1 :
考える名無しさん:
削除依頼出しといて
じゃあ
た ふた ふた ふかた ふか か か
削除されるまでの間、有効利用しようぜ!
俺は、キー入力の練習のために、
カント『永遠平和のために』を打ち込んでみます。
『永遠平和のために』一哲学的考察 イマヌエル・カント著 宇都宮芳明訳(岩波文庫)
永遠平和のために
「永遠平和のために」というこの風刺的な表題は、
あのオランダ人の旅館業者が看板に記していた文字で、
その上には墓地の絵が描かれていたりしたが、
ところでこの風刺的な表題が、人間一般にかかわりを持つのか、
それともとくに、戦争にあきようともしない国家元首たちにかかわるのか、
それとも単に、そうした甘い夢を見ている哲学者たちにかかわるだけなのか、
といった問題は、未解決のままにしておこう。
ただこの考案の筆者は、次のことを留保しておきたい。
すなわち、実務にたずさわる政治家は、理論的な政治学者とは仲が悪く、
並はずれたうぬぼれをもって政治学者を机上の空論家と軽蔑し、
国家はもともと経験の諸原則に基づくものであるから、
政治学者が無内用な理念を説いても国家にはどんな危険ももたらすことはないであろうし、
彼をして九柱戯のピンを一時に十一本倒させることがあっても、
世間に通じた政治家はそれを気にする必要はない、と考えている。
そうだとすれば、そうした政治家は、理論的な政治学者と論争する場合にも一貫した態度をとるべきであって、
相手が無鉄砲に企てて世間に公表したい嫌悪背後に、国家に対する危険をかぎとったりしてはならないであろう。
−−以上の留保条款Clausula salvatioriaによって、この考案の筆者は、
悪意にみちたあらゆる解釈から完全な形ではっきり保護されていることを願っている。
第一章
この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む
第一条項
将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、
決して平和条約とみなされてはならない。
なぜなら、その場合には、それは単なる休戦であり、敵対行為の延期であって、
平和ではないからである。
平和とは一切の敵意が終わることで、永遠という形容詞を平和につけるのは、
かえって疑念を起こさせる語の重複とも言える。
平和条約を結ぶ当事者たちですら察知していないような、
将来の戦争のための諸原因がまだ残っているとしても、
これらの原因は平和条約の締結によってことごとく否定されたのである。
もっとも、こうした原因は、公式に記録された文章からでも、
きわめて鋭い探索眼をもってすれば探し出すことができるかもしれないが。
−−戦争を続けるには双方とも疲れきっているので、
さしあたってはどちらの側も触れないでいる古くからの権利主張があるのだが、
再戦に向けて最初の好機会を利用しようという悪意から、
この権利主張を将来の口実に使おうと保留する(心内保留reservatio mentalis)のは、
ジェスイット派のカズイスティックのたぐいで、
自体をあるがままの姿で判断すれば、これは統治者の品位を汚すことであるし、
また彼の大臣がこうした理由づけに追従することも、その品位を汚すものであろう。−−
だが国家政略に関する啓蒙家の普通の考えによると、
国家の真の名誉は、どのような手段を用いるにせよ、権力の不断の増大にあるとされるから、
さきの判断がいかにも形式的で杓子定規に見えるのは当然である。
休憩中。。。
再開!(`・ω・´) シャキーン
第二条項
独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、
継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。
つまり国家は、(国家が場所を占めている土地のような具合に)所有物(財産patrimonium)ではない。
国家は、国家それ自身以外のなにものにも支配されたり、処理されたりしてはならない人間社会である。
ところがそれ自身が幹として自分自身の根を持っている国家を、接木としてほかの国家に接合することは、
道徳的人格である国家の存在を廃棄し、道徳的人格を物件にしてしまうことで、
したがってこうした接合は、民族についてのいかなる法もそれなしには考えられないような、
根源的契約の理念に矛盾する。
こうした取得方法についての誤った考え、つまり国家もまた互いに結婚できるといった考えは、
ヨーロッパ以外のほかの諸大陸ではまったく知られなかった考えであるが、
この考えが現代のわれわれにいたるまでヨーロッパにどれほどの危険をもたらしてきたかは、
誰もがよく知っていることである。
これは企業の新方式で、資力を費やさないで家族の縁組によって協力になれる仕方であり、
また同じ仕方で土地の所有を拡げるやり方でもある。
−−また、一国の軍隊をほかの国に貸し与え、共同の敵ではない第三国を攻撃するのに使用させるのも、
この種の誤りに数えることが出来る。
なぜなら、臣民はその際、任意に取り扱われるような物件として用いられ、消費されるからである。
注(1)・・・・・・根源的契約の理念に矛盾する。
被継承国とは、ほかの国家によって継承される国家ではなく、
その統治権が身体を備えたほかの人格によって継承された国家のことである。
国家はその際、一人の統治者を取得するのであって、
統治者が統治者として(すなわちすでにほかの国を所有するものとして)
国家を取得するのではない。
第三条項
常備軍(miles perpetuus)は時とともに全廃されなければならない。
なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を備えていることによって、
ほかの諸国を絶えず戦争の脅威にさらしているからである。
常備軍が刺戟となって、たがいに無際限な軍備の拡張を競うようになると、
それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和のほうが短期の戦争よりもいっそうおもにとなり、
この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである。
そのうえ、人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、
人間が単なる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、
こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう。
だが国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、
自分の祖国を外からの攻撃に対して防備することは、これとはまったく別の事柄である。
−−財貨の蓄積も、同じ危険をもたらすであろうが、それは財貨がほかの国によって戦争の脅威とみなされ、
その国の財貨の保有量をほかから探索する困難さが妨げとならないかぎり、
ほかの国の先制攻撃を強いる原因となりかねないからである
(なぜなら、兵力と同盟力と金力という三つの力のうち、金力がおそらくもっとも信頼できる戦争道具であろうから)。
もうやめよっと。。。
ガキの使いも終わったし、もうちょっとだけやろうかな。
第四条項
国家の大概紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。
国内経済のために(たとえば、道路の改修、新たな入植、懸念される凶年に備えた貯蔵庫の設備、などのために)
国の内外に助力を求めるとしても、こうした方策は嫌疑の対象とはならない。
しかし借款制度は、国家権力がたがいに競い合うための道具としては、はてしなく増大し、
しかもつねに当座の請求を受けないですむ安全な負債であるが
(なぜなら、債権者のすべてが一時に返済を請求することはないから)
−−これは現世紀における一商業民族の巧妙な発明である−−、
これは危険な金力、つまり戦争遂行のための宝庫であって、
この宝庫はほかのすべての国の財産の総量をしのぎ、しかも税収の不足に直面しないかぎりは
(その税収不足も、借款が工業や商業に及ぼす遡及効果によって通商が活気づくため、
ずっと先まで引き伸ばされるのであるが)空になることもない。
したがって、こうした戦争遂行の気安さは、人間の本性に生来備わっているかに見える権力者の戦争癖と結びつき、
永遠平和の最大の障害となるもので、これを禁止することは、次の理由から言っても、
ますます永遠平和の予備条項のひとつに数えられる必要があろう。
その理由とは、最後にはどうしても避けられない国家の破産が、
負債のないほかの諸国をも一緒に損害に巻き込むことは必定で、
これらの国々の国家にかかわる障害となろう、というのがそれである。
したがって、少なくともほかの諸国は、このような国家とその僭越に対抗して、同盟を結ぶ権利がある。
大概紛争じゃなくて、対外紛争ね。
第五条項
いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力を持って干渉してはならない。
なぜなら、いったい何が国家にそうした干渉の権利を与えることが出来るというのであろうか。
一国家が他国家の臣民に与える騒乱の種の類がそれである、というのであろうか。
だが一国家に生じた騒乱は、一民族が自らの無法によって招いた大きな災厄の実例として、
むしろ他民族にとって戒めとなるはずである。
一般に、ある自由な人格が他の人格に悪い実例を示しても、それは(示された醜行scandalum acceptumとして)
他の人格を傷つけることにはならない。
−−もっとも、ひとつの国家が国内の不和によって二つの部分に分裂し、
それぞれが個別に独立国家を称して、全体を支配しようとする場合は、事情は別かもしれない。
その際、その一方に他国が援助を与えても、これはその国の体制への干渉とみなすことはできないあろう
(その国はそのとき無政府状態にあるからである)。
だがこうした内部の争いがまだ決着していないのに、外部の力が干渉するのは、
内部の病気と格闘しているだけで、他国に依存しているわけではない一民族の権利を侵害するもので、
この干渉自体がその国を傷つける醜行であるし、あらゆる国家の自律を危うくするものであろう。
17 :
考える名無しさん:04/08/09 01:06
チンポか?
呼んだ?
19 :
考える名無しさん:04/08/09 01:12
チンプ太郎プ
第六条項
いかなる国家も、他国との戦争において、
将来の平和維持における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。
たとえば、暗殺者(percussores)や毒殺者(venefici)を雇ったり、降伏条約を破ったり、
敵国内での裏切(perduelio)りをそそのかしたりすることが、これに当たる。
これらの行為は、卑劣な戦略である。
なぜなら、戦争のさなかでも敵の志操に対する何らかの信頼がなお残っているはずで、
そうでなければ、平和を締結することも不可能であろうし、敵対行為は殲滅戦(bellum internecinum)にいたるであろう。
ところで戦争は、自然状態において(この状態においては、法的な効果をそなえた判決を下す裁判所がない)、
暴力によって自分の正義を主張するといった、悲しむべき非常手段にすぎない。
またこの状態においては、両国のいずれも不正な敵と宣告されることはありえないし
(なぜなら、それはすでに裁判官による採決を前提とするから)、
どちらの側が正義であるかを決定するのは、(あたかもいわゆる神明裁判におけるように)戦争の結果でしかない。
だがまた、国家の間には、いかなる懲罰戦争(bellum punitivum)も考えられない
(なぜなら、国家の間には、支配者と臣民の関係は成立しないからである)。
−−以上の理由から、次のことが帰結する。
すなわち、殲滅戦では、双方が同時に滅亡し、それとともにあらゆる正義も滅亡するから、
永遠平和は人類の巨大な墓地の上にのみ築かれることになろう、ということである。
それゆえ、そのような戦争は、したがってまたそうした戦争に導く手段の使用は、絶対に禁止されなければならない。
−−ところでさきに述べた手段が必然的にそうした戦争に導くことは、次の理由から明らかである。
すなわち、かの悪逆なたくらみは、それ自体が卑劣なものであるから、それが用いられると、
他人の無節操(これは決して根こそぎにされることはない)だけが利用されるような
スパイの使用(uti exploratoribus)とはちがって、もはや戦争の継続期間内に限定されず、平和状態のうちにも持ち越され、
その結果、平和実現の意図をまったく破壊することになろう、というのがその理由である。
チンポのわけがなかろーが!!
もう終わるよ。スマンカッタ。。。
>>4 キー入力練習お疲れさま。
法的な問題はないのかな、とちょっと気になるけど...
え〜っと、みなさんよく聞いて下さい!
じつを言うと、これは夕イプ練習などではなく、
わたくしの平和論を展開するための、
部分的な引用でございます。
今後の展開に、乞うご期待!!
なになに?
言い訳にしか聞こえないって?
Σ(゚д゚lll)ガーン
25 :
考える名無しさん:04/08/10 00:36
トリップの実験です
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