生きる意味

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938考える名無しさん:04/12/27 02:08:37
・・・わかったぞ。

どうもさっきから枝豆とビールに拘るとおもったら、
さては、枝豆つまみにして、ビール飲んでるな?
939考える名無しさん:04/12/27 02:19:26
いつか死ぬのだ
それまで全ては自由
正解など無い、善も悪も無い、気の向くままに生きろ
940考える名無しさん:04/12/27 02:21:29
↑気の向くままに生きられないタコw
941考える名無しさん:04/12/27 02:21:36
だから、美意識も無く、
気の向くままに生きてたら、
駄目だっつってんだろうがよぅ〜。

ひっく。
942THE ゲル:04/12/27 02:24:40
>>938
いいですか?
938さんの知性にはゲルも完敗です。
推理通り枝豆をモグモグやりながら、ビールをカァーっといただいてるんです。
これが定説です。
わかりましたか?
943考える名無しさん:04/12/27 02:28:06
つか、俺もモグモグでカァーとやりて〜。

わしゃ、
サントリーチューハイと凍頂烏龍茶を交互にやりつつ、
マルボロライト・メンソール(ボックス)をプカー、とな。

さっきまでは、生ハムもあったのだが・・・。
944考える名無しさん:04/12/27 02:44:48
>942

>943

たのしそうですね。ボクはもう寝ます
945考える名無しさん:04/12/27 02:45:49
生ハムだって、 ビンボーニンw
946考える名無しさん:04/12/27 03:21:59
な!

・・・生ハムは、
生ハムわぁ・・・。

うううううっ。
シュ!




シュシュシュシュシュシュっ。
948考える名無しさん:04/12/28 00:35:15
あらゆる美意識も価値観も自由
気の向くままに生きろ

法を守るも自由、破れば面倒な事になるがな
ま、それも自由
それが生きてるって事だ

とりあえず後悔なきようにどーぞ
949考える名無しさん:05/01/04 21:47:25
新年の意味は生きる価値を超えている。。。
950考える名無しさん:05/01/04 22:23:44
正月は餅で年寄りを殺す
951kurahito ◆XEF65wQsug :05/01/04 22:28:05
正月を、持越して来し、老人を、「餅」殺す哉、新年の意味。
952考える名無しさん:05/01/04 22:54:15

餅は、小さいのを二つばかり食うことなり。

あっ、だから、小が2  ねっ !
953考える名無しさん:05/01/05 08:08:36
冬だけに寒すぎ
954考える名無しさん:05/01/18 07:31:47
生きてるのかこのスレ・・?
955考える名無しさん:05/01/19 22:44:49
生きる楽しさ、愛する喜び それが世界の約束
956考える名無しさん:05/01/31 17:57:21
死ねば生きていると実感できるさ
さあ、自殺だ!
957Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/07 23:06:40
生きる意味を考える人生哲学系スレに見られる傾向を、個人的にまとめてみました。

まず、第一に、「意味はない」という見方があります。
こんなレスが典型です。

―代表例1
>僕は何のために生まれ何のために生きているのだろう。

勘違いしたら駄目だよ。

君が自分(身体)を所有してるんじゃなくて、
自分(身体)が、君を所有してるだけなんだから。

なるべく長生きして、可能なら子孫を増やしてくれるなら、
それで身体的には、まったくオッケーなわけよ。

つまり、君という存在は、
手段であって、目的ではない。
958Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/07 23:07:12
―代表例2
>生命は何の為に産まれたの?
何の為にとかいう問題ではない、自然現象の一部だ。
死ぬまで生きるだけ。まあ、死ぬまでやりたいことせい。

>何の為に種を残すの?
何の為にとかいう問題ではない、自然現象の一部だ。
やりたいことして生きてきた結果、種が残ってれば残ってる
残ってなければ残ってない。どうでもいい。
959Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/07 23:08:13
第二は、人生の意味は「個人が自由に設定できるもの、人それぞれ」という見方です。
このスレの>>927のような考え方です。

―自分なりの仕事を見つけ、生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬ。

物理的には生きるも死ぬもない。
観念の中でしか生きる意味は無い。

自分なりの条件の中で自分なりに意味を見つければ良いだけ。
客観的な生きる意味、なんてのは無い。


第三は、何人かの人たちが議論を戦わせながら、徹底的に考えていくという傾向です。
生きていくのがつらい・・・
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1096552804/l50
とか、この「生きる意味」スレなどが代表例です。
960Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/07 23:08:47
第一の傾向は、人生から人体の生存という概念だけを抽出して、その意味を考えていると言えます。
そして、ほとんど瞬間的に、"人生に意味はない"という結論に達しています。これはこれで、合理的だし、納得できる考えです。

第二の傾向は、人生から個々人の実生活という概念だけを抽出していると言えます。
そして、個々人の実生活の中の、その人に合った「個々の人生の意味」ならば、
例えば、趣味や仕事、家庭、酒、銭、小娘、…etc、こういう条件に裏付けされた人生の意味だったら、
それは、その人にとっても、また他者にとっても納得できる人生の意味だと言っています。
これもこれで、合点のいく考え方です。
961Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/07 23:09:40
でも、「人生の意味」に対するこの二つの傾向がいくら確定的でも、第三の傾向は途絶えることがありません。
それはなせでしょうか???

自分は、人間には考える力があるからだと思っています。
人体の生存にいくら意味が見いだせなくても、人間の考える力が絶えず意味を求めますし、
実生活上の条件に裏付けされた人生の意味が、誰にとってもどんなに確定的でも、
人間の、考えることによって本質を暴く力によって、いくらでも疑うことができるからだ、と。

・「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する。」(アリストテレス)
・「真理を探究したいという強い衝動が潜んでいる。」(ペンフィールド)
・「人間は、無意味に耐えられない。」(ドストエフスキー)
・「人間は意味を求める動物である。この解答を得た人は、どんな辛苦にも耐えられるが、
 解答を得られない人は、その未来を失い内的に崩壊してしまう。」(フランクル)
…このとおりなわけです。(あるサイトからのコピペなので、詳しい出典は定かじゃありません)
962考える名無しさん:05/02/09 00:51:23
我々は生きていると思っている物質にすぎない。
963考える名無しさん:05/02/09 01:18:00
すぎなくないだろ
964Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/09 01:28:39
>>962
まごうことなき唯物論だ。俺は唯物論大好きなんです、という言い方じゃ駄目か…。
俺は唯物論の立場を認めています。

でも、唯物論者に理性(考える力)があるのを、どうしても排除できないんです。
それで、理性があるから、「人間って本当に物質なの?」って思ってしまうんです。
あなたは理性があるから、>>962を書いたんですよね。
>>962が、もしも
「パプロココヤッルル、ニニグジュステステオリー」とかいう理性の外側からの書き込みだったら、
つまり、言語じゃないメッセージだったら、
俺は、「あぁ、これは物質かあるいは植物あるいは動物が書き込んでいるんだろうなー」と思います。

でも、何らかの意味がこもっているのは間違いないので、
>>962はきっと物質の所業じゃない」という愚考を返事と致します。
965考える名無しさん:05/02/09 04:11:20
人は神が創った。死後、天国と地獄に振り分けられる。
あの世でいい生活をしたい為、今精一杯生きている。
その為のテストのようなもの。
966考える名無しさん:05/02/09 06:51:47
釣りは放置
967考える名無しさん:05/02/09 22:47:13
我々は理性と呼ばれる現象を引き起こす物質である。
968考える名無しさん:05/02/09 23:02:53
死んじゃったら全部無になるって解ってるのに、なんで努力できるの?
969考える名無しさん:05/02/09 23:07:16
時間において考えると、現在よりも先後の時間だけではないという事が理解されるからじゃないか。
970考える名無しさん:05/02/09 23:09:32
>969
すいません、もうちょっと解りやすくお願いします。
971考える名無しさん:05/02/09 23:10:52
>>968
いずれ無になるからこそ、今もしくは少し先の未来の苦楽を味わうんだろ?
972考える名無しさん:05/02/09 23:29:35
ちょっと前、サナトリウムを舞台にした演劇作品を見たんです。
内容は、不治の病を抱えた5,6人の若者が待合室で雑談をすることに終始したのですが、
登場人物は皆、自分が死ぬということを自覚しているため、総じて無気力なのです。
もう死んじゃうんだから、何したって意味無いよな〜、と。
でも自分たちだって、スケールは違えど、結局無になるわけじゃないですか。
それって遠いか近いかの問題ではなく、行動の無意味化を忘れられるかどうかの問題だと思ったのです。
結局自分たちは、死の存在を忘れているからこそ、努力できるのではないか、と。
973考える名無しさん:05/02/10 00:01:21
人は死を忘れなくては生きていけないが、死を完全に忘れて生を絶対視し、
利己主義に走り過ぎてもよくない。バランスを取ることが必要だ。

メメント・モリ。
死を想え、ということだよ。

日本にはお盆という風習もあるね。
974Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/10 00:41:30
人体がやがて生存を止めるから、生きているのは意味がないってか…。

ちょっと眼ん玉に炎をちらつかせながら、言いたいことがあるんですが。
人生から人体の生存という概念だけを抽出して、その意味を考えるというやり方は、
「時間とは何か」という問いにたいして、
「時間は時計によって我われに示される。だから時計の仕組みを調べれば、時間について多くを得ることができる」
と考えて、左手に時計、右手にドライバーを持って、「時間とは何か」という問いに当たる人間のやり方と、瓜二つに見えますよ。
975Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/10 00:42:20
また、「○○の思想はどんなものか」という問いにたいして、
「思想は文字によって表される。文字は白い紙と黒い線によって我われに示されている。だから、
この思想の記されている紙と線を調べれば、○○の思想の何たるかを解き明かすことが、大いに期待できる」
という考え方と、瓜二つに見えます。

こんな方法では、よっぽどの天才でもない限り、時間も思想もその中身について、何もわからないでしょう?
人体の生存という概念から、「人生に意味はない」という決断が下されるのも、これと同様のことではないですか?
976Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/10 00:43:43
ですから、人生を「人体の生存」とだけ捉えるのでなく、
「人間の生命」や「個々人の実生活」とも捉えてその意味を考えなくっちゃー、いけませんっ!
さもないと、人生から活気が失われていく一方です。

今まで俺が生きてきて最も悲惨に見えたのは、
人体の生存の「意味がない」という結論に引きずられるようにして、
人間の生命や個々人の実生活も意味がないと弾き出されてしまうような場合です。
977うあああ:05/02/10 01:11:37
人は物質→生は無意味→死んでもいい、という流れは、よくある間違い。
生と死は確かに物質に対する便宜上の区分だが、しかし、生きていなければ
できないことがあるのも事実。ヒトの行動可能性という観点から見る限り、生死は等価ではない。

意識は物質に依存→意識は決定論的→考える必要なし、という流れも、よくある間違い。
決定論と思考の有用性は矛盾しない。ヒトは物理法則を無視した万能者ではないから、
実在――現実の宇宙の状態更新――に先行することは出来ない。
つまり、宇宙が決定論的であることと、再現や予測が可能であることは、決してイコールで結べない。
決定論的であることは常に予測可能であることを保証しないのである。
そして、常に予測可能であることが保証されないこの世界においては、思考は常に有用であるのだ。
978972:05/02/10 02:40:41
うぬぅ。私にはLhimalさんやうあああさんの言うことがよくわかりません。
>人生から人体の生存という概念だけを抽出して、その意味を考える
私はそんな大層なことを主張していたのでしょうか?
少なくとも私は人生を人体の生存とだけ考えて無いと思いますし、
それによって活力を奪われているような症状は無いです。
「死」って主観の崩壊だから、ある意味世界の滅亡ですよね。
「そんな世界の滅亡を前に、なぜ人は努力することができるのだろう」とふと考えたわけです。
私もいろいろな努力はします。ただ、その「努力が何で可能なのか」ということを考えると「一時的に死を忘れているからじゃないのかな」と考えたのです。
むしろ、自己の終焉について考えない方が危険だと思います。
自己の終焉を考えないってことは、自分が永遠に続くということを信じているのと同義ですよね。
それだと毎日にハリがなくなってふと「自分にも終わりがあるんだ」と気づいたときにどっかーんとショックを受けそうな気がするのです。
私はしばしばふとしたことで死を想い「人生には時間制限があるんだから、こんなことしてる場合じゃない!」と考えることがあります。
メメント・モリって誰の言葉なんですか?
979考える名無しさん:05/02/10 04:05:34
そんなこと聞いてる場合じゃなかったんじゃ…?
980うあああ:05/02/10 10:06:52
極端に言えば、我々の主観は眠るたびに死んでいる。
そしてほとんどの人は、眠りの後に目覚めが来るのと同じように、死の後も
(その想像の中に「自分」は存在しないものの)現実世界が継続すると信じて疑わないのだ。

これはヒトの身体性から発生した、人類に普遍的な信仰である。
981考える名無しさん:05/02/10 15:53:04
おまい、なに言いたいの?
982Limahl ◆SxAKrzWJr. :05/02/10 19:29:50
>>978
あちゃぱ、、、吼えすぎたか…。俺の悪い癖なんですよ。

・メメント・モリ
ペストが中世ヨーロッパの人びとの頭の中に吹き込んだ文句らしいですよ。
今だったら、たっぷりと可愛がってもらった親の死に様とかが、死を想う心を人に教えてくれるんじゃないでしょうか?
死と自分とを隔てている障害が欠落して、絶えず死とお付き合いすることになるんですもの。

やたらな空想を続けると、
平均寿命八十年という我が国では、死を想うのが中年を過ぎる頃ということになります。
働き盛りを死を想わずに過ごすのが平均になっているから、
二十一世紀ニッポンの泰平社会がチョットおかしくなっているのかもしれませんね。
983考える名無しさん:05/02/10 19:32:50





永劫回帰だ〜〜〜!!



984考える名無しさん:05/02/11 11:42:56
生きる意味ねぇ・・。
結婚して子供を作って幸せな家庭を築くことじゃあないかなぁ。
985考える名無しさん:05/02/11 19:34:42
>>984
じゃぁ、さっさと女さがしに行けw
986972:05/02/11 21:42:02
>980
確かにそうですね。
睡眠については、夢を見ているという点で死とは違いますけど、
この世間のなかに自分の主観が無いが無いという意味では、死と同じですね。
実際、人間には主観的な世界しかありえないのに、「客観的な世界」があると信じている
ということですか。
987972
>982
現代日本ではなかなか死を見ることができませんね。
だから人生を無為に過ごしても気にしないニートとか引きこもりが可能なのでしょうか。
ふと思ったんですけど、「三日後に死ぬ」って解ったら何か努力をしようなんて気にはなりませんよね。(死なないための努力は別ですが。)
でも「自分は絶対に死なない」って解ってたら、いつでも努力できるんだから「今は努力しなくてもいいや」となりませんかね。