語ったらきりのないことだけど、皆がどう思っているのか知りたい。
人によって観念が違うから語ってておもしろい。
荒らし・叩き・煽りは放置で
そんじゃ語ろうか・・・
"死"なんて語っても語りつくせない事だが、人によって観念が違うからおもしろい。
これは人類が一生かかっても解けない難問だが、君たちはどう思うか?
こんなことしても意味がない。と思うかもしれないが
とにかく"死"というのはどういうことか?
俺が思うにはやっぱり天国みたいなところがあって、そこで意識は生きてるの?
それとも、意識も感情もなくなってしまうの?
それは悲しい。だが、その悲しいという感情さえもない。
やっぱり人類にとって未知の世界なのか・・・。
スレタイに「死」の字が入ってるスレ13個もあったよ。。。チンポ先生のは趣旨が違うけど。
正直おなかいっぱい。
>>3 それは検索したので知っているが・・・
同じ趣旨のスレはなかったはず
5 :
まさお ◆AzmyMasaoA :04/08/23 22:55
MASAO AM GOTTEST ANB STRUNGEST!!!!!
>>4 そうかしら。んでも1さんに熱意があるなら止めませぬよ。
ただ、彼岸の世界云々とかを語りたいならここじゃ板違いだと自分は思うです。
それにほんとにまじめに話がしたいなら「未知の領域」とかでごまかしちゃいかんと思うれすよ。
そゆことするとあっという間に言葉遊びに堕ちちゃうです。
水差してごめんなさいね。
7 :
考える名無しさん:04/08/23 23:01
爺さんの死を見、親の死を見れば次はお前だ。
人生長いようで短い。
8 :
考える名無しさん:04/08/24 00:33
意識も感情も無い、無我の境地。
9 :
考える名無しさん:04/08/24 01:07
生の終焉、そこから先へは認識は及ばない
生まれ変わりとか前世記憶とかは生の継続性を意味するもので
結局は記憶が明確に継承されなかっただけ
>>1 あんた名前フザケとるやろ
と言ったら怒るだろうからやめとこう。
誰だよ テメー
生まれたものは、柔らかく、しなやかです。
死んでいるものは硬直して、固いのです。
それゆえ、柔らかく、しなやかなものは、生の印です。
硬直して、固いものは、死の印です。
硬直し、固いものは壊れ、柔らかく、しなやかなものは生き残ります。
柔和な人たちが地を受け継ぐのです。
14 :
考える名無しさん:04/08/24 06:14
死ぬことは別に怖くはない
死ぬ際の苦痛が嫌なだけ。
死にたくないのは、せっかく生きてるんだから
むざむざ捨てるのはメチャクチャ勿体無いと思うから。
15 :
考える名無しさん:04/08/24 19:35
異様な雰囲気…
17 :
考える名無しさん:04/08/25 02:51
生き物は、破壊と再生の繰り返し。
死にも生にも意味はない。
神も存在しないし、天国もない。
生きるとは、虚構の中での世界。
死とは、何も存在しない無(数字の0)。
数字の0の中は無じゃない
「哲学の唯一の問題、それは死である」 カミュ
20 :
考える名無しさん:04/08/25 03:24
>>17 > 生き物は、破壊と再生の繰り返し。
> 死にも生にも意味はない。
同意
> 神も存在しないし、天国もない。
同意
> 生きるとは、虚構の中での世界。
ある意味同意。生を虚構と仮定することも出来る。
ただ生は、どうあっても現実としか認識出来ないと思う。
矛盾してるけど・・・
> 死とは、何も存在しない無(数字の0)。
か、どうかは分からんだろ
死は生理的な死だけじゃないよな。
22 :
考える名無しさん:04/08/25 04:14
>20 17です ご指摘サンクス
* 生きるとは、虚構の中での世界。
「現実世界において」と入れるのを忘れてしまった。
正しくは、「生きるとは、現実世界において虚構の中での世界。」
現実世界では、価値を作って意味を持たせているという意味合いで書いてみた。
* 死とは、何も存在しない無(数字の0)。
人間は、生命が停止すると精神は当然なくなるということになり
精神は自動的に存在しなくなるという事で書いてみた。
修正・補足スンマソ
数字の0というアナロジーくらいじゃ言い当てているとは…
>>23 説明不足スンマソ!
>数字の0というアナロジーくらいじゃ言い当てているとは…
「数字の0」を無と言う意味で使ったのだけど、
別の言い方をするならば、
1次元・2次元・3次元においての0次元と言えるといえると思う。
(もちろん架空の例えだけども、、、)
>>1の文からすると人の意見を聞きたいから
立てただけのクレクレスレなんだろ。
今のままじゃスレの方向性がわからないよ
このスレが一番まともそうだから居座るよ。
死は好きなテーマなんです。なによりも美しく感じる。
死と生のネタだけで独立した板できんじゃないか?
死を定義すべきではない。
すべきではないからだ。
自殺板ってあったっけ?
>死ぬ際の苦痛が嫌なだけ。
違うと思うが。
んなこたぁないよ
33 :
考える名無しさん:04/11/12 12:39:07
ええーっ?
良く生きる話はあるが、
良く死ぬための話は少ない。
武士道のように、日本人の
本来の人生観は、むしろ
死観だったのでは?
35 :
考える名無しさん:04/11/12 13:04:50
>>34 古来、武士道はそうだったんでしょう。死がそれほど周囲に蔓延してたのかもしれないから。でも現代において良く死ぬ
ための議論てのもあるけど、そういうのってどうなんでしょう。人間は別に死ぬために生きるわけじゃないし、死はまた
それをいかに考えようとも、無視しようとも、ふいに襲ってきたりするものですから。まあ既婚者なら残された家族が困
らないようにしたり、また平素健康に気をつけることは重要でしょうけど、あまり、死、死というのも感心しないなあ。
まあ適当に、仮に天寿を全うできたとしたらこんな風に死にたいなあと、暇な時適当に考える程度に考えるのが最善のよ
うな気がします。一時間後僕は死ぬかもしれないんだから、あまり細部にわたってまで考えてもね。
>古来、武士道はそうだったんでしょう。死がそれほど周囲に
>蔓延してたのかもしれないから
逆に、江戸の太平の世になってからなんだけどね。
武士道云々いいはじめたのは。
37 :
考える名無しさん:04/11/12 13:47:53
まず事実が先行し、事実をまとめてる間に世の中は太平時代を迎えたってことではないでせうか。
38 :
考える名無しさん:04/11/12 13:49:42
人間、楽隠居して暇になると
そういう小難しい事考えるように
なるわけよ。戦で殺し合いやってる
頃にはそんな暇なし。
∧_∧ 〔^^〕
>>1 ヒキコモリならヒキらしく
_,( ´Д`)⌒ i | おとなしくすっこんでろ!
(⌒ ー 一 r.、! 〉 アホスレたてやがって、馬鹿が!
ヽ弋 。 人 。 イ(` ー'
〔勿\ ヽ
) r⌒丶 ) ドカ
ドカ ドカ / ! |'´
ドカ / /| |‖ ドカ
( く ! ||‖ ドカ
ドカ \ i | ‖|‖|
,__> ヽヽ从/∧∧
⊂⌒ヽ从/ つ ゚д゚) ←>>1
sage
42 :
考える名無しさん:05/02/01 23:34:18
43 :
考える名無しさん:05/02/02 00:24:41
始まったものには終わりがある
したがって死のみに焦点をあてていても何も見えない
終わりということについて考えてみよう
でも眠いから明日にする
44 :
考える名無しさん:05/02/10 03:28:06
起きろ!夜は明けたぞ!
死ミュレータ
46 :
考える名無しさん:05/02/11 18:18:15
三浦サンよ、オレのアレって硬直して固いんだけど。
47 :
考える名無しさん:05/02/11 18:29:47
死は確かなもの
生は不確かのもの
48 :
考える名無しさん:05/02/11 18:31:03
死とは生命システムの硬化、破局に対する一種の防御機能だ。
なんじゃソレソレ、脇もソレ
50 :
考える名無しさん:05/02/11 18:44:20
死はあって無いような物。
私中で死ねるのは他の生物だけ。自分の死を体験することはできないと思って
いる。体験をするには私が生きていないといけないから。
だから、ある意味私は死なない。
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/ 一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
52 :
痩せたいソクラテス:05/03/20 21:43:58
臨死体験者は死にかけただけ。
本当に死んだわけじゃない。
キューブラ・ロスの著作なんか読んで死後の世界信じたりしちゃダメ。
ついでに、丹波哲郎もね。
>>50 だから、「死について考える」とは「他人の死について考える」こと
なのだ、と私は思ってる。
54 :
考える名無しさん:05/03/20 22:01:32
なんで信じたりしちゃダメなの?
死んだ人は、「死んだ」という形で存在しているのだと思う。
56 :
考える名無しさん:05/03/20 22:02:30
>>53 それは違うだろ。未来の自分の死について「考える」ことはできるんだから。
57 :
考える名無しさん:05/03/20 22:03:46
野矢の受売りかよ
「他人の死」は存在してるが、「自分の死」は存在してないから
考えようがない。
「他人の死」を考えつめる事によって、「自分の死」を考える
ことに通じると思ってる。
はじめまして。
本当の死とは人に忘れられるということなのでは?
つまり、本人は死んでも精神的に生きている状態
なので、あまり体の死はあまり関係ない創造しても仕方ないと思う
子供が、大人を観察して、「いかに生きるか」を考えるのと似たようなものだと思っている。
死んだ人の魂を、見たり触ったりすることはできない。
しかし、魂を見たり触ったりすることができないということは、
生きた人でも同じことだ。
62 :
考える名無しさん:05/03/20 23:20:24
人には魂なんかない。
無いものを見たり触ったりできないのは
当たり前だ。
63 :
考える名無しさん:05/03/20 23:25:35
死の後をどのように生きるかを考える
ことが「後生」なんだけど。
もう後生なんて考える人は少なくなってるかも。
>>62 あなたはそう思ってるということです。
私はそう思いません。
65 :
ROKI:2005/03/21(月) 11:04:40
自分がそれとは違うという意見はあまり意味がないと思う。不毛
66 :
61:2005/03/21(月) 17:24:37
>>65 それは私に対するレスですか?
「人には魂なんかない」と頭ごなしに言われても、ああいうニベもない返答しか
できませんよ。
この世界を虚心に観察して、魂があると考えるのは、ごく自然なこと、
当たり前のことに感じます。
数学を勉強するみたいに、魂があることを本を読んで知ったわけではないのだから、
「魂は存在するか」なんてことを議論しようとは思いません。
67 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 18:59:38
死後の世界の存在または非在が実証されたら文明変るな。
68 :
風味 豊:2005/03/21(月) 20:13:39
死は
すべての終わり
すべてのからの解放
生を生たらしめているもの
生まれてきた瞬間から、生きることを強制されている私たちにとっての選択肢であり、自由でもある。
69 :
考える名無しさん:2005/03/21(月) 23:08:39
>>66 魂とは何かを議論する気はありますか?
当たり前の事を当たり前と思わない人に当たり前と思って頂くために議論というものは有りますよ
魂なんて概念は我執的な利己心から生まれた物だ。
それこそ虚心にこの世界を観察すれば、魂なんてモノは
ないって思うだろう。
71 :
66:2005/03/22(火) 14:07:36
他人にとっても当たり前なのかどうか、私は知らない。
「魂はない」と言われても、「そう発言している人がいる」と思うだけだ。
72 :
考える名無しさん :2005/03/23(水) 01:42:04
天国があるのなら殺人犯は人間を天国に送ってくれるありがたい人。
アタさん(9.11テロで旅客機を操縦していた人)も宅間さんもありがたい。
天国を信じているくせにブッシュや遺族がどうして怒るのかわからない。
どうして感謝しないのだろうか。
そして、さっさと天国へ行けよ。信じているんだろうが天国を。
73 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 01:42:56
あうええええええええええあうえうえあああうえあうえあうあうあう
現象において、死の問題は対象にあるのか、概念にあるのか。
既に死んでいるのを自己が知らなくとも、対象は死んでいる事があり得る。
つまり、概念に関わり無く、対象は死ぬのだ。
対象の性質が無いものを生きているものとして扱えるのだろうか。
対象の表面に表れる印から生きているという印象を取り出したところで、
対象は死んでいるという事があり得る。
死は現象であろうか、対象自体の性質であろうか。
換言すれば、まだ自分が生きている所を見出せないが為に死んでいると考えるのか、
或いは、死は対象自体に属する性質であり、対象が何であるかに関わり無く、死と
いう事柄があるのか。
その対象に生きているという事柄を見出せれば、対象は死ぬという事ではなくなるのか、
対象のある部分に生きている印を見出したり、それは生きているものであると判断したり
する事により、死は何かになるのか。そうであるならば、死は対象に属する性質ではなく、
対象を含む事柄に従って死んでいるのである。それにより死が何かになるならば、死はそれ
以外の事柄になる。だが、対象に含まれる性質であるものは我々が何であるかに関わらず、
死という事柄は死に従う性質において考えられるものとなる。
対象の性質であるにしても、死は何であるかのか。
死は死であるという事が全体として我々に与えられている。我々は死を
何かにする事はできない。だが、死という事柄に何事かが含まれている
ものではない。死んでいる印を死の中に見出す事はできるだろうか。そ
の印がなくとも、死という事はあり得るのである。
死は何事か判るものであるのか。
「人間の死」と「他の生命の死」は別々に定義した方がいいと思う。
77 :
ROKI:2005/03/23(水) 15:45:48
>>76 なぜですか。
死ぬということは生物学的に死ぬことでしょう。
時折、「死ぬ」ということと「私(自我)が無になる」ということを
一緒にしている人は見かけますが。
「死」は自ら受け入れるものだ。
80 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 16:41:26
自分の祖母が死んだときよりも、その5日前に
もう意識は戻りません
と言われた時のほうが悲しかった。
静かなものは死んでいる。冷たいものは死んでいる。大気の温度のものは死んでいる。
沈黙している物は死んでいる。
死はどこかに送り出すものだ。死は祭り上げるものだ。死は尊厳を与えるものだ。
死は皆が集まるものだ。死は悲しみで満たすものだ。
82 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 16:53:43
>大気の温度のものは死んでいる。
歯?
歯は自分に付いているかね?
84 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 16:58:33
>歯は自分に付いているかね?
葉?
人間の死は、それが社会的に死者と認められたかどうかで決まる。
社会的な死は(通常)生物学的な死に基づいて定義されてると思われ
生物学的な死の定義が曖昧だから問題になってるんだよ。
死 は無いのではないか?定義なんてあるのか?
法的定義、宗教的定義、心理学的定義、生物学的定義
死んだ自分がいるのか、いないのか。
いたとしても、この世に居る人に伝えることはできないし、
いないなら、いないんだろう。
死がどういうものか分からないわけで、
分からないから、恐れる。
結局、このレス自体がそんなに重要な意味を持たないことに気づいた。
自分の死は自分では証明出来ない
自分の死は他人が定義するものだし
そういう意味では死の定義って無意味な気がしないでもない
自分は死ぬために生まれて来たのだが
死ぬために生きているわけじゃ無い
行き着く先が死だから死に切れるぐらいの満足感を得ようとしている
という比喩に死という言葉を使うくらいかな・・
92 :
考える名無しさん:2005/05/02(月) 06:07:04
心の底から完全に同意できるような正しい人、美しいもの、というような存在が
絶対的に不足しているようなこの地上で、唯一、愚かな人間ですら出会える確かなこと。
それが死というものだ。
93 :
考える名無しさん:2005/06/01(水) 14:52:55
age用
オレは「すべての人から忘れ去られること」が「死ぬ」ということだと思っている。
医学的(っていうの?)に肉体が滅んで、何年たったとしても、オレを記憶してくれている人がいる限り、
オレは死んではいない。と。他人の心の中とやらで生きている。
というわけで、オレにとっての「生きる」ということは、
オレがここにいるということ、
オレはこんな人間だぜ!ということ、
などを、一人でも多くの人に伝えていくことだと考えております。
あと遺伝子?子孫を残せば、遺伝子情報みたいなのが、受け継がれていくわけで、
それも今のオレの一部であるわけで(もちろんオレの先祖の一部でもあるが)、
子孫が繁栄していく限りオレは死なないのかもなんて。
そんなこと考えてたら、肉体的が滅びることに対しては、以前よりコワイと思わなくなってきましたのです。
ただでもやっぱりコワイのですが、何というか、自分の所謂「死」に対する評価っての?
「安らかな寝顔だなあ」とか「無念だったろうに…」とか、そういうのは他人様がしてくれることなので、
まあできるだけね、後ろ向きな評価をされないように、生きようと思うわけです。
95 :
考える名無しさん:2005/06/02(木) 00:44:32
工学教じゃないが死も一種の信仰
居なくなるって辛いと思う。そんだけで思考停止。考え続けるひとって偉いなぁ尊敬。
人は自我の塊だから死について自分ってどうなるんだろとあれこれ考えてる。
この宇宙にある存在のすべては情報でしかないと思う。
人も情報として形容できる。
そこに個々の自我なんてそもそも関係ない。
人が死ぬのも生きるのも大したことじゃない。
大したことあるように考えてしまうのは
人には感情感性知性など固定観念で生活してしまってる。
その積み重ねの垢が死を考えてしまうのだろう。
人としての意識を離れて宇宙意識になれば死とはどういうものかわかる。
俺にとって死は死でない。
はじめから生でもない。ただ痛みを有する美しい人間なのだ、という感じ。
自我なんてものは無い。
あるのは非我。
99 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 01:31:02
死の状態=(夢を見ていないで)寝ている状態
つまりいつのまにか寝てて、気づいたらものすごく
時間が過ぎてたって状態。
なぜなら自我の存在を認識している「意識」が働いていないからだ。
しかしここまでわかっていながら死は怖い。なぜか?
それは我々が動物であるからである。
動物には生存本能はあるが自殺という概念はない、いやそもそも自殺するのは
人間だけである。それは知性という人間に与えられたが機能が由縁。
旧約聖書にいわれる「禁断の実」、すなわち原罪である。
なぜ生きるのか?と考えるが故に悩み、苦しむのである。
しかし知性のない動物にはそれが無い。
・・・と考えています。
それと関係ないけど、パンドラの箱=人間なんだね。
希望さえあれば生きていける。その他は生きていく上で集めていくもの。
100 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 01:34:18
100?
101 :
考える名無しさん:2005/06/07(火) 01:42:07
人間の脳とは、頭悪過ぎる乗り手(何〜んも考えてない化学物質:DNA)が、何となくできちゃった車の性能や寿命も
考慮せずに、カーナビ用にスーパーコンピュータをくくりつけたようなもの。
余った計算容量を何に使うかなんて、誰も何にも考えてなかったから、スパコンとしては死について悩むハメになった。
age
死は、生であるということが前提され、生でないもの、生を越えているものであると考えられる。
死は、経験することができない、経験は生きている間において為されることであり、それだから、
死は生を越えているものと考えられるのである。我々が死について考え得るのは生きている間に
おいてなのである、そして、我々が生でなくなるやいなや、我々が生において考えていた様々な
事柄は考えられないのではないかというのである、我々が考える死は恐怖であるが、死んでしまう
とすると、生において考えられていたことも感じ得ないのだろうから、生きているところにおいて
考えられるものと考えられるだろう。何故、死は恐怖であるのか。恐怖が恐怖を考えさせるような
何かである、それは経験を超えているということが考えられる。我々は死を経験してみる訳にはい
かないのだ。すると、恐怖であると全く経験を超えているものであるのか。経験を超えていること
があると我々はやってみるということができる、そして、恐怖はそのようなものがあるのだと考え
ることになるのだろうか、全ての未経験なものに恐怖であると考える訳ではないのだ。死は或る部
分経験を超えていると考えられない、自分に或る部分死んでみると考え得ないのだ、自分は全体
として一つであり、こういうものが欠けたり無くなることに恐怖を感じるのだ。死はそのような
ものでなくなることなのだ。
104 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 05:02:49
ぜんぜん違うよ。恐い理由は、死んじゃうとこの世に戻って来られないからだよ。
殺害は、対象が死ぬべきであると考えられなければならない。
何故、死ぬべきであるのか。
死ぬべきであるものは全く経験し尽くしたものであるのか、例えば、他のものを
介することなしにである、それ故に、対象はそのようなものであるということが
考えられるのだ。では、そのようなものに死ぬべきことが含まれているのかを考
えてみると、死を含んだものであることに従わせなければならないのだ。或は、
経験を超えており、しかも、単一性を損なうものであるということが考えられる
であろう。死ぬべきものは、死を含んだものであるか、又は、経験を超えており、
単一性をも超越しているのだ。換言すると、恐いので、許せないのだ。
他の事柄においても損ない得ないのであるとすると、十分に他のことにおいて
考え得るであろう。何故に、一つであり、且つ、他の事柄でないのかというこ
とが考えられる訳なのだ。たとえ、普遍的な事柄であるにしても、他の普遍的
な事柄もあるのだ、すると、対象は或るものであるか、或は他のものであるか
と考え得るはずである。それ以上考えられていないのではないかということに
なるであろう、それとも、それほど性質を含んでいないのであろうか。
>>104 死んでしまうなら、この世に戻ってこれるのか。
それは死んでいないのではないか?
108 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 06:20:21
ぜんぜん違うよ。
寝ても次の朝は起きられると信じてるから恐くない。
死んでも次の朝は起きて、また今のように生活できると信じてればぜんぜん恐くない。
死んだらもう学校の籍は残らないし免許証の書き換えも出来ないし
冷凍庫に楽しみに保管していたパナップももう食べられないと信じてるから恐い。
そんなに殺したかったのか、そんなに嫌いなのか。
110 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 15:19:32
死んで無になるのだとしたら、なぜ今生きているのだろう。
死んでないか、無にならないか、という事と同時に生きているということが
考えられるね。
過去の事実は変えられないだろう。が、人々の断片的であいまいな記憶だけ
が残っていて正確な記録が残ってなければ人々の
記憶をねじ曲げる事は出来る。
死人が生きていなかった事にも出来るんじゃないか
113 :
考える名無しさん:2005/07/03(日) 08:43:17
確か、自殺幇助罪なるものがあったと思うが、刑法にあるのかな?
くわしい人がいたら教えてほしい。なぜ、自殺を助けることが「罪」
を構成するのか、この国の法体系はどう規定しているのだろう?
最近、玄侑宗久の本を気に入って読んでいます。
115 :
考える名無しさん:2005/07/12(火) 23:40:51
我々は死を恐れる必要はない。
我々が生きている限り死は傍に無く、
死が訪れる時、我々は既に存在しない。
・・・って誰の言葉?
116 :
ウルトラマン:2005/07/13(水) 00:46:32
私に母は80歳父は83歳もういつ死んでもおかしくないとしだ。
父と話す母と話す。ああ彼らにも自分がある。私と同じ自分がある。
死ねばそれが無になる。ああ何と言う不条理。私と同じ自分と言う気持ちが消える。
この宇宙には永遠に自分は生まれてこない。私は母と話をしていてああ母に自分が消える日がもうすぐ来るのかと思うと
いたたまれない気持ちになる。
>>115 それはソクラテスの言葉。
生において自分が感じる一番の疑問点は
なぜ生き延びようと仕向けられたかということ
なぜ痛覚があり、恐怖心があり、孤独を恐れるのか
神というものが存在するならば我々に呪いをかけたのではないかとすら
思えてくる
しかし死についてはオカルティックな見解(霊的な世界、魂、生まれ変わり)を
認めるか、もしくはこの世を自分一代限りの世界ととらえるかで
大きく分かれると思われる
118 :
考える名無しさん:2005/07/17(日) 17:33:13
対象の性質が無いものを生きているものとして扱えるのだろうか。
対象の表面に表れる印から生きているという印象を取り出したところで、
対象は死んでいるという事があり得る。
死は現象であろうか、対象自体の性質であろうか。
換言すれば、まだ自分が生きている所を見出せないが為に死んでいると考えるのか、
或いは、死は対象自体に属する性質であり、対象が何であるかに関わり無く、死と
いう事柄があるのか。
その対象に生きているという事柄を見出せれば、対象は死ぬという事ではなくなるのか、
対象のある部分に生きている印を見出したり、それは生きているものであると判断したり
する事により、死は何かになるのか。そうであるならば、死は対象に属する性質ではなく、
対象を含む事柄に従って死んでいるのである。
ん?まだ死の段階で哲学の進行が止まってる奴がこんなにいるのか。低レベルだな。
まあ次のステップはあるとだけ言っておこう。だがそれはさらに困難な道だ。
120 :
ハル:2005/08/05(金) 12:58:30
死は作られたものであり贈与されたもの。
121 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 13:03:17
>>113 刑法にある。それについては、刑法が自殺そのものを「違法ではあるが罰する
意味がない」と見ているという説と、「自分の自殺は個人の内面の問題だから、
法律が踏み込むべきではないが、他者の自殺の幇助に関しては法律で禁止して
いい」という説があるらしい。通常なら傷害罪にあたるような行為でも、同意
のもとで行われれば犯罪にならないということと比較すると、取り扱いが違っ
ていて、いろいろ考える余地がある。
2100年には、私は確実に存在してない。
しかし、2100年の日本は確実にある。
123 :
考える名無しさん:2005/08/17(水) 22:15:50
自殺を望む人がだまされ、殺された事件ありましたよね
自殺願望者は殺されるときなんていったんだろう、と考えます
やっぱり「たすけて」でしょうか?
124 :
考える名無しさん :2005/09/04(日) 19:56:38
>>123 自殺願望者の気持ちは分かりませんが、
「まだ死にたくない」と思ったでしょう。
「たすけて」ではなく「なんで」という疑問ではないでしょうか。
我々が装置の操作で友人を殺してしまった、
外国の地で恋人が死んでしまった、
どうしたらいいだろう。
前者であるが、
我々の内部と外部において、
我々が人を殺してしまったということについての罪の意識がある、
我々の社会において人を殺すものは罰せられる、
何かを介した行為であるということ、
装置を扱ったのであって、殺すということから為した訳ではない、
我々が装置を扱った結果、その人が死んでしまったのである。
そして、装置を扱ったことから人が死んでしまった、
装置を扱ったのだが、不幸にも死んでしまったことについて、
罪の意識や罰則がある、ということ。
我々が装置を扱った結果、その人が死んでしまったことについて、
葛藤や罰が施されるということ。
これらのことが考えられる。
後者であるが、
伝聞であるということ
遠い或るところにおけるものである、
知り慣れたところのものではないということ、
感情と概念
欠如を伴った不満の感情がある、
死の概念がある、
これらを統一的に考える理由が必要とされるだろう。
128 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 02:37:21
シルバーバーチよりコピペ
「地上界は永い間の物質偏重の生活によって、霊性を鈍らせてしまったのです。人類もかつては目に見えない
界層との連絡活動を盛んに行っていたのです。内在する永遠の実在の資質である霊的能力について、ちゃんとした認識があったのです。
古い時代の記録、たとえばキリスト教のバイブルを細かくご覧になれば――といって、わたしがバイブルにこだわっていると思われては
困りますが――太古にさかのぼるほど、心霊的能力が自然に使用されていたことがわかります。残念なことに、それが他の能力と同じように、
使用されなくなるにつれて退化していき、今日では、霊的波動を捉えることのできる人は、ごくごく少数となってしまいました。
今日の人間は“牢(ろう)”の中で暮らしているようなものです。その牢には小さな窓がたった五つしかついておりません。それが五感です。
目に見え、耳に聞こえ、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌で感じるものだけを実在と思い、それ以外の、身のまわりに起きている無数の出来事には、
まったく気づいていらっしゃいません。あなたが存在するその場所、およびその周辺には、次元の異なる世界がぎっしり詰まっていて、そこでも
生命活動が活発に展開しているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。あなたの感覚ではその波動が捉えられないというだけのことです。
人間が“死”と呼んでいるのは、その物的身体が活動を止めるというだけのことです。往々にしてそれが、残念なことに、魂に十分な準備ができて
いないうちに起きることがあります。が、いずれにせよ、死とともに、本当のあなたである霊は肉体という牢から解放され、より精妙な身体、
霊的身体――幽体と呼ぶ人もいます――を通して自我を表現することになります。それまでずっと無意識のうちにその時に備えていたのです。
あなたがたが“死”と呼んでいる現象は、実は、それまでとは比較にならないほど大きな活動の舞台、生命活動の世界へ誘ってくれる門出なのです。
なぜなら、その時から霊的能力が本格的に機能を発揮しはじめるからです」
129 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 02:37:56
「死後も地上の同じ場所に留まるのでしょうか。それとも、まったく新しい別世界となるのでしょうか」
「宇宙はたった一つです。が、その中に無数の世界が存在するのです。生命はたった一つです。
が、それも無数の段階があるのです。こうした霊的実在の問題を扱う際に直面するのが、言語の不便さです。
大ざっぱで、ぎこちなくて、意を尽しがたい、ただの符号(シンボル)にすぎないものを使用しなければなりませんので、
わたしの本意が伝わりにくいのです。
生命は一つです。宇宙は一つです。そこには限界というものがありません。ここが宇宙の端っこですという、最先端がないのです。
ですから、皆さんの視界から消え去った過去の人たちは、今もあなたと同じ宇宙の中で生き続けているのです。しかし、界層が異なります。
波長の次元が異なります。次元の異なる意識の中で生活しているのです。それでいて、あなたと同じ場所にいるのです。
その肉眼に見えないだけです。それはちょうど、あなた自身は気がつかなくても、あなたは今わたしの世界である霊界にいるのと同じことです。
生命のあらゆる側面が一つに融合しているのです。仕切り線というようなものはありません。
その中に物的な側面と霊的な側面とが存在し、同じ場所で融合しているのです。
130 :
考える名無しさん:2005/09/12(月) 02:38:33
たとえてみれば、無線の周波のようなものです。あなたのいらっしゃる
同じ位置に、周波数の異なる電波が無数に存在するのです。宇宙空間に
充満しているのです。が、そのうちのどれをキャッチするかは、受信機
の性能一つにかかっています。それと同じで、あなたは今の段階では物
的波動に制約されています。それしかキャッチできないのです。霊視能
力者というのは同じく光の波動でも物的なものとは次元の異なる、より
精妙な波動をキャッチできる人のことです。霊聴能力者というのは、同
じく音波でも物的なものを超えた、より繊細な波動をキャッチできる人
のことです。すべてはその人の性能にかかっております。
さて、死後のことで、ぜひとも知っておいていただきたいのは、肉体
を捨ててこちらの世界――生命の別の側面、いわゆる霊の世界へ来てみ
ると、初めのうちは戸惑いを感じます。思いも寄らないことばかりだか
らです。そこで、しばらくは地上世界のことに心が引き戻されます。愛
情も、意識も、記憶も、連想も、すべてが地上生活とつながっているか
らです。そこで、懐かしい場所をうろつきますが、何に触っても感触が
なく、誰に話しかけても――我が家でも会社でも事務所でも――みんな
知らん顔をしているので、一体どうなったのだろうと困惑します。自分
が“死んだ”ことに気づかないからです。しかし、いつまでもその状態
が続くわけではありません。やがて霊的感覚が芽生えるにつれて、実在
への自覚が目覚めてまいります」
死は真理を知る唯一の瞬間だと思ってます。
132 :
考える名無しさん:2005/10/09(日) 10:23:00
不思議だよね。生きる事、死ぬ事。
生きている事が信じられない時がある。
死んでしまう事が信じられない時がある。
精神世界と物質世界 世界は何なんだろう。
133 :
部外者:2005/10/09(日) 10:34:00
死は誰も体験したことがない以上、書かれもしなければ聞くこともできない、
そして本当の意味では「見る」こともできない、生とは独立の何か。
よってあらゆる言及はそれが言及である以上意味をなさない。
強いて言えば、死は真理というよりは、「新しい」真理の始まりかな。
134 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 09:58:53
死は生の対極にあるものではなく、同時に存在するものである。
どういうことか?
人間は皆、自分が将来、死ぬ事を薄々感じている(抗いたい気持ちも持っている)。
だが、いつ死ぬかはわからない。
死を考えないで過ごす事は極めて自然な事である。
135 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 17:34:26
136 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 17:40:38
死は死でしょ? それ以上でもないしそれ以下でもない。
生まれ落ちた意識が消えてしまうだけ。
137 :
ハル:2005/10/16(日) 06:43:51
ただし、死の感じ方は人それぞれだが。
138 :
考える名無しさん:2005/10/26(水) 11:03:59
氏もまた始まりである。
皆死の何を話してるのか全くわかんない
普通に生活して死んで行くことについて話してる人
死とは何かについて話してる人
好き放題
>>1は何を話し合いたかったの?
生きてる、という事すら不思議なのに死を理解するというのは愚の骨頂ですな
141 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 18:47:23
age
転載
Q_産まれたくてこの世に産まれたわけでも無いのに、
何で死が怖いんだろうね?
A_命を失うことが怖いのではなく、
命を失う前にこの世に残すものが無いから
死ぬのが怖いのではないでしょうか?
つまりは命自体に執着してないで、
その命がある時に何かをこの世に残す事が命より大事ってこと
143 :
◆utqnf46htc :2006/01/21(土) 17:55:13
熟睡してるときって意識も記憶も無いよね。死ってのは永眠てやつなのかな?
地獄天国なんてのも昔の人間が作った、死の恐怖をやわらげるものに過ぎないのさ。
大体人間って、いや宇宙だって何だって、ある意味はあるのか?
宇宙は無くても無は有るんだ。ややこしいな。
すべてが無いかもしれないんだ。
なのに漏れたちは生まれた。
無くてもいい宇宙が生まれ、銀河が生まれ、星が生まれた。
そして大気が生まれ生物なんてものが出来た。
そして人間なんかに進化してしまうから死への恐怖が生まれたんだ。
アリなんかつさぶれて死んでしまうのに…。人間は自分が死ぬのは怖いんだ。何が起こるか知れなくて。
でもアリはもっと違う。知ってるのは自分が生きているだけ。死なんか知らない。つぶれたくないぐらいしかわからないんだろうな…。
人間は、地球は、宇宙は、何で出来て、何で存在しているんだろう。なくても同じなのに…。
144 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/01/21(土) 20:29:27
「意識」なんてたいしたことない。
意識がなくても、寝いていても、生き生きしてるよ。
145 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 17:17:53
146 :
考える名無し:2006/01/31(火) 23:41:45
「死ぬということは何であるか。もしわれわれが死それ自体を眺め、
理性の分析によって、死からその空想的要素を取り去るならば、それは
自然のわざ以外のなにものでもないと考えざるを得ないであろう。自然の
わざを恐れる者があるならば、それは子供じみている。」(マルクス・ア
ウレリウス「自省録」)
147 :
考える名無しさん:2006/02/01(水) 16:47:09
人間が死ぬのも動物が死ぬのと同じこと。
俺らの身体がPCだとする。
脳はHDD。
コンセント引っこ抜くと全部止まる。
ただそんだけ コレが「死」
その電源は二度と戻る事無く棄却される。
魂も死後の世界も無し。
俺的には火葬されてしまうと食物連鎖の輪から外れてしまう気がして
できれば土倉してもらいたいんだが文化とか宗教の関係で却下されるんだろうなぁ。
なんていうかリサイクル思考。
149 :
考える名無しさん:2006/02/04(土) 21:07:31
>>148 死ぬときに土葬して欲しい旨をきちんと表明しておけば土葬してくれるんじゃないか
150 :
考える名無しさん:2006/02/04(土) 21:17:00
この世に生まれてくる前って気持ちよかったよね。
死んだらまた気持ちいいんだと思うよ。
151 :
考える名無しさん:2006/02/04(土) 21:22:19
自分が死ぬのは恐くないんだよ。
地球が滅びて、太陽も死んで、それでも時間が流れている。永遠に。
終わることのない永遠っていう存在が恐いんだよね。とてつもなく。
俺はとっくに死んでて、そんなの関係ないんだけど。
152 :
考える名無しさん:2006/02/04(土) 21:28:09
生き物ってさ、圧倒的に死んでる時間のほうがながいんだよね。
生きてる時間なんて一瞬でさ。
まじで死んでる状態が平常なのかもしれんって思うよ。
死んでる時は痛いとか恐いとかつらいとか、そんなの全くなかった。
ところが生きてる間は痛いとか恐いとかつらいとか、逆に喜びとかも
あるけど。プラマイゼロなら死んでるほうが穏やかだよね。
153 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 09:32:45
154 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 23:17:54
安芸
155 :
考える名無しさん:2006/02/05(日) 23:50:32
つねに意識はしてないが死ぬために人は生きていると思っている
死がなければ生きがいも将来の夢さえも見つかりはしない
なぜなら終わりがないからだ
終わりが無ければ何をしても報われることがない
つまり死は生きるための糧である
156 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 19:41:07
目指すは有限
157 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 19:48:14
ほんとにそうだろうか。動物は「死」を知らない。
しかし懸命に生きている。
「死」は「知識」であり、生そのものに備わるものではない。
通常、僕たちはただ生きているだけなのだ。
158 :
シンプルな関係:2006/02/06(月) 19:56:39
動物は、死を知らないならどうして、ある種の動物はどうして
天敵からこどもを必死になって守ろうとするのですかね?
それは本能であり、人間の理性とはちがうとでも?
本能だろうがなんだろうが、親は子供に危機が迫りうることを
知って行動する。これが一種の知でなくしてなんだと言うのだろう。
また、人間もおのれの同類が死ぬことを知っているだけだ。
死がなにかは人間だって知らないのではないだろうか。
159 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 20:04:52
>>158 動物は、死を知らないのに、自分の「死」をなげうってまで、
天敵からこどもを必死になって守ろうとするのです。
すなわち人間の極限的な行為は、「死」とは関係がない。
160 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 20:12:09
すなわち「死」など存在せずとも、「生」そのものに「緊張」は内在しているのです。
なぜなら「生」とはただ生きことではなく、生きつづける「力」だからです。
それは環境という負の力以上の力がなければ、「生」は存在しないからです。
161 :
シンプルな関係:2006/02/06(月) 20:26:36
155の言ってることもよくわからないね。人間もある種の
高等動物も自分がいつか死ぬことを知っている。仲間や子供
が死ぬのをみているからね。それはシンプルな事実であり、
あたえられた条件というに過ぎない。それでもいきがいを
みつける人、いつまでもみつけられないでただ、流される
ように生きる人、といろいろではないだろうか?どうして
死ぬことを知っていると(というか全員知っているが)
将来の夢がみつかるのだろうか?
がみつかる、という理屈になるのか。
162 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 20:35:16
もし「生」が根元性であり、「死」は百科事典のような知識とすれば、
他者の「死」への尊厳はいかように得られるのか。
天敵からこどもを必死になって守ろうとすることは、いかに起こるのか。
「生」とは、私の「生」ではないからだ。
「死」とはどこまでも私の「死」である。個体の死として存在する。
しかし「生」は私に囲われない。
仮に「私」が死のうとも、帰属する集団によって「生」は継続される。
163 :
シンプルな関係:2006/02/06(月) 20:44:54
もう少し、的確に述べたほうがいいとおもうな。カモシカは
自分の仲間の死に無関心ではいられないようにみえるが、
ゾウの死にはたぶん関心をもたない。「生」とは、私の「生」
ではないという言い方も本当だろうか。個体は、あるとき、
ある親から誕生する。あたらしい「生」が始まったのだ。
164 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 21:04:19
カモシカがゾウより自分の仲間に無関心ではいられないのと、
ゾウの「死」より自分の仲間の「死」に無関心でいられないとの、
差異はどこにあるのだろうか。
生と死において重要なことは「個」ということだ。
たとえば、僕たちの内部では今も多くの細胞が「死んでいる」
しかしそれこそが僕たちの「生」を支えている。
ここでは、「細胞」を「個」と考えると、細胞は死んでいるのであり、
僕を「個」と考えると新陳代謝である。
「個」はいつも不明確である。
そして「死」とはなんらかの「個」を決定し、停止することである。
人間の「死」とはなにか。明確には医学的な「脳」の停止でしかない。
すなわち「個」を決定する認識者を必要とする。だから百科事典的な知である。
それに対して、「生」の根元性は、「個」の決定以前、認識者の存在以前に、
すでに生きているのである。
赤ん坊ですか。
象の死は象の墓場であるといいます。
象は、死ぬ場所がどこかよいのかということを考えてあるのです。
それ故に、死期を悟った象にその場所が好まれるのです。
それだから、死を予感した象は心地よい思いができるのです。
死期を悟った象は何を望むのか。
その中の一匹の象が特別に死に場所を選んだというよりも、
言い換えると、沢山の象達がその場所に行く事を望むはずです。
似たようなどんな象類でも、我々は自然と足が向くと表現するでしょうが、
その側に落ち着きたいと思われるのです。
死の際の象が象らしく居れる一番の場所を知っているのです。
それだから、象の足がそちらの方へ向かうのだし、
自然と死を迎えられるのでしょう。
何時か、生まれた赤ん坊もそのような場所を考えるはずです。
166 :
シンプルな関係:2006/02/06(月) 21:15:46
・・・なるほど、死ぬのはある個人だが、生まれた者はまだ
誰でもないとも言える。個人以前という訳だ。
その理屈はわかるな。
167 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 21:20:00
この考えは、西洋哲学そのものを根底から覆します・・・
168 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 21:28:06
■すでにそこにある力としての「生」と、百科事典の知としての「死」
生と死において重要なことは「個」ということだ。たとえば、僕たちの内部では今も多くの細胞が
「死んでいる」 しかしそれこそが僕たちの「生」を支えている。ここでは、「細胞」を「個」と考えると、
細胞は死んでいるのであり、僕を「個」と考えると新陳代謝である。「個」はいつも不明確である。
そして「死」とはなんらかの「個」を決定し、停止することである。人間の「死」とはなにか。明確には
医学的な「脳」の停止でしかない。すなわち「個」を決定する認識者を必要とする。だから百科事典的
な知である。
それに対して、「生」の根元性は、「個」の決定以前、認識者の存在以前に、すでに生きているので
ある。すなわち「生」は「個」に縛られない。たとえば「蟻の生」とは蟻一匹であるかもしれないし、
蟻塚そのものであるかもしれない。それは、認識者が決めることであって、 「生」そのものはただ
すでにそこに「力」としてあるだけだ。
すでにそこにある力としての「生」はただ懸命に生きている。そこには、「死」など存在せず、「生」
そのものに「緊張」は内在している。「生」とはただ生きことではなく、「すでにそこにある力」である。
それは環境という終わりなき負の力以上の力がなければ、「生」は存在しえないからだ。
救済があるからでしょうか。これはユダヤ・キリストあたりの考え方でしょうか。
西洋哲学はオリエント・ギリシャあたりから現在の哲学であると考えられるようです。
何故、西洋哲学の根底を覆すのか。
その間にある何らかの条件を無にするようだ。
すると、西洋哲学に含まれている何かが根底に考えられている。
170 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 22:44:23
西洋哲学の根底には、人間/動物の差異があります。
動物は肉体であるが、人間はそこに「精神」があり、
そこには決定的な断絶があります。だから人間の生は尊いのです。
そしてそれは死についてもいえます。
すでにそこにある力としての「生」と百科事典の知としての「死」」では、
この断絶を解体していしまいます。
難しいね
172 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:50:12
難しいというよりちょっと変!
173 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 23:08:17
動物に精神がないっていうところが
かわいいな。
174 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/06(月) 23:53:34
>>173 リベラリズムっていってもわからないだろうなあ・・・
175 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 00:15:13
ぴかぁ〜さんはパラノイアなのか?
否定的な意味ではないよ。
ぼぉ〜くを引き合いにだすならば、パラノイアに行く時は(ry
177 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 10:14:36
178 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 10:41:46
たぶん自分の頭で考えたことがないんだろうな。
ここは考えるスレだから西洋史については生活板でやってくれよ。
179 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 19:20:46
動物に精神がないと考えてきたことがあまりよく理解できない
精神を人間だけが持っているものとして特別視しすぎている
ように思える
動物こそ生まれてすぐに目的意識が働く「生」の強い生き物だと
いっても過言ではないだろう
180 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 19:45:09
■「生と死」の断絶と解体と救済
「力としての生」と「知としての死」
生と死において重要なことは「個」ということだ。たとえば、僕たちの内部では今も多くの細胞が「死んで
いる」。しかしそれこそが僕たちの「生」を支えている。ここでは、「細胞」を「個」と考えると、細胞は死んで
いるのであり、僕を「個」と考えると僕という個を生存させるための新陳代謝である。
「死」とはなんらかの「個」を決定し、停止することである。人間の「死」とはなにか。明確には医学的な「脳」
の停止でしかない。すなわち「死」には「個」を決定する認識者を必要とする。だから「死」は「百科事典的な
知」である。
それに対して、「生」の根元性は、「個」の決定以前、認識者の存在以前に、すでに生きているのである。
すなわち「生」は「個」に縛られない。たとえば「蟻の生」とは蟻一匹であるかもしれないし、蟻塚そのもの
であるかもしれない。それは、認識者が決めることであって、「生」そのものはただすでにそこに「力」として
あるだけだ。
すでにそこにある「力としての生」はただ懸命に生きている。そこには、「死」など存在せず、「生」そのもの
に生きることの「緊張」は内在している。「生」とはただ生きことではなく、「すでにそこにある力」である。
それは「環境」という「終わりなき負の力」以上の力がなければ、「生」は存在しえないからだ。
181 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 19:45:48
生と死の転倒
このように「生」とは個に還元できない全体的状態であるのに対して、「死」はどこまでも「個」の設定を必要
する。そして設定するのは現存在である人間でしかありあえない。だから「個」の設定は、「私」という個人
であり、私はいつか死ぬ、そして死とはどこまでも個人的な事柄である。今日死ぬかもと言う自覚が自分
の意味というもの、その責任を個人へ還元する。
すなわちここには一つの転倒がある。生が「すでにそこにある力」であるのに対して、死は「百科事典の知」
であるはずが、死を根源的なモノとすることによって、個人、すなわち「人間」というものの特別性を保証
する。これこそが西洋思想の根底にある動物/人間の断絶であり、人間という精神の特別性である。
そして「力としての生」は動物的な、野蛮な、過剰なものとして排除される。
182 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 19:46:35
「生と死」の解体
この転倒を指摘し、形而上学批判を行ったのがニーチェである。プラトン以後の死の重視という転倒に
対して、それ以前の生の思想への回帰をさけんだ。それが「力への意志」である。そしてニーチェの時代が
ダーウィンの時代だったのは偶然ではない。進化論は基本的に「生の思想」であり、ニーチェの根底に
あるだろう。
しかし進化論の射程は、ニーチェの「力への意志」に留まらない。進化論および科学の思想とは、生と死の
思想そのものの解体であ。それは「偶然の思想」である。この世界にはなにものの「意志」もなく、ただ全て
が偶然である。力も偶然のものであれば、死も偶然のものである。「自然淘汰」がダーウィンの進化論の
ラディカルさであり、科学全般の根底にある。
進化論関連が倫理的な問題になり続けているのは、この「人間」の解体にある。進化論は人間への止揚
ではなく、生命種の多様化であり、人間は片隅の偶然の一種でしかない。
東洋では西洋と逆に「生の思想」を受け入れてきた。たとえば日本人の個への曖昧さは、自然崇拝、
多神教的にあらわれる。個というものは強い個人でなくこの世界のあらゆるもの「好き勝手」に設定し、
すべてに神が宿るという個の曖昧な調和世界観にあらわれている。東洋における「生の重視」は、個
よりも集団の継続が重視され、個の死さえも集団の部分、たとえば忠義とされる。そこにも「偶然の思想」
の波は押し寄せて、「集団」を解体している。
183 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 19:47:38
「生と死」の救済
このような「偶然の思想」は、様々な差異を解体する平等の思想(リベラリズム)へ繋がる。しかし一方で、
リベラリズムという倫理は、人間/動物の断絶に立脚し、動物を排除することによって、精神を持った
「強い個人」としての人間の平等としてある。歴史的には人間/動物の断絶、精神をもつものともたない
ものの断絶によって、下層であり、奴隷が排除されることが正当化されてきた。現代では科学の発達に
よって、遺伝子としてその他の動物との断絶を保証された「人間」」という内部において、平等を唱う。
その意味で、現代のリベラリズムは、科学によって保証され、科学によって解体される。構造主義以降の
ポストモダン思想はニーチェの影響を大きく受けたとしても、保守的であり続けている。保守的であること
そのものが現代の哲学の存在意義になっている。この科学のラディカルさをいかに活用し、「人間」を
守るのか、それが現代の哲学の役割である。たとえばその思考の極限にあるローティのアイロニカルな
リベラリズムは、もはや「解体の探求」と「断絶の倫理」を別物として考え、その融合の試みを放棄し、断絶
を受け入れるべきであるという。
184 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 22:30:21
>>183 わかったから
自分の頭で考えてみような(笑)
185 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 23:10:28
>>184 わかったから
内容理解できるようになろうな(笑)
自分は理解できてるのか?
>>180,181,182,183
おもしろいとは思う。
しかし・・・つかれるf(^_
>>180 「環境」という「終わりなき負の力」ってなんだ?
パラフレーズ頼む。
てか、ぴかぁ〜さんって普通におもしろいんじゃない?
どうして評判悪いの?
190 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/07(火) 23:50:27
>>188 進化論でいう自然淘汰ですね。
>>189 この板には、この程度でも理解できる人はそういないんですよ。
191 :
考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:54:15
192 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 00:05:43
>>190 まあ、言ってもわからんだろうけど、
おまえみたいなのを時間認識がないっていうんだよ。
おまえにとって過去の哲学者といわれるひとたちは
歴史にすぎないんだろうな。
未来を思考する能力ももちあわせていないだろう。
もしかしたら現在を思考する能力もなかもしれない。
書物は諸刃の剣だな、テレビと同じで。
情報は得られるが思考力がおちる(人間がでてくる)。
本やテレビを鵜呑みにするなよ。
いいんだよ、わからなくて。気にするな。
クビになるってこと?
194 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 01:17:36
死の領域、境界、定義、意味ではなくて、
「死に対する人間の恐れ」
「どうして死は恐ろしいのか」ということを
どなたか哲学してくれませんか?
195 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 03:09:49
世界からはみでるからじゃない?
人間やっぱり仲間はずれとかされたりしたら悲しいし、
仲間はずれにされたらこわいじゃん。
それをでかい規模で考えて生物からはずれるのは
やっぱりこわいんじゃない?
生物から外れるってことは例えだと、ライターとか、
そういうただの物になるから。と、私は思いますww
196 :
シンプルな関係:2006/02/08(水) 09:11:35
確かに、西欧人は死に対してパラノイアックな恐れを抱いてきたと
いえるかも知れない。そしてそれが、キリスト教信仰と深い関係が
あることも確かだろう。なにしろ、キリスト教の核は「死からの復活」
であり、ラザロの「死よりの救済」という二大場面がクライマックス
になっているからな。なぜ、イエスが救世主であるかというと彼のみ
が「死へ勝利」するという奇跡をなしえたからだ。こういう物語を核
にすえる社会というものは、必然的に死をなにより恐れるようプログ
ラミングされる。死がなんでもないなら、救世主もなんでもないのだ。
逆に、あれほどの教会が大聖堂が建築され、ローマ法王が(かっては)
最高の威信をもった社会では、「死」こそもっとも恐ろしいものでな
ければならなかった。・・・という訳だろう。
生きていることが不思議というのは私もよく思います。
生きているとだんだんと生物の進化とか…1人の人間が誕生する過程は分かってきました。
でも、そのうちひとつがなんで「私」なんだろう……
リロってなかった…スマソ
自分の死はともかくとして、自分が重大な関心を抱く個人の死というのは
大事件だよな・・・。それは、言える。
200 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 11:09:08
/) /)
/ ⌒ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ●_ ● | < 死は自分には認識できないから考えるだけ無駄ピカ
(〇 〜 〇 | \ 200getピカ!
/) //) | _
/ ⌒ ヽ |_/ | | /
| ●_ ● ▼▼\>>
(〇 〜 〇 |>
ヽ ___ |
|_/ ̄|_/ |_/ |_/
201 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 11:13:05
(補足)
死→死の状態
自分→死が始まった以降の唯一の自分
202 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 12:27:36
生あるものはみんな死を経験している。
自分が誕生するまえの状態と
死んだあとの状態は同じだよ。
>>190には理解できんだろうがね。
203 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 15:04:04
死んだ後のことは、実際にどうなるかなんてわからないけど、
死後に天国と地獄はあると思う。
不幸な死によって悪霊となり現世にさまよいつづけることが
地獄だと思うから。反対に成仏できたらそれは天国だと思う。
だから天国と地獄はあると思う。
204 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 15:08:42
いろんなひとがいるもんだ。
205 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 19:43:00
>>195 たしかに死は人間の理解を超えたもので
漠然としすぎてることだからね
未知なものに対する恐怖と似ていると思う
だれも死体験談なんて語ってはくれないしね
天国と地獄なんて僕がおもうに人が都合よく考えた
まやかしだと思う
人が納得して死ねるように考えたって考えてる
206 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:22:41
人は死んだときに「完全体」となるわけだ。
別にデジモンのことじゃないからな。
207 :
考える名無しさん:2006/02/08(水) 23:08:32
>死んだ後のことは、実際にどうなるかなんてわからないけど
生物はみんな死を経験してるよ。
208 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 16:55:00
死については語るべからず
死の直前始めて仏に身を任せるべし
天国行きコンベアに乗るべし
無心で仏に身を任せるべし
209 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 20:33:19
時間と空間は死なない。
それ以外は死ぬよ。
それが平常だけどね。
そういう意味では現実が夢っていうのもわかるよ。
210 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/10(金) 20:40:15
「死によって世界は変化しない。終わるのである。」
(ウィット 論理哲学論考)
211 :
考える名無しさん:2006/02/10(金) 21:49:25
>>210 そいつガキいないだろ。ひょっとしてモーホーじゃね?
212 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 11:47:30
死について考える必要はないよ。
もとに戻るだけ。なにも恐くない。
>212
無理だす。
だって俺という存在が‥俺が俺を認識できるっていう意識が‥なくなるんだよ?恐いにきまってるでそ。
俺は一生俺のままで居たいなり。
拙者は人の為国の為には腹は切れないす。
214 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 12:27:05
>俺が俺を認識できるっていう意識が‥なくなるんだよ
死ぬということは生物学的に死ぬということ。
死んだら意識がなくなるということをどう証明できるのか。
>214そんな難しい話は分からんわ。
このスレに居る人等は日本が誇るリリシストK-DUB-SHINEのセカンドアルバム「生きる」でも聞けば良い
ファーストアルバム「現代時刻」も名曲揃いだ
パラレルワールド、戦争知らない子供達、理由なき犯行、ラストエンペラー、都知事誘拐、生きる、ザ・シャイニング、ブレインストーム、トワイライトゾーン、ひいずる所、天国と地獄は聞いとくべき。
日本で綺麗事を言える数少ないラッパー。
216 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 15:26:11
未知への恐怖のうちの一つが死だと考えられる。
死後の世界から帰ってこれないという事実が死を恐怖足らしめる理由だ。
もしも死後の世界と現世で行き来が自在にできた場合、死は恐怖でなくなるだろう。
217 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 15:33:25
明日の世界も未知。
君は明日がくることも恐怖するのか。
死後の世界‥無いと思うが
そうも言いきれない‥
が‥俺は無に帰すに三千点
219 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 15:37:42
色即是空
この世は存在するのか。
んでさ、お前らはこうやって219もレスしてきた訳だけど
こういう自分たちなりに考えた答えを読んでどんな感情になるの?
絶望したり喪失感を味わったりしませんか?
まだ好奇心や知的優越感のが勝るの?
221 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 18:19:54
だったら飽きるまで生きろ
この世に証を刻んでから死ね
そして死ぬ前にこう叫んでやるんだ。
「最高の人生だった!」
222 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 21:22:49
生まれるまえは死んでいた。
これをはやく理解してほしい。
生を受ける前は死んでる?
ああややこしくて訳分からん。
224 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 22:25:48
>>223 きみは生まれる前どんな気分だった?
死んだらそんな感じだよ。
なつかしいだろう?
225 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:15:19
>>219 同意
死んだら何もかも無くなるわけで、もともとこの世なんて無いのではないかと思う。
226 :
考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:32:16
>>225 死んだらこの世なんてないよ。
生きてるうちはあるけどね。
ようは死んだら終わりって事。
死んだら、自分的には「終わり」だけど、世界に自分の痕跡というか、
自分が存在しちゃったことによる「波紋」というか「反響」はおそらく、
永遠に消えないんだよな。
229 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/13(月) 19:04:19
>>211 DNAの継承の問題ではなく、世界はどこまで語り得るか、という問題です。
230 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 19:19:02
>228
たまに考えるんだけど
もし自分が死んだらベッドの下のエロ本やマニアックなDVDやビデオテープはとてもじゃないが死んだ後の事とはいえ‥恥ずかしいよメチャね。
231 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 20:48:14
起き上がらない永遠の無が怖い
232 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/13(月) 20:51:03
誰も「自分の死」なんか体験できっこないんだから、怖れる必要などないと思いますよ。
233 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:44:23
死ぬことを恐れるってよりも、自分ってものが永遠に存在しなくなるってことが
とてつもなく恐ろしいんだけど。死を恐れない能天気なヤシが羨ましすぎ。
234 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 22:47:48
>>233 時間がとまらないことが
それより恐いことに気が付けよ。
235 :
考える名無しさん:2006/02/13(月) 23:25:49
人間には3つの大きな欲望があって、それは性欲・食欲・睡眠欲であります。
ですから広告などはこれらに訴えかけるのがよいとされます。
かわいい女子高生やセミヌードのオネーチャンがテレビコマーシャルによく出てくるのはそのためです。
しかし、それらよりももっと効果のある広告方法があります。
それはこのままでは(精神的なものを含めた)苦痛が襲うという警告ものです。
「このままだと大変なことになりますよ」というのが最も広告効果が高いそうです。
例えばこの自然食品を食べないと必ずガンになる(もちろんいろんなデータを駆使する)とか。
人は女子高生よりも苦痛の恐怖から逃げることを優先するようです。
苦痛の行き着く先は死です。人は死から逃げることに最大の力を注いで生きているということです。
当面の苦痛の恐怖を除いて初めて煩悩が浮かぶわけですな。
まあ、苦痛からの逃避も3つの欲望もとどのつまりは生きることへのしがみつきな訳です。
さて、苦痛の恐怖から逃れ、たらふく飯食ってセックスして寝て、それで満足かと言えば、
まあ、私などは満足なわけですが、それでは満足できない高尚な方々も多いわけで、
その代表が知識欲ではないでしょうか。とは言っても、その多くは苦痛の排除及び3つの欲望に
繋がっているわけですが、それだけとも言いきれない。知識のための知識というか、大きな別個のカテゴリーに
なっている感じ。アダムが知識の木の実を食べて人間らしくなったわけですが、知識欲は必ずしも
死から逃れるためのものではないですわな。
てなことを最近考えたのですがどう思う?
236 :
233:2006/02/13(月) 23:43:22
>>235 んだ〜か〜ら、死が怖いのは死ぬときの苦痛が怖いのではなくて(ry
んで、死は人間にとって最大の問題であるはずなのに、そんな
能天気なオマイが羨ましすぎ。
>>234 死ねば時間がとまっていようが動いていようが同じってことに気が付けよ。
237 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 00:14:24
>>236 その考えはあまりにひどいな(笑)
つっこまずにいられなかったよ(笑)
238 :
233:2006/02/14(火) 00:25:46
つっこむなら逃げないで具体的にねw
239 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 01:22:55
>死ねば時間がとまっていようが動いていようが同じってことに気が付けよ。
その通り
死ねば時間が流れてようがなんだろうが同じ。
だから今の所死ぬつもりは無いし死にたくもない
かといってこのままグダグダした人生は送りたくない‥
ってゆうか、天国とか地獄とか在ってほしい。
在れば 死んで無になる恐怖から開放されるわい。
でも天国とか地獄とか永遠に続くのかな?
それは、それで問題だ!
242 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 11:54:40
無になるわけじゃない。
肉体はまた地球の一部として還元される。形を変えるだけだよ。
人間という、個々で違った思想を持つ事に固執してるから
怖いとか、無になるって思うだけの話。
もしも、自分の全てを受け継いで、
自分の事業を自分以上にうまくやれるような子供がいたら、
死ぬのは決して怖いことでは無いように思う。
そのような場合には、死は破滅や消滅ではなく、
継続のための交替になるんじゃないか。
そんな孝行息子は滅多になくて、
父親に反発して別の道に進んだり、親の遺産を食いつぶすどら息子が
大部分なんだろうけど。
246 :
233:2006/02/14(火) 19:49:16
>>244 自分という意識が存在しないのなら、土になろうが水になろうが無と同じだろ。
>>245 子孫が存続していくことが、自分が存在しなくなることの恐怖とは関係ないだろ。
永遠の意味を理解したほうがいいと・・・いや、理解できないでいることのほうが
幸せってことだなw。
>>241 死後の存続を信じることが死の恐怖から逃れる唯一の方法かもしれない。
誰でもいいから死後も自分のなにかが存続する可能性を示してほしいものだ。
>>242 死後の世界を認めない宗教が以外と多いことを知らないだろ。
233さん 頭よかとですね 激しく同意!
特に>自分のなにかが存続する可能性を示してほしいものだ。<とゆう件り
すばらしいっす。
248 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 22:13:47
>>248 藻前 息がくさいぞw
不快 知識披露してみ
250 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 22:41:33
死後の世界を認めない宗教をおしえてくれよ(笑)
251 :
233:2006/02/15(水) 00:33:46
>>248 オレは、ただ自分の死への恐怖を和らげてくれる書き込みを期待して、ここに
餌を撒いてるだけなんだが(笑)
>>247 厨房の頃まではね、自分が一度死んでも何百年後か何千年後には、また自分という
意識を持って人間として生まれてこれるかのように漠然と感じていたわけよ。
あたかも○年前、この世界に自分というものが偶然生まれ出たようにね。
でもね、ある日それがとても愚かな妄想だってことに気づいたわけ。そう、一度死んだら
自分のなにかが存続しなければ、自分というものはこの世界に二度と再生できないって
ことを自分のなりに証明してしまったこのオレって賢いのか、それともそんなこと
はなから誰もが分かっていることなのかな。
252 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 00:37:55
>>250 キリスト教も、身体を伴わない心の活動については懐疑的だね。
最後の審判の後で神が死者の身体を蘇らせるまで、
死者はただ眠っているらしいよ。
253 :
考える名無しさん:2006/02/15(水) 00:54:26
>>251 生きている間だって、個人の自己同一性なんてそんなに堅固なものじゃないからなあ。
>>253 過去の記憶があるのは、過去に自分がいたからではなくて、その瞬間に過去の記憶を刷り込まれた。
こんな風に考えることができるからですか?
ということは、過去の自分は既に死んでいる状態であると定義できるのか。
昔はオレもこういうこと能動的に考えていたんだけど
あるとき、怖くなってしまった
なんというか喪失、絶望、空虚、と言葉を尽くしても表せないような感覚に
陥ってしまって今では精神病院に通う毎日が続いてる
おまいらも気をつけろよ、スイッチ入ったら最後だからな
>>246 >自分という意識が存在しないのなら、土になろうが水になろうが無と同じだろ。
その意識に固執するから、無だって考えるだけでしょ。
元はみんなただの物質だって事実を忘れてないか?
だから固執しない人は怖さを感じない。能天気なわけじゃない。
あと、ちゃんと文を読んで理解してから、レスしてください。
>>256 >固執しない人は怖さを感じない< とゆう部分を具体的に・・・
ってゆうか 元の241は物質ナニガシではなく 自分を認識できなくなる自然
な恐怖と対峙してるわけだが・・・
それを簡単に>固執しないひとは・・・< と言われてもアホ天気としかw
258 :
神:2006/02/15(水) 17:02:54
予の与えた苦しみという試練から解放されることを恐れるのか
人間とは愚かである
死を迎えた者、試練から解放されたのだ
解放された者の跡は残ろうとも、解放された者は無に帰するのみ
>>257 >自分を認識できなくなる
つまり認識できないのが怖いわけで、認識していたい
自分という個の概念に固執してるってことでしょ。
ちゃんと理解してますか?
>>259 >自分という個の概念に固執してるってことでしょ。
あのー 固執しない=その事は考えない でオケ?
261 :
233:2006/02/16(木) 00:41:38
>>259 で、自分という個の概念に固執しないチミは、永遠に自分というものが
存在しなくなることに対して、なんら恐怖を感じないでいられるのかな。
>>258 うーん、それなら人間って愚かというより悲しい生き物だね。
>>253-254 自己の認識が存続維持されるのなら、そういうことは解釈の問題であって
オレ的にはあまり重要ではないんだけど、
>>251でいいたかったのは、
自己の同一性に関係なく、自分という意識は永遠に一度きりなのだってこと。
■[哲学]「生と死」の断絶と解体と救済
「力としての生」と「知としての死」
生と死において重要なことは「個」ということだ。たとえば、僕たちの内部では今も多くの細胞が
「死んでいる」。しかしそれこそが僕たちの「生」を支えている。ここでは、「細胞」を「個」と考えると、
細胞は死んでいるのであり、僕を「個」と考えると僕という個を生存させるための新陳代謝である。
「死」とはなんらかの「個」を決定し、停止することである。人間の「死」とはなにか。明確には医学的な
「脳」の停止でしかない。すなわち「死」には「個」を決定する認識者を必要とする。だから「死」は
「百科事典的な知」である。
それに対して、「生」の根元性は、「個」の決定以前、認識者の存在以前に、すでに生きているので
ある。すなわち「生」は「個」に縛られない。たとえば「蟻の生」とは蟻一匹であるかもしれないし、
蟻塚そのものであるかもしれない。それは、認識者が決めることであって、「生」そのものはただ
すでにそこに「力」としてあるだけだ。
すでにそこにある「力としての生」はただ懸命に生きている。そこには、「死」など存在せず、「生」
そのものに生きることの「緊張」は内在している。「生」とはただ生きことではなく、「すでにそこにある力」
である。それは「環境」という「終わりなき負の力」、進化論で言う自然淘汰、以上の力がなければ、
「生」は存在しえないからだ。
生と死の転倒
このように「生」とは個に還元できない全体的状態であるのに対して、「死」はどこまでも「個」の設定を
必要する。そして設定するのは現存在である人間でしかありあえない。だから「個」の設定は、「私」
という個人であり、私はいつか死ぬ、そして死とはどこまでも個人的な事柄である。今日死ぬかも
と言う自覚が自分の意味というもの、その責任を個人へ還元する。
生が「すでにそこにある力」であり、死は「百科事典の知」であるが、死を根源的なモノとすることに
よって、個人、すなわち「人間」というものの特別性を保証する。この転倒こそが西洋思想の根底に
ある動物/人間の断絶であり、人間という精神の特別性である。そして「力としての生」は動物的な、
野蛮な、過剰なものとして排除される。
「生と死」の解体
この転倒を指摘し、形而上学批判を行ったのがニーチェである。プラトン以後の死の重視という転倒に
対して、それ以前の生の思想への回帰をさけんだ。それが「力への意志」である。そしてニーチェの
時代がダーウィンの時代だったのは偶然ではない。進化論は基本的に「生の思想」であり、ニーチェ
の根底にあるだろう。
しかし進化論の射程は、ニーチェの「力への意志」に留まらない。進化論および科学の思想とは、
生と死の思想そのものの解体であ。それは「偶然の思想」である。この世界にはなにものの「意志」
もなく、ただ全てが偶然である。力も偶然のものであれば、死も偶然のものである。「自然淘汰」が
ダーウィンの進化論のラディカルさであり、科学全般の根底にある。
進化論関連が倫理的な問題になり続けているのは、この「人間」の解体にある。進化論は人間への
止揚ではなく、生命種の多様化であり、人間は片隅の偶然の一種でしかない。
東洋では西洋と逆に「生の思想」を受け入れてきた。たとえば日本人の個への曖昧さは、自然崇拝、
多神教的にあらわれる。個というものは強い個人でなくこの世界のあらゆるもの「好き勝手」に設定し、
すべてに神が宿るという個の曖昧な調和世界観にあらわれている。東洋における「生の重視」は、
個よりも集団の継続が重視され、個の死さえも集団の部分、たとえば忠義とされる。そこにも
「偶然の思想」の波は押し寄せて、「集団」を解体している。
265 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/16(木) 00:48:49
「生と死」の救済
このような「偶然の思想」は、様々な差異を解体する平等の思想(リベラリズム)へ繋がる。しかし
一方で、リベラリズムという倫理は、人間/動物の断絶に立脚し、動物を排除することによって、
精神を持った「強い個人」としての人間の平等としてある。歴史的には人間/動物の断絶、精神を
もつものともたないものの断絶によって、下層であり、奴隷が排除されることが正当化されてきた。
現代では科学の発達によって、遺伝子としてその他の動物との断絶を保証された「人間」」という
内部において、平等を唱う。
その意味で、現代のリベラリズムは、科学によって保証され、科学によって解体される。構造主義
以降のポストモダン思想はニーチェの影響を大きく受けたとしても、保守的であり続けている。
保守的であることそのものが現代の哲学の存在意義になっている。この科学のラディカルさを
いかに活用し、「人間」を守るのか、それが現代の哲学の役割である。たとえばその思考の極限に
あるローティのアイロニカルなリベラリズムは、もはや「解体の探求」と「断絶の倫理」を別物として
考え、その融合の試みを放棄し、断絶を受け入れるべきであるという。
266 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 01:55:27
>265
お前はもういいから。
267 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 04:02:41
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当たるやうにわかることは、及ばざることなり。
我人、生きる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。
若し図にはづれて生きたらば、腰抜けなり。この境危ふきなり。
図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、
一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
これどうよ。
268 :
254:2006/02/16(木) 11:27:29
>>261 ごめん。今度は私の考えで自己の意識について書いてみるよ。
以下、私の考え。ぴかぁ〜氏に半分くらい言われてしまってる気がするけど。
私の場合、とりあえずこの世界が法則としては永遠であり必然であると仮定して
その上で意識についても考えるのだけれど。
(永遠と必然の仮定については私の考察する限りでは不可知論に陥ってしまったので
とにかくここではそのように仮定するに留める)
で、その場合、過去とか未来というものは、今という一点から観測する限りにおいて言われるのであって
それらは必然なのだから、ぶっちゃけどこに観測点を置いたとしても世界の在り方は変化しない。
従って、私たちが過去を表象する時、それは現在から観測するから過去なのであって
過去の一点からその一点を表象する場合それは現在と表象される。
つまり、過去とか現在とか未来といった概念は私たちがある一点から観測する場合においてのみ
言われるのであって、永遠たる世界から考察される場合においてはそういった区別自体が無意味になる。
よって、ある人がある一点において死に逝く場合、同時にある一点ではその人は生を謳歌している。
で、これによって何が救われるかというと、私たちはありのままを受け入れていればよい。
誕生も死も含めて永遠なのだから。
ついでに、必然の概念で考察されるのだから、私たちの意志による行動は
何らかの形で未来へと残ってゆくことが確実であり、死後の世界にも残滓は残り続ける。
ちなみに、永遠か必然のいずれかを欠如して考えるなら、私は何事も帰結できない……
こんな考えなので、私的には
>>251的な恐怖って感じないんですよね……
>>267 中身が正しいとは思わないんだが、それはそれとして・・・
死の恐怖に怯えてはよい武士になれないということだが、
どうすれば死が怖くなくなるかについては、語っていない。
それから、兵士の哲学としては悪くないと思うが、将軍や政治家の哲学としては最悪。
山本七平によると、旧陸軍の将官には、
口では武士道を言いつつ、自分だけは助かりたい将官も多かったが、
武藤参謀のように、実際に死を決している将官もかなりいた。
そういう生ける死人のような将官の言動には迫力があり、生者の理や利では対抗できなかった。
しかし、理性も利益も抜きに方針が決定されがちだったことが、
道を誤り戦に敗れる原因だったのでは、、、なんて書いてあったような。
>>260 固執するっていうのは、何かにこだわるとかっていうことだから、
個の概念に固執=個でいたいとおもう ってことを言いたかったから、
あってる。わかりにくくてすいませんでした。
>>261 怖くない。一度だけたまらなく怖いと思ったことがあったけど。
それはやっぱり自分という個の精神を失う事とかに対してだった。
死ぬのが怖くないと思うのは人間としておかしいんだろうな。
でも怖くないと思うのも生物としては間違ってないんだと思う。
233さん
>自分という意識は永遠に一度きりなのだってこと
なぜ そのように考えるようになったか、是非聞かせて欲しいです。
272 :
233:2006/02/17(金) 00:41:07
>>271 このことを理解するってことは、「次に生まれてくるときは〜」とかって
考えてるあなたたちの死への恐怖に対する救いの糸を断ち切ることに
なるかもしれないんだけど・・・
>>270 遺伝子は自己の存続を最優先するという遺伝子本位の考え方からすると、
死を避ける行為は生物の本質になる。だから、死への恐怖とは、生物としての本性
なのではないかな。でも、不都合なものを切り捨てようとするのが人間だから、
死を恐れまいとする行為は人間としては自然なんだろ。
>>268 宇宙の歴史を少しずつ変化しながら永遠に続く巨大な金太郎飴のようなものに
たとえると、自分はその一断面の一部を形成している。そんなイメージで捉えると
死への恐怖も少しは和らぐ ような気になる かもしれない けど。
>>262-265 ログには簡単に目を通してたつもりだけど・・・
>>272 残念ながら、生まれ変わりがあるとしても、前世の記憶など自分の中に
残っていないので・・・とゆうわけで、やはり1度きりなのだろうか?
怖いけど悲しむ必要はないのでは・・・
一生懸命生きて ある意味自分をごまかしながら生きてゆくしかないのでは・・・
それを誰も証明できないのだから、現時点では・・・
>>272 >遺伝子は自己の存続を最優先するという遺伝子本位の考え方
そうだったのか。俺は生物的に異常なのか。
いや、
>>272がいうように人間としては正常なのか。
>不都合なものを切り捨てようとするのが人間
何が不都合かは、その人によって価値観が違う。
ただ、もし遺伝子が存続を最優先しているなら、「死への恐怖」は
不都合だといえるか・・・??
確かに、生物は死ぬ事から逃れようとするが、そこに恐怖を感じているのは
人間であり、生物はその遺伝子を残そうとしているだけなんじゃないのか?
275 :
233:2006/02/17(金) 18:50:26
>>273 「いちど自己の意識が消滅して、物理的な意味での土と水に戻ってしまえば、
自己の同一性にかかわらず、自分という意識の再生はありえない。」
ってことを証明できるといってるんだよ。
でも、チミには能天気な人生をおすすめしとくよ。
>>274 そんなふうなとらえ方でもえーんちゃうの。
276 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 18:57:14
なぜこの時代に、この日本に生まれたのかということを考えると、
輪廻というものがあるのではないかと考えざるをえない。
277 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/17(金) 18:59:58
>>233 死ぬことを恐れるってよりも、自分ってものが永遠に存在しなくなるってことが
とてつもなく恐ろしいんだけど。死を恐れない能天気なヤシが羨ましすぎ。
↑
「・自分・ってもの」が存在している、という認識を持てることが羨ましすぎ。
278 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 19:03:55
「自分」ってなんなんですかね。
「自己意識」のことなんでしょうか。
死ぬっていうことは肉体が滅びるということですよね。
279 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/17(金) 19:53:22
>278
フィジカルな死は、自分では認識不能ですね。
他者の死しか、自分は認識できない。
ですから、・自分の死・は、・自分・とは無関係ですね。
280 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:14:19
>フィジカルな死は、自分では認識不能ですね。
そうでしょうか。死後も意識があるとすれば、認識できる。
>280
ドナーの何「人」かは、臓器を摘出されるときに暴れだす、と聞いたことはあります。
「死」の定義づけが必要ですね。
283 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 20:55:27
フィジカルな死は認識可能だとしても、メタフィジカルな死、
すなわち自己意識の消滅は認識することはできない。
284 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 21:29:14
即ち、永遠なんですよね。
285 :
233:2006/02/17(金) 23:59:31
>>277 いちばん確かな存在って「自分ってもの」じゃないかな。
これは定義のようなものとして受け入れるべきだよ。
>>284 そういう風に自分に都合の悪いことをうまく処理していけるって、羨ま(ry
286 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 01:41:50
単純に、消滅、
って言っちゃえば簡単なのに。
287 :
神:2006/02/18(土) 01:50:07
>>286 汝は何が消滅するのか分かってるのか
小賢しいことを言うでない
288 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 04:17:53
だから、
人構造物の機能不全によって、人間機能が消失するんでしょ?
289 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 04:30:03
死が意味を持つのは、まあ、
現に生きてる人間にとって、
ってのは間違いないわな。
死んで機能しなくなった後に、
どっか別の次元とかで、
再生するかどうかは、
死んだことないから知らん。
あるいは、覚えてない。
290 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 10:40:13
291 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 11:53:47
生き物は生まれる前、死んでいたんだよ。
いや、逆かもしれない。
分かっている事は、出生も死亡も客観的事実であるということと
死んだら動けなくなるらしい事は確からしいってことかな。
293 :
233:2006/02/18(土) 20:19:35
>死んで機能しなくなった後に、
>どっか別の次元とかで、
>再生するかどうかは、
>死んだことないから知らん。
だぁーかぁーらっ、自己の意識は永遠に一度きりだってんだろ!
宇宙ってのはこの時空間だけではなく、他にも無限に存在するはずなんだが、
他の宇宙にすら、ちみたちの自己意識は二度と再生する可能性はないし、
それは証明可能な事実なんだ!
まぁ、このことを理解することは、すなわちオレが味わった底知れぬ恐怖を
体験するってことだがね・・・・フォー フォッフォッフォッ!
ナンチャッテ
294 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 21:24:16
生まれるまえ死んでたっていうのが
理解できんやつが多いな。
295 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 22:15:13
生まれるまえはお母さんのおなかの中で生きているからなんじゃないの?
不特定多数の人間が書き込んでるわりには このレベルか
と 言ってみる。
今ここに存在する自分は事実だ
しかし、自分が生まれたころの記憶は残っていない
何時から自分に記憶があるのかも定かではない
つまり、自我の確立と自分の存在は必ずしも一致していない
植物状態となりその自我を客観的に認識できない人を
生きている、と定義することはできるのか
魂の存在があるとすれば
自我を失った人間の魂はどこにあるのだろう
298 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 22:42:45
中学の先生が言ってた『死は他の人がいるからある。自分は死んだら終わりだけど家族、友人の心に残る』だったかなんだか言ってた。つまり客観的な事なんだと思う。
299 :
考える名無しさん:2006/02/18(土) 22:56:26
江原サン、読んだら?
300 :
233:2006/02/18(土) 23:46:35
>>294 自分が偶然この世界に生まれてきたように、一度無に帰しても、またいつか
同じように自己の意識は泡のように湧いてくるとでも思ってんだろ。
そんな能天気なオマイが羨ましすぎ。
>>297 自分が死んだ後、自己意識と関係するエネルギーが残存する可能性を否定しない。
それは自分にとって最後に残された蜘蛛の糸のようなものだから。
仮にそのエネルギーを魂と呼ぶのなら、植物状態での魂は
人体に融合したまま仮眠状態にあると捉えたい。
301 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 00:07:20
恐怖の遺伝子(TV)見てて、
前世の記憶はそれを思い出させるような場面に遭遇した時に突然蘇るんだて思った。
>>301 ちょっと神秘論的になるけど、許しておくれ。
思い込みだとかそーゆー夢の無いのはとりあえず無視して・・・
「前世の記憶」らしきものを思い出したからといって、それが前世とは限らないのでは、とも思う。
ある事柄がすべからく後に影響すると考えると、意識も影響を及ぼすのかもしれない。
それで、ある者の意識が殆どそのまま別の誰かに影響を及ぼすこともあるのかな?と。
まあ意識とは何かがよく分からないので自信は無いけれど。
人は、永遠に生き続ける退屈に耐えられるほど強靱な精神は持てないだろう。
肉体的に永遠の命があっても、大切な物や価値ある物が失われるのを見続けるうち、
自分より先に滅ぶべき物に興味を持つのを止め、心を閉ざして精神的な死を迎えるだろう。
233にとって、
「お前は永遠に生き続ることになる。死のうとしても決して死ぬことはできない」
という宣告は、呪いではなく祝福たりうるのか?
自らの業績や、愛する人、子供や孫の全てが失われるのを目にしなければならないとしても。
304 :
233:2006/02/20(月) 18:50:19
>>303 ファミコンゲームのように、自分の人生にもリセットボタンが付いていたなら、
何度もボタンを押しそうになっていたことだろうね、私の人生は。
もし再スタート時の条件が選択できたのなら、きっと何度もリセットボタンを
押していたはずだ。
生物を永遠に存続させるために生体をリセットさせ続ける遺伝子の戦略は正解だと思う。
私の望む「永遠に生き続ける」ってことは、自分をリセットしながら
生き続けるってこと。でもそれは
>>300で述べた意味での死後の魂の
継続なくしてはありえないことなんだ。
305 :
考える名無しさん:2006/02/20(月) 19:50:16
あり得ないが、そんな考えもいいんじゃねぇの ご苦労さん。
306 :
233:2006/02/21(火) 19:49:53
私の語る夢は、ありえるとかありえないとかって断定は不可能なもの。
もし断定できる方には、じぇひお話を伺いたいものだ。
ただ私が断言しておきたいのは、自己意識は永遠に一度だけってこと。
このことを否定できる理論はありえないけど、あたりまえだと理解できてる
人間も少ないのではないかな。
307 :
考える名無しさん:2006/02/21(火) 23:56:53
ここは子供ばかりだね。
死=無。俺もずっとそう思ってたけど
多分、魂ってものは存在する。
死んだらどこへ行くのか知らないが、多分天国だろう(そう思いたい)
親父が死ぬ直前に手を握っていたんだが、死んだ時に
手が痺れて、俺の体に何かが入ってきたのが感じられた。
母の祖母が亡くなった時も、朝方だったけど
ふと生暖かい空気が流れて、病室の臭いがしたらしい。
その五分後に病院からの電話で死を知ったらしい。(会いに来たんだろう)
こういう話ってのは良く聞くよね。
魂ってのは確実に存在するよ。
その後は、どうなるのから知り得ない世界だけど。
私は魂、とは意識の事だと思うんだ。
それを単純に物質化したものが「魂」なんだと思うんだが、
しかしやはり物質的にその「魂」や「意識」が確認されない以上
死=虚無と考えるのはやはり必然だろう。
しかし、
>>307さんのような体験談は過去に星の数ほどあるわけで、
やはり私は死とは無になることだ、と一概には言えないと思う。
まぁ、「一概」なんて言葉を哲学で用いる時点でおかしいんだろうが。
物質はその知覚されるままに存在しているのか?
マリオはただの0と1の情報の羅列にしか過ぎないが、
クリボーにぶつかると死ぬ。
同様に、私たちが何かを知覚したとき、
そこに存在するものは本当にそれ自身なのか?
私たちは、肉体を有しているのではなくて、
肉体という感覚を有しているだけなのではないか?
だとすれば、肉体そのものが魂ではないだろうか?
私が思うに、こういった類の問題は、
何かを仮定したうえで思考する必要がある。
>>304 リセットした後、どうやって生き続けたことを知るんだ?
ていうか、リセットに何の意味がある?
それこそ死とどう違うんだ?
リセットで良いなら、魂の永遠、輪廻転生を信じればいいじゃん。
私には、アメーバに魂があって、白血球に魂がない理由がわからないが。。。
311 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 18:27:12
人はみんな宇宙の因縁によって動き、そして何かを求める。
よって、宇宙を自分とみれば、人間の肉体は自分のロボットにすぎない。
ゲーマーなら分かると思うが、人間の肉体というものはゲームキャラクター
にすぎないんだ。
だから、俺は 人間というゲームキャラクターが死んだら、それを操作する宇宙という自分
に戻る感じで死を迎えようと思う。
これが仏教の考え方だ。
312 :
233:2006/02/22(水) 19:24:29
>>307 そういう事例を数あげることが即ち魂の存在の証明にはならないから難しい。
だけど、ボクチンの夢を紡いでくれる話は嫌いじゃないよ。
ありがとー、おじちゃん。
>>308 未だ証明できないことが多いこの世の中、あいまいな言葉は必須でしょ。
>>309 存在論云々には、仮定とか前提とか定義のようなものが必須だろうね。
でなきゃ、いつまでも議論の堂々巡りになるだけ。
>>310 >魂の永遠、輪廻転生を信じればいいじゃん。
その通り。このことを信じさせてほしいわけだ。
人体を構成する細胞それぞれが生きたアメーバのようなもので、人間は
その集合体のようなものだとは思う。ただ、人間の死後も残存するであろう
魂が存在するという前提条件は、自分には未だ認められないでいるってこと。
>>311 それで自分の死を納得できるかどうかが問題だね。
313 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/22(水) 19:31:40
>312
輪廻転生の地平で語るのであれば、人間界において抱え込んだ罪を、その他の界において、人間界で累積させた罪を償っていく。
人間界でおかした罪は、その質/量において容易には償えないものであるからして、輪廻のサイクルはとりとめもなく長く設けられている。
314 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 21:19:56
315 :
鬼弁機雷@233:2006/02/23(木) 00:11:25
HNが233では流れをつかみづらくさせてるかもしれないのでコテに戻します。
>>313 人は輪廻転生すると仮定しても、人間界でおかした罪はなぜ
償わなければならないのか、で、誰に償うのか。それに人は
転生を繰り返してもまた罪を塗り重ねるものだとわかってるくせに、
罪を償うために輪廻転生するって考えは矛盾してるんじゃないの。
>>314 難解な言葉の羅列は人を誤解に導き易いので、できれば
もう少しわかり易いサイトをおながいします。
それに絶対の理論ってのは、考え出すものなのかな?
316 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 02:05:16
317 :
考える名無しさん:2006/02/23(木) 02:08:17
> 転生を繰り返してもまた罪を塗り重ねるものだとわかってるくせに、
> 罪を償うために輪廻転生するって考えは矛盾してるんじゃないの。
どう矛盾してるの?
318 :
spitzer:2006/02/23(木) 12:12:02
>>315 難解な言葉の羅列だが一度読んだだけで分かるやつは天才だ。
しかし、何度も読み返して理解しようとしたやつも天才だ。
俺でもまだ完璧に理解できてるとは思っていない。
319 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 13:13:13
>>315 <人は輪廻転生すると仮定しても、人間界でおかした罪はなぜ償わなければならないのか、で、誰に償うのか。>
↑
人と人以外の生物との相対比較にすぎない。
「空の鳥を見なさい。蒔くことも刈ることもしない。
なのに天の父は守って下さる」と聖書に書かれていますが、人間は蒔く、刈ること以上の余剰物を抱え込んでいる。
この余剰物一般、交換価値一般が、罪でもあるのでしょうね。
ま、食べて生きていくうえでは必須要件なのでしょうが。
で、誰に償うのかは、聖書の世界であれば、神でしょうね。
そうでない世界であれば、自分にはねかえってくるだけのことですよね。
<人は転生を繰り返してもまた罪を塗り重ねるものだとわかってるくせに、罪を償うために輪廻転生するって考えは矛盾してるんじゃないの。>
↑
釈迦は見たのでしょうね。
人間もそのサークルを形成する要素のひとつとしての客体にすぎない、というイマージュを。
320 :
spitzer:2006/02/23(木) 14:03:53
罪なんて気にすんなよ。
自然界ではすべての動物が優位に立とうとする。
だから、優位に立とうとしないやつはどんどん駆逐されるんだ。
神さま私の罪をお許しくださいなんか言ってるときに他者に駆逐され、
また空想の世界に入って神様助けてなんか泣き言を言っていたら進歩しないぞ。
一生泣いてばっかだ。
321 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:07:43
spitzerさんさ、経済板にも行ってみれば?
「罪」なんて言葉、これっぽっちも出てこないから、居心地いいかも・・・・
322 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:10:10
ほりえもん(eco板ではぶたえもん)なんか、飛ぶ鳥落とす勢いのときはヒーローでさ、
堕ちた偶像になった途端に袋叩き。
すげえよ。
323 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:11:49
ま、>322は、2ch全般に言える傾向ではあるが・・・
負けると怖いかんね。
324 :
spitzer:2006/02/23(木) 14:30:35
ホリえもんは金に執着しすぎた。お金はほどほどにあれば
いいんだ。どっかのニュースで言っていたが年収1000万以上で十分暮らしが
豊かになるらしい。ちょっとホリえもんはまじめに死を考えるべきだな。
まあ、ホリえもんがまじめに死を考える時は自殺しようとするときぐらい
だろうな。
325 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:35:36
>324
「まじめに死を考える」人間の方が、経済戦士たちからみれば異端なんだよ。
326 :
spitzer:2006/02/23(木) 14:47:36
俺に言わせれば金や名誉を生きがいにしているやつは死ぬときこうつぶやく
だろうな「俺の人生はなんだったんだろう。」って。
う〜〜人生の悲劇ってやつだな。
327 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:50:26
>326
相続税100%になれば、それも有り、でしょうね。
子孫にカネ残せるから、うまいぐあいに、そういう悲劇が回避されちゃう。
328 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 14:52:12
回避されちゃう限り、「まじめに死を考える」人間(テチュガク者)の絶対数は増えない。
329 :
spitzer:2006/02/23(木) 18:07:08
悟りを得ようとしないやつは最後死ぬときなんかそんなこと考えても
無理だね。キューブラー・ロスという死の恐怖を克服しようと考えた
人は最後死ぬとき「いくらそういうことを考えても死の怖さは変わら
ない。本当に今まで死の恐怖を克服しようと考えてきたものは無意味
だった。反吐がでる。」と言い死んでいったそうな。多分その人
キリスト教徒で天国信じちゃったんだろうな。ご愁傷さまです。
仏教徒は無我を考えているが、それでもやはり少し怖い。
330 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/23(木) 19:43:08
>329
だから、サルトル等は、死を偶然的な「即自存在」とし、「対自」、「対他」存在としての実存とは関わりの無いこととして、両者の関係を分断したのですよ。
棍棒で殴ったら、死にます
332 :
307:2006/02/23(木) 21:38:19
悟った風に死=無。と思ってる方が恥ずかしいがね。
いくら考えても答えなんて出ません。
333 :
鬼弁機雷:2006/02/23(木) 21:46:20
>>318 一つ一つの単語の意味が分からなければ、どんな天才でも
文章の本当の意味は理解できないのでは?
ただ理解したつもりにさせることは可能なので、怪しげな宗教の
勧誘に使われる戦略でもあるわけだが。
>>319 下等動物ほど本能のまま行動してるのだろう。本能で行動するってことは
罪とはいえないのか。快楽的狩りをする動物行動はいくらでもあるし、
もし人間も本能のままに行動すると、より罪深いことをしてるはずだが。
創造主という意味での神は既に死んでいるように思う。創造主を信じてる者は
まず地球外生物の存在を認められないはずだ。他の惑星と同時に
なにかが存在できる可能性を相対性理論が否定しているのだから。
そういう意味では、地球の裏と表で同時に神が存在できるはずもないのだろう。
ただ、神を人間が昇華した存在ととらえるのなら、その存在の否定はできないのかもしれないが。
334 :
spitzer:2006/02/23(木) 23:23:04
それじゃーいっこうに進化しねーな。
まあ、悟るも何も最後は自分しだい。
>>319 余剰搾取を行えるということは、それだけの権力というか、
権利というかがあるという見方も出来ると思うのだけれど。
その結果自ら種族の首を絞める結果となるかもしれないけれど、
それを罪と捉えるか単なる帰結と捉えるか、の違いだろうか。
が、鶏を殺したところで鶏肉が生まれ出るだけだし、
更に焼き鳥、腐肉と変化する(こともある)だけの気もする。
これを罪というなら、腐肉という存在を否定的に見ているということだけれど、
それは人間(生物の?)の勝手な決めつけではないだろうか?
336 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/24(金) 13:52:05
>>335 :考える名無しさん :2006/02/23(木) 23:32:07
>>319 <余剰搾取を行えるということは、それだけの権力というか、権利というかがあるという見方も出来ると思うのだけれど。
その結果自ら種族の首を絞める結果となるかもしれないけれど、それを罪と捉えるか単なる帰結と捉えるか、の違いだろうか。>
↑
少なくとも、「搾取を認識しない」ことは「愚かである」とはいえるでしょう。
もちろん、認識しない方が、し・あ・わ・せ、ではあると思うけど。
<が、鶏を殺したところで鶏肉が生まれ出るだけだし、更に焼き鳥、腐肉と変化する(こともある)だけの気もする。
これを罪というなら、腐肉という存在を否定的に見ているということだけれど、それは人間(生物の?)の勝手な決めつけではないだろうか?>
↑
腐肉には交換価値が無いから、それを「生産する」ことには何の意味も価値もない。
ちょっとよこみちに逸れるが、
何が罪かを決めるのは所詮人間なんだ罠。
スレタイに惹かれた。
死について…
死を考えるっていうのは我々の知覚能力を超越している。
俺頭悪いから、これ以上考えられなかった。
ただ俺は死っていうものが、非常に甘美なものに感じる。
339 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 18:52:37
>338
<死を考えるっていうのは我々の知覚能力を超越している。>
↑
このレス、秀逸。
死は、生きている人間存在とは無関係だから。
340 :
考える名無しさん:2006/02/27(月) 19:02:17
死んだ人は、生きている人間存在と無関係だろうか。
341 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/27(月) 19:12:37
死か・・・・・
>>339 無関係などとうそぶく人間が、心の底ではもっとも死に囚われているのではないか。
ひょっとして、恐怖のあまり目をそらしているだけなのではないか。
まあ、死について考える暇もないほどに、人生を謳歌しているのかもしれないがね。
無関係だと言い切れるの?
死を理性、知覚の終焉と考えればそのようになるとは思えるけれど、
実際にどうなっているのかは死んでみないとわからないし、
死んだ人から訊き出す手段が確立されていない以上、
これについては「不明」とするのが良いと思うのだけれど。
死によって確かに生命活動は停止し、脳は活動を止めるから、
脳の活動としての個体の知覚は停止する。
だが、これらあらゆる活動の第一原因が解明されていないのだから、
物理的な意味を超越した存在としての死後の世界もまた否定できない。
自己自身の死は、
物理的な意味では無関係かもしれないけれども、
継続する自我の終焉としては必ずしも無関係ではない?
345 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 03:15:51
生は死をえるが、死は生を得ない。
死が得る物は無であり、無は宇宙を創造する。
さて、かっこよくまとめたところでねるか。
346 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 03:42:24
ここはかっこよく、永遠にねてなさいw
人はそれを永眠といふ。
さて、かっこよくまとめたところでねるか。
347 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 22:03:02
あ〜よく寝た
でも寝すぎてまた眠くなってきた
ちて、かこっまくよとぬたとろこでぬるぽ。
時間と距離という概念を正確に説明できる方はおらぬか?
もちろん次の駅から3個目までで3キロとか24時間で1日とかではなくだ!
349 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 00:01:21
永遠の平和が、そこにある。
350 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 00:48:41
平和は退屈である。
よって永遠の退屈が、そこにある。
351 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 00:54:06
352 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 00:40:46
てす
353 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 07:36:28
歴史に名を残そう。
死んでも人々の心の中で生き続ける。
逆に言えば何も成さなかった人間は無意味。
354 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 09:01:53
何か成したとしても、それは人間がいればこそ。
滅びたら成しても成さなくても関係なくなる。
生きんがために生きろ。
元々生そのものには意味なんて無い。
355 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 15:24:48
名は成さないが、「どーも」で通じる世の橋渡しはした。
何も成さずともその行いは世界の運行に影響する
その影響の大いなる程に、存在はより大きく生き続ける
357 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 06:01:03
魂というのは連続関数であり、生が始まりで死が終わりというのは間違っている。
生死が特別に扱われるのは、ただ単に我々の存在する空間では生や死という点で魂という連続関数が不連続に見えるというだけなのだ。
我々に出来る事は魂の方向生を決める事位か・・・。真面目に生き抜かないといけないな
358 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 13:40:03
生きていることの証って例えば、
見る、聞く、考える、感じることができることだよね。
だから私たちはあ〜生きているんだなって思うよね。
人が死ぬと脳が停止するから、見れない、聞けない、感じられない
考えられなくなるのは分かりきってるよね。
これを無っていうんじゃないの?
何も感じることができない、意識がない。
だから私は死は無だと思う。
そして実は私たちはもう無を経験したことがある。
それは私たちが生まれる前。私たちはいなかった。
何億年もの間私たちはいなかった。
つまり無だった。そして死とはまた無に戻ること。
どうかな?
>何も感じることができない、意識がない。
>そして実は私たちはもう無を経験したことがある。
これは矛盾してると思う。
>だから私たちはあ〜生きているんだなって思うよね。
正直言って、俺は、あー死んでいるんだなと感じる。
これは批判ではなく、個人的な感想。
361 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 14:59:13
>>359 あんま細かいこと言わないで☆
私たちにとって生まれる前も死んだあとも
同じじゃないかなってことなの。
>>360 うう、かわいそうに。
でも物理的にはちゃんと生きてるよ!
石垣島に行ったら感動して少しよくなるかもよ!
362 :
360:2006/03/16(木) 18:12:24
363 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 20:02:59
__
無性にタヒチ島に行きたくなった.。
364 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 09:55:09
私はなぜ、あの世はあると思っているのだろう。
自分の内では必然ではあるが、それを人に伝えるすべを知らない。
365 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 21:50:27
逆説的だけど、あの世が無いと思ったら
毎日大変な思いして仕事にいかないなぁ〜
以前思いついた完全犯罪を実行してウマ〜な
生活を送るw
366 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 21:58:46
ピラミッドを調べるのは何故かね。
誰も文句を言わないのは何故かね、神聖なことだから、死者の冒涜と考えるのではあるまいか。
しかし、死者の呪いや罠や伝染病があるだろう。
どういう理由であると、死者を扱えるのかね。新しい宗教が出来たから、信仰の儀式として調査しているのかね。
368 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 17:17:34
死はきっと自分にとっては深い眠り。他人の死は、不可解な現象・・・
369 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 22:53:04
>>329 > 悟りを得ようとしないやつは最後死ぬときなんかそんなこと考えても
> 無理だね。キューブラー・ロスという死の恐怖を克服しようと考えた
> 人は最後死ぬとき「いくらそういうことを考えても死の怖さは変わら
> ない。本当に今まで死の恐怖を克服しようと考えてきたものは無意味
> だった。反吐がでる。」と言い死んでいったそうな。多分その人
> キリスト教徒で天国信じちゃったんだろうな。ご愁傷さまです。
> 仏教徒は無我を考えているが、それでもやはり少し怖い。
となるといくら考えても無理なのかと。量子コンピュータとか開発に
お金を当てて、人間と同じように考えるコンピュータを作り、脳だけで
永遠にいきられる機械をつくるまではこの問題はなくならないだろうな
370 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 22:54:43
>>326 > 俺に言わせれば金や名誉を生きがいにしているやつは死ぬときこうつぶやく
> だろうな「俺の人生はなんだったんだろう。」って。
> う〜〜人生の悲劇ってやつだな。
日本人と欧米人の仕事に対する姿勢が違うのは死を自覚しているかしていないか
の差だったのか・・・
371 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 22:57:15
>>310 リセットを考えるなら頭部だけ凍結保存して、それで何万年後に生き返る
のを目標にするしかないかと。脳だけいきられる仕組みを考えても何億人
と人はいるわけで、量が多い。これも考えると、何億人を1つのPCの中に
いれられるような場所をとらないものを考えないと。
そしてそれで永遠が出来たとしても、地球は太陽に飲み込まれるわけで、
人間が住める星に移住できるのかと言う問題があるし、宇宙の終わりにも
遭遇するわけで、終わりからはものすごい考えないと逃れられないかと・・
372 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 23:23:43
中学生ぐらいで、どう生きるか、とか
人生一度とか言う人がいるけど、こういう人は
死についてきちんと考え正しい答えを見つけた人にしか
出こてない言葉だったんだね。
普通にこういうきちんとした答えに到達できる平均年齢
て何歳くらいなんだろう
373 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 23:24:45
一番すごいと考えているのが、兵隊で前線に今現在いっている
先進国の人。あれはどんな風に考えているのかすごい興味がある・・・
金星にでも攻め込むつもりかねw
375 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:14:34
死について考えるとき、日本人と欧米人とか、仏教徒とキリスト教徒とか、
ほとんど関係ないことだと思うんだがなあ。
376 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:54:52
俺の考えは
精神というのは何も入ってないDVDみたいなもんで
肉体というのは再生と録画同時にやる装置みたいなもん
2つが共存して初めて生きるということができるのよ
事故とかで肉体がぶっ壊れたら再生と録画ができないから
精神がどっかぶっ飛んでフォーマットされて新しい肉体の方へ入れられるの
生まれ変わりとか前世とかは消し忘れとかケシカス見たいなもんだと思うの
書いてて何がいいたいのかわからなくなった
どうにかくみとってくれ
>>376 つまり、肉体的な知覚の存在を前提として精神は存在し、
それ無しには存在する事が出来ない、ってこと・・・ですか?
たしかに、思惟は他の思惟の影響を直接受ける事が出来ない
(少なくとも、受けたという経験は無い)から、
肉体が欠損したにもかかわらず、精神だけが無事に残るというのはおかしいかも
少なくとも、それ以上思惟する事が出来なくなってしまいそう・・・
前世とかそういうのは分からないけど
378 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 19:30:38
> キューブラー・ロスという死の恐怖を克服しようと考えた
> 人は最後死ぬとき「いくらそういうことを考えても死の怖さは変わら
> ない。本当に今まで死の恐怖を克服しようと考えてきたものは無意味
> だった。反吐がでる。」と言い死んでいったそうな。
この話の出典はどこ?
無への回帰なのに、恐怖が邪魔するんだよな
380 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 20:58:11
1950年あたりの映像をみたりするとその時点で自分はいない。
つまり無。 その後意識が出来てきて今に至り、また無に戻る。
はやいこと、永遠の意識の持続が出来る技術を確立した方が
いい気がする・・
381 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 21:06:44
無から意識が発生してまた無に戻り2度と現れることは無い。。
2度現れる可能性を託すなら、頭部だけ冷凍して何千年後に
生き返るとかそういうのしかないね・・
382 :
379:2006/04/02(日) 21:08:35
383 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 21:10:35
輪廻転生で、理屈をこじつけるなら、人間と言う集団を存続させるために
その一部として貢献しそしてその細胞がそのまま残っているので、後世の
人が輪廻転生と考えるしかないかと。自分の意識は完全に消えるけど、人間
と言う細胞?はそのまま持続し、また意識を発生させまた消えていくの連続。
384 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 21:11:53
>>382 苦痛でなくて、意識だけのこていればPCもできるしロボットを操縦して
歩き回れる。 今の技術で頭にPCをつけて意志のみでマウスを動かす
技術が確立されてるんだよ。これが発達すると人間の意識の電気刺激
をそのままPC内にいれれば事実上意識は永遠に消えない。
385 :
379:2006/04/02(日) 21:24:55
>>382 攻殻?
人類滅亡まで生きたいのですか
発狂しますよ
386 :
379:2006/04/02(日) 21:26:16
387 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 21:27:32
>>385 生きたとしても何億年後だろうし、十分長いかと。
388 :
379:2006/04/02(日) 21:34:15
389 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 21:26:09
何万年後かには、今現在の技術で、液体窒素で凍結し保存しておいた
遺体を、蘇生することが恐らく可能になっていると考える。
となると火葬はやめたほうがよくない?
390 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 00:36:24
魂もしくは心があると仮定したならば
それは死後残るのか?
有るものは不滅でしょう、有るんだから。
有るものが無くなるのかね。
392 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 01:10:01
では、生まれる前は?
肉体は不滅?
仮に人間に魂が有るとするなら、あらゆる物質に魂(又はその要素となるようなもの)が有るんじゃないだろうか
命あるものだけに魂が宿るなんて考えは、先入観に捕らわれて天動説をとなえた昔の天文学者と同じだろうし
何か既出っぽい考え方だけど・・・
俺の考えでは、世界を一本の導線として比喩すると、人間やら生物やらはその導線に直列に繋がれた豆電球
のようなものなんじゃないかと考える。
そして導線には魂(その元となるもの?命?)が、比喩として電流が流れている。そして豆電球は光る。
我々が「自我」だとか「心」だとか呼んでいるものは、その「光っている」という現象そのものなんじゃないかと考える。
豆電球が壊れると(つまり死ぬと)光(自我)は消える。でも電流(魂)は流れ続け新しい光を生み出す。
死んだら、この光「俺」を発生させていた豆電球は壊れ、もう二度とこの自我が発生することは無いと思う
「俺」を発生させていた体は、これ一つだから。
でも生まれ変わりはあると考える。(俺の考えでは常に生まれ変わっていることになるけど)
ま、魂が有るとしての妄想だけど
自我について考えてみる
この体が細胞やら何やらの複合体であり、刻々と変化していくものなら
魂だって(もしくは自我だって)何かの複合体であり、刻々と変化していくものだとしても不思議は無い
ただ自我というのは生まれてから今日まで別のものに変わったという気がしないから
(確証はないけど、ちょっと前までは別の人間の別の意識だったとは考え辛いし。)
きっと魂と体が有って結果として生み出される現象なんだろう
(結局自我と言うものを説明するとき魂があると便利なんだよな)
だからあらゆる物質に(例えば自分のものと思っている腕や足も)自我は潜在しているんじゃないかと考える。
魂じゃなくとも自我を発生させる何かは確実に存在していると思う。
(その正体が電子だったら良いなとか考えてる:PCに自我が芽生えているという妄想のため)
今気付いたけどあんまり死についての話じゃなくなってるな
長いけど誰か感想たのむ
394 :
393:2006/05/01(月) 17:15:44
ちなみに自我を芽生えさせているのはやっぱり脳のような記憶装置だと思う。
だから
>だからあらゆる物質に(例えば自分のものと思っている腕や足も)自我は潜在しているんじゃないかと考える。
の部分は腕や足が自我を持っていると言う意味ではなく、あくまでもその要素を持っていると言う意味で捉えて欲しい。
395 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 19:02:09
死には
カタカナで
タ
と
ヒ
が
入っているよ
396 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:24:11
魂の概念が存在しなかったらそれを信じるか?
なぜ魂を信じてchya&(0を信じないのか?
よくわかんなくなってきた
397 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:28:22
死ぬなんて、童貞を捨てるようなもんだ。
そうなる前は、いろいろ心配して気を揉むが
そのときが来れば、どうってことは無い。
誰でも通る通過点だ。
398 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:36:39
地球に在るすべての生物の根源を1とするならばまだ死んだ事
もないし、これからも死なない。
>>397 本当に通過点か?
終着点ではないか?
どうも中島の本を読んでいるとこう思うのだが。
400 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 05:06:24
希死念慮
暫くは戦い続ける
ふと、死ぬ事もあるかもしれない
その時はごめんなさいとありがとう、その二つだ。
生きている限り何かと戦い続ける
私の場合はそれが自分なのかもしれない
いや、皆常に自分と戦っているんだ
余裕は無いように見えてある
401 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 05:23:18
「死」は知覚できないから「無い」
あるとしたら「変化」だ
経験が思い出になり
思い出は振り返る度に変化する
402 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 07:37:37
まじめに議論するにはまだまだ未知すぎるな。
人生最後のお楽しみって事で。
403 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 11:56:47
人生最後のお楽しみ〜
404 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 14:15:39
言葉を捨てろ。
言葉を使わずに考えてみろ。
そしたら生死の対立なんて
どこにもなかったんだと気づく。
405 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 15:00:46
>>404 「人間は不幸だ
言葉など作らなければ矛盾など生まれなかったのに」
って事か
意識っていうのが100%脳活動の産物であると仮定すると、
人間からみて脳活動が停止するっていうことは、実際には
脳(であったもの)が別の活動を開始するということに他ならない
それは、人間からは腐敗だとか焼却とかであっても、
自然界全体でみれば立派な活動であるといえる
だから、意識の形式は違うし、活動形態も変わるけど、
それでも意識は残るのかもしれない
死ってなんでしょうね?
考えないよりは考えたほうが良いと思う
だって死そのものが存在しなければ(感じなければ)
生も感じることができないでしょ?多分
だから死を考えることは生き方を考えることになるわけだよね
生き方は考えないより考えたほうが良いよね
408 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 09:18:58
死=生の終わり
ただそれだけ。
「シャットダウン」ですよ。
409 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 20:26:09
世界中の人が130年たったら、今生きている人全員が死んでいるわけでしょう。
410 :
考える名無しさん:2006/05/26(金) 20:27:01
パソコンとか医療技術とかありえない速度で発達しているんだし、
しなない研究にもう少し膨大な予算をつかってもいい気がするけど
なぜか死を選ぶんだよな・・
死ぬのはいつも他人。
「自分の死」は他人から見た「私の死」としてしか表象できない。
412 :
YY:2006/06/16(金) 08:00:19
ある意味私達に死はないと言えるだろう。恐らく死んでも自分自身が死んだことには気付けないだろうから。眠ることとさして変わらないだろう。
414 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 10:05:38
1、空間全てに座標をつけて電波の世界を作る。大きさの制限は無いに等しい。
2、管理する者がいる事。
3、直接脳に作用する装置で生命が停止と同時に作動する。
4、その世界には、生前登録した者しか行けず好きな姿、形で行動でき記憶もある。
5、そこは共存している世界で装置のついている人が皆いる。
人類全てがいずれ地球と滅びる。
人間の脳は一瞬という時間を無限に意識できる力があるはず。
つまり無限に生きる事が出来る。
種の最終生き残りの手段はこれですよ・・多分開発できるよ。
415 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 11:25:14
死んだら無になるか、転生するか、霊界に行くか、知りたいが、確実に死んで生き返った人っていないから分からんな。
416 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 12:40:32
「砂上の楼閣」論、乙
417 :
考える名無しさん:2006/06/16(金) 15:10:05
他人の死=活動が止まる。動かなくなっちゃた(´・ω・`)
自分の死=他人の死から推測→活動停止の後がどうなるのか全くわからない。凄く怖い(´・ω・`)
418 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 17:04:10
死はこの世で唯一の絶対
419 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 17:16:40
哲学版の本命スレですね。
1〜読んでみましたが哲学学んでる人がいてちょっと嬉しくなりました。
ハイデガーに傾倒している俺ですがみなさまよろしく。
420 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 17:51:10
>ぴかぁ〜さんが唯一まともだったんだがやはり誰も理解してくれないか…。
ハイデガー「存在と時間」が出た時誰も理解してくれなくて
ウィトゲンシュタインだけは理解してくれたといいますし。
さてこれ以上の発展はなさそうなんで他へ移動します。
421 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 18:28:00
>>412 気づけないから死は無いというの???気づけなくなる状態になるから
死かと
422 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 18:31:34
>>414 ものすごいわかりにくいけど、未来の技術なんて今できないよ
今生きている人ができる方法でないと
>>415 死んだら無だよ。自分が生まれる前の世界があってまったく記憶がないわけだし。
人間が発生して脳が出来上がり意識が出来上がる。脳が古くなって死ぬからその
電気刺激のネットワークは破壊されて無になる。
他の生物は知能が低いけど人間は知能が高く進化してしまって脳のネットワークが意識
というか自覚を持つようになってしまった。
木にりんごがなって、秋になってかれて地面におちる。あのりんご1つ1つに意識があって
人間と同じ知能があった場合を考えると、死んだら無と言うことがわかるし、死に意味が無い
というのもわかる。ただの生命の限界なだけ
423 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 18:35:07
>>417 活動がとまる→脳の電気ネットワークがなくなる
→意識が発生しようがないからその人の意識は2度とこの世界に復活
することはないだろう。 縄文時代の人間の意識が2000年経ってもまったく
復活して無い様に、2度とこの宇宙に現れることは無い・・
今のままだとね。
ただこれを回避するために外国人がいろいろなことを考えていて体を保存しておけば
未来で復活できると考えて、遺体を保存している人がいる。体を保存しておけばみらいで
細胞を若返らせれば、また脳に電気が通って意識が復活し、生き返ることができるからね。
グーグルで クライオニクス で検索するとたくさんHPでてくるから30くらい読んでみたら
いいでしょう。読むといまは保存費0円で遺体を保管できるカプセル見たいのができあがってる
みたい。外国人は高いので頭部だけ残している人が多い。
424 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 18:40:39
死を回避できる方法についていろいろ考えていておもいついたけど、
それが クライオニクス で検索するとほとんど同じことが書いてあった。
小さいロボットでDNAを治して蘇生するとか、ほとんど全部同じ・・
でも自分は人間の意識をロボットに移す方法まで考え抜いた。
これはまだだれも考えてないでしょう。↓
人間の脳をガンでおかされて、左脳・右脳を取るひとがいる。その人は意識が
そのままで片方の脳をとることができる。つまり脳が多少なくなっても意識がそのまま
ということ。
自分とまったくそっくりの脳をつくって、細胞1つ1つ移植していったら、意識はそのままで
ロボットのうになることができる。ロボット脳なら永久に生きることができるし脳を
小型化することだってできる。小さいチップ1mm1mmに何億人の意識をいれることだって
可能になる。
未来まで遺体を保存し、生き返らせ、場所が邪魔なので、意識をロボットに移す手術を
うけて、 ネットのようなバーチャルな世界でいきるんでしょうな。全員肉体もつと何千億人
になるので、地球がパンクでしょうし、資源も大量に消費しますからね
425 :
考える名無しさん:2006/06/17(土) 18:45:41
バーチャルで生きるといっても、外にでたかったらレンタルでロボットを
かりてそのロボットに意識をうつすか通信をしてろぼっとを操縦し
外にでることはできるよ・・ 全員がいっぺんにでると、邪魔なので。
そして大きさもハエサイズとか小さいのに人間の意識を移すことができる。
人間の小型化ですな
夢のある道楽だな。
427 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 09:26:12
414です。
425の事とほぼ同じ事です。
428 :
考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:01:02
>>427 地球が太陽に飲み込まれる前に科学技術を発達させるしかないでしょう。
そして、人間の意識はロボットに移すことが可能。
ロボットに移せるから宇宙空間でも酸素なしで生きることが
できるようになる。
意識を移している映画とか、漫画とか読んだためしがないです。
あるのは、人間とまったくそっくりのコピー人間。
ガンで脳がおかされ右脳・左脳どちらかをとる手術をする人がいる。そういう人
は手術の最中に話しながらとることが可能。
そして、脳梗塞で脳の一部がなくなっても人間はいきていられるし、小さい脳梗塞だと
脳梗塞になったのすら気づいていない人が多い。
つまりその人とまったくそっくりのロボット脳をつくり、1つ1つ細胞をロボット細胞に
入れ替えしていったら、意識はそのままなのにいつの間にか、脳がロボットになることが
できるでしょう。
こういう意識をロボットに移せるということを言っているのを見たことが無いだけあって
こういう現実的な空想をしたのは自分が世界初なんだろうか。
429 :
考える名無しさん :2006/06/29(木) 01:16:16
生きるってナンですか?
430 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 01:17:39
431 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 01:47:46
人間を上から見ている者がいて、
そいつが人間を適当に殺しているのかも。
地球に人間を入れて、
人間は子供を産むからどんどん増えていく。
減らす為に殺す。
虫も増え続けたらイヤだから殺すように、
そいつも人間に寿命を付けて古い者は消えるようにしている。
生きて、色んなものに触れて色んなも人に出会ったのに、
なぜ死ななきゃいけないの?
人間を支配している者がそうしむけてしまったから仕方がない。
支配者が都合の良いものを作った、
それが科学。
科学で人間は納得する、受け入れざるを得ない。
肉体が腐敗するのも、
物理も、
人間に限界があって決まりが出来てしまっている。
科学は生まれたときからあって否定できないし。
やっぱり人間は、虫けらのようなものなのかな?
432 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 16:00:17
生と死において人間と虫けらは同じだと思う。
434 :
& ◆Lah92TarB2 :2006/06/29(木) 19:16:50
死を覚悟して生きたらもっと充実できるでしょうか?
435 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 19:30:50
>>424 >人間の脳をガンでおかされて、左脳・右脳を取るひとがいる。その人は意識が
そのままで片方の脳をとることができる。つまり脳が多少なくなっても意識がそのまま
ということ。
脳のことをもう少し学びなさい。脳を味噌の固まりか何かのようなものと思っているだろ。
脳には各々の領域で役割が違うんだ、切除できるところとできないところがある。
攻殻機動隊という漫画かアニメを見なさい。勉強になるから。
436 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 19:33:40
>>434 間違ってもハイデガー『存在と時間』に答えを求めないように。
サルトル『存在と無』がおすすめです。
読書案内でした。
437 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 20:14:24
431さん、意見するつもりはさらさらないが、古い者は消える、、とゆうのは
どうなんですか?消えてますか?この国。
438 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 22:15:29
>>435 削除できないところでも細胞1つ1つだと問題があまりないような・・
439 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 23:13:40
そして脳の電気ネットワークはレイコンマ何秒単位でおそらく
うごいているでしょうから 0.0001秒くらいでロボット細胞と
脳細胞の1つを入れ替えてしまえば、いいのかと。
ちょうど電気が途切れた瞬間を見計らって入れ替える
440 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 15:45:13
>>439 入れ替える、っておい、味噌じゃないんだから。同じ所に置きなおしたって
機能するわけじゃないんだぞ。ちゃんとネットワークをつながなきゃならないんだ。
百歩譲って入れ替えられたとしよう。
その入れ替える人工細胞はちゃんと分解=細胞死するんだよね?
そうじゃなきゃ思考はできないんだから。
ってことで、やっぱり死ぬんじゃん。
441 :
考える名無しさん:2006/06/30(金) 16:41:23
442 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:53:15
443 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 08:22:57
>>441 新たに脳細胞が作られるのも知らない?成人したら脳細胞は死滅するのみとかの考えの時代遅れの人とかじゃないですよね?
444 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 12:14:11
>>443 おやおや。よく知りもしない聞きかじり知識をさらしなさんな。
再生するのは脳のどの領野の細胞ですか?
445 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 12:21:27
446 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 12:23:23
脳は一様な塊じゃないんだよ。
447 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:18:26
死ぬってのは、ヒトや動物―個体としての活動停止のことだと思ってる。
それで、死後の観念なんだけど死んだら魂は存在しないんじゃないかな。
簡単に書き下してみたけれど、なかなか言いたいことが伝えられない歯痒さが残る
448 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:50:07
>>447 死後の観念?
1,死後はどうなるのかということについての考え
2,主体に帰属させられる観念が死後どうなるのか
どっちの意味かね。
その歯痒さは、言葉を整理して使えないことに起因していると思われます。
449 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 22:34:17
>>442 今の意識はロボットに行くだけなので死なないけど。肉体は死ぬけど
意識は行き続ける。
>>444 いま確認されているのは、海馬のあたりだと思ったけど。
ガンの薬で、あたらしくできた細胞のみを光らせるというものがあって
それをつかっていて、脳をみたら脳で光る細胞があることが発見されて
細胞が増えると言うのがわかった。
>>443 そういうのもできるロボット細胞。
>>447 人間が生まれて脳があるからそこに電流がながれて意識が発生する。
そして死んだら電流が流れなくなるから、死ぬとなる。 脳があってそこに
発生した電流に過ぎない。 二度と同じ意識は復活し無いでしょう
450 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 22:35:45
人間つくられる→脳に電流がながれる→成長すると大人の意識が
発生する→人間の体は老化で生きるのがむり→体が死ぬから脳も
維持できなくなり→電気をとおしていた物体がなくなるから意識もなくなる
→死
451 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:06:00
>>450の死体は月曜日の清掃車に
生ゴミとして出しましょう
452 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:08:26
>>444 脳の再生が当時の技術では発見出来なかった事から、脳解剖学者のカハール博士が「成人してからは脳細胞は分裂しないようだ」と言ったのを、疑ってはいけない事は暗黙の了解になったわけ。
最近の実験ではそれが誤りというのがわかった。
んでそれは
>>449が書いてくれてるね。
453 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:53:51
もし永遠に生き続けたらと考えると言いようのない恐怖を感じるんですが
これは何に対する恐怖なんでしょう?
454 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:56:01
>>453 永久にいきられても、宇宙収縮とか、太陽に飲み込まれるとか
いろいろあるからそのままではいきられない。
455 :
考える名無しさん:2006/07/01(土) 23:57:47
であるから、人間の脳をつくるとそこに自分たちと同じようないしきが発生する
わけです。 死ぬのに意味があるのかとか考えてもただ、脳がふるくなって
電流を維持できないわけで、特に意味はありません。 技術を発達させて
永久に生きられるようにしてもいいわけですし、わざわざ死ぬことはないかと
456 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:03:15
>>454 いや、永遠に生き続けること自体への恐怖というか虚無感の事です
457 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:24:10
>>456 お金持ちになったりして働かなくなると自殺する人が増えるらしい。
人間は何もしなくなるといろいろ思考をめぐらすようになって考えないこと
まで考えるようになる。 おそらくそれの一種でしょうね。
逆に言うとすごいものを考え出したりするのもこういうすごい暇を
もっている人たち。歴史のすごいことを考え出した人は王様から年金を
もらって生活のことを何にも考えなくていい状態におかれて研究に没頭し考え出した。
458 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:28:37
>>449 本当に海馬で起こるんだな?どこの細胞が再生されるかは最重要事項だぞ。
俺が知ってるのは「脳の奥(奥とだけ書かれてた)で再生され大脳新皮質に移動することが確認された」
ってのだけだぞ。
他人の脳を移植されたら自分じゃなくなるのはあたりまえだよな、
半分でもダメだろうな。どのくらいならいいのか、
つまり、一度に入れかえる量が問題なんだよな?
ロボット細胞でもクローン細胞でもいいから作ったとしてよ、
人格の同一性を損なわない程度に少しずつ入れ替えていく、
途方もない技術だとは思う、遺伝子のスイッチを制御するくらい
途方もないことだとは思うが、仮にそれができたとして、
問題は「人格の同一性を損なわない」ためにはなにを守らなければならないか、だ。
大脳新皮質なんて別にどうでもいい部分なんだよ。
大事なのはおそらく海馬だ。本当に海馬自体は再生された細胞で代わりができるのか?
>>450 体の健康が脳の機能を支えてるわけじゃないよ。
アルツハイマーって知ってるか?
459 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 00:42:46
新しくつくられた細胞が海馬で発見されているのは確認されている、が、
これは必ずしも海馬が再生したことを意味しない。
再生した細胞がどこで使われるのかが問題だ。
ちなみに、脳細胞には部分的には死んでもらわなければならないよ。
思考すらできないからね。
460 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 01:50:42
461 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 05:27:50
なぜ?死に対し恐怖心があるのだろう?
しかし死ぬのが怖くなかったとして不安は解消されるか?
462 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 07:50:08
二週間くらいの記憶は海馬にたくわえられてそのご大脳新皮質にいれら
長期記憶となる
463 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 07:58:27
長期記憶にならない場合もある。
464 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:32:30
細胞分裂するようなロボットの細胞にすればOkdesyou
465 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:35:22
>>464 細胞分裂するにはなにか素材が必要なわけですが、それはどこから
得るのでしょう。
466 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:37:44
467 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:43:04
>>465 全ての鍵は生命です。バクテリアです。
人はバクテリアを生き物として扱わないので物扱いです。
世界には、空気を吸うだけで体内バクテリアにより窒素を分解し、食べることなく生きている人達がいます。
バクテリアは物です。
468 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:56:55
脳細胞はいくつになっても増えることが証明されたのです。では、脳細胞を増やすにはどうすればいいのか。まず、身体を動かすこと。第二に外に出ること。引きこもりはダメです。
死後も続く意識なんてものがあるのかどうかは知らないが
ただひとつ確かなことは死は人知を超えていて
それについて思い巡らすことはできても
本当のことは誰もわからないということだな。
当たり前のことだけど。
470 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 13:40:18
>>465 シリコンを食べればいいんだよ。消化してロボット脳細胞の素材として使うんだよ。
まだ、そんな無いものに為に戦ってるのかw
472 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 15:28:34
てろめあてろめああぽぽぽぽー
473 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 15:38:04
若い頃、死は恐怖、暗黒、絶望だった。
死の克服に六年以上かかった。ある時自分をとりまく広大な
無意識的自己を感得した。それが神か仏かは知らない。
今や死は、安寧、光明、歓喜だ。
474 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 15:45:30
生きるってすばらしい!
471
???
476 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:54:47
>>469 死後の世界が発見されるまでは、死んだら無。
477 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 21:56:07
アメリカ人とかはきちんと死について考えているから、きちんと答えを出し、
死んだら遺体を凍結保存とか、ヤッテイル人がいる。
未来で復活を望むと言うのが一番の答えでしょうね
478 :
考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:37:20
>>436 近所の本屋まわったけど置いてなかったから
注文してきたよ
上下巻で7000千いくらするのね
479 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 00:15:34
自分の死に興味をもたないものが一番強い。
480 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 09:10:44
>>487 君が何歳なのかはわからないが、君の人生にとって大きな意味をもつだろう。
481 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 14:48:48
471
それはあくまで便宜的な話であって
実際には分からないと思うが。
別に信じてるわけじゃないけど
幽霊とか死後の意識なんてものは
存在しないと思いつつも、完全な否定はできないものだと思う
中学時代、物理系の人間に俺が「人が死んだらどうなる?」と聞いたら
「はぁ?死んだら終わりだろうが」
「じゃあ、死んだ後の意識はどうなるの?」
「何も無いよ」
今でも鮮明に映し出されるとても印象的なやりとり。
483 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 15:02:38
476だった。
それにしても、完全肯定も完全否定もできない事柄について
延々と論争することは実益はあるのだろうか?
484 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 16:01:50
自分は死んでおくべきだったと今頃分かった。生まれてきた事も罪。
485 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 18:04:41
なぜ過去形なのか。「死んでおくべきだった」と「死ぬべきだ」の差異を
考えることには意味があると思うよ。少なくともそれが分かるまでは死ぬな。
486 :
考える名無しさん:2006/07/03(月) 19:10:00
年間3万人自殺して100万人が普通に死んでいる。
生きては死にまた生まれては死にして人類が存続・・・
死こそ真だと思うようになってきた
何億歳も生きれるようになってもそこに何もないから
488 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 11:41:59
>>486 生きては死にまた生まれては死に、って輪廻?
人類という一個の存在があるという考え方?
混乱してるんじゃない?
>>487 「真」ってなんだよ。
ここの住人はつまらん教育の後社会に放り出されて
自分の価値を認識できない人たちばかりだな。
自分は尊いのだよ
君たちの考えではホームレスを超えられないぞ!
490 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 22:07:59
>>488 輪廻でなくて 「人類」と言う名のバトンを死でリレーしているわけ
491 :
考える名無しさん:2006/07/04(火) 22:31:34
>>490 やだよ、気持ちわるい。俺は参加しないよ。
492 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:07:14
死後、どっやって意識が存続できるのか、
説明できるものなら説明してもらいたいですね。
493 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 04:08:35
↑ぶっちゃけ説明したくても説明できん
言葉を超越した世界なの
まっいつかは遅かれ早かれ誰もが逝ける世界だから
乞御期待くださしゝ
ネ申より
494 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 05:03:54
↑プッ
495 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 07:39:02
死よりも睡眠がより身近な課題。
全身麻酔も問題。
睡眠薬に負ける意思は大問題。
もし死後の世界があるとしても意識が継続するわけなかろう
脳が意識を作ってるんだから、脳死したらなんもなくなるでしょ
輪廻があるとしても、じゃあなんで前世の記憶がないのか?
俺らが生まれてきたのは偶然だし、死んだらなんもなくなるよ
497 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 23:50:56
死について現代哲学はどういうアプローチをしているんだろうね。
分析哲学とかさ。論文、書籍を知っているかたは教えてください。
498 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 01:39:48
>>491 全員で、参加しているんだけど
死後の世界なんてないんで。確認されて無いものは無いと認識するのが普通。
499 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 09:36:33
>>498 人類、なんてのも無いだろうよ。気持ち悪いな。
500 :
考える名無しさん:2006/07/06(木) 11:41:56
>>498 人類であるまえに類人猿なんですが、
なぜ類人猿のバトンをつなぐのではなく人類のバトンをつなぐのですか?
というか、それ以前に脊椎動物だったりするのですが。
人類は魂をもっているから特別?
魂、なんて確認されてないものは無いと認識するのが普通ですよね。
501 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 00:15:58
>>436 ついに本日『存在と無』上下巻を購入してきますた。
上巻7600円、下巻7600円もしました。
毎晩すこしづつ、ゆっくりと読みます。
502 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 22:03:43
>>496 >もし死後の世界があるとしても意識が継続するわけなかろう
>脳が意識を作ってるんだから、脳死したらなんもなくなるでしょ
>輪廻があるとしても、じゃあなんで前世の記憶がないのか?
>俺らが生まれてきたのは偶然だし、死んだらなんもなくなるよ
死後の世界を自分は見ることもないし、知ることもない。
ただし、生まれてくるという現象は偶然の所作ではないことも確かだ。
お父さんとお母さんがいて生まれてくるわけだからね。
誕生も、成長も、成熟も、老衰も、すべては偶然によるものではなく、
必ず原因があり、さらにそれにともない結果がある。
だから死んだ瞬間に宇宙が無に帰すということもない。
少なくとも、他者が死んだ瞬間に宇宙が消失するということはないというのは、
誰にだって理解できることだろう。
503 :
502:2006/07/08(土) 22:26:45
さらに言うなら、
死後の世界を自分は見ることもないし知ることもないが、
あの世はない、あの世はある、
この二つの対立する見解のうちどちらを支持するかといえば、
私は「あの世はある」という見解を支持する。
そこにはこの世もあの世もないと言う人は明らかに間違っている。
504 :
四式:2006/07/08(土) 23:32:15
バーズアイで見れば人間が増えた減ったなどというのは
人間的に分かりやすく言えば皮膚上の細菌が増殖したり
消えたりするようなもの。意味は無い
でも霊長の地位を得た人間の人生は幸福過ぎて、さらには
意識が複雑すぎていささか死を受け入れがたいから、死後の物語
が必要になったので、それがその時の人間の手に届かない偉大な物
の理解と合わさり原始宗教となって魂の永遠を求めた。
前者でいう人間は所詮無意味だと大きな目で悟れば仏教となり
後者によって死を乗り越えようとすれば神道などになると思う。
中間はヒンドゥーや密教か?
死を受け入れて諦めるのも、永遠であろうと半ば負け戦を仕掛けるのも
薄情な言い方をすれば所詮地球や宇宙にとってはパレット上のカビの繁殖ほど
にどうでも良い話、人の観念など人しか気にしない。
死とはそうゆう物だと思う。
505 :
502:2006/07/09(日) 00:23:05
>>504 人間生命は無意味だなんて仏教経典のどこに書いてあるの?
生前のブッダがどのように語り伝えられていたのかをご存知か?
「善なるゴータマの名声は広まっていた:祝福された者は完璧で、
正しく悟り、知識と品行を授けられていて、立派で、世をよく知る者で、
飼い馴らされるべき者達にとっては比類の無い馴らし手で、
神々と人類の教師であり、目覚め祝福されていると。
この神々と人類の世界、そのマーラ達や、ブラーマ達や、
隠遁者達とブラフミン達の社会や、神々や人類と皆一緒にある世界で、
彼は彼自身によって知り実現したという教えを明らかにしていると。
それは始まりから、途中、終わりまで優れていて、
それが文字になろうとも意味が満たされていて、
純粋で完全な聖なる命を示すものであると」
>>504 >>人間的に分かりやすく言えば皮膚上の細菌が増殖したり
>>消えたりするようなもの。意味は無い
(意味)って何ですか?
>>505 よくわかりませんでした
貴方の方で解かり易い形にしてほしいです。
>>505 仏陀は善でもなく、悪でもなく。
優れていないし、劣っても居ない。
全でもなく、個でもない。
現われ尽くしていて、何処にも無い。
我々に写るのは自身を中継した幻影だったりとか?
509 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 02:11:23
同席対面五百生
今こうしてレスするのも何かの縁です。
510 :
四式:2006/07/09(日) 06:13:49
>>505 仏教経典から推察した仏教感というより
俺が推察するのは四法印による仏教感だな。
諸行無常
涅槃寂静 一切皆苦
諸法無我
諸法無我印、諸行無常印があるのだから、仏陀が自身を優れた聖なる教えを
説いているとは考えていないと思われ。ただ虚しくこの世のものの空虚を
悟って涅槃だと言っているんじゃないか?
少なくとも仏陀は何かを統べるリーダーじゃないだろ、一切合切に絶望し
苦を説いて常なるものは何も無いと言うわけで。その仏教経典の出典はどこよ?
511 :
四式:2006/07/09(日) 06:49:47
まあ人間は長期的には皆死ぬと無意味を受け入れるより
競争し闘争しながら他の人間より少しでも上に行き、出来れば歴史に
名を残そうという野心を持って儚い夢を追い続ける生き物。
今一瞬たりとも常なる物があり、法を我が物とし、相対的な幸福を感じ、
意識を高ぶらせ高揚によって生きる実感を感じたいとするのが人間。
人間の生は何が良いとも知らないが全ての人間の行い関係なしに
ただ涅槃にいながらオチしているという冷えて澄み渡る感じが俺の仏教感だな。
まあ何が正しい仏教かなんていうどうでも良いものは俺は知らん
信念なんてものは人間の意識にとって代え難い物であったとしても
地球の歴史や宇宙の歴史を1歳と例えてみれば0.1秒にも満たない満足でしかない。
512 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 13:01:59
私は、神様の存在は信じない。何故なら、立派な人や、罪のない子供が死ぬ事が多すぎるから。
死んだらどうなるかなんて、誰にも分からない。
結局、私達に出来るのは、どう生きるのか?を考える事のみ…。 私は、それでいいと思う。自分が出来る事をやっていくしかないのだから。
513 :
考える名無しさん:2006/07/10(月) 01:12:26
>>512 >死んだらどうなるかなんて、誰にも分からない。
そんなことはない。最も自明な事柄ですらありうる。意識は消え、肉体は崩壊する。
死後どうなるか分からないという考えは、死後永続する「霊魂」のようなものを
想定している。
そして、その「霊魂」はどのような世界をもつことになるのか、という問なんだよ。
514 :
考える名無しさん:2006/07/10(月) 01:34:58
キリストもブッタも人間
515 :
考える名無しさん:2006/07/10(月) 18:34:21
パチスロでお給金2週間前にして全財産315円になって誰から金借りようと悩んでる
俺様が来たわけだがorz
アイフルがオススメです
人生は空しい・・・(-ω- ) とブッタは説いたわけか
なんだ
>>517 そんなことは仏典に載ってないと思うが
出典は何?
仏教→無限は存在しない(諸行無常)
キリスト教→無限は存在する
520 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:09:17
>>516 アイフルがススメ?
フン!くそ素人が!
チワワはお亡くなりになりました。
残金4155円なり。
521 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 20:28:08
無
523 :
考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:09:00
明日哲学の試験で「死は悪か?」について論述しなければならない・・・
暇な人、これについてどうか考えを聞かせてくださいおねがいしまs
524 :
考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:25:47
俺は今死ぬ為に生きてるぞ
だから悪じゃないんじゃないか?
525 :
考える名無しさん:2006/07/25(火) 23:28:23
無理して生きても何もならねぇしさ
>>523 おまえはまだなにもわかっていないようだな
この世は異星人がつくったものだ
生命誕生の種をまいたのも彼らだ
だから当然おまえも異星人の創造物である
どうしておまえがこの世に存在するか疑問に思うだろ
それは異星人がおまえの遺伝子をほしがっているからだ
彼らにとっておまえは単なる実験道具なのだ
それ以外になんの価値もない
人間は彼らがつくり出した擬似体に過ぎない
だからいくら痛めつけようが殺そうがそれは正当行為として許されるのだ
用済みとなれば絶滅させることすら厭わない
彼らによって使い捨てにされた生命は数えきれない
死後、おまえの体内にある遺伝子情報は彼らの科学技術によって
採取されデーターバンクに保存される
そしておまえの体は腐敗した肉となり土に返る
そう 彼らの目的はただひとつ
あらゆる遺伝子データーをもとにより進化した知性体を誕生させることだ
いまの人間は何れこの地球上から姿を消すだろう
前回同様自らとの闘いに負け進化のすべを失ったのだ
つまり失敗作というわけだ
しかし彼らとて無限に生き続けるわけではない
彼らもまた違う異星人によってつくられた者たちだ
このサイクルは永久に繰り返されてゆく
すべては諸行無常の旅なのだ
527 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 00:41:22
おまえ馬鹿か?もしかして
528 :
馬鹿:2006/07/26(水) 01:00:03
彼らは遺伝子という名の設計図を細胞内に植えつけ地上にまいた
これらの細胞は後にプログラミングされた通りに自己増殖し
外界の環境に応じて姿を変えていった
生命の原初はこれらの細胞なのだ
人間を始めとするすべての動植物は変化した細胞の集合体にすぎない
あらゆる生命は偶然の産物であり細胞によって生かされているだけなのだ
つまり内在する遺伝子の命令に従って生命活動を行っている細胞以外に
本当の生命はこの世に存在しないのだ
529 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:20:47
馬鹿なのか…
530 :
馬鹿 :2006/07/26(水) 01:22:25
そうだよ細胞の塊
遺伝子は完璧な設計図だ
しかしこの設計図は非常にデリケートなため
外的環境に影響されやすく
常に正しくファンクションするとは限らない
そのため彼らは幾度も地球生態系の進化メカニズムに介入し
軌道修正を行ってきた
サルの遺伝子に手を加え二足歩行の人間へと進化させたのも彼らだ
これと同じことが人間にも起こる
選ばれた種族だけが進化の恩恵に預かりより高次な存在に引き上げられるが
それ以外は容赦なく抹殺されるのだ
人間は理想形に近いが完全ではない
人間の限界を超えた種族が将来必ず現れる
彼らは体細胞を半永久的に分裂増殖させる技術によって
数千年単位で生きてきた
しかし彼らの時間も無限ではない
彼らの目的は永久に滅びない肉体をつくり出すことだ
その実験台となっているのが人間なのだ
自殺はなぜいけないのか?
それは不自然だからだ。
遺伝子の命令?設計図?
今やその遺伝子を変えられる技術を人類は持っている。
ただ倫理的に公になされないだけだ。
そんなことも知らんのか?
普通、パイルドライバーをコンクリートできめられたら、死ぬよなあ?
536 :
考える名無しさん:2006/07/26(水) 21:37:04
人は生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まる
成長すれば誰でも一度は考える事があるかもしれない。
なのに何故、死への恐怖心が不思議と和らぐのか?
人は本当に不思議だ
537 :
鹿馬:2006/07/26(水) 23:03:15
こうゆうことを世間で一般的に議論できない風潮は
日本人の人格形成にとって不利益ですね。
なんちゃってどうも初2chです。よろしくお願いします。
自分は死について怖い、逃れたいって思っています。
死んだら、何かになるなんてことはなく、死後の世界はなく、
個人としては何もないただ無であると考えています。
ただ仏教の輪廻?なんとなく一つのエネルギーが世界を作っているのでは
とも思っていて、そのエネルギーの一部が個人の体に入っているだけで
個人は意味あってないようなものとも思っています。それは人間も虫も物?も一緒で
人間も自然の一部でただ存在するためだけにあると考えます。
ただ生きているうちが花だと思うので、自分の欲求を満たすために生きています。
死について唯一わかっていることは、
死んでからはこの世に一切関与できないという事だけ
(幽霊は、何らかの要因で例外的には存在するかもしれないけど、基本的には生じないと思う)
だから自分の人生は一度っきり。死んだら終わり。何もなくなる。
輪廻転生は信じないというか意味がない。何も覚えていないんだから。
(前世や来世は、事実かもしれないけれど、大半の人が覚えてないんだから大半の人にとって意味がない。
もちろん意味があると考える人はいるだろうし、それはそれでいいけど)
539 :
鹿馬:2006/07/27(木) 01:09:15
何も覚えていないという実体験がある以上
真実が何にしろ、死んだら終わりという考えは確かなものですね。
>何も覚えていないという実体験がある以上
>真実が何にしろ、死んだら終わりという考えは確かなものですね。
当たり前だ
人間は一個の卵細胞に過ぎなかったのだぞ
は?何言ってんの?
542 :
考える名無しさん:2006/07/27(木) 09:04:24
>>538 一切関与できないから体を冷凍保存して未来で復活するわけです。
未来だと簡単に復活できる技術ができあがっているかもしれないし。
何万年先だけどね。
もしくは、死んだらすべてがおわるので、永久に生きる方法とか
こういう冬眠技術に国家予算を膨大にぶち込んだりして
ずっといきる方法を死ぬまで探り続けるしかないでしょう。
543 :
考える名無しさん:2006/07/27(木) 12:35:00
何だか少々、脱線気味? (*´艸`*)プ〜ププップ
544 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 06:27:06
冬眠技術があったら、死の問題がほとんどなくなるわけだけど。
永久に生きられる技術が確立された未来まで寝ていればいいし。
そしてこういう技術に金をかけないから、今生きている人は120年後に
全員死んでいるわけだ。 馬鹿でしかないと思うんだが・・・
545 :
ベルゼブブ:2006/07/28(金) 09:23:05
人は何ゆえ死を恐れる?
死は美しい。
見よ、凄まじい腐臭を放って横たわり、
無数の這い蟲をたからせた屍の山を。
見よ、神の教えに背いて不善を成し、
黄銅色に染まれる下賎な骨の床を。
何故お前たちは気付かなかった?
我が名は魔王ベルゼブブ。
滅びよ。
この生きるに価せぬ卑しき畜生めら。
腐れる肉を削ぎ落とさねば、世は永遠の罪に満ちる。
滅びは美しい。
まこと醜き者は、飢えを満たすに足るより食い続け、
美食と酒に胡座をかいた人間ではないか!
546 :
おーでん(゜∀゜) ◆Xep0BCFWeI :2006/07/28(金) 15:52:40
(゜∀゜)むにょ〜ん
女神転生のやりすぎだすな。
547 :
おーでん(゜∀゜) ◆Xep0BCFWeI :2006/07/28(金) 15:54:28
(゜∀゜)むにょ〜ん
冬眠など必要ない!
ドラゴンボールがあるではないか!
548 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 15:58:49
この世に生きている者の大半は「死」が苦しい
ならば最初から生まれてこなければよかったではないか
これについてどう考える?
549 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 16:03:56
永久に生きるとか言ってる人たち
死があるからこそ生は輝くんだぜ
死を生物からとったら自殺者続出でこの世から生はなくなるな
550 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 20:24:03
死んだら今まで学んだ知識がすべてリセットされると思うと死は避けたい
生まれ変わっても知識を持ち越せるなら別だけど
551 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:15:33
ぼんくらどもが いくら考えたって死んだあとなんて分かるわけねぇんだからよ
働けや!ごちゃごちゃ言わんと!このボンクォラがァ!
552 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:48:57
ボンクラって言うのは止めようね。
確かに死んだ後は分からない。
自分の死、家族の死、知人、友人の死、他人の死、行き着く所は一緒だけど捉え方は様々。
難しいね…
553 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:36:09
もし死んだ後もまた別の人間として生まれ変わるのだとしたら
広い宇宙の片隅にある地球という星で人間という生物が輪廻転生を
繰り返している・・・
そう考えると今を生きて、いずれ死に、また生まれ・・・という
ことはかなりちっぽけな事に思えてくるけど、一人の人間として
実質1回きりの人生で、いろんな別れ、出会い(簡単に言えば生、死の
現実)を体験し、そしてやがて死ぬ・・・
結論を言うと
死というものの重大さは、考え方にもよるものであるということ
(なんかネタがずれてる気がするが・・・)
ちなみに俺の考えは、あくまで「輪廻転生」が成り立っていると仮定
した考えである。
554 :
考える名無しさん:2006/07/30(日) 01:12:20
輪廻なんて考えるのは100年前の人間だけでしょう
555 :
考える名無しさん:2006/07/30(日) 08:33:22
「死んだ後なんてわからない」というのは、ただ分かりたくないだけだろう。
死んだら人間は死体というモノになる。石や土と同じだ。
物体に意識があるはずもない。精霊信仰を認めるなら別だが。
石が砕けて砂になることに意味がないように、
死体が焼かれて灰になることにも意味などない。ただの事象だ。
556 :
考える名無しさん:2006/07/30(日) 09:15:41
別に働かなくたっていいんだよ。
死なねばならないだけ。
>>555 その理屈はおかしい。
物体に意識が存在しないなら、肉体は物体ではないと言うのか?
肉体なくして意識は成り立たないだろう。
そして意識も肉体も人間を構成する欠かせない要素だ。
558 :
考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:15:13
人称性と死の意味について皆さんはどう思いますか?
>>557 であれば、人間の精神肉体ひっくるめて人間の存在もただの事象と言っても良い。
毎晩、高校生の男2人、女2人の親友のグループが夜の学校の校庭で集まって
朝まで話をしていた。この四人はこの四人以外に友人を作らなかった。
彼らは頭が良過ぎた。子供に足りない物があり、大人になるに連れて増えるいらない知識を捨てる事が出来た。
それ故常に自分達が社会から(大人からも子供からも)隔離されている事を感じていた。彼らにしか見えない何層もの薄い壁で隔離されていた。
しかし彼らは誰一人グレなかった。誰一人不良はいなかった。社会的、外見的な面ではそれらは『不良』という枠に入ってしまうかもしれないが
それは彼らにとってとても不本意なものだった。精神的な面で言う彼らは決して『不良』ではない。
人生を常に楽しみ、人生を真正面から見ていた。少なくとも男達はそう思っていた。それに誇りすら感じていた。
九月一日、気まぐれで登校してきた男達は仲間の女二人が飛び降り自殺した事を聞く。
。理由はわからない。遺書すらなかった。
残された男二人のうち一人は、あの四人の中で1番頭が良かったので死んだ二人について考えるのをすぐに止めた。『死』について1番『何も知らない』事を知っていた。
深く考える事のリスクも知っていて、『死』という現象は人生を無意味にするほどの闇だと気付いていたからだ。
もう一人の男は四人のうち1番頭が悪かった。
彼の疑問は2つ。
まず
【自分より頭の良い彼女らが死を選ぶ日常にいる自分】について。
これは考える事が無意味だとすぐ気付き、考えるのを止めた。この時に気付くべきだった。
そして、もう一つ、考えてしまった事、
『宇宙って?』
宇宙を司る物は『無』だ。無って何か?と聞かれて答えが返って来る事は未確は認飛行物体を確認する矛盾に似ている。
無とは、を考える時答えがでないのが正解である。ここまではスムーズに考える事が出来た。
そもそも何故自分は『宇宙』について考えたのだろう。女達二人の死によって死を深く考え過ぎてしまったのだろうか。死後の話は神の聖域。深く考えてはいけなかった。
【宇宙は無。無は死。つまり宇宙は死で出来ている。】【人は宇宙になるのだろうか。または宇宙が人に】
【その宇宙さえもいずれ消えてなくなるのなら自分の存在というのは最初から…】
【宇宙がなくならないとして、それとは別に自分が死んだ後遺した意志は(例えば)五億年後等に残っているか?】
【生きてる時に誰かの記憶に残ってもらう意味は?】
四人の中で1番頭の良い男に1番頭の悪い男はある質問をしてみた。
『生きる意味って?』
在り来りで、質問した本人である彼でさえ聞いた事のある質問だと感じていたが
頭の良い方の男ならこのタイミングでのこの質問の意味はわかると確信していた。
この質問には『自分の身内には幸せになってほしい』
という当然の感情が人と同じように当たり前にあるという前提での質問だ。
しかしそんな規模の質問ではない。この質問は他の人には理解してもらえない物だ。
頭の良い方の男は勿論質問の意図を理解していた。
彼はしばらく考え、
【笑いながら首をかしげた。】
そしていつものようにダラダラしながら暑さで歪んだ通学路を帰って行った。
結局、頭の悪い男は最後まで気付けなかったが彼の二つの疑問の答えは同じだった。
生き残った二人はその後親友を作り恋人を作り結婚して寿命で死んだ。その後はどうでもいい。
563 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 09:43:46
>>559 >死んだら人間は死体というモノになる。石や土と同じだ。
>石が砕けて砂になることに意味がないように、
>死体が焼かれて灰になることにも意味などない。ただの事象だ。
>人間の精神肉体ひっくるめて人間の存在もただの事象と言っても良い。
この理屈でいくと、
人間が呼吸をし生命活動を営んでいる事も、
ただ過ぎていくだけの意味のない事象だと言っている事になるが
ひとつ聞きたいんだが、
お前にとっての「意味がない」っていったい何だ?
564 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 10:00:13
客観的にみると意味がないという意味だと想像するが、
これってトートロジーだわな。
しかしトートロジーだけに絶対的に正しくもある。
565 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 10:01:10
禅天魔
566 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:19:37
>>555 身体が精神と呼ばれるものも含めて物質だというのは認めるとして、
生きている身体と死んだ身体の区別をしていない、という意味になるな。
乱暴だな。
567 :
555:2006/08/01(火) 17:40:47
>>564 客観的にみると意味がないという意味、そうです。
>>563 客観的にみると人間の営みも意味のない事象である。これはそのとおり。
それを分かった上で主観によって人生に意味付けをするのは自由だし、
私は迷いながらもそのようにしている。
だが「死んだ後なんてわからない」としてしまうのは、
客観的に考えてしまうと人間は無意味という避けたい結論に至るために、
無意識に自己防衛しているように思える。
俺には、お前の方がよっぽど「人間は無意味」という結論を危ぶんでいるように見えるんだよなぁ。
「死んだ後なんてわからない」という言葉こそ同義反復で、
個人の主観も希望も危惧もあったもんじゃないと思うが。
個人的には、人間も事象も、存在する時点で、無意味であるという結論は矛盾していると思う。
無意味という言葉を「取るに足らない」という意味で扱っているならそれは個人の主観によるだろうが、
「意味が無い」という意味で扱ってるなら否定しよう
なぜならそれでは事物が存在し、人間が進化する必要がなかったからだ
進化という言葉自体に納得しないなら、変化という言葉を使ってもいい
これは自分自身の希望というわけではなく、単にそう考える方が無理がないと考えるからだ
569 :
555:2006/08/01(火) 19:44:10
>>568 >人間も事象も、存在する時点で、無意味であるという結論は矛盾していると思う。
これは矛盾しないと思う。ただ存在することと、存在することが意味を持つということは違う。
意味を持つためには主体が必要じゃないか?
>なぜならそれでは事物が存在し、人間が進化する必要がなかったからだ
それもただ存在した、進化したということではいけないのか?
植物が花に実をつけるとき、種を育てて次世代を育てようと意味づけているだろうか?
植物はただあるように育ち、枯れて芽吹くのではないだろうか。
その様子を眺める人間にとっては意味あることかも知れないが、草木にとって意味があるのだろうか。
主体が存在(事象)そのもの、と仮に考えてみる気にはならないだろうか。
例えば動物の、子孫を残すという行為は種の保存のため。
遺伝子レベルの話をすれば、メスはオスの質を選択し、オスはなるべくたくさん自分の遺伝子を残すようにしている。
優秀な遺伝子を残すために。
人間の感傷的な主観を除いても、動植物の進化は興味深い。
意味がないのに存在し進化するナンセンスよりも、自分にとっては余程ね。
571 :
555:2006/08/01(火) 20:56:04
進化について考えることは面白いが…
自分の遺伝子を残そうなんて意思を持っている動物は人間以外にはいない。
そもそも遺伝子という概念がないだろうから。人間以外の動物にあるのはただ「やりたい」だけと推察される。
種により魅力的に見える異性の特徴は様々だろうけど、交尾相手にはより魅力的な相手を選ぶ。
「結果として」優秀な遺伝子が残る、かも知れない。
あなたがそれをナンセンスと感じるのは自由だし、そこに正解も間違いもない。
だが例に挙げた進化という事象について意味を与えているのはやはりあなた自身の主観であり、
事象自体が意味を持っているわけではないと思う。
まぁ、別に自分が絶対正しいなんて思ってないし、何でもいいんだけどさ
進化することに意味なんてないだろう
ただ現象として存在するだけ
でもそれじゃなんか寂しいから
そこに意味を求めるのが人間
574 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:09:25
断定的に言うな
私は人間以外の動物だと判明しました。
576 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:33:07
生まれることは素晴らしき事。
同様に、生き終えることも素晴らしき事。
生と死は 等価値。 色即是空 空即是色
577 :
考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:51:52
死ぬって他の世界への入り口
578 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 09:15:04
人間をつくるとそこに電気がはしって意識ができあがる
↓
脳が老化してだめになると死ぬわけだけど脳がだめになると
電流も走らなくなるからそれで死亡
↓
死ぬ前に新しい人間をつくってまた新しい脳電流をつくるから、
人類は存続するわけ
↓
つまり人間1個人の脳電流はそれぞれきちんと最後にしょうめつするわけです。
579 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 09:15:59
ですから、脳は電流であるから、
体を冷凍しておけばみらいでその電流を復活できる技術ができあがったらまた
生き返れるというわけで 死んだら火葬するなんて、かなりアフォみたいなことですよ
580 :
考える名無しさん:2006/08/02(水) 12:39:24
冷凍冷凍とうるさい奴だな
医療系の板にでも行けよ
そうまでして生き続けたい奴そんなにいないだろうし、
そんな奴が蔓延しても困るんだよ
581 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 05:50:08
>>580 >そうまでして生き続けたい奴そんなにいないだろうし、
いないわけがないし。いないならいま全員死ねといわれたら
みんな喜んで死ぬわけ??
老化しないまま生き続けれるの?
583 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 06:23:46
>>582 未来ではテロメアをいじれるから不可能でもない
>>583 細胞一個一個のテロメアいじるの?
未来って・・・生きてないよw
585 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 11:24:05
>>581 >いないならいま全員死ねといわれたら
>みんな喜んで死ぬわけ??
バカですか?例えにもなってませんが?
天寿を悖らせ、自らを冷凍保存までして生き続けたがってることと、
天寿を全うし、他者に理不尽に生命を絶たれたくない事は全く別のことなんだよ
前者は生の亡者、後者は人としてしごく当たり前
586 :
555:2006/08/03(木) 14:15:21
>>585 その2つは別のことであるのは確かだが、そうだから
冷凍保存してまで生きたい人間が少ない、という結論には結びつかない。
冷凍保存が十万円でできるなら、そして確実性が担保されるなら、希望者は激増するはず。
587 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 14:19:57
>いないわけがないし。
>冷凍保存が十万円でできるなら、そして確実性が担保されるなら、希望者は激増するはず。
この結論にも結びつかないと思うが。
そしてレス番コテやめれ、何か意味があるのか?
588 :
555:2006/08/03(木) 15:09:47
ああすまん。専ブラなので残ってた。以後消す。
確かに激増するはずとは言えないな。激増する可能性もある、くらいにしとくか。
いずれにしてもそのことが、人としてしごく当たり前かどうかの判定要素にはならないと思うが。
589 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 22:40:24
>>584 未来まで遺体を冷凍しておけば、テロメアいじって生き返られる
かもしれないということ。
今だって昔では不可能な、マイナスの湖におちてそれで30分か2時間
たってからまた生き返った子供だっているわけだし、時代がすすむと
2006年冷凍した遺体を復活できる世界が来ないとはいいきれない
590 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 22:44:16
>>585 天寿をまっとうして死ぬのはよくて、冷凍されるのは嫌というのは
あまり頭のいい人間が少ないから実感がない。 外国産の農薬の
野菜も食べる程度の頭の人間が多数を占めているわけだし。
テロメアいじって200年寿命が延びる薬ができあがったらほとんどが飲むでしょう。
10000年延びる薬があっても同じようにほとんどの人は飲む。
であるから、冷凍しておかれたら、未来では永遠にいきられる技術ができあがっている
だろうから、その技術にかけるために冷凍される人間だって普通にいる。
でも予想以上に馬鹿が多いからそのまま火葬を選ぶのかも。
591 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 22:49:10
そして、そんなにいなくても冷凍されるかどうかを選ぶ自由を
認めるべきであるわけだ。
今の日本では認められていないわけで、認められるようにする必要がある。
未来では、遺体を生き返らせられて、永遠に生きられる技術ができあがっている
場合もあるし、 技術ができあがってない場合も考えられる。
ただ、出来上がった場合、2006年当時に遺体を凍結することに反対して火葬された人間は
ばかだなぁ と思われるのは間違いないよ・・・・・・
592 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 22:52:24
>>587 数十万で凍結できるなら、 完全に復活不可能な火葬にされてそのまま宇宙から
消滅するより、 わずかな可能性でもまた生き返る可能性にかける人がおそらく
多いということでしょう。
犯人でも 無期懲役と死刑 どちらかを選べといわれたらほとんど全部が無期を
選ぶと言っていたわけだし、普通は完全な無になるより、 可能性にかけるわけです。
無になることを選ぶ人が中にはいるというのは認めるけどね
593 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 22:56:22
2006年に生きている人はほとんど100%の確率で死ぬわけだ。
そしていたいの凍結技術の研究にどのくらい予算を投じているかと
HPとかで世界を調べてみたらたった数十億円・・・
絶対死ぬのに永久に生きる研究にお金をかけないと言うのは
何かおかしい気もするけど。 ほとんどの人間は死を棚の上にあげて
心のそこから考えることがないと癌になった人がいっていたけどそれが原因なんでしょう。
たった何年かの予算が数十億しかないならもしかすると何千億も毎年
投じていたら冬眠する技術ができあがるかもしれないわけだ。
冬眠ができあがったら、ほとんどの人間が技術が発達した未来まで冬眠される
ことを望むでしょう。 だけど今はその研究に対して興味を示さない。
>>593 こういうのよく妄想するよ。
例えば西暦3000年の時点で、不老不死が完成する。
すると、それ以降の人間の命はほぼ永遠になるが
2999年で死んだ人はそれを知ったらすげぇ悔しいよなぁ…。
595 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 12:45:38
冷凍保存 不老不死 人の生命の尊厳 世代交代 人口
上記した言葉を使ってあなたの思う死生観を自由に論じなさい
596 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 13:33:57
不老不死のやつってさ、ミンチになっても死なないの?
597 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 15:24:51
不老不死な身体っていうのはおかしいね。
形容矛盾ですらあるかも。
598 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 15:48:49
599 :
595:2006/08/04(金) 16:41:47
特に冷凍保存して生きながらえたい奴に書いて欲しいんだけど。
自分の中では筋の通った考えがあるわけでしょ?
それを聞かせてよ。
冷凍保存されてる場所が安全である保証もないでしょ
601 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 17:34:16
何を心配してるんだあんたらは?死ぬ?
本気で生きてりゃ死んでも本望だろ?
短命だろうと長生きしようと生あるうちに輝く生き方しろよ。それだけだ。
602 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 17:43:26
>>601 まだ明るいこんな時間に2ちゃんねるに書き込んでいるあなたの人生が本気で生きていて
輝いているものだとは思えませんがね。
603 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 19:05:20
素朴な常識。幸せな毎日。w
605 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 19:20:12
以前、「自殺サイト」に行ったとき、あまりにもやつらが悲惨なので、
イライラした。ある才能のある友達に頼んだら、地獄について
長い文章を書いてくれた。
「君達は自分が死ねば全て終わると思ってる?
それは違うね。生きていた間の行い、そして、死に方によって選別
されるんだよ。君達は自分の命を身勝手にも、自分で終了させる。
それは、人殺しより罪が重いんだよ。etc」
このような文章でしたが、
彼らが、少なからず目を向けるテーマだったみたい。直接反応はなかったが、
彼の書き込み以降、地獄についての書き込みが目についたので。。。
やっぱり命を軽く考えすぎるのは犯罪に値すると思う。戦争のあった時代、
まだまだ生きたいのに、若くして死ななければいけなかった人たちの無念さを
思ったとき、現代社会で、どれほどの苦しみがあったとしても、それは自分
自身の修行不足から来る苦しみ、なのではないか?と考えます。
どんなに今つらくても、見方を変えれば、いつでも人生は輝くものだと考えるけど。
鬱状態の人にいくらそう言っても理解できないだろうね。でも、死なないでいれば
いつかきっと良いことことがある。それは、まちがいない。
>>605 何をもって生きる意味とするかも問題じゃないかな?
そもそも、生とは、死とはってのもだけれど
生きているといっても、単にある集合体における化学反応の連鎖と考えれば、
死は単にその関係性の変化でしかないことになる
魂とかの概念を持ち出してくれば変わるのだろうけれど、
今度は魂とは何か、という話になってしまう
私的には、単なる化学反応だろうと思ってる
我々そのものは自己自身によって考えることが出来ないから、
精神も、周囲の環境に影響された反応に過ぎないのではないだろうかという気がしてならない
607 :
605:2006/08/04(金) 20:08:59
>>606 集合体における化学反応の連鎖って言われれば楽だね。
魂というものだけがあって、私たちたちの精神は周囲の環境に
影響されてる。でも、生活というのは、取り敢えず、やっていかないといけない。
よっぽど恵まれてなければ、仕事をしたり、日々の生活を続けていかなければ
いけない。だから、周囲の環境に影響されていようが、なかろうが、
生きていかなければならない。
魂について、あなたは、時空を超えた恋愛についてどう思う?
実際に会うこともできない、年齢も違う、一緒にはなれないけど
魂でつながった恋愛について。たとえば、このインターネットでも
可能だよ。
608 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 20:40:07
孔子曰く。
この世の事が分からないのに、あの世が分かるはずがないと。(意訳ですが)
>>607 魂の定義が不明なので何ともいえないけれど・・・
以下、何の根拠も無いチラシの裏(長文のくせに何もためになること言えてないけど・・・)
人間は周囲の影響によって精神活動を行っている(と思う)から、世界認識は個々人の概念でしかなくて、
例えば私が「赤」として知覚している色合いはある人の知覚する「青」の色合いと同じものかもしれない
それでも、言葉によって同じ「赤」で定義される
同じように、全て存在は同様に、個々人によってその知覚に大きな差があるかもしれない
ライプニッツはモナドを「各々がそれぞれの仕方で神を映し出す鏡」と言ったけど(確か・・・)、
そんな感じで、世界、その部分についても、個々に表現される
恋愛や、その他のコミュニケーションについても上の考えの延長で、
互いに互いを妄想し合っているだけの状態じゃないかと考えられる
A、B、Cの人がいて、Aが自分自身について思っているのがA'
Bの人が知覚するAはA''でしかなくて、Cの人が知覚すればA'''
それらは全て違うけれど、Aの姿であることには変わりが無い
だから永遠に繋がることは無い、個々として見る限り
けれど、全体としてみれば、互いが互いに影響し合い、密接に繋がった二つの点
時間、空間を超えてもこれに変わりは無いはず
身近であっても、遥か隔たっていても、同じ恋愛じゃないかなというのが私の考えです
610 :
605:2006/08/04(金) 21:54:47
>>609 ありがとう。ちっとも「ためにならない」ことない。大いにためになったよ!
初めて哲学サイトにおじゃましたが、結構面白かった。恋愛というのは
お互いの妄想という見方そのとおりだね。だから、直接近くに居る、知り合い
じゃなくても、地球の裏側の人でも、誰であっても会話さえできれば
成立すると思ってたけど、やっぱりそうだよね。それに、どんなに身近であっても
知ってるつもりなだけで、実際相手のことをわかってるわけじゃない。
また、いろいろ教えてください!(^^)
611 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:04:29
世の中には色々な概念があって一つの対象に対する認識が違うのは当然である
が死はどうだろうか?
死もまた人によって違うものなのか?
地獄を信じる人は地獄に行き
科学を信じる人は反応を終わるだけなのか?
なんだかダラダラと読んでたけど、やっぱし哲学科の人は難しいこと考えますねえ。
自分は法学の人間だけど、たとえば刑法や民法でいう「死」は(単純に条文の解釈の問題ですが)、「心臓停止、呼吸停止、瞳孔反射喪失があること」だけですもんね。
あんま深く考えないよね、しょせん国家政策の問題だもん。
法理学の研究者たちが、哲学科にコンプレックス持ってる理由がなんとなくわかりましたよ。
>>609 >魂の定義が不明
そうなんだよね。言い方変えれば
>>608じゃないけど
生きている人間の心が定義できないのに死んだ人間
の魂が定義できるはずもないんだよね。
個人的には養老氏の唯脳論的な考えには自己であろう
とする力が欠落してるようにも思うんだけど・・・
>>612 法学って脳死とかは除外されてるんですか?
>>613 臓器移植法においては、「死」の定義は変わります。
法規の趣旨ごとに条文の文言の解釈が変わるのは当たり前ですからね。
一部の法学者で、「二つの意味で死を定義しなければならなくなるので、三兆候説は考え直すべきだ」とか言ってる人もいるのですが、明らかに法学のイロハのわかってない人間の発言ですね。
>>614 そっか臓器移植が絡んでくると人の死と移植との折り合いを
考えなくちゃならないのか。現実的だなぁ
616 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:49:45
宇宙に向かってわずかな可能性にかけて電波飛ばして宇宙人を
探している国だってあったわけです。
わずかな出来上がる可能性にかけて、人体冬眠技術に予算を
投じてもいい気がするんだけどな。
617 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:52:28
江戸時代なら科学力はまだまだないからこんなことは考えない。
戦争中も同じように国家が滅びるからこんなことを考えている場合でなかった。
だけど今はDNAまで解明されて、そして戦争なんてなく、無駄な道路をどんどん
つくりつづけているくらいお金にあまりがあるわけです。
過去の続きでみると気がつかないけど、今と言う時は、ちょうど永遠の命に
賭けてもいいような 科学力も経済力も十分持っている。
ただ、普通に生活していると、こんなことをやるなんて思い浮かびすらしないから
行われていないと言うのが現状でしょう。 どうやって一般人に自覚させるかが問題
金で命を買うことがスタンダードには成りえないのは
やはり宗教があるから。そして無宗教を標榜する国は
日本を含めてごくわずか。
養老孟司が「死の壁」の中で、某法学者のことをトンチンカンだと笑ってましたね。
臓器移植法案の審議会において、「死者に人権はない」と言って済ませようとしたそうだ。
620 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 06:26:34
>>594 2999年の人間が死んでいるのなら、痛いも苦しいもない状態。
遺体凍結に生きている間から準備が30年くらい必要な場合だと
90歳の人はくやしがるだろうし、 初めて出来上がると
コストが高いからお金ない人は技術を得られずそのまま死んでいく。
こういう場合なら、悔しがるでしょうね
>>595 時間の流れ===============→
生−→死
生−→死
生−→死
生−→死
生−→死
生−→死
生−→死
生−→死
と言う風に新しい人間を生み出すことによって人類は存続してきた。
人類と言うのは存続しているわけだけど、1つ1つの人間に限って
みればそれぞれの意識は消滅しているわけで、 恐怖の死のバトンリレー
によって人類は存続していると言える。恐怖の死のバトンリレーは世代交代である。
人間の死というものは現在だと脳が死ぬことによって多くをとらえていて、
脳が死ぬ場合は、 体の臓器が悪くなり脳に血液を送れなくなるから死ぬ場合や
事故によって脳が破壊される場合などがある。 内臓などが癌におかされて内臓が
動かなくなり死ぬ場合、仮に別のところで血液をつくることができそれを脳に送ることが
できたら死なずにすむわけです。 血液を送る装置がないから、個人の体が悪くなると
生きられる脳まで一緒に死んでしまうと言う、現在はきわめて原始的な医療しかないのである。
>>595 昔であれば、人間が死ぬと埋葬や火葬などをして人間をそのまま葬っていた。その後
生き返る可能性はまずないだろうからね。
ただ現在は、食肉の冷凍技術などをみればわかるように、大量の冷凍が可能になり
そして冷凍の維持の技術も進んでいる。 人の生命の尊厳で考えるなら、そのまま火葬
してほとんど生き返すことが不可能な状態にするより遺体は冷凍しておくべきであろう。
戦争をなるべくしないや、救助する時など、人命を優先している現状の考えから考えても
死なない=人間の個人の意識がこの世から消えないようにする と言える訳で
その延長で考えれば、遺体は火葬せず、わずかな生き返る可能性がある冷凍にすることが
人の生命の尊厳を守ると言えるでしょう。
冷凍保存によって遺体の保存場所の問題、管理の問題が発生する。
このため遺体はなるべく管理が必要のないケースにいれることや、場所も人間が住まなく
年中低温の北極や、山の頂上、海底などに保管することがいいでしょう。
人間が不老不死になった場合、人口は限りなく増える。 そのため冷凍された人間が生き返る
場合は、人間の住む場所が宇宙にまで拡大された場合など場所的な問題が解決された
時になるでしょう。体をより小さいものするため、脳の小型化をして、
ハエや、細菌レベルまで人間を小さくすることでこの問題を解決することができるわけで
さまざまな方法が考えられるわけです。
そしてまた、生き返らせるとなると、何世代にもわたって凍結されているわけで
何千億人以上はいるでしょうから生き返らせるコストなどさまざまな問題がありそれが
すべて解決したときに生き返ることになる。
地球ができて46億年であるのに、人間が科学技術を急速に発達させたのがたった数百年で
あるから、今後の技術の伸びは予想しづらいが、 おそらく今生きている人間が
凍結されて生き返るのは数万年先になるでしょうね。
生き返ると、未来では今のネットゲームのようなバーチャル上でたくさんの人間が
動ける世界ができあがり、そこは今いるリアルとまったく同じ感覚で動けたりするわけであるから
たとえば2006年のソフトをやったら、今いる世界をもう一度体験することだってできるわけです。
>>596 不老不死であるなら、しないないんでしょう。原子レベルでなにか細工したら
ミンチになっても元に戻るとか何か技術がないと不死とは言えないですからね。
>>605 2020年にDNAのテロメアに作用する薬ができあがって
人間が長生きするようになるみたいだし、長生きすればするほど未来の技術の
恩恵を受けられる。 20年前はインターネット・携帯電話なんてかんがえられなかった
わけで、この先どのくらい発達するかなんて予想が難しい。
長く生きると、永久にいきられる技術も確立する場合もありうる
>>606 人間の脳をつくればそこに電流のようなものが発生し
その電流が意識であるから、その電流がながれようがなく
なった場合死となるんでしょう。
ですから、脳が死ぬと意識も死ぬけど、脳に変わるものがあれば
電流は維持されるわけで、意識がコンピュータの中にいれる技術が
あったら脳の死とは関係なく生きていられるわけです。
>>611 考え方はそれぞれ違い、それぞれを完全に証明はできないだろうけど
脳の中にながれる電流が復活不可能と言う場合を死と言うんでしょう。
不可能な場合は時代によって変化するから、真冬の湖に落ちた人間
を昔は死といえてもいまだとを数時間後に生き返らせることだって可能なわけです。
未来だったら、今普通にしんでも行き返すことが可能な技術があるかもしれないから
時代によって死の意味は変化するんでしょう。
>>612 今の技術の限界がそれですからね。
ただ、食肉の冷凍技術が今はあるし、未来では冷凍を生き返らせられるかもしれないので
生命の尊厳を高く考えるなら、火葬しないで全員冷凍することが、必要でしょう。
冷凍しておくことが、人間を生き返らせられる今現在の最上の策ですし。
火葬だとまず生き返ることはない。
>>618 宗教やっている人間は自分で良い悪いを考えず
すべて経典? みたいのの支持どおり動くため
ロボットと同じと言われてますがね・・
628 :
考える名無しさん:2006/08/05(土) 07:46:02
不老不死になったらシェルターに引きこもるだろうな。
万が一の事故が怖い。
3000度で焼かれて生きているような身体はないだろう。
ミンチにされて海にばらまかれたら戻りようがないしな。
629 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 02:30:13
今、日本では火葬以外みとめられていないから、冷凍されるとしたら
海外でしょう。旅行費用とか含めるとすごい額になる。
日本でできるようにならないと面倒だね
630 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 02:31:01
>>628 病気にも強いなんて まだまだ先でしょう。 不老ならありえるけど
BSEとかが300年後の発症とかするだろうし、予想もしない
病気が起きる。
631 :
吉:2006/08/06(日) 07:57:24
1950年に比べて30年も寿命が延びたのだから、この先さらに寿命が延びること
はありうる。ただしその前に科学技術の発達によって自分たちの生存そのもの
が消えないかは不明である。
人口もこの100年で30-60億と倍近く増えたようだけど、2050年には100億に到達
する。所得格差の開いたまま、あるいは拡がるままに増えればまた減り出すだ
ろう。寿命の話も同じ気がする。
第一意識が低いままで寿命が延びても、身体は老いていくのだから、社会にとって
希望となることはない。すなわちそれは個人にとっても悲しみでしかない。
632 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 11:37:09
>>630 ですな。
ということで、無菌シェルターに引きこもることになるのかな。
さて、生活はどうやって維持しようか。
633 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 13:08:16
不老長寿ならともかく、不老不死の存在になることは、ある意味怖いね。
無限に生き続けることがどれだけしんどいか。
ゴールのないマラソンを走るようなもんだよ。
命が無限だと分かってしまったら、期限を決めて行動する意味がなくなる。
やりたいことがいくらあっても、命が無限ならいつかやりたいことが尽きる。
不死になったらいつかはすべての思考・行動を停止して、動かない物体になりそうだ。
ましてや不死になっても病気や障害になるのであれば、生き地獄だ。
無限か80年かどちらかしか選べなくて、一度選んだ選択は二度と変えられないなら
ためらうことなく80年を選ぶよ。
永遠の退屈には耐えられそうも無いな
635 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 21:01:49
病気になったり障害を負う存在者が不死っていうのは設定上おかしいよ。
腕がなくなるなら首だってなくなるだろうよ。
636 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 22:27:19
不死とは絶対に死なないことだから、ミンチになっても死なないの?
なんて疑問は意味がない。ミンチになっても元に戻るか、
絶対にミンチにならない性質が備わっていないと不死ではない。
あ、ミンチになってそれぞれが生きているってこともあるのか。
気持悪いね、不死って。
人の人生は短い。だから限られた時間を一生懸命生きる。不老不死になれば、それは人間では無くなる
638 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 22:42:42
まあ戦後復興からいろいろな問題があるわけだ。アメリカの責任は重い。はっきりいって日本国内だけの問題ではないことは自明のことだろう。東アジアからインドにかけて問題の範囲は拡大されよう。
639 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:45:54
>>633 普通に無限を選ぶけど。 どんどん科学技術は発達するわけだし
面白い娯楽はできあがる。
>>631 核エネルギーの発電ができあがったり、あたらしい作物をつくる
技術ができあがれば、地球に収容できる人数も増えるわけでそこで
また人口が増えるんでしょう。 そしてレスの意味がわかりにくい
640 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:47:16
>>634 ネトゲとか脳に接続して実際に行っているようなものができあがる
だろうから、面白いだろうけど。 今だったら家買ったり車で
動くだけとか、客観的に見れば娯楽をみるとつまらないものばかり。
641 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 09:49:50
未来では冷凍された人間を復活させる技術ができあがっている
かもしれないし、 そこで復活すれば面白い娯楽もあるんでしょう。
火葬・・・・宇宙から自分の意識を完全消滅
冷凍保存・・・・宇宙から消滅するのをさけて、未来の科学技術発展にかける選択
642 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 11:50:56
>>637 どう科学的じゃないと言われようが、そう私も思う
ここは哲学板なんだから、科学的じゃなくても問題ない。
しかし「私はこう思う」で思考を止めるのは哲学的ではない。
644 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:01:09
別に思考は止めてない、つーかここでもう書いたよ
どれとは言わないけどさぁ…
645 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:16:42
>>642 人間でないならなに?
>>634 ネトゲとか勉強し放題なわけだけど。宇宙の果てについて研究したり
寿命が永遠にあるから、多岐にわたる分野の専門家になれるわけだ。いまだと
寿命が短いから 電気だけとか歴史だけとか1つしか極めれないけどね。
646 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:17:34
不老不死でなくなったらサイボーグといっしょなわけでサイボーグは
ロボットであるから、人間でないから人間でなくなるんですよ。
さてどのあたりに矛盾点があるでしょうか。
647 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:20:41
たとえば手足がない人間にロボットの手足をつけてもその人はその人だろうし、
内臓がなくなってロボット内臓をいれてもその人はその人。
そして顔もロボットにとりかえたところでその人はその人であるし、
脳内も、コンピューターにそのまま移植できてコンピュータが脳になっても
その人はその人なわけだ。
形態が変わっても人間としての意識が残っていれば人間としてあつかうんでしょう。
648 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:22:22
不老不死はロボットみないなもんだ。
一体誰だ何を生み出すだろうか。
>>643 結論出すには思考停止せんとな。w
649 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 21:54:05
650 :
考える名無しさん:2006/08/07(月) 23:32:23
不死の人を溶鉱炉に放り込んでみようよ。
651 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 07:16:31
不死ほど難しいものはないような。 原子単位で分解してもしなないわけでしょう。
できたとしてもおそらく何十万年後になるかと
652 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 09:26:28
不死は原理的に不可能かと思われます。
653 :
吉:2006/08/08(火) 12:19:24
現在ではどのような医者でも、病気はその人自身がつくりだしていることを認めています。
つまりどこかで意志Levelの選択がある。本人が無意識でいようが、それは深いところで選択されている。
長寿になる人と、短命で終わる人の生き方に違いがある以上、科学的に解明すれば、原理を発見することはたやすいかと思う。
赤ん坊が赤ん坊のまま、老人が老人のまま長生きするのは嫌だろうが、若者が若いまま長生きするとしたら、誰が不死を否定しようか。
654 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 12:35:42
「否定しようか」じゃなくて「拒否しようか」、ならまだわかるけど、
そこにあんたの言うように意志Levelの選択があるのなら、否定する人は多いと思うよ
655 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 13:44:39
不老不死は、病と老いによる死が無くなるって解釈でいいんじゃないの
首切られて生きてるとか原子分解されても復活するとかいうのは
不老不死っていうより超能力か何かの類のような…
656 :
吉:2006/08/08(火) 14:20:56
死ぬべきか、生きるべきか、それが問題である。死がただの幻想というならば(William Shakespeare)。
657 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 14:31:37
死者、つまり霊魂を今の哲学水準で考えられるとするなら、それは死者の不在を埋める。欲動としてあると思う。それは個人の内面においてもあるし、社会的にもある。死者を祭るすべてのまつりはすべてそのような欲動の結果といっていいと思う。
自分にとっての他者の死はそれでいいと思うが、問題は自分にとっての自分の死だ。
ある時点で完全に分解されて、同時に別地点に完全な形で再構築できたら、
それは死なのか、移動なのか・・・?
始点にいる自分からみれば死だと思うけれど、移動先からみれば単なるワープ、
だけれど物質的には同質の別物を使ってるからやっぱり死で、
けれど物質関係性は保たれてるから、そういう視点ではやっぱりワープでしかなくて・・・
660 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 10:19:16
>>659 おんなじ物質で、つくらないと別人。 別物質だと
いくらでも作れるからね
永遠なんてものがあったら全てを経験する事を約束されたようなものだから
結局は「飽き」が来るしかない
人間の脳を変えたり誤魔化したりしない限り
そうかなぁ…人間飽きもせず同じことばっかりやってる奴のほうが多いぞ
パチ好きはパチばっかやってるし
酒好きは酒ばっか飲んでるし
そういう感覚に訴えるものは飽きってないんじゃないかね
不老不死になったら1000年くらいラリってみるのも楽しそうだ
663 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 10:04:20
>>661 飽きは多少くるけど忘れもするからあきたら別なものやってそれにあきたら
また同じのをやりかえせばいいし。
勉強をやるとわかるけどいろんな分野があって寿命1000年あってもすべてを
習得できないだろうから、勉強は面白い
一億年が過ぎてもまだ楽しんでるとは思えない
665 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 21:03:21
そういう人こそ死んで欲しい
とか言ってみたりなんかして
667 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 00:31:29
また話題が止まってるな・・・・
短い一生 希望持って生きられる話題を...
668 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 00:58:49
自我なんて肉体のオマケだよ。肉体が死ねば自我が消えるのはあたり前田のry。
669 :
考える名無しさん:2006/08/19(土) 09:04:16
クラッカー
670 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:01:36
死亡率100%だからな。
ここにいるみんなも100年後には死んでるんだよな。
200年前に生存してた人は現在一人として生きてないんだよ。
みんな死んだんだ。
なあ、死ぬことってそんなに重要なことか?
みんな100%死ぬんだぜ?
どうでもよくないか?
おれはそんなことより
大切なことがあるよ。
しあkし、冷凍保存してあるから、少なくとも一人は死んでいるという訳ではない。
672 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:04:26
おれも死ぬし、お前も死ぬ。
タレントだって死ぬし、スポーツ選手だって死ぬ。
みんな死ぬんだ。
100%例外なくみんな死ぬ。
こんなことはなしてて楽しいの?
どうせみんな死ぬんだよ?
673 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:06:37
そんなこと気にしなくても
100年後には死んでるよ。
死んだらどこにいくかって?
どこにもいかないよ。
ただ死ぬんだ。
おれが生まれてくる前、どこにいたと思う?
どこにもいなかったよ。
しんでも同じさ。
674 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:07:58
いま生きてるよね?
でも100年後には死んでるよ。
悲しいかい?
悲しむ必要はないよ。
みんな死ぬんだから。
675 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:10:21
人は死ぬけど地球も死ぬよ。太陽だって死ぬ。
火星も天王星も海王星も死ぬんだ。
全て死ぬよ。
なにが生き残るかって?
それは時間と空間だよ。
時間と空間は死なないんだ。
676 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:12:19
おれの爺ちゃんは30年前に死んだ。
おそらくばあちゃんも20年以内に死ぬよ。
親も50年いないに死ぬだろうね。
おれも70年以内には死ぬよ。
死んだら終了だよ。終了。
677 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:13:47
この世には永遠の問いがあると言われてるよ。
そのひとつが死ぬこと。
死ぬことは悲しいことじゃないよ。
みんな死ぬんだから。
678 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 03:15:56
尾崎は死んだし、美空ひばりも死んだ。
裕次郎も死んだし、夏目雅子も死んだ。
みんな死ぬんだ。
これ以上なにを知りたいんだ?
どこから死んでいった。尾崎はもたれた背中から死んでいったのかね、
ひばりは恋の部分からかね、裕次郎は人差し指かね。まさこは腰から
かね。
どうなの?
忘れられがちだけど、死っていうのは状態だよね
生→死 への状態変化が「死ぬ」っていう変化だよね
で、生まれる前を仮に「無」って状態と定義すると、
無→生 への状態変化が「生まれる」っていう変化だから、
無→(生まれる)→生→(死ぬ)→死
っていう風に状態遷移していくことになるよね
とすると、無と死の間の相違点にこそ生の価値があって、
死によってはじめて価値付けられるように思えるのだけれど・・・微妙・・・
681 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 07:44:23
>>670 ですから死なないように永遠の命の研究をしないといけない。
研究はお金をかければかけるほどすすむから、お金を膨大に
投資するしかない。
金儲けに走って死をえらぶ人が多いんだろうけど
室町時代にいくらかねも受けたところで今の時代からみると大した
ことができていないようにしかみえない。パソコンも電気も何にもないからね。
同じように2億年先の人類から見れば2006年の金儲けなんて笑ってしまうほど
しょぼいことしかできないわけで、金儲けに走って死ぬとか あまりに間抜けにしかみえないわけだが・・・
682 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 07:45:56
金もうける→今をみると 家を買う 車を買う
程度しかできてない。 家は箱だし、車は車輪のついた移動物体にすぎない。
冷静にみればどうでもいいものでしかないわけだ。
683 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 07:48:50
ばか。人間は物欲で自らの欲動を満たすんだよ。金が無ければセックスもできないだろう。
おまえらは想像力だけのオナニーで満たされるのか?
684 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 07:52:34
ひきこもってたらアダルトビデオも借りられないし、銀行の口座も作れないだろ。
そしたらオナネタ仕入れるルートがなくなるじゃねえか。ウィニーもやっぱ危ないし。
685 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 08:00:28
兄妹がいるだろうが。
686 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 10:46:42
>>680 「無」という存在ってどこから出てきたんだろう。
宇宙がビックバンによってできたのだとしたら、その前は何があったのか。
人間だって、星だって、宇宙だって有限の存在だとしたら、
宇宙の死の後って何が残るのか。「無」という存在が「有る」のか。
ここで思考停止する。
終わりの後もわからないが、始まりの前もわからない。
誰か教えてください。
687 :
豚:2006/08/31(木) 18:59:14
「無」という存在が「有る」のか。
と、ありますが、こういう命題で考えてください。「無は存在する」
無が存在したら無ではありません。よってこの命題は矛盾です。
一般に「死ねば終わりだ」と言われますが、この「終わり」とは一体何なのか?私達が思考しえる「終わり」とは「始まり」とセットになっているはずです。しかし「死ねば終わりだ」の「終わり」は《終わり続ける》のです。(おぉ!まさしく言語の限界!)
《終わり続ける》ものを我々は思考できるでしょうか?
688 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 20:24:01
今現在自分は生きている。
今この一瞬を感じるのは、自分の身体の感覚器官がそれを感じるから、
目で見たもの、耳で聞こえたもの、肌で感じたもの全て
それが生きてるってことだと思う。
過去は記憶が関係してくる。あの時辛かったとか、あの時は楽しかったとか、
記憶の中で考えているだけだから生きているとは言わない。
今があるから過去がある。
未来は過去が関係してくる。例えば過去のいいことがあったから未来に希望が持てる
嫌なことがあったから未来が不安になる。
これもやっぱり思考の問題なので生きているとはいわない。
それじゃあ
考えることが出来たら生きているのかもしれない。
感じることが出来れば生きているのかもしれない。
689 :
688:2006/08/31(木) 20:24:52
続き
脳死は死ではないかもしれないけど、生命維持装置をはずしたら
身体の機能が止まってしまうのならそれは死んでいるんだと思う
死後の世界を考えてみる。もし死んでしまっても
魂がとどまる事が出来るなら、
その魂が何かを思ったり感じたりすることが出来れば
とどまっている間は生きているってことだと思う。
ただ肉体がないというだけ。
器を失った魂は器を求めてそこに入っていく。
それが新たな生。
それでは死が無くなるので、
器と魂が別々にあることが死。
たぶん死とは縁を切ること。あらゆる関係をたつことの出来るもの。
好きと嫌いは同義語、好きの反対は無関心
生と死は同義語、生の反対は無
どうですか?
668 669
魂がとどまることができるとしたら という仮定を持ち出した根拠は何ですか?
わからないので全く起こりえない仮定に思えます。全く起こりえないと思う根拠を示せるわけではありませんが、論を展開してるのですから、説明してもらいたいです。
全く起こりえないならば、その後議論は無意味なわけですし。
あと具体的に無とはどういう状態とお考えですか?
691 :
688:2006/09/01(金) 03:15:42
いわゆる霊として現世に残るということです。
根拠はうまく説明は出来ないですが、わたしはたまに霊というものを見るし
そういった存在を私は信じているというのが前提となってきますが。
私の考える無とは何も無いことですね。存在しないということです。
有は無にはならないと考えています。
物質は何らかの化学変化が起きると(燃えたりとかすると)違う物質になっても
その総質量は変わらない(質量保存の法則)ですね。
そうでしたら無もあらゆるものとの関係をたった状態と言えないでしょうか?
そのものの存在とすら関係をたった状態で、お考えになっている死の一番極端な場合と。
だから死≒無。
有であるはずの死とそれと相対するはずの無が類似性を持ってしまうのか?
それとももともと死は無だったのか?
そうだとしたら魂という存在は生の終了から次の生の開始までの間どうなるのか?
と考えたのですがどうお考えになりますか?
>>692 現世と冥界は違うので無とかそいういう概念を両方の世界で比較する
時点で何も理解しておらん。
694 :
692:2006/09/01(金) 12:47:55
691と693は同一人物ですか?
695 :
考える名無しさん:2006/09/01(金) 15:14:11
死は「無」い。だから死「無」ない。有が無とならない。「有無」。
696 :
693:2006/09/01(金) 16:35:17
漏れはもちろん。691ではない、たんなる釣りw
697 :
688:2006/09/01(金) 19:31:53
私は論点が、ずれているのかも知れませんが、
有=生=死 ちょっと変かもしれませんが。
死は生へ変わるための一時的な現象ぐらいに考えています。
なので有=死ではないかもしれないけど、無ではない。
無とはまったく別のもの私は無とは生も死も無い世界?と考えてます。
>そうだとしたら魂という存在は生の終了から
次の生の開始までの間どうなるのか?
あくまで私の考えですが、(現世、冥界というものがあるのか私は知らないけど)
私のただの幻覚かも知れませんが、現世には(便宜上この言葉を使わせてもらいます)
おそらく死んでからどうしていいのか分からず
迷っている魂もいると思っています。なぜかは分かりません。
そしていずれは昇天、成仏するのだと、
でもそれは無になるのではなく、新たな生になるのではと思っています。
大げさかもしれませんが死を認め、次の生を受け入れるまで魂は
悩み続けるのではと。
死について
@「器と魂が別にある状態」
A「生へ変わるための一時的現象」
B「魂は生を受け入れるまで悩み続ける」
ということを今までおっしゃってますが、ここでBは直接死についてということでおっしゃってはいませんが、@の状態であるので、Bは死んでいる状態と解釈しました。
するとAの「一時的」とBの「続ける」という記述が矛盾してるように思います。
そもそも死とはどういう状態とお考えなのでしょうか?
また「死が有でないかもしれない」とあることから、「死=有」ということは確定的な事柄ではないようですが、
それならそもそも最初におっしゃった「生と死は同義」とはどのような点で同義とお考えなのでしょうか?
さらに死と無は全く異質のものとのことですが、前に述べたような論理から、少なくとも
死⊃無
と考えるのですが、なぜ全く異質なものなのでしょうか?
俺は死は全く怖くない。
あえて怖いものがあるとすれば、それは死ぬ前の痛みぐらいだろう。
だから、ある日突然北朝鮮のテポドンが
自分の頭の真上に落ちてきて、一瞬で爆死できたら、
それはそれで喜ばしいことだとも思っている!!!!
形はどうあれ、楽に死ねたら最高だ!!!
701 :
688:2006/09/02(土) 01:08:33
>ここでBは直接死についてということでおっしゃってはいませんが、@の状態であるので、Bは死んでいる状態と解釈しました。
そうですね。ここでは死について言ってます。
>するとAの「一時的」とBの「続ける」という記述が矛盾してるように思います。
書き方がおかしかったのかもしれませんが、”悩んでいる間=一時的=死”という意味で書いていました。一時的というのは適した日本語ではないのかもしれません
>そもそも死とはどういう状態とお考えなのでしょうか?
私は、”器から魂が離れた状態(死)を認め、次の生を受け入れるまでの間”を死という状態ではないかと考えます。
ウィキペディア同義語(どうぎご、synonim)とは、発音、表記などは異なるが意味が同じである言葉のこと。同意語ともいう。
>また「死が有でないかもしれない」とあることから、「死=有」ということは確定的な事柄ではないようですが、それならそもそも
最初におっしゃった「生と死は同義」とはどのような点で同義とお考えなのでしょうか?
同義語という言い方はおかしかったですね。生も死の延長線上と私は捉えています。相反するものとは考えません。
「死が有でないかもしれない」のは、まず死は無ではないと考えます。私の中で「無とは何も無い」ということ。
なので、死には思念のようなものは存在しているのではないかと思っているので、何も無い「無」とは考えません。
確定的でないのは生の延長線上にある死もその存在は主観的で客観的には「何も無い」のでは、と、完全なる有では無いのでは?と思いましたので。
>なぜ全く異質なものなのでしょうか?
私の中では「無」とは何も無いもの。主観的であっても独立した思念を持っていると考えているので無ではないと考えます。なぜ独立した思念を持つかは
説明できませんが、霊という存在(霊=魂と考えます)を感じることの出来る人がいる以上やはりそこには何かが「有る」のではないかと考えます。
大変失礼かもしれませんが、必要以上の敬語は難しく聞こえるので普通にお願いします。
Xおっしゃって
○言って
あと、こうして議論できるのをとても快く思っています。これからも出来る限りレスしていきます。
702 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 02:51:17
丁寧な返答ありがとうございます。
敬語は・・・ちょっと不自然すぎたかもしれないです。
あなたの意見にとても興味をもち、もっと知りたいとおもったのですが、
今までこう意見を交換する中でいつの間にかただの口論っぽくなることが何回かあったので、
そうなるのはやだな・・・ってことで過剰になってしまいました。すいません。
本題に入りまして
一時的とするのは何が基準ですか?そしてもし具体的に一時的の数値が頭にあるなら教えてください。
また、「死んでからどうしていいのか分からず迷っている魂もいる」(697)
とのことですが、そうでない魂はすぐに新たな身体と結びつくのですか?
それとも、冥界に行くのでしょうか?
冥界に行くとしたらいつ新たな身体と結びつくのですか?
そして魂は自らの意志で新たな身体と結びつくのか、それとも神等の絶対者の意志か?
なにか考えがあったら聞かせてください。
魂があると思ってるのを前提にするのは信仰だな。
信仰は信じることで成り立ってるんだから、議論の対象にならないよ。
704 :
702:2006/09/02(土) 09:47:08
もちろんこの前提では論理がきちんとなりたたないことはわかってます。
だから最初に「…としたら」と断っています。
だけど703のいう事は一般的、確信可能な事柄について言えることで、死というある意味究極的事柄について語るときは不適切だと自分は思います。
今のところ死について絶対的、確定的な事は誰にもわからない以上、仮定した前提によるのは自然なことではないですか?
魂について議論しようとするとき、存在するという前提と、存在しないという前提のどちらかによらなければならないわけですが、
存在する事が示せないのと同様に、存在しない事も示すことはできません。
結局仮定を前提として議論をすすめることになるわけです。
従って仮定を前提にしたことを心に留めて、結論を受け入れるなら、死について一番妥当な議論がであると考えます。
705 :
680:2006/09/02(土) 11:38:08
何か突っ込まれてるから考えてた定義ちゃんと書いときます
流れ切ってすみません
仮定:
1.魂は存在しない、従って人生は一度きり
2.世界にははじまりも終わりも無い、従ってずっと続く
3.十分な原因があって結果が生じる、従って奇跡は無い
4.存在するものは全て何らかの影響下にあり、また何らかの影響を与える
従ってあるものの影響は連鎖し、間接的に影響を与え続ける
定義:
1.生体と死体とは異なっている
2.無とは、あるものについて、未だ直接及び間接の影響が存在していない状態をいう
3.生とは、あるものについて、直接の影響が存在している状態をいう(間接は問わない)
4.死とは、あるものについて、間接の影響のみが存在している状態をいう
※定義4について、定義1より、生体→死体への変化が先にあり、死体からの影響=間接影響
※680に書いたことの最後をもうちょっとマジメに書くと、
いかに良く、多く、自分の影響を残せるかが生の価値なんじゃないか、という意味です
706 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 13:45:24
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、
個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので、
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、
近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、
母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われ、
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
うつむいた母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、
一生懸命に勉強した。
親元を離れて新聞奨学生として大学まで進み、
いっぱしの社会人になり毎月少しばかりの仕送りもできた。
結婚もして、孫を見せてやることもできた。
そんな母が去年の暮れに病気で亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、うわごとの様にこう言った、「野球、ごめんね」。
全身が震え、出ない声を必死に振り絞り俺は答えた
「楽しかったよ・・ほんとだよ・・・ありがとう・・・・大好きだよ母ちゃん」。
707 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 17:59:50
「死は唯一、確実な未来の可能性。」とある哲学者が言ってました。死を所与のものとするからこそ生への執着が生まれ、生きる事に関心や興味を失わない限り人は生きようとする。死とは人間として生き続けようとする意志を失った時から始まるものではないかと思います。
死は世界の終わりだろ?
世界は自分を中心に回り、世界の終わりは自分の死。
魂の循環などはあったとしても残すモノがないならば自身に関係はない
ただ、死は消滅ではないんだょな
死を考えることと、死を意識することは違うよな。
ショウペンハウエルの自殺についてからの借り物なのだが、導入としてはいいと思う。
人間が死んだら、無になるのかという議論なのだ。つまり、人間はもともと生きてきた
ものであるにも拘わらず、途中で無くなってしまうという矛盾したものであるという話を
様々なことで考えられているようだ。
こういう議論は始まりから、終わりまで区別の行き届いた議論をしているから、矛盾で
あるということになっている。生と死を区別してあって、区別してあるにも拘らず、一本
であるということなのである。このような二本立ての見解に立ち、一方の議論を他方の議
論をなんと成り立たないようにさせている。しかし、一つの立場の見解はその通りのもの
であるはずであり、他方も生と死の問題を区別するはずである。これらを混合しているの
だ。
どうしてこれが自殺になるのかがよくわからんのだが、絶望ということになるのだろう。
将来が何ものにもならず、生まれる前は何ものでもなかったという絶望である。その先に
進むと、築いてきたものが無になってしまうことである。昔のことをしようにも、もう無い
ということだ。このような矛盾があって、どうしようもないので諦めるということのようだ。
これが人間の死の問題のようです。
711 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 22:23:36
「文字だけの掲示板ではもの足りない」
「アバターサイトは面倒でよくわからない」
「自分だけのキャラクターを使いたい」
というユーザーの要望をかなえてくれる、そんなサイトができました。
メタコロニー
http://www.metacolony.com/ 1. キャラクターをつくってみよう
トップページから「キャラクターをつくろう!」ページに進み性格診断を行います。
8つの質問に答え終わると、世界で一つだけのオリジナルキャラクターが出来上がります。
2. みんなの書き込みを見てみよう
各カテゴリ名をクリックすると、カードの一覧が表示されるので
気になるタイトルをクリックして書き込みを見てみましょう。
3. 自分のキャラクターで書き込みをしてみよう
キャラクターを作ってログインした状態であれば、各カードの最後には自分専用の
書き込みフォームが自動で表示されています。そこに何か一言書いてみましょう。
最初は簡単な自己紹介でかまいません。基本的な使い方はこれだけです。
一般的な掲示板を使ったことがあれば、すぐに使い方は覚えることが出来ると思います。
そして、キャラクターは書き込みをして経験値をためることによってレベルアップしていきます。
また、集めたアイテムはアイコンとして書き込みに使うことも出来ます。
他にも、書き込むことでいろいろなことが出来るようになる予定です。
世界にたった一つの自分だけのオリジナルキャラクターを作成することができるコミュニティ掲示板。
ゲーム、社会・芸能、趣味・スポーツ、仕事などさまざまなBBSが存在。
ふーん、俺は半世紀前にはこの世界には存在してなかったがな。
いずれまた、存在しなくなる。
死後に知識が持ち越せるようにするためには、どんなことを学べばいいのか。
生存中も、死後も、そういう区別に拘わらず、ずっと続くことを学びたい。
そうでないなら、いくら仕事をしても無駄になるだけだから、適当でいい。
余計なものでしかなかったということになる。
ずっと続く仕事なら、魂のかということも考えられるはずだ。
例えば、植物を育ることはいいでしょう。甘い香りのする植物を育てると
どうだその香りにつられて、別の動物もやってくるだろう。私がいなくな
ってもみなが欲しがるので、植物が残り続けるということである。つまり、
私の手を離れても、大丈夫ということが本質であると考えれる。
こういうこともあるのではないか。
一番学ぶべき知識とは、永遠なものと永遠ではないものの区別では?
死を逃れる方法を考えると、逃れる方法がまだあるという答えに達した
レベルの高い人はいないの?
死の恐怖を逃れる方法は、実践して実験しちゃったら伝えようがないし、
実践せずに空論垂れ流しててもいざ直面してどうなるか分からないし、
考えることは出来ても確信は出来ないはず
死それ自体を逃れる方法は、死の定義が曖昧だけど、
とりあえず科学的問題やら事故等の確率論的問題やら地球や宇宙の運命やら、
問題が山積み過ぎる
ラテン語の「メメント・モリ」は「死を意識せよ」だな。
718 :
688:2006/09/03(日) 12:12:52
>702
>また、「死んでからどうしていいのか分からず迷っている魂もいる」(697)
とのことですが、そうでない魂はすぐに新たな身体と結びつくのですか?
それとも、冥界に行くのでしょうか?
冥界に行くとしたらいつ新たな身体と結びつくのですか?
迷っていない魂はそのまま空いた器に入るのではと思っています。なので一時的が長い人もいれば短い人もいるのではと思っています。私の考える一時的とは魂が単体でいるときのことですね。
冥界があるのかどうかわからないけど、器と魂が融合する世界と魂のみの世界は違うのかもしれませんね。ただ天国や地獄や極楽浄土とかそういったものではないとは思いますが。
>そして魂は自らの意志で新たな身体と結びつくのか、それとも神等の絶対者の意志か?
なにか考えがあったら聞かせてください。
これは宗教的な話になるかもしれないですが、人から聞いた話しですがそうだと良いなと思ったので私もそう考えます。
魂は器に入る前からその器の情報(運命)を知ることが出来る。そのものの未来の全てを理解した上でその器に入るのだと。
例えば客観的に見ればその命の未来は決して良いものではないかもしれなし苦痛に満ちているだけかもしれないけど、自分ではないと受け入れることが出来ないと思い。入っていくのだと。
「存在するものは全て何らかの影響下にあり、また何らかの影響を与える 従ってあるものの影響は連鎖し、間接的に影響を与え続ける」
と705さんもいってますが、私も同感で、ひとつの命として誕生したのなら意味の無いものなどなく、必ず自分とは別の命に影響を与える。生に意味を求めるとするなら別の命に影響を与えることが意味でしょうか。
そうだと感じるからそこに入ることが出来るのではないかと。
生きている間に(影響を受け)次に入る命を探しているのかもしれませんね。それを「縁」というのかも
話はそれますが、縁は生と死に深くかかわっていると思います。
自分の中で死という大きなものを考えるときはほかのいろいろなものと関係してくると思うので脱線してしまうかもしれませんがすいません。
ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論』で、仮に
人の死後の永生が確かであっても、私が私である
ことの謎は何一つ解決しないというようなことを言って
いる。死を逃れてこの世界を永遠に生きる方法が
仮に見つかったとしても同じことになるだろう。
720 :
690:2006/09/03(日) 22:04:36
>718
今までしつこい質問に対応してもらいありがとうございます。
だいたいお考えの内容は理解できたつもりです。
やはり703さんの言うようにこの手の議論には曖昧な仮定を設定しなければならなかったり、
非常に難しいと思うのですが、自分的には704で言ったことも含めまして、有意義な議論ができ、
有意義な意見が聞けたと思いますので満足してます。
霊(魂)とたまに遭遇する人がいますから、
もしそれがいつか科学的に誰もが納得する形で証明できるかもしれないですね。
そしたらこの議論は前提が保証され、かなりいい線までいくのでは・・・・
とちょっと思いました。
どっちにしろ今は完璧な結論などない議題ですから、ちょくちょくこことかにきて
自分なりに考えを深めるつもりです。
とりあえず素晴らしい意見を聞けて、自分の今後にプラスになったと思いますので、そのことに感謝します。
ありがとうございました。
>>716 恐怖でなくて死から逃れる方法のこと。恐怖からのがれても
死ぬわけですし
722 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 04:01:28
生き物は死ぬんだよ。
死と向き合って生きていかなきゃいけないんだよ。
いまこそまじめに死について語ろうか。
724 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 21:56:27
・・・惜しい、と一瞬、彼は思った。いっそのこと、熱核戦争がとことんまで
行なわれて、彼がこれまでに説いてきた理論の正しさが証明されるのを見届けた
い気持ちだった。人間が何よりも死を怖れるというのはウソだ。観念の正しさが
立証されるためになら、人間は死をいとわない、と彼は思った。
ユージン・バーディック、ハーヴィー・ウィーラー作
『未確認原爆投下指令(フェイル・セイフ)』p.302 より
725 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 22:24:25
死が何かって「生」じゃないってことよ
結局、「生が何か知らなきゃな・・」ってことになるのよ
知ってっか?
726 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/07(木) 22:26:38
>725
死がなにかを知らなければ、生きることって何、という命題も成り立たないよ。
727 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 00:06:43
>>726 結局、死は体験できないのよ、想像するのみ
「死につつある」は生のうちだし、「死んだ」は感知できない
そうすると死は「生」の側から推測するしかない憶測の世界ということになる
そこへいくと「生」は今まさに感知できる、感知だらけ、感知しかないw
憶測なんて存在し得ない、いらんのよ
オマイラはそれ(生)すらわかんないんだろ?
そんなオツムで死が捉えられるかよ、タコw
だから定義するんだよ
729 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 11:03:11
>>728 では、まず「生」を定義してみろw
今目の前にぶらさがっており、じかに感知できる「生」を!
それもできずにツベコベ言ってんじゃね〜よw
730 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 12:15:00
>>729 とりあえずは、その由来はわからないが、所与のもの。
生きている間は、認識の主体、客体としての「世界」。
そして、死んだ瞬間に、世界は終わる。
731 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 12:31:59
死が、自分と他者にとって、「祝福」の対象になりえず、
逃避の手段であり、生の不在の肯定であり、
その不在がなんらかの「哀しみ」を伴う限り、
世界(人間)は、否応無く、認識の主体であり且つ客体であり続ける。
733 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:26:26
>>732 >3.生とは、あるものについて、直接の影響が存在している状態をいう
これなに? すこしは読む者の身になって書け、こらw
734 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:55:18
>>730 待て、待て、おまえが死んでも世界は終わらずに続くぞ
ためしに死んでみろ、世界は間違いなく続くから
今もこの瞬間誰かが死んでるわけだが、おまえにも俺にも世界は続いてるだろw
735 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 14:16:23
>>734 自分が死んだ後に続く「世界」とはどういうものでしょうか?
意味するもの-意味されるもの、債権-債務関係(ニーチェ)、
商品を媒体とし資本蓄積手段である抽象的存在である貨幣を用いた交換価値のやりとり、
まなざしを投げかけるもの-投げかけられる対他/対自存在としての存在(事実)間の交通、
等々の関係性一般が抜け落ちた後において、
更に継続し続けえる「世界」とは、一体どういうものなのでしょうか?
736 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 14:21:35
抽象的一般論としてではなく、
>>734さんにとって。
737 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 14:27:39
>>735 オマイの日本語はわかりにくいw
>自分が死んだ後に続く「世界」とはどういうものでしょうか?
オマイがいないだけで、オマイがいた最後の時が継続されるだけよ
「オマイが死んでも世界はなにも変わらない」・・ってことさ
オマイがいなくなるだけのこと、ほかに変化はないw
738 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 14:30:42
>737
それは私の認識の及ぶ領域を完全に超えた「絶対的な外部の世界」のことですよ。
739 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 14:31:51
740 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/09/08(金) 14:34:06
「絶対的な外部の世界」とは、言語ゲームさえ成り立たない、対象不在の領域ですよ。
741 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 22:50:48
2chも無い世界なら幸せだ。
742 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 22:55:15
そうだな自分に納得できるように、自分の生涯はすべてこれでよかったと
安心できて眠りにつくのがいいのではなかな
>>742 哲学やっているなら、死ぬに疑問を抱いてどうにかして
死なない方法はないかかんがえるべき
744 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 16:29:50
永遠に死ねないなんて恐ろしすぎる
その恐怖を受け入れたら、少しは俺の話が分かるようになるかも。
発狂するかも知れんが。
発狂することの恐怖は死ぬことの恐怖に似てるな。
恐怖どころじゃないだろう
悟ったつもりなのね
悟りとは爆発だが?
意識だけ残って、でも絶対に世界に干渉できないってのが一番恐い気がする
自分の記録が消滅していく、愛したものが滅んでいく、変化していく、
そういうのを全て眺めていて、しかも何も口出しさえ出来ないと考えると恐い
死は自分では実感出来ないんだっけ?
死なない方法考え付かないの?
752 :
考える名無しさん:2006/09/10(日) 11:04:39
生まれなきゃいいんじゃないか?
753 :
考える名無しさん:2006/09/10(日) 21:18:14
>>705世界に始まりはあると思う
なぜなら始まりのないものが続いている
訳がないから
754 :
考える名無しさん:2006/09/10(日) 21:35:47
苦しみがあってもそれから逃れられない永遠の生き地獄だな
死なないのは
755 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 10:53:58
756 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:42:30
>>753 あるある。
男と女の関係がそうだw
理由が必要なのは終わるときだわな。
757 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 21:41:18
死と魂について考えています。多分、考えて答えが出る問題じゃないと思いますが・・
死んで、魂は滅びずまた再生(生まれ変わる)するとすれば、地球上で最初に生命が生まれた
時と今を比べれば莫大にその数は増大しています。ある一定数か死んで生まれ変わるという
のなら話は分かりますが、どんどん増えているというのは新規の魂はどこから来たのでしょうか?
また、新規の魂の前世は何だったのでしょうか?
「類魂」という説明を聞いた事がありますが、死んだらいわゆる「個」としての魂は亡くなり似たり寄ったり
の性質のものとして一括りにされるのでしょうか?そんな話を真実と思って良いのでしょうか?
でも、それは江原さんが言ってた霊を形として(個として)見えると言うのと矛盾しているのではないでしょうか?
(「類魂」も江原さん達の話で聞きました・・)
>>753 それは・・・分からないんじゃないかなあ・・・
私たちが出会うのは変化だけで、本当の始まりと終わり
「無からの生成」と「無への消滅」は
未だかつて誰も見たことが無いと思う
だから、あまりにも考察のための情報が無さ過ぎる
759 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 09:59:11
世界の始まりはビックバンだとして
世界の終わりは知的生命体の全滅で世界の始まりを意識できる条件がなくなる。
いなくなった後の世界に生命がいてもいなくても世界空間は存在し続ける
>>757 とりあえず魂をどう定義するのか、定義したとしてそれは存在するのかってとこから始めてくれ
江原が言ったことが本当かどうかなんて江原にしか分からないだろ
たぶん江原にも分からないと思うけど
761 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 12:22:10
762 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 12:22:48
僕の魂の定義は気持ち
763 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 12:47:33
757マジみたいだからそうレスしたいんだが、もうちょっとまとめてくれるとわかりやすい。
・再生(リフレッシュまたはリーンカーネーション)
・新生
・類魂(PET型リサイクル?)
話題に出ているのはこの3つかな。
764 :
757:2006/09/12(火) 13:38:57
分かりずらかったかな?ゴメン・・
言ってることは簡単で、死んだら「個」としてのなにがし(魂?)かは残るのだろうか?
という事です。
お釈迦様は我執を取り去れと言っています。我=個は幻でもともと何も無い、とも
言っています。すると死んでなにかしら「個」としての魂のようなものが不滅的に残る
という事はありえないという事になります。
死ぬのが怖いと思うのは自分という、まぎれもなくココに存在する「個」が消滅してしまう、
という点では無いでしょうか?愛する人が死んでしまった場合も悲しいのは同じ点だと思います。
しかし、一方で立花隆の「臨死体験」とか読むとその体験者の殆ど全員が共通して感じているのは
死ぬのは怖くなかったという事です。その後の彼らの考え方はこの点で180度変わっています。
生きている人間は自分や愛する人の死をどうとらえるべきでしょうか?
765 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 13:45:30
魂を持った生きてる動物にしか魂は感じ取れないモノだから、
死んだ人を愛しているなら大事にしたくなるし、
存在しなくなっても、その人が残した想いが記憶に甦れば立派に魂の再現だと
思う
766 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 14:00:57
>>764 そういう話だったわけ?
死に際の開放感は脳内作用で充分説明出来ると思うが・・・立花は宇宙に行くと神がいて考え方が180度変わるとも言っているし他の切り口は出来ないんだろうw
767 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 15:31:48
宇宙に行くと神がいてwはっ、新しい宗教かなんか?そんな事書いて
売れるんだ。いいな。。。
768 :
考える名無しさん:2006/09/12(火) 15:51:43
>>767 「宇宙からの帰還」って本で、まあオレが餓鬼の頃の話だから相当昔だ。
当時心霊ブームとかあったし、それでだろ。
769 :
760:2006/09/12(火) 18:19:28
俺は唯物論者なので、あえて自分の魂を定義するとすれば
それは脳の作用によって生まれている意識であり、他人の魂は
他人の肉体にある意識だ。よって自分が死ねば無に帰すし、
他人が死んでも無に帰すと考える。
>>764 確かに個として消滅してしまうのは怖い。
でも、例えば自分の体の中で新陳代謝を繰り返している
ひとつひとつの細胞が死ぬことが怖いとは思ってもいないだろう。
同じように、地球の物質のひとつにしか過ぎない自分の肉体が
灰になって別の物体に変わるとでも思えば、個として死ぬことは
特に大したことでもないような気がする。
他者の死は怖い
そして、自分の死は待ち遠しい
771 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 00:58:31
>>766 死に際の開放感か。。。そういう風に考えてみた事なかった。
いつ死んでも良いと思ってはいても、死自体は経験できないから関係ないけど
死に際前の苦痛の程度が問題かもね。
普段、死を恐怖している人程、その反動で臨死体験といわれる作用を引き起こしやすいか?
逆に普段死んでも良いと思っているタイプは、苦痛度合いが過去最高で死に際にして
初体験だったりすると、恐怖に慄いて見る可能性もあるかな・・・。
臨死体験しない方が、楽に死ねそうだな。
772 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 13:00:45
死に臨む体験が臨死体験だろ?
内容はどうあれ臨死体験なしに死ぬことなんて出きんだろ?
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、というのが宇宙の真理だろ。
色:肉体を含む形あるもの物質すべて。
空:肉体を含む形あるもの物質すべては限界があっていずれ死んだり壊れたりする。その後の世界。
最後の「空即是色」がポイントだろう。何もないところ「空」から命「色」が生まれる。
この物質というのはいわゆる化学的な物質じゃないので念のため。
>最後の「空即是色」がポイントだろう。何もないところ「空」から命「色」が生まれる。
空とは、何も無いというものではなく、殻のように隔たりのある空を
意味する。完全な断絶では誇張だが実際は曖昧な断絶でもある入れ物の
中の空いた状態がそれである。
元になる概念を勉強してきたほうがいいなw
774 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 15:05:33
>>772 まぁ字の意味はそうだよ・・・
立花の言ってるお花畑とトンネル系の話をしてたんで、
無理に繋げないで、主張したいことだけどうぞ。
775 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 15:42:50
>殻のように隔たりのある空を 意味する。
完全な断絶では誇張だが実際は曖昧な断絶でもある入れ物の
中の空いた状態がそれである。
それは何を象徴した表現なの?
776 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 16:03:37
魂?
777 :
772:2006/09/13(水) 18:01:14
>>773 >実際は曖昧な断絶でもある入れ物=殻のような隔たり
という事だろうが、ソレって何だ?
つまり何も無いのではなく「実際は曖昧な断絶でもある入れ物=殻のような隔たり」が有ると
いうのだな?何でしょうねコレは?
俺は772で空とは、
「空:肉体を含む形あるもの物質すべては限界があっていずれ死んだり壊れたりする。その後の世界。」
と言っている。つまり「色」が滅びた後の世界が「空」、その空の状態から「色」が生まれる、というのは
読めば分かる話じゃないの?
「色」=この世の世界。「空」=「色」が滅びた後の世界。「無」=「色」も「空」も無い絶対無の世界。
この俺の概念のどこが間違っているんだ?
「世界の人口は、1分に150人、1日で20万人、1年で8千万人、増えています。
世界中で、1年に6千万人が亡くなり、1億4千万人が産まれます。」
人類史が始まってから、何人の人が産まれて死んでいったの?
今存在してる地球上65億の人間も、100年後ほぼ死んでるんだな。
今存在しない何十億人がまた新たに存在する。その繰り返し。
ていうか人間65億をつみあげたらどれくらいになるの?
地球上から人間以外のものが無くらないのは、
やっぱ死んだ人の体がリサイクルされてるからなんだよな?
今日食ったものを形成していた物質も、人類史何千年の中で、何度も誰かの体だったり、
別のものだった物質との無限の組み合わせなんだよな。
変なこと書いた。スマソ。
779 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 22:03:02
ちゃんと通院しろ
780 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 22:06:52
そんなおかしなことは書いてないだろ。
781 :
考える名無しさん:2006/09/13(水) 22:12:20
まずもらった薬飲めw
>>778 人類の歴史を例えば200万年とし、40年/世代とすると、5万世代になる。
200万年前の人口を仮に100万人、現在は50億人とすると・・・
どっかで、誰かが試算してるから、ググレ!!
783 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 00:13:20
普通のことが書いてあるようにしか見えない・・・
あるものの終わりはあるものの始まり、
あるものが滅びゆくとき、あるものはまた始まりつつある
死は終わりだけれど、始まりでもある
死体に生まれ変わり、灰に変わる
好きな人も、嫌いな人も、混ざり合って、
また人に戻ってくるかもしれない
784 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 13:49:33
>>778みたいな感性は哲学をやる上で非常に重要だと思う。
でも考えて少しでも憂鬱な気分になるのならやらない方がいいかもしれない。
785 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 14:09:49
そうだな
例えば、地球が誕生してから50億年とか宇宙ができてから130億年とか
1億年の長さを実感するには、人生100年でいちサイクルとして、
100万サイクル・・・ 文明ができてから現代まで100代もない
最長100代としても、1万も文明が発展して滅びる繰り返しができる
786 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 15:23:59
誰も無明だな、そこから抜け出てない
大事なのは死と向き合って生きていくことだよ。
いずれ死ぬということをリアルに感じながら
生活するんだよ。
死ぬまでに自分なりに消化できればそれでいいんだよ。
大事なのは自分で考えること。
分からないことがあれば調べればいい。
自分の頭で考えたことは
生活に定着するんだよ。
死と向合って生きていくことが大事なんだよw
誰でも死ぬから死ぬまで消化できるのはいいとしてだ
金と能力がないと消化する前に消化されるのが魂
790 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 16:07:51
791 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 16:24:51
消化する前に消化されたら、生活に定着しないから包括してないと思う。
792 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 16:43:04
793 :
考える名無しさん:2006/09/14(木) 16:52:38
>>792 >>788の意見では
自分の頭で考えても、調べても理解できないんじゃ生活に定着しない事を包括した
意見じゃないから、考えそのものも包括していないと思う。
おれは生まれてくる前、この世に存在しなかったんだ。
おれに子供ができるなら、その子はいまこの世に存在してないよ。
つまり、死=存在しないこと
そう思うね。
じゃあ、なにが存在するのかというと
魂、物質、意識などが考えられるね。
死んだあとも骨は残るから物質は存在することになるのかな。
そうすると意識なのかな。
意識は目に見えないから
科学することはできないな。
哲学するしかないね。
でも学問として死を体系的に理解することも難しいだろうね。
おれの無知なんだけど
哲学者で死についてある種の結論というか
死の捉え方というか消化できた人っているのかな。
いるならその本を読んでみたいね。
ですから 死ぬの前提で考えないでどうにかして死なない方法を考えた
方がいいでしょう。
796 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 01:37:32
死なない方法を考えている間に死ぬでしょう。
今も昔も最大のテーマですね。
死。
798 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 09:04:49
死は変化の一つに過ぎないよ。
ただ飛躍的に変化するので戸惑うだけ。
799 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 09:43:08
うまい
801 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 13:38:54
三途の川で呼び戻す声が聞こえてもかまわず渡りきる自信はある
802 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 14:48:11
803 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 15:30:16
>801
呼び戻す声が誰からもかからないと、意外と戻ってきてしまうのでは?
804 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 15:34:26
普通は誰かが迎えにくるのらしいけど、誰も来ない場合もあるらしいね。
そういうのはどこに行っていいのかわからずに、本人は結構悩むらしいよ。
805 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 16:18:02
呼び戻す声がかからないと、落ちるところまで落ちるか
光に向かって進みたくなるって言うから大丈夫だよ。
通常はそこで、呼び戻す声がかかって目を覚ますというパターン
806 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 16:18:58
807 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 17:22:09
なにその血美マルコのHP踏んで大丈夫なの?
808 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 21:25:43
オカルト色が濃くなってきたところで、プラズマの出番を期待する
809 :
考える名無しさん:2006/09/15(金) 22:17:54
辛いな
810 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:23:15
首吊り完遂した後って
意識はどうなるの?
無の世界?
811 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 05:05:16
どんな死に方でも意識は自覚できなくなる
812 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 10:54:22
死に方の問題だったんだwwwワロシュwww
813 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 16:33:06
なにが?
814 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 22:47:28
結局 無になるのですか?
今の段階では死を科学できないから
オカルトになっちゃいますね。
816 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 22:57:36
死後?
その時が来たら愛とお金のどちらかを選択しなければならない場合どちらを選ぶ?
818 :
考える名無しさん:2006/09/16(土) 23:28:46
違う次元のものは較べられないだろ
おまえ馬鹿なのかw
選ぶことと比べることは違うよ
でも死に際して愛も金もどうでもいいような・・・
それなら何故、お金を選んでしんで行く人が多いんだろう?
821 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:19:37
オイラは金も愛もいらねえや。
822 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:40:59
>>820 死を前にして金を取るやつは少ないだろ
自分の話をしてるのか?
823 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:52:37
六文銭のことじゃねーの。
死について考えているあいだにも死が近ずいてくることに虚しさを感じる。
825 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 14:57:06
>>820の意味が分からない。お金を選んで死ぬってどういうこと?
826 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 15:37:45
オレにとって観念的な「死」とは考えることを止めたときだな。
寝ているときはあくまで休息。
物理的な「死」ならば、上記を含んで未見の恐怖がある。
それとは裏腹に大いに興味があるのも事実。
人生最大最後の楽しみと捉えている。
827 :
826:2006/09/17(日) 15:47:13
スレ検索したらやっぱり同じ捉え方の奴いるのなw
考えてみたら自分は最期まで欲深いってことだな・・・。
どうしても他に好奇心が向くので、来世とかあの世とか魂とかはそのとき知ることが出来れば問題ない。
828 :
みぃ:2006/09/17(日) 17:47:26
終わりでしかなくて、始まりがないということ
もう一生会えないということ
それ以降何も感知できないということ
失うこと
逃げること
一番の恐怖
小さな憧れ
無の世界
実際死んだら意識が消えると思っているので、生きていたことを証明出来るのは他人になるのかなぁと思っています
詩なら他の板でどうぞ。
死後に存在証明する意味があるか、
ていうのもね
死んだ後観測不可能であれば、
死後に名が広まろうとも世界が滅びようとも関係ない
哲学板なら考えのはじめから考えて、死なない結論はないのか
と言うのも考えないと。 死ぬ100%だとまずいよ
832 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 02:22:06
死ぬのが怖いってどういう気持ちだか分からないんですけど、誰か解説してもらえますか?
死んで地獄に行くのが怖いというのはまだ分かるんですけど(でも私の場合、恐怖より好奇心が先になってしまう)
死後の世界を信じない人が死を恐れるのはなぜですか?
死後の世界がないなら「私が存在するときには死は存在せず、
死が存在するときには私は存在しない」ってことになりますよね?
833 :
826:2006/09/18(月) 09:07:31
>>832 自分の場合だけど、思考停止が怖い。
こう考えている自己(自我)が消えてしまうのが。
対象は違えど大抵の人は「積み上げた(得た)ものを失ってしまうのが怖い」って喪失感から来ているのではないかな。
834 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 09:15:56
>>833 チャウだろw 「積み上げてない」から怖いんじゃね?
思考停止が怖いんじゃなく、「思考できない自分」だって事を
「死によって確定させられてしまう」のが怖いんじゃねw?
835 :
826:2006/09/18(月) 09:22:56
>>834 そうとも言える。
全く考えることが出来ない状態になってしまうのではないか、という未見の恐怖。
他人のことは推測だからわからんよw
あくまで持論ですが。
死は自分の存在を"現に有るもの"から"記憶の中の存在"へと(あまり適切な表現ではないと思いますがが)昇華するある種の通過儀式だと思います。
人間は過去の記録や体験した事柄から記憶をつくり、その記憶について考え、今まで進化してきました。
つまり、記憶に残ることは進化するための第一段階といっても過言ではないと思います。
死は"(私が存在していたことに関して)他人に記憶を与えること"。
子孫を残すために生や誕生があるとするならば、人間という生命種を発展させるために死があるのではないかと思います。
余談ですが、初めて何かを体験するとき(ここに体験するものに関する予備知識はほとんど存在しない)、どんな気持ちになりますか?
楽しい?驚き?期待?恐れ?
先天的な固定観念がなければ、ソレは自分の想像に合わせた感情になると思います。
死に先天的な固定観念、先人たちが考えた地獄、無、魂、・・・etcが存在するから
大半は死=怖い、恐ろしいものとしての認識が。
>832さんの様な人は死に先天的な固定観念が存在しない、もしくはその観念が"楽しみ、好奇心"であった、という風になると思います。
しぬ時は思考もそのまま、もっていくので停止する事はないと思う。
魂だけが残る。
838 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 16:20:28
魂はuncountableなものかどうかを本気で検証しようとし、死ぬ前と死直後の体重を量ったら、数gか数百gか忘れたが、確かに減少した!!
というのをどこかで読んだ記憶がある。
839 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 16:37:17
840 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 17:17:46
>839
ありがd
俺は死の恐怖より、痛みへの畏怖が強い。
たぶんまだ積み上げてきたものが、そう多くないからだろうけど。
さっき、顔見知りの人が、癌で無くなったと聞いた。
この間話した時、樺太あたりでかあちゃんと苦労した話を聞いたばかりで、
今度また話を聞けるものと思っていたのに。
52歳の割には少年のような感じの人だった。
きっとかあちゃんと天国で一緒にいるんだろう。
843 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 19:51:34
地獄で孤立無援の可能性も・・・
844 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 21:02:26
という人間が地獄に落ちる可能性は甚だ高い。
845 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 21:20:43
いや、わたしは善光寺参りを済ませてますので心配はご無用です
後ろを振り返ってみてください今すぐ!
お迎えが着てますよ、あ〜たw
846 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 21:45:13
変なこと考えてしまいました。ちょっと書かせてください。
我々の宇宙のビッグバンの時に「神は死んだ」のではないだろうか?
その神の死後の世界に我々は住み、我々は死んだときに無に帰し、無という神の世界で生き、無からビッグバンというかたちでまた神は死ぬのでは?と。
変な考えすいませんでした。
一つの物語だと思ってください。
847 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 21:46:34
思えません m(_ _)m
その場合、人間が認識する以前に神はいなくなってるわけだから、
「神は存在しないも同様」なんじゃないのか。
もちろんただの作り話と称するなら、このレスは自動的に消える。
849 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 21:54:17
>>848 神は造物主としての神でした。
まあ、ただ単なる思いつきですので、真剣に受け取られなくても結構ですよ。
世界があるということは、今も神は世界を支えてくださっているということです。
心身二元論が一般常識にまでなっているのを感じる。
852 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 02:40:15
しぬ事はなんか寂しい、2chで馬鹿も言えなくなる。
生きている間に有意義のある人生を送って、寂しくない様に沢山楽しい事をしたい。
死が寂しい理由は?
死に関しては、生きている間の諸々に対する執着と、
死ぬ瞬間の恐怖のみしか存在しないように思うのだけど
>>852 有意義にすごしても死んだら完全な無。宇宙から生まれてまた消滅するわけです。
ですから2歳くらいで死んだ人間も100歳で死んだ人間も後になると同じということ。
縄文時代で100歳まで生きた人がいて2歳で死んだ人がいたところで
今はだれも覚えちゃいないし、 その人たちの意識は完全な無でしょう。
100歳と2歳での死が同じと言うと何か理解がしっくりこないけど
行っていることは1部あっているでしょう
855 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 14:37:56
>>853 その生きている間の諸々に対する執着が、死が寂しい理由なんだと思うが。
>>854 それは「生」の部分を比較するからだろう?
――――――――――――――――――――――┤
↑100歳
┤
↑2歳
「死」だけを比べると、
┤
↑100歳
┤
↑2歳
この部分だけの比較だからな。
こっから先の右側を「無」と考えれば、違いはないと言える。
>>855 でも、それは死後も、
消えていてかつあたかも生きているようであると仮定しないと導けないと思う
死後が別世界であると仮定しても、転生を仮定しても、消えてしまうと仮定しても、
やっぱり寂しいってことにはならないんじゃないかな
858 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:29:12
肉体が死んでも、魂だけは生き続けたいな…永遠に音楽やっていたいよ
859 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:36:45
死の定義自体曖昧やね
死っていうのは存在がなくなることなんかね?死んだとしても、肉体は一時的には残るけどさ
別の人の意識の中では生き残っていくわけだから、完全に存在が消えたわけではないって感じに…
860 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:41:17
たぶん『死』はひとつの終わりであり、始まりのような…そんな気がする。全てはこれからだ
861 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:50:22
この世では生きていて辛い事が沢山ある
愛しい人を失う悲しみ、精神的に落ち込んだり病気になったり…人によって様々だと思う。
これらは人生の中の『ハードル』、神様から与えられた試練…『霊練』なんだ
だけど霊練は必ず乗り越えられる、切り抜ける道が絶対ある
そして最後の難関が『死』なんじゃないかと…俺はそう思う
862 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:51:12
昔、よく考えたのは死んだ後の世界のことで、自分が死ぬとそこに行く
でも、そこには今まで死んだ婆ちゃんとか、いろんな人達がいるわけだから、社会が成り立ってるかもしれない訳で、自分はそこに新たに生まれるでしょ?
そしたら、そこはいっぱいにならないのか?もしかしたら、死んだ後の世界に生まれても、死んだとわかんなく生活してるかも
最後はまた死んじゃって、さらに死んだ世界に行くかもしれない…。ちょっと面白いと思わない?今のこの世界も自分達が認識してないだけで、いわゆる天国かもしれないんよ
863 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:55:12
まずはハイデッガーを読みのがいいと思うよ
864 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:57:03
じゃあ自殺は何故いけないか?
自分で『死』を選ぶ事によって、神様から与えられた試練から逃げる。生き抜くという試練から目を背ける事だから。
だからどんな事情であれ、自殺をした人間はみんな地獄逝きだと…俺はそう思っている。
長文ゴメン
865 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 04:59:49
866 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 05:00:53
>>863 ハイデッガー読んだが難しいんだもん
存在と時間の上途中までしか読んでない
867 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 05:03:46
>>865 確かにね!輪廻転生成は詳しくは知らないんだけど、地球上の話だよね?
オレは別世界にまた地球みたいに生活できる場所があるんかな?って考えてたんだ
868 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 05:08:16
>>867確かに可能性は高いとは思う。宇宙は人間の想像を絶するぐらい広いから、地球のように生物が生存出来る環境が整っている星があっても、おかしい話ではないな
869 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 05:20:37
まぁ…いずれにしてもこの板にいる人達は(俺含め)、『死』を考えるよりも先に『生きる事』を考えるべきだろって年齢の人が多いような気がする(笑)
870 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 15:14:49
>>866 ハイデガーは本当に勘弁。難解極まりない。世界内存在とかどうでもいい。
「死」について彼の哲学から学んだという人はどれほどいただろうか?
逆立ちでもしたら、血が下に下がって死ぬかもしれん・・・
死とは何かと考えれば、生とは何かということにもなる。
不死があったとして、死なない生というものが果たして生と呼べるのだろうか?
セイ、セイ、セ〜イ!
874 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 19:38:36
【訃報】俳優の丹波哲郎氏死去
死にたくない
家族や親族・友人達にもみんな死んでほしくない!!
でも嫌な人には死んで欲しい、でも嫌な人でも好きになる可能性はある。
人間が死なない年をとらない世界はまだ?
そうすれば永遠にみんなが続くのに!!
命を生産するのは禁止。
科学は今すぐ不老不死の薬を開発しろ!!
876 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:11:03
死とはあの世の世界での始まりである。
877 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 23:27:44
>>856 死んだら意識がまったく無いので、同じと言うこと。
意識が無くなったらすべてが終わりですし。
>>875 とりあえず、死んだら遺体を冷凍しておけばOK。
冷凍から行き返す方法が今後できあがらないといえないわけだし。
火葬するとほとんど復活無理
>>874 大霊界たくさん読みました。・゚・(つД`)・゚・
ご冥福をお祈り致します。
880 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 04:31:48
>>875 誰だって死にたくない。だけど始まりがあるものには必ず終わりがある。
それに…仮に不死の薬が出来たとしても、俺は絶対飲みたくない。自然の摂理に反するし、生命を弄ぶ程まで傲慢になった科学がはびこる世の中なんて、俺は何の未練も感じないな
881 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 05:10:14
人間て文明が発達していくにつれて、逆に退化していってるような気がする。精神面で本当に大事な事を忘れつつあるというか…
多分この『死と生』という壮大なテーマについても、多くの情報や文献は昔の人…すなわち電子的な物が何もなかった時代の人達が考えた事がある程度基盤になってるんじゃないかと思う。
スレ違いすまん
882 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 05:44:58
死は醜い。その無惨たる姿。放置すれば尚更。しかし尊厳やら現実逃避やらで美しいものと勘違いされることもある。血の赤を見れば危険を察知する。死体をみれば左に同じ。少し仏教の教えには疑問がある。自然に赴けば、生きる大切さを感じることができる気がする。
883 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 06:04:32
お邪魔します
通りすがりのバカです、難しい事は、わかりませんが、
うちの、じいちゃんが、言ってたのは、死と生は、数字の、1と2で、
死と言う現実の1があるから、2の生の存在理由が、あり
2だけの世界は、1が無いので、存在理由が、無い
死んだらどうなるかは、見たこと無いので、わからん、と言ってました
884 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 06:41:34
実はこの世界が死後の世界であることは以外と知られていない
885 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 06:45:13
では、あんたは誰?何?
886 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 12:41:50
887 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 13:59:32
生と死は鍋に沸かした湯の中の泡のようなものです。
湯(宇宙)の中で生じた気泡(生命)はゆらゆら昇り、
弾けて消える。
別に消えるために生まれたわけでなく、ただ生まれ、ただ消える。
泡が何を考えていたとしてもやがて弾けます。
そのうち湯は無くなり、すべては蒸発し、鍋とコンロと
サッポロ一番だけが残ります。
888 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 14:14:19
887さんに同感です
激しくワロタサッポロ一番...
自殺した人は地獄へ行くとよく言われるけれどそうでないと思う。
丹波さんが言われる様に、生きている間の行ないで決まるような気がする。
でも生きている間の行いとは非常に曖昧なものではないでしょうか?
何が善くて何が悪いのか、これを本当の意味で定義するのは難しい
ことです。
もし人に喜ばれることを善とするなら、絶対的な個体現象である死と
他人の笑顔がどう因果するのでしょう。
>もし人に喜ばれることを善とするなら
それも喜ばれる対象によって変わる。
殺人者、レイパー、為政者などなど、
悪人とされる者に喜ばれることも善とするのか。
これは「喜ばれること=善」が間違っているだと思うが。
まぁ、
>>890も仮定の話をしているだけだからな。
>>880 終わりはあるけど終わりが無い状態にもできるんです。
そういう思い込みを打開するのが哲学でしょう。
できるんですって言うなら説明しないとw
894 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 06:22:56
>>892だからそういうのは人間の単なる傲慢心。『生物の死を思いのままに出来るんです』なんて事は自然や万物に対する冒涜でしかないって。神様にでもなったつもりか?
いいかげん、勝村はうざい。
896 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 09:32:25
>>894
冒涜というが、自殺も他殺もやろうと思えば事実できる知能を与えられて
いるのだから、人間でやってるやつはいくらでもいるだろう。
だいたい自然は人間を散々冒涜し苦しめてきた反面があり、自然に対して冒涜した
ければしたところで、自然界の摂理に意思疎通や理解する能力はない。
人間ごときの行いや感情は自然に対してなんら新しい価値はそもそもないから気にすんな。
自然がなけりゃ、人間も生まれてこなかったのだから、言わば自然は破壊されても
自業自得だし、人間同士が馬鹿なのも自業自得。
厳しい自然はその地域に住む生物全てに対しての結果で、人間はこれに
挑んだだけのこと。
では人間が自然を冒涜しているのか、というとこれは確かに自然界に意思疎通
なんてないわけで、勝手に人間が、というより人間の一方と一方が騒いでるだけ。
つまり自然を冒涜するっていうのは神社に小便ひっかけるようなもの。
そもそも人間を自然と対立させて考えるのが健康に良くない。
確かに人間は利便性を追及しすぎているし、欲望に歯止めが効かない状況だが、
こうなったのも自然としかいえないのでは。
これは自然界で自我をもってしまった自然の結果なんじゃないか。
898 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 11:28:03
自我をなんだと理解しているのかによるよ。
899 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 12:16:16
やあやあわれこそは…
901 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 15:21:34
902 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 15:34:18
>自殺も他殺もやろうと思えば知識を与えられてるから…
『理性』って言葉知ってるか?
>>901 今生きている間では不老不死は無理かもしれないけど、遺体を冷凍しておけば
未来の技術で不老不死を手に入れられるかも と言うこと。
氷の水の中に落ちた子供が2時間後に病院でいきかえせるくらい医療技術が
進歩した。昔だったら心臓とまったら終わりだったけど今は違う。
つまり未来では人間が死んでも冷凍しておけばそれをいき返せる可能性もありえる。
であるから死ぬだけ考えないで、死ぬかもしれないし、未来で生き返るかもしれない
と言う選択肢もある。 死んで火葬して灰になったら99%生き返ることはないんだろうけど
1、死んだらほぼ終わりの場合
・死んで遺体を火葬し、未来でも灰から人間を復活させられない場合
・死んでから冷凍し、未来でも冷凍された人間を復活させられない場合
2
・死んで遺体を冷凍か火葬した後、未来の技術でいき返す技術が出来上がった場合。
・死ぬまえに冬眠技術に膨大な予算を投じることでSFの宇宙長距離旅行にでてくるう冬眠技術を確立
させれば、 未来で不老不死ができあがるまでずっとねている。
未来で技術的に終わりと結論が出ない限りすべてにおいて生き返る可能性はある。
不老不死ができあがると生まれたら死ぬと言う構図が生まれたままになるので終わりが無い世界である。
説明するのが難しいけど、言いたい意味はわかりませんか
不老不死の話になると、
死ぬのを拒むのは自然に反してるからおかしいとか
生をまっとうするのが当たり前とかいう意見が出てくるけど、
それはそれでいいんだが、哲学的には思考停止状態だよな。
身体がしんでいる状態なので、少し小休憩します。
この様な状態を人はしんでるよ、と言いますがw
908 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:18:39
>>902 殺人やった奴も自殺した奴も理性ぐらい知ってただろうけど
それがどうかしたのか?
909 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 17:20:37
不老不死したいならすればいいと思うよ。
哲学的に説明できるならすればいいし。
でも現状では空想だから、哲学とは言わない。
復活させる価値はあるのかが問題だな
そのまま殺されても気付くまい
復活したい奴しか冷凍保存にならないだろうから、
冷凍保存希望者には少なくとも価値があるんだろうなぁ。
912 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 00:09:42
だけど殺人犯を保存しても仕方ないよねw
未来で復活の可能性もあるから死ぬしかないという1つだけ
を考えてもよくない。
完璧に死ぬ場合と、未来で復活できる場合とすべてを含めて
考えないと。
915 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 00:36:34
可能性は哲学といえるのかな?いえるのか。
何を考えればいいのか良くわからないんだけど
たとえば死んで遺体が灰になったところで、未来の技術ではありえないものが
開発されて、死んだ人間の粒子を得してして死ぬ寸前に並べ替えていき返す
ことだってできる可能性もある。
また、今は歯の肉を冷凍してそれを解凍し移植することができるみたいで
臓器すら冷凍できる日がくるみたいなので、 全身を冷凍できるかもしれないでしょう。
つまりこの技術をものすごい早く発達させたら、自分達が生きている間に冬眠技術が
できあがり、 不老不死ができあがる未来まで寝ていることが可能になる
といった完璧に死ぬなんて場合は完全に証明できないわけですし
現在の科学技術でも死を逃れる道はある。(冷凍技術を急激に発達させるのも1例)
>>915 可能性は哲学でしょう。
デカルトだって今ある景色がすべてうその可能性があると考えたわけだし
であるから、
>>1からみると完璧に宇宙から消滅すると言う結論ばかりで
終わっているけど、実際は完璧に終わるなんてまだわからないわけです。
5次元から別世界の宇宙人が地球に飛び出してきて
地球人に技術を与えて、すべての人間を生き返したり
実は本当に死後の世界があって死んだらそこに行くとか
いろんな場合が考えられる。
>>1から話しているのは、死んだら完全に意識が消滅し(完全にとは証明不可能)
そのまま終わる と言うのばかり話している。これは1つの例に過ぎないわけで
哲学と言うのから考えると思考が足りないような気がしているんですが。
オッカムのかみそりとかあるようにいろんな可能性を考えて何が一番正しいか
と言う結論を出すのが哲学でしょう。
920 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 01:07:53
だってさ、意識がどうしてあるのか分らないんだから
正しさ自体結論にならないんじゃないの?
921 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 01:13:18
5次元人云々は完璧にSFだろw
それは紛れも無く哲学じゃない。
それと哲学において結論は自分のみが出せるということを覚えておくが宜しい。
>>1に沿って自分の死生観を語るスレでいんじゃないのか、ここは。
922 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 04:52:10
俺にはいずれ死が来て欲しい。永遠に生き続けるなんて嫌だ、生き地獄だ。今でも生き続けるのに疲れてきたというのに…お願いだから静かに眠りにつかせてくれ…
>>916 >死んだ人間の粒子を得してして死ぬ寸前に並べ替えていき返す
ことだってできる可能性もある。
その粒子を使って肉体を作り、現在生きてる人間はどうなるんですか。
生き返る人のためにその部分が抜け落ちるんでしょうか…。
924 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 11:32:27
?死んだ人間の粒子をを死ぬ寸前に並べ替えて生き返すのに、現在生きている人間
はどうもならないんじゃないの?
そんなことができるくらいなら、死ぬ前に生きた元気な状態の体に
なるように粒子を組み替えればいいじゃないか。
歳を取ることもなくなるぞ。
926 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 12:13:58
>>924 なるほど! 死んだ人の粒子を保存しておいて、それを生きていた状態にまた
もどすということですね。
自分は、死んで灰になって飛んでいったものを、もう一度集め直すのかと
思ってしまいました。
でも、交通事故など体の損傷で死んだ遺体の粒子を並べ替えて
生き返すことができたとしても、老衰で自然死した場合などは、並べ替えようがないのでは。
完成された姿で死んでるし…何言ってるのかわからなくなってきたスマソ
927 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 13:20:42
>>926 あはははっ、思わず笑ってしまいました^^
916さんの思考はまとまった理論ではないので
やっぱり哲学とはいえないですよね。
死なない前提なら、死について語らなくても
いいという事になりますしね。
928 :
考える名無しさん:2006/09/28(木) 18:26:38
>>926 損傷であろうが、老化であろうが、死んだ細胞を元気な状態にまで復元するというのであれば、
老衰で死んだ場合でも健康な状態に戻せるのでは。
ただ、こういう技術ができてしまうと、生命は肉体的には死ななくなるわけで、
そうなると永遠に続く生の道を歩き続けることになる。精神が崩壊しなければいいけどね。
もし精神まで若返らせることができるとしたら、今度は何のために生きてるのかなやみそうだなあ。
929 :
考える名無しさん:
快楽をむさぼるためだけってことになりそう、キモイ動物だ