命題「集団の共有する主観は集団の構成員が無限大に近づくと客観になり得るか?」
きゃっかん きやくくわん 0 【客観】
〔object〕
(1)主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。世界。かっかん。
(2)特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。客体。かっかん。
⇔主観
〔明治初期の造語で、明治期には「かっかん」が一般的〕
しゅかん ―くわん 0 【主観】
(1)対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとする。
→主体
(2)自分ひとりだけの考え。
「―だけで言うのは困る」
⇔客観
〔subject を西(にし)周(あまね)が訳した語〕
カント的に可能と言っているのは個人の超個人的な形式としての主観が、ってことですか?
無限大に客観に近づき続けるだけ。
つまるところ、人間には客観視は無理ということ?
105 :
考える名無しさん:04/10/26 10:51:56
106 :
考える名無しさん:04/10/26 12:08:03
集団が主観を共有することはありえない。というかこれを確かめることが出来ない。
自分は自分であって、他人ではない。例えアンケートをとってもその回答が本当かウソか見分ける方法がない。
カント関係探ってみたら「統整的理念」という概念に出くわしました。
これが主観間の同調した理念のようです。
カントの言うところでは、人間は客観には到達できない。
到達できているかと思われる例はすべてこの「統整的理念」を客観と勘違いしている。
って感じでしょうか。
いずれにしろ「客観的に」という言葉は安易に使っていいものではなさそうですね。
108 :
考える名無しさん:04/10/26 13:28:37
科学的検証によって客観的な見方が可能になるのだよ。
科学自体、人間が主観で決めた決まりごとの範囲での検証しかできない。
カントの言ってる客観や、辞書の意味での客観は、そんな簡単なものじゃないよ。
ふむ
>>108 検証者の主観でしかないか それ以外の何か
主観を人一人の考え方としてとるならそうだが、普遍的な客観性は主観からでも得られる。
無理だよチビ。
>>112 カントはその場合の客観みたいなモノを主観の同調の集まり(単語ワスレタ)として定義しているね。
客観とは違うという意味で。