1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:04/08/08 15:46
そんなものはない
3 :
考える名無しさん:04/08/08 15:56
いいかげん普遍性などという寝言いうのはやめろ。
4 :
考える名無しさん:04/08/08 15:57
ぜんざいのアクのことでございます。
5 :
考える名無しさん:04/08/08 15:58
人間にアプリオリにそなわる判断に関しては普遍的さ。
数学における判断とかな。
善はそれに含まれるかな?どうかな?
6 :
考える名無しさん:04/08/08 15:59
アプリオリにそなわる判断てヘンだな
7 :
考える名無しさん:04/08/08 15:59
8 :
考える名無しさん:04/08/08 16:09
普遍性を訴えひろめたいなら、宗教でも立ち上げて布教の旅に出なさいよ。
9 :
考える名無しさん:04/08/08 16:11
何かを善と感じることはできるし、「善」の言葉の意味自体は誰にでも共有可能。
ただし、具体例を挙げる段になると、社会・文化・個人によっててんでバラバラ。
10 :
考える名無しさん:04/08/08 16:22
現実的に生きれば「普遍性」などという
言葉がまやかしに聞こえるが、「愛」という
概念を言葉で説明できないが存在を感じるように
何か説明できないけれど、人類が持つ共通の原理、
またはシンクロ二シティーしている原則というものが
あるんでは無かろうか。
11 :
考える名無しさん:04/08/08 16:25
>>10 >「愛」という
>概念を言葉で説明できないが存在を感じるように
>何か説明できないけれど、人類が持つ共通の原理、
>またはシンクロ二シティーしている原則というものが
>あるんでは無かろうか。
人類愛などないよ
それは生物学的なものか?
13 :
考える名無しさん:04/08/08 16:28
社会によって「望ましい人間像」みたいな理想像がなんとなく想定されてるとこが
あるから、それで皆、普遍的な善があると思ってるのではないか?
義にあつく、自分のためのウソはつかない、行動に利他的傾向がある、
家族を大事にする、自分の面倒は自分で見れる、責任転嫁をしない、
クソスレ立てない、自演をしない、煽りをしない、etc、etc
社会が「するべきである・望ましい」としている行為・性質が「善」
社会が「するべきでない・望ましくない」としている行為・性質が「悪」
これでいいだろ別に。
15 :
考える名無しさん:04/08/08 16:35
16 :
考える名無しさん:04/08/08 16:45
おまえが善なる行動をすること自体に口出しする気はないが・・・・
その行為によって私に・・・・
という事でしょ?
17 :
考える名無しさん:04/08/08 16:56
そんなに定義しなきゃ不安か?
19 :
考える名無しさん:04/08/08 22:27
で、現代における正義と悪とは何?
善=より良い未来の為の建設的活動。
悪=破壊活動。
正義と善悪にはどういう関係があるのか。
善と悪は言葉の上で対義語だが、それらが指し示す事柄を考えるとどうも対義語ではないらしい気がするな。
時に善は悪を含み、悪は善を含むから。
具体例きぼん
警察官がノルマを達成する為に書類を偽造すること・・・悪。
しかし結果的に警察という組織を維持していくのに役立つ行為であるなら善。
暴力団の存在・・・悪。
しかし全ての人間が善でない以上、あぶれた者を監督する組織は必要であり、受け皿として機能している点では善。
25 :
考える名無しさん:04/08/11 20:57
どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えればよい。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物
は、群れを維持する為の本能を獲得している。
その本能の表れとして、群れの秩序を乱す行為を【悪】という
ふうにネガティブな反応を示し、逆を【善】とポジティブに捉える。
この感情(回路)、価値基準こそが、『善悪』の本質。
26 :
考える名無しさん:04/08/11 20:58
↑
コピペ?
27 :
考える名無しさん:04/08/11 21:11
>どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えればよい。
その「善(悪)」自体の意味を問うているのではないのか。
29 :
考える名無しさん:04/08/11 23:08
30 :
考える名無しさん:04/08/11 23:39
たとえば
>>25の人にとっては、
「集団(群れ)の維持にプラスとなる行為」は必ず「善」なわけだ。
これに対して
>>27の人にとっては(ファッショと言っているわけだから)
「集団(群れ)の維持にプラスとなる行為」は必ずしも「善」ではないわけだ。
例えば戦争で敵を殺す行為は集団の維持にプラスとなっても「悪」だ、とか。
しかし、この両者とも「善」自体は同じ意味で使っているわけだ。
だから、
>>25は善悪の「意味」自体の規定にはならないわけだ。
善悪の「意味」としては
善=(ある主体にとっての)プラスの価値
悪=(ある主体にとっての)マイナスの価値
とでも言うほかないだろ。まあはっきり言って同語反復だが。
32 :
考える名無しさん:04/08/12 01:06
>>31 >>「集団(群れ)の維持にプラスとなる行為」は必ず「善」なわけだ。
というより、ヒトは「集団(群れ)の維持にプラスとなる行為」に対してポジティブな感情を抱く。
この感覚を持つことが群れ易くなり、結果として生存確率が上がったため、現在まで生残っている。
この感覚に後付けでつけた名前が『善』というだけ。
33 :
考える名無しさん:04/08/12 01:12
|ω・`)
34 :
考える名無しさん:04/08/12 01:12
善悪の定義は、共同体の定義(範囲)と密接に関ってくる。さんざん既出。
攻撃的な異民族は、共同体の外側に存在する外部環境の一部と認識
される。構成する人々の世界観、どの範囲までを自らの村(共同体)と
認識できるかによって、具体的な行動の内容は変わってくるのだろうが、
基本的には以下は変わらないのだと思う。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
オウム真理教の共同体の中で『善い行い』と認識されることが、その外
側にいる人間にとっては、必ずしもそう認識されない。それどころか、そ
の集団自体が日本というもっと大きな共同体秩序を乱す異物=悪として
認識されることもある。
勿論、同体の中での善悪の判定は必ずしも常に一致するわけでもなく、
例えばイラクを共同体への参加を拒む不安定要素(悪)だと認識する人も
いれば、逆にイラクを攻撃するアメリカを国際秩序を乱す悪だと認識する
人もいる。揺れ動くものなのだろう。
35 :
考える名無しさん:04/08/12 01:13
善悪も人間が作り出したもの
36 :
考える名無しさん:04/08/12 01:25
>>32 例えば、
自滅する国家に住んでて、国家のために尽くすよりも、
他国に亡命して、自分だけ生き延びるのは、集団のために
ならなくても善でしょう。
動物が群れを形成する場合も、集団の結束にプラスに働くベクトルと
個体の勝手な行動にプラスに働くベクトルが必ずある。
どちらが大きいかと言うことはあっても、これはたぶん同時に作用するもの
だと思う。
38 :
考える名無しさん:04/08/12 01:33
どうもスレのテーマがはっきりしない。たとえば
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
これは何かの「主張」なのかい。
「必ず集団の維持にプラスとなる行為をするべきで、マイナスとなる
行為をするべきではない」というような。
それとも、単に「善悪」という言葉の語源について述べているのかい。
ニーチェが「道徳の系譜」でやっているみたいな。
(ニーチェはまた違った考えを述べているが。)
どうも後者のような気がするが、そうだとすると、国語板か辞書板の
テーマということになる。要するに、「善悪とは何」であっても
倫理的にはあんまり意味がない。
スレ主が論じたいのはそういうことではなくて、
「絶対的・普遍的になすべきこと、なしてはならないこと、はあるのか
ないのか、あるとしたらそれは何か」というようなことではないのか。
39 :
考える名無しさん:04/08/12 01:36
|ω・`)
>「絶対的・普遍的になすべきこと、なしてはならないこと、はあるのか
>ないのか、あるとしたらそれは何か」
答え…ない。
理由…諸行無常・一切皆空
41 :
考える名無しさん:04/08/12 01:39
殺人もOK?
42 :
考える名無しさん:04/08/12 01:58
>>38 >>どうもスレのテーマがはっきりしない。
要は、善悪と呼ばれるものの正体は一体何なのか?という話しだろう。
回答としては、進化の過程で有利に生残るのに必要であったツールということだろう。
43 :
考える名無しさん:04/08/12 02:04
悪いこと平気でやる奴の方が生き残るぜ普通
44 :
考える名無しさん:04/08/12 02:07
>>38 >>倫理的にはあんまり意味がない。
倫理的に意味があるなしは全く関係なかろう。
こだわるんなら倫理版ででもスレ立てれば?
45 :
考える名無しさん:04/08/12 02:07
ヤンキー?
46 :
考える名無しさん:04/08/12 02:09
善いことをやるのも悪い事をやるのも全くの自由ということさ。
47 :
考える名無しさん:04/08/12 02:12
ぇえ?
倫理版?
>>43 「善いことでも悪いことでもその場で自分にとって最も有利なことを
瞬時に判断して実行できて、悪いことは隠して善いふりをするのが上手くて、
しかもそうしても全然悩んだりしない」奴が生き残る。
というか、そういう奴が世の中の多くを占めておる。
50 :
考える名無しさん:04/08/12 02:44
|彡サッ
51 :
考える名無しさん:04/08/12 02:54
共同体や個体維持の問題と善悪判断の問題をはなっから結びつけてる奴がいるが、
こいつの思考では、善悪という概念は何かの目的のための道具なんだな。
普遍的かつ相対的に考えたら、
気持ち良いのが善。気持ち悪いのが悪。
53 :
考える名無しさん:04/08/12 03:03
54 :
考える名無しさん:04/08/12 03:04
>>52 彼女にざーめんかけるときは気持ちいいけど、かけ終わって萎えると気持ち悪い。
時間たつと善と悪って入れ替わるん?
>>51 >こいつの思考では、善悪という概念は何かの目的のための道具なんだな。
ではあんたにとっての善悪の概念は?
>>54 放出され彼女に飛び散る(現在分詞形)ザーメンは善いものだが、
飛び散り終わった(過去分詞形)ザーメンは善いものではない。
二つのザーメンは同一のものではない。
そんな感じ?
57 :
考える名無しさん:04/08/12 03:19
んーとさ、かけてる時はまだ波打ってて彼女の顔と、
あいまってるの見ると気持ちいいじゃん?
出し終えて一息ついて顔見ると気持ち悪いじゃんか。時間差でくるよね。
58 :
考える名無しさん:04/08/12 03:20
まじで顔にかけるやついんのか。AVの世界だけだと思ってたわ
>>58 あはは、予想しただけ。しかもまだ童(ry
>>55 善悪という概念は道具=ツールではない。
たとえば、どんな方法を用いてでも駄々をこねれば好きなものを買ってくれる母親に育てられた子が
大きくなったとしよう。 彼(彼女)は、「駄々をこねることが善である」と考えるであろうか?
ほどほどに駄々をこねないと家計が破産するなどという損得勘定の判断など問題ではない。
善悪という価値基準は、効用を考えた量計算では測れない。
「母親に理不尽な迷惑をかけちゃいけない」とか「みっともないことをやるべきでない」などは
効用を考える以前の、もっと「道徳的な」判断だろう。
61 :
考える名無しさん:04/08/12 03:27
ザーメンまみれで恍惚顔の彼女の顔は
紛れもなく善!!
>>61 しかし時間経てば萎えて悪と変わる気がするんだけどこの予想どう?
善=悪だよ。
欲望を適当に美辞麗句でごまかしてるのが「善」という状態。
欲望をごまかしきれなかったのが「悪」という状態。
道徳とか倫理なんて本質的には存在しないと信じたい。
どうも、善悪を話しているとそれ以外のもの(規範、道徳など)
の話が唐突に持ち出されることが多いのだけれど、
それらと善悪の関係も明確にしておいたほうがいいのでは。
(もしも、それらについて「も」このスレで話したいなら)
>>66 さしあたって規範や道徳とは関わりのない good は善とは訳さずに、効用とか利益とか財とか品物
などと訳しますね。 そして、そのように訳す場合の対義語は evil ではあり得ませんな。
>>97 まあ、原義を「英語」にもとめるのかどうか。
(その考え方でいうとギリシャ語まで遡らなきゃらんかもしれん)
という問題を置くとしても、
「どのように」関わりがあるのか、は明確にする必要があるのではありませんか?
効用とか利益が、善と違うものであるのかどうかも不明瞭ですね。
いずれにしろ、不用意に新しい言葉を持ち込むのは、
議論を複雑にするだけじゃないんでしょうか。
本当に、「道徳」や「規範」という概念をもちこまないと、
「善」について語ることはできない(あるいは困難)なんですか?
>>68 懸命に揚げ足とってる最中に申し訳ないんだが、
good を遡ってもギリシア語にはたどり着きませんよ。
ギリシア語では agathon ラテン語なら bonum。
いずれにせよ、善悪の考察を、道徳や倫理から切り離してできますかね?
もしそうしたいなら、もっとさらに多義的な言葉「よい/わるい」とは何か、とでもスレタイを変更した
ほうがいいですね。
70 :
考える名無しさん:04/08/12 11:14
>>68 - 69
時代によって、道徳や規範が変わることは、異論ないと思う。
そうすると、我々が、道徳や規範と善悪が異なることを感じるのかどうか。
例えば、奴隷制度が全盛だったローマ時代に、奴隷制度を悪と認識していたか。
現代は、善と認識しているか。
>>69 >懸命に揚げ足とってる最中に申し訳ないんだが、
心外ですね。
私の発言のどこがどう揚げ足とりなのですか?
あなたが、関係を説明せずに唐突に導入しようとしていることは、
明白な事実だと思いますが。
>good を遡ってもギリシア語にはたどり着きませんよ。
>ギリシア語では agathon ラテン語なら bonum。
よくわかりませんね。
そのことが「good をどう訳すか」を持ち出すことを、
わずかでも正当化することになるんですか?
>いずれにせよ、善悪の考察を、道徳や倫理から切り離してできますかね?
別に「切り離す」と最初から決め付ける必要はないのではありませんか。
関係があるのならば、善悪を論じていれば、自然にそれに到達するはずです。
そうすれば、その議論の流れのなかで明らかになった関連を踏まえて、
議論すればいいだけのことです。
私は、その時点での議論の流れと関係なく、
「どのような」関連があるのかといったことを説明せずに唐突に導入
することを問題にしているだけです。
>>70 我々が、善悪と「感じること」が善悪なんでしょうか?
>>70 道徳や規範は価値体系。 善悪は価値評価。
何を善と判断し悪と判断するかは、時間−空間によって異なりうるでしょう。
しかし、他の者と関わり生きている人間には、善悪という尺度そのものを放棄することは
不可能です。
「善悪に普遍性は無い、終わり」とする人は、善悪という判断を適用する事象が可変的であることと、
善悪という尺度が厳然と存在する事とを区別できてないのです。
>>72 日本語で「善悪」といえば、道徳的・倫理的な、当為に関わる概念であることは明白でしょう?という
意味で good の例を挙げたんですが。 だから、わざわざ evil も挙げておいたでしょう?
原語云々の話をしたくて good を持ち出したのではない。
そんなことも分からずにギリシア語にまで遡らなきゃ云々と頓珍漢なことを書くあなたをからかったまでです。
善悪の話をしている最中に道徳や倫理についてのあれこれの見解が飛び出してくるのを「唐突」と感じ、
なおかつ「では、どう考えるべきなのか」を一切示さず、いちゃもん付けるだけのあなたのほうが、
よほど唐突な存在に思えます。
たとえば、「我々はそれを善だと感じるが、客観的にはそれは
間違いで、悪であるというのが正しい」(またはその逆)
というような命題に、意味はありますか。
また、「脳死者からの臓器移植」「自衛のための戦争」
「医療目的のための遺伝子操作」等々について、
「それは善なのか悪なのか」というような議論は普通に行われていると
思いますが、それは具体的には「何を」論じていることになるわけですか。
>>75 >日本語で「善悪」といえば、道徳的・倫理的な、当為に関わる概念であることは明白でしょう?という
>意味で good の例を挙げたんですが。 だから、わざわざ evil も挙げておいたでしょう?
申し訳ないですが、私には前半と後半の論理のつながりが見えません。
>原語云々の話をしたくて good を持ち出したのではない。
>そんなことも分からずにギリシア語にまで遡らなきゃ云々と頓珍漢なことを書くあなたをからかったまでです。
つまり、
>>69 の発言には、主張としての内実は無い、ということですね。
了解しました。
>善悪の話をしている最中に道徳や倫理についてのあれこれの見解が飛び出してくるのを「唐突」と感じ、
>なおかつ「では、どう考えるべきなのか」を一切示さず、いちゃもん付けるだけのあなたのほうが、
>よほど唐突な存在に思えます。
「一切示さず」というのは事実ではありませんね。
「では、どう考えるべきなのか」については、私はちゃんと示していますよ。
>「どのように」関わりがあるのか、は明確にする必要があるのではありませんか?
>関係があるのならば、善悪を論じていれば、自然にそれに到達するはずです。
>そうすれば、その議論の流れのなかで明らかになった関連を踏まえて、
>議論すればいいだけのことです。
>>76 「失恋したA子さんを付きっ切りで慰めてあげるのが善だと感じるが、実はそれは逆効果で、
本当に彼女を立ち直らせたいなら、しばらく放っておくことのほうが大事なのだ。」
こういう命題なら、一概に無意味と切り捨てるわけにもいかないと思いますが。
>>78 ということは、「具体的な」善悪についてはやはり功利主義的に考える
ほかはないということでしょうか。
「全体の幸福にとってどちらが有用か」というような。
>>79 功利と言っても、「利己」と「利他」とで違った様相を呈すでしょうが・・・
ともかく、究極的には、利己であれ利他であれ結果的にしか善悪(損得)の判定はつかないとしても
われわれは具体的な行為に関してはそのつど善悪(損得)の判断をしながら行為するしかない。
そして、その際には、「(当面の予測では)利益がでるならば何をしてもいいのか」というところにまで
考えを及ばすはずです。
この「予測を超えたところ」にまで考えを及ばすとき、道徳や倫理が姿を現す。
粗雑ですが、そんな考えでおります。
(とはいっても、私は、人は皆道徳・倫理だけを基準に行為すべきと言いたいのではありません。
しかし、道徳・倫理との葛藤がないものは「人でなし」であるとは思います)
この問題について、「彼女を立ち直らせること」の善悪は問題にならないわけですね。
なぜなら、「彼女を立ち直らせること」は目的であって、その目的について、
「付きっ切りで慰めてあげる」「しばらく放っておく」という行為が、
それを達することができるかどうかを見ている。
つまり、ある目的について、それを達することができるものが善で、
妨げるものが悪であるといえるわけです。
「彼女を立ち直らせること」が善か悪か、はまた別の問題であって、
別の目的との整合によって考えなければならない。
いずれにしても、起点となる目的は(本能的な欲求などから)恣意的に設定するしかないわけです。
>>81 >つまり、ある目的について、それを達することができるものが善で、
>妨げるものが悪であるといえるわけです。
そこまで行くと短絡。
「愛する人を金銭的に豊かにする」という目的について、それを達成できる手段が善で、
妨げるものが悪であると言い切れるかどうか。
達成手段として不正行為を選べば、やはりそれは悪であると言わねばなりますまい。
善悪という概念は、目的−手段という合理性を超えた次元にまで及ぶからこそ、
論争的概念足りうるのです。
だから、
>>65の
>善悪という言葉は、処世術、損得勘定の為のツールとして機能しているのが現実
という発言には強い違和感を持ちます。
>>82 >妨げるものが悪であると言い切れるかどうか。
「愛する人を金銭的に豊かにする」という目的以外の目的を導入しない限りは、
言い切れると思います。
>達成手段として不正行為を選べば、やはりそれは悪であると言わねばなりますまい。
においては、
(社会的制裁などを考慮すれば、金銭的に豊かになるためには、
不正行為を選ぶことは、「金銭的に豊かにする」という目的においても、
妥当でないかもしれない、という問題は保留するとして。)
「愛する人を金銭的に豊かにする」以外の目的が導入されていますね。
善悪は、目的について決まるのですから、
別の目的についての善悪は、もちろん、異なります。
>善悪という概念は、目的−手段という合理性を超えた次元にまで及ぶからこそ、
>論争的概念足りうるのです。
さて、善悪は「目的−手段という合理性を超えた次元にまで及ぶ」のでしょうか?
もし、そうだとおっしゃるなら、具体的な例を教えてください。
84 :
考える名無しさん:04/08/13 08:42
ネズミにとって、猫は、その存在自体が悪である。
これじゃダメかな。
この場合、ネズミにとって猫の目的なんて関係ないわけで・・・。
85 :
考える名無しさん:04/08/13 09:28
この世には、自分では、やりもせずにゴタクを並べる人たちが、案外多いように思われてならない。
やらなければ、やらないなりに黙っておれば言いと思うのだが、いかなる神経なのだろう。
他人のアゲ足ばかり取り、好き勝手に批判する。実証なき批判は愚の骨頂だと言えよう。
それは心ある人には"負け犬の遠吠え"としか聞こえないのではあるまいか。
ひとつの例としては――大山倍達がスカトロをしたということを聞く。
≪どうせ乾燥した糞だろう、でなければカチカチの糞だろう。たいしたことじゃないさ≫
たしかにわたしが食べた糞は、臭くて湯気のたった出したての糞ばかりではない。
なるほど約半分の糞は人間で言えば50〜60歳の、いわば出してから数日経った糞であった。
が、決して乾燥したものではない。しかし、よしんば乾燥した、臭わない糞ばかりであったとしてもいい。
わたしを揶揄するひとたちは、果たしてそんな糞を食べられるのだろうか。一度食べてごらんなさい。
スカトロがどうの、脱糞がどうのと、口で言うのは簡単である。だが、批評するなら、
糞を食べる前に、まず、小便を飲んでからにしてほしい。
それができてから、スカトロを云々するべきではなかろうか。
大山倍達著 『わがスカトロ 日々研鑚』 1980年
>>84 >ネズミにとって、猫は、その存在自体が悪である。
それは、ネズミの生きるという目的にとって、
猫の存在は悪であるということですね。
>この場合、ネズミにとって猫の目的なんて関係ないわけで・・・。
ネズミの生きるという目的は、猫の目的とは別であるということですね。
87 :
考える名無しさん:04/08/13 10:14
>>82 >さて、善悪は「目的−手段という合理性を超えた次元にまで及ぶ」のでしょうか?
>もし、そうだとおっしゃるなら、具体的な例を教えてください。
たとえば、愛する外国人妻を金銭的に豊かにするために、数億円を横領した人間がいたとしよう。
彼の横領行為は、「愛する外国人妻を金銭的に豊かにするためには善であったが、社会的−法的
には悪である」と、その目的によって善悪を割り振れるものだろうか?
ある人間の一つの行為は、一つの目的のための一つの手段としてのみなされてはいけない。
常に全体との関連で考えられるべきである。 もちろん、全体を完璧に見通すことは有限な人間には
不可能である。が、「にもかかわらず」全体を考えるとき、そこに道徳や倫理という次元が姿を現す。
>>87 >たとえば、愛する外国人妻を金銭的に豊かにするために、数億円を横領した人間がいたとしよう。
>彼の横領行為は、「愛する外国人妻を金銭的に豊かにするためには善であったが、社会的−法的
>には悪である」と、その目的によって善悪を割り振れるものだろうか?
「割り振る」、ということが、どういったことを意味しているのかよくわかりませんが、
「それぞれの目的について個々に決まる」とはいえると思います。
>ある人間の一つの行為は、一つの目的のための一つの手段としてのみなされてはいけない。
ええと、それは今の議論とどういった論理的な関連があるのしょう?
私は、「ある人間の一つの行為は、一つの目的のための一つの手段としてのみなされ」るべきであるとは言っていませんし、
そうでなければ、私の主張が成り立たないとも思いません。
>常に全体との関連で考えられるべきである。
なぜですか?
>もちろん、全体を完璧に見通すことは有限な人間には
>不可能である。が、「にもかかわらず」全体を考えるとき、そこに道徳や倫理という次元が姿を現す。
「全体を考える」というのは、「目的を「全体」に置く」、ということでしょう?
道徳や倫理を、「人間の所属する社会の存在についての善悪(社会に所属する人間、という存在についての善悪)」
と考えるのならば、「全体を考え(目的を「全体」に置い)」た場合にそれが現れるのは当然のことで、
とくに新しい要素が生じているとは思えませんが。
どうやら、
「個人的な善悪(=形式)を論じたい人」と、
「社会的な善悪(=道徳、倫理)を論じたい人」
がいるらしい。
個人的な善悪は確かに存在するけれど、社会とは無縁ではない。
だから道徳や倫理が出て来ても別段唐突ではない。
しかし「個人的な善悪(=形式)を論じたい人」にとってはそれは純粋に善悪を論じることにはなり得ないのだろう。
>>89 >「割り振る」、ということが、どういったことを意味しているのかよくわかりませんが、
>「それぞれの目的について個々に決まる」とはいえると思います。
そうした場合には、「Aという行為はBという目的にとって効果的であった」とは言えても、
「善であった」とは言えません。
「ある人間の行為はさまざまな相から善悪と呼ばれるに過ぎない。相ごとに善悪は異なる」という主張〜これは
ニーチェ的なパースペクティズムでしょう)は各相を有機的に総合して一つの実践を導こうという意思に欠けるのです。
全体を考えることは、単に目的を全体におくことではありません。全体におけるどんな個をも考慮するということです。
ですから、この全体は閉じた全体ではない。 無限としての全体です。
>>91 「個人的な善悪」にのみ従った行為は、いうなれば、自分語だけで成り立つ無意味なおしゃべりです。
それは、人間的なコミュミケーションとしての言語行為ではありません。
しかし、他者には意味不明な言葉を話すだけならいざ知らず、もっと広い意味での行為は、
他者を傷つける可能性がある。 この可能性を考慮しない善悪論など、善悪論に値しません。
93は
>>90へのレス
(なんか間違えてばっかですまん)
えと、結局どっちについて議論すればいいんだろう。
「個人的な善悪(=形式)」?
「社会的な善悪(=道徳、倫理)」?
前者は、空気の抵抗を無視した物理学のようなもので、確かに純粋かも知れないけど、不特定多数の集う掲示板でのテーマとしては難解どころか、全く無意味。
とは思わない。
しかし、(社会と切り離した)「純粋な善悪」について議論するということ自体が、特異であり、理解されにくいのは事実なのだから、
(過去ログ参照)
前者を議論したい人は、一般人もある程度ついて来れるような問題提起をキボン。
それが出来なければ、スレの話題が「社会、道徳、倫理」の方向へ向かったとしても、口を挟むべきではないかも。
これを繰り返しているばかりのような気がする。
>>89 猫とネズミの話に戻りますが、
「ネズミが生きる目的に対して猫が悪」
と言いましたが、生きることは目的なのでしょうか?
存在している事が、すなわち生きることですよね。
存在そのものが善とか悪とかって、あると思いますよ。
人間が食物連鎖の頂点にいるから、気がつかないだけで。
>>95 個人的な善悪=形式という図式はどっからきたの?
この場合の形式とはどういう意味?
>>92 >そうした場合には、「Aという行為はBという目的にとって効果的であった」とは言えても、
>「善であった」とは言えません。
「ある目的について効果的である」と「ある目的について善である」は、
どういった点で異なるのですか?
>「ある人間の行為はさまざまな相から善悪と呼ばれるに過ぎない。相ごとに善悪は異なる」という主張〜これは
私は、「善悪」が異なる、とはいっていません。
善悪はどのような目的(相?)についても同じです。
同じ基準を、さまざな目的と事柄に当てはめると、個々の目的、事柄について
善悪の判定結果が決まるといっているのであって、
異なるのは、目的と事柄の内容だけで、善悪は一貫して同じものであると申し上げているつもりです。
>ニーチェ的なパースペクティズムでしょう)は各相を有機的に総合して一つの実践を導こうという意思に欠けるのです。
それは、私には、「各相を有機的に総合して一つの実践を導く」という目的を導入しているだけとしか思えませんが。
例えば、一人の人間について、いくつもの欲求があった場合、それらは矛盾している場合があります。
「長生きしたい」「沢山酒が飲みたい」という二つの両立しない目的を一人の個人が持つような場合です。
これらになんらかの折り合いをつけない限り
(たとえば、先のことは考えずに酒を飲む、と決める場合でも)、
その当人は、自分の行動を決めることができず、
行動不能に陥るでしょう。
こういったことは、社会において、より顕著だと思います。
しかしながら、「行動しなければならない」ということに根拠は無いわけで、
(例えば、「行動しなければ死ぬから」としても「何故死んではいけないのか」と聞かれれば、
最終的には「生きていたい」という目的にたどり着かざるを得ません。)
結局はこれも恣意的な目的でしかありません。
>>92 >全体を考えることは、単に目的を全体におくことではありません。全体におけるどんな個をも考慮するということです。
>ですから、この全体は閉じた全体ではない。 無限としての全体です。
さて、「目的を全体におくこと」と「全体におけるどんな個をも考慮する」ことには、
どういった具体的な違いがあるのでしょう?
>>96 >と言いましたが、生きることは目的なのでしょうか?
「ネズミが生きる」は「猫を悪」とするような目的の例として示しただけですが。
>存在そのものが善とか悪とかって、あると思いますよ。
>人間が食物連鎖の頂点にいるから、気がつかないだけで。
あるというのなら、具体的な例を教えてください。
>>98 >「ある目的について効果的である」と「ある目的について善である」は、
>どういった点で異なるのですか?
善という言葉を「効果的」という意味に単純化したい人にとっては違いはないのでしょう。
しかし、それは他人には通用しない自分語です。
他人にも通用させたいならば、人間の行為には道徳的次元など存在しないことを
証明せねばならない。
102 :
考える名無しさん:04/08/13 12:24
>>98 >「長生きしたい」「沢山酒が飲みたい」という二つの両立しない目的を一人の個人が持つような場合です。
一人の人間が個人的領域内で処理できる行為を例に挙げるのは、善悪論にはふさわしくない。
>>100 あなたの考えだと、
絶対的な善悪は存在しないと言う結論だよね?
>>97 >>65 形式の意味は分かりません。
前スレの人はどういう意味で言ったのかと考え、とりあえず「個人的な善悪=形式」と言ってみました。
>>104 「形式」の反意語は「内容」「内実」となるのだろうから、
個人的な善悪=形式という図式が何を表しているかよく分からないんだよね。
>>101 >善という言葉を「効果的」という意味に単純化したい人にとっては違いはないのでしょう。
>しかし、それは他人には通用しない自分語です。
仮に、そうだとして、どのような違いがあるのですか?
それほど明白に違うのなら、違う点を示すのは簡単なはずですよね?
>他人にも通用させたいならば、人間の行為には道徳的次元など存在しないことを
>証明せねばならない。
というか、ここでなぜ、
「人間の行為には道徳的次元など存在しないことを証明」
などという話が出てくるのか、理解しかねるのですが?
道徳は、社会とその社会の中で生きる人を保つことについて、
効果的であることを目指して作られており、実際に効果的であると思いますが。
>>103 あなたの言う、「絶対的な善悪」とは具体的にはどういったものですか?
>>96 >存在そのものが善とか悪とかって、あると思いますよ。
人間が食物連鎖の頂点にいるから、気がつかないだけで。
私もとても興味があります。具体例を教えて下さい。
と、いっても人によって異なるから、議論に相応しいような具体例なんか挙げられないでしょ?
仮に絶対的な善悪があるとしても、人によってそれは違うでしょ?
だったら、
「善悪は絶対的・普遍的だが、内容は人によって異なる、終わり」
になっちゃうのでは?
道徳、倫理を議論から除外したがるのはなぜ?
110 :
考える名無しさん:04/08/13 13:06
「猫がネズミをとる」という行為を『善悪』という座標軸で語っても仕方がない。
『善悪』というのは、一定の共同体(群れ)の中で発生する概念なのだから。
111 :
考える名無しさん:04/08/13 13:08
生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
増やしていこうとするのが本来の姿であろう。
ところ が人間をはじめ、群れることで生存確率を上げてきた生物は基本的にはこ
れをし ない。仲間内で奪いあうと群れが維持できないからだ。逆にお互い助け合う
こと で淘汰をくぐり抜けてきた。
ヒトのこの群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところの
「善」なのである。我々の先祖が進化の過程でたまたま身に付けたもので、この
『善なる行動様式』を身につけることで厳しい淘汰を生き抜くことができたのである。
112 :
考える名無しさん:04/08/13 13:09
どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えればよい。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物
にとっては、群れを維持する為の本能を獲得している。その本
能の表れとして、群れの秩序を乱す行為を【悪】というふうに
ネガティブな反応を示し、逆を【善】とポジティブに捉える。
この感情(回路)、価値基準こそが、善悪の本質。
113 :
考える名無しさん:04/08/13 13:11
>>106-107 「道徳」の標準的な意味を確認しといたほうがよさそうですね。
|
|どうとく【道徳】
|
|人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を
|判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、
|個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度も
|これに含まれる。
|(広辞苑 第5版)
実は私はこの規定には不満がある。「一般に承認されている」という部分をもっと厳密に書く必要があると
思う。 しかし、あなたの「道徳」や「善悪」という言葉の用い方や、「善悪論に道徳の話を持ち込むのは
唐突だ」という意見は、まさに「一般的に」おかしい。
>>112 例えば教室で「静かにして下さいと一番大声で言うこと」は善?
「秩序を保つ為の戦争の道具としての核兵器が地球をも壊す威力を備えていること」は善?
115 :
考える名無しさん:04/08/13 13:13
でも、現代(特に日本?)における善悪の意識差の問題って
「共同体」という意識さえないから発生するわけで
それを例外として扱って良いかどうかはわからんけど
116 :
考える名無しさん:04/08/13 13:21
>>115 共同体の範囲の意識に差があるから、善悪の意識に差が出てくる。
当たり前の話し。
>>109 >と、いっても人によって異なるから、議論に相応しいような具体例なんか挙げられないでしょ?
>仮に絶対的な善悪があるとしても、人によってそれは違うでしょ?
あなたのいう「絶対的な善悪」というものが、どういう意味なのかよくわからないのですが。
少なくとも、それには、「誰にとっても」という意味は無い、ということまではわかりますが。
>「善悪は絶対的・普遍的だが、内容は人によって異なる、終わり」
同じ目的についてであれば、人によって善悪が変わるということは無いはずです。
>道徳、倫理を議論から除外したがるのはなぜ?
別に除外しようとはしていませんが。
ただ、善悪についてのレスですから、論及するなら、
善悪とのどういった関係において論及するのかを教えて
欲しいと申し上げているだけです。
118 :
考える名無しさん:04/08/13 13:22
>>112 その規定だと、ある行為Aが偶然的に善とか、たまたま悪、という言い方が可能になるだろうけど、
善悪という基準から行為を考えた場合、この「偶然的に」「たまたま」がはいっちゃいかんでしょ。
「繁華街のビルの屋上から机を放り投げたが、たまたま怪我人は出なかった」として、その行為は
放り投げる人間のストレス解消に役立ったから善であり、悪いことではないと言えますか?
>>113 私は、道徳についてそのような意味で、
>>106 を書いていますが、
何か矛盾がありますか?
私は、「善悪論に道徳の話を持ち込むのは唐突だ」とはいっていませんね。
「持ち込むのなら、「どういった」関係について論じるのか、ちゃんと説明してください、
そのような説明なしに、別の概念を持ち込むのは唐突だ」
と申し上げているだけです。
120 :
考える名無しさん:04/08/13 13:50
>>119 あなたは、
>>106において、道徳を「社会とその社会の中で生きる人を保つことについて、
効果的であることを目指して作られており、実際に効果的である」と述べているが、これが
すでにかなりバイアスのかかった特殊な見方なんです。
たとえば、「親友の恋人を遊ぶ半分で寝取ってみる」ことは、その親友が、それがために自殺へと
追い込まれるわけでなくとも、やはり悪と呼ばれる行為でしょう。
また、資産200億円を所有する人間から1万円をくすねても、特にその人に痛みは生じない
でしょうし、くすねる人にとっては特になったのではありましょうが、その行為はやはり悪です。
ここまで述べてもまだ、善悪論と道徳・倫理論は切り離しえないし、目的から見た効用という一元的
レベルにとどまるものでもない、ということに納得いきませんか?
121 :
考える名無しさん:04/08/13 13:59
純粋理性批判と実践理性批判かな。
122 :
考える名無しさん:04/08/13 15:23
>>119 広島と長崎の原爆を例にすると、
太平洋戦争を終結させるためには善(少なくともアメリカにとっては)であったかもしれないけど、
現在の国際法から見れば、(アメリカにとっても)悪だよね。
当時の科学者の中には、原爆の非公開実験をみて、実際の投下に反対した人もいたでしょう。
だから、やっぱり、倫理的な善悪と現実の善悪は、異なることがあって、区別できるものだよ。
(価値倫理学を支持します)
>>「どういった」関係について論じるのか
これは、実際の法律の問題としてではなく、法とか倫理とか、
現在は実行できなくても、いつか、未来の社会において、実現するべき、人類の課題
とでも解釈できるものかな。
>>120 >たとえば、「親友の恋人を遊ぶ半分で寝取ってみる」ことは、その親友が、それがために自殺へと
>追い込まれるわけでなくとも、やはり悪と呼ばれる行為でしょう。
さて、その場合の「社会とその社会の中で生きる人を損なう」(保つという目的反する)
要因は、その親友が自殺することだけでしょうか?
私には、そのような行為が「社会とその社会の中で生きる人」をなにも損なうところがないとは
とても思えません。
そのような行為は、その友人との信頼関係に大きな傷をつけるでしょう。
信頼関係は、社会秩序の根幹といっていいものです。
これがなければ社会は成立しません。これを傷つけることは明らかに、
「社会とその社会の中で生きる人を損なう」ことだと、私は考えます。
>また、資産200億円を所有する人間から1万円をくすねても、特にその人に痛みは生じない
>でしょうし、くすねる人にとっては特になったのではありましょうが、その行為はやはり悪です。
この行為も同様ですね。
あなたは、そういった行為が「社会とその社会の中で生きる人」をなにも損なうところがないと
本当に思いますか?
私はそうは思いません。
・資産200億円中の1万円であっても、資産が不当に損なわれたことに変わりありません。
・1万円労せずに手に入れた人は、同じ一万円手に入れるのに、まじめに働くことが、
労せずに手に入れる前よりも、バカらしくなるのではありませんか?
まじめな勤労意欲の喪失は、「社会とその社会の中で生きる人」を明らかに損なうと思いますが?
・1万円労せずに手に入れた人がいることを知った人たちは、どうなるでしょう?
>>120 >ここまで述べてもまだ、善悪論と道徳・倫理論は切り離しえないし、目的から見た効用という一元的
>レベルにとどまるものでもない、ということに納得いきませんか?
ですから、「目的から見た効用という一元的レベルにとどまるものでもない」善悪の、
具体的な例を示してください。あなたの示した例は、明らかに、
「目的からみた効用」という点で、目的を明らかに損なうものです。
>>122 とりあえず、その例に私の述べていることの反例になるような点は
みあたりませんが。
>だから、やっぱり、倫理的な善悪と現実の善悪は、異なることがあって、区別できるものだよ。
すいません、おっしゃることが、私の述べたことと、
どう関係するのか理解できません。
「倫理的な善悪」と「現実の善悪」というのは、いったいどういったことを示しているのでしょう?
少なくとも私はそういった言葉は使っていませんが?
126 :
考える名無しさん:04/08/13 16:46
>>125 >>、「善悪論に道徳の話を持ち込むのは唐突だ」とはいっていませんね。
>>「持ち込むのなら、「どういった」関係について論じるのか
あなたの主張の目的と手段で、善悪を考えるのは、カントの義務倫理でしょう?
カントは、「倫理的な善悪」と「現実の善悪」は、区別できないと言っている。
これに対し、アリストテレスや、功利主義では、区別できるとしている。
>>126 >あなたの主張の目的と手段で、善悪を考えるのは、カントの義務倫理でしょう?
わかりません。
私はカントを読んだことがないので・・・。
128 :
考える名無しさん:04/08/13 16:57
>>127 すいません。
倫理学には大きく分けて、あなたの説のような義務倫理学と
>>120 さんの説のような価値倫理学と二つに大別できるみたいです。
グーグルで調べてみて下さい。
129 :
考える名無しさん:04/08/13 17:02
>>118 あくまで、その共同体に属する人々が、ある行為が共同体にとって「プラスに働く」か
「マイナスに働く」か、どちらと認識するかにより決まる。
だから、当初、構成員の判断能力の限界から「悪」と認識された行為が、結果的に共
同体にプラスに働き、その後「善」であったと再認識されるケースも当然あるだろう。
>>「繁華街のビルの屋上から机を放り投げたが、たまたま怪我人は出なかった」として、その行為は
>>放り投げる人間のストレス解消に役立ったから善であり、悪いことではないと言えますか?
結果的に怪我人が出なかったからといって、共同体の構成員を傷つける可能性のあ
る行為が共同体にプラスになる行為と認識されることは無いだろう。仮に、ストレス解
消に役立ったというプラス面があったとしても、傷つける可能性があったマイナス面を
十分に補うとは認識されないのが普通だろう。
130 :
考える名無しさん:04/08/13 17:05
>>123 あなたはやっぱり道徳や倫理を効用・利益という点からしか考えられない一元的人間なんですよ。
あなたの理屈だと、資産家から労せずして1万円をくすねた事が、周知のこととならない場合には
勤労意欲の喪失を招かず、社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
周知のこととならなければ、法的には罰せられないでしょうが、道徳・倫理的にはそれはやはり悪い
行いです。 目的から見た効用などに照らし合わせる必要のない、「すべきではないこと」です。
損得抜きで、「これはしてはいけない」という行為があることを意識せずには人間は人間足り得ない。
(そうした領域の存在と、損得勘定との間で、葛藤するのは不可避であるにしてもです。)
>>128 >倫理学には大きく分けて、あなたの説のような義務倫理学と
>ぎむりんりがく 5 【義務倫理学】
>〔deontological ethics〕一定の行為を行うことはそれが招く結果を問わず道徳的義務であるとみなす倫理説。道徳法則への尊敬を唯一の動機として行為することを教えたカントに代表される。
>→目的論的倫理学
>
>三省堂提供「大辞林 第二版」より
どう見ても私の言っていることと関係があるとは思えませんが。
132 :
考える名無しさん:04/08/13 17:14
133 :
考える名無しさん:04/08/13 17:20
>>129 >結果的に怪我人が出なかったからといって、共同体の構成員を傷つける可能性のあ
>る行為が共同体にプラスになる行為と認識されることは無いだろう。仮に、ストレス解
>消に役立ったというプラス面があったとしても、傷つける可能性があったマイナス面を
>十分に補うとは認識されないのが普通だろう。
かなりの部分賛成できます。
そして、考えてみてください。 もしも、落下する机にぶつかる人間がいたとして、その人間が
共同体から見てどうしようもないクズで、共同体に何の利益ももたらさない、今後ももたらしそうも
ない、お荷物的人間であったとしたら・・・・その際には、机を放り投げる行為は善い行為と言われ
うるでしょうか?
134 :
考える名無しさん:04/08/13 17:29
>>133 その場合も、善い行為と見なされることはないでしょう。
でも、例えば、机にぶつかった人間が、他の人間を今まさに
刺し殺そうとする瞬間で、それを辞めさせる緊急避難的な意
図を持った行為であったならば、善い行為と見なす可能性も
あるでしょう。
>>130 >あなたの理屈だと、資産家から労せずして1万円をくすねた事が、周知のこととならない場合には
>勤労意欲の喪失を招かず、社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
あなたは、誰かが他人のお金をくすねても、それが周知のこととならない場合には、
社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならないと考えるのですか?
私はそうは思いません。
まず、周知のこととなるかどうかは、資産家とくすねた当人にとってはそのことは関係ありませんね。
したがってここで既に、「社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね」
とはもういえません。
それと、周知のこととなれば、社会とその社会の中で生きる人を損なうことになる、
という点をあなたが認めてくださるのならば、次のようにいえます。
周知のこととなれば、社会とその社会の中で生きる人を損なうような行為が、
行われる以前と、実際に行われた後では、
そのような行為が周知となる可能性は、明らかに、実際に行われた後のほうが大きくなります。
(行われる前の可能性は0 ですから、周知になる可能性がいくら低くても、
大きくなることに変わりはありません)
つまり、その行為によって、その社会が損なわれる可能性が増加したわけで、
堅牢さにおいて、社会は以前より劣ったものになるわけです。
136 :
考える名無しさん:04/08/13 17:34
>>134 >その場合も、善い行為と見なされることはないでしょう。
結果的には共同体にとって利益になる行為のはずですよね?
では何故善い行為とは見なされないのか・・・
(後段の例は、今まさに被害を受けようとしている人を救うための意図的行為ですから
これについては別に論じたほうがいいでしょう。)
>>132 いや、それ以前に、
>>131 で示した定義と、私の言っていることが、
どこで符号するとあなたが思ったのかを教えてください。
私には、全く異質のものとしか思えません。
138 :
考える名無しさん:04/08/13 17:36
>>136 善か悪か判断するのは、結果ではなく、共同体の構成員です。
結果がどうであろうと、その行為が行われることが共同体にマ
イナスに働く可能性が高いと判断されれば、『悪』と認識される
でしょう。
139 :
考える名無しさん:04/08/13 17:38
140 :
考える名無しさん:04/08/13 17:39
>>137 そこまで教えないとダメなの?
自分で、探して勉強するのが、2ch のマナーだよ。
>> 3.意志を意志する意志、目的を立てるという目的
を読んでみて。
141 :
考える名無しさん:04/08/13 17:43
>>138 ですから、共同体の構成員がそれを悪と認識するのは何故でしょうか?ということ。
被害に遭うのが自分かあるいは自分にとって大切な人の可能性があったから?
そもそもいわれなく人を傷つける可能性が高い行為であるから?
どちらでしょう?
横合いから失礼いたしますが、私やはり道徳・倫理・善悪を規定するのは
第一義的には結果的な効用・利益だと思うのですが。
純粋な行為・動機・意志等が非難の対象にされるのは、それが通常の因果関係
においては効用・利益の点で悪い結果をもたらすからであって、
(ビルの屋上から机を投げるなどその典型です)
そういう行為や意志が結果のいかんにかかわらず非難されるのは当然であり、
別に問題になるようなことではないと思うのです。哲学的にそれが大問題である
かのように論じられているのが、どうもよくわかりません。
逆に、行為の類型や意志や動機の点で何ら悪い点がなくても、結果が悪い場合
(典型的なのは交通事故等の過失ですが)には、「悪」として非難される場合があります。
また、たとえば道に飛び出した野球のボールが外の人に当たった場合、
通常なら非難されますが、たまたまそれが指名手配中の凶悪犯だった場合は、
「お手柄」とされることも十分考えられます。
言いたいことは単純で、「行為自体の善さ・悪さは、究極的には結果によって
規定されるので、その逆ではないだろう」ということなのですが。
カントのような考え方は、どう考えても倒錯しているとしか思えません。
143 :
考える名無しさん:04/08/13 17:46
>>141 >>そもそもいわれなく人を傷つける可能性が高い行為であるから?
これでしょう。
>>140 あなたのおっしゃることが、
わずかでもわたしの述べていることと符合すれば納得します。
しかし、「ことごとく」符合しないのです。
そのあなたに、「君の考えはこれだから、これを見て勉強しなさい」といわれても、
にわかに信用する気になれません。
145 :
考える名無しさん:04/08/13 17:54
>>143 わたしもそう思います。
そして、それが非難されるべき理由は、共同体にとっての利益云々を超えたところにあるでしょう。
私たち人間は、それが利益になろうがなるまいが、いわれなく人が傷つけられるのを「悪」とみなす
感性を持っています。 これなしには人間は人間足り得ない、と私は思う。
146 :
考える名無しさん:04/08/13 17:56
>>144 つくづくあなたは損得勘定の人間なのですね。
147 :
考える名無しさん:04/08/13 17:59
>>144 コピペするとかなり長いから、
他の人が迷惑するよ。
3章から5章までを良く読めば、全部理解できます。
>>139 ちゃんと、
>>130 の、
>社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
に対して、そうではないことを、根拠を示して述べていますが?
149 :
考える名無しさん:04/08/13 18:07
>>135 >まず、周知のこととなるかどうかは、資産家とくすねた当人にとってはそのことは関係ありませんね。
>したがってここで既に、「社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね」
>とはもういえません。
ワケワカランw
この論理の破綻具合はじゆんだな
>>144 コピペはやめてください。今でも充分迷惑です。
>>149 どこか意味の通じない点がありますか?
>>130 >あなたの理屈だと、資産家から労せずして1万円をくすねた事が、周知のこととならない場合には
>勤労意欲の喪失を招かず、社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
は、
>>123 >・資産200億円中の1万円であっても、資産が不当に損なわれたことに変わりありません。
>・1万円労せずに手に入れた人は、同じ一万円手に入れるのに、まじめに働くことが、
> 労せずに手に入れる前よりも、バカらしくなるのではありませんか?
> まじめな勤労意欲の喪失は、「社会とその社会の中で生きる人」を明らかに損なうと思いますが?
>・1万円労せずに手に入れた人がいることを知った人たちは、どうなるでしょう?
の、最後の1つとしか関係が無い、という意味ですが。
153 :
考える名無しさん:04/08/13 18:16
>>145 >>これなしには人間は人間足り得ない、と私は思う。
そうですね。このような、共同体の維持にマイナスとなる行為を本能的に嫌い、
排除しようとする性質を身に付けていなければ、進化の過程で生残ることが
できず、今の人間は居なかったでしょうね。
154 :
考える名無しさん:04/08/13 18:21
そもそも、なぜ人間は人間足り得なければならないのか。
人間が人間ではなく、クマ足り得なければならないとしたら大変だ。
156 :
考える名無しさん:04/08/13 18:28
そもそも、なぜ共同体を維持しなければならないのか。
そもそも、なぜ人間は幸福でなければならないのか。
そもそも、なぜ人間は不幸であってはならないのか。
そもそも、なぜ善いことをしなければならないのか。
そもそも、なぜ悪いことをしてはならないのか。
そもそも、なぜ賞賛されることをしなければならないのか。
そもそも、なぜ非難されることをしてはならないのか。
そもそも、なぜ人間は存在しなければならないのか。
そもそも、なぜ世界は存在しなければならないのか。
157 :
考える名無しさん:04/08/13 18:33
>>156 別に、共同体を維持しなければならないというわけではない。
別に、人間は幸福でなければならないというわけではない。
別に、人間は不幸であってはならないというわけではない。
別に、善いことをしなければならないというわけではない。
別に、悪いことをしてはならないというわけではない。
別に、賞賛されることをしなければならないというわけではない。
別に、非難されることをしてはならないというわけではない。
別に、人間は存在しなければならないというわけではない。
別に、世界は存在しなければならないというわけではない。
158 :
考える名無しさん:04/08/13 18:34
159 :
考える名無しさん:04/08/13 18:39
え?
きまりをまもる=善
きまりをやぶる=悪
じゃねえの?難しく考えすぎw
160 :
考える名無しさん:04/08/13 18:42
>159
ぴかぁー、ひっこめよ。
161 :
考える名無しさん:04/08/13 18:44
162 :
考える名無しさん:04/08/13 18:45
そもそも、なぜ共同体は存在するのか。
そもそも、なぜ人間に幸福が存在するのか。
そもそも、なぜ人間に不幸が存在するのか。
そもそも、なぜ善いことが存在するのか。
そもそも、なぜ悪いことが存在するのか。
そもそも、なぜ賞賛されることが存在するのか。
そもそも、なぜ非難されることが存在するのか。
そもそも、なぜ人間が存在するのか。
そもそも、なぜ世界が存在するのか。
解:・・・そんなこと俺に聞かれても・・・・
>>156 その「ならない」というのは、すべて「意志表示」であり、
あるいは「命令」である。
意志表示や命令はかならず何らかの「判断主体」が行うものである。
君の挙げている「ならない」は、すべて人間とその集合体である社会が
「判断主体」として他の判断主体あるいは自分自身に対して発している
「意志表示」であり「命令」である。
それに対して「なぜ」と問うなら、答えは明白であり、
「判断主体がそれを望んでいるから、もしくは望んでいる何かのために
それが必要だと判断しているから」である。何の疑問もない。
164 :
考える名無しさん:04/08/13 19:10
>>153 共同体の維持に損か得かを越えた部分で成り立ってる判断があることを確認しあった上で、
なお、共同体維持の損得という根拠にこだわり、あまつさえそれを進化論的おとぎ話で正当化
しようとする意図が分かりません。
違うね。繰り返させんなよ。日本人には他者がないのかよ。決定的に昔から変わらんようだ
>>152 あんまり頭の悪そうな理屈ばかりこねないで下さい。
「くすねた人間は、その行為を一回こっきりにし、まじめな勤労意欲を失うことがなかったならば〜」
と考えれば社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
はい。類似の論法でいけるでしょ。これに対する反論はどっかにありますか?
167 :
考える名無しさん:04/08/13 19:38
>>164 「共同体の維持に損か得かを越えた部分で成り立ってる」と主張する根拠がわかりません。
>>166 >「くすねた人間は、その行為を一回こっきりにし、まじめな勤労意欲を失うことがなかったならば〜」
>と考えれば社会とその社会の中で生きる人を損なうことにはならなくなりますね。
「くすねた人間は、その行為を一回こっきりにし、まじめな勤労意欲を失うことがなかったならば〜」
という仮定は、対象を人間とする以上、妥当とはいえません。
なぜなら、人間というものの性質を考えた場合、一度、そのような方法で労せずにお金を手に入れた人間は、
そうでない人間と比べて、もう一度同じような楽をしようと考える傾向がより強くなるのであり、
まじめな勤労意欲を失う傾向がより強くなるからです。
もちろん、その行為を一回こっきりにし、まじめな勤労意欲を失うことがない人もいるでしょう、
しかし、そのようにするためには、最初から一度もしないよりも、より強い自制が必要となるはずであり、
結局のところ、労力の浪費が生じます。
人間一般がそのような性質を持っている以上、その人間によって構成される社会にとって、
「金をくすねること」は、必らずそれを損なう行為となるわけです。
窃盗・殺人・所有意識の話しだね。
ふむふむ。なるほど窃盗犯は堂々と、公然と自分のものとして盗んでゆく。
人を殺したり傷つけたりする根拠に所有意識がない場合は、単なる過失だし。
「虫を殺してもいいのに猫を殺しては何故いけないの?」とも関連するが
所有権が主張される可能性のあるものを故意に剽窃・破壊すると人間間で
トラブルが発生する(おそれがある)。
トラブルはやっかいだ。こちらの主張を聞いてくれない相手がヤミクモに
粘着してくる。「ゆるさない!」「復讐してやる!」「殺してやる!」
その報恩雪恨の人間行動(動物行動)の法則を理解したひとが社会のきまりを
つくって守るように促している。まもらないと報恩雪恨の動物行動にさらされ
ヤヤコシイことになるからな!
そういう事のようだ。
170 :
考える名無しさん:04/08/14 09:52
何かで読んだけど、善悪の話をしてると、
もめることが多いんだって。
普通、善悪を考えるような人だから、良い人と思うじゃない。
ところが、善悪は、人それぞれが信じているところがあるせいか、
逆に、もめるんだってさ。
みんなも、気をつけよう。
ええっ!そうなの?
じゃあ、胸の大きい女の子と話をする機会が
あったら、善悪の話をしよう。
俺はたとえ胸が小さくてもしまーす
173 :
考える名無しさん:04/08/14 18:14
>>169 >なるほど窃盗犯は堂々と、公然と自分のものとして盗んでゆく。
「自分のもの」として「盗む」とは矛盾した言い回しです。
>人を殺したり傷つけたりする根拠に所有意識がない場合は、単なる過失だし。
「自分の命や体は自分のもの」という所有意識ですか?
それがない場合なんてありますか?
>>169 君は要するに
善=報恩の動物行動を引き起こすもの
悪=雪恨の動物行動を引き起こすもの
と言いたいのけ?
「所有意識」だの「ヤミクモに粘着」だのという意味不明の語句を除くと、
それしか残らんが。
>>173 上
「窃盗犯は 公然と 盗む」+「自分のものとして」だ!
>>173 下
あるんじゃねえの?自分の体に限定したい意図は理解できませんが。
街中を歩いていて「ああ、こいつらはアカの他人、第三者なんだなぁ」って
改めて思う事ない?それっていったいナニを再確認したのかって思えば
ヒト(自他)の体に対して自分が隠然と所有意識を及ぼしてると命題化
するのもありだと思うのだが。意識行動に対する説示なので実存を提示
するのは困難だけどね。『俺には無いよ』ていうならそれまでのこと。
>>174 おお!そうだな!報恩雪恨という表現を使ってみたかっただけだw
善悪なんて「いいこと」「わるいこと」といった程度の雰囲気で、
それをどう解釈するなんてな認知論の範囲でしょう。報恩雪恨の
行動は具体例としていくらでも上げることが出来る(めんどうだがw)
176 :
考える名無しさん:04/08/15 14:58
>>175 >「窃盗犯は 公然と 盗む」+「自分のものとして」だ!
ばか?
>「自分の命や体は自分のもの」という所有意識ですか?
>それがない場合なんてありますか?
に対して
>あるんじゃねえの?自分の体に限定したい意図は理解できませんが。
>街中を歩いていて「ああ、こいつらはアカの他人、第三者なんだなぁ」って
>改めて思う事ない?
このレスはワケワカランww 池沼か
>>176 >このレスはワケワカランww 池沼か
ワケワカランこのスレに書き込んだあなたも、やがて池沼の仲間入りw
今度こそお開きだな
179 :
考える名無しさん:04/08/15 15:08
>>177 あまりにabsurdな点を指摘すると、指摘した側がabsurdな人間になるという根拠は?
何を期待してんだ?ああ?
糞レスでageんなsageとけヴォケ!
181 :
考える名無しさん:04/08/15 15:55
absurdity は是非晒さねば
182 :
考える名無しさん:04/08/15 16:13
善…口内発射
悪…膣内発射
報恩雪恨の動物行動と所有意識が『善・悪』の基本行動だとおもうなぁ
土地区画整理のとき、近隣と境界確認をした経験があるヤシは
多かれ少なかれ実体験としてわかると思うけど、現状として使用・
生活している領域と、登記上の境界線がズレてる場合なんか良く
あるわけで。このとき自分の所有物だとおもっている領域が法的
に支持されないケースってけっこうあるわけ。
大抵そんな場合『原登記が間違っている』と思うわけで。とくに
土地の場合は世代を超えて原合意が提示されるからなおさらで。
自分の主張が通らず土地が目減りした側は恨み骨髄、大抵モメ
るわけね。
つーかよ。なんでいまさら『善悪』なんだ?善悪なんてキリストの
時代から自明だったんでねえの?
ああ、報恩雪恨の行動原理が野蛮だと考える向きには善悪は議論の
対象になるのか。『恩を受けたから報いる』『恨みは雪ぐ』だけで
いいのか?ってことか?まあそれなら議論してもいいかもな。
184 :
考える名無しさん:04/08/15 17:33
>>175 >>あるんじゃねえの?自分の体に限定したい意図は理解できませんが。
>>街中を歩いていて「ああ、こいつらはアカの他人、第三者なんだなぁ」って
>>改めて思う事ない?
なんかカミユの異邦人を思い出します。
命に関する解釈は、倫理の考え方で異なってくるような気がします。
ハイデガーの存在論ふうに考えると、人間を考えた場合、普通死体を思い浮かべる人は
いませんから、命は人間に付随する(これを所有と考える事もできますが)ものでしょう。
また、基本的人権で、所有権が含まれる財産権には、普通命は含まれません。
命は、自由権(殺されない自由)や社会権(人間らしく生きる権利)として扱われます。
ここまで考えると、カント的な義務倫理学では、命の問題は扱えないような気がします。
(これは、個人的な意見です)
>>184 >ハイデガーの存在論ふうに考えると、人間を考えた場合、普通死体を思い浮かべる人は
>いませんから、命は人間に付随する(これを所有と考える事もできますが)ものでしょう。
生きている人間こそが人間だと考えるなら、命は人間に「付随するもの(くっ付いているもの)」では
なくて、命は人間の本質だと考えるのが妥当でないかい?
186 :
考える名無しさん:04/08/16 00:54
>>183 >つーかよ。なんでいまさら『善悪』なんだ?善悪なんてキリストの
>時代から自明だったんでねえの?
『「目には目で、歯には歯で。」と言われたのを、あなた方は聞いています。
しかし、わたしはあなた方に言います。悪いものに手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ
ような者には、左の頬を向けなさい。
あなたに1ミリオン行けと強いるような者とは、一緒に2ミリオン行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。」と言われたのを、あなた方は聞いています。
しかし、わたしはあなた方に言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』
(マタイ:5, 38-44)
>>186 キリストすげえよ、漏れそんなのようせん!ってか_
【ここまでのあらすじ】
『あなたの右の頬を打つような者には、左の頬を向けなさい』
↓
『キリストすげえよ、漏れそんなのようせん!ってか_』
↓
えらそうなクチきくな!できるもんならやってみろ!(パリサイ派のヤジ)
↓
『わたしがあなたたちの罪をひきうけてあげよう』こうするのだザシュ!
・・・・ざわ・・・・ざわ・・・・
現代もいまだ『・・・・ざわ・・・・ざわ・・・・』のなかにある
つー訳やね ^^;
190 :
考える名無しさん:04/08/16 08:57
>>188 神の言葉を使わないで考えてくれ >キリスト教徒
聖書の言葉を出せば、一行で答えが出てしまう。
イエスという人間がかつて実在し、過去何百兆と繰り返された
生命と死を生きたとし、また神とよばれるものがいまだかつて
その存在が確認されなかったとしても、
たった一人の死を物語として語り続けることによる効用はあると思う。
いまは善悪の議論だから、あまり神をもちだすのは混乱の元だと
思うのだが、宗教的な善悪観を思うなら『葬式』はどうだろう。
葬式というのは、主役がいない。死んでるからな。
ところがその主役のためにワザワザ儀式をおこなうわけだ。
みんな空っぽの主役のことを思い、空席のヒトのために
いろいろと行動する。おもんばかり、思いやるわけだ。
まあ壮絶なバカというか。アホな行動であるわけで。
どうやら人間には、そういった『空席』のものに対して
なにかを思い、行動するという原理があるようだ(動物行動?)
なんだろうねこれは?まあいずれにせよ原始宗教とかアミニズム
とかも(存在するはずのない主体)に何かを思う点では共通する
ものがあるようで。んで、その空席のヒトにとって良かれとおもう
行動と悪しかれとおもう行動があると、もうりっぱな『善悪』だわな。
報恩雪恨が現世(在席)の善悪なら、空席の善悪もあるという例。
>>186でのマタイからの引用は、報復感情に基づいた自然的な倫理観への批判であって
殊更に神(つーかイエス)の言葉だからどうだのこうだのとケチをつけるのは筋違い。
「行為を感情で正当化するなかれ」
194 :
考える名無しさん:04/08/16 11:36
>>192 プ
マッチポンプ乙
1 行動原理を検討するのに、なぜか行動(原理)の結果の集積である
言語上の定義を無批判に援用 主役は一義的に決まるのか
例えば、主役は死人であるのにまるでそうでないかのようだった
(例えばある人間の葬式に長嶋茂雄が参列した状況)という言い方
が成り立ちうるが、この場合主役は誰か(葬式にきた人間にとって
印象に残ったこと(ヒト=主役)は何か)?
2 空席かどうかは死んでいるかいないかで決まるという基準を
立てているが、死んでいても空席でない関係があるから葬式
をするという解釈は成り立たないのか(192のマッチポンプ)
192みたいなアホは黙ってるのが世のためだなw
>
>>186でのマタイからの引用は、報復感情に基づいた自然的な倫理観への批判であって
報復感情に基づいた自然的な倫理観への「否定」なのはわかるが、
「批判」にはなっていないような。
ぶっちゃけキリストは報復感情に基づいた自然的な倫理観は「ダメだ」
といっているだけで、根拠は一つも示していないのでは。
「感情」抜きに行為を正当化したり不当化したりするのは
どう考えても無理ではないか。人間が感情を持たない動物だったら、
善悪なんか存在しないだろう。
196 :
考える名無しさん:04/08/16 12:10
現行法では、死体は所有物だからね。
臓器を取れば、窃盗罪(笑
>>195 >報復感情に基づいた自然的な倫理観への「否定」なのはわかるが、
わかってない。
何故なら、イエスは、人間が報復感情を持つ存在であることを否定しているわけではないから。
彼が言っているのは、「報復感情に基づいて振舞ってはなりません。そのように振舞うよりは、
むしろ感情とは逆に振舞いなさい」ということ。
倫理は行為に関わることであり、対他関係の行為は感情をよりどころにしちゃいけませんよ、ということ。
いやイエスがそういう命令を発していることはわかるが、その根拠が
さっぱりわからない、ということ。
感情をよりどころに行為して何が悪いのだろうか。というか、
そうでない人間などどこにもいないのでは。
また「そういう人間ばかりになればどんなにか素晴らしいだろう」とも
全然思えない。気持ち悪いだけでは。
195は、人間から感情が抜けているという前提で考えるのが
不自然だという事と、行為の正当化に感情をそのまま理由と
して込めることがいけないという価値判断の問題とを混同している。
200 :
考える名無しさん:04/08/16 12:31
198は形式を備えなければ伺える実質は無視すると論じている。
論理的に正しい内容を述べて、実質的内容を無視する、
議論における悪い態度の典型。
201 :
考える名無しさん:04/08/16 12:33
しかも、キリストの発言については形式的に論じているのに
自分の見解については実質的に論じている。
「感情のよりどころに・・・何が悪いのだろうか。〜のでは。」
「・・・全然思えない。気持ち悪いだけ」
こういう二重の基準の持ち主は最悪である。
197はわざわざ論じたりせずに無視するのが賢明だと思う。
202 :
考える名無しさん:04/08/16 12:34
201 実質的に論じている→形式を備えずに実質だけで論じている
いやだから「行為の正当化に感情をそのまま理由と
して込めることがいけない」のはなぜなのか、わからんのよ。
理由書いて。
俺はそうして何の不都合もないし、現に今でもみんなそうしている
としか思えないのだけど。
204 :
考える名無しさん:04/08/16 12:35
198は確かに汚いなw
むしゃくしゃしたからやった、今では反省している。
むしゃくしゃしたからやった、今では反省している。
207 :
考える名無しさん:04/08/16 12:38
198って応報大好き死刑存置論者のヒッキー君でしょ?
>>203 例えばむかついたから殴った、では、正当化にならないのは自明なのでは。
何だかちっともわからない。
俺ごく普通のこと書いているだけのつもりなのに、なんで
こんなに反発があるの。
この板はキリスト教徒が多いのか。
210 :
考える名無しさん:04/08/16 12:41
203みたいな輩は時代が時代なら、上官が言ったからといって嬉々としながら一般市民を銃殺し婦女子をレイプして、責任を追及されると上官に
指示された範囲内で行動したから悪くないとかほざくんだろうなw
212 :
考える名無しさん:04/08/16 12:42
213 :
考える名無しさん:04/08/16 12:43
203は正論だよ〜〜ん。
214 :
考える名無しさん:04/08/16 12:44
193の言葉を再度掲載
報復感情に基づいた自然的な倫理観への批判であって
殊 更 に 神 ( つ ー か イ エ ス ) の 言 葉 だ か ら
どうだのこうだのとケチをつけるのは筋違い。
>208
ああそういうこと。それはその通りよ。
俺が言っているのは正当化の根拠をたどっていくと最後は感情に
行き付くのではないの、というだけなんだけど。
216 :
考える名無しさん:04/08/16 12:44
217 :
考える名無しさん:04/08/16 12:44
199 :考える名無しさん :04/08/16 12:29
195は、人間から感情が抜けているという前提で考えるのが
不自然だという事と、行為の正当化に感情をそのまま理由と
して込めることがいけないという価値判断の問題とを混同している。
>>215 感情にいきつくからといって、感情をそのまま行為の正当化理由
としてよいことには結局ならないわけだが。
>>218 論理性だけで、善悪が決定されていると、仮に仮定してごらん。
出てくる結論は、あなたが想像しているモノと全く逆になるよ。
220 :
考える名無しさん:04/08/16 12:49
218には論理性だけで決定されると書いてないわけだが。
>>218 そうだね。
「正当化」という概念そのものが、感情のみのレベルでは捉えきれない人間存在を示してると思う。
222 :
考える名無しさん:04/08/16 12:51
195=203=213は、感情と論理を切り離して考えてる時点でドアホ
誰がどの発言してるのか、わからん! (笑
>>222 普通は、切り離すだろ。
デカルトとロックの差じゃない。
225 :
考える名無しさん:04/08/16 12:56
概念的に切り離すことと、論理的推論の段階で感情と論理を混同することで
「感情と論理の切り離し」をすることは全く別です
226 :
考える名無しさん:04/08/16 12:57
>>223 孤軍奮闘してるから213のだけはよくわかるよね(笑
>>198 >感情をよりどころに行為して何が悪いのだろうか。というか、
>そうでない人間などどこにもいないのでは。
もちろん、人間は動物なのだから感情のままに行為したいさ。
でもね・・・・
この「でもね・・・・」をしっかり考えないと、善悪や倫理を考えてることにはならないと思うよ。
228 :
考える名無しさん:04/08/16 12:58
>>224 感情と論理を切り離して論理を感情に帰結させる構成をとることがおかしいという意味だっつーの
229 :
考える名無しさん:04/08/16 12:59
>>226 203は、馬鹿らしくて、逃げたんだよ。(笑
230 :
考える名無しさん:04/08/16 13:00
228じゃまずいな、感情に帰結させた上で、感情を当為そのものとする構成をとるのがおかしい、に訂正
231 :
考える名無しさん:04/08/16 13:00
233 :
198=203=213:04/08/16 13:03
むしゃくしゃしたからやった、今では反省している。
234 :
考える名無しさん:04/08/16 13:03
>>227 215が、説明してくれてるだろ〜。
良く読め。
235 :
考える名無しさん:04/08/16 13:04
>>227 まるで幼稚園児を相手にしてるかのようだな
やむをえないがw
236 :
考える名無しさん:04/08/16 13:04
>>234 「どうしてそんなことするの?」
「したいからに決まってんじゃん」
こういうのは正当化とは言いませんよ。
それくらいは分かりますか?
話がどんどん浅くなってるなんて!
善悪の共通化をしていこうとすれば、論理性が最も重要になる。
これは、経験主義でほとんどの法律ができていることからも分かる。
しかし、215が言うように、感情(正確には価値観)に基づく善悪もあるということ。
>>239 論理性と経験主義との関係は?
感情とは価値観のこと?
変に新しい概念を導入して話をややこしくしないでほしい。
241 :
考える名無しさん:04/08/16 13:13
>>239 感情をどんなに正確に言い表しても、感情だけで価値観につながることは
ないんですが。つーか、あからさまに俗な誤解を堂々と並べて
「ということ」とかカッコつけるのはやめてくださいよ。うざすぎです。
242 :
考える名無しさん:04/08/16 13:15
213って相当馬鹿だな
243 :
考える名無しさん:04/08/16 13:15
>>240 経験主義 = 科学的ものの考え方
価値観 = 合理性で説明できないもの(共通性、普遍性は見つけられるかもしれないが)
245 :
考える名無しさん:04/08/16 13:17
>>244 共通性や普遍性が見出される価値観は合理的ではないんですか?
ていうか、経験主義=科学的なものの考え方って・・・
相手する価値無し
>>243 悪いけど、俺も落ちるわ。
説明する時間ないし。(笑
247 :
考える名無しさん:04/08/16 13:18
>>244 >経験主義 = 科学的ものの考え方
>価値観 = 合理性で説明できないもの(共通性、普遍性は見つけられるかもしれないが)
唖然・・・・
249 :
考える名無しさん:04/08/16 13:18
>>246 何が
「俺も落ちるわ。」だ。
ボ ケ が 。
あー落ちちゃったよ
251 :
考える名無しさん:04/08/16 13:19
195=198=203=213=215
氏んでね
253 :
考える名無しさん:04/08/16 13:20
244をよく書けたな・・・馬鹿な高校生が夏休みってことで書き込んだのかな
246 名前:213 投稿日:04/08/16 13:18
>>243 悪いけど、俺も落ちるわ。
説明する時間ないし。(笑
255 :
考える名無しさん:04/08/16 13:21
>>248 説明しなくていいぞ、この手の奴は相手すると酷いことになる。
257 :
考える名無しさん:04/08/16 13:23
>>252 帰れβακα..._φ(´ι _` )
いや、もういいよ…
260 :
考える名無しさん:04/08/16 13:24
>>256 けいけん-しゅぎ 5 【経験主義】
(1)「経験論」に同じ。
(2)理論的認識によらずもっぱら自己の具体的な経験のみを重んずる態度。
かがく-てき くわ― 0 【科学的】 (形動)
(1)論理的・客観的・実証的であるさま。
(2)特に、自然科学の方法・成果などに関するさま。
「―捜査」
辞書ぐらい引きましょう・・・。
>>260 分かった。相手にした俺が馬鹿だった。(笑
262 :
考える名無しさん:04/08/16 13:26
264 :
考える名無しさん:04/08/16 13:27
213、かわいそうな奴だな
>213
「仮説と検証が科学的な手続きだから、これは経験主義なんだ」とか思ってるのかな?
たとえばヒュームの経験論がどういう風に科学的なのか説明してごらん。
経験論と科学的な態度は決して無関係ではないが、同値ではないよ。
266 :
考える名無しさん:04/08/16 13:28
相手にした<俺が馬鹿だった>と認めたジョークなんだ、ってのはナシですよ、論理的な213タン。
>>265 そう言う厳密な意味で言っているのではないよ。
経験主義 = 実証主義 = 現代の科学的な手法
と言う意味。
268 :
考える名無しさん:04/08/16 13:29
>>265 そんなレベルに達してないんだって場よ
相 手 し て は い か ん
269 :
考える名無しさん:04/08/16 13:31
>>267 >そう言う厳密な意味で言っているのではないよ。
あのね。 ここは学問板なの。
腐りきってるけど、一応学問板だということは意識してね。
>>269 だいたい、法哲学で、経験主義と言った場合、
ヒュームの経験論まで含めるか?
物理でよくやる思考実験は実証なのかな〜?
273 :
考える名無しさん:04/08/16 13:34
213は
>>261で
>>260のどのへんが馬鹿だと思ったんだろう
まさか260が辞書の定義を絶対だと考えたから馬鹿だとか
自己変換したんじゃないよね!!!
>>272 そりゃ、仮説だろ(笑
実証できなきゃ、科学じゃないよ。
240 名前:考える名無しさん 投稿日:04/08/16 13:12
>>239 論理性と経験主義との関係は?
感情とは価値観のこと?
変に新しい概念を導入して話をややこしくしないでほしい。
276 :
考える名無しさん:04/08/16 13:35
>>271 いや、それっぽい単語並べて知ったかしても意味ないから
とっとと落ちて
277 :
考える名無しさん:04/08/16 13:35
実証できなきゃ、科学じゃないよ
ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
278 :
考える名無しさん:04/08/16 13:35
>実証できなきゃ、科学じゃないよ。
馬鹿丸出しだな・・・
280 :
考える名無しさん:04/08/16 13:36
213は天文学は科学でないとおっしゃるわけだ。すげえぜ。
10次元とか実証してるんか?
282 :
考える名無しさん:04/08/16 13:37
>>279 213の脳内のという前置きが抜けてますよ。
283 :
考える名無しさん:04/08/16 13:37
量子力学
284 :
考える名無しさん:04/08/16 13:38
285 :
考える名無しさん:04/08/16 13:39
つうか実証だけで学問が成立するっていう観念自体がもうなんというかね
直接検証不可能な事柄については、
観測事実について、もっともよく符合する仮説を、
当面最も有力な仮説とみなす、というのが科学的な方法だよ。
もちろん、その仮説に反する観測事実が発見されれば、
その仮説は破棄される。
>>274 >実証できなきゃ、科学じゃないよ。
特殊相対性理論を生み出す営みは、太陽の近傍を通る光の曲がりで実証するまでは
科学ではなかったのか・・・
289 :
考える名無しさん:04/08/16 13:43
いまさらだがスレの立ち上がりのところって、ほとんど213の自演なんじゃないの・・・。
290 :
考える名無しさん:04/08/16 13:43
>>287 だから、仮説だって。
相対論は、今でも、否定される可能性が残っているでしょ。
292 :
考える名無しさん:04/08/16 13:45
仮説とみなすのが科学的な方法で、それは実証されていないのに、
科学は実証的でなければ科学ではないんですか?
>>291 >相対論は、今でも、否定される可能性が残っているでしょ。
どういう可能性?教えて。
294 :
考える名無しさん:04/08/16 13:45
それ
↓
仮説の内容
295 :
考える名無しさん:04/08/16 13:46
>>291 相対論が否定される可能性ってどんな可能性ですか?
296 :
考える名無しさん:04/08/16 13:47
246 名前:213 投稿日:04/08/16 13:18
>>243 悪いけど、俺も落ちるわ。
説明する時間ないし。(笑
時間平気か?
297 :
考える名無しさん:04/08/16 13:47
213は仮説の妥当性について完全な誤解をしてますなw
298 :
考える名無しさん:04/08/16 13:48
ていうか、そもそもニュートン物理学って相対論の登場で否定されたのかいな。
>>295 量子論との統合ができていないんだよ。
だから、否定される可能性もほんの少し残っている。
(いい加減にしてくれ)
300 :
考える名無しさん:04/08/16 13:49
>>213 | |
| |∧_∧
|_|´・ω・`) とりあえず、へこんだりしたらつかってくださいね
|お|つ つ ._ _ _ _ _ _
| ̄|―u' |○| .|○| .|○| .|○| .|○| .|○|
.."""""""  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
組み立てかた
|
| ← ←
._ ___ | ↑ ↓ ↓
|○| |○ |○  ̄ ̄ ̄|○ _| ̄|○
|
301 :
考える名無しさん:04/08/16 13:50
>>299 統合できるかどうかと否定されるかどうかは別なんですが。
303 :
考える名無しさん:04/08/16 13:52
>213
つーか、1919年の皆既日蝕の観測で実証されたのは一般相対性理論だったな。
で、具体的に相対性理論の何が、否定される可能性があるんだい?
一人で連投するなやカス!つーかよ。今日は涼しいですね
今度は192か
半日で100レスも消費するのはいかがなものか(善?悪?)
・100レス消費しているのは現象にすぎない
・文字多すぎ
・100レス「も」と表現していることに恣意性を感じる
どれだ?ああ?
つーかもうどうでもいいや
307 :
考える名無しさん:04/08/16 14:03
192=213乙
308 :
考える名無しさん:04/08/16 14:04
309 :
考える名無しさん:04/08/16 14:10
ワロタ
哀れだな213
310 :
考える名無しさん:04/08/16 14:10
>213
「行為を感情で正当化するなかれ」
311 :
<24>秋山:04/08/16 14:12
一般相対性理論は観測からある程度実証されています。これはマクロレベルの話ですが、
ミクロ的には量子力学の作用が優勢となります。これは扱っている要素の違いですね。
一般相対性理論は重力への予測をよく表しており、これは巨視的に見たときに、
ニュートン力学との違いが鮮明になります。
いやだから。連投すんなや。
壊れかかってるし。たのんます。
冷静に^^;
313 :
考える名無しさん:04/08/16 14:17
203 名前:考える名無しさん 投稿日:04/08/16 12:34
いやだから「行為の正当化に感情をそのまま理由と
して込めることがいけない」のはなぜなのか、わからんのよ。
理由書いて。
俺はそうして何の不都合もないし、現に今でもみんなそうしている
としか思えないのだけど。
213 名前:考える名無しさん 投稿日:04/08/16 12:43
203は正論だよ〜〜ん。
なるほど、192=203=213は「いやだから」と書く癖があるのかww
頭悪すぎ
315 :
考える名無しさん:04/08/16 14:24
192=203=213です念のため
316 :
考える名無しさん:04/08/16 14:25
317 :
考える名無しさん:04/08/16 14:26
318 :
考える名無しさん:04/08/16 14:27
行為を感情で正当化するから間違いも感情で認めず正当化するわけですね
さすがです203=192さん
『行為の正当化に感情をそのまま理由として込める』
てえと、百閧フ「いやだからイヤだ!」を思い出すな。
このような賞をいただくわけにはいかない。
なぜなら自分はこのような賞をいだだくために作品をかいたと
おもわれるのがいやだからだ。なぜそれがいやなのかといえば
いやだから。
こんな感じだったっけ。まあ善悪の基準として明快には違いないが
どのあたりが基準になっているのか第三者に不明な点がおかしい。
※ブラウザ壊れた・・・・LIVE2chから投稿。なんでこんなに活況なん?
320 :
考える名無しさん:04/08/16 14:28
この手の馬鹿にはとことんきついな哲板はw
321 :
考える名無しさん:04/08/16 14:29
>>319 >なんでこんなに活況
君の電波のためかと
322 :
考える名無しさん:04/08/16 14:30
おお、漏れのせいか!つかよ。もれ朝からいままでレスしてないし_| ̄|○なんなの?
ホント恥知らずだな
325 :
考える名無しさん:04/08/16 14:32
自分とか漏れとか忙しいヒトだね
>>312 >冷静に^^;
哲学くらいは好きになりなさい (^_^)
↑
なるほどこれを書いたじゆん君でしたか
(´-`).。oO(夏だな)
>>326 ローカルルールだよねそれ?
自治の人ってこんなに馬鹿なの?
329 :
考える名無しさん:04/08/16 14:48
326は213の自演
213は規制されると嫌なコテのうちの誰かだね
331 :
考える名無しさん:04/08/16 14:50
ヒュームは、『人性論』の中で、人間の正義は理性ではなく感情によって決まると言っている。
333 :
考える名無しさん:04/08/16 15:06
342 名前:じゆん ◆bYRNL78mlE 投稿日:04/07/16 04:21
(^ ^)
さようなら。
>>332-334 引用で権威づけても、スレ読まれればすぐナンセンスだとばれるんだから
自演はやめなよ。すごくみっともない。
336 :
考える名無しさん:04/08/16 16:47
337 :
考える名無しさん:04/08/16 17:23
今度はどちて坊やKAYO
338 :
考える名無しさん:04/08/16 17:32
ちょっとお聞きしたいんだけど、誰だって場面場面の状況判断において、理性と感情
を無意識のうちに(もしくは意識的に)使い分けてますよねえ。常識ですよねえ。
339 :
考える名無しさん:04/08/16 17:33
自演ゃってみたぃ・:*:・(●´Д`●)ウトーリ・:*:・
>>339 あなた、荒らしてるの気づかない?
意見を述べるか、黙ってなさい。
342 :
考える名無しさん:04/08/16 17:37
343 :
考える名無しさん:04/08/16 17:38
341=213だなプ
344 :
考える名無しさん:04/08/16 17:38
340-341=213氏ね
345 :
考える名無しさん:04/08/16 17:40
>>341 てゆーか、哲学板って、こんなにレベル低かったっけ?
荒らしてるの一人なんじゃない?
346 :
考える名無しさん:04/08/16 17:40
|ω・`)
339=341でした
348 :
考える名無しさん:04/08/16 17:47
213タン自演に精が出まつね
349 :
考える名無しさん:04/08/16 17:48
213ってぴかぁ〜っぽいね
350 :
考える名無しさん:04/08/16 17:52
ていうか、ぴかぁ〜だろ
351 :
考える名無しさん:04/08/16 17:54
>>347を勝ち誇って入力するぴかぁ〜のキショイ顔が目に浮かぶようだ
354 :
考える名無しさん:04/08/16 17:57
332 :考える名無しさん :04/08/16 14:59
ヒュームは、『人性論』の中で、人間の正義は理性ではなく感情によって決まると言っている。
333 :考える名無しさん :04/08/16 15:06
>>332 >>203 は、それが言いたかったんだろうね
334 :考える名無しさん :04/08/16 15:12
342 名前:じゆん ◆bYRNL78mlE 投稿日:04/07/16 04:21
(^ ^)
さようなら。
335 :考える名無しさん :04/08/16 16:28
>>332-334 引用で権威づけても、スレ読まれればすぐナンセンスだとばれるんだから
自演はやめなよ。すごくみっともない。
355 :
考える名無しさん:04/08/16 17:57
356 :
考える名無しさん:04/08/16 17:58
>>352 332のような一行レスを説明と言うんですね、さすがだね213は。
358 :
考える名無しさん:04/08/16 17:59
213みたいなウンコってどうやって生まれてくるんだろう
ぴかぁ〜って何でいつもいつもバレバレの自演するんだろうね?
360 :
考える名無しさん:04/08/16 18:00
馬 鹿 だ か ら 。
361 :
考える名無しさん:04/08/16 18:01
夏だな〜
363 :
考える名無しさん:04/08/16 18:02
364 :
考える名無しさん:04/08/16 18:03
362みたいな定型的反応って最近あまり見ないんだよね
なんでだろ
365 :
考える名無しさん:04/08/16 18:04
夏だから
362=ぴかぁ〜
モロバレw
367 :
考える名無しさん:04/08/16 18:05
ぴかぁ〜って負けたがらなさが尋常じゃないし
ネタがいつも同じだからすぐわかるよな…
∩___∩
| ノ'''''' ''''''ヽ ∩
/ ≦゚≧,ミ::,≦゚≧ノ |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, ミ /
彡、 `-=ニ=- ' / よんだぁ〜 ?
/ __ `ニニ´ /
(___)────
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| |
| '''''' '''''':::: |
/ '-= =-,_-= =- ヽ /_____
/ ,,ノ(、_, )ヽ、,, /ヽ__//
/ `-=ニ=- ' / / / 順調に哲学してるかね?
/ `ニニ´ / / /
/ / / /
/ / / /
/ / / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
ノ∩
⊂
>>1ヽ
/( 。A。 )っ
U ∨ ∨
・@;∴‥
∧_∧ ∩ :: :.
( `□´)/ :: ::
(つ / :: :'
人⌒l ノ :: ::
し(_)
糞スレ立てんな〜〜〜〜〜〜!!!!!
371 :
考える名無しさん:04/08/16 18:10
ごまかしきれなくなるとAA
いつも通りだなw
夏だね〜
373 :
考える名無しさん:04/08/16 18:13
哲板には372みたいなのが一年中常駐していますね
374 :
考える名無しさん:04/08/16 18:14
でも、これで静かになるべ
375 :
考える名無しさん:04/08/16 18:16
この程度ではぴかぁ〜は死なんよ
ゴキブリのような奴だからな
376 :
考える名無しさん:04/08/16 18:16
>>373 AA書き込むのは、やめなね。
低脳の証。
377 :
考える名無しさん:04/08/16 18:17
378 :
考える名無しさん:04/08/16 18:18
376みたいなレスが出てくると、ああ、ぴかぁ〜だなって感じがするな
379 :
考える名無しさん:04/08/16 18:18
373 = 377
380 :
考える名無しさん:04/08/16 18:19
ぴかぁ〜って40代独身なんだろ? いいのかこんなことしてて
381 :
考える名無しさん:04/08/16 18:20
379 = ぴかぁ〜
∩___∩
| ノ'''''' ''''''ヽ ∩
/ ≦゚≧,ミ::,≦゚≧ノ |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, ミ /
彡、 `-=ニ=- ' / よんだぁ〜 ?
/ __ `ニニ´ /
(___)────
思ったより一気に糞スレ化したな。俺からのアドバイスは便意がないからって
1週間もウンコしないのは異常です。浣腸でもしてウンウン出して来いってこと。
それから一人住まいでもご飯食べるときは「いただきます」。これ常識。
384 :
考える名無しさん:04/08/16 18:21
>>373 AA書き込むのは、やめなね。
低脳の証。
385 :
考える名無しさん:04/08/16 18:21
ぴかぁ〜きもい…
386 :
考える名無しさん:04/08/16 18:22
388 :
考える名無しさん:04/08/16 18:23
389 :
考える名無しさん:04/08/16 18:23
>>373 AA書き込むのは、やめなね。
低脳の証。
390 :
考える名無しさん:04/08/16 18:24
>>373 AA書き込むのは、やめなね。
低脳の証。
392 :
今度は定型文連打ですか:04/08/16 18:26
今度は定型文連打ですか
お父さーん 釣れたよ
とか調子こいていいですか?
↑↑↑
・・・・お前誰だよ・・・_| ̄|○・・・・
↓↓↓(再開)
395 :
考える名無しさん:04/08/17 11:45
>>286 ポパーは、仮説が定説になるのは、科学者の合意による決断だと説明している。
ここから、およそ観念と呼ばれるものは、非合理的なものを含んでいることが分かる。
(我々の観察は合理的でも、観念となる時に非合理的なものを含むと言うこと)
ここから、ヒュームの「人間の正義は理性ではなく感情によって決まる」が理解できると思う。
>>395 >ポパーは、仮説が定説になるのは、科学者の合意による決断だと説明している。
まあ、ポパーを読んでないので、突っ込んだ批判はできないが、
とどのつまり、それは「定説」というものが、そうだ、といっているだけに過ぎないね。
科学のプロセスにおいては、本質的には「仮説」以上のものは存在しない。
しかし、それでは、計測器1つ作ることはできない。
従って「便宜上」、充分も有力と思える「仮説」を「定説」としているに過ぎない。
仮に、その「定説」を覆すような観察事実が発見されたのであれば、
その定説は躊躇無く捨てられるだろう。
>ここから、ヒュームの「人間の正義は理性ではなく感情によって決まる」が理解できると思う。
ヒュームも読んでいないので、彼のその言が、どういったことを指しているのか、
きちんと理解できていないが、例えば、次のような意味であるとしたら、
>>395 とはあまり関係が無いね。
例えば「人を殺してはいけない」が正義だとしよう。
このことについて、「なぜ?」「なぜ?」と追求していけば、
最終的には、個々の人間の「死にたくない」という欲求に到達するだろう。
「死にたくない」に合理的理由を求めても、それは感情だとしかいいようがない。
(仮に、「子孫を残す」、「繁栄する」といった理由を持ち出しても、
同じことだろう。)
「そういう意味で」正義は感情によって決まっている。
つーか、
>>213が人間の考えを全部「感情」と言って自説を擁護してるだけだよ。
なんなら、ヒュームがどの著作のどの部分でどういう文脈で述べているか示してみ。
>>396 理性も感情も関係者の合意で決定されていると言うことだろ。
そう言う意味では、違いはない。
>>398 「感情が、関係者の合意て決定されている」という言葉の意味が理解できないが。
401 :
考える名無しさん:04/08/17 18:19
>>399 法感情とか、道徳感情と言った言葉の「感情」は、関係者の合意で形成されたものだろう。
だいたい、ヒュームの道徳が感情に由来すると言う説を否定している人っているの?
>>400 アフォじゃないアナタ、誰か引用してみて。
>>401 それは、「その社会の人間という観察対象についての統計的事実」と考えるべきでは?
つまり、適用する手段(法律)について、対象(社会を構成する人間集団)についての
観察事実(合意の形成)を適用しているわけで、
その意味では充分科学的といえる。
>>395 はそれと、個人的な感情を故意に混同しているのでは?
404 :
考える名無しさん:04/08/17 20:23
>>400 400は、やっと気がついたのか? 反論がないみたいだけど。
どうでもいいけど、論破されてもAA書き込むなよ〜(W
反論なければ勝利宣言とは目出度いですね^^;
おっと煽られたからってAAは無しですぜw
マタコノテンカイカヨ・・・・
>>404 >ヒュームは個人的感情の事を言っているのではないよ。
つまり、
>>396 における私の推測はあっているということだね?
409 :
考える名無しさん:04/08/17 23:28
>>408 アナタ、404で挙げた説明、ホントに読んだの?
395でも説明したが、観察・観測した時は客観的な事実でも、我々が意識の中で
言葉や観念に変えた時に、何かしらの非合理性が伴ってしまうと言うこと。
それは、科学的な観測事実でも、他人の感情表現でも同じ。(そもそも経験論だからね)
410 :
考える名無しさん:04/08/17 23:40
「人を殺さない」というのは、別に論理的な思考の結果そうしているわ
けではないでしょ。もっと、本能的なものだとおもいますよ。
例えば『高いところで足がすくむ』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの原始的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形
成されていると考えた方が自然でしょう。(あるいは、動物や昆虫が、
毒々しい色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話?)
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度の本能なのでしょうが。
>>409 >言葉や観念に変えた時に、何かしらの非合理性が伴ってしまうと言うこと。
それはつまり、「何かしらの非合理性」であって、
「必ず非合理」という意味ではないだろう?
まず第一に指摘しておきたいのは、ヒュームの指摘した不可知性について、
現代科学は否定していないということ(もちろん私も否定していない)。
しかし、我々の観測や知識がそのようなものであったとしても、
その知識を応用して作った自動車は動くし、ネットワークは動作する。
この有為性については、ヒュームも認めてたはずだけど?
(これは百科事典を読んだ知識なので、あるいは的確で無いかもしれないが)
そして、現代の科学が目的としているのは、そういったレベルでの合理性でしかない、
つまり、現実に観測できる事実について、有為な(観測事実を説明可能な)
予測を与えるに過ぎないが、それで科学の目的は果たされている。
>>409 >言葉や観念に変えた時に、何かしらの非合理性が伴ってしまうと言うこと。
仮に、その場合に非合理性が生じたとしても、本当にそれが、
(目的とする問題領域の範囲について)非合理ならば、必ず、
(人間の主観的な言葉や観念の外にある存在である)観測結果との齟齬を生じる。
例えば、燃焼や力学の知識に非合理が存在するのであれば、自動車は動かないか、
予定した性能を発揮しないだろう。それによって非合理な知識は修正されざるをえない、
というのが「科学による方法」だ。
もちろん、こういった「自動車が動かない」「予定した性能を発揮しない」
という観測事実自体が「言葉や観念に変えた時に、何かしらの非合理性が伴ってしまう」
ものである、という批判は可能だ。
しかし、そういった方法によって、現に自動車は動いており、性能も向上している。
つまり、「自動車を作る、その性能を向上させる」という目的において、
(目的が達成されたという観測自体も、ヒュームの指摘による非合理性を免れ得ないのだが)
「科学による方法」は(目的の観測自体の不可知性にまで踏み込まないのであれば)
充分有為なのであって(実際に有為だったのであり)、科学の言う
「合理性」とはその範囲のものでしかなく、それを超えた「合理性」は確かに
科学には無い、が、それをもって、観測事実に基づかない感情による判断と
科学による判断を同一視することはできない。
なぜなら、観測事実に基づかない感情による判断は
この科学における(完全無謬の事実という要請から見れば)不十分な合理性さえも、
満たすことはできないからだ。
413 :
考える名無しさん:04/08/18 00:14
>>411 自分で調べて読めよ。読んでから、反論するように。
何故、読みもしないで、反論できるんだ。
自分の感情だけで、永延と反論し続けている。
アナタのその態度が、正義が感情に由来する何よりの証拠(笑
ホントに、一日くらい、ヒュームなり、法哲学なり、調べてみたら?
414 :
考える名無しさん:04/08/18 00:19
>>412 >>観測事実に基づかない感情による判断は
>>この科学における(完全無謬の事実という要請から見れば)不十分な合理性さえも、
>>満たすことはできないからだ。
だから、読んでから書き込めよ。
観測事実に基づいたものが、何らかの非合理性(感情)を含んでいると言うこと。
>>413 >自分で調べて読めよ。読んでから、反論するように。
>何故、読みもしないで、反論できるんだ。
私は、私の知っている範囲で、ヒュームの主張と自分の主張が
対立しないことを述べているつもりですが、
私の発言は、どういった点でヒュームの主張を取り違えていますか?
あなたは読んでいるのだから、指摘できるはずですよね?
というか、それ以前に、あなたは「私の」レスを読んでますか?
>アナタのその態度が、正義が感情に由来する何よりの証拠(笑
正義が感情に由来しない、なんて私は言ってませんよ。
死ね
>414
>だから、読んでから書き込めよ。
>観測事実に基づいたものが、何らかの非合理性(感情)を含んでいると言うこと。
ですから、「あなたが」「私の」レスをちゃんと読んでください。
>つまり、「自動車を作る、その性能を向上させる」という目的において、
>(目的が達成されたという観測自体も、ヒュームの指摘による非合理性を免れ得ないのだが)
>「科学による方法」は(目的の観測自体の不可知性にまで踏み込まないのであれば)
>充分有為なのであって(実際に有為だったのであり)、科学の言う
>「合理性」とはその範囲のものでしかなく、それを超えた「合理性」は確かに
>科学には無い、が、それをもって、観測事実に基づかない感情による判断と
>科学による判断を同一視することはできない。
「自動車が動く」(という観測)も、あなたの主張に従えば、
「非合理性(感情)を含んでいる」ことになります。
ですから、私は、科学の求める合理性は、その範囲の(厳密な定義で言えば非合理性を含む)
ものでしかない、といっているのです。
そうであっても、「自動車が動かなくても理論を修正しない」ということは、
その範囲でも不合理なのであって、
その二つにはあきらかに違いがあるということを申し上げているのです。
418 :
考える名無しさん:04/08/18 00:36
>>415 397、400とは違うのね?
あなたは、法感情や道徳感情を
>>それは、「その社会の人間という観察対象についての統計的事実」と考えるべきでは?
>>つまり、適用する手段(法律)について、対象(社会を構成する人間集団)についての
>>観察事実(合意の形成)を適用しているわけで、
>>その意味では充分科学的といえる。
このように説明している。
これと、私の説明した
>>ポパーは、仮説が定説になるのは、科学者の合意による決断だと説明している。
とが、396で関係ないと言っている。
だから、私は、409で
>>科学的な観測事実でも、他人の感情表現でも同じ。(そもそも経験論だからね)
と説明している。
>>418 >>397、400とは違うのね?
もちろん。
>だから、私は、409で
>>>科学的な観測事実でも、他人の感情表現でも同じ。(そもそも経験論だからね)
>と説明している。
つまり、そこにおける「他人の感情表現」とは、合意の形成の段階で行われる、
「他者の感情の観測」、ということを指しているのですか?
だとすれば、多数決や民主主義についても、
私が科学について述べたことと同様のことがいえますね。
つまり、
「完全無謬な合理性はない、しかし、目的について、必要充分な合理性は有る」。
420 :
考える名無しさん:04/08/18 00:47
421 :
考える名無しさん:04/08/18 04:57
422 :
考える名無しさん:04/08/18 08:55
>>421 >>いやだから「行為の正当化に感情をそのまま理由と
>>して込めることがいけない」のはなぜなのか、わからんのよ。
これか?
これなら、「動機」について自分で調べてくれば?
CWミルズは、動機は言葉であると言っている。
反論があるなら、それを書いたら?
203も理由を書いてくれと言ってるし・・・。
423 :
考える名無しさん:04/08/18 09:10
203は意味不明
425 :
考える名無しさん:04/08/18 09:35
臨時テスト
427 :
考える名無しさん:04/08/18 11:29
>>425 文意を把握するときに文脈無視して一文で考えるんですかチミは
内容や妙な結論づけから考えて423は192=203=213だろう
429 :
考える名無しさん:04/08/18 11:32
410みたいなのをそれとなくはさむのが彼の狙いだよ
431 :
考える名無しさん:04/08/18 11:57
なんで421に396らしき人物がレスしてるんだろうね
自演しきれなくなりましたか、395-396=ぴかぁ〜タン
【自己申告】※ジサクジエン有り (*⌒ヮ⌒*)ゞ テヘ♪
>159 >162 >169 >175 >180 >183 >187 >188 >191 >192
>304 >306 >312 >319 >323
司法試験板の『さゆりん祭』急速に鎮火したな。
つぎはタイーホ祭になるんかな。蜘蛛の子を散らすような
逃げ出しっぷりさすがですww(※阪大ロー辺り)
434 :
考える名無しさん:04/08/18 12:21
>>432 部分的に本当のことを言ってうそをつくというアレですね。
435 :
考える名無しさん:04/08/18 12:22
すまん。なかったことにしてくれ _| ̄|○ 糞・・・
割と素直だな
>>436 ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか。
439 :
考える名無しさん:04/08/18 13:13
441 :
考える名無しさん:04/08/18 15:31
たとえば、「朝 おはようございます」と挨拶すること(命題1)は重要と考えている
人(Aさん)がいるとする。もし、その命題1を破る人がいたとしてその人に対して、
@Aさんは、感情では許せないが、理性では気持ちを抑えられる場合・・・
命題1はAさんにとって絶対的な正義ではない。
AAさんは、感情でも理性でも許せない場合・・・
命題1はAさんにとって絶対的な正義となる。
442 :
考える名無しさん:04/08/18 15:35
443 :
考える名無しさん:04/08/18 15:36
444 :
考える名無しさん:04/08/18 16:25
>>441 絶対に守るべき倫理(限りなく理性に近い)と
守る方が望ましい倫理(理性と感情が入り交じっている)。
カントは、この二つを厳密に分けることはできないと言っている。
刑法のような法律は前者で、
憲法のような法律は後者が哲学的背景になってるみたい。
感情と言うよりは、理想とか理念と言った方が誤解が少ないかも・・・。
445 :
考える名無しさん:04/08/18 17:11
>444
頭のいい人ありがとう。ついでに質問だが、
>>399に「感情が関係者の合意で決定
される」とあるが、意味がよく分からない。私の理解できる範囲では、関係者が
無限に近く増えていった場合、それは「感情」ではなくて「普遍」の方が近くて
適切な言葉だと思うのだがいかがだろうか?
>>445の場合は『合意』の問題だろ。『感情』も『合意』もよく分からん定義だから
俺は頭がわるいROM男だが目に見える現象は信じるようにしている。
感情の合意過程ってのは立法府でやってるあれこれ、沖縄国際大学で
やってるあれこれの説明だと普通に理解しましたが。
>>442、
>>443にあるヴィトゲンシュタイン流れの方々には到底通用しないと
思いますが。ではROMに戻ります。
>>444は、現代の刑法・憲法いずれも、完全に全く1ミリたりとも知らないな。
知 っ た か ぶ り す る な 。
444は法益保護やシビリアンコントロールという言葉の意味と位置づけをどう考えてるんだ??
>>445 444は頭のいい人ではなくてただの馬鹿なんで気をつけて。
手始めに法益保護の意味と、それが刑法上のどういう位置づけか、調べてみて。
444がでたらめ言ってることがよーくわかるから。
基本的に、哲学板で法律関係の話が出たときには眉につば付けて読んだほうがいいです。
僕のレスも直ちに含められると困っちゃうけど。
それから445の疑問はもっともです(言葉の問題として)から、すっきりするなら
普遍という言葉を使っても全く問題ないよ。だれそれがどういう言葉をどういうふうに使ったか
は大事な問題だけど、日常使われてる語義に沿うようにだれかの言葉を自分なりに読み直して
みたり、それを使って他の人の反応を見たりすることも、同じかそれ以上に大事なことです。
哲板は両極端が多いね。
両極端が多い・・・
元の発言者がどういう用字を使ったか(字面)にこだわる のと、
元の発言者がどういう用字を使ったかは、どうでもいい話だ と開き直る(「哲学学」批判らしいです)のと。
ちなみに両者は同一の人物(誰か一人というわけではなく)によって行われることが多いです。
上のポイントに気づいていてスレを見てると面白いよ。
449 :
考える名無しさん:04/08/18 20:10
>>447 444での、刑法・憲法の話は、大学の法学講義で説明されるような内容だから、
大筋では間違っていないはず。
もちろん、専門に学んでいけば、両者に厳密な区別ができなくなっていることは
私も知っています。
ただ、突っ込まれるのを承知で書いているのは、私も、学ばせて
もらわなければ、書き込んでる意味がないからです。
釣られたついでに、法益保護やシビリアンコントロール、
憲法や刑法の哲学的背景について、説明してみてね。
>>445 >>関係者が 無限に近く増えていった場合、それは「感情」ではなくて「普遍」の方が近くて 適切
理論的には、そうなんでしょうけど、実際は、コミュニティーなり国家なり人種なりアイデンティティー
なりに固有の感情(価値観)がありますから、そういう意味で「関係者の合意と言う言葉を使いました。
451 :
考える名無しさん:04/08/18 21:38
>>449=444
なぜ「大学の法学講義で説明されるような内容」なのに
間違っていない「はず」なんですか?
間違っていないと書けない事情があるんでしょうか?
両者に厳密な区別が出来なくなるの両者もよく分かりませんが?
>>449 釣られたついでなら説明するのは449だろ
釣られたのは449なんだから
お里が知れるぞ
まさか、両者って
>>444の「絶対に守るべき倫理(限りなく理性に近い)」と
「守る方が望ましい倫理(理性と感情が入り交じっている)」のことですか?
この区別を刑法と道徳にあてはめるような考え方で法学講義されてる大学が
あるのですか? 間違いなく444の個人的誤解でしょう。
そもそも憲法について守るほうが望ましい倫理を国民に求める役割を
持つという理解はされません(憲法は国家に対して国民が設定する規範ですから)し、
刑法も絶対に守るべき倫理のために制定されるという理解はされません。
両者が別の哲学的背景によって立つというのもおかしな話です。
刑法の指導原理は憲法ですから。そうでなければ現代的な法治国家でない
ことになってしまいますよ。
444の誤解を数年来ずっとこの手のスレで続けてる奴がいる。
444はそいつだろ。相手にしてもキリないから無視するのが吉。
455 :
考える名無しさん:04/08/18 21:53
456 :
考える名無しさん:04/08/18 22:01
>>449 カントの説を現代の憲法や刑法の学説としてまともに扱ってる法学者なんていないよ。
それに453も書いてるけど、刑法が憲法と独立した哲学的背景を持つというのは完全な誤解だろ。
457 :
考える名無しさん:04/08/18 22:03
「まともに」ってのは、「そのまま維持できる立場として」という意味ね。
459 :
考える名無しさん:04/08/18 22:07
もはや、YES、NOという2者選択は無意味だ
460 :
考える名無しさん:04/08/18 22:10
普遍的な善悪っていったいなんだろう。
結局最終的にはすべてが相互作用するわけだから、
いい事だけが続くことってのは難しいと思う。
461 :
考える名無しさん:04/08/18 22:13
善の裏に悪があり、結局善悪同じなのでは
462 :
考える名無しさん:04/08/18 22:16
>>453 例えば、日本国憲法の前文や、基本的人権の社会権や自由権の中には、
「必ず守らなければならない」ものではなく、「可能な限り努力する事が望ま
しい」というようなものが多く見受けられます。
一方で、刑法では、多くは、必ず守らなければならないものじゃないのですか?
464 :
考える名無しさん:04/08/18 22:40
465 :
考える名無しさん:04/08/18 22:42
>>464 でも、功利主義的な倫理だってあるでしょ。
国際法や、国連の人権宣言は、何を根拠にしてるの?
466 :
考える名無しさん:04/08/18 22:48
>でも、功利主義的な倫理だってあるでしょ。
それって善悪なの?
力関係から見ても白人が上に立ってるのは明確じゃないかな。
いつぞやの反動から博識自由正義などと持ち出しもてはやしているが、
白人の人間に関するのみで、普遍性を叫ぶにはあまりにも不十分ではないか?
かなり歪なものという認識はない?
建前、とは言わないにしても、自由平和を貴び叫び法として形にしたところで
ポーズだとは感じない?
467 :
考える名無しさん:04/08/19 01:00
>>462 少しは憲法について勉強してから憲法について発言しろよ。
最悪だなお前。
468 :
考える名無しさん:04/08/19 01:01
半可通な認識で法律について語る知ったかぶり馬鹿は死んでくれマジで。
議論が煮詰まってきてうまく反論できなくなってくると、
決まって
>>460-461>>464みたいな内容の断定調の
レスがつくのはなんでなんですかね、ぴかぁ〜さん。
470 :
考える名無しさん:04/08/19 01:08
>>466 なんかある種のマンガとかに多大な影響を受けてるのがモロ分かりな考えですねw
466=機械だろ・・・博識自由主義って何だよ。
コテの影に踊らされてるヴァカはウザイな。
コーヒー飲みながら友達と電話してたら
ベッドで赤ん坊が泣き出したようなもん。
まともに相手してるとバカを見る。
感情的な批判だけでなく意見を言え。
467、468、469、470辺り。 (外野より)
>>467 「憲法について勉強してから憲法について発言しろ」
どの地点まで勉強したら発言してよいのか明示していない
>>468 「半可通な認識で法律について語る知ったかぶり馬鹿」
上と同じ問題がある。修飾部を除けば“馬鹿は死ね”と
罵倒しているに過ぎない。ナンセンス。
>>469 コテの影に躍らされている(
>>472)ナンセンス。
>>470 ある種のマンガを読んでいないとこんな発言できないよね(プ
・・・とか言ってみる(にひひ
475 :
認知MAN:04/08/19 10:37
言語学板、認知言語学IIより哲学板の有志諸氏へ応援要請をいたします。
哲学に対する冒涜とも取れる発言が現在横行しております!
諸学問の源流たる哲学を冒涜する態度は認知言語学をしている私にも耐えがたい
事です。是非とも認知言語学IIスレの住民にこれをお教え願いたい!
以下のような発言が実際にされております!
>>哲学板だとキチガイコテが結構多い、言語板はこういう自意識過剰・自己顕示欲の塊みたいなのが少ないから助かるね
なんでここまで「自分自分」と叫べるのか?恥ずかしくならないのかね〜
頼んます!
社会通念
以上。
>>476 つまり、例えば、水銀が不老長寿の薬と信じられていた時代には、
水銀飲むのはからだに善いことだったけれど、
社会通念として、毒だということになったから、
体に悪くなった、君はそう言うわけだね?
>>477 すばらしい。そういうことでいい。
社会の大多数が善と思うなら、それは悪ではなく、つまり善だ。
きみやぼくは水銀が善の時代に生まれて幸せだったね。
間違えた、
水銀が善の時代->水銀が悪の時代
分かると思うが。すまねぇ
>>478 >>479 >きみやぼくは水銀が悪の時代に生まれて幸せだったね。
なぜ?
水銀が善の時代のままなら、水俣水害とかも起こらずにすんだのでは?
なぜになぜで返すのは失礼かもしれないが、
水銀が善でも悪でも水俣公害は起こっただろうよ。
なぜ起こらなかったといえるのか?
>>479 >なぜ起こらなかったといえるのか?
水銀が体に善なら、食べ物に混ざっていても、
病気になるどころか、むしろ健康になるはずだから。
それはおかしいよ。水銀は自明に毒なのだから
人間がいくら善だって思っても毒だよ。
>>483 たとえ毒でも、社会通念が「善悪そのもの」であるのならば、
社会通念で善となっている以上は、体にとって善のはずだね?
もしも、毒が体にとって善でないのであり、人間が善と思っているだけということなら、
社会通念における善悪とは人間が善悪と思っている事、という意味になる。
そのとおり、人間が勝手に善悪思っているだけなのだ。
だからこそ、善悪とは、社会通念なのだ。
>>485 いや、そうだとすれば、「社会通念における善悪」とは、
「善悪そのもの」ではなくて、社会的に善悪と「思われているもの」
(水銀がかつて不老長寿の薬と思われていたように)
ということになる。
「人間が勝手に思っている」のは「社会通念」のほうで、
水銀は「人間がいくら善だって思っても毒」なのであって、
「体にとって悪」なわけだ。
これは、人間がどう思おうと、社会通念がどうなろうと変わらない。
そうだね。
じゃぁ体にとって毒は悪なの?
>>487 毒というのは体に悪い物質、という意味では?
489 :
考える名無しさん:04/08/20 00:41
いい加減にしろ馬鹿
492 :
考える名無しさん:04/08/20 00:49
>>491 さぁ、どう違うんだろうねぇ?(w
夏休みが終わったら、先生に聞いてみよう。
493 :
考える名無しさん:04/08/20 00:59
勧善懲悪なんて現実社会ではありえないんだよね。
「勝てば官軍」こそが善悪の心理
>>492 つまり、君には説明する能力がないわけだね。
了解した。
>>493 「勝てば官軍」と「勧善懲悪」はどこが違うんだね?
496 :
考える名無しさん:04/08/20 01:08
善か悪か、白か黒かって考える人間の習性に問題あるようにおもえる
全ての人間は「我々」と「彼ら」に分類される。
正義とは「我々」にあり、悪とは「彼ら」にある。
498 :
考える名無しさん:04/08/20 01:24
善悪ってのは時代によって変わるものであり普遍性などない。
あるのは強者の理屈のみ
ここが中学生の溜まり場ですか?
∧_∧
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
論理的に討論したいのなら、もう少し冷静になりましょう
502 :
考える名無しさん:04/08/20 05:22
だから最初から言ってるだろ。善悪に普遍性は無いって。つまり絶対的な善悪なんて無い。
だがら善悪を生み出す枠組み(構造)に普遍性を求めたいのだが。
脱構築しやがって(ぷんすか
504 :
考える名無しさん:04/08/20 09:54
>>503 それ、面白そうだから、詳しく説明してYo
さんざんガイシュツ
506 :
考える名無しさん:04/08/20 10:13
>>505 これかな?
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
ダーウィンの道徳起源説や、進化倫理学とも関係してきそうだね。
でも、集団主義的な感じがするね。
人が、善を成すのも悪を成すのも必然であると考えれば、納得できるけど。
そうそう。それに対する伝統的な批判が
『進化論的な童話』ってやつで。
このあたりまでは真っ当な議論かとおもいきや
『童話』にブチ切れてあとはウンコの投げ合いですよ(汗
"童話"という批判がでた時点で根本的に見落としている視点が
ないだろうかと内省してみたいんだが。たとえば利己的遺伝子論とかも
その内省の一種だとおもう。あれは善悪論からの派生だと理解してる。
相対的な価値なら、基準となる目的を設定してやれば簡単に割り出せる。
例えば506は社会の発展を目的とし、それを基準にすることで、行為を善と悪にわけているわけだ。
511 :
考える名無しさん:04/08/21 17:08
>>510 善か悪か?この問題の本質は、善悪の基準点、ゼロ点をどう設定するかであろう。
どこからが善行でどこからが悪行なのか。通常、人間の平均的(中立)な行動を
ゼロ点にして、善悪を考えてしまいがちである。当然そこを基準にしてしまえば
「善とも悪とも言い切れない」という結論に至ってしまう。総和がゼロになるように
ゼロ点を設定したのだから当然の結果だろう。基準点の設定の仕方がおかしい
のである。
生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
増やしていこうとするのが本来の姿であろう。本来これがゼロ点である。ところが
人間をはじめ、群れることで生存確率を上げてきた生物は基本的にはこれをしな
い。仲間内で奪いあうと群れが維持できないからだ。逆にお互い助け合うことで淘
汰をくぐり抜けてきた。
動物のこの群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところの
「善」なのである。我々の先祖が進化の過程でたまたま身に付けたもので、この
『善なる行動様式』を身につけることで厳しい淘汰を生き抜くことができたのである。
神のなさる事が正しいのです。
513 :
考える名無しさん:04/08/21 17:15
>>508 >>『進化論的な童話』ってやつで。
これって、全然批判にもなってないような気がするけど。
>>511 アホか
「群れの生存(生命の維持)に資する行為が善」と繰り返してるだけじゃねーか
「群れの生存(生命の維持)に資する行為は、群れの生存(生命の維持)に役立つ」と言ってるだけ。
515 :
考える名無しさん:04/08/21 17:19
進化の過程で善を獲得した とかいう人は
サルにもゴリラにも善悪があるって思ってるの?
>>516 サルやゴリラがそう認識しているか、そういう概念を獲得しているか
どうかは別にして、そういう行動様式はあってもおかしくないんじゃない。
518 :
考える名無しさん:04/08/21 17:27
>>516 例えばこんな話しがあります。ウサギは外敵が巣穴に近づいてきた時、
トントンと地面を踏み鳴らし、巣の中の仲間に知らせるのだそうです。
これにより群全体の生存確率上がるわけですが、その個体は当然その
分逃げるのが遅れるのですから、身を危険に晒すことになります。
もし彼らが人間並みの思考力を持っていたとしたならば、自らの危険を
顧みず、仲間のために取った行動を、【善い行い】だと評価することでしょう。
逆に、仲間に知らせた本人は、自分が取った、短期的な損得勘定では
説明できない本能的な行為に驚き、内なる声、何か説明のつかない大
きな力に自分が突き動かされたと思い、神の存在を模索するのかも知
れません。
人間は高度な思考力を持っているため、短期的な損得勘定ができます。
集団を維持するために必要となった原始的な本能は、その自分自身の
損得勘定と矛盾する行為を強いることがあるため、それを説明する為
に善悪という概念が生まれてきたのだと思います。
知るという事、考えるという事は、善と悪を獲得すると言う事なのです。
何も判らない者には罪は有りません
生命の木の実を食べてしまって善と悪を知ってしまった事
それが原罪と呼ばれる物なのです。
善と悪を考える事が出来る者だけが善と悪を背負っているのです。
520 :
考える名無しさん:04/08/21 17:32
○=● __________
●===○ /
○===( ゚Д゚ )< 仲間を殺しては行けないぞゴルァ!
●====○ \
○====●  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
●====○
○===●
●=○
○●
●○ __________
○= /
( ゚Д゚ )< 井戸に落ちた子供は助けろやゴルァ!
○===\
●==== ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○====●
●====○ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
○===( ゚Д゚ )< 寝る前に歯磨けやゴルァ!
●=○ \__________
○●
●○
○=●
●===○
○====●
●====○
○====●
●====○ __________
○===● /
●=( ゚Д゚ )< また来週〜♪
○● \__________
●○
○=●
許されざる悪(罪)がある、という認識と相関して善を考えるようになったんだろう。
自分しかいない世界から追い出されたわけ。
それでも自分の居場所を見つけようとするのがムラ意識。
ムラ意識から倫理は導けない。
>>38 > 【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
> 【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
非行犯罪は集団にとってプラスになる面もあるよ。
国家ないし社会にとっては非行犯罪がプラスになる面のほうが大きい。
被害者やその遺族にとってはマイナスだけど、国家にとってはプラス。
いや、もう少し具体的にいってくれないと。
>>523 自己満足(オナニー)ですか?戦争を言いたいんでしょうけど大笑いですね^^;
このスレの精神年齢は中学生以下だな。
実年齢は結構高いんだろうが。
このスレの→このスレに書き込んでいる人間の
∧_∧
( ´∀`)
( )
| | |
(__)_)
はじめから主観的な言葉だと分かっていながら普遍性を追及すること自体間違っていると思うが。
「すべての母」とかいうのと同じようなことで、「神」のように絶対的な主観が存在しない限り成立し得ないだろう。
主観に普遍性がないということと、主観を表現する言葉に普遍性が無い、
ということは意味が違うんでないの。
もしも、主観を表現する言葉に普遍性が無いとしたら、
「○○を君は善と思っているかもしれないが僕は悪と思っている」
という会話は成立しない。
>>525 戦争を言いたいわけではない。通常の犯罪にしても国家にとってはプラスになる、
ということだよ。
ディルケームだろ? 社会は犯罪を必要としている。
だから、もうすこし具体的にいってくれないと。
いや、具体性が無いのは事実でしょ。
今のところ、「プラスになる面もあるよ」としか言ってない。
これだけで論証が成立するなら「プラスになる面はないよ」とだけいっても、
それを否定できることになる。
犯罪は国家権力にとってその権力を強化する口実になる
という意味で国家権力に利益に働くということだよ。
フーコーを読め。
ああなるへそ。警察力の発生と国家の発生ってのは
同時なのかもしれんなぁ...としみじみ。
>>539 「監獄の誕生」での議論は、国家権力の批判にとどまるものではなく、行政やメディアや資本家の動きが
織り成して権力装置が営まれる様相を記述することにあったわけだから、君のまとめ方はあまりに粗雑
すぎる。
フーコーは、「所詮すべては権力意思だ」的な幼稚な議論をする人ではない。
また、「通常の犯罪にしても国家にとってはプラスになる」ことがあるにしても、「だから犯罪は善だ」として
推奨されるわけではない。 私には、あなたの議論が善悪議論に対して何を提供するものなのか
よくわからない。
>>541 フーコーの国家論はまさにその「行政やメディアや資本家の動きが織り成して
権力装置が営まれる様相」として描かれているんだよ。彼はそういう意味で
国家を捉えると言っている。
>>541 > また、「通常の犯罪にしても国家にとってはプラスになる」ことがあるにしても、「だから犯罪は善だ」として
> 推奨されるわけではない。
だから犯罪は善だと書いたはずはまったくないんだが。
> 【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
> 【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
この図式に対して異論を呈したまでだよ。
集団(群れ)にとって、権力は目的でなく手段なんだから、
それについての善悪を考えるのは無意味。
集団(群れ)の維持 = 目的
権力 = 手段
集団(群れ)の維持を目的とするなら、権力装置が大きくなることイコール善ではない、
なぜなら、権力装置の維持にはコストがかかるから、集団(群れ)の規模について
分不相応にそれが大きくなれば集団(群れ)の維持を危うくするからだ。
権力装置は、集団(群れ)と脅威の規模に応じて、適切な大きさであることが、
集団(群れ)の維持にとっての善で、小さすぎても大きすぎても集団(群れ)の存在を
危うくする。
権力は集団(群れ)にとって手段、、、なのか?
特定の構成員による過大なちからの発露でしかないのでわ?
権力が集団にとっての手段という定義なら、おおむね権力は
よく管理され、集団維持にとって適正に運用されるのが普通
という雰囲気になるが。
むしろ『暴走しやすい』ものであるのが本質でわ?
命題:権力は、それ自体は適正に使用されることをなんら保証しない。
と言いたいのだが、どうなん?
547 :
考える名無しさん:04/08/23 19:47
ではをでわと書く馬鹿の言うことは
まともに聞く気になれんな
お前ら名前欄にレス番入れると釣堀みたいに喰いついてくるなww
雑魚どもオツカレチャーン♪wwww(・∀・)
>>546 それは、まさに、権力が手段(道具)であることを意味するんでないかい。
その物自体には善悪はなくて、目的との関係で善悪が決まる。
ゆえに、「集団(群れ)の維持」という目的については、
「プラスとなる」使い方を「適正な使い方」と呼び、
「マイナスとなる」使い方を「適正でない使い方」と呼ぶわけだろう?
うーん。
>>549さんは 権力、国家、集団を自明のものとして一体化させて議論しているから
なんとなく説得力があるように見えているが、どうも表層的に把握したことを説明して
いるだけのような気がしてならんのです。
まず
命題:『権力は、それ自体は適正に使用されることをなんら保証しない』
つぎに
命題:『集団を維持するのは善である』
この2つに異論がなかったとして、さらに
@権力は、集団が善なる状態(維持される状態)に保たれる。
A権力は、それ自体は善悪を評価する対象にならない。
と主張するためには、かなりたくさんの命題を用意しなくてはいけない。
こんばんは、華氏911です。嘘です。昆虫バカです。
しかし、そんなことはどうでもいい。夏が暑いのはしょうがない。
善悪とは何か?もしもツアーズに連れて行ってくれたら教えましょう。
チリちゃんの唇に触れられたら、教えましょう。
>>550 >この2つに異論がなかったとして、さらに
異論あります。
>命題:『集団を維持するのは善である』
これは成り立たない。目的その物には善悪は無い。
>>549 は、
あくまでも、集団の維持という目的についての善悪について論じている。
↓
>ゆえに、「集団(群れ)の維持」という目的については、
『善とは集団を維持することである』と
『集団を維持することは善である』の差だな。
ああ論理学の勉強みたいになってきた。肩がこるなぁwww
そういえば、田原総一郎の奥さんが亡くなったらしい。
面識はないけれど、旦那の存在感からすると、苦労が絶えなかっただろうな。
バラドルって、一晩限りって気がするね。チリちゃんに、『幸せになりたいの』
なんて言われたら、『一人でなれよ、淳とか、猛子とか巻き込むな!』
と言ってやるよ。
>>552 さんは
命題:『集団を維持するのは善である』
これは成り立たない。目的その物には善悪は無い。
とRESされたが、では
命題:『善とは集団を維持することである』
ということなんですね。
『善とは集団を維持することである』
『集団を維持する道具として、権力というものがある』
『権力は道具であり、善悪の本質ではない』
『善悪は、それ(道具)を使用する人間に本質がある』
だと。
ところが
『権力を使用する人間は、善悪の本質である』???
まあ、いずれにしても言葉遊びなんだけどww
直感的にかみ合わないから敢(あえ)てね
>>555 >命題:『善とは集団を維持することである』
>ということなんですね。
前者と後者の意味の違いが私にはわからないのだが。
いずれにしても、善悪とは、任意の目的と、任意の事柄との関係であって、
「なぜ集団を維持することが善なのか?」という問いには、
それに優先する目的を導入しない限り、答えようが無い。
『善とは集団を維持することである』
→善の定義。善とは、集団を維持すること、それ以外にない。
『集団を維持するのは善である』
→集団維持についての善悪評価。集団を維持するのはいいことだ、という主張。
あまたある善悪の事例の1つとして評価している。
そういえば、この間。講義の最中に、『私には、見えるのです。
あなたの未来が』と言う学生がいた。
そこで、『何が見えるんだい?』って聞いたんだ。
聞くんじゃなかったよ。『キャベツ畑の中で、武蔵○に犯されて・・』
先述で
-----------------------------------------------
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
-----------------------------------------------
というのは結局
『善とは集団を維持することである』
という主張です。
んで、そもそも『善とは集団を維持すること』というのが
定義なのかどうなのか。私なんかは
「善」=いいこと
「悪」=わるいこと
が定義だとおもってたからw
>>557 じゃあ、前者は否、後者については、判断不能というのが私の主張。
判断不能の理由は、
>>556 に示したとおり。
>>560 うん。そうだと思ったw
何人もが匿名でRESしてるから議論が入り乱れて
どの主張がどこにつながってるか、もうさっぱりw
ちょっとお聞きしたいのですが、なぜ集団(群れ)を維持しなければならないのですか。
「人間の個体は集団を維持しなければ生きていけないから」というのが答えなら、
個体にとっては集団の維持は目的ではなくて手段に過ぎない、ということですよね。
何を「目的」に置くかは、判断する主体や判断の文脈によって変わってくるはず
だと思うのですが。
善悪を「目的ー手段」の関係によって定義づけるなら、
「ある目的の実現にとって合理的な選択肢がその目的にとっての善である」
としか言えないのでは。
>>562 だから、「集団を維持すること」自体の判断は不能だといっているわけですが。
犯罪は集団に維持(社会秩序の強化)に貢献しますから、
それほど単純ではないですね。
その集団が悪と規定(法制化)している物事がその集団を
(社会秩序)維持し強化する価値にもなりますから、その
集団が悪とする価値が集団の維持を脅かすとは限らない。
ただし、善悪についてのイデオロギーがその集団の秩序維持
に貢献するというふうには言えるかもしれません。
善が貢献するのではなく、その境界付けのイデオロギーが
集団を維持するのです。
ウヒ! 561≠562 (・∀・)!!
>>564 > 犯罪は集団に維持(社会秩序の強化)に貢献しますから、
(誤字訂正)集団の維持に
さて、ブタゴリラって覚えているかな?熊田薫。
そう、キテレツ大百科に出ていた少年。彼を実は
見かけたんだ。桜木町のジャズ喫茶でピアノを弾いていた。
『八百屋の方はどうなんだい?』『トンガリに譲ったよ』
『そうか、美代ちゃんは元気?』『赤坂の割烹屋で働いてるみたい』
『それは知らなかった。大学の近くじゃないか』『キテレツのこと聞いてます?』
『いや、何だい?』『スーフリのメンバーだって・・』
『そうか・・』『驚かないんですか?』
『うん、まぁね。うん、まぁね』
ああ、おいらこの方(564さん)にレスつけてたのれす(・∀・)
何を言っているか分からない駄文になってしまった(汗
足が一本欠けた椅子は悪い椅子だ。
なにしろ座れないからな。
これと同じように、「集団」とやらの目的を設定してやれば、良いか悪いか判断できる。
そーたいてきなかちはんだん、ってやつだ。
ここで語られる「集団」の目的とは?
維持。
拡大。
この辺がぱっと思い浮かぶな。他にもあるかも知れんが。
さて、「集団」は個体からなる。
「集団」の維持と拡大は個体間に普遍の目的なのか?
個体の目的と「集団」の目的の間に摩擦が生じることはあるのか?
「集団」内の個体に自由意志はあるのか? それとも複雑な構造が生み出した虚構に過ぎないのか?
ここら辺で手詰まり。じゆーいしの有無には触れる勇気がない。
まあなんにしても、すごく複雑ですねーという話。
「犯罪は集団の維持に貢献する」という観察も成り立つとはおもうのですが、
『すべての犯罪は集団の維持に貢献する』と主張しきってしまったら
ウソになりませんか?
>>564さん
「集団」てのの性質にもよるしなー。
人間の集団だったとして、国家から大学生のサークルまで、色々あるし。目的も様々。
分解が足りなさ杉。
.。oO(足が一本欠けた椅子は良い椅子だ。なにしろ犯罪を犯さないからな)
>「集団」内の個体に自由意志はあるのか?
それを言うなら、「集団」に自由意志はあるのか?
というより、そもそも「集団」に「意志」はあるのだろうか。
意志のないところに目的は有り得ないのではなかろうか。
>>572 そそ!それそれ!まさにそれです。
『犯罪』も『集団』も『維持』も『貢献』も、すごくアイマイな定義なんです。
けれどもそれで『善』を語ろうとしているからおかしい。『善』だけがはっきりしてるんです。
観察して述べられる、おおまかに正しい主張としては高々
『ある種の犯罪は、ある集団の維持に貢献することがある』といった
あいまいな主張だけなハズであって。
これを『犯罪は集団の維持に貢献する』と命題化していくから可笑しな世界観
(イデオロギー)が出現するのではないかな、と。
>>571 犯罪(悪)とはその集団の維持にマイナスとなるものである
というふうにすべて言いうるのかという問題でもありますね。
>>574 そうですね。集団とか社会という主体がアプリオリに立てられてしまっている。
>>575 犯罪とはその集団の維持にマイナスとなるものである
とすべて言い切れないとするなら、
犯罪とは集団の維持にマイナスになるものであるとは
一般化できない。それと矛盾する側面を否定することになる。
>>573 集団と個体、どっちが重要なのか。
要素還元か全体かって話でもある……のか?
なんだか複雑系を思い出す。
集団が思考することはない、とは言い切れないのだろーか。
社長さんの思い通りに会社が動かないのはなんでだろ?
システムの複雑さゆえか、何か別の要因があるのか。
保守的に考えれば前者だが。
どっかのSFのように、人間一人一人が脳細胞の役割を果たすことで生まれる巨大な意志=神。
あれは嫌展だったなあ。
>>575 > 『ある種の犯罪は、ある集団の維持に貢献することがある』といった
仮にある種の犯罪がその集団維持にプラスになる面があるとすれば、
犯罪とは集団の維持にとってマイナスなものであるとはできなくなる。
「犯罪」だからその集団なり社会なりの秩序維持にマイナスに働くとは限らないわけで、
いっぽうでプラスにも働いているわけです。犯罪によって社会が利益を受けることは
あるわけです。とすると、社会集団にとってマイナスのものだから悪とは説明しきれなくなる。
善悪(合法・非合法)についてのイデオロギーがその集団の秩序維持にプラスになる
というふうに言い換えればいいかもしれません。
583 :
考える名無しさん:04/08/23 22:49
>>580 詭弁
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合
あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して
否定論者が…
1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
2:ごくまれな反例をとりあげる
「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
3:自分に有利な将来像を予想する
「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」
4:主観で決め付ける
「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」
7:陰謀であると力説する
「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
8:知能障害を起こす
「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
10:ありえない解決策を図る
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」
よく見かけますね。
>>571 > 『すべての犯罪は集団の維持に貢献する』と主張しきってしまったら
> ウソになりませんか?
すべての・・・などという主張はしていないはずなので、あしからず。
>>583 それじゃまったく反論になっていませんねえ
586 :
考える名無しさん:04/08/23 23:10
わたしは
>>580さんの提示は論理的で面白いと思うんですよ。
『ある種の犯罪が、その集団にプラスになることがある』
これは直感的に否定しない方がけっこう多いのではないかと。
『犯罪とは集団の維持にとってマイナスなものである、とはいえない』
ここですねwまあ古典的な形式論理学を学ばれた方なら
>>583のコピペを
みるまでもなく余興で済まされるとおもうんですがwもちろん、
『だから、犯罪とは集団の維持にとってプラスなものである』が(詭弁)なんですよねw
実際には(
>>584)のスタンスで停止する。
『犯罪とは集団の維持にとってマイナスなものである、とはいえない』
『しかし全ての犯罪は集団の維持に貢献する、などというつもりはない』
ではなにを主張するつもりかといえば結局元の
『ある種の犯罪が、その集団にプラスになることがある』という観察(命題)を再度主張するか、
あるいは
『だから全ての犯罪を悪だと決め付けるべきではない』と飛躍するか。のいずれか。
ですね?
589 :
考える名無しさん:04/08/23 23:30
国連憲章前文
われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた
戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の
同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の
尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の
向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に
生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く
外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び
社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、
われらの努力を結集することに決定した。
少なくとも、これが善だろう。
590 :
考える名無しさん:04/08/23 23:40
例えば、鼠小僧とかは犯罪者だけど、『善』だと見なされているよね。
法律と、人々の善悪の観念とが必ずしも一致はしないというだけの話しだな。
あまり意味のある問題提起ではないような気がする。
>>589 いやそれはただの憲章前文かと^^
>>590 善悪問題っていうのは、ものすごく具体的で
つねに問われる危険性(蓋然性)の高い問題でわ?
592 :
考える名無しさん:04/08/23 23:48
>>591 >>善悪問題っていうのは、ものすごく具体的で
>>つねに問われる危険性(蓋然性)の高い問題でわ?
意味がよく判りません。
子供の前で赤信号を守るかどうか。という問題提起。
どう?守る?
関西人ならこの問題はとくに大きいのだがw
594 :
考える名無しさん:04/08/23 23:56
>>593 子供の年齢による。
危険の有無を判断できるのであれば渡ってもいいし。
判断できない年齢なら「絶対駄目よ!」といっておけ。
関西人なら大抵そうですよねえ・・・わたしもそんな感じですたw
で、中学の頃に暗い善悪の反転を体験するのですよ。
ええ、くらい心の奥で。いままでの教科書にスミを塗る感じ?で。
すごい重箱のスミをつつく話しなんですが、善悪の倫理って
「しつけ」るじゃないですか。「絶対駄目よ!」ってきつく。
それは子供の生命に関わるから強く言うわけなんですが。
これ深くて暗いところで大きいと思うんですよねw
あ、だから関西人は信号守れってわけでもないんですが。
『伝統的なしつけ観』に迷信的な闇が潜んでるような
感じとでも言いましょうか。『夜の池に近寄るとカッパに
引き込まれる』の類?
>>587 > 『ある種の犯罪が、その集団にプラスになることがある』
> これは直感的に否定しない方がけっこう多いのではないかと。
ある種の犯罪にかぎらず、その社会が「犯罪」と規定するかぎりにおいて、
その社会の秩序にとってプラスに働く面をもっています。
1.犯罪とは、その社会集団の(秩序)維持にとってマイナスのものである
2.しかし犯罪には、その社会集団の(秩序)維持にとってむしろプラスになる面がある
3.社会集団の(秩序)維持にとってマイナスになるものだから犯罪だとは言い切れない
犯罪がその社会集団の(秩序)維持にとってマイナスに働くよりもプラスに働く
という面は、法社会学者にとってもほとんど常識になっていると思いますよ。
基地外が小学校に乱入してガキどもを刺し殺した事件は、学校の警備体制の充実を社会に促す
点でその社会にとってプラスであり善であった、とでも?
そのことを鑑みれば基地外の悪事が相殺されるとでも?
>>598 「社会」にとってはプラスであり、被害者個人にとってはマイナスです。
>そのことを鑑みれば基地外の悪事が相殺されるとでも?
悪事が相殺されるなどとは言っていません。
善悪の判断は、社会ではなく個人の尊厳が優先規準に置かれるべきでしょう。
>>599 つまり、社会にとってのプラスマイナスと、善悪の判断は無関係だということね
じゃあ、この話題は 糸冬了 ということで
>>597 >犯罪がその社会集団の(秩序)維持にとってマイナスに働くよりもプラスに働く
>という面は、法社会学者にとってもほとんど常識になっていると思いますよ。
『常識』キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_-)=゚ω゚)ノヨォ━━━!!!!
と煽ってみる
集団にとって善になるものが個人にとって悪になる場合もあるのでは?
>>597さんの命題@とAは論理矛盾命題ですねw まあいいたいことは分かりますが
『個々の犯罪は、社会集団の秩序を攻撃するものだが、秩序維持にプラスになることがある』
ということだと思うんですが。
まあ
>>597 さんの議論は
・『犯罪』の定義があいまいにされている点、
・「社会維持にプラスマイナス」測定可能性の点、
がアイマイ(直観的)なので命題としてつらいかと。あと、ひっそりと『(秩序)維持』と
書き込んでいるのはオチャメだとして(・∀・)
>>602 それは明確にありますね。ゲームモデル化も容易だし、
金銭の増減=善悪とすれば税金(社会的負担)はまさにそれ。ですね。
>>561 では、「集団の維持」それ自体の善悪を問うことは無意味である、
という点は了解してもらえましたか?
>>605 直感的にも了解できないですし、たぶん論理的にも出来ない(汗
『善悪を問う』について。
善=いいこと
悪=わるいこと
という意思主体による判断行為だとしたら、特定のひとにとっての善悪が
生じるというのは、議論ないでしょうか。Aにとっての善は、Bにとってはどう
でもよく、Cにとってはちょっとイヤ(悪)ということがある、ということです。
集団の維持についてですが、個体の維持を「善」と判断する主体がいるとします。
まあ、普通「善」と判断するわけですがw
個体の維持を「善」と判断する理由を証明するのは非常に困難です。
でも実在を例証することはきわめて容易だ。
ある人が、たまたま他人をこえた強力な力をもっていたとして(権力)
たとえば人に訴えかける表現力だとか、紛争を処理する親和力だったりするわけですが、
このひとが、たまたま集団(人のあつまり)と自分を同化(一体化)して行動したとすると
集団の維持を善と判断し、それをもたらす諸事象・行為に対して善悪の判断を
おこなうことは大いにあるとおもいます。
まあ上はかなり慎重に書いているのですが、普通は、素朴な気持ちとして
自分を集団と一体化してひとは生活している部分があって、むしろ個人を
意識するのが「特定の場面での特殊なケース」だと理解します。だから個人の
判断である善悪が社会(モラル)的に現出しているようです。
社会的な「善悪」は成文法、慣習(不文律)として確実に存在しており
この存在を否定するのはかなり暴論だと考えます(デカルト・ヴィトゲンシュタインの流れの
方は別ですが)
『集団の維持は善である』という社会命題の是非についてですが
これはずっと前のレスでどなたかが記述されていた「感情の合意過程」
によってつくられるか、あるいは権力者(力強い者)によってたまたま
成文・不文化されて述べられたものを引き継いでゆくようなかたちで
与えられることはありえ、まあ現にあるわけでw
>>605さん説明されることは
----------------------------------------------------------
『集団の維持』をおこなう行動、それ自身は「判断すべき対象」でなく
自発行動である。その目的に適合する(善)しない(悪)判断が善悪だ。
----------------------------------------------------------
ということで宜しいのでしょうか?わたしもそのようにおもいます。
生きる&生き延びるために良いこと、良くないことはありますが
生きることそのものの善悪は問うことはできない。
・・・となれば「自殺は善悪が問えない」となりそうで困るんですが(汗
このあたりの「善悪」の反転具合は一体何なんでしょうね^^;
>>606 >善=いいこと
>悪=わるいこと
>
>という意思主体による判断行為だとしたら、特定のひとにとっての善悪が
>生じるというのは、議論ないでしょうか。
なぜ、それが「意思主体」になるのかわかりませんね。
その場合(「意思主体」である場合)は、
善=いいことだと思われていること
悪=わるいことだと思われていること
となるのではありませんか?
私は、目的については、恣意的に意思で決定される(よって、根拠は無い)が、
その目的についての任意の事柄が、その目的にとっていいことであるかわるいことで
あるかは、目的を抱いた当人の意思とは無関係に決まると考えます。
>>603 > 『個々の犯罪は、社会集団の秩序を攻撃するものだが、秩序維持にプラスになることがある』
> ということだと思うんですが。
ハァ? 犯罪は「犯罪」であるかぎりにおいて秩序そのものを攻撃するものではありませんよ。
>>603 > まあ
>>597 さんの議論は
> ・『犯罪』の定義があいまいにされている点、
ならば、あなたのおっしゃる犯罪の定義とは何ですか?
> ・「社会維持にプラスマイナス」測定可能性の点、
> がアイマイ(直観的)なので命題としてつらいかと。あと、ひっそりと『(秩序)維持』と
> 書き込んでいるのはオチャメだとして(・∀・)
そうするとあなたの考える「集団の維持」とは何ですか?
「秩序」を除外した概念??
>>603 直観的な命題は私に起因するものではありません。
そもそも↓に対するレスですから。
-----------------------------------------------
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
-----------------------------------------------
>>609 ?
>>609さんにとって犯罪とは具体例の集合体ですか。それとも
これは「犯罪」これは「犯罪でない」という基準があるのでしょうか?
わたしは「体制・秩序を攻撃するものが犯罪」と定義しています。
だから被害者ではなく公人(検察)が公訴するのだ、と。
>>611 了解です。レス番(レス者)が入り乱れてますから^^;
-----------------------------------------------
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
-----------------------------------------------
が変なのは何かな?と考えていたんですが、結局
『良かれと思ってやったことが裏目に出た』
という自体を無視した叙述になっているから、かな。
-----------------------------------------------
【善】=集団(群れ)の維持に良かれとおもう行為
-----------------------------------------------
善悪が行為の判断基準だとしたら、その基準がもたらす
結果は「善悪」は保証してくれない。
まあ、経験(蓄積)的にある法則みたいなものが予測されていて
【良かれ】と思う行動をして、そんなにわるくない結果に落ち着くと
いうことはある。刑法なんて、そういう意味では「判断基準」であり
同時に知恵のデータベースでもあると。
すみませんオイラの日記帳みたいな書き込みばかりで(汗
反省してないんですが(・∀・)ネー!
>>606 というわけで、まず、
>という意思主体による判断行為だとしたら、
という仮定が成立しないので、これを前提とした、
その後のお話も考え直していただく必要があると思います。
>>614 ・・・・追跡するの大変杉・・・_(。。;パタリ
やっぱ論理的に話すと頭使い杉。
これからの最新流行は直観論法。これだね。
思ったことをそのまま話す。んで自己責任(・∀・)コレ!
( ´_ゝ`)´_ゝ`)
>【善】=集団(群れ)の維持に良かれとおもう行為
クローン人間の製造も人類の保存のためには有益ですし、昔のハンセン病問題
も、政府が集団を維持するため病気を広めまいと思ってやったことなのですか
ら、これらは善と見なされるのですか?
>>617 ええと、私は
>【善】=集団(群れ)の維持に良かれとおもう行為
が真だとは思わないが、
>クローン人間の製造も人類の保存のためには有益ですし
クローン人間の製造の是非については、
それが有害が有益かという点が論点になって、
今、さかんに議論が行われている最中であり、
現状では各国の法律や医学界の倫理規約等では禁止するのが主流という状況で、
それを単純に「有益ですし」という根拠にするのは不適当と思う。
後、「集団」の定義の問題も考える必要がある。
遺伝子操作、クローン人間は、「人間の集団」のアイデンティティにかかわる問題、
つまり、その定義自体を揺るがす問題であって、それは、より根源的な意味での
「集団の変容(≒破壊)」といえるかもしれない。
(クローン人間についての反対者のなかには、
このような問題を危惧している人も多いと思う。)
【善】=善いこと でいいんじゃね?
【悪】=悪いこと でいいんじゃね?
自分や相手、人以外のもの・動物とか自然とかに良かれとおもってやる行為=【善】
でいいんでね?
【善い】形容詞
【善】名詞
善は名詞だから特定のイデアを持つ対象物、善いは形容詞だからイデアの徳性。
形容詞を名詞としてそのまま使用するとnull-pointer違反だからもうぬるぽ。
>>617 良かれとおもう行動だったんでしょうね。その当時の対応として。
まあそれで押しつぶされる人がでてくるのが権力(強い力)のオソロシさ
なんでしょうけど。安易に「有益」というのは確かに恐ろしいが、かといって
なにも決断できないのも恐ろしい。「善」という言葉は権力者にとって都合
のいいものだが、権力者がおこなう強い力の行使が、他のすべてのひと
に災難をもたらすと、かならずしもいえない。
良かれとおもってやることが、裏目にでることがある。
未来はおおむね予測できないから。
>>620 >【善】=善いこと でいいんじゃね?
>【悪】=悪いこと でいいんじゃね?
でいいとしても。
>自分や相手、人以外のもの・動物とか自然とかに良かれとおもってやる行為=【善】
>でいいんでね?
とは必ずしもいえないんでは。
「良かれと思って」も必ずしも、その対象にとって善い結果になるとは限らない。
良かれとおもってやる行為=【善であろうと思ってやる行為】
良い≠善い
なんて言われた日には、もう何も言い返せませんが^^;
625 :
【神=自然の淘汰圧】:04/08/26 01:40
>>先述で
>>-----------------------------------------------
>>【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
>>【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
>>-----------------------------------------------
>>というのは結局
>>『善とは集団を維持することである』
>>という主張です。
うーん違いますね。
集団を維持するために、善悪の感情(?)があるのです。
善悪(を感じる感性)は集団維持のためのツールであって、
集団維持を善といっているわけではありません。
626 :
【神=自然の淘汰圧】:04/08/26 01:48
25 名前:考える名無しさん 投稿日:04/08/11 20:57
どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えればよい。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物
は、群れを維持する為の本能を獲得している。
その本能の表れとして、群れの秩序を乱す行為を【悪】という
ふうにネガティブな反応を示し、逆を【善】とポジティブに捉える。
この感情(回路)、価値基準こそが、『善悪』の本質。
627 :
【神=自然の淘汰圧】:04/08/26 01:51
>>572 >>「集団」てのの性質にもよるしなー。
>>人間の集団だったとして、国家から大学生のサークルまで、色々あるし。目的も様々。
善悪の判定は、共同体の定義(範囲)と密接に関ってきます。。
構成する人々の世界観、どの範囲までを自らの村(共同体)と認識できる
かによって、具体的な行動の内容は変わってくるのだろうが、基本的に
は以下は変わりません。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
*「プラスとなる行為」ではなく「プラスとなると構成員の多くが認識する行為」
とした方が正確かも知れません。
オウム真理教の共同体の中で『善い行い』と認識されることが、その外側
にいる人間にとっては、必ずしもそう認識されない。それどころか、その集
団自体が、日本というもっと大きな共同体秩序を乱す異物=悪として認識
されることもある。
勿論、共同体の中での善悪の判定は必ずしも常に一致するわけでもなく、
例えばイラクを共同体への参加を拒む不安定要素(悪)だと認識する人も
いれば、逆にイラクを攻撃するアメリカを国際秩序を乱す悪だと認識する
人もいる。善悪の認識は揺れ動いて当然なものともいえる。
哲学者と宗教家の違いを理解した希ガス
反論の余地がないので、なにもレスできない。
まあガンバ(・∀・)レー!
>>627 人間は、集団を認識するとともに、必ずその集団の「外」を意識します。
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる行為
この図式は、その「外」が考慮されてない点で、たんなるムラ意識と変わらんのです。
また、「維持する」とはどういう状態を指すのかが曖昧な点で、定義としても役立たずなのです。
集団(会社、学校、家族、国家、宗教等等)にとっての善愛と
個人にとっての善悪とを分けたほうがいい
集団(会社、学校、家族、国家、宗教等等)にとっての善悪と
個人にとっての善悪とを分けたほうがいい
人間が集団を作らなかったら
善悪という物もなくて
快不快しかないんじゃないかな?
↑ageちまったスマソ
634 :
考える名無しさん:04/08/26 13:22
生き物が集団を作ることは、一種の平衡状態を維持することに等しい。
だから、集団を結束させる力と分解させる力が同時に働いている。
善悪のような、全ての構成員が守ることが望ましいという観念には、
それが観念の中で実現されていなければおかしい。
つまり、善とは、集団にとってプラスになると同時に個人にとってプラス
になる行為であり、そのバランスには特に制限がおかれないものであるはずである。
《生き物が集団を作ること》は、《平衡状態を維持すること》である。
《集団を結束させる力と分解させる力が同時に働いている》
結束=権力?
分解=犯罪?
自然災害とかは?共同生産とかは?「同時に働く」ってのは不要な形容なんでわ?
たぶん物理(力の均衡)モデルをイメージしてるんだろうけど。現実を表現できてないのでわ?
モデリングとしてムリあり過ぎない?そのモデリングが誤解の元なのでわ?
集団なんてこちらにふらふら、あちらにふらふら、ちっとも均衡してないし。
636 :
考える名無しさん:04/08/26 16:40
>>635 外的な刺激をさして、同時に働いていると言っているのではなく、
集団内部での共有する何か(目的や価値)について言っている。
結束は権力ではないし、分解は犯罪でもない。
もちろん平衡は均衡ではない。
637 :
考える名無しさん:04/08/26 17:08
例えば、ある価値があったとして、
他者が、この価値に魅力を感じることである集団ができたとする。これを仮に価値の超越性と呼ぶ。
一方で、その集団に自分が所属するには、その価値が自分にとっても魅力的でなければならない。
これを仮に価値の内在性と呼ぶ。
集団の内部で共有される目的や価値は、必ずこの超越性と内在性を同時にもっている。
もし、そうでなければ、集団は解体するか、破壊的カルトのように暴走してしまうだろう。
つまり、価値の求心力と価値を個人に還元する力の平衡状態が成立している。
集団がなんで関係あるの?
639 :
考える名無しさん :04/08/26 20:45
>>629 外を意識しているからこそ集団を維持しようとするんだろ
>>639 文面から、外との「対抗意識」ではないことくらい、読み取れないの?
641 :
考える名無しさん :04/08/26 23:59
>ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物
>は、群れを維持する為の本能を獲得している。
しかし、善悪が本能に基くものだとすると、なんでヒトが悪いことを
平気でやるのか、理解できないが。
「善悪とはムラの掟だ」的な発想を相対化しないと、倫理について考えられないんじゃないかな。
「郷に入れば郷に従え」は、処世術であって倫理ではないよ。
ああ、なるほど
>>34の文脈で使われ始めたのか。
なんでプラス・マイナスに、このスレがこだわってるんだ?と思った。
>>34のこれって「異民族」「攻撃」などの状況下での善悪の話しじゃん。
【善悪について言えそうな事】
・{集団・群れと個体}にかかわることである
・{維持}に関わることである
・プラス/マイナスといった{二元論}である
これを文脈にのって表現したら
>>34になったのね。まあでも
善悪は上の条件だけで必要十分ってわけじゃないから異論
続出なわけか。ふむり。
>>642 『なんでヒトが悪いことを平気でやるのか、理解できない』
実験ではないだろうか?本人が社会に接するにあたっての実験。
やってみて反応を見る。腹が減る。食べ物を食べたら解決するこ
とは以前より体験済み。ここに飯屋がある、カネを払わずに食事を
したら警察に突き出されるのは体験済み(常習かよ!)、ここで食
い逃げをしないと、どうなるだろう(ドキドキ)、食い逃げをしたらどう
なるだろう(ドキドキ)
いっちょ、やってみるか!やればわかるさ!(猪木風味) こんな感じ?w
意味不明
>>646 それはあなたに読解力が足りないだけでしょう!
あんたの記述が意味不明だ。
意味不明なのはテメーの存在だ
なんで生きてんの?
生きてて恥ずかしくないの?
>>647 実験して平気だったから悪いことをやるようになる、と?
では、どうして(善悪は本能に由来するとして)本能に逆らってまで悪いことをするのかと・・・
結局
>>643の問いかけには何も答えられてないんだよね。
× 結局
>>643の問いかけには何も答えられてないんだよね。
○ 結局
>>642の問いかけには何も答えられてないんだよね。
なんの話をしてるのか。
スレ違いじゃないの?
まず『本能に逆らってまでやる悪いこと』について
-------------------------------------------(A)
・高いところから下をみると足がすくむ
・とがったものを目の前に出されると顔を背ける
-------------------------------------------
みたいに立証されている{本能}もあれば
「『刃物をちらつかせて、ひとを断崖から突き落とす』ようなことはよくないと、判断する」(B)
みたいな高度なものまで{本能}に幅があるためかと。(A)についてはヒトの赤ん坊で
確認されている本能だから基本言語、(B)は情況において記述される高等言語みた
いなものだが、
・高いところから下をみると足がすくむから、高いところから下を見るのは悪である。
・刃物をちらつかせて、憎い仇を断崖から突き落とすようなことは悪である。
と記述してしまえる(記述可能性)があるため、おなじ「倫理」の土台に乗せられる結果に
なっているのではないだろうか。
・・・・ああ、なんかこの話題、むかし創価学会に入っている友人と議論したことあるなw
いや、漏れは偏見なく、面白い話題だとおもったんだけど。シャクフクのための議論なら
勘弁かなぁ。反論の可能性がない議論は無意味だからにゃぁ
653 :
考える名無しさん :04/08/27 01:05
>>642 おかしいか?別に本能は絶対に逆らえないものでもなかろう。
例えば人が生残ることを欲求すると言うのは本能だと思うか?
では、なぜ日本には年間3万人もの自殺者がでるのだろうか?
本能というのは、別に絶対的なものではないということだろう。
654 :
考える名無しさん :04/08/27 01:07
仲間を助ける、秩序を乱す個体を排除しようとするといのは、
例えば『高いところで足がすくむ』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの原始的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形
成されていると考えた方が自然でしょう。(あるいは、動物や昆虫が、
毒々しい色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話?)
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度の本能なのでしょうが。
655 :
【神=自然の淘汰圧】:04/08/27 01:09
>>642 それにもっと言ってしまうと、他を殺してでも欲しいものを手に入れる、
というのは実はもっと原始的な本能なのでしょう。ただ、群れを作る段
になると、この本能が邪魔になる。だから、「この本能を抑制する本能」
が集団化して生存率を上げる過程で必要になったと考えられる。
>>642 それは「理性があるから」じゃないの。
「自我が確立しているから」とも言える。
そもそも群生動物は本能によって群を作って本能によって生きている。
本能しかないんだから、ある意味「善いこと」しかしない、というか、
善いも悪いもない。動物の行動に善悪を言っても意味がない。
これに対し、人間は「自己意識」があって、自分が群とは独立の「別の存在」だと
意識しているし、群(社会)の利益を離れた「自分だけの利益」を追求する理性もある。
だから当然社会の利益に反することもやる。それが社会の側からは「悪」とされる。
そういう意味では、まず「悪」の観念があって、それに対抗するために
「善」の観念が創られた、という方が本当では。
>善いも悪いもない。動物の行動に善悪を言っても意味がない。
そうかな。
まあ、あなたがたに分かりやすいように、猿の群れを考えてみると、
今日、ねぐらをどこにするか、餌場をどこにするかにといった
選択によって、敵に襲われたり、餌が沢山食べられたり、
といった違いはやっぱり生じるんじゃないの?
658 :
考える名無しさん:04/08/27 01:23
>>655 >それにもっと言ってしまうと、他を殺してでも欲しいものを手に入れる、
>というのは実はもっと原始的な本能なのでしょう。
そうなの?
生物は、栄養摂取=殺傷となるんだろうが、これは所謂「殺し」とは違うね。
欲しいものを手に入れる「為に」手段として殺しをやるわけではないのだから。
自分の欲望の為に手段として殺しをやるのは本能なのかなあ・・・?
それは「結果的に不利な行動」でしょ。
猿は本能に従っているだけなんだから、そもそも「意識して悪いこと
をする」ことは不可能なんだよ。もしもできるとしたら、
それは猿が人間に近い(自己意識や理性的判断能力を持った)
動物だ、ということでしょ。
動物は「嘘をつく」か?
動物は「自殺をする」か?
昔からある問題だが、否定的な答えが多いだろう。もっとも
人間が動物の行動をどう解釈するか、という問題とも言える。
>>652 >それは「結果的に不利な行動」でしょ。
それが(有利不利を考える対象(この場合は「猿の群れの生存」)についての)
「悪い行動」じゃないの?
>猿は本能に従っているだけなんだから、そもそも「意識して悪いこと
>をする」ことは不可能なんだよ。
そのことが、善悪「そのもの」となにか関係があるの?
>>655 人間なら、好きな女を手に入れるためにライバルを殺すこともあるだろう。
でも、動物が、ツガイになりたい雌を手に入れるためにライバルを殺すかな?
(そういう例をわたしは知りません)
663 :
考える名無しさん :04/08/27 01:35
>>658 >>生物は、栄養摂取=殺傷となるんだろうが、これは所謂「殺し」とは違うね。
「殺し」だよ。
664 :
考える名無しさん:04/08/27 01:36
>>652 >・高いところから下をみると足がすくむから、高いところから下を見るのは悪である。
そういう行為を、「悪」という述語で記述するのは大変違和感があるが・・・
665 :
考える名無しさん:04/08/27 01:42
>>663 シマウマが草を食べたり、サルがバナナを食べたり、鯨が小魚を飲み込んだりするのは
「殺し」ではない。栄養摂取と殺傷が全く同一次元で行われてるんだから。
667 :
考える名無しさん :04/08/27 01:51
518 名前:考える名無しさん 投稿日:04/08/21 17:27
>>516 例えばこんな話しがあります。ウサギは外敵が巣穴に近づいてきた時、
トントンと地面を踏み鳴らし、巣の中の仲間に知らせるのだそうです。
これにより群全体の生存確率上がるわけですが、その個体は当然その
分逃げるのが遅れるのですから、身を危険に晒すことになります。
もし彼らが人間並みの思考力を持っていたとしたならば、自らの危険を
顧みず、仲間のために取った行動を、【善い行い】だと評価することでしょう。
逆に、仲間に知らせた本人は、自分が取った、短期的な損得勘定では
説明できない本能的な行為に驚き、内なる声、何か説明のつかない大
きな力に自分が突き動かされたと思い、神の存在を模索するのかも知
れません。
人間は高度な思考力を持っているため、短期的な損得勘定ができます。
集団を維持するために必要となった原始的な本能は、その自分自身の
損得勘定と矛盾する行為を強いることがあるため、それを説明する為
に善悪という概念が生まれてきたのだと思います。
殺しってのを意図的に、自分の議論に有利になるように解釈するから
論戦になるだけであって。
>>656さんの-------------------------------------------------
そもそも群生動物は本能によって群を作って本能によって生きている。
本能しかないんだから、ある意味「善いこと」しかしない、というか、
善いも悪いもない。動物の行動に善悪を言っても意味がない。
-----------------------------------------------------------
という記述はどうよ!おれはコレだって思ったが。そうそう、こう言いたかった
って感じ?
>もし彼らが人間並みの思考力を持っていたとしたならば、自らの危険を
>顧みず、仲間のために取った行動を、【善い行い】だと評価することでしょう。
しかし彼ら(兎)に人間並みの思考力があるかどうか判別できないので
上の記述は無意味(ノンバーバル/ナンセンス)
じつは上記の論法は、説得力があり良く利用される典型的な詭弁法(詭弁についての当板スレッド参照)。
仮定したことを前提にして結論の正当さを印象付ける手法。つまり、論じ方の手法として適正でない
(内容云々でなく)。
もし岩石に意思があるのなら、彼らがながめてきた地球40億年の歴史を雄弁に
物語り始めることでしょう・・・みたいな論法。(内容云々でなく、論じ方の手法として)
「正義」をめぐってどれだけの戦争が行なわれ、どれだけの人間が殺されてきた
ことか計り知れない。
すべての戦争(テロリズムまでふくめた)は、「正義」をめぐる争いなのだ。
その「正義」ってのは何ですか?
善悪と関係ありますか?
673 :
考える名無しさん:04/08/27 16:02
ウサギがトントン。
674 :
考える名無しさん:04/08/27 21:11
(´-`).。oO(内容が理解できない奴は枝葉の部分にしかコメントがつけられないんだなぁ。
675 :
考える名無しさん:04/08/27 21:14
いや、あんまり馬鹿らしくて、コメントする気になれん。
ウサギがトントン。
>>675 lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll
llllllllllllllllllllllllll/ ̄ ̄ヽlllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll
lllllllllllllllllllll / ヽllllllllllllllllllllllllllllllllllllll
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 試 そ あ .iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiii| 合 こ き |iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| 終 で ら |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| 了 め |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;| だ .た |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:
;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;| よ ら |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:
:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ、 /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
:. :. :. :. :. :. :. :. ‐‐--‐‐':. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :. :.
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廴ミノ
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クュ二二`Lっ) `==='
このスレ、所々は面白いと思うんだけどなー。
大半は「それ以前の問題」って感じか。
もちっと本とか読んで勉強してみれ。
所々は面白い・・・ぱっと眺めたんだけど(
>>412)なんか、
一見すると激しく長文(駄文)に見えるけど、読んでみりゃ
良く書けているよなぁ・・・
自分にとって自明なことでも、なかなか記述できないもんだが
この言い回しは借用させてもらうよ、、って盗作宣言かよww
個人的には
・善悪の話しをするともめるらしい。
・だから胸の大きな女の子と話しをする機会があれば、善悪の話をしたい。
ってのがウケタww
681 :
考える名無しさん:04/08/29 01:12
私にとって善悪とは、行為です。
殺しを悪と判断すれば、殺しません。
殺しを善と判断すれば、殺します。
一時の感情で「殺したい」と思ったのであれば、
私は過去の歴史を考えます。
なぜ、殺しを悪とする現代日本になったのかを。
映画セブン(ブラピ出演)のラストシーンの
ような場面に、自分が遭遇したとする。
「セブン」のブラピと同じ事をするでしょう。
その結果は、私にとては善である。
正しく判断できる人間になりたい。
善悪とはあくまで比較である。
つまり善は悪よりも数値では上であるが、もしかしたらそれは限りなく悪で、そして悪は限りなく悪よりもう少し下の値をとっているにすぎないかもしれないのである。
人間が善と受け取るのはあくまで人間の主観からであり、宇宙の法則から見ればそれは悪となりうるのである。
つまり、善と悪に境界線があるとすればそれは宇宙の法則に基づいて決定するべきであり、すなわち善や悪というのは宇宙の法則に基づいた場合のみ定義されるのであって、
人間が善とか悪とか感じるのはただの空虚な妄想なのである。
善だの悪だのって、
受ける側(関係する側)が判断することじゃねーのかな?
いいと思ってしたことが迷惑に取られることもあんじゃん。
「自分のコレは善!!」
って思ってたって、相手が「ウゼッ」と思ったらそこまで。
悪行だと分かってて行動するヤツより、
善行だと思い込んで動くやつのほうがタチ悪いかも。
善悪をめぐってこの世には諍いが絶えない。それを治めるのは法であるが、
法のなかにさえイデオロギー戦争がある。
ぜんぜんわからん
で、ここでいう善悪とはなに?
倫理的な善悪?
それともただ単に「うまいものを食った」「病気になった」という意味での善悪?
これを混同しちゃ話が進まないのではと思うのだがどうか。
688 :
考える名無しさん:04/08/29 18:50
>>683 >善悪とはあくまで比較である。
あなたが「比較」という言葉を正しく捉えているのならば、
次のように質問します。
ある行為や事柄を、善度**パーセント、悪度**パーセントと数値化できるのですね?
そして、その際の「物差し」を「宇宙の法則」とされておりますが、宇宙に法則があると
される根拠を述べてください。 また、具体的にどのような宇宙の法則が善悪に適用される
べきなのか、述べてください。
>>687 気持ちは分かるが、倫理的な善悪を、快・不快や損得に還元できると考える人々がいるので、
どうしてもごちゃごちゃになる。
でも、このごちゃごちゃは、「話を先に進めるため」という理由で強引に整理してはいけないと思う。
690 :
考える名無しさん:04/08/29 21:29
生来の聾唖者が手話によって言葉を得るまでは、時間の概念が無かったのだという。
目の前の出来事に対し、経験と映像的な記憶に基いて反応することが全て。
つまりあるのは現在のみで、過去も未来もない。
このことから分かるのは、「時間」は言葉を得て初めて認識できるものであるということ。
言葉を持たない動物には感じられないという点では「善悪」もかなり似ていると思う。
>>688 そんなこと聞いても答えるわけないじゃんw
(
>>683)氏のは抒情詩であって論述ではないものw
だが、詩に哲学がないとはいえない。
まあ「おお!」といったり「へえ!」といったり
しておけばマンゾクしてくれるという次第だね。
>>687 それらは何か違うの?
>>689 「還元」ではなく、もともと同じものなのでは?
>でも、このごちゃごちゃは、「話を先に進めるため」という理由で強引に整理してはいけないと思う。
そのとおり、にもかかわらず、違うという前提で話を進めようとして、
聞かれても違いを説明できずに逆切れするだけの人が多いからごちゃごちゃになる。
もちろん、倫理≡善悪 ではないけどね、倫理⊂善悪 ということ。
>>690 あっと!それはすごいかも・・
初めて聞いた。一晩考えてみよう・・
音声と時間概念ってわけじゃ、ないのかな・・・
でも手話で時間概念が獲得できるわけだし・・・
ことばと時間概念か・・・
ちょっと面白いからあげ
>>692 >「還元」ではなく、もともと同じものなのでは?
「善」を、「気持ちいいこと」とか「得になること」と考えるのは無理があるでしょう。
しかも、仮に「もともと同じ」だとしても、今はズレがあるならば、無理に「もともと」のほうに
還元して考えるのではなく、いまの「善」の権利的な根源を探らなきゃいけないでしょう。
善を功利や損得に還元したがる人たちは、時間的な遡及ばかりしたがる。
>>695 >>「善」を、「気持ちいいこと」とか「得になること」と考えるのは無理があるでしょう。
なぜ無理があるのでしょうか?
695さんではありませんが
気持ちの悪いことで「善」である場合が多いから?
得にならないことで「善」である場合が多いから?
健康診断でバリウム飲むのは気持ちよくないが「善」、
町会で定例のどぶさらいを手伝うのは気持ち悪いが「善」
泣いておもちゃを欲しがる子を諦めさせるのは得にならないが「善」、
空いている交差点で信号待ちをするのは得にならないが「善」
“そんなクダラナイ話をしてるんじゃない!”じゃなく、卑近なところで厄介な問題、
その場その場で恥ずかしい思いをしている自分がいる。
歩行者として信号を守っているのは関西人の私にはすごく恥ずかしい(笑)ですが、
守るべきなのか、信号無視すべきなのか、あるいはハタマタそもそも、
その判断の基準を置くべきなのか、その場その場で決断すべきなのか、
こういった身近な善悪問題も話してほしいような。
>>696 >「善」を、「気持ちいいこと」とか「得になること」と考えるのは無理があるでしょう。
「気持ちいいこと」であるかどうかは場合によりますが、
「得になること」であるのは確かですね。
なぜ無理があるのですか?
>しかも、仮に「もともと同じ」だとしても、今はズレがあるならば、無理に「もともと」のほうに
>還元して考えるのではなく、いまの「善」の権利的な根源を探らなきゃいけないでしょう。
つまり、あなたは、ある概念について、多くの人が誤解しているのならば、
実際に正しいかどうかを考えるのではなく、誤解に合わせて概念を修正すべきだと考えるわけですね。
ガリレオは間違っていて、太陽が地球の周りを回るように努力すべきだったと?
699 :
考える名無しさん:04/08/30 01:21
>>698 >つまり、あなたは、ある概念について、多くの人が誤解しているのならば、
>実際に正しいかどうかを考えるのではなく、誤解に合わせて概念を修正すべきだと考えるわけですね。
つまり、あなたは、多くの人は「善」という概念を誤解して考えていて間違った使い方をしている
と言いたいのですね? 善などはない、と。 得や快感という語だけで間に合う、と。
>>699 >つまり、あなたは、多くの人は「善」という概念を誤解して考えていて間違った使い方をしている
>と言いたいのですね?
そうですね。
>善などはない、と。 得や快感という語だけで間に合う、と。
そうはいっていませんね。
前半をちゃんと読んでください。
701 :
考える名無しさん:04/08/30 01:41
「お前、今日は得になることをしたな。偉いぞ!」
「被告は損になることをしたので、懲役2年の実刑を言い渡す。」
「親孝行は得になることだから、ちゃんとやらなきゃ駄目だぞ」
「損になることをしちゃいかんと、何度言ったら分かるんだ!」
「万引きは損になることなので、絶対やっちゃいけません」
「電車で体の弱い人に席を譲るのは得になることです」
「猫を意味なく虐殺するのは絶対に損になることだ!やっちゃ駄目だ!」
「黒人差別は損になることだ。なんとしても撤廃しなければならない」
702 :
考える名無しさん:04/08/30 01:43
善が得なことならみんなやってるッつーこったな。
皆がやっているなら、皆が得をしているはずですね。
善を行うことが得になることであるという前提で話すならば、
「どのような」得になるのか、という質について議論されるべきであろう。
私見では、善とは即ち行動規範である。
人は規範に則り行動することによるIdentifyによって、自己を満足させる
ために、善という「行為の容れ物」を必要としているのだ。
善という概念自体は器である。
また、善という器に入るものは「行為」のみである。
「善なる思考」というものは存在しない。
これは社会からのフィードバックを自己存立の為に使用するという
システムの為に善という器が用意されている、という事による。
少なくとも、自分においての「善」はこう機能しています。
こう考えると「悪」が難しい。
上記の論旨で行くと、行為には「善行」と「善で無き行為」の二種しか
ありえない、という事になってしまう。
となると、疑わしいのは「善と悪」の対応関係か。
悪、および悪行というのは、善とはまた違う発生原因があるのでは
ないかと思いますが…
(そもそも、自分においては「悪」および「悪行」というのは存在し得ない
物なのですが)
>>704 「善で無き行為」を悪とすれば、それで全て丸く収まるのでは?
>>705 「善行」を「すべきである行為」とするのであれば
「悪行」は「すべきでない行為」ですよね?
その中間に「どちらでもない行為」というものが存在するわけで、
「善で無き行為」を「悪行」としてしまうのは問題があるわけです。
社会によるIdentifyとしての「善行」と対応するのは、
社会からは一切フィードバックの無い「行為」でしかないわけです。
うーん、でも、
「悪行」というのは「善行」の逆、つまり、社会からの疎外者として
自己をIdentifyする行為の事なのかもしれないですね。
卑俗な言葉で言えば「悪振るアウトロー」って所ですか。
自分はあえてそういう自己存立方式を採ることも無いので、
自分が為した行為が、他人からは「悪行」だと映ったとしても、
自分にとっては「どちらでもない行為」だと認識していますので
よく分からないのですが。
いやはや。善は善。得は得でしょ。
得することが善というのはイデオロギーだ。
善は善、得は得。
”じゃあ「善」って何よ?"
善とはよいこと、悪は悪いこと。
>>706 それは、「善なったり悪くなったりすること」と、
「善く悪くもならないこと」があると考えればよいのでは。
「善く悪くもならないこと」については、そもそも善悪は問えない、
「善なったり悪くなったりすること」については、
善いことが善であり、それ以外は悪。
>>707 「よいこと」は「得になること」ではないのかね?
>>709 「お前、今日は得になることをしたな。偉いぞ!」
「被告は損になることをしたので、懲役2年の実刑を言い渡す。」
「親孝行は得になることだから、ちゃんとやらなきゃ駄目だぞ」
「損になることをしちゃいかんと、何度言ったら分かるんだ!」
「万引きは損になることなので、絶対やっちゃいけません」
「電車で体の弱い人に席を譲るのは得になることです」
「猫を意味なく虐殺するのは絶対に損になることだ!やっちゃ駄目だ!」
「黒人差別は損になることだ。なんとしても撤廃しなければならない」
>>710 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< おちつけ
( ) \_______
| | |
(__)_)
>>710 まあ、大筋で間違ってないことも多いんでは。
推測や予測については必ずしも正しいとは限らないけど。
>>708 そう言う事も可能かもしれないけど、
「善行」と「悪行」と「それ以外の行為」の三種のうち
前者二つを一まとめにして、それと後者一つを対比させる
事に意味があるのだろうか?
そもそも、そういう二元的な区分けをすると、
どうしても「その二者における原義的な相違は何であるのか」
という問いが浮かんでしまう。
それよりも、「善行」と「それ以外」という対比および、
「悪行」と「それ以外」という対比を作った方がシンプルに
相違点を導き出せる。
前者と後者の違いは、悪行と善行の間に統一概念が存在
すると前提するか否かの違いです。
ちょっと話は逸れますが、
善行と悪行は、それぞれ「行為」であるため、「善行」の
逆はあくまでも「善行を『しない』」事であり、これ自体は
「悪行を『する』事」には含まれていないと思うんですよ。
これもまた概念としての善悪対立図からすると面白いズレ
ですね。
例えば、電車でお年寄りに席を譲るのは善行であるが、
譲らないのは悪行であるのか。
例えば、無闇に動物を虐待するのは悪行であるが、
動物を虐待しないのは善行であるか。
ダメだ、眠くて当たり前のこと言ってる気がする。
みなさん、消防レベルの善悪観をもっていらっしゃるんですね。
このスレを読んでて、哲学的に刺激されるものがなにもありません。
常識論で解決がつくレベルの議論です。
>>713 >事に意味があるのだろうか?
そうすれば、観察される事実と符合しますね。
>そもそも、そういう二元的な区分けをすると、
>どうしても「その二者における原義的な相違は何であるのか」
>という問いが浮かんでしまう。
「善なったり悪くなったりすること」と、
「善く悪くもならないこと」。
>善行と悪行は、それぞれ「行為」であるため、「善行」の
>逆はあくまでも「善行を『しない』」事であり、これ自体は
>「悪行を『する』事」には含まれていないと思うんですよ。
それはどうでしょうか。
あることをすれば、「善くなる」にもかかわらず、
それをしないのは、「悪いこと」ではないでしょうか?
>例えば、電車でお年寄りに席を譲るのは善行であるが、
>譲らないのは悪行であるのか。
「電車でお年寄りに席を譲るのは」、なぜ「善いこと」なんでしょうか?
「善いこと」とする理由があるのであれば、
その理由が満たされないことは「悪いこと」である理由にはならないのでしょうか?
>>715 >「電車でお年寄りに席を譲るのは」、なぜ「善いこと」なんでしょうか?
>「善いこと」とする理由があるのであれば、
>その理由が満たされないことは「悪いこと」である理由にはならないのでしょうか?
ふむ、仮に「電車で座っているときに、目の前にお年寄りが立った場合の行為」
が、「善くなったり悪くなったりする行為」であるとした場合に、
「席を譲る行為」が善い行為で「それ以外の行為」が悪い行為になる、という事ですね。
こういう善悪判断も可能ですね。一理ある。
ですが、「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」と前提した場合に、
「虐待する以外の行為」すべてを「善いこと」とは言えないのではないでしょうか。
これについてはどう思われますか?
>>714 折角来たのだから、自説を開陳してみたらいががですかね。
多少は刺激のあるレスが来るかもしれませんよ。
ここは常識論を罵倒する技術を研究するインターネッツですから!!
残念!!!
>消防レベルの善悪観・・・
>・・・常識論で解決がつく・・・
目出度い人生だなあ。おい。ええ?
恥のない世界に逃避すりゃこう断言できるわけだ?
なあ、おい?ww
>>716 >「席を譲る行為」が善い行為で「それ以外の行為」が悪い行為になる、という事ですね。
「「席を譲る行為」を善い行為」とするならば、「その理由において」、
そうなるということですね。
>ですが、「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」と前提した場合に、
>「虐待する以外の行為」すべてを「善いこと」とは言えないのではないでしょうか。
ええと、話を簡略にするために細かい説明を省いて結果だけ申し上げますと、
「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」とする理由について、
「虐待する以外の行為」は、「無関係な行為」と「悪い行為」と「最善の行為」の、
いずれかになるのではないでしょうか。
どういった行為がそれにあたるかは、
「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」とする理由が
どのようなものであるかによって変わってくるので、
「「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」」
という前提だけではわかりません。
721 :
考える名無しさん:04/08/30 16:47
>>720 >「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」とする理由が
>どのようなものであるかによって変わってくるので、
「虐待」とは、「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」という意味だよ。
理由の如何を問わずに悪いことだ、という価値判断を含んだ語です。
>>720 話をシンプルにするために、抽象化をしてみるとしますと、
前者のケースの場合は、
1.「善行を行える局面において」、2.「善行を為さない事は」
3.「善行が善である理由において」、4.「悪行となる」
という事ですね。後者のケースにおいては
1.「悪行を行える局面において」、2.「悪行を為さない事は」
3.「悪行が悪である理由において」、4.「どのような行為となるか分からない」
となる。
これらを真であると前提した場合に、集約されるのは一言
3.の「理由」のみとなるわけですね。
「理由」の内容如何によって、1の局面が発生するか否かが決定され、
4.の結果も(恣意的に)変化する。
ある意味、非常に常識に沿った形となるわけですが、
こうなると「理由」自体に、1.をの「行為局面」を規定する要素と
4の「結果判断」を規定する要素が含まれているという事になりますね。
両者は密接に絡み合っているため、不可分であると思うのですが、
このアプローチのみで結論としてしまうのも随分居心地の悪い話です。
なので、違うアプローチから。
この「理由」の発生および、「理由」自体が持つ(あるいは
潜在的に持つ)価値はどこにあるのでしょうか?
>>721 >「虐待」とは、「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」という意味だよ。
>理由の如何を問わずに悪いことだ、という価値判断を含んだ語です。
あなたの定義では、「虐待」とは、単に、「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」
という意味ではなく、その行為についての、「悪いこと」という価値判断を含んでいるわけですね?
そうすると、
>ですが、「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」と前提した場合に、
は、トートロジーになってしまうのですが、それはそれとして、
「虐待」にそのような意味があるとして、私が言っている「理由」というのは、
「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」の「理由」ではなく、
(「理由の如何を問わず」における「理由」はこの「理由」ですよね?)
「悪いことだ」とする理由です。
>>722 >なので、違うアプローチから。
>この「理由」の発生および、「理由」自体が持つ(あるいは
>潜在的に持つ)価値はどこにあるのでしょうか?
理由は、まったくの恣意的なものでしかないでしょう。
しかし、我々の欲求は究極的にはそのようなものであって、
「なぜ」「なぜ」と理由を遡っていけば、「そうしたいからしたい」
としかいいようのない欲求にたどり着かざるを得ない。
しかしかならが、その欲求に対して、ある事柄
(「老人に席を譲る」とか、「動物を殺すとか」とか)
が及ぼす影響は、「善くする」「悪くする」「無関係」の3種類しかない(はずです)。
もちろん、実際にその事柄が、実現(行為の場合は実行)する前の、
「善くする」「悪くする」「無関係」という、その事柄についての認識は、
「予測」でしかありません。
従って、実際にその事柄が、実現(行為の場合は実行)した後で、
その事柄が欲求について、「善くしたり」「悪くしたり」「無関係であったり」
したことが明らかになり、それが、「予測」と異なる場合は、
その結果が信頼でき、理解できる範囲において、人は、以前の「予測」は間違いと認め、
結果においてその事柄が欲求について「善くしたり」「悪くしたり」「無関係であったり」といった
ことをもって、善としたり、悪としたり、無関係としたりするわけです。
従って、その事柄や、善悪の判断(予測)について
より多くの経験や知識を持つものは、少ない経験や知識しか持たないものは、
より間違いにくく、善く生きることが可能になるわけです。
725 :
考える名無しさん:04/08/30 17:29
>>723 >あなたの定義では、「虐待」とは、単に、「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」
>という意味ではなく、その行為についての、「悪いこと」という価値判断を含んでいるわけですね?
??
「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」は端的に「悪いこと」なんです。
「単に」もなにも、「虐待」は「悪いこと」なんです。
「悪いこと」の理由ですか? 生命を理不尽に傷つけることは悪いことでしょう。
>>725 >「ある生物に対して理不尽に惨い残酷な扱いをすること」は端的に「悪いこと」なんです。
>「単に」もなにも、「虐待」は「悪いこと」なんです。
>「悪いこと」の理由ですか? 生命を理不尽に傷つけることは悪いことでしょう。
理不尽というのは、「道理に合わないこと」ですから、
「その道理」については、悪いことですね。
ですから、「どういった道理」について合わない、とするかによって、
変わる、ということを申し上げているのです。
727 :
考える名無しさん:04/08/30 17:49
>>724 端的に纏めると、
・人には本性的に善、悪に対する欲求が備わっている
これは人は本性的に、善、悪を判断する能力があるという
前提が無ければ機能しないので、
「人は本性的に善、悪を判断する能力を持つ」という
定理も付け加えられますね。
・善、悪とは結果のみに顕れる事である
これは善、悪を絶対的な価値と認めずに、相対的に
状態Aから善方向へ遷移した場合は善、悪方向へ遷移した
場合は悪、ということになりますね。
上記を前提とした上で、最後に浮かび上がる問題。
(結局、元に戻るわけですが)
「善、悪とは何か」
728 :
考える名無しさん:04/08/30 18:01
>>726 >ですから、「どういった道理」について合わない、とするかによって、
>変わる、ということを申し上げているのです。
一つ言えるのは、「道理」とは、個人的なものではあり得ないということです。
>>727 >・人には本性的に善、悪に対する欲求が備わっている
いえ、違います。
欲求自体には、善悪はありません。
ある欲求について、ある事柄が、
それを満たす場合に、その事柄を善、
それを損なう場合に、その事柄を悪、
としているだけです。
それを認識できるかどうかは、各個人の認識能力にかかわってきます。
そのために世の中には、より上手に物事を判断してより多くの場合に欲求を満たせる人と、
判断を誤ることが多くて、欲求を満たせないことが多い人がいるわけです。
>これは人は本性的に、善、悪を判断する能力があるという
>前提が無ければ機能しないので、
>「人は本性的に善、悪を判断する能力を持つ」という
>定理も付け加えられますね。
「機能」ということがどういうことを意味しているのかわかりませんが、
人間に判断能力が無い場合は、判断できない、だけであって、
欲求が満たされたり、損なわれたりといったことが、起きないわけではありません。
>上記を前提とした上で、最後に浮かび上がる問題。
>(結局、元に戻るわけですが)
>「善、悪とは何か」
冒頭に述べたとおりです。
731 :
考える名無しさん:04/08/30 18:16
>>730 「虐待」という語は、行為のみを純粋に記述する語ではないんだよ。
悪いことをした人間を懲らしめる目的で叩けば「懲罰」。
その肉を食す目的で殺せば「屠殺」。
拳闘競技に勝利する目的で叩けば「有効打」。
理不尽に惨い暴力を加えるのは「虐待」。
虐待が道理に合わないのはなぜかと聞かれても、道理に合わずに惨い暴力を加えることが虐待なの
だから、君が何を聞きたいのか、さっぱり分からないな。
>>729 >ある欲求について、ある事柄が、
>それを満たす場合に、その事柄を善、
>それを損なう場合に、その事柄を悪、
>としているだけです。
「ある欲求」とは、任意な本性的欲求という事と位置づけて
問題無いと思うのですが、
「ある事柄」と「それ」の意味(定義)が分かりませんね。
その定義を指し示すことが、すなわち貴方にとっての
「善悪とは何か」という事を表していると思うのですが。
>>731 730ではないが、一つシンプルにお聞きしようか。
>生命を理不尽に傷つけることは悪いことでしょう。
その理由は?
734 :
考える名無しさん:04/08/30 18:29
>>732 >「ある事柄」と「それ」の意味(定義)が分かりませんね。
「それ」とは「ある欲求」でしょ。
要するに、ある欲求を満たしてくれるものが善。阻害するものが悪。
そう言いたいんでしょ。
俺は、こんな定義には大反対だけど。
735 :
考える名無しさん:04/08/30 18:32
>>733 良心 consciene が許しません。
736 :
考える名無しさん:04/08/30 18:35
>>735 じゃ、もう一個質問。
貴方の良心がそれを許さなかったとして、
私の両親がそれを許したとしたら、
私にとって「生命を理不尽に傷つけることは悪いことではない」
事になりますよね?
だとしたら、「悪いことでしょう」という同意を求める言い方は
間違っているのではないですか?
737 :
考える名無しさん:04/08/30 18:38
>>735 語源から考えても分かるように、良心は個人的なものではあり得ないから。
見て分かるとおり、俺は、永井流の倫理批判には大反対という姿勢です。
その線でよろしく。
>>731 >虐待が道理に合わないのはなぜかと聞かれても、道理に合わずに惨い暴力を加えることが虐待なの
私が聞いているのは、「道理に合わないのはなぜか」ではなく、
「どういった」道理に合わないのか、ということです。
740 :
考える名無しさん:04/08/30 18:50
>>737 じゃ、最後の質問。
>良心は個人的なものではあり得ないから。
それは、誰のどの論文に書いてあったことなの?
>>732 >「ある事柄」と「それ」の意味(定義)が分かりませんね。
「ある事柄」とは、行為、物をひっくるめた、
善悪の判断の対象となる「何か」と考えてください。
例えば、
「適度な運動は健康に善い」
といった場合の「適度な運動」が「ある事柄」、「健康」が「欲求」に対応します。
ここで、「適度な運動」は行為ですが、行為ではなく、
「ヨーグルトは健康に善い」
という「物」でもいいわけです。このように、善悪の判断の対象は「物」「行為」に限定されないので、
「事柄」という言葉を使って総称しています。
「それ」は、「ある欲求」を指しています。
742 :
考える名無しさん:04/08/30 18:56
>>741 それは…
残念ながら、善悪論ではございませぬ。
あぁ、善悪論じゃない、というのは言いすぎでしたね。
功利主義も善悪論に言及しているわけですし。
個人的に思想がカント方面寄りなので、功利主義は
除外して考えておりました。スマヌ。
>>744 私の場合は、いわゆる「功利主義」ではなくて、
パースのプラグマ「ティシズム」ですが。
彼が言及しているとおり、
理性による方法は、現実と必ず符合するとは限りませんね。
(もちろん、これをもってその方法が劣っている、
とはパースは言っていませんが。)
この点についてはどのようにお考えですか?
746 :
考える名無しさん:04/08/30 21:22
>>739 >私が聞いているのは、「道理に合わないのはなぜか」ではなく、
>「どういった」道理に合わないのか、ということです。
俺のほうも、「道理に合わないのはなぜか」に対する答えなど述べてないし、それを聞かれた覚えもない。
どういう道理に合わないか?
「正当な理由なく残酷な仕打ちをすることを虐待といいます」という説明に対して、
「正当な理由とは何ですか?」という質問をする意図を教えてくださいな。
>>746 >どういう道理に合わないか?
>「正当な理由なく残酷な仕打ちをすることを虐待といいます」という説明に対して、
その説明は今回初めて見ました。
とりあえず、それが、あなたの「虐殺」の定義であるとしましょう。
>「正当な理由とは何ですか?」という質問をする意図を教えてくださいな。
ええと、そういった意味のことを聞いているつもりはありません。
「どういう道理に合わないか?」を「正当」という言葉で言い換えるなら、
(この場合に)「正当とみなしうる理由はなんですか?」となるはずです。
すくなくとも、私の意図としてはそうです。
単に、虐殺一般の定義を聞いているのならば、あなたの定義で充分ですが、
この場合は、以下のような質問が発端となっています。
>>716 >ですが、「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」と前提した場合に、
>「虐待する以外の行為」すべてを「善いこと」とは言えないのではないでしょうか。
これについての私の考えは、
>>720 で述べているので割愛しますが、
つまり、「虐待する以外の行為」について、何を善とし、何を悪とし、何を無関係とするかは、
この場合、「目の前に野良猫がいる」→「虐待する」を「悪いこと」と前提する理由によると申し上げているわけです。
(いずれにしろ、この質問についての結論は、「そのとおり」ということになりますが)
思想前提が違うもの同士で「哲学」をするのは
非常に難しい。
お互い違った方法論で物事を解釈しているので、
歩み寄りが無いと「必ず」水掛け論になる。
お互いに閉じた論理回路内で喋ってるだけでは、
どっちも間違ってるわけじゃないんだもん。
『水掛け論』がなぜ生じるのか、
考えるのは面白い。
同じ言語を話しながら、相手に相互に理解が及ばない。なぜか?
ある利害対立状態があって、自分の立場について説明している人は
言葉によって自分の立場を解説しているだけであるから、他人の言葉
によって説得されることはない。
おおむね水掛け論はこのように見受ける。
ところが一見水掛け論でありながら、言葉によって説得される場合がある。
これは何が発生したのだろうか。言葉によって相手が説得される局面とは何か?
何だろう?
ある種の契約がおこなわれた場合に説得されるのだろうか?水掛け論は面白い。
>>749 >ところが一見水掛け論でありながら、言葉によって説得される場合がある。
>これは何が発生したのだろうか。言葉によって相手が説得される局面とは何か?
可能性として考えられるのは二つかな。
・自説そのものに自信がなくなってきて、相手の説の方が自分の中で説得力を持つ場合
・自説を構築している最中に誤謬に気づき、考えを改める場合
前者の場合は、自説を放棄するので、「説の対立」という水掛け論の舞台が無くなる
ため、水掛け論が消失する。
後者の場合は、実は「相手の説を聞いちゃいない」。
単に自説構築中に(ときには、相手の単語が契機となって)、自説を再構築する
事が出来た(または、する必要に迫られた)。
この場合、「説の対立」というものは存在しながらも、なぜか共感しえたと勘違い
しつつ和やかに議論が終了する場合が多い。
説を再構築した方にとっても、その議論は有意義であったわけだし、
自説を展開していた方にとっても、「相手が考えを改めた」(実際は、自説を支持する
ように変わったわけではないのだが)事によって、なんとなく認められた気持ちになるから。
と、いうのが過去の経験からの推測ですが。
751 :
考える名無しさん:04/09/01 18:20
>>750 善悪と正誤と人間関係は、全部別なんだよ。
幸せなひとだね。
善か悪か?この問題の本質は、善悪の基準点、ゼロ点をどう設定するかであろう。
どこからが善行でどこからが悪行なのか。通常、人間の平均的(中立)な行動を
ゼロ点にして、善悪を考えてしまいがちである。当然そこを基準にしてしまえば
「善とも悪とも言い切れない」という結論に至ってしまう。総和がゼロになるよ
うにゼロ点を設定したのだから当然の結果だろう。基準点の設定の仕方がおかし
いのである。
死に近い行為が悪、生に近い行為が善と私は結論付ける。
たとえば、生に近い行為とは人命救助であったり、募金だったりする。
死に近い行為は、殺しや、盗難(人の生きる糧を盗む)である。
しかし、ここで大きな問題が発生する。
自分が生きるために殺しや盗難をやった場合だ。
自分が生き残ることは生に近い行為であるから善としていいか。
それとも、死に近い行為であるから悪とするか。
難しい問題である。
もう1つ、たとえば道で倒れかかったお婆さんを助けたとき、アリを踏み潰してしまっていた場合はどうか。
つまり一貫性を保とうとするなら、これらの現象を2つに分けて考える。
つまりどういうことかというと、生きるために殺すという場合、殺すのは悪、生きるのは善と行為を2つに分けるのだ。
したがって、おばあさんを助けるのは善、アリを踏み潰すのは悪である。
これなら矛盾なく善悪の定義ができるだろう。
最後に、医者が患者を安楽死させることは悪である。
私の理論ではそこには患者の意思は存在しない。純粋に、生に近いか死に近いかで評価するのだ。
age
>>733 普通に
>>25で説明できると思うけど。
生物を平気で虐待するような性質の構成員は共同体の維持に
マイナスであると一般的には思われてるでしょうね。
756 :
考える名無しさん:04/09/05 18:34
寄生と共生は紙一重って知ってるかな。
生物は両者を区別なんかしていない。
恐らく、集団的や個人的な行動も同じでしょう。
生物は区別なんかしていない。
(これが自然淘汰の原則だからね)
【善】=自分以外の集団が自分に対してプラスに働くようになる行為
【悪】=自分以外の集団が自分に対してマイナスに働くようになる行為
これでどうか。
757 :
考える名無しさん:04/09/05 18:39
善悪言ってるのは人間だけです
758 :
考える名無しさん :04/09/05 22:08
>>756 それだと、『困っている人への寄付行為』を、寄付する本人が善行だと認識できなくなっちゃうね。
759 :
考える名無しさん:04/09/05 22:51
善=利他的
悪=利己的
という図式でよくないか?
他人に喜ばれるおこないが善でその逆が悪
761 :
考える名無しさん:04/09/05 22:57
善=公明正大な気持ちが働く
悪=私的本能で他人に迷惑をかけながらも動く
では?
762 :
考える名無しさん:04/09/05 23:03
善とか悪とか定義づけなんてむりでしょ
考え方次第で善にも悪にもなるし
すべて自然の現象で勝手に決めつけてるのは人間だけ
763 :
考える名無しさん:04/09/05 23:04
善=なにもしない
悪=なにかする(変化させる・働きかける)
というのもアリで^^;
764 :
考える名無しさん:04/09/05 23:05
{すべて自然の現象で勝手に決めつけてるのは人間だけ』
だとして、では「善悪」行動とは何か?
「善こそ悪なり、悪こそ善なり」とか
「悪人こそまさに機会(正機)」とか
ふむーり。心引かれるねえ。
766 :
考える名無しさん:04/09/05 23:11
>>764 だから「善悪」行動なんてないって
ものには対極があってその両サイドを善とか悪とか決めてるのは人間だけ
767 :
考える名無しさん:04/09/05 23:11
>>764 そこが面白いところだよね。
刑法の責任は「善悪を弁別する能力があるにもかかわらず罪を犯した」
場合に発生するが、「罪を犯した段階で善悪を弁別できていないのでは?」
という疑問は当然起こる。
厳密に言うと
「ある状況で、いくつかの選択肢が脳裏に浮かび、
ある行為が善で別の行為が悪だと認識できた上で、本人の意志によって罪を犯した」
ということになるのだろうけれど、これはフィクションというか、純理論的仮想だな。
「ものには対極があってその両サイドを善とか悪とか決めてるのは人間だけ」
↓
人間は、(ものには対極があって、その両サイドを)善とか悪とか決めてる。
↓
人間は、善とか悪とか決めてる。
↓
人間は、決めてる(行動)
人間は、行動をとっている。決めるという行動である。それは物を対極にとって、両サイドがあるとみる行動である。
↓
善悪行動???
769 :
考える名無しさん:04/09/05 23:21
まあ悪も必要だよな
悪がなけりゃ善なんかないし
不安があるから愛が存在しえるわけで
>>767 『かっとなってやった。今は反省してる』 だね^^;
それでもひとは裁かなければならない。何故だか。
ひとの心が善悪行動に突き動かされるから、介入しないでは
いられなくなる・・・から・・・かな??
>>770 ルールだからだよ。ルールを破ったらペナルティが課される。
もう一つは道徳観念というものが宗教のように思考パターンの中枢に
植えつけられてるため。つまり「なんとなく気に入らない」から。
もちろんこれは社会システムの維持に大いに役立ってるわけだが。
これだけじゃない?
772 :
考える名無しさん:04/09/08 16:32
「ルール」より「マナー」の方が好きだなあ。何か能動的で主体的なイメージ
がマナーにはある。自分の心の赴くままのの行動がマナーと一体となれたら
いいんだがなあ。中々そうはうまくいかないものです。
絶望と言うものは自己が自己であった過去と現在との関係を遠目から見た私自身がいるというキルケゴールのいったテーゼのことであろう。切り離された自我がキリスト者にとってと仏教徒にとっての共通の問の一つであるはずだがキリスト系の神学はこれをどのように扱っているか聞きたい
第一は−゛聞け、イスラエルよ、我々の神なる主はただ一人の主である。心のかぎり、精神のかぎり゙思いのかぎり゙力のかぎりあなたの主を愛せよ゙第二はこれ−″隣の人を自分のように愛せよ゙「マルコ伝12.29」
「もし主がこれらの苦難の日を短くされなかったら、誰一人として助かる者はあるまい。しかし選びを受けた、選ばれた人々のために、これらの日を短くしてくださっている。
こんな苦難の後に″日は暗く、光を放たず゙星は点から落ちもろもろの天体が震われるであろう〜するとその時、人の子は天使たちをやっで地の果てから天の果まで゙四方から選ばれた人々を集めるだろう」(同13章20、4)
「一世の始めに、すでにロゴスはおられた。ロゴスは神とともにおられた。ロゴスは神であった。この方は世の始めに神とともにおられた。一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらず出来たものは一つもない。
ヨハネ1.1) 聖書の文学性や解釈は様々で宗派によって違う筈だが、そもそも有限性という時間は反復というものの一次元性のことであり無限とは次元がうまくまとまらないほどに反復が繰り返された結果自己の有限性を確保出来ずに来てしまったことになろう
それはそれとして問題は人間が放つ力の分散が有限性ではうまく放たれ無限では拡散されてしまうということである。しかし無限に自己に戻るとは想像力の力となり想像力をもってしてはじめてコミュニケーション行為は優位性をもつ。
有限性の会話とは永遠に変わらぬまさに絶対。人間は二つの綜合によって漸く成る。
>>772 「マナー」っていうのは
>>771中段のニュアンスが多分に含まれてる
一種のルールじゃない?
ちょっと思ったんだけど、このスレの中に「善悪とは何か」を考えるのに
その根拠に善悪判断そのものを持ってきてる人多くない?
これって無意味じゃ?
782 :
考える名無しさん:04/09/11 22:04:59
善悪とは、道徳感情ですな。
倫理とは、コンセンサスの取れた感情ですな。
感情とは、適応から逸脱する行為の根拠である。
理性とは、適応する行為の根拠である。
善悪とは、環境の変化を予測し、適応から逸脱して
来るべき未来の環境変化に対応すべく、必然として生まれてくる感情である。
従って、未来が完全に予測されてしまえば、そこには理性しか存在し得ず、
善悪は存在しなくなる。
783 :
考える名無しさん:04/09/11 23:49:16
「適応」って何のことですか。
どうして未来が完全に予測されると道徳感情が存在しなくなるのですか。
何も関係ないと思いますが。
784 :
考える名無しさん:04/09/11 23:54:22
>>782 なんかようわからんが
上手く説明できるなら凄い理論だと思う
>782は、「100%うまくいった行為の根拠→理性」「多かれ少なかれうまくいかなかった行為の根拠→感情」
と言ってるだけ。
基本的には、結果論として見出されるものを現在あるいは未来の事象に適用しようとする点で
近代科学的であるが、人間の実践という範疇にある事柄をそれでうまく説明できるかどうかは
非常に疑問。
786 :
782:04/09/12 11:47:33
782は、ダーウインの道徳起源説と、適応と多様性の事実を結びつけた、一つの仮説なんだけど
進化倫理学や、進化心理学などを調べてみると、善悪の一つの捉え方として説得力があると思う。
この考え方は、生物学に弱い人には、ちょっと難しいから、誤解されやすいかもしれない。
787 :
考える名無しさん:04/09/12 12:26:39
そもそも「善悪とは何か」を論じることにどんな意味があるんだ。
善悪の意味が確定したとして「だからどうした?」と訊かれたらどうする。
788 :
考える名無しさん:04/09/12 13:18:31
>>787 それって暗黙の了解で誰も言わないことにしてる禁句じゃ
789 :
考える名無しさん:04/09/12 13:41:48
まあいいから、自説か反論をかけよ。
790 :
考える名無しさん:04/09/12 16:53:21
>>787 それをいうなら、「どんな意味があるんだ。」と問うことにどんな意味があるんだ?
まあ、究極的には願望の充足に役立つ
(願望を充足させるための手段なり方法なりを考えるのに役立つ)
ということ。
願望自体は恣意的なもので意味はないと言えば無い。
「生きていたい」「うまいものが食いたい」・・・等など・・・。
人によって違う。
>>791 目の前で倒れている妊婦に手を差し伸べないことは、「係わり合いになりたくない」とか、
「面倒なことは御免だ」という願望の充足に役立つかもしれんが、その行為は「善」とは
呼ばれないだろうね。
>>792 >その行為は「善」とは呼ばれないだろうね。
とすれば、そのために面倒を背負い込むことになるのではないかね?
794 :
考える名無しさん:04/09/13 00:13:44
>>792 でも、面倒なことになるかも知れないと判っているのに、
ついつい手を差伸べたくなってしまう理不尽な欲望が
人間の中には備わっているんだよね。
その不思議な欲望に付けられた名前が『善』。
795 :
考える名無しさん:04/09/13 06:18:03
>>792 俺は、手を差しのべるのなら妊婦に対してではなく腹の中の胎児にだね。
最もいいことは、なんらかの原因で生まれてこない。
次にいいことは、健常者として普通に生まれてくる。
避けるべきは、倒れているまさに今の事態が原因で胎児が障害者として生まれてくること。
妊婦がいくら苦しもうが知ったこっちゃないね。
そんな
>>795も、倒れている妊婦さんが善良そうな
ふつうに困っているひとなら、なにげなくあたりまえに
手助けしてしまうわけで(・∀・)
(キーワード)
・善良そうな
・ふつうに
・なにげなく
・あたりまえに
善悪行動が『備え付けられた、仕組まれた(involved)』ものだということか?
798 :
考える名無しさん:04/09/15 00:54:17
799 :
考える名無しさん:04/09/15 02:11:42
スレの中身をあまり見ないでカキコ
善とは大まかに言うと、その場、その時で多数の利益に適う行動、または考え方。
安定した政権下に措いては為政者に都合のよいこと(涙)
究極的に己が属する集団に利する行い。
…………人道主義とやらを本気で実行した良い見本が今の日本。
生物という物は利己主義なんだよ!! 意識してなくとも深層意識下で計算してやってんだ
あっ 日本はやらされているだけだから。米やら中やらキムチやらに……。
>>799 なんとなく反論できない気分もするんだが
”その場、その時で多数の利益に適う行動、または考え方”
といったものの実存が信じられません。というか、そういうものの
測定・判定をだれがやるのか、また検証可能なのか。たとえば
--------------------------------------------------------------------
『その場、その時で多数の利益に適う行動、または考え方だ、と俺が感じたこと』
--------------------------------------------------------------------
を善だとするのは明快だが、これだけでは大善すなわち社会における
「よきこと」と一致しているとは、なんら保証されていない。教えられた作法にしたがって
人助けをする、法をまもるのが「よきこと」だと感じて行動するなら、その教えは
どこから来たのか。・・・・まあなんとなく、みんな知ってるわけだがww
むしろ「教えにないこと」に直面して、みんな当惑するから
善悪をなやむわけで。
移植手術はある人(生体・遺体)の体内から臓器を取り出して
生体に移し変える。どう考えてもマッドだ。でも有効である。
リスクもあるが。善か悪か。
殺人鬼が死刑にされた。当然のむくいだ。罪には罰を。
しかしなにか釈然としないものが自分のこころにのこる。
これはどうかんがえてもマッドだ。おかしい。法と正義を
うたがう自分のこころは善か悪か。
死刑は社会からの排斥だと思う。
矯正の余地の無い罪人の社会に対する的確性を否定することではないかと。
社会秩序の維持を法の目的と考える限りにおいて、死刑は善であると思うが、
自然法的というか、極めて素朴で、我々が直感的に把握している倫理観から
見れば、人を殺すという形式的な構造に対して悪ではないかとの疑問を抱く。
803 :
@@@:04/09/18 08:14:37
769 :考える名無しさん :04/09/05 23:21
まあ悪も必要だよな
悪がなけりゃ善なんかないし
不安があるから愛が存在しえるわけで
↑
はあ?
不幸にも限度があるだろう。。。
多少の不幸はあっても
超不幸は必要ない。
感情にも限度ってものがあるわっ!
世界各国の異常殺人 強姦 拷問 不幸話
などのできるだけ詳しい記事をよく読め。
お前がそれらの記事や文章や画像や動画をきちんと見た時
100% 宇宙に(また宇宙の外にも(宇宙の外というものが存在するのであれば)
(超)不幸など必要ない という結論に達する。
人のせいにばかりするなタコ
805 :
考える名無しさん:04/09/18 09:21:55
善、悪っていうわかりやすいものは
ないと思う。
あるとするなら人間が自分の欲望を抑える
(理性みたいなもん)ために作り出したものだと
私は思います。
なんで欲望を抑える必要があるのか。
人間が絶えないようにするために
です
人間が絶えないように、個々人の欲望を押さえつける必要があるとするならば、
その理性は先天的に与えられているものなのか、後天的に為政者が作って与えたものなのか
あるいは、個々人の契約に基づくものなのだろうか?
社会が安定すれば人口が増える、疫病がはやれば人間が減る、
といったことは、人間の意志とは関係なく決まっていることで、
いくら人間が「疫病がはやれば人間が増えるようになってほしい」
と思っても、変わるわけではないよね。
理性というのは、こういった自然界の理を、
知る力(知ろうとする働き)ということではないの?
811 :
考える名無しさん:04/10/01 17:27:05
善悪age!
812 :
考える名無しさん:04/10/08 00:39:06
死して屍拾うものなし
813 :
考える名無しさん:04/10/08 00:53:22
人口の増減は人間の意思とは関係なく決まるのではなく、まさに人間の意思によって決まる。
これだけ人口が増えたのは人間が自然を克服して食料生産の増大に成功したからだ。
>>813 違うよ、
>>810 の言っているのは、人口の増減、それ自体のことではなく、
「ある事柄」(疫病とか社会の安定とか、食糧増産とか)と、
人口の増減の関係だよ。
食糧が少なければ人口が減り、多ければ増える(増やすことが可能になる)、
ということは人間の意志と関係なく決まっていて、
食料が減ったら人口が増えるようになってほしいと人間が望んでも変えることはできない。
だから、「人口を増やしたい」と望んだとき、「食糧増産」は否応無く、
「善」であって、「成すべきこと」となるわけであって、
ここで人間が恣意的に決めたのは「人口を増やしたい」という望みだけで、
それに対する「食糧増産」の関係は、自然の法則においてあらかじめ決まっているのであって、
人間の意志では決められない。
815 :
考える名無しさん:04/10/08 12:38:52
>>814 そうだね、同感です。
>>だから、「人口を増やしたい」と望んだとき、「食糧増産」は否応無く、
>>「善」であって、「成すべきこと」となるわけであって、
この考えを突き詰めると、「環境に対してどのように適応して行くか」が
取りも直さず「善悪」と言うことになる。
ただ、この考えは一部の人文系の人には受けが悪い・・・。
何故かしら〜〜ん(笑
816 :
考えぬ名無しさん:04/10/18 12:05:13
>>815>ただ、この考えは一部の人文系の人には受けが悪い・・・。
だから最初から言ってるだろ。善悪に普遍性は無いって。
いや、普遍性が無いのは「何を望むか」であって、
善悪自体は普遍的なものだよ。
「人口を増やしたい」と望んだとき、
日本人の場合は「食糧増産」「善」であるが、
アメリカ人の場合は「悪」である、なんてことは無い。
なんかそっちの方向に善悪をもっていくと
自己中毒をおこしそうな悪寒・・・
善悪で大事なのは『善悪の意識をもって』『主体的に行動する』ことだと思われ。
他人の命令で判断なく流されることさえしなければ、善悪の基準にブレがあっても
さほど問題にはならない、と言ってみる。
全体に、何がいいたいのか意味がわからんが・・・。
とりあえず、「自己中毒」って何?
820 :
考える名無しさん:04/10/27 23:37:45
age
自家中毒と言いたかったのだろうと思われ。
倫理学スレなかったっけ?
「自家中毒」としても、全体としての意味は不明。
>>817 では、望みをもった主体自身の意思と「関係なく」善悪は決まる、
といっているのであるから、対象として「善悪」を考えているのであれば、
>なんかそっちの方向に善悪をもっていくと
>自己中毒(自家中毒)をおこしそうな悪寒・・・
は当たらない(論理が逆)。
むしろ、
>善悪で大事なのは『善悪の意識をもって』『主体的に行動する』ことだと思われ。
のほうが、善悪に、恣意的な意図を持ち込むという点で、
>自家中毒をおこしそうな悪寒・・・
と批判されるべき。
824 :
考える名無しさん:04/11/15 22:31:11
善悪は存在しないし、私は善悪で生きない
しかし善悪・道徳を基準に生きる者たちが、現存することも事実である
そして彼らは私にとって、ありがたい存在である
私のように「善悪は存在しない」などという真実に気づく者が増えたら、
私にとっても不都合だからである
>>824はズルイ大人の発想だが、
世の中、こういう奴が得をすることもままある。
そして誰も、
>>824を止められない。
>>824 『私にとって』善悪は存在しない、だろ。間違ってるぞ。
お前は単なるフリーライダー、寄生虫ともいうが。
827 :
考える名無しさん:04/11/15 22:48:42
「善」という言葉を何らかの意味をもって使用している以上は善の概念は存在している
善の概念を論理空間中のあるべき位置に配置できた人こそプラトンの言うところの真の哲学者
828 :
考える名無しさん:04/11/15 22:58:53
>>827の言うような意味では、確かに善悪は存在するといえる
しかし人類が生まれる前、自然界には元々善悪なんて基準はなかった
善悪はあるといえばあるし、無いといえば無い
観念論的には「ある」
しかし宇宙論的には「無い」
とでも言えば良いだろうか
829 :
考える名無しさん:04/11/15 23:00:47
「無い」というよりは「無いも同然」という言い方の方がしっくりくる
830 :
考える名無しさん:04/11/15 23:27:12
食欲・愛情・言語とかはどうだろう
やはり無いも同然なのか
831 :
考える名無しさん:04/11/16 00:43:21
愛はどうでしょうねぇ
これも元々自然界には存在しなかったものと思われます
愛は元々幻想といえるが
人間社会においては
この幻想を抱く者が多数派であるので
実際問題として愛は社会現象としての力を持っている
そうなるとそれは幻想という一言では片付けられなくなる
愛も善悪も、それを信じる人が増えれば幻想ではなくなる、ってところだろうか
832 :
考える名無しさん:04/11/16 10:11:28
ゼンアク ヒトツ カタヅケ ララレナイデ…、ハヨ ショクニツケ
善悪が「ある」場合と「ない」場合とで、何がどう違うのか、
よくわからない。
善悪が「ある」とか「ない」とか熱心に議論する意味はどこにあるのか。
善悪が「ある」とは、どういう意味なのか。
たとえば、人間に「霊魂」が存在し、生前の行い次第で死後に
「天国」と「地獄」に行き先が分かれる、という事実が立証されたとする。
これで、善悪が「ある」ということになるのか。
835 :
考える名無しさん:04/11/16 11:24:05
w
836 :
考える名無しさん:04/11/16 11:30:31
/ ドッカン
/ / ,,_ ドッカン
━━━━━'), )= ☆ゴガギーン
∧_∧ヽ\ / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ) 〉 〉_ _ ____ ∧_∧ ∠ おらっ!W 出てこい!
/ ⌒ ̄ / "'''"'| || (`∀´ ) \___________
| | ̄l | |/ / \
. | | | | || | | /\ヽ
| | .| | | へ//| | | |
( | .| ロ|ロ ゙!l''ヽ/,へ \|_ | | |
| .lヽ \ | | ヽ\/ \_ / ( )
| .| 〉 .〉 | | | |
/ / / / | | 〈| | |
/ / / / | | || | |
/ / / / └──┴──┘
837 :
素人です:04/11/16 12:10:49
善悪なんていうのは、極論すれば、結果論から発生した概念じゃないですかね?
838 :
考える名無しさん:04/11/16 12:36:33
ゼンアクノ ガイネンハ ケンリョクシャノ 「ユウイ イジ」 ツール サ。
イセイシャガ タイシュウ カンリニ
ソシキ カンブガ ブカニ タイシ
ボーズガ ダンカ、ホーオーガ シンジャニ
センセイガ セイトノ コントロールニ
オヤガ コニ ユーコト キカセル タメニ etc.
チョ-ホー シテ ツカッテ キタ ノヨ、イマモナw
だから最初から言ってるだろ。善悪に普遍性は無いって。
そうそう、だから、普遍的な善悪がない、
ということを、いくら述べても、
善悪が無いことの証明にはならない。
悪の基準は無いが、善の基準は「愛」と断言してみる。
愛って何だ!
843 :
考える名無しさん:04/11/21 15:35:30
ミヤザト
844 :
考える名無しさん:04/11/21 17:47:42
ユーショー オメ♪
845 :
考える名無しさん:04/11/22 10:41:58
>841
確かに究極の愛が現実には存在しないのと同様、普遍的な善も現実には
存在しないしな。
じゃあ現実でない世界にはあるってことだな
イデア界とか
イデア界ってなんだよ。
848 :
考える名無しさん:04/11/22 22:57:03
ある人から見て「あいつは善悪の観念が全く無い」と思える行動をとる人物がいたとしても、その人物にとってはそうすることが善だと思っていたりする。
例えば、スレを荒らす人格をある同一人格の仕業と思い込んで叩き続ける行為。
第三者から見れば叩く人格そのものが悪だが、本人は自らが荒らしであることに全く気付いていない。
「善悪はあるが、善悪の基準に普遍性は無い/善悪の基準に普遍性は無いが、善悪はある」
このスレは「善悪の基準」について語るのではなく、「善悪そのもの」について語るのでしょうよ。
849 :
考える名無しさん:04/11/22 23:02:27
ゼンアクガ ナニカ トックニ ケツロン デテル ダロ。
850 :
考える名無しさん:04/11/22 23:27:42
ト イッテ ジブンデハ ケツロンヲ イエナイヒト
851 :
考える名無しさん:04/11/22 23:33:54
カコスレ ヨメ
852 :
考える名無しさん:04/11/22 23:35:39
愛は複雑系では存在し得ないから、単純系の善悪に置き換えたのでしょうよ。
853 :
考える名無しさん:04/11/22 23:38:53
ヤハリ ジブンデハ イエナイ
854 :
考える名無しさん:04/11/22 23:44:16
ヤハリ カコスレ ヨンデナイナ、メンドイ ヤツメ
855 :
考える名無しさん:04/11/22 23:48:48
イイワケ バカリ ヤハリ ジブンデハ イエナイ
856 :
ゼンアク トハ ナニカ (カコスレ):04/11/23 12:30:33
善とは 自分にとって都合の良い事柄 の総称だ。
逆に 自分に不都合と感じられるもの それが 悪だ。
人は 限りある自分の人生を 幸せなものとするために 生きている。
それが人生の意味だ。
幸せが何かといえば 喜びに溢れた時を過ごすことであり
喜びとは 「気分がいい」 と 自分が感じられる事柄だ。
人は 苦しみではなく 「いい気分を味わうために生きてる」ってこと。
つまり 自分をいい気分にしてくれるものが 人にとっての善なのさ。
キム・ジョンイルも脱北難民も マザー・テレサも 君も
その点に 何の変わりもない。
ポイントは 「自分にとって」良いか悪いかってことだ。
どんなに大勢が 「それは君の善に過ぎない」 と言おうが 関係ない。
胸に手を当てて考えてみればわかること。
善悪は 個人の嗜好の範疇に属する概念 なのよ。
従い 善悪をめぐる個人や国家間の衝突は 人類の常態といっていい。
善悪におけるルールは一つ。
「他人どもよ、オレ様の善悪を侵すな !! 」 だ。
ヒトから自分を見ると 俺は「他人」だから
これを一般的な言い方に置き換えると
「他人(俺)の権利を侵さないこと」 となる。
これを明文化し 懲罰をもって強制するのが
「法」の目指すところ ということになる。
それ以外に おまえの善悪を守ってくれる機能は無い (^-^) ニコ♪
857 :
迷える羊:04/11/23 12:36:37
>>856 >ポイントは 「自分にとって」良いか悪いかってことだ。
なるほど。で、自分にとって善いか悪いかはどうやって
決めればよいのでしょう?
858 :
マヨワヌ トラ :04/11/23 13:20:43
>>857 キメル ヒツヨー ナドナイ。
コトニ チョクメン スレバ オマイノ チーサナ ノーミソガ
ドレガ ジブンニ イーキブンヲ モタラスカ ソクザニ コタエヲ ダシテ クラル。
ワカンナキャ コードー シテミリャ スグ ワカル。
オマエ ニハ コユーノ ジライ タンチキ ヤ シアワセ ジュシンキ ツイテル。
ソレコソガ オマエダ♪
>>856 ナゼ ソレガ コノ スレ ノ ケツロン トイエルノ?
キミイガイ ニ ソウ ミトメタヒトハイルノ?
860 :
考える名無しさん:04/11/23 13:29:45
>ヤハリ カコスレ ヨンデナイナ、メンドイ ヤツメ
>それ以外に おまえの善悪を守ってくれる機能は無い (^-^) ニコ♪
こんな奴相手にするだけ時間の無駄。
861 :
考える名無しさん:04/11/23 13:35:40
ドアホッ !! コノスレモ ヘッタクレモ ナイ。
コノヨニ オレ(オマエ) イガイニ ジューヨーナ ソンザイ ナンカ ナイ。
オマエハ ドーカ シラナイガ
ダレモ ミトメザル エナイ ジジツヲ イッタマデ♪ o(^-^o)(o^-^)o
862 :
考える名無しさん:04/11/23 13:37:13
>>860 ダッタラ ナンデ アイテ シテンダ(ダイバクショー
ハイエスト・リスクとは何か?退屈とは何か?
864 :
考える名無しさん:04/11/24 08:05:42
>856
善悪を個人の嗜好で区別するのか、普遍的な概念を追及しそれで区別するのか、
つまり区別するのは感情か理性かどちらが主体か?は個人の嗜好だろうな。
>>847 >イデア界ってなんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・
真理の存在する抽象的世界
>>847 >イデア界ってなんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・
虚数空間。
867 :
考える名無しさん:04/11/24 11:48:14
イデア【idea(ギリシア)】
理性によってのみ認識されうる実在。価値判断の基準となる、永遠不変の価値。近世以降、観念、また理念の意となる。
868 :
考える名無しさん:04/11/24 11:53:44
むしろ最近ではイデア的なものを認めるのは宗教で、
否定するのが理性、みたいなニュアンスない?
869 :
哲子:04/11/24 11:56:42
>>847 >イデア界ってなんだよ。
なんである、イデアかい?
(おやじギャグである)
プラトニックなものだよ。
870 :
考える名無しさん:04/11/24 11:57:12
そだね
871 :
考える名無しさん:04/11/24 11:58:16
左脳=理性・論理的思考 (言語的なスピードの遅い情報処理)
右脳=本能・直感 (瞬間的な情報処理、第六感)
>>867 いや、「イデア」は知ってる。
「イデア界」つうのがワケワカラン。
プラトンくらい読もうよ…
>>873 弁明、饗宴、国家、ゴルギアスと読んだが、
「イデア界」という言葉、ないし、それに相当する概念は出てこなかったように思う。
善悪(理性、左脳)と母性愛(本能、右脳)、これらは人類にとって両輪の如きものであり、どっちに偏っても否。
勝手な造語の解釈にレスを消費するのもなんだが、前者が「イデア界」なのでしょうよ。
>>875 サパーリ理解できません。
「善悪(理性、左脳)」「母性愛(本能、右脳)」という関連付け、
「どっちに偏っても否」という結論、そして、
「善悪(理性、左脳)」(前者)を「界」とみなす解釈、
いずれも、説明なしにはにわかには納得できかねる事柄です。
>>877 神話的な解釈を除けば、国家のそれとだいたい同じですが。
国家の善悪とは何か?
>プラトンくらい読もうよ…
これはあなたじゃないんですか?
「3頭立ての馬車を上手く御する」
この「上手く」の意味がわからない。
>>872 んじゃ、「イデアの存在する世界」で説明たりるね
『国家 下巻』の詩人追放論あたりで説明なかったかなぁ・・・・
あれ?
イデア界の説明って言えば「洞穴の比喩」が有名だよね?
外から差し込んだ光が映す影が、わたしたちが見る現実だってやつ
あれって何に書いてあるの?
>>882 「イデアの存在する世界」って、この世界じゃないの?
この世界には存在せず、別の世界に存在するなんてことは書いてなかったと思うけど。
>>883 その比喩は「国家」に出てきますが、
前後の文脈からかんがえて、その比喩で説明しようとしていることは、
ここで説明されているのは、本質を理解している人間と、理解できていない人間の間の、
意識の断絶だと私は理解します。
イデアの説明としては、
>>882 が引用している、詩人追放論で持ち出される、
椅子のイデアと職人が作る椅子と、画家が描く椅子の絵の説明の方が、
分かりやすいと思います。
あれ、「イデア界でイデアを見た人間(魂)がこの世界でその面影(不完全な
個別の椅子)とかを見て元のイデア(完全な椅子)を想起する」とかいう
んじゃなかったっけ。
洞窟の比喩とのこり2つの比喩ってソクラテスぽい。
イデアというのはプラトンの主張っぽい。
洞窟の比喩っていうのは、この世界は物質界だけではないよと
私は飛躍して受け取ってます。
太陽の比喩では、善は全ての栄養だけでなく、明晰な理解をもたらすっていうのも
非常に興味深いです。
あと「国家」も最近再販されたようですね。
887 :
考える名無しさん:04/12/25 14:58:49
ageは善だ!
お前らはホントにくだらねーよな。このクリスマスに庶民どもがハシャいでるってのによ。
はしゃぐこともできねーなんて。
何が善悪かよ。虫けらどもが。いい歳してんだろ?
思考のループ。尻尾に噛み付くイヌッコロ。
善悪とは何か!!ぎゃーーーーー!はつかしぃーですぅ!
勘弁して下さいよ、先輩方。お前らほんとに知りてーのか?考えたいだけだろ?
お前らのチンケ思索の営為に文句は無いけどね。お好きなだけどーぞ?
でも俺は許せないね。お前らには羞恥心ってもんが無いのか。
言葉の奴隷。規定オタク。良く言えばチャレンジャーかw
まぁいいや、取り敢えず、お前ら親でも殺してみろ。な。簡単だろ。バカでも出来る。一人でデキタァー!
考えちゃダメだぞ。失敗するから。脳味噌が変形するから。無我の境地な方向で行け。
思考なんて所詮、辞書だろーが。変態どもが
と、クリスマスにハシャげなかった変態が申しておりまつ
890 :
考える名無しさん:05/01/09 21:33:00
アラン・カルデックよりコピペ
〈 善と悪 〉
――道徳的摂理とはどう定義づけたらよいでしょうか。
「道徳的摂理とは正しい行為を判断するための規準です。言い変えれば、
実践において善と悪とを分別するための規準です。神の摂理の遵守が
基本です。行為の動機と規準が善を志向するものであれば、その行為は
正しいと言えます。神の摂理を遵守したことになるからです」
――善と悪との分別は何を規準にしたらよいのでしょうか。
「善とは神の摂理に適ったものであり、悪とは神の摂理から逸脱したものです。
正しい行為とは神の摂理に適ったことをすることであり、過った行為とは
神の摂理を侵害することです」
――人間には自ら善悪を弁(わきま)える能力がそなわっているのでしょうか。
「その両者を弁別するための直観的判断力(良心)が授けられています」
――自分では正しいと思っても間違っていることがあります。
「イエスが言っております――“自分がしてもらいたいと思うように他人にも
してあげなさい”と。道徳的摂理の要諦はこの言葉に尽くされております。
これを行動の規準にすることです。決して間違えることはありません」
891 :
考える名無しさん:05/01/09 21:34:07
――それは言わば相互依存の関係であり、自分自身に対する個人的な行為
には当てはまらないと思うのです。自分自身への行為の善悪にも判断の
規準があるのでしょうか。
「食べ過ぎると胃腸の調子がおかしくなります。神はその不快感
をもって各自の限度の規準としています。その限界を超えると神が
罰するということです。同じことが他の全てのことについて言えます。
何事にも摂理によって必要限度というものが設定されており、
それを超えると自動的に苦しみが生じて罰せられます。
“それで十分”という神の声に人間が耳を傾けるようになれば、
天災と思い込んでいる地上の災害の大半が未然に防げるはずです」
――善と悪は全ての人間にとって絶対的なものでしょうか。
「神の摂理は全ての人間に分け隔てなく働きます。が、罪悪は
その実行に当たっての魂の欲望の中に潜んでいます。善はあくまでも
善であり、悪はあくまでも悪であり、地位や職権には関係ありません。
異なるのは責任の度合いです」
――すでに罪悪のタネが蒔かれていて、たまたま置かれた地位や立場上
その責任を負わざるを得ないことがあります。この場合、最大の咎めを
受けるのは誰でしょうか。
「最初にタネを蒔いた者です。罪悪そのものに対して責任を取らされる
だけでなく、図らずもそのトラブルに巻き込まれた者がこうむった苦しみ
に対しても責任を問われます」
892 :
考える名無しさん:05/01/09 21:34:59
――反対に、自分は直接手を染めなかったけれどもその罪悪によって利益を
得た者は、直接参加した場合と同じ罪に問われるのでしょうか。
「その通りです。罪による利益を手にした者は、罪を犯したのと
同じです。仮に気が咎めて直接犯罪行為に加わらなかったとしても、
実際に犯罪が実行され、その結果として得られた分け前を懐にすれば、
直接参加したのと同じです」
――心に罪悪の思念を宿すということは、それを実行した場合と同じ罪
に値するのでしょうか。
「それはそのケースによりけりです。犯意を抱きながらも、やはり
いけないと必死に抑制した場合、これは立派です。しかし、同じく
実行しなかった場合でも、実行するチャンスが無かったというのでは、
これは罪を犯したのと同じです」
善悪と言うのは、
相対的な概念であって、
絶対的な基準は無い。
あるのは、美しいか、醜いか、
それだけだ。
美醜の判断は、
時価だから、
ころころ変わるけど。
そういう意味では美醜にも絶対的な基準はないけど。
まあ、いずれにしても、個々の基準が絶対的なもので無いとしても、
基準を一つ選んだ場合の(その基準についての)善悪というのは確かに存在するから、
何か一つでも成し遂げたい
(コンビニへ行っておにぎり買ってくるというレベルのことでも)
と考えるならば、そこには厳然として善悪が存在する。
ならば、絶対性を内包する善悪ではなく、
主観にすぎないことを主張する美醜を使いたまい!
コンビニでおにぎりを買う。
そのためならば、いかなる犠牲も厭わない崇高な精神。
それは、美しい。
善ならざるとも、例え、敵の行為であろうとも、
それは、美しいのだ。
よくわからん。
>善悪と言うのは、
>相対的な概念であって、
>絶対的な基準は無い。
>ならば、絶対性を内包する善悪ではなく、
これは矛盾しないか?
それとも別の人?
善悪は絶対的なものなのか、相対的なものなのか?
897 :
考える名無しさん:05/01/10 01:37:54
イツマデ ヤッテンダ、オマイラ
いや、矛盾しない。
先に述べた言葉は、
善悪を絶対的基準に従う者、
つか、具体的にはアメリカに対する抗議であり、
後者は、善悪と言う言葉が語られるとき、
そこには、前提としての絶対性が含まれると言うことを、
非難する意味で使っているのだ。
おにぎり、
おにぎり。
・・・すまん。
意味不明になった。
善悪を絶対的基準として使う者、
うん、確かに意味不明。
ただ一つだけ確かなことは、
おにぎりは善。
絶対的な善。
902 :
考える名無しさん:05/01/10 02:16:57
てか膳?
903 :
考える名無しさん:05/01/20 06:52:34
>>902はうまいことをいった。
で、ここで語ってるのは道徳的な善悪?それとも快不快としての善悪?
それらはまったく違うものなの?
905 :
考える名無しさん:05/01/20 10:23:06
おまいの不快はおれの快!
906 :
考える名無しさん:05/01/20 11:46:31
返し方、うまいな〜。
頓智比べのスレですか。
909 :
考える名無しさん:05/01/25 23:26:28
掟、それは定めるもの。
定めると同時に己を縛るもの。
おばさんなんだって言ってるんだよ、足が
掟は、適当に定めて、気まぐれに変えるものなのか。
>>904 ある程度は重なるが。
例えば快楽殺人者がいたとして、彼にとって殺人行為は後者の意味では善となる。
これは言葉の定義だから間違いない。
この辺がごっちゃになると議論が拘泥するのではないかと。
913 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 09:24:19
_人
( ・ε・) 絶対的な善は存在する。ただ誰もそれを見ることが出来ないだけだ。
>>913 あほー。「絶対的な善」そんなもんあるかぇ!
あったとしたら、おまい個人の固定観念によって、おまいの中に作ってるだけじゃ。
915 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 09:44:58
_人
( ・ε・) プラトンの善のイデアって知ってる?
916 :
考える名無しさん:05/01/29 09:48:10
>>915 私だけの善、私だけの悪、私だけのイデアってやつね。
917 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 09:49:02
_人
( ・ε・) ちがいますが・・・
>>915 知るかぇ。
そんな他人のオッサンが、何を言うてようが、知ったことじゃねぇー。
919 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 09:50:01
_人
( ・ε・) 哲学板にいるのはなんで?
>>919 哲学板で何かを語るには、他人のオッサン達が、
何を言うてたか知っとかなあかんのかぇ!んあ!
おまいは、他人が何かを言ってたか知っとかな、
何もよう語らんのかぇ、そんなカスかぇ?
921 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 09:55:31
_人
( ・ε・) いやそんなことないけど、善悪についてはプラトンの善のイデアの考え方は興味深いよ。
>>921 だから何? おまいの言いたいことは、誰か他人の本を読めってか、
おまいは、それを読んでも、それを自分で自分の言葉でよう表現出来んのかぇ、
そんなもんなら、おまいは、それを読んでも意味なかったんやな。
923 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 10:06:23
善悪無いっぽい。
無いっていうのは具体的にはどういうことか。
何をどうしても良くも悪くもならんってこと?
自分の快と不快を正当化してるだけのようにオモタ。
意味不明
友達にも言われた。
つうか、言葉が少なすぎる。
>930
うまく言えんが
自分のためであれ人のためであれ人は今まで欲望に従って生きてきたわけで、
猿らの快不快が時代とともに複雑に絡み合って、法律などで現在いろいろな形で表れてるのが
善悪と呼ばれてるもので、快不快と変わらないんじゃないかと。
わざわざかっこつけて善悪って呼んでるような。
>>931 つまり、
快=善
不快=悪
ということ?
では、
ある人が善と言っていること=その人にとっての快
ある人が悪と言っていること=その人にとっての不快
なはずだね?(すくなくとも、その人はそうであろうと予想してるはずだね?)
具体的にそういう例を挙げることはできる?
では適当に
例)善=平和
悪=戦争
934 :
ぽ ◆U9qipIFuuA :05/01/29 21:55:25
戦争でお金が儲かる人には戦争は快いから善になるね。それだと。
935 :
考える名無しさん:05/01/29 22:04:06
善い悪いはある目的か基準かがあって成立するものじゃない?
大きい小さいみたいに。違うかな
936 :
哲子:05/01/29 22:17:13
善い悪いは行為・実践の結果で判断される。
937 :
考える名無しさん:05/01/29 22:24:52
結果で判断される
って、だからどう判断するの?
思うに、
教義を文化に据えてない場合は、
判断基準もないんじゃなかろうか。
日本人の場合は、美意識。
939 :
ぽつ:05/01/29 23:09:08
日本人の美意識って皆共通したものを持ってるの?哲学歴ゼロの俺にも理解できるように教えてくれ
940 :
考える名無しさん:05/01/29 23:11:43
何を美しいと思うかについては個人によって差があるだろうけれど、
ある程度の一致もあるよね。多くの人が美人と思うような女優とかも
いるんだし。
941 :
ぽつ:05/01/29 23:19:22
善い、悪いってのは、
何か目的を達成することにおいて、って風に定めないとだめじゃないかな?長生きするためとか、法に触れないためとか、モテるためとか
イデアにおいてプラトンがもっとも重要視したのがイデアの中のイデア善(タガトン)のイデアである。
プラトンは善のイデアを太陽と例え、イデアを忘れているわれわれを洞窟の中の人と例えている。
われわれは洞窟の中で太陽に背を向けた状態で太陽の光が映し出す影を見ながら生きているのである。
われわれの背後には絶対的な善のイデアがあり、価値相対主義ではすまされない絶対的な善があるということであろう。
われわれは記憶にしか善のイデアを持っていない。
これからも無知な人間によって都合のよい善と悪が生み出され、スレッドでは善悪とはなにかという議論が繰り返されるのである。
教義を文化に据えることで集団の偏見が生まれ、
善悪という妄想が起こる。
個人だけでも同じことが起こる。
教義を文化に据えることで集団の偏見が生まれ、
善悪という妄想が起こる。
個人だけでも同じことが起こる。
945 :
ぽつ:05/01/29 23:26:13
善悪=妄想ってこと(._.)?
946 :
考える名無しさん:05/01/29 23:28:02
むかし流行した説だ。つまらん。
>945
でその説は破られたのかい?
948 :
ぽつ:05/01/29 23:32:18
そもそも善と悪って、なにが決めるの?時代と共に?絶対的な善と悪ってある?
949 :
考える名無しさん:05/01/29 23:33:08
倫理学の説っていのは、決定的に破られたりはしないものだよ。
あると思えばあるし、ないと思えば無い
951 :
ぽつ:05/01/29 23:36:10
「その時代で悪とされていることをすること」が絶対的な悪じゃない?浅はか?
この時代で悪とされていることって何?戦争はどっち?
953 :
ぽつ:05/01/29 23:39:58
ごめん、
ある基準をもとに、悪とされていることをすることが絶対的な悪…じゃない?あ、でもこれじゃ絶対的と言えないか。
ある基準とは・・・
955 :
ぽつ:05/01/29 23:43:52
国とか個人とかが、その法とか道徳で定める善と悪の基準、と思ふ。
それなら国によって、個人によって違うから絶対的ではない
957 :
ぽつ:05/01/29 23:46:02
うん…
じゃあ絶対的な善悪は存在しない?
名前入れ忘れた。
だから存在すると思えば存在する。私は存在するというプラトンのイデア論を受け入れている。
959 :
ぽつ:05/01/29 23:52:25
でもさ、「悪と思うこと(←これは絶対的ではない)をする」っていう事は絶対的に悪じゃない?
960 :
考える名無しさん:05/01/29 23:55:02
どうかなあ?
少なくともその逆「当人が善と考えることをすることが善」は言えないだろ?
まぁ僕は絶対的な悪というか、悪はあるし、それは善から外れたものだという考え方をする。
962 :
ぽつ:05/01/29 23:58:17
>960
本当だΣ(・д・)
浅はかだった
963 :
考える名無しさん:05/01/29 23:58:21
悪を善が補い、善を悪が補う。これは相互依存関係なり。
善と悪は同じ大きさではない。圧倒的な善があり、それに目をそむけたり、それが見えずに(善だと思い込んで)走ってしまう道が悪である。
965 :
ぽつ:05/01/30 00:03:42
悪の定義を定めるのより善の方が難しそうだなぁ…
これは善悪が対極してるとは言えないってこと?
俺は愛は信じたいが善悪は信じたくない。
人々が信じたいという絶対的な善とは、たいてい愛なのではないかと勝手に推量する。
愛にとっての善悪つうのもあるんじゃないの。
968 :
考える名無しさん:05/01/31 08:55:59
>966
ほぼ同意だが、しかしながら現実には善悪を信じている人は沢山存在している
わけである。そういった人たちを全否定する事は私には出来ない。
「善悪を信じる」とか「善悪を信じない」というのは、
どういう意味なのかよくわからない。
そもそも、何が「善」で何が「悪」であるかが明らかになったとして、
何がどう変わるというのだろうか。
970 :
考える名無しさん:05/01/31 11:51:34
何が善で何が悪か明らかな人(或はそう思い込んでいる人)→「善悪を信じる」人
何が善で何が悪か明らかでない人(或は明らかにしたくない人)→「善悪を信じない」人
971 :
考える名無しさん:05/01/31 12:05:33
いや、たとえば「○○は悪いことなのか?」とか考えている人は、
それに答えがあると思っているのだから、自分の主観的信念とは別に
善悪の基準があると考えているのさ。
972 :
考える名無しさん:05/01/31 12:09:48
だから、少なくとも三つに分類しなければならないな。
1.客観的善悪があり、自分がそれを判断できると考えている人。
2.客観的善悪はあるが、自分がつねにそれを判断できるわけではない、
と考えている人。
3.客観的な善悪などないと考えている人。
たとえば「客観的な甘さ」というのは、あるのかないのか。
974 :
考える名無しさん:05/01/31 13:50:53
あるだろ。甘さは物体が持つ性質(正常な人に甘さの感覚を引きこす性質)だ。
それなら、「正常な人に善さ(悪さ)の感覚を引き起こす性質」
が「客観的な善(悪)」である、ということでOK?
976 :
考える名無しさん:05/01/31 16:12:36
アノォ〜、バカガ 100ニン アツマルト ドーナルカノ スレハ ココデスカ?
977 :
はじめ:05/01/31 16:48:19
それよりまず絶対的な価値、もしくは客観的な真理はそもそもあるのか?それによって決まるだろ。
善も悪も
どちらにせよ政治が絡んでいる
どのように?
980 :
考える名無しさん:
てこの原理?