私は考える。
この命令は絶対なのであり、相対化・道具化・脱構築し得ない「人道真理」なのです。
この命令から外れる時、人は良くも悪くも非道徳的なのです。
177 :
チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/10/01 23:56:13
とりあえず、再反論です。
中庸の概念について
まず、自分はアリストテレスの中庸概念を批判しているのだということをお忘れなく。
だから、辞書の用法を引いて反論されても困る。以下にもう一度自分の議論を繰り返すから、
それに対する君の意見を求めよう。
もし、中庸というものが、
>過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶこと
とすると、われわれは常に、「過大と過小の両極端」がどんなものであるのかを認識して
いなければならない。というのも、その認識なしには、そもそも中間を知ることはできないし、
中間を知ることができなかったら、それを「発見」することも「選ぶ」こともできないだろうから。
よって、中庸を実践するためには、あらかじめ、中庸に関する知識をもっていなければならない。
そしてこの知識こそが、中庸を実践する上での原理であり、われわれの規範でなければならない。
しかしたとえばどうでしょう、ここに本性的に心のやさしい人がいると仮定する。
この人は本性的にそうなのであって、別に自分を「世話好きなひと」(過大)、「意地のわるい人」(過小)と
比較して、その比較を通じて「心のやさしい人」(中間)になったのではない。
もしそうだとすると、この人は、「両極端を悪徳とし」、その「中間(中庸)を発見してこれを選」んだ
のではないから、本当は心のやさしい人ではないのでしょうか?
中庸とは、かならず、両極端を悪徳と見なさなければ出てこないものなのでしょうか?
わたしは違うと思う。中庸とは、両極端に先立つものであって、逆に、その両極端を規定するものだと
思う。いや、大多数の人は、中庸の徳を実際に本性的に身につけているいるのであって、
一部の極端な人達が、両極端に走るのです。
よって、中庸とは、両極端の弁証法的統一などではなく、逆に両極端を規定するものと言わねばならない。
178 :
チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/10/01 23:57:05
これがわたしの言いたかったことです。これに対して、中庸の概念のアリストテレス的解釈を
持ち出しても反論にはなりませんよ。最初に言ったように、彼の中庸概念の把握に反対して、中庸は
アリストテレス的に規定されてはならないと言っているのですから。
あなたがもし、アリストテレスの言うことを鵜呑みにして、なんの批判もせずに、ただぼうっと
受け入れているだけならば、この機会にご自分の考えをもう一度吟味し直してみてはどうでしょう?
179 :
チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/10/01 23:57:37
中庸は実際の場面では相対的なものであり、さらなる基準を必要とする。
中庸とは、実践的な場面においては、「過大と過小の両極端」から規定される相対的な概念に
過ぎません。実際、多くの場合、中庸的なものは、われわれの経験、あるいは習慣等に依存しており、
絶対的な基準があるのではありません。それゆえ、われわれがいかに中庸を実現したいといっても、
われわれはあらかじめ、習慣や経験に従って、何が両極端であり、何がそれらの中間であるかを
知っていなければなりません。
では、この知識自体はどこから来るのでしょうか?
つまり、われわれはいかにして、中庸を現実に適用するのでしょうか?
中庸を実践するには、中庸以外の、中庸の適用に関する更なる基準が必要なのです。
これが、わたしが前に述べた「原理」なのです。
180 :
チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/10/01 23:58:11
しかし、あなたは、わたしの議論の正当性を認める一方で、
>これこそ私たちの善意志=良心なのだと思うのです。
>この基準が真に普遍的である時、私たちは善なのです。
などとお気楽なことを述べていらっしゃる。
「善意志=良心」などと、どうして軽々しく言えるのかわたしには分からない。
あなたは、ここで再び、「善」とは何か、「良心」とは何か、という本質的問いを放擲して、
それらを前提したうえで議論を進めているのです。
あなたは、本当は自分ではなにも考えてはいないのではないですか?
181 :
チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 :04/10/01 23:58:48
善をどうして「中庸」と規定できるか、その理由もあなたは示してはいませんよ。
徳というのは、善を実践することにより得られるものです。
徳にはさまざまな種類があって、たとえば、ごみ拾いすることだって立派な徳行ですよ。
なのに、もしあなたのように、「善=中庸」と考えたらどうなりますか?
ごみ拾いという行為は「中庸」を実践したものになりますが、ごみ拾いは何の中庸ですか?
わたしが、車に轢かれそうになっている幼児を助けたする、これは善行と呼ばれるべきですが、
これは何の中庸なのですか?
中庸とは、善のあり方の一つなのです。それを善そのものまで祭り上げると、善そのものが
制限されていまい、多くの他の善行が、善でないことになってしまうのです。
どうですか、きちんと反論するつもりはありますか?
あと、くだらん専門用語を振り回しても、わたしには通用しないと思う。w
182 :
考える名無しさん:04/10/02 00:45:32
」はぴかパレだから無理でしょ
183 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/02 00:47:08
じゆんだろ
184 :
考える名無しさん:04/10/02 10:45:59
悪いけど、チンポが言う「中庸」定義って「徳の教師」特有の寝言っぽいな〜
法学とか政治学とかやってると、
人間の善性を予め立てる論法よりは、
アリストテレスやヘーゲルのように「人倫」の実情からアプローチする方が現実的と感じるよ。
哲学者が考える「倫理学」の苦手なところだ。
もちろん「基礎付け問題」を考えると、
チンポのように考えた方が理にかなっているんだろうけど。
Jは論外だとしても。
>>181 『中庸moderationが両極端を規定するもの』というあなたの意見に賛成します。
こういう事実から、中庸は、「中正impartiality」と言い換えても構わないと思います。
[アリストテレスや儒教の伝統的な考え方と、
私たちがここで破壊・構築する新しい概念とを区別する為に、ここから私は「中正」という言語を用いたいと思います。
そうしても、中庸の表す概念には支障が無いと考えられるからです。]
「中正」とは適度さ、具体的・現実的・実際的場面における適度な判断の結果の事です。
それは客観的に・一定に常に定められる様な尺度を持たない、「適度さ」、「適宜の多様の調停」のことなのです。
あなたが
この適度さを持つ精神態度こそ「原理」と言い得る、
という主張をするのは良く分かります。そして、私もその事に反論するものではない。
ところで、善とは悪と対立する概念です。
良心・善心とは悪心と対立する概念です。
私が中正を善の静的基準として考えるのは、理論的というよりむしろ経験的・実証的なものです。
たとえばいくら素晴らしい善行であるごみ拾いも、他人の部屋に入り込んでまで行ったなら悪に近づいていく。
また、ごみだらけの現状に不快を持たない場合も、極端である以上は悪に近づいてしまう。
中正は飽くまで具体的思慮に即した実践的徳に過ぎないから、それ以上の客観的原理付けは不可能なのです。
中正という概念、極端と対立するものとしての「中正」という概念から、現実で、改良的に善を探求実現する事しか出来ないと思う。
中正は結果的な見方であって、過程における運動としては止揚と見なされ得ると思います。
たとえばイチローがteamに貢献する善としてヒットする過程は、
自身の能力の限界と相手から投げられる球との矛盾の多元的調停・弁証法的統一、
つまり「止揚」に違いないのですが、逆にそれを結果的・静止的に見れば、
彼の能力と投球された球の力が、空振りや力み過ぎを回避した「中正」を取った、
と見なすことができます。
中正と止揚を安易に等価化することへの批判がある様です。
また、これらから外れる行為は悪である、と権威付けられる可能性への危険視がある様です。
しかし私はこれらへ弁駁するのですが、
そういった批判そのものが中正+止揚の原則を踏み外しているのです。
私のこれらの主張とあなたの主張との対立・矛盾を絶え間なく止揚すべきなのです。また、
論争が激化せぬ様、最善の注意を払って適度を実行すべきなのです。
『善とは中正+止揚である』という暫定的原理への言及は、すべからく、
この原理外に及ぶ時、不善・悪行なのです。
哲学する者が「しなければならない=義務」のは、この倫理原理の永久的脱構築です。
哲学する者が「すべき=徳令」なのは、この倫理原理を実現する現実的行動です。
>>184 法律学や政治学からすれば、
倫理は現実的・実際的・具体的でなければならないのではないだろうか。
私は、[思想ではなく]、哲学「する」ことが社会に貢献できるのは、徳の高揚、つまり
『良心を目覚めさせる』行為だと思うのです。
裁く為ではなく、犯さない為の倫理。
それが純粋哲学の範囲にあるのではないかと考えます。
よければあなたの意見も聞かせて下さい。
「純粋に哲学する行為」はそれ自体が、善意志の発露だと私は思うのですが、
それだけでは十分で無く、
その思考がさらに社会や他者の良心を目覚めさせる契機とならなければならない、と考えるのです。
私はこの真摯な行為の結果が「思想」と呼ばれるものだと思うのです。
それは哲学的思考にとって目的ではなく、結果つまり倫理[人の踏み行うべき道]としての結果なのです。
善の原理をさらに明晰にしなければなりません。
私は『善とは中正+止揚である』という暫定的原理を持つに至ったのだけれども、
これが完全である事は永遠に無いでしょう。何故なら、絶対化は止揚を妨げ、固定化は極端の有様だからです。
善を為そう、と決意するその人の心こそ、最高の善なのです。
それが哲学「する」人の求めるべき根源なのです。
それは変化しつつ不変である人の良心なのです。
これを『志』と名づけるのは間違いではないと思う。
志の第一のあり方が善を為そうという決意であり、
その原理的構造を言い表せば『中正+止揚』という言語概念に辿り着くのです。
私はこの主張への有効な中正的批判を待っています。それが止揚を実現するからです。
・用語の意味の解釈に自分の解釈しか許さない
・哲学には目的があり、その目的は結果的に善を顕現させることである
・自分に対しては「中正的批判」(これも>1のオリジナル用語だ)しか許さない
これで、君の誘導したい結論に行き着くだけの議論以外の何かができると思ってるの?
>>190 あなたは自分の意見を持っていないのですか?
それを[友愛・愛しながらの戦いの中で]闘わせるのが哲学的問答・対話ではないですか?
>>189 >善を為そう、と決意するその人の心こそ、最高の善なのです。
これじゃループしちゃうよ。
いつまで経っても善が為せない、というか為すべき善が確定できない。
式で言うと、「A=A+B」と与えられても結局Aが確定しないようなもん。
あと最近10レスしか読んでないんだけど、「止揚」の意味わかってる?
まあ他にも問いたい用語はたくさんあるけれど。
さらに他人事ながら付け加えると、
>>191は
>>190への返答になってないよ。
>>191 私は自分の意見をちゃんと持っていますよ。自分だけに通用する用語は持っていませんが。
「哲学的問答・対話」「哲学」とは・・・である、という結論をあなたはすでに言っている。
それでは議論になりません。哲学や議論は全くの悪かもしれないし不毛かもしれない。
私は現時点で哲学をネガティブなものとは思ってはいませんが、議論の過程でその意見が
変わるかもしれない。それくらい根源的なことから議論しないと哲学議論とはいえない。
あなたの今までの主張を読むと、「哲学とはAであると思う、なので『哲学はAである』、
という僕の主張を補強する意見をください、それ以外の意見は結構です」としか読めない。
>>1のいう「善」を、共産主義、国益、民族、教義、会社の利益、などなどに入れ替えると
最悪の哲学しか産まないということにちゃんと気付いていますか?
>>192 私はその無限ループを善と、とりあえず、定義したのです。
用語義に関する議論は、暫定的に必要ではあるが、少なくとも私の考える哲学の第一目的ではありません。
>>193 あなたが自身の「哲学する」結果をこのthreadに残していくのは大いに結構です。
それが
>>1にある様に、このthreadの目的なのですから。
形而上学的な議題に対して有効な批判以外は、問答の王道ではあり得ないだけです。
>>194 私は絶対化しません。
第一倫理原理『中正+止揚』も絶対的なものだと考えていません。現時点での基準に過ぎません。
何故なら
愛求の過程だけが永遠の知恵だと思うからです。
どんなideologyがあっても、それを『中正+止揚』化しない限り善には至らない。
197 :
考える名無しさん:04/10/02 23:33:33
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198 :
考える名無しさん:04/10/02 23:33:59
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>>195 ですからw、あなたの問題提起は、生産的な批判を呼ぶほどの力を持っていないのですよ。
>>190に書いた三つの理由のためです。問題提起をするにはものすごく知識が要ります。
用語のマイ解釈はオリジナリティとは正反対です。まず、止揚や脱構築などのキーワード
をあなたがどこまで詳しく知っているか、を知りたい。ヘーゲル、デリダは読みましたか?
読んでいるなら、私はあなたに教わりたいことがたくさんあります。
>>195 うーむ、そんなループを「善」と定義されても凡俗は理解に苦しむよ。
というか、どこがどうループしてるかほんとに解ってる?
それと最低限の用語の統一は議論に必須だろう。
それとも相手が何言ってるかわからなくて議論できるの?
まあ「止揚」の正確な意味を知ってるかどうかはもういいから、
せめて君が「止揚」をどういう意味で使ってるか教えてくれ。
あと、試しに君の意見と俺の意見という相反する概念を止揚してみてくれ。
>>199 あなたは何故私の知識量を知りたいのですか?
それが議題や、「あなた自身が哲学する」ことにとって重要なのですか?
言語に関する完全に客観的な定義があり得ない以上、私達は適宜中正的確認を取って行くしかない
と私は考えているわけです。
中正的または止揚的批判は私の『倫理原理』に則った者の義務に過ぎない訳で、たとえばあなたが
それを脱・構築する事はあなたの哲学上の態度に因るでしょう。
>>200 重要なのはあなたが「哲学する」ことです。
取りも直さず、それがここでこの場合の止揚という概念の実際上の結果です。
>>202 俺は
>>200で3つの質問をしてるんだが……。
ちゃんと上から順に3つ答えを返してくれ。
それと俺は哲学してるつもりだよ。
まあお互い「哲学」という語の定義は違うかもしれないが、
用語の定義を全然教えてくれないのでその辺は不明だな。
>>200 >あなたは何故私の知識量を知りたいのですか?
>それが議題や、「あなた自身が哲学する」ことにとって重要なのですか?
はい、とても重要です。何故なら、自分が思い悩み続けて来た問題が過去の哲学者に
よって考えられてきた問題に非常に似ていたり全く同じことだったりすることはよく
ありますね。自分の問題などとるに足らぬものだったのだと思い知らされることもよくあります。
だから、著作というものは記録されているわけでしょう?私やあなたの哲学がなされる
のはそれぞれ個人的にはいいことでしょう。私もポジティブなことだと思います。
しかし、ネットは公共の空間ですから、過去や現在の哲学者が言っていることとそう
変わらないことをオリジナルな哲学と称することは批判されるべきですね。ここまで
はいいですか?
あなたは止揚や脱構築という言葉を使ってらっしゃる。なので止揚や脱構築という
言葉の元締め的存在であるヘーゲル、デリダについての意見を求めるのは当たり前
のことではないですか?
>>200 1.『中正+止揚』を成し遂げていくことです。
2.構造主義と呼ばれるものについて知っていますか。
私達には半ば無意識的な言語理解範囲があるのです。従って、
相手の個別言語単語定義の完全に厳密化できなくてもある程度の議論は常に可能です。
3.止揚は「矛盾の調停・昇華」として用いています。
>>202とこのresposeで止揚しました。
>>204 まず、哲学者個人と形而上学思想上の業績は明晰に分類されるべきです。
止揚は
>>205にとりあえず記しました。
脱構築または破壊構築は、ある概念の対立概念あるいは非概念を利用して元の思考的枠組みを乗り越える行為と見なしています。
>>206 はっ?
>>205が止揚の説明なの?哲学用語としての止揚の用法と全く関係ないマイ用法じゃん。
新しい言葉を作ったほうがいいよ。ついでに構造主義という言葉もマイ用法だしw
>>205 1.「どこがどうループしてるかほんとに解ってる?」というのが質問な。
2.a) それって構造主義かなあ。誰がそんなこと言ってるの?
b) それと、君の哲学では「ある程度の議論」で十分なの?
ある程度の議論である程度の結論が得られれば満足?
3.……。(なんか泣けてきた)
まあ、その「止揚」という名前は変えたほうがいいと思う。それだけ。
>>207 問題は私が未だに浅学であるということでしょうね。
>>208 1.分かっていましょう。善意志は善を為すべくそれ自体、自己目的的なのだと考えます。
2.a]構造主義が示唆するもの、そこから演繹されたものについての提示です。
b]中正+止揚
3.伝統主義的な価値観にとってすれば、止揚という概念は固定化されているのかもしれませんが。
「中正+止上」これが善だと思う。
「相互尊譲」。人間関係では、これだ。
尊敬=中正
謙譲=止上[シジョウ
山田由佳@椙山スーフリ
212 :
考える名無しさん:04/10/29 00:30:01
脱力スレ.
要は、次の時代? というのは、おそらく
かなり風通しも良くて、情報もオープンにされて
スムーズに事が運ぶ、そういう感じの世界
になりそうです。
今の世界で感じる、窮屈さや、諸々のストレスも
かなり軽減されて、楽に生きられる、
そういう世の中になるんだと思いますよ。。。
もう人だませなくて潰れてしまい
でもその判断は数年たって
間違ってなかったと思ってる
― MERMAID ―
「maー、ただいま。」と、いつも親切で魅力的なママが言う。
あー、罪のない人魚がこうして見つめてる。生命はいつも狂暴で優しい。夜。
いいえ、それでも、閉じられた扉と開かれた仮面のどちらがあなたは好きなの?
私が結わえ続けている多面体の謎は、結局誰にも見えないし、聞こえない。
連続するまやかしの超越的苦行で、輝かしい運命と未来をキープしなさい。
『愛しているよ、私のシンデレラ。』 って、架空の物語に何をこれ以上期待するの?
雑誌。流通する意見はすべて愚鈍なのだと、涙を浮かべながら訴える編集者は、
どこかおかしい。微熱。 でも、それも真実。 これが届いたら消えて、それが無理なら、
もっとスイートな酸素になって。 あるいはスイートな精神に。
雲のあとには、薔薇の香りが朝/夕ふわりと漂って、
空のあとには、ほのかな使℃が残っているようだ。
この愛しさが、一体いつになったら、あなたには分かるの?
217 :
Sora ◆H1tA9nehDo :05/01/07 05:48:42
>>1さん あけまして、おめでとぅ。☆
私は天然素材のオプティミストなんで、
たいていは幸せに過ごしております。
お受験の方は、頑張ってますか?
寒いから風邪をひかないようにしてくださいね。
だって体調が最高潮の時の方が、
第六感もすごく冴えわたって
テストでもいい結果が期待できそう
だから。とにかく、楽しみながら、
良い一年をお過ごしください。
記憶定着を良好にしたいのであれば、
睡眠は、夜間にちゃんと摂るといいんですよ。
つまり、徹夜スタイルは逆効果ってことです。
218 :
考える名無しさん:05/01/07 06:34:45
そうだ、ソーダ。
七草粥 酉年 日本の風習。
この三つのキーワードと基本概念を用いて、
哲学的な小論文、またはエッセイを記述せよ。
あとは、美味しい七草粥の作り方を知っている者は、
できたら、ここに分かり易く書いてな。よろしく。
220 :
考える名無しさん:05/01/07 08:40:44
七草粥
春の七草を使ったお粥です。
昔からの風習でこれを正月7日に食べると一年中無病息災ですごせると
言われています。最近では七草すべてを自前で探すのは難しいですが,
スーパー等で七草のセットが売られるようになりました。
これを食べておせち料理や新年会等のごちそうで疲れた胃腸を
いたわってあげましょう。
材料(2人分)
春の七草 セリ,ナズナ,ゴギョウ,ハコベラ,ホトケノザ,スズシロ(大根),
スズナ(蕪)… 50g程(全部で)
御飯… 茶碗2杯分
だし汁… 3カップ
塩… 少々
作り方
1 …七草は水洗いして土を落し,お湯で多少固めにゆでて冷水にとっておく。
2 …冷水にとった七草は水気を取っておき,細かく刻んでおく。
3 …だし汁を鍋にかけ,御飯を入れ,お粥状態になったら塩で味を整え,
刻んだ七草を加えひとまぜして火を止める。
4 …お茶碗等にとりわけて冷めないうちに食べましょう。
(コピペです)
221 :
考える名無しさん:05/01/07 17:46:57
レシピあげ
まゆちゃんいますか?
223 :
考える名無しさん:05/01/08 06:35:30
あん?
んぁ?
225 :
誘導: