生きていくのがつらい・・・

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654うげふds
1から読んだ。
>>1の姿が自分の姿に重なった。
>>1の悩みの根本も、自分の悩みの根本も、
「現状に対する耐えざる不満」だと思った。
それから、>>1にも自分にも「幸福になる要素」は備わっていると思った。
そして、幸福になりたがっている、とも思った。
>>1と自分に必要なもの、それは行動以外にないと思われた。
現状の、大嫌いな社会に適応しようと努力すること?それは違う。
自分が少なからず愛すことのできる、状況、場所を探すこと。
そんなものは存在しないかもしれない。
しかし、>>1も自分も、それを死に物狂いで探したことはない。何故か?
命をかけてもいいような個人的な問題を置き去りにして、なぜどうでもいい
社会の問題のことなどを考えようとするのか。
それこそが「甘え」と呼ばれるものではないのか。
自分は苦しんでいる、社会の中で何も考えずに、適当に生きていくことこそ甘えだ、
・・・確かにそうなのかもしれない。
だからといって、現実に対して何も働きかけをせず、ただウダウダ悩んでるだけの自分が
甘えていないということにはならない。
現在の社会、その汚濁、その嘘、それがもたらす安定さえも否定するというのならば、
より苦しい道を歩まなければならない。家に引きこもって「僕は苦しい、苦しいよ」
などと叫んでみてもはじまらない。
655うげふds:04/10/20 15:02:32
自分の幸福を心の底から渇望するのなら、行動しなければならない。
幸福になれる場所、状況を現実に探さなければならない。自分の足で。
そしてその現実をより良いものにつくりかえなければならない。自分の手で。
他人の目と、自分の幸福の問題と、どちらが大切か?
他人の目に映る自分が、滑稽かどうかなどと気にしている場合か?
他人から格好よく思われたいのか、自分が幸福になりたいのか、一体どっちなのか?
どうしても幸福になりたいのなら、とにかく動きださなければならない。滑稽さを、愚を
怖れてはならない。
幸福など、どこにも存在しないのかもしれない。しかし、それでもいいではないか。
一生幸福を探しつづければいいではないか。歩き続け、疲れ果てて死んでいけばいいではないか。
迷わず行けよォーー!行けばわかるさ、ありがとーーー!(寒
暑いのは嫌だ、寒いのは嫌だ、痛いのは嫌だ、格好悪いのは嫌だ・・・
現状を憎む気持ち、現状を変えようとする気持ち、幸福に対する気持ちがそんなことで
挫けるくらいのものならば、もういっそ死んでしまえばいい。
初めから人生に対した夢などもっちゃいないってことだ。ようするに安楽に、ちょっと格好良く、
人を軽く見下して、薄っぺらな愛にすがって生きていきたいだけだ。
そうじゃない、というのなら。本当に何かを求めている、渇望している、というのなら。
必死にならなければならない、行動しなければならない、探さなければならない。
10000の言葉よりも、一歩の行動の方が重い。・・・などとよくわからないことを思った。
とりあえずムーミン観て寝ます。