【教行信証】親鸞を語る【歎異抄】

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263渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
 親鸞にとって僧とは、極めて重要な役割を持っている。無辺の生死海を粉砕していくのが僧の
役割である。後に生まれる者を導いていくプロ集団である。親鸞は教行信証を、僧の中でも、特に
法然上人にゆかりのあった僧に読んでほしいと思っているようだ。流罪事件でがたがたになって
事実上崩壊した法然教団を京都で立て直しを図りたい。その理論的バックボーンとして浄土真宗
の体系書、教行信証提示しているようだ。
 法然上人流罪後、法然教団は事実上ちりぢりになる。事実上崩壊してしまった。それはなぜか。
理論的なバックボーンが強固でなかったからではないか。パン屋さんやおそば屋さんが学ぶ仏教
は念仏だけでいい。他力でいい。自力はいらないんだ。パン屋さんやおそば屋さんやお巡りさん
にそのように語って聞かせる専門家達において、その理論的なバックボーンが脆弱だったのでは
ないか。もっと体系的に強固な理論を提示しよう。親鸞は、弾圧を加えてくる体制派教団に負けな
い形の理論武装を提示しようとしているのである。