80年以降吉本隆明は叩かれすぎたのでは

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918考える名無しさん:2005/12/22(木) 22:53:42
だからどの辺が「理解できていない」と具体的に言えるのか、と皆が知りたがってるの。
919下司のカングリ:2005/12/22(木) 22:54:02
>>906
「大衆の行く末について案じている」と言ってしまうと、吉本の貌がヒュー
マニストのそれに似てくる。倫理的な色合いを帯び、少し高いところから、
“大衆”を心配する好々爺になってしまう。吉本は大衆がどうなろうと、知
ったことではあるまい。ただ“大衆”を無視、あるいは括弧に入れて何かを
述べたとしても、花田的、蓮実的なレトリックの綾にしかならないことを、
彼は知っているのだろう。
920919:2005/12/22(木) 22:57:13
吉本が「大衆」の視点からずれた、
またはその視点を外した箇所があれば知りたいです。
921考える名無しさん:2005/12/22(木) 23:18:02
吉本から大衆への視線というのは『転位のための十篇』中の「その秋のために」に露骨に明確に出てると思うね。そこに〈近親憎悪〉という一語があるでしょう。大衆に対して〈同胞〉であり同時に〈憎悪〉も感じるという位相が見えるよ。
922考える名無しさん:2005/12/22(木) 23:22:17
つまり屈折だよね。吉本にとっては大衆への視線は。敗戦時も自分はまだ戦う気でいたのに日本の大衆は何故か辞めてしまった。何故だ、という失望と空虚が襲った。そんな話をしてたでしょ。
923考える名無しさん:2005/12/22(木) 23:43:10
大衆に対してどのような位相で望もうが知識人というだけで、乖離している。
そんなことは吉本も百も承知なのだが、絶対性とか言ってたじゃん。
大衆は認識など求めていない。
924考える名無しさん:2005/12/23(金) 00:43:22
>>791
小浜逸郎だけはやめといた方がいいよ。W
吉本の基本概念が理解できてないから。
遠隔対称性や純粋疎外という吉本オリジナルな概念が全然わかってないワケ。
たぶん小浜のアタマだと何も解かって無いままいろいろな思想や哲学を批判してる。

具体的に説明していただけると嬉しいのですが?
どこが、どういうふうにだめなのか


いちばん解かってないのは自分の理解力の無さだけど、そこに気がついてない分だけ
躊躇しないで他者を批判してるところが恐ろしい。バカゆえの鮮やかさが恐い。
このバカさには、参るよ。いままで読んだ本で小浜くらいバカな本はなかったよ。
ある意味で、凄い。。。。。。。

これも書名をあげて具体的に教えていただければ。
925考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:01:44
>>922
>>敗戦時も自分はまだ戦う気でいたのに日本の大衆は何故か辞めてしまった。何故だ、
という失望と空虚が襲った。


吉本は知やイデオロギーの場所にいた。大衆は政治など信じない生活の場所にいた。
ってことでしょ。
926考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:32:31
〈知〉と〈生活〉の二項の対立、という図式では割り切れないものが残ると思う。例えば、吉本がよく見た夢の話がある。子供同士で吉本が友達数人と遊んでいる。誰かがとんでもない事をやってしまい、責任を取るために皆で切腹しようという話になる。
927考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:36:20
皆で腹を出し、一斉に切腹する事になった。じゃあ切腹するしかない、と吉本は皆と一緒に腹に刃物を突き刺す。しかしよく見ると皆は腹に刃物など刺していない。刺しているのは吉本だけだ。驚愕しながら痛みで吉本は死んで行く。吉本の回りの友達が吉本を覗き込んでいる。
928考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:44:08
何でこいつは腹など切っているのだ、と言いたげに皆は不思議そうに吉本の顔を覗き込んでいる。吉本はこの夢を度々見ているという。暗黙の掟が世界にはある、そうして異邦人である自分はその掟の外にある、という孤立感が夢に表れていると思う。
929考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:57:33
《俺の魂の惨劇は誰にも見えないのだ》という「恋唄」の一節とも先の逸話は重なる。《魂の惨劇》という言葉は吉本の思想を考える上で重要だと俺は思う。世界には《魂の惨劇》があり、それは語られぬままに闇の中に葬られて行く、それを暴くのだというモチーフね
930考える名無しさん:2005/12/23(金) 03:26:29
他人の夢の話ほど下らないものはないとはよく言ったもんだね。
931考える名無しさん:2005/12/23(金) 03:41:10
>>926
吉本はイデオロギーの世界に居て、皆はそんなとこに居なかったという
夢だね。
932考える名無しさん:2005/12/23(金) 03:44:28
                  .ノ′    } 〕    ,ノ           .゙'┬′   .,ノ
   ★ Big Shot ★       ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.‐    .]                   ミ,
              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、 
933考える名無しさん:2005/12/23(金) 06:08:44
尾崎豊が叩かれるように、吉本も叩かれたのだろう。
吉本は、尾崎豊を評価してたらしいね。
まあ、そんな時代だったんじゃないかな。
934考える名無しさん:2005/12/23(金) 11:26:15
滑稽なひとですな
935考える名無しさん:2005/12/23(金) 11:37:13
>>933
尾崎豊の愛読書が共同幻想論であったのは有名だよね。
936考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:21:49
初期の吉本の詩〈砂漠〉にも彼にとっての大衆の風景は描かれている。《こころはもう他人と語れない/他人は遠く離れて住んでいる/小さな電灯のしたに小さな板の食卓を据えて食べている/それは此処から視える風景だ/それは万べんなく行われて来た光景だ→
937考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:26:19
→こころは不思儀そうにそれを見ている/他人は見られていることも知らないで/のんきそうに談笑しながら晩餐をとつてゐる/その光景には何かがある/何かがある/こころはそれがわからないでたいそう焦燥する/視えてゐるのにそれはわからない/ああそれは通じない…》→
938考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:33:04
→明らかに吉本にとって、大衆とは意識化され、一度概念化される必要があった事をこれらの節は示している。大衆に対して卑怯さを云々しても無駄である事、そのアメーバ性が大衆の実体である事、また、体制に包括され過ぎるその性格を分析する必要があった。→
939考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:36:50
→先に挙げた夢の中で吉本は自分にだけ腹を切らせた仲間に「卑怯だぞ!」と最期叫ぶ。しかし仲間は吉本を不思議そうに見るだけだ。既に仲間(大衆)との背理はこの時予感されていたのかもしれない。愛着と背理の二面性があったという事だ
940カンケリ:2005/12/23(金) 15:40:23
「大衆」の「アメーバ性」って具体的にどういうことすか?
941考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:49:34
>>940
そのとらえどころの無い点じゃね?

吉本は、大衆からの乖離を意図的に行い高みに上ろうとした営為自体が芥川の仕事を支えていた、
とも書いていた。
942考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:55:46
柄谷氏的(?)にいえば、「大衆」ってのは知識人が自らの鏡像として生み出した
イシュージョンに過ぎないのでは?
943訂正:2005/12/23(金) 15:56:21
イリュージョン
944考える名無しさん:2005/12/23(金) 15:59:33
労働者は自らを労働者と意識する時点から、革命の主体となる。
大衆とすると、吉本の感性がとらえた、労働者のそれ以前の「原風景」ではないのかな?
945考える名無しさん:2005/12/23(金) 17:59:34
グラムシのいうサバルタンみたいなもの?
946考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:08:17
時の政治家にブツクサ不平不満を唱えながら附いて行く。そんな現状からの変化を望んでるかと思えばそうでもない。戦争になれば指導者が予期した以上に敵を殺しまくる。頭が変わればまた同じような現状に入って行く。鶴見俊輔との対談で吉本は→
947考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:11:05
→《大衆はウルトラだ》と語る。それは要するに時の支配に包括され、むしろされ過ぎる大衆を指している。対して鶴見は《一見従ってるようでそうでない》大衆のイメージを提起する。つまりベ平連等のデモに参加する大衆のイメージだと思う。→
948考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:13:48
→しかし吉本は鶴見の提起する大衆イメージについて、《ウルトラな大衆》の一断面に過ぎないと見る。吉本にとっての〈大衆〉は時の権力を超える事はない。そうしてむしろその、〈時の権力に包括され過ぎる大衆〉の中に、革命のイメージを探ろうとする。→
949考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:17:23
→ここでの吉本と鶴見のやり取りについて、詳しくは対談「どこに思想の根拠を置くか」を参照。ここで吉本が提起する《ウルトラな大衆》は吉本にとっての大衆像を如実に規定しており俺には衝撃的だった。また、鶴見との分岐点もそこに明確に現れている。
950下司のかんく゜り:2005/12/23(金) 19:52:05
>>947 948 949
鶴見のいう大衆は、比較的、豊かな階層の人間。鶴見の周辺にはいたの
だろう。しかし、当時の中流下層階級(これが日本人の多数)には、べ平
連のデモに加わる人間など、!0人に一人もいなかったはずだ。地方なら、
100人に一人いたか、どうか。それは大衆ではなく“少衆”とでも呼ぶべき
だろう。
では、吉本の“大衆”はどうか。こちらのほうが戦前も戦中も戦後もリア
リティを持っている。しかし、その存在様式を《権力に包括されすぎる》
といっていいかどうか。権力の包括をどこかで超えているから“ウルトラ”
と、吉本は形容したのではないか。そこに、吉本は“革命のイメージ”を
探ろうとしたのかもしれぬが、しかし、それもいまは昔だろう。
951考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:33:35
>>946->>949

同意。
952考える名無しさん:2005/12/23(金) 20:47:06
〈時の権力に包括され過ぎる大衆〉の中の「権力」に、
日共などの似非大衆指導党派などが含まれることはいうまでもない。
953ぼん:2005/12/23(金) 21:25:11
ここ、おもろいいうから、のぞいてみたけど、神様、仏様、隆明様みたいなん
が多いんとちがう? しこり、さわりはおもろかったな。関西なら、しこりや
ろな。さわりいうと、やすもののキャバレみたいやわ。
ゲスはんの仕事、なんやろな。不動産か金融、やないか。ちょっと、あぶない
スジの。バラサイトいわれて、マジでゲスはんに喰いついとったアンちゃん、
あれフリーターちゅんとちやうん? もっと勉強せなあかんで。
954945:2005/12/23(金) 21:51:56
スルーしないで  ・゚・(ノД`)
955考える名無しさん:2005/12/23(金) 23:13:16
このスレッド初めから辿ってると結構批判されてるけどね。決して“神様、仏様、吉本様”ではないと思うよ。色々な話が出てる。しかし半年前位の吉本スレッドから比べると大人しくなった。勿論良い意味でね。下らない中傷で70〜80%埋まってたからね、当時は。
956考える名無しさん:2005/12/24(土) 14:12:21
本屋で吉本氏の近影写真を見た。
横井庄一さんにちょっと似てるかな。
957考える名無しさん:2005/12/24(土) 14:42:07
もしかしてムック本の表紙みたいなやつかな

あれなんの雑誌だろう
958考える名無しさん:2005/12/24(土) 17:52:26
ぼくが見たんはcoyoteって雑誌で、
「旅行者の記憶 吉本隆明」って題だった。
杖を持って玄関先で座ってんのや、
パソコンのモニターの前に座ってんのや
結構写真があったけど、横井さんには
似てるっていえば似てるよね、って感じかな。

959考える名無しさん:2005/12/24(土) 19:35:21
私の分類では、彼は自称または他称の「善人」である。

他の例を引くと複雑になるから避けるが、同種の彼らが反体制の立場を
取っていても、決定的に排除されないのは、私の表現では、体制の役に立つ
「限界内文化人」だからである。

現代の自称「民主主義」体制の下では、「言論の自由」の張り紙を貼りまくる
必要上、彼らのような肝心要の所での「日和見文化人」は、むしろ必要不可欠
な「猿芝居」の「脇役」または「引き立て役」としての必需品なのである。


「偽の友は公然の敵より悪い」「公然の敵の方が偽の友より良い」
960下司のカングリ:2005/12/25(日) 01:11:45
>>959
ここ数十年、吉本が“反体制”を標榜したことは、一度もあるまい。それ
はともかく、彼が限界(体制)内文化人だというの本当である。
では訊くが、限界を超える文化人とは、だれ? 文化人でなくてもいい。
限界を超える、あるいは限界の外にいる人物がいたら、教えて欲しい。

もう一つ“肝心要の所”とは、どの場面を指しているのか。そう呼んでも
いいのは戦後の数年間だけで、以後は勝ち負けの決まったゲームばかりだ
ったのではないか。60年も70年も。
勝負の決まっていた戦いで、日和見を決めこもうが、反体制の旗を振ろう
が、体制ベッタリを選択しようが、大差はあるまい。猿芝居のなかで、各
人がそれぞれの役割を演じさせられただけである。
961カンケリ:2005/12/25(日) 08:33:40
大学教官を辞したときの廣松さん。
ある意味、「体制」を超えてましたよね。

962カンケリ:2005/12/25(日) 08:47:32
今の哲学業界でさ、
坂部さん廣松さん大森さんクラスで破天荒&切れてる方って、どなた?

ケツの穴のちいせぇヤツはいらねぇし。

次スレに期待!
963下司のカングリ:2005/12/25(日) 08:56:01
>>961
広松は、典型的な“限界内文化人”だろう。広松が難解めかした“左翼”的
言辞を弄することができたのは、彼が足場とする“体制”がしっかりしてい
たからにすぎない。それは、退官したのちも、その立場はさほど変わらなか
ったはずだ。彼については、>>959の“反体制”的文化人は体制の補完物という
指摘は当たっている。
964カンケリ:2005/12/25(日) 09:20:12
おーっすです。

>広松が難解めかした“左翼”的 言辞を弄することができたのは、
>彼が足場とする“体制”がしっかりしてい たからにすぎない。

転覆されるべき(と願われる)体制がまずは成り立っていなければ、
そもそも批判の言葉を向けることさえ出来ないっすよね。

とすると、“体制がしっかりしてるしていない”という指摘は関係ないのでは?
そして、この指摘が関係ないとしたら、話は変わってきません?




965カンケリ:2005/12/25(日) 09:37:09
「存在論の解決」て何じゃらほい。
966カンケリ:2005/12/25(日) 09:42:04
吉本さんによって解決が目指された、存在論の問いて何か教えてください・・。
967下司のカングリ
>>964
ついつい気取って、意味ありげな言い回しをしたのが間違いだったようだ。
ゲスっぽく言おう。広松は、たぶん数十年間にわたって、国家からカネを
もらって生きてきたはずだ。その彼が“反体制”的な言葉を吐くことは、親の
スネをかじりながら、親に文句をたれるバカ息子とどこが違うのだ、という
意味である。
戦前の体制なら、広松は大学には住めなかっただろう。いかに、いまの体制が
寛容か、いかに「しっかりしているか」がわかるだろう。
ある時期から、吉本が“反体制”や“革命”という言葉を禁句にしたのも、それ
らの無意味さ、不可能性を認ざるをえなかったからではないか。