周易(中国哲学中珍しく抽象的な哲学)

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123考える名無しさん:2005/10/03(月) 23:49:52
王韓注や孔疏みたいに単純に理解することもできるんだから、
「前提にしてる」と決めつけることはできないと思うぞ。
124?1/4?i`:2005/10/09(日) 11:05:35
易は哲学書であるが、占いの書である。
此処では占いの部分は話したらいけないけど、
占いの部分が分からないと、哲学的なことが分からない。
そして哲学的なことが分からないと、占いの部分が分からない。

乾為天、坤為地が分かれば、易は全て分かる。
しかし64卦全てが分からないと、乾為天も坤為地も分からない。

生まれ変わりのことは、もうヒントを出しています。
後はご自分で見つけだすことです。
3ヶ月ではむりでも、10年ほど勉強すればわかるだろう。

私は山水蒙ですので・・・・w

125西南:2005/10/09(日) 11:06:59
易は哲学書であるが、占いの書である。
此処では占いの部分は話したらいけないけど、
占いの部分が分からないと、哲学的なことが分からない。
そして哲学的なことが分からないと、占いの部分が分からない。

乾為天、坤為地が分かれば、易は全て分かる。
しかし64卦全てが分からないと、乾為天も坤為地も分からない。

生まれ変わりのことは、もうヒントを出しています。
後はご自分で見つけだすことです。
3ヶ月ではむりでも、10年ほど勉強すればわかるだろう。

私は山水蒙ですので・・・・w

126& ◆LMRaV4nJQQ :2005/10/09(日) 21:33:18
ヒントも何も、そんな難しい問題じゃないだろ。お前さんは>>81
> 死後も事も、周易には書いてある。
>生まれ変わりのことも・・・・
と書いた。でも実際、『周易』には、どこにも生まれ変わりのことなんか書いてない。
つまりお前は、周易を読まずにデタラメ言ってるか、それとも読んだ上でウソを言ってるか、
どっちかしか無いんだよ。

>生まれ変わりのことは、もうヒントを出しています。
なんて意味ありげにごまかそうとしても、書いてないものは書いてない。

>後はご自分で見つけだすことです。
ってのは、立証責任を相手に転嫁して逃げてるだけだ。

『周易』から「生まれ変わり」について書いてある部分を示せない限り、おまえがウソつきって事は確定。
ここまでについて、何か反論あるか?
127梅毒斎 ◆Xx4dmR0X3. :2005/10/09(日) 23:46:01
>>125
>此処では占いの部分は話したらいけないけど、
>占いの部分が分からないと、哲学的なことが分からない。
>そして哲学的なことが分からないと、占いの部分が分からない。

まー、私も占いの話を避けることは遵守したいが言わせてもらう。
生まれ変わりを議論するのは哲学的に意味があるだろう。
しかし「実占」には生まれ変わりなどなんの意味もない。
「前世占い」とかあるが、あんなものはお遊びだ。
実社会実生活において生まれ変わりの話など無意味だ。

つーか、質問に答えたまえ。「西南」のハンドル使うなら西南に。
何か知ってるようなふりしたものの言い方は止めたまえ。

>私は山水蒙ですので・・・・w

どっちかというとあんた水山蹇だ。
・・・・・・・・もしかしたら卦を立てる順番も知らないのだろうか?
128考える名無しさん:2005/10/10(月) 20:25:39
もともとは占いの書であったろうけど、儒教の経典となってからは、リーダー
たるべき者の書として編集しなおされたのだよ。
129考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:02:31
>>128
へ〜そうなんだ。
で、それって大体いつごろの話?  w
130考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:35:06
今買える本で何かあったら教えて
131考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:44:59
岩波文庫『易経』
132考える名無しさん:2005/10/11(火) 22:22:27
易をどう読もうと、どう解釈しようと全くもって勝手であるが、解釈するなら
少なくとも他人が分かるように書いてくれないとな。
わけ分からんこと書く人がたまにいるからね。そういうのは却下。
133考える名無しさん:2005/10/11(火) 23:09:40
>>132
おおむね同意するが、最終行の「たまに」ってのにだけは異論を唱えたい。
134梅毒斎 ◆Xx4dmR0X3. :2005/10/12(水) 18:22:19
>>132
>少なくとも他人が分かるように書いてくれないとな。

そう言うことを易では「西南」と言うんだよ。
「西南」のハンドル使うクセに「西南」で無い時点で既に易読みの易知らず?
135考える名無しさん:2005/10/26(水) 00:47:26
>>134
そもそも読んでないものと思われw
136考える名無しさん:2005/11/04(金) 21:18:08
>>107
いまの周易と比べてどんな感じだったのか、
例えば、豫卦の卦辞・爻辞あたり、あったら見せてもらえん? ← 帰蔵
もちろん、彖伝や象伝なんか付属してないよね。

あっ、もう返しちゃったか。遅かった。
137梅毒斎 ◆Xx4dmR0X3. :2005/11/05(土) 06:10:20
>>136
遅いわ。

覚えてるのでは、大有に、今の彖は「大有。元亨。」だが、その後に「雨を卜して雨らず」
という「卜辞」が付いてた。筮竹と亀卜の併用を前提にしていたらすい。

それとか「昔、黄帝が炎帝(シユウ)と戦うときにこの卦が出て、占い師○○は
吉と判じた」というような占例が全卦にもれなくついてる。
138考える名無しさん:2005/11/06(日) 00:57:31
帰蔵まで持ち出さなくても、漢初の易伝が今のと違ったことは
馬王堆の時点ですでに明らかなわけでw
139考える名無しさん:2005/11/06(日) 09:40:44
易伝なるものは長い時間かけて造られたものなんだろ。
140考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:00:58
阜陽漢簡もなw
141考える名無しさん:2006/01/26(木) 16:28:20
ほしゅ
142考える名無しさん:2006/02/03(金) 07:17:14
易を学べば
143考える名無しさん:2006/02/04(土) 10:32:15
易といえば占うものだと考えておるのは、
それはまだ易学を知っておらぬからでありまして、
本当に易学を知れば占うということはいらなくなります。

と、細木にだまされて結婚した人が言ってました。
144考える名無しさん:2006/03/05(日) 02:08:04
過疎だな、一ヶ月も間があいてる
145考える名無しさん:2006/03/05(日) 02:55:25
道学に則るのであれば、
かの白鹿洞では占いを完全には無視してはいけない、と言ってるよね。
あの偉大な師がね。
146考える名無しさん:2006/03/05(日) 21:21:42
占いというものはいかがわしいとすぐに考えてしまう。ただただ偶然で馬鹿馬鹿しく思えるから。
易だって、緻密な所は面白いし敬服できるが、結局は占いとなる。占いという点だけでいかがわしく思えてしまう。

本田済という人だったか平楽寺書店から易学という本が出ているが、あれなどを読むと易を理解することにもはや落胆する。
所詮易も古のおみくじだかの文章にいろいろ理屈をつけただけの書であると。またそれが長期に渡って増し加えられていったために
各部分で齟齬が生じていると。故につじつまを合わせにくくそれがいかにも解釈を難解なものに見せ付けているだけであると。

つまり本当な難解なのではなく、整合性がもとよりないのを無理につじつま合わせようとせざるを得ないということなんである。

江戸時代の偉い儒者が一生懸命易を理解し、占ったとしても、それらがよくよく考えてみるとあまり意味がないことであったという
結論に達してしまったなら、なんと嘆かわしく空しいことだろうかと思う。
147考える名無しさん:2006/03/13(月) 22:49:37
本田は易について冷静に見ようとしている。冷静に見れば易の神聖性ははがれ、その真の姿が浮かび上がってくる。
易がもともとおみくじの答えの如きものを下地とし、それに長期に渡って多くの人間が付け加え成立したが故に、極めて素朴な部分が
あったり、前後で辻褄が合わなくなっている姿が如実に読み取れる。それは難解なのではなく、単につじつまがあっていないものを
神聖視するから何とか理解しようとするところから難しく感ずるのである。

だとすると、現代人は易をどう見たらよいのか? ただの寄せ集めの未完成品と見るか、あるいはそうした難物を古今に渡り知見を
めぐらしてきた古人の営みを称えるのか? 果たしてこのようなものを人生の指針として捉えてよいのか?
確かに個々は精密な教えとなっているが、全てに渡る根本思想めいたものがないとすれば、それを求めるのは徒労というものだろう。
148考える名無しさん:2006/04/09(日) 21:54:46
age
149考える名無しさん:2006/05/05(金) 14:01:04
連休厨から先輩方に質問です。
「易経」の解説本で初心者(特に東洋哲学などを専攻していない人間)にお勧めの基本書というのはありますでしょうか。
朝日選書の本田済氏の本だけではちょっとややこしい、かといって占い本はワケワカメですので。
よろしくお願いします。
150考える名無しさん:2006/05/05(金) 23:31:47
>>149
易の話―『易経』と中国人の思考 講談社学術文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061596160/249-1757314-6325154

これが新しいし、分かりやすいかとは思う。
151考える名無しさん:2006/05/06(土) 20:48:58
>150
さっそく、ありがとうございました。
明日、本屋に行ってみます。
易経に関する本は、意外に少ないようですね。
152考える名無しさん:2006/05/06(土) 21:53:18
>>151
下記の本は一見ビジネスマン向け、経営者向けのようであるが、結構人気のある本である。

リーダーの易経―時の変化の道理を学ぶ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569644996/qid=1146919053/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/249-1757314-6325154

易の六十四卦の一番最初の卦(か)である乾(けん)の卦を取り上げて、易とは何であるかを大変わかりやすく説明している。
乾の卦は竜をかたどっているので、六つの爻(こう)が下から竜のどんな状態を示しているかを説明しながらわかりやすく説明している。

立ち読みしただけではあったが、決してビジネスマン向けの下らない本ではなく、易の本質はつかんでいると感じた。
易の冒頭の乾・坤の卦は六十四卦を代表するとされるので、乾の卦だけでも丁寧に説明しているこの本を理解すれば、易の本質はかなり理解できる。

初心者が易に興味を持つ入り口としては最適な本ではないか?
153考える名無しさん:2006/05/07(日) 03:00:34
現在の日本に、易系の学問がわかる学者ってどれくらいいるの?
154151:2006/05/07(日) 18:01:45
>152
ありがとうございます。
さっき書店に行ったら『易の話』の方はありましたが、『リーダーの易経』はありませんでした。
大きい書店に行ったら見てみます。

>153
中国の哲学や儒教の研究者で易経を取り上げているひとはいないのでしょうか?
初心者の質問ですまんです。
155考える名無しさん:2006/05/07(日) 18:31:42
>>154
よくは知りませんが現在よく取り上げられるのは下記の学者たちでしょう。

金沢 治
本田 済
今井 宇三郎
浅野 裕一
加地 伸行

古くはもっといますし、江戸の儒者でも佐藤一斎をはじめ多くの人が易の注釈書を記しています。
156バカ:2006/05/07(日) 19:04:38
お前の穴はくそだらけ
157 ◆6rgGIYz09M :2006/05/08(月) 01:06:20
このAチャンネルは色々変った人がいますがこの >>1 の人も変っている。
周易(=易経)の話で「占い」の話題は禁止と言うのにはびっくりした。
>>125 :西南 :  に在るように・・・・
>易は哲学書であるが、占いの書である。
まさしくこの通り、易経について占い禁止なら、聖書を宗教抜きで語れと言うようなものだろう。
荒唐無稽なスレだ。
>>128 :考える名無しさん :
>もともとは占いの書であったろうけど、儒教の経典となってからは、リーダー
たるべき者の書として編集しなおされたのだよ。
成る程そう言う事も後世にはあっただろうが、それは周易とは言わないだろう。
158考える名無しさん:2006/05/08(月) 20:11:06
>>157
>>1には「占いのぐだぐだしたとりとめのない話題は結論がでないので禁止」とありますから、ぐだぐだしてなければいいのでは?
159 ◆6rgGIYz09M :2006/05/11(木) 01:45:48
>>158 :考える名無しさん :
>ぐだぐだしてなければいいのでは?

そうとも読み取れますが一応「占いの(ぐだぐだしたとりとめのない)話題は・・」
と読むのが普通では?
スレ主の考え方は、占いとはぐだぐだして取りとめが無い、と言う事でしょう。
160処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/05/11(木) 01:50:05
当たるも八卦、当たらぬも八卦、占い次第は、
お前の業。
161考える名無しさん:2006/05/13(土) 12:39:42
昨日、中公文庫の加地氏の本を古本屋で見つけました。
162考える名無しさん:2006/05/13(土) 13:20:11
金谷治氏がこの五月の始めごろ亡くなったそうだね。新聞で見た。
163考える名無しさん:2006/05/13(土) 13:29:44
http://72.14.203.104/search?q=cache:jYR36OakHxYJ:www.chunichi.co.jp/00/mie/20060510/lcl_____mie_____009.shtml+%E9%87%91%E8%B0%B7+%E6%B2%BB&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=23
金谷治氏悼む
中国哲学研究者で学士院会員
 5日に病気のため86歳で死去した伊賀市川西、中国哲学研究者の金谷治さん。研究分野の第一人者で日本学士院会員でありながら、
地元での交流も大切にした。伊賀市で生前に親交のあった人たちは「謙虚で誠実な人柄」と口をそろえ、逝去を惜しんだ。(森本智之)

 金谷さんは1920(大正9)年、現在の伊賀市上野伊予町生まれ。東北帝国大(現東北大)卒業後、東北大教授などを経て、83年の定年
退職後は同大名誉教授に。

 古里の伊賀に戻った後も大阪の追手門学院大で講義をしたり論文を執筆したりする傍ら、地元の学習サークルや講演会で講師役を積極
的に引き受けた。市西柘植公民館図書室には、約30冊の自著を寄贈し、本の拡充にと10万円を寄付。約100冊の「金谷文庫」が創設され
た。

 
164考える名無しさん:2006/05/13(土) 13:30:23
研究テーマは中国の春秋戦国時代以降の思想家の哲学が中心。「論語」など思想書の翻訳や注釈書を多く手掛け、2002年には日本学
士院会員に選ばれた。

 金谷さんが講師を務めた市民サークル「論語の会」の会員で上野商業高校教頭の福田和幸さん(57)=四十九町=は「われわれのような
素人の意見にも熱心に耳を傾けてくれ、学者ぶらないおごらない人柄だった。郷土の宝を失った」と残念がる。

 郷土誌「伊賀百筆」では、半生を振り返るインタビュー記事を企画したり、金谷さんの原稿を掲載したりしてきた。

 インタビューでは、中国哲学から学んだ人生観として中庸を上げ「広く多方面からものを見る」大切さを話している。

 同誌編集発行人の北出楯夫さん(65)=小田町=は「寛容な金谷さんならではの言葉。責任感が強く、1字1句の校正まで丁寧だった」と
話す。

 ボランティアグループ「伊賀ランプの会」は03年4月、功績をたたえる企画展を開いた。メンバーの余野共子さん(78)=柘植町=は「控え
めな方で資料の提供を依頼すると困ったように苦笑いをされた。それでも熱心にお願いすると数回にわたって自宅に招いてくれ、素人の私に
熱心に中国哲学の基礎を講義してくれた」と振り返り、在りし日をしのんだ。
165考える名無しさん:2006/05/20(土) 11:07:47
中国哲学及び易経初心者です。教えて下さい。
「春秋左氏伝」も読んだほうがいいのでしょうか。

>163,164 本を買ったばかりです、合掌。
166考える名無しさん:2006/05/20(土) 13:40:08
>>165
よく分かりませんが、易が形而上の事を語るのに対し、春秋は形而下のことを記していますね。
春秋の筆法という言葉もあります。簡潔にして無駄なことを記さぬ筆法のことらしいです。
167考える名無しさん:2006/05/21(日) 12:25:54
>166
165 です。レスをありがとうございました。
易経をひととおり読んでから、次に読んでみようかと思います。
168靖らかな国にはさせない:2006/05/23(火) 09:34:53
靖らかな国にはさせない アサピー
靖らかな国にはさせない ニダ国
靖らかな国にはさせない アルヨ国除くT国
靖らかな国にはさせない 岡田、橋本、福田、河野
靖らかな国にはさせない 風見鶏経済団体
靖らかな国にはさせない 仲直りしたニダ団体
靖らかな国にはさせない 平成という意味深い時代で
169考える名無しさん:2006/06/10(土) 03:21:38
形而上と形而下の語源は易経にある繋辞上伝から採られたものなんですね。
易経を読んではじめて知りました。

【この故に形よりして上なるもの、これ道と謂い、
形よりして下なるもの、これを器と謂い、】    この箇所ですよね。
170考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:29:06
u
171考える名無しさん:2006/09/09(土) 21:46:23
ほっしゅ
172考える名無しさん