世の中に絶対なものは絶対にない

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68考える名無しさん

クレタ人がクレタ人はみんな嘘つきだと言いました。


というのと同じ問題かな? 語義矛盾だと言いたいんでしょ?>1
69考える名無しさん:04/10/17 10:26:06

とすると「私は嘘つきである」という言葉も自己矛盾だね。
「私は嘘つきである」も嘘になるからね。
70考える名無しさん:04/10/17 11:20:52
>>69

とすると「私と>>69さんはこの場で69できる。」という言葉は時空の矛盾だね。
「私は今ここで69できる。」も絶対に嘘になるからね。
71考える名無しさん:04/10/17 11:27:21
69できる??
72考える名無しさん:04/10/17 11:27:50
>>71
シックスナインさ。
73考える名無しさん:04/10/17 19:10:41
そうですね
74堕天使&魔界転生織田信長 ◆zd99jy82EQ :04/10/17 21:06:17
「良い話は絶対に架空の話である。」と、いうのは

虚ですか?
 社会的事実ですか?
  善ですか?
   悪ですか?

75寺嶋眞一:04/10/17 21:21:42
未来のこと

理想の内容は絶対化されている。絶対神のようなものである。
絶対化は、未来構文の内容として表される。
たとえ未来に天国が待ち受けているという内容であっても、それを嘘と決め付けることは難しい。
未来のことは、現実のこととは次元を異にするからである。
日本語には、時制がなく未来構文がない。
だから、未来構文が見当たらなければ、現実構文(現在構文)の内容を絶対化することになる。
山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、述べている。
「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、
ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、
スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、
マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、
毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、
林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。
常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と。

それにしても、十字架の上に掛けられたジーザスの体つきからは、とても勝者の威厳は感じとれない。
それが、日本人の問題ではなかろうか。
489文字
You can read more at http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
76考える名無しさん:04/10/18 00:34:59
勝者の威厳とは勝ったひとにかならず感じられるものなのであろうか?


77考える名無しさん:04/10/18 04:41:31
こんばんは
78考える名無しさん:04/10/18 04:50:16
エピメニデスのパラドックスですか?
クレタ島に行くとパラドクスで嘘つきになるようでしたらオコタエクダサイ

>>78さんは
どなたですか