未来のこと
理想の内容は絶対化されている。絶対神のようなものである。
絶対化は、未来構文の内容として表される。
たとえ未来に天国が待ち受けているという内容であっても、それを嘘と決め付けることは難しい。
未来のことは、現実のこととは次元を異にするからである。
日本語には、時制がなく未来構文がない。
だから、未来構文が見当たらなければ、現実構文(現在構文)の内容を絶対化することになる。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、述べている。
「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、
ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、
スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、
マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、
毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、
林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。
常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と。
それにしても、十字架の上に掛けられたジーザスの体つきからは、とても勝者の威厳は感じとれない。
それが、日本人の問題ではなかろうか。
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