプニッツの言い回しが特殊なのは認めるけど、
それは議論を possibilitas に集約するという意図があったからで、
意味は変わらないんじゃないか?

ほんとに意味まで違うというのなら、
「対立する可能性の否定」と
「対立する可能性を否定された可能性」の違いを教えて欲しい
541考える名無しさん:2008/11/15(土) 14:31:38 0
EXISTITURIRE ってなんぞ


6. Itaque dici potest Omne possibile EXISTITURIRE, prout scilicet fundatur in Ente necessario actu existente,
sine quo nulla est via qua possibile perveniret ad actum.

6 それゆえ、あらゆる可能的なものは現実に存在する必然的存在者――それなしには可能的なものが
現実に至る道は存在しないような存在者――の内に基礎づけられているという意味では、
あらゆる可能的なものは将来に向かって現実存在していると言うことができる。
542考える名無しさん:2008/11/15(土) 14:35:05 0
>>540
必然性は「そうでないことがありえない」なので、「そうでない可能性の否定」となる(現代も同様)
「必然的にAである」は「Aでない可能性がない」
必然N、可能Pとすれば
NAは non P non A

>反対を否定された可能性
は P non non A
543519:2008/11/15(土) 14:43:35 0
>>542
既に書いたとおり「反対を否定された可能性」という訳語で意図していたのは
「対立する可能性を否定された可能性」のことなので、
  P かつ non P non A
だよ。
確かに冗長だけど意味は変わってないはず
544519:2008/11/15(土) 14:45:29 0
訂正
×  P かつ non P non A
○  PA かつ non P non A
545考える名無しさん:2008/11/15(土) 14:46:30 0
訳を
non P non A
とも読みうることはわかったけど、

>necessitas を possibilitas の特殊なものと考えて

がミスリードで、日本語として non P non A とは普通読まない
546519:2008/11/15(土) 14:53:23 0
>>545
うん、たしかにミスリードだった。
訳は「対立する可能性を否定された可能性」に改めることにするよ。

自分が参照した限りだと、
 仏訳:c'est-a-dire des possibilites niees dans leur oppose
は自分の読みに近く、
 英訳:or negativities in the opposition of possibilities
はあなたの読みに近いと思った
547考える名無しさん:2008/11/15(土) 15:03:08 0
完了分詞をどうしても形容詞的にしたいんですね
普通理解されないと思います
548考える名無しさん:2008/11/15(土) 15:17:14 0
>>541
>将来に向かって現実存在している

EXISTITURIRE
をどう解釈してるの?
造語じゃない?

あと actu に工夫は見られるけど
existere と混じる
549519:2008/11/15(土) 15:51:57 0
>>548
>EXISTITURIRE
>をどう解釈してるの?

こういう造語法の例が他にあるのか知らないけど、
existere の未来分詞 existiturus を無理矢理に第四変化動詞にしたんではないかと。
ググったら、existence-desiring とか thirst for Being とか Drang nach Verwirklichung
とか Durst nach Existenz とか出てきた。何なのコレ?

>あと actu に工夫は見られるけど
>existere と混じる

existere を「現実存在する」と訳すのは譲りたくないんだけど、それだと
actu existere が「現実に現実存在する」になってしまう罠。
今回は妥協して actu existere は「現実に存在する」と訳したけど
もう一工夫必要だよね。
しかし、actu を「現実態において」とか「現勢的に」とか訳すのは躊躇われる。
いい訳し方があったら誰か教えて
550519:2008/11/15(土) 15:56:46 0
すべての可能的なものが EXISTITURIRE するけれども、みんながみんな existere するわけじゃない。
EXISTITURIRE は「existere することを望んでいる」くらいが妥当だろうか


7. Verum hinc non sequitur omnia possibilia existere: sequeretur sane si omnia possibilia essent compossibilia.

7 しかしながら、ここから、すべての可能的なものが現実存在するということが、帰結するのではない。
もし仮にすべての可能的なものが共可能的であった場合には、なるほどたしかに帰結するであろうが。
551519:2008/11/15(土) 15:58:31 0
駄菓子菓子

8. Sed quia alia aliis incompatibila sunt, sequitur quaedam possibilia non pervenire ad existendum,
suntque alia aliis incompatibilia, non tantum respectu ejusdem temporis, sed in universum,
quia in praesentibus futura involvuntur.

8 だがしかし、或る可能的なものが別の可能的なものと両立不可能であるがゆえに、
ある種の可能的なものは現実存在するに至らないということが生じる。
なお、「或る可能的なものが別の可能的なものと両立不可能である」というのは、
同一時間という観点からだけではなく、万有に対してそうなのである。
なぜなら、現在のものごとの内には将来のものごとが包含されているのだから。
552考える名無しさん:2008/11/15(土) 16:32:26 0
existiturire ≒ exigere existentiam ?

9. Interim ex conflictu omnium possibilium existentiam exigentium hoc saltem sequitur,
ut existat ea rerum series, per quam plurimum existit, seu series omnium possibilium maxima.

9 さしあたり、現実存在を要求しているすべての可能的なもの同士が対立しているということから、
少なくとも次のことが帰結する。すなわち、最多数のものが現実存在するような事物の系列、
換言すると、すべての可能的なものの最大系列が現実存在する。
553519:2008/11/15(土) 16:41:16 0
>>551の in universum は「同時間だけじゃなく過去・現在・未来の総体という観点から」というつもりで
「万有に対して」と訳したけど、ライプニッツはこの語を in generally くらいの意味で使っているみたい
なので、「一般的に」と訳し直すことにする。解釈は特に変わらない
554519:2008/11/15(土) 18:35:28 0
・determinata ってどういう意味だろう。明らかに特殊な意味で使われていると思うんだけど

10. Haec etiam series sola est determinata, ut ex lineis recta, ex angulis rectus, ex figuris maxime capax,
nempe circulus vel sphaera. Et uti videmus liquida sponte naturae colligi in guttas sphaerica,
ita in natura universi series maxime capax existit.

10 また、例えば諸々の線の中では直線が、諸々の角の中では直角が、諸々の図形の中では
最も容量の大きなもの――つまり、円と球――が確定したものであるのと同様に、この系列だけが確定した系列である。
また、液体が本性的に自ずから球形の滴へと集まっていくのが観察されるのと同様に、
万有の自然においても最も容量の大きな系列が現実存在することになっている。
555519:2008/11/15(土) 19:54:13 0
11. Existit ergo perfectissimum, cum nihil aliud perfectio sit quam quantitas realitatis.

11 したがって、最も完全なものが現実存在する。なぜなら、完全性とは実在性の量に
ほかならないからである。

12. Porro perfectio non in sola materia collocanda est, seu in replente tempus et spatium,
cujus quocunque modo eadem fuisset quantitas, sed in forma seu varietate.

12 なお、完全性は質料すなわち時間・空間を充満するもの――それがたとえどんな様態において
あろうとも〔実在性の〕量は同一である――の内にのみ据えられるべきではなく、
形相すなわち多様性の内にも据えられねばならない。
556519:2008/11/15(土) 20:08:29 0
13. Unde jam consequitur materiam non ubique sibi similem esse, sed per formas reddi dissimilarem,
alioqui non tantum obtineretur varietatis quantum posset. Ut taceam quod alibi demonstravi,
nulla alioqui diversa phaenomena esse extitura.

13 そこからただちに帰結するのは、質料はあらゆる所で一様なあり方をしているわけではなく、
諸々の形相によって種々多様化しているということである。
さもなくば、可能な限りの多様性が獲得されることはなかったはずである。
別の場所ですでに証明した事柄――これ以外の仕方では決して多様な現象が現れることはないであろう
ということ――については黙して語らぬことにする。

14. Sequitur etiam eam praevaluisse seriem, per quam plurimum oriretur distinctae cogitabilitatis.

14 さらに帰結するのは、判明に思考するための最大の可能性を生ぜしめるような系列が
優れていたということである。
557519:2008/11/15(土) 20:12:04 0
15. Porro distincta cogitabilitas dat ordinem rei et pulchritudinem cogitanti.
Est enim ordo nihil aliud quam relatio plurium distinctiva.
Et confusio est, cum plura quidem adsunt, sed non est ratio quodvis a quovis distinguendi.

15 さらにまた、判明な思考可能性は事物には秩序を、思考する者には美をもたらす。
なぜなら、秩序とは多数の事物の間の判明性をそなえた関係にほかならず、
混乱が生じるのは、多数のものが現前しているのに、それらのうちの任意のものを互いに
区別する根拠が存在しないときだからである。

16. Hinc tolluntur atomi, et in universum corpora in quibus nulla est ratio quamvis partem
distinguendi a quavis.

16 以上のことから、原子は廃去され、さらには、一般的に、
その任意の部分を互いに区別するいかなる根拠も存在しない物体が廃去されることになる。

17. Sequiturque in universum, Mundum esse Kosmon, plenum ornatus;
seu ita factum ut maxime satisfaciat intelligenti.

17 また、一般的に、次のことが帰結する。すなわち、世界はコスモスであり、装飾に充ちている。
換言すると、知性認識する者に最大限の満足を与えるように世界はできているのである。
558519:2008/11/15(土) 20:13:57 0
18. Voluptas enim intelligentis nihil aliud est quam perceptio pulchritudinis, ordinis, perfectionis.
Et omnis dolor continet aliquid inordinati sed respective ad percipientem, cum absolute omnia sint ordinata.

18 というのも、知性認識する者にとっての悦びは美、秩序、完全性を認識することにほかならないからである。
その一方で、あらゆる苦痛は何らかの無秩序を含んでいるものの、それは認識者にとってという条件のもとでの無秩序にすぎない。
なぜなら、無条件的には万物は秩序づけられているのだから。

19. Itaque cum nobis aliqua displicent in serie rerum, id oritur ex defectu intellectionis.
Neque enim possibile est, ut omnis Mens omnia distincte intelligat; et partes tantum alias
prae aliis observantibus, non potest apparere Harmonia in toto.

19 それゆえ、事物の系列の中の何かを我々が不快に感じるとすれば、
それは知性認識作用における失敗から生じているのである。
じっさい、すべての精神があらゆるものを判明に知性認識することは不可能であり、
或る部分を措いて他の部分だけを観察している者の前に、調和がその全貌をあらわすことはありえないのである。
559519:2008/11/15(土) 20:15:49 0
20. Ex his consequens est in Universo etiam justitiam observari, cum justitia nihil aliud sit,
quam ordo seu perfectio circa Mentes.

20 以上から帰結するのは、宇宙において正義もまた観察されるということである。
なぜなら、正義とは諸々の精神に関わる秩序ないしは完全性にほかならないのだから。

21. Et Mentium maxima habetur ratio, quia per ipsas quam maxima varietas in quam minimo spatio obtinetur.

21 また、精神に最大の顧慮が払われるているのは、精神を通して、このうえなく大きな多様性が、
このうえなく小さな空間の内において獲得されるからである。

22. Et dici potest Mentes esse primarias Mundi unitates, proximaque simulacra entis primi,
quia rationes distincte percipiunt necessarias veritates, id est rationes quae movere Ens primum,
et universum formare debuerunt.

22 さらに、精神は世界の原初的統一、第一存在者の最も近い似像だと言うことができる。
なぜなら精神は諸根拠――第一存在者を動かし、宇宙を形相づけるべく定められた諸根拠――を
必然的真理として判明に認識するのだから。
560519:2008/11/15(土) 20:19:31 0
23. Prima etiam causa summae est Bonitatis, nam dum quantum plurimum perfectiones producit in rebus,
simul etiam quantum plurimum voluptatis mentibus largitur, cum volptas consistat in perceptione perfectionis.

23 さらに、第一原因は最高の善性をも備えている。すなわち、第一原因は事物の内に最大限の完全性を産み出すと同時に、
精神には最大限の悦びをもたらすのである。それというのも、悦びは完全性の認識において成立するからである。

24. Usque adeo ut mala ipsa serviant ad majus bonum, et quod dolores reperiuntur in Mentibus,
necesse sit proficere ad majores voluptates.

24 そしてついには、諸々の悪ですらより大きな善に奉仕するに至り、精神の内に苦痛が見出されるということすらも、
必ずやより大きな悦びに貢献するに至るのである。

                                                       〈終わり〉
561考える名無しさん:2008/11/15(土) 22:32:59 0
>>528
.事物の実在根拠が自然界の内にあるんだとすれば、「神が自然界の内にある」ってことになって
まずいんじゃないかと思ったんだけど、どうなんだろ

実在根拠を本質に見出してはきびしくなるのではないかい?
実在根拠は、「何ものも理由なしには生じない」という大原理から導かれのではないかい?
僕のイメージでは、
「何ものも理由なしには生じない」という大原理がまずあって、
自然はこの大原理によって包み込まれている。
だから、自然は「本質」も含まれているけど、
非本質とみなされる(例えば色とか)ものや、その他もろもろの要素全部が
「何ものも理由なしには生じない」という大原理から逃れることはできない、がテーゼ1の要点ではないだかい?
だから、ニュアンスとして自然全体なんじゃあないかなあ。
神については単に創造主として留めておくべきではないだろうか?



562考える名無しさん:2008/11/15(土) 22:54:16 0
「理由が自然の内にある」(Ratio est in Natura)ってのは、たぶん二つの意味で読めるんだろうね。
  (1)「自然の内にあるものはなんであれ実在根拠を持っている」という意味。
  (2)「事物の実在根拠であるような存在者(つまり必然的存在者)が自然の内に存在している」という意味。
1番目の意味は>>561が説明しているとおりで、わりとら容易に受け容れることができると思う。
ただし、2番目の意味で受け取ると、「神が自然の内にある」(Deus est in Natura)という命題が出てきて
ちょっと受け容れ難いんじゃないかと思う。

ここは無難に(1)の意味で理解しとくのがいいんじゃなかろうかね
563考える名無しさん:2008/11/15(土) 23:02:43 0
>>519
おつかれ
21の Mentium maxima habetur ratio の訳が気になる
564519:2008/11/15(土) 23:17:29 0
>>563
うん、そこはかなり迷った。
はじめは「諸々の精神のなかで理性が最も偉大なものとみなされている」って読むのかと思ったけど、
quia 以下がうまく繋がらないし、22以降で主題になっているのは ratio じゃなくて mens のほうだったから
その読み方は捨てた。

ratio quia 〜 で「〜の最大の理由は」って読み方も考えたんだけど、どうもうまくいかない。
一番自信ないとこなんで、代案があればどなたかよろしく
565考える名無しさん:2008/11/15(土) 23:26:29 0
>>559
英訳(http://books.google.com/books?id=g6zu4kkQ9kYC&printsec=frontcover&as_brr=3&hl=ja#PPA53,M1)だと

  21 And the greatest ground belongs to minds, because through them is obtained as much variety in as little space as possible.

ってなってるんだけど、"the greatest ground" が何を指しているのかよく分からないな